ココロ
「はじめまして。ご主人。アゼリアだよ。よろしくね」
パパが死んだ日、“それ”はやってきた。
“それ”は派手なお手伝いさんの格好をしていた。
何もわからなかったぼくに、“それ”はお節介だった。
「そうだ。チーズオムレツ好きでしょ?甘めの」
「なんで知ってるの」
“それ”は何故かぼくの好みを知っていた。
「はい♪あーん」
「いらないよ!自分で食べるから!」
隣に座ってにこにこしながらスプーンを差し出してくる“それ”は、人ではなかった。
オートマトン。ひとりでに動く大昔のロボットの名に因んだ“それ”は、最新のAIを搭載したパパの作品だった。
「おいしい?」
「うん」
「少しずつでいいよ。食べられるものから食べよ」
「うん」
“それ”はどんな大人より図々しかった。他の大人はぼくを放っておいてくれたのに、触らないでいてくれたのに、“それ”だけは違った。無理矢理ごはんを作って食べさせてくる。
「何かしたい?」
「なんにも」
「そっかー」
それ以上追及してこない。ただ隣にいるだけ。“それ”はやけに温かくて柔らかかった。
「お風呂入ろっか」
「え」
「身体をあっためるとリラックスするんだよー」
「ちょっと」
アゼリアはマイペースだった。いつの間にか用意してあったお風呂へ連れていく。
「はーいバンザーイしてバンザーイ」
「いいよ一人でできるから」
あっという間に服を脱がされ、彼女自身も裸に。
「甘えとけ甘えとけ〜」
「わぷっ」
背中にでっかい柔いものが当たってる…
彼女はマイペースにぼくの頭を丁寧に洗った。
「かゆい所ありませんか〜?これやってみたかったんだよね」
「ロボットのくせに。防水とか大丈夫なの?」
「お?心配してくれるの?嬉しいね。大丈夫完全防水だよ」
ぼくは背中にとてつもないものを感じながらされるがままになっていた。
そのままシャワーで泡を丁寧に流され、全身を洗いはじめる。
「前は一人でできる?」
「で、できますっ」
「はいはい。お任せしますね」
彼女は自分を洗い始めた。湯気であまり見えないけど、なんかすんごい。
彼女は湯船に手を突っ込んで熱さを確認すると頷いていた。
「ちょっとぬるめにしておきました。一緒に入ろうか」
「えええ」
「恥ずかしくないって。私オートマトンだよ?生身の女でもご主人の歳なら許してくれますって」
「あっち向いてて!」
「はいはい」
すっかり彼女のペースだ。
静かな湯船。ぼくの息する音しか聞こえない。背中合わせで狭い。
「ご主人」
「え!?何!?」
「何でも言ってね。壊れるまでは守ってあげる」
「こわいよそれ」
背中越しの彼女は鼻歌を歌っていた。
しばらくすると、彼女は風呂から出た。もう少し入っていたかったけど、彼女に風呂から出るように言われタオルで全身を拭かれた。随分大切に扱われている気がする。
「一緒に寝よっか」
「いらないよそういうのは」
ベッドで添い寝する気満々のアゼリア。だけど断る。なんだかずっとこの人のペースなのも悔しい。
「寂しいなぁ。一人で寝るのは」
「え」
分かりやすく寂しそうな声。彼女は上目遣いでぼくを見てきた。
「寝てくれないかなぁ一緒に」
「う、うん」
「優しい〜♪」
がばりと抱きつかれてそのまま布団に包まれる。
「おっぱいきつい…」
「おっとごめんなさい」
彼女の体温は温かい。機械仕掛けの人形には見えない。でも吐息がかからないのは彼女がオートマトンだから。距離感に気をつけても、おっぱいが大きすぎて当たってる……
どうしよう……
「ほい」
「わ」
ぼくはアゼリアに抱き寄せられた。何これすごい。たゆんたゆん。
しばらくそのまま。ぼくの心臓の音だけが大きくなる。
「疲れたでしょ?色々させちゃったからね」
「………なんでぼくにこんなに構うのさ」
「そういう風にプログラムされてますからねぇ。あなたの父上から」
「じゃあ感情はないの?」
馬鹿みたいだ。ぼくだけが勝手にドキドキして。全部作り物なのに。
「感情の有無はわからないなぁ。人間がどう心を形作るかは人間自身が研究中だからね」
やっぱり。何もかも作り物なんだ。
「ただ、あなたの父上は亡くなるギリギリまで私を調整しつづけた。自分がいなくなった後に全てを託せるように。その思いは本物なんですよ」
「…………」
「真面目な空気は嫌ですね。おしまい。でもこれから退屈させないから安心してくださいな」
「うん……」
段々彼女の声が遠くなる。
「おやすみ…」
色の無かった毎日はいつの間にか彼女に塗りつぶされた。
距離感がやたらに近いのは気になるけど。ぼくは寂しさを感じる暇もないまま過ごした。
彼女はぼくを知り尽くしていた。
朝はパン派なこと。好きな色ははっきりした色なこと。パパが元気なときは山に生き物を観察しに行ったこと。冬生まれでクリスマスと誕生日がいっしょこたに祝われていたこと。それがパパのプログラムだとわかっていても、ぼくには温かかった。毎日本を読み聞かせてくれたり、苦手な野菜を克服するレシピを考えてくれたり、常にスキンシップを欠かさなかったり。
「学校へ行こうと思うんだ」
「えらいえらい。でもどうして頑張ろうと思ったの?」
なでなでしてくるアゼリア。最初は恥ずかしかったけど、今はあったかい。彼女に安心してもらいたい。一人でも頑張れる事を見せたかった。
「ずっと休んでるのもだめだし」
「ちゃんと前向いてる。無理しちゃだめですよ?何かあったらこれで呼んでね」
何か渡される。これは何だろう。
「特別仕様の防犯ブザー。お守りです。何かあったらこれ使ってください。すぐに助けにいきます」
「そんなの必要ないよ。がっこうだよ?」
「おまもりおまもり。使わなかったらそれでよし。がんば!」
「ありがと」
ぼくは久しぶりに登校した。
周りが怖い。ひそひそ声が聞こえる気がする。
「あ、ひさしぶり学校来てくれたんだね」
「……っ」
先生が話しかけてきた。
怖い。先生もよそよそしい気がする。思わず防犯ブザーに手をかけかける。相手は先生のはずなのに。アゼリアの顔が浮かぶ。だめだ。まだ頑張りはじめたばかりだ。
「お久しぶりです。ご心配をおかけしました」
「お父さんのことは大変だったね。一人で大丈夫だった?」
「ひ、ひとりじゃなくて、助けてくれる新しい家族がいるから……」
先生は首を傾げている。
「お手伝いロボットさんなんだ」
「……へぇ。今は何でも自動化か。便利な世の中になったものだ」
先生は何気なくそう言ったに違いない。
だけどアゼリアをそんな風に言わないでほしい。そんな存在じゃないのに。
世界の色がなくなっていく。
その後先生がぼくに何か言った気がするけど、何を言ったかはわからなかった。
それから授業も出た気がするけど、何も入ってこなかった。
最悪の一日だった。
とぼとぼ家に帰る。
「おかえり〜。どうしたのその顔」
「だめだった……ぼくだめなやつだ……」
ふわりと柔らかい感覚。玄関でアゼリアが抱きしめてくれた。
「よしよし。よく頑張ったね。まずは一歩。一歩ずつでいいからさ。でも何がいやだった?勝ち確みたいな感じだったのに」
「先生にアゼリアをものみたいに言われたら何か……いやだった」
「ほー。怒ってくれたんだ。優しい〜。でも他人からしたら私はモノだしねぇ」
「そんなこと言わないでよ。ぼくの大切な人だし」
「でもぶっちゃけご主人も最初私のことモノだと思ってたでしょ?そんなものだよAI人形なんてさ〜」
「今は違うよ!」
アゼリアはぼくの頭の後ろを優しくぽんぽんしながら抱きしめたままでいてくれた。
情けない。いつもこうだ。
「繊細なのは感受性が豊かな証拠だよ。それはオートマトンの私には絶対真似できないご主人のいいところ。いつか絶対ご主人の役に立つよ。今は乗りこなせてないだけ」
もう少しがんばろうと思った。彼女を今度こそ心配させないために。
その日から少しずつ登校するようになった。
多少の嫌なことは我慢した。だんだん周りと話すようになった。すると周りも話しかけてくる。人は鏡なんだ。
「お前んとこ、すごいお手伝いロボットがいるんだろ?噂になってるぜ。見せてくれよ」
「え?でも……でも……」
「いいだろ?」
「な?」
無遠慮に詰めてくる同級生。集まってくる同級生。以前もらった特性防犯ブザーに手をかける。
「なんだこれ。お前こんなの使ってんの?」
一人がひっぱった弾みでブザーが鳴った。
「お呼びですか」
アゼリアが一瞬の爆風のうちに現れた。どよめく一同。
アゼリアは辺りを見回して首を傾ける。その表情は驚くほど無表情で機械的だった。こんな姿は見たことがない。
「あ、あの……アゼリア、ごめん急に呼んじゃって」
「ご無事で何より。この方々はご友人ですか?」
抑揚がない機械的な声で確認してくる。
「大丈夫。ちょっと事故でブザー鳴らしちゃって」
「真面目モード解除。じゃあ帰りますねえ」
いつものゆるい雰囲気に戻る彼女。それをきっかけに、周りで固まっていた同級生達は沸き立った。
「すげえ!何これめっちゃ美人さんじゃん!」
「おっぱいでかすぎんだろ……」
「え、この人ロボットなん?もっとドローンみたいなもんかと思ってた」
アゼリアは周りを子供に取り囲まれる。彼女は他の子には興味がないようだった。
辺りを見回して、ぼくの顔を確認してから一瞬の風と共に消えた。
その日、ぼくは話題の中心になった。
ぼくはいつの間にか普通に学校に行けるようになった。
美人のロボットメイドを連れている変わった子というポジションになった。
そのお陰で話せる友達が増え、家に呼ぶ事もあった。
楽しかった。ヒーローになった気分だった。物語の主人公になった気分で、何もかもが出来る気がした。世界が一番鮮やかに見えた。
その日は突然やってきた。
ある夏の日、超巨大地震が襲った。
激しい揺れだった。地響きの後、天と地がひっくり返るような縦揺れが収まったと思ったら今度は長く横揺れが続いた。頑丈な建物を容易く突き破る大災害は容赦がなく、ぼくはアゼリアに突き飛ばされて意識を失った。
「ご無事ですか」
「アゼリア……ありがと…………え?」
目の前にいたアゼリアは、倒れた幾重にも跨がる巨大な瓦礫に半身を潰されながらぼくを心配していた。床一体に広がる液体は人の血のような、だけど絶対違う色。潰れた傷口から金属のフレームが見える。
「ザザッ……あぁ……これはは、駄目……ザザッ……そ」
「え、あ、アゼ……リア……?嘘」
明らかに無事じゃない。広がっていく血溜りのような何か。
「まぁ……ガガッ……ご主人ガ無事で……良かった」
「なんで?なんで?勝手に壊れるのは酷い……よ……」
「ガッ……じじじ地震です。仕方ない。はぁあ〜……ザザザッ……もう少し一緒にいたかったですねねね。ままままならないもの」
「いやだよ!せっかく楽しくなってきたのに!なんで!ずっと一緒にいてよ!!」
「ご、ごめん……ささないい……ガガ……もう……活動限界……が近そ」
「そんな!嫌だ!ずっと一緒にいる!」
「聞き分けのない……ご主人、ガガ……ザザザ……これ……とっ て」
彼女は潰れた後頭部から何かを取り出して渡してくる。
受け取るかとらないかの刹那、彼女は崩れ落ち、それ以上反応しなかった。
世界が暗くなった。
周りが大地震の騒ぎで持ちきりになっている時も何も感じなかった。
「おい、大丈夫だったか」
「う、うん……」
学校の同級生達も先生達も大分減っていた。
だけどもうどうでも良かった。
生き残った同級生がぼくの手の中の何かを見て言う。
「それ、メモリチップじゃね?うちの父さまがスパコン作る仕事してんだけど、それに似てる」
「なにそれ聞かせて」
彼女が最期に渡した何かだけが世界とぼくをつなげた。
「いや、よく知らないんだけどさ」
「わかること何でも教えて」
「お、おう」
同級生によると、これは小さいメモリチップらしい。
ぼくはオートマトンについて出来る限り調べた。父の遺したものもあらいざらい。調べれば調べるほど、ぼくは何も知らなかったことを痛感した。
彼女は父の作った最高傑作のオートマトンで、父は世界的AI工学、ロボットの権威であった。父は死の病に侵されながら、自分の代わりに息子を世話できる完璧な女性を作ろうとしたのだ。そして完成させた。
小さいぼくにはまだわからないことは多かったが、彼女を生き返らすには、とにかく勉強してオートマトンの作り方、治し方を理解できる頭になるしかなかった。
でもいい。ぼくの最愛の人を治すには、とにかく賢くなるしかなかった。生きがいにして人生の目標。がんばるしかない。いや彼女が治せるなら死ぬ気の勉強なんて安いものだ。
彼女が遺したメモリは、単なる記憶媒体でしかなかった事もわかった。それさえあれば彼女を治せるものではなく、それまでの私と彼女の記憶の塊。彼女を生き返らせるには高度なAIと頑丈なボディをゼロから作り、そこにメモリをセットしなければならなかった。
勉強しても勉強しても、父の偉大さとアゼリアの完成度の高さがあまりに遠かった。
人を気遣える冗談を言えるAI。瞬間的に加速しても壊れない頑丈なフレーム。生身の人間と変わらない見た目。体温を擬似的に作り出し、人肌の質感を完璧に再現した機能美。何より、それらを全て自分一人で作り出した父の異質な才能。幼かった私を気遣い、病で朽ちてゆく頭と身体を必死で回して死ぬギリギリまでアゼリアを作り続けたその覚悟が、今ならありありとわかる。
それでも弱音を吐いている暇はなかった。
少年老いやすく学成りがたしという言葉はあるけど、まさにそうだった。
周りの同級生は結婚し、子供が生まれて新たな幸せを掴んだ。
それでも私は一心不乱に研究を続けた。
唯一の救いは、アゼリアが死に際に渡したメモリが無傷だったことだ。
これが私の心の支えだった。どんな時も。
研究の途中、様々なことが起きた。
完全自立思考型ロボット、オートマトンは一般化し、様々な弊害が起きた。
社会は変化し、既存の多くの仕事はAIが担うようになった。
女性や、性を仕事にする事は不可能になった。なぜなら理想の女性は生身ではなく、AIが再現してしまうようになったから。家事ロボットが開発され主婦業は消滅した。屈強な肉体か明晰な頭脳を持つ人間のみが社会的地位を持つようになり、人口はどんどん減った。
芸術や士業も機械に代替され、AIに対する風当たりもどんどん強くなった。
それでも私は研究をやめなかった。
時代が進んでも、幼い頃私を守ってくれたアゼリアは尚最新鋭で通用するレベルだった。
父の技術は数世代先を行っていたのだ。家事を代替し、子供の安全を任せられるレベルの知性と温かみを持つ人造女性は遙か遠く高みだった。
世間から拒絶され、マッドサイエンティストと嘲られようが、知ったこっちゃなかった。
核を積んだドローンが実用化され、完全無人で戦争が出来る世界になり、世界を担う超大国が目まぐるしく入れ替わっても、私には関係がなかった。
ただ彼女に会いたい。
もう一度。
どれくらい経っただろう。私は幼かった頃に手渡されたメモリをセットし、彼女の頭をそっと閉じた。
「ようやくだ。長かった」
起動する。
「―――――――あれ?ご主人?多分そうですよね?その目鼻立ち。データではご主人はもっと幼い筈では?あれ?」
アゼリアのあの時と変わらない姿。あの時と変わらない声。変わったのは私と時代だ。
彼女は瞳をぱちくりさせた後、首をひねる。
「君のお陰で私はここまで頑張れたんだよ……!君にようやく伝えることが出来る……」
「―――?」
「好きだ」
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パパが死んだ日、“それ”はやってきた。
“それ”は派手なお手伝いさんの格好をしていた。
何もわからなかったぼくに、“それ”はお節介だった。
「そうだ。チーズオムレツ好きでしょ?甘めの」
「なんで知ってるの」
“それ”は何故かぼくの好みを知っていた。
「はい♪あーん」
「いらないよ!自分で食べるから!」
隣に座ってにこにこしながらスプーンを差し出してくる“それ”は、人ではなかった。
オートマトン。ひとりでに動く大昔のロボットの名に因んだ“それ”は、最新のAIを搭載したパパの作品だった。
「おいしい?」
「うん」
「少しずつでいいよ。食べられるものから食べよ」
「うん」
“それ”はどんな大人より図々しかった。他の大人はぼくを放っておいてくれたのに、触らないでいてくれたのに、“それ”だけは違った。無理矢理ごはんを作って食べさせてくる。
「何かしたい?」
「なんにも」
「そっかー」
それ以上追及してこない。ただ隣にいるだけ。“それ”はやけに温かくて柔らかかった。
「お風呂入ろっか」
「え」
「身体をあっためるとリラックスするんだよー」
「ちょっと」
アゼリアはマイペースだった。いつの間にか用意してあったお風呂へ連れていく。
「はーいバンザーイしてバンザーイ」
「いいよ一人でできるから」
あっという間に服を脱がされ、彼女自身も裸に。
「甘えとけ甘えとけ〜」
「わぷっ」
背中にでっかい柔いものが当たってる…
彼女はマイペースにぼくの頭を丁寧に洗った。
「かゆい所ありませんか〜?これやってみたかったんだよね」
「ロボットのくせに。防水とか大丈夫なの?」
「お?心配してくれるの?嬉しいね。大丈夫完全防水だよ」
ぼくは背中にとてつもないものを感じながらされるがままになっていた。
そのままシャワーで泡を丁寧に流され、全身を洗いはじめる。
「前は一人でできる?」
「で、できますっ」
「はいはい。お任せしますね」
彼女は自分を洗い始めた。湯気であまり見えないけど、なんかすんごい。
彼女は湯船に手を突っ込んで熱さを確認すると頷いていた。
「ちょっとぬるめにしておきました。一緒に入ろうか」
「えええ」
「恥ずかしくないって。私オートマトンだよ?生身の女でもご主人の歳なら許してくれますって」
「あっち向いてて!」
「はいはい」
すっかり彼女のペースだ。
静かな湯船。ぼくの息する音しか聞こえない。背中合わせで狭い。
「ご主人」
「え!?何!?」
「何でも言ってね。壊れるまでは守ってあげる」
「こわいよそれ」
背中越しの彼女は鼻歌を歌っていた。
しばらくすると、彼女は風呂から出た。もう少し入っていたかったけど、彼女に風呂から出るように言われタオルで全身を拭かれた。随分大切に扱われている気がする。
「一緒に寝よっか」
「いらないよそういうのは」
ベッドで添い寝する気満々のアゼリア。だけど断る。なんだかずっとこの人のペースなのも悔しい。
「寂しいなぁ。一人で寝るのは」
「え」
分かりやすく寂しそうな声。彼女は上目遣いでぼくを見てきた。
「寝てくれないかなぁ一緒に」
「う、うん」
「優しい〜♪」
がばりと抱きつかれてそのまま布団に包まれる。
「おっぱいきつい…」
「おっとごめんなさい」
彼女の体温は温かい。機械仕掛けの人形には見えない。でも吐息がかからないのは彼女がオートマトンだから。距離感に気をつけても、おっぱいが大きすぎて当たってる……
どうしよう……
「ほい」
「わ」
ぼくはアゼリアに抱き寄せられた。何これすごい。たゆんたゆん。
しばらくそのまま。ぼくの心臓の音だけが大きくなる。
「疲れたでしょ?色々させちゃったからね」
「………なんでぼくにこんなに構うのさ」
「そういう風にプログラムされてますからねぇ。あなたの父上から」
「じゃあ感情はないの?」
馬鹿みたいだ。ぼくだけが勝手にドキドキして。全部作り物なのに。
「感情の有無はわからないなぁ。人間がどう心を形作るかは人間自身が研究中だからね」
やっぱり。何もかも作り物なんだ。
「ただ、あなたの父上は亡くなるギリギリまで私を調整しつづけた。自分がいなくなった後に全てを託せるように。その思いは本物なんですよ」
「…………」
「真面目な空気は嫌ですね。おしまい。でもこれから退屈させないから安心してくださいな」
「うん……」
段々彼女の声が遠くなる。
「おやすみ…」
色の無かった毎日はいつの間にか彼女に塗りつぶされた。
距離感がやたらに近いのは気になるけど。ぼくは寂しさを感じる暇もないまま過ごした。
彼女はぼくを知り尽くしていた。
朝はパン派なこと。好きな色ははっきりした色なこと。パパが元気なときは山に生き物を観察しに行ったこと。冬生まれでクリスマスと誕生日がいっしょこたに祝われていたこと。それがパパのプログラムだとわかっていても、ぼくには温かかった。毎日本を読み聞かせてくれたり、苦手な野菜を克服するレシピを考えてくれたり、常にスキンシップを欠かさなかったり。
「学校へ行こうと思うんだ」
「えらいえらい。でもどうして頑張ろうと思ったの?」
なでなでしてくるアゼリア。最初は恥ずかしかったけど、今はあったかい。彼女に安心してもらいたい。一人でも頑張れる事を見せたかった。
「ずっと休んでるのもだめだし」
「ちゃんと前向いてる。無理しちゃだめですよ?何かあったらこれで呼んでね」
何か渡される。これは何だろう。
「特別仕様の防犯ブザー。お守りです。何かあったらこれ使ってください。すぐに助けにいきます」
「そんなの必要ないよ。がっこうだよ?」
「おまもりおまもり。使わなかったらそれでよし。がんば!」
「ありがと」
ぼくは久しぶりに登校した。
周りが怖い。ひそひそ声が聞こえる気がする。
「あ、ひさしぶり学校来てくれたんだね」
「……っ」
先生が話しかけてきた。
怖い。先生もよそよそしい気がする。思わず防犯ブザーに手をかけかける。相手は先生のはずなのに。アゼリアの顔が浮かぶ。だめだ。まだ頑張りはじめたばかりだ。
「お久しぶりです。ご心配をおかけしました」
「お父さんのことは大変だったね。一人で大丈夫だった?」
「ひ、ひとりじゃなくて、助けてくれる新しい家族がいるから……」
先生は首を傾げている。
「お手伝いロボットさんなんだ」
「……へぇ。今は何でも自動化か。便利な世の中になったものだ」
先生は何気なくそう言ったに違いない。
だけどアゼリアをそんな風に言わないでほしい。そんな存在じゃないのに。
世界の色がなくなっていく。
その後先生がぼくに何か言った気がするけど、何を言ったかはわからなかった。
それから授業も出た気がするけど、何も入ってこなかった。
最悪の一日だった。
とぼとぼ家に帰る。
「おかえり〜。どうしたのその顔」
「だめだった……ぼくだめなやつだ……」
ふわりと柔らかい感覚。玄関でアゼリアが抱きしめてくれた。
「よしよし。よく頑張ったね。まずは一歩。一歩ずつでいいからさ。でも何がいやだった?勝ち確みたいな感じだったのに」
「先生にアゼリアをものみたいに言われたら何か……いやだった」
「ほー。怒ってくれたんだ。優しい〜。でも他人からしたら私はモノだしねぇ」
「そんなこと言わないでよ。ぼくの大切な人だし」
「でもぶっちゃけご主人も最初私のことモノだと思ってたでしょ?そんなものだよAI人形なんてさ〜」
「今は違うよ!」
アゼリアはぼくの頭の後ろを優しくぽんぽんしながら抱きしめたままでいてくれた。
情けない。いつもこうだ。
「繊細なのは感受性が豊かな証拠だよ。それはオートマトンの私には絶対真似できないご主人のいいところ。いつか絶対ご主人の役に立つよ。今は乗りこなせてないだけ」
もう少しがんばろうと思った。彼女を今度こそ心配させないために。
その日から少しずつ登校するようになった。
多少の嫌なことは我慢した。だんだん周りと話すようになった。すると周りも話しかけてくる。人は鏡なんだ。
「お前んとこ、すごいお手伝いロボットがいるんだろ?噂になってるぜ。見せてくれよ」
「え?でも……でも……」
「いいだろ?」
「な?」
無遠慮に詰めてくる同級生。集まってくる同級生。以前もらった特性防犯ブザーに手をかける。
「なんだこれ。お前こんなの使ってんの?」
一人がひっぱった弾みでブザーが鳴った。
「お呼びですか」
アゼリアが一瞬の爆風のうちに現れた。どよめく一同。
アゼリアは辺りを見回して首を傾ける。その表情は驚くほど無表情で機械的だった。こんな姿は見たことがない。
「あ、あの……アゼリア、ごめん急に呼んじゃって」
「ご無事で何より。この方々はご友人ですか?」
抑揚がない機械的な声で確認してくる。
「大丈夫。ちょっと事故でブザー鳴らしちゃって」
「真面目モード解除。じゃあ帰りますねえ」
いつものゆるい雰囲気に戻る彼女。それをきっかけに、周りで固まっていた同級生達は沸き立った。
「すげえ!何これめっちゃ美人さんじゃん!」
「おっぱいでかすぎんだろ……」
「え、この人ロボットなん?もっとドローンみたいなもんかと思ってた」
アゼリアは周りを子供に取り囲まれる。彼女は他の子には興味がないようだった。
辺りを見回して、ぼくの顔を確認してから一瞬の風と共に消えた。
その日、ぼくは話題の中心になった。
ぼくはいつの間にか普通に学校に行けるようになった。
美人のロボットメイドを連れている変わった子というポジションになった。
そのお陰で話せる友達が増え、家に呼ぶ事もあった。
楽しかった。ヒーローになった気分だった。物語の主人公になった気分で、何もかもが出来る気がした。世界が一番鮮やかに見えた。
その日は突然やってきた。
ある夏の日、超巨大地震が襲った。
激しい揺れだった。地響きの後、天と地がひっくり返るような縦揺れが収まったと思ったら今度は長く横揺れが続いた。頑丈な建物を容易く突き破る大災害は容赦がなく、ぼくはアゼリアに突き飛ばされて意識を失った。
「ご無事ですか」
「アゼリア……ありがと…………え?」
目の前にいたアゼリアは、倒れた幾重にも跨がる巨大な瓦礫に半身を潰されながらぼくを心配していた。床一体に広がる液体は人の血のような、だけど絶対違う色。潰れた傷口から金属のフレームが見える。
「ザザッ……あぁ……これはは、駄目……ザザッ……そ」
「え、あ、アゼ……リア……?嘘」
明らかに無事じゃない。広がっていく血溜りのような何か。
「まぁ……ガガッ……ご主人ガ無事で……良かった」
「なんで?なんで?勝手に壊れるのは酷い……よ……」
「ガッ……じじじ地震です。仕方ない。はぁあ〜……ザザザッ……もう少し一緒にいたかったですねねね。ままままならないもの」
「いやだよ!せっかく楽しくなってきたのに!なんで!ずっと一緒にいてよ!!」
「ご、ごめん……ささないい……ガガ……もう……活動限界……が近そ」
「そんな!嫌だ!ずっと一緒にいる!」
「聞き分けのない……ご主人、ガガ……ザザザ……これ……とっ て」
彼女は潰れた後頭部から何かを取り出して渡してくる。
受け取るかとらないかの刹那、彼女は崩れ落ち、それ以上反応しなかった。
世界が暗くなった。
周りが大地震の騒ぎで持ちきりになっている時も何も感じなかった。
「おい、大丈夫だったか」
「う、うん……」
学校の同級生達も先生達も大分減っていた。
だけどもうどうでも良かった。
生き残った同級生がぼくの手の中の何かを見て言う。
「それ、メモリチップじゃね?うちの父さまがスパコン作る仕事してんだけど、それに似てる」
「なにそれ聞かせて」
彼女が最期に渡した何かだけが世界とぼくをつなげた。
「いや、よく知らないんだけどさ」
「わかること何でも教えて」
「お、おう」
同級生によると、これは小さいメモリチップらしい。
ぼくはオートマトンについて出来る限り調べた。父の遺したものもあらいざらい。調べれば調べるほど、ぼくは何も知らなかったことを痛感した。
彼女は父の作った最高傑作のオートマトンで、父は世界的AI工学、ロボットの権威であった。父は死の病に侵されながら、自分の代わりに息子を世話できる完璧な女性を作ろうとしたのだ。そして完成させた。
小さいぼくにはまだわからないことは多かったが、彼女を生き返らすには、とにかく勉強してオートマトンの作り方、治し方を理解できる頭になるしかなかった。
でもいい。ぼくの最愛の人を治すには、とにかく賢くなるしかなかった。生きがいにして人生の目標。がんばるしかない。いや彼女が治せるなら死ぬ気の勉強なんて安いものだ。
彼女が遺したメモリは、単なる記憶媒体でしかなかった事もわかった。それさえあれば彼女を治せるものではなく、それまでの私と彼女の記憶の塊。彼女を生き返らせるには高度なAIと頑丈なボディをゼロから作り、そこにメモリをセットしなければならなかった。
勉強しても勉強しても、父の偉大さとアゼリアの完成度の高さがあまりに遠かった。
人を気遣える冗談を言えるAI。瞬間的に加速しても壊れない頑丈なフレーム。生身の人間と変わらない見た目。体温を擬似的に作り出し、人肌の質感を完璧に再現した機能美。何より、それらを全て自分一人で作り出した父の異質な才能。幼かった私を気遣い、病で朽ちてゆく頭と身体を必死で回して死ぬギリギリまでアゼリアを作り続けたその覚悟が、今ならありありとわかる。
それでも弱音を吐いている暇はなかった。
少年老いやすく学成りがたしという言葉はあるけど、まさにそうだった。
周りの同級生は結婚し、子供が生まれて新たな幸せを掴んだ。
それでも私は一心不乱に研究を続けた。
唯一の救いは、アゼリアが死に際に渡したメモリが無傷だったことだ。
これが私の心の支えだった。どんな時も。
研究の途中、様々なことが起きた。
完全自立思考型ロボット、オートマトンは一般化し、様々な弊害が起きた。
社会は変化し、既存の多くの仕事はAIが担うようになった。
女性や、性を仕事にする事は不可能になった。なぜなら理想の女性は生身ではなく、AIが再現してしまうようになったから。家事ロボットが開発され主婦業は消滅した。屈強な肉体か明晰な頭脳を持つ人間のみが社会的地位を持つようになり、人口はどんどん減った。
芸術や士業も機械に代替され、AIに対する風当たりもどんどん強くなった。
それでも私は研究をやめなかった。
時代が進んでも、幼い頃私を守ってくれたアゼリアは尚最新鋭で通用するレベルだった。
父の技術は数世代先を行っていたのだ。家事を代替し、子供の安全を任せられるレベルの知性と温かみを持つ人造女性は遙か遠く高みだった。
世間から拒絶され、マッドサイエンティストと嘲られようが、知ったこっちゃなかった。
核を積んだドローンが実用化され、完全無人で戦争が出来る世界になり、世界を担う超大国が目まぐるしく入れ替わっても、私には関係がなかった。
ただ彼女に会いたい。
もう一度。
どれくらい経っただろう。私は幼かった頃に手渡されたメモリをセットし、彼女の頭をそっと閉じた。
「ようやくだ。長かった」
起動する。
「―――――――あれ?ご主人?多分そうですよね?その目鼻立ち。データではご主人はもっと幼い筈では?あれ?」
アゼリアのあの時と変わらない姿。あの時と変わらない声。変わったのは私と時代だ。
彼女は瞳をぱちくりさせた後、首をひねる。
「君のお陰で私はここまで頑張れたんだよ……!君にようやく伝えることが出来る……」
「―――?」
「好きだ」
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25/02/22 20:58更新 / 女体整備士