読切小説
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Tropic Actor
 朝。
 脳裏にふと浮かんだその言葉で眠気が失せ、私は寝袋からゆっくりと身を起こした。昨晩突然のスコールに見舞われたため樹上で一夜を明かしたのだが、運良く落ちるのは免れたようだ。
「……もうちょっと葉っぱの多い木にしとけば良かったな」
 寝袋の窪みに溜まった雨水に溜め息を漏らしつつ、それを零さないよう慎重に寝袋から下半身を出す。普通のジャングルなら気軽に木の上から捨てるのだろうが、ここB国南東部のジャングルではご法度の行為の一つである。
 何故なら、捨てた際の水音をこの辺りに住むアマゾネス達に聞かれてしまうからだ。
「……よし」
 何とか寝袋から抜け出し、樹皮を伝うようにそっと水を流す。それが終わったら、今日の進行予定を地図を見ながら確認していく。
「現在地から西北西に移動し、正午に河の近辺に到着……そこで昼食をとったら河を渡って、日の入りより前に寝床の設営にかかる……っと」
 今日で、サバイバルを始めてからちょうど一週間経つ。予定では八日目に今いる地点を通過するはずだったので、順調な行程と言えるだろう。
(ただ……今度の映画は、南米のギャング共を掃除する話なんだよなあ)
 ギャングどころか猛獣の一匹も見かけなかった六日間を思い出し、つい溜め息を吐いてしまう。
 そう、私ビル・エインがこうしてB国のジャングルにいるのは、半月後にオーディションを控える映画の役作りのためだった。
 その映画自体は、元特殊部隊の主人公がジャングルを根城に暴れる麻薬組織を相手に一人で戦うという、やや古臭い筋書きだ。
 しかし、映画会社は一流の監督やスタッフを揃え、あらゆるメディアを通して大々的に宣伝している。女性の主人公、とのことだが、このご時世でも出演した俳優の名は世界中に知れ渡ることだろう。
(何とか、持ち味を発揮できる役になりたいもんだ……)
 心中で祈りつつ、樹上から物音を立てぬようゆっくりと降りた。

 携帯食料で軽く腹を満たした後は、移動の時間である。ガイドも仲間もいないので、一人で黙々と歩くだけだ。
(審査員を納得させるためとはいえ、やっぱり辛いな……)
 映画は説得力が物を言う世界だ。役相応の肉体や演技が無ければ、観客はご都合主義だと感じてしまう。
 銀幕にも魔物が登場するようになった今でも、それは変わらなかった。
(もう、魔物が来るようになってから十五年は経つのか……)
 魔界と行き来出来るゲートとやらの噂は、もう何十年も前から飛び交っていた。それが十七年程前に突然空間の歪みが観測され、そこから大使と名乗る白髪の女が出現した。
 悪魔のような外見のその女に、人々は最初銃を向けた。だが銃弾を掻き消し、毒ガスの中を悠然と歩く様を目の当たりにすると、今度は畏怖の対象とした。一時期はカルトじみた宗教が興ったが、友好的で千差万別な魔物達が移住するにつれ、砂浜の絵のように廃れていった。
 私達俳優は、それを宇宙人襲来程度の危機感でしか捉えていなかった。しかし白髪の女が現れて二年も経った頃、それは大きな間違いだと気づかされた。良くも悪くも好色で魅力的な彼女達がスクリーンに出た途端、恋愛ものやポルノが流行の中心になり、その他のジャンルの需要が激減したのだ。
 私もその煽りを受けた一人で、アクション、サスペンス、ホラー、ミステリーと色々な作品に出演していたが、ぱったりと依頼すら来なくなった。生来の強面で、悪役ばかり演じていたのが原因だろう。
 とにかく、魔物が銀幕に出るようになってから、俳優が映画界で生き残る道は二つに一つしか無くなった。魔物と結婚して夫婦で出演するか、圧倒的な演技力を見せ付けるか。演技一筋で生きてきた私は、後者に賭けることにした。
「よっ、と」
 飛び石のように水溜まりから覗く根を跳び移っていく。どうも予想していた地形と違う。昨日の大雨で増水したせいだろうか。
「となると、河は渡れそうにないな……」
 寄り掛かれる樹の根元に着地したところで地図を開き、他にルートは無いか確かめる。すると、少し上流に向かった先に、川幅が狭い箇所があるのを見つけた。ここからの直線距離は、そこまで無さそうだ。
「……ん?」
 視界の端で、何かが動いた。小動物にしては葉の揺れが大き過ぎる。警戒してナイフを抜こうとすると、今度は別の方角の茂みが揺れた。
「……」
 ナイフをいつでも抜けるよう身構えながら、試しに数歩前進する。と、こちらの動きに呼応するように茂みが揺れた。間違いない。私を、狙っている。
 そうと分かれば遠慮する必要は無い。根を蹴って数メートル先の地面に跳び、勢いに任せて走り出す。すると茂みから数人の女が飛び出し、私を追いかけ始めた。
 矢印のような入れ墨の走る褐色の肌と、腰からから生える鈎状の尻尾。アマゾネス達だ。
(知らない間に、縄張りに入り込んでしまったか……!)
 彼女達に捕まったが最期、生きて解放されることは無いと聞く。交わりと快楽の日々はある意味楽園だろうが、まだ銀幕に未練のある自分には地獄だ。
 しばらく走っていると、大きな水溜まりに差し掛かった。底の見えない濁り水に足を突っ込む勇気は無い。手前の太い木の根を足掛かりに飛び越え――ようとしたその時、唐突に横から新たなアマゾネスが飛び出してきた。
「たぁあああ!」
「ぐぅっ!?」
 予期せぬタックルに対応出来るはずもなく、二人で泥水の中を転がる。ぶつかった衝撃で、荷物もだいぶ散乱してしまう。
 口に入った砂利の感触に顔をしかめながら立とうとするが、相手の方が若干早かった。
 これで、終わりか――諦め半分で顔を上げてアマゾネスと目を合わせると、予想外の反応が返ってきた。
「ひっ……!」
 こちらの顔を見るなり短い悲鳴を上げ、まだあどけなさの残るアマゾネスは尻餅をつく。勇猛な種族と聞いていただけに意外な反応だ。
(……そんなに強面なのか、私は)
 悲しいような嬉しいような複雑な気分になるが、背後からの足音で我に返る。折角の幸運を無駄にしないため、取るものも取りあえずその場から逃げ出した。
「あ! ま、待て!」
 背後から呼び止められるが、従う義理は無い。水溜まりを避け、落ち葉の広がる地面に飛び込む――と、隠されていた縄が足首に絡まり、勢い良く真上に引き上げられた。
「うおっ!?」
 天地が逆転し、視界が上下左右に振れる中、周囲に隠れていたアマゾネス達がぞろぞろと下に集まってくる。
 何とか逃げようともがくが、樹木の幹に頭をぶつけ、気を失ってしまった。



「むっ……」
 目が覚めると、木と葉で造られた何処かの家の中にいた。辺りは暗く、上半身を蔓のような縄で縛られているせいで、身動きが取れない。荷物は全て没収されたようで、腰のナイフは無くなっていた。
 唯一首が自由なことに気づき、周りを見ようとする。と、脇にいたアマゾネスが槍の柄で小突いてきた。
「族長の前だ。前を向け」
「族長……?」
 言われるがまま前を見ると、派手な装束を着たアマゾネスが二人は優に座れる玉座に腰掛けていた。撮影用の小綺麗な衣装で着飾った女優とは違う、威圧的な風格を漂わせている。
「汝、名をなんという?」
 厳かな口調で問われ、どう返答すべきか一瞬迷う。が、下手な嘘で罰を受けても仕方が無いので、正直に答えることにした。
「ビル・エイン。俳優をやっている」
「はいゆう? 何だそれは?」
「物語の登場人物になりきって芝居する職業だ。色男とか戦士とか、とにかく色々やる」
「ほう……戦士か」
 にやりと口角を上げると、族長は玉座から立ち上がってこちらに近づいてきた。私の両脇に控えていた二人を一旦下がらせ、二の腕や背中をべたべたと触ってくる。
「なかなか鍛え上げられておるな」
「かなり体力を使うもんでね。正直、若い頃に比べるとかなり筋肉は落ちた」
「謙遜するでない。汝程の益荒男など、祖母の昔話の中だけだと思っていた」
 妖艶に微笑むと、族長は玉座に戻ってこう宣言した。
「明日の正午、この男とスティルの縁付の儀を執り行う。それまではこの者を牢に入れ、皆で手分けして準備を行え」
「はっ」
 族長の言葉に返事をするや否や、両脇のアマゾネス達は私を抱えて引っ張り出した。自分の置かれた状況が分からず、歩きながら二人に問い掛ける。
「おい、私をどうするつもりだ」
「族長のおっしゃった通りだ。牢で一晩過ごして、縁付の儀を受けてもらう」
「その縁付の儀というのは何だ?」
「外の人間はそんなことも知らんのか」
 呆れたようにこちらに目を向けるアマゾネスだったが、きちんと質問には答えてくれた。
「私達の集落では、婚約する前に夫婦で決闘を行う。妻はその決闘で勝つことで内外に自分が家長であること、相手の男が自分のものであることを知らしめるのだ」
「夫婦だと? そんなもの認めたつもりはない」
「そうは言うが、こうして私達の里に連れて来られたではないか。それが婚約を認めた何よりの証拠だ」
 無茶苦茶な理論の返事をされている内に、一軒の建物に到着した。族長の家同様、木と葉で造られている。
 扉の前で縄を解かれ、建物の中に押し込まれると、片方のアマゾネスから一方的に告げられた。
「明日の正午頃、迎えに来る。それまで間違っても、ここから脱走しようなど思うなよ」
 そう言ってアマゾネス達は扉を閉める。すぐさま扉に飛びついてこじ開けようとするが、まるで金庫の鍵でもかけたかのようにびくともしなかった。他に抜け出す道は無いか部屋の中を見回すが、窓の類は見当たらない。
「壁を一枚一枚剥いでいく……のは、今回は遠慮しておくか」
 薔薇よりも緻密に棘の生えた壁の枝を前に荒い溜め息を吐き、中央に敷かれた寝床に腰を下ろす。
 もう知らぬ存ぜぬで済む段階ではない。今必要なのは、どうやってこの状況を切り抜けるかだ。
(前日に脱走するのは無理……かと言って直前だと、族長命令で村中のアマゾネスを相手に逃げなければならなくなる……)
 幾つもの作戦が思い浮かんでは消えていく。何度も取捨選択をしていく内に、候補が二つに絞られた。
(決闘で相手を負かすか、二人きりになった隙に人質にとるか、か……)
 族長達の口ぶりから察するに、ここ十数年、下手すれば数十年間、アマゾネス相手に勝った男はいないようだ。ということは、仮に縁付の儀とやらで勝利した場合、私が逃げられるだけの混乱が生じる可能性がある。
 仮にそんな時間が無いか、決闘に負けた場合でも、夫婦ならば必ず二人きりになる機会が訪れる。その際に背後から襲って人質にとれば、何とか逃げ出せるかもしれない。
 二つの案をしばらく勘案した末、両方とも採用することにした。下準備するための道具が無い以上、思いつく限り現実的な作戦を試すしかない。
「そうと決まれば……!」
 座ったまま脚を大きく広げ、ストレッチを始める。
 決闘に万全の状態で挑むためだ。

 時同じくして、族長の家。
 ビルが二人の戦士達に連れて行かれてから、族長は玉座で静かに目を閉じていた。眠っていると勘違いしかねない程落ち着いた呼吸だったが、後ろから一人の男が近づくと、淑やかに口を開いた。
「マイヤーか。荷物調べは済んだのか?」
「ああ。見た感じ、旅券は本物だったよ」
 そう言って族長の隣に立ったのは、眼鏡をかけた優男であった。緑色のTシャツに色褪せた青いジーンズ姿で、首から“Assistant Directer:Mirer”と書かれた社員証を提げている。その社員証を見た途端、族長は露骨に顔をしかめた。
「またその首飾りか。契りの際邪魔だから外してくれといつも言っているだろう」
「ごめんごめん。ただ、ちょっと気になることがあってね」
「何だ? 申してみよ」
「うん。ちょっとこれを見てくれないかい」
 そう言ってマイヤーが自分の社員証を裏返すと、中に一枚のカードが入っていた。それを取り出して族長に手渡すと、族長は写っている男の顔にほうと息を漏らした。
「先程連れて行かせた男ではないか。知り合いか?」
「いや、ただの一人のファンだよ。それで、ちょっと言いづらいんだけどさ……」
「何を迷っておる。そなたと私の間に、遠慮など要るまい」
 座ったままマイヤーを抱き寄せると、族長は彼を膝の上に乗せた。所謂お姫様抱っこをされ、マイヤーは少し気恥ずかしそうにしていたが、やがて意を決して族長と顔を合わせた。
「結論から言うよ。明日の儀式には、スティル以外の戦士を出すべきだ」
「どうしてだ? あの男にスティルが負けると言いたいのか?」
「……悪いけど、その通りだ」
 族長の手からカードを取り返し、マイヤーは説明を始める。
「彼は映画の役作りのために、格闘技を幾つも学んでいる。他の戦士達なら遅れをとらないだろうが、スティルにはまだ――」
 と、説明の途中で族長の指がマイヤーの唇を押さえた。いきなり口を塞がれて戸惑う様子に、族長は悪戯っぽく微笑む。
「皆まで言うな。スティルが未熟なことぐらい、百も承知だ」
「だったら、どうして……」
「あの子もアマゾネスだ。一通りの戦い方は身につけているし、家庭を持てば存外化けるかもしれん」
 マイヤーを自分の隣に座らせる。何か言いたげにする彼の頬をさすりながら、族長は続けた。
「それに……親が自分達の娘を信じなくてどうする?」
 そう言うと、族長はマイヤーを抱き寄せてそっと口づけた。



「大丈夫……貴女なら、出来る」
 私の目の前に、一人のアマゾネスがいる。唇から耳にかけて口が裂けているように見える赤い線を引いていて、目の周りには巨大な目玉に見えるような模様を描いている。私達の集落に伝わる、戦士の化粧だ。
「貴女は戦士……一人前の、勇敢な戦士……」
 私の目を真っ直ぐに見据えて、戦士は私を励ますように言葉を投げ掛けていく。
「貴女に敵はいない……貴女なら、どんな困難も乗り越えられる」
 戦士の言葉を聞いていると、不思議と勇気が湧いて来る。まるで彼女の強さを分けて貰っているみたいだ。
「そう、貴女なら出来る。明日の縁付の儀を乗り越えることぐらい、貴女には簡単よ」
 胸の底から力がみなぎってくる。何故今まで出来ないと思っていたのかが、不思議でたまらない。
「貴女なら出来る。出来ないはずが無いのよ、スティル!」
 戦士の一喝に、私は力強く頷いた。



 夜が明けてから、何時間か経った頃。
 私は用意された寝床に座って静かに目を閉じていた。座禅という東洋式の瞑想だ。気を落ち着かせるのにちょうど良いそうだが、やり方が悪いのか、さほど効果を実感出来ない。
「ふぅ」
 組んでいた脚を伸ばし、代わりに昨晩立てた脱走計画を頭の中で再確認していく。
 まず、決闘とやらに出場し、相手のアマゾネスと戦う。もし勝てるようならそのまま勝ち、相手を人質にしてここから逃げる。負けた場合は、二人きりになったのを見計らって人質にする。
「……脚本家が欲しいな」
 他に手段が無いとはいえ、我ながら杜撰な計画だ。そもそもアマゾネスを人質にする、という大前提すら達成出来るかすら怪しい。
 もう少しましな計画は無いのかしばらく考えていると、前触れも無く扉が開いた。見ると、昨日私を連行した二人組の片割れが立っていた。
「時間だ。出ろ」
「分かった……」
 ここで抵抗しても仕方が無いので、大人しく言うことに従い、外へ出る。太陽はそろそろ真上に差し掛かるところで、遠くに人だかりがあるのが見えた。
(あそこで戦うわけか……)
 歩きながら辺りに目をやり、逃走経路を一つ一つ思い浮かべていく。昨日は確かめる余裕が無かったが、どうやらジャングルを拓いて造った集落のようだ。となると、集落の周りには猛獣避けの罠があり――
「お前は幸せ者だな」
「……何?」
 考え事をしていたせいで、隣のアマゾネスへの返事が遅れる。気づかれたか、と冷や汗をかくが、向こうは気にした様子も無く答えた。
「今回の縁付の儀だ。スティルはお前のために、一晩かけて化粧をしたそうだ。全く、あの気合いの入れよう、私には真似出来そうにない」
「……そのスティルというのが、私の相手なのか?」
「そうだ。泣き虫だと思っていたら、いつの間にか……」
 スティルというアマゾネスの子供時代を知っているのか、彼女の目が遠くを見ながら細まる。余程感慨深いらしく、大きな蝶が顔に飛んできて大泣きしただの、夜の暗闇が怖くて寝小便を垂れただのと話が続く。
 目的地までまだかかりそうだったが、私は彼女の思い出話を適当に聞き流すことにした。

 それからしばらくして、私達は人混みの傍までやって来た。観客は私の到着を待ち受けていたようで、こちらに気づくなり左右に道を開けてくれる。
 人混みの中を歩いていると、アマゾネス達の他に夫と思しい男の姿もあった。白黒黄色と人種は様々で、新しい男である私に好奇の視線を向けている。と、人混みの中央の円形の舞台に近づいたところで、前から眼鏡をかけた優男が現れた。
「ようこそ、エインさん。今回の縁付の儀の責任者を務めさせていただく、マイヤーです。どうぞよろしくそれとサインを下さい」
「は、はあ……」
 妙に気さくな態度に戸惑いつつ、差し出されたカードとペンを受け取る。カードは二十年程前に公開された映画のキャラクターグッズだった。
「君は……『バードマン』シリーズのファンなのかい?」
「いえ、エインさんのファンです。『サッカーキック』も『クロックメン』も観ましたよ。どれも素晴らしい演技でした!」
「それはどうも。しかし、十何年も前の映画を良く覚えているな」
「まあ、ここじゃセックス以外の娯楽に乏しいですからね。暇な時に昔観た映画を何度も思い返すんですよ……ま、それでも住めば都とやらで、有り合わせのもので何とかやってます」
 一緒に住みませんかと楽しそうに問うマイヤーに、私は作り笑いで答える。彼は正気だろうが、自分の夢と天秤にかけると、アマゾネス達との暮らしを素直に受け入れられなかった。
「『世界一のファン、マイヤーへ』……はい。サインなんて五年ぶりだ」
「じゃあ、額縁に入れて飾っておきましょう……さて、エインさんは初めてでしょうから、儀式について説明しましょう」
 返したサイン入りカードを大事に胸ポケットに仕舞い、マイヤーは真後ろの舞台に目を遣った。
「中身は至って単純です。私達の代表者と、一対一で戦ってもらう。それだけです」
「ルールはあるのか? その、相手を殺してはならないとか」
「お互い素手で戦う以外、特にありません。まあ、元々集落の戦士が、自分の夫をアピールするための儀式ですからね。少なくとも、エインさんが死ぬような事態にはなりませんよ」
 私を安心させるためか、マイヤーは、はははと笑ってみせる。私もつられて笑うふりをしようとするが、不意にマイヤーの顔が真面目な表情に切り替わった。
「ただ……万が一、貴方が相手を殺すようなことがあれば……残念ですが、貴方の生命の保証は出来ません。いかに男性に寛容な魔物であっても、やはり一人の親ですからね」
「……そんなに、身内の強さを信じられないのか?」
 鬼気迫る言葉に背筋が震え、思わずそんな言葉を返してしまう。と、マイヤーは一瞬きょとんとした表情になり、直後何かを思い出すように笑った。
「もしかして……昨日の私達の話を聞いてました?」
「いや……偶然だ」
「貴方が相手だと、そうは思えませんよ……さ、時間です。舞台に上がっていて下さい」
 そう言い残し、マイヤーはアマゾネス達を掻き分けて何処かへ去っていく。責任者の仕事だろうか。
「……ま、こちらも目の前のことに集中するか」
 腰ぐらいの高さまで盛られた土の舞台に上り、改めて周りを見渡す。集落中の住民が集まっているらしく、少なく見積もっても百人はいそうだ。
 更にざっと見た印象では、住民の内訳は男が三に対して、女――アマゾネスが七。年齢は様々だが、アクション映画の主人公でも投降を選ぶだろう。
『さあ、皆さん! 本日のメインイベントの開幕です! 実況は私マイヤーと、族長マーテルでお送りします!』
 拡声器を通したマイヤーの声が響き渡る。見上げると、少し離れた櫓に型落ちの拡声器を小脇に抱えるマイヤーと、悠然と玉座に腰掛ける族長がいた。
『今回の縁付の儀に臨むのは、あの銀幕の大スター、ビル・エイン! カラテにボクシングにムエタイと、その肉体を鍛えた格闘技は数知れない!』
『おぉー!』
「……これが、儀式か?」
 まるでプロレスのような勇ましい紹介に、熱狂するアマゾネス達。ジャングル奥地とは思えない光景を目の当たりにし、呆れを通り越した感情が芽生える。
 良く見れば、儀式の様子を撮影するためなのか、観客の中にテープ式の古いテレビカメラを構える男がいる。恐らくアマゾネス恒例の男狩りをしている内に、外の世界の文明の利器が次々と持ち込まれ、こんなことになってしまったのだろう。
 スクリーンに出ていた時ですら浴びたことの無い声援に囲まれ、気恥ずかしさを覚える。と、ちょうど舞台の向こうから一人のアマゾネスが上がってきた。俯き気味で顔は見えないが、露出した肌の発育を見た限り、まだ十四、五の少女のようだ。
『さて、この豪傑を夫にしてみせると意気込むのは……我らが族長、マーテルの長子、スティル!』
『おぉー!!』
 私の時以上に盛り上がった声援を受け、アマゾネスの少女が顔を上げる。まるで怪物の顔のようなメイクに一瞬驚くが、彼女の顔立ちには見覚えがあった。
「あいつ、昨日タックルしてきた――」
『では、始め!』
 号令がかかった瞬間、スティルは素早く体勢を低め、一気にこちらへ飛び掛かってきた。まるで肉食獣のような俊敏さに左へステップして対応すると、彼女は両手足での着地と同時に足払いを仕掛けてくる。
「っ、と!」
 彼女のリーチより外に逃げるのは不可能。自他の間合からそう判断し、その場から跳び上がった。直後、ちょうど腿のあった空間をしなやかな脚が通過する。
 そのまま宙返りで着地すると、無防備な彼女の上半身が目に入った。チャンスとばかりに腹目掛けて左脚で蹴りを放つが、スティルは瞬時にそれを回避してみせ、逆に左脚に組み付いてきた。
「な!?」
「でりゃあああっ!」
 雄叫びのような大声と共に彼女が立ち上がり、頭一つは身長差のある私を難無く引き倒した。そのまま彼女は私を投げようと力を入れたが、私の体重が想像以上にあったせいか、少し地面を引きずるだけに留まった。
 運良く生じた隙を逃さず、両足で彼女の身体を挟み込み、腰を捩って力任せに倒す。そのまま馬乗りになることも出来たが、寝技を警戒し、彼女を解放して距離をおいた。
(これが、昨日私の顔にびびった女なのか!?)
 顔どころか、腹を狙った一撃にすら怯まないその姿は、とても同一人物とは思えない。
 こちらも相応の気迫で挑まなければ、確実に押し負ける。そう思った矢先、何やら言い争うような声が頭上から降ってきた。
『だ、だから『サッカー・キック』って映画でも似たようなことやってた、って言っただけじゃないか……』
『だから何だと言うのだ!? 娘の腹が蹴られるのをのうのうと解説する馬鹿がどこにおる!?』
 マイヤーの胸倉を掴んで揺さぶっていたのは、族長だった。戦いに集中して聞こえなかったが、どうやらマイヤーが実況でまずいことを言ったらしい。昨日の威厳に満ちた振る舞いをかなぐり捨てているあたり、族長は相当娘のことを心配しているようだ。
(しかし、本当にあの映画を覚えているな……)
 デビューしてから三作目の作品だったか。過激な暴力描写の多い話で、かなり神経を擦り減らしたのを覚えている。登場人物になりきれば簡単だ、と監督から良く聞かされたものだ。
「……一つ、初心に戻ってみるか」
 役者が演技を全うする手段の一つに、自己暗示がある。本来は登場人物に成り切るためだが、今回は役者に成り切ることにした。
 今いるのは特設のスタジオで、撮り直し出来ないシーンの撮影中。アクションの手筈を忘れたので、演技に応じてアドリブで入れていく――そう思い込んだ瞬間、目の前のアマゾネスが一人の女優に思えてきた。
(良し……後は動きを見るだけだ)
「はぁ!」
 こちらが身構えた途端、女は跳躍して攻撃を仕掛ける。構えは右の膝蹴り。喰らった場合は勿論、避けても後のアクションに繋がらない。
(なら……カウンターだ)
 摺り足で右前方へ進みつつ、左の掌底を相手の顎目掛けて突き出す。彼女は両腕を顔の前で交差してそれに応えた。
 肌と肌が乾いた音を立ててぶつかり、左肘から先に重い衝撃が伝わる。痺れも同時に走るが、それに構わず更に前進して彼女を押し飛ばした。
 掌底への防御に全力を注いでいたため、スティルは受け身を取れずに背中を地面にぶつける。痛みに苦しむ顔を冷静に見下ろし、私は次のアクションに移った。
『あ、あれは!』
 スティルを持ち上げて頭上に掲げる私を見て、マイヤーが大声を上げた。
『あれは、『バードマン・フォーリング』でバードマンに葬った大技、背骨砕き! まさか、本当にやってしまうつもりか!?』
 そのままの技の名前に観客が騒然とするが、前途のある少女を背骨への膝蹴りで半身不随にするつもりは無い。このまま地面に叩き付け、しばらく眠ってもらうだけだ。
「恨んでくれるな――」
 全身に力を込めて放り投げようとしたその時、左腕に何かが巻き付く感触が走る。横目で見ると、スティルの腰から伸びる尻尾がしっかりと巻き付いていた。
(しまっ――)
「――はっ!」
 投げられる勢いを利用し、スティルは私の左腕を支点に回転して私の背中に『着地』した。そして尻尾を解くと同時に背中を蹴り、数メートル後方に降り立つ。踏み台にされた私はその衝撃を耐え切れず、地面に顔からぶつかった。
『ここで、まさかまさかの大逆転! どちらが勝つか、私にも予想がつきません!』
「くっ……!」
 口に入った土を唾ごと吐き出す。息をするだけで歯の付け根が痛むが、カメラのレンズが視界に入り、反射的に自身を叱咤激励した。
(次の……次の、アクションに……)
 そう、今は撮影中だ。
 負傷したこちらを気遣いもせず、次のシーンの撮影に移ろうとする監督。アドリブと称してこちらを執拗に足蹴にする糞餓鬼。勝手な都合で脚本を書き換える大物。
 どんな目に遭おうと、どんな連中と一緒でも、好きな演技のために耐えてきたではないか。それを今更――
『おーっと、どうしたことか!?』
 地面を見ていた私の視界の端に、褐色の足が入り込む。いよいよ来るかと身構えていると、急に腋に手を入れられて、抱き上げられるように立たされた。
「よし……ちゃんと立てるようだな」
『勝者の余裕か、それとも未来の夫への気遣いか? スティルは悠然とした足取りで離れて行きます!』
「……どうした? あのまま戦っていたら勝てたぞ?」
「私が戦うのは、お前を倒すためじゃない」
 数メートル離れて再度向き合うと、スティルは私を真っ直ぐ見つめて続けた。
「お前が私の夫だと、皆に納得してもらう。そのためだ」
「……ほう」
 観客を納得させる。奇しくも、お互い似た者同士ということか。
「面白い!」
 顔を庇うように両腕を立て、上体を前に屈める。こちらのクラウチングスタイルに対して彼女も身構えたのを確かめ、摺り足で一気に互いの距離を詰めた。
 手始めに、大振りの右フックを見せ付けるように放つ。すると案の定、相手は優れた動体視力でそれに反応し、私の懐に飛び込んできた。その瞬間こちらも地面を蹴って加速し、左のアッパーを放つ。
 握り締めた拳が顎に命中した瞬間、彼女の身体がのけ反るように宙を舞った。だが、彼女にダメージが無いことは、他ならぬ私が理解していた。
「はっ!」
 カウンターを読んでの跳躍から宙返りし、逆立ちで着地したスティルは両足を揃えて私の腹に蹴りを見舞った。近距離からの一撃だったが、不思議と痛みは感じない。彼女を応援する、アマゾネス達の熱気に当てられたせいだろうか。
(まるで映画だな……)
 皆の期待を背負って戦う少女と、彼女を倒そうとする大男。そのまま映画の一シーンにしても良いぐらいの構図だ。
 問題があるとすれば、このご時世にまた私が悪役を務めることぐらいか。
(ま……それはそれであり、か)
 蹴った勢いで立ち上がったスティルが、二度目の膝蹴りを放ってくる。飛び掛かってくる姿が緩慢に見えるが、こちらは時でも止められたかのように身体が動かない。
(彼女メインで、私が悪役で……戦う理由は――)
 スティルの両手が私の両肩を掴み、抱き寄せるように自身を加速させた。彼女の顔が唇が触れ合う直前、鳩尾に重い衝撃が走る。
(い……いった――)
 思考がまとまらず、塗料をぶつけたように意識が暗転する。
 ただ、後ろに倒れた直後、何かが私の上に倒れるのを確かに感じた。



「あつつ……」
 腹に走る痛みに目を覚ますと、そこはアマゾネスの家だった。
 日は既に沈んでおり、開いた窓から月明かりが差し込んでいる。部屋には何かの果物だろうか、甘い香の匂いが充満していた。
 昨晩私が入れられていた牢とは違うことに気づき、身を起こそうとする。が、目覚めた時以上の激痛が走り、敢なく断念した。
「ここは……」
「目が覚めたか。なかなか起きないから心配したぞ」
 女の声を耳にし、首だけ動かしてそちらに顔を向ける。するとすぐ近くに、昼間私と決闘したアマゾネス、スティルが立っていた。しゃんと二本の脚で立っている姿を見て、記憶のおぼろげな部分が幾らか鮮明になった。
「俺は……負けたのか」
「そうだ。本来ならその場でお前を犯すはずだったが、気絶していたからこうして私の家まで運んでもらった」
 妻の優しさに感謝するが良い、とスティルは近くにあった布を取って顔を拭き始める。が、私にはそれよりも、彼女の顔に残る化粧の方が気になった。
(今まで寝てたような崩れ方だが……看病で疲れたのか?)
「ともかく、決闘で勝った以上、お前は私の夫だ。それは分かっているな?」
 あらかた顔を拭き終えて布を放り捨てた彼女に対し、私はしばらく考えてから頷いた。強引に決められたとはいえ、彼我の実力差をあれだけ見せ付けられたのだ。敗者は勝者に従う以外には無い。
「良し……では、夫婦初めての共同作業といこうじゃないか」
 私の上に跨がるように立つと、スティルは腰蓑の紐を緩めてゆっくりと取り外した。腰蓑の下には何も着けておらず、うっすらと毛の生えた股間がいきなり目に入り、私の男根がズボンを引き裂かんばかりにそそり立った。
「ほう、見ただけで勃起するのか。なかなかの変態だな」
「……ほっといてくれ」
 若い頃彼女ぐらいの若い見た目の娼婦を買っていた記憶が思い出され、思わず口ごもる。そんな私に、スティルは良いさと言って続けた。
「これからは、お前は私のものだからな。そのぐらい元気でないと、妻を支える役目は果たせない」
 慣れた手つきでズボンのファスナーを下ろし、下着の布を掻き分けて私の男根を露出させる。そそり立つそれを見たスティルは唾を飲み込み、ゆっくりと腰を下ろしてきた。
「では……入れるぞ」
「……いや、ちょっと待ってくれ」
「何だ。良いところなのに」
 そう言って唇を尖らせるスティルだったが、夫として、そして男として指摘しなければならないことがあった。
「その……濡らさなくて良いのか?」
「え……?」
 驚いたようにスティルは自分の股間を見下ろすが、日に干したように陰毛は乾いている。このまま男根を入れようものなら、擦れる痛みでお互い苦しむだけだ。
「まあ、君達の風習だと言うんなら、止めるつもりは――」
「き、気づくかどうか試しただけだ!」
 私の気遣いの言葉を遮ると、スティルはその場で股間を弄り始めた。
「ん……」
 頬を赤らめながら女陰の縁を指先でなぞりつつ、時折陰核の根本の肉をそっと摘み上げる。次第に女陰から薄く粘った液体が染み出てき、周りの陰毛が妖しく月の光を反射した。
「これで良し……では、いくぞ」
 ゆっくりと深呼吸をして、スティルは少し腰を上げる。何をするつもりなのかと思っていると、彼女は男根目掛けて勢い良く腰を下ろした。
「ぐっ――」
「っ、くぅうううう……!」
 噛み殺すような悲鳴を上げ、スティルが私の胸板に手をついてくる。がたがたと震える両腕を見て慌てて顔を上げると、彼女の股間から血が垂れていた。
「処女だったのか……」
「ど、どうだ? 気持ち良いだろう?」
「あー……」
 必死になってスティルは聞いてくるが、返答に困る。締め付けは凄いものの、挿入してから彼女が動かないため良く分からないのだ。
 このままでは埒が明かないので、スティルの脚の付け根を押さえてそっと力を入れる。その瞬間、彼女はひゃいと可愛らしく叫んだ。
「な、何をする!?」
「お前が動かないから、こっちから動かしているだけだ」
「私は妻だぞ! 今すぐやめ……って、あ、ひゃっ」
 男根が奥に少し進んだだけで、スティルの背筋がぴんと伸びる。女陰からは大量の愛液が溢れ出ており、少し手に力を加えただけで、滑らかに奥まで入っていった。
「や、やめ、そ、それ以上、は」
 彼女が声を上げる度に膣が締まり、心地良い圧迫が男根を刺激する。最初はじわじわと挿入していたが、しばらくすると締め付けの間隔が何となく掴め、次第に緩んだ瞬間を狙って力を込めるよう切り替えた。
「もっ……もう……」
 根本まで後少しというところで、スティルは逃げるように腰を浮かせ始めた。亀頭を擦る襞の感触で一瞬頭の中が白くなる。
 が、愛液に塗れた竿が外気に触れた途端、急に彼女を手放したくないとの思いが浮かんだ。その衝動に任せ、力いっぱい彼女の腰を押さえ込む。
「いっ!?」
 根本まで勢い良く入れられ、スティルが悲鳴じみた嬌声を上げる。が、私は間髪入れずに彼女の尻に片手をやり、押し込んだ時と同じ勢いで持ち上げた。
「ひっ、あっ、ひゃ、ひゃめて、おれがい」
「悪いが、無理だ。見ただけで勃つような変態なんでね」
 腰と尻に添えた手に交互に力を入れ、スティルの身体を上下させる。その間彼女は必死に抵抗しようとしていたが、男根が出し入れされる快感で力が入らないようだった。
「あ、あ! な、何か、何かくりゅ!」
「わ、私もだ」
 部屋中に漂う香の匂いのせいか、男根への刺激が妙に敏感に感じられる。それでも射精したくなる衝動を必死に堪えていたが、スティルの奥まで男根を沈めた瞬間、彼女の膣が竿全体を締め付けてきた。搾り取るような収縮に耐え切れず、一気に精を放出する。
「うっ……!」
「あああ! 熱い、熱いぃ!」
 突然体内で放たれた精液が彼女の思考を掻き乱し、そのまま絶頂へ導く。産まれて初めての感覚にしばし呆然とするスティルだったが、不意に支えを失ったように倒れ込んできた。
「はあ……はあ……」
「だ、大丈夫か?」
 荒い息に合わせて動く背中をさすりつつ、ゆっくり上半身を起こす。腹に痛みが走るが、彼女の容体の方が心配だった。
 男根を女陰から引き抜き、股の上に彼女を乗せた。頭一つ分はある身長差のせいで、私の胸板にスティルが顔を埋めるような形になる。と、そこで彼女がすすり泣いているのに気がついた。
「ひぐ……やっぱり、私は駄目なんだ……」
「どうした急に。悩みがあるなら言ってくれ」
「いやだ……一人前のアマゾネスに、悩みなんて……」
 駄々をこねる姿に、思わず溜め息を吐く。子供のようだと一瞬思ってしまったが、よくよく考えれば、彼女と私の年齢は親子程離れているのだ。私には駄々に見えても、彼女には切実な問題かもしれない。
「……なあ、スティル。聞いてくれ」
 敢えて目を合わせるような真似はせず、何度も背中を撫でながら話し掛ける。
「お前と私は、その、夫婦だ。会ってから三日と経ってないが、これから何年も何十年も一緒にいることになる。それは分かるな?」
「……ああ」
「だったら、もう少し私を頼ってくれ。アマゾネスとしての誇りがあるのは分かるが、お前に何かあった後にお前の悩みを知るような目には遭いたくないんだ」
「……………………」
 しばらく黙り込んだ末、スティルはそっと私の胸から顔を離した。目を合わせようとはしてこなかったが、彼女の両目に涙が浮かんでいるのが分かった。
「……馬鹿にしないと、約束出来るか?」
「ああ。約束する」
「……その言葉、信じるぞ」
 そう言って、彼女は自分の悩みを少しずつ私に打ち明けていった。
 勇敢なアマゾネスなのに、自分が臆病だということ。
 族長の娘として産まれたせいで、それが余計プレッシャーだったということ。
 そのことで何度も相談したが、誰からも納得のいく答えが返ってこなかったということ。
 見栄と本音の間で揺れ動いているせいか、所々食い違いがあったものの、概ねその三つが骨子だった。
「そうか……辛かったんだな」
「ぐすっ……分かって、くれるのか?」
「勿論だ。私だって、家出同然で俳優になったようなものだ」
 こちらも過去を明かして彼女を慰めるが、具体的な解決策は思い浮かばないでいた。族長の娘である以上、そう簡単に家出を勧めることは出来ないし、かと言って彼女の性格から矯正するような芸当も無理である。
 どうにかして解決出来ないものか。あれこれ考えを巡らせていると、急に昼の決闘での彼女の姿が思い出された。
「そういえば……臆病とか言ってるが、昼間はあんなに勇敢に戦ってたじゃないか」
「あれは、その……その前の晩から準備していたから、何とか出来たことだ」
「準備?」
 問い返す私に、スティルはああ、と前置いてから振り返った。
「あの鏡を見ながら、お前は強いと何度も自分に言い聞かせたんだ。そうやってると、何だか本当に自分が強くなったような気がしてな」
「……自己暗示か」
 彼女の指差す先で手鏡が木の枝に結び付けられているのを見て、私は顎に手を当てた。
 俳優が役になりきるため自分に暗示をかけるのは、私も含めて良く使われている手段だ。だがスティルのような、まるで催眠術にかかったように性格が変わる程の効果を上げた例は前代未聞だった。
 何とか、その特技を活かせないものか。そこまで考えたところで、ある考えが閃いた。
「ああ、こんな話をしてすまない。明日からちゃんと――」
「なあ、スティル……一つ、提案があるんだ」
 訝しげに見つめ返す彼女を見ながら、私はゆっくりと口を開いた。



「おい、まだなのか」
「ちょっと待ってくれよ。この辺りは電波が弱いんだ」
 窓から身を乗り出して急かす族長にそう答えると、マイヤーは屋根にいる男達にアンテナを動かすよう指示した。そして自家用発電機がきちんと動いているのを確かめつつ、族長に話し掛けた。
「それにしても、時間というのはあっという間に流れるね。あの決闘から二年も経ったなんて、ちょっと信じられないよ」
「ああ……最初は心配していたが、あの娘も自分の居場所を見つけられたようで何よりだ」
「今でも、の間違いじゃないのかい?」
 マイヤーのからかいに、族長は微笑みながら彼の頭を小突く。と、家の中でアマゾネスの一人が声を上げた。
「族長! てれびが映りました!」
「分かった。すぐ行くからそのまま待っておれ……マイヤー、出番だ」
「はいはい」
 屋根の上の男達に降りてくるよう伝え、マイヤーは玄関に回る。
 家の中に入ると、村中のアマゾネス達が、夫や娘と共にテレビの前で座って待っていた。彼女達の間を通り抜け、音楽番組を流すテレビの前まで移動する。
「早くっ早くっ」
「ちょっと待っておくれよ」
 うきうきと隣に来た族長をなだめ、チャンネルを切り替える。と、若干色の薄い画面に、何処かの授賞式の会場が映し出された。
『――では、主演女優賞の発表に移らせていただきます』
「よし、間に合った!」
「皆、静かにしておるのだぞ!」
 族長の一喝で、ざわめいていた村人達が一瞬で静まり返る。空気の張り詰めた室内に、司会のセイレーンの声だけが広がった。
『第九十二回主演女優賞に選ばれたのは……『キャプテン・アンジェリカ』のスティル・エインさんです!』
「うぉぉおおおおお!」
 スパンコールのドレスを着たスティルが立ち上がった瞬間、会場とアマゾネス達から盛大な拍手と歓声が上がった。スポットライトを浴びる中、スティルは隣に座っていたビルの腕を引いていそいそと壇上に向かい、係員からマイクを受け取った。
『おめでとうございます! どうか今のお気持ちをお聞かせ下さい』
『とても嬉しいです。ビデオだけ持ってオーディションを受けた時は不安でしたが、こうして晴れの舞台に立てたのは、監督や製作に携わった皆さん、故郷の皆と夫のビルのお陰です』
「おうおう、ちゃっかり惚気おって」
 慣れた様子でスピーチをするスティルに、族長が溜め息を漏らす。
「嬉しいかい?」
「当たり前だ。そなたには悪いが、この世界に来てこんな気持ちになったのは初めてだ」
「たはは……それはちょっとショックだな」
 後頭部をぽりぽり掻きつつ、マイヤーはスティルの映る画面に目を戻す。ちょうど短いスピーチが終わり、記者の一人が質問をしているところだった。
『今回貴女が主演女優賞、エイン氏も同作で助演男優賞という、近年でも類を見ない夫婦でのダブル受賞になりました。やはり、演技力向上のため何か特訓をなさっているのですか?』
『いいえ、特別なことはしていません。ただ演じる登場人物になりきって、撮影に臨んだ。それだけです』
「ふふっ……あの泣き虫が、言うようになったな」
 列席者達を前に物怖じしないスティルを見ながら、族長が呟く。
『なるほど……では、エイン氏も奥様と同じことをなさっているのですか』
『私が?』
 いきなり話をふられて目を丸くするビルであったが、すぐに気を取り直して、スティルから差し出されたマイクを手に取った。
『私は……彼女程器用な役者ではありません。今回の映画も、彼女の推薦が無ければ、エキストラに抜擢すらされなかったでしょう。だから、私は彼女のために精一杯演技に取り組みました。主人公を引き立てるための悪役として、そして――』
 そこで言葉を一旦切ると、ビルはおもむろに隣のスティルを抱き抱えた。驚きながらも満更でもない表情を浮かべるスティルを見て、続ける。
『妻を支える夫として。それが今回の賞に繋がったのなら本望です』
 その言葉でスピーチを締め、壇上を後にする二人に拍手が送られる。式はそのまま次の受賞者の発表に移り、それに伴ってテレビの前にいたアマゾネス達も次第に減っていき、三十分も経つと族長とマイヤーの二人だけになった。
「ちょっとだけしか見れなかったけど……二人とも、幸せそうにしていたね」
「ああ……これでようやく、我々もこの世界に順応出来た」
「……? それは一体、どういう意味だい?」
「そのままの意味だ」
 そっとマイヤーの肩に手を回し、族長は画面の端に映るビルとスティルを見ながら答える。
「この世界へのゲートが開いて我々は集落ごと移住したが、前と変わらぬ暮らしを送っていた……それがこうして、新しい生き方を歩む者が現れるようになった。ここまで時間がかかったのは、きっと私のやり方が古かったせいだろうな……」
「いや……それはちょっと違うと思うな」
 同じように族長の肩に手を回し、テレビを指差しながらマイヤーは続ける。
「君達が前と同じように男狩りをしていなかったら、この村にテレビなんて来なかっただろうし、そもそも僕達の出会いも無かった。あの娘だって、一人前のアマゾネス、ってプレッシャーが無かったら、こうやって称賛されるぐらいの演技なんて出来なかった。どの世界でも、人生なんて何がどう作用するか分からないものだよ」
「なかなか難しいことを言うではないか……だが」
 マイヤーの上に跨がって騎乗位の体勢をとると、族長は互いの息が触れ合う程の距離まで顔を近づけた。
「夫は妻に従うもの……それだけは変えるつもりは無いからな?」
「はいはい。分かっているよ」
 二人の唇が触れ、互いに相手の触感と体温を楽しみ合う。
 誰も見ていない画面には、同じく唇を重ね合うビルとスティルが映っていた。
12/09/22 22:50更新 / 二束三文文士

■作者メッセージ
「スパンコールドレスを着たアマゾネス」というのが頭の中に唐突に浮かび、勢いに任せて書きました。
無駄に長い上に拙い戦闘描写で申し訳ありません。

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