読切小説
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鬼子
空を見上げる。

星が見える。

「死ねなんだか…」

激流に呑まれた。

鈍痛に苛まれながらも、死に至らない圧倒的な再生能力。

彼女はウシオニ。

力に寄り添う鬼。

衝動に従う蜘蛛。

山に住まう荒神。

だが、今の彼女は震え上がる名にはとても当てはまらないだろう。
ただ夜空を見上げる彼女は儚くも美しかった。



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体に刻まれた言葉がある。

――『何人にも媚びず、何人にも従うな』

 誰がこの言葉を刻みつけたのか。もともと遺伝子に刻まれたものなのか、我にはわからなかった。しかし、その言葉は我が“我”としての唯一の理由だった。
 記憶のあるころには湧き上がる衝動に動かされ、木々の茂る山々を転々と駈けていた。
 しかし、その衝動がなんなのか我はわからなかったのだ……
道中に人間の雄を見かけると衝動はさらに激しいものとなった。我は食欲に任せ獲物を狩る。それと同じようにいつも人間の雄に襲いかかる。人間の雄はその後は動かぬ人形と化してしまう。そのため我はこの衝動がなんなのかわからず、いつも満たされぬ思いをしていたのだ。
 どのくらい時が経ったのかさえわからなかった。
 我は、山々を転々とすることをやめた。滝があり、川があり切り立った崖の洞窟を住処とした。我は人間に会い、衝動に駆られることが嫌であった。我は疲れたのかもしれぬ。だからこそ、この場所では静かに過ごしたかったのだ。しばらくは狩りをして、寝床に帰り、時折、滝を見にいった。この平坦な日々に満足したのかもしれない。なんに対するのかさえわからぬ衝動はいつしか気付かないほどに小さくなっていた。……それがいけなかったのかもしれぬ。衝動は隠れていただけでなくなってはいなかった。
 
 

02

 ある晩のことだ。ふと我は目が覚めた。とくに意味もなく川の流れがせせらぎが見たくなった。我は川が見える丘に到着した。ふと川を見ると人影が見えた。
 次の瞬間、我はその人間に襲いかかった。我自身これには驚いた。いつもは獲物を狩るように息を潜め近づき一気に飛びかかっていた。しかし、このときは自分では気づかぬうちに丘から跳び、川にいるその人間に飛びかかっていたのだ。それが、幸いしたのかもしれぬ。その人間は我に気づき咄嗟に身を翻し我の襲撃をかわした。
 川の流れに着地した我と相対したのはやはり人間で雄であった。その男は月下に照らされている。細長い印象を持つ体、しかし猫背の彼はそれほど背は高くなく見え、だらりと下げた手が猫背のせいで不自然に長く感じる。手入れのされていない癖毛と顎髭は不健康さと不気味さを感じる。その毛に覆われた顔の中で一重のなかのぎらついた眼だけが別の生き物のように生気に満ちている。
「…女か?」
睨みあいの最中で最初に口を開いたのは男であった。だが緊迫したこの場面にはいささか不釣り合いな言葉だ。
長い睨みの末に衝動は収まり、恐怖に入れ替わってしまったようだ。 
「我はたしかに雌である。だが、それより人ではないことに気づかぬのか!?」
我は恐怖の色が伝わることが嫌で怒気を込め言葉を発する。いや、混乱していたのかもしれぬ。なにせまともに誰かと会話をするなど初めてのことだったのだ…

「なにも人でないことなら見ればわかる。」

たしかに夜が深まったとはいえ今宵は月夜だ。浮かび上がる影を見れば人でないことなど一目瞭然だ。だが…
「なぜ、雌であるとわかったのだ?」
…衝動は収まったのだ。そのまま、住処へと帰ることもできた。だが、その一言はなぜか我の身に引っかかったのだ。

「…」

「言わぬなら命はない。」

「…うつ…ぃ」

「聞こえぬ!!」

「…お前が美しかったからだ。」

…………

思考が止まってしまった。美しいとは…今宵のような月に照らされた山々を言うのだ。それが我に向けられた言葉なのか?

わからぬ…

わからぬ

わからぬ 

わからぬ

……………

わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!わからぬ!

 これがなんなのかわからぬままに我は力いっぱいに男へ殴りかかった。しかし、その一撃は男に当たらず空振りに終わる。我の一撃は川の底を深くえぐり滝のような飛沫が月夜に降り注ぐ。

「…奴は?」
混乱した頭で男を探すが見当たらない。
「…おい。」
男はくぐもった声を発する。それは川の流れからはずれた河原部分であった。

いったいいつの間に…

そう思っていると男は軽い調子でどんどんこちらにと近づいてくる。

「我に近づくでない!」

男はその言葉を無視しさらに近づいてくる。

「やめろ!!これ以上近づけば殺すぞ!!!」

しかし、男は止まらずについには我の目の前にまで来てしまった。

「…っつ」

我はなにをされたわけでもないのに動くことが出来なかった。

「…殺さないのか?」

「…」

「さっきは思わず避けてしまった…」

「…なんだと?」

「俺は見ての通りはぐれ者だ。…それもとくに厄介な。」

「…」

「…俺は行き詰ったのだ。だからお前のような美しい女に殺されるのも悪くない。」

男はそう言って目を閉じた。


03
 我はこの男を壊したくなかった。生まれて初めて力の加減をし、目を閉じた男をそっと包容した。それは、手加減をしたとしても強すぎたかもしれない。まだ男は目を瞑っている。どうしたらいいかわからずにそのままでいると男はいきなり目を開けた。
「殺さないのか?」
黒目の大きくギラついた瞳で男は我に問う。
「わからぬ…」
このような不安の混じった声を我は発したことがあっただろうか。本当に我の声なのかと思ってしまう。
「…主はやはり美しいな。近くで見るとそれがわかる。」
じっと眼を細め男が言う。
「…」
我はそれに答えることができない。
 その時であった。不意に男が我の唇に我の唇を当てた。そっと乾いた唇が我に触っただけであるのに我は頭の中が沸騰してしまいそうであった。男の顔を見ると少し気恥ずかしそうに笑っている。我はその笑顔を見て男を組み敷いた。
「なっ…うっ」
男は一瞬驚いたようだがすぐに我を受け入れた。先ほど触れた乾いた唇に我は貪る。どちらが先かもわからずに唇では飽き足らず舌を這い入れる。相手の味を覚えるように互いの唾液を舐めとる。口から溢れる唾液は首筋へとつたう。
「ぅ…ちゅ…はぁ…」
唇を離すも一本の糸が互いを結ぶ。

04
 男が見つめる眼は蕩けきっていていた。何年もの間にくすぶっていた衝動は捌け口を見つけ快楽へと変わった。男の上に乗る彼女は袴を大きな爪で摘み切り裂いた。口づけですでに張りつめた男根があらわになる。
 “ゴクッン”
彼女の喉が鳴る。
「はぁはぁ…」
息の荒い彼女は蜘蛛の下半身と鬼の上半身との間にある牛の骨をどかし秘部があらわになる。艶やかな毛並みの間に桜色の蜜壷だけがテラテラと光っている。
言葉を紡ぐことなく彼女は男根へと腰を落とす。糸をひいてしまうような粘性の高い蜜が男の腰へと伝う。蜜壷に侵入した男根は程なく網を破り蜜と血液が混ざり合う。
「お主初めてであったのか…」
しかし、彼女の答えはない。
息も絶え絶えに激しく腰を振り始めた。
「はぁはぁ、…うん…ぁう…ん!」
男の男根は蜜壷の中の絡み合う肉壁に締め付けられる。
「う!…がっ」
その動きは男の思考を宙へと投げ出す。男は下から彼女に答えるように腰を突き始める。
「あっ!…ひゃん!」
蜜壷の奥に達するたびにいままでより一層高く、淫らな声が上がる。彼女の綺麗な緑青色の頬は淡い桜色に上気している。
「…は…あん!…やっ!…ぅん…はぁあん!」
互いの動きは呼応し、激しさを増していく。
「んっ…あん!う!ひゃん!…だめ!…わぁれん!」

「…ぐっ…」
それは頂点を目指しさらに激しくなっていく。

「うあぁ!…ひぐ!…ひぃん!だめ!くるぅ!なにかっ!きちゃうん!」

「…うっ…こっちも…」
その瞬間、彼女の蜜壷が渦潮のように締め付ける。
「…ふ…ああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁん!!!!!」

「う…がっ!」
男の男根から溢れんばかりの精液が吐き出される。
「…あっ…はぁ…温かい…我のなか…」
初めてなにかが満たされる感覚のなか彼女の思考は微睡みへ消える。

05
 我が目覚めたのは朝靄の張る明け方だった。働かない頭であたりを確認する。流れが変わった川の端、砂利の隆起している場所に移動したようだ。焚き火が焚かれ炭に変わった木が未だ赤く燻っている。

 …あの男はどこにいるのだろうか?
 
我が動こうとすると蜘蛛の体に埋もれるなにかに気づく。あの男であった。どこから持ってきてのかわからないが薄い着流しに着替え一枚の布を被っていいる。よく見ると我の腰のあたりには男の被っている布より厚めのものが巻かれている。
「…」
我は近くにあった男の荷物拾い上げ、男を肩に担ぎ住処の洞窟へと帰った。
 男が起きたのは日が上がりずいぶんと経ってからだった。
「…おはようさん」
なにを考えているのかわからないような抑揚のない声で我を見上げ男は言う。「…」
我が答えないでいると男が喋る。
「主、名前はなんという?」
訝しくも我は答える。
「……名などない我は我だ。」

「そうか、俺も名はない。捨ててしまった。」

「…」

「どちらも名前がないのだ。互いに名前をつけないか?」

「…気が進まないな。」

「時間はあるのだ。いい名前を考える。主にも期待しているよ。」

「気が進まぬと言っておろう。」

「まぁ、そう言うでない。名前は大事であろうに。」

「…勝手にすればよい。」

「ならば楽しみにしておいてくれ。」
男はそう言い少し照れくさそうに笑うのである。



06
 それから我と男は同じ空間で過ごすことになった。だが、あの夜以後交わることはなかった。各々が自由に出入りしポツリポツリと吐き出される男の言葉を我はを適当に受け流していた。
 いくらか経った日にその蜘蛛はやってきた。我と同じ形のものだが、纏う雰囲気は我と正反対のものだった。静かであり、柔らかく、それでいて…なんというのか“女”というものだと一目でわかる。
 我はいつもあの男の着いてこれぬような川の上流へと月を見に行くのが日課なっていた。男を壊してしまうかもしれない…そんなことを思うとじっと寝てはいられなかった。どうやらこの蜘蛛は我が一人でここに来ることを知っていたようだ。その蜘蛛は私が切り立った崖へと腰かけると近くの茂みから姿を現した。

「はじめまして、私はおぎんと申します。」

「…」 
警戒はいつも解いてはいない。むしろ、あの男に会ってから川に来るときはいつもより周囲の気配を探っている。我はこの蜘蛛がただの同一種でないことがわかる。

「そのような、顔をしないでくださいませ。ウシオニのあなたの名も教えていただきたいのですが?」

「名などない我は我だ。」

「ではあなたのことを呼べないではないですか。」

「そのウシオニとやらで呼べばよい。」

「…そうですか。ではウシオニさま。私は頼みがありこちらに参りました。」

「そんな義理はない。」

「そう言わずに聞いてくださいませ。ウシオニさまの旦那様を引き渡してくれないでしょうか?」

「なにを!」

「違うのですか?」

「……あれは我の所有物だ。旦那などではない。」

「では引き渡してくれますか?」

「我の所有物だと言ったはずだ!あれは…やらん。そもそもなぜあの男を欲するのだ?」

「……そうですね。ある豪族との契約とでもいいましょうか。」

「なんだそれは!?」

「言えば殿方を引き渡していただけますか?」

「我の所有物だと言ったはずだ!!」

「そうですか……一応は頼んでみましたがやはり無駄でしたねぇ…」

「ふん、そのと…」
おぎんと名乗った蜘蛛は突然我に飛びかかってきた。

「なにを!」
我は身を翻し蜘蛛の一撃をかわした。その両手には小太刀と思われる刀が握られていた。
 
 いつの間に…
そう思っていると二撃、三撃と迫ってきた。このくらいであれば我は避けずとも刃を砕ける。そう判断し態勢を整えた。蜘蛛が切り込んでくる。それに合わせ我は爪を振りかざす。小太刀の刃は粉砕され蜘蛛は武器を失う。しかし

「!?」
その瞬間に蜘蛛の一回り小さい体が懐に入ってきた。それが一瞬に思えるほど蜘蛛は俊敏だった。小太刀は囮だ。懐に入った蜘蛛は我の左胸に思いきり袖から出した脇差とも思えぬ先端が針のような刃物突き刺した。

 迂闊だった。そもそも我は狩りはしても戦いを、…闘いをしたことがないのだ。猪や熊、雄に襲いかかってしまえば一撃で息の根を止めてしまう。それが戦い慣れた同じ妖怪であれば遅れをとってしまうのは明らかであった。

針のような刃で刺された我の体の中が泡立つような熱を感じ動きが止まる。

「このような卑怯な方法を取りたくはなかったのですが…相手がウシオニとあれば話は別。ウシオニさまあなたの所有物を素直に渡して頂ければ解毒はして差し上げます。さすれえば、あなたの再生力で死ぬことはないでしょう…どう致しますか?」

「…………我は何人にも媚びず、何人にも従わない。」

「それは残念…」

蜘蛛は最後の一太刀を首に放った。

「っつ…」

しかしその一閃は首を切り落とすことなく外れて肩口を切りつけるに収まった。……あの男だ。我は体制を崩し川へと落ちた。


07
 なぜあの男の顔が浮かぶのだろうか…

 あれは我の所有物だ。

 なぜいま…

 …なぜ我をこんなにした蜘蛛の長よりもあの男の顔が浮かぶのだ!
 
 我はにも媚びず従わぬ者だ!

 なのになぜこんなにもあの男がそばにいぬが許せぬのだろうか…

 なぜだ!!

 離れることを我は許さん!

 なんで…
 
「うっ…ひっっぐ…」

 なんだんろうかこの感情は…

 頬を伝う滴なんなのだ…

 慌てて拭えどそれは溢れ出て視界を濁す。空の星がどんどん滲んでいく。
「…はは」

「はははははははっ」

 我は自らを嘲り笑う。

「ははは…ひっひっぐ」
そんな抵抗も虚しく涙は止まらない。嘲笑は嗚咽へと変わってしまった。
動けぬまま涙も枯れてしまった。もしかしたらあの蜘蛛と戦った日から何日か経っているのかもしれない。
 
 このまま死ぬのだろうか……

 そんな考えが脳裏をよぎる。その時であった。ふと視界に我を覗き込む緑青色の肌をした男がいた。

「!?」

その男は我の知っているあの男だ。肌は緑青色に変わり頭から鬼の角が生えている。だがあのギラついた一重まぶたの奥の瞳は正真正銘あの男のものだ。男は言葉を発することなく懐から何かを出し我に刺した。麻痺した体はなにも感じない。男は作業が済むと我の傍らに寄り添い肩に手を当てる。

「…主の名前を考えた。」

「…」

「美しいで‘美’琉璃色の‘璃’で‘みり’だ。」

「…そんなことはどうでもよい。」

「…」

「寂しかった…」

「…」

「我は寂しかった。」

 枯れたはずの涙が静かに流れてくる。この男が傍にいてくれることが嬉しい。我は星空から男の顔に視線を移し、肩に当てられた手にそっと爪を添える。

 次はこの男の名前を我が考えなければ…

そのようなことを考えながら我は目を閉じる。満ち足りた安心感を感じながら、この男の傍にいれる幸せを噛みしめながら。


 

 
 
 
19/01/21 11:44更新 / 包み紙

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