読切小説
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奇矯な薬師と酔狂な吸血鬼
「となると、後はアレが必要だな」
実験結果、素材、効果などのデータをまとめたノートを見ながら一人つぶやく。
後ろにある窓からは月の光が差し込んでいるのだが、人の目で物を見れるほどの明るさではない。
そもそも、窓に背を向けているので月の光のせいで影になり、より見難くなるのだが。
机の上に置いた、よわよわしいランプの光を頼りに、ノートをめくる。
確か、近くの山に自生してたはずだな。
湿った土を好むから、川の近くや森の奥にある。しかし――
「!?」
一陣の湿った風が吹いた。いや、正確には湿っていたわけではない。
わずかに魔力を帯びた、ぞくっ、とする風だ。
近くに強い力を持った魔物が潜んでいる証拠。
「……」
俺はゆっくりと、顔だけ後ろに向けた。
「あら、よく気付いたわね?」
目の前に立っていたのは、女。
黒いローブを羽織り、開いた前面からは豊満な肉体が覗く。
パーティドレス、とでも言えるのだろうか、正装に近い。
身体の凹凸が出にくい服装でも、いかに成熟しているかが見てとれるほどだ。
「風にも魔力が乗るぐらいだ、気付かない方がどうかしている」
軽かった彼女の口調に合わせるように、肩をすくめて答える。
「普通の人間は気付かないのだけど?」
「少しは魔法に覚えがあってな」
「へえ、じゃあ」
彼女は、にやり、と笑った。
その口元には、鋭くとがった犬歯が顔を見せた。
「戦う?」
「遠慮する」
間髪いれずに出た俺の言葉に、彼女がずっこけた。
「俺は最低ランクの防御魔法ぐらいしか使えないんでな、まともに魔物とは戦えない」
俺は椅子ごと身体を彼女の方へ向けた。そして、彼女の目的にそえるように、右へ首を傾ける。
「それでいて、別に肉体を鍛えているわけでもないんでな」
彼女は、俺を怪訝な表情で真正面から見据えている。
「血を吸いに来たんだろう? 早く吸ってくれ」
首筋を無防備にする俺に対し、表情がさらに不可思議なものを見る目になった。
「あなた、かなりの偏狭だわ」
「褒め言葉と受け取めよう」
表情が一転した。彼女は、に、とほほ笑む。
「ふふふ、あなた、楽しい人間ね」
彼女は、金色の長髪をその細く白い指でさら、と流した。
俺は抵抗せず、目を閉じる。
ゆっくりと、魔力の塊が近づいてきているのが視覚を通さなくてもわかる。
そして、目の前にきた。
「では」
彼女はの言葉と同時に、首筋に鋭い痛みが走った。
「っ!」
思わず眉をしかめる。が。
「!?」
これ以上ないほどの快感が脳髄を襲う。
背筋が、勝手にゾクゾクいってしまう。
手が握りこぶしを作り、奥歯をギシギシと音が鳴るほどにくいしばる。
耐えたい、が、耐えがたい快感だ。
「っ!」
短い強烈な快感は、牙を首筋から離す音を感じることで終わった。
噛まれた首筋に手を当てる。
二つの小さな穴が開いているようだ。
ヴァンパイアの吸血は初めて喰らうが、これは理性が飛びそうなほどに強い快感だ。
だが、不思議と身体は反応していない。
注がれる魔力による、直接感覚に訴える快感だからなのだろう。
「あなたの血、極上ね」
「健康には自信があるぞ」
「そうじゃない」
「は?」
彼女は、先ほどの笑みを、恍惚の笑みに変えて言う。
「あなたの血にある精、魔力、ともに素晴らしい」
「そりゃどうも」
「決めたわ」
「何を?」
「あなたの血を吸い続けることにした」
……勘弁してほしいのだがな。


彼女が来るようになって、早一ヶ月。
毎週、いや、最近では隔日の周期で訪れ、俺の血を吸っている。
最近では、血を吸い終わってからも他愛無い雑談をするために彼女は部屋に残っているほどだ。
俺としては、人間ではない者との関係は研究の上ではありがたいから構いはしない。
薬や薬草に関する本でほとんどを埋め尽くされた本棚が三つ。
ノートを二つ、やっと広げられる机が一つ。
そして、一人寝るには十分な大きさのベッドが一つ。
部屋の大きさとしては、人が二人入るのが限界、それくらいの広さだ。
俺の部屋はあまり広くない。部屋の内容量限界ぎりぎりの人数が、二日に一回この部屋に居ることになる。
珍しいことだ。
「ねえ」
彼女は、おそらく彼女には興味がない本が並ぶ本棚を見ている。
「なんだ?」
「この本」
彼女は、一冊の本を取りだした。
子どもが好むような、デフォルメされた魔術師の絵と、「初級魔法の手ほどき」とポップな字体で書かれたタイトルが目に入る。
「ああ、俺が子どものころに読んだ魔術書……とも言えないような、魔術書だ」
彼女は俺の言葉を聞きながら、本をめくる。
ぱら、ぱら、とめくる音だけが聞こえる。
その手つきは優しかった。魔物が人間のモノを扱う手つきには思えなかった。
「攻撃魔法のところに、小さくバツが書かれているわね」
「挑戦して失敗した証だ」
魔法を遣うためには、「適正」というものがある。
攻撃魔法が得意な者。防御魔法が得意な者。回復魔法が得意な者。
さらに、そこから属性ごとに系統が分かれる。
俺がかろうじて「適性」があったものは、防御魔法。それも、最低ランクが限界だ。
「防御魔法、レベル1、プロテクション」
彼女は、唯一、そして比較的大きく丸のついていたページを読み上げる。
「半透明な緑の障壁を展開し、相手の攻撃を物理的に防ぐ」
「俺が使える、たった一つの魔法だな」
こちらを向かず、本を閉じ、表紙を見返す。
「あなた、子どもの頃はこんなにかわいらしい本を読んでいたのね」
本を優しく、本棚に戻す。
「俺だって子どもの頃はかわいげがあったんだぞ?」
「あら、見てみたいものね、そのかわいげ」
「今の俺がやったらひきつった笑いをせざるを得ないが、それでもいいか?」
「遠慮しておくわ」
「懸命だな」
俺は机に広げられたノートに向かい、必要な素材をメモしていく。
すりつぶすと粘性の出る「ベイセン草」入手済み。
滋養強壮に効果のある「ニジイロヤモリの皮」入手済み。
同じく、滋養強壮に効果のある「壮士樹の葉」入手済み。
そして、強制的に「その気」にさせる「屹立の茸」入手済み。
「ふうん」
と、ノートを確認していると、後ろに気配が。
いつのまにか、彼女が後ろからノートを覗き込んでいた。
「ベイセン草、ニジイロヤモリの皮、壮士樹の葉、屹立の茸……媚薬?」
「まあ、似たようなもんだ」
にやり、とした笑みを浮かべた彼女は、楽しそうに尋ねてくる。
「もしかして、誰かをひっかけよう、とか?」
分かってはいたが、こうも分かりやすいとは。
「依頼の品だ」
俺は軽く目を閉じ、ため息を吐きながら彼女の揶揄に答える。
「依頼?」
「ある人物からの依頼でな、『一晩妻を愛せる薬を作ってくれ』と言われたんだよ」
「へえ」
彼女はさほど興味がないのか、俺の後ろから離れてベッドに座った。そして、横になる。
って、それは俺のベッドなのだが。
「ヴァンパイアは夜が主な活動時間だろ?」
「それがどうかしたのかしら?」
ベッドにうつ伏せになったまま、彼女は足をパタパタさせる。
「なぜ俺のベッドに寝てんだ」
「いいじゃない。あ、シエスタよ、シエスタ」
「昼寝と言え」
「『昼』じゃないわよ?」
くすくす、と笑う声が聞こえる。俺は言葉の代わりにため息で返事をした。

「とりあえずは完成、か」
それっぽい瓶に詰めた薬を軽く揺らして見ながら、俺はほっと肩をなでおろす。
分量自体は間違っていない。
薬と言うからには、分量を間違うわけにはいかない。
とはいうものの、調合に成功しても不慮の事故というものはつきものだ。
薬を容器に移すときは、特に気を遣う。
ちょっとした衝撃で変質してしまう恐れのある薬もあるからだ。
幸い、この薬はそういう類のものではなかった。
多少待たせてしまっている感は否めない。
今は深夜の1時。少し寝て、朝早くに持っていくとしよう。
俺は机に突っ伏した。

何か、なまめかしい声が聞こえて自然と目が覚める。
「あんっ」
「!?」
ベッドに目をやる。
そこには、一心不乱に自らを慰める彼女が居た。
なぜだ。
ヴァンパイアは高貴な魔物のはず。
人間の前での自慰どころか、人間との性交すら嫌悪するはずだ。
なぜ。
と、そこで俺は一つの解を得た。
俺の前の机の上に置いていた、一つの薬瓶。
中身は空だ。まさか、
「飲んだのか?」
「だ、って、おいし、そうぅんっ、だか、らぁんっ」
完全に発情しきってしまっている。
声もかすかに裏返り、熱い吐息を漏らす彼女。
しかし、おいしそうだから、といって薬の瓶を飲むか?
だが、効果のほどはこれで確実になった。
あのヴァンパイアのプライドを打ち崩すほどの効果だ。
文句のつけようはあるまい。
「本当なら、一回俺自身が確かめるべきだったのか」
そのことを考えると、おぞましい光景しか浮かばなかった。
ただ、ベッドの上で繰り広げられている女性の性の在り様を見た。
目の前の、身体だけなら人間のそれと、いや、普通の人間以上の肉体をもった彼女だ。
眼福と言えば眼福なのだが。
「こ、これぇ、どうに、かっ、ならぁんっ! な、い、のぉ?」
「ない」
諦めて痴態を繰り広げると良い。

彼女が気絶して、数時間。すでに日は昇ってしまっている。
一応、彼女の事を考えて窓とカーテンを閉めてある。
俺は椅子に腰かけ、配達された新聞を斜め読みしている。
『アマゾネス、街の近辺に出没! この異常に「勇者」に討伐依頼』か。物騒な話題だ。
だが、俺の頭が真に考えていたことは、他にある。
彼女は、一体何を思って飲んだのか。
俺が作っているのが媚薬だということは、彼女も知っていたはず。
なら、あの瓶の中身が媚薬だということも、彼女は気付いていたはず。
だからこそ、気になる。
彼女ほどの魔物が、媚薬を飲む必要性は、当然ながら皆無だ。
なのに、なぜ――
「んぅ」
彼女が目をこすった。
「すでに日は昇ってしまったな」
「!!」
彼女はがばっ、と起き上った。
窓の方を見て、光をさえぎっているカーテンを見て、ため息をついた。
「私ともあろう者が……」
「で、どうするんだ?」
「え?」
「日が昇っている間は、お前さんは無力だ」
ヴァンパイアは、強大な力を持っている。が、それも夜の間の話だ。
昼は、普通の人間、いや、それよりも非力な存在になる。
力の弱いヴァンパイアであれば、そのまま消滅してしまうほどだ。
だが、見たところ彼女は消滅していない。
それは、日光を遮っているからなのか、それとも彼女自体の力が強いのかは分からない。
「……私を殺す気?」
彼女は、自嘲めいて笑った。
「んなことはしねえ」
自嘲した彼女の落ちた気分を払うように、俺は軽く言って首を振る。
「少なくとも、身を挺して治験してくれたんだ、悪いようにはしない」
「つまり、私を実験台にしたわけ?」
「お前が勝手に飲んだんだろう?」
彼女はむすっとした。
初めてみたぞ、その表情。
「で、だ。今から俺は出かける。その間、家には鍵を掛けておく」
「それが何?」
「つまり、魔物討伐にきた『勇者』からは少なくとも守れる、ってこった」
「……なら」
彼女は、視線を真正面からぶつけてきた。
「私も連れて行きなさい」
「は?」
「守るなら、私を近くに置いた方が守りやすいでしょう?」
何を言ってるんだ、こいつは。
「俺は今から一つだけ足りない『屹立の茸』を採りに行く」
「森の奥まで、ね」
彼女は俺がどこまで行くのか分かっているようだ。
そして、当然ながらその危険性も。
「本当についてくるつもりか?」
「ええ、言ったことは曲げない主義なの」
彼女の凛とした笑みに、肩の力が抜ける。彼女を説得することは、今の俺には不可能のようだ。
「奇遇だな、俺もそうだ」

「旦那、どこまで行くんですかい?」
フードつきの黒いローブを羽織らせた彼女と一緒に歩いていると、傷だらけの顔の男が声をかけてきた。
情報屋として動いている男。元々は、有名な『勇者』だったようだ。
だが、ある魔物との戦いで負った傷が原因で、引退を余儀なくされたのだそうだ。
様々な素材のある場所も、大体がこいつからの情報だ。
非常に正確で信頼のできる情報源として、信頼している。
「ああ、森までな」
「森まで?」
俺の一言に、情報屋の目が厳しくなった。
「気をつけておくんなせえ」
「アマゾネスにか? あの程度の魔物に――」
「違いまさあ」
情報屋の男は、細く、鋭い眼光をフードを目深にかぶった彼女に向けた。
「『勇者』に、でさ」
「……」
「心配するな、俺は『守る』だけだ」
「そうですかい、くれぐれも気をつけるこった。旦那は貴重な常連さんなんでな」
「いざとなれば、『あの薬』でも使うさ」
「その展開はこねえほうがいいなあ、旦那」

森へ踏み入れて、数十分。
まだ日は木々の間から差し込んでくる。
足元はお世辞にも良いとは言えない。彼女はというと、必死でついてきている。
いつもの彼女なら簡単にいけるのだろうが、日の下の彼女はそうでもないようだ。
彼女に歩調を合わせつつ、時には手を貸し、先へと進む。
「ねえ」
「なんだ?」
後ろを突いてくる彼女が、俺に唐突に質問をした。
いつもの茶目っ気は、日の下だからだろうか、隠れてしまっている。
「あなたは、どうして私と話をしているの?」
「は?」
不意を突かれた質問。
「あなたは人間。私は魔物。なのに、なぜ話をするの?」
俺は、彼女の質問にありのままを答える。
「人間だろうが、魔物だろうが関係ない」
「どういうこと?」
「話が通じれば話をする。話が通じなければお引き取り願う。人間でも、魔物でも変わらない」
そう。そこに、種族などないのだ。
話が通じる相手と、話が通じない相手には、種族以上の壁があるのだ。
話が通じる相手は、分かりあえる。
話が通じない相手には、分かりあうことなどできない。
単に、それだけなのだ。
歩く音だけが、耳に入る。
彼女は何も言わない。俺の裾をつかんで、歩いている。
「あなたって、本当に変わってるわね」
絞り出した彼女の声。
俺の答えに、何を思ったのだろうか。
と、その時。
「!?」
「!!」
ぞわ、とした。
毛穴が一気に開き、毛が逆立つ感覚が全身を駆け巡る。
周囲の全てから、殺気が襲いかかる。
草の影、樹の影、樹上から、人の形をした影が見える。
「アマゾネスか!?」
確かに、街の近辺に出没と、新聞で書いてあった。
が、ここまで近い所に出てきていたのか!?
俺は、彼女の肩を俺自身に引きよせた。
「っ!」
彼女が何か言いたそうだが、この状況を最優先させる。
俺ができることは、『守る』ことだけ。
つまり、持久戦。相手の疲弊を待ち、撤退させること。
何かに「負けた」時は、「心が負けた時」だ。
諦め、逃げ、絶望。そういった「挫折」が、「負け」につながるのだ。
「プロテクション!」
自分と彼女を囲むように、四つの三角形の障壁を召喚する。
陣形の中心に自らと彼女を囲み、しゃがみこむ。
障壁を斜めに倒し、四角錐の形にして、上方からの攻撃に備える。
「プロテクションで、アマゾネスの攻撃なんか耐えられるの?」
彼女は当然の質問をしてくる。
普通、プロテクション―最下級の魔法―は、子どもが扱うものだ。
アマゾネスたちも自らの勝利を確信したように、にたり、と笑った。
「魔法の威力は、掛け算だ」
俺は彼女に、確固たる自信を乗せて言う。
「魔法それ自体の力と、意思と、イメージのな。強化しようと思えば、いくらでも」
アマゾネスの背負った大剣が、緑の壁に当たった。
がぎいん、と金属音が発する。
「強くなる」
緑の障壁は、アマゾネスの一撃に傷一つつかなかった。
困惑するアマゾネスたち。
驚愕する彼女。
「ほらな?」
「あなた、プロテクションにどれだけの力を注ぎこんだの?」
「イメージトレーニングは毎日。意思自体は元々強固なんでな」
最初の一撃を皮きりに、次々と堅固なる壁に挑むアマゾネスたち。
大剣、斧、弓。
そのどれもが、無駄に終わる。壊すどころか、ヒビも入らない。
全員が一度か二度、攻撃をしたところでアマゾネスたちは逃げていく。
「賢いな」
「戦闘に関しては、アマゾネスは要領がいいのよ。統率も取れてるし、個々の力も充分に強い」
「そうか」
「でも、そんなアマゾネスたちの攻撃にビクともしない最下級魔法……」
彼女は、感嘆しきりだ。
「あなたって、実はすごい魔術師なんじゃ?」
「プロテクションしか使えないすごい魔術師ってネタにしかならないだろう」
「確かに」
ふふふ、と彼女は笑う。
今日は、見られない彼女がよく現れる気がする。
これも、日の下に居るからなのだろうか。

「しかし、あのあとアマゾネスたちに襲われなかったな」
「アマゾネスは一度勝てないと分かった相手には襲わないのよ」
しかし、街に戻ったころにはすでに夕暮れになっていた。
いつもなら昼過ぎごろには戻ってこれるのだが、足の遅い彼女に合わせていたから遅れてしまった。
だが、明日あたりに渡すことができそうだ。
しかし、何事も順調にはいかない。
入口から、街の長の居る城までまっすぐに伸びる街の大通り。
俺たちを待ちかまえるように、四人の人影が立っていた。
「アンタ、メディアン・ローナウトだな?」
目の前の、大剣を背負った若い男が言葉を投げかける。
言葉の言い方からして、いい感じはまったくない。
「そうだが、何か?」
「横の女、ヴァンパイアね?」
「!」
大きな帽子をかぶった、杖を持った女が彼女に敵意を向ける。
「……よく知っているな?」
「町中では有名みたいじゃないか、魔物と話をする奇矯な薬師」
「つまり、私たちから討伐される側ってわけ」
横の目を閉じた格闘家風の男と、小さい妖精の女が言う。
俺は裾を引っ張る力を感じ、右を見た。
金色の大きな瞳が、俺を見つめていた。
話が通じるのかは分からない。が、言ってみるしかない。
「一つ、提案がある」
「なんだ?」
先頭の男が俺の言葉に返答をよこす。
これはいい兆候だ。
「今から俺は、プロテクションを使う」
「プロテクション? 最低の防御魔法を?」
杖を持った女は高笑いを上げて嘲りを俺にぶつけた。無視して続ける。
「そのプロテクションを、夕暮れまでに破れたらお前たちの勝ち、破れなければ俺の勝ちだ」
「俺たちが勝ったらどうする?」
格闘家の男は、目を閉じたまま俺に尋ねる。
「そうだな、俺の首をやろう」
「!」
彼女が反応し、裾を握る手が強くなった。
「ただし、俺が勝った場合は何もせず立ち去ること」
「どうするー?」
妖精は大剣の男横までわざわざ飛んで聞いた。
「無駄な戦いは避けたいところだ、やろう」
「決まりだな。じゃあ、頑張ってくれよ、プロテクション!」
俺の前に、緑の障壁が出現した。

「何これ、堅過ぎない!?」
ナメきって最下級の炎魔法、ファイアーで挑む女。
だが、そんなものではびくともしないことは経験で知っている。
「どけえっ! どおらあっ!」
格闘家の男の、腰を深く落として打ち出される正拳。
だが、それでも傷はつかない。俺はそれを眺めている。
「ぶっ壊れろおっ!!」
今度は大剣の男が、自慢の大剣を振りおろす。
ぎいんっ、と盛大に音はするものの、やはり傷一つつかない。
拳と、大剣が交互にプロテクションに挑む。
だが、やはり何も変わらない。傷も、ヒビもつかない。
はあ、はあ、と息を切らす男二人。
いつの間にか人々が集まり、野次馬と化して越えられない壁に挑む男たちを遠巻きに見ていた。
もうプロテクションが出てから、一時間とちょっと経っている。
そろそろギブアップしてもいいころだ。
だが、気になるのは、その後ろで妖精と魔法使いが話をしていることだ。
何をしている。
「力を併せていくよ!!」
妖精の身体が薄く光りだす。
魔法使いの女の体に光が伝わり、二人が光りだす。
「これでいくよっ!!」
頭上に形成されたのは、炎の龍。高位の炎魔法、ファイアドラゴン。
炎のドラゴンを形成し、相手に突撃させる魔法だ。威力は申し分ない。
「あんなもの撃たれて大丈夫なの?」
横に居る彼女は、俺に不安の声を漏らす。
「黙って見てろよ」
そんなもので、俺のプロテクションは壊れない。
だが。
炎の龍は、プロテクションをすり抜けた。いや、緑の障壁の横を抜けたのだ。
四角い障壁は、通り全部に出したわけではない。
横に、通り抜けるだけの余白は当然あった。
「!?」
迂闊だった。
彼らが、「話が通じる」かどうか。
それは、「約束を交わすことのできる」のとは、全く違う。
「裏切る」ことも、充分あり得るのだ――
「きゃあぁっ!?」
龍が、彼女に襲いかかった。
「やったあ!」
「成功したね!!」
壁の向こうで、歓喜の声を上げる二人。
「何をした!?」
「お主ら、何を!?」
同時に声を挙げたのは、大剣の男と、格闘家の男だ。
約束を反故にした魔法使いと妖精に、憤りの声をあげたのだ。
「だって、魔物を討伐すればいいんだもん!」
「そもそも、『悪人』の言うことなんて真に受ける必要はないんだよ!?」
彼女ら二人の意見は、確かに正しいのだろう。
俺は魔物と通じている『悪人』。
彼らの感覚では、そうなのだろう。
だが。
彼らは、正確には、魔法使いと妖精の二人は、約束を無に帰した。
人間だろうが、魔物だろうが関係ない。
「話の通じなければ、お引き取り願う、か」
炎の龍に焼かれ、ぐったりする彼女をゆっくりと寝かせ、俺はつぶやく。
苦しそうに息をしている。それは、単に魔法で焼かれただけではない。
まだ死んではいない。が、時間の問題だ。
「旦那ァッ!!」
あの情報屋が、俺のもとへと駆け寄ってきた。心配なのか、分かりやすい奴だ。
「こいつを、日陰へ移してやってくれ」
「まさか『アレ』を使うんですかい!?」
俺は何も言わない。無言。それは、いつになく雄弁だ。
情報屋の眼光が、いつになく鋭く、焦りを帯びたものになる。
「ダメでさあ! 『アレ』は、旦那自身にも――」
「分かってる」
「旦那……」
「止めるな」
俺は、腰のベルトに括りつけていた瓶を取り出す。
丸い、赤い薬の入った瓶。
それは、俺が「人」をやめる時。「人ならざる者」になる時。
「お前たちは、俺との約束、すなわち、俺の信頼を粉々にした」
俺の異常な雰囲気に気付いたのか、四人がこちらを見る。
「な、何?」
魔法使いの恐怖の声が聞こえる。丸薬の一つを取り出し、口に入れ、噛み砕いた。
いつからだろう。
俺の心に、彼女の存在が大きくなり始めたのは。
自然と、俺の心が、口からこぼれた。
「俺の『大事な者』を、傷つけた」
いつの間にか、彼女は俺にとって『大事な者』になっていたのだ。
それは、俺自身も驚きだった。
自然と出た言葉。それによって、自覚する心。不思議なものだ。
そして、そこから湧き上がる、激しい感情もまた、再確認することになった。
怒りを込めて、彼らを睨みつける。
「お引き取り願う、という心やさしい対応には出れそうにない」
一時的に、強靭な身体能力を得る薬。それこそ、「人を超えた力」。
特別鍛えていない俺でも、超人的な力を得る。
『鬼人』。
実在しない、伝説上の魔物の名前を付けたこの薬。
俺のオリジナルではあるが、名前は俺がつけたものではない。情報屋がつけた名前だ。
服用した者の姿が「人の姿」ではなくなる。それを初めて間近で見た情報屋がつけたのだ。
それこそ、伝説上の『鬼人』のように。
「『ぶっ壊す』」

「う、うおおおお!!」
魔物を退治する如く、大剣の男が斬りかかる。だが。
右手の二本の指で、振り下ろされた大剣を「軽く」挟む。
「な、う、動かない……!?」
ぎぎぎ、と大剣は震えるものの、動かない。
「一撃だ。痛みも感じない」
え、と彼が声を発した時、俺の左拳が彼の腹部に当たった。
腹は大きめの鎧で覆われていたが、煎餅を割るように割れ、そのまま吹っ飛んだ。
「おぉぉぉ!!」
大剣の男の後ろから、格闘家が拳を振り上げた。
俺は、右手を引き、格闘家の握り拳に合わせた。
ごっ、と鈍い音が大通りに響く。二つの拳がぶつかる。
「っ!!」
声にならない声を漏らしたのは、格闘家。
左の拳を右手で包むように、かばうようにしてうずくまっている。
ぶつかりあった感覚からして、おそらくは砕けている。
だが、そんなことはどうでもいい。
これでも「手加減している方」なのだ。
俺の目的はただ一つ。
視線の先には、二人の「下手人」。
「ひっ!?」
腰を抜かした魔法使いが悲鳴をあげた。
「もう一回、唱えようよ!」
妖精が必死になって、魔法使いに魔力を送る。
なんとかしてたちあがった魔法使いは、詠唱を始める。
彼女らの努力を、何でもないかのように、俺は「ゆっくりと」歩く。
もちろん、すぐに彼女たちのもとへたどりつくことは可能だ。
だが、そうしない。
第一は、後ろで倒れている彼女に、魔法を当てないよう「軸」をずらすこと。
そしてもう一つは、
「喰らいなさいっ!!」
ファイアドラゴンが襲いかかる。俺は燃え盛る炎に包まれた。
だが。
「……うそ……」
「どうした」
俺は、平然と、ゆっくりと前へ、倒すべき目標へと歩を進める。
「その程度か?」
恐怖に、絶望させるため。
人が「負ける」時は、一体いつなのか。
それは、物理的に負けた時ではない。
「心が負けた」時が、真の負けだ。
ゆっくりと、恐怖を味わう時間を与えるため、歩いてきた。
魔法使いと、妖精が身をすくめている。
慈悲もなく、俺は言い放つ。
「『心が砕けた』か。ならばその身までも、砕けてしまえ」
俺は、両の拳に力を込め、振り上げた。

「そこまでえっ!!」
俺の拳が、ぴた、と止まった。声のした方向を向く。
身をすくめ、涙を浮かべながら身を守っていた魔法使いと妖精も向いた。
野次馬が、自然と道をあける。
そこには、鎧に身を固めた、髭面のいかつい男が居た。
胸には、剣をかたどった黄色い勲章が刻まれている。
「メディ、そこまでだ」
「……」
彼は、この街を治める市長だ。
俺は彼を、親しみを込めて「オヤっさん」と呼んでいる。
一市民である俺からのそんな愛称を、笑って許す豪気な人だ。
と、背筋にびりびり、と電気が走ったような痺れが起こった。
「オヤっさん」
「なんだ?」
「効果が切れる。後を頼む」
「うむ、任せろ」
腕を組んで仁王立ちした市長は、大きくうなずいた。
そして、俺は一歩後ろに下がった。効果が切れる、前兆が背筋の痺れ。
『鬼人』は、「一時的に超人的な力を得る」薬だ。当然ながら、「副作用」がある。
意識の喪失と、全身の筋繊維の断裂。
そういえば、情報屋はちゃんと彼女を日陰へと避難させたのか。
俺は、ふとした不安を抱きながら、身体を重力に預け、眼を閉じた。

「む」
俺は起き上る。
見覚えのあるベッド、机、本棚が眼に入る。
ぱっと見、本やカーテンなど、細かなところも変わっていない。
が、部屋の広さ自体が変わっている。
二人ならば、余裕で暮らしていける広さだ。
そして。
「すう、すう」
と寝息を立てて、俺の膝の上に倒れるような形で寝ている、彼女が居た。
「おっと、お目覚めですかい旦那」
扉がぎい、と開き、からかうような台詞と共に情報屋が入ってきた。
「なんだ、お前か」
「お前か、とはなんだい旦那。今日は市長さんを連れてきたのによお」
「がははは、よう、調子はどうだ?」
情報屋の後ろから、豪快な笑いを上げながら、市長が入ってきた。
「悪くない」
「そうだな、こんな美しい嬢ちゃんが毎日看病してたんならな!」
……そう、か。
単なる「人間」である俺に対し、「ヴァンパイア」がここまでするとは。
彼女は、なかなか酔狂な者であるようだ。
「で、今日の要件は?」
「ああ、それがな、その、なんだ!」
少し、言いにくそうだ。
「あの件なら、今すぐにでも渡せる」
「おお、そうか! なら、先に報酬を渡しておこう」
市長は、パンパンに膨れ、ジャラジャラと音のする革袋を渡してきた。
袋を開け、中身を確認する。
金貨が入っていた。が、予想以上に重い。明らかに報酬より多い。
「若干多くないか?」
「これを見ればわかる」
いぶかしがる俺に、市長は一枚の紙を突きだした。
そこには、簡潔にこう書かれていた。
「婚姻届
 夫 メディアン・ローナウト
 妻 セイレン・ノブリスレディ」
なんの冗談だこれは。
というか、「セイレン・ノブリスレディ」って誰のことだ。
「一応、君は魔物と通じていたのは事実だからな」
「ぬ」
確かに、一つの街を治める者にとっては、看過できないことなのだろう。
「しかし、君たちの関係を壊したくはないわけだ」
「それで?」
「要は、彼女を『害のない者』であるとすればいいわけだ」
「……だから俺の嫁に、か?」
「うむ、我ながら名案だな!」
それは確実に「メイ」の字が間違っているような気がする。
「つまり、部屋が変わったのも」
「そう、ワシの手配だ。いいだろう、新居と美しい奥さんのセットは!」
仕立て上げたのはどこの誰だ。
「というか、彼女はそれでいいのか?」
「唯々諾々だったぞ? むしろ彼女からお願いされたほどだ」
「……」
それが一番の驚きだ。
もはや「酔狂」の一言で済ませていいような問題ではないようだ。
「じゃあ、その『セイレン・ノブリスレディ』ってのが、彼女の名前か?」
俺はかわいらしく寝息を立てる彼女を見ながら質問する。
「それがだなあ」
市長の代わりに答えたのは、後ろで話を聞いていた情報屋だ。
「実は、そのお嬢ちゃん、名前が分からなかったんだよ」
「何?」
「というか、どこから来たのか、も不明。何もかもが不明で、あっしにもお手上げな始末よ」
「分からない、ってことか?」
「『何もない』。それが、彼女だった」
情報屋は、彼女を見て、悔しそうに言った。
どうも、調べ上げられなかったのが悔しくてならなかったらしい。情報屋の性分といったところか。
「だからワシが名付けたのよ! 『ノブリスレディ』は『高貴なる女性』という意味らしいぞ!!」
正直、市長の話に対する興味は、二割ぐらいだ。残りの八割は、思考に回される。
どういうことだ。
基本的に、ヴァンパイアは棲家があるはずだ。
だが、彼女は「どこから来たのか」も不明。
ともなれば、棲家すら分からない、ということだ。少なくともこの情報屋の手が届く範囲では。
一体、どんなヴァンパイアなのだ、彼女――セイレンは。
「……めでぃ……」
「!」
いや、寝言だ。落ち着け俺。
「がっはっは、若いっていいな!」
「わはは、ですなあ」
そこの二人、笑うな。
「というかオヤっさん、あんただって若くありたいんじゃないのか?」
「なに?」
「奥さん、若いし美人だし。だからあんな薬を飲んででも毎晩彼女をあい――」
「おおっと、メディ、それ以上言うな。それ以上言ったらただじゃあすまんぞ」
気迫が違った。
その気迫をもっと違うところで活かせよ、オヤっさん。
「それじゃ、あっしは失礼しますぜ」
「ワシも、お暇するとするか。例の品は、直々に渡してくれ」
言いたいことだけを言い残して、二人は去って言った。

「んう?」
「起きたか、セイレン」
「!?」
がばっ、と起き上り、二歩後ろへ下がったところで壁に頭をぶつけた。
唸るセイレン。
今は日が上がっているから、普通の女の子と同じような感じだ。
「……ああ、もしかして呼ばれるの嫌か?」
「ち、違う、お、おど、驚いただけ」
顔が真っ赤なのも、初めてみるな。
「あ、あの」
彼女は、少し涙目になった瞳を、こちらへ向けた。
「ありがとう」
うつむいて、ゆっくりと、言葉を選びながら、しかし心には素直に喋りはじめた。
「日が昇っていて、何もできない私を、守ってくれて」
俺は無言で聞いている。
「人間じゃない、私を、魔物の私を、守ってくれて――」
「言ったはずだぞ」
「え?」
彼女が顔を挙げた。眼から一筋、涙が伝ってる。
「人間も、魔物も関係ない、とな。話が通じるなら、小さな絆も、大きな絆も生まれる」
セイレンは、「おおきなきずな」と口の中で転がすようにつぶやいた。
「それで充分だろう?」
「そう、ね」
「よ、っと」
俺はベッドから降りる。
副作用は全身の筋繊維断裂とはいえ、程度は「筋肉痛」と同じものだ。
動くたびに身体が痛いが、それだけだ。
「さて、さっさと依頼の品でも作って、あの好々爺な髭面に届けてやるとするか」
「ふふ、そうね」
これからの日は、騒がしくなりそうだ。
10/02/26 03:03更新 / フォル

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