ロビン=ミンシュタイン3
父に茶と作り置いていたラム肉のソテーを出し、僕もその対面に座った。薄明るいダウンライトが天井で揺らめき、閉じ込めた火の精霊がパチリと爆ぜる。
僕と父の間にあまり会話はない。父が冷淡であるのはいつものことであるし、だからといって愛がないだのと叫ぶほど僕は子どもではないつもりだ。
ところが、今日の父は妙に僕へと険しい目を向けていた。
「……何か、用ですか。父さん」
父は無精髭の生えたあごを撫でて、
「もうすぐおまえも、十九だな」
にやり、と笑った。僕もわずかに笑う。
「ええ。そうですね」
「……おまえは前、学者のペンが欲しいと言っておっただろう。ワシの使い込んだものじゃあ勿体無いと思ってな。十九の誕生日に、新しいペンをやろう」
学者にとって、ペンこそが命だ。父は特注で作ったという、いかなる劣悪な環境でも術式や文字を書けるペンを持っている。いつか僕もそれをこの手に収めたいと思っていたのだ。術式は普通のインクを使用したペンでは書けなかったり、綻びが生じたりする。
「ありがとうございます」
「村の若い衆と、材料を取りに行っておった。ようやく集まったよ」
父は嬉しそうに、猟銃の横に置いてあるズタ袋を見た。猟銃?
「父さん、その材料とは何ですか?」
「ああ、ハーピーの尾羽だ。奴らは純度の高い魔力を持ち、魔法術式との親和性が高い。ワシのはセイレーンの尾羽を使ったのだが、奴らは沖の方にしかおらんのでな」
「……撃ち落としたのですか?」
「撃ち落とさずにどうやって取ると言うんだね」
父はあきれたような目をした。
魔物というのは、通常の動物とは大きく異なる進化を遂げており、その体は人間文化にとっても非常に有用な素材となる。
昔は勇者たちがこぞって魔物を狩ったおかげで、文明が発達した。魔法機械が生まれ、巨大な城や砦を建てることが容易となった。
だが今は。魔物たちの体勢の変化から、勇者たちはあまりいないという。人間の文化は停滞し、この村はそうでもないが、聖都では飢餓者が出ていると聞いたことがある。
魔物の犠牲で発達した人間文化。何もおかしなことはないだろう。
「なんだ。どうした?」
「いえ。何でもありません。父さんがこの頃忙しそうだったので、心配でした」
父はくすりと微笑をもらした。別に世辞をもらしたわけではない。
食事を終え、父は二階の部屋で仮眠すると言った。
そこで僕の机の上に置かれた荷物の類に気づく。父は親書を読み始めた。
「ほう……ロビン。しばらく留守にすることになりそうだ」
「……わかりました」
理由は聞かない。父の顔は強張っており、その手には猟銃がまた握られている。だからどうしたと言えばそうだが、なぜだろう。
父が魔物を殺しているということが、どうにも引っかかってしまったのだ。
「……そろそろおまえに話してもいいだろう。ワシは明日隣町に行く。テッセ川の上流に魔物の巣があるらしい。そこを叩くのだ」
魔物の巣を、叩く?
「隣町……隣町には今、教団軍がいるのでは」
様々な思いがめぐったはずであるのに、口に出たのはそんな疑問であった。
父の顔つきが変わった。
「……そうか。知っておったか。十九になって話そうと思ったが、まあいい。ロビン。座りなさい」
僕は再び食卓につく。父は向かいに座り、ぼさぼさの眉の下から僕を見た。
「この村は、対外的には親魔物領という体裁を取っていることは知っておるな。それを教団が知っているということも」
「……ええ」
「『親魔物領』という言葉は本来、こういう村のことを言うわけではないのだ。親魔物領とは一般的には『領主が魔物を受け入れた結果魔物に占領され、魔界と化した場所』という意味だ。だから旅先で親魔物領を見つけても、決して近寄ってはならん」
「……では、この村はなぜ親魔物領と?」
僕は偽りの知識を与えられていたということになるのか。
「魔物と表向き親しくし、利用するからだ。教団の救貧政策の一環として、この村は作られたのだ。秘密裏にな」
救貧? 魔物を利用して?
「魔物とは高い能力を持っている反面、単純だ。奴らを利用すれば、そう、おまえも今日水棲魔物から親書を受け取っただろう。あのように人の労力を減らすことが出来る。魔物の中でもまあマシな頭を持つ奴を捕獲し、あのように使っておるのだ。契約とはそういうことだ。この村はそれを許された村だから、親魔物なのだ」
「……魔物を殺害することは?」
「それも同じだろう。教団にせよ聖都の鍛冶屋にせよ、魔物の素材を必要としている。サラマンダーやリザードマンの鱗、フェアリーの羽や空間転移魔法の原理、マーメイドの血などだ。ただ教団の教義では、魔王の手先である魔物を利用するなど主神への冒涜だそうだ。これは教皇大院や枢密院とは違う、何と言ったか……あまり表立たない場の管轄だ」
僕は理解した。この事実を知るのはおそらく村の中でも一部……おじさんは知らないのだ。おじさんは隣町で教団軍に怯えていた。
「最近、契約した魔物の様子がおかしいという投書が寄せられている。魔物は魔力を浴びると、理知的な判断が出来なくなる。元からたいした知性はないんだがな、物分りのよかった魔物がただの野良魔物に成り下がってしまう。それを防ぐために、教団の調べによれば魔力の発生源らしい魔物の巣を叩くのだ」
父の言葉が、まるで父の言葉ではないように聞こえてきた。
「……なら、どうして、契約した魔物を殺傷したのですか?」
「何?」
この話の流れでこんな話をしても無駄だ。そうわかっていても、僕は口を開いていた。
「今日来た飛脚のサハギンは教団の剣によって傷を負っていました。これは教団による我が村への内政干渉ではないのですか?」
「教団にも面子がある。おおかた隣町の連中が魔物を見つけたから攻撃したんだろう。ワシは教団の下部の考えなど知らん。ああ、その飛脚は死んだのか? それなら代わりを探さねばならんな」
「そうではなくて!」
僕は卓を叩き、声を荒げていた。馬鹿なことはするな。僕の冷静な部分がそう告げるのを無視して。
「魔物は生き物です! もう少し彼女たちを思いやってください! それが魔物学者ではないのですか!?」
父の目がスッと細くなった。
「……ロビン。おまえは思い違いをしている。魔物学者とは、魔物の生態を明らかにし、その被害の経過や犠牲者の魔法的変化を克明に記録することが使命だ。
その記録によって多くの兵や村娘が死ぬことなく生活を続け、効率の良い狩り方を知ることで猟師は生き、貧困から救われる。魔物を愛することが魔物学者の素質などと言った覚えはないんだがな」
父の言うことは正しい。確かに学者とはそうあるべきだということも昔聞いた。だが僕は止まらなかった。
紺碧の目と無表情な顔が、頭にちらつく。
「ですが、魔物たちは僕たちへ歩み寄ろうとしています! そんな魔物たちを騙し続けるなど非道ではありませんか!? 魔物たちは素直な目で――」
ドンッ! と父が卓を叩いた。鋭い眼光が僕を射竦める。父は怒っていた。
「馬鹿なことを言うな。魔物に誑かされたか? あの単細胞どもが、いらぬ知恵をつけおって……」
父は髭の下から恨みのこもった声を吐き、僕の名を呼ぶ。
「子どもには言うべきでないと思ったから黙っておいたが、教えておこう。魔物たちは人間と、人間的に親しくしようとなどしておらん。よく聞け。
卑しくも魔物たちは人間の男を雄とし、自らの子を産もうとしているのだぞ。だから近寄ってくるのだ。汚らしいと思わんのか」
人間の男を雄とし、子を産む……?
「と、父さん、それはつまり――」
「奴らは自分の子を作るために人間の男の精を使うのだ。持ち前の卑劣な魔法で男を洗脳し、子作りのためだけに男をさらい、ついでに女は汚らわしい手段で同じ魔物に変え仲間に加える。それが奴らの狙いだ」
すべてが繋がった。
魔物は決して人間を傷つけない。これは本当なのだろう。同族の一部になるものを傷つけるはずがない。
魔物は人間と仲良くしようとしている。これも本当なのだろう。自分たちの子作りのために。
おじさんの言葉。『今だからこそ野生の魔物は危険』――強姦され、洗脳されるからだろう。
教団が魔物を狩る理由。魔物たちが魔物しか産まないのなら、人間は減っていき、やがて絶滅してしまう。種としての危機を防ぐためだったのだ。
おじさんが学者を辞めた理由も、今ならわかる。おじさんは魔物のことが純粋に好きだったんだ。僕のように。
「理解したのならこの話は終わりだ。ワシは明日出る。留守を頼むぞ」
父は立ち上がり、二階の部屋へと上がっていく。
僕はその背中を呼び止めた。
「父さんは!」
父が振り返る。
「……父さんは、教団を肯定するのですか」
僕の中にはどうしても、あのサハギンの少女を殺傷した教団を許せないという気持ちがあったのだろう。
だが父は、呆れたような息を吐いた。
「ワシは教団の思想などどうでもいい。利害が一致すれば行動するだけだ。主神の命だとか、そんなおためこがしには興味がない」
それは僕の期待していた答えに近いはずなのに、僕は安心出来なかった。
12/04/03 17:43更新 / 地味
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