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東洋お香物語 |
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あくる日の朝
いつも迎える喫茶店の開店時間前 厨房から朝食を作るいい音が響き 外からは小気味よくテラスをはく箒の音が聞こえる。 そんな日常の音をバックミュージックに この店の店主である魔物娘の少女"テリア"は普段とは違ったあるものを持ち込んでいた。 「〜♪」 とても機嫌がいいのか、流行の曲を鼻歌に 彼女はお香の準備を始める。 「ほう……変わったものを持っているのだな」 コーヒーカップを片手に、長く青い髭を蓄えた男"エルク"は物珍しそうに彼女を見つめた。 「……」 「何か、言いたげだな?」 このジジイは…… そう口には出さないようにテリアはグッと堪える。 開店時間前に店に入られて勝手にコーヒーを飲んでいるのだ。文句の一つでも言いたくなるだろう。 しかし、どうでもいいと言わんばかりにシッシッと手だけ振り、雑に老人を扱う。 そんな目の前の老人以上に、彼女の興味はテーブルの上にちょこんと置かれたおしゃれなお香に向けられていたのだから。 用意されたそれを焚き始めると、辺り一面にほんのりと暖かな空気が充満していく。 「見慣れぬ形をしておるが、それはアロマテラピーか」 「違います」 キッパリと否定すると、彼女はお香と向き合い言葉を綴る。 「これは"オコウ"と言って、東洋に伝わる天然の香木を使った……まぁ香水のようなものですね」 「元々は宗教など供養に用いられるものだとか。モノによってはここらの地方でも見られますよ」 自分が語る時は悠々と、そしてどこか嬉しそうに口を弾ませる 興味の無い話は口早になり終わらせに来るというのに、まったくこの少女は……と、老人も口には出さぬがそう思うだろう。 しかし、筋が通らぬ事柄はキチンと口を出す。 「原料が植物由来ならばオコウだろうとアロマだろうと変わらんだろうに」 こういった余計な一言がいつも彼女を怒らせる。 不意に近づいてきたテリアが老人の頭に一発キツい物をお見舞いすると、笑顔で突き放す。 「ま、耄碌(もうろく)した人間には分からないでしょうね。今街で流行しているというのに」 これでも流行には敏感な方だ。 今この城下町ではお香が流行している。 東洋の旅商人が仕入れてきた物が、噂好きの金持ちの女性の目に留まり そして瞬く間に話が広まっていった。 購入しようにも、突然の流行に店の仕入れは間に合わず 町の商人たちも"自分たち"が"流行させたもの"ではない為、まさかそんなものに需要が集まるとは思いもよらなかったため後手に回る。 あまりにマイナーだったためか、お香自体はちらほらと売られてはいたものの、在庫を抱えていた店も瞬く間に捌けて行った。 結果として、テリアが店を構えるこの城下町からはお香というお香が姿を消してしまったのだ。 「そうそう、聞いてくださいな。私もこの"波"に乗り遅れないようにと……探し回ったんですけどね」 手に入れる事は出来なかったという。 しかしそこは諦めの悪い性格 あの手この手で情報を集めたとか…… 話は2日前ほど遡る。 ― ――― ―――――― 旧知の中の吸血鬼に聞いてみるも 「もう持ってるけどやらん」と、あまりの手の速さに驚きつつも自慢されたことを悔しがり あまり頼りたくはなかったが、薬品を取り扱う旧知の中の魔女に同じものを作るよう頼むも 「面倒くさい」の一言で却下され その後もヒトを頼るもあっちだこっちだとたらい回しにされた挙句、奇跡的にも最初にお香を買ったとされる人物に出会う事が出来た。 「あら、私に何か用かしら?」 「……」 ジャラジャラと首飾りを鳴らし 煌びやかなドレスに身を包み そして厚化粧をした貴婦人の姿がそこにあった。 テリアが苦手なタイプの人種だ。 可哀想に、化粧を落とせばまだ見られる顔なのに、バケモノめ と、嫌味の一つでも飛ばしてやりたいが、ここで喧嘩を売ってどうすると思いとどまる。 「突然の来訪申し訳ありませんご婦人。少しお伺いしたい事がございまして」 「5分程度にして頂戴。私、貴女と違い忙しい身なので」 抑えて抑えて…… 強く拳を握り、無理矢理笑みを作ってテリアは言葉を繋げた。 「私、"オコウ"を購入したいと思っておりまして、貴女がこの流行の第一人者と風の便りで聞きつけました」 「ええ、間違いではなくてよ。一つ試しに使ってみた所、これが中々で……それでお友達に勧めたところ一般の方々にも流行り出したとか」 ビンゴ! 小躍りをしたいところだが、その感情を心の中に押し込め話を続ける。 「特別な商人から購入したと聞きます、出来れば購入ルートを教えていただければと思いまして」 「相手はみすぼらしい旅商人ですし、そのくらいならいいですけれど。会ったところでもう売り切れていると思いますわ」 何かを要求されることを視野に入れていたが、意外にもあっさりと承諾してくれた。 まぁ、商品が残っているのを期待してはいなかったが……残念な気持ちがこみ上げてくる。 貴婦人が使用人と思われる男性にペンと紙を用意させると、その旅商人なる人物がいるであろう地区と紹介状を書き綴る。 「ところで……そのオコウというのはどういった物なんですか?」 「ッ……」 貴婦人は言葉を発しなくなる。 いや、正確には息を飲んだと表現した方がいいか。 頬を染め、顔を赤らめ、見たくも無かったがモジモジと可愛らしい……いや、本当に見たくも無かった動作をする。 当然ではあるが、嫌悪感と同時にテリアは一気にその商人が持っていた"オコウ"に興味が湧いてきたのだ。 ペンを置くと、貴婦人はテリアに紙を手渡した。 「ありがとうございます」 「貴女も使えば分かりますわ。まぁ手に入りはしないでしょうけど。他のオコウなら分けてあげてもよろしくてよ?」 そんな"ただのお香"に興味はない いくつか気になる事が出来、テリアの想いは既にそちらに移っていた、 無難な返答でその申し出を断ると、余りにも心無い一言が飛んでくる。 「あら、集ろうとしていた訳ではないのですね。てっきり手に入れられないからとおこぼれを貰いに来た者だと思っておりましたわ」 テリアの頭の中でなにかがキレる音がした。 去り際に、頭の上で指をくるくると回す。 「本日、悪天候につき大雨にご注意くださいな」 「あらやだ、庭にあの子が遊んでなくて?すぐに連れてらっしゃい」 子供がいるようには見えないが、ペットでも飼っているのだろうか。いや、寧ろ子供がいたらこの親ではその子が可哀想だ。 ヒトの話をすぐに信じたり、お節介で紹介状まで用意してくれるような人だ。根は悪い人ではないのだろうし、勿論感謝もしている。 しかし…… 「こちらも、色々と情報をいただいた手前あまり強くは言えませんが……」 「コミュニケーションくらいはまともに取れるようにはなりましょう!!」 パチンッと指を鳴らすと、部屋一面に大粒の氷が音を立てて降り注ぐ。 「ひぃ!?」 貴婦人とその場にいた使用人たちは慌てふためき、その場は混沌と化している。 「まぁ、雨にしては少々大粒でしたね」 怪我をしない程度の勢いだ。少しは痛い目見て学ぶといい。 テリアは余り気の長い方ではない。 ここまで酷い言われ方をされたのだ、どれだけ温厚な人だろうと悪態くらい付きたくなる。 それが魔法で氷の雨を降らせる形で発散させられたという訳だ。 そんな小物染みた行動を、太々しいまでの大きな態度で誤魔化しながら テリアは屋敷を去っていった…… …… その後も何人か同じ商人からお香を買ったとされる人物を回った後、当初の目的であったその本人の元に足を運んだ。 金持ちばかりだったためか、態度の大きい人物は何人か居たが、あの貴婦人のような言動の人物に出会わなかったのが幸いか。 紹介状を見せて軽く会釈をする。 「あらいらっしゃい。私に何か用ですかい?って言っても大方話は分かるけれども」 この商人はおそらく刑部狸(ぎょうぶだぬき) 人間に化け、人間相手に商売をし生計を立てる魔物。 自身が魔物であるテリアには、彼女の正体がすぐに見抜けた。 手の内を明かしているとして、魔物の姿のままで商売している刑部狸ならば幾分か信用は出来る。 だが目の前の者は耳と尾を隠し人間を偽っている。 まるで信用ならない。 「残念だけど手持ちは無いですよ、全部売れちゃってましてねぇ」 聞くまでもなく当然の答えを突きつける。 それはそうだ、しかしテリアはそのような頭の悪い事を聞きに来た訳ではない。 「と、いうと?」 簡単な話だ。 "そのお香の製造元を教えてほしい" 確かに理に適っているかもしれない 商売人ならば直接仕入れる事も視野に入れる事もあるだろう。 だが自らが喫茶店を経営していると一言も言っていない以上バカげた話だと笑い飛ばされるだろう。 「あはは……お客さん、流石にそんな馬鹿な話はやめて欲しいですよ。仕入れの大本は公表してません、私の独占販売ですからね」 それは知っている。 故に気になるのだ。 「それに高いですよ?アレは一般の方が買うような物じゃありませんし、私だって売れたことにビックリしてるんですから」 嘘。 続ける話によると、商人が個人的に仕入れているお香はとても高価なものらしい。 それも知っている。購入者に中々の値段を吹っかけたそうだ。 だからその層をターゲットにしたのだろうに。 「まぁ旅商人の特権ですよ。流行廃れ以前に、郷土のご当地品を売るのが私なもので」 営業スマイルを続ける商人に、テリアも笑顔で返す。 この商人に辿り着くまでに色々な話を聞いた。 何でもこのお香には特別な効能があるらしい。 噂が広まる前に数名の購入者はリピーターとなり再びこの商人から同じものを買ってたとか。 それがどのような効能なのかは分からないが、中毒性のあるものを売りつけたとするのならば中々に上手い話だ。 金持ち相手にどれだけ吹っかけようが困る人間は誰も居ないのだから。 だが、そのお香の購入者たちは……先の通り頑なにその内容を話そうとはしない 誰一人としてだ。 最初こそ暇つぶし程度に乗った舟ではあるが…… ここまで来たのなら疑う余地はない。 漂うお香の香りを嗅ぎわけるように 不可思議な香りを彼女は嗅ぎつけた。 普段なら退屈しのぎに刺激を求める彼女でも、今回は少々事情が異なる。 見えない"脅威"があるとしたら、それは誰かが誰かに向けた悪意なのだから…… ここは頑として攻めるとしよう。 テリアは行動に移し始める。 「お値段の話は置いておくとしてもですね。気になる点がいくつかあったもので」 「難癖付けるんですかー?」 ムスッとした表情を作り唇を尖らせ可愛く返される。 いずれ誰かに突かれる事を承知の上であったのだろう。さて、どこまで戦うか…… 「聞いた話ですけれど、あ、噂レベルですよ?何でも貴女の取り扱っているお香には催淫作用があるとかなんとか」 勿論カマ掛けだ。今作った話でしかない。 ムフッと またしても可愛らしく笑みを作る商人はすかさず返してくる。 「残念だけれど、お香には特別そういった感情を催す材料は使われていないですよ。どこからでた話ですかい」 まぁ、こんな簡単にボロを出す事も無いだろう。 次を考える。 話を聞いた女性たちは口を閉ざし口外しないといったスタンスではあったが、どうも様子がおかしかった。 うつむき顔を赤らめ頬に手を当て恥ずかしそうに想い耽る…… どう考えても淫魔絡みの話だとは思うが、商人の表情を見るに嘘をついてはいなかった。 さて、何が要因なのであろうか…… 「そうですね、材料を聞いても……」 「ほい」 悪手だったか 準備されていた材料表を渡され困惑する。 既にこちらの意図を御見通しであろう商人はニンマリと悪そうな笑みを浮かべて勝ち誇っている。 「お客さーん、あんまり詮索してもいい事ないですよぉ?人間を装ってますけど、貴女"こっち側"のヒトですよね?」 魔物であるとお互い理解した為か、もう隠す必要も無いと判断して商人は耳と尾を顕にする。 人脈を多く持つ商人を敵に回せばこちらの商売が上がったりになる。 そんな事は分かっているし、敵を作るのも面倒だ。 しかし、彼女は自分の興味を押し通す。 「では質問を変えましょう。製造者の種族を教えてくださいな」 「教えませーん♪」 まぁ……質問者と回答者の立場は対等ではない。シラを切られ続ければ既に事は成り立たなくなる。 しかしだ、教えないと言った以上は相応の能力を持った、あるいは権力を持った魔物なのだろう。 「それでは、貴女のバックに付いている大本の組織は……」 「にっひひ!それも教えません♪」 どうやらこの勝負、勝ちが見えてきたようだ。 どうも商人はテリアが先の迂闊な言動から噂を聞きつけて集ろうとしてきた素人としか思っていなかったようだがそこが大誤算だ。 彼女も曲りなりに商売人だ、それ相応の人間たちとの付き合いもある。 「……ハァ、まったく。話題自体を変えましょうか」 「ふぇ?」 一転して空気が淀む。 厳しい目つきで商人に睨みを利かせる。 「貴女、誰の許しを貰ってここで商売をしているのですか」 「誰って……お国の許可はちゃーんと貰ってますよ?」 「そうじゃない」 そう、"そうではない"のだ この城下町に旅商人が入った時点で、商売をする権利自体は許されている。それは当然だ。 だが"この町に構えている商売人"達はどうだろうか。 専用のコミュニティを持ち、各々が強いつながりを持ち そして他の地方からの商売人に客を取られまいと強い警戒心を持つ彼らが"彼女の行った行為"を許す事は決してないハズなどなのだ。 「貴女、このシマで許可なく"流行"を作りましたね」 「あー……」 商売とは 売れないようなものを売ってこそ 需要のあるものを大量に売ってこそ そして組織ぐるみで流行を作りそれを売ってこそ 成り立って行くものなのだ。 余所者である旅商人が行った行為はその流れ、営みを崩す行為に他ならない。 「ではもう一度聞きましょうか。貴女の所属はどこですか?」 まず国を股に掛ける大手ではないだろう。だったら隠すことなく喋ることが出来るハズだ。 この近辺のものでもない。この商人はまだここにきて日が浅い。簡単に入る事も出来ないのは明白である。 所属が言えない理由は考えられるだけでいくつかある。 大きな規模を持つ"裏"の世界か 乗っ取り目的で正体がバレたらマズい余程の所か あるいは…… 「教えないのではなく"言えない"が正しいのではなくて?」 「だって貴女、無所属でしょ?」 先ほどの商人よりも遥かに邪悪な笑みを浮かべ勝ち誇る。 テリアを素人と判断した商人のミスだ。渋々と両手を上げ「参った」と意思表明をする。 「もー!先に同じ商売人だって言ってくれたら変な事言わなくて済んだのにー!」 「フフ、私の言動に騙された方が悪いんですよ。迂闊な発言は全て貴女を嵌める為のフェイクなんですから」 酷い嘘で見栄を張っておく。 テリアの失言については縁起でも何でもなくただのウッカリだ。 バレていなければ自分の威厳を保てるだろうと判断してハッタリをかます彼女は抜け目のない性格をしている。 「ここのコミュニティには私から酷い扱いはしないよう口添えしておきます。みんな血眼になって流行を作った商人を探しているのですから、放っておけば相応の報いは来るでしょうし」 「あはは……お願いします」 と、まぁこの話もハッタリなのだが 立場を確立させるために念を押した。 今回の件については商人たちの間ではさほど怒りに触れる程の大事にはなっていないのだ。 旅商人が持ち込むものはたかが知れていると思い込んで野放しにしていた方にも非はある。 なにより、売れなかった商品であるお香の在庫が消えたのだ。抱え込んでいた側からすれば願ったり叶ったりであろう。 と、そこまでは話はせずに、改めて話題を振る。 「さて、何から聞きましょうか」 とりあえず……と続け、このお香の入手経路を聞き出すことになった。 そうすると、意外な返答が来てしまった。 「稲荷ですよ。それもこの地方に棲む」 「あら」 商人の話によれば、この城下町から出てしばらく東へ進んだ山の中の洞窟を根城にしているらしい。 稲荷と言えば妖狐の一種、目の前の刑部狸と同じく東洋の魔物だ。 そんな魔物がどういう訳か近所に家を構えているというのだから驚くのも無理はない。 「経緯は分からないですけれど、口止めされてましてね。儲けさせてやるから未婚の女性にこれを売って来いって」 カバンの中に仕舞われていたお香を一つ取り出し彼女はそう言った。 もしもの時の為に一つだけ残しておいたものだろう。 そんな話を持ち掛けられたとのことだが、彼女自身もお香の提供者についての情報は多くは持ち合わせていなかった。 旅の途中で偶然にもその稲荷のテリトリーに迷い込んだらしく、そこで出会っただけだったとか。 一宿一飯の恩義を感じてか、商人はその話に乗り商品を預かってきたのだ。 勿論、自身の儲けの事が一番だろうが。 抜け目なく、それでいて図太い性格をしているが、商売の流れを単身で作り上げる手腕は本物だ。 「しかし、未婚の女性ですか……で、そ・れ・で?」 「ひぃっ!?」 ここから逃がさないよう、ガッシリと華奢な肩に手を乗せる。 笑顔で威圧しジリジリと詰め寄りながらも話は続く。 「この際商売のルールを破った事については置いておくとして、何故嘘まで付いてその事を口外しようとしなかったのですか」 「当然でしょう!取引先の情報なんて普通渡さないですし、それに買い手も選んで買ってんだから売れた後の事なんて知った事じゃないでしょ!信用にかかわる話ですからこれだけは脅されたって言えませんよ!!」 それはそうだ……が 困っている人間が少ないとはいえ他者の領域を荒らすも同然の行為をしたのだ。そんな言い訳がまかり通るハズも無い。 だが一番の問題はそのお香に"何かしらの危険性があるか"と認識していたかどうかだ。 「明らかにこの商品に何かあると分かっていて売りつけてそれは無いでしょうに!私がこうして目を付けていなかったらまた同じこと繰り返したでしょ!」 「いやぁ……知っていたと言えば知っていましたけど!黙って売って来いと言われた手前、何かあった場合知らぬ存ぜぬで済ませたいですし、何より口に出したら私があのヒトに何されるかわかったもんじゃ……」 「本音が出ましたね……それでしらばっくれてた訳ですか。結局、何かしら曰付きのモノを売っていた自覚があったんじゃないですか。同じ東洋の魔物だからといってもこれ以上庇いたてする意味は無いと思いますが」 「だって稲荷といってもそこらのキツネじゃなくて九つの尾を持った人ですよ!?逆らえば……あッ!!」 とうとう口を滑らせてしまった。 なるほど、それは参った どうもこの件は格の高い魔物が一枚噛んでいたようだ。 「……まぁ言っちゃった以上は他に言いふらさないでくださいね。私も命は惜しいので」 ただの稲荷ならいざ知らず、九尾となれば話は別だ。 キツネの魔物は尾の数でその力を示すという。 九つの尾はその最高位。並みの魔物ではまともに顔を合わせる事すら出来ない偉大な存在である。 だが一体どういう事だろうか、そんな立派な尾を持つ稲荷が あろうことか特に何の言い伝えも無いそこらの山でせっせとお香を作っているのだ。 こんなに興味をそそる話、他にはないだろう。 テリアは商人から最後の一つであろうお香を取り上げると、はした金を渡しそれを我が物とした。 「ちょっと待て!?お金全然足りないよ!?」 「当然でしょう、迷惑料と城下町の商人たちへの仲介料、あとショバ代含めたらむしろこっちがお金を貰いたいくらいですよ」 ヤの付く職業か…… テリアは金には困っていないが、ちょっと意地悪してみたくなった。 「確かに他の商人さん達には悪いとは思いますけど!?でも酷くないですか!?私の商品でお客さんに被害が出てるならまだしも……」 「これから被害が出るかも知れないから実践するんですよ。様子もおかしかったみたいですし……大方、貴女はそのイナリに"このオコウは使うな"とでも言われているから効果が定かではないのではないですか?」 図星を突かれたのか、商人は誤魔化すようにお香を取り戻そうとする。 ぐいぐいと迫ってくる商人の頬を押し返しながら、テリアは取り上げたお香を彼女から遠ざける。 「かーえーしーてー!!」 「まぁ、今晩使ってみて経過を見てみましょうかね……ついでに」 「へ?」 鈍い音と共に商人の意識が途絶える。 …… その晩 なるほど、流行るだけの事はある。 オリエンタルチックなその見た目、そして仄かではあるものの、深みを感じさせる香り 想像以上に素晴らしいものを手に入れた。 要れたてのコーヒーを静かに啜り、今日読む事の出来なかった朝刊を手にテリアは安息の一時を過ごす。 「……ふぅ」 一しきり気になる記事を読み終えると、テーブルの上に朝刊を置き目を閉じる。 中々精神をすり減らす一日であった。 今日の出来事が頭の中で繰り返される内、優しい香りと共に心地よい感覚を抱きゆっくりと意識が途絶える。 ……途絶えたと思っていたのだが。 「そーっと、そーっと……」 お香の煙の流れと共に、何かの気配を感じ取る。 それは生暖かく、しかし精気を感じさせない。 瞼を閉ざしたまま、その気配の様子を伺う。 どうやら悪意は無いようだがこちらに近づいてきている。 そして…… 「えい!」 「ぎゃああああああああああああ!?」 見事に飛びついて驚かせてくれた 刑部狸を 「え!?何!?えぇ!?」 「ふえぇ……」 囮として用意しておいた甲斐があったものだ。 お香の近くに気絶させ縛りあげておいたあの商人を放置しておいたのだ。 そしてこのお香の購入者たちに何が起こっているのかが全てわかった。 「さて商人さん、大変な事をしてくれましたね」 「マジか……マジか……」 マジも大マジ、この商人は大変な事をしてくれた。 「うゆ……」 このお香から出てきた気配の正体は"狐火"と呼ばれる魔物だ。 妖狐や稲荷から溢れだした魔力と欲望が形を成し、魔物へと豹変したもの。 お香に仕込まれた魔力から現れるようにされていたのだろう。 本来ならば男を襲い精を欲するのだが、女性を襲う事もある。 その場合は女性に憑りつき"狐憑き"と呼ばれる魔物へと変貌させてしまう恐れがある。 人間を魔物に変えたとあっては流石に国も黙ってはいまい。 「口には出したくありませんが……お香に仕込まれた狐火達は、"いい事"をして彼女達に憑りつこうとしている訳ですね。しかし……」 「あうあうあうあわわわ……」 今にも気絶しそうな商人を後目に、テリアは考える。 憑りついてしまおうと思えばとっくの前に出来ているハズ。その期間は十分にあった。 にも拘わらずだ。テリアが今日出会った人々は紛れもない人間のままであったではないか。 「やはり、大本に会うのが一番いいですかね」 「……?」 本能のままに動いていた狐火は、何が何やら分からないといった風に首を傾げる。 どうやらそこまで悪質なものではないらしい テリアが頭を撫でてやると、狐火は喜んでその身を委ね甘えてきた。 …… 次の日 早朝から彼女達は険しい山登りを始めていた。 とてもハイキングを楽しめるようなコースではないが、目的の為ならばとテリアは喜んでその足を動かし続ける。 「なんでわざわざ険しい所を昇っていくんですか……はい、着きましたよ」 「道案内ご苦労様。だって早く結末を知りたいじゃないですか、この物語の……」 わざと険しい道を選び、商人に道案内をさせる 到着した場所は山の中腹。 さほどふもとから離れている訳でもなく、かといって遠くは無いといった訳でもない場所にそれはあった。 「さて……と」 洞窟の中に不器用に作られた木の戸を静かに開ける。 既に外にも臭っていた独特の香りがより強くなる。 昨日嗅いだばかりのあの匂いだ。 しかしここは製造元、より原木の香りが強く、むせ返りそうな程の刺激がテリアの鼻を襲う。 洞窟の奥、暗がりの中に微かな光が見える。 ランプの灯りだろうか、その光を頼りに二人は前に進む。 「こんにちは、勝手にお邪魔してますよ」 その最奥にて、今回の発端であろう人物が顔を見せた。 「なんじゃ、話してしもうたのか」 「も、申し訳ないです……」 ビクビクと商人は怯えている。 しかし、彼女の恐怖心とは無縁そうに「よい」と一言優しく告げる。 思っていたよりも話は通じるヒトなのかもしれない。 「ようこそ……ここは初めてかの?」 恐らくお香を作っていたのだろう。 作業を中断し、立ち上がり……稲荷はテリアと向き合った。 とても整った顔立ち 美しく、綺麗に伸びた金剛色の髪 そして目を引くのは九つに蓄えた長く大きなその尻尾。 「お初目にかかります。しがない喫茶店の店主をやっております"テリア・アンフォート"と申します。以後お見知りおきを」 「おーおーこれはこれは……"大英雄"様がワシの店に何用かな?」 「あら、知っていらして?偽者だとは思わないのですか?」 「数百年前の英雄の半分が生きていることくらい知っておる。それに、一番暴虐を尽くした者の名を偽り語る命知らずはおらぬだろうて」 「フフフ……」 「くっくっく……」 並々ならぬ二人の会話に置いて行かれてしまう商人。 一体何事かと聞ける雰囲気でもなく、二人は話を続ける。 「さて、率直に申し上げますと……」 テリアは要点を掻い摘んで説明する。 狐火の行為をやめさせるようにと。 危険性は知っての通り 今は被害が出ていないにせよ、今後どう転ぶか分かったものではない。 しかし稲荷から返ってきた答えはNOであった。 何故? 当然納得も出来るハズも無く、最悪武力行使も視野に入れ強く出る。 「これでもあの国の防衛を任されている立場です。悪意ある意志を見せるのなら例え九尾と言えど……その首、もらい受けます」 構えられた黒き大槍は稲荷を捉える。 これは決して脅しなどではない、警告だ。 テリアは魔物でありながらも人間たちを魔物の脅威から護る変わった立場にある。 それは人間と魔物が共存をしていくうえで必要な行為でであると確信しているからだ。 テリアは不変を求める。 そして平和を愛する。 人と魔物が手を取り合い生きているあの国を誰よりも愛している。 だからこそこの状況を放っておくことなど出来はしない。 テリアが昨日から抱いていた感情の正体はこれだ 護りたい世界が脅威にさらされていると本能で察したのだ。気が気では無くなる。 「まぁ待て、理由を聞け」 ジャキリと 威圧するようにワザとらしく音を鳴らし槍を引く。 ここまでの動作に何一つ動じない稲荷。 流石に神に近いとまで謳われる程の魔物、この程度では表情一つ変える事も無い。 稲荷はまた元の位置に座り込み、作りかけのお香に手を加えていった。 ピリピリと張り詰めた空気の中 傍観に徹していた商人は居心地が悪そうに二人を交互に見る。 1分か1時間か 長短どちらともつかない時間の中、静かにその答えを待つ。 「……」 「ごめーん、ワシ狐火の操作とかできんのじゃ☆」 一瞬でその場の空気が凍り付いた。 その星は何だその星は 舌をだし可愛らしく更に「テヘペロ☆」と付け加える。 これほど腹が立つ仕草はそうそう無いだろう。 テリアは理解が追いつかず表情を固まらせ。 商人はもうどうしていいのか分からず、精気が抜けたように色が落ちその場にへたり込んだ。 しばらくした後 強制的に城下町へと稲荷は連行された。 …… 「きさまー!!やめんかー!!小脇に抱えるなー!!」 「黙れロリっ子」 いい音が鳴り響く 尻を数発叩いてやると、小さな九尾はか細い声をあげて黙り込んだ。 「あの、稲荷様……小さかったんですね……」 「あんまりちっこいのバレたく無いから暗がりで作業しとったんじゃ!!」 それは置いておくとして…… 今回の件の責任を取らせるためにわざわざ町まで連れてきたのだ、相応の事をしてもらわなければ困るわけで…… 「さっきも話した通り、ワシは散らばった狐火の操作は出来ん。奴らは各々の本能に赴くがままに行動をする」 「それでは困るのです。親である貴女に責任があるわけです、どうにかしなさいな」 「……一応やってはみるが。ワシの狐火は無害じゃぞ」 そうは言うが確証が無い。 この時代に生きる魔物は色欲にまみれている淫魔だ。 横に居る刑部狸も、商売の目的は夫探しとみて間違いない。 こと稲荷に至っては長生きしている分そういった経験も豊富だろう そのキツネの魔力と欲望から生まれた狐火だ、どう転んでもおかしくはない。 そう思い、三人は一番初めにお香を手にしたあの貴婦人の屋敷を訪れた…… ……が いや、まぁ どんな言葉で言えば伝えられるのだろうか テリアの想像を絶する光景が広がっていた 「さぁおいで、マリー。エリザ」 「わーい!」 「おねえさまー!」 ああもう、何だろうコレ 想像していたのと全然違う 事件だよ色んな意味で そんな言葉が頭の中を駆け巡る中、テリアは現実を直視する為に深い意識層から戻ってくる。 「あれは……何ですか」 「ワシの狐火じゃな」 言われなくても分かる 聞きたいのはあの状況だ 「だから言ったじゃろうて」 ……この件の真相はこうだ 稲荷はかつて東洋のある神社に祀られていた魔物であった。 幼き頃から教育を受け育ってきた彼女だが、魔物であるにも関わらず、男性との接触は許されない超スパルタな環境だったとか。 来る日も来る日も神事に身を捧げ、仕事仕事の毎日で ある日全てが嫌になり、とうとう神社から脱走してしまったのだ。 自由の身にはなったものの、結局男とあまり話した事も無い為か 恥ずかしさのあまり自分から声をかけるような事も出来ず、山の奥に籠ってしまう。 そんな彼女の唯一の暇つぶしが"お香作り" 見よう見まねで作ったものが意外にも良く出来ており 力を入れて作っていく間にいつの間にか魔力を乗せてしまっていたのだとか。 その反動で、お香を焚くと狐火となってしまい現れてしまっていたという。 まぁ要はつまりだ 「わ、ワシは色を知らんから……その魔力から生まれた狐火達も色欲がほとんどないのじゃ」 結果は御覧のありさまである。 貴金属重装備型貴婦人が狐火二匹と庭でとても楽しそうに戯れている。 「稲荷様、未婚の女性に売れと指示を出したのは……」 「ワシのように寂しい女子(おなご)にせめて孤独感を味わわせないようにじゃな……」 言われてみれば、商人が売りつけた相手はあそこまで酷くはないにせよあんな感じの女性が多かった。 そう、つまり頬を染めたりモジモジしたりしていたのは性愛関連の動作ではなく、動物愛に対してのものであったのだ。 その後、全ての屋敷を回ったが、結局みんな同じ結果だった。 「これで分かったじゃろうて、害を及ぼすどころか香の力で癒しを与えておるのじゃ!」 ふんすっと息を荒げて主張する稲荷。 この物語は 九尾の狐が絡んでいるからと言って、テリアが勝手に一人相撲をしていただけだったというオチで幕を閉じたのだった…… ―――――― ――― ― それが昨日の話 このお香を手に入れるために、知り合いの伝手を廻りに巡り わざわざ遠出までして手に入れてきたのだ それを否定されれば誰だって怒る。 「という話だったのですが」 「君の醜態を晒すだけだったな」 ピシャリと言い放つと、同じ擬音で頭を叩かれる。 「一言多い」 「分かってやってるのだがね……それでだ」 触れよう触れようと思っていたものの、テリアの話が予想より長かったため聞けなかった このいつもと違う風景に 老人はずっと気になっていた事を口にする。 「"彼女達"は今君の語った"物語"に出てくる登場人物かな?」 「なんで私が朝食作らなきゃいけないんですかぁー」 「いやじゃあ!掃除などしとうない!」 厨房とテラスから聞こえる声 テリアは焚いたお香の匂いに身を委ね、傍に近寄ってきた可愛らしいキツネの頭を撫でる。 「まぁ、使えるものは使っておけと」 「そうかいそうかい……」 便宜を図ってやるのと引き換えに 彼女はしばらく二人をこの店に置くだろう。 不変を求めるその心 されど刺激を望むその矛盾 少女はただただ傍観する そこにありふれた日常の中にある 小さな物語を見つめ続けて…… 「ところで、とある貴婦人から魔物被害の届けが出ているのだが……氷の雨がどうとか」 「……知りません」 ―fin― 17/08/18 03:30 イノセントミュージアム
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へいへいへーい半年ぶりのSSじゃああああ!!
あ、ブログのイノセントミュージアムもヨロシク(宣伝) |
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