ハッピーアイスクリーム
「兄上、止めぬか？ 私は兄上と拳を交えるような真似はしたくは無いのじゃが……」
「ああ、愛しい我が妹よ、それは私も同じこと。お前に手を挙げるなど、私だってしたくはない」
とある魔界都市の外れにある広大な屋敷。そこにはとある兄妹がいた。
「じゃったら、引き下がるべきじゃろう、兄上。このままでは無益な争いはおさまらぬ」
「愚問だな妹よ。お前が引き下がるべきだ」
食客として屋敷に招かれているこの兄妹は、研究者であり……
「……どうしても、引き下がらぬと？」
「仕方あるまい、戦士としての意地がある」
そして武人でもあった。
―――
兄には武の頂点に立つという野望があった。そのために必要なものはたゆまぬ鍛練と退かぬ心、そして自らの身体を良く知ることと考えた。
例えば棒切れのように痩せ細った老人が大男を投げ飛ばすような奇術めいた武術、例えば少ない力で相手を組伏せる間接技、例えば細い綱の上を平然と歩いてのける軽業師の平衡感覚、そういったものの仕組みを解き明かし、時として鍛練に組み込み、時として技を編みだし、その名を轟かせていった。
一方の妹は魔界の軍を指揮する軍師だった。人間を滅ぼすなどというものが古い考えとなった時代を生きる軍師だった。
いかに人間を傷付けず、五体満足で捕虜とするかに重きを置かれる世界である。
そんな彼女が人の身体について学ぶようになったのは必然だった。
非力な女子供にすら打たれれば悶絶してしまう人体の急所、人間の体力や回復力の限界、人体の耐久性、その知識を軍に役立てることによって、彼女の軍は侵略を効率化していった。
そんな人体に精通している二人が出会ったらどうなるか。
お互いの知識を共有し、さらなる研鑽を積む。研究に没頭するうちに惹かれあうのに時間はいらなかった。
二人は兄妹の契りを結び、結果最強の兄妹が誕生したというわけだ。
兄は妹から身体強化の魔法を学び、今では人間最強の名声を欲しいままにしている。
妹は兄から身体の使い方を学び、単純な戦闘力ならバフォメットのなかでも随一と言われるまでの使い手となった。
しかし、この兄妹の飽くなき探求心は留まるところを知らない。名声の中にいても鍛練と研究を欠かすことは無かった。
―――
『覆水盆に返らず』。ジパングにはそんなことわざがある。一度溢してしまった水は元の容れ物には戻せないということらしい。
それは言葉にも言えることだ。どんな些細な物だとしても、一度発してしまった言葉は取り消すことは出来ないのである。
この兄妹の一触即発の雰囲気には、このことわざがぴったりだ。
「つまりだ……」
「つまりじゃ……」
……それは決して言ってはいけない言葉だった。それを耳にした瞬間、二人は目にも止まらぬ速さで距離をとりにらみ合う。
「仕方ないのう、兄上」
妹が兄から目を離さず中空に手を伸ばすと、彼女の身の丈程もありそうな鎌が握られていた。
「すまないな、妹よ」
対する兄の闘気が膨れ上がり、押し潰されてしまいそうなプレッシャーが部屋を満たす。
……一瞬の視線の交錯ののち、先に動いたのは妹だった。
妹が腰を落として上体を前に倒す。 兄も妹を迎え撃たんと腰を落として構える。
ダン、と大きな音を残して踏み込んだ妹の身体は兄とは反対の方向へと飛んでいく。
飛び込んでくるものと思い込んでいた兄は一瞬目を見開き驚くが、すぐにその思惑に気付いた。
妹の後ろには開いた窓、つまり外へと出るつもりだ。
自らの判断ミスに内心舌打ちをしながらも妹を追い掛けようと前へ踏み込む。しかし次の瞬間男の視界いっぱいに炎の壁が広がった。
『ファイアウォール』と呼ばれる前方に炎の壁を張る魔法技術。
並の人間相手であればその炎と熱に阻まれ足止めをくらい、無理に突っ込めば一気に火攻めにされてしまう。
肉弾戦が不得手である魔術士が、相手を寄せ付けないための魔法である。
しかし、この兄には通用しない。魔力で皮膚の耐熱性と耐燃性を強化した体は炎を物ともせずに突っ切る。
「はあっ！」
気合いのこもった一撃は炎を吹き飛ばして、炎壁の一部に穴を開ける。そのまま炎の元を断つように踏み潰して、妹を追って走り出す……つもりだった。
「っ！？」
左側面からのプレッシャーにとっさに足を踏ん張り右へと跳躍すると、今まで兄がいた場所に鎌の刃が打ち込まれる。
妹の本命はこちらだった。炎の壁は目眩まし。自らの動きを兄から隠すためのもの。
「……殺す気か」
「この程度で死ぬ兄上ではあるまい。そも兄上ならば受け止めることも出来たのではないか？」
「負けると分かるような真似をするものか」
確かにこの兄ならば今の一撃を片手で止めるだろう。魔力で肌を強化し、切り傷さえ作らずに刃を握りつぶせるだろう。
しかし、その間妹から完全に目を離した状態になる。そしてこの妹が例え刹那といえその隙を逃すはずがない。
片手のふさがった状態で不意討ちに近い一撃を例え兄といえど捌けるのか。まして相手は最上級の戦闘能力を持つバフォメットだ。詰め将棋の様に敗北へと追いやられてしまうだろう。
「どうしたのじゃ。来ないのか兄上」
「ああ、退くわけにはいかん。……だが」
兄が体制を低くし、一気に踏み込む。迎え撃とうと構える妹の顔が次の瞬間驚愕に変わる。
「ここは狭すぎる。場所を変えるぞ」
兄の飛び込み先は窓の外。先ほどの妹と同じく外へと出る算段。
「借りは返したぞ」
「やってくれるのう」
一歩遅れて兄に続く妹。ここが建物の五階だという事実などお構い無し。落下しながらも攻防は絶えず、着地の音すら立てずお互いの力をぶつけ合う。
それは拳と鎌と魔法が入り乱れる一種の暴風じみていた。二つの力を絡ませながら荒れ狂う小規模の竜巻は、石畳で舗装された地面に爪跡を残しながら屋敷の庭を駆け抜けていく。
―――
所変わってとある私兵の演習場。魔界都市の貴族から雇われた傭兵部隊は、異様なまでのプレッシャーと戦っていた。
さまざまな魔物と人間で構成されたこの部隊は、魔界都市の中でも腕利きのエリート部隊で、日々厳しい訓練を繰り返し、有事には最前線で戦う魔界都市の守護神軍団なのである。
先程まで掛け声や武器同士がぶつかり合う音が響いてた演習場はしんと静まりかえっている。
息苦しさを与えるこのプレッシャーは次第に近付いているようで、新人たちは一様に重苦しい表情を浮かべている。
「さて、諸君。気付いているだろうが、このプレッシャーの正体は敵ではない。だからまず落ち着いて欲しい」
部隊長であるデュラハンの凛とした声が新人の緊張をほんの少しばかり和らげた。
「これは『あの兄妹』のものだ。諸君らが圧されるのは決して恥ずべきことではない」
新人達の目が見開く。魔界ですら最強を噂される兄妹がこちらに向かっている。武人としては感無量であろう。
「これからここは彼らの戦場とをなる。そこで本日は予定を変更して見稽古とする。各々最強の戦いを目に……」
部隊長の言葉を待たないまま、轟音を響かせて竜巻が演習場に降り立った。
「くっ、予想より早い。諸君、急ぎ休憩室に退避せよ！ 巻き込まれたら命の保証はないぞ！」
その言葉を合図に竜巻からの闘志がさらに吹き上がった。
―――
大砲じみた威力の正拳が、分厚い鉄の刃に止められて鈍い音を立てる。振り回される鎌が、空気さえ切り裂いてしまいそうな風切り音を鳴らす。
さらに爆音や雷音、何かが凍りつく音に正体不明の金切り声。
それはもはや戦争だった。あるいは災害と言えるかも知れない。生物の力を超える何かのぶつかり合いだった。
休憩室に逃げ込んだ部隊員はみな思い思いに兄妹の戦いを眺めている。
「……隊長、あんた何回死んだ？」
「動く前に死ぬと分かった物で三回。終わってから死んだと解ったものはもう十を越えている」
「……すげえな。俺なんかもう三十は死んでるのに」
「ちなみに今の会話のあいだに二回死んだ。最強とはこういうものだ」
「……遠いな」
「だがたどり着くのだろう？」
「……世界を知らないガキの戯言だったと今痛感してる」
「諦めるか？」
「大口叩いたのは軽く後悔してる。この分じゃあんたを手に入れるのは大分先になりそうだ」
「十分ビックマウスだよ、お前は」
「……あ、また死んだ」
「今のうちにたくさん死んでおけ。戦場で後悔しても遅いぞ」
生意気な人間の新兵は己の目指すところの遠さを実感する。未熟なこの身が彼らに、そして隊長に届くのはいつの日か。
……だが、と彼は思う。目標があることはいいことだ。まず隊長から一本とった後には、彼らが控えている。
強くなる機会がこんなにもある。こんなに嬉しいことはない。これから戦いのたびに思い出すであろう高揚感を胸に焼き付けながら、彼は最強の武人を眺めていた。
―――
常人にはたどり着けない世界がある。そこに行き着くのは不可能であると半ば無意識に諦めた世界。
その世界の中にあり、なおも邁進する二人の攻防は、文字通り規格外のものである。
しかし、どれだけの境地に達しようとも、相手を己の手で打ち倒す、これだけは変わらない。故に拳を振り上げて振り下ろす、この動作は彼らも常人も同じだ。
この兄妹と常人の決定的な違いはその二つの動作の速さだけである。だから捌くためにすることを口で言うのは容易い。ただ同じだけの速度で、同じだけの力でこちらも攻撃を繰り出せばいいのだ。
事実二人の攻防はそれだけで行われている。ノーガードの殴り合い、それだけだ。
兄の腕が二本であると言う事実や、妹の鎌に意思がないことを肯定するだけの武力があれば、彼らと対等に渡り合えるだろう。
だが兄がその刹那にどれだけの拳を繰り出したのか、妹がどのように自在に鎌を操っているのか、それを理解できるだけの使い手が世界にどれだけいるのだろう。
兄の繰り出す拳に絶え間はなく、機関銃のような打撃音が周囲に延々と響く。たった二本の腕から放たれるそれは、下手な機関銃などよりもずっと速度を上回っているのだ。
しかしそれを全て捌ききる妹は一体何物なのだろう。
鎌は本来相手の首を掻き切るために造られていて、こんな殴り合いを想定して造られてはいないはずである。だというのに、妹はその手に持った鎌で拳の機関銃を全て受け止めているのだ。
「……気に入りなのだが、やはり扱いづらいのう」
「なら、どうするつもりだ？」
「……こうする」
妹と兄の間に光球が浮かび上がった。
「っ！？ まさか！」
突然のことに顔色を変えながらも襲い来るであろう衝撃に、兄は迅速に受けの姿勢を取る。
「爆ぜろ」
直後光球が膨れ上がり、強烈な爆発が巻き起こる。
―――
「……なによ、あれ」
軍随一の天才魔女はただ戦慄することしか出来なかった。
「おーおー、さすが戦闘力最強のバフォメット。派手だねぇ」
「そう言うレベルじゃないわ！ あんなのありえないわよ！」
『エクスプロージョン』。その名の通り強烈な爆発を空間内に発生させる魔法技術である。極まった魔法使いが使えば、周囲に小規模のクレーターを造る程の威力があるという上位魔法だ。
とはいえ性質上大味であり制御が非常に難しく、正確に狙った位置へと撃ち込むには相当の精神力が必要のはずである。
つまり高度な術式と長時間の詠唱が必須で、対軍や攻城には向いていても白兵戦に向く代物ではない。
「あんなに指向性と密度、何より速さを兼ねた『エクスプロージョン』なんて始めて見たわ……」
「何が恐ろしいって、それが目眩ましにしかなって無いってのがなぁ」
その爆発を兄が吹き散らす一瞬の間に妹の鎌は杖(じょう)に姿を変えている。
「……おまけに『インスタントクリエイト』まで。触媒はあるとはいえ、ほぼ無行程でやってのけるなんて」
「ちなみにそれってどんだけすごいんだ？」
「全くの空手からの居合い抜き。ジャスト一秒」
「……すげえ」
「普通なら何が起こったか解る前にあの方に押さえつけられているでしょうね」
取り回しの効く杖をその手に持ち替えた妹の速度がさらにあがった。兄の拳のことごとくを杖で受け止めながら、時折兄へと突き出すように反撃をしかける。
兄の方もその突きをいなしながらも攻撃の手を緩めない。膠着状態が続いた。
「……とても残念なお知らせがあります」
「なんだよ、急に」
「私の死亡回数が百を越えました」
「はぁ？」
「いや、だってあの『エクスプロージョン』が全く効いてないんだもん。あの方のお兄様の攻撃を防ぐ手だてがなくなったし、最初から一撃ごとにわたしは殺されていたことが分かりました」
「……マジで？」
「うん。やっぱり私はお兄ちゃんに守ってもらわないとダメみたい」
「……なんと言うか、規格外だな」
「私もまだまだってことよ。だからこれからも私を守ってね、お兄ちゃん」
「……へいへい」
子供好き……今となってはロリコンになってしまった騎士は、最愛の妹のために剣を振るうと誓った。自分の傍にいたいがために魔道に身を染めた妹を守る、そのために。
だが、まだ足りない。妹を守るためにはまだまだ必要なものがある。だから彼は強くなる。もっともっと強くなる。最愛の妹のためならどんな試練もはね除けてやる。
「私ももっと強くなるから。お兄ちゃんを助けられるように。二人一緒なら、きっとどこまでだって……」
決意を新たにする兄騎士に寄り添う妹魔女。二人の絆はこれからも強く強く繋がり続けていくのだろう。
―――
まさかあれを防がれるとは思わなかった。『エクスプロージョン』を放った妹の率直な感想である。
妹が兄に教えた魔法は実はたった一つ、『強化』の魔法だけである。
もともと兄には魔法を扱う素養がなかった。しかし『強化』だけは例外で凄まじいまでの素質と親和性を持ち、恐ろしい速度で上達していった。
そのベクトルは全て身体の強化へと向けられ、筋力や耐久力は勿論、精神力はおろか五感全ての力を爆発的に引き上げる。
そしてその『強化』がバフォメットの魔法を破ったのだ。『強化』だけに関しては兄は魔法でも最強ということが証明されたのである。
妹の驚きをよそに膠着状態を兄が強引に破った。大きく踏み込んでからの連撃から足技のコンビネーション、さらにフィニッシュから振り上げられた腕を叩き付けるように降り下ろして連撃へと戻り、息つく間もない程の猛ラッシュ。
流石の妹もこれには防戦一方で押し込まれていく。しかしその顔は楽しげで、余裕すら感じられた。杖を自在に操り押されながらも反撃の隙を窺う。
「そこじゃ！」
「ぬぅ！？」
連撃のほんの僅かな隙間、その刹那の時間に魔力を解き放つ妹。無数の魔力エネルギーが、雨あられと兄へと降り注ぐ。
魔法使いなら誰でも知る初歩の魔法群をこんな形で行使できるのは、彼女がバフォメットたる所以である。
今度は兄が押され始めた。絶え間なく降り注ぐ魔力エネルギーと妹の猛攻、両者を捌ききるので攻撃の手を緩めざるをえない。
様々な属性の魔力の奔流の中、小さな身体でしなやかに杖を操る妹の動きは一種の舞のようで、やはり接近戦でも彼女が超一流なのを裏付けている。
しかしそれは兄の方も同じだ。自分の間合いに入れないことを悟った兄は、襲いくる魔力と杖の連撃を捌くことに専念している。
守りに徹した兄はまさに鉄壁、その拳はことごとくを弾き飛ばし、その肉体は生半可な攻撃ではびくともしない。
ついに焦れたのか妹が仕掛ける。魔力を乗せた杖の大振り、兄のガードを越えるだけの威力を乗せた渾身の一撃。
しかし兄はこれを読んでいた。あるいは待っていたと言えるかもしれない。いくら妹でもこれだけの大振りの後は隙ができる。それは僅かではあるが、兄にとっては十分過ぎる時間。まして極至近距離で素手相手に杖は不利である。
好機とばかりに飛び込む兄、妹は振り切ったその杖を、……手放した。
「……なっ！？」
そして兄の拳を裏拳で受け止めて、顎を蹴り上げる。
不意討ちにバランスを崩した兄はしかし、片膝をついて即座に立て直して妹を見やる。妹が自分に手を伸ばすのが見えた。負けじと手を妹に向けて伸ばす兄。
多少無茶な体勢ではあるがこのくらいなら問題ない。一撃、ただ一撃あてられる状態であれば、妹との勝負はつく。
しかしそれは妹も同じこと。この一瞬で勝負は決まる。お互いがお互いに向けて懸命に手を伸ばして叫んだ。
「「ハッピーアイスクリームッ！」」
―――
「……あれが世に聞く『覇比相素繰武』か」
「知っているのか？」
「『覇比相素繰武』。中つ国にまだ武術も流派も存在していなかった始まりの時代に存在した決闘法。当時武を志すものにとって、同じ考えを持つ人間は自らと同じ道に通じる最高のライバルとされ、そのような人物と闘うことを欲した武人が生み出した。開始の合図は至って簡単で、『両者が同じ言葉を同じタイミングで言う』というものである。力のある武人達に大変好まれた決闘法だが、武術や流派などのスタイルが出来、同じ力量の相手と闘える機会が増えるうちに廃れていった。ニンジャの末裔が今なお生きるというジパングで、同名の遊戯が存在したというが真義のほどは定かではない。ミンメイブックス刊『歴史と武術の始まり 〜原初からの愛羅武勇』より」
「つまりこれが……」
「ああ、あの二人の強さの秘訣だ。日常の中の何気ない発言が決闘の合図になりかねない。そんな緊張感の中日々過ごしているとしたら……」
「しかもその度にあの激しい闘い。……想像しただけで震えがとまらない」
戦闘狂のサラマンダーとその夫ですら二人の闘いに戦慄した。あれと自分たちの闘いがとても同じものとは思えない。
「……俺たちにもたどり着けるのだろうか」
「……いや、たどり着くんだよ。あたいとあんたの二人で」
「……そうだな」
「……そうだよ」
夫は妻からの熱気を感じる。大きな目標の前に彼女は熱く、熱く燃え上がる。そしてその炎は彼に伝播する。お互いがそうしてここまで強くなってきたのだ。
「……やるべきことは」
「ああ、変わらない」
闘う。ひたすらに闘う。お互いの熱をぶつけ合い、もっと熱く熱く熱く。二人で熱さを共有することが彼らの至福の時なのだから。
「でもま、それよりもまずはこの疼きを沈めて欲しいかな」
「……はいよ、あっちでな」
闘いと性に熱い二人の濃密な時間が始まろうとしていた。
―――
「……さすがに今回は肝を冷やした」
「むぅ……記念すべき初勝利のためのかくし球だったのじゃが、あの体制からあの速度は予想外じゃ」
二人の決闘法『ハッピーアイスクリーム』。言葉が同じタイミングで被った際に発生、先に「ハッピーアイスクリーム」のかけ声とともに相手の肩をたたいた方の勝ち。
きっかけは妹のアイスを無断で兄が食べたことによる兄妹喧嘩。謝罪の言葉が見事に被ったことに由来している。
周りは鍛練と解釈しているが言うなればこれはじゃれ合いで、今まで勝敗は一度としてついてない。
「しかしまた腕をあげたな。正直なところ魔法はかなり痛かったぞ」
「痛いですむのは兄上くらいじゃよ。デタラメな『強化』をしおって」
お互いに笑い合う兄妹。戻ろう。放り出してきた研究の続きをしなくてはならない。勝負はこれで終わり
「さて」
「さて」
……ではないらしい。すぐさま距離をとって睨み合う兄妹。
「……まだ暴れ足りないとはのう兄上」
「それはお前のほうだろう、戯けめ」
史上最大の兄妹喧嘩の第二ラウンドの火蓋が切って落とされた。
「ああ、愛しい我が妹よ、それは私も同じこと。お前に手を挙げるなど、私だってしたくはない」
とある魔界都市の外れにある広大な屋敷。そこにはとある兄妹がいた。
「じゃったら、引き下がるべきじゃろう、兄上。このままでは無益な争いはおさまらぬ」
「愚問だな妹よ。お前が引き下がるべきだ」
食客として屋敷に招かれているこの兄妹は、研究者であり……
「……どうしても、引き下がらぬと？」
「仕方あるまい、戦士としての意地がある」
そして武人でもあった。
―――
兄には武の頂点に立つという野望があった。そのために必要なものはたゆまぬ鍛練と退かぬ心、そして自らの身体を良く知ることと考えた。
例えば棒切れのように痩せ細った老人が大男を投げ飛ばすような奇術めいた武術、例えば少ない力で相手を組伏せる間接技、例えば細い綱の上を平然と歩いてのける軽業師の平衡感覚、そういったものの仕組みを解き明かし、時として鍛練に組み込み、時として技を編みだし、その名を轟かせていった。
一方の妹は魔界の軍を指揮する軍師だった。人間を滅ぼすなどというものが古い考えとなった時代を生きる軍師だった。
いかに人間を傷付けず、五体満足で捕虜とするかに重きを置かれる世界である。
そんな彼女が人の身体について学ぶようになったのは必然だった。
非力な女子供にすら打たれれば悶絶してしまう人体の急所、人間の体力や回復力の限界、人体の耐久性、その知識を軍に役立てることによって、彼女の軍は侵略を効率化していった。
そんな人体に精通している二人が出会ったらどうなるか。
お互いの知識を共有し、さらなる研鑽を積む。研究に没頭するうちに惹かれあうのに時間はいらなかった。
二人は兄妹の契りを結び、結果最強の兄妹が誕生したというわけだ。
兄は妹から身体強化の魔法を学び、今では人間最強の名声を欲しいままにしている。
妹は兄から身体の使い方を学び、単純な戦闘力ならバフォメットのなかでも随一と言われるまでの使い手となった。
しかし、この兄妹の飽くなき探求心は留まるところを知らない。名声の中にいても鍛練と研究を欠かすことは無かった。
―――
『覆水盆に返らず』。ジパングにはそんなことわざがある。一度溢してしまった水は元の容れ物には戻せないということらしい。
それは言葉にも言えることだ。どんな些細な物だとしても、一度発してしまった言葉は取り消すことは出来ないのである。
この兄妹の一触即発の雰囲気には、このことわざがぴったりだ。
「つまりだ……」
「つまりじゃ……」
……それは決して言ってはいけない言葉だった。それを耳にした瞬間、二人は目にも止まらぬ速さで距離をとりにらみ合う。
「仕方ないのう、兄上」
妹が兄から目を離さず中空に手を伸ばすと、彼女の身の丈程もありそうな鎌が握られていた。
「すまないな、妹よ」
対する兄の闘気が膨れ上がり、押し潰されてしまいそうなプレッシャーが部屋を満たす。
……一瞬の視線の交錯ののち、先に動いたのは妹だった。
妹が腰を落として上体を前に倒す。 兄も妹を迎え撃たんと腰を落として構える。
ダン、と大きな音を残して踏み込んだ妹の身体は兄とは反対の方向へと飛んでいく。
飛び込んでくるものと思い込んでいた兄は一瞬目を見開き驚くが、すぐにその思惑に気付いた。
妹の後ろには開いた窓、つまり外へと出るつもりだ。
自らの判断ミスに内心舌打ちをしながらも妹を追い掛けようと前へ踏み込む。しかし次の瞬間男の視界いっぱいに炎の壁が広がった。
『ファイアウォール』と呼ばれる前方に炎の壁を張る魔法技術。
並の人間相手であればその炎と熱に阻まれ足止めをくらい、無理に突っ込めば一気に火攻めにされてしまう。
肉弾戦が不得手である魔術士が、相手を寄せ付けないための魔法である。
しかし、この兄には通用しない。魔力で皮膚の耐熱性と耐燃性を強化した体は炎を物ともせずに突っ切る。
「はあっ！」
気合いのこもった一撃は炎を吹き飛ばして、炎壁の一部に穴を開ける。そのまま炎の元を断つように踏み潰して、妹を追って走り出す……つもりだった。
「っ！？」
左側面からのプレッシャーにとっさに足を踏ん張り右へと跳躍すると、今まで兄がいた場所に鎌の刃が打ち込まれる。
妹の本命はこちらだった。炎の壁は目眩まし。自らの動きを兄から隠すためのもの。
「……殺す気か」
「この程度で死ぬ兄上ではあるまい。そも兄上ならば受け止めることも出来たのではないか？」
「負けると分かるような真似をするものか」
確かにこの兄ならば今の一撃を片手で止めるだろう。魔力で肌を強化し、切り傷さえ作らずに刃を握りつぶせるだろう。
しかし、その間妹から完全に目を離した状態になる。そしてこの妹が例え刹那といえその隙を逃すはずがない。
片手のふさがった状態で不意討ちに近い一撃を例え兄といえど捌けるのか。まして相手は最上級の戦闘能力を持つバフォメットだ。詰め将棋の様に敗北へと追いやられてしまうだろう。
「どうしたのじゃ。来ないのか兄上」
「ああ、退くわけにはいかん。……だが」
兄が体制を低くし、一気に踏み込む。迎え撃とうと構える妹の顔が次の瞬間驚愕に変わる。
「ここは狭すぎる。場所を変えるぞ」
兄の飛び込み先は窓の外。先ほどの妹と同じく外へと出る算段。
「借りは返したぞ」
「やってくれるのう」
一歩遅れて兄に続く妹。ここが建物の五階だという事実などお構い無し。落下しながらも攻防は絶えず、着地の音すら立てずお互いの力をぶつけ合う。
それは拳と鎌と魔法が入り乱れる一種の暴風じみていた。二つの力を絡ませながら荒れ狂う小規模の竜巻は、石畳で舗装された地面に爪跡を残しながら屋敷の庭を駆け抜けていく。
―――
所変わってとある私兵の演習場。魔界都市の貴族から雇われた傭兵部隊は、異様なまでのプレッシャーと戦っていた。
さまざまな魔物と人間で構成されたこの部隊は、魔界都市の中でも腕利きのエリート部隊で、日々厳しい訓練を繰り返し、有事には最前線で戦う魔界都市の守護神軍団なのである。
先程まで掛け声や武器同士がぶつかり合う音が響いてた演習場はしんと静まりかえっている。
息苦しさを与えるこのプレッシャーは次第に近付いているようで、新人たちは一様に重苦しい表情を浮かべている。
「さて、諸君。気付いているだろうが、このプレッシャーの正体は敵ではない。だからまず落ち着いて欲しい」
部隊長であるデュラハンの凛とした声が新人の緊張をほんの少しばかり和らげた。
「これは『あの兄妹』のものだ。諸君らが圧されるのは決して恥ずべきことではない」
新人達の目が見開く。魔界ですら最強を噂される兄妹がこちらに向かっている。武人としては感無量であろう。
「これからここは彼らの戦場とをなる。そこで本日は予定を変更して見稽古とする。各々最強の戦いを目に……」
部隊長の言葉を待たないまま、轟音を響かせて竜巻が演習場に降り立った。
「くっ、予想より早い。諸君、急ぎ休憩室に退避せよ！ 巻き込まれたら命の保証はないぞ！」
その言葉を合図に竜巻からの闘志がさらに吹き上がった。
―――
大砲じみた威力の正拳が、分厚い鉄の刃に止められて鈍い音を立てる。振り回される鎌が、空気さえ切り裂いてしまいそうな風切り音を鳴らす。
さらに爆音や雷音、何かが凍りつく音に正体不明の金切り声。
それはもはや戦争だった。あるいは災害と言えるかも知れない。生物の力を超える何かのぶつかり合いだった。
休憩室に逃げ込んだ部隊員はみな思い思いに兄妹の戦いを眺めている。
「……隊長、あんた何回死んだ？」
「動く前に死ぬと分かった物で三回。終わってから死んだと解ったものはもう十を越えている」
「……すげえな。俺なんかもう三十は死んでるのに」
「ちなみに今の会話のあいだに二回死んだ。最強とはこういうものだ」
「……遠いな」
「だがたどり着くのだろう？」
「……世界を知らないガキの戯言だったと今痛感してる」
「諦めるか？」
「大口叩いたのは軽く後悔してる。この分じゃあんたを手に入れるのは大分先になりそうだ」
「十分ビックマウスだよ、お前は」
「……あ、また死んだ」
「今のうちにたくさん死んでおけ。戦場で後悔しても遅いぞ」
生意気な人間の新兵は己の目指すところの遠さを実感する。未熟なこの身が彼らに、そして隊長に届くのはいつの日か。
……だが、と彼は思う。目標があることはいいことだ。まず隊長から一本とった後には、彼らが控えている。
強くなる機会がこんなにもある。こんなに嬉しいことはない。これから戦いのたびに思い出すであろう高揚感を胸に焼き付けながら、彼は最強の武人を眺めていた。
―――
常人にはたどり着けない世界がある。そこに行き着くのは不可能であると半ば無意識に諦めた世界。
その世界の中にあり、なおも邁進する二人の攻防は、文字通り規格外のものである。
しかし、どれだけの境地に達しようとも、相手を己の手で打ち倒す、これだけは変わらない。故に拳を振り上げて振り下ろす、この動作は彼らも常人も同じだ。
この兄妹と常人の決定的な違いはその二つの動作の速さだけである。だから捌くためにすることを口で言うのは容易い。ただ同じだけの速度で、同じだけの力でこちらも攻撃を繰り出せばいいのだ。
事実二人の攻防はそれだけで行われている。ノーガードの殴り合い、それだけだ。
兄の腕が二本であると言う事実や、妹の鎌に意思がないことを肯定するだけの武力があれば、彼らと対等に渡り合えるだろう。
だが兄がその刹那にどれだけの拳を繰り出したのか、妹がどのように自在に鎌を操っているのか、それを理解できるだけの使い手が世界にどれだけいるのだろう。
兄の繰り出す拳に絶え間はなく、機関銃のような打撃音が周囲に延々と響く。たった二本の腕から放たれるそれは、下手な機関銃などよりもずっと速度を上回っているのだ。
しかしそれを全て捌ききる妹は一体何物なのだろう。
鎌は本来相手の首を掻き切るために造られていて、こんな殴り合いを想定して造られてはいないはずである。だというのに、妹はその手に持った鎌で拳の機関銃を全て受け止めているのだ。
「……気に入りなのだが、やはり扱いづらいのう」
「なら、どうするつもりだ？」
「……こうする」
妹と兄の間に光球が浮かび上がった。
「っ！？ まさか！」
突然のことに顔色を変えながらも襲い来るであろう衝撃に、兄は迅速に受けの姿勢を取る。
「爆ぜろ」
直後光球が膨れ上がり、強烈な爆発が巻き起こる。
―――
「……なによ、あれ」
軍随一の天才魔女はただ戦慄することしか出来なかった。
「おーおー、さすが戦闘力最強のバフォメット。派手だねぇ」
「そう言うレベルじゃないわ！ あんなのありえないわよ！」
『エクスプロージョン』。その名の通り強烈な爆発を空間内に発生させる魔法技術である。極まった魔法使いが使えば、周囲に小規模のクレーターを造る程の威力があるという上位魔法だ。
とはいえ性質上大味であり制御が非常に難しく、正確に狙った位置へと撃ち込むには相当の精神力が必要のはずである。
つまり高度な術式と長時間の詠唱が必須で、対軍や攻城には向いていても白兵戦に向く代物ではない。
「あんなに指向性と密度、何より速さを兼ねた『エクスプロージョン』なんて始めて見たわ……」
「何が恐ろしいって、それが目眩ましにしかなって無いってのがなぁ」
その爆発を兄が吹き散らす一瞬の間に妹の鎌は杖(じょう)に姿を変えている。
「……おまけに『インスタントクリエイト』まで。触媒はあるとはいえ、ほぼ無行程でやってのけるなんて」
「ちなみにそれってどんだけすごいんだ？」
「全くの空手からの居合い抜き。ジャスト一秒」
「……すげえ」
「普通なら何が起こったか解る前にあの方に押さえつけられているでしょうね」
取り回しの効く杖をその手に持ち替えた妹の速度がさらにあがった。兄の拳のことごとくを杖で受け止めながら、時折兄へと突き出すように反撃をしかける。
兄の方もその突きをいなしながらも攻撃の手を緩めない。膠着状態が続いた。
「……とても残念なお知らせがあります」
「なんだよ、急に」
「私の死亡回数が百を越えました」
「はぁ？」
「いや、だってあの『エクスプロージョン』が全く効いてないんだもん。あの方のお兄様の攻撃を防ぐ手だてがなくなったし、最初から一撃ごとにわたしは殺されていたことが分かりました」
「……マジで？」
「うん。やっぱり私はお兄ちゃんに守ってもらわないとダメみたい」
「……なんと言うか、規格外だな」
「私もまだまだってことよ。だからこれからも私を守ってね、お兄ちゃん」
「……へいへい」
子供好き……今となってはロリコンになってしまった騎士は、最愛の妹のために剣を振るうと誓った。自分の傍にいたいがために魔道に身を染めた妹を守る、そのために。
だが、まだ足りない。妹を守るためにはまだまだ必要なものがある。だから彼は強くなる。もっともっと強くなる。最愛の妹のためならどんな試練もはね除けてやる。
「私ももっと強くなるから。お兄ちゃんを助けられるように。二人一緒なら、きっとどこまでだって……」
決意を新たにする兄騎士に寄り添う妹魔女。二人の絆はこれからも強く強く繋がり続けていくのだろう。
―――
まさかあれを防がれるとは思わなかった。『エクスプロージョン』を放った妹の率直な感想である。
妹が兄に教えた魔法は実はたった一つ、『強化』の魔法だけである。
もともと兄には魔法を扱う素養がなかった。しかし『強化』だけは例外で凄まじいまでの素質と親和性を持ち、恐ろしい速度で上達していった。
そのベクトルは全て身体の強化へと向けられ、筋力や耐久力は勿論、精神力はおろか五感全ての力を爆発的に引き上げる。
そしてその『強化』がバフォメットの魔法を破ったのだ。『強化』だけに関しては兄は魔法でも最強ということが証明されたのである。
妹の驚きをよそに膠着状態を兄が強引に破った。大きく踏み込んでからの連撃から足技のコンビネーション、さらにフィニッシュから振り上げられた腕を叩き付けるように降り下ろして連撃へと戻り、息つく間もない程の猛ラッシュ。
流石の妹もこれには防戦一方で押し込まれていく。しかしその顔は楽しげで、余裕すら感じられた。杖を自在に操り押されながらも反撃の隙を窺う。
「そこじゃ！」
「ぬぅ！？」
連撃のほんの僅かな隙間、その刹那の時間に魔力を解き放つ妹。無数の魔力エネルギーが、雨あられと兄へと降り注ぐ。
魔法使いなら誰でも知る初歩の魔法群をこんな形で行使できるのは、彼女がバフォメットたる所以である。
今度は兄が押され始めた。絶え間なく降り注ぐ魔力エネルギーと妹の猛攻、両者を捌ききるので攻撃の手を緩めざるをえない。
様々な属性の魔力の奔流の中、小さな身体でしなやかに杖を操る妹の動きは一種の舞のようで、やはり接近戦でも彼女が超一流なのを裏付けている。
しかしそれは兄の方も同じだ。自分の間合いに入れないことを悟った兄は、襲いくる魔力と杖の連撃を捌くことに専念している。
守りに徹した兄はまさに鉄壁、その拳はことごとくを弾き飛ばし、その肉体は生半可な攻撃ではびくともしない。
ついに焦れたのか妹が仕掛ける。魔力を乗せた杖の大振り、兄のガードを越えるだけの威力を乗せた渾身の一撃。
しかし兄はこれを読んでいた。あるいは待っていたと言えるかもしれない。いくら妹でもこれだけの大振りの後は隙ができる。それは僅かではあるが、兄にとっては十分過ぎる時間。まして極至近距離で素手相手に杖は不利である。
好機とばかりに飛び込む兄、妹は振り切ったその杖を、……手放した。
「……なっ！？」
そして兄の拳を裏拳で受け止めて、顎を蹴り上げる。
不意討ちにバランスを崩した兄はしかし、片膝をついて即座に立て直して妹を見やる。妹が自分に手を伸ばすのが見えた。負けじと手を妹に向けて伸ばす兄。
多少無茶な体勢ではあるがこのくらいなら問題ない。一撃、ただ一撃あてられる状態であれば、妹との勝負はつく。
しかしそれは妹も同じこと。この一瞬で勝負は決まる。お互いがお互いに向けて懸命に手を伸ばして叫んだ。
「「ハッピーアイスクリームッ！」」
―――
「……あれが世に聞く『覇比相素繰武』か」
「知っているのか？」
「『覇比相素繰武』。中つ国にまだ武術も流派も存在していなかった始まりの時代に存在した決闘法。当時武を志すものにとって、同じ考えを持つ人間は自らと同じ道に通じる最高のライバルとされ、そのような人物と闘うことを欲した武人が生み出した。開始の合図は至って簡単で、『両者が同じ言葉を同じタイミングで言う』というものである。力のある武人達に大変好まれた決闘法だが、武術や流派などのスタイルが出来、同じ力量の相手と闘える機会が増えるうちに廃れていった。ニンジャの末裔が今なお生きるというジパングで、同名の遊戯が存在したというが真義のほどは定かではない。ミンメイブックス刊『歴史と武術の始まり 〜原初からの愛羅武勇』より」
「つまりこれが……」
「ああ、あの二人の強さの秘訣だ。日常の中の何気ない発言が決闘の合図になりかねない。そんな緊張感の中日々過ごしているとしたら……」
「しかもその度にあの激しい闘い。……想像しただけで震えがとまらない」
戦闘狂のサラマンダーとその夫ですら二人の闘いに戦慄した。あれと自分たちの闘いがとても同じものとは思えない。
「……俺たちにもたどり着けるのだろうか」
「……いや、たどり着くんだよ。あたいとあんたの二人で」
「……そうだな」
「……そうだよ」
夫は妻からの熱気を感じる。大きな目標の前に彼女は熱く、熱く燃え上がる。そしてその炎は彼に伝播する。お互いがそうしてここまで強くなってきたのだ。
「……やるべきことは」
「ああ、変わらない」
闘う。ひたすらに闘う。お互いの熱をぶつけ合い、もっと熱く熱く熱く。二人で熱さを共有することが彼らの至福の時なのだから。
「でもま、それよりもまずはこの疼きを沈めて欲しいかな」
「……はいよ、あっちでな」
闘いと性に熱い二人の濃密な時間が始まろうとしていた。
―――
「……さすがに今回は肝を冷やした」
「むぅ……記念すべき初勝利のためのかくし球だったのじゃが、あの体制からあの速度は予想外じゃ」
二人の決闘法『ハッピーアイスクリーム』。言葉が同じタイミングで被った際に発生、先に「ハッピーアイスクリーム」のかけ声とともに相手の肩をたたいた方の勝ち。
きっかけは妹のアイスを無断で兄が食べたことによる兄妹喧嘩。謝罪の言葉が見事に被ったことに由来している。
周りは鍛練と解釈しているが言うなればこれはじゃれ合いで、今まで勝敗は一度としてついてない。
「しかしまた腕をあげたな。正直なところ魔法はかなり痛かったぞ」
「痛いですむのは兄上くらいじゃよ。デタラメな『強化』をしおって」
お互いに笑い合う兄妹。戻ろう。放り出してきた研究の続きをしなくてはならない。勝負はこれで終わり
「さて」
「さて」
……ではないらしい。すぐさま距離をとって睨み合う兄妹。
「……まだ暴れ足りないとはのう兄上」
「それはお前のほうだろう、戯けめ」
史上最大の兄妹喧嘩の第二ラウンドの火蓋が切って落とされた。
12/08/26 07:14更新 / タッチストーン