沈む沈む躯
その日は朝から夜だった
数年、早ければ数ヶ月に一度、雨も降らせない分厚い雲が空を覆うことがある。正体は分からないがどうやら、水蒸気ではないらしい。
通常雲は、日が出ている限り光を乱反射して辺りは均等に明るみを帯びる。日差しの無いこの街では特にその効果は大きく、曇った日は晴れた日よりも明るいくらいだ。
しかしこの雲はどうだろう
暗い
雨雲というには余りにも暗く、それに湿気が無い。
ただ夜のような暗さと、いつもの静寂さが満ちる。
星が出ていない分、夜より暗いかも知れない。
この世界に時計が無かったら、僕らはどうしていたのだろう。
目覚めた僕を迎えたのは、赤く赤く光る瞳
「おはよう ございま す」
寝起きにそんな眼で覗き込まれると、結構怖い。
昼間、もしくは灯りの下では気づき難いが、彼女達死者の両眼はいつも赤く光っている。何らかの化学反応か魔力反応か、それとも残念が主張しているのか。何かを訴えてくるように、見た物の記憶を離れない眼だ。
しかしそれは一人の話。住民の半数が死者のこの街では、夜になれば徘徊する死者達の眼光が街全体をぼんやりと赤く浮び上がらせる。道なりに伸び、大通りから分枝するそれはまるで巨大な樹を思わせる光路となる。
この街の名物だと思うのだが・・・わざわざ見に来る者は居ない。
「おはようルア。その言葉が無かったら朝だって分からなかったよ。もっとも、君が嘘をつかない事が前提なんだけど」
「あなたに うそは つきません
ああ
いま うそをつき ました やっぱりうそです
でも あさは ほんとう ですよ」
彼女とは、ゴーストという魔族であることを理由にするわけではないが、初めに比べ人格がはっきりしてきた今でも少し話しづらい。
物理的に声を出せない彼女は、自身の周辺に「意味の通じる言葉」という思念を流しているようで(正確にはわからない)、言いたい事が伝わっても話しかけられたと言う事実が無いためイマイチ会話が成立している気がしない。例えて言えば「おはよう」と言った次の瞬間にはもう「おはようございます」と返事された記憶があるのだ。もちろんこの間隙に声を出したのはこちらだけである。まるで予め用意された反応を返されているようで発言する気力が失われてしまう。だが今日までになんとか理屈でなく感覚で慣れ、もうあまり違和感は無い。
だから話しづらいのは他の理由がある。それはルアがたまに不可解な事を言うのもあるのだけれど・・・・・・やっぱりよく分からない。
「ふわ ふわ 」
彼女は不思議そうに微笑むだけだった。
「・・・暗い」
「暗いね」
「くらい です」
二人の灯りを引き連れて、僕は街へ降りてきた。
極夜の日は仕事をしない これは街の伝統みたいなものだった。
朝から暗いのは、普段薄暗い環境とは言えやはり人間、気分の乗るものではなく倦怠感が体を包む。僕の仕事は闇を求めるものではない。作業効率から見ても夜はあまりやるべきではないので、極夜には休業して街へ降りて時間を潰すことにしている。
もちろん、二人も一緒に行く。
家から街までは一本道だ。景色もひらけていて迷うことはまず無いが、なにぶん明かりがひとつもないもので・・・。街へ向かうなら明るい方へ向かえばいいだけだが、帰る時は道しるべが何も無いため夜目の利く二人の誘導が必要になる。
足元が見えない状態はまるで洞窟の中を歩いているかのようだ。いくら彼女達の眼が光っているからと言って物を照らせる程の明るさではないので、せめてもの安全と誘導の為、エリーとは手を繋いでいる。
顔が見えないせいか、夜の彼女達は日中に比べて積極的なように思える。
「今日は何をしようか?この前みたいに酔いつぶれないように、お酒には注意しようね」
「・・・美味しかった。けど」
「ふわ」
程無くして仄かな街灯が僕らを迎える。
街は大通りを挟み東西2区に分かれている。それ以外には特に区分も無く、不規則に通う路地に沿って不恰好な建物が並ぶ。どれも年季を見て取れる古寂びた外壁を構えており、看板や表札が無く一見して何の建造物かが分からない。
それらが薄暗くライトアップされて浮び上がっている様に戦慄することも度々ある。
人影はあまり無い。人型の影という意味ではたくさん見える。それは遠くから見ても壮観だったが、近くに来て見ても中々に圧倒的な光景だった。
声こそ聞こえないが、街は賑わっている。・・・主にゾンビの少女達で。
ざっと見渡す限りでも3桁を超えるほどの人数がいる。それら一人一人の目が赤く光っているものだから、一斉にこちらを見られた日には慣れている僕でも気を失ってしまうかもしれない。だが彼女達は大人しく、ただぼーっとしているだけなので、何か危害を加えられる心配は殆ど無い。
たまに本能から僕に歩み寄ってくる者もいるが、そういう娘は大抵エリーによって押し退けられてしまう。
「おとこのひとー」
ぐい
「・・・あっちいけ」
「あそびましょー」
ぐい
「・・・あっちいけ」
こんな具合である。
さてそんな人混みならぬ死者混みを掻き分けて目指す場所は、大通りを気ままに外れた細道の、更に外れた路地の裏。死者の眼も少なくかなりの暗さなので、壁の感触を伝って這う様に進む。
ベルゼブブやデビルバグが群っている物がよく見えないのは救いか否か、あまり眼を向けないようにして、一戸を叩き返答の前に開ける。
地味な木戸は一見裏口のようでいても、入ってみれば普通に客を迎える構えの洋館を思わせるゴシックな内装だった。
人が30は入れようかという外見に合わない広さの割りに、ランプの数は一桁と少な目ではあったが、真っ暗な場所にいた僕らには眩しいくらいの明るさだった。
少し背の高い毛で敷き詰められた赤黒い絨毯の感触を足の裏で感じ取りながら、植物紋様の描かれた古びた木製のカウンターデスクへ向かう。
不規則に並び立つ空洞の甲冑達がジロリとこちらを見る。数寸も動くことなく。
霊体のルアには特に居心地が悪いらしく、この店の中ではいつもエリーの体の中に入っている。この”店”の中では。
「いらっしゃい」
数年、早ければ数ヶ月に一度、雨も降らせない分厚い雲が空を覆うことがある。正体は分からないがどうやら、水蒸気ではないらしい。
通常雲は、日が出ている限り光を乱反射して辺りは均等に明るみを帯びる。日差しの無いこの街では特にその効果は大きく、曇った日は晴れた日よりも明るいくらいだ。
しかしこの雲はどうだろう
暗い
雨雲というには余りにも暗く、それに湿気が無い。
ただ夜のような暗さと、いつもの静寂さが満ちる。
星が出ていない分、夜より暗いかも知れない。
この世界に時計が無かったら、僕らはどうしていたのだろう。
目覚めた僕を迎えたのは、赤く赤く光る瞳
「おはよう ございま す」
寝起きにそんな眼で覗き込まれると、結構怖い。
昼間、もしくは灯りの下では気づき難いが、彼女達死者の両眼はいつも赤く光っている。何らかの化学反応か魔力反応か、それとも残念が主張しているのか。何かを訴えてくるように、見た物の記憶を離れない眼だ。
しかしそれは一人の話。住民の半数が死者のこの街では、夜になれば徘徊する死者達の眼光が街全体をぼんやりと赤く浮び上がらせる。道なりに伸び、大通りから分枝するそれはまるで巨大な樹を思わせる光路となる。
この街の名物だと思うのだが・・・わざわざ見に来る者は居ない。
「おはようルア。その言葉が無かったら朝だって分からなかったよ。もっとも、君が嘘をつかない事が前提なんだけど」
「あなたに うそは つきません
ああ
いま うそをつき ました やっぱりうそです
でも あさは ほんとう ですよ」
彼女とは、ゴーストという魔族であることを理由にするわけではないが、初めに比べ人格がはっきりしてきた今でも少し話しづらい。
物理的に声を出せない彼女は、自身の周辺に「意味の通じる言葉」という思念を流しているようで(正確にはわからない)、言いたい事が伝わっても話しかけられたと言う事実が無いためイマイチ会話が成立している気がしない。例えて言えば「おはよう」と言った次の瞬間にはもう「おはようございます」と返事された記憶があるのだ。もちろんこの間隙に声を出したのはこちらだけである。まるで予め用意された反応を返されているようで発言する気力が失われてしまう。だが今日までになんとか理屈でなく感覚で慣れ、もうあまり違和感は無い。
だから話しづらいのは他の理由がある。それはルアがたまに不可解な事を言うのもあるのだけれど・・・・・・やっぱりよく分からない。
「ふわ ふわ 」
彼女は不思議そうに微笑むだけだった。
「・・・暗い」
「暗いね」
「くらい です」
二人の灯りを引き連れて、僕は街へ降りてきた。
極夜の日は仕事をしない これは街の伝統みたいなものだった。
朝から暗いのは、普段薄暗い環境とは言えやはり人間、気分の乗るものではなく倦怠感が体を包む。僕の仕事は闇を求めるものではない。作業効率から見ても夜はあまりやるべきではないので、極夜には休業して街へ降りて時間を潰すことにしている。
もちろん、二人も一緒に行く。
家から街までは一本道だ。景色もひらけていて迷うことはまず無いが、なにぶん明かりがひとつもないもので・・・。街へ向かうなら明るい方へ向かえばいいだけだが、帰る時は道しるべが何も無いため夜目の利く二人の誘導が必要になる。
足元が見えない状態はまるで洞窟の中を歩いているかのようだ。いくら彼女達の眼が光っているからと言って物を照らせる程の明るさではないので、せめてもの安全と誘導の為、エリーとは手を繋いでいる。
顔が見えないせいか、夜の彼女達は日中に比べて積極的なように思える。
「今日は何をしようか?この前みたいに酔いつぶれないように、お酒には注意しようね」
「・・・美味しかった。けど」
「ふわ」
程無くして仄かな街灯が僕らを迎える。
街は大通りを挟み東西2区に分かれている。それ以外には特に区分も無く、不規則に通う路地に沿って不恰好な建物が並ぶ。どれも年季を見て取れる古寂びた外壁を構えており、看板や表札が無く一見して何の建造物かが分からない。
それらが薄暗くライトアップされて浮び上がっている様に戦慄することも度々ある。
人影はあまり無い。人型の影という意味ではたくさん見える。それは遠くから見ても壮観だったが、近くに来て見ても中々に圧倒的な光景だった。
声こそ聞こえないが、街は賑わっている。・・・主にゾンビの少女達で。
ざっと見渡す限りでも3桁を超えるほどの人数がいる。それら一人一人の目が赤く光っているものだから、一斉にこちらを見られた日には慣れている僕でも気を失ってしまうかもしれない。だが彼女達は大人しく、ただぼーっとしているだけなので、何か危害を加えられる心配は殆ど無い。
たまに本能から僕に歩み寄ってくる者もいるが、そういう娘は大抵エリーによって押し退けられてしまう。
「おとこのひとー」
ぐい
「・・・あっちいけ」
「あそびましょー」
ぐい
「・・・あっちいけ」
こんな具合である。
さてそんな人混みならぬ死者混みを掻き分けて目指す場所は、大通りを気ままに外れた細道の、更に外れた路地の裏。死者の眼も少なくかなりの暗さなので、壁の感触を伝って這う様に進む。
ベルゼブブやデビルバグが群っている物がよく見えないのは救いか否か、あまり眼を向けないようにして、一戸を叩き返答の前に開ける。
地味な木戸は一見裏口のようでいても、入ってみれば普通に客を迎える構えの洋館を思わせるゴシックな内装だった。
人が30は入れようかという外見に合わない広さの割りに、ランプの数は一桁と少な目ではあったが、真っ暗な場所にいた僕らには眩しいくらいの明るさだった。
少し背の高い毛で敷き詰められた赤黒い絨毯の感触を足の裏で感じ取りながら、植物紋様の描かれた古びた木製のカウンターデスクへ向かう。
不規則に並び立つ空洞の甲冑達がジロリとこちらを見る。数寸も動くことなく。
霊体のルアには特に居心地が悪いらしく、この店の中ではいつもエリーの体の中に入っている。この”店”の中では。
「いらっしゃい」
10/12/18 02:56更新 / 沙汰いく
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