読切小説
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レジ担当の白角さん
仕事帰りの電車を降りて、ボクは駅前のスーパーに向かった。

よくある中規模クラスの店舗だ。
お惣菜コーナーに到着すると、黒髪で小柄な店員さんがテキパキと半額シールを惣菜に貼り付けている真っ最中。
長めに切り揃えられた前髪の下から覗く、真剣な琥珀色の瞳が素敵だ。

彼女を視界の隅に捉えつつ夕食を選んでいると、いつもの『紳士』が現れた。

『紳士』というのはボクが勝手に付けた渾名。
70代くらいだろうか? 杖をついて、くたびれた黒いコートの襟を立てて
ハンチング帽を被り、伸ばしているのかよく分からない髭。
襟の間から覗く灰色の髪は、伸びるに任せている感じだ。

紳士は同じ格好で同じ時間に現れ、いつも同じ弁当を一つだけ購入し、
1人店内のフードコートでそれを食べる。
毎回同じ行動をする人物というのは記憶に残りやすい。ボクもかなりの頻度で会うので、覚えてしまった。

明日もまた、紳士は店に来るのだろうか。


**********


今日も私は、杖をついて駅前のスーパーに向かう。
理由は幾つかあるが、1つ目は安さだ。夕刻にいきなり弁当が半額になる店なぞ、この辺りでは珍しい。
それに、私がいつも買う弁当が必ず残っているという事。今までに買えなかった事は一度も無いのだ。

理由の2つ目は、レジで嫌な思いをせずに済むという事。自分で言うのも悲しいが、小汚い老人に対して世間は冷たい。
釣りを受け取るのすら時間を要する私に、今まで他店の店員から何度白い目を向けられただろうか。

そしてその憂いを晴らしてくれた人物こそ、私がスーパーに通う理由の3つ目。白角さんだ。

私が始めて駅前のスーパーを利用した日、レジを担当されていたのが白角さんであった。

あの日の事は、今でも鮮明に思い出せる。


カゴに弁当を入れレジへ向かった私が見たものは、銀髪の麗人であった。
長身に北欧人の様な美しい顔立ち、手入れされた長く銀色の御髪。その柔和な笑顔を向けられた私は、途端に気後れしてしまった。
こんな若く美しい人に迷惑は掛けられないと、別のレジへ向かうも他のレジには店員が誰も居ない!
つい先ほどまで居たレジ係の店員達が、ごっそりと居なくなっているのだ。

狐に摘まれた気持ちの中、私は覚悟を決めて銀髪の麗人が待つレジへと向かったのだった。

こんなに胸がドギマギするのはいつ以来だろうか。目が合わせられない。
ただ、その白魚の様な美しい手が作業を完遂するのを目で追っていた。
カゴに入れた弁当の値段が告げられる。私より遥か上から告げられるその声は、天の声と言っても差し支え無いのではないか。

ああ、この時が来た。紙幣をレジの支払台に置く。私は、麗人の表情が曇るのを恐れ、震える手を伸ばした。
手のひらに置かれる硬貨とレシートを取り零すまいと、必死で神経を手に集中させる。

私の手が、不意に暖かい物に包まれた。
そっと、包む様に添えられていたのは麗人の手。今まで触れた、どれよりも暖かなそれは、まるで私の身体まで暖めてくれる様で。

「 ありがとうございました。是非、またお来し下さい 」 そんな声でハッと我に返る。

私は添えられた手が離れてゆく喪失感と、自分の手に残る暖かさの幸福感を同時に処理できず、麗人の前を呆然と離れたのであった。
フードコートの前まで歩き、空いている席に腰を降ろす。
おもむろに弁当の蓋を外し、麗人が添えてくれた箸をとる。

美味い、と思う。
だが私は弁当の味よりも、”あの麗人と同じ空間で食事をしている”という事実に、久方振りの感動をおぼえていた。

それから私は、毎日スーパーへと通った。
銀髪の麗人・白角さんから弁当を買い、同じ空間で飲食をする。ただその繰り返しだけでも、私にとっては大切な逢瀬だった。

その日も、私は白角さんの待つレジへと向かい、紙幣を置く。
いつもと同じ様に白角さんは私の手を握って。
握って、離さない。顔を上げた私の視線と、見下ろす碧眼とがぶつかる。

「 お待ちしております 」 と一言、白角さんは私に告げた。

離された私の手には硬貨とレシート、そして折りたたまれた紙片。どういう事かと問う間もなく、彼女はレジを離れて行ってしまった。

フードコートの空席に腰掛け、紙片を開く。そこには、1時間後の時刻と待ち合わせ場所、2人でお酒でも、との文言が記されていた。
常識ある老人であれば、まず詐欺を疑うだろう。次に、女性の方から酒に誘うなど言語道断である、と。

だが私は、晴れやかな、迷いが消えた様な心持ちであった。
失う物が無い。ただ、彼女と。白角さんとの楽しいひと時に想いを馳せた。
まるで無鉄砲な若造の頃の様に。

2時間後、私は自宅の湯船に浸かっていた。
黒色と赤色のカビに支配されていた浴室は、数十年ぶりにかつての栄華を取り戻していた。

待ち合わせ場所で落ち合った白角さんの私服に見惚れる間も無く、私は巧みな彼女の話術に乗せられていた。
日は既に落ち、気がつくと我がボロ屋に彼女を通した後であった。

「 お湯加減はいかがですか 」 脱衣所から声が掛かる。

浴室を復権させた功労者に、快適この上ない、極楽だと伝えれば、
「 それは良かった 」と返事が返って来る。

結婚生活とはこの様な物であったかと回想し、やめた。

不意に扉が開く。「 お背中をお流しします 」 と、白角さんが入室して来るではないか!

その頬は通常より赤みを帯び、切れ長の碧眼も、心なしかトロンとている。
銀の御髪を纏め上げ、汗を湛えたうなじの後れ毛が際立つ。
タオルで隠されてはいるが、その起伏は然りと裏打ちされたものであり、誤魔化せるものでは到底無かった。
しかし私の視線が下に向かう程、何故か肢体の印象は薄らぼんやりとしてしまう。湯気の所為か。

私は内心の動揺を覚られぬ様、歳相応の所作をもって浴槽から上がる旨を伝え、彼女の介助を受けつつ洗い場へと降り立った。

柔らかく泡立てられたタオルが、背中を滑ってゆく。
暖かい。タオル越しに彼女の体温と、気持ちが伝わってくるようだ。

身体を洗ってもらう事が、こんなにも心地よいとは。 
人にふれてもらえる事が、こんなにも素晴らしいとは。

胸がぐっと詰まり、鼻がツンとなる。
先に上がるよと、顔を伏せ脱衣所に向かう私を抱き留め、彼女は包んでくれた。情けない声も、涙も、身体ごと包んでくれた。


風呂上り、快適に整理された居間にラジオが流れている。
年季の入ったテーブルを挟み、私と白角さんは向かい合って座る。

ラジオのニュースでは、近年耳にする様になった”魔物娘”なる存在について語っていた。友好的だが、大変好色な異形の者達だと。

ふと、白角さんが口を開く。「 もし、私が魔物娘だとしたら、どうしますか? 」

私は答えた。それでも、あなたと共にありたいと。

白角さんは、いつもの柔和な表情を曇らせる。 「 これでも、ですか? 」

一瞬、彼女の姿が歪んだ様に見えた。

整理された居間。年季の入ったテーブルの向こう。

そこには、大型の草食獣を思わせる異形の ━━


**********


今日もボクは駅前のスーパーへ向かう。

『紳士』をスーパーで見かけなくなってから、もうしばらく経つ。
名前も知らない人物を心配するのも変な話だけれど、急に居なくなるとやっぱり気になる。

紳士が居なくなった頃から、町でちらほらと”魔物娘”の姿が見られる様になった。存在自体は知っていたけど、こんな田舎だと出会う機会は今まで無かった。

噂では、晴れて関係が成立した魔物娘のみが、本来の姿で町に出て来るとか。
お相手が決まっていない魔物娘は、人と同じ姿で機会を窺っているんだとか。

そんな事を考えながら歩いていると、向こうから馬の蹄を思わせる歩行音が近づいてきた。

毛足の長い大型の草食獣を思わせる下半身に、美しい女性の上半身。長い銀髪を一本に纏めていて、切れ長の青い瞳。柔和そうな表情。

そして、彼女に寄り添うように跨っているのは男性だ。襟を畳んだ黒のコートにハンチング帽。伸ばした灰色の髪は、女性と同じく
一本に纏めている。歳は50代後半だろうか。整えられた髭が似合っている。

軽やかな足取りで、2人はボクとすれ違う。

一瞬『紳士』かと思ったが、彼はあんなに若くないし、顔つきが全然違う。
女性もどこかで見た様な気はするが、気のせいだ。あんな美人だったら、しっかりと覚えているはずだ。

2人を見送って、再びスーパーへと歩き出す。

いつもの黒髪で小柄な店員さんが、お惣菜にシールを貼ってくれている時間帯だ。


19/01/27 14:15更新 / トケイ屋

■作者メッセージ
黒髪の店員さん、今度名前を聞いてみようかな。
名札に「沙葉 吟」って書いてあったけど、なんて読むんだろう?

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