影射す世界
影を踏むことは誰にも出来ない
影を踏んだと思ったら、その足に踏むはずだった影ができているからだ
元の影には、自分の足の影
踏んでいたのは自分の影。
唯一踏める自分の影
久しぶりに音を聞いた気がした
歩く音も、扉を開ける音もあったはずなのに、どこか白黒の、真夜中の活動写真を見ているかのように音が抜け落ちていた
暗かっただからだろうか。音どころか、ここに来るまでの記憶がおぼろげでまるで夢の中にいたような、現実味を帯びていなかった。呼吸すらしていなかった気がする
それがここに来てやっと得られる・・・地に足が着いたような安心感があった
同時にやっと、ずっと繋いでいた筈の手からエリーの存在を感じ取れた
「・・・ん」
にぎにぎ
彼女も僕の存在を確かめるように、手を何度も握りなおしている
少し骨ばってはいるものの、小さくてやわらかい少女の手だった
応えるように手に力を込める。それで初めて僕らは手を離す
名残惜しくも、最後の指先が離れた瞬間からもう、いつも通りに戻る
店内を物色し始めたのを確認してから、僕はカウンターへ向かった
「やあ、久しぶりだね・・・あれから変わった事は無かったかい」
「お陰様で元気だよ」
部屋の色と同じく赤黒いドレスに身を包んだ女性がニヤリと微笑み問いかけてくる。彼女の名前はライラだと、どうしてかエリーが教えてくれた。カウンター越しには上半身しか見えないため普通の人間のように思えるが実は彼女はラミアだ。射抜いた者を石にしてしまうような鋭さと冷たさを持った視線がつま先から這い上がってくるのを感じる。まるで針金のような毒蛇が体にまとわりついているようだった。
しかしてその眼に敵意は無く、度々訪れる僕らを迎え入れる際はいつも妖艶な笑みを浮かべているのだった。 彼女もまたこの街を住みよいと感じて居座る隠者の一人である。
蛇の如く音無しく近づく気配の静か、いつのまにか頬に手当てられ眼前にて顔を覗き込まれることに、初めは驚き怯えもしたが、この度ではもう慣れたものだった。死者とは違い琥珀色にギラギラ光る魔眼と紛う眼を見つめ2、3の間隙を置きどちらともなく唇を押し付け合う。これも僕らの間では慣例だった。静まりかえる室内には艶やかな水音だけが響く。
甲冑達が遠巻きにじっと見つめる中、絡められた舌を名残惜しそうに飲み込んだ彼女の顔が離れていく。金糸のような美しい髪の戦ぐ馨りに鼻腔をくすぐられ、改めて見る彼女の眼に暗転した景色が吸い込まれていく。その場限りの独特な精神支配はまるで魅了の魔眼そのものだった。このまま見続けたら僕はどうなってしまうのだろう。でもきっと悪いようにはならないのだろう。だってこんなにも気持ちいい
ふと目の前が暗くなる。 何故? 眼を押さえられているからだ。
気づいた時、僕はエリーの腕に抱かれていた。記憶に欠損は無かった・・・と思う。もちろん覚えていることが全てではないのだけれど。
エリーがきつくライラを睨み付けている。仲が良いとは言えなかったが、ここまで敵意を出したことは今までにあっただろうか。今にも首を裂きに飛び掛らんばかりの憎しみのような怒りのような感情が伝わってくる。
「カロンは駄目・・・・・・どうして」
「・・・ああいや、済まない、つい・・・ね」
「・・・・・・」
それぞれの困惑。言葉を交わすことも稀だというのに、まるで通じ合っているかのような振り。ふたりの間に何があったのだろう。
やがてエリーは俯き加減になにかをつぶやき始めた。体に痛いほど食い込んでいてた骨格が少しずつ緩んでいく。
「僕なら大丈夫だよ、種族特有の習性みたいなものだよね」
殺伐としてきた空気を軽く流す。だが悟らせず立ち上がるのには少し苦労した。
今までも軽いチャームはあったものの、ここまで意識を持っていかれたのは初めてだ。エリーが止めたということは少なくとも危険なものだったのだろう。どうやら何か僕の予想しない意図がお互いにあったらしいが、それを知ってはいけない気がするので深くは追求しない。
こういう雰囲気で深く聞いてしまうと何かが崩れる。そう感じると――
「本当に悪かったね、少し戯れが過ぎてしまった」
「気にして無いよ、僕は」
「そうかい?ならいいんだけど・・・本当は今すぐにでも君をモノにしたいんだよ」
「む・・・」
(む・・・)
エリーとルアの声ならぬ声が重なる。そういえばルアはエリーの中に入っていたんだっけ。飛び掛らなかったのも多分そのお陰なのだろう、よく抑えてくれた。
「ふたりともいつも一緒にいるじゃないか。たまにはいいんじゃない」
(そういうことでは ないんです よ )
「・・・わかってない」
正直、さっきまでの嫌な空気が薄らいでいったことに安堵していた。なるべく触れないように、思い出さないように、少しだけ明るく振舞ったりする。
「そう渋い顔をしないで・・・さ、こっちにいらっしゃい」
ライラが僕らをカウンター席へ誘う。
いつからそこにいたのか、店の隅にいたひとりの客がグラスをコン、と置く音と。うっすら匂う果実の香りで場をリセットする。
もう、いつもの僕らに戻れただろうか。とにかく何も考えずに、引かれた椅子に腰掛けた。
さて何を隠そうここは酒場の一種で
客には独自に調合した一風変わった酒を振舞うことで人気を博している
が立地が立地で、知る者に紹介されるか迷い込むかしなければまず辿り着けないため、客層はかなり限られ、さらにこの街で住人同士がコミュニケーションを取ることが殆ど無いため前者は望み薄である。そうして尚客が偏る。
ライラはこの小さくて目立たない店を一人で営んでいる主人である
巨大な酒樽や異様な形の酒瓶もさることながら、どこから仕入れたのかこの街でもまず無いであろう特殊な薬物、見るからに危険な毒物、名前もわからない小動物、おぞましく蔓延る菌などを目分量で配合するので、初めて口にする時はかなり躊躇った。
だが隣でゴクゴク飲み始めるエリーを見て意を決し喉を通してみるとこれがどうしてか美味しいのだ。言葉では言い表せない不思議な味だが、宝石のように光り透き通る溶液とグラスも伴い、これはひとつの完成された作品なのだと感じた。
一度飲んでしまえば価値観は逆転し、以後は体が求めるかのように受け入れられるようになった。・・・調理中の光景を見たくは無いが。
僕らはこんな”夜の日”の余りに余る時間を潰しに訪れる、回数的には観光客だが、店主曰く常連客なのだとか。
確かに僕ら以外の客なんて殆ど見たことが無い。今日みたいに気づかなかっただけなのかもしれないが、それにしたって少なすぎはしないだろうか。メニューに言い値で付けられた額だって僕ですら奢れるほどの控えめなものだ。経営が危ぶまれる。
それでも彼女は涼しい顔でシェイカーを振っている。だから僕の気にするところでもないのだ。いつも通りに注文をしよう。
「この”ひびの入った鐘の音”ってどんなお酒なんだい。これをいただくよ」
「それは最近訪れた寺院で閃いたモノでね、お勧めはしないが不味くはないと思うよ」
「そういうのを飲むところなんだろう、ここは。エリーは何にする?」
「・・・・・・いつもの」
メニューに並ぶ材料一覧を熱心に眺めながら気もそぞろに呟く。やはり酒好き・・・。
「いつもと言うほど僕らは来てないんだけどね」
「こうも高級な食材ばかりを使わせる客はエリーくらいだから、よく覚えているよ・・・まずは”水底の冬”だったね」
「はは・・・なんだか悪いね」
「いいさ、これは私の趣味みたいなものだから。店に来てくれるだけで嬉しいよ」
しばしの時間会話をしながら彼女は調合を終らせた。そして最後に見慣れない粉を、僕のグラスにだけ振った。
「脱皮した私の皮を乾燥させて血に煎じ更に蒸散させて集めた結晶だ、精がつくよ」
そういってニヤリと微笑むのだった。
影を踏んだと思ったら、その足に踏むはずだった影ができているからだ
元の影には、自分の足の影
踏んでいたのは自分の影。
唯一踏める自分の影
久しぶりに音を聞いた気がした
歩く音も、扉を開ける音もあったはずなのに、どこか白黒の、真夜中の活動写真を見ているかのように音が抜け落ちていた
暗かっただからだろうか。音どころか、ここに来るまでの記憶がおぼろげでまるで夢の中にいたような、現実味を帯びていなかった。呼吸すらしていなかった気がする
それがここに来てやっと得られる・・・地に足が着いたような安心感があった
同時にやっと、ずっと繋いでいた筈の手からエリーの存在を感じ取れた
「・・・ん」
にぎにぎ
彼女も僕の存在を確かめるように、手を何度も握りなおしている
少し骨ばってはいるものの、小さくてやわらかい少女の手だった
応えるように手に力を込める。それで初めて僕らは手を離す
名残惜しくも、最後の指先が離れた瞬間からもう、いつも通りに戻る
店内を物色し始めたのを確認してから、僕はカウンターへ向かった
「やあ、久しぶりだね・・・あれから変わった事は無かったかい」
「お陰様で元気だよ」
部屋の色と同じく赤黒いドレスに身を包んだ女性がニヤリと微笑み問いかけてくる。彼女の名前はライラだと、どうしてかエリーが教えてくれた。カウンター越しには上半身しか見えないため普通の人間のように思えるが実は彼女はラミアだ。射抜いた者を石にしてしまうような鋭さと冷たさを持った視線がつま先から這い上がってくるのを感じる。まるで針金のような毒蛇が体にまとわりついているようだった。
しかしてその眼に敵意は無く、度々訪れる僕らを迎え入れる際はいつも妖艶な笑みを浮かべているのだった。 彼女もまたこの街を住みよいと感じて居座る隠者の一人である。
蛇の如く音無しく近づく気配の静か、いつのまにか頬に手当てられ眼前にて顔を覗き込まれることに、初めは驚き怯えもしたが、この度ではもう慣れたものだった。死者とは違い琥珀色にギラギラ光る魔眼と紛う眼を見つめ2、3の間隙を置きどちらともなく唇を押し付け合う。これも僕らの間では慣例だった。静まりかえる室内には艶やかな水音だけが響く。
甲冑達が遠巻きにじっと見つめる中、絡められた舌を名残惜しそうに飲み込んだ彼女の顔が離れていく。金糸のような美しい髪の戦ぐ馨りに鼻腔をくすぐられ、改めて見る彼女の眼に暗転した景色が吸い込まれていく。その場限りの独特な精神支配はまるで魅了の魔眼そのものだった。このまま見続けたら僕はどうなってしまうのだろう。でもきっと悪いようにはならないのだろう。だってこんなにも気持ちいい
ふと目の前が暗くなる。 何故? 眼を押さえられているからだ。
気づいた時、僕はエリーの腕に抱かれていた。記憶に欠損は無かった・・・と思う。もちろん覚えていることが全てではないのだけれど。
エリーがきつくライラを睨み付けている。仲が良いとは言えなかったが、ここまで敵意を出したことは今までにあっただろうか。今にも首を裂きに飛び掛らんばかりの憎しみのような怒りのような感情が伝わってくる。
「カロンは駄目・・・・・・どうして」
「・・・ああいや、済まない、つい・・・ね」
「・・・・・・」
それぞれの困惑。言葉を交わすことも稀だというのに、まるで通じ合っているかのような振り。ふたりの間に何があったのだろう。
やがてエリーは俯き加減になにかをつぶやき始めた。体に痛いほど食い込んでいてた骨格が少しずつ緩んでいく。
「僕なら大丈夫だよ、種族特有の習性みたいなものだよね」
殺伐としてきた空気を軽く流す。だが悟らせず立ち上がるのには少し苦労した。
今までも軽いチャームはあったものの、ここまで意識を持っていかれたのは初めてだ。エリーが止めたということは少なくとも危険なものだったのだろう。どうやら何か僕の予想しない意図がお互いにあったらしいが、それを知ってはいけない気がするので深くは追求しない。
こういう雰囲気で深く聞いてしまうと何かが崩れる。そう感じると――
「本当に悪かったね、少し戯れが過ぎてしまった」
「気にして無いよ、僕は」
「そうかい?ならいいんだけど・・・本当は今すぐにでも君をモノにしたいんだよ」
「む・・・」
(む・・・)
エリーとルアの声ならぬ声が重なる。そういえばルアはエリーの中に入っていたんだっけ。飛び掛らなかったのも多分そのお陰なのだろう、よく抑えてくれた。
「ふたりともいつも一緒にいるじゃないか。たまにはいいんじゃない」
(そういうことでは ないんです よ )
「・・・わかってない」
正直、さっきまでの嫌な空気が薄らいでいったことに安堵していた。なるべく触れないように、思い出さないように、少しだけ明るく振舞ったりする。
「そう渋い顔をしないで・・・さ、こっちにいらっしゃい」
ライラが僕らをカウンター席へ誘う。
いつからそこにいたのか、店の隅にいたひとりの客がグラスをコン、と置く音と。うっすら匂う果実の香りで場をリセットする。
もう、いつもの僕らに戻れただろうか。とにかく何も考えずに、引かれた椅子に腰掛けた。
さて何を隠そうここは酒場の一種で
客には独自に調合した一風変わった酒を振舞うことで人気を博している
が立地が立地で、知る者に紹介されるか迷い込むかしなければまず辿り着けないため、客層はかなり限られ、さらにこの街で住人同士がコミュニケーションを取ることが殆ど無いため前者は望み薄である。そうして尚客が偏る。
ライラはこの小さくて目立たない店を一人で営んでいる主人である
巨大な酒樽や異様な形の酒瓶もさることながら、どこから仕入れたのかこの街でもまず無いであろう特殊な薬物、見るからに危険な毒物、名前もわからない小動物、おぞましく蔓延る菌などを目分量で配合するので、初めて口にする時はかなり躊躇った。
だが隣でゴクゴク飲み始めるエリーを見て意を決し喉を通してみるとこれがどうしてか美味しいのだ。言葉では言い表せない不思議な味だが、宝石のように光り透き通る溶液とグラスも伴い、これはひとつの完成された作品なのだと感じた。
一度飲んでしまえば価値観は逆転し、以後は体が求めるかのように受け入れられるようになった。・・・調理中の光景を見たくは無いが。
僕らはこんな”夜の日”の余りに余る時間を潰しに訪れる、回数的には観光客だが、店主曰く常連客なのだとか。
確かに僕ら以外の客なんて殆ど見たことが無い。今日みたいに気づかなかっただけなのかもしれないが、それにしたって少なすぎはしないだろうか。メニューに言い値で付けられた額だって僕ですら奢れるほどの控えめなものだ。経営が危ぶまれる。
それでも彼女は涼しい顔でシェイカーを振っている。だから僕の気にするところでもないのだ。いつも通りに注文をしよう。
「この”ひびの入った鐘の音”ってどんなお酒なんだい。これをいただくよ」
「それは最近訪れた寺院で閃いたモノでね、お勧めはしないが不味くはないと思うよ」
「そういうのを飲むところなんだろう、ここは。エリーは何にする?」
「・・・・・・いつもの」
メニューに並ぶ材料一覧を熱心に眺めながら気もそぞろに呟く。やはり酒好き・・・。
「いつもと言うほど僕らは来てないんだけどね」
「こうも高級な食材ばかりを使わせる客はエリーくらいだから、よく覚えているよ・・・まずは”水底の冬”だったね」
「はは・・・なんだか悪いね」
「いいさ、これは私の趣味みたいなものだから。店に来てくれるだけで嬉しいよ」
しばしの時間会話をしながら彼女は調合を終らせた。そして最後に見慣れない粉を、僕のグラスにだけ振った。
「脱皮した私の皮を乾燥させて血に煎じ更に蒸散させて集めた結晶だ、精がつくよ」
そういってニヤリと微笑むのだった。
11/01/22 19:38更新 / 沙汰いく
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