悲恋とハッピーエンド 前編
昔話をしよう。
僕はこの世界にくる前、一度入院していた。
理由は単純。信号無視した車に跳ねられて両足を骨折したのである。
いや〜、背の低い車で良かったよ。お陰で足の骨折と多少の打撲と擦り傷で済んだから。
まぁ、足を骨折したから二、三週間は動けなくて退屈だったね。
それで、本題はと言うとこの先。
ようやく一人で動けるようになった僕はある夜尿意に駆られて眼を覚ました。
取り敢えず車椅子でトイレに向かって用を足したあと、部屋に戻る途中で音を耳にしたんだ。
「……今の何?」
やだ、物凄く怖い、とか思ったね。
でも聴いていると、どうも女性の歌声の様だ。
それでもまだ怖かったけど。
ってそりゃそうだよ。夜の病院で歌なんて聞く人によっては怖すぎるよ!幽霊出てきそうじゃないか!
まぁそんな訳で僕は気になって歌声を辿って廊下を進んだ。
そして辿り着いた先は心療内科の病室。
「……開いてる」
扉が開けっ放しで、外からの月明かりが廊下まで駄々漏れだった。
その病室から綺麗な歌声が漏れている。
……綺麗だけど、夜中に歌われるのは迷惑な訳で、一つ注意しないと。
「失礼しまーー」
その時だった。僕は一瞬息がつまりそうになった。
病室には、一人の少女が居た。
月明かりに照らされ、可憐で儚い表情を窓に向け虚ろな瞳で外を眺め、艶のある唇からは綺麗な歌声が流れる。
よく聞くと、本当に綺麗で、声には芯が通ってて、歌っている彼女の姿も言い表せない程可憐で、ただボーッと見惚れていた。
「〜〜♪……あ、誰?」
少女は僕に気付き歌を止める。僕も正気を取り戻し、返答する。
「……あ、えっと、僕は大塚聖火。患者です」
「何だ、先生かと思った」
……何を言っているんだろう。
「この時間に先生には来ないよ」
「え、今何時?」
「え、って、もう深夜だよ?時計がなくても分かると思うんだけど」
「もうそんな時間!?ごめんなさい!迷惑だった?」
少女は慌てた素振りを見せる。
「う〜ん、お化けかと思うくらいには」
「そ、それは流石に失礼だよ!」
少女は若干申し訳なさそうにしつつも心外だと文句を垂れた。
その姿も表情も愛くるしくて、虚ろな瞳も綺麗で、僕は胸が高まった。
コレが僕の初恋。
「じゃあ、美湖ちゃんは目見えないんだ?」
翌日、僕は血液内科の個室に居る少女、水瀬美湖ちゃんと改めて話をしていた。
「生まれつきね。ここに居るのは白血病にかかってるから」
「治療は順調なの?」
「うん。先生の話だと。そっちは?」
「僕は両足骨折」
「だから車椅子を使ってるんだ?」
「分かるの?」
「うん。音で何となく」
美湖ちゃんは耳をトントンと指で叩く。
生まれつき目が見えない為に、耳と鼻で周囲の判断をしているらしい。
ベッドの横にはウォークマンが置いてある。いつも音楽を聴いているのか、彼女の手にはいつもイヤホンが握られていた。
「いつも何を聴いてるの?」
「『ロミオとジュリエット』」
「ミュージカル?」
「うん。それとオペラかな。他には『レ・ミゼラブル』とか『アイーダ』とか、あと『ライオンキング』に『オペラ座の怪人』」
悲劇が多い……。なんてろくに概要も知らない僕が言うのもあれだけど。
「……オペラとミュージカルの違いが分からないんだけど」
「簡単に言うと音楽の違いだよ。オペラは生のオーケストラや肉声が殆どのクラシックで、ミュージカルはポピュラー音楽でマイクとかを使って踊ったり歌ったり。まあ、踊りは観れないから分からないけど」
美湖ちゃんは子供みたく楽しそうに話す。
「好きなんだ?」
「うん。どれも感慨深い話で、音楽も好きで、それにそれに……!」
楽しそうに話す彼女の表情が、僕の視線を釘付けにした。
「……可愛い」
「うぇ!?」
子供の様にはしゃぎ、時に恥じらい、大人ぶったり、そんな彼女に僕は惹かれていた。
時折苦しそうに咳をするけど、それでも彼女は幸せそうだった。
それから一ヶ月が過ぎ、僕は骨折も完治し退院したが、それからも美湖ちゃんのお見舞いは定期的に行っていた。
そしてある日。
「ねぇ、美湖ちゃん?」
「何?」
「もしさ、無事に退院出来たらさーー」
「『僕と付き合ってください』?」
不意に美湖ちゃんは言葉を遮り、僕が言おうとした事を口にした。
「え?何で分かったの?」
「何となくだよ」
美湖ちゃんは微笑む。
「でも、無理かな。その告白は断ります。」
「ありゃ、フラれた」
こんな反応だけど正直かなりショックだったな。でも直後に彼女は言った。
「だから『今』、私と付き合ってください」
こんな美湖ちゃんのちょっとしたサプライズ告白で、僕たちは恋人になった。
でも、当時は分かっていなかった。
少し考えれば分かる筈なのに気付かなかった。
何故、美湖ちゃんが『今』と口にしたのかを。
「美湖ちゃん!」
駆け付けたとき、病室にはベッドに横たわる美湖ちゃんの姿があった。
「……あ、聖火……」
美湖ちゃんは見えないくせに僕の方に顔を向け弱々しく笑った。
「……何時から酷かったの?」
「……付き合う少し前から」
「何で言わなかったの!?」
美湖ちゃんは黙る。
「何で……?」
でも、もう一度問いかけると美湖ちゃんはーー
「……もうすぐ死ぬから」
ーーと答えた。
「え?」
「私、もう治らないんだって。病状が進んで、薬も効果が無いんだって……」
美湖ちゃんの声が、段々と震える。
「……」
「私ね、友達居ないんだ」
「……え?」
「小学生の時から眼が見えないからって虐められて、ろくに学校通えなくて、家に引き込もって、気付いたら頭がくらくらして倒れて白血病って診断されて。だから親しい人って言ったら聖火くらいなんだ。話かけてくれて、最初は怖かったけど、優しく接してくれて……。だから……」
美湖ちゃんの頬を涙が伝った。
「最期は、幸せな記憶を残したいの……!」
病室に響く懇願と悲痛の声は、僕の胸を締め付けた。
そして気づいた時には、喉につっかえていた言葉が外に出ていた。
「…………。それは勝手すぎるよ」
「…………うん」
「だって、そう伝えてくれなきゃ、悲しい記憶のまんまじゃない!僕は、きっと一生後悔するかもしれなかったじゃないか!」
「……ごめんなさい……」
「……折角告白出来たのに、付き合う事になったのに……」
この後は、もう何も言えなかった。言いたい事があるのに、それを伝える為の言葉が出てこなかった。
そして、彼女が迎えた、最期の日。
僕たちは、最初で最後のデートをした。
ベッドに横たわる美湖ちゃんと、そのすぐ側で床に座る僕。
僕たちはお互い方耳にイヤホンを着け、ミュージカルを聞き続けた。
「……聖火」
「何?」
美湖ちゃんの声には、もう覇気がなかった。小さくて掠れていたけど、僕は気にしなかった。
「最後に、お願い、……して、良い?」
「何でもいいよ。遠慮しないで」
美湖ちゃんは笑って頷いた。
「もしね、……私が、死んだ後、に……、他に、好きな人が……出来たら、大切にしてね」
「……出来るかな?」
頼まれた時は、正直不快だった。でも、美湖ちゃんはきっと僕を心配して言ってくれたんだ。僕が過去に囚われてしまわない様に。
「…………出来るよ。……だって聖火、チャラいもん」
「そうだった」
勿論、冗談だよ。これ。
「だから、……好きな、人が出来たら、ずっ……と愛して、あげるんだよ?悲し、ませるのも……駄目、だからね……?」
「……うん」
「……浮気も……駄目だよ?……悲し、いんだから……」
「…り、了解……」
美湖ちゃんのお願いはそれで終った。
耳許で流れるのは、『ロミオとジュリエット』。派閥の違う家柄のロミオとジュリエットが恋をするが、両家にばれ、引き裂かれそうになり、ジュリエットは仮死毒を使った計画を企てるが、ロミオは仮死毒を飲んだジュリエットを死んだと勘違いし自殺する。仮死毒から目覚めたジュリエットも後を追い自殺するという話。
「『ロミオとジュリエット』は最後、主人公達が死んじゃうからバッドエンドだってよく言われるけど、僕はこの恋で違うって事が分かったよ。幸せに暮らす事は出来なかったけど、それでも二人は出会えた。一生を誓える程の恋ができた。それだけで二人は幸せだったんじゃないかな?」
機械はまだ、彼女が生きていると訴えるように脈を打つ。
「……美湖ちゃんは、幸せだった?」
でも、美湖ちゃんの口からはもう、返事はなかった。
コレが僕の失恋。
悲しくて、でも幸せだった日々。
僕は今、それをヴィヴィアンに話している。
ヴィヴィアンは、何て言うのだろうか?
こんな、未練たらたらな僕の事を。
そして返ってきた言葉は、「ふざけるな」と言う叱咤と、優しい抱擁だった。
僕はこの世界にくる前、一度入院していた。
理由は単純。信号無視した車に跳ねられて両足を骨折したのである。
いや〜、背の低い車で良かったよ。お陰で足の骨折と多少の打撲と擦り傷で済んだから。
まぁ、足を骨折したから二、三週間は動けなくて退屈だったね。
それで、本題はと言うとこの先。
ようやく一人で動けるようになった僕はある夜尿意に駆られて眼を覚ました。
取り敢えず車椅子でトイレに向かって用を足したあと、部屋に戻る途中で音を耳にしたんだ。
「……今の何?」
やだ、物凄く怖い、とか思ったね。
でも聴いていると、どうも女性の歌声の様だ。
それでもまだ怖かったけど。
ってそりゃそうだよ。夜の病院で歌なんて聞く人によっては怖すぎるよ!幽霊出てきそうじゃないか!
まぁそんな訳で僕は気になって歌声を辿って廊下を進んだ。
そして辿り着いた先は心療内科の病室。
「……開いてる」
扉が開けっ放しで、外からの月明かりが廊下まで駄々漏れだった。
その病室から綺麗な歌声が漏れている。
……綺麗だけど、夜中に歌われるのは迷惑な訳で、一つ注意しないと。
「失礼しまーー」
その時だった。僕は一瞬息がつまりそうになった。
病室には、一人の少女が居た。
月明かりに照らされ、可憐で儚い表情を窓に向け虚ろな瞳で外を眺め、艶のある唇からは綺麗な歌声が流れる。
よく聞くと、本当に綺麗で、声には芯が通ってて、歌っている彼女の姿も言い表せない程可憐で、ただボーッと見惚れていた。
「〜〜♪……あ、誰?」
少女は僕に気付き歌を止める。僕も正気を取り戻し、返答する。
「……あ、えっと、僕は大塚聖火。患者です」
「何だ、先生かと思った」
……何を言っているんだろう。
「この時間に先生には来ないよ」
「え、今何時?」
「え、って、もう深夜だよ?時計がなくても分かると思うんだけど」
「もうそんな時間!?ごめんなさい!迷惑だった?」
少女は慌てた素振りを見せる。
「う〜ん、お化けかと思うくらいには」
「そ、それは流石に失礼だよ!」
少女は若干申し訳なさそうにしつつも心外だと文句を垂れた。
その姿も表情も愛くるしくて、虚ろな瞳も綺麗で、僕は胸が高まった。
コレが僕の初恋。
「じゃあ、美湖ちゃんは目見えないんだ?」
翌日、僕は血液内科の個室に居る少女、水瀬美湖ちゃんと改めて話をしていた。
「生まれつきね。ここに居るのは白血病にかかってるから」
「治療は順調なの?」
「うん。先生の話だと。そっちは?」
「僕は両足骨折」
「だから車椅子を使ってるんだ?」
「分かるの?」
「うん。音で何となく」
美湖ちゃんは耳をトントンと指で叩く。
生まれつき目が見えない為に、耳と鼻で周囲の判断をしているらしい。
ベッドの横にはウォークマンが置いてある。いつも音楽を聴いているのか、彼女の手にはいつもイヤホンが握られていた。
「いつも何を聴いてるの?」
「『ロミオとジュリエット』」
「ミュージカル?」
「うん。それとオペラかな。他には『レ・ミゼラブル』とか『アイーダ』とか、あと『ライオンキング』に『オペラ座の怪人』」
悲劇が多い……。なんてろくに概要も知らない僕が言うのもあれだけど。
「……オペラとミュージカルの違いが分からないんだけど」
「簡単に言うと音楽の違いだよ。オペラは生のオーケストラや肉声が殆どのクラシックで、ミュージカルはポピュラー音楽でマイクとかを使って踊ったり歌ったり。まあ、踊りは観れないから分からないけど」
美湖ちゃんは子供みたく楽しそうに話す。
「好きなんだ?」
「うん。どれも感慨深い話で、音楽も好きで、それにそれに……!」
楽しそうに話す彼女の表情が、僕の視線を釘付けにした。
「……可愛い」
「うぇ!?」
子供の様にはしゃぎ、時に恥じらい、大人ぶったり、そんな彼女に僕は惹かれていた。
時折苦しそうに咳をするけど、それでも彼女は幸せそうだった。
それから一ヶ月が過ぎ、僕は骨折も完治し退院したが、それからも美湖ちゃんのお見舞いは定期的に行っていた。
そしてある日。
「ねぇ、美湖ちゃん?」
「何?」
「もしさ、無事に退院出来たらさーー」
「『僕と付き合ってください』?」
不意に美湖ちゃんは言葉を遮り、僕が言おうとした事を口にした。
「え?何で分かったの?」
「何となくだよ」
美湖ちゃんは微笑む。
「でも、無理かな。その告白は断ります。」
「ありゃ、フラれた」
こんな反応だけど正直かなりショックだったな。でも直後に彼女は言った。
「だから『今』、私と付き合ってください」
こんな美湖ちゃんのちょっとしたサプライズ告白で、僕たちは恋人になった。
でも、当時は分かっていなかった。
少し考えれば分かる筈なのに気付かなかった。
何故、美湖ちゃんが『今』と口にしたのかを。
「美湖ちゃん!」
駆け付けたとき、病室にはベッドに横たわる美湖ちゃんの姿があった。
「……あ、聖火……」
美湖ちゃんは見えないくせに僕の方に顔を向け弱々しく笑った。
「……何時から酷かったの?」
「……付き合う少し前から」
「何で言わなかったの!?」
美湖ちゃんは黙る。
「何で……?」
でも、もう一度問いかけると美湖ちゃんはーー
「……もうすぐ死ぬから」
ーーと答えた。
「え?」
「私、もう治らないんだって。病状が進んで、薬も効果が無いんだって……」
美湖ちゃんの声が、段々と震える。
「……」
「私ね、友達居ないんだ」
「……え?」
「小学生の時から眼が見えないからって虐められて、ろくに学校通えなくて、家に引き込もって、気付いたら頭がくらくらして倒れて白血病って診断されて。だから親しい人って言ったら聖火くらいなんだ。話かけてくれて、最初は怖かったけど、優しく接してくれて……。だから……」
美湖ちゃんの頬を涙が伝った。
「最期は、幸せな記憶を残したいの……!」
病室に響く懇願と悲痛の声は、僕の胸を締め付けた。
そして気づいた時には、喉につっかえていた言葉が外に出ていた。
「…………。それは勝手すぎるよ」
「…………うん」
「だって、そう伝えてくれなきゃ、悲しい記憶のまんまじゃない!僕は、きっと一生後悔するかもしれなかったじゃないか!」
「……ごめんなさい……」
「……折角告白出来たのに、付き合う事になったのに……」
この後は、もう何も言えなかった。言いたい事があるのに、それを伝える為の言葉が出てこなかった。
そして、彼女が迎えた、最期の日。
僕たちは、最初で最後のデートをした。
ベッドに横たわる美湖ちゃんと、そのすぐ側で床に座る僕。
僕たちはお互い方耳にイヤホンを着け、ミュージカルを聞き続けた。
「……聖火」
「何?」
美湖ちゃんの声には、もう覇気がなかった。小さくて掠れていたけど、僕は気にしなかった。
「最後に、お願い、……して、良い?」
「何でもいいよ。遠慮しないで」
美湖ちゃんは笑って頷いた。
「もしね、……私が、死んだ後、に……、他に、好きな人が……出来たら、大切にしてね」
「……出来るかな?」
頼まれた時は、正直不快だった。でも、美湖ちゃんはきっと僕を心配して言ってくれたんだ。僕が過去に囚われてしまわない様に。
「…………出来るよ。……だって聖火、チャラいもん」
「そうだった」
勿論、冗談だよ。これ。
「だから、……好きな、人が出来たら、ずっ……と愛して、あげるんだよ?悲し、ませるのも……駄目、だからね……?」
「……うん」
「……浮気も……駄目だよ?……悲し、いんだから……」
「…り、了解……」
美湖ちゃんのお願いはそれで終った。
耳許で流れるのは、『ロミオとジュリエット』。派閥の違う家柄のロミオとジュリエットが恋をするが、両家にばれ、引き裂かれそうになり、ジュリエットは仮死毒を使った計画を企てるが、ロミオは仮死毒を飲んだジュリエットを死んだと勘違いし自殺する。仮死毒から目覚めたジュリエットも後を追い自殺するという話。
「『ロミオとジュリエット』は最後、主人公達が死んじゃうからバッドエンドだってよく言われるけど、僕はこの恋で違うって事が分かったよ。幸せに暮らす事は出来なかったけど、それでも二人は出会えた。一生を誓える程の恋ができた。それだけで二人は幸せだったんじゃないかな?」
機械はまだ、彼女が生きていると訴えるように脈を打つ。
「……美湖ちゃんは、幸せだった?」
でも、美湖ちゃんの口からはもう、返事はなかった。
コレが僕の失恋。
悲しくて、でも幸せだった日々。
僕は今、それをヴィヴィアンに話している。
ヴィヴィアンは、何て言うのだろうか?
こんな、未練たらたらな僕の事を。
そして返ってきた言葉は、「ふざけるな」と言う叱咤と、優しい抱擁だった。
16/09/01 05:01更新 / アスク
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