読切小説
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たとえば千年。
テムズ川から霧が立ち込める倫敦の朝。ビッグベンが新しい一日を告げるチャイムを鳴らし、新聞屋の少年が自転車で街を駆け回り、パン屋は生地をコネ始る時間。薄い旭日が差しこむ街中を一人の男が日課のランニングをこなしている。


その様子を、彼女はそっとブラッディ・タワーから見つめていた。それは狭く冷たい世界で意識が芽生えた彼女の唯一の楽しみ。彼女は何時も、想像し、楽しみ、そして絶望に暮れていた。彼はどんな男の子だろうか。彼のお気に入りの場所はどんな所だろう?少なくともこんな血生臭い場所じゃない。もっと素敵で明るくて。もし彼と共に世界に繰り出せたら…
でもここからは出られない。それに、万に一つ、彼に出会えてもこんな女の子を好きになってくれる保証なんてないのだから…





ロンドン北部ハーリンゲイ・ロンドン特区のトッテナム・ホットスパー練習場。練習を終えた二人の若い魔女が談笑していた。


「でね…でるらしいんでしゅよ…倫敦塔に幽霊が!」

「ひいい!や、やめてよモアちゃん…」

「大丈夫でしゅよ。ハリーみたいにおひとり様で行けばその幽霊は出ないらしいでしゅ。一説によるとそいつは王妃アン・ブーリンの亡霊とも女王ジェーン・グレイの亡霊とも言われてて、幸せそうなカップルが許せない!らしいでしゅ。」

「誰がお一人様だって?ああん!?」
二人の会話に割って入るように一人の男が現れた。プライドを傷つけられ、相当頭に血が上っているようだ。


「うわさをすればなんとやらでしゅ!せっかくりふぉーむして大きくなったお家もハリー一人じゃ幽霊たちに乗っ取られちゃうでしゅよ〜!!くひひっ!」

「モ、モアちゃん…」

「てめえ同い年の癖して偉そうに…」



「そこまでにしておけ!」
威厳ある激とともにさらにまた一人、ヴァルキリーが現れた。
キャプテンのユナ・カブールだ。


「まったく…モア、エマ、天真爛漫すぎるのは試合中だけにしてくれよ?それとハリー、お前もだ。やっとスタメン定着してきたというのに暴れてつまらんけがでもしたらどうする?」

「…ウス。」

「…ごめんなしゃい。」「はーい。(なんで私まで…)」






倫敦塔の亡霊。生粋のロンドンっ子のハリーにとって幼い頃から何度も聞いてきた怪談話だ。世継ぎを産めず、王の怒りを買い無実の姦通罪で処刑された。アン・ブーリン。たった9日で女王の座を奪われたジェーン・グレイ。他にも嘗て多くの政治犯、反逆者たちを逮捕監禁、処刑してきたその塔はいわく因縁まみれだ。
それでも、ロンドンにて生を受け、育ってきた彼でもカップルのみを狙う幽霊の話を聞いたことがなかった。
恋愛好きな誰かが創っ作り話だろうか。魔物娘への差別が薄まり、ここイングランドでもTPOを考えないカップルも増えた。

モルシャイアの言うとおりに自分には関係ない話だ、そう思いつつ夕暮れのロンドンを走っていたハリーだったが…



「はい。ではよろしくお願いします…」

「ふむ、任せておけ。」

何故かちょっと着飾ったキャプテンが老いた歩哨兵と共に、塔のお膝元、タワーオブパークにいた。

「ユナさん!何やってんですか?」

「おっ!いいところに来たな!ご隠居、亡霊のエサが来たぞ!」

「おやおや…スパーズのお仲間ですかな?」

「?…まさか先輩…」

「おう!カブール家の名にかけて、亡霊を成敗するぞ!」



なかば強引な形でハリーは亡霊退治を手伝わされることになってしまった。
その老兵曰く、夜中でも警備に当たる歩哨兵たちはすすり泣く声を聞いたりするものの、その霊に出会うことはないらしい。昼夜関係なく、カップルたちにのみ聞こえるよう怨み事を囁き、泣きわめき、果てはうらめしそうに見つめたりするそうだ。
そこで今回の作戦は単純明快。着飾った疑似カップル、ユナとハリーが日が落ちるのを待ち、ひたすら亡霊が出るまで塔内をデートするというもの。リーグの日程上一週間試合はなく、また亡霊がカップルを物理的に傷つけた報告もなく、代々近衛兵隊長を引き継いできたカブール家のユナに白羽の矢がたった。


「あっそうそう。言っておくが私の処女は神に捧げているからな。勘違いするなよ?」

「…」

さっそく用意された服に着替えベル・タワーの前で軽く説明を受けたハリーはまず、中庭のタワーグリーンに進んだ。嘗てアン・ブーリンが処刑された場所で今では民家が隣接している。ここではそこの住民たちの団欒を覗き込む亡霊が報告されているが…出ない。


ホワイトタワー。今では当時の軍需物資が展示されている。歴代王たちの木彫りの顔が並びおどろおどろしいが…出ない。チャペルで神の加護を仰ぎ進む。


ひんやりとした地下を進むとさらにひんやり…いや、ジメジメしたロワー・ウェイクフィールド・タワーに出た。フィリップ・ハワード伯が幽閉されたタワーとは名ばかりの闇夜の世界。勿論ここではすすり泣く声を聞いた、という報告あり。しかし…出ない。


遂にビーチャム・タワーのおどろおどろしい囚人たちの捕えられていた証を乗り越え、ブラッディ・タワーに差し掛かった。

「ふん。幽霊もこのスパーズの主将、ユナ・カブールを恐れたらしいな。」
得意げに鼻を鳴らすユナ。しかしその目はいくつもの恐怖により座ってしまっていた。

「ウェイクフィールドの拷問道具見て飛びあがってたくせに…」

「う、うるさい!」

騒いでいると不意に二人は不安な気持ちに駆られ始めた。誰からも愛されず、そして裏切られ、蔑まれ…生き物なら一度は一生の何処かでかられる不安。

「あ…ああ…で、ででででで…」

「先輩?どうしたん…」

「出たあああああああああああああああああ!!!!!!!!」

そう叫ぶや否や、ユナは泡を吹いて卒倒してしまった。
振り返ると透き通る様に美しく長い白髪を梳く少女がいた。髪飾り、ドレス、そして足元の檻の全てが黒ずくめだ。身分の高い者が捕えられていた場所で優雅に月を眺める姿は文字通り高貴だ。


「…好きな男の子のデートぐらい、がんばって邪魔しないで我慢してたのにね。」

ハリーには話がよくわからない。どういうことだ?

「私、いつも一人なの。目が覚めても、中庭をおさんぽしてても。そして夜はさみしく悪夢と共に眠るの。」

「キミがカップルたちにいたずらしていたのか?」

どうやらやや好意的だ。ここは勇気を振り絞ろう。

「ごめんなさい。私だって本当はそんなことしたくないの。でもね…誰のかわからない記憶。愛する人に裏切られて、死なれて、そして残して殺されちゃって…幸せそうな人たちを見てるとそんな記憶が頭の中でぐるぐるして…」

「…そっか。そうなのか…なんだかすまなかったな。」

「いいのよ。でも、あなたのガールフレンド、大丈夫?」

相変わらず先輩は情けなく倒れていた。

「ああ、彼女丈夫だから。それと君に会うために僕たちはこんなことをしただけで付き合ってるわけじゃない。」

「そうなんだ。」クスリと笑い彼女は続けた。

「あーあ。せっかくお月さまがキレイだったのにな。」

「こっちももっと調べてから来るべきだった。お詫びに今夜は夜伽に付き合おう。」

ハリーの声を聞いた一瞬彼女の顔は艶やかな笑みを浮かべた。

「いいのかしら?」

「いいとも!生憎話題にはことかかな…」

そう言いかけた彼の体は、覆いかぶさった彼女の檻に閉じ込められていた。

「っと、その前に、お邪魔虫には退散してもらおうかしらね。」

パチン!彼女が指を鳴らすとユナは消えてしまった。

「せ、先輩に何を…」

「あの娘が気になるの?そうね、まだ出会ったばかりだもの。仕方ないわね。でも安心して。入口まで戻ってもらっただけよ。これから始まるロマンスのために。」

脱出を試みるがまったく檻が開く気配がない。ロマンス?まてまてまて…俺ははなしでもしてやろうと…

「お話だったらこれから何度でもしましょ?でも今はとにかく愛し合いたいの。ずっとここからあなたを見てた。恋焦がれてた。思った通りあなたは素敵な人。もう…我慢なんて出来ないの!」

「ああああ!!待て待て待て!」

「もう!興ざめね!」

「あのな…俺、一様さ、生まれも育ちもロンドンっ子!」

「…で、どうしたってのよ。」

「俺さこの前家建て替えたのにさ、一人暮らしでな。広すぎて幽霊にでも乗っ取られそうなんだ。」

「…」

「多分亡霊の女の子一人養う甲斐性はある。」

「…!」

「愛し合うのはここじゃなくてもいいんじゃないかな?」

「…そうね。私、つい焦っちゃたみたい。」

「よし!それじゃここを出るぞ!」

「ええ!」


3…2…1!
二人はふわりと月夜の中庭に浮かび上がった。月に照らされ、彼女はまた別の美しい姿を見せる。


「ねえ…」

「?」

「こんなところでも私の生まれた場所なの…ワルツ…一緒に踊って?」

「いいけど…俺ダンスとかは…」

「大丈夫。誰かの美しい記憶…どんどん浮かび上がってくるの。私がリードしてあげる。」

「そうか…お手を拝借。」

「お願いします。」

血みどろの、骨肉の争い、自由を求める争いが起きた場所。しかし、今は月明かりの美しい結婚式場。新郎新婦以外に参加者も、曲を奏でる者もいない。唯ひと組のカップルがロンドンの夜空にて優雅にステップを紡ぐ。

「私と結ばれるからには覚悟してね?永遠なんて陳腐な言葉は嫌いよ?」

「そうか…じゃ、たとえば千年?」

「あくまで目標にしといて。」

「はーい。」


その頃、入口付近…
「いやーお嬢さんが戻ってきてよかったわい。」

「まったくじゃ。しかし…不思議な気分じゃ。ばあさんと会った頃を思い出すのう。」

「まったく、アカペラでもみごとなワルツじゃて。」

先ほどの言葉を訂正しよう。スコッチ・ウィスキーを片手に二人を祝福する参加者が3人だけいたようだ。まだ目を覚まさないヴァルキリーを除いて。









「あ、いけね。」

「どうしたの?」

「まだ君の名前、聞いてない。」

「…私…名前なんてないの…気が付いたらここにいたから。」


君に名前なんてなくても。星座だってなくても。



「そっか。じゃあダイアナなんてどう?元々月の女神様の名前なんだけど。」

「どっかの王妃様見たいな名前ね。」

「俺のお城の王妃様。ここにいるじゃないか。」





15/12/11 23:20更新 / レッズ周作

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