◇3話『暗闇の中』
◆
闇の中に、ひとり。
いくつもの顔が浮かんでは消えていく。それらは皆一様に恐ろしい表情を浮かべ、わたしへと罵声を浴びせてゆく。
『お前のせいで死んだのだ』
『怪物め』
『二度とわたし達の前に現れるな』
『どうして貴様なぞが生まれてきたのだ』
耳を塞ぎたくとも腕は無く、目をつぶりたくとも瞼は無かった。
迫り来る罪悪感と言葉の暴力に、気が狂いそうになったその時。
ぽつり、と無限とも思える黒にたったひとつ光が灯った。
いや、違う。
それもひとつの顔だった。
あれはいったい誰なのだろう?
それが知りたくて、わたしはそこに近づいた。
◆
……最悪の目覚めだった。
頭が重い。変な夢を見た気がするが、思い出せない。
起きた場所も酷かった。昨日はまだ屋内で寝ていただけマシだったが、今回は外だ。
わたしは住み処にしている城のてっぺん、見晴らし塔の上で寝てしまっていた。どうしてそこに上ったのかなど全く覚えていない。
寒い。
朝焼けの冷たさ、もちろんそれもある。
でも、それ以上に。
こんなとき、寄り添う温もりが欲しいと心が凍えている。
わたしは今までずっとひとりだった。それが当たり前で、寒さなんて感じることはなかったのに。
たとえ少しだけでも、一度思い出してしまった温もりはもう忘れることなんか出来ない。あの笑顔。
「………くしゅん」
くしゃみが出る。
風邪だろうか。魔力に富んだわたしにとっては珍しいことだ。体を冷やして、弱っているのかもしれない。だから、今日は出掛けるのも控えた方が良いだろうと思う。でも……。
気になることがひとつあった。
「せめて、様子だけでも見に行こう……。」
怒っていなければ良いのだけれど。
◆
胸のうちにひとつ、感じたことの無い感情がある。
焦燥や、嫌悪ではない。混乱には少し似ているかもしれない 。一番近いのは羞恥、だろうか。ただ、それよりも随分と暖かい。
「……(あの男に会うようになってからだ)」
歩きながら考えても、この気持ちはなんなのかさっぱりわからない。
「……(いや、違う)」
わたしはその答えを知っていた。感じたことはなくとも、本能が告げているひとつの結論があった。
「……(何考えてるんだ……わたしは)」
頭を降って考えを散らす。まさか、そんなはずはない。
「……(違う違う違う)」
けれど、頭ではそう考えていても体は火照り、彼に会うことを思うと自然と足は軽くなる。
駄目だ。わたしが、あんな男に惹かれているなんて。弱くて、簡単に吹っ飛ぶような、ただ体が丈夫なだけの人間に。
「……(違う。惹かれてなんかいない)」
そうだ。そんなことはない。顔が熱いのもきっと寒空の下で眠ったせいだし、早歩きになってしまうのは追い風が吹いているからだ。
頭がぐるぐるする。わたしにはもうそれが今の体調から来ているものか、それともこの感情から来るものかの区別は付かなくなっていた。
◆
いつもの森の中には、リールはいなかった。
「……(今日は街のほうなのかな)」
わたしは街のほうに歩き出す。何故だか頭がくらくらして、いつもより時間をかけて街まで歩く。裏道から街に入る。なにか大事なことを忘れているような気がしたが、そんなことはもうどうでもよかった。
街の広場に着いたとき、彼の姿が目に入った。彼もこちらに気がついたようで、びっくりした顔をしている。
わたしが彼のもとに走ろうとしたその時だった。
「化け物め!!」
後ろから、声が聞こえた。
反射的に後ろを向くと、沢山の人間が、そこにいた。武器を持っているものもいて、わたしに敵意を向けている。そして何よりもその目に、過去の出来事が重なる。
冷や汗が一筋、わたしの頬に流れる。同時に、頭めがけて石が飛んできた。
「……ッ!」
痛い。左目に血が入って、そっちの目は見えなくなってしまった。
わたしがよろめいたのを見て、今度は人間達の半数以上が物を投げてきた。とっさに避けるか受け止めようとする。できなかった。
さっき片目がやられたせいで、ほとんど遠近感がつかめない。
走ろうとする。足がもつれて転んでしまった。もうだめだ。わたしはぎゅっと目を瞑り、襲い来る痛みと記憶にただ恐怖した。
◆
「モトリモ!」
温かい声がする。
それに、礫は一つも飛来せず、わたしの体を新たに傷つけていなかった。
「……会いに、来てくれたのか?嬉しいなぁ。でも、こんな危ないこと、もうすんなよ?捕まっちゃったら、どうすんだ……」
顔をあげると、そこにはいつもの笑顔があった。
いや、少し違う。その顔は心配そうに、まるで痛みに耐えるように歪んでいた。
目の下に雫が落ちる。温かくて、微かに鉄の香りがする。
そこで、やっと気付いた。
「あなた、まさか、わたしをかばったの……!?」
なんて馬鹿なことを。魔物のわたしをかばうなんて、人間から見れば重大な裏切りだろう。きっと彼はもうこの街にはいられない。
「リール!どうして……」
「どうしたもこうしたも……。けほっ、モトリモが危ないって考えたら、な。」
「そんな……」
「……っと!こんなとこで話してる暇ないな。逃げるぞ、モトリモ。もうここにはいられない。」
「あ、ちょっ……」
リールはわたしを抱えて走り出す。
後ろから人間の粗暴な声が聞こえる。
それがだんだんと遠くなり、完全に消える所まで、リールはわたしを抱えたままだった。
そのまま二人で、森の外へ。
闇の中に、ひとり。
いくつもの顔が浮かんでは消えていく。それらは皆一様に恐ろしい表情を浮かべ、わたしへと罵声を浴びせてゆく。
『お前のせいで死んだのだ』
『怪物め』
『二度とわたし達の前に現れるな』
『どうして貴様なぞが生まれてきたのだ』
耳を塞ぎたくとも腕は無く、目をつぶりたくとも瞼は無かった。
迫り来る罪悪感と言葉の暴力に、気が狂いそうになったその時。
ぽつり、と無限とも思える黒にたったひとつ光が灯った。
いや、違う。
それもひとつの顔だった。
あれはいったい誰なのだろう?
それが知りたくて、わたしはそこに近づいた。
◆
……最悪の目覚めだった。
頭が重い。変な夢を見た気がするが、思い出せない。
起きた場所も酷かった。昨日はまだ屋内で寝ていただけマシだったが、今回は外だ。
わたしは住み処にしている城のてっぺん、見晴らし塔の上で寝てしまっていた。どうしてそこに上ったのかなど全く覚えていない。
寒い。
朝焼けの冷たさ、もちろんそれもある。
でも、それ以上に。
こんなとき、寄り添う温もりが欲しいと心が凍えている。
わたしは今までずっとひとりだった。それが当たり前で、寒さなんて感じることはなかったのに。
たとえ少しだけでも、一度思い出してしまった温もりはもう忘れることなんか出来ない。あの笑顔。
「………くしゅん」
くしゃみが出る。
風邪だろうか。魔力に富んだわたしにとっては珍しいことだ。体を冷やして、弱っているのかもしれない。だから、今日は出掛けるのも控えた方が良いだろうと思う。でも……。
気になることがひとつあった。
「せめて、様子だけでも見に行こう……。」
怒っていなければ良いのだけれど。
◆
胸のうちにひとつ、感じたことの無い感情がある。
焦燥や、嫌悪ではない。混乱には少し似ているかもしれない 。一番近いのは羞恥、だろうか。ただ、それよりも随分と暖かい。
「……(あの男に会うようになってからだ)」
歩きながら考えても、この気持ちはなんなのかさっぱりわからない。
「……(いや、違う)」
わたしはその答えを知っていた。感じたことはなくとも、本能が告げているひとつの結論があった。
「……(何考えてるんだ……わたしは)」
頭を降って考えを散らす。まさか、そんなはずはない。
「……(違う違う違う)」
けれど、頭ではそう考えていても体は火照り、彼に会うことを思うと自然と足は軽くなる。
駄目だ。わたしが、あんな男に惹かれているなんて。弱くて、簡単に吹っ飛ぶような、ただ体が丈夫なだけの人間に。
「……(違う。惹かれてなんかいない)」
そうだ。そんなことはない。顔が熱いのもきっと寒空の下で眠ったせいだし、早歩きになってしまうのは追い風が吹いているからだ。
頭がぐるぐるする。わたしにはもうそれが今の体調から来ているものか、それともこの感情から来るものかの区別は付かなくなっていた。
◆
いつもの森の中には、リールはいなかった。
「……(今日は街のほうなのかな)」
わたしは街のほうに歩き出す。何故だか頭がくらくらして、いつもより時間をかけて街まで歩く。裏道から街に入る。なにか大事なことを忘れているような気がしたが、そんなことはもうどうでもよかった。
街の広場に着いたとき、彼の姿が目に入った。彼もこちらに気がついたようで、びっくりした顔をしている。
わたしが彼のもとに走ろうとしたその時だった。
「化け物め!!」
後ろから、声が聞こえた。
反射的に後ろを向くと、沢山の人間が、そこにいた。武器を持っているものもいて、わたしに敵意を向けている。そして何よりもその目に、過去の出来事が重なる。
冷や汗が一筋、わたしの頬に流れる。同時に、頭めがけて石が飛んできた。
「……ッ!」
痛い。左目に血が入って、そっちの目は見えなくなってしまった。
わたしがよろめいたのを見て、今度は人間達の半数以上が物を投げてきた。とっさに避けるか受け止めようとする。できなかった。
さっき片目がやられたせいで、ほとんど遠近感がつかめない。
走ろうとする。足がもつれて転んでしまった。もうだめだ。わたしはぎゅっと目を瞑り、襲い来る痛みと記憶にただ恐怖した。
◆
「モトリモ!」
温かい声がする。
それに、礫は一つも飛来せず、わたしの体を新たに傷つけていなかった。
「……会いに、来てくれたのか?嬉しいなぁ。でも、こんな危ないこと、もうすんなよ?捕まっちゃったら、どうすんだ……」
顔をあげると、そこにはいつもの笑顔があった。
いや、少し違う。その顔は心配そうに、まるで痛みに耐えるように歪んでいた。
目の下に雫が落ちる。温かくて、微かに鉄の香りがする。
そこで、やっと気付いた。
「あなた、まさか、わたしをかばったの……!?」
なんて馬鹿なことを。魔物のわたしをかばうなんて、人間から見れば重大な裏切りだろう。きっと彼はもうこの街にはいられない。
「リール!どうして……」
「どうしたもこうしたも……。けほっ、モトリモが危ないって考えたら、な。」
「そんな……」
「……っと!こんなとこで話してる暇ないな。逃げるぞ、モトリモ。もうここにはいられない。」
「あ、ちょっ……」
リールはわたしを抱えて走り出す。
後ろから人間の粗暴な声が聞こえる。
それがだんだんと遠くなり、完全に消える所まで、リールはわたしを抱えたままだった。
そのまま二人で、森の外へ。
12/03/17 20:43更新 / 海と山と魔物娘
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