連載小説
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伏魔都市クロスボール
 たすけて、

 たすけて、

 だれか、たすけて。


 ころして、

 ころして、

 だれか、ころして。


 だれか……、だれか……、だれか………………。



 * * * * * * * * *



 クロシュ・クロスボール。
 クロスボール中立都市の支配者の名であり、中立伯の俗称で呼ばれる。伯とつくが伯爵ではなく、そもそも貴族でもない。ただ、彼の有する影響力の大きさから、自然と三国間でそう呼ばれるようになっただけだ。王侯貴族でさえも、彼を無下には扱えない。

 そんな中立伯には不思議な逸話がついてまわる。

 曰く、『数百年もの長い間、外見が変わっていない』
 曰く、『できぬことなどない、大魔術師である』
 曰く、『呼吸も心臓の鼓動もない、死人である』
 曰く、『何匹もの魔物を従える、魔界の伯爵である』
 …………云々。



 ――『明日はもっと面白い所に連れて行ってあげるよ。二人とも、楽しみにしておいで』
 アシュリーがそう言った次の日。僕たちは、とある場所を訪れていた。

 クロスボール中立伯。

 この都市を統治する人物と、アシュリーは面識があるんだとか。さすがは魔界の皇女様、名ばかりだった僕とは違い、人脈が豊富なんだ。何故だかサーラは胡散臭そうにしていたけれど、なんでだろう?

 そこは、森だった。
 そう、森。
 都市の中に、こんなにも広い森があるだなんて、とても凄いと思う。
 三つある区画のうち、一番静かな北西区画に設けられた自然公園〈常葉(ときわ)の森〉。
 大通りの喧噪も、露店から漂う食べ物の匂いも、ここまでは届かない。なんだかとても神聖な場所に思える。
 若葉を繁らせた枝々のアーチを潜り抜け、靴裏に土の軟らかさを感じながら進み――ふと、何かが聞こえた気がした。
「リーフィ、どうしたの?」
 自分でも気付かず立ち止まってしまった僕を、サーラが上から覗き込んでいた。澄んだ青空みたいな目と視線が合う。赤い髪から良い匂いがして、心が落ち着く。
「うん。何か聞こえなかった?」
「音? ……ううん、わたしは特に」
 耳を澄ませたサーラは、かぶりを振る。
「ミー君には何か聞こえたのかい?」
 今度はアシュリーに声をかけられた。紅い瞳に見つめられると、嬉しいような気恥ずかしいような、不思議な心地がする。今は帽子を被っておらず、白い髪が柔らかく木洩れ日を照り返し、まるでお話しに聞く天使様みたいだなぁと、ぼんやり思う。
「声……みたいなものが聞こえた気がしたんだけれど」
 誰かを呼ぶような、微かな……けれど、どこか必死な声。今はもう聞こえないけど、僕の心に根を張ったみたいに、無視できない。
「気になるなら、ここの主に聞くと良いよ。もうそろそろ見えてくるはずだからね」

 しばらく進めばアシュリーの言う通り、その邸宅はあった。
 建物なんて、アシュリーのジェドゥーナチャッハ城と、この都市に立ち並ぶ建築物、それから都市に来る途中に立ち寄った村でしか見たことがない。王都の建物は……知らない。その頃はまだ目が見えなかったし、お城の中もほとんど歩き回れなかったから。
 だから充分な比較対象を知らないけれど、ジェドゥーナチャッハ城よりは随分と小さい。同じ三階建てだけれど、僕たちが宿泊する〈異国の薫り亭〉よりも明らかに小さい。だけど、とても静かで、そして香りと色彩で賑わう建物だった。
「ツル薔薇か、見事なものだな」
 赤と白、黄とピンク、紫にそれから……なんて甘く、涼やかな芳香なんだろう。幻想的な化粧の名は――ツル薔薇。
 彩りと香りを帯びたその建物は、おとぎ話の風景を思わせて……この鮮烈な感動に、サーラの言葉がタイトルを付けてくれる。僕は夢心地で、だから、その人に気付くのが遅れてしまった。
「ようこそ、お客人。あなた方を歓迎します。さあ、中へどうぞ」



 スーツ姿の紳士――クロスボール伯爵は、若い男性のようでいて、とても年上にも感じられた。
 ……僕は、人の外見を見分けるのが苦手だ。さすがに男性か女性かくらいは判るけれど、年齢を推し量ったり、表情を読み取ったりはまだ不慣れだ。
 不思議な人だな、と思う。
 表情の変化は、ほとんどない気がする。こうして話していても、動くのは口だけで。ソファーに姿勢良く腰かけた姿は、なんだか存在感が希薄だった。
「久方振りに会ったものだから、礼を失してしまったよ。遅ればせながら紹介させて欲しい。こちらの少年はミリシュフィーン。私の愛しい旦那様だ」
 招かれた客室にて。紳士との会話を一区切り付け、アシュリーが紹介してくれた……のはいいけれど、『旦那様』は恥ずかしい。
「ご紹介に与りました、ミリシュフィーンです。その……教会で式を挙げた訳ではありませんので未だ正式な夫婦関係ではないのですが、一応、アストライアさんとは――」
「ミー君?」
「――アストライアとは婚約関係にあります」
 会釈し、腰を下ろそうとして、
「リーフィ?」
 サーラに呼び止められた。この表情と、目に込められた意味は、判る。
「……こちらのルーナサウラとも婚約中です」
 恥ずかしくて顔から火が出そうだ。なんて罰当たりなことを言ってるんだろう、僕は。神がお許しになるはずがない。それ以前に、魔物である僕たちを祝福して下さるか、はなはだ疑問だけれど。
「さきほど夫より紹介がありました、ルーナサウラです。どうかお見知りおきを、伯爵閣下」
 口上はさておき、実直さと優雅さを兼ね備えたサーラの立礼は、僕の目にすら綺麗に見える。
「こら、正妻の私が控えたというのに、妾の君が出しゃばるんじゃないよ、ルーナサウルス」
「誰が『サウルス(トカゲ)』だ!! 『サウラ(夏)』だっ、ルーナサウラ!」
「おや、失敬」
 サーラとアシュリーは、出会ってまだ間も無いのにとても仲が良い。微笑ましくて、頬が緩んでしまう。
 けれど。
「魔王のご息女がお連れしたのが、まさか、シェーペール王国で失踪した王太子殿下と、護持騎士の任に就いていた男爵令嬢とは、驚きです」
 この言葉に、僕の背筋は凍り付いた。
 紹介された流れから改めて自分でファーストネームを名乗った訳だけど、僕ごときの名に注意を払う人がいたなんて。
 武術なんて縁のない僕でも、隣に座るサーラの雰囲気が変わったのが判った。戦う時の、サーラの気配に。
 でも、
「こらこら、ドラゴンである君が暴れでもしたら、彼の館が全壊してしまうよ。それとも森を火の海にするつもりじゃあるまいね? 〈炎の息〉は、鍋を温める時か風呂を沸かす時くらいにしておくれよ」
 あっけらかんとした声が、更なる秘密の暴露を行ったのだった。
「貴様ッ、この淫魔、なんということを!?」
 怒ったサーラは、僕の頭上越しにアシュリーの胸元を掴んだ。
 アシュリーの方は……なんだか面白そうに笑ってる?
 とにかくサーラを止めないと、と口を開きかけた時だった。
「アストライア様、お戯れはほどほどにお願い致します。それと、私のことはあまりご説明なさっておられないようですね」
「その方が面白いかな、と」
「やれやれ」
 伯爵は――たぶん、心底呆れていた。



「知り合いなら早く言え」
「知り合いだとは説明しておいたはずだが?」
「付き合いの深さまでを含めて説明しておけ! まったく……」
 アシュリーとクロスボール伯爵とは随分と長い付き合いで、その上、魔物に対しても理解の深い人なんだって、ついさっき僕たちは知った。
 その流れで、僕とサーラの身の上話やら“こうなった”経緯なんかも話して……。それで伯爵が『次は私の番です。お近づきの証に、妻を紹介させて下さい』と仰るものだから、こうして案内を受けている最中だった。
 廊下を渡り、外に出て、ここは……裏庭なのかな? 周囲の木々に囲まれて、少し開けた場所になっている。そしてそこには――。
「おおきい……」
 きっと……ううん絶対、この公園で一番大きい木だと思う。サーラが両手を広げて、何人分くらいだろう。それに、見上げると後ろにひっくり返りそうになるくらい、高い。
「幹周りは……十メートルほどだろうか。樹高は……これは優に三十メートルはあるな」
 周囲をぐるりと見て回ったサーラが、感嘆の声を上げる。
 と、その時だった。

「皆さん、我が家へようこそおいで下さいました」

 柔らかな女性の声が聞こえた。
 それはとっても優しい声で。夢で聞く、記憶にはない母上の声に似ていたんだ。僕が勝手に想像している、幼い頃にお別れした母上の声に。
 そして、
「先程は人形越しに失礼しました。改めまして、クロシュ・クロスボールです」
 二人の人影が、大木の前にあった。

 一人は女性。
 深緑の髪と新緑の瞳、薄く小麦色がかった肌をしている。緑髪から小枝のように飛び出した耳は、アシュリーみたいに尖っている。

 もう一人は男性で、凄くビックリしてるんだけど……伯爵が二人いる。ここまで案内してくれた人と、いま大木の前に立っている人と。新しく現れた伯爵の方は簡素な服装だけど、違いはそれだけ。……ううん、そうじゃない。新たに現れた人の方が、存在感が強い。

「私からも二人に紹介しておくよ。私の古くからの友人、ドリアードのトーィルと、そしてこちらが“本物”のクロスボール伯爵さ」
 アシュリーの紹介に応じ、二人の男女は優雅な礼をしてくれた。
16/05/07 15:42更新 / 赤いツバメと、緑の淑女。
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