読切小説
[TOP]
天譴
「ふふふ…遂に見つけたわ。私のお宝ちゃん!」

リベラは天上にぶら下がりながら、大きなダイヤをうっとり眺めていた。
辺りは薄暗い。大きく開け放たれた窓から月の光りが差し込み、暗闇に包まれたこの部屋全体を照らしているのだ。
ある程度広いこの部屋には、ある程度裕福そうな人物が寝ているベッドと、ある程度の価値の装飾がなされている。

「まさか、こんな中流階級の屋敷に隠してあるなんてね。…所詮、あんたがたには、相応しくない代物さ。」

リベラ辺りを見回した後、吐き捨てる様に言った。

「…これ以上は、何もないみたいね。…とすれば、さっさとずらかる事にしますか。」

既に物色を済ませていたリベラは、早急にこの場から立ち去ろうと侵入してきた窓から外へと飛び出した。そして中庭に降り立ったところで…

「何者だ貴様っ‼」

「…やばっ!」

運の悪いことに見回りに来た衛兵に見つかってしまった。

「賊が侵入したぞぉぉぉ‼」

迅速に仲間へ大声で伝達する衛兵。声に導かれ続々とこちらへと駆けてくる音が増えてくる。
リベラは急いで駆け出した。敷地の端まで来て、高く聳え立つ塀を恐るべき跳躍力で飛び越える。人間には成せない技だ。無論、彼女は人間ではない。いや正確には半人だ。
彼女はダンピールであった。本来、人間とヴァンパイアの間に産まれるのはヴァンパイアである。だが、稀に両者の混血種として突然変異的に産まれるのがダンピールだ。人間とヴァンパイアの子がダンピールであるのは旧時代においては一般的であった。しかし今日の魔界事情において、ダンピールが産まれるのは非常に珍しい。
彼女達は、限りなく人間に近い姿をしているが故によく人里に紛れ込んで生活している。その中で、まるで人間の様に恋をして、結婚していくのだ。
リベラもその1人だった。気になる男性こそ居ないものの、今の怪盗としての生活に多いに満足していた。

「…にゅふふふふ、これを売れば、また暫くは遊んで暮らせるわね〜。」

リベラは手元の大きなダイヤを見て、うっとりしながら今後の予定を立てていた。
先程の屋敷からは、数十m離れた木の上に乗って、脚をブラつかせている。
黒のハットに、黒のマントを羽織ったその姿は正に怪盗と呼ぶに相応しく、その瞳は妖しく赤い光を放っていた。

「今度はどこ行こうかなぁ、レスカティエはもう行ったし、王魔界は…あそこのヴァンパイア達、なんか気に入らないし〜。…う〜ん、迷うなぁ。」

すると、不意に下から声が聞こえた。

「いたぞー‼この木の上だ‼」

「えっ⁉もう見つかっちゃった⁉」

衛兵の声に、リベラは慌てて木の上から飛び去り、並木の上は渡り歩いていく。
衛兵達もそれを追ってまた1人、また1人と合流していく。

「うわわわ!まずいまずい…!」

いつの間にか、その数は三桁に届くところまできていた。
その中の1人、弓兵がリベラに向けて矢を放った。それは見事にリベラの左肩を射抜いた。

「うぐっ⁉」

その衝撃で、地面へと落下していく。そして芝生の上に落ちる。
それを確認して衛兵達は一斉にリベラの周囲を囲む。至って迅速な対応である。
一瞬にして逃げ場を失ってしまった。衛兵の1人が歩み出て剣を向ける。

「大人しく投降しろ。そうすれば、俺たちの性処理係として扱ってやってもいいぜ。…へへへ。」

「下卑た笑みね。主が醜ければ、家来も醜いということかしら。貴方達、今この世で最も汚い顔してるわよ。」

「なっなんだと!言わせておけば…‼」

男が言い終わる前に、リベラは再び跳躍した。驚きで目を丸くした衛兵達の上を優雅に飛んでいく。

「アディオス、豚ちゃん達!」

着地後、捨て台詞を残すと腰の小さなバッグから取り出した玉を衛兵に向かって放り投げた。
ぼふん!という爆発音と共に、ピンクの煙幕がモクモクと立ち込め、一瞬にして衛兵達を包み込んだ。

「ぐぁ!くそっ!煙幕か⁉」

「うぉ!目に染みる…!」

煙が晴れる頃には、リベラの姿は跡形も無く消えていた。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




「…ハァ…ハァ…まさか毒が塗ってあるとは思わなかったわ…」

あの一本の矢に塗りたくってあったのは『ヒュドラの毒』と呼ばれるものだった。この毒は、血液中に入ってから僅か数分でしに至る程の猛毒性から、かの半人半馬の賢者を死に至らしめた伝説の怪物ヒュドラの毒、と呼ばれていた。
魔物であるリベラの生命力で、今はなんとか抑えているが恐らくそう長くは持たない。
リベラは身体中の痺れと吐き気に耐えつつ、ふらふらと真っ暗な山道を歩いていたが、やがてその場に力無く倒れ込む。

「…あはは…もう、力…入んないや…」

薄れゆく意識の中で、此方に向かってくる足音が聞こえた。

「…追手…かな?…あー…あ…どうせ、晒される…なら、もっと…綺麗に…しておけば…よかったなぁ…」

狭まった視界の中で足音の主が、此方を覗き込むのが見える。

「(…ここまで…か。)」

「君!大丈夫か⁈…おい!返事を…!」

その胸元には銀に光る十字架のペンダントが揺れていた。しかし、意識を失いかけているリベラにはそれを理解する余裕はない。

「(あれ…この人…イケメン、かも…ああ…惜しい…な。)」

リベラの意識はそこで切れた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



リベラは全身を包む、暖かさの中で目が覚めた。

「あれ…私、一体…?」

気がつくとベッドの上に寝かされていた。近くでは暖炉がメラメラと牧を燃やしている。

ああ…この暖炉の火が、身体を暖めていたのね。

ふと、左肩の矢傷を思い出す。目をやると、そこには包帯が丁寧に巻いてあった。

「…痛くない。」

不思議なことに痛みはかなり引いていた。…吐き気もない。解毒も済んでいるようだ。

「一体誰が…」

そこまで言いかけて思い出した。…思い当たる節がある。山道で意識を失う寸前に見たあの人物だ。
毒で視界がボヤけていた所為で、あまり多くは覚えていないがイケメンだったことは覚えている。…魔物の性である。
不意に入り口の木製の扉が開き、1人の男が入ってくる。

「…ああ、気がついたか。調子はどうかね?」

入ってきたのは、真っ白な神父服に身を包んだ銀髪の男であった。その胸元には、銀の十字架がぶら下がっている。

「!!…貴方が、私をここまで運んでくれたのですか?」

「ああ、山道で倒れていたのを見つけてね。…傷の具合はどうだい?毒はもう抜けたと思うのだが。」

山道でリベラを見つけた神父は、大急ぎで解毒と治療の魔法を施したのだ。その為大事には至らず済んだ。

「はい、おかげさまでなんともないです。…あの、本当にありがとうございました。」

リベラはぺこりと頭を下げた。

「いやいや、大事なくてよかったよ。まあ念のため今日は安静にしているといい。」

「すいません…もう少しだけお世話になります。」

神父は手に持ったおぼんから、スープの入った皿をリベラのベッドの横のテーブルに置いた。

「これを飲んで、身体を温めるといい。」

「あ、ありがとうございます!」

リベラは皿を手に取り、添えてあったスプーンで掬って口に運ぶ。

「お、おいしい…!」

「よかった…正直、料理は得意な方じゃないんだがこのスープだけはうまく作れるのでね。…まあ、それでもダンピールの口に合うかどうか心配だったんだ。」

「!!気づいていたのですか?…私がダンピールだと。いつから…」

「山道で見つけた時からだよ。その特徴的な赤眼はヴァンパイア種特有のもの、しかし君は豪勢な貴族風の格好はしていない。そして、俗世に慣れている。つまりダンピールだ、とね。」

その言葉に、リベラはふぅ、と息を吐いて俯きがちに尋ねた。

「…私を、教団に引き渡すのですか。」

「いいや。」

「え…どうして⁈貴方は教団の神父なのでしょう?しかも、一目見ただけでダンピールと見抜くその洞察力。かなりご公明なお方だ。」

「君も随分と教団に詳しいようだね。でも安心してくれたまえ、私は教団の人間ではないよ、今はね。」

「今…?」

「確かに、かつては教団に仕える一司教だったが、どうにも奴らとは馬が合わなくてね。教団を辞めてここに移り住んだのが10年前、今じゃただの神父さ。」

「し、司教⁉かなりの階級じゃないですか‼それがなんだってこんな所に…」

「言っただろ?奴らとは馬が合わなかったのさ。…所詮、教団に従う覚悟もない臆病者だってことだ。」

そう言って神父は、憂鬱な顔で窓辺に立つ。穏やかな木漏れ日の間を、清々しい風が神父のもとまで吹き抜ける。彼の白銀の髪が後ろに靡く。

「…人類の存続の為に、悪しき魔物を討ち殺す。…そんなのはただの方便だ。奴らは金の為にしか動かない。戦争を起こして、その軍資金として徴収した金で毎日の様に豪遊している。その為に民衆を煽り、兵を煽り、勇者を死地へと追いやっている。そんな愚行が許せるか?否、俺は許せない。だから教団を抜けて神父になった。人に教えを説くのは、宗教者のあるべき姿だ。」

「…なぜ、そんなことを私に?」

リベラの問いに、神父は一呼吸置いてからこちらを向いた。

「貴女も…救いを求める顔をしていたから。…かな?」

「…!!」

瞬間、リベラは自らの内を見透かされた様な気持ちに襲われた。自分の心に真っ直ぐ突き刺さる鋭い刃。神父の言葉は、彼女の本心を確実に射抜いていた。

「…さて、私もそろそろ礼拝堂に戻らねば。…まあ、ゆっくりしていきたまえ。食器はそのままで構わないからね。…ああ、それともし気が向いたら東の屋敷に行ってみるといい。面白い人物に会えるぞ。」

意味深な言葉を残して神父は部屋を後にした。
残された私は、未だに神父のあの言葉が脳裏に浮かんでいた。

…私が、救いを求めている?何を言っているのだ、あの神父は。私が…私が孤独に怯えているとでも言いたいのか?

人の心に土足で踏み込むかのような言い回しに、どこか不快感を感じるリベラであった。
そんな彼女を、まるで諭すかのように、開け放たれた窓から穏やかな日が包んでいた。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




リベラは山道を歩いていた。神父が去ってから暫く考え込んでいたが、それも時間の無駄だということに気がついた。そして神父の言葉通り教会から東に見える大きな屋敷に向かうことにしたのだ。
部屋の窓からは黒い塔の様な物しか見えなかったが、教会から10分程歩くと、ようやくその全貌が明らかとなった。

「…なんか、とにかく黒いわね…」

4階建ての屋敷はその大きさもさることながら、何よりも、全体を黒を基調に彩った装飾が印象的であった。

「でも、手入れはあまりされてないみたいね…」

リベラは、屋敷の壁を指でなぞる。すると土の様な物がごっそりと指に乗った。
よく見ると壁のあちらこちらが破損していて、蔦も伸び放題であった。庭の噴水は枯れ果て、底はヒビ割れている。その周りの像達も手や足がなかったり、かなり損傷が激しい。
誰も住んでいないのではないか?
リベラはそんな疑問を呑み込み、恐る恐る正面扉をノックした。

「…すいませーん、誰かいらっしゃいますかー?」

…返事はない。
やはり、ただの廃墟なのではないか?…もしや、あの神父にからかわれたのでは?
とにかく一旦、教会に戻ろうとしたその時、ひとりでに扉が大きく開け放たれる。

「うわっ⁉」

けっこうな勢いで開いた扉に、思わず尻餅をついてしまった。
リベラがお尻を摩りながら立ち上がる。

「いてて…あれ?誰もいない。」

ひとりでに扉が開くのはかなり不思議な状況だが、その内に湧き上がる好奇心には背けない。リベラは再び恐る恐る、屋敷の中へ足を踏み入れた。

バタン!!

「ひぃっ!?」

扉はまたしても、ひとりでに閉じられた。勢いよく。
それと共に、真っ暗だったエントランスに明かりが灯り始めた。
最奥から順に、燭台に火が灯っていく。最後に天井の巨大なシャンデリアにすべての火が灯って、エントランスホールを日光の程の光量が照らし出す。
ダンピールであるリベラは、それに若干の不快感を覚えつつも、早く中を探索したい気持ちに駆られていた。

「あ〜ら?これは珍しいお客様ね。」

不意にエントランスの二階から、麗しい声が響く。
リベラは咄嗟に、二階中央を見やった。

「混血種なんて…この時代に珍しい個体ね。」

「ヴァンパイア…」

そこに居たのは、上品かつ妖艶な衣装に身を包んだ赤目の女、ヴァンパイアであった。彼女は、上品な白さを持つ頬を釣り上げにやりと笑った。

「そう…貴女の獲物、ヴァンパイアよ。」

ヴァンパイアだけあって、その魔力は凄まじい程に怪物並みであった。
リベラはその笑みだけで、無意識に半歩後ろにたじろいでしまったのだ。それ程までにこのヴァンパイアから放たれる妖気は圧倒的であった。

「…天敵を前にしても、動じないのね。…肝の座ったヴァンパイアね。」

「あらあら…天敵だなんて。私達、同じヴァンパイアじゃない?仲間でしょ?」

仲間ですって?こんな化け物、どうひっくり返っても勝てないわよ。

「…あら?そのニオイ、もしかして貴女が昨日彼が拾ってきた子?」

「…貴女が、神父様の言っていた面白い人?」

「面白いだなんて…よく言うわねあの神父。神父のくせに魔物助けてる方がよっぽど笑い話になると思わない?」

ヴァンパイアはそう笑いかけると、手摺りに指を滑らせながらゆっくりと、階段を降りてくる。
目の前までやってきた彼女は、にっこり笑った。

「とりあえず、私の部屋まで案内するわ。」



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



真紅を基調としたダークな仕上がりの部屋に、豪華な家具達が立ち並ぶ。ベッドはダブルベッドといっても過言ではない大きさだ。おまけにレースまでついている。
その近くの小棚の上には、エントランスのと同じ金の燭台が置かれている。
部屋まで案内されたリベラは、椅子に座らせられて待つ様に言われていた。

「…ほわぁ、ヴァンパイアだけあってやっぱり部屋は豪勢なのね…」

よく見ると装飾品の至る所にも宝石が埋め込まれている。これにより、価値がまたぐーんと上がっているのだろう。
そこでふと、手近なところにダイヤを見つける。夜眺めていてそのままだったのだろう、机の上に無造作に置かれている。
…少しだけ、触ってみる。

次に、少しだけ、持ってみる。

…少しだけなら、頂いてもいいわよね?

「盗んだりしたらダメよ。」

「!!!!」

不意に声をかけられたリベラは、予想以上に驚いてしまった。

「そのダイヤは私のお気に入りなの。だから盗んじゃダメよ。」

「…わかってるわよ。」

ヴァンパイアは近くの椅子に腰掛けると、ふぅと溜め息を吐いた。

「ところで貴女、名は何というの?」

「…名を聞くなら、まず自分から名乗るのが礼儀じゃなくて?」

「あら、それは失礼したわね。私の名はカーミラ・ウォルグ・ドラグニエル。」

「!!カーミラですって!?」

女ヴァンパイアの言葉に、リベラは思わず立ち上がってしまった。
というのも、彼女が言ったカーミラという名前。それは各地を転々とし何世紀にも渡ってヴァンパイアハンター達の襲撃から生き延びてきた、いわば伝説的な吸血鬼だったからだ。

「ふふふ…名前くらいは聞いた事があるようね。そう、私こそが過去何世紀にも渡ってヴァンパイアハンター達を蹂躙してきたあのカーミラよ。」

自分の名を知って驚いた様子のリベラに、気を良くしたカーミラは誇らしげにその豊満な胸を存分に張りながら大いに自慢した。

「…でそのカーミラが、なんでこんなところに?」

「私だって、好きでこんなとこに居る訳じゃないわよ。…どっかの魔王様が、勝手に魔物をみーんな乙女達に変えちゃうから、私もその影響で人を襲えなくなったのよ。」

「?そんなはずはないわ。だってヴァンパイアは今まで通り血を吸って、そこから精を得る事ができる身体になったはずよ。」

「そこじゃないのよ。…その、街に出ると、そこらへんの男の…精を欲しくなっちゃうの。」

「??いいことじゃない。」

「どこがよ!?見知らぬ男と寝ろとでも言うの?!そんなのイヤよ!!初めても、ファーストキスも運命の人にしかあげないんだから!!」

…まあ、確かにヴァンパイアはプライドが高いけれども…これはプライドが高いというより、貞操感がとんでもなく高いわね。

「それに私、男の血は吸わないから!誰があんな穢れた生物の体液を吸うもんですか!!」

「…でも、精を取らないと元気出ないんじゃないですか?私は半分人間だから普通の食事で充分ですけど…」

「うぐっ…!」

痛いところを突かれたカーミラは、身体をプルプル震わせたまま黙り込んでしまう。…あ、頬を膨らませた顔はなんか可愛いかも。
そんな事を思いつつも、ダンピールとしての役目を果たすためお説教を開始する。

「…こほん、いいですか?ヴァンパイアというのはですね、今の時代人間を愛するためにいるのです。そのヴァンパイアたる貴女が、人間を毛嫌いしていては世の中成り立ちませんよ?」

「…人間が嫌いな訳じゃないもん、男が嫌いなだけだもん。女だって、女を愛してもいいんだもん。」

「ええ、確かに、同性愛を否定する事は論理的では無いかもしれません。…ですが、貴女は仮にも魔物娘なのですよ?魔物娘が男を愛さなくて何をするというのですか!?」

この瞬間、カミナリが落ちるのがカーミラには確かに見えた。否、落ちたと錯覚するほどリベラの剣幕は凄まじかった。
カミナリに打たれたカーミラは、ぷるぷるとまた身体を震わせている。そんな彼女を意に介することなくリベラは続ける。

「…そもそも、高貴な種族であるヴァンパイアが、どうしてこんなに屋敷を汚くするのですか!?しっかり掃除しなさい!」

「…だって、だってこの屋敷広すぎるんだもん。」

「言い訳しない!!!!」

「はいぃ!!」

お説教は、昼前から夜まで続いた。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆






「…さて、それでは頂くとしようか。」

カーミラに説教を垂れた後、あまりに帰りの遅いリベラを心配して神父も訪ねてきた。そして、時間も時間ということで3人で食事をとることにしたのだった。
…まあ、実際は料理をするのが面倒だと三日三晩、食事をとっていなかったカーミラに泣きつかれたからなのだが。

「わぁ!貴方の料理っていつも美味しそうよね、ではではさっそく…」

カーミラが料理を食べようとフォークを持った手を伸ばした瞬間、神父の平手がカーミラの手を直撃した。

「いたぁっ!?」

「…いけませんよカーミラ、まず神への祈りを捧げてからだ。」

カーミラが頬をぷくーと膨らませながら神父を睨みつけている。神父はそれを気にせず、神への祈りを捧げ始める。すると、渋々カーミラも後に続いた。
リベラはそれを呆然と眺めていたが、やがて神父の座った目がこちらに向いていることに気がついた。

「…私はやらないわよ?」

「貴女も、私の平手が欲しいのですか?」

「………天におられる私達のー」


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「ふぅー…いっぱい食べましたわ。もうお腹いっぱいですわ…」

キレイに空になった皿が何枚も並べられたテーブルを前にカーミラが、パンパンに膨れた腹を撫でている。
…よく、あそこまで食えるな。
テーブルの奥では、神父がナプキンで口元の汚れを上品に拭き取っている。
…こっちの方がよほど貴族っぽいのだが。

「さて…それでは、そろそろ寝るとしますわ。」

「待ちなさい。」

はち切れんばかりの腹を抱えてカーミラが寝室に向かおうとした時、神父がガッチリと肩を掴んだ。
驚いたカーミラはびくっと身体を震わせた後、恐る恐る神父の方へ振り返った。

「食後、直ぐに寝るのは身体に良くありませんよ、しばらくここで休んでいなさい。…いいね?」

「は、はいぃ…!」











「…まったく、いちいち口うるさいですわ、あの神父。」

神父が後片付けの為に厨房に行った後、カーミラはリベラに愚痴を溢していた。

「まあまあ、貴女の為を思ってのことでしょ?」

「それは…まあ、そうなのだけれど。」

カーミラはキレイに掃除されたテーブルの上に突っ伏しながら、上目遣いにリベラを見る。
その可愛さに一瞬たじろいだリベラは、気を取り直して素朴な疑問を投げ掛けた。

「…ところでカーミラって神父とどういう関係なの?」

「どういう?…ああ、そういう関係なのかってこと?ないない!それは絶対にないわ。」

リベラの問いに拍子抜けと言わんばかりの様子で手をひらひらさせるカーミラ。
…どうやら、そういう感情は抱いていないみたいね。

「じゃあ、どう思ってるの?」

「どうって………お父さん、かな?」

「はぁ??」

カーミラの答えにリベラの方も思わず間の抜けた声を出してしまう。

「いやいや、百歳以上離れた奴をお父さんて。」

「本当よ?…あの神父に初めて会った時、私、初めてお父さんの様な愛情を感じたの。」

「…詳しく聞きたいわね。」

「ふふん…物好きね。いいわ。…あれは五年前、私がここでの暮らしに飽き飽きしてきた頃の話よ。」

…雨の降りしきる夜に彼は突然やってきた。
全身びしょ濡れで、事情を聞く間もなく屋敷に入った途端、倒れてしまったの。よく見ると身体中傷だらけで酷いものだったわ。
すぐに治療しなきゃと思ったんだけど、私、治療魔法はあまり得意じゃなかったし手当てするにも男の裸を見るのはいやだったから服も脱がせなかったの。そこで近くの村のダークプリーストを大急ぎで強制転移させて、事情を簡潔に伝えて治療させたの。彼女のおかげで、彼は事なきをえたわ。
朝、目を覚ました彼に事情を話すと、夕べの事は何も覚えていないって言うもんだから仕方なくこの屋敷に居候させることにしたの。
すると彼は、習慣にでもなってたのか熱心にこの屋敷の掃除をしてくれてね。料理も作ってくれたの。…まあ居候なんだから当然よね。
でも、この時から食事の時は祈りを捧げなさいとか、早寝早起きしなさいとか口うるさかったわね…。
そんな生活が何日かして、ふと気付いたの。心に灯る暖かい気持ちに。でも恋とは全然違うと思った。だって、みんなが言う様にドキドキはしなかったから。それで気付いたの、昔、人間だった頃に注がれてこなかった親の愛情を、彼に与えて貰ってるって。

「…そんなこんなで、私はあいつのことをお父さんみたいに思ってるわけ。だから別に恋心は抱いてないわ。」

「…それはわかったけど。…話がイマイチピンとこないのよね。お父さんみたいに感じるポイントが薄いというか…なんというか。」

「はぁ!?どこがよ!?完全にお父さんオーラ出てたでしょうが!!」

長々と語った過去話を否定された事にカーミラはぷんすか怒り出した。
リベラはその様に見惚れつつも、はいはいとテキトーな返事を返すのみであった。
…可愛いと思ってるなんて知れたら、どんなことされるか分からないわ。そっちの方には抗体ないのよ、私。

「…はいはい、充分休んだし、そろそろ寝ましょ?」

「むー…そうね、寝ましょうか。」

リベラの提案にカーミラは、納得はしていないものの眠気に逆らえず同意した。そしてフラフラと今度こそ寝室へと歩いて行った。

「…ところで、カーミラってたまに口調が変わるような…?」





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





翌朝、リベラはカーテンの隙間から射す日光の眩しさで目を覚ました。朝から不愉快な日差しである。

「…ううーん、もう朝か。」

夕べ、いざ寝ようとして寝るところが無いことに気付いたリベラは仕方なくソファで寝ることにしたのだ。神父は、後片付けの後教会に帰ったようだ。
リベラは未だ重たい瞼をこすりながら大きく伸びをする。

「随分、お寝坊さんですのね。」

目の前に仁王立ちしたカーミラが満面の笑みでこちらに視線を向けている。

「神父が、朝早く教会に来いと言ってましたわよ?」

「教会に?」












「来たか…」

教会の前では、神父が仁王立ちしてリベラを待っていた。
…変なとこで似てるな。確かに親子かも。

「神父さん、こんな朝早くから何の用ですか?私、一応病人だったような気がするのですが…」

「病人ではない、怪我人だ。」

「どちらも朝早くから呼びつけてはいけないですよね。」

神父はリベラの言葉を無視して、話を始めた。

「今日は村に見回りに行く。君も付いてきたまえ。」






神父に連れられて村まで降りて来たリベラは、まず、村の活気に驚いた。近年、この国では経済難が続き、山村もその余波で厳しい状況と聞いていたのだが。

「おお!神父さん!今日も見回りかね?」

「ええ…近頃は山賊も増えてますから。」

村に入ると、すぐに農民風の老人に声をかけられた。神父はそれに笑顔で応える。

「…」

しばらく話し込んだ後、神父は酒場に寄った。もちろん飲酒目的ではなく、あくまで見回りだ。
そこでも神父は人気だった。

「おっ!神父さんじゃねぇか、一杯飲んでくかい?」

「いや、勤務中だ。やめておくよ。」

神父の登場に酒場のマスターも、すぐに笑顔になった。その他の飲み仲間達もこぞって神父のところに集まっていた。

「…」




その他にも、薪割りの手伝い、家畜の世話の手伝い、村長の猫の捜索まで様々な手伝いを行っていた。その度に村人からは感謝され、神父も笑顔で返していた。

「それ、小屋までお願いね!」

「はい!分かりました!」

最初は何の気なしにやっていた作業も、村人楽しく達の優しさに触れ段々と楽しく感じるようになっていた。神父もなんだか楽しそうだ。

「いやー、いつも悪いね。」

「いえ、これも仕事の内ですから。」

そして今、ぶどう酒を貯蔵庫まで運んできたところだ。

「…ねぇ、神父さん。」

「ん?」

「なんでそんなに、村に尽くすの?」

「なんでって…私は神父として当然のことをしているだけだよ。」

リベラの問いにも微笑みで返す神父に、不可解な感情を抱いていた。いくら村に世話になっているとはいえ、幾ら何でもボランティアし過ぎなのではないか。神父なら教会で教えを説くのが一般的だと思う。

「…ただ、教えを説くだけではダメなんだ。」

「え?」

「実際に動いて、覚悟を見せなければ真に理解してもらうことはできない。偉そうに教えを説くことはしてはいけないと考えている。それに私は村の人達の寄付で生きている。これぐらいのことはして当然だ。」
「…そして、この村の人達はみな強い。今更、説法なと不要だよ。…それより私は、困っている人に手を差し伸べてこそ、真の聖職者なのではないかと思うんだ。」

神父は凛とした顔で、決意のこもった声を発した。
その姿にリベラは少し好意を持って兼ねてよりの疑問を尋ねた。

「…そろそろ、お名前を教えてくれない?」

「ん?ああ、そういえばまだ名乗っていなかったね。…アレイスターだ。よろしく。」

「…リベラよ。こちらこそよろしく。」

今になってようやく2人は互いに手を握った。そして名乗りあった。
リベラはアレイスターの手の感触に心地いい物を感じた。
…それになんだか、あったかい。こんなにも人に尽くせるだなんて、私には到底真似できないわ。でもなんだか、頑張ってる時の彼、素敵かも。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




夕方、見回りを終えた2人は酒場で寛いでいた。アレイスターは酒は飲まずただ、村人との雑談をしていた。しかし、リベラの方はそうではなかった。

「あひゃひゃひゃ…!!飲め飲め〜!じゃんじゃん飲め〜!酒はどんどん飲まないと損よ〜ふひゃひゃ!」

完全に酔いつぶれていた。周りの客達は大いに盛り上がっているが、アレイスター達のいる側の静かに酒を楽しむ客達からは哀れんだ眼差しを向けられている。

「あの女の子、かなり飲んでますけど大丈夫ですかね?」

「…もう知りません。つぶれるなら勝手にしてくださいって感じですよ。」

「酒だ〜!!酒持ってこーい!おい、アレイスター!」

「!?わ、私?」

「そうだよ、早く、持ってこーーい!」

「はいはい…」

あまりの変わり様に半ば呆れつつも、リベラのジョッキに酒を追加するアレイスター。結婚もしていないのに既に尻敷かれている様子の神父であった。










「ぐー…ぐー…」

散々飲み散らしたリベラは、突然事切れた様にばたりとその場に倒れてしまった。アレイスターが慌てて抱き起こしてみると、見事に寝息をたてて眠っていた。

「やれやれ…こうなるのは、ある程度予想してましたよ。」

「あんたも大変だねぇ、そんな酒乱娘を嫁に貰うと。」

「嫁じゃありません、ただの知り合いですよ。…よいしょ。」

神父はリベラを背負うと、教会まで運ぶため出口へと歩き出した。もう夜も更けていたため店の中は、リベラと神父とマスターだけになっていた。
その背にマスターが声をかける。その顔は、今までのふざけた様子とは少し違っていた。

「…昼間、ガノンを名乗る騎士があんたを訪ねてきた。…奴らにはお前さんは街に出掛けていると伝えておいた。なにやらこの国の紋章を鎧に付けてたが、奴らの持ってた剣に彫られたもう一つの紋章…ありゃあ教団の手の者だ。」

「…ええ、その名には憶えがあります。かつて私と同部隊に所属していた凄腕の剣士です。」

「ああは言ったが、奴らが俺らの言葉を鵜呑みにするとも思えん。…道中、くれぐれも気をつけろよ。」

「わかってます。…この人まで巻き込ませはしませんよ。」

神父は一度も振り返る事なく、酒場を後にした。

村から教会までは、少し距離があった。村を出て途中の山道に入ったところでふと空を見上げる。その瞳には哀愁が浮かんでいた。

「星はこうも輝くのに、空はこうも美しいのに…なぜ、何故人の心は醜いのだろう。ただ、自然に身を任せ穏やかに生きる事もできるだろうに…!」

神父は世の理不尽に憤慨した。しかし現実は容赦無く降りかかる。山道の脇、木の影に人らしき姿が見えた。そして、瞬時に数を把握する。

「…3人か、私を狙うにしては少なすぎるな。」

両脇に2人、後方に1人。殺気立った人影がこちらを注視している。隙を見せれば一瞬で狩りに来るだろう。
神父は立ち止まり、ゆっくりとリベラを地面に降ろす。そしてゆらりと立ち上がり拳に魔力を溜め始めた。

「!!」

それに気付いた1人が、咄嗟に飛び出してきた。その勢いのまま神父に突撃してくる。その手には教団の紋章の入った白剣が握られている。
神父はひらりと身を躱し、代わりに魔力の凝縮された掌打を腹部に叩き込む。

「ごはぁ…!?」

衝撃と共に、騎士は数m飛ばされ木の幹に激突して落ちた。
その間にもう1人が神父の背後から斬撃を加える。
神父はそれを躱し、振り返り様にもう一方の手で掌打を加える。男は背骨を砕かれ、地面に倒れこんだ。
部下の失態を離れたところで見ていた男が、ゆっくりと木の影から歩み出た。

「…腕は落ちていないようだな、アレイスター。」

「…ガノン。」

ガノンと呼ばれた男は、白の鎧を纏い金の髪を靡かせながら現れた。整った顔立ちの彼は厳格な面持ちでアレイスターの前に立つ。

「特務部隊のお前が直々に出向くとはな。」

「お前は教団にとってそれだけ危険な存在だということだ。」

「…そうか。…ところで、お前に一つ聞きたい。…俺が消えればここの住民には危害を加えないでくれるか?」

「…2日後、教団の鎮圧軍が到着する。そうなれば、ここは最早人の住める場所ではなくなるだろう…」

「…だよな。分かってる、反乱分子とそれに関わった者はまとめて始末する。それが教団のやり方だ。ならば答えは一つ。」

アレイスターはかつての同胞に拳を構える。ガノンも自身の白銀の剣をしっかりと構える。両者ともに動きには一切の隙がない。当然である。彼らは幾千という戦場を己の力で生き延びてきたのだ。中には死を覚悟する戦も沢山あった、辛い戦も幾度も経験してきた。その度に彼らは結託し、結束し、協力し合って生き延びてきたのだ。
この戦いに迷いが無かった訳じゃない。だが、この戦いは彼らが出逢った時から運命づけられていたのだ。そうアレイスターは感じていた。おそらくガノンも。

「…こうして戦うのはいつ以来だろうな、アレイスター。」

不意にガノンが声をかけてきた。アレイスターもそれに応える。

「十年前、お前と初めて会った時以来か…早いものだ。」

「ははっ…そうだな。ホントに…早いな。」

再び、両者の間に静寂が訪れる。2人とも心に乱れはない。ガノンは微動だにせず、ただジッと剣を構えている。アレイスターは魔力を集中させている。長らく続いた静寂、断ち切ったのはアレイスターだった。

「…ふん!」

地面を蹴り、一気に間合いを詰める。そして右手の魔力を収縮、竜巻に変えて放った。

「!!ぬぅ…!!」

ガノンは剣でそれを受け止める。周りの木々を吹き飛ばす程の暴風を防げるのは、聖刻によって強化された剣と鍛え上げられたガノンの肉体であったからだろう。
ガノンは竜巻を剣に受けさせ、巻き上げてアレイスターに返した。

「!?」

アレイスターは左手の魔力で作った炎の渦で押し返す。そして突き抜けた渦はガノンを直撃する。

「…ふっ。」

ガノンは渦を剣で受ける。あまりの豪炎に近くの草木は一瞬で消滅した。しかし、ガノンはそれすらも受け止める。
アレイスターはその隙にガノンの真上に飛んだ。そして雷撃を叩き込む。

「っ!」

それに気付いたガノンは紙一重でそれを躱す。その勢いで地面を蹴り、アレイスターに斬りかかった。
アレイスターも腕に纏わせた障壁でそれを受ける。辺りに鬩ぎ合う金属音が鳴り響いた。

「流石だアレイスター!久々に手に汗握る戦いだぁ!!」

「ふっ…お前も腕を上げたな。俺の連撃を凌ぎきるとは…」

二つは弾き合い、お互いに直撃を受けにくい距離をとる。アレイスターは息一つ切らさず着地した。ガノンは多少興奮気味だったが、隙は全くない。洗練された動きだった。

「アレイスター!俺はお前を殺さなければならないのが惜しい!今からでも遅くない、教団に戻らないか?」

「…ガノン、俺は教団の戦いに飽きたんじゃない。教団の教えに嫌気が差したんだ。奴らがこれからもやり方を変えないかぎり、俺があそこへ戻る事はない。」

「そうか…分かった。これ以上、往生際が悪い事はせん。どちらかが果てるまで、存分に戦おう!」

ガノンは勢いよく地面を蹴った、アレイスターも構えをとる。
ガノンの剣は凄まじい速さでアレイスターを襲った。しかし、これを右へと瞬時に躱し間髪いれず魔力の光線を放つ。

「っ!?」

ガノンは地面に食い込んだ剣を軸に回転し、光線を躱す。そしてその勢いで剣を抜き横薙ぎを加える。
アレイスターは宙に飛んで躱す。更に空中で魔力弾を幾つもガノンに向けて放った。
ガノンもそれを剣で全て弾き落とす。そして間を空けずに斬撃を加えようとした。
だが、着地したアレイスターの背後には幾つもの魔法陣が浮かんでいた。

「…これで終わりだ、ガノン。」

「っ!…ふっ見事だ、我が友よ。」

「天地滅す光(アルス・マグナ)!!!!」

アレイスターの声と共に、背後の魔法陣が一斉に輝く。そしてこの地域一帯を照らす程の光が放たれた。それは真っ直ぐガノンの元へ向かい、ガノンを包み込んだ。
凄まじい光の奔流に、やがてガノンの姿は消えていった。。



「ハァ…ハァ…」

大魔法を使い、消耗しきったアレイスターは立っているのがやっとであった。肩で息をしながら先程までガノンの立っていた場所を虚ろに見つめる。
地面は抉れ、跡形もなく消え去ったガノンの姿はどこにも無い。アレイスターは友をこの手で殺してしまった事への罪悪感で胸がいっぱいであった。
しかし、後悔はない。最期にガノンは全力で俺と戦ってくれたのだ。それを後悔する事はガノンへの侮辱になる。

「…生きる理由が、また増えたな。」

そう、小さく呟くとアレイスターはその場に倒れこんだ。




しばらくして、酔いの覚めたリベラがゆっくりと身体を起こした。

「んん…ふぁぁぁ。眠い。…あれ?ここは…」

瞼を開けるとそこには、地面に倒れこんだままびくともしない神父の姿があった。

「…あれ?神父…さん?」

リベラは何が起きたのか分からなかった。酔いから覚め、ふと目を開けたら目の前に神父が倒れていたのだ。理解が追いつかないのも無理はない。
異変は神父だけではないと気づくのにそう時間は要らなかった。少なくとも夕方までは森林であった場所に草木は無く、大地は抉れていたのだ。ここで何か超常的な事が起きたのは間違いない。しかし、それは今考える事ではないとリベラは思った。そして神父の元に駆け寄り、声をかける。

「アレイスター!起きて、アレイスターっ!!」

反応はない。慌てて心音を確かめる。

「…動いてる。」

一定のリズムで音を放つ心臓にホッと胸を撫で下ろすリベラ。よく見ると身体の傷も対した事はないみたいだ。

「…よかった。」

神父の無事にここまで安堵するのは何故だろうとリベラは気になったが、それよりも早く教会に戻って神父を休ませるのが先と、彼を担いで教会へと歩き出した。







◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆







翌朝、神父は身体を包む暖かさで目が覚めた。

「うっ…ここは…教会?一体誰が…」

状況を確認するため神父は身体を起こそうとした。だが、何かに乗られている様で動かない。仕方なく顔を動かし周囲を見る。するとー

「すー…すー…」

神父の胸の上で寝息をたてているリベラの姿があった。昨夜、気絶していた神父を教会まで運び、彼の心音に心地よさを感じていたリベラは心音を聞きながら寝てしまったのだ。事の次第を理解した神父は起こすまいとしながらも、その寝顔のあまりの可愛さに思わず彼女の頭を撫でていた。

「…これで貸し借りなしだな。」

そう呟いて神父は未だ眠りの世界にいるリベラの頭を、しばらく撫でていた。












「…ん?…もう、朝…?」

リベラは暖かい光の中で目を覚ます。窓から射し込む日光がリベラを直射していたのだ。半分ヴァンパイアであるリベラの肌は、その光によって少し赤みを帯びていた。

「…最悪ね、朝から寝覚めが悪いわ。」

そう言って起きようとした時、身体に何かを羽織っているのに気付いた。
布団である、リベラより早く目を覚ました神父が自らがかけていた物をそっとリベラに羽織らせていたのだ。
キッチンの方からは野菜を切る音が聞こえてくる。おそらく神父が朝飯を作っているのだろう。
やがて、部屋のドアが開き神父が入ってきた。

「おや、起きていたのか。朝ごはん、できてるぞ。」

神父は至って穏やかな笑顔で語りかける。昨夜の戦いの事など覚えていないかのように。だが、その心中は察するにあまりあるものであった。親友を殺したのだ、無理はない。しかし、それを知らないリベラには弱気な態度を見せる訳にはいかなかった。余計な心配をかけたくなかったのだ。

「…うん、今行くわ。」

だが、リベラには神父の笑顔の裏にある哀しみに薄っすらと気付いていた。そしてそれが昨夜の出来事に関係している事もなんとなく分かっていた。
されど、それを問いただす事は彼を傷つける事になると考えていた。故に、気付かない振りをすると決め込んだのだった。



食堂には、何故かカーミラも座っていた。聞くところによると、料理が面倒だからとのこと。…と言いつつも、本当は神父に甘えに来ているだけだ。そう思いながらリベラは席に座った。
リベラが席につくと同時にカーミラは話しかけてきた。余程、興奮した面持ちで、こちらをキラキラした瞳で見つめてくる。

「ねーねー、昨夜はどうしたんですの?」

「何がよ。」

異常なテンションで話しかけてくるカーミラに、気怠そうにしながらもコップの水を飲みながら聞き返す。

「とぼけないでよ…ほら、アレ。ヤったのでしょ?…エッチ。」

その言葉にリベラは思わず吹き出してしまった。

「な、な、何言ってんのよ!!ヤるわけないでしょ!」

「えー…昨日、アレだけ説教しておいてそれはありえませんわ。『魔物娘が男とヤらなくてどうするのですか!?』ってめちゃくちゃ大声で言ってましたわよね?」

「うぐっ…!」

的確な批判にリベラは反論できなかった。もはやたじろぐしかない。
それでもカーミラは、ここぞと言わんばかりに責め立ててくる。

「だって貴女、ヤらなきゃ世の中成り立たないともおっしゃってましたわよね?…これでは成り立ちませんね。」

「うぐぐ…」

最もだ。魔物娘が男に襲いかからないでどうするのか!?それを説いたのは紛れもなく私なのだ。しかし、私とて魔物である前に1人の女なのだ。カーミラと同じような気持ちを抱えている。

「…そうね、あの時は言い過ぎたわ。セックスだけが魔物娘というのは間違い、たとえセックスが無くても愛し合っているカップルはいくらでもいる。本当にごめんなさい。…でもね、それとこれとは関係ないでしょ!!」

「大アリですわ!パパ…いや、神父さんの様な素晴らしい男性と同棲していながら、何もせず、ただ悶々とした日々を送り続けるなど…私が許しませんわ!!」

「もう、盗られたくないのか、結婚して欲しいのかどっちなのよ。」

「結婚して欲しいに決まってますわ!あの人もいい歳なんだし、そろそろ結婚しないと色々大変ですわよ!」

「だからって、私が襲うのはなんか違うような…」

「違くないですわ!」

「おいおい、何を言い争っているんだ?朝食くらい静かに食べなさい。」

2人の、主にカーミラの声を聞いて神父が心配そうにキッチンから顔を出す。カーミラはそんな神父を、呑気にしていると感じたのか今度は神父に当たり始めた。

「貴方も貴方ですわ!こんなに美人の、しかもダンピールのお嬢さんがいて、なぜ、何故襲わないのですか!?バカなのですか!?死ぬのですか!?」

「む…サラッと嬉しいこと言ってくれるわね。」

「いや…一応神父だし、そういう事はあまり…」

「神父もクソも関係ありません!!男として聞いているのです!」

「は、はい…」

「貴方だって、マンコとかおっぱいとかちょっとは興味あるでしょ!!」
「だいたい貴方はー」

…なんだか新鮮な風景を見ている気がするのは、気の所為だろうか。ここまで神父がカーミラに言い込められているのは珍しいことである。
リベラはワクワクしながら見ていたが、やがて自分が論点になっているのに気付いて恥ずかしくなったのでやめさせた。

「…ほ、ほらほらカーミラももう充分でしょ。神父さんも困ってるから、顔、真っ赤になってるから、煙出てるから。」

「まんこ…おっぱい…」

普段、慣れていない淫語を連呼されていた神父は顔を上気させながら譫言のように淫語を呟いている。

「ちょ、神父さん?おーい、聞こえてますかー?」

「…はぁ、その程度で取り乱すなんてそれでも神父ですか!?そういう相談にくる人だっているでしょうに!」

「…その時は、毎回こんな感じになるんでしょうね。」

その後しばらく、神父はこんな感じだった。



リベラの往復ビンタで神父を正気に戻したあと、リベラとカーミラは神父の巡回に同行することにした。
そして、まず昨夜の食材のお礼として農家のケインさんのもとを訪れた。

「おお、神父さん。うちの野菜はどうでした?今季の最高傑作を贈ったのだけれど。」

「ええ、どれも美味しかったです。毎回、本当にありがとうございます。」

神父はぺこりと頭を下げる。それに対してケインはいやいやと謙遜気味に手を振った。

「そんな、気にしないでください。私はありがたくてあげてる訳ですから。」

「…?ところであのゴブリンはどこかしら?」

2人が社交的な会話をする中、カーミラは何かを探している様子で辺りを見回していた。

「ゴブリン?」

「ああ、ミルラなら朝からエルナルドさんのとこに遊びに行ってます。」

「げっ、よりによってエルナルド?!…いつ頃帰ってきそう?」

「そうですねぇ…ついでにエヴァさんのとこにも寄るって言ってましたから、夜になるんじゃないでしょうか。」

「うーん…なら仕方ないわね。また今度にするわ。」

「??」

話についていけず、はてなマークを頭上に上げるリベラに気づいたカーミラは彼女に説明を始めた。

「えーと、ミルラっていうのはこのケインさんのお嫁さんですわ。エヴァは街で薬師をしてるリッチ。…そしてエルナルドは、この地域の親魔物派の街や村を警備しているデュラハンですわ…」

…ん?エルナルドさんの時だけ、怯えているような声色だったのだが。

「カーミラはよくエルナルドに叱られてたからな、それなりに苦手なんだろ?」

神父が補足する。それによりリベラはだいたいの予想がついた。

「…つまり、お父さんより恐いお母さんってことね。」

「ち、違いますわ!私があんな下級の騎士を恐れる訳がないでしょう!」

「…下級の騎士ねぇ、今度会ったとき伝えておくよ。」

「な!?アレイスター!貴方という人は…!!」

神父の言葉に、カーミラは恨めしそうな目を向ける。対して神父の方はにやにやとこれまでに見たことがない悪い顔をしていた。
…神父って意外とSなのかしら?


しばらくの談笑の後、一行は村長のもとに向かっていた。先日は不在のため会うことができなかったが、ここに長い間留まるのであれば挨拶はしておかなくてはと、リベラは考えていた。
村の中央、他の住民と変わらない普通の家に村長は住んでいた。

「…意外と普通の家なのね。」

「まあな、村長夫妻は豪邸とかそういうのには興味がないんだよ。それよりも、祭り事に費やす方がよっぽど楽しいって考えの持ち主だからな。」

「…なんか、はっちゃけてそうな印象を受けますね。」

「はっちゃけているといえば、はっちゃけてるわね。」

神父が歩み出てドアをノックする。すると中から、凛々しい青の短髪の青年が出てきた。

「おお!神父さま、それにカーミラ様じゃないですか!どうされたのですか?」

「先日、手紙で伝えた通り、新しい村人を連れてきました。」

「リベラです。危ないところを神父さまに助けていただき、しばらくここに住むことになりました。よろしくお願いします。」

「歓迎しますよ、リベラ殿!ささ、中に入って、お茶でもどうぞ!」

「おや、それではお言葉に甘えて、失礼します。」

「失礼するわ。」

「失礼します。」

家の中は、意外にもきちんと整理されていた。掃除も頻繁になされているようでゴミ一つ見つからなかった。

「…こちらで座っていてください。すぐにお茶を入れますからね。」

そう言って村長は、キッチンの方へ行った。
残された一行は、それぞれに部屋を見回している。

「…さすが、隅々まで掃除されてるわね。」

「なんせキキーモラだからな、甲斐性の奥さんがいるというのは羨ましい限りだ。」

「へー、奥さんがキキーモラ。それなら多少弾けてもなんとかしてくれそうですね。」

「そうだな。主な条例や会議での決定は村長が行うが、それ以外の事務作業は彼女1人で行っているほどだからな。そうとう腕の立つキキーモラなのだろう。」

「お待たせ致しました、こちら紅茶でございます。」

噂をすれば、話に出ていたキキーモラだ。
紅茶を盆に乗せて運んできた。テーブルまで来ると一人ひとりにティーを配る。
配り終わると同時に、村長が彼女の肩に手をかける。

「彼女はうちの嫁です。」

「カルロスの妻でキキーモラのシアネスと申します。以後、お見知り置きを…」

シアネスはぺこりと頭を下げる。その姿勢は完璧ともいえるほどで、彼女のキキーモラ、ひいてはメイドとしての実力の高さが伺える。

「…さて、それでは改めて自己紹介をさせてもらうよ。ここ中立地域イースト村の村長を務めているカルロス・ヴァリーグだ。よろしく。」

椅子に腰掛けた後、自己紹介と共に手を差し出すカルロス。リベラはにこやかにその手を握る。

「こちらこそよろしくお願いします。」

「ははっ、敬語じゃなくてもいいよ。リラックスしてくれたまえ、俺もその方が話しやすい。」

「…ええ、わかったわ。」

さて、と真剣な顔になった村長は腕を組み神父の方に目を向ける。

「…昨日の事件についてだがー」

「!…お待ちください村長。その話は彼女にはー」

村長の話しに神父が待ったをかける。その表情には焦りが見えた。しかしカルロスは神父の言葉に異を唱える。

「いや…知っておかねばなるまい。少なくとも教団に見られてしまった以上は事情を知っておいた方が安全だ。…アレイスター。」

「…分かった。」

「??」

まったくもって、話についていけずリベラはまたしてもはてなマークを浮かべていた。
今度はそんな彼女に目を向けたカルロスは、真剣な面持ちで話を続けた。

「…先日の事は、シアネスから報告を受けている。…ガノンが現れたそうだな。」

「っ!…ああ、俺が倒した。」

先日って…
リベラは昨夜の出来事を思い出す、いや正確には何が起きたのかは分かっていないが、W何かWが起きたことは分かっていた。
それの詳細について少なからず、興味があったリベラは黙って話に聞き入った。

「いや…あいつはまだ死んでいない。」

「っ!バカな…!W俺のWアルス・マグナを受けて無事で済むわけ…!」

「…ああ、本来ならWお前のWアルス・マグナを受けて生きていられる人間がいるはずもない。…だが実際に、あの戦闘の数時間後、シアネスが奴を目撃している。」

神父は信じられんといった様子で顔を強張らせる。その表情からは焦りと悲しみが感じられた。
一方リベラは、神父の言葉に耳を疑った。

「…ちょっと待って。…アルス・マグナですって?」

…アルス・マグナ、偉大なる魔法。それってとんでもない大魔法じゃない!言い伝えによれば、世の理を超越する威力を持つ魔法で、数多ある大魔法の中でも神代の力を持つと言われる、超絶魔法よ!?しかもその使い手は一時代に七人しか存在できないと言われていて…。

「なんでそんな大魔法を、アレイスターが使えるのよ!彼は…ただの神父ではないの?」

カルロスはリベラの動揺ぶりに、なんら狼狽えることなくその場で深い溜息を吐いた。そして一呼吸おいて、口を開いた。

「ああ…そのとおりだ。彼は元々神父などではなかった。彼の前職は…教団直轄魔導軍団団長、殲滅機動総長アレイスター・ジャス・ヴィルコッティ。『万術の魔導師』と呼ばれていた男だ。」

「…!!」

…万術の魔導師!!まさか…そんな!!

リベラの心に黒い感情がこみ上げる。

…だめ!やめて!これ以上は出てきてはだめ、憎まないで…!この人は…この人は!

「…知っているのか?」

リベラの驚き様に、心配したカルロスが声をかける
。リベラは俯いたまま虚ろに返事をする。

「…万術の、魔導師。…ええ、その名前はよーく知ってるわ。…だって、その男に私の両親は殺されたのだから。」

「っ!!なんだと…!?」

「…!!」

「…」

驚愕の事実に、皆一様に驚きを隠せない。しかし1人だけ、何の反応も示さない者がいた。
カーミラである。彼女はまるで知っていたかのように眉一つ動かさず前を向いている。

「…なんで…なんでなの?」

リベラは問う。そしてその中で必死に怒りを抑える。好きな人を憎みたくない。その気持ちが強く、この先の言葉を押しとどめている。
今、心の中から湧き上がるのは憎悪と怒り、家族を奪われた悲しみと…恋した人を憎んでしまう哀しみだった。
それを表に出すまいと、リベラはただ必死に感情を抑え込む。自分が一生をかけても呪うと誓った相手が、皮肉にも自分がもっとも惹かれた男であった。
その事実にリベラは、心が押し潰されるような痛みを感じた。そして、感情に歯止めが効かなくなっていく。

「なんで…どうして…!」

「落ち着けリベラ!こいつはもうあの時の男ではないんだ、こいつは…アレイスターはもうー」

「その名を呼ばないで!!!!」

今までに放ったことが無いほどの大声でリベラは叫んだ。突然のことに、カーミラを含めたその場の全員が言葉を失い身体を硬直させた。

「…その名を聞いた時、気付くべきだったわ。貴方が…私の追い続けていた仇だって!」

「…」

「…何黙ってるのよ?ねぇ…何とか言いなさいよっ!!」

言葉の見つけられない、否、感情の整理すらつけられていないアレイスターは、何も言えずにただ俯く。
そんな彼にリベラは、何度も何度も罵声を浴びせた。古今東西、ありとあらゆる罵詈雑言をぶつけた。
そして最後にー

「…両親だけじゃない。村ごと焼き払っていった貴方は許されるべきではないわ…少なくとも私は…絶対に、絶対に許さない…!」

「リベラ…もうこれ以上は…!」

「部外者は黙ってなさい!!」

カルロスの言葉を一蹴して、改めてアレイスターを見つめる。その目には怒りや憎しみが煮えたぎっていた。

「…ちょっとでも、信頼した私がバカだったわ。…さよなら。」

捨て台詞を残してリベラは去って行った。
残されたアレイスターはただジッと紅茶の水面に視線を落としたままだった。







◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆







リベラは山道を走っていた、彼と最初に出会ったあの山道である。傷付き倒れていた自分を背負い、歩いたであろうこの道を。昨日、彼を担いで歩いたこの道を。

…万術の魔術師!彼が…彼がパパとママを、村のみんなを…!許さない。改心した?もう殺さない?ふざけないで!それじゃあ殺されたみんなはどうするのよ?改心する前に死んだ多くの命は、どうすれば救えるのよ!

とめどない感情が、怒りが溢れて止まらない。次々に考えたくないことや言いたくない言葉が出てきてしまう。…それが哀しくて堪らない。

「…でもどうして…?憎いはずなのに…殺したいはずなのに。どうして私は、こんなに哀しくなるの?なんで…なんで憎みきれないのよ!!」

頭では憎くても、心がそれを許さない。リベラは双方の思いの打ち消し合いに思わず叫んでしまった。否、叫ばざるを得なかった。

「私は…私は!!」

ひたすらに走る。走って走って、もう街の近くの丘までまで来ていた。そこからは、ダイヤを盗みに入った屋敷が見えた。

「…あの屋敷、この前の…ふふ、いいこと思いついたわ。もう一度盗みに入って、あの衛兵達に恥かかせてやるんだから。肩の傷の礼よ!」

交錯する心の乱れを紛らわすため、あの夜の屋敷に再度潜りこもうとしていた。それは怪盗として致命的なミスであった。
一度、盗みに入った場所に時の経たぬ内に再度盗みに行くのはあまりにもリスクの大きい行動だ。しかし、リベラが今の精神状況で正常な判断を下せる訳もなく一心不乱に丘を駆け下りた。


だが数mほど降ったところで、武装した集団を発見する。
咄嗟の行動で木の影に隠れ、見つからずに済んだが、その集団が気になりそっと木陰から覗いた。
白の鎧に、白の剣。白い旗に刻まれたマーク、あれは教団の軍隊だ。

「しかし、何故教団がこの地域に?ここは教団の支配からは無縁の田舎のはずだが…」

リベラが思案していると、先頭に並んだ兵の1人が声を上げた。

「これより我らは、『万術の魔導師討伐作戦』を開始する!目標はかの有名な『万術の魔術師』だ。我らが全力をもって当たらねば、勝てぬ相手だ。一瞬足りとも気を抜くな!その瞬間こそ貴様らの最期と思え!!なお、目標に関わった全てのモノを排除するのを忘れるな。子供一人逃すな。皆殺しにするんだ!」

「「はっ!!!!」」

…っ!!何ですって!?皆殺し?!奴らは何を考えているの!1人殺すのに村ごと滅ぼすなんて…いや、それだけ彼が危険な存在だという事なの?存在ごと消さなければならないほどの男だというの!?

リベラは怒りに震える。なんて身勝手な、なんて傲慢な考えなのだろう。そう思わざるを得なかった。
そんな中、集団の中に思いも掛けない人物を発見する。

「…ところで、ダイヤは取り返してくれるんでしょうね?そのためにわざわざ私兵を割いてまで同行したのですから。」

「安心めされよ、ダイヤは必ず取り戻す。そして、盗みに入ったという魔物の娘も必ず殺す。悪の芽は摘める内に摘まねばならぬからな。」

「っ!!」

…あの男、屋敷の主人じゃない。そんなにこのダイヤが欲しいわけ?…まったく、わざわざ教団と手を組まなくてもいいのに。

街一番の有力者と同盟を結んだ教団軍は3000を超す兵力となっていた。
あれが村に到着すれば、ひとたまりもないだろう。それだけは防がねば、リベラはそう思い、策を考える。

「…ダメだわ。何も浮かばない。あの大軍を止める術など、あるはずがない!!」

しかし、奴らが数を増やしてしまったのは自分のせいでもある。その罪悪感からリベラはなんとしても彼らを止めようと頭をフル回転させる。そして、一つの結論に至る。

「…これしかないわね。」

首領を討ち取る。教団軍の長とみえる男と、屋敷の主人。その2人を倒す事ができれば、兵は引いてくれるかもしれない。少なくとも、金で雇われた衛兵達は引いてくれるだろう。
無謀な策を選んだリベラは、木陰でジッと、2人が通りかかるのを待つ。

…10m、9m、8mー

段々と近付いてくる目標に、自然と心音が高まる。ナイフを握る手にも力が入る。

「…5m…3m、今だ!!」

リベラは、木陰から山道に飛び出し一直線に教団軍の首領に襲いかかる。
そして、頭上にナイフを振り下ろした。

「っ!!」

辺りに、金属音が響く。しかし、男はしっかりとその場に立っていた。その手には剣が握られている。

「外した!?」

「甘いのだよ、これだけの軍を任された人間がこの程度の奇襲に対応できぬとでも思ったか?」

男の、非情なる刃がリベラの肢体に振り下ろされる。
肉の切れる音がして、鮮血が辺りに飛び散る。白く美しい肢体に右から斜め一直線にパックリと斬傷が刻まれる。
剣に付いた血を払い、男はゆっくりと剣を鞘に納める。
そこにー

「…っ!この女だ!こいつが私の部屋からダイヤを盗んだのだ!」

奇襲犯の正体に気付いた屋敷の主人が、ひっきりなしに喚き散らす。

「ほぅ…これが例の魔物か?それにしては随分、人間に近い形をしているな。面白い。だが、ここで殺しておくのが得策であろう。」

そう言って、教団軍の首領は純白の剣を鞘からゆっくり抜き放つ。そして無表情で自論を語りだす。

「…魔物とは、その存在ゆえに滅ぼされるのだ。魔物に促される堕落など、当に全ての人間がしている。欲望など全ての人間に持たされている。それを封じ、廃し、消すことは愚行以外のなにでもない。人は欲望の傀儡として生きるべきなのだ。より高位の存在になるために、欲を抑え、純潔を論ずることは無意味だ。高みを目指すのであれば、己の欲に準じ、ただやりたいことをやれ、なりたい様になればいい。それこそが人のあるべき姿なのだ。」

「…ふっ…ふふふ、長々と、御高説ありがとう。…でもね、そんなもの敗者の言い訳でしかないわ。人は…人はもっと輝けるのよ。欲に準じなくても、なりたいものになれるのよ!!」

「…その様で語られても、なんの説得力もないぞ魔物。堕落と称し、性に固執させ人間から未来を奪い取る。貴様ら魔物は人間にとって邪魔な存在でしかない、ゆえに滅ぼされるのだ。…案ずるな、楽に死なせてやる。おとなしく身を任せておけばよい。」

男が剣を構える。おそらく一突きで頭を貫くつもりなのだろう。その鋒が、彼女の頭を正確に捉えている。

…私、死ぬのね。なんとも私らしい最期だわ。…でも、どうせ死ぬならあんなこと…言わなければよかったなぁ。最期の最期に喧嘩別れなんて……

「死ね。」

「………アレイスター。」


……………………ごめんなさい。




「やらせんぞぉぉぉ!!!!」

「っ!?なんだ?」

突然、上空から声が響き渡る。それに気付いた首領が剣を引き空を見上げる。



……あれは…



太陽を背にして、小さな人型のシルエットがこちらに降ってくる。



「……アレイスター…?」

ずん、と大地に食い込む形で着地した影はやがて日の光に当てられ姿を露わにする。

「…アレイスターか。」

瞳に闘志を宿した男、神父アレイスターであった。
降り立った彼は、一目散にリベラの元に駆け寄る。

「リベラっ!!」

「…アレイ、スター。…ふふ、なんで来たのよ。私は、貴方に散々ひどい事言ったのに…」

「ひどくなんかない!全て事実だ。俺は君に謝っても許されないことをしたんだ。…それでも、それでも君を助けたい!!お願いだ!君を、リベラを助けさせてくれ!!」

…この人…なんて……馬鹿な人なの?…自分を憎んでいる相手を…助けたい、だなんて…

「…貴方…本当にバカね…私なんか…を…助けたいなんて…ホント…バカ。」

アレイスターは高位の治療魔法を詠唱無しで即座に発動した。致命傷であった傷はみるみる内に塞がっていく。
それを見ていた首領が呟く。

「…腕は落ちていないようだな、アレイスター。」

「…ノーチラスか。…久しいな。」

おそらく彼も神父の知り合いなのだろう。しかし、神父の目には何故かガノンの時のような哀愁の色が感じられなかった。

「…変わっていないのだな、ゴミ屑同然の虫けらを庇うその愚かさは。」

「…貴様も変わっていないな、己の為に平気で他人を斬り捨てるその非道さは。」

神父の言葉に、ピクッと眉を動かした首領の男は七三分けにした金髪の先端をクルクルといじりながら神父を見下ろす。

「…目障りなのだよ。その愚かさが。私が配属された頃から、私は貴様が目障りで仕方なかった。戦闘の度に、ゴミのような民をいちいち気遣う愚かさが。だから嵌めたのだ。…パンネモ村の戦闘でな。」

「っ!!…なん、ですって?」

リベラはその村名に聞き覚えがあった。というか忘れた事さえなかった。自分の生まれ育った村の名前を…この男は口にした。その事が衝撃的であった。

「んん?…小娘、貴様、あの時のガキか?おやおや、こんな場所で再会するとは思わなんだー」

「ノーチラス!!それ以上は…!」

「なんで…私のことを知ってるの?…アレイスター、こいつもあの悪魔達の中にいたの?!」

「くっ…はははははは!!!!これは傑作だ!まさか記憶を失っているのか!?ははは…!!!よもや…くく…忘れていようとは…!ははっ!!」

急に、弧を描いて笑いだしたノーチラスに辺りの者は一様に動揺を見せる。
中でも一番この状況を理解できていないのはリベラであった。

「なに?…あなた、何を知っているの!?」

「くくっ…仕方ない、今一度、思い出させてあげよう。」

「やめろノーチラス!!」

「あの村を襲ったのは、アレイスターではない。」

「え…」

「ノーチラスっ!!!!」

「私だ。私が貴様の両親を殺したのだ、親族を裂き、幼馴染を真っ二つにしたのも私だ!…あぁ、貴様の両親は実に斬り甲斐があった…斬っても斬っても再生し、起き上がってくるあの浅ましさ、身震いするほど興奮したぞ…!」

「…うそ」

「嘘ではない。…あの時、よほど錯乱していたのであろう、貴様は必死になって貴様の両親を庇ったアレイスターを仇と見間違えたのだ。そして、私の報告によって濡れ衣を着せられたアレイスターを仇と確信したのだ。」

「そんな…私…ずっと、恩人を恨んでいたの…?」

…そんな…そんなこと…私、好きな人を…命の恩人を、殺そうとー

「しっかりしろリベラっ!!!!」

「っ!!」

「君は、間違っていない!!俺が救いきれなかったから…教団を拒みきれなかったからいけないんだ!君は…何も悪くない!」

「………アレイスター。」

「だから、君は…君だけは必ず守る!守りきってみせる!!」

…こんな私を…助けてくれるの?勘違いして、早とちりして…挙句、1人で立ち向かって斬り伏せられた私を…アレイスター。

「…喜劇は終わりか?」

退屈した様子のノーチラスが、アレイスターに問いかける。
キッと向き直ったアレイスターは、あからさまに敵意を剥き出しにした瞳でノーチラスを睨みつける。

「…ん?何を睨んでいるのだ?私はただ、疑問に思った事を口にしたまでだ。なんら不思議な事はない、喜劇は終わったのかと聞いたんだ。」

「…それ以上言うなノーチラス。俺は貴様を許さない、絶対に殺す!!」

「大きく出たな『万術の魔導師』。」

「…今度は手加減しない。確実に葬る!!」

「…ふぅ、やれやれ、今の貴様で勝てる訳が無いだろう?…貴様、ガノンとの戦闘での消耗が回復しきっていないだろう?」

ノーチラスは、にたぁと笑いながら告げる。
確かにそのとおりである。神父は、あの夜のダメージが回復しきっていないまま救出に訪れたのだ。しかも、村からここまで上空を飛んできたのだ。あきらかに消耗している。
それでもアレイスターは、諦める訳には行かなかった。

「…それでも、お前を倒すくらいの力なら十分残っている。」

「………減らず口を。」

この時においても、ノーチラスは無表情であった。
そして、右手をスッと上に挙げた。

「…全軍、『万術の魔導師』を排除しろ。」

「なっ!?」

この後に及んで、ノーチラスは抜かりない選択をした。いくら、消耗しているとはいえ、仮にも魔導軍を率いていた男だ。敗れることはないにしても無傷では勝てまい。
そんなリスクを背負うくらいなら、せっかく用意した大軍を使うほか手はない。
ノーチラスは打算家的な判断で、3000の兵を差し向ける。
この危機的状況に、アレイスターは何故か笑みを浮かべていた。

「…おもしろい冗談だ。まさかその程度の兵力で私を討てると思っているのか?」

突如、上空に飛び上がったアレイスターは両手に魔力を溜める。

「このアレイスター、伊達に『万術の魔導師』を名乗っていた訳ではないわぁ!!!!」

両手から無数の魔力魂を作りだし地上の敵兵に浴びせかけた。

「う、うわぁぁぁぁぁぁ!!?!」

雨の様に降り続く魔力魂に、盾で防ぐ間もなく、剣で弾く間もなく、それどころか盾や剣を貫通打ち砕く勢いで襲いかかる弾丸に兵達はなす術もなく蹴散らされていく。

「た、たすけーぐぎゃっ!?」

「ひ、ひぎぃ!!」

屋敷の主人の私兵達も次々に倒れていく。その圧倒的光景に屋敷の主人は腰を抜かし逃げることもできずに震えていた。

「あ…ああ…!私の…兵達が!」

「…ふむ。」

一瞬で200人程を蹴散らしたアレイスターは、間を置かずして、今度は巨大な炎の渦を敵軍にぶつけた。
渦は忽ちに触れるものを消し去っていく、がもちろん命までは奪わない。更に200人程を蹴散らしたところで、アレイスターは地上に降りて、ノーチラスに向き直った。

「…これでわかったろ?おとなしく退け!さもなくば、この場にいる全ての兵が命を散らすことになるぞ?」

圧倒的な力の差を見せつけ、撤退を促すアレイスター。
しかし、ノーチラスは未だ無表情のまま、無残に転がる兵達を見つめている。

「…残酷だな、非情なまでに。」

「なに…?」

「あれだけ、正義を説いておいて自らは躊躇なくガノンを殺した。…矛盾していると思わんか、諸君?」

無表情のまま、後ろの兵達に目を向ける。兵達は怯えた様子もなく、ただ一言答える。その状態の歪さはその無感情さであった。彼らは、何も感じぬかのようにただ無心で応えている。そうアレイスターには思えた。

「はい、ノーチラス閣下!!」

「こ、これは…!」

異常なまでの光景にアレイスターはこの先の言葉を失った。
完全なる従属。彼らは何らかの手段でノーチラスに完全に服従させられている。
催眠、拷問、そんな生易しいものじゃない。本能の奥底にまで刷り込まれているのだ。

「…お前…人をなんだと…!!」

「愚かだな、アレイスター。敵にまで情を向けるのか。そしてそれが命取りとなるのだ。あの時の様に…」

「言うな!!…俺はもう、あの悲劇を繰り返させないって決めたんだ!だからノーチラス!お前をここで倒す!!」

「おや、私は退かせてくれないのかね?なんともひどいことだ。…なら仕方ない。」

ノーチラスは再び、剣を抜き放った。白く輝く剣身には、僅かに聖刻が刻まれている。
それを見つけたアレイスターは驚いた様子でノーチラスに尋ねる。

「お前、その程度の聖刻しかしていない剣で俺と戦うのか?!」

「…はて?私は十年前からずっと、この剣しか使ったことはないが…」

「っ!!」

…バカな、ならあの時、奴は殆ど生身で俺の魔法を受けていたというのか?!

「ありえん…!!」

「ありえるから今、生きているのだ。…つまらぬ事を言っていると、貫くぞ?」

…っ!!恐ろしい速度で接近してくる!これは、加速魔法(ブースト)!

「っ!!」

激しい金属音を放ちながら、アレイスターは右腕で剣を受け止める。

「…ご名答、この加速魔法を用いれば、貴方の速度にも付いていけるわけですよ。…もっとも、貴方に加速魔法を使われればそれまでなのですが…」

「…ふっ、使わせる暇も与えないのだろ?…安心しろ、そんなもの使わなくても今のお前程度の速度なら容易に付いて行ける。」

「言いますね、ですがこれはどうです?」

アレイスターを弾いて鍔迫り合いを中断したノーチラスは、再度右手を挙げ兵達に命令を下した。

「…魔物の娘を殺せ。」

「っ!!お前…!どこまで!!」

ノーチラスの非道さに怒りを露わにするアレイスター、だが、その間にも敵兵はリベラのところまで迫っていた。

「だ、ダメだ!間に合わん!くっ、くそぉぉぉぉ!!!!」



「おぉぉりゃぁぁぁ!!!!」

ズン!と、敵兵の前に立ちはだかった男は背に持っていた大剣で迫り来る敵をまとめて薙ぎ払う。
そして、クルクルと回転させた後、再びズン!と地面に突き刺した。

「お前…カルロス!!」

大剣を携えたカルロスは二カッと笑い、上を指差す。
促されるままに空を見上げたアレイスターは、太陽を背にもう一つの影が落下してくるのが見えた。


スタッと静かに降り立った影は、手にした槍で敵を薙ぎ払う。そして、クルクルと回転させて横に立てる。

「と、シアネスさん!?」

「はい。」

にこやかな笑顔で、呼び声に応えるシアネス。アレイスターは思わぬ援軍に慌てて2人に問いかける。

「お前達、もう戦はしたくないと…!」

「そんなことも言っていられまい。友であるお前のピンチだ、駆けつけずしてなんとする!」

「…それに、どのみちここを突破されては村に甚大な被害が出ます。ここで彼らを倒す方が得策です。」

「お前ら…」

アレイスターが感動に浸っていると、上空からもう一つの影が落下してきた。
影は、地上に着く手前でフワリと宙に浮いた。

「…それに、私が同族を見捨てる訳ないでしょう?」

「カーミラ!!」

「…ほら、貴方はさっさとそこの胸糞悪い男をやっつけてしまいなさい。」

そう呟いたカーミラに、決意のこもった眼を向け無言で頷くと、ノーチラスの前に再び立ちはだかった。
一方のノーチラスは、相変わらず無表情でこちらを見ている。

「…教団直轄聖剣士軍団団長カルロス・ヴァリーグ。そして…ふむ、それが例のキキーモラか…噂によれば、とあるリリムの側近だったとか。どうやって手篭めにしたのか知らんが、なかなかやるなカルロス。」

「…ふん、大きなお世話だ。」

「…それに…それが伝説の女吸血鬼カーミラか。…なんとも貧弱そうななりをしているな。」

やれやれといった様子で、嘲笑うノーチラス。
あからさまな挑発にも関わらず、カーミラは眉をヒクヒクとさせている。

「言いますわね…このガキ。私ほどのアンデッドにはそうそう会えませんわよ?」

「ククク…冗談も通じんとは、よほど年代物の脳をしていると見える。」

「!!なんですってぇぇ…!!」

カーミラの周りに真紅のオーラが放たれる。地面を揺るがすほどの魔力に、ノーチラスは感服したように笑みを浮かべた。

「これは見事だ…!これが、伝説の吸血鬼の魔力なのか?!いやはや、見かけによらぬな。」

カーミラの圧倒的な魔力波を受けても、動じることなくノーチラスは狂気の笑みを浮かべ、好奇心に胸躍らせている。
その様子に呆れつつも、アレイスターは剣を構えた。

「お喋りはここまでだノーチラス。…さっさと始めるぞ。」

「…あー、私は早くあの吸血鬼と戦いたいぞ。早く…あの身体を解剖したい!!」

「なら、俺を倒してからにするんだな。…もっとも、やられる気はないがな。」

「………どこまでも不快な奴だ。やはり貴様は…先に消さねばな!!」

「!!」

また、あの速度かっ!!…ならば、こちらも使わせてもらう!!

アレイスターは身体から青いオーラを放出し、ノーチラスを超える速度で突撃していく。
宙で激突した両者は再び金属音を辺りに響かせ、常人には真似できない速さで剣と拳を交わせる。
互角と思われた戦いは、やがてアレイスターが押し始めた。ノーチラスは次第に鎧に傷を付け始めた。

「っ…やはり…やりますね!アレイスター…!!」

「…ふん、俺の実力が十年前のままだと思うなよノーチラス。」

「ふっ…それはこちらとて同じこと。」

不意に剣を煌めかせたノーチラスは、剣身から光の光線を放つ。
すんでのところで回避したアレイスターだが、その眼前にはノーチラスが剣を構えていた。

「終わりだ、アレイスター。」

「…甘いっ!」

ブーストさせた剣速で振り下ろされた剣を左腕で受け止め、すぐさま半歩踏み出し右の拳をノーチラスの腹にめり込ませた。

「っ!?ぐっ、はぁ!!」

そして、魔力魂をゼロ距離から放つ。その衝撃でノーチラスは遠くへと弾き飛ばされる。数十m飛ばされたところで、なんとか体制を整えたノーチラスは剣を掲げ、詠唱を始めた。

「…W光り、導け!!我らが天の元へ!『俊天光(シティウス・ルーミン)』W!!」

「っ!!」

突如、ノーチラスの白剣が眩い光を放ち始めた。そして、一直線に光が放たれた。
光速で放たれた攻撃を、加速魔法(ブースト)によって高めた反射神経で難なく回避する。
しかし、光は一つではなかった。
幾つもの光がアレイスターへと降り注ぐ。その一つ一つを、反射神経だけで回避していくアレイスター。躱しつつも、前へと進んでいた彼は段々と光源との距離をつめていた。

「くそ…くそっ、くそっ!!何故当たらない…!?人の身で光速を超えることなどできるわけがっ!!」

「…できるから、ここにいるわけだが?」

アレイスターは目の前まで迫っていた。予想を上回るアレイスターの実力に、動揺していたノーチラスは敵が接近してきていることに気づけなかった。
いつの間にか、眼前に迫っていた敵に気がついたノーチラスは咄嗟に剣を振るう。
だが、それより速くアレイスターが魔法を放った。

「W俊天火(シティウス・パイア)W」

短く唱えると同時に赤く滾る豪炎が、アレイスターの両手から放たれ一瞬でノーチラスを包み込んだ。

「っ!…っ…っ!!」

「…無駄だ。どう足掻こうがその炎からは逃れられん。」

「あ…あっ…!…あぁぁァァァぁぁァぁ!!!!」

「!!」

しかし、ノーチラスは雄叫びと共に炎の渦を断ち切った。所々を焼かれた白の鎧からは、肌が露出していた。そこには、複数の魔法術式が刻まれていた。

「お前…!!その術式は!?」

「ハァ…ハァ…ふん、私も貴様と同じ、身体になったということだ!!」

炎によって酸欠気味のノーチラスは、荒い息遣いのままアレイスターを睨みつける。そして、間を置かずしてブーストで接近してきた。

「アレイスターーーーーーーーーー!!!!」

「…だが、それでも……今のお前では俺に勝てない。」

「ほざけぇぇぇ!!」

ブーストした速さで剣を振り下ろすその瞬間、アレイスターは彼の腹部に再び右の拳を叩き込む。それに遅れて左の拳も右と対になる様に添え、一気に押し出すように力を加えた。

「ハッ!!!!」

「っ!!かっ…は!?」

魔力を込めた渾身の拳撃にノーチラスは悶絶した。口から微かに血を吐き、力無く地上へと落下していく。

「!将軍っ!!」

ズン、と土煙を舞い上げながら墜落したノーチラスの身体は、もはや指一本動かす力も残っていないほどダメージを受けていたが生きていた。アレイスターがそれに気付かないでいると、近くにいた教団兵が、即座にノーチラスを担ぎ上げ自分の騎馬に乗せて駆けていった。

「退けっ!!もうお前達の司令官は倒した。これ以上の戦闘は無意味だ!!!!」

敵の指揮官を倒したアレイスターは、司令塔を失い混乱しているであろう敵兵に停戦の申し出を声高らかに行った。
しかしー

「拒否する。我々は、命を賭して貴様らを殺せと命じられている。それを放棄することはできない。」

「なっ!?」

教団兵は、まるで機械のように無表情で応えた。他の教団兵もそれを黙認しているかのごとく戦闘を続ける。
その様に、アレイスターは驚愕した。自分がかつて打ち損じた男は、ここまで人命を弄んでいたのだ。魂が、心が壊れるまで調教してまるで機械のような私兵達を作っていたのだ。
どんな調教がされたのかは想像を絶する。しかし、事実、彼らは自分の命すら簡単に捨てられるほどに精神を病んでいるのだ。

「…俺のかつての甘さが、この悲劇を生んだのか。」

アレイスターは自分の行いに責任を感じていた。あの時、自分が奴を討ち損じなければこれ以上の悲劇は防げたのだ。そのことを、今はひたすら悔やんでいた。

「おいアレイスター!!悔やむのは後にしてくれねぇか!?こっちはそろそろ限界なんだよ!早く手伝ってくれ!!」

不意にかけられたカルロスの声に、ふと、彼らの方を見やる死を恐れず向かってくる教団兵達でごった返していた。その数およそ2000。さすがの彼らも、これには苦戦せざるを得なかった。

「わかった、今い…く!?」

そう言いかけて、アレイスターは身体の異変に気付いた。

…なんだ!?力が…入ら、ない…!?

慌てて身体中を見ると、右腕に一つの魔法陣を発見した。

「こ、これは、微かだが呪法のWにおいWがする……呪いか!」

彼の右腕の魔法陣、これは呪法の一つである『封殺の呪い』。魔法陣を刻み付けた相手の魔力をジワジワと奪い、やがて、その生命力まで吸収していく死の呪い。

「…しかも、術者が生命の危機に瀕した場合、急速に生命力を奪う仕掛けになっている。…しかし、こんなものいつ付けたんだ?」

そこまで言って、ふと気付く。

…あの時か。奴の最初の斬撃を右腕で受けた時、あの時、刻み付けたのか。それなら、奴の剣の聖刻が少なかったのにも説明がつく。

「抜かったな…俺としたことが。…ぐふっ!!」

大量の血を吐き出したアレイスターは、そのまま地上へと落下した。
その音で、アレイスターの異変に気付いたカルロスは慌てて土煙の舞う落下地点を見る。

「アレイスター!?おい、どうした!?」

「いつつ…これは、少々、マズイ…な。」

すでにアレイスターの体力は限界に近づいていた。もはや火の玉一つ撃つことができなくなったアレイスターに、ノーチラス配下の教団兵が迫る。1人、また1人とアレイスターににじり寄ってくる。

「アレイスター!!…くそっ!邪魔すんな!どけぇ!!」

「くっ!!この数では…!!」

助けに行こうにも、おびただしい数の教団兵に囲まれ身動きがとれない。
カルロス達に、アレイスターを助ける事はできかった。

「ち、ちくしょう!!」

「っ!アレイスターさん!」

2人の善戦虚しく、瀕死のアレイスターに1人の教団兵が剣を、今まさに振り下ろさんと天高く掲げていた。

そして、勢いよく振り下ろされる。

「させるかぁぁぁぁ!!!!」

ドスッ!

「ぐはっ!!」

ー刹那、1人の女騎士が教団兵を貫いた。
その勢いのまま教団兵を振り飛ばすと、女騎士は教団軍へ向き直り仁王立ちした。

「エ、エルナルド!!!!」

「…ふん、助けに来たぞ、小童共!!」

エルナルドと呼ばれた女騎士は、仁王立ちのまま教団兵を睨みつける。

「…貴様ら、私の友に手を出して、タダで済むと思うなよ?」

「…おいおい、勢い余って殺すなよ?」

「魔物の私に限って、殺す訳がないだろう?…嬲り殺しにするのさ。」

鬼の形相に変わったエルナルドからは、確かに、殺気が放たれていた。とカルロスは感じた。

「私もいるよ!!」

エルナルドに遅れて、一回り小さな影が空から落下してきた。
小さな影は、その体格にしては大きな棍棒を担いで同じくエルナルドの隣に仁王立ちした。

「暴れ鬼ミルラ参上!!」

「ミルラ!!」

「…私もいるよ。」

歓喜に湧くカルロスの背後から囁く声。不意に声をかけられたカルロスはびくっと身体を震わせて、慌てて振り向く。そこには宙に浮いた、裸にローブの青白い肌をした少女。

「エヴァ!!」

「…こっちの教団軍は、私達が相手する。」

「私達?」

エヴァの言葉に疑問を抱いていると、今度は敵の側面が突然弾き飛ばされた。

「ぐあぁぁぁぁぁぁ!!!!」

「あ、あれは!?」

ズン、ズンと弾き飛ばされていく教団兵達。やがて、土煙の中から1人の男が姿を表す。

「遅くなってすいません、カルロスさん。」

「ケイン!!」

「旦那さまぁぁぁぁぁぁ!!!!」

それと同時に、先程までエルナルドの隣で仁王立ちしていた。ミルラが、教団兵を弾き飛ばしながらケインの元に突進していた。そして飛びつく。

「っとと…おかえり、ミルラ。」

「はい!ただいまです旦那さま!」

優しい微笑みで、囁くケインに満面の笑みで応えるミルラ。
その様子を見ていたエルナルドは、やれやれと言った感じで注意を促す。

「イチャつくのは後にしろよ2人とも!今は目の前の敵に集中しろ!!」

「…はーい。…まったく、自分が独り身だからってピリピリしちゃって(ボソッ)」

「聞こえているぞゴブリン。…どうやら、私の剣を餌食になりたいらしいな?」

「い、いえ!全力で敵に当たらせていただきます!!」

「はは…頑張ります。」

エルナルドの声に、ピシッとした姿勢で応えるミルラと、どこか頼りない様子で応えるケイン。各々に武器を構えた2人は臨戦体制に入った。
そして、そんな2人に負けじとカルロス、シアネス夫妻も武器を構える。

「よし!そんじゃお前ら、ちゃっちゃとこいつら蹴散らすぞ!!」

「「おぉーーー!!!!」」

カルロスの掛け声と共に、皆、一斉に教団軍へと突撃していった。



「…ねぇ、アレイスター。彼らを見てどう思う?」

今まで諦観していたカーミラが、ふわりとアレイスターの元に降りてきた。

「…ハァ…ハァ…」

「あら、そういえば呪いをかけられてるんでしたっけ?」

不意に、カーミラはアレイスターの手を取ると、呪いの魔法陣にチュッと口づけした。すると、魔法陣はすぐさま砕け散り、アレイスターの身体の異変も徐々になくなっていった。

木の根元、アレイスターの横に腰掛けたカーミラはカルロス達によって壊滅させられていく教団軍を眺めながら、アレイスターに問いかける。

「…貴方から見て 、彼らはどう見える?」

カーミラの治療によって、事なきをえたとはいえ未だ全快とまではいかないアレイスターはカーミラと同じく木の根元に腰掛けていた。

「無理してるな。明らかに。」

「…」

「俺が招いた事とはいえ、彼らを見ていると心が痛む。…俺の所為で、一体何人の人が…」

「…ダメダメね、アレイスター貴方は神父失格よ。」

「え?」

「え?じゃないわよ。神父失格だと言ってるの。…まったく、彼らの気持ちすら分からないなんてね。」

「おい、一体何を言って…」

「貴方、本気でさっきみたいなこと思ってるの?」

「っ!…ああ。今後、こんな事がないように、今日中にでもここを出て行くつもりだ。」

「…ハァ。」

期待はずれなアレイスターの答えに、カーミラは思わず溜息を漏らしてしまった。
当のアレイスターは何か気に食わぬことをしてしまったかと、緊張気味な表情でこちらを見ている。
やがて、あきらめた様にカーミラが話し出した。

「はっきり言わせてもらうわ。貴方に出て行ってほしいなんて、彼らは微塵も思っていないわ。」

「…!」

「それどころか、貴方にこれからもずっとここに居て欲しいとさえ思ってるの。」

「な、なんで?俺は…これまで幾度も村の皆に迷惑をかけてきた。そんな疫病神の俺を、居て欲しいって…?」

「迷惑だなんて思ってないのよ!」

一呼吸置いたカーミラは、熱意のこもった眼でアレイスターを睨みつけた。

「それ以上に、貴方はこの村に尽くしてきたでしょう?教会では教えを説いて、村では皆の手伝いをして、あげくに警備までしているじゃない。」

「あれは、この村に迷惑をかけてるから…」

「だから、迷惑だなんて思ってないんだって!…ああもう、いちいち言わなきゃわかんない?」



「好きなのよ!皆、貴方のことが。」

「!!」

カーミラの口から出た衝撃の言葉に、アレイスターは驚きのあまり何も言えずただ唖然とするのみだった。
その様子を見たカーミラは、更にイライラを募らせながら、言葉より先に出そうになる手を抑えつつ続ける。

「貴方が思ってるほど、この村の人は薄情じゃないってことよ。…だから、いい加減自己犠牲だけで解決させようとしないでよね。」

…初めてだ、いや、正確には久しぶりだ。人の心の暖かさに救われたのは。
俺がこの村に流れ着いて間もない頃、帰る場所を失い、過去の罪の精算をしようとしていた時、この村の人々は暖かく迎え入れてくれた。ここに居させてくれた。

その時の暖かさだ。…俺は、二度もこの村に助けられたのだな。

「…ふ、今の貴方なら、安心して私の妹分を預けられそうね。」

いつの間にか、アレイスターの近くにリベラが立っていた。
何か言いたそうにモジモジもしている。

「リベラ…」

「あの、その…アレイスター、あのね?」

「リベラ。」

「………ごめんなさい!!私、何も知らずに貴方に酷いこと言っちゃった。」

「いいんだよ、気にしないでくれ。俺は、大丈夫だから。」

必死に謝るリベラに、アレイスターは優しく微笑みかける。その純粋な笑みはリベラの罪悪感を更に掻き立てた。

「うっ…ううっ…!アレイスタぁぁ…ひくっ…ほんと、ほんとごめんなさい…私…私!」

「…大丈夫、気にしてないって。」

謝り続けるリベラを、そっと抱いたアレイスターはゆっくりとその頭を撫でる。


「私…私の家族…友達が…!!ううっ…ぐすっ…」

「大丈夫、俺がいるよ。……受け止めるよ、君の哀しみも、怒りも。全部俺が受け止める。…だから、泣かないで。」

「ふぇ…アレイスタぁぁぁ…!うわぁぁぁん!!」

「大丈夫、大丈夫。ずっとそばに、いるから。俺がそばで君を守るから。…ずっと。」

「アレイスター!アレイスター!!」

「ああ…いるよ、ここにいる。」

「お願い!もう離れないで!私、私貴方に居て欲しいの、ずっとそばで私を愛してる欲しいの!!…だから、お願い。もっと抱き締めて…」

「ああ、愛してる。愛してるよリベラ!俺はもう絶対に君を離さない!ずっとそばで、君を愛するよ!!」

2人はずっと抱き締め合っていた。強く強く、お互いを絶対に離さないように、力強く抱きしめ合っていた。




熱い熱い抱擁を終えた2人は、お互いに顔を上げた。その距離は、あまりにも近かった。

「アレイスター…!」

「リベラ…!」

そして、熱い口づけを交わした。
2人の様子を見ていたカーミラは、どこか嬉しそうに微笑みながら、2人の愛の情事を邪魔しないよう静かに空へと飛び立っていった。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





「ざっと、こんなもんか。」

あれから数時間後、ようやく全ての教団兵を打ちのめしたカルロス達は、皆一様に疲れた様子で溜息を吐いていた。

「ふいぃぃ…やっと終わったよー。さすがに3000は多すぎだよぉ…疲れたー、旦那さまぁ抱っこー!」

「おい!この程度でへばってどうする。シャキッとしろシャキッと!」

「うー、抱っこー!」

「はいはい…」

「こらそこ甘やかさない!!」

「…結局、いつも通り。」

ミルラ達がワイワイガヤガヤしている一方、カルロスはアレイスターが見当たらない事に疑問を抱いていた。

「あれ?おっかしいなー、さっきまでカーミラ様といたはずなんだけど…」

「…私も、先程までお三方で腰掛けられているのを見ておりました。」

「まったく、どこいっちまったんだ?おーい、アレイスター!」

暫く大声で呼びながら、森を探索しているとー

「おーい…って見つけたぞ!…?おい、そんなとこで何やってー」

森の木の根元に、裸で抱き合う2人の姿があった。
誰が置いたのか、2人の上には一枚の布団がかけられていた。

「…ったく、いい気なもんだぜ。人が必死こいて戦ってんのにこんなとこでヤってるなんて。…まあ、いいさ。晩飯までには戻って来いよ。」

カルロスはやれやれと、いった感じで溜息を吐くとゆっくりと、シアネスの元に帰っていった。









それから暫くして起きた2人は、自分達の行いを落ち着いた目線で思い返しては顔を真っ赤にしながら、教会へと戻っていった。
教会に戻った2人は、恥じらいながらも、夜になると第二ラウンドを開始した。


それからの事はカルロスに任せっきりだった。
捕らえた教団兵と、屋敷の主人達である。心まで壊された教団兵達は全員一致で魔界に送り、治療を行うことで合意した。
屋敷の主人とその私兵達に関しては、ミルラとエルナルド、シアネスの魔物達は魔界に送り、婿探し中の魔物に与えることを推奨したが、カルロス達人間は、屋敷の主人達の過去の非道な行いをかんがみて、中立国家であるこの地域一帯を治める王国に引き渡すことにした。これに対して、エルナルドは不服な様子だったが、シアネスやミルラの説得で、渋々了承した。
一連の事件によって乱れた日常も、段々と取り戻しつつあった。

とある日の教会ー

「…なぁ、リベラ。」

「ん?なぁにアレイスター?」

「…いや、なんでもない。」

「なによ、最後までいいなさいよ、気になるでしょ!」

「いや…今日もしっかり、君を愛してるなぁと思ってさ。」

「な!?急に何言ってんの?!ば、ばかじゃないの!」

実にからかいがいのある奴だ。そう思いながらアレイスターは妻の慌てる様子を眺めて楽しんでいた。

…しかし、気にかかることは幾つかある。…あのガノンが、まだ生きていることだ。奴は必ずまたやってくる。その時は…勝てるとも限らない。でもー

「…やってやるさ、何度だって守ってみせる。」

…俺には守るべきものがあるから。






山道ー

長いフードを被った男が手綱を振るい馬を走らせている。
おもむろに止まった彼は、フードを脱いでその顔をあらわにする。

「…アレイスター、待ってろよ、次は必ず俺が勝ってみせる!」

決意をこめた眼で太陽にそう誓うと、再びフードを眼深に被り、手綱で馬を叩く。
男はそのまま走り去っていった。




15/02/05 04:10更新 / King Arthur

TOP | 感想 | RSS | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33