■タイトル:飛脚録 ■作者:さかまたオルカ -------------------------------------本文------------------------------------- 風に吹かれた木々のざわめきがおどろおどろしい。
虫たちの小刻みに腹を打ち、羽根を擦って鳴らす音も静まる頃の夜だ。
せめて月が出ていればと内心に秘めて男は無表情を決め込んで山中を歩いていた。

男は本来、その足を持ってして韋駄天もかくやの速さで街々を駆ける。
生粋の丈夫さに足してその職から鍛え抜かれた足腰は、一国屈指の存在なのだ。
ただそんな男も遠出の場合には、馴染みの馬屋から一頭借りこんで旅に出る。
流石に天狗の足だと持て囃されても、馬の足には到底勝てないからだ。
今回の場合、それが災いしたとも言える。

「水を」

絶え絶えになっている息は男の不穏を表わすのには充分なものだった。
親切な人が一人でも居るならば、即刻その憔悴回復を手伝おうとしたことだろう。
それでも生憎、夜の山中に男以外の人間など有りはしない。
寧ろ男はこの山中でたった一人の存在でありたいとさえ思っていた。

「…水」

霞が買った静寂の膜を裂くように、馬の嘶く声が聞こえた。
男が山入りする前に麓で降りた馬だ。
その声の意味が断末魔か悲鳴か猛り声か威嚇か、男にはよく判らない。
ただ、もうあの馬には乗る事など不可能だろうという事だけは確かに感じていた。
屈強な者は馬の扱いが巧みだとよく言うが、男は御すに厭う事もない域である。
そんな男が好んだ馬が、その馬であった。
それが今し方聞くには近く往くには遠い場所で、慟哭めいた声を上げた。
話程度ながらな噂では、この山で大熊のヌシを謳っている。
そのものに食われたのか、或いはまた別の何かに捕われたか。
どちらにしろ剰りに呆気ない別れである。

「、水」

ざわめく。
今は本来ならば自分と馬の喉を潤す水を求めている筈だ。
それが何故馬を置いて山に入っているのか。
何故沢の手掛かりすら探さず、本丸ばかりを見つけようと躍起になっているのか。
男の脳は漿ごと掻き回されて、思考回路が真っ白になっている。
耳からの情報はほぼ遮断され、視界に映るものが何かすら正確な処理を行えない。
身体は焼け爛れて凍え始める一瞬前に似た感覚が続いていた。

「きしし」

それでも男を跳ね上がらせる笑い声だけは確かに耳に届いている。
闇が灯に揺れる様を否応なく見せ付けられている。
恐怖と焦燥と後悔と絶望が傷だらけの身体の中で渦巻いている。

「み。ず」
「しししし」

愉悦を歯に噛んで楽しんでいるような笑い声だ。

「ィず」

それは間違う事なき少女の声。
現実に存在する声だ。
但し、その声が響くには舞台が可笑しいのだ。
剰りに可笑しく剰りに不愉快で、恐怖するには充分なものだった。



この一連の具体的な経緯を知るには、時間を戻す必要もない。
男は山頂の岩場に辿り着く。

「ンィィ…」

呂律そのものを失い、焼き切れ果て黒く焦げ付いた思考回路に神経を回す。
せめて客観的に自分を見る事が出来るならば良かった。
それすらも侭成らないとなれば、もう既に手遅れだ。
始まる前に、終わっている児戯と同じだ。
男は振り返る。
声を頼りに後ろを見遣る。
正体は少女。
それだけは知っていた。
それだけ知っていれば、十二分であった。
相手が化け物であるかないかは、男にとってどうでも良い事だからである。
襲われる事には、結局変わりようがないのだ。

「しし」

その声はあどけない。
その姿はあどなしい。

「ししし」

腹に宿る灯火をひけらかす様に飛び跳ねている様は異様であるにしても綺麗。
木々の間を舞う姿が人外であるにしても無邪気。
美しく光を揺らめかせる少女は、それでも男にとって只々禍々しい存在であった。

「ねえ ねえ」

とん、と少女は着地した。
着物の袖に染められている巴紋様が、男にとっては目玉に見える。
大きい蛾とも捉える事が出来た。
そんな少女が、男に優しく話し掛ける。

「どうしたのさぁ」
「…ぅあア」
「僕ってばそんなにおかしいなあ」
「あああああああ」
「逃げないでよう、寂しくなっちまうじゃんか」
「うわああああああああああああああああああああああああああああ」

諤々して叫び出す男に、飄々とした少女。
狂っているのは確実に男だった。

「やめろ! やめろ! やめろ! やめろ!」
「なんでだよう。ひどいなあ」
「やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめ」
「煩い」

ぴしゃり一言で少女は男を沈黙させた。
端を発したと同時に飛び掛かり、男の首を締め上げたとも言う暴挙である。
少女の細い指は男の首に括るには小さすぎるものだったが、何分重い力があった。
男は元より真っ赤であった顔を青くして、だらんと力を抜く。
極度の緊張に、身体が逆に弛緩した。
そこで初めて男は自分を取り戻す。

「苦し」
「え? 何だって?」

力が少しだけ抜けていく。
その隙間から、呼吸が出来る程度の余裕が生まれた。

「何で僕から逃げたのさあ」
「だって、お前」
「夜道を照らすんにゃ全ッ然足りてないってーのに」
「やめろ」
「折角見つけられたってーのに!」
「俺は、要らん」
「何で」
「要らん…疲れる」
「そんなことないよう」

終始笑顔で、少女は男を責め立てる様に言葉を返す。
跨り、男の鼻洞の奥まで照らす。
途方もない情が。
噸でもない欲が。
ゆとりのある着物に巻かれている平坦な身体から、途轍もない疼きと共に伝熱する。
不味い。
男は身にのし掛かる危機を理解している上で、その軽い重みを求めていた。

「ししし」

年相応の笑みに奇っ怪な笑い声を重ね続ける少女は、そのまま腰を前後に動かした。
しゅるり服を紐解くように、少女は徐々に肌を露出させていく。
鬱蒼とした木々のある岩場の山頂に、月の明かりなど無い。
暖色に煌々とする汗濡れた肢体が目に映る。
腹に灯る火に、心が寄せられている。
袖の目玉がじいっと男を睨む。
これではどちらが蛾だと言うのか。
男は自嘲せざるを得なかった。

「しし」

笑う目と視線が結ばれる。
少女の少しだけ眠そうな瞼の奥には、腹の火とよく似た炎が浮かんでいた。
その火が恐ろしく、男は睨まれた蛙のように動けない。
そしてとうとう、袖口以外がほぼ統一された色に照らされる。

「しゃぁっ」

笑い声に違う色が混ざった。

「やめろ」
「しし。…ししし」
「やめろ」
「し、ゃぁ、し、ししし」
「やめろ」
「ゃぁ、しゃぁ、ん、んんゃしゃ」
「やめろ」

身体が言う事を聞いてくれないなど、今に始まった話ではない。
自失してからも、その前も、ずっと自分の確たる意志で動いていたわけではない。
まず少女と道中遭ってしまった時点で、男に自分の身体の主導権など無かったのだ。
その今というのが、布越しに少女を求める情欲の塊に成りつつある状態だ。
第一少女を力一杯押し上げようとしても、何故か梃子でも動かない。

「やめろ!」

意識がある今だからこそ、吠え叫ぶ。
この男にとって、少女に身を捧げる、まるで売る様な行為など。
剰りに惨い侮辱にしか成り得ない。

「何が灯売りだ提灯売りだ俺にどうして欲しい俺に構うなやめろやめろやめんぅ!」

言葉が止まる。
男の首には相変わらず少女の手が絡まっているが、それに締められた訳ではない。
喉元ではなく、直接口を塞がれた。

「んんんんんんんんん! ン゙ン゙ン゙ン゙ン゙ン゙ン゙ン゙ン゙ン゙ン゙ン゙!!」
「んぅぁ、ゃづあ!」

少女は、自らの口を蓋にしながら、首を振り乱す男に怒鳴る。
そして自然にお互いの口は深く繋がった。
男が激しく首を振って顔を傾けた状態を、少女が押しつけて固定する。
余計に深く、より一層強く固く口蓋が組み合い、呼吸をするのも難しい。
少女の髪間から流れる汗が少女の鼻先から男の鼻腔へと伝って、呼吸を遮る。
酸素不足に充満する少女が放つ情の匂いを足して、男は着々と自分を失っていく。
脳神経回路が回復したばかりであるというのに、再びショートを始めていったのだ。
舌が無理矢理起こされ、無理矢理掻き回され、無理矢理喉の奥から吸われる。
気付けば少女の諸手は男の首から離れ、男の頭を抱えていた。
目の前に迫る少女の顔はあくまで愛々しく、扇情の欠片もない。
しかし何故か、少女からは男に対する濃厚な肉欲そのものが漂う。
酒を呑むと目が据わると言うが、少女の目は酔いの気を燃やしている様に見える。
ごくごくと、少女の奥から溢れてくる水を飲む。
まともな呼吸が出来ない。
頭痛が酷い。
鼻で思い切り空気を吸い込むと、大量の汗の後に暑苦しい外気が通った。
しかし、限界だ。
身体は完全に弛緩と緊張を適所的確に張っていた。

「しゅう、んうぶ、んむぇ」

少女は頭を繋ぎながら色々な成分で濡れる男の外套を取る。
取り方は拙いながらも、男との数刻前の経験に因った素早い捌きであった。
そして、男の背後と後頭部に手を回し、馬乗りのままに抱き上げる。
唾液や汗などにまみれた口が一瞬離れたが、糸を引く間もなく直ぐに組み直された。
少女はその足で男の脇腹を踏むようにして挟んで固定する。
背中に回された手はそこから離れ、そのまま二人の下半身の間に滑る。
一連の中で既に白濁を吐き出したにも関わらず固いままのそれを、少女が触れる。
人差し指と中指の間に挟んで、親指を添える。
白濁を先に残したままのそれを、少女は自分に導いた。
少女の脚が男の腰元で組み直される。
すとん。
少女が身体を落とすと、男の感覚が増えた。
体格差によって俯いたままの男が、声をくぐもらせて少女の中に絶叫する。
男と少女の口に溢れるどろどろとした涎などを、少女は悲鳴ごと飲み干して笑った。
瞳に妖しい火を一層にちらつかせ、腹に幽魂の火をより煌々と掲げ上げる。
そして、とても静かに動き始めた。


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