読切小説
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ある司書の昼と夜
「遅い……」

長身痩躯でロングヘアの女性が、苛立たしげに眉をひそめながらつぶやいた。
地味で露出の低い装いだが、
その硬質ながらも整った容貌は十分に印象的だった。
だが、より人目を引いていたのは、頭頂に生えた一対の尖った耳と、やや巻き癖のついた尻尾に、桜色の肉球を具えた三本指の手足だろうか。
それらはいずれも黒い体毛で覆われており、
赤い瞳もあいまって、彼女が人ならざるものだと容易に周囲に知らしめていた。

彼女の名はノワール、アヌビスと呼ばれる魔物の一種である。
黒髪と褐色の肌を持つ、砂漠地帯に生息するウルフ種の獣人だ。
本来ならば遺跡の奥深くで、ファラオなる魔物の守護者を担うとされているのだが、
今彼女がいるのは、とある親魔物派領に属する地方都市、
小規模なアカデミーの正門前である。
こじんまりとした石造りの門の傍らで、行きかう人々の好奇の視線に晒されながら、
彼女は待ちぼうけを食っていた。

先日、旧魔王時代の遺跡を調査する目的で旅に出た考古学者の父と、
その弟子たる夫が一ヶ月ぶりに帰ってくるとの連絡を受け、

「じゃあひと月ぶりに、ノワちゃんには旦那様やお父さんと、
 の〜んびり過ごしてもらいましょーか♪」

などとのたまう職場の上司に、本日の業務を半日で切り上げさせられて、
勤務先である図書館からおっぽり出されたのが原因である。

――フレンドリーなのはありがたいが、こうも気安く早退させてもらっていいのだろうか?

湧いた疑問を、今更戻るわけにもいかんがな、と心中で打ち消す。それにしても、

「お互いにせっかく半日であがらせてもらえたというのに、父さんもミエルも、
 どこをほっつき歩いているのやら……」

約束した時間から、既に三十分ほどが過ぎていた。
腕を組み直しつつ、ぎりぎりと歯噛み。
ヒトのそれに倍する、大振りな犬歯が薄い唇の狭間から覗く。
と、彼女の耳がぴくりと動いた。
やっと来たか、というぼやきを噛み殺しつつ、口元を再び真一文字に閉ざす。
そして、まるで野性に帰ったホルスタウロスが、恋人めがけて突進するような駆け足とともに、

「ねえさぁぁあぁぁぁんっ、たっだいまぁぁぁぁあああああああああっ!」
「おかえり!遅いぞ!人前で抱きつこうとするな!!」

絶叫が重なった後、堅いが弾力のあるもの同士がぶつかるような音がして。
アカデミー正門から飛び出してきた、小ぶりな丸眼鏡をかけた金髪の青年が、
満面の笑みを浮かべたまま、ノワールの足元にくずおれた。
もとい彼女に飛び掛かって、左の犬パンチに撃墜されていた。あ、通行人が苦笑いしてる。

「ああ、にくきゅー掌底ご馳走様ですハァハァ……」
イっちゃいそうだよ、色んな意味で。首が変な風に曲がってるし。
「お粗末さまでした……通行人の邪魔だから早く立て、ほら」
息を荒げるな、そんな息づかいは私と二人きりの時だけにしておけ。犯して犯してまた犯すぞ?

アイコンタクトの後、左手を差し出し、手を握り合ったのを確認して引っ張り起こす。
ついでに青年の首も定位置に戻す。実に痛そうな音がした。
一瞬表情を歪めるも、すぐにニコニコ顔を復旧させてこちらを見つめてくる青年に、
ノワールはやや心配そうな表情を返しながら質問した。

「軽いな……肉は食べてるか?出張先で」
「うん。もともと肉が付かないんだ。 ……それはいいとして、
 十三の時から、背丈がちっとも伸びてくれなかったんだよね……」
「……キミの身長、私のと交換してくれ。何故私はこんなに背が高いんだ」
「教授の血だよね、お義母さんは人並みだし。僕もねえさん並みの身長が欲しかったよ」

ため息をつきあう。青年の背丈は約百七十センチ弱、
正面に立つアヌビスのそれより、頭半分は下だった。
撥ね癖のついた金髪頭をあちこちに傾け、首の具合を確かめるようなそぶりを見せる青年に、ノワールが再び尋ねた。

「そういえば、父さんは?」
「もうじき来ると思うけど、足音は聞こえない?」
「それらしきものが近づいて来ているのは聞こえるが、
 だいぶ遠いな……しかしやたら散発的…って、うわ……」

アカデミーの方向へ顔を向けたノワールの口元が引きつる。
青年が訝しげに尋ねた。

「どうしたの、ねえさん?」
「あー、上見ろ、上」

げんなりとしたノワールが指し示した、空の一点に目を向けた青年は、
彼女と同じ表情を浮かべ、ぼやいた。

「何やってんですか、お義父さん……」

旧魔王時代のミノタウロスか、はたまた音に聞くジパング産のオーガの亜種か。
大型の亜人にしか見えない白髪の巨漢が、アカデミー構内に点在する建物の壁やベランダ、
はたまた街路樹の枝を足がかりに跳躍を繰り返ししつつ、正門に向かって近づいてきていた。

「ノぉぉぉワぁよおぉおおおぉおぅ、ぅいぃま帰ったぞぉぉぉおおぉぉぉお、
 ってぇえ、ミぃエルも一緒かぁぁぁぁあぁ」

あちこち飛び跳ねながらの発言なので、声が揺れているのはご愛嬌。
身なりはそれなりに立派な教授風なのに、やってる事は囚われの令嬢を救いに来た義賊か、敵城に夜襲をかけるワーウルフの姫君か。
だが、傾斜のきつい尖塔や時計台の屋根を、整地された街道のように平然と突っ走ってくる姿には、おとぎ話のような微笑ましさはかけらも無い。むしろ怖い。
巨漢から青年へと視線を移し、ノワールは口を開いた。ひどくやさぐれた半眼になっている。
対する青年は、何故かきまり悪そうな苦笑であった。

「ミエル、逃げていいか?もしくは殴っていいよな?実に不本意だが、私はアレの娘だから、
 身内の恥を制裁するのは義務だと思うんだ」
「師匠にして舅を殴っちゃえなんて、夫として妻に勧めるわけにはいかないかなぁ。
 弟子としてもだけど」
「だがしかし、マミーの呪いなんてかけたくないぞ……第一気持ち悪いだろう、
 全身性感帯になったデカいジジイが悶えるのなんて」
「うわぁひどい言いぐさ。後半は否定しないけど」
「そうじゃぞぉノワールぅ、老い先短い父親の事をもう少しいたわらんかー!」

どっこいしょー!と野太い声が響くとともに、巨漢が二人の傍らに着地した。
髪と同様に、白い口髭と短い顎髭を生やした、赤ら顔の老人だった。

「お帰りなさい父さん、ところで老い先短いお爺ちゃんには、屋根を駆けずり回ったり、
 ベランダや街路樹を足場にして跳ね回ったりした挙げ句、
 怪我ひとつせず両足だけで石畳に着地するような真似はできないと思うのですが」
「ただいまノワ、相変わらずわしには手厳しいのう。
 小さいころは何をしても、パパ大好きー、パパすごーいと言うてくれとったのに……
 何でこうなってしもうた?
 背ぇばかりデカくなりよって乳も育たんし、三十になるまで嫁の貰い手もつかなんだし」
「私はまだ二十九だ!あと胸の事をどうこう言うんじゃないっ!!」
「わしがボケとらんなら、あと半月もせずに三十じゃろ。
 いくらわしがお前を生ませたのが四十前とはいえ、晩婚まで真似せんでも良かったに」
「黙れ白熊ジジイ!!」

顎狙いの左アッパーを皮切りに、暴れる娘とかわしつつおちょくる父の荒っぽいスキンシップを眺めつつ、ミエルと呼ばれた青年は苦笑した。

「二人とも、ここで父娘の団欒をするのは迷惑だからさ、帰ってからにしようよ……なんて聞こえてないか」


「ところで、何で待ち合わせの時間に遅れたんですか? それと、何故父さんはあんな馬鹿な真似を? ハーピーに剣術を習ったなんて伝説のある、古代ジパングの将軍じゃあるまいし」

ひと悶着の後、三人での帰り道に、ノワールが父に質問した。
アヌビスの性分として、決まりごとにはうるさいタチなのである。
問われた方は、タワシじみた顎髭を撫でながら、

「ふむ、思ったよりも出張先に主神教会のお客が多くてのう。
 それらの報告や言い逃れをしとったら遅れてしもうた。
 ハッソートビは……わしの図体で人通りの多いところを突っ切ったら怪我人が出るじゃろ?
 上空ならたまに出入りのハーピーが飛んどる位じゃしな」
「それはそうですが……勘弁してください。
 ただでさえ、この地方にはいない魔物だという事で悪目立ちしてるのに、
 父さんが馬鹿をやるから、私はいっつも職場の子達にからかわれているんですよ?」

ノワールの肩がかくんと落ちた。連動するように耳と尻尾も力を失って垂れる。

「図書館の人たちは、みんなねえさんが好きなんだよ、だから構いたくなるんだって」
「ありがとうミエル。でもな、もっと平穏に暮らしたいと願うのは贅沢なのか?
 あと人前で私の頭を撫でようとするんじゃない」

いささか低くなった頭頂に、手を伸ばそうとするミエルを牽制。
九歳年下のノワールの夫は、妻の髪や頬の感触をこよなく愛していた。
よって人目のあるなしに関わらず、抱きついて頬擦りをしたり、
頭を撫でたりしようと試みるのだが、ことごとく撥ね退けられている。
二人きりの時なら撫でてもいい、むしろ撫でろ、いや撫でてくれと常々言ってはいるのだが。

十五年来の幼馴染にして弟分は、初対面の時から現在まで、
過剰なスキンシップ癖が変わらない。
それが無かったのは、父に弟子入りしてから自分にプロポーズするまでの数年間、
もとい思春期の間くらいだろうか。その反動が今になって来ているのかもしれない。
ベッドの上でならいくらでも受け止めてやる、だから早く帰ろう、な?

そう思いながら足を速めようとするノワールの耳に、父のぼやきが飛び込んできた。

「まあ何じゃ、ハッソートビはともかくとして、教会の連中と遊んでやるのもそろそろ面倒臭くなってきたのう……三十年のつきあいじゃが、まったく代わり映えもせず、顔もケツも青い、ひょろひょろの小僧っ子しか寄越さんし」
「いや、ミノタウロスの腕力と、ワーキャットの身軽さと、ついでにデビルバグのしぶとさを併せ持つ人間が、そうホイホイいても困りますから」

おまけに魔法耐性も折り紙付きである。三十年間、母が繰り出す呪いの数々を痛いとか痒いで済ませてきたのをノワールは知っている。

――母さんと出会ってからずっと、父さんは教会の連中に睨まれてるんだよなぁ……五月蝿いしデリカシーは無いし突拍子も無い事ばかりしでかすし甘えん坊だが、見た目よりは人畜無害な人なのに。

母娘二代で似たような男に引っかかったな、と苦笑しあうのが、ここ数日での母とのお約束であった。

前述の通りアヌビスの生息地は砂漠である。だがノワールは生まれてこの方、この地方都市を離れたことが無い。

母親は砂漠の片隅の、さびれた遺跡の守護者として生活していたのだが、ある日教会所属の魔物討伐者たちが襲撃を仕掛けてきた。
その際に居合わせて、彼らの撃退に一役買ったのが、若き日の……とは言っても、
当時既に不惑に差し掛かろうとしていたノワールの父だ。

「図体のデカい盗掘者が、連中のところに突っ込んで掻き回してくれたので、呪いが面白いくらいにかけられた」とはノワールの母の言。

もっとも、最後にはエキサイトした彼女がブッ放した攻城呪文が、
遺跡ごとすべてをふっ飛ばして片が付いたのだが。
そして、行き所をなくしたアヌビスが、男やもめの考古学者の下に転がり込んで三十年。
一年中温暖で緑の多い田舎町しか知らぬ、
ちっぽけな図書館で司書の職に就いた二世アヌビスが、父や夫とともに家路についている。

――願わくば、私達や私の子供は、争いごととは無縁に生きていきたいのだがな。無論父さん母さんも。


「さてと……」

――父さんは母さんに引き渡した。今頃久闊を叙していることだろう。
――一日の垢は落とした。一緒にお風呂に入ろうとミエルは言っていたが、つまみ食いを我慢出来ないので、断って後で入った。
――腹は八分目だ。夕食はにんにくを効かせた牛肉メインで行ってみた。 ミエルにはしっかり頑張ってもらおう、私も頑張るから。
――口臭?虫歯?何の事だ? ホルスタウロスのミルクと、食後五分以内には必ず歯を磨く、私達の摂生ぶりを嘗めるな。

「く、ふふふ……」
「どうしたのねえさん、何だか勝ち誇ったような顔になってるけど」
「ん……いや、何でもない」

ベッドの上で、薄物一枚で妖しく……というには艶っぽさが足りない、不敵な含み笑いを漏らすノワールに、ミエルは心配そうに声をかけた。
胡坐をかいたパジャマのズボンにそそり立っていたテントも、
先程までの半分の大きさにしぼんでしまっている。
いかん、それは困る、などと心中でつぶやきながら、
ノワールはトンビ座りのまま這いずり寄った。
ミエルの腿の上に跨らんばかりに近づき、両腕を軽く開いて差し伸べてみせた。
表情も穏やかな微笑に切り替えている。

「さ、抱いてくれ」
「う、うん……」

頷きながら、肩と背に腕を回しあう。
華奢な肩越しに鼻を寄せ、髪の匂いを胸いっぱいに吸い込む。
ぬくもりを感じた途端、互いの表情が緩んでいくのがよく分かる。
やんわりと腕に力を込めて、胴を密着させる。
下腹に当たったモノが硬度と大きさを増していくのを感じて、ノワールは口角をさらに吊り上げ、顔を寄せた。

「ん〜、む……ぁ……」
「ん、んん……」

寝室に響く、微かな水音と衣擦れ。
唇を食み合い、舌を伸ばし、絡め、互いの口腔を蹂躙し合う。ひと月ぶりに交換する唾液は、
変わらぬ甘さであった。
もっと啜りたいとミエルは、ノワールの歯をひと粒ひと粒舌で刺激し、更なる甘露をねだる。
そして上顎犬歯に舌の先端を届かせ、切っ先を執拗になぞる。
やや内に向いた牙は、うっすらと柔肉を裂いた。

「ぷは……ばか、キミの舌、また傷がついてしまったじゃないか」
「あぅ……僕は構わないよ? というかむしろ、嬉しいし……」

毎度のやりとりである。女は慣れたくなかったし、男は欠かしたくなかった。

本音を言えば、ノワールとてミエルの鉄の味は嫌いではない。だが、不満げに唇を尖らすのを止める事はできない。

――血の味は獣性を呼び覚ます。 もし私がトチ狂って、キミを噛み殺したくなったらどうする。

以前睦言でそう言ってみたら、喜んで!とほざきやがったので、
マミーの呪い付きで、声が出なくなるまで搾りとってやった事もある。
ばかもの、私はキミとずっとずうっと繋がっていたいんだ。
頼むから身体を大切にしてくれ。そして抱け。でないと犯すぞ?

「むぅ……今更だが、キミは私に痛い目に合わされるのが好きなのか?
 私は快楽を与え合う方が好ましいのだが」
「ん〜ん、ねえさんから貰えるなら、痛いのも気持ちよくなるだけだと思う」

太平楽に自分の後頭部を撫でながらのたまう、目の前の童顔の鼻面に、
左手の肉球を軽く押し付ける。
くそっ、私ってサディストだったか?
確かにミエルに抱かれるよりはこちらから押し倒す方が好きだが、
嗜虐性までは無いはずだぞ。

ミエルの鼻面をぐりぐりしながら、気難しげなへの字口を緩めていくさまに、
説得力はあまり無い。

「ところでねえさん、そろそろ別のにくきゅーも触りたいんだけど、いい?」

ノワールの右肩と上腕を撫でさすりながらミエルが口を開く。
今にもスリップの肩紐をずらしたそうだ。左手を下ろしながら、ノワールが答えた。

「ああ、いいぞ……しかし、恥ずかしいな」

ミエルの親指が肩をなぞった途端、ノワールの肩と胸があらわになる。
肌理の細かい、滑らかな褐色の肌だが…………ゴブリンやフェアリーに負けず劣らずの、
慎ましい乳房だ。

――うぅ、職場のホルスタウロスが妬ましい。せめて、母さん並みは欲しかった。

「ねえさんのだから触りたいのに……」
「そういって貰えるのは嬉しいよ。だがなミエル、
 私は何でこんなに背が高いのに胸が小さいのかと、女になった頃から、
 ずっと思っていたんだ……」

せめて、背の高さと胸の大きさが一致していればよかったんだがな。そう力なく笑いながら、
ノワールはミエルの手をとり、自らの胸に導く。

「だからな、キミの手で育ててくれ」

軽く手を握る力を強めつつ、じっと見つめて懇願してみた。 あ、また下腹の子が大きくなった。

「謹んで頑張らせていただきます!」
「お願いします……ん」

下方からゆったりとマッサージ、すべらかな乳房を、掌が包み込む。
しっとりとした肌触りと、かすかな弾力、そして中央の小さな違和感。
自分が手を動かすたびに、ノワールの鼻から抜ける、甘い呻き。
ミエルは陶然となって、さらに笑みを深くした。
手のひらで弄び、指の腹で乳首を撫でる。人差し指や中指も交えると、どんどん硬く尖っていく。

「そこばかり弄るなよぉ……ぁう……」

ねえさん、それ、もっとやれって言ってるようにしか聞こえないよ。
構わずミエルは乳首に吸い付いた。唇で甘噛みしながら、舌先で先端を弾く。

「きゃん! うっ……ん〜……うぅぅぅぅぅぅうううう……」

呻きに、甘さだけでなく苛立ちがこもりだした事に、ミエルは気づかない。
左の乳首から口を離し、右の乳房に口元を近づけたところで、彼は強烈な力を感じた。
気がついたら、後頭部は枕に押し付けられ、両肩に手を付いたノワールが、
再び口を尖らせながらこちらを睨んでいた。

「もう胸はいい」
「あ、ゴメン、ついしゃぶる方に夢中になっちゃって……」
「私の胸を育ててもらうのはまた今度だ。
 というか、そろそろ本格的に抱いてもらわんとおかしくなりそうだ。ただ、その前に……」

尖っていた唇が三日月のように湾曲していく。そして、肩から手を離し、ゆっくりと後ずさりして、ミエルの足の間で止まった。
そして下穿きに手をかける。実に楽しそうに微笑みながら口を開いた。
唾液が絡んだ牙が、一瞬ぎらりと光ったように見えた。

「口でしてやる。今挿れてしまったら、すぐに果ててしまうだろう?そんなのはお断りだ」
「あう……ハイ、お手柔らかに……」

確かに、先ほどからミエルの股間で、分身が痛いぐらいに自己主張していた。
二、三度強くしごいたら暴発させる自信がある。
ノワールと結婚してから、しごかせてもらえた覚えは無いが。
「キミが出していいのは私の口(ここ)か膣(ここ)だけだ」と初夜の際に宣告されてしまっていた。
「破ったら『ふたつとも』出てくるまで犯す」とも。
一ヶ月ご無沙汰なのはつらかったなぁ……とミエルが涙目になって回想にふけっているうちに、下半身に小さな衝撃があった。
下穿きが肌着ごと剥ぎ取られたせいで、男根が下腹を叩いたのが原因である。
やめてよねえさん、今ので出ちゃったらどうするのさ。

「くふ、相変わらずだな」

ノワールが嬉しそうに目を細めて、半分皮の被ったモノを撫でていた。
ミエルは顔を赤らめながら、
「ねえさん、もう少し優しくしてくれないかな、イっちゃうかと思ったよ」
「む?何を言っているんだミエル、『姉』が『弟』の、『妻』が『夫』の言う事など聞くと思うか?」
「どっちも読みは一緒だよね、『じょおうさま』が『どれい』の言う事を、だよね……」
「ん、分かってるならいい……さてと……」

にやにや笑いを深くしながら、ノワールは左手の爪でミエルの包皮をつまんだ。
「いだっ!」と言う声にも頓着せず、そのまま引っ張る。
右手はあやすように幹をやんわりとしごいている。

「ん……よろしい、恥垢は溜まっていないな」

包皮を右に左に拡げながら、ノワールはミエルの亀頭を改めた。
病気になられたら困る。だから、お互いに性器は清潔にしよう。
そう言って、二人で入浴する際は洗い合う事にしているのだ。
……確実に、そのまま三回くらいは交わる事になるが。

「ふふ……ご褒美だ」

ノワールが亀頭に口づける。そして、鈴口に舌先をねじ込み、先走りを啜る。
続いて包皮に舌を突っ込み、エラをなぞりながらキレイに剥いてしまった。

「んっ……あむ……ふっ……」
「あぅ……ぁあっ……」

そして亀頭を口に含んで、舌を這わせる。唾液と先走り汁で十分に湿らせると、
ノワールはペニスを根元まで咥え込んだ。
そのまま前後に頭を動かす。前歯がカリを、牙がエラを掠め、
かすかな痛みとともに至上の快楽を伝えて来る。
頭越しに尻尾がちぎれんばかりに振りたくられているのを、ミエルははっきりと目にした。

――ねえさん、そんなに嬉しいの?

とりあえず、尻の穴に力を込めながら、耳をゆっくりと撫で回してみる。
一瞬頭と尻尾の動きが止まるが、すぐに倍速で再起動した。

――しまった、死刑執行書にサインしちゃったか。

「ねえさん、もうイく、イくよっ……」
「うふっ、ひへっ、ひっへひまえっ……!」
「ぅあああっ!」

牙がまた亀頭冠を掠め、一際強く吸われた瞬間、
ミエルの男根から黄味がかった精液が吐き出された。
ノワールは脈動するモノを根元まで含み直し、舌と唇で刺激し続ける。
断続的な痙攣が治まった後、しばし力を込めて吸っていたが、やがて口を離した。
口元に手を添え、ノワールは喉を鳴らす。

「ふふふ……濃いのをたっぷり出してくれたな、嬉しいぞ」

まるで目も口も三日月のようだと、ミエルはぼんやり思った。
萎れかけたペニスが、ぴくりと反応する。

「さて、今度は私のもしてくれ」

ノワールがそう声を弾ませ、裸の尻を向けて覆い被さって来た。
甘酸っぱい香りが鼻腔を刺激した途端、節操無しに復活する分身を、
ミエルは呆れながらも頼もしいと思った。

「はぁ……一度出したのに、すぐ元通りか……この子は、私の初めてを貫いた時から変わらんな」

ありがとうございます、貴女様のも、今まで僕をさんざ愛してくださったというのに、いまだにぴったりと薄い唇が閉じてるってどういうご褒美ですか。相変わらず毛も生えてないし。

余談ながらこのふたり、純潔同士でカップルになったクチである。
閑話休題、ミエルは目の前の淡く艶めく陰裂にむしゃぶりついた。
鼻面を擦りつけ、大陰唇を割り拡げ、中の膣口を改める。
右手の親指でクリトリスを刺激、両手の人差し指で、うっすら膨らんだ小陰唇をなぞる。
含み笑いのような息が、股間の辺りで漏れ、再び息子に舌と牙の快楽がもたらされるのと前後して、口と指で奉仕し始めた。
クリトリスを唇でこね回し、、舌先で弄る。指は陰唇を高速で往復させる。

「きゅ……ふ……ぅん……」

足の間から聞こえて来る甘い呻きが大きくなってくるとともに、
ペニスから伝わる快楽が鈍化した。
反比例するように芳香は水音をともなって強まっていく。
右手中指を膣口に突っ込むと、「きゃん!!」と牝犬のような悲鳴が上がった。

「ゴメン、痛かった?」
「違う……もっと、指でしてぇ……」

仰せのままに、抜き差し。おまけに人差し指も参加させる。
広げたり曲げたり、緩急をつけて動かした。
クリトリスは剥かれて、口内で飴玉のようにしゃぶられている。
ペニスからの刺激は完全に消えた。あるのはかぐわしい蜜が絡んだ嬌声だけだ。
と、ノワールの声が止んだ。
ミエルは指の愛撫を止めず、口だけを離して尋ねた。

「ねえさん?」 イったの?

返答は無い。
代わりに、指に感じていた肉襞の感触が無くなり、
腰の上に何かが乗ったような重量がかかった。

ミエルは上体を起こした。赤い瞳のけだものと目が合った。

「えと、ねえさん?」
「…………」
「あぅ」

男根が鷲掴みにされる。二、三度揉みしだくと、ノワールは腰を浮かせた。
爛々と目を光らせながら、亀頭に膣口をあてがい、一気に腰を下ろす。

「あっ……」

思わず互いに息を零す。そして響く、牝犬の雄叫び。

「ね、ねえさん」
「はっ、はあ、きゅっ、きゃうん、はぁ……」

返ってくるのは、荒い息遣いと、濡れた肉が擦れ合う音のみ。

「くぅん、はぁ、あ……」
「う……ん……ぁ」 やばい、またイきそう。
そんなもったいない事はしたくない、僕が抱きたいのはねえさんであって、牝犬じゃないんだ。

ひとまず、肩と背に手を回して抱き締めてみる。動きが止まったところにすかさずささやいた。

「ノワール、好きだよ」
「!」

耳が動いた。

「ノワール、大好き」
「きゅ……」
「ノワール、愛してる」
「うん……」
「ノワール、一緒にイきたいなぁ」
「あー!分かったからぼそぼそと言うな!!私が素面の時に真っ正面から言ってくれ」

よかった、いつものねえさんに戻った。

「むー、せっかくいいところだったのに」
「ゴメンねねえさ…」「呼び捨てにしてくれ」「ゴメンノワール、どうせなら一緒に逝きたくてさ」
「頬擦りしながら言うな……ん」

腰を突き上げながら口づけ。

「んぁ…責任はとってもらうぞ、イかせてくれ」
「喜んで!」

再び舌を絡め合いながら、腰を使う。
右手で黒髪を梳き、左腕は腰に巻き付かせ、離さない。

お互いを見つめ合い、抱き締め合いながら繋がる事のできる対面座位が、ミエルもノワールも一番気に入っていた。


――あ、ねえさんの中、締まって来てる……

亀頭の先に硬いものがぶつかるのを感じながら、ミエルは腰をさらに速めた。

――くぅん、びくびくしてきたな。きゃう、もう少し堪えてくれよミエル、きゃん、一緒にイこうと、ゎう、言ったのは、きゃぃん、キミだぞ?

下腹に力を込めようとするもかなわず、されるがままのノワールは途切れ途切れに思考を垂れ流した。
胎内は勝手に緩急を繰り返し、口は喘ぎと悲鳴を舌と一緒に放り出すしかできなくなっているので、唯一まともに動く両腕に、せめてもと力を込める。 はなさない、キミはわたしの。

「ノワ、イきそう?イくよ?」
「きゅぅ、イってぇ、出してえ!」

何度目になるのか、亀頭に子宮口が小突かれた瞬間、膣が収縮した。
たまらず精を吐くペニス、一層締めつけを増す膣。

真っ白になったふたりの脳裏を、高く遠くハウリングが突き抜けていった。


どれくらい、そのままでいただろうか。
先に自我を取り戻したミエルは、ノワールにキス。
唇を放すと、頭を撫でながら頬擦りをした。

「こら、私はイヌの仔じゃないぞ」

ノワールも復旧、その声には、普段の硬質な覇気は無い。
穏やかな声音と微笑のせいで、嬉しそうにしか見えない。
と、膣内でまたミエルのモノが硬さを取り戻して来た感触に気づき、
微笑を深めながら口を開いた。

「ん?もう三回目がしたくなったのか?」
「うん、ねえさんの中が気持ちいいから、また固くなってきちゃった」
「ふふっ、そうか……すまないがもう少しだけ待ってくれ。
 キミの体温と、においと、心音を感じたい。もうしばらくしたら、今度は私が動こう」

胴体を密着させながら、背に回した左手で、ミエルの肩口をあやすように数回軽く叩くノワール。

数刻後、快楽にまみれた遠吠えが響き、それは一晩中続いた。

Fin



蛇足

「ああ……太陽が黄色い……」

明くる日、アカデミー付属図書館の一室にて、本棚の中身を整頓しながら、
ノワールはけだるげな呻きを漏らした。
それを耳ざとく聞きとがめたのは、昨晩の閨にて、
彼女に胸の大きさを妬まれていたホルスタウロス女史である。
ところどころ黒いものの混じった銀髪の司書は、胸と同様にあふれる好奇心の趣くままに、
まるで童話でアリスをからかうワーキャットのような笑みを浮かべながら、
お堅い同僚に声をかけた。

「あー、ノワちゃんが眠そうにしてるなんて珍しいねー」
「はは、夫がやっと帰ってきたから、つい、その、な……」

ふたつ年上のアヌビスが腰をいたわるように押さえるのを見て、
思わず吹き出すホルスタウロス。 
うなり声に、普段の剣呑さが欠片も無く、ついでに尻尾が軽く振られているのを見て、
もー少しおちょくってみるか、とさらに追撃をかけた。

「ちなみに、何回したの?」
「抜かずに六回、あと向こうが眠ってからこっそりと二回、かな……あ、向こうは向こうで、
 こちらが眠ってから一回してきたらしいから、九回か」

ミエルが腰を振っている最中に目を覚まし、朝方までにもう二回搾り取った、とは言わない。
口でした分も合わせれば、十二回か、たはは…。
おかげで今朝、いつも以上にふらふらひょろひょろしているミエルを見て、
「ああ、夕食は昨日以上に精の付くものにしてやらんとな」と決意していたりもする。
口元を緩めながら回想にふけるノワールに半眼をくれながら、
ホルスタウロスは「よだれ垂れてるよ」とたしなめつつ言葉を続けた。

「どう考えてもやり過ぎです、本当にありがとうございました……ところで、ミエルくんは大丈夫?インキュバス化のお薬とかは使ってないんでしょ?」
「うむ、万が一妙な影響があるかと思うと、
 子供を産むまでは手を出したくなかったんだがな……。
 打ち止めになられたら悲しいし、少しずつ使ってみるとするか」


一方その頃、アカデミーの考古学部の一室では。

「うわ、何だかすんごい嬉しいけど、やな予感がする」
「何じゃ、虫の知らせか?」
「どっちかと言うと、犬の知らせ、だと思います……ねえさんが晩御飯のおかずに、
 僕の嫌いなものを加えた時みたいな胸騒ぎがするんです……『精が付くから食べろ!』って、
 ヘビとかハチノコとか、その他もろもろのゲテモノを」

目の下に隈を浮かべながら、ミエルがほぼ正確な悪寒に慄いていた。
わしも経験あるのぉ、そういうのは。と、頬をぽりぽり掻きながら、教授は口を開いた。

「まあなんじゃ、アヌビスのようなあやしの力に長けた魔物を妻としておると、不思議な事も多くなろうな。わしの場合、嫁をもろうてから、旅先での食あたりや、呪いの類による害がからっきし無うなった」
「教授、前者はともかく後者は、ただ単に奥さんにかけられ通しだったから、耐性が付いただけだと思います」
「むう、そうかのう……憚りながらこのジャック=ブラン、妻を娶りて三十年、毒も酸も火も雷も応えんようになったが……」

長口上を垂れ出す老いた巨漢に、「あんたもう人間じゃねえよ……」と、その場にいた徒弟たちは思いをひとつにしたとか何とか。
ついでに、その娘婿にも、「将来こいつもこんな怪物になられたらどーすんべ」などと不安に駆られたとか。
10/03/15 21:27更新 / ふたばや

■作者メッセージ
処女作です。妄想と欲望をブチ込めさせていただきました。

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