読切小説
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松後屋番頭帖(序)



 《商場知行制》というものを知っているだろうか。
 ジパングでは《侍》と呼ばれる支配者階級の人間が土地を治めて、税を取ることで自治体を運営しているのだが、その税は多くが穀物や布類という形で取りたてられている。
 土地によっては田畑を作りづらいこともあり、そういう場合には人頭税として肉体労働を住民に課すこともあった。
 しかし、ところによってはそれらの税のとりかたのどれもが不可能な場合も存在するのである。そういう場合に用いる手段の一つとして、ジパングには商業知行制という制度が存在するのだ。細かい部分を端折って言えば、一般の商人を追い出して、領地で商売を行って良いのは侍に限り、それぞれに割り振られた商店の数が、店員の腕による誤差はあれど、おおよそ侍の給金そのものを意味する形だ。
 そういうと、では誰が侍の商店と物を売り買いするのか、と思われるかもしれないが、それがこの《松後藩》の商業知行制の変わったところである。

「はい、それじゃあ、ジョロウグモの糸が二貫(約7.5kg)で米五俵(約300kg)と交換ね。台車と丁稚を回しますから、ちょっと待っててください」
「本当に、この度はありがとうございます」
「いえ、こちらこそ良い取引きをさせてもらいました。ありがとうございます」

 《足軽》の《小林小次郎》はこの土地で侍から、《松後屋》という卸問屋の番頭の仕事を任されている。需要が高い米や保存が利く食料品などを外の商人から買い入れて、もっぱらこの土地で物々交換でもって商いをしているのだが……。

「でも、その、なにかお礼を……。よろしければ、うちでお酒でも――」
「小糸さん。貴女の噂は常々うかがっております。曰く、去年は十人の男の精を吸いつくされたとか。新年早々に一人吸い潰して、退屈されているとも」
「あらやだ。誰がそんなことを?」
「うちはお客が多いですから、よく思い出せませんね。ですが、小糸さんが次来たときには思い出しているかも……」
「もう、これだから商人はとっつきづらいのよね。愛想はいいのにそっけなくて」

 「また来るから、次は思い出していてね」と言って台車を引く丁稚をつれて帰る客の後姿は、六本の脚がせわしなく蠢く見紛うことのない《ジョロウグモ》のソレである。
 しかし、それも当然のことだ。この領地に人間はほとんど住んではいない。山紫水明のこの土地にはもっぱら魔物の類ばかりが住んでいて、里などを作っているのだ。
 侍が治めているといっても、それはあくまで外から見た様子に過ぎず、実際には魔物達が一部の人間と物々交換をしながら好き勝手に暮らしているばかり。それでもこの土地が侍の領地として認められているのは、そこからもたらされる人間側への利益が莫大であることと、この領地に魔物達が好んで住み着き、比較的おとなしい様子であるからだ。
 もっとも、おとなしい魔物などこの世に存在するはずもないのだが……。

「さぁて、今日の俺の店番は午前で終わりなんだが……」

 小次郎は意識せず丸まっていた背を伸ばして、んっと腕も軽く一伸びさせる。
 今日は販路の拡大を狙って領地の外に出かけようと思っていた。
 外と言っても侍の領地の側ではなく、全く侍の力が及ばない魔物達の領域のことである。
 小次郎はわずか二十四歳にしてこの店の《番頭》を任されるところにまでなったのだが、それからの経験はまだようやっと四年というところである。しかし、そのような抜擢を受けるからには相応の成果を出さなくてはならず、また、それだけ期待されているというのは小次郎にも更なる出世、本物の侍となってこの土地で自分の店を持てる可能性があるということで、常日頃から新しい商売のことを考えないわけにはいかなかった。
 だから、去年には新しく移り住んできたらしい《ドワーフ》という異国の魔物に詳しい者を探して《手代》として雇ってみたりして、今日もそちらの様子を見に行こうと思っていたのだが、どうも今日は店の様子がおかしい。
 いつもなら三年前に雇い入れた重蔵という手代が呼ばれなくともやってくるのに、壁にかけたドワーフ製の時計が正午を半刻(1時間)ほど過ぎてもまるで音沙汰がない。

「おーい、重蔵を知らないか?」

 小次郎は通りかかった《丁稚》に重蔵のことを尋ねてみる。

「今朝《アカオニ》さんの酒蔵に行くって、出て行ったきりでさ」
「それは俺も見たが、それきりか」
「へぇ、それきりです」

 これは少しばかりまずいことになったかもしれないと、小次郎は番台から立ち上がると丁稚に蔵から《さすまた》を持ってくるように言った。それから数人、上背と力がある丁稚を呼んでくるように言って、店の外には外出中の札を出し、残りの者は店で待っているように言いつける。

「何事もなけりゃいいんだが……」

 重蔵は今年で三十五になった、店で一番の年長だ。
 人間の側の商店で二十五歳で暖簾分けされ、それから十年も商売一筋で生きてきたという、小次郎にとってみれば自分の先を行く先輩である。その腕も確かで、若輩の小次郎が店を守っていくうえでは欠かすことができない稼ぎ頭の一人なのだ。
 それほど優秀な商人がどうしてこのような魔物相手の店で働いているのかは、なにか事情があってのことだと、誰にでも想像がつくだろう。
 そして、そんな事情を抱えた人間を雇い入れる店も、事情というものがある。
 例えば、この店では年に三十人は店員が入れ替わる。仕事が辛いというのもあるのかもしれないが、それよりもやはり問題なのは土地柄だろう。外で仕事が見つからず、追い出されるようにやってきた農民の次男坊などを丁稚として迎え入れても、幼いがゆえに魔物の誘いに乗ってしまい、そのまま行方知れずということが後を絶たないのだ。その結果として、店はいつでも人手不足だ。
 もちろん、手代や番頭とて例外ではない。小次郎の前の番頭は寺の坊主のように禁欲的で誠実な人間だったのだが、あるとき商売相手のはずの《カラステング》と仲睦まじい様子で現れて、そのまま山奥に消えてしまった。年齢は重蔵よりも若く、まだ商人としてはこれからという時期だったのだが……。

「とにかく、重蔵は手放せん」

 アカオニは豪気な性格で、気に入った人間にはそれほど悪さは働かないという。
 実際、小次郎の店でも力仕事を担当する者があまりに足りなくなったときには、頭を下げて手伝ってもらうこともある。重蔵のおかげでもあるのだが、最近は近隣のアカオニとの関係はとても良好で、手伝いの代償も人間の常識の範囲内で収まっており、彼女らには足を向けて眠れないほど感謝している。
 しかし、小次郎は思う。
 それでも魔物は魔物なのだ。彼女らは生まれついて人間の男を誘う魔力を備えている。それに商人として抗うことはよほどの精神力でなければ難しく、それにアカオニのような力ずくでの支配が加われば折れてしまうのは時間の問題だ。
 折れてしまえば、少しでも愛情を感じてしまえば、もう冷静に商売相手として見ることなどできるはずもない。そして、代えの利く丁稚ではない、稼ぎ頭の手代を失ったとなれば、それは番頭である小次郎の責任になる。
 小次郎に番頭を任せている侍も良い気はしないだろう。出世には確実に響いてくる。
 小次郎は数人の丁稚がさすまたを持って集まったところで、先頭をきって走り出した。そして店から四町(約440m)ほど行ったところにある、アカオニ達の酒蔵の前に立って門を叩き、声を張り上げる。

「たのもー!!」

 アカオニは耳がよく、すぐに一人のアカオニが門を開けてくれた。
 身の丈六尺(約180cm)を軽く越す大柄な女に、思わず身が引ける気がしたが、小次郎は押しのけるように声を張った。

「松後屋の者だ。うちの重蔵を返してもらおう」
「悪いけど、今は出来ないね。女と男二人きりで大事な話をしているところだよ」

 やはり。
 小次郎は背筋が寒くなる思いだった。

「アカオニは普通の女ではないだろう。重蔵一人で背負わせるには荷が勝ちすぎだ」
「問答するのも面倒だ。通りたいならあたしを押しのけて行きな」

 だが、声ではアカオニは動かない。
 そうなれば人間は本来は知恵でもってアカオニを倒さなくてはいけないことになるのだが……。

「わかった!押し通る!!」

 そのような知恵が回るほど利口な人間ばかりの店であれば、いかに重蔵が優秀でもアカオニと良好な関係を持てるはずもない。アカオニが気にかけて世話を焼きたがる輩が多い店といえば、どんな空気の店なのかは分かるというものだ。
 さすまたを構えて突進する小次郎を皮切りに、丁稚達もその手のさすまたを持ってアカオニに殺到する。
 もちろん軽く振り払われて、大の男が何人もまとめて吹っ飛ぶのだが、すぐに起き上がってまた雄たけびと共に突進を始める。
 二度三度、四回五回と繰り返して、いいかげんアカオニの方も捌き方が分かってきたらしく、邪魔なさすまたを突き立てる前にどうにかしてしまおうと、突進してきた一人二人のさすまたの先を掴んで奪い取ってしまった。奪い取られたさすまたは小枝のように折られて、そこらに捨てられてしまう。

「おおおおっ!」

 小次郎もそれは見ていたが、構わずさすまたを持って突進する。

「懲りないねぇ……っ!?」

 小次郎の突進に合わせて、さすまたを奪われた丁稚がアカオニの横に身体をねじ込もうと飛び出す。
 生身の突進にはあまり雑なことはできないと思ったのか、何度も受けたさすまたの突進には気を配らずとも問題無いと思ったのか、アカオニは自分の横を通り抜けようとする丁稚を捕まえようと巨躯を屈めて軽く足を踏み出すのだが……。

「御免!」

 小次郎はさすまたを捨てて、代わりにアカオニの角を捕まえた。丁稚を捕まえようと身を屈めていたアカオニは、慌てて身体を起こそうとするが既に身体の下にもぐりこんだ小次郎がその腹を蹴り上げており、アカオニの足は地面に満足に触れられず、土を抉りながら宙を蹴る。
 小次郎渾身の巴投げである。

「今だ、行け!!」

 宙に浮いたアカオニの身体はそのまま小次郎に角を引っ張られるがままにひっくり返って、天を仰ぐ。
 門番が退いたその瞬間、丁稚達は酒蔵の中に躍り込んでいった。

「やっと一人か……」
「いや、裏口やら窓やらを一人ずつで守ることになってたから、うちの仲間はもう間に合わないだろうさ」
「そうかい。そりゃ有難い」

 すぐに身を起して丁稚達の後を追おうと思っていたところ、その必要がないと分かって小次郎はホッとする。十六歳のときに店で働き始めて、その年のうちに丁稚から手代に取りたてられ、久しく身体を動かしていなかったから投げ飛ばされても受け身が上手くいかず、身体のあちこちが痛くて仕方がなかった。
 アカオニの方がさっさと身を起して土を払っているから、小次郎の方もなんとか身体だけは起こすが、満足に動ける気はしない。

「とにかく、重蔵は返してもらうぞ」
「なんだいその勝ち誇った顔は。生意気な……」

 しかし、小次郎は今回ばかりは身体を痛めつけた甲斐があったと、満ち足りた気分であった。

「そりゃあ、餓鬼の頃に道場で身につけた一芸がこんな花舞台で披露できたんだから、嬉しくないはずがない。重蔵が帰って来たときには小躍りだって、ってなもんだ」
「そりゃどうだろうね」
「ん、それはどういう――」
「小次郎さん!」

 が、戻ってきた丁稚の声が再び小次郎に嫌な空気を運んで来る。
 何があったか聞きたくないのだが、聞かないわけにもいかない。

「どうした?あの重蔵がもう骨抜きにされていたとは言うまい」
「それが、その………………その通りで……」

 丁稚の気まずそうな顔からわかっていたことだが、それには「そうか」としか言葉は返せなかった。
 それからはただ黙って頭を抱えるしかない。

「ほらな」
「黙っていてくれませんか、《桃生》の姐さん」
「おぉ?急に腰が低くなったじゃないか」
「お願いだから、黙って……」

 泣きたい気分に突き落とされたが、それからしばらく、戻ってくる丁稚達が誰も彼も「あれはもう無理だ」と言うのを聞いて、実際に気力を振り絞って様子を見に行って、「あぁ、無理だな」と小次郎自身が納得して、重蔵はそのままアカオニ達の蔵に置いて行くことになった。
 ただ、アカオニは商売は今までどおりに松後屋相手に続けてくれるということで、さらに重蔵を骨抜きにしたアカオニは近いうちに彼を連れて故郷に帰るつもりらしく、取引相手が無くならず、敵方に元身内の商人が回ってしまうことが避けられて、これは不幸中の幸いだと小次郎は心の底から安堵するのだった。
 また、一部のアカオニは真正面から桃生に挑んでそれを投げ飛ばして退けた小次郎を気に入って、稼ぎ頭を奪ってしまった償いも含めて、魔物の領域の奥深くまで出かける際には護衛として働いてやると約束までしてくれた。人間の感情を無視して考えれば、重蔵とアカオニ複数名を物々交換したということで、それほど悪い取引きではなかったのかもしれない。アカオニを投げ飛ばしたことを公言できるのであれば、小次郎が足軽から本物の侍として取りたてられる道を目指すのに役立つこともあるだろう。
 だが……。
 桃生は言う。
 小次郎は思う。

「まぁ、商人の割には見どころのある奴だしな……。魔物の土地であたしみたいなのに守ってもらえるなんて、ありがたく思いなよ」

 先代の番頭の相方はカラステングだったが……、と。

11/01/14 09:19更新 / 丁稚ようかん

■作者メッセージ
はじめまして、初めて投稿させていただく、丁稚ようかんと申します。
これからポツリポツリとエロありも含めて投稿しつつ、物書きとしての腕を磨いていきたいと思いますので、ここで書いている方も読むのが好きなだけの方もよろしくおねがいします。
まだ序章しか書けておりませんが、文章の敲きや感想などを頂ければ大変ありがたいです。
では、また。

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