拘束・説得
夕焼けに染まった部屋の中、男は白蛇に捕らえられていた。彼の体には白蛇がしっかりと巻き付いており、抜け出すことはかなわない。単純な力の差もあるが、魔物娘の持つ色香が、抵抗をより困難にしていた。
白蛇は男の耳元で囁く。
「ねえ、私の物になって?」
これまで白蛇は、何度も同様に問いかけていた。力で強引に男を手に入れることができるはずなのに、敢えてそうはしなかった。澄んでいて、それでいて艶かしい声に、男は軽く震えて顔を赤らめた。何とか言葉を絞り出す。
「ぼ、僕は結婚しないって決めています。付き合うこともしません。」
言葉を返し続けなければ、男はあっという間に白蛇の魅力に呑み込まれてしまうだろう。その魔貌による誘惑は抗い難く、男は自身が魅了されつつあるのを感じていた。嘘を並べているわけではない。あくまで彼の信念であり、幸福な人生を生きるために必要と確信していた。
「なんで結婚したくないの?魔物娘は嫌?」
再び白蛇が問いかける。そして、それまで横を向いていた男の顔を自分と向き合わせた。じいっ、と男の目を見る。男はあまりの美貌に瞼を閉じることすらかなわず、言葉によってしばらくの延命を試みるより他はなかった。
「……愛情なんて脆い上に長続きしません。だから、結婚なんて嫌なことばかりです。」
言葉を発することで精一杯だった。発言の意味を理解するにはあまりに情報不足、そのはずだった。
「それでもご両親は離婚もせずにいるじゃない。それに、直接愛を伝えることばかりが愛情じゃないの。」
男は驚愕した。先ほどの自身の言葉からは読み取れるはずのない情報が含まれていたからだ。彼の両親は、離婚こそしていないものの、必要のないときに共に過ごすことはほとんどなく、それが彼の目には愛情の消失として映った。物心ついたときから、ずっとそうであった。彼は、まさかとは思いながらも反論する。言いくるめられてはいけないと思ったからだ。互いの幸福のため、諦めて貰わねばならない。
「母は父にぞんざいな扱いをしていて、それでも父は文句一つ言わなかった。父は尊敬していますが、ああなりたいとは………」
白蛇が遮る。
「気づいているんでしょう。」
男は黙るしかなかった。図星を突かれていた。しかし認めたくはなかった。
白蛇は男の体を回し、後ろから抱き締めた。背中には彼女の胸が当たっている。感触が良く伝わってきて、心臓の鼓動が速くなった。
「私は貴方のこと、何でも知っているの。経歴はもちろん、思想や信条、好き嫌いとその理由も。貴方のこと、知りたかったから。」
どうやって、とは聞けなかった。何だか恐ろしい感じがして、聞かない方が良いと思ったのだ。さらに恐ろしいのが、自分が期待してしまっていることだ。全てを暴かれるなんて恐ろしくて堪らないはずなのに、それを期待している自分がいる。
「こんなことも知っているの。貴方は言わなかったけど、もし結婚するなら処女が良い、とか。」
男の体が一瞬震えた。彼からすれば、知られたくないことだった。
「あと、こんなことも。貴方、まぐわう時は責められたいでしょう。童貞なのに、こういうことは決まっているのね。」
これもまた、知られたくないことであった。
誰にも話していないことさえ筒抜けで、彼女には敵わない、と否応なしに感じさせられた。
「でも大丈夫。私なら、貴方の欲望を完全に満たすことができる。」
白蛇は右手で男の頭を撫で始めた。
「貴方は臆病で怠惰で、そして優しい人。愛を失うのが怖くて、でも失わないための努力は嫌いで、そんな自分のせいで誰かを傷つけないために、愛するのを嫌がっている。本当に、困った人。」
その口調は艶やかというよりは極めて穏やかだった。
「もう、心配なんてしなくていいの。私は貴方を愛しているわ。一生ね。魔物娘って、そういうものだから。」
彼は母にさえ抱き締められたことがなかった。少なくとも彼の記憶には何一つ残っていない。優しく頭を撫でられたことも、はっきりと愛情を告げられたことも。趣味や反骨心で覆われていた穴があらわになり、それが愛情で埋められていく。
「私の側にいてくれるだけで良いの。働く必要なんてないし、外に出る必要もない。ただ、私を愛して、私の愛を受け止めてくれれば良い。」
傷つかないために、傷つけないために心を覆っていた外殻。役目は終わったとばかりに溶け落ち、今はもう存在しない。
日は既に落ち、部屋は暗闇に包まれている。見えるのは自分に巻き付く彼女の体だけ。
「……ねえ。私の物になって?」
白蛇は男の耳元で囁く。
「ねえ、私の物になって?」
これまで白蛇は、何度も同様に問いかけていた。力で強引に男を手に入れることができるはずなのに、敢えてそうはしなかった。澄んでいて、それでいて艶かしい声に、男は軽く震えて顔を赤らめた。何とか言葉を絞り出す。
「ぼ、僕は結婚しないって決めています。付き合うこともしません。」
言葉を返し続けなければ、男はあっという間に白蛇の魅力に呑み込まれてしまうだろう。その魔貌による誘惑は抗い難く、男は自身が魅了されつつあるのを感じていた。嘘を並べているわけではない。あくまで彼の信念であり、幸福な人生を生きるために必要と確信していた。
「なんで結婚したくないの?魔物娘は嫌?」
再び白蛇が問いかける。そして、それまで横を向いていた男の顔を自分と向き合わせた。じいっ、と男の目を見る。男はあまりの美貌に瞼を閉じることすらかなわず、言葉によってしばらくの延命を試みるより他はなかった。
「……愛情なんて脆い上に長続きしません。だから、結婚なんて嫌なことばかりです。」
言葉を発することで精一杯だった。発言の意味を理解するにはあまりに情報不足、そのはずだった。
「それでもご両親は離婚もせずにいるじゃない。それに、直接愛を伝えることばかりが愛情じゃないの。」
男は驚愕した。先ほどの自身の言葉からは読み取れるはずのない情報が含まれていたからだ。彼の両親は、離婚こそしていないものの、必要のないときに共に過ごすことはほとんどなく、それが彼の目には愛情の消失として映った。物心ついたときから、ずっとそうであった。彼は、まさかとは思いながらも反論する。言いくるめられてはいけないと思ったからだ。互いの幸福のため、諦めて貰わねばならない。
「母は父にぞんざいな扱いをしていて、それでも父は文句一つ言わなかった。父は尊敬していますが、ああなりたいとは………」
白蛇が遮る。
「気づいているんでしょう。」
男は黙るしかなかった。図星を突かれていた。しかし認めたくはなかった。
白蛇は男の体を回し、後ろから抱き締めた。背中には彼女の胸が当たっている。感触が良く伝わってきて、心臓の鼓動が速くなった。
「私は貴方のこと、何でも知っているの。経歴はもちろん、思想や信条、好き嫌いとその理由も。貴方のこと、知りたかったから。」
どうやって、とは聞けなかった。何だか恐ろしい感じがして、聞かない方が良いと思ったのだ。さらに恐ろしいのが、自分が期待してしまっていることだ。全てを暴かれるなんて恐ろしくて堪らないはずなのに、それを期待している自分がいる。
「こんなことも知っているの。貴方は言わなかったけど、もし結婚するなら処女が良い、とか。」
男の体が一瞬震えた。彼からすれば、知られたくないことだった。
「あと、こんなことも。貴方、まぐわう時は責められたいでしょう。童貞なのに、こういうことは決まっているのね。」
これもまた、知られたくないことであった。
誰にも話していないことさえ筒抜けで、彼女には敵わない、と否応なしに感じさせられた。
「でも大丈夫。私なら、貴方の欲望を完全に満たすことができる。」
白蛇は右手で男の頭を撫で始めた。
「貴方は臆病で怠惰で、そして優しい人。愛を失うのが怖くて、でも失わないための努力は嫌いで、そんな自分のせいで誰かを傷つけないために、愛するのを嫌がっている。本当に、困った人。」
その口調は艶やかというよりは極めて穏やかだった。
「もう、心配なんてしなくていいの。私は貴方を愛しているわ。一生ね。魔物娘って、そういうものだから。」
彼は母にさえ抱き締められたことがなかった。少なくとも彼の記憶には何一つ残っていない。優しく頭を撫でられたことも、はっきりと愛情を告げられたことも。趣味や反骨心で覆われていた穴があらわになり、それが愛情で埋められていく。
「私の側にいてくれるだけで良いの。働く必要なんてないし、外に出る必要もない。ただ、私を愛して、私の愛を受け止めてくれれば良い。」
傷つかないために、傷つけないために心を覆っていた外殻。役目は終わったとばかりに溶け落ち、今はもう存在しない。
日は既に落ち、部屋は暗闇に包まれている。見えるのは自分に巻き付く彼女の体だけ。
「……ねえ。私の物になって?」
19/01/23 01:24更新 / ぶーる