生離謳歌
今日も彼はやってきた。
獣ひしめく、この森に。
「こんにちは、おねえさんっ！」
能天気な顔。身体中に擦り傷を付けて。
手に持っている袋からは、焼き菓子の匂い。
よくそんなものを持ちながら、森の中を歩けるものだ。
「おねえさん、今、狩りの途中？」
私が何をしているのかは、理解できるらしい。
ならば、もう少し考えを巡らせて、邪魔であることも察するべきだ。
いつもいつも、私の後を追ってくる。獲物に気付かれることも多々。
この人間は、毎日…もう１ヶ月以上も、私を探しに森へとやってくる。
何が楽しいのか、飽きもせず、毎日、毎日、毎日…。余程の暇人だ。
その手には、いつも焼き菓子を携えて。獣達の格好の的といえる。
こういった生き物は、死に瀕する直前まで、それが分からないのだろう。
「ついていっても、いい？」
人間の言葉を無視し、風に鼻を添える。
…南の方か。そう遠くはない。
兎。数は３匹。…同族も近くにいる。
急ごう。先を越される。
「あっ…」
背高の草むらを縫って、駆ける。
葉の動きを読み、風の流れを掴んで、自分が通る道を描く。
動きは出来るだけ最小限に。音にさえ私の存在を隠して。
同族はまだ動いていない。今なら獲れる。
何もアクシデントが無ければの話だが。
「お、おねえさ…うわっ！？」
そう、あいつだ。派手な音を立てて転んでくれた。
気付かれたな。
兎の方は、まだ動いていないが…同族、さすがに速い。
こちらに一瞬気を向けただけで、私の狙いが分かったようだ。
２匹は獲られるか。残り１匹も怪しい。
「あっ…クッキーが…」
鼻を突く、あの匂い。
袋の中身をぶちまけたか。奴らも、さすがに気付いたようだ。
北から野良犬が３匹。西からヒグマが１匹。東からオオカミが５匹。
…南から向かってくる獣はいないな。不幸中の幸いか。走る邪魔にならない。
「どうしよう…、泥だらけ…」
…見えた。血の匂いもする。
駆け抜け、すれ違いざまに交差する、同族の鋭い視線。
ちょうど２匹目を仕留めたところのようだ。動きが鈍い。
３匹目の位置は…私の方が近いな。獲れる。
「…え？ あっ！？ ひっ…！」
諦めず、向かってくるか。私もそうする。無駄と分かっていても。
どんなことにも、付き物なのだ。私の場合、特に経験している。
アクシデントというものを。
「おっ…おねえさーんっ！！」
っ…！
…一瞬の躊躇いが、勝負を分けた。
同族は３匹の兎を抱え…私に目もくれず、風となって去っていった。
それは、なんら不思議なことではない。私達は、そういうものだ。
踵を返し、来た道を全速力で駆ける。
「やっ…！ 痛いっ！」
焼き菓子の匂いに混じって、彼と、オオカミの…いや、野良犬もいる。
ヒグマも近いが、私の方が速い。他は…いないな。ならば、狩れるか。
「やめてっ！ 離れてよぉっ！」
見えた。
オオカミは…眼前に１匹。彼に跨っている２匹。傍らに２匹。
野良犬は焼き菓子に夢中か。アレは後でいい。まずは眼前の…。
「ひぐっ！」
っ…！
「っ…！？ あっ…！」
…何をしている。何故、彼の肩に噛みついた奴から仕留めた。
眼前だ。まずは、眼前にいる奴を仕留めるべきだった。
来るぞ。逃した奴が、こちらへ噛み付いてくる。回避は…間に合わない。
「おねえさんっ！」
二の腕に突き刺さる、鋭い牙。
肉に喰い込み、骨まで砕かんと込められる力。
反省なぞしている暇はない。それは生き残ってからだ。
空いた手の鎌を立て、一閃…首を吹っ飛ばす。
迸る鮮血。怯えた声を上げる、人間と野良犬。
体勢を立て直す暇もなく、襲い来る３匹。
１匹の顎を蹴り上げ、身体を転がらせて横へ避ける。
「あぶないっ！」
立とうとしたところで、２匹跳び掛かってくる。
悪手だ。二刀を水平に、開いた口へ滑り込ませ…薙ぐ。
悲鳴と共に、上下を別つ身体。臓物の悪臭が鼻を刺す。
残り１匹。少し離れた位置で様子を伺っている。
私は、未だ腕に喰らい付くそれを外し捨てて…。
背を向け、獲物の狩りを終えた。
「え……ひぃっ！？」
ぐしゃりと、鈍い音が耳に届く。
あれと争って獲り合う獲物ではない。素直に譲る。
「ぁ…っ……ぁ…」
…野良犬は逃げたか。残っていても、熊の餌になるだけだが。
奴も、私と争う気はなさそうだ。あれで事足りたか。
私の方も、これだけ食糧があれば充分だろう。味は不味いが。
さて…。
「………」
餌を拾い上げ…巣へ帰ろうと、一歩踏み出す。
「ぁ…」
……………。
「………」
…邪魔だ。
「わっ！」
腕にしがみつくそれを、軽く振り払う。
泥まみれの身体を、更に泥で濡らす人間。
「………」
……………。
「………」
…震えた身体を押し付けるな。
「っ…！」
振り解こうとしたが…今度はがっちりと腕を捉え、離れない。
とはいえ、再び…先程よりも力を込めて振り払うと、あっさりと吹き飛んだ。
「あっ…！」
音を立て、倒れる。
いつの間に拾ったのか、破れた菓子袋の中身を、再びぶちまけて。
「っ……ぅ…」
…諦めたか。
人間に興味はないが、彼は私にとってあまりにも邪魔だ。
もし、これ以上邪魔になるのなら、次に会った時は…狩る。
それがこの傷から得た教訓だ。無視し続けていい存在ではない。
「……ぐすっ…」
競り合った同族…あの様にあるべきだ。
一片の迷い無く。ただ獲物へと向けて。
狩りに、戸惑いも、躊躇いもいらない。
死へと繋がるそれは、生きる上で必要ない。
私には、必要ない。
「ひっぐ……、ぅっ…」
……………。
「ずびっ…、うぇぇ…っ」
……………。
「うぅ…っ……ひっく…」
……………。
「……っ…？ …ぁ…」
…少し早いが、
「…おねえ、さん…？」
繁殖用の雄として、使えないこともない。
持って帰ろう。
「え…？ あっ。………え？」
……………。
「………」
…持ち辛いな…。
……………
………
…
「わぁ…」
私の巣を見て、声を上げる人間。
さっさと降ろし、餌の皮剥ぎに取り掛かる。
「このベッド、葉っぱでできてる…。わ〜っ…」
食べるのは…後か。先に交尾を済ませよう。
周囲の安全が確認できている内に終わらせたい。
隙を晒す時間は、短いに越したことはない。
「ね、おねえさん、これって…わっ！？」
突き飛ばし、ベッドへ寝かせる。
彼はアクシデントを起こす存在だ。
お構いなしに声を上げるだけなら、まだいい。
それが稀に、私へ戸惑いを与えるのが厄介だ。
そうさせないためにも、迅速に事を運ぶ。
「えっ、あっ、ひゃんっ！？」
鎌を振るい、服を切り裂く。
晒される…人間の裸。雄のそれ。
「な、何するの！？ おねえさん！」
まずは…勃起か。
「やっ…おねえさん、そこ、だめっ…！」
…してないな。煩わしい。
「ひぅっ！？」
指で摘み、弄ぶ。
面倒なことに、雄は興奮しないと勃起しない。
そして勃起しなければ、交尾を行うことができない。
それがどの動物にも共通であるというのだから、
神というのは、余程子孫を残すことを命懸けにしたいようだ。
「お……おねえさ…んっ…」
…早い。もう硬くなった。大きさも２、３倍程。
この人間、交尾には向いているのかもしれない。
「あぅっ…。なんで…いきなり……んくっ、…こ、こんなっ…コト…」
汁の量も多い。敏感なのか。
それならば、射精も早いな。
「んっ…、ぁ…。おね…っ……さぁん…っ」
彼のカウパー液が、私の指先を包むタイツに浸み込んでくる。
にゅちにゅちと響く音から窺い知れる、その粘度と量…。
これほどになれば、もう挿れても大丈夫だろう。
私のモノに、唾を塗り込む必要もなさそうだ。
「ふぁっ……んぅ…。…ぁ…」
彼に跨り、ペニスを掴む。
呻き声をよそに、自らの秘所の位置を探り…宛てがった。
その時、ふと…胸に響く、何か。
「ぁ…ゎ……」
…気のせいか。
あるいは、また彼の所為か。
どちらでもいい。異常はない。手早く終わらせよう。
「あっ…」
んっ…。
入……っ…。
「あぁぁっ！」
っっっ！？♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥
「ふぁっ…ぁっ…！ あぁっ…！」
なっ…♥♥♥ ぁ…♥♥♥ ひっ…♥♥♥
「ぉ、おねえさんの……ナカ、にっ…♥」
な…なんだ、これは…っ。
身体中が痺れる…。勝手に震えてしまうっ…。
アソコが…アソコが、熱いッ…！ 彼のペニスも…！
彼の顔を見ると…胸が…胸が、胸がっ！！
「おねえ…さん…っ」
っ…！
あぁっ。なんだ、なんなんだ、これはっ…。
いらない。いらないモノの筈なんだ。いらないモノの…。
お願い…、やめて、おねがいっ、私が、壊れ…っ！
壊れてしまうっ…！
「…？」
……………。
「…だい、じょうぶ…？」
…分かった。今、全て分かった。
彼は、やっぱりそうだった。
最初から分かっていたことだった。
私にとっての、アクシデント。
「おねえさ…んぅっ！？」
言い終わる前に、その唇を塞ぐ。
…柔らかい。なんて柔らかいんだ。口が中から蕩け落ちそう。
これが、キス。これがキスなんだ。彼との、キス…。
「ちゅっ…ん、ふっ…ぅ…♥ んぐっ…♥」
涙目になって。可愛い。
あぁ、こういうのを可愛いっていうんだ。
可愛い。もっと見せて。その表情を。
あ。舌だ。彼の舌。ちっちゃい。
食べちゃおう。もぐ、もぐ。ふふっ、美味しい。
キスって不思議。想いが伝わってくるみたい。
私のことが好きだったんだね。だから毎日会いに来てたんだ。
あんなに恐い想いをしてまで、毎日毎日、私に会いに。
嬉しいな。ねぇ、合ってる？ 貴方の想い、合ってる…？
「ちゅぅ……はっ♥ やっ…んぅっ、ぅ…♥」
あの焼き菓子、私のために持ってきてくれていたの？
ごめんね、気が付けなくて。ちゃんと貰うね。残さず食べるよ。
そうだ、一緒に食べよう。泥が付いていても、いいよ。
「ぷはっ…♥ お、おねえさん…まってっ……あぅっ♥」
肩、痛かったよね。助けるのが遅くて、ごめん。
こんなに血が出て、苦しかったよね。辛かったよね。
美味しいよ、キミの血。少し苦くて、ほんのり甘い。
私が舐めて治してあげる。だから、もう少しだけ味あわせて。
「だめ…っ。そこ、汚いよ…おねえさん…っ」
…興味など無かった筈の人間の言葉が、私を呼ぶ度に、胸の中で何かが弾ける。
もっと私を呼んで欲しいという想いが湧いてくる。無駄な行為である筈なのに。
これが…『堕ちる』ということか。
マンティスという種の考え方…生き方を離れて、無駄を求めて。
自らの身を危険に晒してまで、彼を欲する、塗り替えられた本能。
色濃く流れる魔物の血。雄との繋がりに酔う身体。蝕む性欲。
雌の私が、目の前の人間を喰らえと訴えかけてくる。精を、喰らえと。
「ひんっ！？♥ ゃ…っ……、う、動いちゃ……ぁ…♥」
私を壊した、こんな小さな肉の芽。
なのに、それが私の膣内を擦る度に、逆らえない快感が全身を刺す。
胸は張り、乳首は隆起し、切ない吐息が洩れ、腹の奥が疼いて…。
私の身体が…彼の子種を欲している。
誤魔化しようもないほどに。
「でちゃうっ…♥ もう、でちゃっ……あぁっ…♥」
射精の予感を告げる彼。
その言葉に、ぞわぞわと込み上がる昂り。
膣内射精。膣内射精するんだ。
彼の精液を、私の膣が…私の子宮が、受け止める。
それはどれほど気持ち良いのだろう。想像できない。
早く…。早く、教えて。早く…膣内射精してっ！
「おねっ……さ…っ♥ で…っる…っ♥」
早く。はやく。はやくはやくはやく。
はやく…っ！
「ぅ……あぁっっ♥♥♥」
っ…ぁ……っっ♥♥♥♥♥ ぅ、ぁ…♥♥♥♥♥
「っは…♥ んぅっ…♥ ……はぁ…っ♥」
これが………精液……。
熱い…。襞の隙間まで滲みてくる…。
ペニスが脈動する度に、彼の粘液が流れ込んでくるのを感じる。
それに合わせて、愛液を滴らせる、私の膣内。もう、ぐちゃぐちゃだ。
繋がる部分は真っ赤に熟れて、蜘蛛のように糸を引いている。
溢れ、泡立つ精液も。もったいない、なんて考えが脳裏を過ぎる。
「はっ…♥ ご…ごめんなさい…♥」
今更、何を。
もう元には戻れない。
私の中に、違う私がいる。
彼を好む、雌の私が。私さえ知らない、雌の私が。
私は乞うている。彼の小さな唇を貪りたいと。
私は言っている。彼の小さな唇を貪ろうと。
私は叫んでいる。彼の小さな唇を貪れと。
「ぁ……んむっ♥ ちゅぅ…♥」
命を刈り取るための手が、彼の頬に優しく添えられ。
血肉を喰らうための口が、彼の口を愛おしげに包む。
「おねえさんっ…、ぼく、ヘンになりそうっ…♥」
不意に、耳に届く遠吠え。
オオカミのものだ。近い。
しかし、雑音だ。今の私には。
私の耳は、今、艶声を聴くのに忙しい。
手もだ。柔らかな尻を揉むのに。
足も。目も。何もかも。彼を愛でるのに余念が無い。
虎が来ようが、獅子が来ようが。
私の興味を、この小さな人間から引き剥がすことはできない。
「おねえさんっ…♥ おねえさぁんっ…♥」
自ら腰を振って、滾る肉の芽を打ちつけてくる。
私に快楽を与えようとしてくれているのか。
心地良いな。雌の私も、そう感じているようだ。
分かるよ。心地良いんだろう？
これはどうだ？ この動きは、更に心地良いのか？
「やぁ…っ♥ 腰…ひねっちゃっ…♥」
可愛いな。分かるさ。分かる。
お前は私だ。雌の私。彼を可愛いと感じる気持ちが、分かる。
咥えるのか。好いな。蜂蜜の様な味がしそうだ。
搾り取るか。そうだな。一滴残らず出させてやろう。
焦らすか。なるほど。乞う姿を眺めるのも乙なもの。
尻の穴を？ ふむ。どのように喘ぐかは見てみたい。
だがな、雌の私。少し下品だ、お前は。
彼にはもう見せたくない。構わないだろう。
することは変わらないんだ。お前も、私も。
「あっ…ぁ…っ♥ また……出ちゃうっ…♥」
私は、彼が好きな私でいたい。
乱れたいさ。お前も、私だ。性に溺れ、乱れたい。
彼もきっと、その方が興奮するだろう。今よりも、ずっと。
「ひぁっ…♥ あっ♥ あっ♥ あぁっ♥」
しかし…。
「あぁぁっっ♥♥♥♥♥」
っ……♥
「あぁ…っ…♥ ぁ……♥」
…お前では、出来ない。
欲に溺れるお前では。自らの快感を貪るお前では。
止め処なく溢れる精を受けて、満足しているお前では。
「ぅぁ……、…ぇっ、ひゃううっ！？♥♥♥」
どうだ？
達している身体を、更に責め立てられるのは。
お前になど訊いていない。彼に訊いている。
「おねえさっ…はひっ♥♥♥ ひぅぅっ♥♥♥」
心地良いだろう。射精が止まらないか。
だが、更にだ。更に心地良さを増してやる。
性感はどこだ？ 耳？ 首？ 胸？ 足の裏？
答えなくていい。私が探す。そして犯し尽くす。
狩りと同じだ。完膚無きまでやる。降参しても、止めたりなどしない。
「やああぁぁっ♥♥♥ しんじゃうっ♥♥♥ しんじゃうぅっ♥♥♥」
死にはしない。精液を吐き出すだけだ。
子宮が満ちれば、次は尻穴で受け止める。
腸が満ちれば、次は口だ。胃まで満たそう。
その頃には、また子宮が渇いている。繰り返し。
「とんじゃうっ♥♥♥ とんじゃっ…♥♥♥ おねえさぁんっ♥♥♥」
可愛い。もう、離さない。
私の生き方は、変わらない。
生きる。彼のために。
私は、生き続ける。
「おねえ……さ………っ♥♥♥」
さぁ、交尾を続けよう。
「あああぁぁぁぁぁっっっ♥♥♥♥♥♥♥」
彼の精が、尽きるまで…。
……………
………
…
「おねえさん！ いたよ、鹿っ！」
私の背中で、叫ぶ彼。
風に澄ます。
東、１０歩もない地点に、兎が４匹。その約３０歩先に、オオカミが３匹。
彼の指す鹿の位置は、北、約７０歩の距離に１匹。他に獣はいない。
鹿はこちらに気付いた。逃げられる可能性が高い。
兎に狙いを変えれば、４匹全て、確実に獲れる。効率的だ。
「あっ、逃げたっ！」
だが、兎を無視する。
追い付かないと分かっていながら、全力で鹿を追い駆ける。
非効率的だ。だが、私は知っている。嫌というほどだ。
アクシデントというものを。
「逃げられちゃ……ぇ、わっ！？ 転んだ！ 躓いたよっ！」
木の根に足を引っ掛け、倒れた鹿に飛び掛かり…一突き。
咽下に深々と鎌を突き刺された獲物は…あっさりと息絶え、地に伏した。
「おねえさん、すごいっ！ やったぁ！」
無邪気に喜ぶ彼。
手に持った焼き菓子の袋が、がさがさと音を立てる。
「これで今日のゴハンは大丈夫だね、おねえさんっ」
そう言いながら、褒美のつもりか、菓子のひとつを差し伸べる。
…私は表情を崩さぬまま、それを、ゆっくりと口に含んだ。
彼の、指ごと。
「わっ…」
……………。
「………」
………伝わりにくかったか…？
「……あの…。おねえさん…、ぼく…」
伝わっていた。よかった。
「なんだか…」
彼の意思を確認したところで、言葉も半ば、
鹿の角を持ち、巣へ向けて一直線に駆け抜ける。
「わわっ！？」
無感情を装う私の中で、もう一人の私が騒ぎ立てる。
分かっていると言い聞かせながら、足取りは軽く、速く。
焼き菓子の匂いを、森中にばら撒きながら。
「…おねえさん…」
分かっている。分かっているさ。
私もだ。
「だいすき…♥」
今日も私は生き続ける。
彼を背に乗せ、この森で。
獣ひしめく、この森に。
「こんにちは、おねえさんっ！」
能天気な顔。身体中に擦り傷を付けて。
手に持っている袋からは、焼き菓子の匂い。
よくそんなものを持ちながら、森の中を歩けるものだ。
「おねえさん、今、狩りの途中？」
私が何をしているのかは、理解できるらしい。
ならば、もう少し考えを巡らせて、邪魔であることも察するべきだ。
いつもいつも、私の後を追ってくる。獲物に気付かれることも多々。
この人間は、毎日…もう１ヶ月以上も、私を探しに森へとやってくる。
何が楽しいのか、飽きもせず、毎日、毎日、毎日…。余程の暇人だ。
その手には、いつも焼き菓子を携えて。獣達の格好の的といえる。
こういった生き物は、死に瀕する直前まで、それが分からないのだろう。
「ついていっても、いい？」
人間の言葉を無視し、風に鼻を添える。
…南の方か。そう遠くはない。
兎。数は３匹。…同族も近くにいる。
急ごう。先を越される。
「あっ…」
背高の草むらを縫って、駆ける。
葉の動きを読み、風の流れを掴んで、自分が通る道を描く。
動きは出来るだけ最小限に。音にさえ私の存在を隠して。
同族はまだ動いていない。今なら獲れる。
何もアクシデントが無ければの話だが。
「お、おねえさ…うわっ！？」
そう、あいつだ。派手な音を立てて転んでくれた。
気付かれたな。
兎の方は、まだ動いていないが…同族、さすがに速い。
こちらに一瞬気を向けただけで、私の狙いが分かったようだ。
２匹は獲られるか。残り１匹も怪しい。
「あっ…クッキーが…」
鼻を突く、あの匂い。
袋の中身をぶちまけたか。奴らも、さすがに気付いたようだ。
北から野良犬が３匹。西からヒグマが１匹。東からオオカミが５匹。
…南から向かってくる獣はいないな。不幸中の幸いか。走る邪魔にならない。
「どうしよう…、泥だらけ…」
…見えた。血の匂いもする。
駆け抜け、すれ違いざまに交差する、同族の鋭い視線。
ちょうど２匹目を仕留めたところのようだ。動きが鈍い。
３匹目の位置は…私の方が近いな。獲れる。
「…え？ あっ！？ ひっ…！」
諦めず、向かってくるか。私もそうする。無駄と分かっていても。
どんなことにも、付き物なのだ。私の場合、特に経験している。
アクシデントというものを。
「おっ…おねえさーんっ！！」
っ…！
…一瞬の躊躇いが、勝負を分けた。
同族は３匹の兎を抱え…私に目もくれず、風となって去っていった。
それは、なんら不思議なことではない。私達は、そういうものだ。
踵を返し、来た道を全速力で駆ける。
「やっ…！ 痛いっ！」
焼き菓子の匂いに混じって、彼と、オオカミの…いや、野良犬もいる。
ヒグマも近いが、私の方が速い。他は…いないな。ならば、狩れるか。
「やめてっ！ 離れてよぉっ！」
見えた。
オオカミは…眼前に１匹。彼に跨っている２匹。傍らに２匹。
野良犬は焼き菓子に夢中か。アレは後でいい。まずは眼前の…。
「ひぐっ！」
っ…！
「っ…！？ あっ…！」
…何をしている。何故、彼の肩に噛みついた奴から仕留めた。
眼前だ。まずは、眼前にいる奴を仕留めるべきだった。
来るぞ。逃した奴が、こちらへ噛み付いてくる。回避は…間に合わない。
「おねえさんっ！」
二の腕に突き刺さる、鋭い牙。
肉に喰い込み、骨まで砕かんと込められる力。
反省なぞしている暇はない。それは生き残ってからだ。
空いた手の鎌を立て、一閃…首を吹っ飛ばす。
迸る鮮血。怯えた声を上げる、人間と野良犬。
体勢を立て直す暇もなく、襲い来る３匹。
１匹の顎を蹴り上げ、身体を転がらせて横へ避ける。
「あぶないっ！」
立とうとしたところで、２匹跳び掛かってくる。
悪手だ。二刀を水平に、開いた口へ滑り込ませ…薙ぐ。
悲鳴と共に、上下を別つ身体。臓物の悪臭が鼻を刺す。
残り１匹。少し離れた位置で様子を伺っている。
私は、未だ腕に喰らい付くそれを外し捨てて…。
背を向け、獲物の狩りを終えた。
「え……ひぃっ！？」
ぐしゃりと、鈍い音が耳に届く。
あれと争って獲り合う獲物ではない。素直に譲る。
「ぁ…っ……ぁ…」
…野良犬は逃げたか。残っていても、熊の餌になるだけだが。
奴も、私と争う気はなさそうだ。あれで事足りたか。
私の方も、これだけ食糧があれば充分だろう。味は不味いが。
さて…。
「………」
餌を拾い上げ…巣へ帰ろうと、一歩踏み出す。
「ぁ…」
……………。
「………」
…邪魔だ。
「わっ！」
腕にしがみつくそれを、軽く振り払う。
泥まみれの身体を、更に泥で濡らす人間。
「………」
……………。
「………」
…震えた身体を押し付けるな。
「っ…！」
振り解こうとしたが…今度はがっちりと腕を捉え、離れない。
とはいえ、再び…先程よりも力を込めて振り払うと、あっさりと吹き飛んだ。
「あっ…！」
音を立て、倒れる。
いつの間に拾ったのか、破れた菓子袋の中身を、再びぶちまけて。
「っ……ぅ…」
…諦めたか。
人間に興味はないが、彼は私にとってあまりにも邪魔だ。
もし、これ以上邪魔になるのなら、次に会った時は…狩る。
それがこの傷から得た教訓だ。無視し続けていい存在ではない。
「……ぐすっ…」
競り合った同族…あの様にあるべきだ。
一片の迷い無く。ただ獲物へと向けて。
狩りに、戸惑いも、躊躇いもいらない。
死へと繋がるそれは、生きる上で必要ない。
私には、必要ない。
「ひっぐ……、ぅっ…」
……………。
「ずびっ…、うぇぇ…っ」
……………。
「うぅ…っ……ひっく…」
……………。
「……っ…？ …ぁ…」
…少し早いが、
「…おねえ、さん…？」
繁殖用の雄として、使えないこともない。
持って帰ろう。
「え…？ あっ。………え？」
……………。
「………」
…持ち辛いな…。
……………
………
…
「わぁ…」
私の巣を見て、声を上げる人間。
さっさと降ろし、餌の皮剥ぎに取り掛かる。
「このベッド、葉っぱでできてる…。わ〜っ…」
食べるのは…後か。先に交尾を済ませよう。
周囲の安全が確認できている内に終わらせたい。
隙を晒す時間は、短いに越したことはない。
「ね、おねえさん、これって…わっ！？」
突き飛ばし、ベッドへ寝かせる。
彼はアクシデントを起こす存在だ。
お構いなしに声を上げるだけなら、まだいい。
それが稀に、私へ戸惑いを与えるのが厄介だ。
そうさせないためにも、迅速に事を運ぶ。
「えっ、あっ、ひゃんっ！？」
鎌を振るい、服を切り裂く。
晒される…人間の裸。雄のそれ。
「な、何するの！？ おねえさん！」
まずは…勃起か。
「やっ…おねえさん、そこ、だめっ…！」
…してないな。煩わしい。
「ひぅっ！？」
指で摘み、弄ぶ。
面倒なことに、雄は興奮しないと勃起しない。
そして勃起しなければ、交尾を行うことができない。
それがどの動物にも共通であるというのだから、
神というのは、余程子孫を残すことを命懸けにしたいようだ。
「お……おねえさ…んっ…」
…早い。もう硬くなった。大きさも２、３倍程。
この人間、交尾には向いているのかもしれない。
「あぅっ…。なんで…いきなり……んくっ、…こ、こんなっ…コト…」
汁の量も多い。敏感なのか。
それならば、射精も早いな。
「んっ…、ぁ…。おね…っ……さぁん…っ」
彼のカウパー液が、私の指先を包むタイツに浸み込んでくる。
にゅちにゅちと響く音から窺い知れる、その粘度と量…。
これほどになれば、もう挿れても大丈夫だろう。
私のモノに、唾を塗り込む必要もなさそうだ。
「ふぁっ……んぅ…。…ぁ…」
彼に跨り、ペニスを掴む。
呻き声をよそに、自らの秘所の位置を探り…宛てがった。
その時、ふと…胸に響く、何か。
「ぁ…ゎ……」
…気のせいか。
あるいは、また彼の所為か。
どちらでもいい。異常はない。手早く終わらせよう。
「あっ…」
んっ…。
入……っ…。
「あぁぁっ！」
っっっ！？♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥
「ふぁっ…ぁっ…！ あぁっ…！」
なっ…♥♥♥ ぁ…♥♥♥ ひっ…♥♥♥
「ぉ、おねえさんの……ナカ、にっ…♥」
な…なんだ、これは…っ。
身体中が痺れる…。勝手に震えてしまうっ…。
アソコが…アソコが、熱いッ…！ 彼のペニスも…！
彼の顔を見ると…胸が…胸が、胸がっ！！
「おねえ…さん…っ」
っ…！
あぁっ。なんだ、なんなんだ、これはっ…。
いらない。いらないモノの筈なんだ。いらないモノの…。
お願い…、やめて、おねがいっ、私が、壊れ…っ！
壊れてしまうっ…！
「…？」
……………。
「…だい、じょうぶ…？」
…分かった。今、全て分かった。
彼は、やっぱりそうだった。
最初から分かっていたことだった。
私にとっての、アクシデント。
「おねえさ…んぅっ！？」
言い終わる前に、その唇を塞ぐ。
…柔らかい。なんて柔らかいんだ。口が中から蕩け落ちそう。
これが、キス。これがキスなんだ。彼との、キス…。
「ちゅっ…ん、ふっ…ぅ…♥ んぐっ…♥」
涙目になって。可愛い。
あぁ、こういうのを可愛いっていうんだ。
可愛い。もっと見せて。その表情を。
あ。舌だ。彼の舌。ちっちゃい。
食べちゃおう。もぐ、もぐ。ふふっ、美味しい。
キスって不思議。想いが伝わってくるみたい。
私のことが好きだったんだね。だから毎日会いに来てたんだ。
あんなに恐い想いをしてまで、毎日毎日、私に会いに。
嬉しいな。ねぇ、合ってる？ 貴方の想い、合ってる…？
「ちゅぅ……はっ♥ やっ…んぅっ、ぅ…♥」
あの焼き菓子、私のために持ってきてくれていたの？
ごめんね、気が付けなくて。ちゃんと貰うね。残さず食べるよ。
そうだ、一緒に食べよう。泥が付いていても、いいよ。
「ぷはっ…♥ お、おねえさん…まってっ……あぅっ♥」
肩、痛かったよね。助けるのが遅くて、ごめん。
こんなに血が出て、苦しかったよね。辛かったよね。
美味しいよ、キミの血。少し苦くて、ほんのり甘い。
私が舐めて治してあげる。だから、もう少しだけ味あわせて。
「だめ…っ。そこ、汚いよ…おねえさん…っ」
…興味など無かった筈の人間の言葉が、私を呼ぶ度に、胸の中で何かが弾ける。
もっと私を呼んで欲しいという想いが湧いてくる。無駄な行為である筈なのに。
これが…『堕ちる』ということか。
マンティスという種の考え方…生き方を離れて、無駄を求めて。
自らの身を危険に晒してまで、彼を欲する、塗り替えられた本能。
色濃く流れる魔物の血。雄との繋がりに酔う身体。蝕む性欲。
雌の私が、目の前の人間を喰らえと訴えかけてくる。精を、喰らえと。
「ひんっ！？♥ ゃ…っ……、う、動いちゃ……ぁ…♥」
私を壊した、こんな小さな肉の芽。
なのに、それが私の膣内を擦る度に、逆らえない快感が全身を刺す。
胸は張り、乳首は隆起し、切ない吐息が洩れ、腹の奥が疼いて…。
私の身体が…彼の子種を欲している。
誤魔化しようもないほどに。
「でちゃうっ…♥ もう、でちゃっ……あぁっ…♥」
射精の予感を告げる彼。
その言葉に、ぞわぞわと込み上がる昂り。
膣内射精。膣内射精するんだ。
彼の精液を、私の膣が…私の子宮が、受け止める。
それはどれほど気持ち良いのだろう。想像できない。
早く…。早く、教えて。早く…膣内射精してっ！
「おねっ……さ…っ♥ で…っる…っ♥」
早く。はやく。はやくはやくはやく。
はやく…っ！
「ぅ……あぁっっ♥♥♥」
っ…ぁ……っっ♥♥♥♥♥ ぅ、ぁ…♥♥♥♥♥
「っは…♥ んぅっ…♥ ……はぁ…っ♥」
これが………精液……。
熱い…。襞の隙間まで滲みてくる…。
ペニスが脈動する度に、彼の粘液が流れ込んでくるのを感じる。
それに合わせて、愛液を滴らせる、私の膣内。もう、ぐちゃぐちゃだ。
繋がる部分は真っ赤に熟れて、蜘蛛のように糸を引いている。
溢れ、泡立つ精液も。もったいない、なんて考えが脳裏を過ぎる。
「はっ…♥ ご…ごめんなさい…♥」
今更、何を。
もう元には戻れない。
私の中に、違う私がいる。
彼を好む、雌の私が。私さえ知らない、雌の私が。
私は乞うている。彼の小さな唇を貪りたいと。
私は言っている。彼の小さな唇を貪ろうと。
私は叫んでいる。彼の小さな唇を貪れと。
「ぁ……んむっ♥ ちゅぅ…♥」
命を刈り取るための手が、彼の頬に優しく添えられ。
血肉を喰らうための口が、彼の口を愛おしげに包む。
「おねえさんっ…、ぼく、ヘンになりそうっ…♥」
不意に、耳に届く遠吠え。
オオカミのものだ。近い。
しかし、雑音だ。今の私には。
私の耳は、今、艶声を聴くのに忙しい。
手もだ。柔らかな尻を揉むのに。
足も。目も。何もかも。彼を愛でるのに余念が無い。
虎が来ようが、獅子が来ようが。
私の興味を、この小さな人間から引き剥がすことはできない。
「おねえさんっ…♥ おねえさぁんっ…♥」
自ら腰を振って、滾る肉の芽を打ちつけてくる。
私に快楽を与えようとしてくれているのか。
心地良いな。雌の私も、そう感じているようだ。
分かるよ。心地良いんだろう？
これはどうだ？ この動きは、更に心地良いのか？
「やぁ…っ♥ 腰…ひねっちゃっ…♥」
可愛いな。分かるさ。分かる。
お前は私だ。雌の私。彼を可愛いと感じる気持ちが、分かる。
咥えるのか。好いな。蜂蜜の様な味がしそうだ。
搾り取るか。そうだな。一滴残らず出させてやろう。
焦らすか。なるほど。乞う姿を眺めるのも乙なもの。
尻の穴を？ ふむ。どのように喘ぐかは見てみたい。
だがな、雌の私。少し下品だ、お前は。
彼にはもう見せたくない。構わないだろう。
することは変わらないんだ。お前も、私も。
「あっ…ぁ…っ♥ また……出ちゃうっ…♥」
私は、彼が好きな私でいたい。
乱れたいさ。お前も、私だ。性に溺れ、乱れたい。
彼もきっと、その方が興奮するだろう。今よりも、ずっと。
「ひぁっ…♥ あっ♥ あっ♥ あぁっ♥」
しかし…。
「あぁぁっっ♥♥♥♥♥」
っ……♥
「あぁ…っ…♥ ぁ……♥」
…お前では、出来ない。
欲に溺れるお前では。自らの快感を貪るお前では。
止め処なく溢れる精を受けて、満足しているお前では。
「ぅぁ……、…ぇっ、ひゃううっ！？♥♥♥」
どうだ？
達している身体を、更に責め立てられるのは。
お前になど訊いていない。彼に訊いている。
「おねえさっ…はひっ♥♥♥ ひぅぅっ♥♥♥」
心地良いだろう。射精が止まらないか。
だが、更にだ。更に心地良さを増してやる。
性感はどこだ？ 耳？ 首？ 胸？ 足の裏？
答えなくていい。私が探す。そして犯し尽くす。
狩りと同じだ。完膚無きまでやる。降参しても、止めたりなどしない。
「やああぁぁっ♥♥♥ しんじゃうっ♥♥♥ しんじゃうぅっ♥♥♥」
死にはしない。精液を吐き出すだけだ。
子宮が満ちれば、次は尻穴で受け止める。
腸が満ちれば、次は口だ。胃まで満たそう。
その頃には、また子宮が渇いている。繰り返し。
「とんじゃうっ♥♥♥ とんじゃっ…♥♥♥ おねえさぁんっ♥♥♥」
可愛い。もう、離さない。
私の生き方は、変わらない。
生きる。彼のために。
私は、生き続ける。
「おねえ……さ………っ♥♥♥」
さぁ、交尾を続けよう。
「あああぁぁぁぁぁっっっ♥♥♥♥♥♥♥」
彼の精が、尽きるまで…。
……………
………
…
「おねえさん！ いたよ、鹿っ！」
私の背中で、叫ぶ彼。
風に澄ます。
東、１０歩もない地点に、兎が４匹。その約３０歩先に、オオカミが３匹。
彼の指す鹿の位置は、北、約７０歩の距離に１匹。他に獣はいない。
鹿はこちらに気付いた。逃げられる可能性が高い。
兎に狙いを変えれば、４匹全て、確実に獲れる。効率的だ。
「あっ、逃げたっ！」
だが、兎を無視する。
追い付かないと分かっていながら、全力で鹿を追い駆ける。
非効率的だ。だが、私は知っている。嫌というほどだ。
アクシデントというものを。
「逃げられちゃ……ぇ、わっ！？ 転んだ！ 躓いたよっ！」
木の根に足を引っ掛け、倒れた鹿に飛び掛かり…一突き。
咽下に深々と鎌を突き刺された獲物は…あっさりと息絶え、地に伏した。
「おねえさん、すごいっ！ やったぁ！」
無邪気に喜ぶ彼。
手に持った焼き菓子の袋が、がさがさと音を立てる。
「これで今日のゴハンは大丈夫だね、おねえさんっ」
そう言いながら、褒美のつもりか、菓子のひとつを差し伸べる。
…私は表情を崩さぬまま、それを、ゆっくりと口に含んだ。
彼の、指ごと。
「わっ…」
……………。
「………」
………伝わりにくかったか…？
「……あの…。おねえさん…、ぼく…」
伝わっていた。よかった。
「なんだか…」
彼の意思を確認したところで、言葉も半ば、
鹿の角を持ち、巣へ向けて一直線に駆け抜ける。
「わわっ！？」
無感情を装う私の中で、もう一人の私が騒ぎ立てる。
分かっていると言い聞かせながら、足取りは軽く、速く。
焼き菓子の匂いを、森中にばら撒きながら。
「…おねえさん…」
分かっている。分かっているさ。
私もだ。
「だいすき…♥」
今日も私は生き続ける。
彼を背に乗せ、この森で。
12/06/03 00:50更新 / コジコジ