◇1話 『雨の森』
◆
わたしはよく変わり者だと言われる。
バフォメットらしくないバフォメットだからだ。なぜならわたしは同族とだってほとんど馴れ合わないし、サバトも、黒ミサさえどうでもいい。
自分にふさわしい男を探す?そんなこと、まったく興味も無かった。
男は皆馬鹿ばかりだ。
欲望に正直で、人の気持ちなんかちっとも考えない。生き物。
ずっとずっと、そう思っていた。
だけど。
彼は、あいつだけは違っていた。
変わり者と呼ばれるわたしに、わたしが知らなかった痛みと、溢れる笑顔をくれたあの人だけは。
◆
あれは、雨の日だった。
◆
「こんなトコでどうした?嬢ちゃん。いくら雨脚弱いって言っても、傘ささなかったら風邪ひくぜ?」
森の中、今日の晩ごはんを捕りに来ていたわたしにその男は傘を差し出した。
いとも自然に、まるで人間の少女にそうするように。
わたしはバフォメット。どこから見ても魔物なのにも関わらず。
ただのお人好しなのか、それとも馬鹿か狂人か。
いずれにしても男は嫌いだ。わたしは男を無視してその場を去ろうとした。できなかった。
男に腕を掴まれたのだ。
「いいから持ってけよ。魔物でも何でも、女を濡れて帰らせるわけにはいかないだろ?」
男はわたしに笑顔を見せた。屈託の無い笑顔。普通のバフォメットならここで彼を持ち帰ってしまうのだろうが、あいにくわたしは変わり者だ。
「はなして。」
男のおなかを思いきり蹴る。男はきれいに吹っ飛び、大きな樹にぶつかって動かなくなった。
「まさか受け身も取れないの?そんな弱いくせにわたしに話しかけないで。」
呆れた。わたしは男に背を向ける。
もう今日はうちに帰ろう。あの男のせいで晩ごはんを捕れなかったから、今日は干し肉とパンで我慢しないと。
そうしていろいろなことを考えているうちに、家につく頃にはもうあの男のことは頭から消えていた。
◆
わたしの家は森を抜けた先にある小さなお城だ。もともとの城主はもう何年も帰ってきていないので、ありがたく住み着かせてもらっている。
たまに他のバフォメットが様子を伺いに来る以外は、静かで快適な住まいだ。
「おお、モトリモおかえりー。」
「きゃ!?」
わたしの部屋には先客がいた。バフォメットの中でも、私が最も苦手とする女、クレールだ。
「おお?びっくりしたか?可愛いなあモトリモは。」
「べ、別に驚いてなんか無いわよ。」
やっばり苦手だ。
「ふーん。ま、いいけど。……あ!そうだモトリモ。さっき男と話してたろ?」
「…それがなによ」
そうだ。彼女はなにかと他人の事情に首を突っ込みたがる。品の無い、下劣な趣味だと心から思う。
「で?どうなのよ?気に入ったか?」
「……そんなわけ無いでしょ。わたしがあの男を蹴り飛ばしたの見てないの?」
「いや、見たけどさー。ほら、モトリモまだそれ持ってんじゃんか。」
クレールはわたしの左手を指差した。
「あ……」
あの男の傘だった。
手を掴まれたとき、いっしょに握らされたのだろう。無意識にここまで持ってきてしまったようだった。
「あの人の傘だろ?やっぱりモトリモお前……」
「何言ってるのよ?そんな訳無いでしょ。あんな弱い、へらへらした男。」
「でもよぉ……」
「もういいでしょ。帰って。」
いい加減に疲れた。晩ごはんもまだだし、妙な勘繰りはうんざりだ。何よりこれ以上不快なものをそばに置いておきたくない。
「で、でもさモトリモ、」
まだも食い下がろうとするクレールにもう我慢なんて出来やしなかった。
「ねぇクレール……」
少しだけ、魔力を解放する。
「……死にたいの?」
それだけで十分だった。
◆
クレールが逃げ帰ったあと、わたしは晩ごはんを食べ、お風呂に入ったあと部屋に戻ることにした。
寝る前に明日の準備をしていると、ふと部屋のすみに置いてある傘が目についた。
何気なく手にとる。
あの森のような深い緑の傘。わたしには少しばかり大きいそれを触っているうちに、木製の柄に文字が掘ってあることに気付いた。
『Rire』
リール……?あの男の名前だろうか。言葉の意味はたしか『笑う』。
名は体を表すと言うが、たしかにあのへらへらした男にはぴったりの名だ。
今日は眠って、明日もう一度森へ行こう。あの男はもう死んだだろうか。
リール…。
私からは、最も遠い名前。
少なくとも、生涯誰にも見せるつもりはない表情。
わたしはよく変わり者だと言われる。
バフォメットらしくないバフォメットだからだ。なぜならわたしは同族とだってほとんど馴れ合わないし、サバトも、黒ミサさえどうでもいい。
自分にふさわしい男を探す?そんなこと、まったく興味も無かった。
男は皆馬鹿ばかりだ。
欲望に正直で、人の気持ちなんかちっとも考えない。生き物。
ずっとずっと、そう思っていた。
だけど。
彼は、あいつだけは違っていた。
変わり者と呼ばれるわたしに、わたしが知らなかった痛みと、溢れる笑顔をくれたあの人だけは。
◆
あれは、雨の日だった。
◆
「こんなトコでどうした?嬢ちゃん。いくら雨脚弱いって言っても、傘ささなかったら風邪ひくぜ?」
森の中、今日の晩ごはんを捕りに来ていたわたしにその男は傘を差し出した。
いとも自然に、まるで人間の少女にそうするように。
わたしはバフォメット。どこから見ても魔物なのにも関わらず。
ただのお人好しなのか、それとも馬鹿か狂人か。
いずれにしても男は嫌いだ。わたしは男を無視してその場を去ろうとした。できなかった。
男に腕を掴まれたのだ。
「いいから持ってけよ。魔物でも何でも、女を濡れて帰らせるわけにはいかないだろ?」
男はわたしに笑顔を見せた。屈託の無い笑顔。普通のバフォメットならここで彼を持ち帰ってしまうのだろうが、あいにくわたしは変わり者だ。
「はなして。」
男のおなかを思いきり蹴る。男はきれいに吹っ飛び、大きな樹にぶつかって動かなくなった。
「まさか受け身も取れないの?そんな弱いくせにわたしに話しかけないで。」
呆れた。わたしは男に背を向ける。
もう今日はうちに帰ろう。あの男のせいで晩ごはんを捕れなかったから、今日は干し肉とパンで我慢しないと。
そうしていろいろなことを考えているうちに、家につく頃にはもうあの男のことは頭から消えていた。
◆
わたしの家は森を抜けた先にある小さなお城だ。もともとの城主はもう何年も帰ってきていないので、ありがたく住み着かせてもらっている。
たまに他のバフォメットが様子を伺いに来る以外は、静かで快適な住まいだ。
「おお、モトリモおかえりー。」
「きゃ!?」
わたしの部屋には先客がいた。バフォメットの中でも、私が最も苦手とする女、クレールだ。
「おお?びっくりしたか?可愛いなあモトリモは。」
「べ、別に驚いてなんか無いわよ。」
やっばり苦手だ。
「ふーん。ま、いいけど。……あ!そうだモトリモ。さっき男と話してたろ?」
「…それがなによ」
そうだ。彼女はなにかと他人の事情に首を突っ込みたがる。品の無い、下劣な趣味だと心から思う。
「で?どうなのよ?気に入ったか?」
「……そんなわけ無いでしょ。わたしがあの男を蹴り飛ばしたの見てないの?」
「いや、見たけどさー。ほら、モトリモまだそれ持ってんじゃんか。」
クレールはわたしの左手を指差した。
「あ……」
あの男の傘だった。
手を掴まれたとき、いっしょに握らされたのだろう。無意識にここまで持ってきてしまったようだった。
「あの人の傘だろ?やっぱりモトリモお前……」
「何言ってるのよ?そんな訳無いでしょ。あんな弱い、へらへらした男。」
「でもよぉ……」
「もういいでしょ。帰って。」
いい加減に疲れた。晩ごはんもまだだし、妙な勘繰りはうんざりだ。何よりこれ以上不快なものをそばに置いておきたくない。
「で、でもさモトリモ、」
まだも食い下がろうとするクレールにもう我慢なんて出来やしなかった。
「ねぇクレール……」
少しだけ、魔力を解放する。
「……死にたいの?」
それだけで十分だった。
◆
クレールが逃げ帰ったあと、わたしは晩ごはんを食べ、お風呂に入ったあと部屋に戻ることにした。
寝る前に明日の準備をしていると、ふと部屋のすみに置いてある傘が目についた。
何気なく手にとる。
あの森のような深い緑の傘。わたしには少しばかり大きいそれを触っているうちに、木製の柄に文字が掘ってあることに気付いた。
『Rire』
リール……?あの男の名前だろうか。言葉の意味はたしか『笑う』。
名は体を表すと言うが、たしかにあのへらへらした男にはぴったりの名だ。
今日は眠って、明日もう一度森へ行こう。あの男はもう死んだだろうか。
リール…。
私からは、最も遠い名前。
少なくとも、生涯誰にも見せるつもりはない表情。
12/02/26 00:46更新 / 海と山と魔物娘
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