ジャイアントアントの世界
「ここの地均し終わったんだ? お疲れ様ー」
「はいっ。お疲れ様ですっ」
わたしは同僚に元気よく返事して、愛用のスコップを担いで次の予定地へ移動する。地均しから単純な穴掘り、土の成形まで出来る万能のスコップ。
魔力に薄い森の中。わたしたちはそこに新たな巣を作っている。わたしは入り口(予定地)の地面を柔らかくしていく役目だ。もちろん、外から空気やその他色んなものを取り入れるための穴の予定地も均す必要がある。
周りを見ればたくさんの同僚が木を切り、巣から内壁用の糊を持ってきて、何人かは倒した木の製材をしている。あの木はたぶん、薪にするのかな。そろそろ冬が来る。
わたしは再びスコップを持ち上げ、勢いよく打ち下ろす。森の土は硬い。
「……あれ?」
……わたし、どうしてこんなとこで穴掘ってるんだろう?
手を止めると、なんだか頭がぼうっとする。何、してたんだっけ?
なんだか体にちょっと違和感がある。普段、風のあたらないところに風があたるような。自分の体を見る。
薄く纏った上着と、深青色の六つの甲殻の脚。ジャイアントアントとして普通のこと。
……普通? いや、なにかおかしい気がする……確かわたし、鍛冶屋のおじさんから鍋をもらって、家に帰ろうと……。
「……家? 家って、巣、だよね?」
何あたりまえのこと言ってるんだろう? うーん……鍛冶屋ってそもそもなんだっけ? 魔界のほうにはあるのかな? 行ったことがないけど。
「おーい、進んでるー?」
「あっ、はいっ!」
うしろから同僚の言葉が飛んできて、わたしは我にかえる。いけない。仕事中に変なこと考えるなんて。
女王様のために。日の出ている間に休むなんていけないこと。
わたしはまたスコップを握り、勢いよく振り下ろした。
日が沈むと、わたしたちはその日の仕事をやめて巣に戻る。今の巣の入り口はちょっと狭くて、みんながぞろっと並ばなきゃいけない。
結局、なんだかずっと頭がもやもやしていて、自分の脚を切ってしまったりと散々だった。足の先がちょっと縮んじゃった……短いの、結構気にしてるのに。
「はぁー。疲れたわー。あんたもお疲れさま。まだ若いのにやるじゃない」
わたしのルームメイトが笑顔で労ってくれた。ちょっと紫がかった髪がとても綺麗で、腕にうっすらついた筋肉も見ていて惚れ惚れする。
「あっ、はいっ。えっと……」
……あれ? この人、なんて名前だっけ……。
そもそもわたし、名前を誰かに教えてもらったこと、あった……?
「ん? どしたのエリ」
「あっ、いいえなんでもっ。ちょっと脚痛いので冷やしてきますね」
わたしは列から抜け出して、近くの木陰に入った。脚が痛いなんて嘘。わたしたちの脚に痛いなんて感触はそういえばなかった。
なんだかすべてが曖昧に見える。エリ? エリって名前、わたし? ノーマって名前じゃなかったっけ?
一生懸命頭を働かせて、仕事に出る前を思い出そうとした。ルームメイトのあの子を確かに名前で呼んでいたし、わたしは一年前ここで女王様から生まれた……言葉にするとそうなのに、どうしてか映像がまったく浮かんでこない。あの子にわたしが惚れこんで一緒に暮らしませんかって言ったことは覚えてるけど、どんなとき、いつ、何月に言った……?
「うぅー……」
頭を使うと触角の付け根あたりがびりびりと痛む。あんまり深く考えないほうがいいのかな。考える前に即行動! ってあの子も言ってたし。
わたしはもう列のなくなった巣の入り口に戻って、入り口のすぐ横の部屋へ。ここはわたしの部屋。アラクネの糸で編んだすだれと、森で見つけた赤い石が目印。これを編んだのはあの子だったかな。手先も器用。
わたしは部屋に入ってすぐ、端っこにある洗面台に駆け寄って鏡を見た。
薄いオレンジの目をした、ちょっと幼めの少女。黒い髪はみんなと違う直毛。触角はまだ小さめだけど感度抜群。
そのまま振り返って、部屋の中を見る。ジャイアントアント秘伝の糊で土を固めて作った楕円形の部屋。決して崩れることはないし、触り心地もいい。
壁から張り出すようにベッドが二つとラックがいくつか、部屋の真ん中にはくつろぐ用のマットが二枚。天井には火の精霊が入ったランプ。部屋の入り口には最近入った電信機(他の部屋の人と声でやりとりする道具)。隣り合った机にはあの子の私物の本があって、わたしの机の上には蜜の壷が置きっぱなし。ベッドの横には食材を保管できる冷蔵庫がある。水の精霊を使っているらしい。
わたしはわたしだよね? ここは何年も暮らしたわたしの部屋だよね? どうして確認しようとしたんだろう?
「……うぅ」
また頭が痛い。体もすごく疲れてる。わたしはベッドに横になった。最近ちょっと鋭角になったお尻を先にベッドへ乗せて、脚をたたんで寝る。甲殻が擦れる音にどうしてか違和感。
「ただいま。あれ、どしたのエリ。さっきからなんかおかしいけど」
まぶしい笑顔のあの子が帰ってきた。首からかけたタオルで汗をふいている。たぶん、女王様のところへ行っていたのかな。
「な、なんでもないです。ちょっと、色々考え事しすぎちゃって」
「ふぅん? 若いっていいねー。アタシも若い頃はよく物思いにふけったわー」
うんうんと頷いている。わたしとまったく歳が変わらないように見えるけど、わたしの直感は確かにこの人はわたしより年上だと言っている。
「……あの、あなたの名前、なんでしたっけ?」
「ん? なぁに何かの冗談? それとも考えすぎてちょっと馬鹿になった?」
「そ、そうです。なんだか、わたしほんとにここにいたのかなー、なんて……」
何言ってるんだろう。でもルームメイトの子は「詩情にでも目覚めたの?」と怪しまずにいてくれた。
「じゃあそんなあんたにもう一度だけ。アタシはセラ。そしてあんたはエリ。わかった?」
「は、はい。わかり、ました」
わたしはエリ。エリ、だよね? 何言ってるんだろう。
寝返りをうって、セラのほうを見る。長い触角がどことなくつやつやしていた。女王様に舐めてもらったのかな……うらやましい。
わたしたちにとって触角は、距離や地面の深さをはかるために重要な器官。そんな敏感なところだから、もちろん舐められたりすれば欲情をかきたてられる。
「んっ……」
だから自分でいじることもする。疲労回復のためにも。ツンと甘い匂いが立ち込める。わたしのお尻から出る『フェロモン』の匂い。まだわたしは幼いから、だいぶ量は少ない。これが出るようになったときはびっくりしたなぁ……。
「ふふん。エリ、あんたもはやく女王様と話せるようになるといいわね」
「ん、はい、そうですね」
女王様、ときいて頭の中に生まれ持った知識が浮かぶ。
(巣によって少し差はあるけど)わたしたちは一人の女王様の元で毎日働く。年齢によって大まかな階級があり、わたしみたいな若い子は女王様に会うことはできない。会おうとしても道がわからない。わたしの部屋が巣の入り口に近いところにあるのを見ればわかるように――若い子ほど入り口に近いところにいる。だから奥への行き方はわからない。
セラは特別。本当はもっと奥にいたんだけど、わたしのためにここまで来てくれた。
もちろん、まだ人間の男性を連れ込むこともできない。声は聞こえてくるけど、どこにいるかわからない。だからわたしは自慰するしかないのだけど……。
わたしたちジャイアントアントは、疲労と性欲の高まりが繋がっている。人間の男性と性交できる人たちはうらやましいと思うけど、わたしはまだ若いからしょうがない。
「はぁっ……セラ、ちょっと水もらいます」
わたしはなんとか三回の絶頂でどうしようもないムラムラを抑え込んで、冷蔵庫から水を取り出す。糊で固めた葉を何層も束ね、水筒にしているんだ。
「巣の入り口に撒いとくの、忘れないようにね」
「あ、はいっ」
忘れていた。わたしはベッドの上に散らばった透明なフェロモンを葉に集め、巣の入り口に撒いた。人間の男性をおびき寄せるためで、わたしたちの仕事の一つ。外は真っ暗で何も見えないから、少し怖い。
「何読んでるんですか?」
部屋に戻ると、セラがマットの上で本を読んでいた。
「ん? ああ、さっき女王様からもらった本。なんか難しくて、面白いよ」
なんだか複雑な図や線がたくさん描かれていて、そこに『土魔法の体系化の考察』とか書かれている。
「魔女ってあんた知ってる? 魔王様直属の魔法研究家の人たちだけど……その人たちの研究が書かれているみたい。ま、アタシにはさっぱりだけどね」
「……それなら、どうしてそれを?」
「いやー。なんていうんだろうね。女王様がお気に入りならアタシも近づきたいってわけ。そろそろ適齢期だし。あんたにはまだわかんないかな」
女王様に近づきたい……。まだ見たことが無いけど、わたしも近づきたい。
「それにさ、難しいってわくわくするでしょ?」
「うんっ。そうですっ」
わたしも読みたくなって、セラの本を一冊借りてみた。『親魔物派人間に見られる特性とその利用法』……うーん。むずかしい。親魔物って確か、わたしたち魔物と仲良くしたいと思っている人のことだったよね?
長い間読んでいると、だんだん目が疲れてくる。セラもそうみたいで、「そろそろご飯にしようか」と言った。
わたしたちは季節によって食べるものを変える。今は森で『収集班』の人たちが取ってくれた木の実や動物の死骸だ。猪の死骸がいくつか手に入ったから、わたしのところにも肉が来た。マットの上に並べて、少し脚をかがめて前のめりに食べる。
「……あの、食器は?」
「しょっき? 何それ?」
目の前にあるのは、葉の上に盛られた椎の実と赤々しい肉。木の実はともかく肉はフォークやナイフがないと無理じゃないのかな……と思って訊いたけど、その言葉自体の意味がわからないらしい。
……あれ? 食器ってなんだっけ? ご飯を食べる時に使うもの? 手?
「まだ錯乱してるのね。いやー若いわー」
セラは大人びた笑いを浮かべて、肉を食いちぎり、団子状に丸めて食べた。そうだ。何言ってるんだろう。食べ方まで忘れるなんて。
わたしも大きな肉の塊を取って、口の内側にあるハサミ状の大顎で小さく千切った。両手で丸めて、ごくりと飲み込む。木の実もまた同じ。昔は殻を砕くことが出来なかったけど、今はだいぶ大顎も硬くなった。
「若いうちは食べて寝る。これでいいんだよ。男と交われるのはまだ先の話ね」
「もぐもぐ……セラはいいですねぇ……わたしもいつか、性交できるんでしょうか」
セラは触角をなでながら、淫靡に笑った。
「ま、性交“だけ”なら冬ぐらいに出来るんじゃない? ハニービーの奴らが男を根こそぎさらっていかなきゃ、だけど」
冬か……楽しみ。
わたしが食べ終わると、セラは男の人がたくさんいる部屋に行ってしまう。
でも、お尻のあたりをむずむずさせる匂いがまだ残っていた。ねばつく透明な液体。
セラが食事中に出したフェロモンのせいで、わたしはまたしばらく自慰することになった。
……今日はなんだか、変な日だったなぁ。
その後わたしがぼんやりすることは時々あった――蝿のたかる動物の死骸を細かく分けるときや、仕事が変わるときに――けれど、だいたい順調に仕事は進んでいく。
わたしたちは『警備班』『収集班』『彫刻班』『巣作り班』『お付』と分かれている。それぞれ、武器になる魔道具をもってあたりを警備する班、遠くの魔女のキャンプや親魔物町まで本や薬を買いに行ったり食べ物を集める班、女王様を悦ばせる彫刻を作る班、巣作りに関する土木作業を行う班、そして女王様の傍につき、女王様のお世話をする最高階級の人たち。
そうそう。必ず巣の中をうろうろするだけの役目の人もいる。何をしているのかわからないけど。
お付以外は、フェロモンを目印代わりにして行動する。ここにたまに人間の男性が引っかかり巣までふらふら入ってくることがあって、そのときは専用の部屋まで連れて行って女王様が選別するらしい。
基本的にわたしたちは、フェロモンのない場所には行かない。巣の中で知らない場所へ行かないのもそのせいだ。昔は巣の中にフェロモンを撒いていたらしいんだけど、眠れなくなる人が増えすぎてやめにしたんだって。代わりに登場したのが電信機。
仕事が変わるのは成長につれてになる。フェロモンを持続的に撒けないと遠くには行けないし、大顎が発達していないと彫刻は出来ない。わたしはつい最近、ようやく巣のまわりの森ぐらいなら歩けるようになった。
その中でも彫刻班とお付は、だいぶセンスが問われる。今日は運よく、彫刻班の人たちが新しい巣から出た土で彫刻を作っていた。
彫刻は土を糊や自分の唾で固めて、立体的に作る。とても難しい作業。巣作り班でも巣の入り口の高さや空気の取り入れ口はかなり難しいんだ。
「どう? 会心の出来だと思うんだけど?」
彫刻班の人が話しかけてきた。興奮冷めやらない感じで、大顎が少し口からはみ出ている。
「はいっ。とってもすごいとおもいますっ」
そそり立つ男性器の彫刻。とっても素晴らしい。女王様も絶対悦んでくれるに違いない。
「はぁー……早くあいつと交わりたいわー。この間迷い込んだ兵士くずれなんだけど、私の裸を見ただけで興奮しちゃって。やりがいあるわ」
いいなぁ……。この人はたぶんわたしより半回り年上。セラと同じぐらいかもしれない。むき出しの背中から生えかけの羽がとても美しい。
働く間も性欲が高まることはもちろんあるけど、決して自慰はしない。わたしたちは日が出ている間はずっと働くんだ。女王様のために。
巣作りは内部のかなり奥のほうまでになった。
細かい図面を書いたりはしない。ノリと気合でどんどん掘って、部屋を作っていく。わたしは入り口付近で運搬する係だけど……その中には巣の中につける火の精霊の照明や、魔力の流れを調整するための丸い機械もある。
これは全部、魔女から買ったもの。わたしたちジャイアントアントは、一部の人たちが魔王軍の工兵部隊として正式に雇われていて、太いパイプがある。だからこういう魔道具、魔法機械をたくさん使える。もちろん機械だけじゃないらしいけど……。
「はぁ……はぁ……」
「おー? どうしたのエリ。まだ夜は早いよ」
「わ、わかってます。でも……フェロモンの匂いが、すごくきつくて」
人がたくさん集まれば、時々こぼれてしまうフェロモンも増える。それにつられて、わたしのお尻からもフェロモンが零れ落ちる。力が弱まることはないけど、精神的にきつい。
「ま、すぐに慣れるでしょ。アタシがちょっと部屋でこぼしただけですぐ自慰したくなるんだから、エリって元々手が早いのかもね」
「そ、そうかもしれませんね……」
人一倍性欲が強いかもしれない……。でもその響きはとても魅力的。たくさん卵を産めそう。
セラはそんなわたしに配慮してくれたのか、巣の少し奥に配置を変えてくれた。
そこでわたしは、わたしたち以外の生き物を見る。
人間の女性がいた。
細く長い指で、照明や機械の取り付けをしていた。
彼女たちは年齢でいうと、十代中盤ぐらい。わたしの近くの一人は土で汚れた絹の服を着て、疲れた顔で、絶望した目で、無言で作業していた。
「あ…………」
それを見て、わたしは仕事を止めていた。頬を涙が伝った。
「……なによ。虫けらめ」
わたしの近くにいた気の強そうな子が、わたしを睨み付けた。汚れているけどその髪は淡い金髪で、青い目で。
わたしは何も言えない。
「チッ……ったく。ふざけんじゃないわよ。どうしてあたしがこんなこと……」
わたしに何か痛くて強い感情――それが何なのかわからない――を向けて舌打ちして、機械の取り付け作業に戻る。
よく見れば他の同僚は、ちらちらと人間の女性を見ている。
……? どうしてわたし、涙が出たんだろう?
「あの、どうして人間の女性がここに?」
わたしはまた手を動かして訊ねた。さすがにどうして泣いたのかなんて訊けない。
「え? あー、なんかハニービーが人間の女性を連れて帰って働かせるって聞いたから、うちらもやってみようってことになってね。大成功よ。めんどくさい機械整備にはぴったり。ほら、うちらって細かい作業苦手でしょ?」
そういうことかぁ。でも、お礼として何を渡してるんですか?
「ん? お礼? 特にないねぇ。一応、魔女から人間の女性向けの食べ物を買ってるから、それを定期的に渡してる。えーっとなんだっけ、虜の……なんとかって言ったかな」
それに、といたずらっぽく前の子は付け加える。
「あいつら、なんか魔女の持ってくる薬を怖がってるみたい。女王様が魔女に作らせた、ジャイアントアントの魔力を含んだ薬らしいんだけど……。魔力補給なら、むしろうちら向けな気がするんだけどね。魔法でも使わせる気かな」
「ほんとですよねぇ」
わたしもくすりと笑った。
ちなみにここにいる人間の女性は、巣の掃除とかもやっているらしい。わたしがもうすこし成長したら、見る機会があるかもしれない。
冬も深まってきて。
わたしは成長するほどに、ぼうっとすることは減っていったし、昼のフェロモンだけでムラムラが高まりすぎることはなくなった。
体も少し大きくなったし、脚もだいぶ長くなった。もうセラに子ども扱いされることはなくなって、わたしには大きな変化があった。
女王様に会えるようになったんだ。今日はその初めてのお目通り。
巣の最深部。わたしのためにお付の方が敷いたフェロモンを伝って、大きな扉の前へ。キラキラ光る魔力宝石がたくさんちりばめられていて、空調もここだけ機械だ。
「ようやく来たか。入れ」
高い声にわたしは答えて、扉を開く。半円状の大きな部屋、その真ん中に女王様はいた。
わたしのゆうに二倍はある体。大きく膨れ上がったお尻の甲殻。それがまず特徴的。後ろにある玉座によりかかって、わたしを見ていた。
「よく来たな。我が子エリよ。顔を見たのは一年、いや二年ぶりか。随分大きくなったのう」
女王様は、くりっとした丸い目に柔らかそうな頬、さらさらの長い髪と、失礼だけど、なんか子どもっぽい。でもその言葉にはすべての母としての慈愛がこもっていた。
わたしを産んでくれ、卵から育ててくれた偉大な女王様。わたしは自然と頭を垂れていた。
「ふふ、たいそう手の早いおなごに育ったと聞く。後で男を遣わしておこう。存分に交わるが良い」
「あ、ありがとうございますっ。嬉しいですっ」
女王様の周りのお付の方もぱちぱちと拍手する。その中に一人、金に輝く服を纏った男性がいた。あの人が女王様の選んだ男性だ。とても理知的で、落ち着いている。
「……エンドラ様も、幼い頃は手の早いお方でしたね。わがままで聞かん坊で、何かにつけて仕事を休み自慰ばかりに耽り……」
横にいるお付の方がくすりと笑って言う。
「なっ、その話をするでない! エリ、調子に乗るなよ。わらわのようになるにはたくさんの経験をつみ、数百の部下に指示を出さねばならん。ああ、わらわも毎日仕事づくめで辛いのだ」
「四六時中僕に甘えてばかりなのに?」
女王様の『夫』の方がそう言うと、女王様は顔を赤らめぶんぶんと腕を振り回した。
「お、わ、わらわがいつお主に甘えた!? わらわは誇り高い女王じゃ! 決して甘えてなどは――」
「ふふっ。ええと、エリさんだったかな? エンドラはわがままで単純だから、プレゼントの一つでも持ってくればすぐにご褒美をくれるよ」
「た、単純ではないっ! エリっ、わらわを賄賂で懐柔しようとなど思うなよ! ただ貢物は定期的にもってくるのだ!」
結局持ってきたほうがいいんですね。と思わず苦笑い。
わたしは彫刻のセンスを磨き、褒美としてたくさんの人間の男性をもらい、毎夜交わり続けた。
そうして冬は過ぎていく。
春になり、卵がたくさん産まれた。卵は女王様に近い場所でお付の方が世話をする。わたしはまだ働く身だ。とは言え、今のわたしは主に彫刻班。昨日交わった男性をイメージして、わたしは気合と直感で彫る。
そうそう。場所こそ変われど、わたしはセラとまだ同じ部屋にいる。そこで男性をとっかえひっかえ交わることも珍しくない。わたしたちには女王様以外、夫という概念はない。性交する男性はわたしの人一倍強いフェロモンでもうめろめろになっているし、言葉を交わすこともなくただ体だけで交わる。
もちろん、女王ではないわたしは、決して卵を宿すことはない。ただとても気持ちよくて、仕事がとてもはかどる。
でも、何日も何日も――梅雨が近づくまで交わり続けると、わたしにも少しずつ羽が生えてきた。これは女王となる前の準備段階。みんなが女王になれるわけじゃない。散々からかわれた手の早さが実を結んだってことだ。
わたしはいずれ、女王になる。
「ふふふ……」
わたしがこの体にたくさんの卵を宿し、やがて数百の子を産む――楽しみ。本当に楽しみ。
「嬉しそうですね。エリ」
仕事終わりの読書をしていると、後ろから声をかけられた。淡い色の金髪で青い目をした、気の強そうな子。ジャイアントアントにしては珍しい金髪で、仕事中わたしのところまでわざわざ来て同居してくださいって頭を下げてくるものだから……わたしも愛着がわいて、セラと(涙ながらに)分かれて巣の入り口のこの子の部屋まで来たってわけ。
セラは新しい女王のお付になって別の巣に行ったから、どちらにせよ別れなきゃいけなかったしね。
「ふふん。エイにはまだわかんないだろうなー。わたしはもうすぐ女王になって、たくさんの卵を産むの。とっても素敵だと思わない?」
「た、卵、を……?」
エイはどうしてか顔を青ざめていた。
「ん? 卵だよ?」
なにがおかしいんだろう? 若いから色々考えることがあるのかな? わたしも昔はそうだったなぁ。
「あ、はいっ、とっても楽しみです。あ……また出ちゃった」
とろりと甘い匂いのするフェロモンが、エイのお尻から出ていた。今ならわかる。若い子のフェロモンはかなり濃い。だから持続的に出すことができない。
エイははぁっと淫らな息を吐いてベッドに寝て、金髪から生える触角をいじりはじめる。時折ぴくんと甲殻のお尻が跳ねて、フェロモンをこぼす。
「エイもなかなか手が早いみたいね。ま、それが女王の素質の一つ、なんだけどね」
「うくっ……そ、そうなんですか?」
「もちろんそれだけじゃないけどね。エイもがんばって女王様のために働けば、きっといつか男性と性交して、やがて女王になれるよ」
ほうっと熱い息をはいて、「女王かぁ……」と呟くエイ。
「あの、エリ、あたし、昔から人の上に立つってことが好きなんです。よく覚えてないんですけど、なんとなく……高いところから人を見下ろしていたような気がするんです」
「ふぅん? 何かドラマのにおいがするね」
エイは高まる性欲に振り回される夢見心地の中で、とうとうと呟く。
「おかしいですよね。ジャイアントアントなのに高いところって……。でも、その頃を思い出すと、エリのことがなんだか頭に浮かんで……何か、強い感情をエリに抱いていた気がします」
強い感情? うーん、よくわからないなぁ。セラもわたしが若い頃は軽く流してたし、わたしも「若いっていいね」と軽く返した。
「その頃……? あれ、あたしってここで生まれたんですよね?」
「ふふっ。まるでわたしの若い頃みたい。あんたはエイ。わたしはエリ。二人とも女王様から生まれたの」
上気した顔でこくりと頷いて、「はぅん……」と絶頂に達した。でもフェロモンの匂いでまたすぐに自慰をはじめるだろう。触角をいじる手が止まることはない。
わたしも随分成長したなぁ、と改めて思った。
夏が深まった頃。ついにわたしの羽が完全に生え、女王様――いや、エンドラさんから正式に新たな巣の女王になることを認められた。つまり、卵を産めるようになった。
新たな巣はもう出来ている。毎年毎年巣作り班の仕事があるのはこのせいだ。わたしの巣は森のはずれ。ここなら人間もよく通るし、たくさん男が手に入る。
わたしはお付として、同じぐらいの歳の人何人かを連れて巣を出る。そうそう。忘れてはならないのはわたしの夫だ。
ちょっと前迷い込んだ自称男娼なんだけど、一度性交してみるともう虜になってしまって。一発で惚れこんでしまった。彼もわたしの甲殻の綺麗さを気に入ってくれて、晴れて両思い。完璧。
わたしはただちに夫としての服を作らせ――これは最近知ったことなのだけど、正式な夫として認める、ある薬(魔女製)を飲ませた。
わたしの夫、ミルゲルの背には雄雄しく輝く一対の羽がある。ジャイアントアントの魔力を変質させ、子を作る力を引き上げるためのものだ。まだ魔王様が今の魔王様でなかった時代――雄のジャイアントアントは羽の生えた姿をしていたらしい。
わたしも着る服を変える。極彩色の絹の衣と、紅い涙型のペンダント。風に映える姿。わたしたちは、子を作るための結婚と交尾は空でするから。
森の空。
「エリ……もっとだ。もっと見せてくれ。君の輝く姿を、この矮小なボクにっ!」
眼下の巣で無数の光が揺らめく。わたしについてきて、その一生をわたしに捧げると誓ってくれたみんながいる。
わたしの脚に挟まれ、金の衣をはためかせるミルゲルがいる。そそり立つ男性器は、わたしの甲殻の隙間に確かに入り込んでいる。甲殻の内側にあるのは、彼の男性器を刺激するために特化した柔らかい肉だ。一度たりとも落ち着きなどさせない。
「はぁっ!」
わたしは羽を更に広げ、体に漲る魔力を解き放つ。色鮮やかな魔力が花火となって森を彩り、ミルゲルが更に叫ぶ。再び、わたしの内に彼の熱い精液が放たれる。くらりと意識が遠のき、魔力の花火が煌いて不規則な飛行が続く。
「この月もこの空も……わたしのもの。ふふん」
わたしは天に手を伸ばし、月を掴む。
最高の舞台。最高の空。わたしはミルゲルと唇を重ねる。ミルゲルはどこまでも幸せそう。
そう。この幸せはまだまだ続く。朝日が出て、わたしが巣の奥に身を納めたその後も。
「んっ……もう、すこしっ……」
甲殻を破らんばかりに大きく膨れ上がったわたしのお尻(の内側)では、数百の卵が生まれるときを待っている。結婚飛行が終わった数十日後、ついにその時が来たんだ。
お尻の先からはとろりとろりと絶えず濃密なフェロモンが流れ出し、その媚薬作用に当てられたお付の方も触角をいじったり近くの男性に襲い掛かったりと、とても喘ぎ声の賑やかな、幸せな時。
「はぁっ……エリ、ちょっとだけ、ちょっとだけわたしの触角も触って……」
絶えずフェロモンを垂れ流すエイに苦笑いだけを向けておく。もう体を動かすことも出来ない。無数の卵の魔力とわたし自身の魔力が、わたしを強い快楽に縛り付けている。
ミルゲルはこの女王の間の外にいる。性欲が更に強くなった彼が今のわたしと交わるわけにはいかないし、お付のみんなと交わることもわたしが嫌だから。すべての卵がわたしの外に出れば、またすぐに会える。
常に絶頂の中にいるような、気絶と隣り合わせの世界。
「はぁっ……はぁっ…………っ!」
フェロモンの塊がクッションになるように、ぬるり、と薄青い卵が零れ落ちた。お付のみんなから歓声(と嬌声)が上がる。
「やった……っ」
少し力をこめるたび、一つ、また一つと、わたしの卵が生まれ落ちていく。
「生まれてる……わたしの卵っ!」
透明な糸を引くフェロモンのゆりかごの中に、生まれ落ちていく。
小さいながらも微かに胎動する、ジャイアントアントの卵。
「触らないの。エイ。わたしが最初に抱くんだから……」
エイをフェロモンまみれの手で撫でて、少しだけ動けるようになった体で、近くにある一つの卵を抱える。中で微かに動く緑色の目と、黒ずんだ触角が見える。
「可愛い……」
なんて、愛しいんだろう…………。
わたしは124の卵を産み、女王エリミールとなった。
秋が来て、森の入り口が紅葉で彩られた頃。
わたしの卵から、121の子が産まれ、わたしは(半分ぐらいはお付の人だけど)子に名前をつけて――最初に取り上げた子にはエリってつけた――毎日ミルゲルと交わりつつ、たまに彫刻班の持ってくる卑猥な彫刻を絶賛する日々。
「女王様っ、今度のはどうですか!?」
「女王様! どうしたらそんなに綺麗になれるんですか!」
「たまにはあたしの触角をさわって女王様!」
幸せ……。
たくさんの子に囲まれて。明るい巣の中で、土の匂いと劣情を誘うフェロモンの匂いを嗅ぎながら、毎日を淫らに過ごす。
エイも今は彫刻班で、更に磨きがかかった手の早さで毎日毎日部屋の中にフェロモンや精液をばらまいて「壮観ね!」とかつぶやいているらしい。来年の夏か秋には羽が生えて、女王となるかもしれない。なんか魔女からジャイアントアントの魔力の薬を取り寄せて、手当たり次第に人間の女性をジャイアントアントに変えてるんだとか。あんまり人口が増えすぎると大変だから、近いうちにちょっとお仕置きかもね。
「この楽しみをもっと伝えたい……だそうですよ。どういうことなんでしょうね?」
お付の人が微笑して言う。
「わかんないー。でも、いいんじゃない? 楽しければ」
「ま、そうですね」
そうしてわたしはミルゲルを追い越すほどの体でまた、ミルゲルを貪るように交わる。
ジャイアントアントの世界。それはとても快適で、いつか必ず努力が報われる素晴らしい世界。
あなたもおいで! わたしの巣に。
「はいっ。お疲れ様ですっ」
わたしは同僚に元気よく返事して、愛用のスコップを担いで次の予定地へ移動する。地均しから単純な穴掘り、土の成形まで出来る万能のスコップ。
魔力に薄い森の中。わたしたちはそこに新たな巣を作っている。わたしは入り口(予定地)の地面を柔らかくしていく役目だ。もちろん、外から空気やその他色んなものを取り入れるための穴の予定地も均す必要がある。
周りを見ればたくさんの同僚が木を切り、巣から内壁用の糊を持ってきて、何人かは倒した木の製材をしている。あの木はたぶん、薪にするのかな。そろそろ冬が来る。
わたしは再びスコップを持ち上げ、勢いよく打ち下ろす。森の土は硬い。
「……あれ?」
……わたし、どうしてこんなとこで穴掘ってるんだろう?
手を止めると、なんだか頭がぼうっとする。何、してたんだっけ?
なんだか体にちょっと違和感がある。普段、風のあたらないところに風があたるような。自分の体を見る。
薄く纏った上着と、深青色の六つの甲殻の脚。ジャイアントアントとして普通のこと。
……普通? いや、なにかおかしい気がする……確かわたし、鍛冶屋のおじさんから鍋をもらって、家に帰ろうと……。
「……家? 家って、巣、だよね?」
何あたりまえのこと言ってるんだろう? うーん……鍛冶屋ってそもそもなんだっけ? 魔界のほうにはあるのかな? 行ったことがないけど。
「おーい、進んでるー?」
「あっ、はいっ!」
うしろから同僚の言葉が飛んできて、わたしは我にかえる。いけない。仕事中に変なこと考えるなんて。
女王様のために。日の出ている間に休むなんていけないこと。
わたしはまたスコップを握り、勢いよく振り下ろした。
日が沈むと、わたしたちはその日の仕事をやめて巣に戻る。今の巣の入り口はちょっと狭くて、みんながぞろっと並ばなきゃいけない。
結局、なんだかずっと頭がもやもやしていて、自分の脚を切ってしまったりと散々だった。足の先がちょっと縮んじゃった……短いの、結構気にしてるのに。
「はぁー。疲れたわー。あんたもお疲れさま。まだ若いのにやるじゃない」
わたしのルームメイトが笑顔で労ってくれた。ちょっと紫がかった髪がとても綺麗で、腕にうっすらついた筋肉も見ていて惚れ惚れする。
「あっ、はいっ。えっと……」
……あれ? この人、なんて名前だっけ……。
そもそもわたし、名前を誰かに教えてもらったこと、あった……?
「ん? どしたのエリ」
「あっ、いいえなんでもっ。ちょっと脚痛いので冷やしてきますね」
わたしは列から抜け出して、近くの木陰に入った。脚が痛いなんて嘘。わたしたちの脚に痛いなんて感触はそういえばなかった。
なんだかすべてが曖昧に見える。エリ? エリって名前、わたし? ノーマって名前じゃなかったっけ?
一生懸命頭を働かせて、仕事に出る前を思い出そうとした。ルームメイトのあの子を確かに名前で呼んでいたし、わたしは一年前ここで女王様から生まれた……言葉にするとそうなのに、どうしてか映像がまったく浮かんでこない。あの子にわたしが惚れこんで一緒に暮らしませんかって言ったことは覚えてるけど、どんなとき、いつ、何月に言った……?
「うぅー……」
頭を使うと触角の付け根あたりがびりびりと痛む。あんまり深く考えないほうがいいのかな。考える前に即行動! ってあの子も言ってたし。
わたしはもう列のなくなった巣の入り口に戻って、入り口のすぐ横の部屋へ。ここはわたしの部屋。アラクネの糸で編んだすだれと、森で見つけた赤い石が目印。これを編んだのはあの子だったかな。手先も器用。
わたしは部屋に入ってすぐ、端っこにある洗面台に駆け寄って鏡を見た。
薄いオレンジの目をした、ちょっと幼めの少女。黒い髪はみんなと違う直毛。触角はまだ小さめだけど感度抜群。
そのまま振り返って、部屋の中を見る。ジャイアントアント秘伝の糊で土を固めて作った楕円形の部屋。決して崩れることはないし、触り心地もいい。
壁から張り出すようにベッドが二つとラックがいくつか、部屋の真ん中にはくつろぐ用のマットが二枚。天井には火の精霊が入ったランプ。部屋の入り口には最近入った電信機(他の部屋の人と声でやりとりする道具)。隣り合った机にはあの子の私物の本があって、わたしの机の上には蜜の壷が置きっぱなし。ベッドの横には食材を保管できる冷蔵庫がある。水の精霊を使っているらしい。
わたしはわたしだよね? ここは何年も暮らしたわたしの部屋だよね? どうして確認しようとしたんだろう?
「……うぅ」
また頭が痛い。体もすごく疲れてる。わたしはベッドに横になった。最近ちょっと鋭角になったお尻を先にベッドへ乗せて、脚をたたんで寝る。甲殻が擦れる音にどうしてか違和感。
「ただいま。あれ、どしたのエリ。さっきからなんかおかしいけど」
まぶしい笑顔のあの子が帰ってきた。首からかけたタオルで汗をふいている。たぶん、女王様のところへ行っていたのかな。
「な、なんでもないです。ちょっと、色々考え事しすぎちゃって」
「ふぅん? 若いっていいねー。アタシも若い頃はよく物思いにふけったわー」
うんうんと頷いている。わたしとまったく歳が変わらないように見えるけど、わたしの直感は確かにこの人はわたしより年上だと言っている。
「……あの、あなたの名前、なんでしたっけ?」
「ん? なぁに何かの冗談? それとも考えすぎてちょっと馬鹿になった?」
「そ、そうです。なんだか、わたしほんとにここにいたのかなー、なんて……」
何言ってるんだろう。でもルームメイトの子は「詩情にでも目覚めたの?」と怪しまずにいてくれた。
「じゃあそんなあんたにもう一度だけ。アタシはセラ。そしてあんたはエリ。わかった?」
「は、はい。わかり、ました」
わたしはエリ。エリ、だよね? 何言ってるんだろう。
寝返りをうって、セラのほうを見る。長い触角がどことなくつやつやしていた。女王様に舐めてもらったのかな……うらやましい。
わたしたちにとって触角は、距離や地面の深さをはかるために重要な器官。そんな敏感なところだから、もちろん舐められたりすれば欲情をかきたてられる。
「んっ……」
だから自分でいじることもする。疲労回復のためにも。ツンと甘い匂いが立ち込める。わたしのお尻から出る『フェロモン』の匂い。まだわたしは幼いから、だいぶ量は少ない。これが出るようになったときはびっくりしたなぁ……。
「ふふん。エリ、あんたもはやく女王様と話せるようになるといいわね」
「ん、はい、そうですね」
女王様、ときいて頭の中に生まれ持った知識が浮かぶ。
(巣によって少し差はあるけど)わたしたちは一人の女王様の元で毎日働く。年齢によって大まかな階級があり、わたしみたいな若い子は女王様に会うことはできない。会おうとしても道がわからない。わたしの部屋が巣の入り口に近いところにあるのを見ればわかるように――若い子ほど入り口に近いところにいる。だから奥への行き方はわからない。
セラは特別。本当はもっと奥にいたんだけど、わたしのためにここまで来てくれた。
もちろん、まだ人間の男性を連れ込むこともできない。声は聞こえてくるけど、どこにいるかわからない。だからわたしは自慰するしかないのだけど……。
わたしたちジャイアントアントは、疲労と性欲の高まりが繋がっている。人間の男性と性交できる人たちはうらやましいと思うけど、わたしはまだ若いからしょうがない。
「はぁっ……セラ、ちょっと水もらいます」
わたしはなんとか三回の絶頂でどうしようもないムラムラを抑え込んで、冷蔵庫から水を取り出す。糊で固めた葉を何層も束ね、水筒にしているんだ。
「巣の入り口に撒いとくの、忘れないようにね」
「あ、はいっ」
忘れていた。わたしはベッドの上に散らばった透明なフェロモンを葉に集め、巣の入り口に撒いた。人間の男性をおびき寄せるためで、わたしたちの仕事の一つ。外は真っ暗で何も見えないから、少し怖い。
「何読んでるんですか?」
部屋に戻ると、セラがマットの上で本を読んでいた。
「ん? ああ、さっき女王様からもらった本。なんか難しくて、面白いよ」
なんだか複雑な図や線がたくさん描かれていて、そこに『土魔法の体系化の考察』とか書かれている。
「魔女ってあんた知ってる? 魔王様直属の魔法研究家の人たちだけど……その人たちの研究が書かれているみたい。ま、アタシにはさっぱりだけどね」
「……それなら、どうしてそれを?」
「いやー。なんていうんだろうね。女王様がお気に入りならアタシも近づきたいってわけ。そろそろ適齢期だし。あんたにはまだわかんないかな」
女王様に近づきたい……。まだ見たことが無いけど、わたしも近づきたい。
「それにさ、難しいってわくわくするでしょ?」
「うんっ。そうですっ」
わたしも読みたくなって、セラの本を一冊借りてみた。『親魔物派人間に見られる特性とその利用法』……うーん。むずかしい。親魔物って確か、わたしたち魔物と仲良くしたいと思っている人のことだったよね?
長い間読んでいると、だんだん目が疲れてくる。セラもそうみたいで、「そろそろご飯にしようか」と言った。
わたしたちは季節によって食べるものを変える。今は森で『収集班』の人たちが取ってくれた木の実や動物の死骸だ。猪の死骸がいくつか手に入ったから、わたしのところにも肉が来た。マットの上に並べて、少し脚をかがめて前のめりに食べる。
「……あの、食器は?」
「しょっき? 何それ?」
目の前にあるのは、葉の上に盛られた椎の実と赤々しい肉。木の実はともかく肉はフォークやナイフがないと無理じゃないのかな……と思って訊いたけど、その言葉自体の意味がわからないらしい。
……あれ? 食器ってなんだっけ? ご飯を食べる時に使うもの? 手?
「まだ錯乱してるのね。いやー若いわー」
セラは大人びた笑いを浮かべて、肉を食いちぎり、団子状に丸めて食べた。そうだ。何言ってるんだろう。食べ方まで忘れるなんて。
わたしも大きな肉の塊を取って、口の内側にあるハサミ状の大顎で小さく千切った。両手で丸めて、ごくりと飲み込む。木の実もまた同じ。昔は殻を砕くことが出来なかったけど、今はだいぶ大顎も硬くなった。
「若いうちは食べて寝る。これでいいんだよ。男と交われるのはまだ先の話ね」
「もぐもぐ……セラはいいですねぇ……わたしもいつか、性交できるんでしょうか」
セラは触角をなでながら、淫靡に笑った。
「ま、性交“だけ”なら冬ぐらいに出来るんじゃない? ハニービーの奴らが男を根こそぎさらっていかなきゃ、だけど」
冬か……楽しみ。
わたしが食べ終わると、セラは男の人がたくさんいる部屋に行ってしまう。
でも、お尻のあたりをむずむずさせる匂いがまだ残っていた。ねばつく透明な液体。
セラが食事中に出したフェロモンのせいで、わたしはまたしばらく自慰することになった。
……今日はなんだか、変な日だったなぁ。
その後わたしがぼんやりすることは時々あった――蝿のたかる動物の死骸を細かく分けるときや、仕事が変わるときに――けれど、だいたい順調に仕事は進んでいく。
わたしたちは『警備班』『収集班』『彫刻班』『巣作り班』『お付』と分かれている。それぞれ、武器になる魔道具をもってあたりを警備する班、遠くの魔女のキャンプや親魔物町まで本や薬を買いに行ったり食べ物を集める班、女王様を悦ばせる彫刻を作る班、巣作りに関する土木作業を行う班、そして女王様の傍につき、女王様のお世話をする最高階級の人たち。
そうそう。必ず巣の中をうろうろするだけの役目の人もいる。何をしているのかわからないけど。
お付以外は、フェロモンを目印代わりにして行動する。ここにたまに人間の男性が引っかかり巣までふらふら入ってくることがあって、そのときは専用の部屋まで連れて行って女王様が選別するらしい。
基本的にわたしたちは、フェロモンのない場所には行かない。巣の中で知らない場所へ行かないのもそのせいだ。昔は巣の中にフェロモンを撒いていたらしいんだけど、眠れなくなる人が増えすぎてやめにしたんだって。代わりに登場したのが電信機。
仕事が変わるのは成長につれてになる。フェロモンを持続的に撒けないと遠くには行けないし、大顎が発達していないと彫刻は出来ない。わたしはつい最近、ようやく巣のまわりの森ぐらいなら歩けるようになった。
その中でも彫刻班とお付は、だいぶセンスが問われる。今日は運よく、彫刻班の人たちが新しい巣から出た土で彫刻を作っていた。
彫刻は土を糊や自分の唾で固めて、立体的に作る。とても難しい作業。巣作り班でも巣の入り口の高さや空気の取り入れ口はかなり難しいんだ。
「どう? 会心の出来だと思うんだけど?」
彫刻班の人が話しかけてきた。興奮冷めやらない感じで、大顎が少し口からはみ出ている。
「はいっ。とってもすごいとおもいますっ」
そそり立つ男性器の彫刻。とっても素晴らしい。女王様も絶対悦んでくれるに違いない。
「はぁー……早くあいつと交わりたいわー。この間迷い込んだ兵士くずれなんだけど、私の裸を見ただけで興奮しちゃって。やりがいあるわ」
いいなぁ……。この人はたぶんわたしより半回り年上。セラと同じぐらいかもしれない。むき出しの背中から生えかけの羽がとても美しい。
働く間も性欲が高まることはもちろんあるけど、決して自慰はしない。わたしたちは日が出ている間はずっと働くんだ。女王様のために。
巣作りは内部のかなり奥のほうまでになった。
細かい図面を書いたりはしない。ノリと気合でどんどん掘って、部屋を作っていく。わたしは入り口付近で運搬する係だけど……その中には巣の中につける火の精霊の照明や、魔力の流れを調整するための丸い機械もある。
これは全部、魔女から買ったもの。わたしたちジャイアントアントは、一部の人たちが魔王軍の工兵部隊として正式に雇われていて、太いパイプがある。だからこういう魔道具、魔法機械をたくさん使える。もちろん機械だけじゃないらしいけど……。
「はぁ……はぁ……」
「おー? どうしたのエリ。まだ夜は早いよ」
「わ、わかってます。でも……フェロモンの匂いが、すごくきつくて」
人がたくさん集まれば、時々こぼれてしまうフェロモンも増える。それにつられて、わたしのお尻からもフェロモンが零れ落ちる。力が弱まることはないけど、精神的にきつい。
「ま、すぐに慣れるでしょ。アタシがちょっと部屋でこぼしただけですぐ自慰したくなるんだから、エリって元々手が早いのかもね」
「そ、そうかもしれませんね……」
人一倍性欲が強いかもしれない……。でもその響きはとても魅力的。たくさん卵を産めそう。
セラはそんなわたしに配慮してくれたのか、巣の少し奥に配置を変えてくれた。
そこでわたしは、わたしたち以外の生き物を見る。
人間の女性がいた。
細く長い指で、照明や機械の取り付けをしていた。
彼女たちは年齢でいうと、十代中盤ぐらい。わたしの近くの一人は土で汚れた絹の服を着て、疲れた顔で、絶望した目で、無言で作業していた。
「あ…………」
それを見て、わたしは仕事を止めていた。頬を涙が伝った。
「……なによ。虫けらめ」
わたしの近くにいた気の強そうな子が、わたしを睨み付けた。汚れているけどその髪は淡い金髪で、青い目で。
わたしは何も言えない。
「チッ……ったく。ふざけんじゃないわよ。どうしてあたしがこんなこと……」
わたしに何か痛くて強い感情――それが何なのかわからない――を向けて舌打ちして、機械の取り付け作業に戻る。
よく見れば他の同僚は、ちらちらと人間の女性を見ている。
……? どうしてわたし、涙が出たんだろう?
「あの、どうして人間の女性がここに?」
わたしはまた手を動かして訊ねた。さすがにどうして泣いたのかなんて訊けない。
「え? あー、なんかハニービーが人間の女性を連れて帰って働かせるって聞いたから、うちらもやってみようってことになってね。大成功よ。めんどくさい機械整備にはぴったり。ほら、うちらって細かい作業苦手でしょ?」
そういうことかぁ。でも、お礼として何を渡してるんですか?
「ん? お礼? 特にないねぇ。一応、魔女から人間の女性向けの食べ物を買ってるから、それを定期的に渡してる。えーっとなんだっけ、虜の……なんとかって言ったかな」
それに、といたずらっぽく前の子は付け加える。
「あいつら、なんか魔女の持ってくる薬を怖がってるみたい。女王様が魔女に作らせた、ジャイアントアントの魔力を含んだ薬らしいんだけど……。魔力補給なら、むしろうちら向けな気がするんだけどね。魔法でも使わせる気かな」
「ほんとですよねぇ」
わたしもくすりと笑った。
ちなみにここにいる人間の女性は、巣の掃除とかもやっているらしい。わたしがもうすこし成長したら、見る機会があるかもしれない。
冬も深まってきて。
わたしは成長するほどに、ぼうっとすることは減っていったし、昼のフェロモンだけでムラムラが高まりすぎることはなくなった。
体も少し大きくなったし、脚もだいぶ長くなった。もうセラに子ども扱いされることはなくなって、わたしには大きな変化があった。
女王様に会えるようになったんだ。今日はその初めてのお目通り。
巣の最深部。わたしのためにお付の方が敷いたフェロモンを伝って、大きな扉の前へ。キラキラ光る魔力宝石がたくさんちりばめられていて、空調もここだけ機械だ。
「ようやく来たか。入れ」
高い声にわたしは答えて、扉を開く。半円状の大きな部屋、その真ん中に女王様はいた。
わたしのゆうに二倍はある体。大きく膨れ上がったお尻の甲殻。それがまず特徴的。後ろにある玉座によりかかって、わたしを見ていた。
「よく来たな。我が子エリよ。顔を見たのは一年、いや二年ぶりか。随分大きくなったのう」
女王様は、くりっとした丸い目に柔らかそうな頬、さらさらの長い髪と、失礼だけど、なんか子どもっぽい。でもその言葉にはすべての母としての慈愛がこもっていた。
わたしを産んでくれ、卵から育ててくれた偉大な女王様。わたしは自然と頭を垂れていた。
「ふふ、たいそう手の早いおなごに育ったと聞く。後で男を遣わしておこう。存分に交わるが良い」
「あ、ありがとうございますっ。嬉しいですっ」
女王様の周りのお付の方もぱちぱちと拍手する。その中に一人、金に輝く服を纏った男性がいた。あの人が女王様の選んだ男性だ。とても理知的で、落ち着いている。
「……エンドラ様も、幼い頃は手の早いお方でしたね。わがままで聞かん坊で、何かにつけて仕事を休み自慰ばかりに耽り……」
横にいるお付の方がくすりと笑って言う。
「なっ、その話をするでない! エリ、調子に乗るなよ。わらわのようになるにはたくさんの経験をつみ、数百の部下に指示を出さねばならん。ああ、わらわも毎日仕事づくめで辛いのだ」
「四六時中僕に甘えてばかりなのに?」
女王様の『夫』の方がそう言うと、女王様は顔を赤らめぶんぶんと腕を振り回した。
「お、わ、わらわがいつお主に甘えた!? わらわは誇り高い女王じゃ! 決して甘えてなどは――」
「ふふっ。ええと、エリさんだったかな? エンドラはわがままで単純だから、プレゼントの一つでも持ってくればすぐにご褒美をくれるよ」
「た、単純ではないっ! エリっ、わらわを賄賂で懐柔しようとなど思うなよ! ただ貢物は定期的にもってくるのだ!」
結局持ってきたほうがいいんですね。と思わず苦笑い。
わたしは彫刻のセンスを磨き、褒美としてたくさんの人間の男性をもらい、毎夜交わり続けた。
そうして冬は過ぎていく。
春になり、卵がたくさん産まれた。卵は女王様に近い場所でお付の方が世話をする。わたしはまだ働く身だ。とは言え、今のわたしは主に彫刻班。昨日交わった男性をイメージして、わたしは気合と直感で彫る。
そうそう。場所こそ変われど、わたしはセラとまだ同じ部屋にいる。そこで男性をとっかえひっかえ交わることも珍しくない。わたしたちには女王様以外、夫という概念はない。性交する男性はわたしの人一倍強いフェロモンでもうめろめろになっているし、言葉を交わすこともなくただ体だけで交わる。
もちろん、女王ではないわたしは、決して卵を宿すことはない。ただとても気持ちよくて、仕事がとてもはかどる。
でも、何日も何日も――梅雨が近づくまで交わり続けると、わたしにも少しずつ羽が生えてきた。これは女王となる前の準備段階。みんなが女王になれるわけじゃない。散々からかわれた手の早さが実を結んだってことだ。
わたしはいずれ、女王になる。
「ふふふ……」
わたしがこの体にたくさんの卵を宿し、やがて数百の子を産む――楽しみ。本当に楽しみ。
「嬉しそうですね。エリ」
仕事終わりの読書をしていると、後ろから声をかけられた。淡い色の金髪で青い目をした、気の強そうな子。ジャイアントアントにしては珍しい金髪で、仕事中わたしのところまでわざわざ来て同居してくださいって頭を下げてくるものだから……わたしも愛着がわいて、セラと(涙ながらに)分かれて巣の入り口のこの子の部屋まで来たってわけ。
セラは新しい女王のお付になって別の巣に行ったから、どちらにせよ別れなきゃいけなかったしね。
「ふふん。エイにはまだわかんないだろうなー。わたしはもうすぐ女王になって、たくさんの卵を産むの。とっても素敵だと思わない?」
「た、卵、を……?」
エイはどうしてか顔を青ざめていた。
「ん? 卵だよ?」
なにがおかしいんだろう? 若いから色々考えることがあるのかな? わたしも昔はそうだったなぁ。
「あ、はいっ、とっても楽しみです。あ……また出ちゃった」
とろりと甘い匂いのするフェロモンが、エイのお尻から出ていた。今ならわかる。若い子のフェロモンはかなり濃い。だから持続的に出すことができない。
エイははぁっと淫らな息を吐いてベッドに寝て、金髪から生える触角をいじりはじめる。時折ぴくんと甲殻のお尻が跳ねて、フェロモンをこぼす。
「エイもなかなか手が早いみたいね。ま、それが女王の素質の一つ、なんだけどね」
「うくっ……そ、そうなんですか?」
「もちろんそれだけじゃないけどね。エイもがんばって女王様のために働けば、きっといつか男性と性交して、やがて女王になれるよ」
ほうっと熱い息をはいて、「女王かぁ……」と呟くエイ。
「あの、エリ、あたし、昔から人の上に立つってことが好きなんです。よく覚えてないんですけど、なんとなく……高いところから人を見下ろしていたような気がするんです」
「ふぅん? 何かドラマのにおいがするね」
エイは高まる性欲に振り回される夢見心地の中で、とうとうと呟く。
「おかしいですよね。ジャイアントアントなのに高いところって……。でも、その頃を思い出すと、エリのことがなんだか頭に浮かんで……何か、強い感情をエリに抱いていた気がします」
強い感情? うーん、よくわからないなぁ。セラもわたしが若い頃は軽く流してたし、わたしも「若いっていいね」と軽く返した。
「その頃……? あれ、あたしってここで生まれたんですよね?」
「ふふっ。まるでわたしの若い頃みたい。あんたはエイ。わたしはエリ。二人とも女王様から生まれたの」
上気した顔でこくりと頷いて、「はぅん……」と絶頂に達した。でもフェロモンの匂いでまたすぐに自慰をはじめるだろう。触角をいじる手が止まることはない。
わたしも随分成長したなぁ、と改めて思った。
夏が深まった頃。ついにわたしの羽が完全に生え、女王様――いや、エンドラさんから正式に新たな巣の女王になることを認められた。つまり、卵を産めるようになった。
新たな巣はもう出来ている。毎年毎年巣作り班の仕事があるのはこのせいだ。わたしの巣は森のはずれ。ここなら人間もよく通るし、たくさん男が手に入る。
わたしはお付として、同じぐらいの歳の人何人かを連れて巣を出る。そうそう。忘れてはならないのはわたしの夫だ。
ちょっと前迷い込んだ自称男娼なんだけど、一度性交してみるともう虜になってしまって。一発で惚れこんでしまった。彼もわたしの甲殻の綺麗さを気に入ってくれて、晴れて両思い。完璧。
わたしはただちに夫としての服を作らせ――これは最近知ったことなのだけど、正式な夫として認める、ある薬(魔女製)を飲ませた。
わたしの夫、ミルゲルの背には雄雄しく輝く一対の羽がある。ジャイアントアントの魔力を変質させ、子を作る力を引き上げるためのものだ。まだ魔王様が今の魔王様でなかった時代――雄のジャイアントアントは羽の生えた姿をしていたらしい。
わたしも着る服を変える。極彩色の絹の衣と、紅い涙型のペンダント。風に映える姿。わたしたちは、子を作るための結婚と交尾は空でするから。
森の空。
「エリ……もっとだ。もっと見せてくれ。君の輝く姿を、この矮小なボクにっ!」
眼下の巣で無数の光が揺らめく。わたしについてきて、その一生をわたしに捧げると誓ってくれたみんながいる。
わたしの脚に挟まれ、金の衣をはためかせるミルゲルがいる。そそり立つ男性器は、わたしの甲殻の隙間に確かに入り込んでいる。甲殻の内側にあるのは、彼の男性器を刺激するために特化した柔らかい肉だ。一度たりとも落ち着きなどさせない。
「はぁっ!」
わたしは羽を更に広げ、体に漲る魔力を解き放つ。色鮮やかな魔力が花火となって森を彩り、ミルゲルが更に叫ぶ。再び、わたしの内に彼の熱い精液が放たれる。くらりと意識が遠のき、魔力の花火が煌いて不規則な飛行が続く。
「この月もこの空も……わたしのもの。ふふん」
わたしは天に手を伸ばし、月を掴む。
最高の舞台。最高の空。わたしはミルゲルと唇を重ねる。ミルゲルはどこまでも幸せそう。
そう。この幸せはまだまだ続く。朝日が出て、わたしが巣の奥に身を納めたその後も。
「んっ……もう、すこしっ……」
甲殻を破らんばかりに大きく膨れ上がったわたしのお尻(の内側)では、数百の卵が生まれるときを待っている。結婚飛行が終わった数十日後、ついにその時が来たんだ。
お尻の先からはとろりとろりと絶えず濃密なフェロモンが流れ出し、その媚薬作用に当てられたお付の方も触角をいじったり近くの男性に襲い掛かったりと、とても喘ぎ声の賑やかな、幸せな時。
「はぁっ……エリ、ちょっとだけ、ちょっとだけわたしの触角も触って……」
絶えずフェロモンを垂れ流すエイに苦笑いだけを向けておく。もう体を動かすことも出来ない。無数の卵の魔力とわたし自身の魔力が、わたしを強い快楽に縛り付けている。
ミルゲルはこの女王の間の外にいる。性欲が更に強くなった彼が今のわたしと交わるわけにはいかないし、お付のみんなと交わることもわたしが嫌だから。すべての卵がわたしの外に出れば、またすぐに会える。
常に絶頂の中にいるような、気絶と隣り合わせの世界。
「はぁっ……はぁっ…………っ!」
フェロモンの塊がクッションになるように、ぬるり、と薄青い卵が零れ落ちた。お付のみんなから歓声(と嬌声)が上がる。
「やった……っ」
少し力をこめるたび、一つ、また一つと、わたしの卵が生まれ落ちていく。
「生まれてる……わたしの卵っ!」
透明な糸を引くフェロモンのゆりかごの中に、生まれ落ちていく。
小さいながらも微かに胎動する、ジャイアントアントの卵。
「触らないの。エイ。わたしが最初に抱くんだから……」
エイをフェロモンまみれの手で撫でて、少しだけ動けるようになった体で、近くにある一つの卵を抱える。中で微かに動く緑色の目と、黒ずんだ触角が見える。
「可愛い……」
なんて、愛しいんだろう…………。
わたしは124の卵を産み、女王エリミールとなった。
秋が来て、森の入り口が紅葉で彩られた頃。
わたしの卵から、121の子が産まれ、わたしは(半分ぐらいはお付の人だけど)子に名前をつけて――最初に取り上げた子にはエリってつけた――毎日ミルゲルと交わりつつ、たまに彫刻班の持ってくる卑猥な彫刻を絶賛する日々。
「女王様っ、今度のはどうですか!?」
「女王様! どうしたらそんなに綺麗になれるんですか!」
「たまにはあたしの触角をさわって女王様!」
幸せ……。
たくさんの子に囲まれて。明るい巣の中で、土の匂いと劣情を誘うフェロモンの匂いを嗅ぎながら、毎日を淫らに過ごす。
エイも今は彫刻班で、更に磨きがかかった手の早さで毎日毎日部屋の中にフェロモンや精液をばらまいて「壮観ね!」とかつぶやいているらしい。来年の夏か秋には羽が生えて、女王となるかもしれない。なんか魔女からジャイアントアントの魔力の薬を取り寄せて、手当たり次第に人間の女性をジャイアントアントに変えてるんだとか。あんまり人口が増えすぎると大変だから、近いうちにちょっとお仕置きかもね。
「この楽しみをもっと伝えたい……だそうですよ。どういうことなんでしょうね?」
お付の人が微笑して言う。
「わかんないー。でも、いいんじゃない? 楽しければ」
「ま、そうですね」
そうしてわたしはミルゲルを追い越すほどの体でまた、ミルゲルを貪るように交わる。
ジャイアントアントの世界。それはとても快適で、いつか必ず努力が報われる素晴らしい世界。
あなたもおいで! わたしの巣に。
12/06/18 22:58更新 / 地味
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