私の夫は情けない男だ。
臆病者で、軟弱で、甘えん坊で…。

繰り返し言う。私の夫は情けない。
どれほど情けないかを語るには、一晩でも足りぬほど。
まだ子供ということを差し置いても、それはそれは酷いものだ。

こんな森の中で出会ったのも何かの縁だろう、迷子の旅人よ。
出口まで案内する駄賃代わりに、私の愚痴を聞いてくれるとありがたい。

私が夫と出会ったのは、今から３年ほど前だ。
きっかけは、猟師の仕掛けた罠。猪を捕るためのな。
散歩の途中に、私は誤ってそれに掛かってしまったんだ。
歯の鋭いトラバサミに、足をガブリとやられてしまったよ。

噛まれた瞬間は、さすがに私も驚いた。何事かと思ったさ。
幸い、罠が小さかったおかげで、歯は深くは喰い込まなかったが…。
ただ、噛まれた位置が悪かったな。後ろ足を噛まれてしまったんだ。
見ての通り、いくら身体をひねろうと、私の手は後ろ足まで届かない。
猪を狙っていた小さな罠は、思わぬ巨体の獲物を捕らえられたワケだ。

こうなってしまっては、もう私一人ではどうしようもできない。
私は近くに誰かが通り過ぎることを願いながら、木々を縫う風に助けの声を乗せた。
何度も、何度も…。日が傾き、森が闇に染まるまで、必死になって叫び続けた。

しかし、助けは一向に現れない。動物の影さえなかった。
私が掛からなければ、今日には何も捕れなかったであろう罠。
その幼い歯は、依然として私の命に噛み付いたまま離れない。
さすがに私も気力を奪われ、猟師が来るまでは耐えねばならないかと考えた。

その時だ。目の前の草むらが、がさりと音を立てて揺れた。
そして、ひょっこりと姿を見せたもの。月に照らされた小さな影。

男の子だった。まだ幼い、人間の子供。
クリクリとした瞳の、あどけなさが見て取れる少年が一人。
手には枝の束を抱えながら、泣き顔を浮かべた小さな雄…。

望みが絶たれていた私にとって、それは救いの光に見えた。
すぐに助けを求めたさ。後ろ足に掛かっている罠を外してほしい、と。

…だが、彼はあろうことか。
私を一目見て、驚き、背中を向けて逃げ出したんだ。

ひどい話だとは思わないか？
彼は最初、未来の妻を見捨てたんだ。助けを求めたにも関わらず…。
その様を見て、私は二重にショックを受けたよ。気が滅入ってしまった。
助けてもらえなかったことと、私の姿を見て逃げられてしまったこと。
ケンタウロスとして誇りであるこの身体を、彼は恐いと感じたんだ。
今でこそ彼は、私の身体を心から好んでくれているが、な。

草木を掻き分ける音が、次第に遠く…小さくなっていくのを聞きながら、
私は先ほどよりも強い絶望を感じ、その場に項垂れることしかできなかった。

心身共に傷を負い、疲労は積もる。もう声を出す力もない。
捕らわれの私は、いつしか眠りの中へと落ちていった…。

……………。

…どれくらいの時間が過ぎた頃だろう。
不意に、私の耳は、虫の囀りの中に混じる微かな音に気が付いた。
キシ、キシ…と。明らかに虫の鳴き声ではない。動物でもない。
金属が擦り合わさるような音だ。それも、とても近くから聞こえる。

異質な音を聞いたことで、目覚めへと導かれる意識。
重い瞼を開き、顔を上げ、私は音の聞こえる方向へと目をやった。

…そこには、予想だにしない光景があった。
トラバサミをこじ開けようとしている、先程の少年の姿が…。

いつの間に近付いていたのか、いつからそうしているのか。
彼は罠の外し方を知らないらしく、力尽くで金属の口を開こうとしていた。
しかし、いかんせん腕力が無い。小さなトラバサミはビクともしない。
顔を真っ赤に、指は血に濡れ、うんうん唸りながら力を込める人間の子。
痛さ故か、すぐに手を離しては、涙を流し腫れた両手に息を吹きかけて。
それでも諦めようとはせず、もう一度。私が起きたことにも気付かず、もう一度…。

私はしばし、その様を呆け見つめていた。
逃げたはずの少年が、なぜここにいて、罠を外そうとしているのか？
どうしてこんなに必死になって、私を助けようとしているのか？
あまりに不可解な展開。目の前の現実に、さすがの私も混乱してしまった。

だが、彼の指から鮮血が噴出したところで、我を取り戻した。
すぐに少年へと声を掛け、それ以上トラバサミを掴むなと叫んだ。

そしたら、彼はどういう反応をしたと思う？

逃げたのさ。そう、まただ。彼はまた、逃げ出そうとした。
と言っても、腰が抜けてしまったようで、逃げられなかったが…。

そのときの彼の姿と言えば、情けないの一言に尽きる。
震えた身体で、下半身を引きずりながら後ずさる姿…。
ズボンはビッショリと濡れていた。余程恐怖を感じたらしい。
口から出る言葉は、謝罪と懇願。ごめんなさい、どうか食べないで。
彼は私を、人肉を喰らう存在だと思っていたらしい。勘違いも甚だしい。

ひとまず、私は彼をなだめ、罠の外し方を教えた。
彼は蛇を前にした蛙のようになりながらも、ちゃんと私の話を聞き、
傷だらけの小さな手をぎこちなく動かして、すぐに罠を解いてくれた。
解いた後は、またすぐに離れてしまったが…。まったく、臆病者だ。

紆余曲折ありながらも、晴れて私は自由の身に戻った。
その身がまず行うことといえば、助けてくれた彼への恩返しだ。
いくら最初は見捨てようとしたとはいえ、結果的には救ってくれた。
ここで知らぬフリをするようでは、過去の英雄達に合わせる顔がない。
お前も知っているだろう？ 古のケンタウロス達の英雄譚を…。

いや、話が逸れたな。すまない。
恩返しとして、私はまず彼の手の傷を治そうとしたんだ。
エルフから貰った、特別な軟膏を使ってな。私の愛用品だ。
ひとたび塗れば、どんな傷も一時間ほどで癒やすことができる。

…が、その恩返しも苦労の連続だった。
薬を塗ろうとしても、彼は一向に掌を差し出してはくれない。
恐がっているのだ。何度となく、食べたりはしないと告げても。
終いには、無理矢理腕を引っ張って、手をこじ開けて塗ってやった。
今でこそ素直に言うことを聞いてくれるが、慣らすまでは本当に大変だった。
分かるか、私の苦労が？ さすがにお前は、彼より勇敢に見えるが…。

さて、無事薬は塗れたが、恩返しはまだ終わっていない。
大げさに言えば、彼は私の命の危機を救ってくれたのだ。
それならば、相応の返礼を示すのが筋というものだろう。

そこで私は、彼を自宅に招き、食事を振舞おうと考えた。
しかし、予想は付くだろうが…彼は私の申し出を断ってきた。
早く家に帰りたいから、ズボンが塗れているからなどと…。
私は四の五の言う彼の腕を引き、半ば強制的に帰路へとついた。
こうしないと、この少年は駄目なのだと…その時やっと理解できた。

満天の星に見守られながら、私達は夜の森を歩いた。
身長には開きがあったものの、互いに伸ばした腕が差を補ってくれた。

不思議な気分だったことを覚えている。あの時は、とても…。
弱々しく握り返してくる彼の手は、ほのかに温かかった。
つい先程まで、腰を抜かして情けなく泣いていた彼。その小さな手。
臆病者なんて嫌いなはずなのに、私はその温もりに、嫌な気分を抱かなかった。
むしろ…心地良ささえ覚えたような気がする。何故なのかは、私にも分からないが…。

…ただ、彼がどこまでもひ弱なことに変わりはない。
彼はすぐに歩き疲れて、ペースはどんどん落ちていった。
このまま彼に歩調を合わせていては、家に着く前に夜が明けてしまう。

痺れを切らした私は、彼を抱きかかえ、一気に森を駆け抜けることにした。
抵抗される前に、ひょいと持ち上げた彼の身体は、思った以上に軽く。
その顔を間近で見ながら、自分を救ってくれた存在を改めて認識し。
大地を蹴り、蹄を打ち鳴らして。私は一陣の風となり、木々の間を疾走した。

腕の中に、将来、愛を誓い合う存在を抱いて…。

……………。

…ん、見ろ。ほら、あそこ。流れ星だ。
流星群というやつか。あの日の夜もそうだったな。
流れ星が消える前に、３回同じことを願うと、それが叶うと聞くが…。
もしかすれば、あの日の夜に、彼は星へと願ったのかもしれないな。
でなければ、私が臆病者の彼と添い遂げるなんてありえないことだ。

そういえば、お前は婚約しているのか？ 想い人は？
いないのであれば、ちょうど婿を探している奴を知っているぞ。

…いや、なに。話の続きをはぐらかしてるワケじゃあない。
ただ、少しな…。動いたから、起きてしまったのかと思ったんだ。
大丈夫だ、ぐっすり眠っている。昼間にあれだけ遊べば、疲れて当然だ。

さて、どこからだったか…。

そうだ、自宅に戻るところまでだったな。
その後、なんとか私は日が昇る前に家へと帰ることができた。
言うまでもなく、彼も一緒だ。相変わらず、私に怯えてはいたが。

そんな命の恩人に対して、私は精一杯振舞ったよ。
料理だけでなく、汚れた服も洗濯してやった。寝床も用意した。
さすがに深夜の森へ、彼のような子供を放るワケにもいかないからな。

そういえば、彼がなぜあの場に出くわしたのかだが。
聞くに、どうやら薪を拾いに来て迷子になったらしい。
それで森を彷徨っている時に、偶然にも私を見つけたという…。
どういった因縁か、お前と一緒だな。もっとも、目的は全然違うが。

さておき、食事を済ませ、私は彼を寝床へと案内した。
といっても、私の寝床だ。一緒に寝ようと考えていたから…。

か、勘違いするなっ！ 仕方なくだぞ！？
彼の服は洗濯したはいいものの、変えの服がなかったんだ！
恩人に風邪を引かせてしまったとあれば、過去の英雄達に申し訳が立たないから、
仕方なく…本当に仕方なく、肌を重ねて寝てやろうと考えただけだ！ 分かったか！？

…よし、分かったのならばいい。声を荒げてすまなかった。
重ねて言うが、私の夫はとても情けない男なんだ。どうしようもない男だ。
だからこそ私は、こんなにも苦労しているということを忘れないでほしい。

あぁ、この後の展開が、まさにその様子を顕著に表しているな。
話すには少し気恥ずかしい内容だが、聞いてくれるか？

…一緒になって寝る時、彼はやはり抵抗したよ。
いや、食事や洗濯の時もそうだったが、寝る時は一層激しかった。
頑なになって離れようとするんだ。それでは意味がないというのに。
だから私はまた、力尽くで彼を抱きしめて、そのまま眠ることにした。

彼は臆病で、私の言うことを聞かないが、ひとつだけ良いところがある。
どんなに嫌がっても、私に対して手をあげようとはしなかったことだ。
子供というのは、嫌なことに直面すると、手や足を振り回して抵抗するもの。
しかし、私の胸の中に収まった彼は、借りてきた猫のように大人しかった。
先程の帰り道もそうだ。彼は私の身体を、僅かにも傷付ける真似はしなかった。

私は少しずつ、彼という人間を理解していった。
どうすれば彼が心を開いてくれるのか、なんとなく分かりかけていた。
試しに、小さな頭を撫でてやると、身体の震えはぴたりと止まり。
子守唄を口ずさんでやると、呼吸は落ち着いたものになっていった。

その様子を見て、私はやっと心を休めることができた。
ずっと警戒心を抱かれたままでは、どうしようかと思っていたから。
しかし、これでやっと安心できる。もう彼が、私に怯えることもないだろう。
このまま後は、ゆっくりと睡眠をとって、明日にでも彼の家に送り届ければ…。

…そう思った矢先に、事態は急変した。

彼がいきなり、ハッと顔を上げて、身体を強張らせたんだ。
何事かと思ったが…私の鼻先をある匂いが掠め、その理由に気が付いた。

彼は…勃起してしまったんだ。それも、匂い立つほど強く…。
恐らく、私の匂いか、あるいは肌の感触に興奮を覚えてしまったのだろう。
先程までは、警戒心からそれを感じる余裕がなく、平気だったのだろうが…。

ともかく、彼は再び私に対して警戒心を抱いてしまった。
こうなってしまうと、撫でたりするのは逆効果になってしまう可能性が高い。
私は頭を抱え、彼の難儀な性格を前に、どうするべきかと知恵を働かせた。
放っておいてもよかったのだろうが、さすがにそれは酷に思えてな…。

…交えたよ。しつこいようだが、仕方なく…だ。

私は何も告げぬまま、彼の滾ったペニスへと手を這わした。
告げたところで、また抵抗されるだけだ。無理矢理のほうがいい。
当然、彼はひどく驚いたが、すぐに唇を奪って驚きを忘れさせた。
ねちっこく舌を絡めて、唾液を塗り込んで…。快楽で押さえ込んだ。

彼の舌は主にそっくりで、小さく臆病者だった。
私の舌が触れると、奥へ奥へと引っ込んで逃げてしまう。
だが、対処法も変わらない。優しく触れて、撫でてやるだけ。
そうすれば、おずおずと全身を出して、私の愛撫を受け止めてくれる。
反撃なんて無い。彼は、受け止める優しさしか知らない人間なんだ。

一方的な口付けを交わしていると、ペニスもそれに呼応するように動いた。
ぴくん、ぴくんと震えては、粘っこい愛液をトロリと流す彼の雄。
人差し指と中指で挟んで、上下に擦ってやると、更に反応は顕著になって。
彼は、その幼い身体に性の悦びを刻まれ、少しずつ準備が整っていく。
大人の身体になる準備。子供を作ることが出来るようになる身体へと…。

後で気付いたことなんだが、この時、彼はまだ精通を迎えていなかったらしい。
思い返してみれば、皮も被ったままだったから、自慰の経験さえもなかったんだろう。

皮は口で剥いてやった。痛くないように、唾液を絡ませながら、少しずつ…。
情けない話だろう？ どこまでも手の掛かる夫で、本当に呆れるばかりだ。

とはいえ、気遣った甲斐もあってか、彼の反応は上々だった。
肩を揺らすほどに荒く息を吐いて、女子のような声まで上げて…。
剥けたばかりのピンク色の亀頭を、少し吸ってやったら、すぐに射精した。
あれが精通の精液だと知っていたら、もう少し大事にしていたんだが…。

いや、なんでもない。続きを話そう。
その後はしばらく口淫を続けていたな。３回ほど射精するまでだったか。
経験の少なさも相まって、さすがに早かったが、量も濃さも申し分なかった。
味も私好みだったな。濃い甘味の中に、僅かな苦味を感じさせる…。

繋がった時にも感じたが、私達は身体の相性が良かったのだろう。
彼の反応や精液の味は、私にも強い興奮、快感をもたらしてくれた。
加えて、魔物の知識があるとはいえ、私自身も性交渉の経験は無かった。
恐らくは、未知の快感により得た甘露が、私の胸を更に昂ぶらせたのだと思う。

欲情に狂わされ、彼に対する奉仕は、次第に激しいものへと変わっていった。
ただペニスを扱くばかりでなく、彼の身体に胸や秘部を押し付けては、
雄の欲を呼び起こし、幾重と精を溜め込んで、私の身体に吐き出させた。
彼に対して、いくつかの行為を強制したりもした。ほとんどが私への愛撫。

恥ずかしい話だが…あの時は、私も我を忘れていた。魔物としてのサガか。
白濁とした精液が肌に染み込む度に、あの青臭い香りを吸い込む度に、
彼という雄に染まっていく度に、恋人が快感を得ている姿を見る度に…。

そして、とうとう気が触れた私は、彼の小さな身体に馬乗りになった。
人の腕と馬の脚で、彼の四肢を押さえ込み、逃げられないようにした。
そんなことをしなくても、彼は逃げたりしないだろうと分かっていても。
それでも、独占欲ゆえか…彼の自由を奪わずにいられなかった。

…ふと、気が付けば。
彼は震えていた。こちらを、じっ…と見つめながら。
恐怖からか、快感からか、それとも別の理由か…。

それを見て、私は少しだけ冷静さを取り戻した。
見つめ合う瞳と瞳。吸い込まれそうな彼の黒い瞳。
そこに映る私を見ながら…どちらからともなく、唇を重ねた。

後はもう、語らずとも…いや、語れるものではない、か。
千の言葉をもってしても表すことのできない、私達の初夜だ。
どれほど交わったかも分からず、どれほど達したかも覚えていない。
ハッキリとしているのは、彼が私をいかに愛してくれたかだけだ。

あぁ、そういえば…。
あの時が最初で最後だな、彼が上になって私を抱いてくれたのは。
よく覚えているさ、忘れるはずもない。初めて見た、勇敢な彼の姿だ。
お馬さんのことも気持ちよくしてあげたい…と言って、覆い被さってきたよ。
嬉しかった。その一言がきっかけで、婚約を交わそうと決めたんだ。

しかし…もう言わなくとも分かるだろう？
彼は情けない男だからな、途中でへばってしまい、結局私が腰を振ったんだ。
まったく、呆れ返りが更に返って、ひとときも手放せない存在になってしまった。

はははっ…。

……………。

…それにしても、不思議なものだな。お前もそう思わないか？
これほど愚痴が飛び出るまでに、彼に対して不満が溜まっているというのに。

どうして、こんなにも愛しく感じてしまうのだろう…。

……………。

…さあ、ここが出口だ。もう迷うことのないようにな。

いや、礼を述べるのはこちらもだ。思った以上に語ってしまった。
普段は聞いてくれる相手がいないのでな、良いストレス発散になった。

…そうだな。まだ目を覚まさない。ぐっすりだ。
まったく、いつまで私の背中を占領しているのか…。
無防備な寝顔を見せて。どこまでも情けない甘えん坊だ。

…嬉しそうに見える？ 私がか？
馬鹿を言わないでくれ。苦労していると言ったろう。
もし笑っているように見えるのならば、それは苦笑というものだ。

では、さらばだ。次は迷子ではなく、客人として訪ねてくれると嬉しい。
その時はまた、私の愚痴を聞いてくれ。美味い茶と菓子を用意しておこう。

迷子の旅人に、我らが祖の御加護がありますように…。