連載小説
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まずは拳を握り締めて。
吹き荒ぶ風が枯れ草を揺らし、赤茶けた大地に砂嵐を生む。
風化した木々は既に化石と成って久しく、僅かな枝には葉の一枚も残っていない。
所々に積み上げられた巨岩の群れは、かつてこの地が何度もマグマを吹き上げる活火山だった事を示す過去の証だ。
荒野。
まさにそう呼ぶのが相応しい、文明の一切が踏み入る事を諦めた不毛の大地。
東西交通の要所オルネスト市から南に5日ほど下った場所にあるこの土地を、人々は畏怖と脅威を込めて『死の平原』と呼んでいた。

そんな誰も好んで寄り付こうとしない、放棄された領域で。
今日この日だけは、大きな大きな人だかりが出来上がっていた。


「赤コーナーぁぁぁぁぁ! 人・間・種ッ! 『鎧砕き』のグスタぁぁぁぁぁフっ!!!!」


環状列石を利用して組み上げられた特設リングで、大きく腕を振る人間の男。
筋骨隆々の肉体にボロボロの拳闘着を纏った、天を突くような大男だ。腕だけでも常人の胴ほどはあり、足に至ってはその太さを優に上回っている。
巌のような顔付きには溢れんばかりの闘志が漲り、不用意に近付けばそれだけで殴り掛かって来るのではないかと錯覚してしまう程の迫力だった。何処を見ても古傷だらけの外観と相まって、まるで物語に出てくる悪鬼のような様相である。

「続いてッ! 青コーナぁぁ! オーガ種ッ! 『盾要らず』のヘルガぁぁぁぁッ!!」


相対するは、緑色の肌を持った長身の魔物娘だ。
ボロ布を太めの紐で固定しただけの、およそ服とは呼べないような衣装を纏っている。僅かな挙動だけでちらちらと乳房や太股が覗いてしまっているが、当の本人には欠片も羞恥を感じている様子が無い。むしろ見せ付けているのかもしれなかった。
彼女もまた男と同様に、全身のあちこちに傷跡が見え隠れしている。何より特徴的なのは額から生えた一対の角だ。黒く艶やかな色合いのそれは、片方が痛々しくひび割れている。
女は威嚇するようにポキポキと指の骨を鳴らしながら、真っ向から対戦相手の男を睨み据えていた。

「頑張れヘルガ様ーっ!」
「無様な戦い方すんじゃないよグスタフ!!」
「とっとと始めろぉ!」

リングの周囲は、『盾要らず』のヘルガと呼ばれた魔物娘と同種のオーガたちで完全に埋め尽くされていた。いずれも2メートル近い長身と鍛え抜かれた肢体の持ち主達である。
そんな彼女たちが、巨石を加工して作られたリングに集って興奮した叫び声を上げているのだ。その勢いたるや、気の弱い人物なら見ただけで腰を抜かしてしまうかもしれない。

「両選手、前へ!!」

レフェリー役のオーガが、リングに登った男女に前進を促した。その言葉に従い、グスタフとヘルガの両名はゆっくりとした動作でリング中央に歩み寄っていく。
1歩。
2歩。
3歩。
事前の打ち合わせでもしていたのか、2人はちょうど4歩目……拳を振り上げれば互いに相手の顔面を射抜くことのできる絶妙の位置で立ち止まった。
真正面からの睨み合いに、観客のオーガ達はますますヒートアップしていく。

「今度は骨折じゃ済まねぇぞグスタフ。金玉ちぎって代わりに石ころ詰めてやるよ」

初めに口を開いたのは、ヘルガの方だった。
対するグスタフはにこりともせず、ヘルガとは対照的に淡々と言葉を紡ぐ。

「今のうちに吼えているが良い。明日からは『片角』のヘルガと名を改めることになる」
「ハッ! どうしたよオイ、声が震えてるぜ? 怖かったら素直にそう言えよ」
「ふむ。勘違いさせて済まなかったな、勝利を確信するとつい声が上擦ってしまうんだ」
「あぁん!? 誰がテメェなんかに負けるかボケ! 子宮ン中からやり直してろ」

今にも殴り合いが始まりかねない程の、攻撃的な舌戦の応酬。
挑発のぶつけ合いがひと段落したのを見計らって、レフェリーがゆっくりと前に出た。

「ただ今より! 第6回、グスタフ対ヘルガによる拳闘試合を開始する!」

おおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉッ!!!!


「ルールは周知の通り! ひとつ! 武器は自身の肉体のみ! ひとつ! 互いの攻撃は決してガードしてはならない! ひとつ! その場から1歩でも動けば即座に敗者となる!」

ルール説明すら掻き消されてしまう熱気と怒号。めいっぱいの声量で試合開始前の儀式を済ませたレフェリーは、2人の選手が頷いたのを見て取るやその場から数歩、後ずさりした。

「両選手の同意によって、この戦いは例え魔王とて侵してはならぬ神聖なものとなった!」

途端、今までの喧騒が瞬時にして停止する。
風に揺れる草木の葉擦れさえ聞こえてきそうな沈黙の末――。

「叩き潰してやるよ、デカブツ」
「鼻血を噴き出しながら寝ていろ、クソガキ」

「それでは――試合、開始ッ!」

ゴングの音が、高らかに鳴り響く。
巨漢の豪腕とオーガの鉄拳が、ほぼ同時に対戦相手の顔面へとめり込んでいった。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

グスタフ・グレコ。交通の要所オルネスト市に逗留する、流れの職業戦士の名前である。
戦いの神に仕える僧兵であるところの彼は、常日頃から傭兵として戦火へ踏み入る事を生業として生きてきた。この仕事を始めてから既に10年の経歴を持つベテランだ。拳ひとつで鉄の防具すらをも割り砕くその豪腕から、『鎧砕き』のグスタフとして同業者の間では広く名の知れた存在となっている。

彼は自分の人生を闘争だと考えていた。
戦って勝つことは即ち生きる事だ。毎日の食事も、安全な寝床も、寒さを凌ぐ衣類も。果ては友人との関わりすらも戦い、勝ち取る事で手に入るもの。それが彼にとって絶対の法であり、何よりも遵守すべき理であった。
両親もまた僧兵であったグスタフは幼い頃から弱肉強食の掟と生存競争のルールを叩き込まれて育ち、そしてそれを誇りとして受け入れていた。成長し、彼らと同じ僧兵への道を自ら選び取ったのはグスタフにとって必然だった。
僧兵を志して寺院に入ったのが10歳の頃。20歳を迎えて諸国行脚を許され、傭兵となって今年で30歳。委細を語れば単純に順風満帆と呼べたものではない人生だったが、それでも戦乱の場に身を置く事を良しとしてきた身としては、五体満足でこの歳まで生き抜けた事は非常に大きな勲章だろう。

さて。
そんな彼が、何故こうして辺境の荒野に足を運び、オーガの群れと通算6回もの拳闘試合に興じているのか。
その理由は半年前に遡る。
王都スレイランで商隊護衛の仕事を終え、根城にしているオルネストへの帰路につこうとしていた時の事だ。徒歩で街道を進んでいたグスタフを、白昼堂々オーガの群れが襲ったのである。
グスタフ自身、オーガとの戦闘はこれが初ではない。陸路を行くキャラバン隊の護衛で最も気を付けなければならない種族のひとつとしてオーガは知名度の高い魔物である。実際、10年間の傭兵暮らしの間に、両手の指では数え足りない程のオーガたちを打ち倒してきた。
が、それはあくまでも単体としての交戦経験である。こうして同種の魔物と集団で襲い掛かってくる事など、グスタフにとっては初めての体験だった。

気性が荒く好戦的な彼女らは、基本的に単独で行動する種族だ。その理由は彼女たちオーガの『性癖』にあると言われている。
諸々の理由で一般人には隠匿されているが、魔物娘は人間の男性を襲い、無理やりに近い形で性交渉を行うという変わった生態を有している。男性の持つ『精』を主食とする者、あるいはその精神が激しい劣情に支配されている者……行動理由は種によって様々だが、魔物娘とは総じて男性との性交渉をなにより好む生物だった。
オーガもその例に漏れず、男性を求めて行動する。が、彼女らはその性格ゆえにか、互いに疲れ果ててしまうまで『獲物』と交わり続ける激しいセックスを好む傾向が非常に強い。そのため集団で男性を襲っても交わる事の出来る個体は1度に1人だけとなってしまい、残りの仲間は完全にあぶれてしまうのだ。群れ全体で男性を襲う乱交スタイルという手段もあるにはあるのだが、それでは逆に不完全燃焼で終わってしまう。いずれ獲物を奪い合っての仲間割れが起こる可能性は誰もが予想できるだろう。

そんなオーガが、前述のようなデメリットがあるにも関わらず、徒党を組んで行動している。しかも統率の取れた、実に無駄のない動作でだ。周囲を取り囲むオーガの群れは、チームで戦うという事に明らかに慣れている様子だった。
グスタフはその不可解な行動に驚きながらも、身を守るべく即座に戦いへと臨んだ。
殴り、殴られ、羽交い絞めにされては振り解き。
多対一の圧倒的に不利な状況を、経験と知識と腕力とでカバーしながら徐々に敵の数を減らしていく。
その中でグスタフは、何故オーガが群れを成しているのか――そのわけを理解した。
粗暴な種族としても知られる彼女らに、しっかりとした命令系統が存在していたのだ。
奥に控える1体のオーガが全体に指示を飛ばし、仲間たちはそれに従って自らの役割を果たそうとする。そこにはボスに対する忠誠心と、彼女の指示への信頼感が伺えた。
また個々の強さによっても明確な序列が存在するらしく、戦いの中で群れ内部の上下関係をハッキリ見て取る事が出来る。
オーガたちは、強さを軸にした上意下達の集団を構成していたのだ。
恐らくは戦利品も群れのボス――指示を飛ばす長身のオーガが真っ先に得る権利を有しているのだろう。
まさに『強者こそ上位』という弱肉強食の掟――グスタフが信奉する戦の神の教えの通りだ。
それを知ったグスタフは、思わずニヤリと口角を吊り上げた。
驚異的な怪力を持ちながら、更に知恵までつけたオーガたち。より強くなる為の修行には、彼女たちはまさに格好の相手といえた。
満身創痍になりながらも、次々と下っ端のオーガたちを殴り倒していく。気の遠くなるような争いの末、最後には群れのボスと数名の部下が残るのみとなっていた。
仲間を全て倒された事に対する怒り。強者と出会えた事に対する喜び。
ふたつの感情が混濁し、爛々と輝いた瞳でこちらをきつく睨み据えてくる彼女に、グスタフは余裕綽々の態度を作りながらこう告げたのだ。

「どうだ。俺は強いだろう?」
「……あぁ?」
「一騎打ちをしないか。このままでは、群れは全滅してしまうぞ」

何を言っているのか解らず戸惑うような表情のボス格を前に、グスタフは更に言葉を続けた。

「俺とお前。最も強い者同士で、後腐れなしの決闘だ」
「ンな事して、どうなるってんだよ」
「お前が勝てば。俺は生涯お前の奴隷になってやろう。どうだ」
「……テメェが勝ったら?」
「何もしない。俺は勝利し、このまま自分の住む街へ帰る。それだけだ」
「ンだよ、そりゃ」
「強いて言えば、お前たちに狙われずに悠々と帰れるのが勝利の報酬だな」
「……チッ。でけぇ図体の癖に理屈っぽい喋り方しやがって。気に入らねぇ奴だ」

群れのボスは不機嫌な面で、足元に唾を吐く。
呼吸を整えながら、グスタフは返答を促した。

「良いぜ。やってやる。ったく……子分どもの経験値稼ぎにと思ったら、とんでもねぇ馬鹿に当たっちまった」

暫し迷うような態度を見せた後、ボス格のオーガはグスタフの提案を受け入れた。
彼が言う通り、群れは全滅寸前だった。これ以上の被害は回避したい。
そして何より、一騎打ちという言葉が彼女の心を燃え上がらせたようだった。

「災難だったな。だが約束は守れよ」
「もちろんさ、他の奴らに手出しはさせねぇ。……おい、下がってな!」

ボスの一声で、他のオーガ達は不服そうにしながらも握り拳を緩めた。彼女の命令に従い、気を失った仲間を引き摺りながらしぶしぶと2人から離れていく。

「んじゃ……遠慮なく行くぜぇ!」
「……応ッ!」

気合の込められた咆哮と共に、両者が拳を振り上げる。
巨漢の豪腕とオーガの鉄拳が、ほぼ同時に敵の顔面へとめり込んでいった。
11/03/01 04:06更新 / クビキ
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■作者メッセージ
お読み頂き、有り難う御座いました。
第4作目『闘争と勝利について』の第1章をお届けします。
ほぼ1年に渡って姿をくらませていましたが、縁あって魔物娘図鑑を手に入れたのを切欠に舞い戻りました。
久し振りのSS創作になりますので、多分に見苦しい部分があるかと思いますが、リハビリと思ってお付き合い頂けますと幸いです。
お気付きの点やご感想、ご要望など御座いましたら、感想欄にて遠慮なくお知らせください。

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