プロローグ 異世界留学団サポーター契約
だいたい七月の中ほどだっただろうか。
椎茸の名産地の地元を離れ、中堅やや上程度の私立大学に通って二年目になる僕。この日本で最も遊びにかまけるけしからん世代である。
夏休みまで指折り数えたい時期であるのに、そんなものをする気力もなし。大学の作成したカラフルなインターンシップの小冊子を眺める暇があれば、同じカラフルなバイト募集紙を見るほうが賢明であろうと僕は思っていた。
そんなバイト募集紙――白い豚の描いたオレンジの薄っぺらいそれから、物語は始まる。
「……サポーター募集?」
まるで一昔前の新聞の求人欄のように、そこだけ白黒でそう書かれていた。全部読むなら『サポーター求む。幅広い知識のある方。男性のみ。強壮な方。高給ですヨ。現地集合、毎日零時より(以下住所)』……胡散臭い。
確か男性のみと求人に書くのは違法だった気がする。でも天下のバイト募集紙にそんな募集広告が事実存在する。
「間違っていたずらが載ってしまったとかか?」
どこをどう間違うとかそんなのは知らない。とにかく何かのいたずらだろう。
何か――
僕の家から少し離れた住宅街の中にその建物――『交流センター』とだけ銘打たれた体育館ほどある公共施設があった。深夜というのに明かりはついていない。なのに入り口の門は開いている。
「……早とちりしすぎたか?」
これでマフィアのアジトなんかだったら本当に笑えない。絶対何かあると思って来たんです、なんて言ったら殺されそうだ。
何もでないでくれよ……と僕は一心に祈り、敷地へ入り入り口のガラス扉を引く。
すさまじい光が目を焼く。
「うわっ!」
僕はしりもちをついてしまう。何も見えない。至近距離でカメラのフラッシュを焚かれたようだ。
とりあえず手近な扉を掴み、後ろに広がるはずの夜を見るが目はホワイトアウトしたまま。ただ、声は聞こえる。
「ほおー。若い男か」
「ふん……漸くか」
どちらも女性。片方は子ども。僕はそちらへ向く。ちらちらと何かが動くのが見える――
「いつまで目を瞑っている」
「え……?」
目をつぶって? 僕は開いているはずの目を開こうとする。すると白い残像はふっと消えうせ、すべてが見える。
ホテルのエントランス。そう表現するのが適切な場所。
やや無機質だがフロントがあり、それっぽい観葉植物があり、左右にはエレベーターがあるし非常口までちゃんとある。
そして天井がとても高い。あり得ないほどに。
そこに立つ、二つの影も見える。
悪魔のような角と毛皮を纏う幼女と。
深緑色の西洋鎧を纏う女騎士。
人間じゃないこいつら。と直感。
「……あなたたちが、あの広告の?」
言葉は通じる。
「そうだ。先に名乗っておこう。私はバフォメット。この交流センターの管理者であり――『留学団』の管理者でもある」
悪魔のような幼女バフォメット。
「……『留学団』のセレアレ。バフォメット様の護衛でもあるがな」
紅い瞳の女騎士セレアレ。
「……藤原透(ふじわらとおる)です。サポーターとして働かせてほしくて来ました」
僕はバイト経験が希薄なので正直どうすればいいかわからないがお辞儀しておいた。心臓が異常な速度で拍動する。
目の前に立つ二人――特にセレアレのほうは僕と歳が近いように見える。彼女はとてつもない美少女だ。西洋系と東洋系の中間のような顔立ちはなぜかとても惹かれる。
「なるほど、なかなか度胸があるようだな。早速本題に移らせてもらおうか。セレアレ、あれを持ってきてくれ。この、藤原の分も」
「……わかりました」
セレアレはお辞儀してフロントの向こうへ消える。バフォメットはにやりと笑って、どこかから座布団を出して大理石っぽい床の上に置いた。僕の分も。
「ざぶとん?」
「ん? これがこの国での礼儀ではないのか?」
「いや、こういう床に座布団は……」
ふむ、とバフォメットは唸り、「まあ次から変えておくから座れ」と促してくる。案の定座ると尻が冷たい。
いちいち突っ込むと話が止まるので、以降極力無視して進めよう。
「では説明しようか。まず藤原透、おまえには私の留学団のサポート、特に留学先の……なんだったか、ああそう、『あっせん』をしてほしい」
「斡旋?」
「そう。ここは交流センターの名前の通り、私たちとおまえたちとの交流の基点だ。ここにじきに留学団が集まってくる。留学生たちにふさわしい留学先を探してほしい。ああ、えーと、『もちろんカネはたんまり出すぞうへへ』」
「……どこで覚えたんですか? その言葉」
なんだろう、ここで僕もこのバフォメットが何なのかわかってきた。いや、人外であることは疑わないけど、たぶん、言葉は通じるけど話は通じないかもしれない。
「お金はまあ、いいんですけど、具体的にどう案内するんです?」
「どう? こう、上の奴らに言って熱心な留学生ですから入れてくださいと頼めばいいんだ。簡単だろう」
「いや……日本は試験とかあるはずですけど……」
この時点で僕は、この留学生というのが普遍的な意味での、大学に海外から学びに来るようなものではないことは気付いていた。すなわち案内すべき場所とは大学だけではない。
「面倒な……。藤原、おまえの力でなんとかならないのか。『もちろんカネは――』」
「お金でどうにかするとか留学生じゃないですよ。まあ、一応、僕の大学のゼミとかありますけど……」
「ぜみ? よくわからんが、最初の留学生はそこに向かわせるか」
なにやら一つ決まったところで、セレアレが戻ってくる。昔懐かしいあの十円の棒状のおかしを数本、まるで剣のように正眼で構えて。
「遠慮せず食べるがいい。『なぁにここは私の奢りだ』」
十円駄菓子奢られても……。バフォメットはカリカリとその棒状菓子を食べ、にっこりと笑顔。セレアレも縦笛を吹くような奇妙なスタイルで食べている。
「最初の留学生、ということはセレアレさんを?」
セレアレが不愉快そうな顔をする。
「こいつは私の護衛でもあるし、色々な雑事をしているからな。次、そう。後半刻ほどで来る留学生をその学校に送ろうか」
「それまでは?」
バフォメットはにやりと笑う。
「……そうだな、おまえの身の上話でも、聞かせてもらおうか」
僕は特筆することと言えば無線技師と日本語検定二級を持っていることぐらいであり、敢えて何も言うことはなかった――はずなのに、僕は約三十分間、バフォメット相手に自分のことを喋り続けていた。
家族のこと。友人関係。血液型。住所。年齢。好きなこと。嫌いなこと。出来ること。出来ないこと。愛読する漫画。思想。
僕の人生の何分の一かを語り終えたところで、セレエレが「着いたようです」とバフォメットに告げる。僕は好きな女性のタイプを言うその直前で止められた。
座布団からバフォメットが立ち上がると、チン、と音がしてエレベーターが開く。
バフォメットとさほど変わらない歳の幼女がそこにいた。
「やっほー。あ、あんたがバフォメット様の選んだ人間? ふーん、まあまあね」
いきなり値踏みされる。
「……この子が留学生第一号ですか?」
「ああ。私のサバ――仕事上の部下でもある、魔女のクレアだ」
魔女ね……。ちんちくりんのローブと三角帽子に物々しい杖といかにも魔女だ。
「まあ、よろしく。クレア。サポーターの藤原透だ」
青いくりくりの目で僕を睨むも数秒、「はいはい」とやる気なさげに返事した。
僕は翌日朝七時に駅前集合であることをクレアに伝え、バフォメットから帰宅の許可が出たためさっさと帰って寝た。
高まる興奮と共に。
かくして僕の、異世界からの留学生を案内する毎日が始まる。
椎茸の名産地の地元を離れ、中堅やや上程度の私立大学に通って二年目になる僕。この日本で最も遊びにかまけるけしからん世代である。
夏休みまで指折り数えたい時期であるのに、そんなものをする気力もなし。大学の作成したカラフルなインターンシップの小冊子を眺める暇があれば、同じカラフルなバイト募集紙を見るほうが賢明であろうと僕は思っていた。
そんなバイト募集紙――白い豚の描いたオレンジの薄っぺらいそれから、物語は始まる。
「……サポーター募集?」
まるで一昔前の新聞の求人欄のように、そこだけ白黒でそう書かれていた。全部読むなら『サポーター求む。幅広い知識のある方。男性のみ。強壮な方。高給ですヨ。現地集合、毎日零時より(以下住所)』……胡散臭い。
確か男性のみと求人に書くのは違法だった気がする。でも天下のバイト募集紙にそんな募集広告が事実存在する。
「間違っていたずらが載ってしまったとかか?」
どこをどう間違うとかそんなのは知らない。とにかく何かのいたずらだろう。
何か――
僕の家から少し離れた住宅街の中にその建物――『交流センター』とだけ銘打たれた体育館ほどある公共施設があった。深夜というのに明かりはついていない。なのに入り口の門は開いている。
「……早とちりしすぎたか?」
これでマフィアのアジトなんかだったら本当に笑えない。絶対何かあると思って来たんです、なんて言ったら殺されそうだ。
何もでないでくれよ……と僕は一心に祈り、敷地へ入り入り口のガラス扉を引く。
すさまじい光が目を焼く。
「うわっ!」
僕はしりもちをついてしまう。何も見えない。至近距離でカメラのフラッシュを焚かれたようだ。
とりあえず手近な扉を掴み、後ろに広がるはずの夜を見るが目はホワイトアウトしたまま。ただ、声は聞こえる。
「ほおー。若い男か」
「ふん……漸くか」
どちらも女性。片方は子ども。僕はそちらへ向く。ちらちらと何かが動くのが見える――
「いつまで目を瞑っている」
「え……?」
目をつぶって? 僕は開いているはずの目を開こうとする。すると白い残像はふっと消えうせ、すべてが見える。
ホテルのエントランス。そう表現するのが適切な場所。
やや無機質だがフロントがあり、それっぽい観葉植物があり、左右にはエレベーターがあるし非常口までちゃんとある。
そして天井がとても高い。あり得ないほどに。
そこに立つ、二つの影も見える。
悪魔のような角と毛皮を纏う幼女と。
深緑色の西洋鎧を纏う女騎士。
人間じゃないこいつら。と直感。
「……あなたたちが、あの広告の?」
言葉は通じる。
「そうだ。先に名乗っておこう。私はバフォメット。この交流センターの管理者であり――『留学団』の管理者でもある」
悪魔のような幼女バフォメット。
「……『留学団』のセレアレ。バフォメット様の護衛でもあるがな」
紅い瞳の女騎士セレアレ。
「……藤原透(ふじわらとおる)です。サポーターとして働かせてほしくて来ました」
僕はバイト経験が希薄なので正直どうすればいいかわからないがお辞儀しておいた。心臓が異常な速度で拍動する。
目の前に立つ二人――特にセレアレのほうは僕と歳が近いように見える。彼女はとてつもない美少女だ。西洋系と東洋系の中間のような顔立ちはなぜかとても惹かれる。
「なるほど、なかなか度胸があるようだな。早速本題に移らせてもらおうか。セレアレ、あれを持ってきてくれ。この、藤原の分も」
「……わかりました」
セレアレはお辞儀してフロントの向こうへ消える。バフォメットはにやりと笑って、どこかから座布団を出して大理石っぽい床の上に置いた。僕の分も。
「ざぶとん?」
「ん? これがこの国での礼儀ではないのか?」
「いや、こういう床に座布団は……」
ふむ、とバフォメットは唸り、「まあ次から変えておくから座れ」と促してくる。案の定座ると尻が冷たい。
いちいち突っ込むと話が止まるので、以降極力無視して進めよう。
「では説明しようか。まず藤原透、おまえには私の留学団のサポート、特に留学先の……なんだったか、ああそう、『あっせん』をしてほしい」
「斡旋?」
「そう。ここは交流センターの名前の通り、私たちとおまえたちとの交流の基点だ。ここにじきに留学団が集まってくる。留学生たちにふさわしい留学先を探してほしい。ああ、えーと、『もちろんカネはたんまり出すぞうへへ』」
「……どこで覚えたんですか? その言葉」
なんだろう、ここで僕もこのバフォメットが何なのかわかってきた。いや、人外であることは疑わないけど、たぶん、言葉は通じるけど話は通じないかもしれない。
「お金はまあ、いいんですけど、具体的にどう案内するんです?」
「どう? こう、上の奴らに言って熱心な留学生ですから入れてくださいと頼めばいいんだ。簡単だろう」
「いや……日本は試験とかあるはずですけど……」
この時点で僕は、この留学生というのが普遍的な意味での、大学に海外から学びに来るようなものではないことは気付いていた。すなわち案内すべき場所とは大学だけではない。
「面倒な……。藤原、おまえの力でなんとかならないのか。『もちろんカネは――』」
「お金でどうにかするとか留学生じゃないですよ。まあ、一応、僕の大学のゼミとかありますけど……」
「ぜみ? よくわからんが、最初の留学生はそこに向かわせるか」
なにやら一つ決まったところで、セレアレが戻ってくる。昔懐かしいあの十円の棒状のおかしを数本、まるで剣のように正眼で構えて。
「遠慮せず食べるがいい。『なぁにここは私の奢りだ』」
十円駄菓子奢られても……。バフォメットはカリカリとその棒状菓子を食べ、にっこりと笑顔。セレアレも縦笛を吹くような奇妙なスタイルで食べている。
「最初の留学生、ということはセレアレさんを?」
セレアレが不愉快そうな顔をする。
「こいつは私の護衛でもあるし、色々な雑事をしているからな。次、そう。後半刻ほどで来る留学生をその学校に送ろうか」
「それまでは?」
バフォメットはにやりと笑う。
「……そうだな、おまえの身の上話でも、聞かせてもらおうか」
僕は特筆することと言えば無線技師と日本語検定二級を持っていることぐらいであり、敢えて何も言うことはなかった――はずなのに、僕は約三十分間、バフォメット相手に自分のことを喋り続けていた。
家族のこと。友人関係。血液型。住所。年齢。好きなこと。嫌いなこと。出来ること。出来ないこと。愛読する漫画。思想。
僕の人生の何分の一かを語り終えたところで、セレエレが「着いたようです」とバフォメットに告げる。僕は好きな女性のタイプを言うその直前で止められた。
座布団からバフォメットが立ち上がると、チン、と音がしてエレベーターが開く。
バフォメットとさほど変わらない歳の幼女がそこにいた。
「やっほー。あ、あんたがバフォメット様の選んだ人間? ふーん、まあまあね」
いきなり値踏みされる。
「……この子が留学生第一号ですか?」
「ああ。私のサバ――仕事上の部下でもある、魔女のクレアだ」
魔女ね……。ちんちくりんのローブと三角帽子に物々しい杖といかにも魔女だ。
「まあ、よろしく。クレア。サポーターの藤原透だ」
青いくりくりの目で僕を睨むも数秒、「はいはい」とやる気なさげに返事した。
僕は翌日朝七時に駅前集合であることをクレアに伝え、バフォメットから帰宅の許可が出たためさっさと帰って寝た。
高まる興奮と共に。
かくして僕の、異世界からの留学生を案内する毎日が始まる。
12/06/27 01:16更新 / 地味
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