読切小説
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教会に住むサキュバスのお手伝いさん
過剰な快楽に顔を歪める男
泣き叫び命乞いをする子供
廃人と化し虚空を見る女
そしてそれらを喰らう、私

そこには愛情などひと欠片もなく、ただ捕食者が餌を貪るだけの関係
理性を磨り潰し、性の快楽を叩き込み、生殺与奪の一切を掌握しながら、文字通り搾り取る

楽しい、愉しい
もっと、もっと欲しい
苦痛も快楽も苦悶も愉悦も、全部、全部

人間の都合など知らない、理性や尊厳など私が押し潰す
ただあなた達餌は無慈悲に消費されていればいいの

ああ、あなたのその顔、とーっても素敵よ?
気に入ったから、骨の髄まで貪りつくしてあげる
だから、あなたも、





殺してあげるわ









また、昔の夢を見た
あの日以降ほぼ毎日、寝ても覚めても悪夢ばかりが思い起こされる
サキュバスとして暴虐の限りを尽くした記憶が、今になって牙をむく
魔物の特性によりその解釈に差異はあれど、代替わり後の魔物に共通する本能

「人に友好的であれ」

人を傷つけることは極力避けよ、殺すなどもってのほか
人と魔物はともに愛し合うべきなのだ

その本能が私を苦しめる

かつてはこんなこと思わなかったのに、私は一体どうしてしまったのだろう
今の人に抱くこの感情は、それによる後悔は、絶望は、現魔王に与えられた作り物ではないのか

本当の私は一体どこにあるの?

いつまで罪悪感に苛まれるのか
いつまでこの苦しみが続くのだろう

魔王の代替わり直後のここ数年、まともに生きていけなくなった私は、人間の住処を離れ、森の奥深くで暮らしている
暮らしているといってもただ死にぞこなっているだけ
食事もせず、水もろくに取らず、ただ木の枝に腰掛け膝を抱えて眠るだけ
ただ、そこに居るだけ

それでもまだ死んでいないのは、かつて豊富に蓄えた魔力がぎりぎり尽きていないから
時折、森に住む魔物が心配して私に食料をくれようとするけど、いい迷惑だわ

私は、このまま朽ちたいの

鬱屈とした思いを抱え、また私は眠りにつこうとする
次こそ永遠に目覚めぬことを祈りながら









「あ、あの!大丈夫ですか!ご気分がすぐれないように見えますが」

またどこかのお節介な魔物が来たのか、眠りを邪魔される
鈴を転がすような綺麗な声だ、魅了の声を持つラミア族だろうか

もうほおっておいてと何度言えば…、え?

木の下に居たのは魔物ではなく、小柄な人間の若い女だった
どうして?なぜこんな森の奥深くに?

服装から察するに、どこかの教会のシスターだろうか
慎ましながら、女性らしい丸みを帯びた体つき
あどけない、でも少女というには失礼な大人の顔立ち
宝石のようなグレーの瞳
そして、ホワイトブロンドの美しいセミロングの髪

…私の知っている修道服は本来髪は出さないはずだけど、宗派の違いだろうか?

いや、そんなことより、





いま、わたしのめのまえにいるのは、にんげんのめすだ





飢餓状態の魔物の本能が目覚める
精を食らえとうるさいほどにわめき叫ぶ
その本能は、一瞬にして、私の理性を塗りつぶした

私は体が限界を迎えているにも関わらず、彼女に飛び掛かり、押し倒す
可愛らしい悲鳴を上げる口を強引に手でふさぐ
恐怖に歪む顔、見開かれる瞳、流れる涙
自分がこの後どうなるか、流石にわかってるみたいね

ああ、貴女のその顔、とーっても素敵よ?
気に入ったから、骨の髄まで貪りつくしてあげる
だから、貴女も、







唐突に、吐き気が催される







それと共に、心臓が貫かれるような痛みが全身に広がる
耐え難い嫌悪感が、禁忌へ触れかける罪悪感が、体を駆け巡る
頭痛がする、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い!!!!

どうにか体を動かし彼女の上から後ろに飛びのくと、私は嘔吐しながら地面へと頽れた

意識を失う最後に見た光景は、襲ったはずのシスターがこちらに駆けてくる姿だった








目を覚ましたとき、まず目に飛び込んだのは知らない木目の天井だった
どうやらあの後、どこかの部屋に連れてこられたらしい
体を起こし辺りを見わたす
大きく明るいランタンが乗ったテーブルとイスに、小さなクローゼットだけがある質素な部屋だ

唐突に、控えめなノックの音が室内に響く
扉を開けたのはあの時のシスターだった

「あ、お目覚めになられたのですね!よかった、突然倒れてしまったので一体どうなされたのかと」

「あれからずっと目を覚ましませんでしたので心配だったんです。ああそうだ、ちょうど夕食を作っていたので今ご用意しますね?」

そう微笑むシスターはこっちの都合など構いもせず、自分の用件だけ告げるとさっさと部屋から出ていった
そして次に戻ってきた彼女の手にあったのは、パンと野菜のスープが乗ったトレイ
食事より、今は状況を把握しないと

「ねえ、ここは一体どこなの?あなたは誰?どうやって私をここまで連れてきたの?」

「ここは貴女がいた森の近くにある町の教会。私はそこのシスターで、いま居るのは私室です」

「本当に、びっくりしたんですよ?ハーブを採ろうとしたら、迷って森の奥深くまで来てしまいましたし」

「どうやって帰ろうか悩んでいたら、髪がぼろぼろで、羽やしっぽの艶もない幽霊みたいなサキュバスさんを見つけるし」

「かと思えば突然飛びかかってきて、急に苦しみだして倒れたんですから」

「あの後、私の悲鳴を聞いた森に住む魔物の方々が来てくれて、彼女達の力をお借りして、なんとかここまで運んだんです」

「道中、貴女が全然食事をとってないと聞きました。お口に合うかわかりませんが、まずは食事を取りましょう?」

そう矢継ぎ早に話す彼女の言葉を聞いて分かったことは、二つ
人間である彼女が魔物を見ても驚かず、当たり前のように受け入れているということはつまり、ここが親魔物領や対魔物友好国と言われる地であること
そしてここが教会であり、彼女はここに住む聖職者ということだった
でも確か、魔物に対する姿勢はいざ知らず、この近辺は人間同士の戦争が絶えない地域だったはずだけど、それももう終わったのだろうか?

代替わり以降俗世との繫がりを絶ち森の奥深くに住んでいた私は、どうにも世間というものに疎い
でもそんなことはどうでもいい
重要なのは、ここが私の暮らしていた森と、そう遠いところにないということだ
それがわかったのなら後はさっさとここを出て、またあの薄暗く、陰惨な終の棲家に戻らなければ

「…迷惑かけたわね、ありがとう。でもここをすぐに出ていくし、食事は結構だから」

「ど、どうしてですか?ああっ、まだ体を動かしてはダメです!安静にしていてください!」

ベッドから出ようとする私を何とか押しとどめようと、シスターが抵抗する
うるさい、私は一刻も早くここを出たいの
悲鳴を上げる体など知ったことじゃない
それに食事なんかしたら、せっかく枯渇しかかっていた魔力が、魔力、が?

そうだ、私は飢餓状態で彼女に襲いかかったはず
なのになぜ、こうして普通に話せているの?
しかもよく体を調べると、これは…

「貴女、私に何をしたの?」

「何とは、どういうことでしょう?」

「魔力がわずかに回復してるし、口の中に人間の精の味が少し残ってる。これは一体?」

「あっ、えっと、先ほど話した道中でですね、魔物の皆様が、貴女が倒れたのは魔力が枯渇しかかってるからだと仰ってまして」

「それで人間の精でも魔力を作ることができると聞きましたので、その…」

「その?」

「少し深い、く、く、口づけをして、あの、少しでも私の精を取り込んでもらおうと思って。申し訳ございません、ご迷惑でしたか?」

…驚いた
人間の女性が自らの精を魔物に与える?
それは、精を作る機能が男性より劣る女性にとって、体力をひどく削るに等しいことだ
こちらが大量の精を奪い、代わりに魔力を与えるわけではないから、魔物化のリスクは低かったかもしれない
でも、決して可能性はゼロではなかったはず、この子は魔物化が怖くないの?
というより、深い口づけって、待って!?あの時私は!

「私、嘔吐したわよね?」

「あの、なんと言えばいいのでしょう、その、なかなか刺激的な体験でした」

羞恥と屈辱感で体が異常なくらい火照りだす
より一層、これ以上ここには居られなくなった

「助けてくれたのは感謝するけど本当にもういいの、帰らせてもらうわ」

「いけません!そんな体で!森に帰る前に倒れてしまいます!」

「これ以上生き恥をさらし続けられないの!」

「ちょっとは回復したとはいえ、まだ貴女の体はぼろぼろなんですよ?!」

逃げようとする私をさらに押しとどめるシスター
というか、小さな体のくせになんて力なの?!
いえ、むしろこんな力に抗うことができないくらい私は弱っているのか

「どうして?!私は貴女を襲ったのよ?怖いとか思わなかったの?」

「怖かった、怖かったですけど!でも!貴女は苦しんでいました!」

「えっ?」

「私に襲い掛かったとき、そのあと急に苦しんだではありませんか!」

「きっと、なにか事情があるのでしょう?良ければ私にお話ししていただけませんか?」

「っ、うるさい!ほおっておいて!これ以上私に構わないで!私、私はっ!」






「私は、さっさと死にたいのよ!!」






激情に任せ、つい本音が零れ落ちる
しまったと思ったときには、もう遅かった

「…その言葉を聞いて、なおさらこの部屋から出すわけにはいかなくなりました」

「お願いします。悲しい選択を選ぶ前にどうか、どうか私に、その心中を話してはいただけないでしょうか?」

「私に、私に何か、力になれることはないのでしょうか?」

私の手を両手で包み、そう語りかけるシスター

こいつは自分を襲ったサキュバスを助けるために、魔物化も恐れず、あまつさえ吐瀉物まみれの口内にためらわずディープキスをした
いっそ病的とも言ってもいいほど自己犠牲心の高い女だということは、この短い時間でも嫌というほどにわかった
そんな彼女にこう言ってしまえば、まあ、そうなるでしょうね
ああ、面倒くさい

仕方ない、どうせ知られたんだもの
この際全部、全部吐き出してしまおう
事情を知れば、このお人好しのシスターもちょっとは気が変わるかもしれないしね


「…私はね、昔、貴女たち人間を喰い殺してきたの」







一度口に出してしまえば、あとはもう早かった
私がかつて人を弄び喰い殺してきたこと、その数も、数えてはないけど決して少なくなかったこと
そして何より、たとえ代替わり前の状態でも、サキュバスは別に人を喰い殺すまで精を奪わなくとも生きていけたこと

代替わり前でも、同族の中には本気で人間の男に惚れこんで、その後番となって生きた奴など少なからず存在した
何より、今の魔王だって似たようなものだ
人間の勇者と共に生き、しかもその人間と愛し合いたい一心で前魔王に挑み、世界を変えたのだ

そう、私たちサキュバスの食事は、その過程で相手を殺す必然性などない
にも関わらず私が喰い殺してきたのは

それが、ただ愉しかったからだ

その人間とともに生きることを選んだどこぞのサキュバス属のせいで、人間を殺してきたサキュバスが苦しむなんて、ひどい皮肉よね








「ね?私、ろくでもない魔物でしょう?こうして貴女と話しているのも魔王に植え付けられた仮初めの感情の結果に過ぎないの。だから」

目をつむり、真剣に私の話を聴いていたシスターの口が動く

「やはり、まずは食事からですね」

何を、言っているの?
真剣に聴いていたと思ってたけど、本当は寝ていたの?
それとも実は、憐れむふりをして私を馬鹿にしているの?

「貴女、私の話を!」

「はい、あーん」

「むぐっ!!!んんっ」

突然口内に差し込まれる木製のスプーン
びっくりした体は、思わずそこに掬われたスープを飲み込んでしまう

「い、いきなり何を!」

「今の貴女は、心身ともに疲れ果てているんです」

「だから、まず治しやすい体から癒す必要があります」

「だから!」

「はい、あーん」

そう微笑む彼女は、梃子でも動かないぞといった雰囲気でスプーンを突き出す
もういい、面倒くさい
とりあえず、いまはこのシスターに従おう
そして、体が回復したらさっさとここを抜け出せば良いのだ

「わかった、降参、降参よ。でも一人でも食べられるから、あーんはやめて」

「しっかりと食べてくださいね?私もそこのテーブルでちゃーんと見張っていますからね?」

「はいはい」

そうしてパンとスープが乗ったトレイが差し出される
スープはすでに冷めてしまっていて、清貧を尊ぶ教会だからかかなりの薄味、しかもパンは固くぼそぼそしていた
お世辞にも美味しい食事とは言えなかったが、全部食べ終わらなければシスターの監視が続くのだ
渋々ながら、私は全ての食事を平らげた
ああ、体が、魔力が回復してしまう

「全部綺麗に食べていただけましたね。ありがとうございます」

「どうせほんとに全部食べ終わるまで見張ってる気だったくせに」

「というより、食後の紅茶とかないのかしら?まったく」

強引に事を進められたのが悔しくて、つい憎まれ口を叩く

「申し訳ございません、当教会では紅茶は特別な日にしかお出しできないのです。代わりにお水をどうぞ」

まあ本当に紅茶が欲しかったわけじゃないのに、こうも低姿勢で来られるとなんだか調子が狂うわ

「さ、今日はもう遅いです。食事も済んだことですし、体を拭いて、歯を磨いて、一緒に寝ましょうか」

そう遠くない未来に死ぬ予定なのだから、衛生面なんて気にする必要ないのに
でも、このシスターが納得しなければ軟禁生活が長引くだけ
今は素直に従えばいい…、え?最後になんて言ったの?

「一緒に、寝る?サキュバスの、私と?」

「はい。貴女が夜中にこっそり抜け出さないよう、一緒に寝させていただきます」

「貴女のことお人好しのシスターだけかと思ってたけど、違ったわ。貴女ただの狂人よ」

「サキュバスと一緒に寝る?それもか弱い女性の貴女が?私にまた襲われるとは思わないの?」

「森で突然襲われたときはびっくりして体が動きませんでしたが、今の貴女の体力では私を満足に跳ね除けられないのはわかりましたし」

「それに、飢えていたから襲ってしまったのですよね?今の貴女なら大丈夫です」

「はぁ、もう、勝手にすれば」

「はい!」

結局根負けした私は満足に動かない体を拭いてもらい、歯はさすがに一人で磨いた
そして、手渡された決して肌触りの良いとはいいがたい就寝着に着替えた
…羽や尾は、仕方なく体に巻き付けた

着替え終え、ともに寝ようとするタイミングで、唐突に彼女が言い出した

「そう言えば、とても大事なことを忘れていました」

「大事なこと?」

「私はシスター、シスターメアリーと申します。貴女のお名前は?」

そう言えば、ここに連れてこられてそれなりに時間が経っていたが、まともな自己紹介などしていなかったことを思い出す
名前、名前ね。久しく名乗っていないから、一体なんだったか、ああ、そうだ

「私はプリシラ、かつてそう名乗っていたはずの名前よ」

「では、おやすみなさいプリシラさん、また明日になったら、今度は教会やこの町のお話とかもしますね」

「…ええ、おやすみシスターメアリー」

シスターは私が逃げないように、その小さな体で必死に私を抱きしめていた
その後、今日一日の疲れもあってか、私はすぐに寝てしまった








この日以降、私はこのシスターと半ば強制的に、ほぼ常に生活を共にした
毎日シスターの他愛ない話を適当に相づちを打って聞き流し、数少ない本を読み、食事し、抱きしめられながら眠る
ちなみにシスターは私を軟禁した、彼女にとっては私を保護した日の夜の後、すぐに就寝着の改良をしてくれた
何も言っていないのに、よくもまあやってくれる

シスターと過ごした日々は退屈なものだったが、そのおかげでここに連れてこられた日にはゆっくりとしか進めなかった歩幅も、今では元通りだ

…もと通りになってしまったというべきか、ここから逃げる日が近づいたというべきか、複雑な感情だ

そうして普通に歩くことができるようになったころ、今度はシスターから羽や尾を通す穴がちゃんと開いた、村娘が着るような服を渡された
なんでも、サキュバスの服装は教義からかなり外れているらしい
今更何をと思ったが、どうやら炊事場や聖堂といった各部屋を案内したいとのことだった
まあ教会内をうろつくには私の格好は目立ちすぎるのも確かなので、布面積の大きいそれを渋々受け取った
また、教会の案内の合間に、この町がどんなところで、いかに良いところかも聞かされた

そして私は初めて、この教会の神父様とやらを紹介されることになる

神父は、まあ有り体に言ってしまえばナイスミドルって感じの男で、かつての私なら、もっと若ければ夜の餌に味見くらいはしてもいいかなと思える風貌だった
どうやらシスターが私に付きっきりなため、シスターができない分の教会の運営を一身に行っているらしい
どうしてそこまでしてくれるのだろう、迷惑だと思わないのか?
大体、私は自制や禁欲を尊ぶ教会の教義に真っ向から反する、しかも人間ですらないサキュバスなのよ?
私は、神父に半ば当然ともいえる疑問を投げかける

「確かに、我々の教義の一つに自制や禁欲は含まれますな」

「ですが、我々の教義においてもっとも大事なことは、愛すべき隣人の心の平穏を願い、暖かな生活を分かちあうこと」

「ともに暮らし、日々の苦労を共有するうえでこれらを守れるのであれば、人魔問わず、我々の愛すべき隣人なのです」

「自制や禁欲はあくまで、その手段にすぎません」

「よく我々の教義は主たる神を唯一神とするものと混同されますが、我々にとって少なくとも今の魔物は、排すべき存在ではないのです」

ああ、この神父あってのシスターだ
とんだお人好しすぎる

「貴女のことは、シスターメアリーから簡単にですが聞き及んでいます。お辛い思いをされていることも」

「だったらどうして?なおさら私は排すべき存在だと思うわ」

「自省せず罪を繰り返し続ける者は、たとえ人間であっても脅威と呼ぶべき存在です」

「しかし、貴女は自身の過去の行いに悩み、苦しんでいる。決して排すべき存在などではありません」

…違う、私はそんな、そんな立派な存在なんかじゃない
その自省とやらも今の魔王に与えられた仮初の感情なのだ
私が自ら悔いた結果なんかじゃ、ない

「プリシラさん、大事なことは、今の貴女がどう思っているかです」

「それがたとえ現魔王から与えられたものであったとしても、今ここにいる貴女は」

気分が悪くなる
もう聞いていたくない

「ごめんなさい、私、部屋に戻るわね」

「あ、プリシラさん?!まだ神父様のお話は!」

「いいのですシスターメアリー、今の彼女には私の話は少々お説教じみて聞こえるでしょう。貴女にはそれがわかりますね」

「今は彼女に付き添ってあげてください。彼女が、決して悲しい選択をせぬように」

「…はい、神父様」

シスターの私室に引きこもり、ベットの上で膝を抱える
そうだ、こうして、ずっと過ごしてきたじゃない
今はお節介な教会の聖職者どもの戯れで軟禁されているだけ
今は普通に歩けるだけだから脱走してもすぐつかまってしまうかもしれない
なら、飛べるようになるまで待つだけでいい
そうしたら、こんな町、いえ国すら飛び出て、今度こそ私は静かに朽ちる場所を見つけるのだ

私がベットの上に座った後、少し経ってから控えめに扉をノックする音が聞こえた
きっと私を追って来たシスターだろう
私室だと言っていたのに、何を遠慮しているのだろうか


むしろ、異物は私なのに



「はぁ、入っていいわ」

「失礼します。…プリシラさん、その、ご気分はいかがでしょうか」

「ええとっても最悪よ。吐き気がする」

「そう、ですか。でも、プリシラさん、お願いです。わかってあげてください」

「わかってあげて?神父の話を?」

「神父様のお話だけではありません」

神父の話だけでないなら、一体何をわかればいいというの?
そんなことを考えていると、今度は彼女のすすり泣く声が聞こえてきた

「どうして貴女が泣くの?ああ、お優しい聖女様は魔物のために泣けるご立派な方なのね」

「違う、違うのです。私は、私は…」

彼女がその後、言葉を発することはなかった








その後は一日中、食事以外を私はベットの上で過ごし、シスターはそんな私を背中から優しく抱きしめるだけだった
一日中ベットの上でなんて、ほかの魔物なら喜んで過ごすでしょうね

重苦しい空気の中、気疲れした私を睡魔が襲う
いつの間にか、私は軟禁初日のようにシスターに抱きしめられながら眠っていたのだった





その夜、私は若い女を喰い殺した夢を見た
泣き叫ぶ女の衣服を無理やり裂き、引きはがし、凌辱する
まだ湿り切っていない秘部を無理やり尾でこじ開ける
そこから純潔の証であった鮮血がこぼれようと気にしない

自分が快楽を得るための乱暴な交わり
相手の気持ちなど考えないそれは自慰と言っても過言ではなかった

やがて、女も快楽を得始めたのか泣き叫ぶ声に甘えが出てくる
その快楽は自分の死期を早めるだけだというのに、愚かしい

そういえば、その顔をよく見てなかったことを思い出し、観察する
せっかくの最後の瞬間だもの、ちゃーんと見ていてあげないとね

苦痛と快楽に歪み、今まさに死にゆくであろう女のその顔は、



幾度となく見た、シスターのものだった



唐突に意識が覚醒する
喉が枯れ、心臓の鼓動がうるさい
横に視線を移すと、そこには心配そうにこちらを見る寝ぼけ眼の彼女がいた

「また、悪夢をご覧になられたのですか?酷くうなされていましたよ」

「あ、え、ああ、ごめんなさい、起こしちゃったかしら?」

「いえ、私のことはいいのです。お水をとってきましょうか?」

「ううん、いらないわ。それより貴女が」

貴女が?
私は、私は今、何を言おうと?
さんざん、人を喰い殺してきた私が、今さら一体、何を?

「…プリシラさん、大丈夫、大丈夫です。私はちゃんとここに居ますから」

私の心中を察してなのかはわからないが、彼女はそう言うと一層強く私を抱きしめた
私は彼女を無意識に抱きしめ返し、瞼を閉じる

その後の眠りで、悪夢を見ることはなかった





こうしてメアリーと過ごす日が果たして何日続いたのだろう
少なくとも半月はたっただろうか?
メアリーは相変わらずのお節介さで、私に色々なことを教えてくれた
教会で出される質素な食事の作り方、週に3日しか使えないお風呂の沸かし方
掃除はこうやってするのだとか、これはどういった讃美歌で、こういう意味があるのだとか

教会近くの商店に赴き、日用品を買ったりもした
メアリーはその持ち前の美貌と人当たりの良さで、町の皆から愛されているらしい
なんだか、サキュバスとして負けた気分だった

教会の教義や営みについても教わることがあった
そのどれもがサキュバスの私にとっては退屈で、つまらなかった
やはり、清貧と禁欲などなくしてしまったほうがいい、共感など何一つない

そうこうしているうちに、髪やしっぽ、翼はもとに戻り、私はサキュバスらしい妖艶さを取り戻した
さすがに何かあると面倒なので魅了の魔力は意識して抑えているけど
これなら、あと少しで空も自由に飛ぶことができるだろう
そう、あと少し、あと少しで私はここから逃げられる

これまで外を出歩く機会などたっくさんあったのだ
その時に隙をつけば、いともたやすく実行できるだろう






今日は教会と共同で運営する孤児院とやらへの訪問の日らしく私も参加させられた
といってもあくまで本当に行くだけ、私の苦痛を知る彼らは、私にそれ以上を求めなかった
まあ、もうそろそろこのお人好したちとの付き合いもなくなるのだ
子供はあまり好きじゃないけど我慢しよう

孤児院でのメアリーは、教会で見せる貞淑で聖職者然とした顔と全然異なっていた
ただ少し年の離れたお姉さんのように、無邪気に子供たちと遊び、勉強を教えていた

私が彼女の珍しい姿を観察していると、神父がやってきた
正直、あの一件以来、私は少しこの人が苦手だ

「シスターメアリーがあのように遊んでいるのが意外ですか?」

「ええ、メアリーってあんな顔もできるのね」

「彼女にとって、ここの子供たちはみな兄妹ですからな」

「血のつながりがなくても?ってやつ?」

「それもそうですが、彼女もここの孤児院出身でして」

「えっ?」

正直意外だった
彼女の容姿や気品ある立ち振る舞いから、てっきりどこかのお嬢様かなにかだと思っていた
たとえそうでも、田舎町のシスターに身をやつしている時点で没落したかつての名家止まりだが
そう言えば、私は彼女の過去を何も知らない
もうすぐ私はこの町から消えるのだ、知る必要などないが正しい

まあ?でも?どうせ消えるのなら、少しくらい、気になったことを知っても悪くはないのではなくて?

「じゃあ、メアリーのご両親は」

「ええ、母親は軍医でしてな。かつてこの近辺で起こった戦争に赴き、帰らぬ人となりました」

「父親は、…夜分家に居たところを強盗に襲われ、娘のメアリーを逃がしたはいいものの、そのまま」

はやり病や事故で亡くなったとかいう話ではなかった
想像よりずっと悲惨で、壮絶な人生を送ってきていたのだろう
愛する人を亡くした悲しみを耐えながら必死に生きてきたのだ、、ろう…?

彼女の境遇を憐れみ、そのかつての日常を思案していた自分に驚愕する

愛する人?
必死に生きる?

彼女を喰い殺す夢を見たときみたいに、直前で否定すらできなかった
愛する人が何なのか、必死に日々を過ごすことが何なのかを自然と思い起こしてしまっていた
早く、一刻も早く飛べるよう、魔力を回復しなければならない
なにかはわからないが、このままではいけない

私は、このままではここに毒される





孤児院訪問の帰り道、メアリーは笑いながら私に話しかけた
確か、子供たち一人一人の特徴、好きなものや嫌いなもの
神父と何を話していたのか、この後の今日の予定や明日のこと

…正直、内容や、なんて答えたかなどははっきり覚えていなかった

掃除も入浴も調理も食事も、全てがあいまいな記憶のまま過ぎ去った





最近眠るときにメアリーは私を抱きしめることがなくなり、ただ自然に寄り添うだけになった
私がここから逃げ出すことなどできないと思っているのか、それとも

彼女の安心しきった安らかな寝顔を見ると、ひどく胸が苦しくなる
苦しくて苦しくて、頭がいっぱいになって、なにも考えられなくなる
ただ、早くここから立ち去りたいと、そう願うばかりだった

その日、私は一睡もすることができなかった






次の日、メアリーが、今日がひと月に一度の教会の大掃除の日であることを私に告げた
だが、孤児院訪問以降、私はもう気が急いて仕方がなかった

早く飛べるように、逃げ出せるように、常に魔力が溜まっていないかばかりを気にするようになった
あまりにも心ここにあらずといった表情だったのか、メアリーにもどこか体調が悪いのかと心配された

確かに一睡もできなかったから体調が万全とはいい難い
だけど、魔物の体力は一睡しなかったくらいで損なわれるものじゃない

そう、体調なんかではない
ただ、胸が締め付けられるように痛い

痛くて、せつなくて、苦しい

少なくともここに来てからこうなったのだ
だから、私はここを離れなければならない
このなんなのかわからない痛みを忘れるために、一刻も早く

メアリーは不思議な顔をしながらも、本当に体調が悪いときは無理せず休んでくださいと、いつものように微笑んだ



大掃除という名目の通り、教会の隅から隅まで掃除をしなければならないらしく、神父は庭の樹木や雑草の手入れ・処理を担当し、私は主に居住区の掃除、そしてメアリーは、他より少し広い教会聖堂を掃除すべく息巻いていた



掃除をし始め、どれくらいたったのだろう
日はもうすでに高く上り、真上にあることを考えると、結構経った気がする
教会の居住区部分はあらかた終わった
休憩がてら、メアリーのいる聖堂に行ってみようかしら?



聖堂に行くと、梯子に上りステンドグラスを一心不乱に磨くメアリーがいた
ああ、やっぱりだ
理由はわからないが、彼女を見るとまた胸が痛みだす

彼女と過ごす日常の何気ない一瞬や、彼女がこちらに微笑みかける時、夜、私に寄り添ってくれる時に、特に胸が痛み、苦しむのだ
私は、一体どうしてしまったのだろう




悶々と思い悩む私の耳に、木のきしむ、嫌な音が届いた
ハッとし彼女がいたはずの場所に視線を移す

そして私の目に飛び込んだのは

折れた梯子と

宙に放りだされ、今にも床に叩きつけられようと落ちるメアリーの姿だった





状況を理解した時にはもう体が動いていた
ただ、間に合え、間に合えと私は体中に魔力を巡らせる
羽が魔力を帯び、体中が軽くなる感覚
私の体は、空を駆けるのに十分な魔力をすでに有していた

その後難なく彼女を捕まえた私は、抱きかかえたまま緩やかに床に降り立つ
彼女がありがとうございますと、感謝の意を述べた
神父は何事かと聖堂に駆け付けた

そして私は、気付いた
いや、気づいてしまったのだ



私は、もうきっと、おそらくずっと前から空を飛べたのだ
逃げようと思えば、もっと、もっとずっと前から…



呆然とする私を、メアリーが怪訝な顔で見ていた











寄り添って眠るメアリーを起こさぬよう私はベッドを後にする
もう、飛べるのだ
だからここにいる理由など何もない

初めからそのつもりだった
そう、何もかも計画通り
あらかじめ決まっていたことなの

だから、

「おやすみシスターメアリー、良い夢を」

なにも、おかしなことなどないのだ




…突き刺すような胸の痛みには、気づかないふりをした




暗闇が支配する聖堂を歩き、私は門扉へと移動する
聖堂の中間に差し掛かった際、ふいに目の前が色とりどりの光に包まれる

振り向くと、今まで雲に隠れていたであろう満月の光を受け、まばゆく輝くステンドグラスが見えた

結局、メアリーの教会の話など最後まで興味を持てずに聞き流していたせいで、それがどの場面を切りとったのか、はたまた、ただ美しい絵画を模したものなのかわからなかった

ただ、そこに描かれた人々に手を差し伸べる美しい聖女は、まるで彼女みたいだと、心の底から思った



さっさと過ぎ去ればよかったのに、偶然とはなんて残酷なんだろう

今日が満月だったから?

ステンドグラスが綺麗だったから?

それとも、彼女が聖女みたいに美しかったから?



「どこへ、行くつもりなのですか?」



この場で絶対に聞きたくない声が、聖堂に響く

人の気配がする方に視線を移すと、ああ、やっぱり
ずっと聞いてきたんだもの、こんな鈴を転がすような綺麗な声、聴き間違えるはずがない

「メア、リー」

就寝着姿の彼女が、そこにいた





「プリシラさん、もう消灯時間はとっくに過ぎているんですよ?」

「いくらサキュバスが夜の眷属だとしても、こんな夜更けにお散歩は、教会のシスターとして見過ごせません」

「さあ、私とベッドに戻りましょう?」


メアリーが、まるで幼子を叱るように、それでいて縋るように私に近づいてくる


「メアリー、止まって」

「いいえ、止まりません」

「止まって」

「嫌です」

「っ、止まれって、言ってるのよ!この、人間風情が!!」

耐えきれなくなった私は彼女に襲い掛かり、押し倒す

「はっ、この光景、私たちが出会ったときそっくりね」

「ええ、そうですね」

「今の私なら、あんたをここで犯すことも殺すことだってできるわ」

「そうですね、プリシラさんがそれをお望みなら、どうぞ」

「脅しだと思って、舐めないでくれる!!!」

動じない彼女の首を右手が掴む
そして少しずつ、少しずつ、その白く細い首を締め上げる

「あっ、く、」

苦悶に歪む彼女の顔は、夢で見た彼女とそっくりで、美しかった

魔物の本能が警告を告げる
心臓が貫かれるような痛みが全身に広がる
耐え難い嫌悪感が、禁忌へ触れかける罪悪感が、体を駆け巡る

ごめんなさいメアリー
ちょっと、気絶してもらうだけだから
だいぶ、私を怖がってもらうだけだから

「プリシラ、さん」

「どう?苦しいでしょう?」

いっそのこと、私のことを恐れたメアリーが、私を記憶から消し去ってしまえばいい
そうすれば、この胸の痛みも、苦しみも、何もかも消え去るはずなんだから!




苦しむ彼女がそれでもなお、絞り出すように口にする




「どうか、お願い、です。心の平穏を、暖かな、生活を、っ、恐れないでください」




頭の中を、思い切り、かき回された気がした










動揺で緩まった右手を、メアリーが両手で包み込む

「本当は、気づいていたのでしょう?」

違う

「貴女が恐れているのは、過去の行いに対する罪悪感だけじゃない」

うるさい

「本当に、もっと心の奥底から恐れているのは」

黙って!これ以上、私の心に踏み込まないで!





「かつて残虐だった魔物の自分が、本当に人と一緒に暮らせるのか、でしょう?」

「魔物の自分が、また人を傷つけてしまうかもしれないことを、恐れているのでしょう?」











ああああああああああ、うるさい、ウルサイ、五月蠅い!!!


彼女が急に恐ろしくなった私は、彼女から飛びのき、怒り、拒絶する


「だったら、なんだって言うの!無遠慮に、無神経に人の心に踏み込んできて!」

「私はサキュバスなの!人の淫らな夢を渡り歩き!喰い殺してきた強者なのよ!」

「はっ、そうよね?シスターは、聖女様は!ご両親を失いながらも、幸せに暮らしてきたんですものね!」

「人と一緒に暮らすのなんか当たり前でしょう?人間の!聖職者ですもの!!」

「何も知らないくせに!全部わかったような口ぶりで!私の心を語らないで!」


私の怒号を聞いたメアリーは、ただただ冷静に話を続ける

「…神父様は、私の両親について、どう仰っていましたか?」

「はぁ?ここにきていったい何?」

「孤児院からの帰り道、プリシラさんは神父様と私の過去についてお話をしていたと聞きました」

そう言われ、ああ、確かにそんな話をしたかもしれないと思い出す
だが、質問の意図がつかめない
私の心の深層を蹂躙した彼女の言葉とは思えないほど不明瞭だ

「…それがこの話と、どう関係するっていうの?」

「お願いします、教えてください」

いいわ、まあ答えてあげる
詰まらない返答だったら、今度こそ気絶してもらうから

「母は軍医で戦場で死に、父は強盗に殺されたんでしょう?」

私の言葉を聞いたメアリーは、悲痛な面持ちながら微笑んだ

「ああ、神父様はしっかりと、私の懺悔を守っていてくださったのですね」

懺悔、なぜかその言葉だけは、メアリーの教会関連の話で耳に残っていた
それは、神に自らの罪を告白し、赦しを乞うことだと

…懺悔?メアリー、が?

「神よ、私シスターメアリー、いえ、メアリー・オルドリッジは再びここに懺悔いたします」



そうつぶやくと彼女ははっきりと祈るように、嘆くように言った

「私は、愛すべき父を激情の赴くままに殺し、あまつさえ、それを愉しんだのです」



何を、言ってるのだろう?

得体のしれない、しかも襲い掛かってきた魔物の自分を助けた
町の皆に愛され、また愛を返し続ける
教会のため、人々のため、常に頑張っていた
子供たちのために、笑顔で勉強や遊びを教えた
優しい微笑みで、いつも周りに癒しを与えてくれる
そんな、底抜けにお人好しで、人を憎むことを知らないような彼女が?

そんなこと、あるはず、ない

「嘘、言わないで」

「これは、神への告白なのです。私の言葉はすべて、嘘偽りない真実です」

彼女が教会の営みに真摯であったのは、痛いほどわかっている
だからこそ、神の名を用いる以上、その言葉は本当だと信じざるを得なかった

「どう、して?」

「父は、母が亡くなって以降失意の底に沈み、酒に溺れ、娘である私に暴行を加えるようになりました」

「そして、成長する私に亡き母の面影を見出した父は何度も、私を」

「もういいわ、大体わかったから」

この世の中においては、悲しいけれどよくある不幸の一つだ
結末は、さっき彼女が語った通りだ

「いいえ、まだ罪を全て話してはいません」

「もう、いい」

「耐えきれなくなった私は、泥酔した父を縛り、この手で」

「もういいって、言ってるでしょう!」

もうたくさんだ
彼女が悲しむ姿を見るのも
その心中を告白させるのも
さっきまで彼女を襲ってた悪魔が、何を言ってるのって、話だけれど

「泣き叫び命乞いをする父を殺そうとした時、私の心は、優越感で満たされていました」



…いま、メアリーは優越感と言ったのか?



「この男の生殺与奪はすべてこの手の中にある」

「苦悶に歪む表情も、その時ばかりはどんな絵画よりも美しく見え、興奮してしまったのです」



ああ、そうか…



「周りの者に助けを求めることもきっとできたはずです」

「でも、あえて私はそれをしなかった」

「ただ激情の赴くまま、何度も、何度も、ナイフで父の足を、腹を、手を、胸を、首を、顔を抉ったのです」

「…ですが、父が息を引き取ったあと、私は思い出してしまった」

「かつて私を愛してくれた父の面影を、あの暖かな日常を」

「そして、同時に恐ろしくなりました。父を殺してしまったこともそうですが、何より」

「私の裏に潜む化け物に恐れおののいたのです」



メアリーは…



「ですが神父様は、私の懺悔を聞き入れたのち、すぐに私を孤児院へ匿ってくれました」

「あの夜は強盗事件として処理され、世間はかわいそうなメアリーとして私を見ていました」

「こんな自分が恐ろしかった。罪悪感と絶望感で自死を考えたことも何度もありました」

「いつか私に潜む化け物が牙をむき、周りを傷つけるのではないかと」

「本当の自分は、一体どちらなのだろうと」

「プリシラさんはこんな私を聖女様と呼んでくれました。ですが、私は本当は、醜い化け物なのです」



初めから、私と一緒だったんだ



「でも、それでも、人の暖かさが嬉しかった、ほかの人に与えられたそれが羨ましかった」

「暖かな日々の営みに自分も入れてほしかった」

「そして、与えられた暖かさを、今度は私が返したかった」


彼女が献身的だったのは、ただ人の輪に入る方法をそれしか知らなかっただけなんだ
…過去の自分に対する、彼女なりの贖罪だったんだ



「だからプリシラさん、お願いです。どうか、ご自身で認めてあげてください」



いつの間にか、私の胸にメアリーが抱きついていた
何か温かい雫が胸を伝い皮膚を濡らしていく



「本当は恐ろしくて、苦しくて、自分がそこに加わるのはとても、とても怖いけれど、でも、それでも!」

「自分は人と一緒に居たいのだと、前に進みたいのだと、その暖かさに触れたいのだと」

「その気持ちに、目を、背けないでください」





私はこの日、この夜、この世で生を受けて初めて泣いた
産声を上げる赤子のように、恥も外聞もなく泣いた





理解されたのが嬉しかったのか
心を覗き込まれて恥ずかしかったのか
メアリーを傷つけた自分を悔いたのか
その全部なのか、よくわからなかったけれど





私は、ずっと、泣き続けた





あの後、メアリーは泣き疲れてしまったのか、私に体重を預けたまま寝てしまった
私は彼女を抱きかかえ私室に戻り、優しく寝かしつける

そういえばテーブルの上のランタンはちゃんと灯を消したはずなのに、どうして灯って…あら?
そこにあったのは白磁のティーポットと小さな手紙
そこには男性らしく角ばった、とてもきれいな文字で


≪愛すべき隣人の、特別な日に≫


そう書かれていた










とある親魔物領の小さな田舎町
そこにある教会には、優しい神父様と笑顔の美しいシスター
そして、なぜか教会に住み着くサキュバスのちぐはぐな3人が居る

周りの者はその組み合わせを不思議に思いながらも、日々、彼らと暖かな生活を営んでいるという
22/04/14 05:25更新 / ルーカ

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