連載小説
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お姉ちゃんの日
古木町にある病院、静波病院。
名前のとおり海の近くにある比較的大きな病院で、広い上にやたらと複雑な構造をしていることもあり、初めて訪れる人間は目的の病室にたどり着くまでに必ず迷うことで有名だった。

何度来ても迷う者もなかにはいたが。

藤木恵奈(ふじきえな)は何度も訪れている院内で散々迷ってから、ようやく目的の病室にたどり着いたところだった。

「はあ、なんでこの病院、こんな分かりにくいんだろう」

近くにある中学の制服に身を包んだ少女は誰にでもなく独りごちて、額に手をやり浮かんでもいない汗をぬぐう動作までした。

ぱっちりとした目とポニーテールでまとめた髪は見るものに快活な印象を与える。
容姿の通り、恵奈は中学では剣道部で部長をつとめる活発な少女で、クラスでも人気者だった。

「江水史郎(えすいしろう)・・・よし」

病室の入り口にある名札をわざわざ声に出して読み、しっかりと確認する。
見舞いに来た相手の名前に間違いない。この前みたいに見たこともない中年男性の部屋に飛び込むことは避けねばならない。

だが、恵奈は名札を見て安心したのか、

「史郎〜、いる〜?」

呼びかけと同時にノックもなしにドアを開ける。
相手のプライベートにまで気が回らないのが恵奈という少女だった。

 その一室は広くはないが個室になっていて、奥にベッドがひとつ。

その上で半身を起こし窓辺を眺めていた少年が振り返った。

「あ、恵奈さん、こんにちは」

丁寧なあいさつをしながら、ほんのりと笑った。

黒い髪と対照的に肌は白く、顔つきには幼さが残ってる。
同級生と比べて背も低く中性的なため、一見すると女の子にも見える。
実際、私服の時には何度か間違えられたほどだ。

しかし表情や口調からはどことなく大人びた雰囲気がある。

恵奈は中学2年、史郎は1年だが、恵奈の友人からは

「史郎君の方がよっぽどお姉さんだね」とからかわれるほどだった。

その時、恵奈は顔を赤くして怒っていたが、史郎は女性扱いされても穏やかに笑うばかりだったので、余計に性格の違いが目立ったのは余談である。

病室の入り口をくぐった恵奈は、いきなりムッとした表情になった。

「史郎。その恵奈さんって他人ギョウギだからやめなさいって言ったでしょ」

他人行儀の発音がいささか怪しかったが、抗議する本人は真剣だった。

「そうでした。すみません、恵奈お姉さん」

すこし困ったように笑いながら史郎は言い直すが、恵奈はまだ納得いかない様子で、

「お姉ちゃん、でしょ」

言いながら唇を尖らせた。その時点でもう年上の威厳もないものだが、

「・・・お姉ちゃん」

「うん、それでよし!」

少し照れたように言い直した史郎の表情を見て、晴れやかに笑う。
ようやく機嫌がなおったようだ。

それからは恵奈が学校であった話や部活の話などを話し、史郎はほとんど聞き役だった。

 史郎は最近、藤木家の隣にあるアパートに引っ越してきたばかりだ。

両親の都合で引っ越し、そのまま恵奈の通う中学に入学することになったらしい。

らしい、というのにはいくつか理由がある。

一つは、そのアパートは古い上にあまり住人の生活感が感じられない物件であること。
いちよう管理人はいるようだが近隣との付き合いは薄いほうで、史郎がそこに住んでいると聞いて、「あそこ、人住んでるんだ」と驚いたくらいである。

二つ目は、史郎は中学生にしてすでに一人暮らしをしていること。
両親は出張が多い仕事をしていて、年に何回か帰ってくる以外は定期的に連絡をとるくらいだと史郎は言っていた。
慣れてしまっているのか当たり前のことのように話していたが、両親と暮らしている恵奈には想像もつかないことだった。

三つ目は、史郎自身があまり自分のことを話さないからだった。
上記のことも史郎が一人で引っ越しの挨拶にきたとき、恵奈の両親に話していたのを聞いただけで、その後こうして話をしても、それ以上のことは話そうとはしなかった。

いくら家の事情があり、史郎がしっかりしていても、可哀想ではないかと恵奈は思っている。

誰に対しても穏やかに笑う史郎だが、ふとした時にさみしそうな顔をしているときもあるのだ。

 恵奈がそこまで史郎のことを思うようになったのと、史郎が入院をすることになったのは、同じ日の出来事が原因である。

当時は朝や夕方に会ったときに挨拶をするくらいで、それほど深くは付き合っていなかった。

しかし、史郎が引っ越してきてから三か月くらいたった頃。
部活帰りの恵奈がアパートの前を通りがかった時、敷地の入り口に人が倒れているのを見つけた。

ちょうど夕暮れ時だったため、かなり驚いた恵奈だったが、恐る恐る近づいて見て、それが史郎だとわかると余計に驚いた。

「ちょっと!大丈夫!?」

慌てて駆け寄ると、異様に間隔の短い息をしながら苦しそうにしている。

「・・・だいじょうぶ・・・」

何とかそれだけ応えてきたが、まったく大丈夫そうな様子ではない。

大丈夫と、うわごとのように繰り返す史郎をよそに、

「救急車っ!えっ!救急車って何番?!」

慌てて救急車を呼ぼうとしたところに、騒ぎ(恵奈単独の)に気づいて恵奈の母が駆けつけ、救急車よりも早いと母の運転する車で病院まで運んだ。

車に乗せる際に気づいたが、母と一緒に抱え上げた史郎の身体はあまりに軽く、明らかに痩せすぎだった。
後部座席に史郎を寝かせ、病院に向かう細い裏道をいつにもまして急いでいる(乱暴な)母の運転から守るように、その頭を自分の腿にのせて落ちないようにした。

変わらず苦しそうな史郎の容態を心配そうに見ていた恵奈だったが、ふと生まれて初めて男の子に膝枕をしている自分に気づき急に恥ずかしくなってきた。
間近で見る史郎の顔立ちは中性的な上になかなかに整っていて、意識すると余計に気になってしまう。
汗に濡れた髪や上気した頬の赤らみも妙に色っぽく見える。
不謹慎だと思いながらもまじまじと見つめていたとき、
ふいに史郎が目を開けて、恵奈の顔を見つめてきた。
とろんとした目つきに思わず二重の意味でドキッとしてしまう。

そして・・・

「お姉ちゃん・・・」

夢を見ているような表情で、恵奈に向かって、そう呼びかけた。

直後、車は病院の駐車場に無事に到着した。
停車した車から降りた恵奈の顔が紅かったのは夕日のせいだけではなかった。

その日からというもの、ことあるごとに恵奈は史郎に

「お姉ちゃん」

と呼ぶことを要求するようになった。
車の中での出来事は史郎本人の記憶にないようだが、恵奈の発見により命を救われたように感じているらしい史郎は、恥ずかしそうにしながらも要求に応えてくれていた。

ちなみに、運転中だったのにも関わらず母は一部始終をミラー越しにしっかりと見届けていたようで、

「お姉ちゃんって呼ばれた時の恵奈の顔、写真に撮りたかったなぁ」

と心底悔しそうに言ってきた。

その時、恵奈は怒るよりも

「あんな緊急事態にどこを見て運転していたのだろうか」

と、自分の母ながら不安になった。
一方、母は

「あんな緊急事態にどこを見て看病していたのだろうか」

と、自分の娘ながら心配になった。

その日のことは二人の間では、
「お姉ちゃんの日」
として、密かに呼ばれている。
16/05/20 05:06更新 / 水底
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初めて投稿させて頂いております。
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