連載小説
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魔法使いは東へ、東へ
 世界の真ん中の、少し下。まるで果てが無いような荒野の中を、一人の魔法使いがとぼとぼとした足取りで歩いている。うっとりする程に青い空には雲の一つも無く、さんさんとした太陽がこれ見よがしに笑顔を浮かべて大地を照りつけていた。これだけで見れば平和な図に映りそうなものだが、最悪だったのは魔法使いの服装が黒色だったことだ。黒色のローブは太陽の光をめいっぱい吸い込んで、それを纏う魔法使いの体は蒸し風呂の中の様になっている。
「ぶふぅー……あっづいー……」
 魔法使いは小柄な体に見合わない大きな杖で体を支えながら、腰についている丸い水筒を引っ張り出して蓋を開け、その中身を口へ傾ける――のだが、残酷なことに水筒から姿を現したのはたったの一滴の水だけで、そのたった一滴すらも、突然吹いた風に煽られて地面の染みへと消えた。
 それを合図に魔法使いはがっくり体を崩し、柔肌には少し痛い、固めの地面に倒れ伏した。
「う……うぐ……こんな所で終わるんですかね? わたしの旅……へへ、おとーさんおかーさん、先立つ不孝をお許しください。まあ、どっちもいないんですけどー……ってね、たはははー……はあ」
 魔法使いの顔から笑みが消え、意識は底なしの闇の中へ沈んでいった。
 


 次に目が覚めたとき、魔法使いは知らない所で横たわっていた。青い空は無く、笑顔を浮かべる太陽も見えない。あるのは額の湿り気と、やわらかなベッドの感触。そして乾いた木造の天井だった。
 ――ここはどこだ?
 ふと視線を周囲に巡らせると、魔法使いに負けないくらい小柄な少女が、心配そうな面持ちで顔を覗き込んでいた。少女の小さく可愛らしい唇が動く。
「気がついたみたいね。大丈夫? 吐き気とかない?」
 少女の金髪の髪がふわりと揺れ、翠玉のような瞳が優しげに光る。
「あっと……おかげ様で、なんとか大丈夫みたいです。あなたは?」
「私はレイチェル。そしてここはワンオネっていうちっちゃな村だよ。荒野に浮かぶオアシスって言えば聞こえは良いんだけどね」
「ワンオネ……? ああっと失礼、聞き覚えがないものですから」
「うふふ、気にしないで! この辺りはあまり人が通らないからね、この村の名前を知らなくても仕方ないよ」
「たははは……。そうだ、助けてもらったお礼をまだしていませんでしたね。わたしはジョシュアと申します。この度は干乾びたミミズになりかけの所を助けていただき、ありがとうございました」
 ジョシュアは上半身を起き上がらせて礼を口にする。一緒に頭を下げたときに、背中の骨がごきごきと嫌な音を立てて軋み、額にあった濡れタオルがぼてりと落ちた。その様子がおかしかったのか、レイチェルはくすくすと笑い、つられてジョシュアも不恰好な笑み浮かべた。
「くすくす。お礼なら、私のお父さんに言ってね。多分もうすぐ帰ってくると思うから」
 ――ドス、ドス
 噂をすれば影といったところか、ドアベルの音が鳴り響き、二人のいる部屋に向かって足音が近づいてきた。ドスドスという大きな足音が、ジョシュアの頭の中に大男の想像を書きたてる。
「噂をすればってやつですかね……うん?」
 ふと、ジョシュアの視界の横に、不審な動きをする影が一つ。レイチェルだ。レイチェルが何やら手をわきわきとさせている。先ほどの優しげな目はどこへやったのか、獣のような眼光で扉を睨み付けていた。
「レイチェル、何を――」
 ガチャリと部屋の扉が開かれ、入ってきたのは筋骨隆々の体、掘りが深い顔に無精髭と、まるでジョシュア想像通りの男性だった。男性は柔らかな笑みをジョシュアに向け、
「お、目が覚めたみたいだな。どうだ、不調は――うお!?」
 男性の言葉は遮られ、かわりにドスン! という先ほどの足音を一回り大きくしたような音が部屋に響く。レイチェルが男性に飛び掛り、床に押し倒したようだ。レイチェルのきゃっきゃと嬉しそうな声が木霊する。
「お父さんお帰りなさい!」
「げほっ、ただいまレイチェル。それとそちらの方、体の調子はどうかね?」
「ええ、おかげ様でピンピンしてます。わたしはジョシュアと申します……が、えーと? お邪魔でしたかね?」
「いやそんなことはないぞ! ほらレイチェル、お客様の前だぞ、そろそろ離れなさい」
「はーい」
 渋々といった様子で、レイチェルはお父さんと呼ぶ人物から離れる。開放されたほうはふうっと溜息をつきながら立ち上がり、改めてジョシュアと向き合う。男性はかなりの長身であり、隣のレイチェルが尚のこと小さく見えた。
「ジョシュア君……だったか、俺はここの家の主で、レイチェルの父親のレオという。はじめまして」
「こちらこそはじめまして。この度は危ないところを助けて頂き、ありがとうございました」
「なに、気にすることはないさ、困ったときはお互い様だろう? ところでジョシュア君、食事は摂れそうかね? もし摂れそうなら、夕飯をご馳走しようと思っているのだが」
「え!? いやそんなっ、お構いなく! 体調も戻ったしすぐにでも出て行きま」
 グーギュルギュル
 ジョシュアの言葉は他の誰でもない、自らの腹の虫の音に遮られる。その大きな音は部屋中に響き渡り、当然そこにいる二人の耳にも聞こえたようで、レオとレイチェルはにやにやと不適に笑って見せた。
「いやーすごい音だったなあ」
「体は正直だねえ?」
「……何から何まで申し訳ない……ご相伴に、預かります」
 それを聞いて嬉しそうに二人が笑う。ジョシュアの腹の虫もまた嬉しそうに鳴いた。


 ジョシュアの前に出された夕飯は、この地方でよく食べられる鍋料理だった。
 黒い鉄の鍋の中で、灼熱が唸りをあげている。その灼熱の中で踊る脂の乗った肉を、一緒に煮込まれていた野菜を巻き込みながらレードルでひょいとすくい上げ、レイチェルが感心した風に言った。
「へえー、ジョシュアさんは世界の果てを目指して旅をしてるんだ」
「ええ。まあ、世界の果てなんてのは建前で、本音はただの武者修行ですけれど」
 手元に戻ってきたレードルを取ろうとジョシュアが手を伸ばすが、手はひょいと空をつかみ、肝心の物は既にレオの手中に収められていた。
「武者修行ねえ、しかし一人で良くここまでやってこれたもんだ。外の世界はまだ魔物もいるのだろう?」
「正確には、今は『魔物娘』と呼称するのが正しいようですけど。まあ特に問題ではなかったですね、なんせわたしは強いですから」
 自信ありげにふんすと胸を張るジョシュア。
「ふむ。しかし……すまん、失礼を承知で言わせてもらうが、そんな小柄な体と細腕に、魔物娘を倒す力があるようには思えないな。……もしかして君、神の加護を受けた勇者なのか?」
「えぇっ、勇者!? ジョシュアさん勇者なのっ!?」
 勇者という言葉に反応して、レイチェルが目を輝かせる。
 ――勇者。神の加護に護られた特殊な人間のことで、普通の人間よりも圧倒的に高い戦闘能力を持っている。教団から任命されただけあって、反魔物派市民からの信頼は強く、まさに正義の味方、又は正義そのものと呼ぶにふさわしい存在である。そういった、いわゆるヒーローに憧れを抱きやすい子どものレイチェルが興奮するのも無理はないだろう。
 レオはジョシュアのような小柄でこれといった得物もない人間が、魔物娘と渡り合っていると聞いて勇者を思い浮かべたのだろうが、ジョシュアの反応は芳しくないものだった。
「お生憎様です、わたしは勇者ではありませんよ? 大体、本物の勇者なら荒野の真ん中で行き倒れたりなんてしないと思いますし……多分」
「だっはっは! 違いないな! と、するとだ。もしかして魔法使いか?」
 レオの言葉に、ジョシュアはにこりと微笑を返す。
「正解です」
「魔法っ!? すごい! 見せて見せてー!」
「見せるのは一向に構いませんが、まずその前に」
「「その前に?」」
 ジョシュアの人差し指がピッと持ち上がり、レオの持つレードルを指し示す。不思議そうな面持ちのレオににこっと微笑むと、ジョシュアはくるりと手の甲を返し、人差し指をくいっと上に向けた。
 するとレオの手からするりとレードルが抜き取られ、踊るように回転しながらジョシュアの手にすっぽりと収まった。
「さっきから二人ばっかり食べてずるいですよ」
「あはは、すまんすまん」
「ごめんなさいー……」


 夜のワンオネは昼とは打って変わり、身を切るような寒さで包まれていた。時々吐息のように吹く風と、空にぼんやりと浮かんだ青い月が寒さを助長させているように感じさせる。
 しかし村の中の黄色の明かりはどこか暖かく、どこかしこから楽しそうな笑い声も聞こえてくる。たくさんの食器の擦れあう音も一緒にあるので、おそらくは酒場からだろう。
 ジョシュアはレイチェルとレオの家から少しだけ離れた所に腰を下ろし、その頭には少し大きすぎるくらいの三角帽子を弄りながら村の様子を観察していた。
「よう、黄昏れるにはちょっと遅い時間だと思うぞ」
「別に黄昏れてなんてないですよレオさん。わたしの心は、いつだって暖かい正午です」
「ん、お前さんはどちらかというと夜って感じが……まあいいか。それよりどうだ? 一杯付き合わないかね」
 レオが右手を掲げる。その手中にある二、三本の瓶がちゃぽんと水の跳ねる音を立てた。
「お酒ですか! 折角ですのでいただきます。ところでレイチェルは?」
「家で洗いものしてるよ。ほい、コップだ」
 ジョシュアの手にコップがストンと落とされて、息もつかせぬ内に瓶からなみなみと黄色い液体が注がれた。液体はコップの底で小さな津波を巻き上げながら、白い泡を吹き出しながらコップの壁をせり上がっていく。まさかこぼれるまで注ぐつもりじゃあるまいな。とジョシュアは一瞬警戒するが、ふちから溢れそうだった泡がシュワシュワと収縮していったために杞憂に終わった。
 レオも自分の分の酒を注ぎ、コップをジョシュアに向ける。
「ほれ、乾杯」
「乾杯」
 チン。
 二人同時にコップを傾ける。レオは一気に、ジョシュアは少しずつ味わうように。だがこれが間違いだったとジョシュアは気づくことになる。
 炭酸系の強い清涼感と心地よい冷たさ――の中に紛れるように現れる苦味。それは次第に耐え難い渋さとえぐみに変わり、たまらずジョシュアはそれを一気に飲み込んだ。それにも関わらず、渋みは口から喉の奥にまで行き渡り、しっかりと存在を主張する。
 そんな様子を見て、レオが笑いながら口を開いた。
「だっはは! もしかしてビールは初めてか!?」
「ぐえ……よくこんな苦いもの飲めますね」
「ちょっとしたコツがあるのさ、こいつは口に溜めると苦味が出ちまうからな、一気に飲んじまうのがいい」
 そう言ってビールをコップ注ぎ足し、レオは一気に呷ってみせる。ジョシュアもそれに倣って、コップの中身を口の中に流し込み、一気に飲み下す。すると、すっきりとした炭酸の刺激と、優しい麦の香りが鼻腔を通り抜けていった。先ほどジョシュアを苦しめた苦味も、今は心地よい後味として、ビールの美味さの演出の一役をかっている。
「今度はどうかね?」
「……美味しいです。なるほど、お酒にも色々な飲み方があるのですね」
「勉強になったろ」
「ええ、話の種程度にはなりそうだ」
「ひどいな、はははは!」
 笑いながら再びコップを黄色い液体で満たそうと、レオは酒瓶を傾ける。重力にしたがって中身は流れ落ち、コップを黄色に染める。それを一瞬で飲み下すレオを見つめながら、ジョシュアは呟くように言った。
「……レオさん、一つ良いですか?」
「ん? どうした、告白か?」
「たはは、似たようなもんですかね」
「おいおい! 俺はそっちの趣味はないぞお!?」
 さささっとジョシュアから離れるレオ。それを見て苦笑するジョシュア。
「わたしにもそんな趣味ないですよ。わたしが聞きたいのはレイチェルのことです」
「……レイチェルが、どうかしたか? 言っておくが嫁にはやらんからな」
「そりゃ残念。しかしわたしが聞きたいのはそれじゃない、あの子が魔物だということだ」
 『魔物』その言葉を口にした瞬間、ジョシュアは顔の肌は痺れたような痛みが覚える。しかしジョシュアはにっこりと微笑を崩さずに、目の前で殺気に似たどす黒い気を発しているレオを見つめていた。

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