regime change
家の前に変な人が居る。
黒い鎧と黒いマントを身につけた、何とも縁起が悪そうな身なりをしている。
パっと見た第一印象からすると、どうやら騎士のようだ。
そんな奇妙な人物が、俺の家の前にボケーッとつっ立っている。
「何だありゃ…」
仕事を終えて帰ってみればよくわからない状況に遭遇してしまった。
どうしよう、自分の家なのに凄く帰りづらい。近くの物陰からしばらく様子を伺ってみたが、その変な騎士さんは立ち去る素振りも見せない。
凄く嫌な予感がする、直感だが、これはヘタに関わると危険だ、本能がそう告げている。
散々迷った末にUターン。しばらく何処かで時間を潰してみよう。そうすればあの騎士さんも諦めて帰ってくれるだろう。
とりあえず酒場にでも行こうか。夜までチビチビ飲むのも中々乙なものだ。
そうと決まれば善は急げだ、申し訳ない。
と心の中で騎士さんに謝罪しながら、俺は酒場へと足を進めた。
「追い出されちゃったよ…」
『かんじき亭』はこの町唯一と言っていい優良な酒場である。
しかしながら、いくらなんでも酒一杯で3時間も粘るのは流石に無理があった。
ネコが水を飲むみたいに舌でペチャペチャ舐めながら時間を潰していたが、店のオヤジにキレられた。
せめてツマミでも頼めば良かったかな…と後悔しても今更遅い。あまりオヤジの機嫌を損ねると最悪入店禁止になってしまう。
でも結構時間を潰せたと思う。辺りはもう真っ暗になっている。流石にあの騎士さんも、もう諦めて帰っただろう。
家の前まで来ると、思った通りあの騎士の姿は既に無かった。やっと諦めて帰ってくれたのか…
ホッと胸をなで下ろして、ずいぶん遅くなったが無事に帰宅を果たした。
「ただいま〜っと」
小さな借家暮らしといえども、これは立派な我が家な事に変わりはない。
一人暮らしなので返事が帰ってくるはずはないが何となく言ってみたくなった。
「おかえり」
「うん…?」
返事が返って来た。あれ、家間違ったっけ?何で中から声が聞こえるんだ…?
まさか、まさか…泥棒か!?
部屋の中は真っ暗だった、早く灯りをつけないと。
「あれっ?あれっ?灯り…灯り…は?」
「ああ、灯りってコレか?」
パチンッと指を鳴らしたような音が聞こえると、暗闇の中に薄っすらと灯りがともる。
部屋に置いてあった小さいランタンだ。それに火がついた。
しかし、さっきの音は一体なんだったんだ。
「ああ、それそれ…悪いねぇ…」
「いや、いいさ。勝手に家に上げてもらったお返しだよ」
差し出されたランタンを受け取る。どうやって火付けたんだろう?コレ。
「そうか、でもありがとうな」
ランタンをテーブルの上に置いて、俺も椅子に腰掛けてホッと一息つく。
「随分遅かったなぁお前、何してたんだよ」
相手も向かい側に腰掛けた。
「いやそれがな、帰って来たら家の前に変な奴が居てさ。こう黒い鎧を着た騎士みたいな感じの奴が…丁度アンタみたいな感じの格好だったかな…んでよ、何か面倒な事になりそうだな〜って思ってさ、居なくなるまで他所で時間潰してたのよ」
厄介ごとを背負い込むのは御免だ、変なイベントなら極力スルーするのが望ましい。
「何だよお前!ならさっさと帰ってこいよ!あと誰が変な奴だってコラ!」
「えっ?何でお前が怒るんだよ」
よくわからない、いや、一番よくわからない事は…誰だコイツ。
何親しげに談笑してるんだ俺…コイツがさっき思ってた泥棒じゃねえの!?
「泥棒ちゃうわ!よく見てみろ!」
更に相手が怒った。いやいや、そもそも誰だよコイツ。
ランタンを持ち上げて掲げてみる。そう言えばどっかで見たような姿をしてるなコイツ…。
全身真っ黒の鎧を着てる…それに何だか首周りが随分寂しいように思える。
いや、寂しいと言うよりも…首が無い。
「な…なぁ、お前…首…どうしたの?」
「え?首…?無いよ」
「な…なんで?」
「何でってお前、だってオレ…」
デュラハンだもん。
薄れ行く意識の中で、最後に聞いたのがその言葉だった。
まだ魔王が代替わりしていない頃の時代、魔物は人を襲い、喰い、堕落させる危険な存在とされていた。
俺が住んでいるこの町にも、時折だが魔物が出没し、人が襲われたりする事があった。
仮に魔物に襲われた場合には、正直言って対処しようが無い。騎士団や教団の連中ならばいざ知らず。一般人にそれは不可能だ。
奴らは力も魔力も強い、惨忍で凶暴な生き物とされていた。とても普通の人間が太刀打ち出来るような相手ではなかった。
「…うん?」
目を開けると、見慣れた天井が飛び込んできた。
どうやらベッドの上に寝かされているみたいだった。
体を起こして手足を確認する、どこも怪我した様子はない。
「お、やっと起きたか」
「…!?」
横から声が聞こえる。
ゆっくりと、首だけその方向に向けてみると…やっぱり居た。
黒い鎧の…首のない騎士が、椅子にもたれてこっちを見て?いる。
「人の顔みて気絶するって失礼すぎるだろお前」
「いや、顔無いじゃん」
もう初見の時程の衝撃は無かったが、えらく親しげに話しかけてくるがコイツは紛れも無く魔物である。首無し騎士、と言えば魔界でも聞こえた強者である。首の無い馬に跨り剣を振るうアンデッド、それはもうデュラハンが通った後には草木一本残らないと言われる程の…
「いや、そこまでじゃないよ?」
「えっ?」
目の前の本人にアッサリ否定されてしまった。しかし、一体デュラハンがウチに何の用があって来たんだろう?
「ちょっと説明すっから、そこ座って」
と向いの椅子にすわるように促される。逆らって怒らせでもしたらそれこそ命が危ない、ここは言う通りにした方がいいか。
「じゃあまず確認ね」
俺が椅子に腰掛けると、デュラハンが何処からとも無く紙切れを取り出してそれを広げて読みだした。
というか頭無いのに読めるんだろうか?そこら辺が凄く気になる。
「名前はヘクター・リチャードソンで間違いない?」
「あっ、ハイそうです」
「で…職業は軍人で船乗りさんだっけ?」
「いや、船乗りは辞めました」
「あ、そうなの…なんで辞めたの?」
何でそんな事聞いてくるんだろう?と思ったが怖くて言い返せない。
俺は軍人だった…と言っても陸じゃなくて海の方の。船乗りだった。
ある時、大遠征が起こった。
陸海合わせて数万規模の人間が魔界に攻め込んだが、ボロ負けした。
俺はその時後方で輸送船に乗って補給作業に従事していたんだが…なんとその船も魔物にやられて沈められた。
命からがら生き延びたまでは良かったが…攻め込んだ報復とばかりにこんどは俺の故郷が攻められてあっけなく滅んでしまった。
国が滅んじゃこちとらおまんまの食い上げだ、だから仕事が無くなった。それがつい一年ほど前の話だった。
それから俺はあちこ彷徨っていたが、ようやくこの地に腰を落ち着けたわけだ。元々天涯孤独の身なので自分の事意外を心配する必要も無かった。
最初は余所者の俺を町の住民も警戒していたが、今じゃすっかり受け入れられている。
俺も最近、新しく仕事を始めた。今ではこの町の守備隊の後方要員として物資の補給や備蓄などを任されている。
「じゃあ今も、一応兵士みたいなもんか?」
「はぁ、それでいいです…ハイ」
フムフム、と頷いて?またしても何処からとも無く取り出したペンで紙に何かを書き込むデュラハン。
言っては何だが非常にシュールな光景だった。
「じゃあ俺も一応自己紹介しとくか。俺はウィリアム、見ての通りデュラハンだ。短い間だけどよろしくな」
そう言って気さくに握手を求めてきた。恐る恐るそれに応じる。
指先まで鉄で覆われた手甲が冷たい。
「あの…で、デュラハンさんが一体俺に何の用なんですか?」
そろそろ核心に触れてみる。この首なし騎士さんは一体何の用があってここに来たんだろうか?
まさか俺を殺しに来たのか?そう言えば、あの遠征に参加した奴は皆殺しにされる、なんて噂を耳にした事があったが…まさか…
「大した用じゃないよ、ただ伝えに来ただけだから。ヘクターさん、アンタ4日後に死ぬから」
「へぇ…4日後にねぇ…」
なんだ、殺しに来たわけじゃないのか…そうかそうか、4日後に俺がねえ…
死ぬんですか。
「……えっ!?」
「だから4日後に死ぬって」
「えええええええええええ!?」
あんまり変わらなかった。
しばらく混乱していたが、何とか少し落ち着いてきた。
最初から整理してみよう。何故か家にデュラハンが来て、俺が4日後に死ぬとのたもうた。
「なんだ、すごく簡潔に纏まったじゃないか…」
と安心している場合じゃない。
「何で!?何で俺4日後に死ぬの!?ようやく職にありつけてこれから真っ当な人生歩もうとした矢先にだよ!?理不尽過ぎるだろ?」
「いや俺に言われてもなぁ…」
目の前に居るデュラハンが若干困惑顔?だった。気持ちを落ち着けようとコーヒーを入れたのだが、何故か自分の分も要求しやがった。
どうやって飲むんだよ、と思っていたらおもむろにコップの中のコーヒーを首元の空洞部分に流しこみやがる…ちゃんと飲めてるのか、それ。
「オメエが死ぬっていったんだろ!?何でだよ!理由言えよ」
もうヤケになってきた。敬語なんぞ使っている余裕もない。
「死ぬのに一々理由なんぞあるかい!そういうのはもっと平和な時代に訴えかけな」
確かに、こんな不安定な世の中だ、人なんぞそれこそ毎日何十、何百単位で死んでるだろうよ。その理不尽さは身を持って味わったけど。
だからって当の本人にまで死ぬ理由がわからないってのは少しひどくないか?そりゃあんまりだ。少なくとも比較的平和な町だぞここは。
「知らない内にコロっと死ねたらそれはそれで幸せだろう?あ、コーヒーおかわり。茶菓子とかないの?」
「お前何で寛いでんだよ!帰れよ!」
でもコーヒーは入れてやった。茶菓子は無いのでかったい黒パンを用意した。
そういえばまだ飯を食べていない事を思い出したのでついでにバターにハムやチーズ、スモークサーモンなども添えてやる。
当然俺も食う。そもそも俺が食いたいんだ。
デュラハンと食卓を囲む事になろうとは思いもしなかった。
「いいもん食ってんなお前」
ウィリアムが感嘆の声を上げる。そう言えばどこから声出してるんだろうコイツ。
「お前、首どうしたんだよ」
どうにも首が無いというのは凄い違和感だ。
本来あるものがない、というのはここまで人を不安にさせるものなのかと今更ながら思う。
「あ?首?置いてきた。首見たらムチで目潰すからな、覚えとけよ」
物騒な話だ。そんなに首見られたくないのか。見かけによらず恥ずかしがり屋なのか。
「デュラハンってのはそういうもんなの!理屈じゃないの!わかったか!?」
それで納得しろと言われたのでそうする事にする。精神論だか根性論まみれな奴だ。
なんかもうコイツの相手疲れてきた…
「ココらへんは交易地だからな、金さえありゃ大抵のもんは買えるんだよ」
小さい町だが比較的重要な拠点でもある。
だから安定した収入がある守備隊に入ったのだ。後方要員だからチョイチョイ備蓄品をこっそり頂いたり…はしてないよ?
しかしまぁ、今はどうも色々不安定な情勢らしいので、何時までこのまま暮らせるのかはわからない。
「…人間の世界もか…確かに魔界もなぁ…何か色々面倒なのよ」
「はぇ?何かあったのか?」
「ここだけの話な、魔王さまが代替わりしそうな感じでな」
「え、マジで?やばくね?お前こんな事してていいの?」
ウィリアムがポンポンとパンやハムを首へ放り込む。ちゃんと噛んで食えよ…歯あるのかどうかしらないけど。
「デュラハンって魔界の騎士団で超エリートみたいな印象だったんだけどなぁ…」
「そんなもん一部一部、俺だって招集されりゃ集まって戦ったりもするけどな、基本自由よ?そんな一部のエリート…常備の連中なんて俺でも歯がたたないわ」
とケラケラ笑い飛ばす。
デュラハンの中でもそういうヒエラルキーみたいなのがあるとは意外だった。それでもコイツは相当なはみ出し者だとは思う。
今魔界で起こっている事も言ってみれば覇権争いのようなものだが、コイツは参加する気は無いらしい。
「大体魔物なんざ元々一枚岩でもねえし。知ってるか?魔物は確かに人間も襲うけど魔物同士で殺しあったりもするんだぜ?」
「殺伐としてんな…お前らの世界」
魔物側の世界の事なんて初めて知った。本当に力が全てなんだろうな…死と破壊を撒き散らす異形の怪物達。
まさに教団から教えられている通りだ。
そんな連中と曲がりなりにも戦っただなんて、今思えば背筋がゾッとする。
「ウィリアムはさ…」
「ウィルでいいよ」
「…じゃあウィル、お前は…人間の事…どう思ってんの?」
魔物の人間観、いつかは聞いてみたいと思っていた事だ。
「いやぁ、特に、なんとも。敵なら戦うけど…そんな見つけ次第殺そうとかそんな感じに思ってはないよ?そう思ってる奴も居るけど」
居るのかよ。要は人それぞれ、ならぬ魔物それぞれと言う事らしい。
基本的に相容れない存在ではあるが、友好的とはいかないまでも、人間と敵対する事のない魔物だっている。
ジパングと言ったか、東洋の島国らしいがあそこは特に魔物と人間の住み分けがよく出来ているとも伝え聞いた事がある。
「へぇ…」
余り人間と変わらないな、と言うのが素直な感想だった。
それから会話が途切れたが、結局お互い一言も発することもなく、黙々と食事をとった。
「じゃあ帰るわ」
「マジで飯食いに来ただけじゃん」
結局、俺が4日後に死ぬ理由は最後まで教えて貰うことは出来なかった。
「ちょいちょい様子見に来るから、覚悟だけは決めとけよ。じゃあな」
帰り際にそう言い残して、ハタ迷惑なデュラハンは帰っていった。
飯も殆どアイツに食われた。なんてふてぶてしい野郎だ。
どこからともなく馬の嘶く声が聞こえた。やはり何処かに馬をつないでいたらしい。
まあ騎士だしな、徒歩で帰ったら騎士じゃない。その辺りのイメージ像はキッチリ守っているようだ。
「はぁ…」
嵐のような奴だった。しかしまあ随分な話だと思う。
ベッドに倒れこんで再び天井を眺めて色々考えてみるが、到底納得出来る話じゃない。
とにかく、夜が明けたら何とか対策を考えないと…まだ少し仮眠を取る程度の時間はある。
寝よう。体を休めてないと、イザという時何も出来ない。
と思ったのだが結局眠れず、ウトウトしている内に朝を迎えた。
眠い目を擦りながらさっさと準備を整えて職場に向かう。
道中、どうにも町中が騒がしいのが目についた。
その理由は職場についてわかった。魔物が出た、と言う話が広まっているとの事だ。
(あいつか…?)
恐らくウィルの事だろう。
まだこの辺りをうろついているんだろうか…ちょいちょい様子を見に来る、とは言ってたが…
教会にで相談しようかと思ったが、そういえばアイツが直接俺を殺しに来るわけでもなさそうなんだよなぁ。
見方を変えれば、俺の危機を遠まわしに知らせに来た、と受け取れなくも無い…気がする。
「はぁ〜…」
休憩時間中も溜息ばかり漏らしてしまう。憂鬱だった。昼飯の誘いも断って書物庫を覗いてみる。
図鑑、図鑑と…随分奥のほうにあった。
デュラハンの項目を探してみる。
陸の魔物は未だにあまりよくわからない。以前船乗りだったから海の魔物の知識はそれなりにあるつもりだが…。
「死を予言する者…か」
デュラハンに関する記述はあったが、その対策などはどこにも書いていない。
これじゃあ打つ手ナシ、じゃないか。一体どうやって死ぬのを回避すりゃいいんだろう…?
「どうしろってんだ…」
本を閉じて元の場所へと戻す。
ああ、本当にどうしよう…
「はぁ…」
また溜息が漏れる。もう何度目か数えるのを諦めた。
仕事も手につかない程だ、これでも割りと真面目な奴って評価で通っていたのに、同僚の視線が痛い。
誰かに相談しようかと思ったが、そうすればソイツにも迷惑がかかるかもしれない。
しかし、本当にどうしよう…またアイツが来たらその時ちゃんと問いただした方がいいかな…
結局その日は仕事も手につかなかった。
帰宅する途中、何やら港の方で騒ぎが起こっていたが、まあ俺の管轄じゃないからいいか、帰って考えよう。
結局、その夜ウィルが現れる事は無かった。
これであと3日、か…あんまり余裕は無いなぁ…
次の日、驚いた事に目覚めはスッキリだった。
爆睡してしまった。相当疲れが溜まっていたんだろう。
もしかしたら夜中にウィルが訪ねてきたかとも考えたが、それはないか。
アイツなら寝てても勝手に入ってくるだろうしな。
「ん〜…あと3日かぁ…」
本日は晴天なり、でも気分は全く晴れない。まるで心がどんより雲に覆われているようだった。
とにかく、昨日と同じようにささっと準備を整えて職場に向かう。
昨日に増して、町中が騒がしいのが気になったが、そんな事より自分の身の安全が第一だ。
しかし職場につくと、そんな事を考えている暇も無かった。
昨日港の方が騒がしかった理由がわかった。
魔界で異変が起こったらしい。昨日港に入港した船からの情報だと言う。
"勇者が魔王を倒したらしい。"
"いや、単に魔王が代替わりしただけらしい。"
などなど、情報が錯綜しているが、とにかく何かしら変化が起こった事は確かだ。
(ウィルの言ってた通りになった…のか?)
今すぐここに影響が出る事はなさそうだが、しばらくは警戒が必要だろうと上官殿からの訓示を頂いた。
と言っても、俺達が出来ることなんてあるんだろうか?
(そういやアイツ、何の影響も無いのかな…?)
おかしな話もあるもんだ、何故か俺が魔物の心配をしている。
種族は違えど一度は戦った事もあるのに、アイツだけは違う。なんて事を言い切れそうな気さえしてくる。
「いかんいかん…」
これも人を陥れる為の罠かもしれない、気を許しちゃ駄目だわ。うん。
一応、当分の間は警戒を厳にする事になった。
町へ出入りする人や物のチェックも前より入念に行うことになる。
ちっちゃい町だが、数日中にも近くの都市にある教団支部から騎士団が派遣されてくるらしい。
こりゃ思っていたより大事かもしれないな…まあいいや、別に。その時まで俺、生きていられるかわからないし…
いっそ逃げちまうか?でも確か図鑑には逃げても決して逃れることは出来ないって書いてたしなぁ…
帰りに教会に行ってみた。小さいが毎日毎日信者の列が途切れない程大盛況だ。教団って絶対儲かってるよな…おれもお零れにあずかりたいもんだ。
適当に祈りを済ませて帰ろうとした時、シスターが何やら興奮した様子で天使を見たとはしゃぎ回っていたのが印象的だった。
何か良い事でも起こるかな、天使さんに頼めばこの状況を打開できるだろうか…最後は神頼みになってしまう、か。
大して熱心な信者でもないのに、こういう時都合よく助けてくれるだろうか?いや、やっぱり日頃の行いが全てだろう。
諦めてトボトボ帰宅の途につく。まだ日も沈みきっていないというのに町中はすっかり静まり返っている。
家々の戸は固く閉ざされ、人っ子一人出歩いていない。やっぱり皆不安なんだろう。
ヘタな事はせず黙って嵐が過ぎ去るのを待つ、結局これが一番だ。
考え事をしている内に家の前までたどり着いたが、やはりウィルの姿は無かった。
恐る恐る家の中に入ってみても無人、何をオドオドしているんだ俺は…これが普通の事、普段通りじゃないか。
次来るのは何時だろう…なんて事を考えながら椅子に腰を下ろして一息つける。
あんな、首の無い騎士のオッサン…?性別どうこうはよくわからないが声は紛れも無く男だった。
そんな奴のことばかり考えるだなんて、俺はひょっとしてそっちの気があったのかもしれない。
「いやいや…ない…よな?」
そもそも相手は魔物…慣れ合っている今の状況だってよく考えれば異常だ。
気分を変えよう、酒でも飲むか。
とっておきのスコッチがまだ棚の奥にあったハズだ、酒飲んで気でも紛らわせよう。
そう思って席を立った時。
トントン…
と戸を叩く音が聞こえた。
「…!!」
途中で動きが止る。誰だ?こんな時間に。
いや、予想できる答えは一つしかないじゃないか。
「…ウィルか?」
そう呼びかけてみる。
「おー。オレオレ、ちょっと開けてくれー」
と、何とも気の抜けた返事が返って来た。
「…ッはぁ…」
聞き覚えのある声が返って来て安心した。
なんだ、もしかして1日置きに来るつもりなのか?アイツ。
「わかったわかった、今開ける」
1人酒より2人の方が気が紛れるだろう。魔物が酒飲むのかしらないけど。
そんな事を思いながら戸を開けた瞬間だった。
「てやぁ!」
「うわっ!?」
目の前が真っ赤に染まった。
何だ!?斬られたのか?首でも飛ばされたか!?
まさか。まさかウィルが俺を…殺しに来たのか!?
「……あれ?」
恐る恐る目を開けて見ると、体中がズブ濡れになっていた。
「よっしゃ!今日のノルマ終わり!ハッハッハッハッハ!」
巨大なタライを小脇に抱えながら、ウィルが声を上げて笑っている。
「ッペッ!何だこの液体!?…なんかドロッとしてて生臭いぞ?」
「そりゃそうよ、血だもの」
「血だってェ!?」
「体洗ってこいよ、中で待ってるから」
そう言ってタライを投げ捨てると、勝手に家の中へ入っていった。
…どっから持ってきたんだ、これ。
「なん、なんなんだよもうッ!」
とは言っても、流石に全身血まみれ状態は色々キツイ。
床や壁を汚さないようにタオルをぶんどってから、家の裏にある井戸へ向かった。
「何の血なんだよ…」
まさか人間の血、なんて事はないだろうな…?
血は汚い、変な病気でも伝染されたらかなわない。念入りに洗い落とす。
「…うん?」
近くで動物が鼻を鳴らしたような音が聞こえた。
これは馬だろうか…
「馬…?」
こんなところに馬なんて居たっけ…?ああ、そうか。これはウィルの馬か。
首無し騎士、ってぐらいだからそりゃ当然馬に乗るもんだよな、何もおかしくない。
「どこだ…?」
周りが暗くてよくわからないが、音のする方向へ手を伸ばしてみると、馬の背辺りに手が触れる。
一瞬ピクリと体を震わせたが、2度3度と撫でても特に暴れだしたりしなかった。
「よ〜しよし、おとなしいなお前」
頭も撫でてやろうと手を首まで持って行こうとしたが。
「あら?あらら?」
何故か首の途中辺りで途切れてしまった。そこから先は何もない。
何度か手探りしてみても、空を掴むだけだった。
「あ…そうか…」
首無騎士は首無馬に乗る。という事を今になって思い出した。
一昨日は家の裏に馬置いてたのか。
…いやいや、せめて一言くらい断りいれろよ。
ウチの庭だぞここ。
「ったく。わかんねぇなぁ…」
最後に頭から水を被って身体を丁寧に拭き取る。暗くて見えないがまあ大分綺麗になったかな
季節は初夏に差し掛かった辺りだ、夜になっても寒くはない。まあ風邪引く事はないだろう。
手早く汚れを落としてさっさと家に戻る。
「遅かったな、先に頂いてるぞ」
勝手に椅子に座って寛ぎながら、あろうことか大切に取っておいたスコッチを瓶ごと首に流しこんでいる光景が目に飛び込んできた。
「テメェッ!!」
咄嗟に身体が動いていた。そのまま勢い良く飛び蹴りを食らわせる。
「ぎゃあッ!?」
叫び声を上げてウィルが椅子から転げ落ちた。その弾みでスコッチの瓶も床に落ちて割れる。
台無しだ、高いんだぞこの酒。
「何すんだよ!せっかくの美味い酒が!」
「訪問2回目だぞ?馴染みすぎだろお前!」
「いいじゃん!別にいいじゃん!もう俺の家みたいなもんだし!」
「ちげーよ!ちったー遠慮しろや!借りてきた猫みたいにしてろ!」
「なんだとテメェ!デュラハンなめんなよ!」
子供にみたいに取っ組み合いになりながらゴロゴロと床を転がる。
勢い余って壁におもいっきりぶつかった。
その衝撃でふと我に返って思う。何でこんな事をしてるんだろう…俺達。
お互い少し興奮し過ぎた、冷静になろう冷静に…
椅子に腰掛けて深呼吸。1回、2回、よし落ち着いた。
「で、何でいきなり血ぶっかけたんだよ」
そもそもだ、最初からおかしい。訳がわからない。
何でそんな事されなきゃならんのだ。
妙な儀式か何かか、それとも単なる嫌がらせか。
「タライ一杯の血をぶっかける。これ昔からのしきたりなのよ」
ビシッ!と親指を立てながら自信満々そうに言い放つ。
「え…終わり?」
「うん、説明終わり」
「意味は…?」
「知らん!」
まあしきたりと言われたら仕方ない。と一瞬納得しかかったがそうはいくか!危うく勢いに流される所だった。
「だってオレも意味わかんないし、こんなの。最初に考えたデュラハンはアホだよなホント」
本当に、ただの嫌がらせだった。
「じゃあやるなよ…」
「そう言うなよ、オレだって初仕事なんだからさ。最初はやっぱり古来のしきたり通りにやりたいじゃん?」
「初仕事?」
「そう、死を予言する者、ってのは流石にもう調べただろ?副業っつーか…まあバイトみたいなもんだわ」
「本業は?」
「今は求職中だ」
「わっけわからんぞお前」
早い話が無職ってことじゃないか。
別に全ての魔物が役割に忠実なわけでもないとは思う。そりゃ個体差はあるだろうが…
それにしても、コイツと話してると魔物のイメージがガラっと変わる。
そんな恐れる程のもんじゃないような気さえする。
「ああ、そう言えばさ。魔界で何か起こったんだろ?確か魔王がどうとか…」
「おう、人間なのに情報早いな。そうそう。代替わりしたらしいわ、魔王さま」
「やっぱり事実だったのか…」
「魔物はよ、良くも悪くも魔王さまの影響受けてるからな。何か変化ありゃすぐわかるわ…うん…」
随分便利な体質してやがる。しかし、政変が起こったってのに大してその事を気にする素振りすらみせやしない。
その程度の事なんだろうか?これが人間の世界の話なら大事だろうに…
「…あれっ…なん…だ…ッ…」
「おい…どうした?」
ウィルの様子がおかしい。
と思ったのも束の間、突然苦しそうに胸を抑えてテーブルの上に突っ伏してしまった。
「ハァッ…クソッ…まさか…こりゃ…もしかして…」
「おい、おい、しっかりしろ…どうしたんだよおい…」
身体がビクビクと震え始めた。
病気か?魔物にも病気とかあるのか…?それともアレか、酒に酔ったとかそんなオチか!?
「あれ、お前…なんか鎧おかしくないか…?」
ウィルの着ている鎧は全身黒色で覆われていたはずだ。地味で面白味のない。暗闇に溶け込まれるとどこにいるかわからなくなるような…
そんな不吉な色だったが…
「何でもない…衣替えみたいなもんだ…」
「お前らの衣替えってそうやるのか…?」
端の方から、徐々にではあるが色が塗り変わっていく。
動物の毛が生え変わるようなもんなのか?それはそれでちょっと気持ち悪いぞ。
更にウィルの様子がおかしくなってくる。体中を震わせて、時折呻き声を漏らしながら…必死で何かに耐えているような。そんな風に見えた。
放っておけば収まる。と本人が言うのでとりあえず様子を見守ることにする。
「…そうか、そういう事だったんだな…ハハ…ハハハハハ…クソ魔王めっ」
しばらくすると震えが収まったが、今度は急に何か小声でブツブツと呟き出したかと思うと、唐突に笑い始めた。
その姿が普通に怖かった。
結局、その後もひとしきり不気味に笑い続けていたが、ふと何か思い立ったように席を立つと、無言のままウィルは帰っていった。
しばらく休んでいけばどうだと申し出たのだが、やんわりと断られた。水臭い奴だ。さっきは俺の家みたいなものだと偉そうに言ってた癖に。
しかし本当に具合が悪そうだった。最後の方は声色まで何だかおかしかったような気がする。
変な病気じゃないだろうな…と気が気でなかったが、俺に出来る事なんて無いだろう。とにかく、元気になることを祈るばかりだった。
「あと2日…」
ウィルが帰ったんじゃ他にやることも無い。
晩飯もまだだったが、とても何か口に出来る気分じゃなかった。
早々にベッドの上に寝転がってそのまま色々考えていると、早くも睡魔が訪れた。
刻々と己のタイムリミットが迫っているにも関わらず、頭の中はあの変なデュラハンの事で一杯だった。なんでこんなに固執しているのか、自分でもサッパリわからない。
その夜は久しぶりに夢を見た。
と言っても…見たくもないものを見せられるのは精神衛生上非常によろしくない。
あれは、思い出したくもない一年前の出来事だった。
俺は船に乗っていた。それ程大きくない、中型の輸送船だった。
元々船乗りに憧れていたわけじゃない。
港に停泊している船に無理やり連れ去られて強制的に使役させられると言う…
あのパターンで入ったクチだ。隙を見て脱走してやろうと思っていたのがズルズルと続いた、それだけの話。
幸い賃金の支払いなどが滞ったりする事もなかった。それだけでも、優良な勤め先であると言っても良かった。
海の上ならば、陸や空に対して比較的安全なのは確かだった。
だが人間は陸の生き物だ、ずっと海の上で居るわけにもいかない。
マーレ・ノストロモなんて言ってた自分が恥ずかしくなってくる。
結局人間は陸の生き物なんだ。当然拠点となる港が必要になってくる。
ある日、いつも通り物資の積み込み作業を行なっている時だった、急に港が大勢の魔物に襲われた。
必死になって海へ逃げようと試みたが、それも叶わず船の殆どが湾内で沈められてしまった。
俺が乗っていた船も、その中の一隻だったわけだ。
必死こいて陸に上がった後も執拗に魔物から追撃を受けた。
一緒に逃げていた仲間達も、次第に1人、また1人と数を減らしていった。
実を言うと陸の連中が大負けして、大きく戦線が後退していたのが原因だったんだが…それを知ったのはこの町へ流れ着いた後、ふとした気まぐれで民間の戦史書を手にした時だった。
無事逃げ延びた後も、しばらくは何度も夢に見てうなされていたもんだ。
最近はようやくその悪夢から逃れられたと思ったのに、今日に限ってなんでまたその夢を見たんだろう。
「…ホント、どうすっかな…」
今日は珍しく朝から土砂降りの雨だった。
俺の陰鬱な気持ちをそのまま表したような天気だ。
今の所、状況は全く進展していない。対抗策なんぞまるでない。
一体、明後日どうやって俺が死ぬのか。それすら全くわからない。
自殺か、他殺か。病気か、事故か。それもとまさか衰弱死とでも言うのか?
「わからねえ…」
身体に異常は無い。嫌になるくらい元気そのものだった。
自慢じゃないが身体は頑丈な方だ。荷の積み下ろしで鍛えた肉体は今でも健在だ…最近ちょっと弛んできたような気もするが。
今日もウィルは来るだろうか…もし来たら、少々強引にでも詳細を聞き出してやった方がいいかもしれない。
とにかく、今日も頑張って仕事に励もう。
仕事場に着くと、前に言っていた騎士団の先遣隊が昨夜遅くに到着した、と言う話を上官から聞かされた。
それだけなら特に思う所もなかったが、先遣隊の中に魔物研究を専門にしている、という人物が居た。
その人なら、何か対処法を知っているかもしれない。
と思い上官に無理を言って会わせて貰えないかと掛け合った。
最初は何を言っているんだと言う顔で俺の話を聞いていたが、鬼気迫る俺の態度を見て何となく状況を理解してくれようで、昼休憩の間の短い時間だが会わせて貰えるよう段取りを整えてくれた。
いい上司だよ、ホント。涙が出そうになる。
本隊が到着するまでの間は、教会が騎士団の拠点となるらしい。
休憩時間となり、はやる気持ちを抑えながら足早に教会へと赴き、神父に用件を告げると奥の部屋へと通された。
「どうも、お待たせしました。申し訳ありません、このような散らかった部屋で」
そこに居たのは、およそ騎士団員とは思えない、線の細い学者風の青年だった。
通された部屋には、まだ荷解きの終わっていない袋や箱、本などが乱暴に部屋の隅にうず高く積まれていた。
整理に忙しいだろうに、嫌な顔一つせず俺を迎えてくれたこの青年なら、信用が置ける気がした。
「魔物について、何か私に聞きたい事がおありとか?」
「はい、まあ…そんな感じです」
その青年はステリングと名乗った。物腰の柔らかい好青年、という印象を受ける。
俺よりもかなり若いようだが、魔物研究についてはそこそこ造詣が深いらしい。
「何をお聞きになりたいのでしょうか?」
時間も無いので、早速本題に入ることにする。
「デュラハンについて、お聞きしたいことがあります」
「ほう…デュラハンに?」
デュラハン、と俺が言った時に青年の眉が一瞬ピクリと動いたように見えた。
「基本的な知識は持っているつもりですが…」
「では、何を聞きたいのです?」
「…いや、その…」
ここに来て少し迷った。仮にデュラハンに死の予言を受けた、と打ち明けてしまえばどうなるか。
鼻で笑われるのならまだいい。それよりも、魔物と関わり合ったとバレてしまえば、最悪俺が粛清対象になるかもしれない。
誤魔化して置いた方がいいだろうか、少々怪しまれても、俺が当事者だと悟られない方が無難か。
「知り合いの話なのですが…どうやらデュラハンに死の予言を受けたようなんです…」
俺自身の事だが、それを知り合いの話、と言う事にして全て話した。
勿論、デュラハンと飯をくったり取っ組み合いになったりと関係無さそうな部分は伏せて、だが。
「ふむ…つまり、死の予言を回避したい。と?」
「ええ、出来るものなんでしょうか…?知り合いの話では明後日死ぬと宣告されただけで、どうやって死ぬか、何が原因かさえ不明らしいのですが」
「そりゃそうですよ。当の本人がネタをバラすハズありません」
「当の本人…ですか?」
何だか雲行きが妖しくなってきた。
「デュラハンとは、首なし騎士ですがね…死を振りまく厄介な存在でもあるんですよ」
そう言って、手元に広げてある分厚い学術書のページをペラペラと捲る。
「死を…振りまく?」
「それに別にデュラハンは予言者なんかじゃありませんよ。死ぬ日時を予告した、と言いましたよね。簡単な話です。その日、デュラハンが命を刈り取るんですからね」
「えっ…!?」
流石にその答えは予想外過ぎた。
答えたのがこの青年以外であったのなら、声を荒げて食って掛かっていたかもしれない。
だがそれなりに権威のある相手が言った事ならば、いくら荒唐無稽と感じたとしても有無を言わせぬ説得力を含んでいる。
唖然とした表情の俺を訝しがる様子もなく、青年が更に言葉を続ける。
「とにかく、何処へ逃げようが隠れようが…逃げ延びた者は今の所確認出来ておりません。対処方は…残念ながら発見されておりません」
「……そ、そんな…」
「仮に貴方の"友人"を救おうにも…デュラハンは強いですからね。今居る我々だけではとても太刀打ち出来ないでしょう…まことに残念ですよ、ええ…」
お手上げだ、というジェスチャーを取った。
言葉のニュアンスからして、どうも俺が当事者であると気付いている風にも受け取れるが、それは定かではない。
「ただ…」
「ただ…何です?」
「ご存知かもしれませんがつい最近魔王の代替わりが起きました。それに伴う魔物達の変化も、数多く報告されています」
「確か、魔物は魔王の影響を受ける…とかいう話ですか?」
「おや…知っておいでとは…」
そりゃ魔物本人に聞いたんだから…何て事を口が裂けても言えるわけがない。
「もしかすると、デュラハンにも変化が起こっているかもしれませんが…」
青年が言うには、他の魔物達にも変化が現れつつあるという。
例を上げれば、女性型の…女の魔物が多数確認されているらしい。
それにあわせて、従来通りの姿をした魔物が忽然といなくなったようだとか。
「とは言え、魔物が人間を襲うのは今も昔も変わりませんからね…オスだろうがメスだろうが」
根本が変わってないのなら余り意味があるとは言えない。
青年が最後に「確認された魔物は皆美人だったらしいですよ?」と笑いながら話していたが、とても笑い返せる状況じゃなかった。
結局、気休め程度にもならなかった。むしろ嫌な情報を仕入れてしまい気分は最悪だった。
若干嫌味を込めて丁寧に青年に礼を述べてから、教会を後にした。
部屋を出る時に何かあればまた相談に乗りますよと言葉を掛けられた。
どうやら、完全にバレていたようだ。聞こえないフリをしてそのまま立ち去った。
今日はそれ以上の収穫は無かった。
家に帰ってしばらくボケーっとして時間をつぶす。
もしかしたら、騎士団や教会の連中が俺を捕まえに来るかもしれないと思ったが、どうやらそれは思い過ごしだったらしい。
あの青年が黙っていてくれたのか…まぁ、向こうも手の施しようが無いと受け取る方が正しいかもしれない。
「ウィル…」
付き合いは短いが、アイツが俺を殺しに来るとはとても思えなかった。
しかしアイツは魔物。前にも思ったが俺を油断させる為の策略かもしれない。
「仮に今夜も来たら…どうしよう…」
もし、仮に本当に俺を殺すつもりならば、俺が考えつく対処方はただ一つ。
殺られる前に殺れ、だ。
「……」
部屋の隅に立てかけてある剣を手にとって見た。
何の変哲もない大量生産品の守備隊標準装備の剣だ。
魔剣、神剣、曰く付きの呪剣、その類のものがあれば良かったんだが…いや、よくないか。
大体そんなもんがあっても俺が扱えるとも思えない。
抜き身の剣の刃を覗き込んでみると、随分疲れた表情の自分の顔が映り込んでいた。
「ひでぇ顔してやがんな…」
思わず乾いた笑いが漏れる。どうせ考えたって始まらない、基本的な訓練しか受けていない俺がデュラハンと斬り合える訳無いじゃないか。
チャンスがあるとすれば、アイツが家を訪ねてきて俺が戸を開ける、その一瞬のスキを突くしかない。
不意打ちだ、だが卑怯な手段とは言うまいよ。弱者が生き残る道なんぞそれくらいしか無い。
「どうすりゃいいんだ…」
殺したく無い。でも…殺さなきゃ殺される。
嫌だ、どっちも嫌だ。そもそも、何でこんな事になっちまったんだ。
俺がアイツに殺される理由さえ不明なのに、俺がアイツに剣を向けていいんだろうか…
トントン…
「…っ!?」
その音を聞いた途端、心臓が飛び出すかと思った。
「まさか…!?」
来たのか、本当に来たのか…ウィル。
「…誰だ。ウィルか?」
返事が帰って来ない。
ウィルじゃない?じゃあ一体誰だ、こんな時間に。
まさか本当に騎士団連中が俺を捕まえに来たとかか?と身構えたがどうやら外にいるのは戸を叩く人物1人のようだ。
「ウィル…?ウィルじゃないのか…?」
手にした剣がカタカタと震える。
様子が変だ、いつもならアイツのバカみたいに軽い返事が返って来る筈なのに。
どうする…このまま戸を開けていいのか。
トントン…
再び戸を叩く音が聞こえた。
さっさと開けろ、という意思表示のつもりなのか。
それならさっさとこっちの問いかけに答えればいいだろうに、何でだ、何で答えない!?
ヒヒン…
「この声…!?」
微かにだが聞こえた。馬の鳴き声だ。
確かに聞き覚えがある、これは間違いなくウィルの馬の声だ。
昨日の今日だから流石にハッキリとわかる。
やっぱりウィルじゃないか。
音を立てないように、ゆっくりと慎重に戸の前まで足を運ぶ。
耳をすませてみると、また馬の声が聞こえた。
カチャカチャと、金属同士が擦り合う音も聞こえる。
鎧を着ているなら聞きなれた音だろう、だがまだ確信にまでは至れない。
「…開けるぞ、ウィル?」
一応、先に断りを入れておく。向こうに開けられたらせっかくのチャンスもふいになる。
剣を持ち後ろ手に隠しておき、もう片方の手でゆっくりと戸を開く。
「…ウィル…?」
目線を下に落とすと、足先まで黒っぽい鎧を着込んだ下半身が見えた。
「…っ!?」
だが徐々に目線を上にしていくと、おかしな点が次々見つかった。
暗闇に浮かび上がる無数の目玉のようなもの、それらが小刻みに震えながら俺の目を見つめている。
気味の悪い装飾だった。しかしあまり驚きはない。昨日ウィルの身に起こった異変にその兆候が現れていたのを覚えていたからだ。
暗い紫色を基調に、趣味の悪い目玉の装飾が手足や肩、胸元に施されている。
意を決して目線を首元にまで持っていったが、そこには本来有るべきハズが無いものがあった。
「首が…ある…?」
暗くてハッキリとはわからないが、奥歯に物が挟まっているような、微妙な違和感を覚える。
コイツはウィルだと思うが、同時にウィルじゃない何かのように思えてならない。
薄っぺらい戸板を挟んで色々考えているうちに、痺れを切らしたのか向こう側から声が飛ぶ。
「おい、何ジロジロ見てんだよ…」
「…ッ!?」
声を聞いた途端、無意識に後ろへ後退ってしまった。
口調はいつもの通り、ウィルそのものだったのだが、それが女の声だったのだ。
「誰だ…誰だお前…」
「…もういいや、勝手に入るぞ」
俺の言葉を無視して、女が家の中へ強引に侵入してきた。
流石にこれには俺も驚いたが、咄嗟に隠していた剣を構える。
女といえど招かれざる客に対しては相応の対応を取らねばならない。
「おいおい、どうしたんだよ…物騒だな」
部屋の灯りで、女の全体像がハッキリと見て取れた。
悪趣味な鎧を着た不審な女。貧相な語彙の俺に出来る精一杯の表現がこれだ。
薄気味悪い複数の目玉が、俺の目を見つめてくる。
当の女のほうはといえば、どこか呑気に構えていた。
腰に手を当て、呆れた表情でこちらを見据える。
その余裕ぶった態度が余計に癇に障る。
「いや、だから誰だよお前…初対面でその態度は」
「え?初対面?何いってんだお前…折角昨日のお詫びに酒持ってきてやったのに…」
と、どこからともなく酒瓶を取り出して見せ付けて来た。
「スコッチじゃなくてジンだけど、割といいもんだぜ?」
「…うん?あれ…スコッチ…?」
昨日の出来事を何でこの女が知っているんだ?
その事を知っているのは俺と…ウィルだけのはずだが。
「あれ…もしかしてお前…ウィルなのか?」
「まあ…この姿じゃすぐわかんねえわな…そうだよ。オレだよオレ、ウィリアムだよ!」
ウィルが女になっていた。
「本当にお前は…来る度に問題起こしやがって」
「なりたくてなってる訳じゃねえよ…こんなもん」
毎度毎度何かしら問題を連れてくるやつだ。
テーブルを挟んで反対側に座る不貞腐れた女があのデュラハンだとは未だに完全に信じきれないでいる。
「何でそんな姿になったんだよ。まさか元々女だったとかか?」
「違うわ!大体声でわかんだろ?」
まあ確かに、オッサン声だったもんな…今まで。
それがこんな可愛らしい声になっちまって。
口調は今までと同じ粗野な喋り方だがそれがどうして、その見た目とのギャップが中々乙なものだ。
「これも昨日言ってた魔王の影響みたいなもんなのか?」
「その余裕ぶった半笑いの顔がイラつくなお前…」
何となく精神的に優位に立てたような気がする。
我ながら考え方が下衆だ。
「昼間聞いた話じゃ、何か女の魔物?が増えてるようだが…」
「まあ、大体合ってるわ。女の魔物っつーか…女になったっつーか…」
「どういう事だそりゃ」
「ああ…うん、その…実を言うとだな…代替わりした魔王がその…サキュバスみたいなんだよ」
「……は?サキュバス…?」
サキュバス、淫魔。
男を誘惑し堕落させるという、色欲の権化。
とても素晴らし…いや、いやらしい…じゃなかった。恐ろしい魔物の事だ。
「ああそうだ…よりにもよってサキュバスが天下取りやがったんだよ。まったく…」
「まさか、その影響で…?」
女体化した、と言う事なのだろうか。
俺の問いに対して不満気に小さく頷いて見せた。
本人に対しては気の毒だと思うし大変申し訳ないのだが。
凄く面白い。
「テメェ!絶対面白がってんだろ!?」
「うん」
「認めんな!もうちょっと気つかえよ!」
しかし、となると昨日急に苦しみだしたのもこれが理由だったわけか。
苦しみながら女体化してたんだな。変な病気か何かかと心配してたが、今目の前に居るコイツはすこぶる健康そうだった。
「お前の顔を見たのは初めてだわ」
「…ああ、そらそうだろうよ…」
元(男)の顔は見たこと無いが、今がコレならばそこそこ良いツラだったのかもしれない。
何というかちょっとむかつく。
「だいたいお前、顔見られるの嫌じゃなかったのかよ?」
顔を見たら鞭で目を潰す、なんて脅していたくせにだ。
ちゃっかり頭を装着したままで来やがった。
これじゃあパッと見デュラハンだと言うことさえわからないと思う。
「しょうがねえだろう…首外すと色々不都合なんだよ、色々と」
色々ね…
既に酒盛りを開始している。
ウィルの持参したジンは常温で温く喉越しも香りもキツかった。
やっぱりキンキンに冷やした方が美味いと個人的には思うが、相手の好意を無碍には出来ないと思い黙っておく。
「お前ん家、氷とか無いの?」
「無いわそんなもん」
コイツッ…わかってんならせめて冷やしたもん持ってこいよ。
「じゃあつまみは?」
「…ったく、しゃーねえな!」
注文が多いデュラハンだ。
とは言うものの碌な食い物が無かった。そう言えば最近は食料の買いだめもしてなかった。
明日辺り市場にでも行ってみるかな…明後日死ぬけど。
「干し肉しかねえや」
「えー、初日はもっと良いモンあったじゃん」
「オメエが殆ど食ったんだろうが」
やはり見た目は変わっても中身は全く変わっていなかった。
さっきまでコイツに抱いていた殺意のようなものは何処へやらだ、俺もすっかりいつも通りに戻ってしまった。
干し肉を乱暴にテーブルの上へ放り投げて酒盛りを再開。
しばらく黙々と肉を齧り酒で流し込んでいたが、ウィルの方が先に口を開いた。
「やっぱり慣れねぇなあこの身体…」
「そりゃまあ…だろうよ」
口を開けば愚痴ばかり、なのはいささか仕方ないとは思う。
急に女になってしまったんだ、そりゃ戸惑う事も多かろう。
聞けばやはり自分以外の、他の魔物達も大方同じように女になってしまっていると言う。
あの青年が言っていた、女の魔物が増えたというのも微妙に間違っているようだ。
正解は魔物が全部女体化した、だ。
この事実をあの青年に伝えたらどんな顔をするか…明日言ってやろうか?たっぷりと皮肉を込めて。
「上位種くらいじゃねえかな、まだ逆らってんの。でもまあ、遅かれ早かれ皆女になるんじゃねえの?」
ドラゴンとか、その辺りの強大な魔物であれば、まだ少しの間抵抗出来る時間があるらしい。
「その間に魔王さまを倒すでもすりゃあこんな馬鹿げた状況を変えてくれるかもしれねえけどなあ」
それはどうも無理らしい。精神や価値観なども時間が経つ毎に徐々に変化していくと言う。
完全に思考が変わってしまえば、抵抗する気さえ失せてしまうとか。
「どう変わんの?」
「……言えるか」
それだけはどれだけ問い詰めても教えてもらえなかった。
この話題はもうお終いだというが、どうも様子が変だ。挙動不審になっている。
顔を背けている癖にチラチラこっちの様子を伺う風な態度を取る。
お前は思春期男子か。
改めてウィルの顔をよく観察してみる。
エルフのようにピンと伸びた耳は先まで真っ赤になっている。もう酒の酔が回ったのか。
頬も同じようにほんのり赤くなっている。
薄く青みを帯びた長髪を片手で弄りながら、少し釣り上がった赤い目が恨めしそうにこちらを見つめてくる。
いくら睨まれようと全く怖くない。むしろ…
「いやでも、随分可愛いなお前」
「んなッ…!?」
「いや本当に」
美しいと言うよりかは可愛い寄りだと思う。
だが体の方は随分と発育が宜しいようで、大きく開いた胸元から覗く谷間を見ても大方予想出来る。
こいつ胸でかい。
「…ジロジロ見るなって」
「いいじゃん、減るもんじゃないし」
「お前もやっぱりこういう身体が好きなのか?」
「悔しいが凄く理想的だ」
程良く筋肉質で出る所は出てる、なんてのが理想だがそう簡単にお目にかかったことは無い。
小さいこの町にも娼館の類はあるが、実を言うと一回も利用した事はない。
ここへ流れ着いてからは信用を得るために必死だった、だから楽しみと言えば、酒場や家でチビチビ酒を舐める程度の事しかなかったわけだ。
「なるほど…理想的ね…だからか…」
「何だ?」
「なんでもねぇって…独り言だ」
しかし胸元もそうだが、足を組み替える毎にチラチラ目につく肉付きの良い太腿なども正直目の毒だった。
コイツに欲情するなんざ夢にも思わなかったが、嫌でも意識してしまう。
まさかコイツ、俺を誘ってやがるのか?
「ところでお前、いよいよ明日だけど覚悟は出来たのか?」
「えっ…明日?」
「もう日にちを跨いでるぞ」
急にウィルがそう切り出した。今まで頭の中からすっぽり抜け落ちていた事案…日付が変わり、俺の命日がとうとう明日に迫っていた。
このまま馬鹿騒ぎしてお開きにしたかったが…どうやらそうもいかないらしい。
「で、どうやって俺を殺すつもりなんだよ」
酒の勢いを借りて、いっそ全部ぶちまけてやろう。そう思って今まで仕入れた情報を全て話した。
「知ったのか?」
「ああ、お前さんが俺を殺しに来るってな…」
「ハハ…そうか…」
お互いグラスを置いて、深い深い溜息を吐いた。
酔が一気に覚めていくような、そんな感覚だ。
「仕事だからな…」
「今でもそれは有効なのか?」
「多分な…でも、俺だって別にやりたいわけじゃないんだぞ?」
「そりゃそうだ、殺す相手とこんな馬鹿やる暗殺者なんて聞いたことないからな」
俺が殺される理由、恐らく一年前の遠征関連だとは思う。
生き延びた連中が手当たり次第消されている、なんて話は風のうわさで聞いた事がある。
かなりタブーな部分まで攻め込んだらしいからな、それも後で知った話だが。
末端の俺が、その当時にそんな事を理解出来るはずがない。
だが一蓮托生なのもある意味軍隊っぽくはある。上も下も、死ぬ時は同じだ。
「いや、もう今更理由なんてどうでもいいか…」
「何だ、受け入れるってのか?」
「いいよもう、別にお前にだったら…」
殺されてもいい、と思えるようになってきた。
ここ数日の間で、精神的にもかなり参って来ていた。
早く楽になりたい…余裕ぶってみたものの、心の奥底では常にそう思っていたのが正直な気持ちだ。
「そうか、わかった…」
ウィルが小さくそう言った。
それに続いてパキン、と言う音が聞こえ、何事かと顔を上げた瞬間、俺の身体が突き飛ばされていた。
「うおっ!?」
強引に、後ろにあるベッドへ放り投げられたような形になった。
寝転がった俺の上に、素早くウィルが跨ってくる。
「なんだ!?どうしたんだよ…」
俺の目に飛び込んできたのは、己の首を小脇に抱えて俺を見下ろすウィルの姿だった。
古来より伝わる、正統なデュラハンの姿がそこにあった。
「く…首が?」
「拘束具だよ」
そう言って首の根本辺りをコンコン、と指さす。
「厄介な事にな…首を付けてないと…色々漏れ出してきて大変なんだ…よ…」
だから普段は拘束具を使って首をひっつけてフタをする必要があるんだとの事だ。
しかし、この状況でなんで今更そんな事を言い出したんだコイツは。
「酒の勢いって訳じゃないがな…こなりゃこっちもヤケだ!」
「はぁ?おい落ち着けって、一体どうしたんだよ!?」
こっちの問い掛けを無視して、ウィルがおもむろに鎧を外しだした。
肩や腕に続いて胸部の鎧も外して、乱暴にそれを投げ捨てる。
「鎧がキツくてなぁ…これで楽になった…」
「ああ、俺もだ」
正直上に乗られると重かった。いや、今でも少しだけ重い。
「さてと、じゃあさっそく…あら?」
ウィルの動きが急に鈍くなった。
「……おい?」
「あら…おかしいな…身体が…」
動かなくなった。そう言うと、小脇に抱えていた首がコロンと俺の胸元に転がってきた。
それに続くように、身体もゆっくりと倒れこんでくる。
「おい、どうしたんだよ!?何がしたいんだお前は!」
ウィルの頭部を抱え上げてそう訴えかけると、申し訳なさそうな顔で小さく呟いた。
「力が全部抜けちまった…動けねえ…」
本当に、何なんだこいつは。
とりあえず、ウィルをベッドに寝かせて首を胴体とくっつけた。
俺はベッドの端に腰掛けてから、ウィルが着ていた残りの鎧を半ば強引に剥ぎ取った。
こんなもん着たままじゃシーツがズタズタになっちまう。
ウィルも口では抵抗していたが、身体を動かせないんじゃされるがままだ。
あっと言う間に下着姿にひん剥かれてしまった。
「で、何でそうなったんだよ?」
「…首でフタしとかねえと精が漏れて…力が出ねえんだ」
「精って何だ?」
「…精液」
「えっ?何だって?」
「だから精液だよ!人間の男の精液!かそれか唾液とか体液とか…ああもうとりあえず男だ男、男が必要なんだよ!」
顔を真赤にさせて半ばヤケクソ気味にそう叫ぶ、目も視点が定まっていないのか泳ぎまくっている。
「それも魔王の影響なのか?」
「サキュバスの性質なんぞ今まで知らなかったがな、傍迷惑な話だぜ本当に…」
本能的に、誰に教えられることも無く己の身体の状況はわかるとの事だった。
それでも、通常の食料などでも補充はある程度効くらしい。
しかし、身体が変化したてで、なおかつまだペース配分がよくわかっていない。
なのに先程その場の勢いで首を外してしまったのが運の尽きだったわけだ。
「アホだなぁ…」
なんて都合のいい展開。
サキュバスさんマジすげえ、尊敬したくはないが素直に感心する。
「うるせえ」
とりあえず、まず何か食わせて栄養補給でも…と思ったが家にはもう食料が全く残ってなかった。
何か買ってくるかと、そう思って立ち上がろうと思ったが、ウィルの手が服の袖を掴んで離さない。
「なんだ?」
「…ここまで言えばわかんだろ?誰でも良いって訳じゃない。お前だから…その…アレだ」
「まさかお前…」
話の流れ的にこれはまさか…俺がコイツを抱かなきゃならんような展開だ。
いやいや、しかし待って欲しい。確かに目の前にいるコイツは女だ、だが中身は昨日まで馬鹿をやりあったオッサンだ。
「オッサンじゃねえよ!俺はこれでもまだ若いんだぞ!」
聞こえていたようだ、まあどっちでもいい。
しばらく考えこんだが、これも人助け…じゃなかった。魔物だ。
友人を助けるために仕方なく、本当に仕方なくだ。渋々コイツを抱く事にした。
「恥ずかしいな…」
「ああ…」
ウィルの服を優しく脱がし、俺も全裸になってベッドに上がる。
そうするとウィルは両手で胸を押さえて恥ずかしがる。
「やさしくしろよ…」
「はいはい、わかりましたよお姫様」
胸を隠す腕を外す、少し抵抗する素振りを見せたが、存外アッサリと腕が開かれた。
「綺麗じゃないか…」
「バカ!真顔でそんな事言うなよ…」
ウィルは顔を真赤にして目を逸らした。
俺としては素直な感想だったのだが、胸を褒められるのはどうやら恥ずかしいらしい。
しかしその様子を楽しんでいる暇も無い、あくまでこれは人助け行為なのだ。
「さっさと股開けよ…」
胸元はいいが、未だに足を固く閉じたままだった。
「てめぇ…もうちょっと雰囲気考えろよ…」
「だってお前閉じたままだと…」
要は普通に性行為をしなきゃならん。穴に棒を突っ込まないと始まらない。
「わかったよ…今開くから…」
そう言うとゆっくりと足を開いた。すかさず両足を掴んで身体をその間に入れ、隆起した自分の肉棒を秘所に押し当てた。
「ひっ…ゆ、ゆっくり…ゆっくり頼むぞ…」
秘所に手を伸ばし優しく愛撫してやろうと思ったが、どうやら既に必要が無いほど濡れそぼった状態になっていた。
もう受け入れ態勢は万全のようだ。
「そう言う割りには…こっちは随分と物欲しそうだがなぁ」
言葉攻めとやらに挑戦してみる。一度やってみたかったんだ。
そっと、不意打ちで女性器を撫で上げてやると、身体を震わせて可愛らしい声を上げる。
「くぅぅっ!!やめっ…お前っ!」
とても良い反応だ。まるで生娘みたいだ…あ、生娘だった。魔物だけど。
「…入れるぞ」
正直こっちも余裕があるとは言いがたかった。久しぶりの感触、ここままじゃ押し当てただけで出てしまいそうになる。
さっさと挿入してしまう。どうやらコイツの中に出さなきゃならないようだしな。
「あはぁっ!くはっ!!入ってきた…」
少しばかり抵抗を感じたが、それでも比較的すんなりと根元までアッサリ挿入出来た。
「魔物って…こんななのか!?」
素直に驚いた。ウィルの膣内は少々キツさを感じはすれど、まるで意思があるかのようにうねり、肉棒を咥えて離そうとしない。
人のそれとは違う、精液を効率良く搾り取る事に特化したような未知の器官のようにさえ思える。
これは悠長に楽しんでいる暇はない、自然と、最初から腰の動きが激しくなってくる。
「どうだッ…お待ちかねの…モノの味は」
「誰が…ッこんなもの…あはぁっ、んはぁっいきなり深いっ…!」
「好きなだけ味わってくれよっ」
「ふぐっ!あひっ!てめぇっ…覚えてろよ…!」
激しく腰を動かし続けると、ようやくウィルが甘えた声を出し始める。
頑固な奴だが、ようやく可愛らしい反応を見せ始めた。
耳障りがいい喘ぎ声を聞いていると、余計に強く腰を打ち付けたくなる。
「んっ…んあっ…かはっ、あ、頭がおかしくなりそうだ…!」
ふと思いついたのだが、いっそこのままコイツを堕として俺の言いなりにでもさせる事が出来れば、死ぬのを回避出来るもしれない。
そう考えると、悪い気もしない。ここまま一気に最後までやってしまおうか。
「ひうっ、んくっ!奥まで、響いてくるっ…あぐっ!」
容赦無く膣内を突き上げる。だがウィルの顔を見ているとどうしても決心が鈍ってしまう。
涙目になりながら、必死でこっちの顔を見つめ続けるコイツの顔を見ていると、胸の鼓動がますます早くなってくる。
「グッ…!そろそろイクぞ!全部飲み干せよ!」
一番奥の子宮口の前まで肉棒を突き上げると、そのまま入り口めがけて勢い良く射精した。
それとほぼ同時に、ウィルも絶頂を迎えたようだった。
必死でそれを表情に出さないよう我慢しているが、身体が小刻みにビクビク震えている。
「はぁ…はぁっ…どうだ?美味いか」
「ああっ、あっあああ…!中に…出てるっ…」
ウィルも恍惚の表情を浮かべながら、その感覚をしっかりと確かめている。
一緒に絶頂するなんて少々小っ恥ずかしくもあるが、お互い気持ちよくなれたのでまあ良しとしよう。
それにしても、やっぱり久しぶりだと身体の疲労感が凄まじい。
続けて二回戦も…と思ったが、少し休憩したほうがよさそうだ。
「はぁ…ふぅっ…」
しばらくの間、挿入したままどっぷりと余韻に浸っていたのだが…
「おい、何のつもりだ?」
肉棒を一度引きぬくかと腰を動かそうとした途端、ウィルが素早く俺の腰に足を絡めてくる。
固く腰をホールドされた状態になり、肉棒を抜くことも出来なくなってしまった。
「何勝手に抜こうとしてるんだよ…」
「あら…まさかお前…」
すると今度は腕が伸びてきたかと思うと、俺の首元をしっかりと掴んで無理やり身体を密着させて来た。
その力の強さは凄まじく、まともな抵抗も出来なかった。
「あれだけ偉そうな口叩いておいて、これで終わりとか言わないよなぁ…なあ?ヘクターさんよぉ…」
そう言って意地の悪そうな笑顔を見せる。
嫌な汗が出てきた、こりゃマズイ、すこぶるマズイ。
「いや…その…少し休憩をですね…ホラ男って一発出し終わると冷めるじゃないですか…イヤ本当に少し休ませて下さいって…ねえ?」
「…駄目だな♪」
少し調子に乗り過ぎたみたいだ。
結局、精を補充して本調子に戻ったウィルによって、その晩は俺が逆に散々泣かされ、散々搾り取られてしまった。
最後の方はもう意識も途切れ途切れとなり、とうとう気絶してしまった。
合計何回だったか…数えるのも億劫なほどだ。
勝ち誇ったアイツの顔が、今でも瞼の裏にハッキリと焼き付いている。
「もうお婿に行けない…」
俺は汚されてしまった。
こんな台詞を口にする日が来るとは思わなかった。
事がようやく終わり、ウィルと2人狭いベッドに並んで寝転がっている。
「どうしたよ…優しいお姉さんが腕枕でもしてやろうか?」
「うるせえ…」
ウィルの顔がニヤニヤしている、正直むかつくが反論する元気もない。
散々搾られた、もう俺はスッカラカンだ、頬もなんだかやつれたような気がする。
一方ウィルはと言えば、満足したのかさっきからこうしてやたらとこっちをからかってくる。
ツヤツヤした顔が恨めしい…がそれは仕方ないか、俺が餌でコイツは捕食者みたいなもんだしな。
「ところで、明日なんだけどよ」
「ああ…?ああ、そうか…明日か…」
すっかり忘れていた。行為の最中はこのまま絞り殺されるんだと思ったりもしたが今は辛うじて生きている。
「結局、やるんだな…」
「身の周りの整理くらいはしとけよ。日付け変わったら迎えに来るからよ。こっちも準備があるしな」
それだけ言うと、ウィルは手早くベッドから抜けだして身支度を整えると、さっさと帰っていった。
忙しいやつだ、なんて事を思いながらも結局どうすることも出来なかった事を若干後悔したがもう遅い。
覚悟を決めて待つか、身の周りの整理って何すりゃいいんだっけ…遺書でも書いとくか…まあいいや、それよりも、寝よう。
本当に疲れた…せめて最後の睡眠くらいはたっぷり取りたいもんだ。
人がどう思おうが必ず朝はやって来る。
寝起きは今までで一番悪い、体中から悲鳴が聞こえてきそうだ。
それにベッドの周辺がいろいろな液体塗れで酷い有り様だった、これは掃除するのは手間だ、いっそ全部新しいのに変えた方がいいかもしれん。
「あ、意味無いのか…」
今日限りで、この家ともお別れになる。
シーツがいくら汚れていようがもう意味が無い事だった。
今になってもそんな事を考えている自分がなんだかおかしくて笑えてくる。
井戸で手早く水浴びを済ませてから人生最後の職場へと足を運んだ。
日を追う毎に、町は人の通りが激しさを増しているように思えてくる。
仕事場に着いて早々、騎士団の本隊が到着したと言う話を上官から聞いた。
今更どうでもいい話なので、特に思う事もなかった。
ボーッとしながらも手を動かしていると、同僚たちがニヤニヤしながら俺の事を見るのが気になった。
一体何だと隣りの奴に詰め寄って見ると、鏡を見てこいと言われたので言われた通りにしてみたが、正直後悔した。
「ひでえ…」
それはすぐにわかった。俺の首筋につけられた無数の赤い点々、どうやらコイツが原因のようだ。
「随分情熱的な相手だったようだね…」
と上官に言われた、一体何箇所キスマークを付けられたんだと笑いながら問い掛けられても答えに窮する。
迷ったが、随分頭のゆるい女でしたよ、と答えておいた。間違った事は決して言っていない。
今日一日、そのネタで散々弄り回されたので気分は最悪だった。
仕事も終わり、ストレス発散がてら市場へ足を運んで食い物や酒を大量に買い込んだ。
これで最後の晩餐と洒落込もう、なんて下らない事を考えていた。
「もうすぐか…」
散々食って飲んでとダラダラ時間を潰しているうちに、あっと言う間に日付け変更の時刻が近づいてきた。
時間は部屋に置いてあるランプ時計で大体わかる。貰い物だ、こんなもん使うことがあるのかと思っていたが、最後の最後で出番があって良かった。
あと少しで、俺はこの世とオサラバする事になる。
「覚悟は決まったさ…とっくにな」
最後にそこそこ良い目を見せて貰ったし、ウィルに対する怒りもない。
そろそろ時間か、いつものように戸を叩く音が聞こえ…
バンッ
「…!?」
いきなり家の戸が吹っ飛んだ。借家なのになんてことをしやがる。
一瞬何が起こったのか理解できなかったが、それに続いて思い詰めた表情のウィルが入ってきた。
「お、おい…ウィル。せめてノックくらい…」
「迎えに来たぞ」
俺の言葉を抑えつけるように、感情を押し殺したような声が響いた。
どこかぎこちなさを感じる。緊張しているのだろうか?
やっぱりそうだよな、いつも通りの陽気な声じゃ流石に締まりが悪い。
最後くらいお互いビシっと決めるか。
「俺の命を刈り取るのか?」
「いいや、違う。そうじゃない」
「えっ…?じゃあ一体何を…」
「お前自身を、迎えに来たんだよ」
今度は優しく、まるで恋人に対して愛をささやくような、そんな声だった。
「お前が好きだ。ヘクター…愛している。だからお前を連れて行く……決して逃がさないからな」
成る程、そう言う事か。そういう解釈になるわけか。
それならこっちもちゃんと返事をしないとな。
「いいぜ。俺だってお前の事…嫌いじゃない。いや…好きだよ。ウィル」
差し伸べられた手を掴み、ウィルの身体をこっちへ抱き寄せた。
「……」
「……」
しばしの間、お互い無言で見つめ合った。
最初は強張っていたウィルの顔が、次第に綻びていくのがわかった。
「一応しきたり通りにと思ったが…やっぱり駄目だ。似合わねえな…こういうのは…柄じゃない」
「お互い様だな…本当に、似合わねえ…」
自然と笑い声があふれ出る。
真面目な展開はどうも苦手だ、お互いに。これくらい緩い感じがとても心地が良かった。
魔王の代替わりに伴い、デュラハンの性質もまた変化した。
以前は相手の死を予言する存在であり、また自らその生命を刈り取る存在でもあったようだ。
しかし、代替わり後のデュラハンは、己が気に入った男性に、何故かさらう日時を指定し、自らさらいに訪れるそうだ。
共通して言える事と言えば、決して逃れる事が出来ないと言う事くらいだろうか。
とにかく、今も昔も、厄介な存在であることに変わりは無さそうだ。
「魔王さまの代替わりのタイミングが一日でも遅れていれば…オレは取り返しのつかない過ちを犯す所だった。その点については、魔王さまに感謝すべきかもしれないな…」
その時の嬉しそうなウィルの表情が、とても印象的だった。
黒い鎧と黒いマントを身につけた、何とも縁起が悪そうな身なりをしている。
パっと見た第一印象からすると、どうやら騎士のようだ。
そんな奇妙な人物が、俺の家の前にボケーッとつっ立っている。
「何だありゃ…」
仕事を終えて帰ってみればよくわからない状況に遭遇してしまった。
どうしよう、自分の家なのに凄く帰りづらい。近くの物陰からしばらく様子を伺ってみたが、その変な騎士さんは立ち去る素振りも見せない。
凄く嫌な予感がする、直感だが、これはヘタに関わると危険だ、本能がそう告げている。
散々迷った末にUターン。しばらく何処かで時間を潰してみよう。そうすればあの騎士さんも諦めて帰ってくれるだろう。
とりあえず酒場にでも行こうか。夜までチビチビ飲むのも中々乙なものだ。
そうと決まれば善は急げだ、申し訳ない。
と心の中で騎士さんに謝罪しながら、俺は酒場へと足を進めた。
「追い出されちゃったよ…」
『かんじき亭』はこの町唯一と言っていい優良な酒場である。
しかしながら、いくらなんでも酒一杯で3時間も粘るのは流石に無理があった。
ネコが水を飲むみたいに舌でペチャペチャ舐めながら時間を潰していたが、店のオヤジにキレられた。
せめてツマミでも頼めば良かったかな…と後悔しても今更遅い。あまりオヤジの機嫌を損ねると最悪入店禁止になってしまう。
でも結構時間を潰せたと思う。辺りはもう真っ暗になっている。流石にあの騎士さんも、もう諦めて帰っただろう。
家の前まで来ると、思った通りあの騎士の姿は既に無かった。やっと諦めて帰ってくれたのか…
ホッと胸をなで下ろして、ずいぶん遅くなったが無事に帰宅を果たした。
「ただいま〜っと」
小さな借家暮らしといえども、これは立派な我が家な事に変わりはない。
一人暮らしなので返事が帰ってくるはずはないが何となく言ってみたくなった。
「おかえり」
「うん…?」
返事が返って来た。あれ、家間違ったっけ?何で中から声が聞こえるんだ…?
まさか、まさか…泥棒か!?
部屋の中は真っ暗だった、早く灯りをつけないと。
「あれっ?あれっ?灯り…灯り…は?」
「ああ、灯りってコレか?」
パチンッと指を鳴らしたような音が聞こえると、暗闇の中に薄っすらと灯りがともる。
部屋に置いてあった小さいランタンだ。それに火がついた。
しかし、さっきの音は一体なんだったんだ。
「ああ、それそれ…悪いねぇ…」
「いや、いいさ。勝手に家に上げてもらったお返しだよ」
差し出されたランタンを受け取る。どうやって火付けたんだろう?コレ。
「そうか、でもありがとうな」
ランタンをテーブルの上に置いて、俺も椅子に腰掛けてホッと一息つく。
「随分遅かったなぁお前、何してたんだよ」
相手も向かい側に腰掛けた。
「いやそれがな、帰って来たら家の前に変な奴が居てさ。こう黒い鎧を着た騎士みたいな感じの奴が…丁度アンタみたいな感じの格好だったかな…んでよ、何か面倒な事になりそうだな〜って思ってさ、居なくなるまで他所で時間潰してたのよ」
厄介ごとを背負い込むのは御免だ、変なイベントなら極力スルーするのが望ましい。
「何だよお前!ならさっさと帰ってこいよ!あと誰が変な奴だってコラ!」
「えっ?何でお前が怒るんだよ」
よくわからない、いや、一番よくわからない事は…誰だコイツ。
何親しげに談笑してるんだ俺…コイツがさっき思ってた泥棒じゃねえの!?
「泥棒ちゃうわ!よく見てみろ!」
更に相手が怒った。いやいや、そもそも誰だよコイツ。
ランタンを持ち上げて掲げてみる。そう言えばどっかで見たような姿をしてるなコイツ…。
全身真っ黒の鎧を着てる…それに何だか首周りが随分寂しいように思える。
いや、寂しいと言うよりも…首が無い。
「な…なぁ、お前…首…どうしたの?」
「え?首…?無いよ」
「な…なんで?」
「何でってお前、だってオレ…」
デュラハンだもん。
薄れ行く意識の中で、最後に聞いたのがその言葉だった。
まだ魔王が代替わりしていない頃の時代、魔物は人を襲い、喰い、堕落させる危険な存在とされていた。
俺が住んでいるこの町にも、時折だが魔物が出没し、人が襲われたりする事があった。
仮に魔物に襲われた場合には、正直言って対処しようが無い。騎士団や教団の連中ならばいざ知らず。一般人にそれは不可能だ。
奴らは力も魔力も強い、惨忍で凶暴な生き物とされていた。とても普通の人間が太刀打ち出来るような相手ではなかった。
「…うん?」
目を開けると、見慣れた天井が飛び込んできた。
どうやらベッドの上に寝かされているみたいだった。
体を起こして手足を確認する、どこも怪我した様子はない。
「お、やっと起きたか」
「…!?」
横から声が聞こえる。
ゆっくりと、首だけその方向に向けてみると…やっぱり居た。
黒い鎧の…首のない騎士が、椅子にもたれてこっちを見て?いる。
「人の顔みて気絶するって失礼すぎるだろお前」
「いや、顔無いじゃん」
もう初見の時程の衝撃は無かったが、えらく親しげに話しかけてくるがコイツは紛れも無く魔物である。首無し騎士、と言えば魔界でも聞こえた強者である。首の無い馬に跨り剣を振るうアンデッド、それはもうデュラハンが通った後には草木一本残らないと言われる程の…
「いや、そこまでじゃないよ?」
「えっ?」
目の前の本人にアッサリ否定されてしまった。しかし、一体デュラハンがウチに何の用があって来たんだろう?
「ちょっと説明すっから、そこ座って」
と向いの椅子にすわるように促される。逆らって怒らせでもしたらそれこそ命が危ない、ここは言う通りにした方がいいか。
「じゃあまず確認ね」
俺が椅子に腰掛けると、デュラハンが何処からとも無く紙切れを取り出してそれを広げて読みだした。
というか頭無いのに読めるんだろうか?そこら辺が凄く気になる。
「名前はヘクター・リチャードソンで間違いない?」
「あっ、ハイそうです」
「で…職業は軍人で船乗りさんだっけ?」
「いや、船乗りは辞めました」
「あ、そうなの…なんで辞めたの?」
何でそんな事聞いてくるんだろう?と思ったが怖くて言い返せない。
俺は軍人だった…と言っても陸じゃなくて海の方の。船乗りだった。
ある時、大遠征が起こった。
陸海合わせて数万規模の人間が魔界に攻め込んだが、ボロ負けした。
俺はその時後方で輸送船に乗って補給作業に従事していたんだが…なんとその船も魔物にやられて沈められた。
命からがら生き延びたまでは良かったが…攻め込んだ報復とばかりにこんどは俺の故郷が攻められてあっけなく滅んでしまった。
国が滅んじゃこちとらおまんまの食い上げだ、だから仕事が無くなった。それがつい一年ほど前の話だった。
それから俺はあちこ彷徨っていたが、ようやくこの地に腰を落ち着けたわけだ。元々天涯孤独の身なので自分の事意外を心配する必要も無かった。
最初は余所者の俺を町の住民も警戒していたが、今じゃすっかり受け入れられている。
俺も最近、新しく仕事を始めた。今ではこの町の守備隊の後方要員として物資の補給や備蓄などを任されている。
「じゃあ今も、一応兵士みたいなもんか?」
「はぁ、それでいいです…ハイ」
フムフム、と頷いて?またしても何処からとも無く取り出したペンで紙に何かを書き込むデュラハン。
言っては何だが非常にシュールな光景だった。
「じゃあ俺も一応自己紹介しとくか。俺はウィリアム、見ての通りデュラハンだ。短い間だけどよろしくな」
そう言って気さくに握手を求めてきた。恐る恐るそれに応じる。
指先まで鉄で覆われた手甲が冷たい。
「あの…で、デュラハンさんが一体俺に何の用なんですか?」
そろそろ核心に触れてみる。この首なし騎士さんは一体何の用があってここに来たんだろうか?
まさか俺を殺しに来たのか?そう言えば、あの遠征に参加した奴は皆殺しにされる、なんて噂を耳にした事があったが…まさか…
「大した用じゃないよ、ただ伝えに来ただけだから。ヘクターさん、アンタ4日後に死ぬから」
「へぇ…4日後にねぇ…」
なんだ、殺しに来たわけじゃないのか…そうかそうか、4日後に俺がねえ…
死ぬんですか。
「……えっ!?」
「だから4日後に死ぬって」
「えええええええええええ!?」
あんまり変わらなかった。
しばらく混乱していたが、何とか少し落ち着いてきた。
最初から整理してみよう。何故か家にデュラハンが来て、俺が4日後に死ぬとのたもうた。
「なんだ、すごく簡潔に纏まったじゃないか…」
と安心している場合じゃない。
「何で!?何で俺4日後に死ぬの!?ようやく職にありつけてこれから真っ当な人生歩もうとした矢先にだよ!?理不尽過ぎるだろ?」
「いや俺に言われてもなぁ…」
目の前に居るデュラハンが若干困惑顔?だった。気持ちを落ち着けようとコーヒーを入れたのだが、何故か自分の分も要求しやがった。
どうやって飲むんだよ、と思っていたらおもむろにコップの中のコーヒーを首元の空洞部分に流しこみやがる…ちゃんと飲めてるのか、それ。
「オメエが死ぬっていったんだろ!?何でだよ!理由言えよ」
もうヤケになってきた。敬語なんぞ使っている余裕もない。
「死ぬのに一々理由なんぞあるかい!そういうのはもっと平和な時代に訴えかけな」
確かに、こんな不安定な世の中だ、人なんぞそれこそ毎日何十、何百単位で死んでるだろうよ。その理不尽さは身を持って味わったけど。
だからって当の本人にまで死ぬ理由がわからないってのは少しひどくないか?そりゃあんまりだ。少なくとも比較的平和な町だぞここは。
「知らない内にコロっと死ねたらそれはそれで幸せだろう?あ、コーヒーおかわり。茶菓子とかないの?」
「お前何で寛いでんだよ!帰れよ!」
でもコーヒーは入れてやった。茶菓子は無いのでかったい黒パンを用意した。
そういえばまだ飯を食べていない事を思い出したのでついでにバターにハムやチーズ、スモークサーモンなども添えてやる。
当然俺も食う。そもそも俺が食いたいんだ。
デュラハンと食卓を囲む事になろうとは思いもしなかった。
「いいもん食ってんなお前」
ウィリアムが感嘆の声を上げる。そう言えばどこから声出してるんだろうコイツ。
「お前、首どうしたんだよ」
どうにも首が無いというのは凄い違和感だ。
本来あるものがない、というのはここまで人を不安にさせるものなのかと今更ながら思う。
「あ?首?置いてきた。首見たらムチで目潰すからな、覚えとけよ」
物騒な話だ。そんなに首見られたくないのか。見かけによらず恥ずかしがり屋なのか。
「デュラハンってのはそういうもんなの!理屈じゃないの!わかったか!?」
それで納得しろと言われたのでそうする事にする。精神論だか根性論まみれな奴だ。
なんかもうコイツの相手疲れてきた…
「ココらへんは交易地だからな、金さえありゃ大抵のもんは買えるんだよ」
小さい町だが比較的重要な拠点でもある。
だから安定した収入がある守備隊に入ったのだ。後方要員だからチョイチョイ備蓄品をこっそり頂いたり…はしてないよ?
しかしまぁ、今はどうも色々不安定な情勢らしいので、何時までこのまま暮らせるのかはわからない。
「…人間の世界もか…確かに魔界もなぁ…何か色々面倒なのよ」
「はぇ?何かあったのか?」
「ここだけの話な、魔王さまが代替わりしそうな感じでな」
「え、マジで?やばくね?お前こんな事してていいの?」
ウィリアムがポンポンとパンやハムを首へ放り込む。ちゃんと噛んで食えよ…歯あるのかどうかしらないけど。
「デュラハンって魔界の騎士団で超エリートみたいな印象だったんだけどなぁ…」
「そんなもん一部一部、俺だって招集されりゃ集まって戦ったりもするけどな、基本自由よ?そんな一部のエリート…常備の連中なんて俺でも歯がたたないわ」
とケラケラ笑い飛ばす。
デュラハンの中でもそういうヒエラルキーみたいなのがあるとは意外だった。それでもコイツは相当なはみ出し者だとは思う。
今魔界で起こっている事も言ってみれば覇権争いのようなものだが、コイツは参加する気は無いらしい。
「大体魔物なんざ元々一枚岩でもねえし。知ってるか?魔物は確かに人間も襲うけど魔物同士で殺しあったりもするんだぜ?」
「殺伐としてんな…お前らの世界」
魔物側の世界の事なんて初めて知った。本当に力が全てなんだろうな…死と破壊を撒き散らす異形の怪物達。
まさに教団から教えられている通りだ。
そんな連中と曲がりなりにも戦っただなんて、今思えば背筋がゾッとする。
「ウィリアムはさ…」
「ウィルでいいよ」
「…じゃあウィル、お前は…人間の事…どう思ってんの?」
魔物の人間観、いつかは聞いてみたいと思っていた事だ。
「いやぁ、特に、なんとも。敵なら戦うけど…そんな見つけ次第殺そうとかそんな感じに思ってはないよ?そう思ってる奴も居るけど」
居るのかよ。要は人それぞれ、ならぬ魔物それぞれと言う事らしい。
基本的に相容れない存在ではあるが、友好的とはいかないまでも、人間と敵対する事のない魔物だっている。
ジパングと言ったか、東洋の島国らしいがあそこは特に魔物と人間の住み分けがよく出来ているとも伝え聞いた事がある。
「へぇ…」
余り人間と変わらないな、と言うのが素直な感想だった。
それから会話が途切れたが、結局お互い一言も発することもなく、黙々と食事をとった。
「じゃあ帰るわ」
「マジで飯食いに来ただけじゃん」
結局、俺が4日後に死ぬ理由は最後まで教えて貰うことは出来なかった。
「ちょいちょい様子見に来るから、覚悟だけは決めとけよ。じゃあな」
帰り際にそう言い残して、ハタ迷惑なデュラハンは帰っていった。
飯も殆どアイツに食われた。なんてふてぶてしい野郎だ。
どこからともなく馬の嘶く声が聞こえた。やはり何処かに馬をつないでいたらしい。
まあ騎士だしな、徒歩で帰ったら騎士じゃない。その辺りのイメージ像はキッチリ守っているようだ。
「はぁ…」
嵐のような奴だった。しかしまあ随分な話だと思う。
ベッドに倒れこんで再び天井を眺めて色々考えてみるが、到底納得出来る話じゃない。
とにかく、夜が明けたら何とか対策を考えないと…まだ少し仮眠を取る程度の時間はある。
寝よう。体を休めてないと、イザという時何も出来ない。
と思ったのだが結局眠れず、ウトウトしている内に朝を迎えた。
眠い目を擦りながらさっさと準備を整えて職場に向かう。
道中、どうにも町中が騒がしいのが目についた。
その理由は職場についてわかった。魔物が出た、と言う話が広まっているとの事だ。
(あいつか…?)
恐らくウィルの事だろう。
まだこの辺りをうろついているんだろうか…ちょいちょい様子を見に来る、とは言ってたが…
教会にで相談しようかと思ったが、そういえばアイツが直接俺を殺しに来るわけでもなさそうなんだよなぁ。
見方を変えれば、俺の危機を遠まわしに知らせに来た、と受け取れなくも無い…気がする。
「はぁ〜…」
休憩時間中も溜息ばかり漏らしてしまう。憂鬱だった。昼飯の誘いも断って書物庫を覗いてみる。
図鑑、図鑑と…随分奥のほうにあった。
デュラハンの項目を探してみる。
陸の魔物は未だにあまりよくわからない。以前船乗りだったから海の魔物の知識はそれなりにあるつもりだが…。
「死を予言する者…か」
デュラハンに関する記述はあったが、その対策などはどこにも書いていない。
これじゃあ打つ手ナシ、じゃないか。一体どうやって死ぬのを回避すりゃいいんだろう…?
「どうしろってんだ…」
本を閉じて元の場所へと戻す。
ああ、本当にどうしよう…
「はぁ…」
また溜息が漏れる。もう何度目か数えるのを諦めた。
仕事も手につかない程だ、これでも割りと真面目な奴って評価で通っていたのに、同僚の視線が痛い。
誰かに相談しようかと思ったが、そうすればソイツにも迷惑がかかるかもしれない。
しかし、本当にどうしよう…またアイツが来たらその時ちゃんと問いただした方がいいかな…
結局その日は仕事も手につかなかった。
帰宅する途中、何やら港の方で騒ぎが起こっていたが、まあ俺の管轄じゃないからいいか、帰って考えよう。
結局、その夜ウィルが現れる事は無かった。
これであと3日、か…あんまり余裕は無いなぁ…
次の日、驚いた事に目覚めはスッキリだった。
爆睡してしまった。相当疲れが溜まっていたんだろう。
もしかしたら夜中にウィルが訪ねてきたかとも考えたが、それはないか。
アイツなら寝てても勝手に入ってくるだろうしな。
「ん〜…あと3日かぁ…」
本日は晴天なり、でも気分は全く晴れない。まるで心がどんより雲に覆われているようだった。
とにかく、昨日と同じようにささっと準備を整えて職場に向かう。
昨日に増して、町中が騒がしいのが気になったが、そんな事より自分の身の安全が第一だ。
しかし職場につくと、そんな事を考えている暇も無かった。
昨日港の方が騒がしかった理由がわかった。
魔界で異変が起こったらしい。昨日港に入港した船からの情報だと言う。
"勇者が魔王を倒したらしい。"
"いや、単に魔王が代替わりしただけらしい。"
などなど、情報が錯綜しているが、とにかく何かしら変化が起こった事は確かだ。
(ウィルの言ってた通りになった…のか?)
今すぐここに影響が出る事はなさそうだが、しばらくは警戒が必要だろうと上官殿からの訓示を頂いた。
と言っても、俺達が出来ることなんてあるんだろうか?
(そういやアイツ、何の影響も無いのかな…?)
おかしな話もあるもんだ、何故か俺が魔物の心配をしている。
種族は違えど一度は戦った事もあるのに、アイツだけは違う。なんて事を言い切れそうな気さえしてくる。
「いかんいかん…」
これも人を陥れる為の罠かもしれない、気を許しちゃ駄目だわ。うん。
一応、当分の間は警戒を厳にする事になった。
町へ出入りする人や物のチェックも前より入念に行うことになる。
ちっちゃい町だが、数日中にも近くの都市にある教団支部から騎士団が派遣されてくるらしい。
こりゃ思っていたより大事かもしれないな…まあいいや、別に。その時まで俺、生きていられるかわからないし…
いっそ逃げちまうか?でも確か図鑑には逃げても決して逃れることは出来ないって書いてたしなぁ…
帰りに教会に行ってみた。小さいが毎日毎日信者の列が途切れない程大盛況だ。教団って絶対儲かってるよな…おれもお零れにあずかりたいもんだ。
適当に祈りを済ませて帰ろうとした時、シスターが何やら興奮した様子で天使を見たとはしゃぎ回っていたのが印象的だった。
何か良い事でも起こるかな、天使さんに頼めばこの状況を打開できるだろうか…最後は神頼みになってしまう、か。
大して熱心な信者でもないのに、こういう時都合よく助けてくれるだろうか?いや、やっぱり日頃の行いが全てだろう。
諦めてトボトボ帰宅の途につく。まだ日も沈みきっていないというのに町中はすっかり静まり返っている。
家々の戸は固く閉ざされ、人っ子一人出歩いていない。やっぱり皆不安なんだろう。
ヘタな事はせず黙って嵐が過ぎ去るのを待つ、結局これが一番だ。
考え事をしている内に家の前までたどり着いたが、やはりウィルの姿は無かった。
恐る恐る家の中に入ってみても無人、何をオドオドしているんだ俺は…これが普通の事、普段通りじゃないか。
次来るのは何時だろう…なんて事を考えながら椅子に腰を下ろして一息つける。
あんな、首の無い騎士のオッサン…?性別どうこうはよくわからないが声は紛れも無く男だった。
そんな奴のことばかり考えるだなんて、俺はひょっとしてそっちの気があったのかもしれない。
「いやいや…ない…よな?」
そもそも相手は魔物…慣れ合っている今の状況だってよく考えれば異常だ。
気分を変えよう、酒でも飲むか。
とっておきのスコッチがまだ棚の奥にあったハズだ、酒飲んで気でも紛らわせよう。
そう思って席を立った時。
トントン…
と戸を叩く音が聞こえた。
「…!!」
途中で動きが止る。誰だ?こんな時間に。
いや、予想できる答えは一つしかないじゃないか。
「…ウィルか?」
そう呼びかけてみる。
「おー。オレオレ、ちょっと開けてくれー」
と、何とも気の抜けた返事が返って来た。
「…ッはぁ…」
聞き覚えのある声が返って来て安心した。
なんだ、もしかして1日置きに来るつもりなのか?アイツ。
「わかったわかった、今開ける」
1人酒より2人の方が気が紛れるだろう。魔物が酒飲むのかしらないけど。
そんな事を思いながら戸を開けた瞬間だった。
「てやぁ!」
「うわっ!?」
目の前が真っ赤に染まった。
何だ!?斬られたのか?首でも飛ばされたか!?
まさか。まさかウィルが俺を…殺しに来たのか!?
「……あれ?」
恐る恐る目を開けて見ると、体中がズブ濡れになっていた。
「よっしゃ!今日のノルマ終わり!ハッハッハッハッハ!」
巨大なタライを小脇に抱えながら、ウィルが声を上げて笑っている。
「ッペッ!何だこの液体!?…なんかドロッとしてて生臭いぞ?」
「そりゃそうよ、血だもの」
「血だってェ!?」
「体洗ってこいよ、中で待ってるから」
そう言ってタライを投げ捨てると、勝手に家の中へ入っていった。
…どっから持ってきたんだ、これ。
「なん、なんなんだよもうッ!」
とは言っても、流石に全身血まみれ状態は色々キツイ。
床や壁を汚さないようにタオルをぶんどってから、家の裏にある井戸へ向かった。
「何の血なんだよ…」
まさか人間の血、なんて事はないだろうな…?
血は汚い、変な病気でも伝染されたらかなわない。念入りに洗い落とす。
「…うん?」
近くで動物が鼻を鳴らしたような音が聞こえた。
これは馬だろうか…
「馬…?」
こんなところに馬なんて居たっけ…?ああ、そうか。これはウィルの馬か。
首無し騎士、ってぐらいだからそりゃ当然馬に乗るもんだよな、何もおかしくない。
「どこだ…?」
周りが暗くてよくわからないが、音のする方向へ手を伸ばしてみると、馬の背辺りに手が触れる。
一瞬ピクリと体を震わせたが、2度3度と撫でても特に暴れだしたりしなかった。
「よ〜しよし、おとなしいなお前」
頭も撫でてやろうと手を首まで持って行こうとしたが。
「あら?あらら?」
何故か首の途中辺りで途切れてしまった。そこから先は何もない。
何度か手探りしてみても、空を掴むだけだった。
「あ…そうか…」
首無騎士は首無馬に乗る。という事を今になって思い出した。
一昨日は家の裏に馬置いてたのか。
…いやいや、せめて一言くらい断りいれろよ。
ウチの庭だぞここ。
「ったく。わかんねぇなぁ…」
最後に頭から水を被って身体を丁寧に拭き取る。暗くて見えないがまあ大分綺麗になったかな
季節は初夏に差し掛かった辺りだ、夜になっても寒くはない。まあ風邪引く事はないだろう。
手早く汚れを落としてさっさと家に戻る。
「遅かったな、先に頂いてるぞ」
勝手に椅子に座って寛ぎながら、あろうことか大切に取っておいたスコッチを瓶ごと首に流しこんでいる光景が目に飛び込んできた。
「テメェッ!!」
咄嗟に身体が動いていた。そのまま勢い良く飛び蹴りを食らわせる。
「ぎゃあッ!?」
叫び声を上げてウィルが椅子から転げ落ちた。その弾みでスコッチの瓶も床に落ちて割れる。
台無しだ、高いんだぞこの酒。
「何すんだよ!せっかくの美味い酒が!」
「訪問2回目だぞ?馴染みすぎだろお前!」
「いいじゃん!別にいいじゃん!もう俺の家みたいなもんだし!」
「ちげーよ!ちったー遠慮しろや!借りてきた猫みたいにしてろ!」
「なんだとテメェ!デュラハンなめんなよ!」
子供にみたいに取っ組み合いになりながらゴロゴロと床を転がる。
勢い余って壁におもいっきりぶつかった。
その衝撃でふと我に返って思う。何でこんな事をしてるんだろう…俺達。
お互い少し興奮し過ぎた、冷静になろう冷静に…
椅子に腰掛けて深呼吸。1回、2回、よし落ち着いた。
「で、何でいきなり血ぶっかけたんだよ」
そもそもだ、最初からおかしい。訳がわからない。
何でそんな事されなきゃならんのだ。
妙な儀式か何かか、それとも単なる嫌がらせか。
「タライ一杯の血をぶっかける。これ昔からのしきたりなのよ」
ビシッ!と親指を立てながら自信満々そうに言い放つ。
「え…終わり?」
「うん、説明終わり」
「意味は…?」
「知らん!」
まあしきたりと言われたら仕方ない。と一瞬納得しかかったがそうはいくか!危うく勢いに流される所だった。
「だってオレも意味わかんないし、こんなの。最初に考えたデュラハンはアホだよなホント」
本当に、ただの嫌がらせだった。
「じゃあやるなよ…」
「そう言うなよ、オレだって初仕事なんだからさ。最初はやっぱり古来のしきたり通りにやりたいじゃん?」
「初仕事?」
「そう、死を予言する者、ってのは流石にもう調べただろ?副業っつーか…まあバイトみたいなもんだわ」
「本業は?」
「今は求職中だ」
「わっけわからんぞお前」
早い話が無職ってことじゃないか。
別に全ての魔物が役割に忠実なわけでもないとは思う。そりゃ個体差はあるだろうが…
それにしても、コイツと話してると魔物のイメージがガラっと変わる。
そんな恐れる程のもんじゃないような気さえする。
「ああ、そう言えばさ。魔界で何か起こったんだろ?確か魔王がどうとか…」
「おう、人間なのに情報早いな。そうそう。代替わりしたらしいわ、魔王さま」
「やっぱり事実だったのか…」
「魔物はよ、良くも悪くも魔王さまの影響受けてるからな。何か変化ありゃすぐわかるわ…うん…」
随分便利な体質してやがる。しかし、政変が起こったってのに大してその事を気にする素振りすらみせやしない。
その程度の事なんだろうか?これが人間の世界の話なら大事だろうに…
「…あれっ…なん…だ…ッ…」
「おい…どうした?」
ウィルの様子がおかしい。
と思ったのも束の間、突然苦しそうに胸を抑えてテーブルの上に突っ伏してしまった。
「ハァッ…クソッ…まさか…こりゃ…もしかして…」
「おい、おい、しっかりしろ…どうしたんだよおい…」
身体がビクビクと震え始めた。
病気か?魔物にも病気とかあるのか…?それともアレか、酒に酔ったとかそんなオチか!?
「あれ、お前…なんか鎧おかしくないか…?」
ウィルの着ている鎧は全身黒色で覆われていたはずだ。地味で面白味のない。暗闇に溶け込まれるとどこにいるかわからなくなるような…
そんな不吉な色だったが…
「何でもない…衣替えみたいなもんだ…」
「お前らの衣替えってそうやるのか…?」
端の方から、徐々にではあるが色が塗り変わっていく。
動物の毛が生え変わるようなもんなのか?それはそれでちょっと気持ち悪いぞ。
更にウィルの様子がおかしくなってくる。体中を震わせて、時折呻き声を漏らしながら…必死で何かに耐えているような。そんな風に見えた。
放っておけば収まる。と本人が言うのでとりあえず様子を見守ることにする。
「…そうか、そういう事だったんだな…ハハ…ハハハハハ…クソ魔王めっ」
しばらくすると震えが収まったが、今度は急に何か小声でブツブツと呟き出したかと思うと、唐突に笑い始めた。
その姿が普通に怖かった。
結局、その後もひとしきり不気味に笑い続けていたが、ふと何か思い立ったように席を立つと、無言のままウィルは帰っていった。
しばらく休んでいけばどうだと申し出たのだが、やんわりと断られた。水臭い奴だ。さっきは俺の家みたいなものだと偉そうに言ってた癖に。
しかし本当に具合が悪そうだった。最後の方は声色まで何だかおかしかったような気がする。
変な病気じゃないだろうな…と気が気でなかったが、俺に出来る事なんて無いだろう。とにかく、元気になることを祈るばかりだった。
「あと2日…」
ウィルが帰ったんじゃ他にやることも無い。
晩飯もまだだったが、とても何か口に出来る気分じゃなかった。
早々にベッドの上に寝転がってそのまま色々考えていると、早くも睡魔が訪れた。
刻々と己のタイムリミットが迫っているにも関わらず、頭の中はあの変なデュラハンの事で一杯だった。なんでこんなに固執しているのか、自分でもサッパリわからない。
その夜は久しぶりに夢を見た。
と言っても…見たくもないものを見せられるのは精神衛生上非常によろしくない。
あれは、思い出したくもない一年前の出来事だった。
俺は船に乗っていた。それ程大きくない、中型の輸送船だった。
元々船乗りに憧れていたわけじゃない。
港に停泊している船に無理やり連れ去られて強制的に使役させられると言う…
あのパターンで入ったクチだ。隙を見て脱走してやろうと思っていたのがズルズルと続いた、それだけの話。
幸い賃金の支払いなどが滞ったりする事もなかった。それだけでも、優良な勤め先であると言っても良かった。
海の上ならば、陸や空に対して比較的安全なのは確かだった。
だが人間は陸の生き物だ、ずっと海の上で居るわけにもいかない。
マーレ・ノストロモなんて言ってた自分が恥ずかしくなってくる。
結局人間は陸の生き物なんだ。当然拠点となる港が必要になってくる。
ある日、いつも通り物資の積み込み作業を行なっている時だった、急に港が大勢の魔物に襲われた。
必死になって海へ逃げようと試みたが、それも叶わず船の殆どが湾内で沈められてしまった。
俺が乗っていた船も、その中の一隻だったわけだ。
必死こいて陸に上がった後も執拗に魔物から追撃を受けた。
一緒に逃げていた仲間達も、次第に1人、また1人と数を減らしていった。
実を言うと陸の連中が大負けして、大きく戦線が後退していたのが原因だったんだが…それを知ったのはこの町へ流れ着いた後、ふとした気まぐれで民間の戦史書を手にした時だった。
無事逃げ延びた後も、しばらくは何度も夢に見てうなされていたもんだ。
最近はようやくその悪夢から逃れられたと思ったのに、今日に限ってなんでまたその夢を見たんだろう。
「…ホント、どうすっかな…」
今日は珍しく朝から土砂降りの雨だった。
俺の陰鬱な気持ちをそのまま表したような天気だ。
今の所、状況は全く進展していない。対抗策なんぞまるでない。
一体、明後日どうやって俺が死ぬのか。それすら全くわからない。
自殺か、他殺か。病気か、事故か。それもとまさか衰弱死とでも言うのか?
「わからねえ…」
身体に異常は無い。嫌になるくらい元気そのものだった。
自慢じゃないが身体は頑丈な方だ。荷の積み下ろしで鍛えた肉体は今でも健在だ…最近ちょっと弛んできたような気もするが。
今日もウィルは来るだろうか…もし来たら、少々強引にでも詳細を聞き出してやった方がいいかもしれない。
とにかく、今日も頑張って仕事に励もう。
仕事場に着くと、前に言っていた騎士団の先遣隊が昨夜遅くに到着した、と言う話を上官から聞かされた。
それだけなら特に思う所もなかったが、先遣隊の中に魔物研究を専門にしている、という人物が居た。
その人なら、何か対処法を知っているかもしれない。
と思い上官に無理を言って会わせて貰えないかと掛け合った。
最初は何を言っているんだと言う顔で俺の話を聞いていたが、鬼気迫る俺の態度を見て何となく状況を理解してくれようで、昼休憩の間の短い時間だが会わせて貰えるよう段取りを整えてくれた。
いい上司だよ、ホント。涙が出そうになる。
本隊が到着するまでの間は、教会が騎士団の拠点となるらしい。
休憩時間となり、はやる気持ちを抑えながら足早に教会へと赴き、神父に用件を告げると奥の部屋へと通された。
「どうも、お待たせしました。申し訳ありません、このような散らかった部屋で」
そこに居たのは、およそ騎士団員とは思えない、線の細い学者風の青年だった。
通された部屋には、まだ荷解きの終わっていない袋や箱、本などが乱暴に部屋の隅にうず高く積まれていた。
整理に忙しいだろうに、嫌な顔一つせず俺を迎えてくれたこの青年なら、信用が置ける気がした。
「魔物について、何か私に聞きたい事がおありとか?」
「はい、まあ…そんな感じです」
その青年はステリングと名乗った。物腰の柔らかい好青年、という印象を受ける。
俺よりもかなり若いようだが、魔物研究についてはそこそこ造詣が深いらしい。
「何をお聞きになりたいのでしょうか?」
時間も無いので、早速本題に入ることにする。
「デュラハンについて、お聞きしたいことがあります」
「ほう…デュラハンに?」
デュラハン、と俺が言った時に青年の眉が一瞬ピクリと動いたように見えた。
「基本的な知識は持っているつもりですが…」
「では、何を聞きたいのです?」
「…いや、その…」
ここに来て少し迷った。仮にデュラハンに死の予言を受けた、と打ち明けてしまえばどうなるか。
鼻で笑われるのならまだいい。それよりも、魔物と関わり合ったとバレてしまえば、最悪俺が粛清対象になるかもしれない。
誤魔化して置いた方がいいだろうか、少々怪しまれても、俺が当事者だと悟られない方が無難か。
「知り合いの話なのですが…どうやらデュラハンに死の予言を受けたようなんです…」
俺自身の事だが、それを知り合いの話、と言う事にして全て話した。
勿論、デュラハンと飯をくったり取っ組み合いになったりと関係無さそうな部分は伏せて、だが。
「ふむ…つまり、死の予言を回避したい。と?」
「ええ、出来るものなんでしょうか…?知り合いの話では明後日死ぬと宣告されただけで、どうやって死ぬか、何が原因かさえ不明らしいのですが」
「そりゃそうですよ。当の本人がネタをバラすハズありません」
「当の本人…ですか?」
何だか雲行きが妖しくなってきた。
「デュラハンとは、首なし騎士ですがね…死を振りまく厄介な存在でもあるんですよ」
そう言って、手元に広げてある分厚い学術書のページをペラペラと捲る。
「死を…振りまく?」
「それに別にデュラハンは予言者なんかじゃありませんよ。死ぬ日時を予告した、と言いましたよね。簡単な話です。その日、デュラハンが命を刈り取るんですからね」
「えっ…!?」
流石にその答えは予想外過ぎた。
答えたのがこの青年以外であったのなら、声を荒げて食って掛かっていたかもしれない。
だがそれなりに権威のある相手が言った事ならば、いくら荒唐無稽と感じたとしても有無を言わせぬ説得力を含んでいる。
唖然とした表情の俺を訝しがる様子もなく、青年が更に言葉を続ける。
「とにかく、何処へ逃げようが隠れようが…逃げ延びた者は今の所確認出来ておりません。対処方は…残念ながら発見されておりません」
「……そ、そんな…」
「仮に貴方の"友人"を救おうにも…デュラハンは強いですからね。今居る我々だけではとても太刀打ち出来ないでしょう…まことに残念ですよ、ええ…」
お手上げだ、というジェスチャーを取った。
言葉のニュアンスからして、どうも俺が当事者であると気付いている風にも受け取れるが、それは定かではない。
「ただ…」
「ただ…何です?」
「ご存知かもしれませんがつい最近魔王の代替わりが起きました。それに伴う魔物達の変化も、数多く報告されています」
「確か、魔物は魔王の影響を受ける…とかいう話ですか?」
「おや…知っておいでとは…」
そりゃ魔物本人に聞いたんだから…何て事を口が裂けても言えるわけがない。
「もしかすると、デュラハンにも変化が起こっているかもしれませんが…」
青年が言うには、他の魔物達にも変化が現れつつあるという。
例を上げれば、女性型の…女の魔物が多数確認されているらしい。
それにあわせて、従来通りの姿をした魔物が忽然といなくなったようだとか。
「とは言え、魔物が人間を襲うのは今も昔も変わりませんからね…オスだろうがメスだろうが」
根本が変わってないのなら余り意味があるとは言えない。
青年が最後に「確認された魔物は皆美人だったらしいですよ?」と笑いながら話していたが、とても笑い返せる状況じゃなかった。
結局、気休め程度にもならなかった。むしろ嫌な情報を仕入れてしまい気分は最悪だった。
若干嫌味を込めて丁寧に青年に礼を述べてから、教会を後にした。
部屋を出る時に何かあればまた相談に乗りますよと言葉を掛けられた。
どうやら、完全にバレていたようだ。聞こえないフリをしてそのまま立ち去った。
今日はそれ以上の収穫は無かった。
家に帰ってしばらくボケーっとして時間をつぶす。
もしかしたら、騎士団や教会の連中が俺を捕まえに来るかもしれないと思ったが、どうやらそれは思い過ごしだったらしい。
あの青年が黙っていてくれたのか…まぁ、向こうも手の施しようが無いと受け取る方が正しいかもしれない。
「ウィル…」
付き合いは短いが、アイツが俺を殺しに来るとはとても思えなかった。
しかしアイツは魔物。前にも思ったが俺を油断させる為の策略かもしれない。
「仮に今夜も来たら…どうしよう…」
もし、仮に本当に俺を殺すつもりならば、俺が考えつく対処方はただ一つ。
殺られる前に殺れ、だ。
「……」
部屋の隅に立てかけてある剣を手にとって見た。
何の変哲もない大量生産品の守備隊標準装備の剣だ。
魔剣、神剣、曰く付きの呪剣、その類のものがあれば良かったんだが…いや、よくないか。
大体そんなもんがあっても俺が扱えるとも思えない。
抜き身の剣の刃を覗き込んでみると、随分疲れた表情の自分の顔が映り込んでいた。
「ひでぇ顔してやがんな…」
思わず乾いた笑いが漏れる。どうせ考えたって始まらない、基本的な訓練しか受けていない俺がデュラハンと斬り合える訳無いじゃないか。
チャンスがあるとすれば、アイツが家を訪ねてきて俺が戸を開ける、その一瞬のスキを突くしかない。
不意打ちだ、だが卑怯な手段とは言うまいよ。弱者が生き残る道なんぞそれくらいしか無い。
「どうすりゃいいんだ…」
殺したく無い。でも…殺さなきゃ殺される。
嫌だ、どっちも嫌だ。そもそも、何でこんな事になっちまったんだ。
俺がアイツに殺される理由さえ不明なのに、俺がアイツに剣を向けていいんだろうか…
トントン…
「…っ!?」
その音を聞いた途端、心臓が飛び出すかと思った。
「まさか…!?」
来たのか、本当に来たのか…ウィル。
「…誰だ。ウィルか?」
返事が帰って来ない。
ウィルじゃない?じゃあ一体誰だ、こんな時間に。
まさか本当に騎士団連中が俺を捕まえに来たとかか?と身構えたがどうやら外にいるのは戸を叩く人物1人のようだ。
「ウィル…?ウィルじゃないのか…?」
手にした剣がカタカタと震える。
様子が変だ、いつもならアイツのバカみたいに軽い返事が返って来る筈なのに。
どうする…このまま戸を開けていいのか。
トントン…
再び戸を叩く音が聞こえた。
さっさと開けろ、という意思表示のつもりなのか。
それならさっさとこっちの問いかけに答えればいいだろうに、何でだ、何で答えない!?
ヒヒン…
「この声…!?」
微かにだが聞こえた。馬の鳴き声だ。
確かに聞き覚えがある、これは間違いなくウィルの馬の声だ。
昨日の今日だから流石にハッキリとわかる。
やっぱりウィルじゃないか。
音を立てないように、ゆっくりと慎重に戸の前まで足を運ぶ。
耳をすませてみると、また馬の声が聞こえた。
カチャカチャと、金属同士が擦り合う音も聞こえる。
鎧を着ているなら聞きなれた音だろう、だがまだ確信にまでは至れない。
「…開けるぞ、ウィル?」
一応、先に断りを入れておく。向こうに開けられたらせっかくのチャンスもふいになる。
剣を持ち後ろ手に隠しておき、もう片方の手でゆっくりと戸を開く。
「…ウィル…?」
目線を下に落とすと、足先まで黒っぽい鎧を着込んだ下半身が見えた。
「…っ!?」
だが徐々に目線を上にしていくと、おかしな点が次々見つかった。
暗闇に浮かび上がる無数の目玉のようなもの、それらが小刻みに震えながら俺の目を見つめている。
気味の悪い装飾だった。しかしあまり驚きはない。昨日ウィルの身に起こった異変にその兆候が現れていたのを覚えていたからだ。
暗い紫色を基調に、趣味の悪い目玉の装飾が手足や肩、胸元に施されている。
意を決して目線を首元にまで持っていったが、そこには本来有るべきハズが無いものがあった。
「首が…ある…?」
暗くてハッキリとはわからないが、奥歯に物が挟まっているような、微妙な違和感を覚える。
コイツはウィルだと思うが、同時にウィルじゃない何かのように思えてならない。
薄っぺらい戸板を挟んで色々考えているうちに、痺れを切らしたのか向こう側から声が飛ぶ。
「おい、何ジロジロ見てんだよ…」
「…ッ!?」
声を聞いた途端、無意識に後ろへ後退ってしまった。
口調はいつもの通り、ウィルそのものだったのだが、それが女の声だったのだ。
「誰だ…誰だお前…」
「…もういいや、勝手に入るぞ」
俺の言葉を無視して、女が家の中へ強引に侵入してきた。
流石にこれには俺も驚いたが、咄嗟に隠していた剣を構える。
女といえど招かれざる客に対しては相応の対応を取らねばならない。
「おいおい、どうしたんだよ…物騒だな」
部屋の灯りで、女の全体像がハッキリと見て取れた。
悪趣味な鎧を着た不審な女。貧相な語彙の俺に出来る精一杯の表現がこれだ。
薄気味悪い複数の目玉が、俺の目を見つめてくる。
当の女のほうはといえば、どこか呑気に構えていた。
腰に手を当て、呆れた表情でこちらを見据える。
その余裕ぶった態度が余計に癇に障る。
「いや、だから誰だよお前…初対面でその態度は」
「え?初対面?何いってんだお前…折角昨日のお詫びに酒持ってきてやったのに…」
と、どこからともなく酒瓶を取り出して見せ付けて来た。
「スコッチじゃなくてジンだけど、割といいもんだぜ?」
「…うん?あれ…スコッチ…?」
昨日の出来事を何でこの女が知っているんだ?
その事を知っているのは俺と…ウィルだけのはずだが。
「あれ…もしかしてお前…ウィルなのか?」
「まあ…この姿じゃすぐわかんねえわな…そうだよ。オレだよオレ、ウィリアムだよ!」
ウィルが女になっていた。
「本当にお前は…来る度に問題起こしやがって」
「なりたくてなってる訳じゃねえよ…こんなもん」
毎度毎度何かしら問題を連れてくるやつだ。
テーブルを挟んで反対側に座る不貞腐れた女があのデュラハンだとは未だに完全に信じきれないでいる。
「何でそんな姿になったんだよ。まさか元々女だったとかか?」
「違うわ!大体声でわかんだろ?」
まあ確かに、オッサン声だったもんな…今まで。
それがこんな可愛らしい声になっちまって。
口調は今までと同じ粗野な喋り方だがそれがどうして、その見た目とのギャップが中々乙なものだ。
「これも昨日言ってた魔王の影響みたいなもんなのか?」
「その余裕ぶった半笑いの顔がイラつくなお前…」
何となく精神的に優位に立てたような気がする。
我ながら考え方が下衆だ。
「昼間聞いた話じゃ、何か女の魔物?が増えてるようだが…」
「まあ、大体合ってるわ。女の魔物っつーか…女になったっつーか…」
「どういう事だそりゃ」
「ああ…うん、その…実を言うとだな…代替わりした魔王がその…サキュバスみたいなんだよ」
「……は?サキュバス…?」
サキュバス、淫魔。
男を誘惑し堕落させるという、色欲の権化。
とても素晴らし…いや、いやらしい…じゃなかった。恐ろしい魔物の事だ。
「ああそうだ…よりにもよってサキュバスが天下取りやがったんだよ。まったく…」
「まさか、その影響で…?」
女体化した、と言う事なのだろうか。
俺の問いに対して不満気に小さく頷いて見せた。
本人に対しては気の毒だと思うし大変申し訳ないのだが。
凄く面白い。
「テメェ!絶対面白がってんだろ!?」
「うん」
「認めんな!もうちょっと気つかえよ!」
しかし、となると昨日急に苦しみだしたのもこれが理由だったわけか。
苦しみながら女体化してたんだな。変な病気か何かかと心配してたが、今目の前に居るコイツはすこぶる健康そうだった。
「お前の顔を見たのは初めてだわ」
「…ああ、そらそうだろうよ…」
元(男)の顔は見たこと無いが、今がコレならばそこそこ良いツラだったのかもしれない。
何というかちょっとむかつく。
「だいたいお前、顔見られるの嫌じゃなかったのかよ?」
顔を見たら鞭で目を潰す、なんて脅していたくせにだ。
ちゃっかり頭を装着したままで来やがった。
これじゃあパッと見デュラハンだと言うことさえわからないと思う。
「しょうがねえだろう…首外すと色々不都合なんだよ、色々と」
色々ね…
既に酒盛りを開始している。
ウィルの持参したジンは常温で温く喉越しも香りもキツかった。
やっぱりキンキンに冷やした方が美味いと個人的には思うが、相手の好意を無碍には出来ないと思い黙っておく。
「お前ん家、氷とか無いの?」
「無いわそんなもん」
コイツッ…わかってんならせめて冷やしたもん持ってこいよ。
「じゃあつまみは?」
「…ったく、しゃーねえな!」
注文が多いデュラハンだ。
とは言うものの碌な食い物が無かった。そう言えば最近は食料の買いだめもしてなかった。
明日辺り市場にでも行ってみるかな…明後日死ぬけど。
「干し肉しかねえや」
「えー、初日はもっと良いモンあったじゃん」
「オメエが殆ど食ったんだろうが」
やはり見た目は変わっても中身は全く変わっていなかった。
さっきまでコイツに抱いていた殺意のようなものは何処へやらだ、俺もすっかりいつも通りに戻ってしまった。
干し肉を乱暴にテーブルの上へ放り投げて酒盛りを再開。
しばらく黙々と肉を齧り酒で流し込んでいたが、ウィルの方が先に口を開いた。
「やっぱり慣れねぇなあこの身体…」
「そりゃまあ…だろうよ」
口を開けば愚痴ばかり、なのはいささか仕方ないとは思う。
急に女になってしまったんだ、そりゃ戸惑う事も多かろう。
聞けばやはり自分以外の、他の魔物達も大方同じように女になってしまっていると言う。
あの青年が言っていた、女の魔物が増えたというのも微妙に間違っているようだ。
正解は魔物が全部女体化した、だ。
この事実をあの青年に伝えたらどんな顔をするか…明日言ってやろうか?たっぷりと皮肉を込めて。
「上位種くらいじゃねえかな、まだ逆らってんの。でもまあ、遅かれ早かれ皆女になるんじゃねえの?」
ドラゴンとか、その辺りの強大な魔物であれば、まだ少しの間抵抗出来る時間があるらしい。
「その間に魔王さまを倒すでもすりゃあこんな馬鹿げた状況を変えてくれるかもしれねえけどなあ」
それはどうも無理らしい。精神や価値観なども時間が経つ毎に徐々に変化していくと言う。
完全に思考が変わってしまえば、抵抗する気さえ失せてしまうとか。
「どう変わんの?」
「……言えるか」
それだけはどれだけ問い詰めても教えてもらえなかった。
この話題はもうお終いだというが、どうも様子が変だ。挙動不審になっている。
顔を背けている癖にチラチラこっちの様子を伺う風な態度を取る。
お前は思春期男子か。
改めてウィルの顔をよく観察してみる。
エルフのようにピンと伸びた耳は先まで真っ赤になっている。もう酒の酔が回ったのか。
頬も同じようにほんのり赤くなっている。
薄く青みを帯びた長髪を片手で弄りながら、少し釣り上がった赤い目が恨めしそうにこちらを見つめてくる。
いくら睨まれようと全く怖くない。むしろ…
「いやでも、随分可愛いなお前」
「んなッ…!?」
「いや本当に」
美しいと言うよりかは可愛い寄りだと思う。
だが体の方は随分と発育が宜しいようで、大きく開いた胸元から覗く谷間を見ても大方予想出来る。
こいつ胸でかい。
「…ジロジロ見るなって」
「いいじゃん、減るもんじゃないし」
「お前もやっぱりこういう身体が好きなのか?」
「悔しいが凄く理想的だ」
程良く筋肉質で出る所は出てる、なんてのが理想だがそう簡単にお目にかかったことは無い。
小さいこの町にも娼館の類はあるが、実を言うと一回も利用した事はない。
ここへ流れ着いてからは信用を得るために必死だった、だから楽しみと言えば、酒場や家でチビチビ酒を舐める程度の事しかなかったわけだ。
「なるほど…理想的ね…だからか…」
「何だ?」
「なんでもねぇって…独り言だ」
しかし胸元もそうだが、足を組み替える毎にチラチラ目につく肉付きの良い太腿なども正直目の毒だった。
コイツに欲情するなんざ夢にも思わなかったが、嫌でも意識してしまう。
まさかコイツ、俺を誘ってやがるのか?
「ところでお前、いよいよ明日だけど覚悟は出来たのか?」
「えっ…明日?」
「もう日にちを跨いでるぞ」
急にウィルがそう切り出した。今まで頭の中からすっぽり抜け落ちていた事案…日付が変わり、俺の命日がとうとう明日に迫っていた。
このまま馬鹿騒ぎしてお開きにしたかったが…どうやらそうもいかないらしい。
「で、どうやって俺を殺すつもりなんだよ」
酒の勢いを借りて、いっそ全部ぶちまけてやろう。そう思って今まで仕入れた情報を全て話した。
「知ったのか?」
「ああ、お前さんが俺を殺しに来るってな…」
「ハハ…そうか…」
お互いグラスを置いて、深い深い溜息を吐いた。
酔が一気に覚めていくような、そんな感覚だ。
「仕事だからな…」
「今でもそれは有効なのか?」
「多分な…でも、俺だって別にやりたいわけじゃないんだぞ?」
「そりゃそうだ、殺す相手とこんな馬鹿やる暗殺者なんて聞いたことないからな」
俺が殺される理由、恐らく一年前の遠征関連だとは思う。
生き延びた連中が手当たり次第消されている、なんて話は風のうわさで聞いた事がある。
かなりタブーな部分まで攻め込んだらしいからな、それも後で知った話だが。
末端の俺が、その当時にそんな事を理解出来るはずがない。
だが一蓮托生なのもある意味軍隊っぽくはある。上も下も、死ぬ時は同じだ。
「いや、もう今更理由なんてどうでもいいか…」
「何だ、受け入れるってのか?」
「いいよもう、別にお前にだったら…」
殺されてもいい、と思えるようになってきた。
ここ数日の間で、精神的にもかなり参って来ていた。
早く楽になりたい…余裕ぶってみたものの、心の奥底では常にそう思っていたのが正直な気持ちだ。
「そうか、わかった…」
ウィルが小さくそう言った。
それに続いてパキン、と言う音が聞こえ、何事かと顔を上げた瞬間、俺の身体が突き飛ばされていた。
「うおっ!?」
強引に、後ろにあるベッドへ放り投げられたような形になった。
寝転がった俺の上に、素早くウィルが跨ってくる。
「なんだ!?どうしたんだよ…」
俺の目に飛び込んできたのは、己の首を小脇に抱えて俺を見下ろすウィルの姿だった。
古来より伝わる、正統なデュラハンの姿がそこにあった。
「く…首が?」
「拘束具だよ」
そう言って首の根本辺りをコンコン、と指さす。
「厄介な事にな…首を付けてないと…色々漏れ出してきて大変なんだ…よ…」
だから普段は拘束具を使って首をひっつけてフタをする必要があるんだとの事だ。
しかし、この状況でなんで今更そんな事を言い出したんだコイツは。
「酒の勢いって訳じゃないがな…こなりゃこっちもヤケだ!」
「はぁ?おい落ち着けって、一体どうしたんだよ!?」
こっちの問い掛けを無視して、ウィルがおもむろに鎧を外しだした。
肩や腕に続いて胸部の鎧も外して、乱暴にそれを投げ捨てる。
「鎧がキツくてなぁ…これで楽になった…」
「ああ、俺もだ」
正直上に乗られると重かった。いや、今でも少しだけ重い。
「さてと、じゃあさっそく…あら?」
ウィルの動きが急に鈍くなった。
「……おい?」
「あら…おかしいな…身体が…」
動かなくなった。そう言うと、小脇に抱えていた首がコロンと俺の胸元に転がってきた。
それに続くように、身体もゆっくりと倒れこんでくる。
「おい、どうしたんだよ!?何がしたいんだお前は!」
ウィルの頭部を抱え上げてそう訴えかけると、申し訳なさそうな顔で小さく呟いた。
「力が全部抜けちまった…動けねえ…」
本当に、何なんだこいつは。
とりあえず、ウィルをベッドに寝かせて首を胴体とくっつけた。
俺はベッドの端に腰掛けてから、ウィルが着ていた残りの鎧を半ば強引に剥ぎ取った。
こんなもん着たままじゃシーツがズタズタになっちまう。
ウィルも口では抵抗していたが、身体を動かせないんじゃされるがままだ。
あっと言う間に下着姿にひん剥かれてしまった。
「で、何でそうなったんだよ?」
「…首でフタしとかねえと精が漏れて…力が出ねえんだ」
「精って何だ?」
「…精液」
「えっ?何だって?」
「だから精液だよ!人間の男の精液!かそれか唾液とか体液とか…ああもうとりあえず男だ男、男が必要なんだよ!」
顔を真赤にさせて半ばヤケクソ気味にそう叫ぶ、目も視点が定まっていないのか泳ぎまくっている。
「それも魔王の影響なのか?」
「サキュバスの性質なんぞ今まで知らなかったがな、傍迷惑な話だぜ本当に…」
本能的に、誰に教えられることも無く己の身体の状況はわかるとの事だった。
それでも、通常の食料などでも補充はある程度効くらしい。
しかし、身体が変化したてで、なおかつまだペース配分がよくわかっていない。
なのに先程その場の勢いで首を外してしまったのが運の尽きだったわけだ。
「アホだなぁ…」
なんて都合のいい展開。
サキュバスさんマジすげえ、尊敬したくはないが素直に感心する。
「うるせえ」
とりあえず、まず何か食わせて栄養補給でも…と思ったが家にはもう食料が全く残ってなかった。
何か買ってくるかと、そう思って立ち上がろうと思ったが、ウィルの手が服の袖を掴んで離さない。
「なんだ?」
「…ここまで言えばわかんだろ?誰でも良いって訳じゃない。お前だから…その…アレだ」
「まさかお前…」
話の流れ的にこれはまさか…俺がコイツを抱かなきゃならんような展開だ。
いやいや、しかし待って欲しい。確かに目の前にいるコイツは女だ、だが中身は昨日まで馬鹿をやりあったオッサンだ。
「オッサンじゃねえよ!俺はこれでもまだ若いんだぞ!」
聞こえていたようだ、まあどっちでもいい。
しばらく考えこんだが、これも人助け…じゃなかった。魔物だ。
友人を助けるために仕方なく、本当に仕方なくだ。渋々コイツを抱く事にした。
「恥ずかしいな…」
「ああ…」
ウィルの服を優しく脱がし、俺も全裸になってベッドに上がる。
そうするとウィルは両手で胸を押さえて恥ずかしがる。
「やさしくしろよ…」
「はいはい、わかりましたよお姫様」
胸を隠す腕を外す、少し抵抗する素振りを見せたが、存外アッサリと腕が開かれた。
「綺麗じゃないか…」
「バカ!真顔でそんな事言うなよ…」
ウィルは顔を真赤にして目を逸らした。
俺としては素直な感想だったのだが、胸を褒められるのはどうやら恥ずかしいらしい。
しかしその様子を楽しんでいる暇も無い、あくまでこれは人助け行為なのだ。
「さっさと股開けよ…」
胸元はいいが、未だに足を固く閉じたままだった。
「てめぇ…もうちょっと雰囲気考えろよ…」
「だってお前閉じたままだと…」
要は普通に性行為をしなきゃならん。穴に棒を突っ込まないと始まらない。
「わかったよ…今開くから…」
そう言うとゆっくりと足を開いた。すかさず両足を掴んで身体をその間に入れ、隆起した自分の肉棒を秘所に押し当てた。
「ひっ…ゆ、ゆっくり…ゆっくり頼むぞ…」
秘所に手を伸ばし優しく愛撫してやろうと思ったが、どうやら既に必要が無いほど濡れそぼった状態になっていた。
もう受け入れ態勢は万全のようだ。
「そう言う割りには…こっちは随分と物欲しそうだがなぁ」
言葉攻めとやらに挑戦してみる。一度やってみたかったんだ。
そっと、不意打ちで女性器を撫で上げてやると、身体を震わせて可愛らしい声を上げる。
「くぅぅっ!!やめっ…お前っ!」
とても良い反応だ。まるで生娘みたいだ…あ、生娘だった。魔物だけど。
「…入れるぞ」
正直こっちも余裕があるとは言いがたかった。久しぶりの感触、ここままじゃ押し当てただけで出てしまいそうになる。
さっさと挿入してしまう。どうやらコイツの中に出さなきゃならないようだしな。
「あはぁっ!くはっ!!入ってきた…」
少しばかり抵抗を感じたが、それでも比較的すんなりと根元までアッサリ挿入出来た。
「魔物って…こんななのか!?」
素直に驚いた。ウィルの膣内は少々キツさを感じはすれど、まるで意思があるかのようにうねり、肉棒を咥えて離そうとしない。
人のそれとは違う、精液を効率良く搾り取る事に特化したような未知の器官のようにさえ思える。
これは悠長に楽しんでいる暇はない、自然と、最初から腰の動きが激しくなってくる。
「どうだッ…お待ちかねの…モノの味は」
「誰が…ッこんなもの…あはぁっ、んはぁっいきなり深いっ…!」
「好きなだけ味わってくれよっ」
「ふぐっ!あひっ!てめぇっ…覚えてろよ…!」
激しく腰を動かし続けると、ようやくウィルが甘えた声を出し始める。
頑固な奴だが、ようやく可愛らしい反応を見せ始めた。
耳障りがいい喘ぎ声を聞いていると、余計に強く腰を打ち付けたくなる。
「んっ…んあっ…かはっ、あ、頭がおかしくなりそうだ…!」
ふと思いついたのだが、いっそこのままコイツを堕として俺の言いなりにでもさせる事が出来れば、死ぬのを回避出来るもしれない。
そう考えると、悪い気もしない。ここまま一気に最後までやってしまおうか。
「ひうっ、んくっ!奥まで、響いてくるっ…あぐっ!」
容赦無く膣内を突き上げる。だがウィルの顔を見ているとどうしても決心が鈍ってしまう。
涙目になりながら、必死でこっちの顔を見つめ続けるコイツの顔を見ていると、胸の鼓動がますます早くなってくる。
「グッ…!そろそろイクぞ!全部飲み干せよ!」
一番奥の子宮口の前まで肉棒を突き上げると、そのまま入り口めがけて勢い良く射精した。
それとほぼ同時に、ウィルも絶頂を迎えたようだった。
必死でそれを表情に出さないよう我慢しているが、身体が小刻みにビクビク震えている。
「はぁ…はぁっ…どうだ?美味いか」
「ああっ、あっあああ…!中に…出てるっ…」
ウィルも恍惚の表情を浮かべながら、その感覚をしっかりと確かめている。
一緒に絶頂するなんて少々小っ恥ずかしくもあるが、お互い気持ちよくなれたのでまあ良しとしよう。
それにしても、やっぱり久しぶりだと身体の疲労感が凄まじい。
続けて二回戦も…と思ったが、少し休憩したほうがよさそうだ。
「はぁ…ふぅっ…」
しばらくの間、挿入したままどっぷりと余韻に浸っていたのだが…
「おい、何のつもりだ?」
肉棒を一度引きぬくかと腰を動かそうとした途端、ウィルが素早く俺の腰に足を絡めてくる。
固く腰をホールドされた状態になり、肉棒を抜くことも出来なくなってしまった。
「何勝手に抜こうとしてるんだよ…」
「あら…まさかお前…」
すると今度は腕が伸びてきたかと思うと、俺の首元をしっかりと掴んで無理やり身体を密着させて来た。
その力の強さは凄まじく、まともな抵抗も出来なかった。
「あれだけ偉そうな口叩いておいて、これで終わりとか言わないよなぁ…なあ?ヘクターさんよぉ…」
そう言って意地の悪そうな笑顔を見せる。
嫌な汗が出てきた、こりゃマズイ、すこぶるマズイ。
「いや…その…少し休憩をですね…ホラ男って一発出し終わると冷めるじゃないですか…イヤ本当に少し休ませて下さいって…ねえ?」
「…駄目だな♪」
少し調子に乗り過ぎたみたいだ。
結局、精を補充して本調子に戻ったウィルによって、その晩は俺が逆に散々泣かされ、散々搾り取られてしまった。
最後の方はもう意識も途切れ途切れとなり、とうとう気絶してしまった。
合計何回だったか…数えるのも億劫なほどだ。
勝ち誇ったアイツの顔が、今でも瞼の裏にハッキリと焼き付いている。
「もうお婿に行けない…」
俺は汚されてしまった。
こんな台詞を口にする日が来るとは思わなかった。
事がようやく終わり、ウィルと2人狭いベッドに並んで寝転がっている。
「どうしたよ…優しいお姉さんが腕枕でもしてやろうか?」
「うるせえ…」
ウィルの顔がニヤニヤしている、正直むかつくが反論する元気もない。
散々搾られた、もう俺はスッカラカンだ、頬もなんだかやつれたような気がする。
一方ウィルはと言えば、満足したのかさっきからこうしてやたらとこっちをからかってくる。
ツヤツヤした顔が恨めしい…がそれは仕方ないか、俺が餌でコイツは捕食者みたいなもんだしな。
「ところで、明日なんだけどよ」
「ああ…?ああ、そうか…明日か…」
すっかり忘れていた。行為の最中はこのまま絞り殺されるんだと思ったりもしたが今は辛うじて生きている。
「結局、やるんだな…」
「身の周りの整理くらいはしとけよ。日付け変わったら迎えに来るからよ。こっちも準備があるしな」
それだけ言うと、ウィルは手早くベッドから抜けだして身支度を整えると、さっさと帰っていった。
忙しいやつだ、なんて事を思いながらも結局どうすることも出来なかった事を若干後悔したがもう遅い。
覚悟を決めて待つか、身の周りの整理って何すりゃいいんだっけ…遺書でも書いとくか…まあいいや、それよりも、寝よう。
本当に疲れた…せめて最後の睡眠くらいはたっぷり取りたいもんだ。
人がどう思おうが必ず朝はやって来る。
寝起きは今までで一番悪い、体中から悲鳴が聞こえてきそうだ。
それにベッドの周辺がいろいろな液体塗れで酷い有り様だった、これは掃除するのは手間だ、いっそ全部新しいのに変えた方がいいかもしれん。
「あ、意味無いのか…」
今日限りで、この家ともお別れになる。
シーツがいくら汚れていようがもう意味が無い事だった。
今になってもそんな事を考えている自分がなんだかおかしくて笑えてくる。
井戸で手早く水浴びを済ませてから人生最後の職場へと足を運んだ。
日を追う毎に、町は人の通りが激しさを増しているように思えてくる。
仕事場に着いて早々、騎士団の本隊が到着したと言う話を上官から聞いた。
今更どうでもいい話なので、特に思う事もなかった。
ボーッとしながらも手を動かしていると、同僚たちがニヤニヤしながら俺の事を見るのが気になった。
一体何だと隣りの奴に詰め寄って見ると、鏡を見てこいと言われたので言われた通りにしてみたが、正直後悔した。
「ひでえ…」
それはすぐにわかった。俺の首筋につけられた無数の赤い点々、どうやらコイツが原因のようだ。
「随分情熱的な相手だったようだね…」
と上官に言われた、一体何箇所キスマークを付けられたんだと笑いながら問い掛けられても答えに窮する。
迷ったが、随分頭のゆるい女でしたよ、と答えておいた。間違った事は決して言っていない。
今日一日、そのネタで散々弄り回されたので気分は最悪だった。
仕事も終わり、ストレス発散がてら市場へ足を運んで食い物や酒を大量に買い込んだ。
これで最後の晩餐と洒落込もう、なんて下らない事を考えていた。
「もうすぐか…」
散々食って飲んでとダラダラ時間を潰しているうちに、あっと言う間に日付け変更の時刻が近づいてきた。
時間は部屋に置いてあるランプ時計で大体わかる。貰い物だ、こんなもん使うことがあるのかと思っていたが、最後の最後で出番があって良かった。
あと少しで、俺はこの世とオサラバする事になる。
「覚悟は決まったさ…とっくにな」
最後にそこそこ良い目を見せて貰ったし、ウィルに対する怒りもない。
そろそろ時間か、いつものように戸を叩く音が聞こえ…
バンッ
「…!?」
いきなり家の戸が吹っ飛んだ。借家なのになんてことをしやがる。
一瞬何が起こったのか理解できなかったが、それに続いて思い詰めた表情のウィルが入ってきた。
「お、おい…ウィル。せめてノックくらい…」
「迎えに来たぞ」
俺の言葉を抑えつけるように、感情を押し殺したような声が響いた。
どこかぎこちなさを感じる。緊張しているのだろうか?
やっぱりそうだよな、いつも通りの陽気な声じゃ流石に締まりが悪い。
最後くらいお互いビシっと決めるか。
「俺の命を刈り取るのか?」
「いいや、違う。そうじゃない」
「えっ…?じゃあ一体何を…」
「お前自身を、迎えに来たんだよ」
今度は優しく、まるで恋人に対して愛をささやくような、そんな声だった。
「お前が好きだ。ヘクター…愛している。だからお前を連れて行く……決して逃がさないからな」
成る程、そう言う事か。そういう解釈になるわけか。
それならこっちもちゃんと返事をしないとな。
「いいぜ。俺だってお前の事…嫌いじゃない。いや…好きだよ。ウィル」
差し伸べられた手を掴み、ウィルの身体をこっちへ抱き寄せた。
「……」
「……」
しばしの間、お互い無言で見つめ合った。
最初は強張っていたウィルの顔が、次第に綻びていくのがわかった。
「一応しきたり通りにと思ったが…やっぱり駄目だ。似合わねえな…こういうのは…柄じゃない」
「お互い様だな…本当に、似合わねえ…」
自然と笑い声があふれ出る。
真面目な展開はどうも苦手だ、お互いに。これくらい緩い感じがとても心地が良かった。
魔王の代替わりに伴い、デュラハンの性質もまた変化した。
以前は相手の死を予言する存在であり、また自らその生命を刈り取る存在でもあったようだ。
しかし、代替わり後のデュラハンは、己が気に入った男性に、何故かさらう日時を指定し、自らさらいに訪れるそうだ。
共通して言える事と言えば、決して逃れる事が出来ないと言う事くらいだろうか。
とにかく、今も昔も、厄介な存在であることに変わりは無さそうだ。
「魔王さまの代替わりのタイミングが一日でも遅れていれば…オレは取り返しのつかない過ちを犯す所だった。その点については、魔王さまに感謝すべきかもしれないな…」
その時の嬉しそうなウィルの表情が、とても印象的だった。
12/04/03 08:15更新 / ハメ太郎