美香は降り注ぐ熱い水滴を目を閉じて受けていた。
滑らかな肌の上を水滴が滑り落ちていく。白い肌の上を、そして艶やかな黒の上を。
目を開けて視線を背後にやると自分に生えてきた新しい器官……羽と尻尾が揺れている。
「……ふふ」
微かに笑みを浮かべた美香は尻尾を自分の手にしゅるしゅると絡み付かせる。
逸脱した。
人を逸脱した。
開放された。
違う、大義名分を手に入れた。
人間じゃないんだから人間の法律に従わなくていい。
そうだ、欲しかったのはそういう「言い訳」だ、自分は元々狂っている。実の兄妹に異性愛を感じる人間だ。
それが異常と言うなら生まれた時から自分は異常なのだ、その異常者が言い訳を手にしてタガを外しただけだ。
カリッ
無意識に尻尾に歯を立てた、確かな感覚が返ってくる。
そういえばこの尻尾はちょっと男性器に似てる、兄さんのもこのくらいだろうか？
ペロ……
ああ、早く欲しいな、この身体に変わってからもうずうっと我慢してる。
おなかすいた
おなかすいた
おなかすいた
おなかすいた
おなかすいた
おなかすいた
早く欲しい、はやく食べたい。食べたいよぅ。
指がなだらかな下腹部の上を這う。極限の空腹を訴えてくる腹の上を。
飢えを訴えているのは胃袋ではない、もっと下にある臓器だ。
その雌の器官が早く欲しい早く早くときゅんきゅん訴えてくるのだ。
「ん、く、」
と、美香はシャワーの温度を変えて冷水を浴びた。
落ち着け、落ち着かないと。
急いては事を仕損じる。
じっくりいこう。
頭を冷やした美香は浴室を出て制服に着替え始める。
「……」
もう学校から帰って仕事も終えたので私服で構わないのだが兄の元を訪れるにはこの服装が学校帰りのついで、という言い訳が立つので都合がいいのだ。
鏡の前に立ってさっと軽く髪を整える。特に気合を入れる必要はない、いつも通りで行く。
多分それが一番だ。
「美香、どこに行くの」
玄関に行った所で母に呼び止められた、学校から帰ったのに制服でまた出かけようとするのだから当然怪しまれる。
「兄さんの所」
美香は偽りなく答える。見る見る母の表情が険しくなる。
「待ちなさい美香」
美香は立ち止まって母を振り返る。
「義朗の事は……」
言いかけた言葉を最後まで言えなかった。振り返った美香が微笑んでいたからだ。
今まで見たことのない娘の表情だった。胸に困惑が広がる。
（……本当に娘？……）
そんな疑問までもが浮かんでくる。
言葉に詰まった母の元に美香が歩み寄ってくる、思わずたじろいだ。
ぎゅっ
「えっ……あっ……み、美香？どうしたの？」
美香は母を抱き締めていた。昔、ずっと昔無邪気だった頃のように。
「大丈夫だよお母さん」
胸に顔を埋めたまま美香は言う。
「兄さんの事は私に任せて……全部、うまくいくから」
「……」
母はその言葉を諌めようとした、が、声が出なかった。
抱きついた娘の体から何かが流れ込んでくるような感覚がする、何か、何か異常な事態が進行している、この娘は、何か違う。
母は娘に違和感と同時に恐怖を感じた。いや、ただ怖いのとは違う。それは「畏怖」と呼べる物だったのかもしれない。
「……」
美香が腕を解いて離れると母はぺたん、と膝を着いてしまう、腰から下が軟体動物になったように力が入らない。
一体どうしてしまったのか。
「美……香？……あなた、美香、なの……？」
「私は私だよお母さん」
美香はそう言って笑うと玄関に下りてとんとん、と靴を履く。母は崩れ落ちたまま立ち上がる事ができない。
「ま……待って……待ちなさい……美香……美香……！」
震えながら伸ばされた手に美香はぱたぱたと手を振り返してドアから出て行った、いつも学校に行く時と同じように。

・

・

・

　外は雨が降っていた。
美香は傘をさしてその中を歩く。ヘッドホンから耳に流れ込むのはショパンの音色。
友人から勧められる流行歌も悪くないが美香はやはりクラシックが好みだ。
ゆったりとした音調と歩調と雨音。
落ち着いている。体の中に高揚を抱えながらも今まにないくらいに精神が安定している。
きっと確信を持てたからだ。いや、覚悟が決まったと言った方がいいかもしれない。
もう、諦めなくてもいい。
美香の口元に自然に微笑が浮かぶ。
（それにしても……）
何か今日は視線を感じる。いや、普段から人目を引く容姿であるのは自覚しているが今日は一段と顕著だ。
ふいと目を上げると男子学生の集団と目があった、違う学校の制服だ。
先ほどまでがやがやと騒がしかったのが何故か急に静まり返ってこっちを見ている。
皆一様にぼんやりと呆けた顔で赤面していたが、美香と目が合うと慌てて逸らす。
そういえば今日は学校でもやけに男子からの視線を感じたし、友人からも「いつにも増して美人すぎ」とか言われた気もする。
気もする、というのは今日一日はひたすら飢えと疼きに耐えるのに手一杯で他は何も頭に入らなかったからなのだが。
正直誰にどう見られようと気にならないが、人から美人に見られるという事は兄から見てもそうなのだろう、だとすると嬉しい。
（待っててね兄さん、私の兄さん、今行くからね、すぐ行くからね）
雨の中、ショパンの音色と共に美香は無自覚に周囲を魅了しながら兄の元へ急いだ。

・

・

・

　布団の暗闇の中で義朗は目を開いた。ごそごそと携帯を取り出して画面を見てみると夕方の五時。
「……はは……」
義朗は自嘲の笑みを浮かべた。昼寝してしまった、三時間も。
あの一件以来義朗はある種の自暴自棄に陥っていた。
元々自己否定気味な性格だったところに「妹に対して劣情を抱く」という経験は自らに失望するのに十分な衝撃だった。
机に向かう時間が減り、ひたすらに惰眠を貪るようになった。
時折思い出したように親に対する懺悔の念が沸き起こり、自分の不甲斐なさに泣き伏す時もある。
そしてそれよりも頻繁に引き起こされるのが妹に対する慕情だった。
思えば自分の冴えない灰色の人生の中で数少ない色を持った記憶には全て彼女が関わっている。
唯一自分を認めてくれて、対等に接してくれて、無条件に優しくしてくれる。
精神的な意味では親よりも彼女に支えられて生きてきたと言っても過言ではない。
義朗は携帯に登録されている美香の番号をじっと見つめる。
邪魔だ、なんて言ったが本当は来て欲しいのは言うまでもない。
「……」
義朗は目を閉じてぱたん、と携帯を閉じた。
それだけは駄目だ、自分がどんなにどうしようもない男であっても彼女に縋るのはもう許されない。
ほかでもない彼女の為にも。

ピンポーン

「……」
義朗は布団から顔を出した。
誰だろう、親だろうか。
美香？
違う、そんなはずはない。あんなにはっきりと拒絶したのだ。
「……」
誰にも会いたくない。
もう一度布団を頭から被る。
ピンポーン
「……」
ピンポーン
「……」
ピンポーン
義朗は荒んだ目でのそのそと立ち上がった。
ドアを開ける。
美香が傘をさして立っていた。

「……えっ……」

義朗は呆けた声を上げた。
美香は微笑んでいる。
（……天使……？）
馬鹿らしい事だが一瞬そんな単語が頭をよぎった。
地獄の底に沈んでいる自分に手を差し伸べる女神、そんな風に見えた。
同時に心臓が驚く程大きな音を立てた。
そんな経験をした事はないが一目惚れをしたならこんな感覚だろうか。
……見慣れた妹の顔に……？
見慣れた？違う、いつもと違う、いつも綺麗だったけれど、今目の前にいる彼女はそれにも増して……。
瞬間、義朗は自分に恐怖を感じた。自分はまた妹に異性を感じている、欲望を感じている。
バン！
義朗はノブを一気に引いてドアを閉めようとする、美香は素早く足をドアの間に挟んだ。
「も、もう来るなって言っただろ！？」
「音沙汰無いから心配したんだって……！ちょ、痛いって！」
強引に閉めようとすると美香が痛がるので仕方なく開ける。
「もう……邪魔になるなら来ないでおこうと思ってたけど、そう言うのはちゃんと自己管理できるようになってから言ってよ、ひっどい顔してさあ……」
「……」
義朗は頭を掻く、確かに鏡で見ても明らかに自分の顔は以前よりやつれている。
「髭もこんなに生えて……」
美香は手を伸ばして無精ひげの生えた義朗の顎に触れた。
「さ、触んなよ」
何故か触れられた瞬間全身に電気が走るような感覚を覚えて義朗は妹の手を払いのける。
近づかれた拍子にふわ、といい香りが鼻をかすめる。
以前も使っていた香油だろうか。前と違ってもう少し甘い匂いがする、スモモに近いような匂い。
「ほら、ごはん作ってあげるから、兄さんが栄養失調で死んだら私の管理が悪かったみたいで夢見が悪いじゃない」
「ペットか俺は……」
軽口を叩きながら美香はドアの内側に入る。義朗も観念して美香を玄関に入れる。
パタン　カチャ
美香は後ろ手に鍵を掛けた。
部屋の方を向いていた義朗は気付かなかった。
鍵を掛けた瞬間、美香の口元が淫らな笑みの形に歪んだ事を。

はい
もう逃げられないよ兄さん
かわいいなあ兄さん
自分が何を部屋に入れたかわかってないんだよね。

「来る前に連絡くらい入れろよな」
「連絡したって出ないでしょ兄さん」
それも一瞬の事で、義朗が振り返った時既に美香はただの妹の顔に戻っていた。
「……あ」
と、玄関に上がったところで美香は手に持っていたトートバッグをごそごそと探り始める。
「あーあ……割れてる」
見てみると中にはスーパーで買ってきたらしき食材が入っていたがその中のパック入りの卵がいくつか割れてしまっていた。
どうやら玄関先でもみ合った結果らしい。
「もーう……急に締めるから……」
「す、すまん」
「卵、使い切らないとね」
言いつつ美香は狭い台所の冷蔵庫に向かう。
「オムレツかな……あ、冷ご飯あるじゃん、オムライスだね」
てきぱきと料理の支度を始める美香の後ろ姿を義朗はぼんやりと眺め……。
（ダメだ、ダメだって！いつまでもこんな事じゃ……！）
ぶんぶん頭を振ると義朗は美香に声をかける。
「な、なあ、ミカ、来てくれるのは本当ありがたいんだけどさ……いつまでもこんな事じゃ俺自身にも……」
「兄さん」
振り返らないまま美香は割り込むように言った。
「言いにくい事言うけど、兄さんうつ病になりかけてると思うよ」
「えっ……？」
「最近眠れる？物事に集中できる？食欲ある？何か楽しみがある？」
美香はエプロンを付け、まな板を取り出す。
「消えちゃいたい、死んじゃいたいって思ってない？」
「……」
「テレビの特番で見たんだけどね」
玉ねぎの皮を器用に包丁で剥き始める。
「受験生でそうやって悩んで病気になっちゃった人の話をしててね……」
トン　トン　トン　トン
「結局、悩んだ末に誰にも相談しないまま自殺しちゃってさ……」
トン　トン　トン　トン
「残された家族のインタビューとかやってて……皆すっごく後悔してんの、何で相談乗ってあげなかったんだろうって……」
トン　トン　トン　トン
「……玉ねぎめっちゃ沁みる……ぐす」
トン　トン　トン　トン
「家族なんだから、苦しかったら頼ればいいのにね……家族なんだからさあ……」
義朗は手を強く握り締めた。
結局自分は子供だ、心配をかけないようにと思って余計にかけている。
妹を遠ざけたのも彼女を思っての事だったが……結局、今思い返してみると彼女に世話を焼かれる事による良心の呵責から逃れたかっただけなのかもしれない。
世話を焼いてもらったらその分頑張らないといけないのだ、頑張りたくないから世話を焼かれたくなかったのだ。
「……ありがとうな、ミカ」
「何が？」
「いや、何でもない」
「変なの」
振り返らないまま料理を続ける美香の後ろ姿に義朗は感謝した。

・

・

・

　じゅわわ〜
チキンライスを作りながら美香は後ろでリラックスした様子の兄を意識して微笑む。
単純な兄さん、かわいい兄さん。
兄さんは意識していないかもしれないけど、兄さんは私の事を盲信している節がある。
私の言う事は正しいことだってすぐに信じ込んじゃう。
だから今度も信じてね。信じさせてあげるね。
そう、私たちは家族なんだから支え合うのは当然なんだよ。
心も体も支え合うのが普通なんだよ。
私は妹なんだから、家族なんだから。
その立場を最大限に利用して。
支えてあげる、満たしてあげる。しゃぶってあげる。
ああ、私って悪魔みたいだなあ
いや、悪魔か。

・

・

・

　バターのいい香りと共にオムライスがテーブルに運ばれてきた。
世間でオムライスというと卵で巻いたタイプと半熟のオムレツを乗せたタイプがあるが。
義朗の好みは断然昔ながらのフットボール型の巻いたタイプだ。
作ってもらったのは初めてではないが毎度本当に綺麗に作ってくれる、店で出せそうな綺麗な形状だ。
しかし目に眩しい黄色を彩るはずのケチャップが掛かっていない。
はて、と思っていると美香が何やらニヤニヤしながらケチャップのチューブを手に持ってやってきた。
義朗の目の前でゆっくりとかけて見せる。
「美味しくなあれ♪美味しくなあれ♪」
「どこの喫茶店だ」
やたら綺麗なハートマークで彩られたオムライスを平らげた後義朗は食器を洗っていた。
「毎回思うけどよくこんな短期間でここまで部屋汚せるよね……逆に関心するよ」
その義朗の後ろでゴミ袋を纏めながら美香はぶつぶつ言う。
「男が一人暮らししてたらそんなもんだよ」
「人によるでしょー？兄さんは特別ズボラだって絶対」
「うっせえや」
「もう……」
義朗が洗い物を終えて居間に戻るとゴミ屋敷一歩手前だった部屋はそこそこに片付いていた。
（家事能力高いよな……いい嫁になるだろうなあ……）
そしてゴミの腐敗臭に満ちていた部屋には仄かなスモモのような香り、美香の匂いが漂っていた。
彼女が動いた後にその何とも言えないいい匂いが残るのだ。
（……天然のお香みたいだ）
「……ご飯もだけど、兄さん運動してる？」
ぼんやり部屋を見回していると美香が言った。
「運動……？する暇ある訳無いだろ」
「受験生は体力勝負だよ？体もケアしないと……ストレッチくらいしなよ」
「できねえよ」
「……兄さんってあれ？前屈で指がつま先に届かない系男子？」
「お前は届くのかよ」
「ほい」
言うやいなや美香はひょいと腰を曲げて手を伸ばし、地面にぺたんと手を付いて見せる。
「すげえ」
「体育五だし」
「健康優良児め……若い頃は体の柔軟性がだな……」
言いながら髪が垂れ下がって見えた白いうなじにこっそり見とれる。
「はいはい言い訳言い訳、そこ座って」
乱れた髪を手櫛で直しながら美香は地面を指差す。
「何だよ」
「ストレッチ、手伝ったげるからほら」
「いいって」
「黙れ、座れ」
「はい」
「よろしい」
美香は素直に座った義朗の後ろに回ると背中に手を置く。
「ほら、足伸ばす、開く、膝曲がってるじゃんほらちゃんと伸ばす！」
「ちょ、痛い痛い痛い」
開脚の姿勢を取らせると美香は義朗の背中に体重をかけはじめた。
「ぐえええええええ」
「カエルじゃないんだから、ほら息吐いて、ぐーっと、」
「折れる折れる折れる」
「折ーれーなーい！がんばる！」
「……！」
義朗は気付く、背中に感じる二つの柔い感触。
最初は手を置いて背中を押していた美香が義朗の膝に手を伸ばし、胸で背中を押しているのだ。確かにその方が体重がかかるだろうが……。
「ギブギブギブ！」
義朗は美香の手をばしばしタップする。
「だめだめじゃんもう……」
美香は離れる。
危ないところだった。二つの意味で。
「じゃ、お布団にうつ伏せになって」
「ちょ、まだやんのかよ？」
「柔軟は無理っぽいからマッサージしたげる、専門家の人から習ったんだから」
「いやいやいやいいってもう……」
「寝ろ」
「はい」
言われた通りに布団にうつ伏せになると美香が背中に跨ってきた。
義朗はいけないと思いつつも赤面する。
背の上に感じる女の子の重み。
制服姿というのがなんともいけない感じがする。
これがせめてズボンだとかジャージならまだよかったのだが、スカートで股がられると言うことは割と腰にダイレクトに当たってしまうし視覚的にも腰の上にスカートが広がっているのはいかがわしい感じがする。
しかしそんな風に意識しているのを悟られたらおしまいなので平静を装う。
「よかった」
「何が？」
「重いとか言い出したら首締めてやろうかと思ってた」
「そんな命知らずなことする度胸ねえよ」
「よし、殺してやる」
「うげげげ死ぬ死ぬ」
馬鹿なことを言い合ってじゃれあいながら美香は何とか耐えていた。
内から込み上げる情欲に必死に耐えていた。
兄は今、腰の下だ。淫魔的には完全に「捉えた」状態なのだ。もう、ズボンを引きずり下ろして貪ってしまいたい所なのだ。
しかし美香は抑えた。
細心の注意を払って軽い雰囲気を保った。
これはただのじゃれあいなのだと、仲のいい兄妹の戯れなのだと認識させたかった。
急いては事を仕損じる。
「あ〜〜〜〜……うまいな、本当に」
「言った……じゃん……プロに教わったって……ふぅ……」
ひとしきりじゃれあった後、美香は義朗の背中にマッサージを施し始めた。
的確にツボを突く美香のマッサージに義朗はうっとりとなる。
「くぅ〜〜〜〜効く〜〜〜〜」
「んっふふ……完璧におっさんじゃん……はぁ……」
「……なあ、なんかお前苦しそうじゃないか？」
「は……マッサージって……ふ……こう見えて体力使うのよ……」
「ふうん」
枕に顔を埋める義朗の目には背後の妹の姿は映らない。
（兄さん……兄さん……兄さん……兄さん……兄さん……）
それをいいことに美香は完全に牝の本性を顕にした表情で兄のうなじに狂おしい視線を注ぎ、手に伝わる兄の肉体の感触に陶酔していた。
ひゅん、ひゅらっ
背後に現れた尻尾が歓喜に揺れる。腰から伸びた翼が震える。
「気持ちいぃ……？にい、さぁん」
「あー……最高だ……」
義朗は背の上の妹の様子には気付かず、ぐったりと身を任せていた。
心地よさに睡魔が訪れ……。
「……ねえ兄さん」
「ん？」
「まさかしてもらいっぱなしで終わる気じゃないよね？」
「何？」
義朗は振り返る。
無論その時美香は既に「妹」の顔に戻っていた。背後の尻尾も羽も無くなっている。
「あーあ……最近仕事忙しいしぃ……色々疲れるなー……」
美香はわざとらしくぐりぐりと首や肩を回してみせる。
「……いや、俺マッサージとかできないぞ？」
「あー、兄さんの家事もしんどいしなー」
「わかったわかった」
美香が背中から降り、上着を脱いでポロシャツ姿になる。
結構、起伏に富んだ体型をしている事に嫌でも気付く。
「……」
義朗はまた気まずさを感じてその姿から目を逸らす。
そんな義朗を尻目に美香は布団の上にうつ伏せになる。
（い……いいのかこれ……？）
美香の姿を見下ろして義朗は戸惑う。
薄汚れた自分の布団の上に寝そべる女子高生、という絵はひどく背徳的でしかもその上にのしかかってマッサージするのだという。
「お、俺は重いぞ？」
「大丈夫だからはやく、はーやーく」
言いながら美香は足をぱたぱたさせて催促する。
その無邪気な挙動を見て義朗は思いなおす。
（馬鹿だな俺は、変に意識しすぎだ……）
「おいしょっと」
「うぐえ」
「やっぱり重いだろ……」
「平気平気」
腰に乗ると美香は空気を押し出されたような声を上げたが、すぐに平気だとアピールする。
「どうやったらいいんだ……」
「ここ……ここらへん揉んで」
美香は指で背中の肩甲骨のあたりを指差す。
「こうか？」
指さされたあたりを両手の親指でぐりぐりと押してみる。
華奢な骨格が指に伝わると同時にびくん、と美香の体が震えたのも伝わってきた。
「ん……いい感じ」
「そうか？」
枕に顔を埋めたままこくこくと美香は頷く。
またぐりぐりとしてやるとその口からはぁぁ……と吐息が漏れるのが聞こえる、どうやら本当に気持ちいいらしい。
気をよくした義朗が適当に肩甲骨以外の部分も揉みしだいてやると美香は吐息を漏らして反応した。
普段してもらってばかりなのを少しでも返せたような気がして嬉しくなった義朗は丹念に時間をかけて美香の体をほぐす。
「ふぅ……ふぅぅん……うぅぅん……」
しかしどうも美香の様子がおかしいことに気付く。
力を抜いてリラックスするというより枕を強く掴んで何かに耐えているような様子だ、覗いて見える耳たぶも真っ赤だ。
「大丈夫か？痛いんじゃないか？」
「ひ……いたくなぃひ……」
「何だその声」
「いたくないからもっとして……」
何かを堪えるような声で言われた。痛みに耐えている様子ではないが絶対に何かおかしい。
「だいじょ「いいからしてよぉっ」
「お、おう」
しかしひどく切羽詰まった声で言われて慌てて再開する。
背中の裏や真ん中はあらかた終えたので膝の裏あたりに座り直し、細く括れた腰の背骨付近をぐぐっと押してやる。
「ンぐぅっ！」
「うわっ！？」
と、押した途端に枕の中からくぐもった声が上がり、美香の腰がぐんっと持ち上がった。
乗っている義朗を振り落とすほどの力だった。
「あいって！」
「……っっ！……っっ！」
ひっくり返る義朗の傍らで美香はがくんがくんと引きつけを起こしたような動きで腰を痙攣させている。
「ど、どうしたんだ！？大丈夫か！？」
「まっ、まって、いま触らないで」
心配して近寄ろうとしたところを遮られた。
ひどく憐れっぽい声だったので思わず動きを止める。
「ふっ……ふっ……ふっ……」
美香は何かの衝動に耐えるように枕に顔を押し付けて息を荒げている。
触るなと言われた義朗は自分が何か悪いことをしたんじゃないかとおろおろしながらその美香を見守る。
やがて動悸が落ち着いたらしい美香はずり、と横を向いて喜朗に顔を見せた。
義朗はぎょっとする
目はとろんと虚ろで頬は赤らみ、後れ毛が頬にかかっている。
軽く汗ばんだその全身からは一際強くスモモの香りが立ち上っているようだ。
「……よかった」
夢見心地の表情で美香が言う。
「そ、そうか」

■作者メッセージ
弾はまだあるンだぜ！