■タイトル:聖夜録 ■作者:さかまたオルカ -------------------------------------本文------------------------------------- AM_04:00

仕事人の朝は早い。
しかしながら低血圧気味の男は、普段から早朝起床を不得手としている節がある。
したがって、「ちょっと、もう時間だよ」と、白いものが男を起こす。
そもそも冬の朝である。
白夜でもない地域のため、未だ暗い。
その暗闇の中での目覚めと同時、男は時期の到来に軽く後悔する。
時節の過ぎ様は酷く、この年であった様々な事象や情勢が思い起こされる。
また、この記憶を振り返ったときは経過した時間の程にいささか驚くところでもある。
男は中身の潰れた羽毛布団を剥ぎ取り、木組みの寝台から転げ落ちるように離れた。
寝台の脚の一部が腐り始めているため、買い替えを検討しなければなるまい。
余計ながら必要な家計を唸りつつ手洗い場に立ち、水で顔を洗い、口を漱ごうとする。
だが蛇口からは何も出ない。
そういえばと、昨晩に水道の元栓から水抜き行っていない事を思い出す。
頭を掻いて頭垢を散らし、目脂を取った。

「あ゙ー」

男は重い足取りで居間に向かう。
火の小さくなっていた薪ストーブから灰を掻き出し、古い新聞紙と薪を投入した。
そして椅子に掛かっていた厚手のコートを寝巻きのまま羽織り、裏口に行く。
一枚石でできた裏口床には、屋外から凍結が侵食していた。
嘆息しながら毛皮で温もりのある長靴を履き、そのまま外に出た。
外に出ると、まず寒風が顔にぶち当たる。
一つ大きく身を震わすと、裏口横で逆さまになっている桶を持つ。
手に痺れが渡るほど桶は冷たく、男は一瞬だけ桶を睨んだ。
不意に馬車の音が近くからして顔を上げたが、鳥以外の生き物は見えない。
肩を落としてそのまま歩き、井戸の木蓋を開ける。
木の板に金具で番状にされた蓋が、立体的にずれ動く。
蓋上にあった雪の小さな塊が、明るみの少ない井戸の中に落ちていった。
井戸の底からは、まだ外気よりも温かそうな雰囲気が漂っている。
無言で見つめた後はただ井戸梁のロープを下ろす。
ほんの少しだけ、温く感じてしまう井戸水を汲み出す。


「遅かったね」

居間にある専用の椅子の上でぱたぱた足を揺らす白いものが、男を見て笑う。
その息は未だに白い。
この部屋がまだ充分に暖まっていない事を指すに都合のいい室内温度計だ。
しかし白い息を吐きながらにして、当のものは全く寒そうに見えない。
恐らく体温管理が人間と違う機構なのだろう。
推察する程度で、男はそれを特に取り留めないことであると片付ける。

「ふうん、雪降ってるんだ」

白いものが男の頭の上を見て笑う。
このいじらしく笑う顔は、何か良からぬことを企んでいる様な表情に思える。
少しだけ頭上に積もって居た雪を振り払いながら、男は両肩を大きく震わせた。
男は極冷水の入った桶を台所に持っていく。
棚からケトルを出し、その桶の内のいくらかを入れてストーブの上まで持ってくる。
歯をかちかちと鳴らす男はそのままストーブの前に座り込み、震える手をかざす。
顔も髪も濡れきっているのは、外で顔などを洗っていたためだろう。
効率の悪い男であった。

「今晩の準備はいいの?」
「...いいんじゃないかな」
「いいい」

歯切れの悪い男の答えに不満を持ったらしい白いものが、足を揺らしつつ奇声を上げる。

「にこちゃんもっといい人選んでくれると思ったんだけどなあ」
「名前はちゃんと言えよ。御郷が知れるぞ」
「いいいいいのだああああ」
「おまえそれでホントに天使かよ」
「にえへへえ」
「何で笑うんだそこで」

しかも妙に気味の悪い。
男は白いものに一瞥を与えると、再びストーブに向き直る。
それからしばらくして木張りの居間が暖かくなった頃。
ストーブ上のケトルから蒸気を察知した男は、鈍間な動作で立ち上がった。
顔が熱を持って若干赤くなり、体感的にもひりついている。
ケトルの木製の取っ手を布巾と一緒に握り、テーブルに置いたポッドにお湯を入れる。
茶色の粉を袋から取り出し、匙で数杯ポッドに入れてかき混ぜる。
そしてその匙で、のんびり中身をかき回す。
白いものは男の動きから、足を再びぱたぱたと振った。
しばらくしてから男は2つのマグカップを引っ張り出して、それにポッドの中身を注ぐ。

「ほれ」

男は白いものの座る椅子の近くにまで、ひとつマグカップを寄せた。
白いものがマグカップを見る。
くるくると白い気泡の群れが未だに暗い居間の中で回転している。
そして立ち上るのは薬に似た匂い。

「ふーっ、ふーっ」

白いものはマグカップを手に持って息を吹きかけ、少しだけ口に含む。
少量を舌に乗せる程度の恐る恐るとした動きだった。
男は白いものから目を逸らす。

「ぶええ」

変な声を上げる白いものは、テーブル隅のトレイ上に集まる粉箱を引き寄せる。
そしてその中身を、茶色の粉に使ったものより大きな匙を用いてマグカップに入れまくる。
その動きの早い事。
どれだけ白いものが苦味に対して文字通り苦難しているかが伺える。
男は背後で展開される寸劇を見ず、口元だけで笑う。
白いものがマグカップを啜る音がする。

「ぶべえ」

男は目を閉じて勝ち誇る。
テーブルの上にある粉箱には、中身が砂糖のものなど無い。
そんな高価なものを買う経済など、この家には無い。
文句ばかり普段から垂れやがる報いを受けろ。
誇ってしばらくして、男はため息をつく。
そのまま白いものに向き直ると、緑色に染め始めそうな顔と目が合った。
既に涙が零れており、口の端からも涎が垂れていた。
無邪気な顔に癒される人間も居るであろうが、男にとっては汚らしく思えた。

「どした」
「ここあまずいんだけど」
「妙に聞き取りにくい言い方するなよ」
「ココア美味しくないんだけど!」
「...近所迷惑だから朝に騒ぐな」

男は肩を落としながら白いものが手をつけたマグカップを引き取る。
そして、ストーブ脇において溶かしていた残りの少ない蜂蜜の瓶を白いものに渡した。
白いものはやったと顔を明るくさせてそれを受け取った。
そして、男の元から引き寄せた新しいマグカップに黄金色を垂らす。
嬉々とした姿を見た男は、白いものの放棄したマグカップを啜る。
大量の塩が入った、甘味料ゼロのココアが口の中に広がった。
加えて小麦粉も入っているので舌触りまで胸糞悪い。
確かに騒ぎたくなるぐらいのインパクトはある。
慌てて粉箱を引っ張り出して、塩なり小麦粉なりを大量に投入したのだろう。
しかし複数の粉を無駄遣いするあたりは、焦りも大概にしろと言いたくなった。
だが、そんな文句が口から出るよりも先に。
男の右目の隈が痙攣した。


AM_11:20

朝から昼過ぎにかけて、男と白いものは住居に隣接する倉庫で業に取り掛かる。
夜が本職の舞台となる男の最後の準備である。
白く大きな袋の中と、それに符合するメモとの合判を確認する。
そして口をゆるく紐で縛り、本の中に取り込んでいく。
そんな単調な作業を続けていた昼頃に、白いものは露骨に嫌そうな顔をした。

「うへえ。また絨毯に乗るの?」

心底面倒臭げに、聴き間違いを願って訊ねる。

「そうだ」

簡潔に男は言い放つ。
毅然とした態度は曲げる場所をどこにも持っていないかのような潔白振りであった。

「去年だって袋落としたじゃん。やっぱ先代みたくソリに乗ろうよ」
「トナカイ飼えるほど裕福ならな」
「ぐげえ」

白いものは大げさに、苦いものを噛んだ様に舌を出す。

「それで取りに行くこっちの身にもなってよ。
 日が日ながらというか、こんな日に限って手厚い奉仕受けちゃうんだから」

さほど悪い気はしないらしく、誇らしそうに白いものは照れた。
仕事の邪魔をされていて喜ぶあたりがいただけないが、解らぬ心情でもない。
男は理解を示していたが、しかし苦労をわざわざ増やしはしない。

「せいぜい早く逃げとけ」
「冷たい」
「おまえ笑ってたけど今朝は本当に、これ以上に冷たかったんだぞ。主におまえが」
「ねちっこい」
「おまえなあ…」
「おまえおまえうるさいなあ。あたしそんな名前じゃないし」
「いや名前覚えるの苦手で」
「ひどい」
「冗談」
「ならあたしの名前言ってみてよ」

白いものは男を見据える。
男は視線を感じたのだろうか、目を逸らして無言を貫いた。
次第に白いものは顔を赤くして体を震わせ、大きな声で男を罵倒した。


PM_03:00

魔力の供給。
精力の増強。
おやつのドーナツを食べながら、3回に渡る攻守交替の遊戯。
それがあまりに激しすぎたせいか、白いものは途中でドーナツを吐いた。
部屋を換気したため、温まった空気の台無し具合に男が不貞腐れた。
不貞腐れついでにふたりで一緒にベッドで包まって眠った。


PM_05:48

眠りすぎてしまったことに男は後悔する。
掛け時計を見た瞬間に寝ぼけはすぐさま覚醒し、跳ねろうように上体を起こした。
部屋の寒さをさておいて、まずは隣で未だ眠る白いものを叩いた。
割と乱暴に扱ったのは、気持ちよさそうに寝ている様に腹がたったためでもある。
それでも白いものは眠ったまま起きる様子が見えない。
だが柔かい脇腹に指で小突くと、白いものは大層驚いて飛び起きる。
男は昼過ぎの攻め時にもここを小突いて気持ちのいい思いをしていた。
締まりが良くなる上に、真っ赤になるその反応が面白かった。
しかし、小突きすぎたゆえに色々吐かれて色々浴びていた。
男は経験に則って、流石に慎重な行動を見せていた。
今は吐くほどまでに達する強さで小突いていない。
優しさとは違う手加減を白いものに施していた。

「遅刻だ起きろ」

無言から突然出た言葉そのものに、白いものは反応して体をぴくり震わせた。
その目は未だ強く瞑っている状態であるが、その眉間には皺の寄りが見えない。
その額に指を四本束ねてはじく。

「ひょぎぇ」

変な声を出して目を瞬いた。

「んむい、もう時間かえ」

白いものは左手を猫のように丸めて丸い目をこすり、右手で男の腕をとって頬をこする。
そして幼い口から出でた涎とその跡を男になすりつけていた。
透明な蜜の糸が男の腕を降りてゆくが、男は特に気にしなかった。
もっとひどいものを浴びていることに比ぶれば、きっともう何も怖くない。
はたいた事で若干赤みを帯びている額を見ながら、男は白いものに言い放つ。

「もう18時だ」

白いものが目を見開き、勢いあまって男の腕にかじりつく。

「痛っ」

男の小さなリアクションを気にとめる様子も無く、白いものは外を見る。
その暗さは男の朝起きた頃と同じ色である。
あまりの体感時間と現実の相違に驚きつつ、男の表情を伺う。
そのどこか冷たい表情から、男が真実を言っている事を理解する。
男も外を見るが、既に照る外灯の周りには細かなものが散っている。
白いものに再び見直ると、綺麗に青ざめていた。

「どうしよう」
「今日はやめるか」
「え」

白いものが綺麗に白くなっていく。
血の気の失せ様の半端無さに男は内心吹きそうになった。

「別に俺は困らないけど」
「あたしが困る」
「だろうよ」
「あたしが怒られる」
「...はあ」

男は仕方なしと外気によって寒くなりつつある布団の外へ転がり抜ける。
段差を転がった勢いで立ち上がり、深呼吸を一回行った。
それからの行動は早いものである。
壁に掛けてあった真っ赤な防寒着の下を一気に穿きあげる。
更に大きい同色で厚手の外着を羽織り、上着ごと黒いベルトで腹を締める。
そしてその懐に、晩飯や飲料や暖を取るものなどを詰め込んだ。
また、白毛の防寒マスクを口元と頭にとりつけて固定する。
その上から、机の上から取った尖がり帽子を被る。
シルエットはさしずめでっぷりと肥えた腹をもつ老人である。
慣れた動作でここまで形作る衣装は、全て肩書き初代とその後の逸話に基づいている。
男は代を変えてまで続く、いわゆる人の夢のひとつであった。

「急いで出るぞ」
「やっぱ絨毯なの」
「当たり前だ」

男と白いものは急いで隣の倉庫にまで走る。
陣を書き連ねた本を数冊まとめて革のベルトを巻く。
白いものは絨毯の上にうつ伏せに寝転がった。
更に寝転がったまま足をばたつかせる。
男は白いものの背に本を落とす。
そして急な重みから変な声を上げる白いものの脇に座る。

「出発するぞ」
「痛い」

未だに文句を垂れていた白いものの鼻を摘む。

「いひゃい」

男は手を離す。
少し強めに摘んでいたせいだろう、鼻は赤く染まっていた。
若干だけ白いものを哀れんで、しかし謝らずにそのふわついた頭を撫でる。

「返事は」

撫でながら、男は硬い声で呼びかける。
白いものは男の顔を見て笑い、くしゃくしゃに撫でられながら深呼吸をする。
深呼吸を終えた後、ばたつかせる足を止めて羽を動かす。
白いものと称される所以であり、その象徴である柔らかな翼であった。
羽ばたく度に銀や金の粉が舞い、神の加護に包まれた暖かい風があたりを包む。
頭上に浮かぶ金色の輪が強い光と共に時の声を知らせる鐘の音を奏でる。
天使は、大きく叫ぶ。

「めっりいいいいいいいいいいっくりすまああああああああああす」

その掛け声と共に、絨毯は浮き上がった。

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