読切小説
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追って迷って
 ウサギを追いかけた。
 追いかけたと言っても、"時計を持ったウサギを夢遊病のように"というわけではない。今宵の晩餐とするウサギを、空腹を患いながら追いかけたのだ。
 そこで記憶は飛んでいる。
 覚えているのは、太い倒木を踏み台にウサギが飛び、それを追いかけて飛び越えた、その後の浮遊感。
 穴に落ちて気絶したのかと思ったのだが、目が覚めてみれば背には短い草の感触があった。


 気絶より回帰し、森から出んとして数十分。私は全力でため息を吐いた。
 周囲に自らが通ったはずの獣道は無く、より大型の獣のそれや足跡や糞が頻繁に見られる。それだけならまだいい。
 だが、それ以上に異常であるのはこの森だ。色とりどりと言えば聞こえはいいが、虹色の半透明の葉を持つ木々や青い幹を持つ広葉樹、そこに集まる異色の虫。それがこちらを"見た"ような錯覚までしたのだから、私を襲う焦りもその大きさを増した。
 極彩色の倒木の上に座り込み、干し肉を噛みちぎる。咀嚼すれば滲む塩の辛みが目を覚ましてくれるかと思ったのだが、そういうわけにはいかないらしい。やけくそ気味に水筒の水で流し込んだ。
 倒木を飛び越えた先の穴に落ちて頭を打ち、信じられない悪夢を見ている。そう思いたい現実であった。せめて幻覚として見ているのではなく、ただ迷い込んだと思うことにしようか。
 耳鳴りを伴うような頭痛を持った気分だ。
 気分は晴れる気がしない。軽装で出てきた以上、早く出なければ死んでしまう。だが、この辺りの痕跡からして、様子を見て一箇所に留まるということはできないだろう。
 かろうじて助かるのは、飛び越える前の倒木を覚えていることだ。
 右に倒れた倒木を飛び越えたのだ。なら、倒れた幹を右に見れば、その方向が自身がやってきた方向というわけだ。
 現在は左。そう推理したからにはと、反対を向いて座り直そうとして――。

「やあ」

 機嫌の良さそうな女性。身に着けているのは、森であるのにシルクハットに燕尾服。ただの一言であっても、気品が伝わってくる不思議さがあった。
 背筋が凍った。
 森での服装でないのは確かだが、通常の森に溶け込みそうなその色合いをこの万華鏡色の森で選んでいるというのがまたチグハグなのだ。

「おや、聞こえなかったかな。こんばんは」

 自然な態度で再度言葉をかけてくる。しかし、何が「こんばんは」なのだろうか。空はまだ青いじゃないか。
 明らかに、この異常な森について知っている。
 聞き出したいところである。もし、彼女が人間であるのなら。

「君。あまり人の言葉を無視するものではないぞ?」

 ムスッとしたような顔で、彼女は一歩踏み出した。
 首だけで振り返っていたが、思わず倒木から尻を離して向き直る。自然と弓を握りしめていた。
 明らかな警戒の様子に、えらく傷ついた様子で言う。

「まあそう警戒しないでくれ。私は君を傷つけはしないよ」

 自然な様子で彼女は更に一歩を進める。
 来るな。
 そう声を出すが、彼女はその歩みを止めはしない。

「心配ない。私は武器など持っていないよ」

 両手を横に広げながら、閉じた口の口角を吊り上げる。僅かに上目遣いのその顔は、どこと知れず魅力的に見えた。
 だが、油断などはできはしない。背の矢を抜き、弓につがえて彼女に向けた。

 この女は、十中八九魔物だろう。
 魔王が成り代わり、魔物の危険が形を変えたこのご時世。だが、魔物に襲われて死ぬのも、捕らえられて種馬とされるのも家に帰れなくなるという点では変わらないのではないのだろうか。

 そんな心境を他所に彼女は微笑む。自然に、心を落ち着かせるように。
 だがこれは捕食者の笑みなのだ。
 去れ、魔物よ。静かに口にしたはずの言葉は大きく、震えていた。弓を握る手が震えていないのは幸いだ。

「魔物、か。君は魔物は好みでないかい?」

 ゆっくりと、鎖骨の下に両手を移動させた。自然に強調される胸に、無意識に視線が向く。
 ぴっちりと体のラインどころか、胸の形までもが浮き出るタキシードは卑怯だ。

「言い方を変えようか。ボクは嫌いかい?
 魔物だからっていうのは無しにしてもらうよ」

 よく見れば、彼女のタキシードにはところどころにキノコが生えている。マタンゴのような魔物なのだろうか。
 一呼吸でも胞子を吸った者が集落へと帰れば、数日も経たぬうちに全ての人に胞子が宿る。そんな凶悪な生き物の近種だとするならば――。
 そう思った時、先ほどから自身の鼻を刺激していたにおいに気付いた。森の香りに混じろうともハッキリ分かるような強いにおい。一度かげば忘れられないような、心地の良い女のにおいだ。

「さあ、どうなんだい」

 森に吹き込む風を背に、彼女はその足を止めない。
 ああ、そうか。道を塞ぐのが目的ではなかったのだ。風上に立つことこそが目的だったのか。

 胞子を吸わされた以上。帰るわけにはいかない。そう、だから、仕方が、ないんだ。

 気がつけば、彼女は目の前にいた。どちらが近づいたかなど分からない。
 幼少のころから使っていた弓の行方も、彼女の手を握りしめていれば気にもならなくない。

「本当に嬉しいよ。もうここで始めてしまおうか」

 絡まる指。絹の手袋ごしに伝わる柔らかい手の感触。中途半端なそれが余計に人肌を恋しくさせた。
14/10/04 03:21更新 / ソープ

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