読切小説
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夫婦の日常
この狭い山道は、ひどく歩きづらいものだった。大陸の西の端を南北に伸びる山々の間を強引に突っ切るようにして作られたこの道は、西側の大きな港町と内陸部の都市とを最短距離で結ぶ道であり、勾配こそ激しいものの急ぎの用のある者などを中心に長く利用されてきた道だった。だが数十年前、北部の森林地帯に強力な魔物が棲むようになってからは、ほとんど通る者もなく、ただ荒れていくばかりだと聞いている。もはやこの道を通る人間は自分一人になってしまったのだろうかと、そんなことを考えながらフォルキスはただ黙々と歩いていた。この山に果樹園を持つ彼は、一旦作業を中断し、必要となる資材や道具を取りに自宅へと戻るところだった。
しばらく歩き続け、フォルキスはふと立ち止まった。このめったに人の通ることのない山道の道沿いにある茂みに、男が一人座り込んでいる。いや、座り込んでいるというよりも、あれはどうも姿勢を低くして身構えているような。正直かなり怪しげな男だった。後ろ姿のため顔を見ることはできなかったが、服装を見るに山越えを目的とした旅人のようには思えない。だが、自分以外でこの辺りに住む人間など見たこともない。少し考えた後に声をかけてみることにした。どの道この辺りにまで来れば近くに彼女達がいる、もしなにかあっても対処することができるだろうと、そう考えたからだ。
 
 本当に厄介なことになったと、草の茂みに身をひそめながらアッシュはそう考えていた。自身の営む宿屋の食材を探しに森に入ったところまではいい。そこで怪我をしたジャイアントアントを見つけたところもだ。だが、その後がいけなかった。目もとの傷を診ようと顔を近付けているところを、彼を手伝いに後からきた妻に見つかり妙な誤解をされてしまったのだ。ヤキモチ焼きの彼女は、彼に向けて攻撃魔法を2、3発ぶっ放した後、鬼のような形相で迫ってきた。そりゃ逃げたくもなるものである。おかげで誤解は更にひどくなったかもしれないが、とにかく彼女が少し落ち着くまで待ち、改めて事情を説明して謝ろうと、そう考えていたところで、
「すまない。」 急に後ろから話しかけられた。
「うおっ」 
反射的に振り向いて左側の腰に手を伸ばし、携帯していたショートソードの柄をつかむ。その様子に、声をかけた男は
「ああ、す、すまない。」
両の手を挙げて一歩後ろに下がると、穏やかな笑顔を作り
「座り込んでいるように見えたから具合でも悪いのかと、私はフォルキス。この近くで果樹園を営んでいる者だよ。」
顔以上に穏やかな声でそう話した。
「いや、こちらこそ済まない、俺はアッシュ。実は妻に追われていてな、今捕まると殺されそうなんだ。」
なんとか笑顔をつくりアッシュもそう返す。見たところ三十代前半といったところだろうか。土のついた服に、同じくまだ土がついたままの農具を持つ姿からしても、その男、フォルキスの言葉に嘘はなさそうだった。
 「妻にか、…なら家の小屋に来ないかい。汚い道具小屋だがここよりは安全だと思う。そちらの奥方はもとより、ここの魔物に襲われることがないという点でも。」
 「魔物にか、そう―だな、ありがとう、そうさせてもらおう。」
いきなり見知らぬ者の家に行くのもどうかとも思ったが、アッシュは男の提案をうけることにした。ひどく不用心な行為なのかもしれないが、激怒した妻に比べれば何倍もましなのだ。

 見たところ二十代前半といったところだろうか。短い髪に夏向けの軽装の服を身につけた、街でよく見かける(とはいっても最近訪れたことはあまりないが)青年という印象だった。だが軽装の服の隙間から体のあちらこちらに傷痕が窺がえることからも、やはり違和感を感じてしまう。
 アッシュと供に自らの小屋へと向かいながら、フォルキスは彼の観察を続けていた。体の傷跡や声をかけた時の反応を考えるならば、何らかの戦いの中に身を置いていた者かもしれない。もし、その相手が魔物であったなら。今にして思えば、自分はうかつだったかもしれない。実際あの小屋の床下には、彼女たちの巣穴(自宅)がある。用心深い彼女達ならば、巣穴の場所が見つかるようなことはしないだろうが。まあ、今更後悔しても遅かった。すでに小屋は見えている、今から別の場所に変更しても変に思われるだけだろう。

 フォルキスの案内で小屋にたどり着いて、ようやく一息つけるとアッシュは思った。どうもさっきから、誰かに見られているような気がして落ち着かない。特に後方からは、殺気に満ちた視線を感じるのだ。
「どうぞ。」
「お邪魔しま!?。」
フォルキスに断りつつ扉に手をかけたところで、ズドンという鈍い音をたて、扉に短剣が突き刺さった。
 「へえ、もしかして、そこが彼女の家なのかしら。」
 「レ、レイア!?。」
扉に短剣を投げつけた声の主が、背後の茂みからゆっくりとその姿を現した。頭の両脇でまとめられ途中から複数の蛇に変化したきれいな髪と、鋭いながらもどこか幼さを感じさせる目もと、そして、透き通るよう深く輝く鱗をもった蛇のような下半身。可愛らしさと恐ろしさを(今は)4対6くらいの割合で併せ持っているその姿は、ラミアの上位種である魔物メドゥーサであり、そして間違いなく彼の奥さんだった。
 「さあ、どういうことなのか、きっちりと説明してもらおうじゃないの。」
 「い、いや、あれはですね、彼女の怪我をみようとしてですね…」
 「何が怪我よ、どう見たってキスしようとしてたじゃない。ずっと隠れてああいうことしてたの。今朝も私にお出かけのキスをして出て行って、外ではあの……」
瞳をわずかにうるませながらレイアは猛然と詰め寄ってきた。ヤキモチ焼きの彼女にとっては本当にショックな出来事だったのだろう。ただ、彼女と結ばれてからはこういったことは何度も経験してきたことである。あせらずに根気よく説明を続ければ彼女もきっと分かってくれる。
 「まて、レイア。今朝のことは、本当に誤解なんだ。頼む、話を聞いてくれ。」
 「だって、無理よ。あんなとこ見せられたのに、あたしは、もう…。」
目に涙を溜めてうつむくレイア。アッシュは彼女を抱きよせ、
 「今日みたいなこと、今まで結構あったよな。今回もそうだってなんとか証明してみせる。それでもまだ信じられないなら、俺をひと思いに絞め殺せばいい。」
 「本当に、本当なのよね。もし嘘だったら、本当に絞め殺すからね。」
 「ああ、かまわない。」
そう言って、アッシュは強く彼女を抱きしめる。その時だった。
 「おかえり、おとーさーん。」
 「おわっ。」
突然背後の扉から飛び出してきた何かが、アッシュの背中に飛びついてきた。見ればまだ幼いジャイアントアントの子供だ。誰かと間違えたのだろうか、その子は彼の顔を見たとたんに、ひどく驚いた様子で背中から飛びのき、
 「もういい。」
 「え?」
冷たく吐き捨てるような言葉と共に、レイアは自らの尾をあっという間に彼の体に巻き付けると
「そうやって騙してきたんだ。あたしのこと、ずっと。それなら、もういい、こんな仕打ちうけるくらいなら、この手で永遠にあたしのものにする。」
 「ま、まてレイア、ほんとに誤解んぎゃああああ。」
すさまじい力で締め付け始めた。
 「まずい。」
遠巻きに二人の様子をうかがっていたフォルキスがレイアの背後へと駆け寄り、手にしていた農具の柄を彼女の首筋へと振り下ろす。おそらくは彼女をひるませるか気絶させるかしてアッシュを助けようとしたのだろう。それに気づいたレイアは腰に下げていた短剣を抜き取り、すばやく農具の柄に叩きつけた。木製の柄は半ば折られるような形で弾き飛ばされる。
 「邪魔をしないで。」
その言葉と共にレイアの目かかすかに光った。それは目を合わせた者の動きを封じるメドゥーサの技。まともにそれを受けたフォルキスに、もはや動くことは敵わない。
 「そうしてて、もうしばらく。」
レイアが両手でフォルキスの顔をつかみ、再び目を合わせる。二度と邪魔をされることがないよう念入りに動きを封じるつもりなのだろう。だが小屋の中から飛んできた角材がそうする事を許さなかった。
 「その人をはなして。」
 「誰?」
器用に体をひねり飛んできた角材をかわしつつレイアは声の主をにらみつける。未だに巻きつかれたままのアッシュも小屋の中へと目を向けた。
 そこには一人のジャイアントアントがいた。小柄なアント種としては割と背が高い方だろうか。それが背中まで届く長い髪と合わさり、どことなく大人びた雰囲気がある。そして手には、並の男では到底扱うことのできぬような長大なつるはしが握られていた。彼女はそれをレイアに向けると
 「私の夫に、手を出すことは許さない。」
そう告げた。夫、二人しか男がいないこの状況から考えても、フォルキスこそがそうなのだろう。少なくともアッシュには覚えがない。ただ、激昂し冷静さを欠いたレイアに、そう判断するのは難しかった。
 「じゃあアンタが、なにが夫よ。あたしから彼を奪い取ったくせに。」
その言葉と共に、手に取った杖に自らの魔力を注ぎ込む。彼女の手より流し込まれた強力な力は、枝を伝わる雫のように杖の先端へと伝わり、濃さを増しながら大きくふくらむ。そしてその身を縮ませ、爆ぜるように燃え上がると大きな火球へと姿を変えた。レイアはためらうことなく、それをアント種の女性へと投げつける。
 対するアント種の女性は小屋の奥へと飛びのき、手にしたつるはしを近くの大きな木箱へひっかけ、飛んでくる火球に投げ飛ばした。それらは彼女の手前でぶつかり合い爆発する。その炎と煙をくぐるように、低い姿勢でレイアが這い寄りすばやく短剣を振り上げる。それをつるはしの柄ではらった彼女は、その怪力でつるはしをレイアに振り下ろしてこう叫んだ。
 「皆、おさえて。」
その言葉に合わせ、小屋の床に空いた穴や窓から複数のジャイアントアントが現れ、レイアの体に取り付いた。つるはしを受け止めるために隙のできたレイアは、成すすべなく取り押さえられる。
 「ありがとう、そちらはお願い。」
それを見届けた彼女は、いまだ固まったままのフォルキスに歩み寄り
 「お疲れ様です、あなた。」 
やわらかな笑顔で言葉をかけた。
 「あ、ありが、とうサ、ラ。助かっ。」
フォルキスも答えようとするがまだ舌が動かないらしい。途中で話すのをやめ、満面の笑顔でごまかした。
 「じゃあ、帰りましょうか。あなたにも、後でがんばってもらわないと。」
 「?」
 「今日は、とても疲れたから。」
 「ああ、そういうこと、か。」
 「ええ、そういうこと。疲れると、わたしたちはね。」
苦笑するフォルキスを彼女は軽々と抱えて巣穴に入り、それに続いて他のアント達が、取り押さえたレイアと、彼女に巻きつかれたままのアッシュをつれて巣穴へと入っていった。

それから一時間後、
 「紹介します。彼女がサラ、私の家内です。そして彼女たちが皆、私たちの娘になります。」
 「よろしくお願いします、レイアさん、アッシュさん。みんなも、自己紹介。」
フォルキスの自宅(巣穴?)の茶の間にて、彼らはテーブルをはさんでそれぞれ椅子に腰かけている。フォルキス達の後ろには、三十数名いる彼らの娘たちが整列して各々の自己紹介を済ませていく。
 「よろしく。俺はアッシュ、ここの北にある街道で宿屋をやってます。そして、こっちが妻のレイアです。」
 「よろしくお願いします。今日はあたしのせいでご迷惑を…。」
アッシュと共に頭を下げるレイア。ちなみに、未だアッシュに巻きついたままである。ただ、もう誤解は完全に解けたようで、頭の蛇たちがアッシュに頬ずりしたり、じゃれるように耳たぶをかんだりしている様子からもそれが窺がえる。
 あの騒動の後、取り押さえられたレイアに皆で事情を説明し何とか誤解を解くことができた。アッシュの助けたジャイアントアントが、偶然にもフォルキスの娘だったということも幸運だったのだろう。そして今、茶の間で軽い昼食をとりつつ、それぞれの自己紹介を済ませていた。
 「気にしないでください、レイアさん。こちらも娘を助けていただいたのですし、それにお食事の用意までしていただいて。」
 「いえ、これくらいじゃお詫びにもなりません。宿屋でも、いつもやっていることですから。」
サラの言葉に、苦笑いしつつ答えるレイア。だが、量こそ多いものの種類の少ないフォルキス邸の食糧貯蔵庫の材料で、人数分のバリエーションに富んだ料理をつくるのだからすさまじい。しかも、アッシュを巻いたままで。これも、取り押さえられた後、勘違いしたフォルキスの娘たちに、しばらくの間食糧貯蔵庫にしまわれてその中身を把握できたおかげだろうか。サラが気付いてくれて本当に良かった。
 「それでな、レイア。こう巻かれたままだと、俺は飯を食えないんだが。」
 「そう、それは困ったわね。」
 「いや、そうじゃなくてだな…。」
困ったような顔をするアッシュだが、レイアは意地悪く笑って離さない。その様子を見ていた一人の娘が
 「よろしければこれを。」
アッシュにフォークにさした料理を差し出した。
 「お、ありがとう。うん、おいしんぎゃあああ。」
笑顔でそれを食べさせてもらう彼。当然レイアに締め上げられる。その様子を見ていた一番幼い娘が
 「はい、どうぞー。」
隣にあった椅子をよじ登り、同じように料理を差し出した。
 「おお、ありがとう。うん、おいしい。」
 「フン。」
 「まて、これは違うぎゃあああ。」
笑顔で食べさせてもらいまた同じく締め上げられるアッシュ。結局彼は、帰る時まで巻きつかれたままだった。きっと後でがんばらないといけないのだろう。それはフォルキスも同じことだ。
 こうして騒動も終了し、彼ら二組の夫婦の日々は日常へと戻っていく。唯一今までと違うのは、北の街道沿いの宿屋に、団体のお客さんが増えたことだろうか。


10/05/28 19:59更新 / とき鯖

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