ナイトメアと暮らす男(現代)
卑猥な夢を見た。
「あ……」
卑猥な夢を見た。巨乳でツリ目な超ゴージャスな美人に犯される夢を見た。ああもちろん犯されるっていうのは性的な意味で、突っ込ませてくれた。夢だからか感覚はあんまりないが、俺の下半身が物語っている。
そう、夢精ってレベルじゃねぇほど下半身グッショリ。いやきっと相手も同じに違いない。
「会いてぇな……」
おお、やべえ。興奮してきた。
現代病の一つであるコミュ障を罹患したせいで彼女などいない俺は十二月に来るサンタクロースを待ちわびるガキのように興奮し、あの美女とまた会いたいと思った。人探し。そこで気づく。待て、あれは夢だ。夢のような美女だからこそ夢なんだ。現実世界を探してどうする。
そうだ。寝ればいい。俺は今すぐベッドにバックしたかったが、今日は仕事である。やる気などピコグラムも湧かないが出社。
はい退社。定時って素晴らしい。
俺は飯を食いしっかりと己のマグナムを整え、安物のベッドに入り布団を被る。
寝ればいい。寝ればいいのだ。夢の中の彼女に会うためには!
「……」
寝ろ。寝るんだ。寝ればいい! 目をつぶれ!
「…………」
安物の目覚ましの音が喧しい。帰宅ラッシュは過ぎたってのに十分おきに電車まで通り喧しい。上階の連中か、カパッ、カパッと何者かの足音がする。
「………………」
ええい無視無視! 俺は今度の休み寺で座禅を習おうと固く心に誓い無心へ至ろうとした。
………………………………
「だぁ――――! 眠れるかァこんな時に!!」
「きゃっ!」
そうだよサンタの正体だって来た翌年に図らずも暴いたよお袋から殴られたよ来るとわかって眠れるわけねぇだろおい!
「ん……?」
そこで俺は、かび臭い六畳間の中に俺以外が『いる』ことに気づいた。電気をつける。
紫のヴェールと怪しい目の紋章がついた帽子をつけた、奇怪な格好をした少女がそこにいた。両手に大きな鎌のようなものを持っている。
よく見れば下半身が馬であったり目の色が赤だったりするのだがそんなことより、ヴェールで隠し切れないボディライン、空色の髪、涙目だが顔は間違いなく美女。
「あ、あんた、ひょっとして昨日の夢の俺を犯した美女じゃね!?」
「っ……」
少女が鎌をぎゅっと抱き、ああそうすると巨乳が盛り上がってものすごい目立つんですが。顔真っ赤。超涙目。首を縦にも横にも振らない。でも超かわいい。美女っていうより美少女。
美少女は震える手で、俺の寝床を指差した。
「は?」
じわっとまた涙を浮かべ、手を考え込むようにぐるぐる回した後、両手を合わせて頬のあたりにもって行き、ことりと首を傾けた。
おやすみなさいのポーズ?
「……寝る?」
ぱあっと少女が笑顔になるが、すぐにまた恐怖を思い出したように怯えに戻り、頷く。少女は俺を指差し、つーっとスライドさせてベッドを指差した。
「……俺が、ベッドで、寝れば良いのか?」
ぱあっとまた笑顔。チクショウかわいい。よくわからないが寝ればいいらしい。まあポーズだ。そのつもりだったが、
「あ……れ……?」
体は強烈な疲労に耐えられないと言うように、眠りへと落ちていく。ここで寝たら目の前の美少女に会えなくなる!
「お、おいちょっと待て!」
俺は眠りに落ち行く中で少女の手を握り締めた!
「きゃあっ!?」
甲高い悲鳴に目を覚ますことなく、俺は眠りに落ちた。
昨日と同じように俺は暗闇で、簡素な寝巻きで立っていた。
「……ふふふ。ようこそ。私の世界へ」
そこに妖艶な、紫のドレスを纏った美女――紛うことなき俺の惚れた女がいた。
強気な赤く輝く目、翻る空色の髪、豊か過ぎる胸元。俺のマグナムが唸りを上げるのも時間の問題だ。
「ねえ、私の言うことを聞いて。い、い、今すぐよ」
ところが、その強気な顔が引きつっている。気のせいか片手を後ろに隠しているのだ。
「どうした?」
「て、手を離してっ! 私の手を握りっぱなしで寝ないで!」
あ、ああすまん。忘れてた。でもここ夢の中なら現実の体は硬くなってるぞ。俺のマグナム、いや波動砲と同じように。俺、貧乏性で狭いとこで寝慣れてるから寝返りうたないんだ。
ま、仮に起きたところで離すつもりはないけどな。そう言い放ってやると、美女は狼狽した。
「な、そ、そんな。な、なら何が望み!?」
望み……望み! 決まっているだろう。
「俺のモノになれ。現実でな!」
……というわけで、俺はこの内弁慶ならぬ夢弁慶な美少女、ナイトメアを愛人として迎えたのである。
さあ、俺と彼女の蜜月について語ろうではないか。
ナイトメアとは、人の夢に強気な美女の姿で現れ、性交を迫り、夢の中と現実、同時に犯して男の精を食う魔物らしい。だが、本人としては嫌なことに現実で男に自分の姿を見られることがとてもとても恥ずかしく(顔をあらかめるからたぶんそうだろう)、会話すら出来ない。
そう。本当に現実世界の半人半馬の彼女は喋らない。ずっと顔を赤らめ、うつむき、何か訊ねると例の『おやすみポーズ』をして俺を眠らせ、夢の中で会話する。俺が自発的に横にならないと眠らせられないという中途半端な能力をもつ。
これはその初日の――スタートとして名前を聞いた時のことだ。
「ふふ……夢の中にさえ連れて来れば、あなたは怖くない。あなたはただの私のご飯……」
ナイトメアの夢は明晰夢の一種らしく、俺は体を動かすことが出来た。だが人間の美女となったナイトメアは、俺が抵抗しないことをわかっているかのように俺の肩を掴み、押し倒す。
慎ましさのかけらもない胸と相まって俺はそうそうに興奮していた。女ってのは本当にどこもかしこも甘い匂いがする。はぁはぁと荒い息すらも甘いのだ。
「じゃあ現実に戻ったらおまえは俺のオカズだろうな。ところで俺の質問は――」
「ふふっ。サキュバスならそんな児戯で悦ぶかもしれないけど、私はナイトメアのジルピア……私こそが上なの。そんな不埒なことをするなら、その体に教え込む必要がある。私こそが絶対……」
白磁のような指が俺の顎を掴み俺の言葉を封じる。嗜虐の喜びがその赤い瞳に満ちており、正直、怖い。
「さあ、言いなさい。私に全てを捧げると。あなたは私のための存在になる」
「……いや、その前に名前を訊いたから答えろと言いたいんだが、もうわかった。じゃあな」
俺はすっと片手を挙げ、頬を掴む。ぎゅっ、と軽くつねった。
あっさりと目が覚める。目の前にかわいらしい笑顔を浮かべるナイトメア――ジルピアの顔があった。
「っ!!」
現実のジルピアは俺と目が合った途端にすさまじい速度で顔を逸らし、逸らしすぎてバランスを崩してこけた。あたふたしながらも俺を見て、口をぱくぱくしている。
『どうして目が覚めたの?』とかいったところか。
「そりゃあ夢から覚めるには頬をつねるのが定番だろう。で、何だって? ジルピア?」
かーっと頬どころか顔全体を赤く染めてうつむいた。何を思ったのか胸を押しつぶすように隠し、ああそうすると胸が更に大きく見える。
「変わった名前だなぁ……『シルビア』とかならまだわかるんだが」
その言葉に何かカチンときたのか、むーっと頬を膨らませ、俺に指を突きつけてくる。うん? 何だって?
ぱらぱら本をめくるような動きをして、目をつぶってうーんとうなり、ぽんと手を叩く。
「……『一生懸命調べて考えた名前なのよ』?」
ぱあっと笑顔になるが、それからすぐに怒りを思いだしてぷくーっと頬を膨らませる。
現実のこいつは俺と話すことすら出来ないのだ。読み間違いか? と指摘するのはやめてあげた。
と、そこで一つ気になったので訊いてみた。
「……ところでおまえ、何歳なんだ?」
その胸と吊りあわない幼いリアクションばかりで、俺が犯罪者にならないためにも訊きたい。
ジルピアはまたも頬を赤く染め、両手を合わせて頬の横にもっていき、ことりと首を傾けた。
俺はやれやれと苦笑しながら眠りにつく。
夢の中。
「主導権を握れると思ったら大間違いだからね……私たちナイトメアはとても強く、古の魔王時代から人を恐怖で支配した存在。逆らおうと思うだけ愚かなの」
「そうかそうか。ところで何歳なんだ?」
「答えると思う? 私はあなたよりたとえ何倍も生きていようとも、決して衰えない力を持ち続ける。人間よりもサキュバスよりも強い存在なのよ」
「ああそうか俺より年上か。じゃあな」
「えっ、ちょっ、待っ――」
現実。
「よし、俺が犯罪者になることはないみたいだな。さぁーてジルピア、おまえの寝床はどこにするんだ?」
……と、このように夢の中では彼女が、現実では俺が主導権を握っているわけだ。可愛いぞージルピアは。夢の中のことをいじられるとすぐ顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。一種の二重人格みたいなものなのかもな。
さて、次はしばらく時間がたって、外に出たときのことだ。
ジルピアはその馬の半身のせいかかなり背が高い。と言っても俺と同じ程度だが。かぱっ、かぱっと馬蹄の音を響かせ、夜の住宅街を並んで歩く。
ジルピアの風体は異様だが、それを指摘すると巨大な鎌をどこからか出して本気で怒ったので俺もやめておいた。何かトラウマでもあるのだろうか。
ジルピアはしきりに首を回し、微かに口元を綻ばせたりと可愛らしい。手を握ることはおろか、俺が少しでも近づくと顔を赤くして立ち止まってしまうため、手の届かない間合いを維持している。
ジルピアは今の姿を見られることを極端に嫌うため、こんな丑三つ時にしか外に出られない。まあもっとも、ジルピアの姿をほかの男に見せたくないとも思う俺がいる。
やがて公園に辿り着き、俺がベンチに座ると、ジルピアは俺の後ろにささっと回りこんだ。
「なんだよ。そこまで俺が嫌いか?」
「っ……!!」
息を呑み、ゆっくりと、ゆっくりとだが俺の視界に入ってくる。だが顔はとても赤い。紫の手袋に包まれた手で震えながら俺を指差し、続いて自分の胸を指差した。
「……揉んでほしいのか?」
「っ!!」
ぶるぶると首を振るたびに帽子がずれ、慌ててそれを直す。と、よく見れば彼女の足元やその周りに青白い炎のようなものが出ている。「これは何だ?」と指差すと、しばらく考えるように俯いた。
胸に手を当て、俺を指差し、目を閉じて笑い、手を開いたり閉じたりする。
「『……あなたのことを考えるとテンション上がって炎が出る?』」
むうっと微妙な顔をされた。ニュアンスとしては間違ってないらしい。だが、その青い炎はとても。
「綺麗だぜ。この炎。おまえの髪の色と同じ」
驚いたような顔をして、そこから童女のように笑った。炎が桜吹雪のように舞った。
その笑顔と、その舞台にしばし見とれた。
余談だが、その日の夢の中で「あなたは私に従っていればいいの」とか命令されて胸を存分に揉まされた。
ジルピアは少しずつ俺がいるときには打ち解け、外にも出られるようになった。
そして俺自身、退社して帰宅までの電車内で足踏みをするほど、俺が玄関を開けたときに現れる彼女の一瞬の微笑みが気に入って仕方なかった。
そうそう。俺はこのジルピアのナイトメアという存在についてネットで調べたこともあった。とあるサイトに『魔物娘』として記述があったのだ。なるほど色々な魔物娘がいるもんだ。そうやって読み進めてふと言ったことがある。
「なあ、おまえって夢の中だとどんな姿にもなれるとかの能力ないの?」
例によっておやすみなさいして聞いた所によると、『あの内弁慶の根暗ドッペルゲンガーと一緒にしないで!』とのことで、だがこのドッペルゲンガーという魔物娘の能力は大変面白そうであり、「じゃあドッペルゲンガー探すか」と軽く言うと、途端に涙をぼろぼろ流しながら触れないはずの俺の体にしがみついて「やだ……だめ……」とか生の声で言うものだから俺も焦って謝るしかなかった。
その後冷静になったジルピアは帽子を深くかぶって赤くなりすぎた顔を隠していた。
余談だが、その日の夢で俺は両手を彼女に押さえ込まれ、彼女の顔の前で「あなたを捨てませんから許してください」と何度も唱えさせられた。ほんと夢弁慶だ。
そして今は。俺は六畳間の自宅から離れた高原にいる。自宅からおよそ百キロ、山の中腹にある草原だ。
高地特有の冷たい風が気持ちよく、俺はユニクロのシャツの襟を開く。夏で良かった。さすがに夜の高原は寒いが、ジルピアは夜しか外に出られないのだから仕方ない。
……それに、夜のこいつは青い燐光をまとって綺麗だしな。
「……こんなもんでいいのか?」
隣にいるジルピアへ声を投げると、顔を赤らめうつむきながらも、しっかりと頷いた。喜びを隠せないように、馬の脚が地面を叩く。
口元も笑顔を浮かべ続けている。まったく、可愛い奴だ。
ジルピアは『ケンタウロス』という魔物の一種だ。それぐらい俺も名前は知っている。彼らの種族はこういった広い土地で狩りをしたり走り回ることを本能的に好いている。
発端はある日の思いつき。俺とジルピアが同居して一月になったので、何かプレゼントでも渡そうかと思ったのだがあいにくジルピアに渡して喜びそうなものがない。というか、こいつ自身俺といるだけで楽しいなんて顔をしてやがるわけだ。
だから俺はサイトの掲示板で相談したりと、俺なりに努力してこういう結論を出したわけだ。苦労したなーここまで運転してくるのは。ジルピアは眠らずしきりにどこに行くのかと不安げに訊ねてきていたし。
だが、連れてきてよかった。喜んでいる。
「走って来いよ。俺はここで待っとくからさ」
驚いた顔をして、ぱあっと笑顔になるが、すぐに恥ずかしさで顔を俯けてしまう。なかなか足を踏み出そうとしない。
「……わかった。じゃあ後ろ向いておくから、走って来い」
こいつの走り回る姿を見たかったがまあ仕方ない。俺が後ろへ向くと、慌てたように俺の前に走ってきた。
自分を指差して、目をつぶる。
「目をつぶればいいのか?」
こくこくと何度も頷く。俺は目をつぶった。なんだ? おやすみなさいするわけじゃないのか――?
ふわり、と体が浮いたと錯覚した。眠りに落ちるような落下の感触。
「うおっ!?」
俺は驚いて目を開ける。満天の星空と、そこに舞う無数の青い燐光が見える。
そして、すごい速さで動いている。ドドッ、ドドッと地をうがつような足音がする。
ジルピアの、背中の上……?
「ふふっ。どう? なかなかいい『夢』でしょう?」
顔だけ振り返り、笑顔のジルピアが言う。気のせいか顔が赤く見えるが、炎が転じた青い燐光ではっきりしない。
これは、夢、なのか? 俺は寝ているのか? 起きているのか?
だが、俺は追及しないことにした。頬もつねらないことにした。ただ、「ああ」と頷く。
ジルピアは強気な笑みを浮かべ、すごい速さで高原を走る。それに追随するのは無数の輝く青い光。流星のように空から降りて炸裂するものまであった。
「……あなたのおかげ」
俺のほうを向かずに、青い輝きに彩られた宵闇の中でジルピアが言う。夢の中だってのに、まるで現実で洩らすようなか細い声。
「私は、この姿を見られるのが怖い」
そりゃあ知ってるさ。
「私は、人間が好き。男の人が好きなの。でも、この体は……異常」
駆け足が早くなる。まわりが青白い霧のように見える。
「人間は異常なものを嫌がるって、私は知ってる。だから私は姿を見られることが、怖い。こんな姿を見られると、恥ずかしい。人間から拒絶されることは、本当に、いや……」
なんだ。そんなことか。
俺はやれやれと息をついた。どうしてそんなことを気にしてたんだか。
色々と言葉を重ねてやろうと思ったが、俺は彼女の背中へそっと抱きついた。「ひゃああっ!」と悲鳴を上げてあたりの青い光が瞬く。
「好きだぞ。ジルピア」
この言葉があれば、こいつが怖がることもないだろう。
「っ……」
現実のように押し黙って、彼女はまた走り出す。
あたりを舞う青い光が一斉にばらけて、花吹雪のように散った。夜空に桜でも咲いたようだ。藍色の空から落ちる無数の輝き。冷たい夜風を疾駆する感触。
そして、真っ赤になりながらも笑っている俺の恋人。ああ、愛人と言ったのはまあ謝るぜ。おまえは愛人って柄じゃないし、そんな関係で済ませたくはないんでな。
金も溜まってきた頃だ。少し早いが、式でも挙げるか。
「……ありがとう」
おいおい、たまにはあのジェスチャーも見せてくれよ。あ、ここが夢だからか。じゃあ安心だな。
そのままずっとずっと、青い魔力の光が降る草原を走り続けた。
それが結局夢なのか現実なのかは、別の話。
夢弁慶な彼女との生活は、続いていく。
12/04/09 01:52更新 / 地味