王宮魔物対策部支局レポート「第零号：ナイトメア」
◆
私は、本棚の整理をしていた。
「……ん？」
そこで、一つの古ぼけた手製の本を見つけた。本と言ってもペラペラで、30ページも無いだろう。
表紙は擦り切れていたけど、辛うじて読み取れた。
「調査ファイル……第零号、ナイトメア……？」
調査ファイルなら局長の後ろの戸棚に纏めてある筈なのに……それに零号？
「ん？ まだ何か隅に……えっと、何々……？
『※この資料はハバカル・ハーツバイスの記憶を元に作られている部分が多い為、正式な調査ファイルではない。』……何これ」
私は整理の手を止め、古ぼけたページを開いた。どうやら中は局長の直筆らしく、局長らしい汚い字は読み取り辛かった。
けど、中には本を切り取って貼り付けたような部分もあったし、古びてはいたけど十分に読める状態だった。
最初のページは大体こんな感じ。（）の中は局長のメモ書きかな？
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【ナイトメア】（対策本部蔵書より抜粋）
生息地：不明（一箇所に留まる事は無い？）
気性：臆病、弱気、好色
食料：人間の男性の精
人間の上半身と馬の下半身を持つ、獣人型の魔物。
高い魔力を持ち、睡眠中の人間の夢に入る事が可能。
特定の場所に生息はせず、夢の中以外で遭遇する事は非常に稀。
（予想：渡り鳥のようなルート巡回制？）
ケンタウロス種だが人間の男性の精を糧とする。
好みの男性を見つけると夢の中に妖艶且つ強気な美女の姿で現れ、性交を通じて精を搾取。
（実際に入っているのは精神、肉体は下半身を魔法で変化させて性交するか口で搾取している）
一度夢に現れた後は毎日襲われる事となる。
（気付かないケースが多い）
本来は非常に臆病で気が弱く、現実で男性に触れられると途端に動けなくなる。
（眠っているか自分から触った場合は大丈夫？）
襲われていると解った場合、寝たふりをしていれば簡単に捕獲が可能。また、殆ど抵抗も無く飼い慣らせる。
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「……何これ」
この後のページも、スクラップした資料にメモ書きがびっしりと書かれているだけだった。
「見ての通り、調査ファイルだが？」
「いやー、それにしちゃ汚いし。第一、零号って―――」
思わず聞こえた声に動きが止まり、私はゆっくりと後ろを向く。そこには見慣れた糸目の男性が立っていた。
「まだこの仕事を始める前に作った物だし、不完全だからね。記念にとっておいてあったんだ」
「きょ、局長っ！？」
私は思わず飛び上がり、ファイルを取り落とす。けど局長は難なくそれを空中で掴んで見せた。
「こらこら、アメリア君。いくらどこにやったか忘れてたからって投げる事は無いだろう」
「あ、すみません……」
糸目の目尻を下げ、局長は顔を曇らせる。滅多な事では怒らない局長でも、流石に少しムッと来たようだった。
「まあ良いけど……これは丁度、俺が君ぐらいの時に作ったんだ。友達の為にね」
「お友達……ですか」
昔を懐かしむように元から細い糸目を更に細め、局長は宙を見上げた。
「そういえば私、局長のプライベートとかって殆ど知らないんですけど」
「俺だってアメリア・ニールボゥの生活の全てを知ってる訳じゃないさ……聞きたいかい？」
是非、と私は頷いた。
「そうだな……ある日、友達が妙にニヤケた顔で教室に入って来たんだ。その辺りから話そうかな」
◆
山間にある少し小さい町、その町の学校に若い頃のハバカルは居た。
教室の一番後ろの席に深く腰掛け、手にした本に目を通している。魔物研究が趣味の少し暗めな学生、と言った所だろう。
そして、そのすぐ後ろにある扉から彼の友人が現れた。が、何故かいつもと様子が違う。
「いよぉーう、ハバちん。今日も暗いねぇ、ん？」
いつも軽い感じなのは確かだが、今日は更に軽い。まるで空へ飛んでいってしまいそうだった。
「……おはよう、イカル。そういう君はご機嫌だね」
「まぁな。今日は夢見が最っ高に良かったんでよ」
イカルと呼ばれた青年は軽やかなステップを踏んでハバカルの前の席へと座る。傍から見ると全く接点の無い組み合わせだった。
「そうなの？ 夢は滅多に見ない、見ても覚えてないって言ってたよね」
「良くそんな事覚えてるな……ま、その分だけ今朝の夢は最高だったのさ。今思い出しても興奮しそうだ」
「興奮って……何？ 下ネタ？」
読んでいた本からハバカルが目を離すと、ニヤケた顔のイカルが鼻の下を伸ばしに伸ばしていた。
「いぇっへっへっへっへ、まーな。それも最上級の」
「文章が破綻してるっての……まあ、それだけ良い夢だったんだね？」
「おうよ。こりゃ当分はズリネタに困らなそうだ」
さいですか、とハバカルは話に興味をなくしたように本に目を落とす。その頃にはイカルは別の友人と話し始めていた。
◇
その日の放課後。家が町の端にあるハバカルと、その道を辿った先の郊外に家があるイカルは並んで帰路についていた。
「イカル、夢を反芻するのは良いけど授業中にアソコ弄るのだけはやめて貰えないかな」
「うぐ……ば、バレてたか……いや、悪い悪い。忘れないようにしてたらエレクチオンしちまってよ」
イカルは申し訳無さそうに頭をかき、ハバカルはため息をつく。
「で、どんな夢だったの？」
「え、何？ お前興味あんの？ このムッツリめ」
「……一日中同じ話されて、その内容が気にならないのもどうかと思うよ？」
茶化すようなイカルの台詞を受け流し、ハバカルは理由を口にした。
軽口が叩き合えるのが楽なのか、学校よりもハバカルの表情は若干明るいように見える。
「ま、それもそうか。つっても美人のお姉様が出てきてナニしてくれるってだけなんだけどな」
「……それ、欲求不満なんじゃないの？ おばさんと二人暮らしな訳だし」
「何でそこで母さんの話になるんだっつーの」
イカルは急に口を尖らせる。が、それが拗ねる演技なのだとハバカルには一発でばれてしまったようだ。
「それが放課後にどこにも寄らずに家の仕事を手伝ってる人間の台詞？」
「るせぇ。しょーがねーからやってるだけだっつーの」
茶化し茶化され合う、どうと言う事は無い日常の一コマ。そんな中に彼らは居た。
……正反対の二人が友人として成り立っているのは、案外こんなありふれた時間のお陰なのかもしれない。
「っと、そうだ。悪いけど今度べんきょー教えてくれや」
「良いけど……どこか解らない所でもあった？」
「いや、魔物について……な」
ハバカルは『その単語』がイカルの口から出た事に驚き、足を止める。つられるようにイカルも足を止めた。
「……珍しいね。イカルが魔物について、だなんて」
「まあ……な。いつまで経っても知りたくないの一辺倒じゃ、今の暮らしはキツイだろ？」
イカルの家は町からかなり離れた位置にあり、何かあっても町の自警団は絶対に間に合わない。
それなら自衛の手段を講じるしかないのだが、今の今までイカルはそれを断固拒否していたのだ。
「そっか……うん、解った。良かったよ、僕の研究が無駄にならずに済んで」
「ハッ、テメーはもう病気レベルの魔物フリークじゃねーか。フリークスフリーク、ってか？」
「別に上手くないって……と、それだったら図書館に寄ってった方が良かったね」
「そりゃご勘弁。あそこは黴臭くてな」
そう言ってイカルは歩き出す。しょうがなくハバカルも着いて行くが、いつの間にかハバカルの家の前に着いてしまった。
「んじゃ、また明日な。べんきょーの事、頼んだぜ？」
「あ、うん……また明日」
笑って別れの言葉を交わし、イカルはいつものように人気の無い道を駆けていく。
「……無理しちゃって」
イカルの背中にいつもの元気が無い事は、当然のようにハバカルにはバレバレだった。
「全く、時間と体力がもったいないな」
そう苦笑しつつ、ハバカルは図書館へと足を返した。
◇
山間の町ではあるが港町同士を繋ぐ交易の拠点である為、中々にこの町は大きい。
そして、入ってくる情報等もまた信頼性と鮮度に優れた物ばかりだ。
無論、それは生活や交易に関する事だけではなく、書物や他の国々に関しても言える事だった。
「えっと……とりあえず図鑑はあった方が良いかな」
ハバカルもまた、その恩恵に与る一人だった。特に魔物に関しての知識は、この町でも五本の指に入るだろう。
「お、何だ何だ？ 最近来ないと思ってたら、今度は図鑑とはな。誰かに取られたか？」
「おじさん……そんなガキじゃないんだからさ」
「馬鹿言え、まだまだケツの青いガキンチョだっての。それからおじさんじゃなくベン、もしくはベニーと呼んでくれ」
そしてまた五本の指に入る人間がここに一人。この図書館の司書であるベルンハルトだ。
いかにも読書少年なハバカルと違い、ベンは精悍な青年と言う単語が良く似合う大男である。
「そう言えば、もう戻ってたんだ。王都の方はどうだったの？」
「あー、まあいつも通りって所だな。人と物でごった返してやがった」
さもありなん、彼の担当は外部からの本の買い付けである。そしてその道中には危険と魔物がつき物だ。
「相変わらず人ごみは苦手なんだね。良いじゃん、人の波より頭の位置が高いんだから」
「禿頭のオッサンばっかりってのは参るぜ？ 因みに今回の戦利品は特になし。つまんねーもんばっかりだ」
「そっか……じゃあ、面白い話とかは？」
待ってました、とばかりにベンは顔を歪ませる。言いたくてしょうがなかったんだろう。
「一個、特大の大ネタがあるんだが……ここじゃアレだ、場所変えるか」
「あ、うん……その前にこれ、借りとくね」
声を潜めたベンに習い、ハバカルも声量を落とす。と言うか、ずっと持っていた分厚い図鑑に耐えられなくなったのかもしれない。
「いや、やめとけ。どーせ今後は役に立たないだろうしな」
「え……？」
彼らは本通りから一本外れた道にある公園へと入った。公園と言っても、ただ木と原っぱが広がっているだけである。
ベンは木の根元に座り込み、ハバカルも同じように地べたへ座る。その手には来る途中で買った林檎が握られていた。
「で、どう言う事？」
「図鑑の事か？」
ハバカルが無言で頷くと、ベンは林檎にそのままかぶりつく。林檎は綺麗な歯型から蜜のように果汁を染み出させた。
「それが今回の大ネタになるんだがよ……お前、魔王の世代交代って知ってるか？」
「う、うん……ある魔族の中で急に魔力の高い個体が生まれて、それがその種族だけじゃなく他の種族も従えるんだよね？」
「そう。それが魔王であり、その世代交代だって話だ。因みに前の世代交代は500年位前だったってな」
何故こんな時にそんな話をするのか、ハバカルはすぐに思い至ったようだ。
「まさか、それが……？」
「そう、そのまさかだ。ここ半年から１年くらいは何故か魔物が殆ど出なかったんだが……十中八九それが原因だろう」
「そう言えば、確かに……出たって殆ど聞かなかった」
うむ、とベンは頷いてまた林檎を齧る。もう半分ほどが消えてなくなっていた。
「王宮に魔物対策部ってのがあるのは前に話したよな？ 実はそこの奴とはちょっとした知り合いでな」
「世代交代が確認されたの……？」
「っつーか、あと半年もすればまた世界中に魔物がジャンジャカ出てくるだろうってさ」
林檎の種を噛み砕きながらベンは言う。その表情は深刻そうであり、今までとは何かが違っているのが解る。
「でも、魔王がいくら凄い魔力を持っててもさ、世界中の魔物に影響が出たりするのかな？」
「いや……するだろうな。対策部の奴が、一度だけその魔王ってのを見たらしいんだよ」
そいつは報告した次の日に発狂して死んだって話だ。と、ベンはさらりと言う。
「そんなに……凄いの？」
「だろうな……そいつの話によると、前の魔王は典型的な悪魔って感じの風貌だったらしい」
角があり、翼があり、生き物の一部分を切り貼りしたような生き物。それが悪魔である。
「へぇ……で、でもまだ世代交代したとは限らないんじゃない？ 単に人前に出なくなっただけかも……」
「いや、もう対策部の方には『新しい魔族』の情報がジャンジャン入ってきてるらしいぞ」
「ど……どんな？」
ベンは勿体つけるように林檎の最後の一口を口にし、飲み込んでからこう言った。
「女だ」
時が流れる事、数十秒。遠くでは子供達が追いかけっこをしている。
「……え？」
「だから、女だ」
「……いや、だから何が？」
あまりの事態にハバカルの脳は考える事をやめてしまったらしい。言っている意味がさっぱり理解できていない。
「だから、魔物の殆どが女の姿になってるんだってよ」
「女の……姿？」
「対策部の方は女性型の魔物が魔王になったんじゃないかって、予想を立ててる」
確かに、筋は通っている。今までの魔物の多様性が魔王が様々なモノの集合体だったなら、今までの魔物の多様性も頷ける。
「今まで女性型だった淫魔や擬態型、寄生型も……かな？ その辺以外の魔物が全部女の姿になっちまったらしいぞ」
「……嘘だぁ」
「マジだっつーの。それからまだ未確認の噂らしいが、人間の女性が淫魔化してるらしい」
嘘だぁ。何そのパライソ。
「じゃあ何？ もう取って食われたりはしないの？」
「まあ、性的な意味でって前置きが付くだろうな。少なくとも外見はガラッと変わるだろう」
成程、そりゃ確かに図鑑の意味が無い。ただでさえ汚い絵が挿絵として載ってる程度なのだ。
「しかし、まだ世代交代したらしいって程度の情報だし、何にせよ情報が少なすぎる。気をつけるに越した事は無いだろ」
「……って、言うかさ。これ、別に図書館で言っても良かったんじゃない？」
「馬鹿野郎、あそこ響くだろうが。そしたら皆に知れ渡っちまうだろ？」
はて？ とハバカルは首をかしげる。別に命に別状が無い可能性が高いなら、今までよりずっと安全になるだろう。
「あのなぁ……淫魔に攫われるのと同じなんだぞ？」
「……それって、まさか」
「永遠の快楽地獄・お子さんもご一緒にどうぞスペシャル、だな。ただでさえ男手が無い家庭も多いんだ、徐々に人口減ってくぞ？」
そして行き着く先は魔物と快楽が支配する世界。とベンは締める。
「それに攫われた先で殺されるって可能性も無い訳じゃない。伝染病なんかメじゃないぞ」
「確かに……それに、むしろ進んで攫われたりしそう」
「だろ？ 人間様の天下をこの手に掴むまで、頑張らないといけないんだよ。うん」
言いながらベンは立ち上がる。すっかり話し込んでしまったのか、空が茜色に染まり始めていた。
「さて、そろそろ逢魔が時だ。誘惑されてもホイホイついてくなよ？」
「解ってるよ……ベンこそ気をつけなよ？」
「なぁに、逆に俺の虜にしてやるさ……っと、そうだ。今日話した事、あんま言い触らすなよ？」
それじゃあ自分はどうなんだ、とハバカルは心の中で突っ込みつつ、ベンと別れる。
◇
さて、一方その頃イカルはと言うと。
「いよぉし、今日も頼むぜ夢の精！ 俺に！ パゥワーを！ ドリームを！」
一日の勤労を終え、眠りにつこうとしていた。学校に行った後に農作業をするとは、意外と勤労青年である。
「イカル？ 何叫んでるのー？」
と、家の奥の方から声がする。開け放しにしてあるドアの向こうから僅かに聞こえるだけだが、イカルにはしっかりと聞こえていた。
「あ、いやいや、何でもないって。んじゃ、そろそろ蝋燭消すよ」
イカルはその声の主がいる部屋まで行くと、薄暗い部屋を照らす燭台を手に取った。
その部屋には妙齢の女性が一人、ベッドに横たわっている。顔立ちがイカルに似ているが、穏やかな雰囲気を漂わせていた。
「……イカル、大丈夫？」
「何だよ、藪から棒に。俺が好きでやってる事だし、大丈夫だっての」
イカルはそう言うと蝋燭を消し、無理矢理会話を終わらせる。光源の無くなった部屋はすっかり暗くなっていた。
「……そう。それじゃあ、お休み。イカル」
「ああ、お休み。母さん」
眠る前の挨拶を交わし、イカルは母親の寝室の扉を閉める。その顔に今までの覇気は無く、滅多に見せる事の無い表情になっていた。
「ったく、心配性なんだからな……」
自分の部屋に戻り、イカルはベッドへと倒れこむ。幾ら丈夫だ、元気だと言っても学生と農家の二重生活は辛いだろう。
「病は気からって言うじゃんかよ……」
彼の母親は今、とある病にかかっている。既に特効薬は投薬済みであるし、後は経過を見るだけだ。
だが、それを手に入れるまでの苦労を考えれば、気が弱くなるのも致し方無い事だったのかも知れない。
農家である彼の家は決して裕福ではなく、二人分の生活費とイカルの学費を何とか捻出している状態である。
その状態で働き手の母親が病に伏せたとなれば、イカルは学校を辞めなければいけなかっただろう。
だが、ハバカルを始めとした彼の友人達の援助により、彼は薬代を手に入れる事が出来た。無利子援助は友人の特権である。
しかし、それを当の母親が知らない筈も無く、生活の為に息子が自分の時間を犠牲にしているのを気に病むのも、当然の流れだ。
結果として、彼女はすっかり気が弱くなってしまっているのである。
「さっさと治せっつーの……」
這うようにベッドへ転がり込むと、即座にイカルは寝息を立て始める。よほど疲れていたのだろう。
そして、それに気がついた一つの影があった。
◆
イカルは、何も無い空間に居た。
「ここは……」
イカルは、それに既視感を覚えた。
「っ！？ まさかっ！」
何も無い空間で体を起こす――相対的に見る物が無いので自分の感覚頼りだが――と、いきなり後ろから抱きすくめられる。
「おわっ！？」
「ふふっ―――」
急に身動きの取れなくなった状態で、僅かに首を動かして後ろを見る。そこには、青みの強い紫の髪を持った美女が居た。
「昨日のアンタか……」
「あら、覚えててくれたの？ 嬉しい……」
一言で表すなら、妖艶。ふっくらとした唇は艶を持ち、大きな瞳は蒼くイカルの顔を映し出している。
ボリュームのある髪の毛に耳は隠れているが、両側に一房ずつ跳ねているのが艶やかな姿とはミスマッチで可愛らしい。
「ま、昨日あれだけいい思いをさせて貰ったからな……今日もか？」
彼の体をまさぐる片方の手は滑らかに動き、臍から胸板、首筋にしっとりと張り付いていた。そこに女性特有の体の柔らかさを感じる。
もう片方の手は、触れるか触れないかギリギリのタッチで乳首や腹筋の上を滑っていた。それがむず痒くてたまらない。
肩は小さく、すらっとした腕の筈なのに抜け出せない。と言うか、首以外は指一本すら動かせなくなっている。
「ええ……良い事、しましょう？」
いつの間にかむき出しになっていた背中に、小さな突起が二つ押し当てられる。恐らく、胸だろう。小さくてよく解らないが。
むき出しになっていたのは腹や背中だけでなく、気がつけばイカルは全裸になっていた。まあ夢だから何でもありだ。
そして、そのむき出しの尻に柔らかい感触。プリップリの太腿が押し当てられ、全身のボリュームを確認する。
（あー、胸ちっちぇー）
（……ど、どうして？ 記憶はちゃんと消した筈なのに……）
成程、胸以外は妖艶な女性だ。そんな女性に抱きすくめられている。そして健康な青少年であるイカルの体は、正直に反応した。
「あー、お姉さん？」
「な、何かしら？ もう我慢できなくなった？」
「うん、まあ、その通り。お姉さんの方は準備しなくても良いの？」
平気よ。と妖艶な女性は身を放し、イカルの体を反転させる。彼女の目の前には屹立した愚息があった。
「もしかして……口で？」
「手も使うけどね。ご不満？」
そんな筈が無い。幾らイカルが人気者とは言え、性交の経験がある訳では無い。
「出来れば、そのー……本番したかったなー、と」
「まっ、まだ早いわよっ！ ほら、行くわよ！？」
言うが早いが、彼女は竿に手を添える。その感触があまりにも柔らかく、今まで我慢していたイカルには限界だった。
「ちょ、くうっ！」
「え？ ひゃぁっ！？」
今まで出した事も無いような量を吐き出し、その殆どを彼女の顔にぶちまけた。顔の殆どのパーツに白濁した粘液が降りかかる。
「ご、ごめん……あんまり気持ちよかったから……」
「そ、そう……そんなに、良かった？」
「マジ最高」
それなら良いわ、と自らの顔にかかった精液を指で掬って舐め取る。その仕草がまたいやらしく、息子は一瞬で復活した。
「やっべぇ、お姉さんマジエロい……」
「そ、そう……？ こ、今度はもっと持たせてね……？」
先程と同じように手を添えるが、今度は一度跳ねただけで収まり、ふっくらとした唇がその先端に触れた。が、
「ちょ、え……っ！？」
「んぷ……っ！？」
先端が柔らかい唇に触れた瞬間、またしても愚息は白濁を撒き散らす。それも今度は口内に。
「っくぅ……ご、ごめん……」
「ん、んく……こく、ん……」
が、彼女は迷う事無く精液を飲み干す。喉に引っかかるのか、何度も嚥下しようとしては失敗する姿が劣情を煽った。
「って、マジで飲んで……」
「だって、美味しいから……もっと、頂戴？」
先程の姿とこの台詞でいきり立たない男が居るだろうか。いや、居ない。反語。
「良いけど……その前に、一つだけ」
「なぁに？」
些細な事だが、とても重要な事。
「名前、教えてくれるか？」
「―――っ」
彼女はその台詞に驚いたように息を呑み、それでも小さくこう答えた。
「……芽阿子」
「メアコ、か。良い名前だな」
「―――ッ！」
イカルが名前を反芻すると、芽阿子は急激に顔を赤くする。その反動からか、次はいきなり喉の奥まで咥えてきた。
「ちょ、芽阿子っ！？」
「なふぁえをおふぃえらんれすふぁら、ふぁいふぉふぉいれひふぁれらしれふらふぁい！」
「何言ってっかわかんね……くうっ！」
その後、イカルは何発出したのかは覚えていない。少なくとも、全て手と口であった事は確かだったが。
◆
翌朝、ハバカルはイカルの姿に酷く驚いていた。
「……おっす」
「……どうかしたの？ 何だか物凄くやつれてるけど」
そうか？ とイカルは自らの席に倒れこむ。どう見ても昨日までの元気が無い。と言うか生気がない。
「……何かに取り憑かれた？」
「んな訳あるかぁー。昨日と同じく最高の夢見だったぞ」
「それ、明らかに夢魔に取り憑かれてますから」
「んなもん知るかぁー」
応対もかなり投げやりだ。他の友人達も様子がおかしいのに気がついて誰も寄ってこない。
「でも、連続で……？ サキュバスって連続で襲う事ってあったかな……？」
「知るかぁー」
「ちょっと黙ってて」
ハバカルは鞄から分厚い本を取り出す。図鑑は役に立たないと言われたが、それでも魔物の特性は変わらない筈だ。
「連日特定の人間を襲う夢魔……そう言えばイカル、昨日もいい夢だった？」
「も、最高。あれで後は乳がでかけりゃなー」
「ああ……そう言えば君、オッパイマンだっけ……やっぱり夢魔かな」
そうなると、とハバカルは一発で目星をつける。元々の種類が少ないとは言え、これはかなり凄い。
「ナイトメア……ケンタウロスに似た馬の獣人型だね。人に悪夢や淫夢を見せて精気を吸い取るんだ」
「馬ぁー？ バーロー、ちゃんとムッチムチの太腿もあったぞ」
「夢の中なら何でも有りなんでしょ。多分、魔法が得意なんだよ」
あっそーですかー、とイカルは無気力そうに会話を流す。余程長い付き合いでないと、これはかなりイラつくだろう。
「まあ、今の所はまだ大丈夫そうだけど……生活に支障が出るようなら何とかしないと」
「んー……まあ、な」
何だかんだ言っても、イカルにとって今の生活は限界ギリギリなのだ。
「因みに対処法は狸寝入り」
「ハァ？ 何だそりゃ」
「元々は気弱な性質らしいし、相手に接触しないと夢の中に入れないらしいんだ。そこを捕まえれば良いんだって」
図鑑の一文を指で示しながらハバカルが解説する。が、イカルはさっきから微動だにしない。
「そんなんで良いのか……」
「因みに王都の方だと捕獲して飼い慣らしてる人も居るらしいよ？」
「……マジかよ」
イカルの鼻の下が急激に伸びる。こういう所にだけは体力を使うらしい。
「まあ、悪夢を見せられる事はないと思うけど……それでも精力が無くなったら死んじゃうからね。気をつけて」
「おーけーおーけー」
本当に解ってるのかな、とハバカルは苦笑する。イカルの為に対ナイトメア用の本でも作ろうか、と考えているようだった。
◇
そして、その晩。
「対処法は狸寝入り、ねぇ……そういうの苦手なんだよなー」
自らのベッドに転がりながらイカルはぼやく。素直に生きてる彼にとって、演技は大変な事だろう。
「あー、でもできれば今日は胸でっかい状態で来て欲しいよなー。流石にアレはなー」
などと考えつつ、いつの間にかイカルは眠りの淵へと落ちて行った。
◆
気がついた時には、また同じ場所である。
「寝ちまったよ……よう、また会ったな。芽阿子」
「そ、そうね……どう？」
はて何が、と言おうとしてイカルの動きが止まる。そこにはたわわな胸を恥ずかしそうに隠す芽阿子が居たのだ。
「……最高」
「―――っ、と、当然でしょ？ わざわざ貴方の好みに合わせてあげたんだから」
「その恥じらい含めて最高」
昨日とは違い、イカルの体は自在に動く。気がつけば二人は全裸のままで抱き合っていた。
「―――ッ！？」
「いやー、俺ってでっかいオッパイが好きでな？ これでもう完璧、究極だよ。うん」
「……そ、そんなに良い？」
もう溺れそう、と返して芽阿子の唇を奪う。芽阿子は驚いたように目を見開くが、すぐに大きな瞳を潤ませた。
「今日は……最後まで、良いかな？」
「良いけど、それは私がするの」
「え―――っ？」
また、イカルの体が動かなくなる。それどころか、芽阿子の手の動きに合わせて人形のように動き始めた。
「夢の中は、私の世界。ここに居る間は、全てを私に委ねて……」
「そりゃ楽で良いけど……出来れば自分の力で、芽阿子を気持ち良くしてやりたいな」
「嬉しいけど、駄ぁ目」
気がつけば、芽阿子がイカルの股の上に馬乗りになっている。しっとりと閉じた秘裂を裏筋に合わせ、腰を振り始めた。
「んっ、ふっ、うっ……ど、う？ 気持ち良い？」
「マジ最高。特に目の前でおっぱいがぶるんぶるん揺れるし」
「―――ッ！？」
声無き声を上げ、芽阿子の動きが止まる。そしてイカルの体がまた動くようになった。
「え、あ、あれ？ えいっ！」
「あ、ちょっ……」
動くようになったと喜ぶのも束の間、またしても動かなくなる。どうやら動揺すると支配が利かなくなるようだ。
「もう……油断も、隙も……っ、無いんだから……」
また芽阿子は豊かな胸を揺らして腰を振り始める。擦られている怒張は既に限界を超えている筈だが、何故か絶頂には達していない。
「何だ、そんなにオッパイ大きいのが嫌なのか？」
「っ―――！」
イカルの胸板に突いていた手で自分の胸を隠し、身を捩る。その瞬間、戒めが解けたかのように男根は痙攣した。
「っくー……さっきから変だと思ってたら、やっぱお前が何かやってたのか」
「………。」
「で、動揺してそれが無くなった、と……良いじゃん、オッパイ大きくても」
真っ赤になって俯いたまま、芽阿子は首を横に振る。首を振る度に跳ねた髪の房がプルプルと震えていた。
「はぁ……何で嫌なのかは知らないけど、俺はオッパイが大きい芽阿子の方が好きだな」
「―――ッ！」
イカルは体を起こし、身を捩ったままの芽阿子を抱きしめる。
「とってもいやらしくて、オッパイが大きくて、ちょこっとドジで……そんな芽阿子が好きだな、俺は」
「……私は、自分が嫌いです」
「俺が好きだから良いじゃん」
言いつつ、イカルは芽阿子を横たえる。そのまま腰の位置を動かし、芽阿子が気がついた時には亀頭を秘所に押し当てていた。
「ぁ……」
「行くぞ、良いな？」
「……（こくん）」
僅かな水音と共に、ペニスが飲み込まれていく。粘性の高い液が駄々漏れになっている芽阿子の膣は、いとも簡単に全てを受け入れた。
「……っ！」
「って、何かさっき抵抗が……」
見ると、芽阿子の臀部には赤い筋が一本通っていた。これ即ち、破瓜の証。
「……マジかよ」
「―――ッ！」
芽阿子は顔をこれ異常ないほど真っ赤にし、イカルに抱きつく。顔を見られたくないのか、強く抱きしめている。
「やべ、マジで興奮してきた」
しかし、ある意味逆効果だったのかもしれない。巨乳好きの男に胸を押し付ける初体験の淫らな少女―――何故か体格が子供っぽくなっていた。
「あっ……！」
イカルは何も言わず、猛然と腰を振り始める。初めてである芽阿子の事など気にせず、ただ己の欲望のままに。
「ん、ぁっ、っく……！ あ、んっ……」
しかし、最初から大量に出ていた粘液のお陰か痛がる事は無く、芽阿子も初めての快感に身を委ねていく。
「あ、あっ……！ ん、はぁ……っ、んぁ、あっ！」
何も無い空間に、男と女が一人ずつ。響くのは水の音と打ち付ける肉の音、それと僅かな息遣い。
「ふぁ、ぁめ、そこ……ぉ！ なんか、いい……！」
未知の快感を即座に受け入れ、芽阿子は更なる快感を貪ろうとする。淫魔としての性なのだろうか。
「あ、あ、あっ……！ もっと、もっとぉ……！」
「ぅ、っく、ふっ……！」
イカルは求められる行為をただ続け、彼自身も体験した事のない快感に身を沈めていく。
「そこ、良い……の！ 突いて、もっと……！」
何度も往復しない内に芽阿子の膣内はほぐれて柔らかくなり、更なる快感を求めて蠢き始める。
「ぁ、んっ！ あ、はっ、あ……！ も、っと……！ もっと！」
首に手を回し、胸板に自らの胸を押し付ける。恥じらいは即ち快感へと変わり、柔らかな感触を差し出した。
「ん、ちゅ……んぷ、ぁ……っ、んむ……っ！」
必然的に顔が近くなり、互いの口内を貪り合う。唾液を吸い、与え、歯茎を突いて舌を絡ませる。
「んぁ、は……ん、あっ、あ、あっ、あぁっ！」
やがて、いつの間にか振り始められていた芽阿子の腰の動きがぎこちなくなる。それはイカルも同様だった。
「っく、芽阿子、そろそろ……！」
「ん、うんっ、来て、来て！ いっぱい、私の中に……！」
膣内の痙攣が始まり、その新たな刺激に耐えられなくなった肉棒から白濁が溢れ出す。
「ん、んん……っ！ あっ……！」
腰に回された足に力が入り、二人の全身が小刻みに震える。
「……は、ぁ」
少しの間、お互いに息を止めていたかと思うと、二人はほぼ同時に息を吐く。その塊は熱く、火照りを覚ますかのようだった。
「凄い……びくびくってなった……」
「こんな出たのは、ちょっと初めてかもな……」
二人の接合部は陰毛が絡まりあい、愛液で濡れ、白濁した泡が出来上がっていた。
「ぁん……勿体無い……」
そこから溢れ出た精液を芽阿子は掬い取り、まるでご馳走か何かのように丁寧に味わい始めた。
「う……」
イカルはそんなのを至近距離で見せられて我慢が出来るほど大人ではないし、潔癖でもない。
「芽阿子……」
「駄ぁ目」
もう一度始めようとした瞬間、またしても体が動かなくなる。今度は芽阿子がイカルに覆い被さる体勢になった。
「ぇ、あ……」
「私が、してあげる……」
頬を上気させた芽阿子は妖艶な笑みを浮かべ、硬さを取り戻した怒張を味わい始めた……。
◆
さて、その翌朝。
「んじゃ、行って来まーす」
「待ちなさい」
「ぐぇっ！」
イカルが学校に行こうとした瞬間、後ろから襟を掴まれる。下手をすれば窒息死だ。
「な、何だよ……朝飯も食ったし、特に寝癖も無いだろ？」
「そうじゃなくて、隈。酷いわよ」
母親が手鏡を取り出す。今朝は体調も良いから一緒に食事を採ろうとしたのだが……どうやら判断を誤ったようだ。
「……そんな酷いかな？」
「もうちょっと気をつけなさい。貴方が倒れたら元も子もないんだから」
「解ってるって。んじゃ、母さんこそ気をつけろよ」
逃げるようにイカルは身を翻して家を出る……いや、事実、逃げたのだ。理由は一つ。
「芽阿子のヤロー……首筋にキスマークなんかつけやがって。バレてなきゃ良いけど」
結局、目を覚ましたら芽阿子の影も形もなかった。強いて言えば窓の下に蹄の跡が残っていたぐらい。
「よし、決めた。今晩とっ捕まえてやる」
そんでもってあんな事やこんな事を実際に……と妄想を爆裂させている最中、見知った顔が居る事に気が付いた。
「あれ？ おーい、ハバカルー」
「あ……イカル。おはよう」
「お、おう……どーしたんだ？ 寝坊か？」
まあね、とハバカルは伸びをする。寝坊というか徹夜したようだった。
「色々と整理してて……って、うわ。昨日より酷いよ、顔」
「今のオメーに言われても説得力ないっつーの」
元々体力のあるイカルに精力がなくなり、体力のないハバカルは徹夜して疲れている。二人とも似たような顔をしていた。
「って言うか、結局捕まえなかったんだ」
「んー……まあ、な。でも今日は捕まえるわ」
そう言いながらイカルは首筋を押さえる。それを訝しがりつつも、ハバカルは眠気と戦う事になるだろうと考えていた。
◇
そして、その晩。
「さて、と……よく考えたらアイツどこから入ってきてるんだ？」
窓はむしろ脱出経路だろう。蹄も外に向かってたし。
「っつーかマジで馬なんだな……まあ良いさ。それなら労働力として飼ってやる」
そろそろ怪しまれるかな、と考え、イカルは枕元の蝋燭を吹き消す。
（さて……どう来るかね）
片目を開けて待つ事十秒、家の扉が僅かに開く音がした。
（……正面から堂々とかよ）
続いて、蹄が木の上に乗る音。それが何度か続いた後、ゆっくりと扉が閉まる。
（度胸が有るんだか無いんだか……）
足音を鳴らさないように慎重に、と考えているようだが、結局蹄なのである程度は鳴ってしまう。
（真っ直ぐ俺の部屋に来てるのか……）
よく考えたら部屋の扉開けっ放しだったな、と考えている間に異様な影がそこに現れた。
上半身を覆うローブと、その上からでも解る豊かな胸。そこまでは良い。
下半身は馬の前足と後ろ足があり、何故か巨大な鎌を持っている。
（か……鎌！？ オイ、そんなん聞いてねーぞ！？ まさか、バレてるのか！？）
イカルが焦っている間に影はベッドへ近付き、馬の前足を折った。
「こんばんは、イカルさん……」
（芽阿子……）
暗がりの中で見えた芽阿子の顔は、夢の中と殆ど同じだった。いや、むしろ少しふっくらしていて俺好みだ。
あえて違いを言えば、前髪が降りていて大きな瞳が見れないという所。
「どうして……ですか？」
（……ん？）
すぐに夢の中に入ってくるのかと思ったが、どうやら違うらしい。
「あんな事、言われたら……本気になっちゃいます」
（―――ッ！）
反則だ。この至近距離で涙目なんかされたら、ひとたまりも無い。本気になってしまうのは一人だけではない。
「それじゃあ……今日も、頂きます」
「いや、そりゃこっちの台詞だ」
芽阿子は鎌を横たえると、何か呪文を呟く。が、イカルはその瞬間に芽阿子の手を握り締めた。
「え―――っ」
「起きてる時は初めまして、だな。芽阿子」
「ぁ……」
その瞬間、芽阿子の全身から力が抜ける。ぺたん、と座り込んだといえば聞こえは良いが、馬なのでズシン、である。
「ったく、キスマークなんか付けやがって……もう離さないからな」
「ぇ、ぁ、あれ……？ だって、眠って……」
「狸寝入りだっつーの」
イカルはベッドから体を起こし、芽阿子を抱きしめる。大きな胸から聞こえてくる心音は大きく、破裂するのではという位だった。
「ぁ、あの、その……」
「成程、そっちが素な訳か。良いな、可愛い」
「―――っ！」
芽阿子は顔を真っ赤にして俯かせる。が、何故か横に跳ねている髪の房がぱたぱたと揺れていた。
「これ……もしかして、耳？」
「ひゃっ！」
そっと手を触れると、芽阿子は身を強張らせる。どうやらとても敏感らしい。
「そっか、こんないやらしい体な上に、こんな所まで敏感なんだ」
「……意地悪、です」
「何か言ったか？」
「ひゃうっ！」
芽阿子の呟きを聞き逃さず、耳を遠慮なく掴む。乱暴にされるのも感じるらしい。
「さて……芽阿子。お前、俺から精気吸ってただろ」
「……ごめんなさい」
「別に怒ってる訳じゃないよ。それで、お前はナイトメアって種族で、人間の精がないと生きられないんだな？」
芽阿子は無言で首肯する。イカルは優しく芽阿子の頭を撫でながら、質問を続けた。
「じゃあ、俺以外の精でも良いのか？」
「……で、できれば、イカルさんのが……」
ぱたぱたと耳を揺らし、芽阿子は真っ赤になって答える。それが嬉しかったのか、イカルは思い切り芽阿子を抱きしめた。
「じゃあ、こうしよう。見ての通り、ウチは農家なんだが……いかんせん人手が足りない。で、」
「……お手伝い、ですか？」
「ご褒美は俺の精、ってのはどうだ？」
働かざるもの食うべからず、と続けようとしたが、その前に芽阿子に唇を塞がれた。
「……ずっと、ここに居ても……？」
唇を離した時には、既に芽阿子の瞳は大きな涙を湛えていた。
「お前さえ、良ければ」
「……よろしく、お願いします……」
そして二人は、どちらからともなく、唇を重ね合った……。
◆
「と、まあ。こんな感じかな」
「はぁー……ロマンチックと言うか、何と言うか……」
アメリア君は納得しているような、していないような不思議な表情をしていた。
「因みに、お二人は今？」
「ああ、実はこの暫く後に芽阿子さんが魔物だってバレてね。駆け落ちしちゃったんだよ」
「まぁ、そりゃそうですよね……」
魔物対策部の人間としては、確かに無視できない事ではある。
「魔法で下半身を人間に変えて生活していたらしいけど……限界があったんだろうね」
「ですよねぇ……あ、それでイカルさんのお母さんは……」
「いや、元々が大らかな人だからね。たまに帰ってくる事を条件に許したらしいよ」
「え？ でも、駆け落ちしたって……」
そうなんだけどね、と話の途中で淹れたコーヒーを飲みながら僕は笑う。
「イカルの家は森に面しててね、その奥で今でも暮らしてるよ」
「……それって、良いんですか？」
「上には内緒だよ」
対策部としては魔物との共存は方針に合わない。だから秘密なのだ。
「この間、遊びに行った時は娘さんも五人ぐらい居てね。中々賑やかだったよ」
「……確か、魔物との子供って」
「うん。だからイカル以外は全員ナイトメア」
そろそろ一番目の娘さんも誰かを襲いに行く頃じゃないかなー、と笑ってみせる。
「……良いんですか？」
「上には内緒で。まあ、魔物とは言え、人間と同等かそれ以上の知性を持った生き物だ。
それなら、人間と共存する道を選ぶ魔物だって居るだろうさ」
「そりゃ解りますけど……」
アメリア君も僕もその道を選んだ人間はごまんと見て来ている。愛は種族の壁も越える、って奴だね。
「人間も魔物も、自然の一部だ。それ一つが全てを掌握するなんてのは不可能だよ」
「そう言う事ばっかり言ってたら首が飛びますよ……上の方針が変わるの、待ちますか？」
「僕はそのつもりだけどね」
すっかり温くなったコーヒーを飲み干し、古ぼけた本を閉じる。
「イカル・フェアフィールドと内藤芽阿子のような人達は沢山居る。これからも増えるだろうね。
けど、魔物が今のままではいずれ共倒れになるし、人間側だって認識を改めないといけない。
だから、お互いの悪い所を直すなり支え合うなりして、生きていかないと」
「何年かかるんですかね、それって」
「さぁねぇ……少なくとも、僕が生きている間には無理かもね」
「頑張って出世すれば人間側は一気に変わるんじゃないですか？」
冗談、と笑ってカップを流しに入れる。外もすっかり日が傾いていた。
「僕はここが良いんだよ。何に縛られる事も無く、全てに置いて行かれる事も無い」
「上昇志向の無い人は見限られますよ」
「相変わらず手厳しい……さて、家まで送りますよ」
そう言われて、初めてアメリア君は外が暗くなり始めているのに気がついたようだった。
「あっちゃー……でも大丈夫ですよ。こう見えても腕っ節には自信が有りますから！」
「人生、それだけではやって行けないよ……それに、よく言うじゃないか」
窓から入る西日に目を細めつつ、どこかで聞いた台詞を口にした。
「逢魔が時、ってさ」
◆
私は、本棚の整理をしていた。
「……ん？」
そこで、一つの古ぼけた手製の本を見つけた。本と言ってもペラペラで、30ページも無いだろう。
表紙は擦り切れていたけど、辛うじて読み取れた。
「調査ファイル……第零号、ナイトメア……？」
調査ファイルなら局長の後ろの戸棚に纏めてある筈なのに……それに零号？
「ん？ まだ何か隅に……えっと、何々……？
『※この資料はハバカル・ハーツバイスの記憶を元に作られている部分が多い為、正式な調査ファイルではない。』……何これ」
私は整理の手を止め、古ぼけたページを開いた。どうやら中は局長の直筆らしく、局長らしい汚い字は読み取り辛かった。
けど、中には本を切り取って貼り付けたような部分もあったし、古びてはいたけど十分に読める状態だった。
最初のページは大体こんな感じ。（）の中は局長のメモ書きかな？
----------------------------------------------------------------------
【ナイトメア】（対策本部蔵書より抜粋）
生息地：不明（一箇所に留まる事は無い？）
気性：臆病、弱気、好色
食料：人間の男性の精
人間の上半身と馬の下半身を持つ、獣人型の魔物。
高い魔力を持ち、睡眠中の人間の夢に入る事が可能。
特定の場所に生息はせず、夢の中以外で遭遇する事は非常に稀。
（予想：渡り鳥のようなルート巡回制？）
ケンタウロス種だが人間の男性の精を糧とする。
好みの男性を見つけると夢の中に妖艶且つ強気な美女の姿で現れ、性交を通じて精を搾取。
（実際に入っているのは精神、肉体は下半身を魔法で変化させて性交するか口で搾取している）
一度夢に現れた後は毎日襲われる事となる。
（気付かないケースが多い）
本来は非常に臆病で気が弱く、現実で男性に触れられると途端に動けなくなる。
（眠っているか自分から触った場合は大丈夫？）
襲われていると解った場合、寝たふりをしていれば簡単に捕獲が可能。また、殆ど抵抗も無く飼い慣らせる。
----------------------------------------------------------------------
「……何これ」
この後のページも、スクラップした資料にメモ書きがびっしりと書かれているだけだった。
「見ての通り、調査ファイルだが？」
「いやー、それにしちゃ汚いし。第一、零号って―――」
思わず聞こえた声に動きが止まり、私はゆっくりと後ろを向く。そこには見慣れた糸目の男性が立っていた。
「まだこの仕事を始める前に作った物だし、不完全だからね。記念にとっておいてあったんだ」
「きょ、局長っ！？」
私は思わず飛び上がり、ファイルを取り落とす。けど局長は難なくそれを空中で掴んで見せた。
「こらこら、アメリア君。いくらどこにやったか忘れてたからって投げる事は無いだろう」
「あ、すみません……」
糸目の目尻を下げ、局長は顔を曇らせる。滅多な事では怒らない局長でも、流石に少しムッと来たようだった。
「まあ良いけど……これは丁度、俺が君ぐらいの時に作ったんだ。友達の為にね」
「お友達……ですか」
昔を懐かしむように元から細い糸目を更に細め、局長は宙を見上げた。
「そういえば私、局長のプライベートとかって殆ど知らないんですけど」
「俺だってアメリア・ニールボゥの生活の全てを知ってる訳じゃないさ……聞きたいかい？」
是非、と私は頷いた。
「そうだな……ある日、友達が妙にニヤケた顔で教室に入って来たんだ。その辺りから話そうかな」
◆
山間にある少し小さい町、その町の学校に若い頃のハバカルは居た。
教室の一番後ろの席に深く腰掛け、手にした本に目を通している。魔物研究が趣味の少し暗めな学生、と言った所だろう。
そして、そのすぐ後ろにある扉から彼の友人が現れた。が、何故かいつもと様子が違う。
「いよぉーう、ハバちん。今日も暗いねぇ、ん？」
いつも軽い感じなのは確かだが、今日は更に軽い。まるで空へ飛んでいってしまいそうだった。
「……おはよう、イカル。そういう君はご機嫌だね」
「まぁな。今日は夢見が最っ高に良かったんでよ」
イカルと呼ばれた青年は軽やかなステップを踏んでハバカルの前の席へと座る。傍から見ると全く接点の無い組み合わせだった。
「そうなの？ 夢は滅多に見ない、見ても覚えてないって言ってたよね」
「良くそんな事覚えてるな……ま、その分だけ今朝の夢は最高だったのさ。今思い出しても興奮しそうだ」
「興奮って……何？ 下ネタ？」
読んでいた本からハバカルが目を離すと、ニヤケた顔のイカルが鼻の下を伸ばしに伸ばしていた。
「いぇっへっへっへっへ、まーな。それも最上級の」
「文章が破綻してるっての……まあ、それだけ良い夢だったんだね？」
「おうよ。こりゃ当分はズリネタに困らなそうだ」
さいですか、とハバカルは話に興味をなくしたように本に目を落とす。その頃にはイカルは別の友人と話し始めていた。
◇
その日の放課後。家が町の端にあるハバカルと、その道を辿った先の郊外に家があるイカルは並んで帰路についていた。
「イカル、夢を反芻するのは良いけど授業中にアソコ弄るのだけはやめて貰えないかな」
「うぐ……ば、バレてたか……いや、悪い悪い。忘れないようにしてたらエレクチオンしちまってよ」
イカルは申し訳無さそうに頭をかき、ハバカルはため息をつく。
「で、どんな夢だったの？」
「え、何？ お前興味あんの？ このムッツリめ」
「……一日中同じ話されて、その内容が気にならないのもどうかと思うよ？」
茶化すようなイカルの台詞を受け流し、ハバカルは理由を口にした。
軽口が叩き合えるのが楽なのか、学校よりもハバカルの表情は若干明るいように見える。
「ま、それもそうか。つっても美人のお姉様が出てきてナニしてくれるってだけなんだけどな」
「……それ、欲求不満なんじゃないの？ おばさんと二人暮らしな訳だし」
「何でそこで母さんの話になるんだっつーの」
イカルは急に口を尖らせる。が、それが拗ねる演技なのだとハバカルには一発でばれてしまったようだ。
「それが放課後にどこにも寄らずに家の仕事を手伝ってる人間の台詞？」
「るせぇ。しょーがねーからやってるだけだっつーの」
茶化し茶化され合う、どうと言う事は無い日常の一コマ。そんな中に彼らは居た。
……正反対の二人が友人として成り立っているのは、案外こんなありふれた時間のお陰なのかもしれない。
「っと、そうだ。悪いけど今度べんきょー教えてくれや」
「良いけど……どこか解らない所でもあった？」
「いや、魔物について……な」
ハバカルは『その単語』がイカルの口から出た事に驚き、足を止める。つられるようにイカルも足を止めた。
「……珍しいね。イカルが魔物について、だなんて」
「まあ……な。いつまで経っても知りたくないの一辺倒じゃ、今の暮らしはキツイだろ？」
イカルの家は町からかなり離れた位置にあり、何かあっても町の自警団は絶対に間に合わない。
それなら自衛の手段を講じるしかないのだが、今の今までイカルはそれを断固拒否していたのだ。
「そっか……うん、解った。良かったよ、僕の研究が無駄にならずに済んで」
「ハッ、テメーはもう病気レベルの魔物フリークじゃねーか。フリークスフリーク、ってか？」
「別に上手くないって……と、それだったら図書館に寄ってった方が良かったね」
「そりゃご勘弁。あそこは黴臭くてな」
そう言ってイカルは歩き出す。しょうがなくハバカルも着いて行くが、いつの間にかハバカルの家の前に着いてしまった。
「んじゃ、また明日な。べんきょーの事、頼んだぜ？」
「あ、うん……また明日」
笑って別れの言葉を交わし、イカルはいつものように人気の無い道を駆けていく。
「……無理しちゃって」
イカルの背中にいつもの元気が無い事は、当然のようにハバカルにはバレバレだった。
「全く、時間と体力がもったいないな」
そう苦笑しつつ、ハバカルは図書館へと足を返した。
◇
山間の町ではあるが港町同士を繋ぐ交易の拠点である為、中々にこの町は大きい。
そして、入ってくる情報等もまた信頼性と鮮度に優れた物ばかりだ。
無論、それは生活や交易に関する事だけではなく、書物や他の国々に関しても言える事だった。
「えっと……とりあえず図鑑はあった方が良いかな」
ハバカルもまた、その恩恵に与る一人だった。特に魔物に関しての知識は、この町でも五本の指に入るだろう。
「お、何だ何だ？ 最近来ないと思ってたら、今度は図鑑とはな。誰かに取られたか？」
「おじさん……そんなガキじゃないんだからさ」
「馬鹿言え、まだまだケツの青いガキンチョだっての。それからおじさんじゃなくベン、もしくはベニーと呼んでくれ」
そしてまた五本の指に入る人間がここに一人。この図書館の司書であるベルンハルトだ。
いかにも読書少年なハバカルと違い、ベンは精悍な青年と言う単語が良く似合う大男である。
「そう言えば、もう戻ってたんだ。王都の方はどうだったの？」
「あー、まあいつも通りって所だな。人と物でごった返してやがった」
さもありなん、彼の担当は外部からの本の買い付けである。そしてその道中には危険と魔物がつき物だ。
「相変わらず人ごみは苦手なんだね。良いじゃん、人の波より頭の位置が高いんだから」
「禿頭のオッサンばっかりってのは参るぜ？ 因みに今回の戦利品は特になし。つまんねーもんばっかりだ」
「そっか……じゃあ、面白い話とかは？」
待ってました、とばかりにベンは顔を歪ませる。言いたくてしょうがなかったんだろう。
「一個、特大の大ネタがあるんだが……ここじゃアレだ、場所変えるか」
「あ、うん……その前にこれ、借りとくね」
声を潜めたベンに習い、ハバカルも声量を落とす。と言うか、ずっと持っていた分厚い図鑑に耐えられなくなったのかもしれない。
「いや、やめとけ。どーせ今後は役に立たないだろうしな」
「え……？」
彼らは本通りから一本外れた道にある公園へと入った。公園と言っても、ただ木と原っぱが広がっているだけである。
ベンは木の根元に座り込み、ハバカルも同じように地べたへ座る。その手には来る途中で買った林檎が握られていた。
「で、どう言う事？」
「図鑑の事か？」
ハバカルが無言で頷くと、ベンは林檎にそのままかぶりつく。林檎は綺麗な歯型から蜜のように果汁を染み出させた。
「それが今回の大ネタになるんだがよ……お前、魔王の世代交代って知ってるか？」
「う、うん……ある魔族の中で急に魔力の高い個体が生まれて、それがその種族だけじゃなく他の種族も従えるんだよね？」
「そう。それが魔王であり、その世代交代だって話だ。因みに前の世代交代は500年位前だったってな」
何故こんな時にそんな話をするのか、ハバカルはすぐに思い至ったようだ。
「まさか、それが……？」
「そう、そのまさかだ。ここ半年から１年くらいは何故か魔物が殆ど出なかったんだが……十中八九それが原因だろう」
「そう言えば、確かに……出たって殆ど聞かなかった」
うむ、とベンは頷いてまた林檎を齧る。もう半分ほどが消えてなくなっていた。
「王宮に魔物対策部ってのがあるのは前に話したよな？ 実はそこの奴とはちょっとした知り合いでな」
「世代交代が確認されたの……？」
「っつーか、あと半年もすればまた世界中に魔物がジャンジャカ出てくるだろうってさ」
林檎の種を噛み砕きながらベンは言う。その表情は深刻そうであり、今までとは何かが違っているのが解る。
「でも、魔王がいくら凄い魔力を持っててもさ、世界中の魔物に影響が出たりするのかな？」
「いや……するだろうな。対策部の奴が、一度だけその魔王ってのを見たらしいんだよ」
そいつは報告した次の日に発狂して死んだって話だ。と、ベンはさらりと言う。
「そんなに……凄いの？」
「だろうな……そいつの話によると、前の魔王は典型的な悪魔って感じの風貌だったらしい」
角があり、翼があり、生き物の一部分を切り貼りしたような生き物。それが悪魔である。
「へぇ……で、でもまだ世代交代したとは限らないんじゃない？ 単に人前に出なくなっただけかも……」
「いや、もう対策部の方には『新しい魔族』の情報がジャンジャン入ってきてるらしいぞ」
「ど……どんな？」
ベンは勿体つけるように林檎の最後の一口を口にし、飲み込んでからこう言った。
「女だ」
時が流れる事、数十秒。遠くでは子供達が追いかけっこをしている。
「……え？」
「だから、女だ」
「……いや、だから何が？」
あまりの事態にハバカルの脳は考える事をやめてしまったらしい。言っている意味がさっぱり理解できていない。
「だから、魔物の殆どが女の姿になってるんだってよ」
「女の……姿？」
「対策部の方は女性型の魔物が魔王になったんじゃないかって、予想を立ててる」
確かに、筋は通っている。今までの魔物の多様性が魔王が様々なモノの集合体だったなら、今までの魔物の多様性も頷ける。
「今まで女性型だった淫魔や擬態型、寄生型も……かな？ その辺以外の魔物が全部女の姿になっちまったらしいぞ」
「……嘘だぁ」
「マジだっつーの。それからまだ未確認の噂らしいが、人間の女性が淫魔化してるらしい」
嘘だぁ。何そのパライソ。
「じゃあ何？ もう取って食われたりはしないの？」
「まあ、性的な意味でって前置きが付くだろうな。少なくとも外見はガラッと変わるだろう」
成程、そりゃ確かに図鑑の意味が無い。ただでさえ汚い絵が挿絵として載ってる程度なのだ。
「しかし、まだ世代交代したらしいって程度の情報だし、何にせよ情報が少なすぎる。気をつけるに越した事は無いだろ」
「……って、言うかさ。これ、別に図書館で言っても良かったんじゃない？」
「馬鹿野郎、あそこ響くだろうが。そしたら皆に知れ渡っちまうだろ？」
はて？ とハバカルは首をかしげる。別に命に別状が無い可能性が高いなら、今までよりずっと安全になるだろう。
「あのなぁ……淫魔に攫われるのと同じなんだぞ？」
「……それって、まさか」
「永遠の快楽地獄・お子さんもご一緒にどうぞスペシャル、だな。ただでさえ男手が無い家庭も多いんだ、徐々に人口減ってくぞ？」
そして行き着く先は魔物と快楽が支配する世界。とベンは締める。
「それに攫われた先で殺されるって可能性も無い訳じゃない。伝染病なんかメじゃないぞ」
「確かに……それに、むしろ進んで攫われたりしそう」
「だろ？ 人間様の天下をこの手に掴むまで、頑張らないといけないんだよ。うん」
言いながらベンは立ち上がる。すっかり話し込んでしまったのか、空が茜色に染まり始めていた。
「さて、そろそろ逢魔が時だ。誘惑されてもホイホイついてくなよ？」
「解ってるよ……ベンこそ気をつけなよ？」
「なぁに、逆に俺の虜にしてやるさ……っと、そうだ。今日話した事、あんま言い触らすなよ？」
それじゃあ自分はどうなんだ、とハバカルは心の中で突っ込みつつ、ベンと別れる。
◇
さて、一方その頃イカルはと言うと。
「いよぉし、今日も頼むぜ夢の精！ 俺に！ パゥワーを！ ドリームを！」
一日の勤労を終え、眠りにつこうとしていた。学校に行った後に農作業をするとは、意外と勤労青年である。
「イカル？ 何叫んでるのー？」
と、家の奥の方から声がする。開け放しにしてあるドアの向こうから僅かに聞こえるだけだが、イカルにはしっかりと聞こえていた。
「あ、いやいや、何でもないって。んじゃ、そろそろ蝋燭消すよ」
イカルはその声の主がいる部屋まで行くと、薄暗い部屋を照らす燭台を手に取った。
その部屋には妙齢の女性が一人、ベッドに横たわっている。顔立ちがイカルに似ているが、穏やかな雰囲気を漂わせていた。
「……イカル、大丈夫？」
「何だよ、藪から棒に。俺が好きでやってる事だし、大丈夫だっての」
イカルはそう言うと蝋燭を消し、無理矢理会話を終わらせる。光源の無くなった部屋はすっかり暗くなっていた。
「……そう。それじゃあ、お休み。イカル」
「ああ、お休み。母さん」
眠る前の挨拶を交わし、イカルは母親の寝室の扉を閉める。その顔に今までの覇気は無く、滅多に見せる事の無い表情になっていた。
「ったく、心配性なんだからな……」
自分の部屋に戻り、イカルはベッドへと倒れこむ。幾ら丈夫だ、元気だと言っても学生と農家の二重生活は辛いだろう。
「病は気からって言うじゃんかよ……」
彼の母親は今、とある病にかかっている。既に特効薬は投薬済みであるし、後は経過を見るだけだ。
だが、それを手に入れるまでの苦労を考えれば、気が弱くなるのも致し方無い事だったのかも知れない。
農家である彼の家は決して裕福ではなく、二人分の生活費とイカルの学費を何とか捻出している状態である。
その状態で働き手の母親が病に伏せたとなれば、イカルは学校を辞めなければいけなかっただろう。
だが、ハバカルを始めとした彼の友人達の援助により、彼は薬代を手に入れる事が出来た。無利子援助は友人の特権である。
しかし、それを当の母親が知らない筈も無く、生活の為に息子が自分の時間を犠牲にしているのを気に病むのも、当然の流れだ。
結果として、彼女はすっかり気が弱くなってしまっているのである。
「さっさと治せっつーの……」
這うようにベッドへ転がり込むと、即座にイカルは寝息を立て始める。よほど疲れていたのだろう。
そして、それに気がついた一つの影があった。
◆
イカルは、何も無い空間に居た。
「ここは……」
イカルは、それに既視感を覚えた。
「っ！？ まさかっ！」
何も無い空間で体を起こす――相対的に見る物が無いので自分の感覚頼りだが――と、いきなり後ろから抱きすくめられる。
「おわっ！？」
「ふふっ―――」
急に身動きの取れなくなった状態で、僅かに首を動かして後ろを見る。そこには、青みの強い紫の髪を持った美女が居た。
「昨日のアンタか……」
「あら、覚えててくれたの？ 嬉しい……」
一言で表すなら、妖艶。ふっくらとした唇は艶を持ち、大きな瞳は蒼くイカルの顔を映し出している。
ボリュームのある髪の毛に耳は隠れているが、両側に一房ずつ跳ねているのが艶やかな姿とはミスマッチで可愛らしい。
「ま、昨日あれだけいい思いをさせて貰ったからな……今日もか？」
彼の体をまさぐる片方の手は滑らかに動き、臍から胸板、首筋にしっとりと張り付いていた。そこに女性特有の体の柔らかさを感じる。
もう片方の手は、触れるか触れないかギリギリのタッチで乳首や腹筋の上を滑っていた。それがむず痒くてたまらない。
肩は小さく、すらっとした腕の筈なのに抜け出せない。と言うか、首以外は指一本すら動かせなくなっている。
「ええ……良い事、しましょう？」
いつの間にかむき出しになっていた背中に、小さな突起が二つ押し当てられる。恐らく、胸だろう。小さくてよく解らないが。
むき出しになっていたのは腹や背中だけでなく、気がつけばイカルは全裸になっていた。まあ夢だから何でもありだ。
そして、そのむき出しの尻に柔らかい感触。プリップリの太腿が押し当てられ、全身のボリュームを確認する。
（あー、胸ちっちぇー）
（……ど、どうして？ 記憶はちゃんと消した筈なのに……）
成程、胸以外は妖艶な女性だ。そんな女性に抱きすくめられている。そして健康な青少年であるイカルの体は、正直に反応した。
「あー、お姉さん？」
「な、何かしら？ もう我慢できなくなった？」
「うん、まあ、その通り。お姉さんの方は準備しなくても良いの？」
平気よ。と妖艶な女性は身を放し、イカルの体を反転させる。彼女の目の前には屹立した愚息があった。
「もしかして……口で？」
「手も使うけどね。ご不満？」
そんな筈が無い。幾らイカルが人気者とは言え、性交の経験がある訳では無い。
「出来れば、そのー……本番したかったなー、と」
「まっ、まだ早いわよっ！ ほら、行くわよ！？」
言うが早いが、彼女は竿に手を添える。その感触があまりにも柔らかく、今まで我慢していたイカルには限界だった。
「ちょ、くうっ！」
「え？ ひゃぁっ！？」
今まで出した事も無いような量を吐き出し、その殆どを彼女の顔にぶちまけた。顔の殆どのパーツに白濁した粘液が降りかかる。
「ご、ごめん……あんまり気持ちよかったから……」
「そ、そう……そんなに、良かった？」
「マジ最高」
それなら良いわ、と自らの顔にかかった精液を指で掬って舐め取る。その仕草がまたいやらしく、息子は一瞬で復活した。
「やっべぇ、お姉さんマジエロい……」
「そ、そう……？ こ、今度はもっと持たせてね……？」
先程と同じように手を添えるが、今度は一度跳ねただけで収まり、ふっくらとした唇がその先端に触れた。が、
「ちょ、え……っ！？」
「んぷ……っ！？」
先端が柔らかい唇に触れた瞬間、またしても愚息は白濁を撒き散らす。それも今度は口内に。
「っくぅ……ご、ごめん……」
「ん、んく……こく、ん……」
が、彼女は迷う事無く精液を飲み干す。喉に引っかかるのか、何度も嚥下しようとしては失敗する姿が劣情を煽った。
「って、マジで飲んで……」
「だって、美味しいから……もっと、頂戴？」
先程の姿とこの台詞でいきり立たない男が居るだろうか。いや、居ない。反語。
「良いけど……その前に、一つだけ」
「なぁに？」
些細な事だが、とても重要な事。
「名前、教えてくれるか？」
「―――っ」
彼女はその台詞に驚いたように息を呑み、それでも小さくこう答えた。
「……芽阿子」
「メアコ、か。良い名前だな」
「―――ッ！」
イカルが名前を反芻すると、芽阿子は急激に顔を赤くする。その反動からか、次はいきなり喉の奥まで咥えてきた。
「ちょ、芽阿子っ！？」
「なふぁえをおふぃえらんれすふぁら、ふぁいふぉふぉいれひふぁれらしれふらふぁい！」
「何言ってっかわかんね……くうっ！」
その後、イカルは何発出したのかは覚えていない。少なくとも、全て手と口であった事は確かだったが。
◆
翌朝、ハバカルはイカルの姿に酷く驚いていた。
「……おっす」
「……どうかしたの？ 何だか物凄くやつれてるけど」
そうか？ とイカルは自らの席に倒れこむ。どう見ても昨日までの元気が無い。と言うか生気がない。
「……何かに取り憑かれた？」
「んな訳あるかぁー。昨日と同じく最高の夢見だったぞ」
「それ、明らかに夢魔に取り憑かれてますから」
「んなもん知るかぁー」
応対もかなり投げやりだ。他の友人達も様子がおかしいのに気がついて誰も寄ってこない。
「でも、連続で……？ サキュバスって連続で襲う事ってあったかな……？」
「知るかぁー」
「ちょっと黙ってて」
ハバカルは鞄から分厚い本を取り出す。図鑑は役に立たないと言われたが、それでも魔物の特性は変わらない筈だ。
「連日特定の人間を襲う夢魔……そう言えばイカル、昨日もいい夢だった？」
「も、最高。あれで後は乳がでかけりゃなー」
「ああ……そう言えば君、オッパイマンだっけ……やっぱり夢魔かな」
そうなると、とハバカルは一発で目星をつける。元々の種類が少ないとは言え、これはかなり凄い。
「ナイトメア……ケンタウロスに似た馬の獣人型だね。人に悪夢や淫夢を見せて精気を吸い取るんだ」
「馬ぁー？ バーロー、ちゃんとムッチムチの太腿もあったぞ」
「夢の中なら何でも有りなんでしょ。多分、魔法が得意なんだよ」
あっそーですかー、とイカルは無気力そうに会話を流す。余程長い付き合いでないと、これはかなりイラつくだろう。
「まあ、今の所はまだ大丈夫そうだけど……生活に支障が出るようなら何とかしないと」
「んー……まあ、な」
何だかんだ言っても、イカルにとって今の生活は限界ギリギリなのだ。
「因みに対処法は狸寝入り」
「ハァ？ 何だそりゃ」
「元々は気弱な性質らしいし、相手に接触しないと夢の中に入れないらしいんだ。そこを捕まえれば良いんだって」
図鑑の一文を指で示しながらハバカルが解説する。が、イカルはさっきから微動だにしない。
「そんなんで良いのか……」
「因みに王都の方だと捕獲して飼い慣らしてる人も居るらしいよ？」
「……マジかよ」
イカルの鼻の下が急激に伸びる。こういう所にだけは体力を使うらしい。
「まあ、悪夢を見せられる事はないと思うけど……それでも精力が無くなったら死んじゃうからね。気をつけて」
「おーけーおーけー」
本当に解ってるのかな、とハバカルは苦笑する。イカルの為に対ナイトメア用の本でも作ろうか、と考えているようだった。
◇
そして、その晩。
「対処法は狸寝入り、ねぇ……そういうの苦手なんだよなー」
自らのベッドに転がりながらイカルはぼやく。素直に生きてる彼にとって、演技は大変な事だろう。
「あー、でもできれば今日は胸でっかい状態で来て欲しいよなー。流石にアレはなー」
などと考えつつ、いつの間にかイカルは眠りの淵へと落ちて行った。
◆
気がついた時には、また同じ場所である。
「寝ちまったよ……よう、また会ったな。芽阿子」
「そ、そうね……どう？」
はて何が、と言おうとしてイカルの動きが止まる。そこにはたわわな胸を恥ずかしそうに隠す芽阿子が居たのだ。
「……最高」
「―――っ、と、当然でしょ？ わざわざ貴方の好みに合わせてあげたんだから」
「その恥じらい含めて最高」
昨日とは違い、イカルの体は自在に動く。気がつけば二人は全裸のままで抱き合っていた。
「―――ッ！？」
「いやー、俺ってでっかいオッパイが好きでな？ これでもう完璧、究極だよ。うん」
「……そ、そんなに良い？」
もう溺れそう、と返して芽阿子の唇を奪う。芽阿子は驚いたように目を見開くが、すぐに大きな瞳を潤ませた。
「今日は……最後まで、良いかな？」
「良いけど、それは私がするの」
「え―――っ？」
また、イカルの体が動かなくなる。それどころか、芽阿子の手の動きに合わせて人形のように動き始めた。
「夢の中は、私の世界。ここに居る間は、全てを私に委ねて……」
「そりゃ楽で良いけど……出来れば自分の力で、芽阿子を気持ち良くしてやりたいな」
「嬉しいけど、駄ぁ目」
気がつけば、芽阿子がイカルの股の上に馬乗りになっている。しっとりと閉じた秘裂を裏筋に合わせ、腰を振り始めた。
「んっ、ふっ、うっ……ど、う？ 気持ち良い？」
「マジ最高。特に目の前でおっぱいがぶるんぶるん揺れるし」
「―――ッ！？」
声無き声を上げ、芽阿子の動きが止まる。そしてイカルの体がまた動くようになった。
「え、あ、あれ？ えいっ！」
「あ、ちょっ……」
動くようになったと喜ぶのも束の間、またしても動かなくなる。どうやら動揺すると支配が利かなくなるようだ。
「もう……油断も、隙も……っ、無いんだから……」
また芽阿子は豊かな胸を揺らして腰を振り始める。擦られている怒張は既に限界を超えている筈だが、何故か絶頂には達していない。
「何だ、そんなにオッパイ大きいのが嫌なのか？」
「っ―――！」
イカルの胸板に突いていた手で自分の胸を隠し、身を捩る。その瞬間、戒めが解けたかのように男根は痙攣した。
「っくー……さっきから変だと思ってたら、やっぱお前が何かやってたのか」
「………。」
「で、動揺してそれが無くなった、と……良いじゃん、オッパイ大きくても」
真っ赤になって俯いたまま、芽阿子は首を横に振る。首を振る度に跳ねた髪の房がプルプルと震えていた。
「はぁ……何で嫌なのかは知らないけど、俺はオッパイが大きい芽阿子の方が好きだな」
「―――ッ！」
イカルは体を起こし、身を捩ったままの芽阿子を抱きしめる。
「とってもいやらしくて、オッパイが大きくて、ちょこっとドジで……そんな芽阿子が好きだな、俺は」
「……私は、自分が嫌いです」
「俺が好きだから良いじゃん」
言いつつ、イカルは芽阿子を横たえる。そのまま腰の位置を動かし、芽阿子が気がついた時には亀頭を秘所に押し当てていた。
「ぁ……」
「行くぞ、良いな？」
「……（こくん）」
僅かな水音と共に、ペニスが飲み込まれていく。粘性の高い液が駄々漏れになっている芽阿子の膣は、いとも簡単に全てを受け入れた。
「……っ！」
「って、何かさっき抵抗が……」
見ると、芽阿子の臀部には赤い筋が一本通っていた。これ即ち、破瓜の証。
「……マジかよ」
「―――ッ！」
芽阿子は顔をこれ異常ないほど真っ赤にし、イカルに抱きつく。顔を見られたくないのか、強く抱きしめている。
「やべ、マジで興奮してきた」
しかし、ある意味逆効果だったのかもしれない。巨乳好きの男に胸を押し付ける初体験の淫らな少女―――何故か体格が子供っぽくなっていた。
「あっ……！」
イカルは何も言わず、猛然と腰を振り始める。初めてである芽阿子の事など気にせず、ただ己の欲望のままに。
「ん、ぁっ、っく……！ あ、んっ……」
しかし、最初から大量に出ていた粘液のお陰か痛がる事は無く、芽阿子も初めての快感に身を委ねていく。
「あ、あっ……！ ん、はぁ……っ、んぁ、あっ！」
何も無い空間に、男と女が一人ずつ。響くのは水の音と打ち付ける肉の音、それと僅かな息遣い。
「ふぁ、ぁめ、そこ……ぉ！ なんか、いい……！」
未知の快感を即座に受け入れ、芽阿子は更なる快感を貪ろうとする。淫魔としての性なのだろうか。
「あ、あ、あっ……！ もっと、もっとぉ……！」
「ぅ、っく、ふっ……！」
イカルは求められる行為をただ続け、彼自身も体験した事のない快感に身を沈めていく。
「そこ、良い……の！ 突いて、もっと……！」
何度も往復しない内に芽阿子の膣内はほぐれて柔らかくなり、更なる快感を求めて蠢き始める。
「ぁ、んっ！ あ、はっ、あ……！ も、っと……！ もっと！」
首に手を回し、胸板に自らの胸を押し付ける。恥じらいは即ち快感へと変わり、柔らかな感触を差し出した。
「ん、ちゅ……んぷ、ぁ……っ、んむ……っ！」
必然的に顔が近くなり、互いの口内を貪り合う。唾液を吸い、与え、歯茎を突いて舌を絡ませる。
「んぁ、は……ん、あっ、あ、あっ、あぁっ！」
やがて、いつの間にか振り始められていた芽阿子の腰の動きがぎこちなくなる。それはイカルも同様だった。
「っく、芽阿子、そろそろ……！」
「ん、うんっ、来て、来て！ いっぱい、私の中に……！」
膣内の痙攣が始まり、その新たな刺激に耐えられなくなった肉棒から白濁が溢れ出す。
「ん、んん……っ！ あっ……！」
腰に回された足に力が入り、二人の全身が小刻みに震える。
「……は、ぁ」
少しの間、お互いに息を止めていたかと思うと、二人はほぼ同時に息を吐く。その塊は熱く、火照りを覚ますかのようだった。
「凄い……びくびくってなった……」
「こんな出たのは、ちょっと初めてかもな……」
二人の接合部は陰毛が絡まりあい、愛液で濡れ、白濁した泡が出来上がっていた。
「ぁん……勿体無い……」
そこから溢れ出た精液を芽阿子は掬い取り、まるでご馳走か何かのように丁寧に味わい始めた。
「う……」
イカルはそんなのを至近距離で見せられて我慢が出来るほど大人ではないし、潔癖でもない。
「芽阿子……」
「駄ぁ目」
もう一度始めようとした瞬間、またしても体が動かなくなる。今度は芽阿子がイカルに覆い被さる体勢になった。
「ぇ、あ……」
「私が、してあげる……」
頬を上気させた芽阿子は妖艶な笑みを浮かべ、硬さを取り戻した怒張を味わい始めた……。
◆
さて、その翌朝。
「んじゃ、行って来まーす」
「待ちなさい」
「ぐぇっ！」
イカルが学校に行こうとした瞬間、後ろから襟を掴まれる。下手をすれば窒息死だ。
「な、何だよ……朝飯も食ったし、特に寝癖も無いだろ？」
「そうじゃなくて、隈。酷いわよ」
母親が手鏡を取り出す。今朝は体調も良いから一緒に食事を採ろうとしたのだが……どうやら判断を誤ったようだ。
「……そんな酷いかな？」
「もうちょっと気をつけなさい。貴方が倒れたら元も子もないんだから」
「解ってるって。んじゃ、母さんこそ気をつけろよ」
逃げるようにイカルは身を翻して家を出る……いや、事実、逃げたのだ。理由は一つ。
「芽阿子のヤロー……首筋にキスマークなんかつけやがって。バレてなきゃ良いけど」
結局、目を覚ましたら芽阿子の影も形もなかった。強いて言えば窓の下に蹄の跡が残っていたぐらい。
「よし、決めた。今晩とっ捕まえてやる」
そんでもってあんな事やこんな事を実際に……と妄想を爆裂させている最中、見知った顔が居る事に気が付いた。
「あれ？ おーい、ハバカルー」
「あ……イカル。おはよう」
「お、おう……どーしたんだ？ 寝坊か？」
まあね、とハバカルは伸びをする。寝坊というか徹夜したようだった。
「色々と整理してて……って、うわ。昨日より酷いよ、顔」
「今のオメーに言われても説得力ないっつーの」
元々体力のあるイカルに精力がなくなり、体力のないハバカルは徹夜して疲れている。二人とも似たような顔をしていた。
「って言うか、結局捕まえなかったんだ」
「んー……まあ、な。でも今日は捕まえるわ」
そう言いながらイカルは首筋を押さえる。それを訝しがりつつも、ハバカルは眠気と戦う事になるだろうと考えていた。
◇
そして、その晩。
「さて、と……よく考えたらアイツどこから入ってきてるんだ？」
窓はむしろ脱出経路だろう。蹄も外に向かってたし。
「っつーかマジで馬なんだな……まあ良いさ。それなら労働力として飼ってやる」
そろそろ怪しまれるかな、と考え、イカルは枕元の蝋燭を吹き消す。
（さて……どう来るかね）
片目を開けて待つ事十秒、家の扉が僅かに開く音がした。
（……正面から堂々とかよ）
続いて、蹄が木の上に乗る音。それが何度か続いた後、ゆっくりと扉が閉まる。
（度胸が有るんだか無いんだか……）
足音を鳴らさないように慎重に、と考えているようだが、結局蹄なのである程度は鳴ってしまう。
（真っ直ぐ俺の部屋に来てるのか……）
よく考えたら部屋の扉開けっ放しだったな、と考えている間に異様な影がそこに現れた。
上半身を覆うローブと、その上からでも解る豊かな胸。そこまでは良い。
下半身は馬の前足と後ろ足があり、何故か巨大な鎌を持っている。
（か……鎌！？ オイ、そんなん聞いてねーぞ！？ まさか、バレてるのか！？）
イカルが焦っている間に影はベッドへ近付き、馬の前足を折った。
「こんばんは、イカルさん……」
（芽阿子……）
暗がりの中で見えた芽阿子の顔は、夢の中と殆ど同じだった。いや、むしろ少しふっくらしていて俺好みだ。
あえて違いを言えば、前髪が降りていて大きな瞳が見れないという所。
「どうして……ですか？」
（……ん？）
すぐに夢の中に入ってくるのかと思ったが、どうやら違うらしい。
「あんな事、言われたら……本気になっちゃいます」
（―――ッ！）
反則だ。この至近距離で涙目なんかされたら、ひとたまりも無い。本気になってしまうのは一人だけではない。
「それじゃあ……今日も、頂きます」
「いや、そりゃこっちの台詞だ」
芽阿子は鎌を横たえると、何か呪文を呟く。が、イカルはその瞬間に芽阿子の手を握り締めた。
「え―――っ」
「起きてる時は初めまして、だな。芽阿子」
「ぁ……」
その瞬間、芽阿子の全身から力が抜ける。ぺたん、と座り込んだといえば聞こえは良いが、馬なのでズシン、である。
「ったく、キスマークなんか付けやがって……もう離さないからな」
「ぇ、ぁ、あれ……？ だって、眠って……」
「狸寝入りだっつーの」
イカルはベッドから体を起こし、芽阿子を抱きしめる。大きな胸から聞こえてくる心音は大きく、破裂するのではという位だった。
「ぁ、あの、その……」
「成程、そっちが素な訳か。良いな、可愛い」
「―――っ！」
芽阿子は顔を真っ赤にして俯かせる。が、何故か横に跳ねている髪の房がぱたぱたと揺れていた。
「これ……もしかして、耳？」
「ひゃっ！」
そっと手を触れると、芽阿子は身を強張らせる。どうやらとても敏感らしい。
「そっか、こんないやらしい体な上に、こんな所まで敏感なんだ」
「……意地悪、です」
「何か言ったか？」
「ひゃうっ！」
芽阿子の呟きを聞き逃さず、耳を遠慮なく掴む。乱暴にされるのも感じるらしい。
「さて……芽阿子。お前、俺から精気吸ってただろ」
「……ごめんなさい」
「別に怒ってる訳じゃないよ。それで、お前はナイトメアって種族で、人間の精がないと生きられないんだな？」
芽阿子は無言で首肯する。イカルは優しく芽阿子の頭を撫でながら、質問を続けた。
「じゃあ、俺以外の精でも良いのか？」
「……で、できれば、イカルさんのが……」
ぱたぱたと耳を揺らし、芽阿子は真っ赤になって答える。それが嬉しかったのか、イカルは思い切り芽阿子を抱きしめた。
「じゃあ、こうしよう。見ての通り、ウチは農家なんだが……いかんせん人手が足りない。で、」
「……お手伝い、ですか？」
「ご褒美は俺の精、ってのはどうだ？」
働かざるもの食うべからず、と続けようとしたが、その前に芽阿子に唇を塞がれた。
「……ずっと、ここに居ても……？」
唇を離した時には、既に芽阿子の瞳は大きな涙を湛えていた。
「お前さえ、良ければ」
「……よろしく、お願いします……」
そして二人は、どちらからともなく、唇を重ね合った……。
◆
「と、まあ。こんな感じかな」
「はぁー……ロマンチックと言うか、何と言うか……」
アメリア君は納得しているような、していないような不思議な表情をしていた。
「因みに、お二人は今？」
「ああ、実はこの暫く後に芽阿子さんが魔物だってバレてね。駆け落ちしちゃったんだよ」
「まぁ、そりゃそうですよね……」
魔物対策部の人間としては、確かに無視できない事ではある。
「魔法で下半身を人間に変えて生活していたらしいけど……限界があったんだろうね」
「ですよねぇ……あ、それでイカルさんのお母さんは……」
「いや、元々が大らかな人だからね。たまに帰ってくる事を条件に許したらしいよ」
「え？ でも、駆け落ちしたって……」
そうなんだけどね、と話の途中で淹れたコーヒーを飲みながら僕は笑う。
「イカルの家は森に面しててね、その奥で今でも暮らしてるよ」
「……それって、良いんですか？」
「上には内緒だよ」
対策部としては魔物との共存は方針に合わない。だから秘密なのだ。
「この間、遊びに行った時は娘さんも五人ぐらい居てね。中々賑やかだったよ」
「……確か、魔物との子供って」
「うん。だからイカル以外は全員ナイトメア」
そろそろ一番目の娘さんも誰かを襲いに行く頃じゃないかなー、と笑ってみせる。
「……良いんですか？」
「上には内緒で。まあ、魔物とは言え、人間と同等かそれ以上の知性を持った生き物だ。
それなら、人間と共存する道を選ぶ魔物だって居るだろうさ」
「そりゃ解りますけど……」
アメリア君も僕もその道を選んだ人間はごまんと見て来ている。愛は種族の壁も越える、って奴だね。
「人間も魔物も、自然の一部だ。それ一つが全てを掌握するなんてのは不可能だよ」
「そう言う事ばっかり言ってたら首が飛びますよ……上の方針が変わるの、待ちますか？」
「僕はそのつもりだけどね」
すっかり温くなったコーヒーを飲み干し、古ぼけた本を閉じる。
「イカル・フェアフィールドと内藤芽阿子のような人達は沢山居る。これからも増えるだろうね。
けど、魔物が今のままではいずれ共倒れになるし、人間側だって認識を改めないといけない。
だから、お互いの悪い所を直すなり支え合うなりして、生きていかないと」
「何年かかるんですかね、それって」
「さぁねぇ……少なくとも、僕が生きている間には無理かもね」
「頑張って出世すれば人間側は一気に変わるんじゃないですか？」
冗談、と笑ってカップを流しに入れる。外もすっかり日が傾いていた。
「僕はここが良いんだよ。何に縛られる事も無く、全てに置いて行かれる事も無い」
「上昇志向の無い人は見限られますよ」
「相変わらず手厳しい……さて、家まで送りますよ」
そう言われて、初めてアメリア君は外が暗くなり始めているのに気がついたようだった。
「あっちゃー……でも大丈夫ですよ。こう見えても腕っ節には自信が有りますから！」
「人生、それだけではやって行けないよ……それに、よく言うじゃないか」
窓から入る西日に目を細めつつ、どこかで聞いた台詞を口にした。
「逢魔が時、ってさ」
◆
11/12/29 13:17更新 / 杉浦則博