読切小説
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蛹抱揺籠
むかしむかし、あるところに。
お昼寝とエッチが大好きな、一匹のモスマンがいました。

ぴゅうぴゅうと冷たい風が吹く、冬の寒空の下。
大きな羽を羽ばたかせ、人気のない山道を彷徨う彼女。
何かを探しているワケではありません。気侭なお散歩です。
もちろん彼女も魔物ですので、人間の男性には大いに興味があります。
ですが、根っからお気楽な彼女は、散歩ついでに見つかれば…程度の考えでした。

当然ながら、そんな調子で人間の男性なぞ見つかるワケもなく。
彼女の散歩は、その日も平穏無事に終わりを迎えようとしていました。

が、しかし。大きな一本杉が生えた曲がり道。
そこへ差し掛かったところで、彼女はあるものを見つけました。
木の根元…その影に、何やら妙な籠が置いてあったのです。

あれはいったい何だろう?
強く興味を引かれた彼女は、その籠へと近付きました。
自分の上半身よりもひとまわりほど小さい、奇妙な籠。
中には何が入っているのでしょう。美味しい食べ物でしょうか。
お宝を前に、彼女は胸を弾ませながら、籠の中を覗き込みました。

朧月の光によって映し出された、小さな籠の中身。
そこにはなんと、柔らかな毛布に包まれた、人間の赤ん坊がいました。

まさかの中身に、彼女は大いに驚きました。
どうして人間の赤ん坊が、一人でこんなところに。

すやすや寝息を立てる赤子を、唖然と見つめる彼女。
と、赤ん坊の傍らに、彼女は一枚の手紙が添えられていることに気付きました。
見ると、そこには震えた字で、「どうかこの子をお願いします」と書かれた一文が。

彼女は慌てて周囲を見渡し、赤ん坊の両親を探しました。
しかし、そこにあるのは、彼女と、赤ん坊が入った籠のみ。
草木も眠る丑三つ時。人間はおろか、虫一匹見当たりません。
杉のてっぺん近くまで飛び上がり、山道を追って見ても、
やはり、赤ん坊の両親と思しき人影はどこにもありませんでした。

再び籠の前まで戻り、彼女は頭を抱えました。
どうしよう。このまま赤ん坊を置いていくワケにはいかない。
きっと、狼に食べられてしまう。冷たい夜風に凍えてしまう。
親がいない寂しさで、空腹のひもじさで、泣いてしまうだろう。

とはいえ、このまま自分が拾ってもよいものか…。

目の前の捨て子を拾うことに、彼女はためらいを感じていました。
人間の赤ん坊。つまり、異種族の子です。大好きな人間といえど。
それを育てるというのは、大変難しいことであるのは間違いありません。
もしかすれば、自身の無知故に死なせてしまうこともありえます。

優しいが故に、赤ん坊の未来を思うが故に、彼女は悩みに悩みました。
このまま赤ん坊を置き去りにし、より良い人に拾われることを願うか。
リスクを承知の上で、赤ん坊を拾い、自分の手で育て上げるか。

どうしよう、どうしよう、どうしよう。
どれほど考えても、これだと思える答えは出てきません。
人里に届けようかとも考えましたが、この近くにある街は、
教団の信仰が根強く、おまけに近隣国との戦争の真っ只中です。
そんなところに出向こうものなら、まさに飛んで火に入る夏の虫。
彼女にとっても、赤ん坊にとっても、あまりにリスクが高過ぎます。

考えては、振り出しに戻り。振り出しに戻っては、また考え。
何が最善か分からぬまま、彼女が籠の周りを飛び回っていると。
不意に、くしゅん…と、誰かがクシャミをする音が聞こえました。

彼女が音の聞こえた方を見ると、それは籠の中の赤ん坊からでした。
寒さで目が覚めたのでしょう。赤ん坊はぐずり始め、今にも泣き出しそうでした。

それを見た彼女は、慌てて籠から赤ん坊を抱き上げました。
そして、温かな柔毛を纏った腕で、その子の全身を包み込みました。
泣かないで、泣かないで…と声を掛けながら、赤ん坊をあやす魔物。
すると、その想いが通じたのか、赤ん坊は再び安らかな寝息を立て始めました。

この出来事が、ふたりの運命を決定付けました。
意図せずとはいえ、彼女は赤ん坊を籠から拾い上げてしまいました。
一度拾い上げた子を、どうしてまた、寂しい籠の中へと戻せるでしょう。
腕の中で眠る捨て子を見て、彼女は目を細め、意を決しました。

この子は、私が育てる。

四枚の大きな羽を広げ、自身と赤子を包み。
我が子を夜風から守りながら、彼女は自分の巣へと向かいました。
でこぼこな道を、一歩一歩、踏みしめ歩くモスマン。
赤子の両親が、里親へ向けて残した言葉を思い出しながら。

彼女は、捨てられた赤ん坊を可哀想だと思いながらも。
その子を捨てた両親を、憎いとは思っていませんでした。
この子の両親もまた、自分と同じように、幾度も悩んだのでしょう。
そして、赤ん坊のことを思い、泣く泣く捨てたのでしょう。
そうでなければ、あのような目立つ場所に籠を置くでしょうか。
そうでなければ、このような温かな毛布で包んでおくでしょうか。

静かに照る満月を見上げ、彼女は思いました。
この子の両親の無念の分も、私が立派に育ててあげなければ。
幸せにしてあげなければ…と。彼女は、誰でもない自分に誓いました。

強く。とても強く。

これが、魔物の母と人間の子供、その出会いの一幕です。

……………

………



赤ん坊を拾った翌日。小鳥さえずる朝。
耳元で鳴るけたたましい音に、彼女は驚き飛び起きました。

目を白黒させて、隣を見ると。
そこには口を大きく開けて泣く、赤ん坊の姿がありました。
彼女はすぐに赤子を抱き上げ、身を揺すってあやしましたが、
しかし、昨夜と違い、今度はまったく泣き止む様子がありません。

いったいどうしたというのでしょう。
いくら揺すっても、赤ん坊は笑顔になってくれません。
それどころか、わんわんと泣き声が大きくなる一方です。
いないいないばぁもダメ。たかいたかいもダメ。チュッチュもだめ。
万策尽き、とうとう彼女はパニックになってしまいました。

絶体絶命の窮地に至ったところで。
不意に、モスマンの脳裏に、ある救世主の姿が浮かび上がりました。
彼女はすぐさま赤子を抱えると、山頂近くの牧場まで飛んでいきました。
彼女の親友である、ホルスタウロスの『もも』に助けを求めるためです。

来訪に際し、ホルスタウロスは驚いた顔で友を見ました。
いえ、正確には、その手の中に抱かれているものを見て。
しかし、友の話を聞いて、彼女は成程と納得してくれました。

さて、改めて赤ん坊を見て、ももはピンと来ました。
彼女は新米ママに少し待っているように告げると、台所に入り、
数分後、温かいミルクを入れた哺乳瓶を持って戻ってきました。

これを飲ませてあげてください、と瓶を手渡されるモスマン。
ぎこちない手つきで、彼女が哺乳瓶の飲み口を近付けると、
赤ん坊は鼻をヒクヒクと動かし、すぐさま飲み口にかぶりつきました。
ミルクを飲む赤ちゃんを見て、ぱぁっと明るい表情になる母親。
それを見て、ホルスタウロスはにっこりと笑顔を浮かべました。

友の力を借り、なんとか窮地を脱した彼女。
新米ママは、ピンチを救ってくれた親友に、何度もお礼を述べるのでした。

しかし、これは並み居る困難の、ほんの始まりに過ぎませんでした。

ミルク缶と哺乳瓶を手に、巣へと戻った数時間後。
つい先程まで笑顔であったはずの赤ん坊が、再び大声で泣き始めました。
そこで彼女は、友達から教わった手順に則り、
哺乳瓶とミルクを温めて、我が子へと与えようとしました。

ですが、哺乳瓶を近付けると、赤ん坊はそっぽを向いてしまいました。
思わぬ事態に、またもやパニックに陥る新米ママ。どこで何を間違えたのでしょう。

温度調整を誤ったのかと思い、ミルクを温める時間を変えて、
再び飲ませてみようとしましたが、赤ん坊は口を近付けようとはしません。
涙目になりながらも、何度も何度も繰り返しますが、結果は変わらず。
巣の中が火でいぶ臭くなり始めた頃、とうとう彼女は赤子を抱いて、
我が家を飛び出し、再び友の元へと超特急で飛んでいくのでした。

結果から述べますと、原因はオムツでした。
つまり、赤ちゃんは粗相をしていて、それが気持ち悪かったのです。
頼りになる友は、すぐさまそれを見抜いて、対処してくれました。
そしてまた、穿かせる手順やオムツのサインの見分け方などを教わり、
何枚かの布オムツというお土産を貰って、彼女は巣に帰るのでした。

こんなやりとりが、初日だけで、実に8回もありました。
寝かしつけ、お風呂、鼻拭き、抱き方、エトセトラ…。

当然、トラブルが起きるのは初日だけではありません。
翌日も、その次の日も、昼夜を問わず、赤ん坊は泣き喚きます。
その度に、彼女は悪戦苦闘の末、親友へと泣き付くのでした。

幸い、彼女は友達に恵まれていました。
ももはどんな時でも…例え夫との営みの最中でさえ、
顔をしかめず、それどころか笑顔で応じてくれました。
彼女だけではありません。彼女の夫もまた、人格者でした。
ふたりは四苦八苦するモスマンに、育児のイロハを教え、
そのために必要な道具を、惜しげもなく与えてくれました。

ある時、彼女はふたりに尋ねました。
どうしてここまで面倒を見てくれるのか、と。

ふたりは顔を見合わせると、気恥ずかしそうに笑い、語りました。
曰く、ふたりには3人の娘がいましたが、皆すっかり大人になり、
昨年には末娘もお嫁に出て、少々家の中が寂しくなっていたそうです。

そこに現れたのが、赤ん坊を抱えて途方に暮れる彼女。

3人の子を育てたふたりは、身に沁みて知っていました。
赤ん坊に振り回される親の気持ちを。子育ての難しさを。
そして、その苦労の先に、親子の幸せがあることを。

貴方を見ていると、昔の自分達を思い出す…と。
恋人の顔を見て、ふたりは照れ笑いを浮かべるのでした。
それはまるで、新婚夫婦のような、初々しくも眩しい笑顔。

モスマンは、愛し合うふたりを見て、胸の中がぽかぽかしました。
そして、思いました。自分もいつか、こんな幸せな夫婦になりたいと。
自分だけじゃない、この子も。この子と、幸せな家庭を築きたいと。

そこで、彼女は閃き、夫婦にお願いしました。
彼女の夫の名を、この子に貰えないか。
ふたりのように、仲睦まじい家族となれるよう。

思わぬ申し出に、ふたりは驚きました。
しかし、夫婦は軽く目で語った後、快諾してくれました。
その言葉を聞き、母親は大いに喜び、赤ん坊の名前を呼びました。

『ソラ』。愛しい我が子。

……………

………



それから数年後。
赤ん坊はすくすくと育ち、少年へと成長しました。

ですが、母親の忙しさは、何ら変わることはありません。
彼女の一日のスケジュールは、朝から晩までみっちりです。

以前の彼女ならば、食事はお腹が空いたと思った時に、
適当にそこらにある樹液や花蜜を吸えば済む話でした。
しかし、ソラは人間です。同じものを食べさせるワケにはいきません。
彼女は日中、山に自生している果物や山菜を摘み取ったり、
野兎や野鳥を捕まえることに、ほとんどの時間を費やしました。
服こそ親友の援助に甘えていますが、洗濯や補修は自分でやります。
食事のマナーや言葉遣い、その他最低限の教養は、
子供と一緒になって、親友の夫から授業を受けています。

家事と勉強に追われ、彼女は毎日くたくたでした。
子供のことを思えば思うほど、やることは増え、疲労も増します。
手にはあかぎれ、目の下にはクマ。魔物の力で、すぐに治りはしますが…。

ですが、彼女はとても充実していました。
我が子が心身ともに、大変健やかに育っているからです。
そして何より、ソラが母親想いであったことが、彼女を喜ばせました。

ある日の夜、彼女が疲れて横になっていると。
ソラは母の背中へと寄り添い、同じく横になりました。
まだまだ母親に甘えたい盛り。構って欲しいというアピールなのでしょう。
モスマンは気だるい身体を動かして、振り返り、可愛い我が子を抱き締めました。

すると、胸の中に埋めた顔を上げて。
母親の目を見つめながら、ソラが言いました。

―ママ。明日から、僕にお皿を洗わせて。

その言葉に、彼女は目を見開きました。
母親を、じぃっと見つめる小さな瞳は、力強く。
そこからは、少年の揺るぎない決意が感じ取れました。

しばし考えを巡らせた後、彼女は言いました。
洗うお水は冷たいよ、と。お皿は汚れているからばっちいよ、とも。
しかし彼は、全然平気だと答えて、抱き締め返す腕に力を込めました。

それを見て、モスマンは察しました。
あぁ、これが成長なんだ。この子はもう、赤ん坊じゃないんだ。

実感すると共に、目頭に感じる、熱い何か。
彼女は鼻をすすり、それを堪えて、笑顔で我が子に頷きました。
それじゃあ、お願いします。そして、どうもありがとう…と言いながら。

母親からの感謝の言葉を聞いて、照れ臭そうに笑うソラ。
モスマンは、そんな我が子に自らの羽を被せ、瞳を閉じ、
小さな頭を撫でながら、親友から教わった子守歌を唄いました。
少年が赤ん坊の頃、夜泣きする度に、何度も唄って聞かせた歌。
穏やかな歌声に、少年はうとうとと夢の世界に落ちていくのでした。

愛しい坊や、お眠りなさい。
貴方の傍には、私がいるから。
貴方を守る、私がいるから。

だから、坊や。お眠りなさい…。

……………

………



それから更に月日は巡り。
少年が、大人の階段を上り始めた頃。

魔物の母親と人間の子供、ふたりの暮らしは変わらず続いていました。
強いて挙げれば、母親の方は、昔と比べて親友へ泣き付く回数も減り、
もう新米ママとは呼べない、確かな実力を身に付けていました。

しかし、母親にはひとつ、心配に思っていることがありました。
ソラのことです。ソラが最近、自分を避けているように思えるのです。
彼は幼い頃から甘えん坊で、家に居るときは、四六時中母親の傍にいました。
ママ、ママと呼んでは、自分が見たもの、聞いたものを教えてくれて。
そのことを彼女が褒めてあげると、彼は満面の笑顔を浮かべて喜ぶのでした。

それが、今はどうでしょう。
少年は母親にべったりするどころか、あからさまに距離を置いています。
以前のように、自身が体験したことを話すことはなくなりました。
彼女がママと呼ばれなくなってから、どれほどの時間が経ったでしょう。
ねぇ…、ちょっと…と、そんな呼び方ばかり。口数も少なくなって…。

溜め息を吐きながら、モスマンは思いました。
いったい、息子はどうしてしまったのだろう。
私が何か、悪いことをしてしまったのだろうか。

お皿を洗う水が、ひんやりと手に沁みて。
彼女の心は、不安と悲しみに蝕まれつつありました。
息子がママと呼んでくれなくなったこともそうですが。
息子が自分との会話を避けていることもそうですが。

それ以上に…息子が笑顔を見せなくなったのが、辛い。

彼女は必死に考えました。
どうすれば、息子がまた笑ってくれるか。

食事を豪華なものにしました。少年の好物ばかりを並べて。
意識して話題を振ることにしました。少しでも言葉を交わそうとして。
自分の人形を作って贈りました。母親の存在を感じてほしくて。

しかし、思いとは裏腹に、少年はどんどん母親から離れていきました。
彼女が必死になって、事態を改善しようとあがけばあがくほど。
終いには、唯一の親子の時間であった添い寝さえ、拒まれてしまいました。

それが引き金となり、とうとう彼女は、久方ぶりに親友へと泣き付きました。
なだめる友の前で、彼女は思いの丈を全て吐き出しました。
こんなに心配しているのに。こんなに愛しているのに。
どうしてソラは分かってくれないの、と。何度も、何度も。

瞼を腫らして泣き散らす、悩める母。
そんな彼女へ、ももは穏やかに語り掛けました。

それは違うわ。ソラくんは、ちゃんと分かっている。
お母さんのことを…貴方のことを、今も、好きで好きでたまらないはずよ。

親友のまさかの言葉に、モスマンは驚き顔を上げました。
息子が、自分のことを好きでたまらない?
なら、どうして。どうしてあんなに避けたりするの?

3人の子を持つ母親は、言いました。
それはソラくんが、『好き』という気持ちに気付いたから。
気付いて、その感情に混乱しているの。誰かを好きと思うことを。
家族、友達、恋人…。どんな相手にだって、好きと思うと、
胸がドキドキして、頭がグルグルして、最初は制御が利かなくなる。
そこへ貴方が、もっと好きになってしまうことをしたら、どうなるかしら。
ソラくん、余計に混乱してしまうでしょう? そういうことなの。
少し、ソラくんに考える時間をあげて。気持ちを整理する時間を。
子供が大人になるには、自分ひとりで考える時間も必要なのよ。

自分ひとりで考える時間。それが息子に必要なもの。
涙を拭きながら、親友の言葉に、モスマンは小さく頷きました。

頷きながらも、彼女は未だ、不安を拭いきれずにいました。
これ以上距離を置いてしまって、本当にいいのだろうか。
そのまま息子が離れていってしまわないか。心配で、心配で…。

しかし、彼女の心配もよそに。
決行からわずか3日後、効果は顕著に現れました。
ソラの方から、彼女に話し掛けてくるようになったのです。
それは以前までの会話のように、にこやかな談話ではなく、
二言、三言で終わってしまうものでしたが、彼女はそれで満足でした。
息子の方から、こちらに歩み寄ってきてくれたのですから。
それは彼女が何よりも待ち望んだ、最初の一歩でした。

また幾日が過ぎた後、少年は再びお皿を洗うようになりました。
添い寝も、毎日ではありませんが、週に一、二度ほど。
母親のことを呼ぶ時も、ママではなくなりましたが、お母さん、と。

元通りではなく、しかし、再び改善していく親子関係。
モスマンは思いました。少年のソラには、もう会えないんだなと。
ですが、その代わりに、彼女は新たな出会いを実感していました。

固い蛹を破り、今にも飛び立とうとしている愛しい息子。
母親は、そんな我が子に手を貸すことはせず、優しく見守りました。
ただ、胸の内にひとつ、小さな願いを秘めながら。

どうかこの子に、強い羽が授かりますように。

……………

………



モスマンがソラを拾って、16回目の春。
ふたりはすっかり、また仲の良い親子関係に戻っていました。

彼女らに起こった変化は、それだけではありません。
モスマンは息子のために、大規模な巣の改築を行ったのです。
いくつか部屋を増築しましたが、その中でも一番の目玉が、ソラの部屋です。
母親が特に気合を入れて作ったその部屋を見て、ソラも大いに喜びました。

彼の部屋をつくった理由は、言わずもがな、ひとりの時間を作るためです。
この巣はもともと、彼女が一人で作り住んでいたものでしたので、
二人で暮らすには少々手狭で、プライベートのプの字もない環境でした。
そのため、改築計画は前々からあったのですが、育児の忙しさ等の理由から、
つい先伸ばしになってしまい、親友の援助もあって、昨年ようやく叶ったのです。

モスマンは御機嫌でした。これ以上にないほどに。
毎日がとても幸せなのですから。息子と過ごす一日々々が。

自慢の息子は、どこに出しても恥ずかしくない子に育ちました。
少々引っ込み思案なところはありますが、母親想いで、とても優しい子です。
家事も進んで手伝ってくれますし、礼儀正しく、いつもニコニコ。
親友の牧場で働きながら、毎日を精力的に過ごし、勉学も怠らず、
夜には私の肩を叩いてくれたり、毛を梳き、羽の手入れまでしてくれます。

あぁ、なんて幸せなのでしょう。
果たして、これ以上の幸せがこの世にあるのでしょうか。
愛する息子を見つめながら、母親は表情を緩ませて思うのでした。

そんな円満な日々が続いた、ある時。
運命のいたずらは、突然親子の身へと降り掛かりました。
それは、ソラが仕事へ出ており、彼女が巣の中を掃除している最中。
彼女は息子の部屋で、とんでもないものを見つけてしまったのです。

その物体を発見した時、彼女は目を白黒させました。
息子が今まで、一度たりともそのような素振りを見せたことはなかったからです。
なので彼女は、人間はそういうものなのかと思い、気にしないでいました。
しかし、実のところは。ただ彼女が気付かなかったというだけの話で。
青年は立派に…人間の男として、至極真っ当な成長を遂げていたのです。

その日の晩、夕食後の団欒中。
彼女は小さく咳払いをして、息子へと切り出しました。
ベッドの下に、こんな本を見つけたんだけれど…と。

母親が差し出すそれを見たソラは、一気に顔が真っ青になりました。
そして、がむしゃらに本を取り返すと、今度は一転、真っ赤っかに。

その反応を見て、彼女は内心ニヤニヤしました。
息子が性に、そして異性に関心を持ったことが、とても嬉しかったのです。
当然ながら、エッチな本を隠し持っていたことを咎めるつもりはありません。
魔物にとって、それは一種の教科書であり、バイブルでもあるのですから。

むしろ、彼女は息子の性事情について、非常に興味がありました。
ひいては、人間の性事情に。息子は性を、どのように思っているのか。

本を抱え、俯く青年に対し、母親は穏やかに問い掛けました。
それを見て、自慰をしているのか。ペースはどれほどか。
どんな女性が好みなのか。プレイは。シチュエーションは。
もしよければ、お母さんにもその様子を見せてくれないか。

母親の立て続けの質問に、青年は面食らいました。
叱られ、本を没収されてしまうものと思っていたからです。
それがまさか、ナニについての質問責めにあうとは…。

息子の回答を心待ちにする母親。
視線をあっちこっちに、どうすべきか悩む息子。

…しばしの沈黙の後、青年は口を開きました。
正直な、赤裸々な彼の性事情。ぽつり、ぽつりと。
母親は耳を傾け、その答えのひとつひとつに頷きました。
頷く度に、隠していた笑みが、どんどん表へと溢れ出ました。

そしてとうとう、最後の答えに差し掛かったとき。
ここで再び、ソラは顔を伏せ、黙り込んでしまいました。
もしよければ、お母さんにもその様子を見せてくれないか。
彼がこの願いに戸惑うのは、人間として致し方ないことでしょう。

ですが、母親はそれを、悪いことだとは思っていませんでした。
魔物にとって恥じらうというのは、一種のOKサインなのですから。
茹でダコのようになった青年を見て、彼女はそれを了承と受け取ったのです。

そうと決まれば、善は急げ、です。
戸惑う息子の手を取って、彼女は自分の寝室へと招き入れました。
そして、彼をベッドに座らせ、自身はその対面へと腰を下ろしました。
言うまでもなく、ベストポジションで息子の情事を見るためです。

一方、あれよあれよと流されて、もう戻れぬ状況まで来てしまったソラ。
彼は三度悩み抜きましたが…やがて意を決し、自らのズボンに手を掛けました。

衣服が払われ、中から飛び出てくる青年の一物。
その雄々しく逞しい姿形を見て、モスマンは目を輝かせました。
彼女にとって、男性のモノを見たのは、これが初めての経験です。
いえ、正確には、青年がまだ赤ん坊の頃に何度も見ているのですが。
久方ぶりに見た息子のそれは、似ても似つかぬ立派な雄の形をしていました。

まじまじと恥部を見てくる母親に、余計恥じらいを感じながらも。
青年は自らのモノを握ると、その手をゆっくりと動かし始めました。

前後に擦られ、刺激を感じて脈打つペニス。
その先端からは、とろりと愛液が溢れ、糸引き流れ落ちていきます。
起こる快感に、次第にソラの吐息は乱れ、扱く手は速さを増していき…。

熱に蒸され、汗が流れて。徐々に雄の匂いで満たされていく室内。
一心不乱に自慰を行う息子に、母親はいつしか見惚れていました。
鼻を突く濃厚な香り。目を焼く淫らな行為。耳をくすぐる妖しい水音。
それらは、長く彼女の中で眠っていた魔物の本能を、強く揺さぶりました。

口端から涎を垂らしながら、モスマンは思いました。
あぁ、この子はなんていじらしく、オナニーをするのだろう。
あぁ、この雄はなんて眩しく輝き、私を誘うのだろう。

夜に輝く誘蛾灯。ふらふら、ふらふら。夢心地。
その眩しい光に酔った蛾は、それに向かって手を伸ばしました。

瞬間、ソラが甲高い声を上げました。
彼の一物に、他ならぬ母親が触れたからです。

慌てる彼を横目に、モスマンはやわやわと手を動かしました。
肌を通して感じる、雄の熱、雄の形、雄の欲望。敏感に。
一擦りするごとに喘ぐ雄の声は、彼女の心をときめかせました。
頭は蕩け、吐息は熱帯び、胸は高鳴り、アソコはむず痒く。
羽は勝手にぱたぱたと羽ばたき、辺りに鱗粉を撒き散らしていきます。

甘い刺激に溺れる息子を、優しく見つめながら。
母親は、徐々に自分の中の何かが変わっていくのを感じました。

16年間、彼と共に過ごした日々。注いだ愛情。
それらが全て、親子としてのものだけでなく。
新たな想い…恋人としてのものが、今、芽生え始めてきたのです。

染まりゆく感情。目の前にいるのは、息子か、恋人か。
長年、人間の子の親代わりとして努めてきた彼女ですが、
やはりその本質は、一匹の魔物であり、一匹の雌でありました。
食べ頃の雄を前にして、正気を保っていられる筈がありません。
それが最愛の相手であるならば、尚更のことです。

魔物はなお人間ににじり寄り、滾るペニスを口いっぱいに頬張りました。
そこに彼の知っている母親の姿はありません。淫らな雌が、一匹いるばかり。

しかし、彼はショックを受けるどころか、むしろ昂りを感じていました。
それも当然です。青年もまた、母親を愛していたのですから。
自分に限りない愛情を与えてくれ、自分の全てを受け入れてくれる女性。
彼が知りうる、彼にとって最も理想的な女性は、母親以外ありませんでした。

また、もしかすれば。
彼はすでに、幼い内に洗脳されていたのかもしれません。
それはモスマンが意識してのことではなく、偶発的なもので。
彼が母親を喜ばせるたびに、彼女は鱗粉をばらまいたことでしょう。
青年は、それを繰り返し吸い込んでいるうちに、心奪われてしまい…。

真実は暗中に。それでいて、もう意味を為しません。
ふたりにとっては、今この時こそが、かけがえのない真実だからです。

魔物は息子の名前を呟くと、彼の上に跨りました。
抵抗することなく、母親を迎え入れる青年。少々ぎこちなく。
そんな彼を見て、彼女は頬笑み、そっと唇を重ねました。

瞬間、踏み越えられた一線。ふたつの嬌声が、夜の帳にこだまします。
想像を遥かに超えた快感に、青年は耐えきれず、雌の中へ精を放ちました。
一方、母親もまた、恋人と結ばれたことに感極まり、絶頂を迎えました。
一瞬の…それでいて永遠に感じる、最高の瞬間を噛み締めるふたり。
見つめ合い、どちらからともなく、親子は愛を告げ…口付けを交わしました。

ここから先は、語るに至らず。
ただ、ふたりはまるで獣のように交わり続けたこと、
夜が明けるまで求め合ったことは、特筆しておくべきでしょう。

母親は、息子の精が尽きるまで搾り取り。
息子は、母親が精で染まりきるまで吐き出しました。
とことんやりきった親子の目覚めは、とても爽やかなもので。
お互い、改めて顔を見合わせては、照れ臭そうに笑うのでした。

そして、また。朝食の後、彼らは交わりました。
16年間分の御無沙汰を取り戻すかのように、何度も、何度も。
それでいて、親子愛は健在でした。魔物の母親と、人間の子供。
ソラは時折、彼女をママと呼んでは、甘えるような愛撫をせがみ。
モスマンは、彼を羽で包み、我が子を初めて抱き上げた時を思い出しながら。
お互いの想いを…ふたつの愛を、何度も確かめ合ったのです。

何度も、何度も。

何度も…。

……………

………



むかしむかし、あるところに。
お昼寝とエッチが大好きな、一匹のモスマンがいました。

ぴゅうぴゅうと冷たい風が吹く、冬の寒空の下。
大きな羽を羽ばたかせ、人気のない山道を彷徨う彼女。
何かを探しているワケではありません。気侭なお散歩です。
もちろん彼女も魔物ですので、人間の男性には大いに興味があります。
ですが、根っからお気楽な彼女は、散歩ついでに見つかれば…程度の考えでした。

当然ながら、そんな調子で人間の男性なぞ見つかるワケもなく。
彼女の散歩は、その日も平穏無事に終わりを迎えようとしていました。

が、しかし。大きな一本杉が生えた曲がり道。
そこへ差し掛かったところで、彼女はあるものを見つけました。
木の根元…その影に、何やら妙な籠が置いてあったのです。

そこにはなんと、ひとりの赤ん坊が捨てられていました。
彼女は驚き、辺りを見回しましたが、そこに人影はありません。
悩みに悩んだ末、彼女は赤ん坊を拾い、巣に持ち帰ることにしました。

巣に戻ると、彼女は両親に、赤ん坊を拾ったことを告げました。
すると、両親も大層驚きましたが、互いに顔を見合わせたと思うと、
にこりと笑って、赤子を抱く彼女へと優しく語り掛けました。

あなたがその子を育ててあげなさい、と。
その返答に、モスマンは目を丸くしましたが、しかし、
今一度、腕の中で眠る赤ん坊を見て、彼女は決心し頷きました。

それを見て微笑む母親は、傍らの夫に目を向け、問いました。
あの頃頂いたオムツや哺乳瓶は、どこに仕舞ったかしら。
父親はキセルを吹かしながら、倉の方じゃないか、と応えました。

そんな、ほんのわずかなやりとりの中に。
モスマンは、ふたりの間に、温かな何かを感じました。
その正体が何かは分かりませんでしたが、彼女はそれを、
羨ましいと感じ…自分も両親みたいになりたいと思いました。

と、不意に。
赤ん坊が目を覚まし、いきなり大声で泣き始めました。
突然のことに、狼狽し、どうしようと慌てる新米ママ。
母親はそれを見て、お腹が空いたのよ、と笑って言いました。

…新米ママの苦難は、今後、長らく続くことでしょう。
ミルクも、オムツも、お風呂も、分からないことだらけ。
きっと毎日が戦争で、休む暇もなくなるのではないでしょうか。

ですが、そのひとつひとつが、愛のピースであることを。
新米ママを見守るふたりは、誰よりもそのことを知っていました。

家事が辛いと、めげたくなるときもあるでしょう。
子供の気持ちが分からないと、泣きたくなるときもあるでしょう。

それが子育て。それがいつか、幸せになるのです。
この子を育ててよかったと思う日が、必ず来る。
私が彼を育てたように。私達があなたを育てたように。

あなたに出会えて、よかった…と。

強く願います。
母となるあなたへ。子となるキミへ。

たったひとつの言葉を贈りましょう。



















ふたりに、幸あれ。
14/02/07 20:46更新 / コジコジ

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