前編
『世界蛇のダンジョン』という場所が存在する。
世界中にダンジョンは数多くあれど、その中でも特に大規模とされるのが『世界蛇のダンジョン』だ。全百階層といわれる他に類を見ないほどの深層を誇り、中には強力な魔物やトラップが犇めいて、進入者の行く手を遮る。未だ制覇されたことのない最高難易度のダンジョンとして冒険者ギルドに情報が登録されていた。
そんな世界的にも有名な『世界蛇のダンジョン』を囲むように築かれた都市が、迷宮都市イシュルだ。
イシュルにはダンジョンの探索を生業としている、俗に探索者と呼ばれる冒険者達がいて、ダンジョンに生成される植物や鉱石、稀に見つかる宝箱に入っているレアアイテムを求めて日々ダンジョン内をかけずり回っている。
そして何を隠そう僕も、そういった探索者達の中の一人だ。信頼している仲間達と共に深層に挑み、溢れる強力なモンスターをちぎっては投げちぎっては投げ。手に入れた財宝と美女に囲まれながら人生を謳歌する超一流探索者――
「・・・・だったらどれだけ良かったことか」
自嘲するように独り言を呟きながら、僕はダンジョンの出入り口へと向かっていた。
腕っ節には自信がないけど逃げ足だけには自信がある僕は、一階層にある宝箱を主な収入源として生活している三流探索者なのが現実だ。
ダンジョンの宝箱は一日経てば再生成されるので(もちろん宝箱の位置は変わるし、ないことも珍しくない)この生活自体を続けていく分には特に問題はないのだが、低階層で活動している探索者は「腰抜け」などと一部の探索者からバカにされていた。
中でも僕は、ちっこい身体で素早くモンスターから逃げ回ることから、『仔兎』という不名誉な二つ名までついている。とほほ・・・・。
なんとか汚名を払拭したいなあとは思うのだけど、具体的な行動に移すのはなかなか難しい。というのも、僕は一人でダンジョンに潜っているので、気をつけないとすぐあの世行きという非常に大きいリスクを背負っているからだ。
ならばパーティーを組もう、と思っても、『仔兎』という付けられた汚名がそれを邪魔するという悪循環に陥っていた。
「ははは、はぁ・・・・・・」
ままならない事実だけで気が滅入るというのに、問題はまだまだ山積みで、
「・・・・これ直さないとなあ」
着ている外套を何度も確認してみても、やっぱり大きく穴があいていた。
先ほど魔物の攻撃を避けたときに、うっかり転んでしまい外套が破けてしまった。炎耐性の加護が付いている外套は、僕の装備品の中でも一、二を争うほどの貴重品だけにダメージが大きい。
「今日の稼ぎは全部パアかな・・・・」
それどころか、むしろマイナスという可能性も否定できない。新しい装備品買いたいのになあ、と嘆いても当然お金が増えることはない。
・・・・でも、これであの人に会える口実が出来たと思えばいいか。
いらっしゃい、と僕を迎えてくれる憧れの人の優しい笑顔が、僕の脳裏に浮かぶ。
「っと、いけないいけない」
急いで頭を振って、始まりそうだった妄想を追い出した。ダンジョンでの気の緩みは命の危険にまで繋がる。せめてダンジョンから出るまでは油断してはならない、とはよく言ったもので。
足下にあった一階層特有の不出来なトラップをちゃちゃっと解除し、ダンジョンの出入り口へと急いだ。
ダンジョンから出たあと、探索者ギルドに寄って今日の戦利品を換金してもらう。ざっと見た感じ外套の修繕費用くらいはありそうで、ほっと胸を撫で下ろした。
それを手早く小袋にしまい探索者ギルドを出ると、脇目も振らずに目的の場所へと向かった。
探索者ギルドより歩いて数分、『衣服装飾店』と書かれた看板が立てられた店に着く。
僕は店の扉の前で額の汗を拭いたり、服のゴミを気にしたりと、一応の身だしなみを整えてから店の中に入る。
「ミーネさん、こんにちは」
「あ、フェイ君。いらっしゃい、よく来たわね」
店の扉を開けると、僕にとって憧れの人が、いつも通り優しく微笑みかけてくれた。
ミーネさんは衣服を主とする装備品を扱っている『衣服装飾店』の店主さんだ。
腰に届くほどの艶やかな長い銀髪に、白磁のようなきめ細かい肌、切れ長の知性的な瞳が印象的な、スタイルの良い美しい女性。探索者の間ではファンも多く、美女が多いこの都市でも一際目立っている。
「今日はどうしたの?」
「えっと、少し外套が破けちゃって」
着ていた外套を手早く脱いで、カウンターに置く。
「あらあら、これは綺麗に破けてるわねえ・・・・」
見慣れているからだろう、ミーネさんは驚いた風もなく破損個所を指でなぞる。
「あのう、それで。・・・・修繕費用はどれくらいになるでしょうか。これで足りますか?」
そっと小袋を出して、中身をカウンターに広げていく。銀貨は数枚あるが、ほとんどが銅貨。しょぼい稼ぎだとは自分でも思うが、見栄を張っても仕方ない。
「そうね・・・・。綺麗に破けてるから、直すのも簡単そう。銀貨二枚、ってところだけど、一枚でいいわ。特別よ?」
ミーネさんは長くて綺麗な人差し指を口元に持っていき、くすりと笑った。そのあと、スッと銀貨一枚だけをとっていく。
「ありがとうございます!」
頭を下げてお礼を言う。ミーネさんにはいつも世話になりっぱなしだ。
もともとこの高性能な外套もミーネさんが格安で作ってくれたから手に入れられたもので、本来なら僕みたいな三流探索者じゃ逆立ちしたって買えない代物だった。
いつかこの恩に報いれるように頑張らないと・・・・。
決意を心に秘めつつ、広げたお金を小袋の中に戻す。
「あとさ、フェイ君。前から言ってるけど、別に用事がなくても、いつでも来てくれて構わないんだからね」
「は、はい」
お世辞だとわかっていても、照れて俯いてしまう。顔はきっと真っ赤になっているだろうし、胸の中はまるで春が来たようにぽかぽかとして暖かくなった。ああ、どんだけ僕って単純なんだ・・・・。
「ふふっ、じゃあ今から取り掛かるから、フェイ君もこっちで」
と、ミーネさんが言葉を言い切る前に、
「ミーネさん、こんちはー!」
からんころん、という来店を知らせる鈴の音と共に、快活な声が店に響いた。
「お、フェイ。お前もいたのか、奇遇だな!」
「ケイトさん、お久しぶりです」
店の中に入ってきたのは、僕のことを『仔兎』といってバカにしないばかりか、酒場とかで会うとご飯を気前良く奢ってくれる先輩探索者のケイトさんだった。
ケイトさんは金髪碧眼の、まるでどこかの王子様のようなとても格好いい容姿をしている。鍛えられた肉体は引き締まっており、驕ったところのない人好きのする性格、さらには六十階層も突破するほどの実力十分な一流探索者と、天が二物も三物も与えているような人だ。
そんな僕にとっては手の届かないような人にも関わらず、ケイトさんはなぜか僕を弟分として可愛がってくれていた。
「ちっ、いいところに。・・・・さっさと目的言って出て行きなさいよ」
「あれ、なんかミーネさんすごく冷たくないっすか?」
「いつものことでしょう」
「いや、そうなんすけど。いつもよりもさらに冷たいというか酷いというか・・・・」
ケイトさんとここで会ったのは初めてだ。軽口を言い合う二人はとても仲が良さそうに見える。はたから見ても美男美女の二人は、まるで英雄譚に出てくる主人公達のようだった。
物語の端役になれるかもわからない僕はそれを、お似合いだなあ、なんて思いながら眺めていたりして。
・・・・なんかイヤだな。
さきほどまで感じていた暖かい気持ちは、醜い嫉妬の感情に塗りつぶされていく。
「あの・・・・、僕もう帰りますね」
鈍い胸の痛みを誤魔化しながら、やっとの思いで出てきた言葉はそれだけだった。
「え、なんで。フェイ君はもっといていいのよ?」
「あれ、俺とだいぶ態度が違う!? それにしてもフェイ。俺が終わるまで待ってくれよ、一緒にメシでも食いに行こうぜ」
二人から嬉しい言葉をもらえるが、僕は頭を振って、
「ごめんなさいケイトさん。今日はちょっとこのあと用事があって」
何もない用事をでっち上げて、断りを入れる。
「そうだったか、引き留めて悪かったな」
「そんな・・・・。それじゃフェイ君、外套はどうするの?」
「明日取りに来ようと思います。ミーネさん、今日はありがとうございました。・・・・それじゃ」
矢継ぎ早に言い残して、立ち去る。もう二人を見ていられなかった。
店から出ると、冬の冷たい空気が体中を襲ってきた。外套がないというだけで、ここまで変わるものなのか。大きく息を吸うと芯から凍えてしまいそうだ。
――ああ、みじめで情けない。
かたや若くして一流探索者、かたや一層で燻っている三流探索者、どちらが彼女に相応しいかなんて誰の目にも明らかだ。考えるまでもない。
それにケイトさんでなくとも、僕より彼女に相応しい人はこの都市に沢山いる。
「はやく、宿に帰って寝よう」
思うようにいかない現実も、寝ている間だけは忘れられる。
想いを振り切るようにして、宿まで思いっきり走った。途中、通り過ぎた人たちが僕を驚いた目で見ていたが気にせずに急ぐ。軋んでいく肺の痛みが、何故だか心地良く感じられた。
フェイが出ていった後の店内は、なんともいえない空間となった。二人とも、言葉を発さない。というより、一人の美女が放つ不機嫌オーラを肌で感じている金髪の青年が、空気を読んでいるというべきか。
ともあれ、さすがにこの空気にも耐えかねるばかりか、このままでは自身の用事を済ますことも出来ない。まずはこの沈黙をなんとかしようと、ケイトは口を開いてとりあえず思いついたことを言った。
「もったいないですよね、フェイ」
「・・・・何がよ?」
不機嫌さを一切隠さずに聞き返すミーネ。「いいからさっさと出ていけ」くらいは言われるだろうなと予想していたケイトだったが、まさか会話に応じてもらえるとは思わなかった。少々意外に思いつつも、重苦しい空気を追い払うべく、出来るだけ明るい声を意識しつつ、
「またまた〜、ミーネさんはフェイの将来性も見抜いてるんでしょ? そうじゃなきゃ『絶対零度』とか冒険者でもないのに何故か凄い二つ名付いてるミーネさんの、さっきの優し〜い態度に説明がつきませんよ」
ケイトはケラケラと笑いながら、少年の話に花を咲かせようとする。
「フェイはスカウトとして必要なものを全部持ってる上に成長を続けてる。視野の広さ、俊敏性、手先の器用さ、そして何より勘が良い」
人を見る目があると自負しているケイトは、自分の主観を交えながら話した。
「・・・・わかってるじゃない」
褒められているのはフェイなのに、うんうんと頷いて自分のことのように喜ぶミーネ。先ほどとは打って変わった様子に、ケイトも自然と饒舌になる。
「今は『仔兎』なんて言われてるけど、そもそも仲間がいないだけの話で、相応の相手と組めれば今でも四十階層くらいなら通用するでしょうし。それにアイツなら、」
「四十、階層・・・・?」
と、そこで途端にミーネの態度が明らかに変わった。ケイトもその違和感を指摘して訊ねる。
「どうしたんすかミーネさん。呆けた顔して」
「・・・・九十五階層は?」
「なんで九十五階層?」
「いいから、答えなさいよ!」
ケイトはあまりにも突拍子のない質問に、戸惑いつつも口を開く。
「そ、そんなの俺もわかりませんよ、深層も深層だし。まあアイツが仲間に恵まれつつ、トントン拍子に成長しつづけて・・・・」
「成長しつづけて?」
「十年くらい経てばもしかしたら行けるかも」
ミーネはくわっと目を見開く。
「じゅーねんだとぉおおおお!!?」
「ど、どうしたんですかミーネさん。キャラ崩れてますよ!?」
「待てるかあああああああ!!!!」
「あー、ちょっとどこ行くんすかミーネさん! まだ俺の用事終わってないんですけどー!」
長きの歴史を誇る『世界蛇のダンジョン』でも、極めて異例な事件が始まろうとしていた。
世界中にダンジョンは数多くあれど、その中でも特に大規模とされるのが『世界蛇のダンジョン』だ。全百階層といわれる他に類を見ないほどの深層を誇り、中には強力な魔物やトラップが犇めいて、進入者の行く手を遮る。未だ制覇されたことのない最高難易度のダンジョンとして冒険者ギルドに情報が登録されていた。
そんな世界的にも有名な『世界蛇のダンジョン』を囲むように築かれた都市が、迷宮都市イシュルだ。
イシュルにはダンジョンの探索を生業としている、俗に探索者と呼ばれる冒険者達がいて、ダンジョンに生成される植物や鉱石、稀に見つかる宝箱に入っているレアアイテムを求めて日々ダンジョン内をかけずり回っている。
そして何を隠そう僕も、そういった探索者達の中の一人だ。信頼している仲間達と共に深層に挑み、溢れる強力なモンスターをちぎっては投げちぎっては投げ。手に入れた財宝と美女に囲まれながら人生を謳歌する超一流探索者――
「・・・・だったらどれだけ良かったことか」
自嘲するように独り言を呟きながら、僕はダンジョンの出入り口へと向かっていた。
腕っ節には自信がないけど逃げ足だけには自信がある僕は、一階層にある宝箱を主な収入源として生活している三流探索者なのが現実だ。
ダンジョンの宝箱は一日経てば再生成されるので(もちろん宝箱の位置は変わるし、ないことも珍しくない)この生活自体を続けていく分には特に問題はないのだが、低階層で活動している探索者は「腰抜け」などと一部の探索者からバカにされていた。
中でも僕は、ちっこい身体で素早くモンスターから逃げ回ることから、『仔兎』という不名誉な二つ名までついている。とほほ・・・・。
なんとか汚名を払拭したいなあとは思うのだけど、具体的な行動に移すのはなかなか難しい。というのも、僕は一人でダンジョンに潜っているので、気をつけないとすぐあの世行きという非常に大きいリスクを背負っているからだ。
ならばパーティーを組もう、と思っても、『仔兎』という付けられた汚名がそれを邪魔するという悪循環に陥っていた。
「ははは、はぁ・・・・・・」
ままならない事実だけで気が滅入るというのに、問題はまだまだ山積みで、
「・・・・これ直さないとなあ」
着ている外套を何度も確認してみても、やっぱり大きく穴があいていた。
先ほど魔物の攻撃を避けたときに、うっかり転んでしまい外套が破けてしまった。炎耐性の加護が付いている外套は、僕の装備品の中でも一、二を争うほどの貴重品だけにダメージが大きい。
「今日の稼ぎは全部パアかな・・・・」
それどころか、むしろマイナスという可能性も否定できない。新しい装備品買いたいのになあ、と嘆いても当然お金が増えることはない。
・・・・でも、これであの人に会える口実が出来たと思えばいいか。
いらっしゃい、と僕を迎えてくれる憧れの人の優しい笑顔が、僕の脳裏に浮かぶ。
「っと、いけないいけない」
急いで頭を振って、始まりそうだった妄想を追い出した。ダンジョンでの気の緩みは命の危険にまで繋がる。せめてダンジョンから出るまでは油断してはならない、とはよく言ったもので。
足下にあった一階層特有の不出来なトラップをちゃちゃっと解除し、ダンジョンの出入り口へと急いだ。
ダンジョンから出たあと、探索者ギルドに寄って今日の戦利品を換金してもらう。ざっと見た感じ外套の修繕費用くらいはありそうで、ほっと胸を撫で下ろした。
それを手早く小袋にしまい探索者ギルドを出ると、脇目も振らずに目的の場所へと向かった。
探索者ギルドより歩いて数分、『衣服装飾店』と書かれた看板が立てられた店に着く。
僕は店の扉の前で額の汗を拭いたり、服のゴミを気にしたりと、一応の身だしなみを整えてから店の中に入る。
「ミーネさん、こんにちは」
「あ、フェイ君。いらっしゃい、よく来たわね」
店の扉を開けると、僕にとって憧れの人が、いつも通り優しく微笑みかけてくれた。
ミーネさんは衣服を主とする装備品を扱っている『衣服装飾店』の店主さんだ。
腰に届くほどの艶やかな長い銀髪に、白磁のようなきめ細かい肌、切れ長の知性的な瞳が印象的な、スタイルの良い美しい女性。探索者の間ではファンも多く、美女が多いこの都市でも一際目立っている。
「今日はどうしたの?」
「えっと、少し外套が破けちゃって」
着ていた外套を手早く脱いで、カウンターに置く。
「あらあら、これは綺麗に破けてるわねえ・・・・」
見慣れているからだろう、ミーネさんは驚いた風もなく破損個所を指でなぞる。
「あのう、それで。・・・・修繕費用はどれくらいになるでしょうか。これで足りますか?」
そっと小袋を出して、中身をカウンターに広げていく。銀貨は数枚あるが、ほとんどが銅貨。しょぼい稼ぎだとは自分でも思うが、見栄を張っても仕方ない。
「そうね・・・・。綺麗に破けてるから、直すのも簡単そう。銀貨二枚、ってところだけど、一枚でいいわ。特別よ?」
ミーネさんは長くて綺麗な人差し指を口元に持っていき、くすりと笑った。そのあと、スッと銀貨一枚だけをとっていく。
「ありがとうございます!」
頭を下げてお礼を言う。ミーネさんにはいつも世話になりっぱなしだ。
もともとこの高性能な外套もミーネさんが格安で作ってくれたから手に入れられたもので、本来なら僕みたいな三流探索者じゃ逆立ちしたって買えない代物だった。
いつかこの恩に報いれるように頑張らないと・・・・。
決意を心に秘めつつ、広げたお金を小袋の中に戻す。
「あとさ、フェイ君。前から言ってるけど、別に用事がなくても、いつでも来てくれて構わないんだからね」
「は、はい」
お世辞だとわかっていても、照れて俯いてしまう。顔はきっと真っ赤になっているだろうし、胸の中はまるで春が来たようにぽかぽかとして暖かくなった。ああ、どんだけ僕って単純なんだ・・・・。
「ふふっ、じゃあ今から取り掛かるから、フェイ君もこっちで」
と、ミーネさんが言葉を言い切る前に、
「ミーネさん、こんちはー!」
からんころん、という来店を知らせる鈴の音と共に、快活な声が店に響いた。
「お、フェイ。お前もいたのか、奇遇だな!」
「ケイトさん、お久しぶりです」
店の中に入ってきたのは、僕のことを『仔兎』といってバカにしないばかりか、酒場とかで会うとご飯を気前良く奢ってくれる先輩探索者のケイトさんだった。
ケイトさんは金髪碧眼の、まるでどこかの王子様のようなとても格好いい容姿をしている。鍛えられた肉体は引き締まっており、驕ったところのない人好きのする性格、さらには六十階層も突破するほどの実力十分な一流探索者と、天が二物も三物も与えているような人だ。
そんな僕にとっては手の届かないような人にも関わらず、ケイトさんはなぜか僕を弟分として可愛がってくれていた。
「ちっ、いいところに。・・・・さっさと目的言って出て行きなさいよ」
「あれ、なんかミーネさんすごく冷たくないっすか?」
「いつものことでしょう」
「いや、そうなんすけど。いつもよりもさらに冷たいというか酷いというか・・・・」
ケイトさんとここで会ったのは初めてだ。軽口を言い合う二人はとても仲が良さそうに見える。はたから見ても美男美女の二人は、まるで英雄譚に出てくる主人公達のようだった。
物語の端役になれるかもわからない僕はそれを、お似合いだなあ、なんて思いながら眺めていたりして。
・・・・なんかイヤだな。
さきほどまで感じていた暖かい気持ちは、醜い嫉妬の感情に塗りつぶされていく。
「あの・・・・、僕もう帰りますね」
鈍い胸の痛みを誤魔化しながら、やっとの思いで出てきた言葉はそれだけだった。
「え、なんで。フェイ君はもっといていいのよ?」
「あれ、俺とだいぶ態度が違う!? それにしてもフェイ。俺が終わるまで待ってくれよ、一緒にメシでも食いに行こうぜ」
二人から嬉しい言葉をもらえるが、僕は頭を振って、
「ごめんなさいケイトさん。今日はちょっとこのあと用事があって」
何もない用事をでっち上げて、断りを入れる。
「そうだったか、引き留めて悪かったな」
「そんな・・・・。それじゃフェイ君、外套はどうするの?」
「明日取りに来ようと思います。ミーネさん、今日はありがとうございました。・・・・それじゃ」
矢継ぎ早に言い残して、立ち去る。もう二人を見ていられなかった。
店から出ると、冬の冷たい空気が体中を襲ってきた。外套がないというだけで、ここまで変わるものなのか。大きく息を吸うと芯から凍えてしまいそうだ。
――ああ、みじめで情けない。
かたや若くして一流探索者、かたや一層で燻っている三流探索者、どちらが彼女に相応しいかなんて誰の目にも明らかだ。考えるまでもない。
それにケイトさんでなくとも、僕より彼女に相応しい人はこの都市に沢山いる。
「はやく、宿に帰って寝よう」
思うようにいかない現実も、寝ている間だけは忘れられる。
想いを振り切るようにして、宿まで思いっきり走った。途中、通り過ぎた人たちが僕を驚いた目で見ていたが気にせずに急ぐ。軋んでいく肺の痛みが、何故だか心地良く感じられた。
フェイが出ていった後の店内は、なんともいえない空間となった。二人とも、言葉を発さない。というより、一人の美女が放つ不機嫌オーラを肌で感じている金髪の青年が、空気を読んでいるというべきか。
ともあれ、さすがにこの空気にも耐えかねるばかりか、このままでは自身の用事を済ますことも出来ない。まずはこの沈黙をなんとかしようと、ケイトは口を開いてとりあえず思いついたことを言った。
「もったいないですよね、フェイ」
「・・・・何がよ?」
不機嫌さを一切隠さずに聞き返すミーネ。「いいからさっさと出ていけ」くらいは言われるだろうなと予想していたケイトだったが、まさか会話に応じてもらえるとは思わなかった。少々意外に思いつつも、重苦しい空気を追い払うべく、出来るだけ明るい声を意識しつつ、
「またまた〜、ミーネさんはフェイの将来性も見抜いてるんでしょ? そうじゃなきゃ『絶対零度』とか冒険者でもないのに何故か凄い二つ名付いてるミーネさんの、さっきの優し〜い態度に説明がつきませんよ」
ケイトはケラケラと笑いながら、少年の話に花を咲かせようとする。
「フェイはスカウトとして必要なものを全部持ってる上に成長を続けてる。視野の広さ、俊敏性、手先の器用さ、そして何より勘が良い」
人を見る目があると自負しているケイトは、自分の主観を交えながら話した。
「・・・・わかってるじゃない」
褒められているのはフェイなのに、うんうんと頷いて自分のことのように喜ぶミーネ。先ほどとは打って変わった様子に、ケイトも自然と饒舌になる。
「今は『仔兎』なんて言われてるけど、そもそも仲間がいないだけの話で、相応の相手と組めれば今でも四十階層くらいなら通用するでしょうし。それにアイツなら、」
「四十、階層・・・・?」
と、そこで途端にミーネの態度が明らかに変わった。ケイトもその違和感を指摘して訊ねる。
「どうしたんすかミーネさん。呆けた顔して」
「・・・・九十五階層は?」
「なんで九十五階層?」
「いいから、答えなさいよ!」
ケイトはあまりにも突拍子のない質問に、戸惑いつつも口を開く。
「そ、そんなの俺もわかりませんよ、深層も深層だし。まあアイツが仲間に恵まれつつ、トントン拍子に成長しつづけて・・・・」
「成長しつづけて?」
「十年くらい経てばもしかしたら行けるかも」
ミーネはくわっと目を見開く。
「じゅーねんだとぉおおおお!!?」
「ど、どうしたんですかミーネさん。キャラ崩れてますよ!?」
「待てるかあああああああ!!!!」
「あー、ちょっとどこ行くんすかミーネさん! まだ俺の用事終わってないんですけどー!」
長きの歴史を誇る『世界蛇のダンジョン』でも、極めて異例な事件が始まろうとしていた。
19/03/24 06:35更新 / 涼織
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