一話 魔女のクレア 大学留学
朝
今日は講義が昼からであることを知った上で、僕は朝七時にクレアと待ち合わせる。絶対何か起きる。そう見越してのことである。
普通電車しか止まらないローカル駅なので朝の雑踏はやや少ない。そのあのちんちくりん魔法少女を見つけられないはずはないのに、僕は見つけることに手間取る。
「クレアー。どこだー」
僕が呼びかけると、後ろから返事が来る。振り返ると、雑踏の中にいた。
有名私立小学校の制服を着たクレアが。
「ふふん。似合うでしょ? バフォメット様、こんな高級な服を用意してくださったなんて……感じちゃいそう」
黒のブレザーに同色のスカート、襟元に金のバッチがついている。ランドセルなんてものはない。革っぽいデザインのリュックだ。
「さあ藤原、さっさとその大学とやらに案内しなさい。あっ、見下ろすんじゃないわよ。あたしを見下ろしてなでなでしていいのはサバトに寄与した男だけなんだから」
その格好で行くと絶対追い返される、と言うと色々面倒なことになるので、僕は「何かバフォメットさんに連絡取る手段は無いか?」と訊く。すると小さなスマートフォンサイズの板を渡された。表面に見たこともない文字がびっしり書かれている。何かの合金の板のようだ。
僕はとりあえずそれを耳に当てる。『おお、どうした』とバフォメットの声。まるで近くで話しているようだ。
「……バフォメットさん、あの服は」
『ああ。こちらの文化に合わせてみた。ちなみにセレアレも私ももう着替えているぞ。今夜見に来るがいい』
「文化には合ってますが場所には合ってませんよ。あれ着て大人しかいない大学へ入ろうとするとつまみ出されます」
『なぜだ』
ここで素直に子どもの制服ですと言うとクレアが激憤しそうなので言葉を選ぶ。
「……あれは、まだ未成熟な人専用の衣装だからです」
『だから、何が問題がある? 魔女とは永遠の未成熟の存在だ。それこそが美しい……』
ああ、永続ロリですか。そうですか。
「……じゃあ、一応連れて行きますけど、失敗しても知りませんよ」
『そんな狭量な人間の元に行くぐらいなら別の大学とやらを探すのだ』
前途は多難である。
通学
普通電車の車内はすいている。僕はクレアを座らせ、その前に立とうとすると「見下ろすなって言ってるでしょ!」と怒られたため横に座る。こうなれば保護者を気取る。
「ふーん、これがあんたの世界の移動手段……。ね、これ何で動いてるの?」
「電気だよ」
「でんき? 何、魔力属性で言うとどれ?」
「魔力属性ってなんだ」
「あんた知らないの? 昨日のうちに魔力序論ぐらい読んどきなさいよ。まあめんどくさいから省くけど、要するに魔力は物理的な力に変換すると、いくつかの典型的な形を取るの。それが属性。素人はよく勘違いするけど、あたしたちの体内魔力に属性がある……例えばウンディーネは水属性だから火に弱いとかがあるわけじゃないのよ」
いや、素人も何も知らんがな……。
「僕の世界に魔法は無い。代わりに科学、要するに自然物理学に則った力が発展しているんだ」
「……ふぅん?」
クレアがにわかに興味を示し、僕にぐっと顔を寄せてくる。
「例えば? この重たそうな箱を動かすには何をしているの?」
「その電気……物質すべての原子に含まれる電子の流れのことだが、それを使って大型の駆動機械を作動させる。それを車輪につけ、車輪を回して線路の上を運ぶ。そういう仕組みだ」
「電子……物質の原子……おもしろそうっ! ねぇねぇ藤原、もっと聞かせて!」
「と、透と呼んでくれ。嫌ならお兄さんとかでいい」
苗字で呼ばれると誘拐犯扱いされそうなんだよ。だがクレアは完全無視。
「駆動機械はその電気で動くように構造化されているわけよね? どんな構造? ねぇねぇ」
「そ、それを学びに今から大学に行くんだよ。それまで待ってろ」
「へぇ? 大学ってそういうことを学ぶ施設なのね。面白そうじゃない。あのカタブツデュラハンが押し付けたんだからどんなくだらない場所かと思ったけど」
やる気に満ちた留学生、ねぇ……。
大学
僕は理工学部情報工学科所属、その中でも自然言語処理を専攻している。
だからうっかり興味を持たせてしまった機械に関する事柄は畑違い。とは言え建物の階層が違うだけなので、僕は講義中の時間を狙って大学に侵入、迅速に研究棟までダッシュ。
バフォメットの作った『しんしょ』とやらがあるので、少なくともある程度相手に事情を伝えることは出来るらしいのだが、ひらがな発音で言われても困る。なにやら物々しいマークが中世っぽい長方形の封筒の中央に刻印されている。
「へぇ、ここが研究施設? あたしたちのところより広いわね。それになんだか無機質。何の材質で出来てるのかしら……鉄? 木? それとも石?」
彼女の姿を映すリノリウムの床を見ながら言う。材質は知らない。
僕は唯一知っている教授のゼミ室の前に行き、ノック。「中に誰かいるかもわからないの?」と呆れ気味の目を向けてくるクレア。
「失礼します。あの、留学生を連れてきたんですけど……」
雑多なゼミ室にいるのは初老の榊教授。何か言われる前に僕はバフォメットのしんしょを手渡した。
「ん? なんだこれは……?」
ぱらりとひとりでに封筒がはがれ、中身が広がる。教授の目がものすごい早さでスライドし、ふっと笑ってその手紙を懐にしまった。
何か今魔法的なものが行使された気がするが見なかったことにしよう。
「ふむ。話はわかりました。異世界留学団の人ですね。情報工学科の藤原君がそのサポーター、いやコンダクターと」
異世界に突っ込んで欲しかった。
「ええ。そういうことです。部屋に入れていいですか?」
「もちろん。熱意ある留学生は歓迎ですよ」
僕は防音の扉を開け、クレアを中に入れる。見た目も服も小学生女児が入ってきて何を思うか――
「おお。これはまた随分若い……」
「ふふん。若いからって舐めないでよーおじさん。あたしはこれでも魔術論のエキスパートなんだから。複雑な術式も一瞬よ」
うんうんと嬉しそうに頷く榊教授。この人確か専門は一昔前の内熱機関とかなんだけどな。
「ええと、そいつは魔女のクレア。なんかここに来る途中モーターの構造やらに興味を持ったから連れてきたんです。お願いできます?」
「なかなか渋いところに目をつけるね。あれは色々面倒な計算があるせいで学生はみんな嫌がる。何より油臭くて特に女の子は嫌がるね……。それで、藤原君、私の一存で講義内容を組んで構わないのかい?」
「いいんじゃないですかね。あ、えーっと、なるべくクレアの希望を聞いてやってくれると助かります」
「もちろんだ」
クレアも「じゃ、よろしくねおじさん」とか、こまっしゃくれた小学生の態度だ。せめてお遊戯のように間延びした丁寧語でも喋ればまだ可愛げがあるのにな。
講義
内容については完全に専門外なので割愛する。クレアの講義風景についてだ。
榊教授はクレアにまず基本的な計算を教えた。力学に必要な基本的な定理やら何やらを、なんと昼まで付きっきりでだ。VIP待遇にも程がある。
年端のいかない童女が僕も一年前は世話になった微分積分学の教科書を見てふんふんと頷いている。榊教授もさぞご機嫌だ。
「せんせい、どうしてこんなにたくさん定理があるんですか?」
「それだけ自然界にはいろいろな面があり、複雑に絡み合っているからだよ。君の世界はどうだったんだい?」
「そうね。四大精霊が自然の殆どの流れを制御して、後あたしたちの魔力と人間の精や神の奇跡とやらの流れがあったぐらいかな。ま、精霊なんか精を適当に与えれやればすぐ使役できるし、楽だったな」
「なるほど。魔法みたいだね。残念ながらこっちの世界は結構頑固でね、人間があんな大きな電車や飛行機を作り出すのも、誕生以来何千年もかかった。人間が身の程をわきまえず自然を捻じ曲げようとすれば、大きなしっぺ返しがくるんだよ」
てっきり残念がるかと思ったが、クレアは頷いている。
「神さまとかいないの?」
「うん、たぶんいないね。人間はそれぞれ違う神様を信じてる。でも私の研究していることは、神様に頼らない、人間だけの力なんだよ。みんなはそれを科学と呼んだ」
「人間だけの力……?」
つぶらな目で、魔女のクレアは教授を見つめる。
魔法を使う彼女は何を思っているんだろう?
「……うん。やっぱり面白そう。ねぇせんせい、その人間の力、もっと見せて」
クレアは熱心な留学生だった。
昼
なんとクレアは講義に参加していた。ちょうど自動車会社の下請けをテーマにしたNHKスペシャルを上映するときだったらしく、スライドに映る光を見るだけで「すごい! すごいわ科学って!」とかはしゃぎだす始末だ。
ああ、ちなみに僕はなぜか公欠扱いだ。まあどうせ実習科目ではないので抜けても大して問題はない。
そのビデオの内容はかなり難解だ。まずクレアは社会のシステムを知らない。下手すれば中学生より予備知識がないのに、クレアは流れる言葉一言一句すら聞き逃さないように青い目を向けビデオを見る。
言葉をつなげて類推しているのかもしれない。クレアはおそらく、向こうの世界で社会的に暮らしていただろうから、供給者と消費者の関係は知っているだろう。
ビデオが終わり、生徒がクレアをちらちら見ながらも理系学生特有の関わりたくないオーラで散っていく。クレアはぱたぱたと教授に駆け寄り、「すっごくおもしろかった!」と満面の笑顔で言う。
「あんな小さな鉄くずを組み合わせて大きなものを動かすのね……。そんなことが出来るなんて」
「興味を持っていただけたかな?」
クレアは嬉しそうに頷いていた。
ゼミ室その2
クレアは講義を終えた榊教授の後ろをちょこまかとついてまわり、他の構造機械とはどんなものがあるのか、さっき聞いた自動車はどこにあるのか、と質問攻めする。
魔女はロリロリな見た目に反して頭の回転が早い。榊教授もなにやら難しそうな図面を引っ張り出し、ゼミの机いっぱいに広げる。ぱあっとクレアが輝く笑顔を浮かべる。
「すごい……これが構造図なのね。この通りに金属を組み上げればエンジンを作れる……ねぇせんせい、これ持って帰っていい!?」
「うーん、そうだね。正式にここに留学すると決めたらだね。そうだったね? 藤原君」
ここまで終始空気の僕は頷く。
さっきのビデオ中に読んでおいた、なにやら豪華な装丁の羊皮紙束、サポーター要旨によると、留学団の留学生は、サポーターと行動したその日のうちに留学先を決めそこで学ぶようだ。つまりとっかえひっかえは出来ない。飽きっぽい奴はだめだということだ。
随分シビアなルールだ。あのバフォメットは案外、部下には厳しいのかもしれない。実質半日で留学先を決めろなんて無茶な……と思うが、一瞬で食いついたクレアを見ると、異世界の連中は僕たちより好奇心が強いのかもしれない。
さてクレアの反応はといえば。
「あれ? そうだったの? じゃ藤原、手続きしといて。あたしはここに留学するから。今すぐね」
僕に子ども特有の生意気さで言い、くるりと振り返って「ということでよろしくねっ! せんせいっ!」と満面の笑み。榊教授も孫が出来たような気分だろう。
僕はふと手元の、ワープロ打ちの留学生のプロファイルを見る。
……あいつ、こう見えても僕より二倍ぐらい年上なんだな。黙っておこう。
現地交流
留学生があの交流センターに帰る門限は“基本的に”九時らしい。基本でないことに何があるのかはよくわからない。
僕はバフォメットにクレア正式留学の旨を伝えると、書類にサインと血印(!?)をもらうようにと言われた。どこの極道だよ。
まあともかく榊教授は快諾し、博物館に飾ってあるような古めかしい羊皮紙に名前と血をにじませた指で印を押し、僕の任務は終了。
それから数時間後、榊教授と共に大学食堂にいる。本館地下にあるパステル調の大きな食堂だ。榊教授のおごりで夕食という運びである。
クレアはメニューを睨み「これおもしろそう!」の一言で和食セット。人がたくさんいるのに動揺しないところを見ると、クレアのいた場所にも食堂はあったのだろう。
「クレア。おまえはあっちの世界で何をしてたんだ?」
必死でご飯を頬張っていたクレアは、得意げに言う。
「『幼い少女の背徳と魅力』を世に広める永遠の知識探求組織『サバト』で研究をしていたのよ。ま、こっちじゃ布教は禁止されてるからやらないけどね。バフォメット様ほんとケチなんだから……」
「なんだそれは……よ、要するにあれか。怪しいロリの集団?」
あからさまにクレアが不機嫌になる。ふふっと榊教授が笑い「女性の扱いがまだまだですね」と言う。この小さな幼女に言うに事欠いて女性ですか教授。
「さっすがせんせいっ。サバトに連れて帰れないのが惜しいわー。転送装置はあのカタブツデュラハンが守ってやがるし……」
連れてかえるな。
と、そこで教授に声をかける女性がいた。大学なので年齢がわからないが、僕より年上っぽい。
「こんばんは。あれ? その子は……」
「ああ、今度異世界留学で私のゼミに入ることになったクレアさんだ」
どうやら教授のゼミ生らしいその人は「異世界留学……?」とつぶやくと、まるで魔法にかかったように「そうなのね。可愛い子でよかった」と笑った。
いわゆる『言霊』か何かかもしれないが僕はもうつっこまない。
「せんせい、この人は?」
「四年生の塩谷由香さんだ。私のゼミでは珍しい女性の生徒だね」
クレアはご飯を食べる手を止め、「こんばんはっ」と歳相応っぽい挨拶をする。早くも心を掴んだようで塩谷さんはクレアの頭をなでる。クレアは嬉しそうに身をよじり、青い目で塩谷さんを見上げている。
早くも仲良くなり、夕食は会話が弾む。クレアはバフォメットとの通信用端末(?)を見せて「これが魔法機械! こんなのをあたしたちは作ってるの!」と得意げに自慢したりと、いかにも異世界じみた会話が続く。
塩谷さんのスマートフォンに強く興味を示したクレアは「あたしも絶対買ってもらう!」とバフォメットにねだる構えである。こいつら金とかどうしてるんだろう。
別れ際に塩谷さんとも再開を約束し、友達も出来た。
かくしてクレアの留学生デビューは成功したのであった。
※ ※ ※
交流センター
「……以上です。これで僕の仕事は終わりですね?」
僕は正式留学の証明書ならなんやらを出し、クレアが終始ご機嫌だったことをバフォメットに伝えた。
エントランスホールに敷かれた花見用と思われる座敷の上で。
「うむ。ご苦労だったな藤原。ああ、コレ(指で輪を作る)は入り口のところに置いておいたぞ。ええと、『有難く受け取り給え』」
「別に隠さなくていいですよ。有難くもらっておきます……」
僕はそこでふっと息を切る。
目の前のバフォメットは、黒い袴を着て頭に丁髷のズラ(?)をかぶっていた。
「で、その格好は何ですか?」
「ああ、これか。こっちの世界に合わせた衣装だ。似合っているだろう? セレアレもなかなかすごいから後で見に行ってみたらどうだ」
お願いだからその格好で外を歩かないで。
「……遠慮しときます。それで、次はいつ来れば?」
「明日の、そうだな。零時だ。たぶんそのとき、次の留学生が来る」
僕は返事をして、「それでは」と言って立ち上がる。
「では、また明日」
僕の異世界留学団サポーターは続いていく。
今日は講義が昼からであることを知った上で、僕は朝七時にクレアと待ち合わせる。絶対何か起きる。そう見越してのことである。
普通電車しか止まらないローカル駅なので朝の雑踏はやや少ない。そのあのちんちくりん魔法少女を見つけられないはずはないのに、僕は見つけることに手間取る。
「クレアー。どこだー」
僕が呼びかけると、後ろから返事が来る。振り返ると、雑踏の中にいた。
有名私立小学校の制服を着たクレアが。
「ふふん。似合うでしょ? バフォメット様、こんな高級な服を用意してくださったなんて……感じちゃいそう」
黒のブレザーに同色のスカート、襟元に金のバッチがついている。ランドセルなんてものはない。革っぽいデザインのリュックだ。
「さあ藤原、さっさとその大学とやらに案内しなさい。あっ、見下ろすんじゃないわよ。あたしを見下ろしてなでなでしていいのはサバトに寄与した男だけなんだから」
その格好で行くと絶対追い返される、と言うと色々面倒なことになるので、僕は「何かバフォメットさんに連絡取る手段は無いか?」と訊く。すると小さなスマートフォンサイズの板を渡された。表面に見たこともない文字がびっしり書かれている。何かの合金の板のようだ。
僕はとりあえずそれを耳に当てる。『おお、どうした』とバフォメットの声。まるで近くで話しているようだ。
「……バフォメットさん、あの服は」
『ああ。こちらの文化に合わせてみた。ちなみにセレアレも私ももう着替えているぞ。今夜見に来るがいい』
「文化には合ってますが場所には合ってませんよ。あれ着て大人しかいない大学へ入ろうとするとつまみ出されます」
『なぜだ』
ここで素直に子どもの制服ですと言うとクレアが激憤しそうなので言葉を選ぶ。
「……あれは、まだ未成熟な人専用の衣装だからです」
『だから、何が問題がある? 魔女とは永遠の未成熟の存在だ。それこそが美しい……』
ああ、永続ロリですか。そうですか。
「……じゃあ、一応連れて行きますけど、失敗しても知りませんよ」
『そんな狭量な人間の元に行くぐらいなら別の大学とやらを探すのだ』
前途は多難である。
通学
普通電車の車内はすいている。僕はクレアを座らせ、その前に立とうとすると「見下ろすなって言ってるでしょ!」と怒られたため横に座る。こうなれば保護者を気取る。
「ふーん、これがあんたの世界の移動手段……。ね、これ何で動いてるの?」
「電気だよ」
「でんき? 何、魔力属性で言うとどれ?」
「魔力属性ってなんだ」
「あんた知らないの? 昨日のうちに魔力序論ぐらい読んどきなさいよ。まあめんどくさいから省くけど、要するに魔力は物理的な力に変換すると、いくつかの典型的な形を取るの。それが属性。素人はよく勘違いするけど、あたしたちの体内魔力に属性がある……例えばウンディーネは水属性だから火に弱いとかがあるわけじゃないのよ」
いや、素人も何も知らんがな……。
「僕の世界に魔法は無い。代わりに科学、要するに自然物理学に則った力が発展しているんだ」
「……ふぅん?」
クレアがにわかに興味を示し、僕にぐっと顔を寄せてくる。
「例えば? この重たそうな箱を動かすには何をしているの?」
「その電気……物質すべての原子に含まれる電子の流れのことだが、それを使って大型の駆動機械を作動させる。それを車輪につけ、車輪を回して線路の上を運ぶ。そういう仕組みだ」
「電子……物質の原子……おもしろそうっ! ねぇねぇ藤原、もっと聞かせて!」
「と、透と呼んでくれ。嫌ならお兄さんとかでいい」
苗字で呼ばれると誘拐犯扱いされそうなんだよ。だがクレアは完全無視。
「駆動機械はその電気で動くように構造化されているわけよね? どんな構造? ねぇねぇ」
「そ、それを学びに今から大学に行くんだよ。それまで待ってろ」
「へぇ? 大学ってそういうことを学ぶ施設なのね。面白そうじゃない。あのカタブツデュラハンが押し付けたんだからどんなくだらない場所かと思ったけど」
やる気に満ちた留学生、ねぇ……。
大学
僕は理工学部情報工学科所属、その中でも自然言語処理を専攻している。
だからうっかり興味を持たせてしまった機械に関する事柄は畑違い。とは言え建物の階層が違うだけなので、僕は講義中の時間を狙って大学に侵入、迅速に研究棟までダッシュ。
バフォメットの作った『しんしょ』とやらがあるので、少なくともある程度相手に事情を伝えることは出来るらしいのだが、ひらがな発音で言われても困る。なにやら物々しいマークが中世っぽい長方形の封筒の中央に刻印されている。
「へぇ、ここが研究施設? あたしたちのところより広いわね。それになんだか無機質。何の材質で出来てるのかしら……鉄? 木? それとも石?」
彼女の姿を映すリノリウムの床を見ながら言う。材質は知らない。
僕は唯一知っている教授のゼミ室の前に行き、ノック。「中に誰かいるかもわからないの?」と呆れ気味の目を向けてくるクレア。
「失礼します。あの、留学生を連れてきたんですけど……」
雑多なゼミ室にいるのは初老の榊教授。何か言われる前に僕はバフォメットのしんしょを手渡した。
「ん? なんだこれは……?」
ぱらりとひとりでに封筒がはがれ、中身が広がる。教授の目がものすごい早さでスライドし、ふっと笑ってその手紙を懐にしまった。
何か今魔法的なものが行使された気がするが見なかったことにしよう。
「ふむ。話はわかりました。異世界留学団の人ですね。情報工学科の藤原君がそのサポーター、いやコンダクターと」
異世界に突っ込んで欲しかった。
「ええ。そういうことです。部屋に入れていいですか?」
「もちろん。熱意ある留学生は歓迎ですよ」
僕は防音の扉を開け、クレアを中に入れる。見た目も服も小学生女児が入ってきて何を思うか――
「おお。これはまた随分若い……」
「ふふん。若いからって舐めないでよーおじさん。あたしはこれでも魔術論のエキスパートなんだから。複雑な術式も一瞬よ」
うんうんと嬉しそうに頷く榊教授。この人確か専門は一昔前の内熱機関とかなんだけどな。
「ええと、そいつは魔女のクレア。なんかここに来る途中モーターの構造やらに興味を持ったから連れてきたんです。お願いできます?」
「なかなか渋いところに目をつけるね。あれは色々面倒な計算があるせいで学生はみんな嫌がる。何より油臭くて特に女の子は嫌がるね……。それで、藤原君、私の一存で講義内容を組んで構わないのかい?」
「いいんじゃないですかね。あ、えーっと、なるべくクレアの希望を聞いてやってくれると助かります」
「もちろんだ」
クレアも「じゃ、よろしくねおじさん」とか、こまっしゃくれた小学生の態度だ。せめてお遊戯のように間延びした丁寧語でも喋ればまだ可愛げがあるのにな。
講義
内容については完全に専門外なので割愛する。クレアの講義風景についてだ。
榊教授はクレアにまず基本的な計算を教えた。力学に必要な基本的な定理やら何やらを、なんと昼まで付きっきりでだ。VIP待遇にも程がある。
年端のいかない童女が僕も一年前は世話になった微分積分学の教科書を見てふんふんと頷いている。榊教授もさぞご機嫌だ。
「せんせい、どうしてこんなにたくさん定理があるんですか?」
「それだけ自然界にはいろいろな面があり、複雑に絡み合っているからだよ。君の世界はどうだったんだい?」
「そうね。四大精霊が自然の殆どの流れを制御して、後あたしたちの魔力と人間の精や神の奇跡とやらの流れがあったぐらいかな。ま、精霊なんか精を適当に与えれやればすぐ使役できるし、楽だったな」
「なるほど。魔法みたいだね。残念ながらこっちの世界は結構頑固でね、人間があんな大きな電車や飛行機を作り出すのも、誕生以来何千年もかかった。人間が身の程をわきまえず自然を捻じ曲げようとすれば、大きなしっぺ返しがくるんだよ」
てっきり残念がるかと思ったが、クレアは頷いている。
「神さまとかいないの?」
「うん、たぶんいないね。人間はそれぞれ違う神様を信じてる。でも私の研究していることは、神様に頼らない、人間だけの力なんだよ。みんなはそれを科学と呼んだ」
「人間だけの力……?」
つぶらな目で、魔女のクレアは教授を見つめる。
魔法を使う彼女は何を思っているんだろう?
「……うん。やっぱり面白そう。ねぇせんせい、その人間の力、もっと見せて」
クレアは熱心な留学生だった。
昼
なんとクレアは講義に参加していた。ちょうど自動車会社の下請けをテーマにしたNHKスペシャルを上映するときだったらしく、スライドに映る光を見るだけで「すごい! すごいわ科学って!」とかはしゃぎだす始末だ。
ああ、ちなみに僕はなぜか公欠扱いだ。まあどうせ実習科目ではないので抜けても大して問題はない。
そのビデオの内容はかなり難解だ。まずクレアは社会のシステムを知らない。下手すれば中学生より予備知識がないのに、クレアは流れる言葉一言一句すら聞き逃さないように青い目を向けビデオを見る。
言葉をつなげて類推しているのかもしれない。クレアはおそらく、向こうの世界で社会的に暮らしていただろうから、供給者と消費者の関係は知っているだろう。
ビデオが終わり、生徒がクレアをちらちら見ながらも理系学生特有の関わりたくないオーラで散っていく。クレアはぱたぱたと教授に駆け寄り、「すっごくおもしろかった!」と満面の笑顔で言う。
「あんな小さな鉄くずを組み合わせて大きなものを動かすのね……。そんなことが出来るなんて」
「興味を持っていただけたかな?」
クレアは嬉しそうに頷いていた。
ゼミ室その2
クレアは講義を終えた榊教授の後ろをちょこまかとついてまわり、他の構造機械とはどんなものがあるのか、さっき聞いた自動車はどこにあるのか、と質問攻めする。
魔女はロリロリな見た目に反して頭の回転が早い。榊教授もなにやら難しそうな図面を引っ張り出し、ゼミの机いっぱいに広げる。ぱあっとクレアが輝く笑顔を浮かべる。
「すごい……これが構造図なのね。この通りに金属を組み上げればエンジンを作れる……ねぇせんせい、これ持って帰っていい!?」
「うーん、そうだね。正式にここに留学すると決めたらだね。そうだったね? 藤原君」
ここまで終始空気の僕は頷く。
さっきのビデオ中に読んでおいた、なにやら豪華な装丁の羊皮紙束、サポーター要旨によると、留学団の留学生は、サポーターと行動したその日のうちに留学先を決めそこで学ぶようだ。つまりとっかえひっかえは出来ない。飽きっぽい奴はだめだということだ。
随分シビアなルールだ。あのバフォメットは案外、部下には厳しいのかもしれない。実質半日で留学先を決めろなんて無茶な……と思うが、一瞬で食いついたクレアを見ると、異世界の連中は僕たちより好奇心が強いのかもしれない。
さてクレアの反応はといえば。
「あれ? そうだったの? じゃ藤原、手続きしといて。あたしはここに留学するから。今すぐね」
僕に子ども特有の生意気さで言い、くるりと振り返って「ということでよろしくねっ! せんせいっ!」と満面の笑み。榊教授も孫が出来たような気分だろう。
僕はふと手元の、ワープロ打ちの留学生のプロファイルを見る。
……あいつ、こう見えても僕より二倍ぐらい年上なんだな。黙っておこう。
現地交流
留学生があの交流センターに帰る門限は“基本的に”九時らしい。基本でないことに何があるのかはよくわからない。
僕はバフォメットにクレア正式留学の旨を伝えると、書類にサインと血印(!?)をもらうようにと言われた。どこの極道だよ。
まあともかく榊教授は快諾し、博物館に飾ってあるような古めかしい羊皮紙に名前と血をにじませた指で印を押し、僕の任務は終了。
それから数時間後、榊教授と共に大学食堂にいる。本館地下にあるパステル調の大きな食堂だ。榊教授のおごりで夕食という運びである。
クレアはメニューを睨み「これおもしろそう!」の一言で和食セット。人がたくさんいるのに動揺しないところを見ると、クレアのいた場所にも食堂はあったのだろう。
「クレア。おまえはあっちの世界で何をしてたんだ?」
必死でご飯を頬張っていたクレアは、得意げに言う。
「『幼い少女の背徳と魅力』を世に広める永遠の知識探求組織『サバト』で研究をしていたのよ。ま、こっちじゃ布教は禁止されてるからやらないけどね。バフォメット様ほんとケチなんだから……」
「なんだそれは……よ、要するにあれか。怪しいロリの集団?」
あからさまにクレアが不機嫌になる。ふふっと榊教授が笑い「女性の扱いがまだまだですね」と言う。この小さな幼女に言うに事欠いて女性ですか教授。
「さっすがせんせいっ。サバトに連れて帰れないのが惜しいわー。転送装置はあのカタブツデュラハンが守ってやがるし……」
連れてかえるな。
と、そこで教授に声をかける女性がいた。大学なので年齢がわからないが、僕より年上っぽい。
「こんばんは。あれ? その子は……」
「ああ、今度異世界留学で私のゼミに入ることになったクレアさんだ」
どうやら教授のゼミ生らしいその人は「異世界留学……?」とつぶやくと、まるで魔法にかかったように「そうなのね。可愛い子でよかった」と笑った。
いわゆる『言霊』か何かかもしれないが僕はもうつっこまない。
「せんせい、この人は?」
「四年生の塩谷由香さんだ。私のゼミでは珍しい女性の生徒だね」
クレアはご飯を食べる手を止め、「こんばんはっ」と歳相応っぽい挨拶をする。早くも心を掴んだようで塩谷さんはクレアの頭をなでる。クレアは嬉しそうに身をよじり、青い目で塩谷さんを見上げている。
早くも仲良くなり、夕食は会話が弾む。クレアはバフォメットとの通信用端末(?)を見せて「これが魔法機械! こんなのをあたしたちは作ってるの!」と得意げに自慢したりと、いかにも異世界じみた会話が続く。
塩谷さんのスマートフォンに強く興味を示したクレアは「あたしも絶対買ってもらう!」とバフォメットにねだる構えである。こいつら金とかどうしてるんだろう。
別れ際に塩谷さんとも再開を約束し、友達も出来た。
かくしてクレアの留学生デビューは成功したのであった。
※ ※ ※
交流センター
「……以上です。これで僕の仕事は終わりですね?」
僕は正式留学の証明書ならなんやらを出し、クレアが終始ご機嫌だったことをバフォメットに伝えた。
エントランスホールに敷かれた花見用と思われる座敷の上で。
「うむ。ご苦労だったな藤原。ああ、コレ(指で輪を作る)は入り口のところに置いておいたぞ。ええと、『有難く受け取り給え』」
「別に隠さなくていいですよ。有難くもらっておきます……」
僕はそこでふっと息を切る。
目の前のバフォメットは、黒い袴を着て頭に丁髷のズラ(?)をかぶっていた。
「で、その格好は何ですか?」
「ああ、これか。こっちの世界に合わせた衣装だ。似合っているだろう? セレアレもなかなかすごいから後で見に行ってみたらどうだ」
お願いだからその格好で外を歩かないで。
「……遠慮しときます。それで、次はいつ来れば?」
「明日の、そうだな。零時だ。たぶんそのとき、次の留学生が来る」
僕は返事をして、「それでは」と言って立ち上がる。
「では、また明日」
僕の異世界留学団サポーターは続いていく。
12/06/27 01:20更新 / 地味
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