幕間:本屋と宿と夜
下町の迷路のような路地を抜けた先に本屋がある。
私は現在、そこの新刊コーナーで漫画を手に取っている。
「これは、新連載ですか……。絵が綺麗なんですよね」
新刊を手に取っていく中で、私はこの漫画を買うか買わざるか迷っている。
しかし、この繊細なタッチと色使いには魅かれざるを得ない。
「……買いますか」
これがいわゆる《ジャケ買い》である。
私は店内を見渡し、ウェスカーの姿を見つけた。
「ウェスカー。買いたい本は決まりましたか?」
「うむ」
彼の手には雑学本が一冊。それも心理学となかなか複雑そうだ。
私はいかにもウェスカーらしい選択で小さく笑いを漏らした。
「勉強熱心ですね」
「知識は幾らあっても損はないからな」
ウェスカーは趣味が勉強と言えるほど勉強熱心な青年だ。訓練の合間も何等かの知識本を読み漁っている。
少しは娯楽にも興味を持って欲しいものだが。
「たまには小説や漫画もどうです?」
「……」
彼は声を出さず小さく頷く。
この返事は微妙な所だ。
私が彼と出会って早数年。
ウェスカーと行動を共にしていると微々たる仕草でも何となく意味が分かってしまう。
例えば先日のカイル達との試合でも、彼は一見無表情に見えてその実高揚していたのを知っている。
「たまには良い物ですよ。娯楽本も」
「考えておこう」
ん、少しは興味が出たのでしょうか?
そろそろ会計を済ませよう。
「では、買いましょう」
ウェスカーは静かに頷いた。
その後、大通りのベンチで私たちは読書をしていた。
「今回は当たりでしたね」
新連載の漫画を読み終え、そう呟く。
ジャンル分けとしてはSF漫画とてもいうのだろうか。魔法とはまた違った力でエネルギーで発展した世界での戦争を描いた物語だ。だが、ただ単純な戦争物ではなく、一般人の主人公がひたすら逃げている所はややパニック物に近い。
その戦争の裏で進む交渉や戦争の真実が上手く明かされていく辺り身の詰まった濃い話になるのではなかろうか。今後要チェックだ。
手元の本全てを読み終えた私は横に座るウェスカーを見やる。因みにもう日が傾き始めている。
たった一冊とは言え、彼はまだ読み終えていないようだ。
何か面白い事でも書いてあったのだろうか。ウェスカーは小さく呟いた。
「人の思考は複雑だな……」
――そう言えば彼が買った本は心理学書だった。
「どうですか、その本は?」
「『罪悪は無い、功徳も無い』か……」
ウェスカーはぼそぼそと口を動かす。こちらの問いかけに答えている気配はない。
……あ。
「――読書中は声を掛けても無駄でした」
ウェスカーは読書に夢中になると他の事に気が向かなくなる。こうなると読み終えない限り話は出来ない。
私は彼に寄り添い頭を肩に乗せ、本を覗き見る。それでもウェスカーは気にも留めない。
彼が読んでいる本は思想観念に基づく人の心理が綴られていた。
それも様々な宗教関連の思想が綴られている本だ。
ページ端の項目には教団の思想や、地方の民族宗教の思想。中には魔界のサバトの思想と言う項目まである!
この本の出版社はこの本を出して大丈夫なのだろうか?
ウェスカーはその中で《宗教外思想》と記されたページを開いていた。残りのページの厚さから、最後の辺りだ。
彼が読んでいるのは……、どうやらページの最後の欄らしい。
「《善悪否定論》……?」
提唱者は名称不明。ただし、一説によると一人の暗殺者が地方の里で説いたとされる思想らしい。信仰され始めたのは今からまだ百年ほど前だ。信仰しているのは主に暗殺ギルド等。殺人者が信仰している辺り真面な思想ではない様だ。
内容は名の通りどんな非道な行いをしても悪ではなく、またどんな施し、祭式、節制を行っても善ではない。したがって善悪のいずれも業による報いは無い。
著者の考察では、「この思想はあらゆる物事を「平等」にみる事によって、行為に附随する罪福とその結果生まれる苦しみから心を解き放とうとする教えであろう」と記されている。
「何でしょうか、凄くもやもやします」
主神の遣いである戦乙女には到底理解できない思想だが、こう解りやすい解説があると余程の馬鹿で無い限り理解できてしまう。
そしてこの胸のもやもやは主神を真っ向から否定されていると言う怒りと、この思想で不幸から救われる者も居ると言う歯痒さによるものだった。
「異端思想も恐ろしいものです」
「全くだな」
知らず吐いた嘆息にウェスカーが答える。思わず驚いてしまう。
「――読み終わったのですか?」
「ああ。このページで内容は終了している。あとは別冊の知識本の広告ばかりだ」
「そうですか。感想はどうです?」
「なかなか興味深いものが多かったな」
無表情のままだが、声は弾んでいた。
私は気になった事を聞いてみる。
「……何故その本を?」
恐る恐るの問いにウェスカーは遠い眼をして息を吐き、
「ああ、以前カイルが言っていた事が気になってな」
と答えた。
「カイルさんが貴方に何を?」
「いや、私にと言った訳では無いのだが。以前、カイルが同期の騎士の相談に乗っているのを聞いてな」
「カイルさんが相談に?」
「ああ。何の話だったかはほとんど聞き取れなかったが、カイルは騎士に助言をしていたんだ。『物事に善も悪も無い。だから気を楽にしろ』とな」
その騎士は何か悪い事でもしたのだろうか?
ともかく、その言葉が気になってこの本を買ったのだろう。
「分かりました。カイルさんはその《善悪否定論》を信仰しているのですね」
ウェスカーは頷く。だが、神妙な顔をして続ける。
「……それだけではない気がする」
「え?」
それはどう言う事か、と尋ねようとした時、
「あ、エドナさんとウェスカーさん」
と二時の方向から少女の声が割り込んだ。
視線を向けると、そこにはシルビアが居た。
「む」
「うっ」
ウェスカーがシルビアを見る。彼には別に他意はない筈なのだが、シルビアはそれだけで委縮してしまう。
「あの、お二人はここで何を?」
「読書です」
シルビアには私の発言に何を感じたのか、またもビクッと震えた。
そんな反応をされるとこちらとしても非常に困る。さらにその仕草も愛らしいから困る。
「そんな怯えたような反応しないでください。仕事に関係する話はしない訳ですし」
「あ、す、済みません!!」
シルビアは赤面して頭を下げる。
あ〜あ〜あ〜、悪化してしまった。
「いえ、責めている訳でもないので頭を上げてください!」
と、そんなこんなあって一時。
「そう言えば昨日言っていましたね」
「はい。なのでさっき買った本を読んでいた所なんです」
「そうですか」
なんとか緊張が解けたシルビアとの世間話を楽しむ事にした。
「シルビアはお家の方に顔を出すと言っていましたが」
「それが弟達が今日は一緒に寝たいと言い出しまして……」
「良いではないですか。明日基地に戻れば良いのですし」
「そうですよね。私その辺りがうろ覚えで先週もその前も基地に帰っていたんです」
僅かにほっとした表情を作るシルビアは直後にふふっと笑った。
とそこに唐突にウェスカーが彼女を呼ぶ。
「所でジーンズ」
「はいぃっ!」
突然のウェスカーの一声に声が裏返るシルビア。
ウェスカーはこういう所が不器用だ。普段は寡黙だが気になる所があると唐突に話し出すのは良くある事だ。
今回もその類だろう。
だがこの後、彼が口に出したのは私の予想外の言葉だった。
「なかなか可愛らしい服装をしているな」
「!!」
「こ、これは!」
私は驚愕し、シルビアは赤面して慌て始める。
「あの、その……恥ずかしいです!」
「謙遜する事は無い。なかなか似合っている」
正直、彼がこんな事を言うのは珍しい。と言うか初めて見た。
改めて私はシルビアの恰好を見た。
淡い黄色のキャミソールに深い緑のミニスカート。
確かに可愛らしいが、正直至ってシンプルだ。
「ウェスカー、恐らくこれは服がと言うよりもこの服を着こなしたシルビアが――」
「止めてください!恥ずかしいです!」
耳まで赤くなったシルビアが遮る。
彼女はあまり褒められ慣れていないようだ。
まぁ、シルビアの性格上、男性に唐突に褒められ、追い打ちを掛けられれば無理もないか。失念した。
別の話をしよう。
「そう言えば、何故外に?」
「え、えっと今晩のご飯の買い出しです」
若干赤面が抜けきってない状態で彼女は答える。
「エドナさん達は今日どうするんですか?」
「もう用事は終わりましたし、私達は宿に泊まります」
私の返答にシルビアは疑問符を浮かべ、首を傾げた。
「え、基地に戻らないんですか?」
「ええ。たまには外も良いかと思いまして」
「そうですか」
シルビアは何となく納得し頷く。
「では、私はこの辺で」
「ええ。また明日」
シルビアは手を振り貴族街方面へ去っていく。
「……さて、私達も宿へ向かいますか」
「ああ」
その日の夜。
下町の宿の一室で、私はウェスカーに買った本を勧めていた。
粘った結果、ウェスカーは今日買った新連載の漫画を読み始めた。
彼の反応を楽しみに待つ。
「主人公とヒロインは別行動になるのか……」
意識せずか読んでいる途中で所々感想が零れる。
彼の癖だ。
「ふふっ」
思いの他、物語を楽しんでいると見える。
……あ、読み終った様だ。
「どうでしたか?」
「……面白かった。内容はやや暗いが、ほんの少ししかない希望でも諦めず追う主人公は好感を持てるな」
「ええ、そうですね。主人公は非力ですけど、それでも親友であるヒロインを守ろうとする彼は心底逞しいです。実在していれば主神に選ばれていたかもしれません」
私は思わず笑んだ。ウェスカーは理解が早く感受性が高い。彼の感想には時々気づかされる事もある。
ふと気づくと、ウェスカーが感慨深そうに天井を仰いでいた。
「ウェスカー?」
「……我々が出会った時を思い出すな」
「あ……そうですね。鮮明に思い出せます」
あれは、数年前の事だ。
私が主神の命を受け、勇者候補であるウェスカーを探していた時。
ウェスカーは戦場でただ一人、敵軍と戦っていた。
剣で敵を切り付け、弓をいなし、魔法を退ける。
あの時の戦いぶりは常人とは思えない程豪快で、鮮やかな剣捌きだった。
「戦争の最中、エドナが現れた。そして何も聞かず加勢してくれたな」
「ええ。味方は既に一人も残ってはいませんでしたね」
あの時の事は何時までも忘れない。
彼は一人で敵軍を退けたのだ。
「ああ。だが君と一緒に敵将を打ち取った」
「私は何も」
「いや、その時、君が居なかったら私は死んでいた」
ウェスカーは小さく笑う。勝利を掴んだ時もそうだった。もう随分前だと言うのに記憶に新しい。
「君が用件を離したのは戦争が終わった後だった」
「『おはようございます、私は貴方を勇者へと導く為に遣わされた戦乙女、エドナです。これからは私が貴方を支えます』でしたっけ?」
「そう。私は戦場で力尽き、眼が覚めればエドナが目の前にいた。あの時は衝撃を受けた物だ」
「そうなのですか?」
彼は私に顔を向ける。
――あ……。
「あの時、初めて君をしっかりと視認して、やっと気付いたのだ。
――美しい、とな」
…………。
私は、彼に触れた。肩に手を乗せ、眼鏡を外し、唇を重ねる。
抵抗は無く、優しく抱きかえしてくれる。
キスに、熱が籠る。
「はぁ、……ぅんっ…ちゅっ…………」
視線が重なる。舌が絡む。吐息が混じる。音が淫らに奏でられる。
指が、絡む。
彼の前に姿を晒す。身に纏うもの全てを払って。
「……良いのか?」
「構いません。貴方になら」
それに、お互いもう裸だ。
ウェスカーは唾を飲む。彼には私がどう見えているのだろうか。
魅力的に思ってくれているのなら、これほど嬉しい事は無い。
「思う様に抱いてください。私を」
「…………」
彼の手が私の体を撫でる。
頬、唇、顎、首。
肩、腕、肘、手、指。
足、脛、膝、太腿。
尻、腰、脇腹、背中、脇、胸。
「……ん、ふっ」
撫でられていると、僅かな刺激が鼓動を速めた。
熱が、体を支配する。
ウェスカーは私の乳房を撫で、優しく揉みしだく。
「ぁ、……んんっ」
その度にビクリと体が震える。脳に針がチクチクと刺さる様に快感が走る。
ウェスカーの手は心地良い。
だが、私に快感を与えるその手は震えていた。
「………………」
「ふふ」
ウェスカーは真剣な眼差しで私の乳房を見つめていた。
そうだ。彼も初めてなのだ。
それが嬉しくもあり、歯痒くもある。
私は彼の手に自分の手を重ねる。
「焦らなくて大丈夫ですよ。ゆっくりやれば良いんです」
言葉を掛けると、彼の腕の力が和らいだ。
彼の瞳が私の瞳を覗く。
私は静かに微笑んだ。
「はっ、あ……はんっ!」
ウェスカーの指が、私の膣内を進む。皮膚を擦りながら、私の中に電気を走らせる。その刺激は愛液を溢れ出させ、指を滑らせ、ほど良い快感を齎してくれる。
「大丈夫か?」
「構い、ません。……気持ち良いっ、です」
彼の指がまた奥へ向かおうと深く刺さる。
「ひぁ、あふっ!ん、ぁあ……ああ!!」
伝わる快感が強引に私の声を引き出す。
「――はんあぁあっあ!」
そして、動く指が、肉ひだの特に敏感な部分を突いた。
「……ここか?」
「……はい、ぃひゃ、ぁあ!……んん!」
ウェスカーは私の様子を観察する。その脳裏では次に何をするか途方に迷っている様だ。
「胸も、揉ん、でっ!く、……ください……!」
ウェスカーは示された道を真っ直ぐ進む。
「はああぁぁ!ンん……」
股間の刺激に、胸の刺激が重なった。
「ウェスカー」
私はウェスカーの頬を優しく撫でた。それと共に彼の愛撫が止まる。
「……そろそろ、欲しいです」
「ああ、分かった」
指が快感を残し引き抜かれる。
少し切なく感じるが気にしない。
この後に来るのは、もっと気持ち良い物だ。
「エドナ……」
ウェスカーの逞しく反り立った陰茎が、入り口にあてがわれる。
「ウェスカー、……来てください」
直後の事だった。
「――――っ!」
私の中に、大きなモノが入ってきた。同時に強い快感が私を襲う。
ダメだ。一瞬で理性が吹っ飛びそうだ。
しかし、まだ亀頭が挿入されただけ。まだ彼の全てを受け止めた訳では無い。
「くぅ、はああぁぁぁ……!」
「くっ、つっ……!」
彼の挿入と共に、私も腰を動かす。
速く、彼と一つになりたい。
「ひぁぁああ、ふ、くはぁああ!」
「…ん、……はっ……!
全身がウェスカーを求めた。彼を受け止めるために私は強く甘い快感を物ともせず、いやむしろとことん感じながら自分から腰を動かし、彼の猛りを全て私の中に収めた。
「ふふ、ウェスカー」
私は彼を見つめる。彼はあまりの刺激に息が切れ切れだ。
「はぁ、はぁ、……何だ?」
そんな彼に私は言う。
「愛してます」
「知っている」
ウェスカーは即答した。私の瞳をじっと見つめ、真剣に。
「――ウェスカー!」
「む――!」
もう我慢の限界だった。
ウェスカーを押し倒し、目一杯に腰を上下させる。
「あ、はぁあああ!んぁあああああ!ひ、ああっ!」
「くっ、ふ、……ッ!!」
快感が全身に行き渡る。五官が狂いそうになるくらい甘酸っぱい刺激が私を串刺しにする。
「あんっ!ああぁああ!ひ、クッあああああああ!」
「あ、……くっ!」
「ウェスカー!ウェスカー!ウェスカー!」
マズイ。そろそろ、来る。
「エ、……ドナ!」
ウェスカーも、何だかイキそうな顔をしている。
「も、うイっ――!」
「ハっ――!」
恐ろしく、そして待ち焦がれていた絶頂が、来た。
「あああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!」
「はあ、っぁああ!!」
瞬間、頭の中が真っ白になる。
朦朧とする意識の中で、私の子宮辺りに熱いモノが注がれたのが分かった。
「――」
少し疲れた。眠ろう。
――私は、幸せだ。
先日。とうとう、私はウェスカーと交わってしまった。
主神を裏切った罪悪感と共に、この上ない幸せを感じる。
嗚呼、私は、堕落してしまったのだろうか?
日に日に、自分の魔力が変質していくのが分かる。天族のそれから、魔物のそれへと。時々自分の肌が青くなったりする事だってある。
裁きを受けるべきだろうか?
しかし、ウェスカーに迷惑をかける訳にはいかない。もし私が裁かれれば、同時にウェスカーも裁かれる事になる。それは絶対に避けるべきだ。
いっそ、彼を何処かへ連れ去って二人で平和に――。
「やぁ、エドナ」
「――はい、何か用ですか?カイルさん」
「いや、特に用って訳じゃないんだけど、
――何か雰囲気変わった?」
「――え?」
「いや、気の所為かな?まぁいいや」
カイルは私の隣を通り抜ける。
「逃げるなら、早めにした方が良いよ。エドナ」
そう言い残して、赤毛の青年はその場から去って行った。
私は現在、そこの新刊コーナーで漫画を手に取っている。
「これは、新連載ですか……。絵が綺麗なんですよね」
新刊を手に取っていく中で、私はこの漫画を買うか買わざるか迷っている。
しかし、この繊細なタッチと色使いには魅かれざるを得ない。
「……買いますか」
これがいわゆる《ジャケ買い》である。
私は店内を見渡し、ウェスカーの姿を見つけた。
「ウェスカー。買いたい本は決まりましたか?」
「うむ」
彼の手には雑学本が一冊。それも心理学となかなか複雑そうだ。
私はいかにもウェスカーらしい選択で小さく笑いを漏らした。
「勉強熱心ですね」
「知識は幾らあっても損はないからな」
ウェスカーは趣味が勉強と言えるほど勉強熱心な青年だ。訓練の合間も何等かの知識本を読み漁っている。
少しは娯楽にも興味を持って欲しいものだが。
「たまには小説や漫画もどうです?」
「……」
彼は声を出さず小さく頷く。
この返事は微妙な所だ。
私が彼と出会って早数年。
ウェスカーと行動を共にしていると微々たる仕草でも何となく意味が分かってしまう。
例えば先日のカイル達との試合でも、彼は一見無表情に見えてその実高揚していたのを知っている。
「たまには良い物ですよ。娯楽本も」
「考えておこう」
ん、少しは興味が出たのでしょうか?
そろそろ会計を済ませよう。
「では、買いましょう」
ウェスカーは静かに頷いた。
その後、大通りのベンチで私たちは読書をしていた。
「今回は当たりでしたね」
新連載の漫画を読み終え、そう呟く。
ジャンル分けとしてはSF漫画とてもいうのだろうか。魔法とはまた違った力でエネルギーで発展した世界での戦争を描いた物語だ。だが、ただ単純な戦争物ではなく、一般人の主人公がひたすら逃げている所はややパニック物に近い。
その戦争の裏で進む交渉や戦争の真実が上手く明かされていく辺り身の詰まった濃い話になるのではなかろうか。今後要チェックだ。
手元の本全てを読み終えた私は横に座るウェスカーを見やる。因みにもう日が傾き始めている。
たった一冊とは言え、彼はまだ読み終えていないようだ。
何か面白い事でも書いてあったのだろうか。ウェスカーは小さく呟いた。
「人の思考は複雑だな……」
――そう言えば彼が買った本は心理学書だった。
「どうですか、その本は?」
「『罪悪は無い、功徳も無い』か……」
ウェスカーはぼそぼそと口を動かす。こちらの問いかけに答えている気配はない。
……あ。
「――読書中は声を掛けても無駄でした」
ウェスカーは読書に夢中になると他の事に気が向かなくなる。こうなると読み終えない限り話は出来ない。
私は彼に寄り添い頭を肩に乗せ、本を覗き見る。それでもウェスカーは気にも留めない。
彼が読んでいる本は思想観念に基づく人の心理が綴られていた。
それも様々な宗教関連の思想が綴られている本だ。
ページ端の項目には教団の思想や、地方の民族宗教の思想。中には魔界のサバトの思想と言う項目まである!
この本の出版社はこの本を出して大丈夫なのだろうか?
ウェスカーはその中で《宗教外思想》と記されたページを開いていた。残りのページの厚さから、最後の辺りだ。
彼が読んでいるのは……、どうやらページの最後の欄らしい。
「《善悪否定論》……?」
提唱者は名称不明。ただし、一説によると一人の暗殺者が地方の里で説いたとされる思想らしい。信仰され始めたのは今からまだ百年ほど前だ。信仰しているのは主に暗殺ギルド等。殺人者が信仰している辺り真面な思想ではない様だ。
内容は名の通りどんな非道な行いをしても悪ではなく、またどんな施し、祭式、節制を行っても善ではない。したがって善悪のいずれも業による報いは無い。
著者の考察では、「この思想はあらゆる物事を「平等」にみる事によって、行為に附随する罪福とその結果生まれる苦しみから心を解き放とうとする教えであろう」と記されている。
「何でしょうか、凄くもやもやします」
主神の遣いである戦乙女には到底理解できない思想だが、こう解りやすい解説があると余程の馬鹿で無い限り理解できてしまう。
そしてこの胸のもやもやは主神を真っ向から否定されていると言う怒りと、この思想で不幸から救われる者も居ると言う歯痒さによるものだった。
「異端思想も恐ろしいものです」
「全くだな」
知らず吐いた嘆息にウェスカーが答える。思わず驚いてしまう。
「――読み終わったのですか?」
「ああ。このページで内容は終了している。あとは別冊の知識本の広告ばかりだ」
「そうですか。感想はどうです?」
「なかなか興味深いものが多かったな」
無表情のままだが、声は弾んでいた。
私は気になった事を聞いてみる。
「……何故その本を?」
恐る恐るの問いにウェスカーは遠い眼をして息を吐き、
「ああ、以前カイルが言っていた事が気になってな」
と答えた。
「カイルさんが貴方に何を?」
「いや、私にと言った訳では無いのだが。以前、カイルが同期の騎士の相談に乗っているのを聞いてな」
「カイルさんが相談に?」
「ああ。何の話だったかはほとんど聞き取れなかったが、カイルは騎士に助言をしていたんだ。『物事に善も悪も無い。だから気を楽にしろ』とな」
その騎士は何か悪い事でもしたのだろうか?
ともかく、その言葉が気になってこの本を買ったのだろう。
「分かりました。カイルさんはその《善悪否定論》を信仰しているのですね」
ウェスカーは頷く。だが、神妙な顔をして続ける。
「……それだけではない気がする」
「え?」
それはどう言う事か、と尋ねようとした時、
「あ、エドナさんとウェスカーさん」
と二時の方向から少女の声が割り込んだ。
視線を向けると、そこにはシルビアが居た。
「む」
「うっ」
ウェスカーがシルビアを見る。彼には別に他意はない筈なのだが、シルビアはそれだけで委縮してしまう。
「あの、お二人はここで何を?」
「読書です」
シルビアには私の発言に何を感じたのか、またもビクッと震えた。
そんな反応をされるとこちらとしても非常に困る。さらにその仕草も愛らしいから困る。
「そんな怯えたような反応しないでください。仕事に関係する話はしない訳ですし」
「あ、す、済みません!!」
シルビアは赤面して頭を下げる。
あ〜あ〜あ〜、悪化してしまった。
「いえ、責めている訳でもないので頭を上げてください!」
と、そんなこんなあって一時。
「そう言えば昨日言っていましたね」
「はい。なのでさっき買った本を読んでいた所なんです」
「そうですか」
なんとか緊張が解けたシルビアとの世間話を楽しむ事にした。
「シルビアはお家の方に顔を出すと言っていましたが」
「それが弟達が今日は一緒に寝たいと言い出しまして……」
「良いではないですか。明日基地に戻れば良いのですし」
「そうですよね。私その辺りがうろ覚えで先週もその前も基地に帰っていたんです」
僅かにほっとした表情を作るシルビアは直後にふふっと笑った。
とそこに唐突にウェスカーが彼女を呼ぶ。
「所でジーンズ」
「はいぃっ!」
突然のウェスカーの一声に声が裏返るシルビア。
ウェスカーはこういう所が不器用だ。普段は寡黙だが気になる所があると唐突に話し出すのは良くある事だ。
今回もその類だろう。
だがこの後、彼が口に出したのは私の予想外の言葉だった。
「なかなか可愛らしい服装をしているな」
「!!」
「こ、これは!」
私は驚愕し、シルビアは赤面して慌て始める。
「あの、その……恥ずかしいです!」
「謙遜する事は無い。なかなか似合っている」
正直、彼がこんな事を言うのは珍しい。と言うか初めて見た。
改めて私はシルビアの恰好を見た。
淡い黄色のキャミソールに深い緑のミニスカート。
確かに可愛らしいが、正直至ってシンプルだ。
「ウェスカー、恐らくこれは服がと言うよりもこの服を着こなしたシルビアが――」
「止めてください!恥ずかしいです!」
耳まで赤くなったシルビアが遮る。
彼女はあまり褒められ慣れていないようだ。
まぁ、シルビアの性格上、男性に唐突に褒められ、追い打ちを掛けられれば無理もないか。失念した。
別の話をしよう。
「そう言えば、何故外に?」
「え、えっと今晩のご飯の買い出しです」
若干赤面が抜けきってない状態で彼女は答える。
「エドナさん達は今日どうするんですか?」
「もう用事は終わりましたし、私達は宿に泊まります」
私の返答にシルビアは疑問符を浮かべ、首を傾げた。
「え、基地に戻らないんですか?」
「ええ。たまには外も良いかと思いまして」
「そうですか」
シルビアは何となく納得し頷く。
「では、私はこの辺で」
「ええ。また明日」
シルビアは手を振り貴族街方面へ去っていく。
「……さて、私達も宿へ向かいますか」
「ああ」
その日の夜。
下町の宿の一室で、私はウェスカーに買った本を勧めていた。
粘った結果、ウェスカーは今日買った新連載の漫画を読み始めた。
彼の反応を楽しみに待つ。
「主人公とヒロインは別行動になるのか……」
意識せずか読んでいる途中で所々感想が零れる。
彼の癖だ。
「ふふっ」
思いの他、物語を楽しんでいると見える。
……あ、読み終った様だ。
「どうでしたか?」
「……面白かった。内容はやや暗いが、ほんの少ししかない希望でも諦めず追う主人公は好感を持てるな」
「ええ、そうですね。主人公は非力ですけど、それでも親友であるヒロインを守ろうとする彼は心底逞しいです。実在していれば主神に選ばれていたかもしれません」
私は思わず笑んだ。ウェスカーは理解が早く感受性が高い。彼の感想には時々気づかされる事もある。
ふと気づくと、ウェスカーが感慨深そうに天井を仰いでいた。
「ウェスカー?」
「……我々が出会った時を思い出すな」
「あ……そうですね。鮮明に思い出せます」
あれは、数年前の事だ。
私が主神の命を受け、勇者候補であるウェスカーを探していた時。
ウェスカーは戦場でただ一人、敵軍と戦っていた。
剣で敵を切り付け、弓をいなし、魔法を退ける。
あの時の戦いぶりは常人とは思えない程豪快で、鮮やかな剣捌きだった。
「戦争の最中、エドナが現れた。そして何も聞かず加勢してくれたな」
「ええ。味方は既に一人も残ってはいませんでしたね」
あの時の事は何時までも忘れない。
彼は一人で敵軍を退けたのだ。
「ああ。だが君と一緒に敵将を打ち取った」
「私は何も」
「いや、その時、君が居なかったら私は死んでいた」
ウェスカーは小さく笑う。勝利を掴んだ時もそうだった。もう随分前だと言うのに記憶に新しい。
「君が用件を離したのは戦争が終わった後だった」
「『おはようございます、私は貴方を勇者へと導く為に遣わされた戦乙女、エドナです。これからは私が貴方を支えます』でしたっけ?」
「そう。私は戦場で力尽き、眼が覚めればエドナが目の前にいた。あの時は衝撃を受けた物だ」
「そうなのですか?」
彼は私に顔を向ける。
――あ……。
「あの時、初めて君をしっかりと視認して、やっと気付いたのだ。
――美しい、とな」
…………。
私は、彼に触れた。肩に手を乗せ、眼鏡を外し、唇を重ねる。
抵抗は無く、優しく抱きかえしてくれる。
キスに、熱が籠る。
「はぁ、……ぅんっ…ちゅっ…………」
視線が重なる。舌が絡む。吐息が混じる。音が淫らに奏でられる。
指が、絡む。
彼の前に姿を晒す。身に纏うもの全てを払って。
「……良いのか?」
「構いません。貴方になら」
それに、お互いもう裸だ。
ウェスカーは唾を飲む。彼には私がどう見えているのだろうか。
魅力的に思ってくれているのなら、これほど嬉しい事は無い。
「思う様に抱いてください。私を」
「…………」
彼の手が私の体を撫でる。
頬、唇、顎、首。
肩、腕、肘、手、指。
足、脛、膝、太腿。
尻、腰、脇腹、背中、脇、胸。
「……ん、ふっ」
撫でられていると、僅かな刺激が鼓動を速めた。
熱が、体を支配する。
ウェスカーは私の乳房を撫で、優しく揉みしだく。
「ぁ、……んんっ」
その度にビクリと体が震える。脳に針がチクチクと刺さる様に快感が走る。
ウェスカーの手は心地良い。
だが、私に快感を与えるその手は震えていた。
「………………」
「ふふ」
ウェスカーは真剣な眼差しで私の乳房を見つめていた。
そうだ。彼も初めてなのだ。
それが嬉しくもあり、歯痒くもある。
私は彼の手に自分の手を重ねる。
「焦らなくて大丈夫ですよ。ゆっくりやれば良いんです」
言葉を掛けると、彼の腕の力が和らいだ。
彼の瞳が私の瞳を覗く。
私は静かに微笑んだ。
「はっ、あ……はんっ!」
ウェスカーの指が、私の膣内を進む。皮膚を擦りながら、私の中に電気を走らせる。その刺激は愛液を溢れ出させ、指を滑らせ、ほど良い快感を齎してくれる。
「大丈夫か?」
「構い、ません。……気持ち良いっ、です」
彼の指がまた奥へ向かおうと深く刺さる。
「ひぁ、あふっ!ん、ぁあ……ああ!!」
伝わる快感が強引に私の声を引き出す。
「――はんあぁあっあ!」
そして、動く指が、肉ひだの特に敏感な部分を突いた。
「……ここか?」
「……はい、ぃひゃ、ぁあ!……んん!」
ウェスカーは私の様子を観察する。その脳裏では次に何をするか途方に迷っている様だ。
「胸も、揉ん、でっ!く、……ください……!」
ウェスカーは示された道を真っ直ぐ進む。
「はああぁぁ!ンん……」
股間の刺激に、胸の刺激が重なった。
「ウェスカー」
私はウェスカーの頬を優しく撫でた。それと共に彼の愛撫が止まる。
「……そろそろ、欲しいです」
「ああ、分かった」
指が快感を残し引き抜かれる。
少し切なく感じるが気にしない。
この後に来るのは、もっと気持ち良い物だ。
「エドナ……」
ウェスカーの逞しく反り立った陰茎が、入り口にあてがわれる。
「ウェスカー、……来てください」
直後の事だった。
「――――っ!」
私の中に、大きなモノが入ってきた。同時に強い快感が私を襲う。
ダメだ。一瞬で理性が吹っ飛びそうだ。
しかし、まだ亀頭が挿入されただけ。まだ彼の全てを受け止めた訳では無い。
「くぅ、はああぁぁぁ……!」
「くっ、つっ……!」
彼の挿入と共に、私も腰を動かす。
速く、彼と一つになりたい。
「ひぁぁああ、ふ、くはぁああ!」
「…ん、……はっ……!
全身がウェスカーを求めた。彼を受け止めるために私は強く甘い快感を物ともせず、いやむしろとことん感じながら自分から腰を動かし、彼の猛りを全て私の中に収めた。
「ふふ、ウェスカー」
私は彼を見つめる。彼はあまりの刺激に息が切れ切れだ。
「はぁ、はぁ、……何だ?」
そんな彼に私は言う。
「愛してます」
「知っている」
ウェスカーは即答した。私の瞳をじっと見つめ、真剣に。
「――ウェスカー!」
「む――!」
もう我慢の限界だった。
ウェスカーを押し倒し、目一杯に腰を上下させる。
「あ、はぁあああ!んぁあああああ!ひ、ああっ!」
「くっ、ふ、……ッ!!」
快感が全身に行き渡る。五官が狂いそうになるくらい甘酸っぱい刺激が私を串刺しにする。
「あんっ!ああぁああ!ひ、クッあああああああ!」
「あ、……くっ!」
「ウェスカー!ウェスカー!ウェスカー!」
マズイ。そろそろ、来る。
「エ、……ドナ!」
ウェスカーも、何だかイキそうな顔をしている。
「も、うイっ――!」
「ハっ――!」
恐ろしく、そして待ち焦がれていた絶頂が、来た。
「あああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!」
「はあ、っぁああ!!」
瞬間、頭の中が真っ白になる。
朦朧とする意識の中で、私の子宮辺りに熱いモノが注がれたのが分かった。
「――」
少し疲れた。眠ろう。
――私は、幸せだ。
先日。とうとう、私はウェスカーと交わってしまった。
主神を裏切った罪悪感と共に、この上ない幸せを感じる。
嗚呼、私は、堕落してしまったのだろうか?
日に日に、自分の魔力が変質していくのが分かる。天族のそれから、魔物のそれへと。時々自分の肌が青くなったりする事だってある。
裁きを受けるべきだろうか?
しかし、ウェスカーに迷惑をかける訳にはいかない。もし私が裁かれれば、同時にウェスカーも裁かれる事になる。それは絶対に避けるべきだ。
いっそ、彼を何処かへ連れ去って二人で平和に――。
「やぁ、エドナ」
「――はい、何か用ですか?カイルさん」
「いや、特に用って訳じゃないんだけど、
――何か雰囲気変わった?」
「――え?」
「いや、気の所為かな?まぁいいや」
カイルは私の隣を通り抜ける。
「逃げるなら、早めにした方が良いよ。エドナ」
そう言い残して、赤毛の青年はその場から去って行った。
15/03/29 14:48更新 / アスク
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