連載小説
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序章
早駆けの蹄の音が鳴り響くと、家々から不安そうな面持ちの村人、赤ら顔のイワンさん、粉挽き屋のグリゴリーさんにオレクさん、それにパン屋のエレナさんや鍛冶場のおっさん達がおずおずと顔をのぞかせた。だが、みんな口が聞けなくなったように押し黙っていて、結局最初に口を開いたのは俺だった。
「ボリスさん、どうだったんです?」俺のその問いに対して、大男のボリスさんは、まるで叱られた女の子のような顔で首を横に振るだけだった。
「そ、そんな……」外に出ているやつらはどよめき、思わず神の名を口ずさむ者までいる。外の悲痛な空気を察したのか、家の中もまるで死に絶えたように静かだった。ただ、ヒュウヒュウと北風の音だけが響いている。
静寂を破って、ボリスさんは絞りだすように言った。
「兵隊さんの話によればクダンの町が落ちたらしい。このまま行けば、連中は隣の村までやってきた頃だろう。俺たちには逃げ切ることはもう……」まるで葬式のような雰囲気に村が包まれる中、青白い顔の神父様がボリスさんの横に歩み出て、まるで自分に言い聞かせるように皆に語りかけた。
「もう、全て手遅れです。ですが皆さん、恐れてはいけません。私達にとって、神の御国はもうそこまで迫ってきているのです。かつてレスカティエの聖女がそうしたように、私達も殉教者となりましょう。あくまでも高潔に。さあ、皆で祈るのです。神の王国に栄光があらんことを」神父様はほほえんでいた。だが、その目からは一筋の涙が、まるで糸のように流れていた。この時の礼拝が、思えば俺にとって最後に見た村のみんなの姿だった。
 礼拝が終わると皆で家に帰り、家族との最後のひとときを過ごすことになった。俺が戸を開くと、「兄ちゃん……」と心配そうに弟が出迎えてくれたが、その顔は赤く、目が腫れぼったい。泣き止んだのか、それとも……
「涙も枯れちまったのか……」ぼそりと俺はそうつぶやき、家の中に入る。玄関には、聖者様のイコンが飾ってある。じいさんの、そのまたじいさんの時代から俺たちをずっと見つめてきた一枚のイコン。気づくと、俺はそれに向かって一心不乱に祈っていた。ああ、聖者様、どうか、どうか弟をお助けください。俺は昔から村のいたずら小僧で、悪さばかりしてきました。小さなことも含めれば百では収まらないほどの罪を犯してきました。ですが、弟は、あいつは本物の善人なのです! 弟は語っていました。亡き父のように神の道に進みたいと。あいつには学がある。輝かしい未来が有るのです! どうか、俺を犠牲にさせて下さい。それであいつが救われるのであれば。
その時突然、俺にあるアイデアが閃いた。これは神の御加護なのだろうか。それとも……だが、やらねばなるまい。万が一にも生き残れる可能性が有るのならば。俺は叫んだ。「レフ! 大急ぎでタルを集めてくれ! 上手く行けば助かるかもしれない!」2人でありったけのタルを玄関に集め、レフを寝台に横たわらせ、藁袋を掛けた。これで家探しでもされなければ誰が寝ているかは分からないだろう。
 その僅か一時間ほど後、ドンドンと、まるで地鳴りのような音が聞こえてきた。どんどん大きくなってくる。俺たちは悟った。魔王軍の騎兵隊だ。ついに、ついに……
恐怖で気が狂いそうだ。まるで冬の湖で泳いだ後のように、体に寒気を感じる。血の気が引いてきた。心臓がバクバクと鳴り、自分の呼吸が荒くなってくるのが分かる。気を強く持たなければ……
鎧戸の中から覗いて見ると、連中――ざっと十数人の魔物たち――は重くかさばる鎧や馬上槍を装備していないようだ。どうやら残った任務は敗残兵や市民を捕虜にすることだけらしい。だが、奴らの腰にはサーベルが吊るしてあった。肩に棍棒を担いでいるものもいる。俺は身震いした。死にたくない。いや……弟だけでも助けなくては。
村の踊り場に全員が集まると、褐色の肌で、派手な軍服を着た隊長格のやつが前に出てきて、大声で部下に指示を伝えた。遠目からだと詳しくは分からないが、どうもあれはアヌビスらしい。魔物どもとしても、クソ真面目なアヌビス種なら中間管理職に持って来いってことなんだろう。
小隊長閣下のひどい南方なまりの指示が終わると、部下どもは目をギラつかせ、手当たり次第に村の家の扉を叩き壊し始めた。怒号や悲鳴、怨嗟の声が響いてくる。まるで地獄だ。
「…………」恐怖で我慢ができなくなったらしく、レフは目に涙を湛えながら俺にしがみついてきた。
「大丈夫だ。お前のことは俺が絶対に守ってやるからな。いいか?ほとぼりが冷めたら西に逃げるんだ。グレキアまでたどり着ければ、きっとルーカスおじさんに会えるはずだ。お前はもう大人じゃないか。大丈夫、きっとできる。きっと。さあ、寝台に戻るんだ。俺がなんとかしてやる。全てが終わるまで、絶対に出て来るなよ。」そう言って、俺はレフを力強く抱きしめ返した。足音が近づいてくるのが分かる。どうやらもうここまでらしい。俺は覚悟を決め、レフを奥にやると扉に向き直った。恐怖で足がすくみ、歯がガチガチ鳴る。だが、やらねばならない。おれが深呼吸を終えると、まるでそれを待っていたかのように粗末な板の扉が吹き飛んだ。
 「動くんじゃねえ!降参すれば命だけは助けてやる!」オークが怒声を上げた。その手には身の丈ほどの巨大な木の棍棒が握られている。後ろには、子分であろう小柄な二体がヘラヘラとニヤけながら立っている。
直後、リーダー格のオークは俺の姿を目に止め、値踏みするような目でしばらく眺めると、満足したかのように「上物だ!しょっ引け!」と叫ぶように言った。左側に立っていたオークがさも嬉しそうに縄を用意する。そして、リーダー格のオークはもう一体にアゴで、家の中に押し入るように指図した。残念なことに、やつらに憐れみの類の心は無いらしい。どうやら、今が最初で最後のチャンスのようだ。ふつふつと怒りがこみ上げてきた。
俺は仁王立ちになると、「待て!」と怒鳴る。
「なんだ人間め、抵抗する気か?」小馬鹿にしたような表情で、リーダー格のオークがにらみ返してくる。
「これを見ろ!」そう言うと、俺はタルの先から伸びたロープを示してみせた。
「これは村の採石所から盗んできたタル爆弾だ!俺が火をつけたらドカンよ。てめえら全員無理心中だ!それが嫌なら俺と妹の……サーシャ、サーシャに手を出すな!全員バラバラになるか、俺たちを解放するかの二つだ!さあ、どうする!?」ニヤリと笑い、まるでお前の嘘は全てお見通しだ、と言わんばかりにリーダー格のオークが応える。
「ハッハッハ! そりゃ傑作だ! ……それならまずは、そのサーシャお嬢様とやらにご挨拶させてもらおうかねぇ」カマをかけたんだろう。俺は思った。いや、そう信じたかった。
「断る! 妹は結核で寝込んでいるんだ!」
「ヘッヘッヘ、リーダー、こりゃあきっとハッタリですぜ。さっさとこんな奴縛り上げて、家の中を引っ掻き回してやりましょうや。この調子じゃあ、きっとお宝か何か有るはずだ」自分の顔が引きつるのが分かる。だが、ここで引き下がるわけにはいかない。
「侵略者ども! 見てみろ! 俺は本気だぞ!」俺は黄リンマッチを壁に擦りつけ、火をつけた。歯を食いしばり、魔物どもをにらみつける。
「……」「……」硬直状態が続く。右手の親指が火傷しそうになり、二本目のマッチを取り出そうかと思った時、おもむろにリーダー格のオークが口を開いた。「喜べ。お前のその浅知恵に免じて『妹』とやらは助けてやる。」言うが早いかやつは棍棒で俺の頭を打ち付けた。まるで雷が落ちたかのような衝撃が走り、世界が暗闇に包まれる。
「兄ちゃん!兄ちゃん!」薄れゆく意識の中、遠くから弟の声が聞こえた。幻聴だろうか。俺は手を伸ばしたが、何も掴むことは出来なかった。そして、俺の意識は暗闇の中に溶け、すっかり消えてしまった。



 「……おい」虚空のかなたから、声が響いてくる。「おい、大丈夫か?」頭がぼうっとして、思考がまとまらない。
「オイ!」その瞬間、俺は目を開いた。眩しい。強い光が目を突き刺す。村ではいつも曇りだった。初めての感覚だ。太陽の光がこんなに強いものだなんて……目が光に慣れてくると、俺はあたりを見回した。頭がガンガンと痛い。どうやらまだ、俺は生きているらしい。ここは地獄にしちゃ明るすぎるようだ。天国にしては……残念ながら、あまりにも悲惨な光景がそこには広がっていた。
 頑丈そうな鉄格子の中、そこに俺と数十人の男が監禁されている。全員着ていたであろう物を全て脱がされ、上半身は裸で、下半身も粗末な麻のズボンをはいているだけだ。
「おお、よかった。若人よ、てっきり死んだかと思ったわい」そう、隣に座っていた初老の男が笑いかけてきた。泥にまみれ、薄汚れているが上品な物腰をしている。恐らくはさる身分のお方なのだろう。
「わしはアウグスト・フォン・シンケル。クダンの町の守備隊長をしていた者じゃ。お主は?」
「俺は……レオン。ヤラガールの村のレオンです。閣下。」俺がそう答えると、アウグストさんは突然ハッとしたように顔を歪ませた。
「ヤラガール……そうか……わしがもっと前に伝令を送っていれば、お主も今頃こんな所には……なんという……」
「閣下、ご気持ちお察しします。ですが、ええっと……それよりもここはどこなのです?村のみんなは?」俺は尋ねた。
「若人よ、すまないが、わしにも何が何やら分からぬのじゃ。街の降伏の調印式が終わると、下劣な魔獣どもはわしに布袋をかぶせた。そして、いつの間にか他の捕虜と一緒に巨大な帆船に載せられて三日三晩運ばれ、昨日の夜にやっと港に着いたところなのじゃ。船を降りるときに見たのだが、あんな華美な帆船など我らの国ではありえん。察するにわしらは魔界に連れて来られたらしい。ここで魔物に貪り食われるのか、それとも……」アウグストさんは押し黙ってしまった。暗い沈黙が流れる。
俺はその重苦しい雰囲気に耐えられなくなって、気慰みにあたりを観察することにした。牢の中にいるのはざっと見て30人。70近い腰の曲がった老人から、鋤も持てないような年齢の子供まで。だが、なるほどと言うべきか、ここに女性は一人も居なかった。
 次に、牢の外に目を向けてみると、正面方向には小さな台になっている部分があり、その先には三列の……おそらく客席であろう部分があるが、どちらもきちんと据え付けている。恐ろしいことに、魔界ではこんなことは日常茶飯事のようだ。
 その時、野太い声が響き渡った。
「奴隷ども! よく聞け! 今から貴様らは競売に掛けられる! せいぜいやさしいご婦人に買われるのを祈るんだな! ガッハッハ!」さも嬉しそうな笑い声。男の魔物はこの世にいない。と、するとやつは……「裏切り者め」どこからか憎しみのこもった声が聞こえた。そう。やつは人間か、「元」人間ということになる。俺は思った。きっとやつにもまっとうな人としての生活があり、故郷には肉親が居たはず。それが、こんなことをするなんて……やつは顔を鉄仮面で隠していて、それが一層不気味だった。
俺たちは牢から乱暴に引っぱり出され、一列に並ばせられる。俺は必死にあたりを見回した。だが、周りにはやつと同じ鉄仮面を着けた連中がムチや棍を持って俺たちを取り囲んでいて、とてもじゃないが逃げ出せる雰囲気にはなかった。前の方を見てみると、どうやら赤い絵具で何か記号……恐らくは番号だろう、を一人ひとり胸に書かれている。順番に数字を振られていき、ついに俺の番になった。鉄仮面をまじまじと見たが、年齢、その他のことは何もわからない。俺はされるがまま、17番と鉄仮面が俺の胸に書くのを見ていた。
その直後、べとべとする油を体中に塗りたくられる。見栄えを良くするためだろうか。現実に番号を振られると、自分が奴隷になったとの実感が生々しく押し寄せてくる。どこからともなくため息が漏れてきた。どうやら、他の奴らも俺と大体同意見のようだ。
俺は笑った。虚しい笑いだった。
 「いいか?野蛮な人間ども、ちょっとでもお客の前で反抗的な態度や粗相をとってみろ」別の奴隷商人が前に出てきて、力任せにムチを地面に叩きつける。
「反抗的な奴隷には一生消えない傷をつけてやる!分かったか!」俺は何も言わず、やつの仮面、その下にあるものを睨みつけた。だが、やつはそれを気付かなかったようで……いや、それとも慣れっこだったのだろうか?そのまま後ろに下がっていった。
 俺たちが牢に戻されてしばらくすると、だんだんと外が騒がしくなって、魔物が客席にぞろぞろ入ってきた。大半はサキュバス種などの人間型だが、足があるべき場所に蛇の胴体が付いているもの、ゼリー状の体のものや、まるでハチのような姿のものなど、変わったところでは色々いた。俺の左隣になった若い男がむせび泣きながら、一心不乱に神に祈っている。
「神よ。主神よ。私の子をお守りください。罪深き私は二度と国には戻れないでしょう。ですが、クラーラだけは、あの子だけは!」
「神様か……」俺は思った。そういえば、村の神父様はどうなさっているだろう。
「神よ、レフを、弟を守ってやってください。」俺も一言だけ唱えた。言ってしまうとなんだか急に物悲しくなって、涙がこぼれてきた。
 しばらくすると、鉄仮面が客に対して、まるで興行師かピエロのように陽気に話し出した。
「皆さん、本日はお集まりいただき誠にありがとうございます。御存知の通り我らが陛下の先の征討で、選び抜かれた多数の健康な奴隷がこのアレクサンドレッタの街に入荷致しました。行き届いた船旅で、奴隷たちは健康そのもの。なにぶん文明的でない地域の出ですので、少々荒削りな所も見受けられますが、その分気力は十分。まさしく……北の荒熊とでも言うべきでしょうな。野性的で、きっと『お楽しみ』いただけますでしょう。」客席から含み笑いが聞こえてくる。
「えーお支払いは、現金もしくは約束手形でお願い致します。信用できる銀行の発行したものでしたら審査の方も手早く済みますのでどうぞよろしく。では、みなさんもお忙しいでしょうからそろそろ始めましょう。最初の商品を、こちらへ。」
鉄格子が開き、話していたやつとは別の2人の鉄仮面が牢に入ってきた。やつらは慣れた手つきで「一番」を見つけ、掴みかかる。「1番」は十代半ばにも満たないような、幼い少年だった。「嫌だ! 助けて父さん! 母さん!」彼はボロボロと涙をこぼし、両親を呼んでいた。いるはずのない親を。「カフカ、ディアベル。傷をつけるなよ、大事な商品なんだぞ?」客に話していた鉄仮面がこっちを向き、いかにも他人事といったふうに2人に言った。ああ、俺たちは本当に商品になってしまったんだ。自分の命に値段をつけられる、それがどんなにおぞましいことか! 俺は貧しい農民だった。毎日毎日同じ作業の繰り返し。進歩も変化も何もない。そんな生活に飽き飽きして、何度村を出たいと思っただろう。だが、こんなことになるだなんて。何を恨むべきだろうか。俺には分からない。ただ、自分が哀れだった。
 「1番」は必死の努力にもかかわらず、引きずり出され、台の上に立たされた。鉄仮面は朗らかに笑っている。
「どうぞ、商品に傷や欠損のないかどうか自由にお確かめください。もっとも、こちらで既にざっとの確認は済んでおりますので問題はございませんでしょうが、念のため。」なんだ?俺は違和感を覚えた。客席から伝わってくる熱気、それが異常に高まっている。あれよあれよという間に、「1番」の周りには黒山の人、いや魔物だかりができ、そこからは黄色い嬌声が聞こえてくる。何が起きているのだろうか。だが、「1番」は魔物にとり囲まれていて、全くその様子を見ることは出来なかった。
「さぁて,
それでは見るのはそれぐらいにして競りを始めましょう。この奴隷には3000デナリの価値はある。どなたか3000デナリの値をつけるお方は?……ハイ、それでは3000デナリから始めます。」
「三千三千三千…三千百!三千百三千百三千百……」どんどん値段はつり上がっていき、結局、独特のタトゥーを彫ったアマゾネス種と思しき派手な服の魔物が「1番」を落札した。
「ハイ売った!それでは4000デナリでターリファのジナイーダ様。結構な値段を付けていただき誠にありがとうございます。」
「ウッフッフ……あたしこそ、こぉんな美味しそうなニンゲンを売ってもらって感謝しているわ。包装は結構よ。贈答用じゃあないから。」
「承知いたしました。それでは」
「そうね、ふふっ。奴隷、こっちへ来なさい。……早く!」「1番」はジナイーダを睨みつけている。さしずめ無言の抗議といった所だ。どうやら、彼は簡単に牙を抜かれるつもりは無いらしい。その時、鉄仮面どもに動きがあった。奴隷の「粗相」を許すつもりはないようだ。
そして、やつはムチを振りかぶった。
その後も「順調に」奴隷の販売は進み、ついに、俺が売られる番になった。「では、次は17番!」だが、その時突然東洋風の魔物がおもむろに前に出ると、立て板に水の調子で喋り出した。
「おぅ、ニィちゃんニィちゃんな。見たトコ、お宅んとこの多少は教養のやりそないなニンゲンはみな売れちまって、もうそっちゃにはほんまもんの野蛮人しか残っておらへんようやけど、どないでっしゃろ。うちら、「ぽんぽこ娼館」が残りの商品を一括して……ひぃふぅみぃ……」そろばんの上で、彼女の指が踊った。
「せやでぇな、平均の相場が2000デナリってして、30000デナリでどないでっしゃろ。」「はっはっは、ずいぶんとお安く見積もりましたなぁ」
「上もんのレスカティエ産がまだまだ市場に出回ってますからなぁ。むしろ……『こんなん』にこれだけの値段をつけたのを感謝して欲しいぐらいでっせ。」
「では2500では?」
「それじゃ300」
「450」トントン拍子に話はまとまっていった。得意先なのだろうか。
「それでは、一人頭2400デナリで、しめて36000デナリ。誰か他に入札されるお客様は?……いらっしゃらない。では、残りは『ぽんぽこ娼館』様の一括購入ということで……」
「待て!」その時、突然客席から怒声が上がった。
 思わずどきりとする。見ると、そこには決して華やかとは言えないドレスに身を包んだ、エルフのような耳をした魔物が腕を組み、顔を真っ赤にして立っている。
 「あの、お客様、誠に申し訳ございませんが、会員証の方をご提示いただけられますでしょうか……」
「ん? ああ、そうか。ええっと……」
「失礼いたしました、ソフィーヤ様。それで、本日はどのようなご用件で?」
「ああ、えっと、そうだあの……17番の男、アイツは確かに私が予約したはずだったんだが……」
「誠に申し訳ございません。至急、係りの者に問い合わせて……」
 どうやら何か問題があったようだ。具体的な内容は分からないが、あの慌てようからすれば一目瞭然だ。まるで人間みたいだな。そう思うとちょっと気が楽になる。
 「17番! 出ろ!」無感情な声がして、鉄格子が開かれた。
「おぉ、やっとだ……」まるで古い友人に再会したように感慨深そうにため息をつく、エルフのような耳の魔物の女。全く話が見えてこない。薄ら寒いものが有る。
「フフフ、やっぱり直接だと違うな……」なおも熱っぽい視線でこっちを見てくる。「大変申し訳ありませんソフィーヤ様。他のお客様が控えていらっしゃいますので、商品とのスキンシップはあちらの方でお願いしたいのですが。」
「そうか、それじゃあ仕方ないな。支払いは手形で良かったな?」
「承りました。それではこちらに。」この「ソフィーヤ」が俺のことを買ったらしい。農民から魔物の所有物にクラスチェンジだ。さしずめここはダーマ神殿ってわけか。ため息をつく。その時、ソフィーヤが人懐っこい笑顔を見せ、俺に馴れ馴れしく話しかけてきた。
「おいおい、どうした? ぼうっとしちゃって。全くお間抜けさんだな、ホラ、こっちだぞ!」突然ソフィーヤが腕を組んできた。柑橘系の香りがふわりと漂ってくる。体が熱くなる。その時、完全に冷静さを失っていた俺は、彼女の体の不自然なまでの冷たさに気づくことはなかった。
 「えーっと、では48時間以内に自動的にそちらの口座から引き落とされますので。ところで包装の方は?」絵本の世界から飛び出してきたような「妖精」がニコニコと笑みを浮かべながら続ける。
「あー大丈夫だ。それよりあっちに馬車を待たせてあるから。」そう言ってソフィーヤは外のほうを指さした。
「ああ、そうでしたか。それでは、お買い上げありがとうございました!」ぴょこんと一礼する。「ごひいきにー」そんな声を背中に受けながらソフィーヤは俺を連れ、門を抜けて停めてある馬車の所に向かう。
「えっとあのこれはどういう……」ろれつが回らない。
「そんなに緊張しなくていいぞ? まさか取って食ったりするとは思っていないだろうがな。」そう言って不意に俺を抱き寄せた。
「ここはお前の生まれ故郷とは文化も価値観もぜんぜん違うが、私が一つ一つじっくり教えてやるから、な? 詳しいことは馬車の中で話そう。ほらーもっとシャンシャン歩く!」なんだかよく分からないが急かされてしまった。どうやら俺の「所有者」は少なくとも今のところは友好的なようだ。
「あ、そうそう。それじゃあ最初のルールを説明してやろう。外を歩く時は私とくっつくこと。詳しいことは後で説明するが、これはお前のためでもあるんだぞ? この国には悪い魔物も大勢いるからな。」ニッコリ笑って右手を差し伸べてくる。理由は分からないがこのことは「俺のため」でもあるらしい。それじゃあ仕方がないな。
「よろしく」俺は、彼女の所々にタコができている青白い右手を握りしめた。
14/04/09 21:45更新 / 三四門
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■作者メッセージ
何か疑問点や改善点などが有りましたらどうぞご気軽に

追記
ご指摘にありました通り、不十分であった改行等を修正しました。
なお、行間を開けて書くことに関しては、当サイトにおいても行間は詰めて書く先輩方が多数いらっしゃること、また、ある程度文字が固まっていたほうが目の動きが少なくてすむのでかえって読みやすいとも思えることから、そちらについては現時点では保留させていただきます。

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