連載小説
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前編
 
 「作戦志願か」
「はい」
教団領の兵舎前に建てられている小さなテント、その中の受付に座っている教団兵はテントの前に立つ二人を見た。
受付の前に立っている男は自分用に手を加えて軽量化した形跡の見られる銅の鎧を纏っており、腰には一振りのブロードソードを下げている
金の髪は綺麗に整えられており、貴族の血筋を思わせる品のいい顔立ちをしている。
しかしその手は剣を握る者らしくごつごつとしており、体格もそこそこいい。
何より温和な目の上にある眉を斜めに両断するような古い刀傷が年の若さによらぬ歴戦を伺わせる。
(……この男は問題ない)
受付の教団兵は思った。
魔物討伐の作戦は随時行われており、報酬を掲げて自由に参加を募っている。
参加の条件として面接を通るのだがあまり豊かとは言えないこの国周辺では報酬目当てに参加する者は多く、一人一人の経歴やら素性やらを詳しく詮索している暇は無い。
よって面接はほとんど試験官の第一印象で決まってしまう。
この目の前の男にはまず落とす要素は無い。問題は……。
教団兵はその男の後ろに立っている人物の方に目を移した。
どこかの民族衣装なのか見たことのない文様が描かれている衣装を纏い、肩に長い槍を引っ掛けて退屈そうにぶらぶらと足を揺らしている。
髪は草原を連想させる淡い緑、さらさらと手触りの良さそうなそれはかなり長い、腰まで届くのではなかろうか。
その髪の下にある顔はネコ科の生き物を連想させるつり目に鋭い三白眼、体の方も細いが獣のしなやかさを備えているのがわかる。
かなり若い、まだ成人する年を迎えていないように見える。
そして……。
「名前は」
「ノーケン・ブレヒンド」
目の前の男はすぐに答えた。
背後のは黙っている。
「……ぉぃっ!……」
前の男……ノーケンが後ろ手でせっつくとようやく口を開いた。
「スイ……スイ・ユンジュク」
ぼそりと言った。
「それでは二、三質問させてもらうんだがその前に……その、失礼を承知で聞くが、君は男かね?女かね?」
「く、くくっ」
背後の少年か少女かわからない人物はそう言われて小さく笑い出す。
ずっと地面に向けていた視線を初めて兵の方に向けた、正面から見てみると目付きは悪いが顔立ちは非常に整っているのがわかる。
「どっちだと思います?」
「それは……」
兵は困った顔になる、眼光の鋭さを見ると男っぽくも見えるが、全体を見ると美しい少女の顔にも見える、全体に華奢な体つきを見ると女っぽく見える、しかししっかりと引き締まっている様を見ると男っぽくも見える。
その声も高めなので女のような気がする、しかし声変わりを迎えていない少年ならあり得る声質で……。
「男です」
「あー、答え言うなよつまんね……」
兵が答えを出す前にノーケンが答えた。スイがぶつぶつ抗議する。
男である、と断定されたならなるほど少年だと認識できる、しかし言われなければ男だと答えられたかと言うと兵は自信が持てないのだった。







 「俺もアレがいいな……」
「何が?」
「受付だよ、適当に人見て選べばいいんだろ?アレ、楽そうでいいからアレやりたい」
「面接を傭兵に任せる部隊がどこにいるんだよ……」
「ケチ」
「俺に言ってどうする」
兵舎の並ぶ駐屯地をぶらぶらと歩きながらノーケンとスイは駄弁る。
「他の仕事に比べりゃ魔物討伐も大分楽な方だろ、文句言うな」
「へーへー」
ちっとも真面目さの感じられない口調と態度でスイは同意する。
周囲には応募で集まった兵達が行き来している。経験豊かそうな兵からいかにも新米らしい兵、そして自分達と同じ素性の知れない傭兵達。
「はははっ!魔物なんぞこの斧で真っ二つにしてくれる!」
「いいや、一番の戦果を上げるのは俺だね!」
気勢を上げる兵達の一団をスイは冷めた目で見る。
「初々しいねえー……」
「……何だと?」
結構大きな声で言ったので耳に届いてしまったらしい、ノーケンは溜息をついて首を振る。
「あらぁん、聞こえちゃった?」
スイはけらけら笑う。
顔色を変えたその一団はぞろぞろと二人を取り囲んだ。
「初々しい、とはどういう事かな?」
一番体格の大きい男が剣呑な表情で聞く。
「あー、その、すまない、コイツ口が減らない奴で……後で言い聞かせておく」
「まっぷたつにしてくれるー♪」
どうにか穏便に事を済ませようとするノーケンだが、その背後からスイがニヤニヤしながら煽る。大男のこめかみにびきびきと青筋が浮かぶ。
「いい度胸だ女ぁ……いや男、か?」
「どっちでもいいじゃんウスノロ」
「な、何だとぉ!?」
「こらあ!そこっ!何をしている!?」
大男が斧に手を掛けようとした所で騒ぎを聞いた教団兵が駆けつけた。
「争い事を起こすなら隊から外れてもらうぞ!」
「すいません大丈夫です、ちょっと作戦を前に気が立っていただけです……ねえ?」
「……ああ」
ノーケンが一団に向けて笑って言うと相手側も渋々相槌を打った、隊から外されるのは向こうにしても不本意だ。
スイに馬鹿にされた大男だけは顔を真っ赤にして黙り込んでいたが……。
「ならさっさと解散しろ、準備を整えるんだ」
兵がそう言って場は収まった、かに見えた。
「……っっ!」
「あ、おいっ!?」
二人が背を向けた瞬間、大男が斧を振りかざしてスイの背に飛びかかったのだ。
丸太のような腕に操られた巨大な斧が小枝のように振るわれ、スイの後頭部に振り下ろされる。
シュコンッ
「!?」
と、スイの頭が二つに割られるかという所で急に大男がバランスを崩し、前につんのめって派手に転んだ。
斧はスイの背後すれすれを掠めて地面に叩き込まれる。
誰の目にも男が勝手に転んだように見えたがノーケンにだけは見えていた、スイが振り返りもせずに手に持っていた槍をスライドさせ、柄で男の踏み込んだ軸足を突いたのを。
「ぐっ……この……あがっ!?」
男は尚も地面にめり込んだ斧に手をかけて持ち上げようとするが、その手をスイの足が踏み付けた。
「なあ……死ぬ?」
小首を傾げてスイが男を見下ろして言った。笑っているように見えて全く目は笑っていない。
「ひぃっ……」
「やめないか!この!」
男が青ざめた所で複数の兵が男を取り押さえ、二人から引き離して行った。男は青ざめた顔で引っ立てられて行った。
「レベル低っ……つまんね」
「お前なあ……」
つまらなそうに言うスイを見てノーケンはうんざりという顔をした。
隙あらばこうしてトラブルを作るのがスイという男だ、そうして起こったトラブルにいつも巻き込まれるのがノーケンの常なのだ。







 三年前の事だ、気晴らしに訪れたはずの酒場でノーケンはぴりぴりとした緊張を肌に感じていた。
「いっ……ひっ……いぎっ……」
いつも賑わっているはずの酒場は静まり返り、男のうめき声だけが響いている。
視線が集まっているテーブルに座っているのは柄の悪そうな男達と、それに向かい合って座っている少年一人、最もこの時にはノーケンにも少年だか少女だかわからなかったが……。
うめき声を上げているのは柄の悪そうな男の一人、後ろの仲間達を代表して椅子に座っていたらしい男だ、脂汗を浮かべて手を抑えている。この男の発したつんざくような悲鳴に一斉に視線が集まったのだ。
向かい合う少年は椅子の上にあぐらをかいて座っている、新緑の長髪を揺らし、小首を傾げて男の方を冷たい目で見ている。
少年の物らしき長い槍が椅子に立て掛けられており、それに少年は手を緩くかけている。
テーブルの上にあるのは酒の入ったグラスが二つ、散らばったトランプ、積まれている銀貨、酒場の灯りに照らされて赤黒く光る血飛沫の跡……。
ノーケンは男の前のグラスに違和感を感じた、赤い、赤ワインではない、グラスが違う、それに何かがその水面に浮かんでいる。
ひいっ、と給仕の女がその正体に気付いて悲鳴を上げた、ノーケンも気付いた。
指だ、二本の指がグラスの酒の中に浮いている、その指の切断面からゆらゆらと漏れ出た赤黒い血が酒を染めていく所だったのだ。
「あ、ああ、あ、て、てめぇ……てめぇぇ……!」
少年は男の声も意に介さない様子で自分の前にあるグラスを取ってぐい、と傾けた。
「言ったじゃん、イカサマとかやったら指飛ばすって」
そう言ってグラスを置くと血飛沫の付いた銀貨をじゃらりと手元に引き寄せた。
「ふざけるなてめえ」
仲間の指を落とされて黙っていられる訳もなく男達はいきり立つ、が、少年が笑いながらそっと槍の柄を撫でるとそれだけで一斉に怯んだ。
ノーケンは見ていなかったがそれだけ少年の槍裁きが尋常ではなかったのだろう、いや、それだけではない。
このような場所で躊躇なく武器を取って相手に重症を負わせる神経が異常なのだ、へらへらしてはいるがその目が危険な物を孕んでいるのが遠目からでもわかる。
つまりところ半端な覚悟で関わってはいけない類いの人種だ。
「すまないが、揉め事は勘弁してもらえんかね……」
酒場の店主が青ざめた顔で少年に声をかけた、関わりたくないのは店主も同様だが店を守る為に騒ぎを放っておく訳にはいかない。
「……ふふ、悪かったよ」
少年は思いの外物分かりのいい態度で自分の分の代金をテーブルに置いて席を立った、向かいの男達は固い表情でそれを見送る。
「安心してくれ、二度と来ねえよ」
店を出る直前、少年は言った。
「そう願うね」
店主が冷や汗を拭いながら言うとけらけらと笑って少年は出て行った。
「ぐうう……指が……俺の指がぁ……」
後には静まり返った中に響く男の呻き声だけが残された。
ドアを開けて夜道に歩み出た少年は肩に槍を乗せて案山子のように両腕を引っ掛け、ぶらぶらと歩き出す。
そうしてしばらく月明かりの下を歩き続けた少年だったがやがて何かを感じたようにぴたりと足を止めた。
「……」
くるりと振り返ると少年の後ろには一人の人影が立っていた、それを見た少年はペロリと唇を舐めてまた不吉な笑みを浮かべた。
と、雲が切れて月明かりがその人影を照らし出す。
その姿を見て少年は意外そうな顔をした。
ノーケンだった。
「あれ……あのウスノロ共ん中にアンタみたいなのいたっけ」
「俺は彼等とは関係ない」
「けっ」
少年は今にも唾でも吐きそうな顔をした。
「腰抜け共が」
「随分生き急ぐんだな」
「アンタに関係あるかよ」
「ないね」
少年は改めて現れた男の姿をじろじろと観察した。
「で?関係ないはずのアンタが俺にどういうご用向きで?」
「俺はノーケン・ブレヒンド、傭兵だ」
「……ふうん」
「お前の槍に興味が湧いてな」
「俺の槍?」
ノーケンは手を前に突き出して指を曲げた。
「このくらいの距離だったか」
「……ああ、あの時の事か」
「その獲物は随分長い、だのにテーブル分だけの狭い距離でどうやって器用に指だけを狙って落としたのかが知りたくてな」
「何だそんな事か」
「まさかあんな酒屋の席でそんな妙技を拝めるとは思わなくてな、見逃してしまった」
「物好きだな」
「よく言われる」
少年は愉快そうにけらけらと笑った。
「何も難しい事はねえよ、距離が近いなら槍も短く持ちゃいいんだ」
「それを見せてみてくれないか」
「何?」
ノーケンは懐に手を忍ばせて少年との距離を縮めた。少年の表情が一気に険しくなり、槍を持つ手に微かに力が籠る。
しかしノーケンは歩みを止めず槍の射程内に無遠慮に入り込む。余りに無警戒な歩みに逆に少年はタイミングを逸してしまった。
すっとノーケンが懐から手を出す、少年は舌打ちを打って距離を取ろうとしたがその手にある物をみてきょとん、となる。
手は一枚のトランプを持っていた、柄はキング。
「これを突いて再現してくれないか」
「……」
言われてみればノーケンが足を止めた距離は丁度先程と同じテーブル一つ分だ。
「……呑気だなアンタ、俺に突き殺されるとは思わないのかい」
「そんな事をしても何も得はないだろう」
「俺がただの殺したがりの狂人だったとしたら?」
「ならもう殺しているだろう、それに自分が突かれるかカードが突かれるかくらいは見切れるつもりだ」
「……いい度胸してるね」
少年は笑った、薄ら笑いとも狂気を孕んだ笑みとも違う初めて見せる無邪気な笑みだった。
すっと肩から槍を下ろすと目の高さに持った、しゅるる、と槍が手の中でスライドし、持ち手が穂先に近くなる。
槍はかなり長大な物なのだが少年はまるで自分の手足のように軽々しく扱う。
そして体の軸をぶれさせる事もなくタンッ、と穂先でノーケンの手のカードを突いた。
突いたと思った時には既に槍は元の肩の上に戻っていた。
ノーケンはカードを見た。
一見するとカードは無傷に見える、しかしよく見てみるとキングの額に穴が開いているのがわかった、細い錐で開けたような小さな穴だ。
とても長大な槍で行った所業には見えない。ノーケンは唸った。
「……見事だ」
「アンタもね」
少年もノーケンを見ていた。
あの一瞬の所業の間、ノーケンが瞬きもせずに槍の穂先を冷静に目で追っている所を。
恐らく少年の槍の矛先がノーケンに向かっていたなら反応して身を躱していただろう、見切っているからこそカードを突いた時にもその手が微動だにしなかったのだ。
「満足かい?」
「ふうむ……」
ノーケンは顎に手をやって何かを思案している様子だった、少年も立ち去ることなくノーケンを見ている。
「お前も傭兵か?」
「そうだ」
「なら提案がある」
「何だい?」
「仕事の時に組まないか」
少年は顔をしかめる。
「何でアンタと組まなきゃいけないんだよ、嫌だよ面倒臭ぇ」
「仕事に困っているだろう」
「何?」
ノーケンは穴の開いたキングを懐にしまって言う。
「いくら腕が立っていても依頼主との契約が交わせない傭兵は稼げない」
「……」
「その性格じゃさぞや交渉に苦労しただろう、だからあんなちんけな賭博で稼ぐ羽目になっている」
少年は不機嫌そうに頭をぼりぼり掻いた、図星らしい。
「契約は俺が取り付けよう、それに協力してくれれば報酬は山分けだ」
「……アンタのメリットは何なんだよ」
「その方が効率がいい、それに……」
ノーケンは少年の持つ槍を見る。
「朽ちさせるには惜しい腕だ」
「誰が朽ちるかよ」
「あんな無茶ばかりしていてはいつか必ず報復を受ける、それに信用の無い傭兵なぞ稼げる稼げない以前の問題だ」
「……」
少年は足をぶらぶらさせながらしばらく地面を眺めていた。
「宿は」
「うん?」
「アンタのねぐらは何処だよ」
「この街の安宿だ……何だ、今日のねぐらも確保出来てなかったのか?」
「うっせぇ、資金は調達出来たんだ、自分の分は払うからそこ案内しろよ」
ノーケンは肩をすくめた。
「ついて来い」
背を向けるノーケンの後に少年はぶらぶらとついて歩き始めた。
「名前を聞いていなかったな」
「……スイだ、スイ・ユンジュク」
「……スイか……それでも判断できんな」
「判断?」
ごほん、とノーケンは咳払いをした。
「名前で判断できるかと思ったんだが……その、……性別はどっちなんだ?」
「……」







二人の出会いはそのようなものだった、その時には二人共その協定が三年も続くとは思っていなかったが……







 「失せろ豚♪」
「なんっ……!」
爽やかな笑顔とともに放たれた言葉に娼婦は顔を引き攣らせた。
本来教団領では売春は禁じられているが、辺境の反魔物領では半ば黙認されている。
特にこういった兵士や傭兵などが集まる場所には必然的に需要が発生するため娼婦達も多く集まり、客引きをする。
しかしこの娼婦の場合は声を掛けた相手が悪かった。
「何よ!この文無し!」
捨て台詞を吐いて走り去る娼婦に向かってスイは中指を立てる。
「もうちょっと断り方ってものがあるだろう」
「けっ、豚にそんな気ぃ使う必要ねぇよ」
三年も行動を共にしていると互いの性格や好みももわかってくる。
ノーケンがスイの習性として把握しているのは短気、好戦的、ひねくれ者、そして女嫌いである。とくに女嫌いは病的なレベルだった。
中性的な美貌の持ち主であるスイは異性から声を掛けられることも多いが、スイはどんな相手でも例外なく過剰なまでの嫌悪でもって返す。
恐らく過去に何かあったのだろうとノーケンは思っている。
が、それを詮索したりしないしスイもノーケンの過去について聞いたりはしない。
脛に傷持つ者も多い傭兵達の間での暗黙の了解のようなものだ。
(やはりあいつは……「そういう」性癖なんだろうか、だからあんな……いやいやいや)
ノーケンは首を振って頭によぎりそうになった考えを振り払った。
(あれは間違いなんだ、俺の一生の不覚だ……)
「何百面相してんだ?さっさと行こうぜ、ぼさっとしてるとまた面倒な客引きに捕まっちまう」
そう言ってスイは割り当てられた兵舎に向かう。
ノーケンも後を追った。
兵舎に入ってみると四段ベッドが等間隔に配置された簡素な構造になっており、割り当てられた志願者達が思い思いに寝たり雑談したり装備の手入れをしたりしている。
(……うん、ここなら間違いも起きないな)
考えた後にぴしゃぴしゃと頬を張るノーケンをスイは変な物を見る目で見ていた。







 非常にちぐはぐな性格の二人だが不思議と仕事では息が合い、食うに困らないくらいには順調だった。
そんなコンビが二年目にして最悪の危機に陥った。
二人が仕事である軍隊の行軍に参加していた時の事だ。野営中の部隊が奇襲に合ったのだ。
完全に行路を読まれての奇襲だったため相手はこちらの数の三倍はいた。そして寝込みだった。
部隊の中で一番最初に異常を感じ取ったのがスイだった、彼は理論派のノーケンと違って動物的な勘に優れている。
その事をよく知っているノーケンだったので寝ているところをいきなり槍の柄で叩き起こされても怒らなかった。
「何だ、どうした、何があった」
「嫌な感じがする」
今までにないくらい険しい顔でスイは言った、その顔を見てノーケンはテントを飛び出して周囲を見回した。
すぐに異変に気付いた、テントの群れの周囲を小さな無数の灯りが取り囲んでいるのだ。
一瞬蛍かと思ったがその蛍がゆらゆらと揺らめいているのに気付いた。
「敵襲ーーー!!!!」
ノーケンの叫びを合図にしたかのように一斉にその灯りがテント目掛けて降り注いだ、火矢だった。
たちまち周囲は火の海と化し、悲鳴と怒号に包まれた。
「面白ぇ事になってきたじゃん!」
狂気に目を染めたスイは叫ぶと雨あられと降り注ぐ火矢を舞うように槍で落とし、その援護を受けてノーケンが火矢が発射された闇へと突っ込む。
闇が蠢くのが見えた、いや、人がいる、服も顔も剣の刃も真っ黒に塗った大勢の兵達が闇の中に潜んでいたのだ。
影のようなその兵達が剣を抜いて一斉に先陣を切るノーケンに斬りかかる。
びょびょびょびょぅ
空気を切る音と共にノーケンの背後から幾筋もの閃光が閃き、目の前の三人の黒い影が糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
スイの槍だ、確認しなくともわかる、倒れた三人の額には綺麗な穴が空いているだろう、あの時のキングのように。
だから多くの血を流す事なく瞬時に事切れるのだ。恐ろしいスイの槍の冴えであった。
その三人の死体を飛び越えて来た更なる影にノーケンは猛然と斬りかかった。
斬って、斬って、斬って、殴って、蹴って、突いて、突いて、突いて、二人が奇跡的に敵の囲いを抜けたのは二時間後だった。
比喩でなく死線と呼べる二時間だった、幾度も剣が鎧を叩き、喉元を掠め、矢が頭上を通った。
絶対的な危機を互いに何度も助け合った、一人では決して成し遂げる事は出来なかったであろう。
返り血と傷にまみれた二人は夜が明けるまで奪った馬で走り続け、馬を捨てて日が落ちるまで山を走った。日が落ちると同時に深い藪の中で力尽きるように寝た。
「ぐううっ……」
瞼に感じる日の光に目を開けると微かな木漏れ日が目に入った。
ぎしぎしと軋む体を起こして改めて自分の体を見回してみた、鎧は砕け、かすり傷だらけだがどうやら骨が折れていたり致命傷になりそうな傷は見当たらなかった。
一番深い傷といえば瞼の上に付けられた切り傷だが既に血が固まって出血は止まっている。
ふと気付いて周囲の藪をガサガサと掻き分けるとすぐそばにスイが槍を抱き抱えるようにして倒れていた。
そこらじゅうに乾いて黒くなった血が付着して綺麗だった髪も半分が赤黒く染まっている。
慌てて脈を測ろうとしたが、手を触れた瞬間にスイの槍が唸りを上げた。
「うぉぅっ」
顔面スレスレを通過する槍を辛うじてやり過ごしたノーケンは冷や汗をかく、折角生き延びたのに間抜けな死に方をするところだった。
跳ね上がるように立ち上がったスイは槍をノーケンに突き付けたまましばらく目が瞬かせていたが、やがて手を下ろした。
「ビビらすなよ」
「こっちの台詞だ」
しばらく二人は座り込んだままぼんやりと鳥の囀りを聞いていた、まだ生きている実感が沸かなかった。
「……水の匂いがする」
「音も聞こえるな」
水の存在を察知した瞬間思い出したように猛烈な乾きを覚えた二人は音を辿って森の中の大きな川に辿り着いた。
スイは歓声を上げて川辺に走り寄り、手で水を掬ってがぶがぶと飲んだ。ノーケンも頭を川に突っ込んで飲んだ。
冷たい水で体中の細胞が蘇るようだった。
そのうち二人は身につけている装備を脱ぎ捨てて川にじゃぶじゃぶと入り、泥と血と返り血を洗い流し始めた。
体の傷に滲みたが、それもまた生きている実感を蘇らせた。
「……」
死線を潜ったばかりのノーケンはその時あまり正常な状態ではなかったのだろう、いや、そう思いたいだけなのかもしれないが。
水辺で新緑の長い髪に手櫛を通し、血を洗い流すスイの後ろ姿にその時ノーケンは見惚れたのだった。
スイの肌は想像以上に白く滑らかで、体は起伏に乏しく華奢で、まるで白い蛇のようだった。
その肌に長い髪が絡んで木漏れ日に光っている。
ふらり、とノーケンはスイの背後に近付いた、スイは気配に気付いて振り返る。
正面から見ると当然ながらスイにも付いているものは付いている、しかし不思議な事にノーケンにはそれがちっとも気にならなかった。
ノーケンの目に宿っている物に気付いてスイは目を見開く。
今更庇護にも何にもならない事だがこの時のスイの対応がよくなかった。
怒鳴るなり殴るなり槍で突くなりしていればノーケンはすぐに正気に返ったであろう。そして自らを恥じて二度とスイに近寄ろうとはしなかっただろう。
だがスイはノーケンの前で見たことのない顔をした。
眉を寄せてつり気味だった目尻を下げ、非常に困ったような顔になった、照れているようにも見える顔だった。
「いや、馬鹿お前……」
ごにょごにょと言っておろおろとするばかりだった。
そんな風に抵抗がなかったものだから結局ノーケンは行くところまで行ってしまったのだ。







突き殺されても文句の言えない事をしてしまったノーケンだったが、その後も二人の関係には特に変化はなかった。
事が済んだ後にノーケンは謝罪したがスイは「ったく……」とぼやくだけだった。
ノーケンは自分の事をずっとノーマルだと思ってきた、同性と関係を持つ連中も見てきたがノーケンには理解できなかった。
なのでこの一件はノーケンの頭を大いに悩ませる事となった。
ひょっとして認識していなかっただけで自分にはそっちの趣味があったのだろうか、と。
しかしそう考えて試しに男娼に手を出そうと試みてもみたが、やっぱり全然興味が沸かないのであった。
よって、あの時はスレスレの逆境を生き延びた時の勢いというか、吊り橋効果のようなものだったのだろう、と思うことにした。
ところがそうやって自分の中で決着を付けようとした矢先に更にもう一度関係を持ってしまったのだ。
とある街に宿泊した時、その街の名産である酒が大層うまかったのだ。
いつもの分量を忘れてもう一杯もう一杯と酒が進み、ついには記憶が飛んでしまった。そして目が覚めたらベッドにいて横にスイが寝ていたという寸法だ
スイが言うには酔っ払ったノーケンが自分を強引に部屋に引っ張り込んだという事だったが、途切れ途切れの記憶の中ではスイが笑いながら自分の手を引いている場面が思い出されたので妙だと思った。
あと、素面だったスイを泥酔状態の自分が力ずくでどうこうできるはずはないのだが……。
しかし過去に負い目があるノーケンはとにかく謝るしかなかった、スイは食事を奢らせる事で許した、微妙に納得がいかなかった。







 「おい」
イビキと寝言とベッドの軋みに紛れて上のベッドから声が聞こえた。
目を開けるとスイが上から長い髪を垂れ下げながら逆さになってノーケンのベッドを覗き込んでいた。
「どうした」
「胸騒ぎがする」
瞬時にあの夜襲の日が頭をよぎった。
「どういう事だ」
険しい表情になったノーケンは身を起こした。
「……胸騒ぎがするってだけだよ、原因も何も知らねえよ……ただ明日の魔物討伐はいつも通りにはいかねえかもな」
それだけ言ってスイは上に引っ込んだ。
ノーケンはベッドであぐらをかいて考えた。
「魔物討伐」という名目の作戦は何度も行われているが、実際のところ討伐するというより追い払うのが目的である事を何度も参加しているノーケンは知っている。
理由は単純なもので魔物が余りに強すぎるからだ、実際に戦力で対抗するには人間側に勇者がいなくては話にならない。少なくとも傭兵の寄せ集めではどうにもならないのは明白だ。
では何故討伐の名目で傭兵達を集めるのかと言うと抵抗の意思を見せる事が目的だ。
前線に立つ者ならば誰もが知る事だが現在の魔物は「魔物娘」となっており、人間の殺傷を非常に嫌う。
なので敵わずとも何度か攻撃を繰り返すと魔物娘の方から退いてくれるのだ、もしくは傭兵側から被害者……詰まるところ「婿」を一定数確保すれば大人しくなる。
生贄を差し出すような作戦だが教団の絶え間ない活動を民衆にアピールするために必要な事であり、また傭兵にとってもうまく立ち回って魔物に退いてもらえれば血を見る事もなく報酬にありつける作戦と言える。
だから昼間に気勢を上げる傭兵を見てスイは「初々しい」と評したのだ。
(……今回はこれまでと違うという事か?)
二人は今までその魔物討伐でうまく立ち回ってきた。しかし今回もうまくいくとは限らない。
だがそういった不安定な要素は傭兵を職業にするならばずっと付き合わなくてはいけない要素なのだ、危険を恐れていては食っていけない。
しかしスイの勘は非常によく当たる、という事は……。
(……ええい、知らん、参加しちまったんだからもう外れる事はできん、当日気を引き締めて当たるだけだ)
ノーケンは答えの出ない考えに頭を回すよりも睡眠時間を優先した。







 「お前の勘は本当によく当たるな……」
「うるせえよ……当たって欲しくねえ時ばっか当たりやがって……」
二人は木の幹に腰掛けて息を荒げている。
憎らしいくらいに前夜に予感した通りだった。今回は相手の魔物娘が本当に本気だったのだ。
いや、当たった相手が悪かったとも言える。
いつもの討伐対象といえばゴブリンやワーウルフ、ワーキャット、オークなどの野生の魔物達であり、そういった相手は一応人数だけではこちらが上回っている。
しかし今回の相手は正規の「魔王軍」だった。
教団が発見した少数の魔物はその軍の斥候だったのだ。そうして本隊の行軍と突き当たってしまった。
ただでさえ勝ち目のない戦はもはや一方的になった、隊列は先陣を切って突っ込んできた数体のワームの突撃でばらばらに吹き飛ばされ、散り散りになった兵達の「乱獲」が始まった。
次々連れ去られていく傭兵達の中で二人はまさしくあの時のようにがむしゃらに混乱の渦の中を突っ切って脱出したのだ、もっともあの時と違って戦いはせず逃げの一手だったが。
「あー畜生、こんだけ酷い目に遭って稼ぎ無しかよ……」
「ぼやくな、逃げ切れただけ儲けもんだ」
「残念ながら逃げ切れた訳ではないんだがな」
もたれる木の裏側からの女の声が二人の会話に割って入った、二人は素早く木から飛び退いて剣と槍を向けた。
幹の裏から一人の女がゆらりと姿を現した。
黒い鎧を纏い、長剣を手にした長い黒髪の女騎士、一見すると人間に見えるが……。
「……デュラハン……」
ノーケンは呟いた。
「ご明察」
その女騎士が応えた。ノーケンの全身にどっと冷や汗が滲み出た。
今まで会ったことのない魔物だ、しかも聞く話によると魔物達の中でも特に戦闘に優れた種族だという。
何よりも今までの野生の魔物とは違うれっきとした魔王軍の兵士。
「見逃して下さいよぉ、綺麗なオネーサン」
槍をゆらゆら揺らしながら場の空気にそぐわない軽い口調でスイが言った。
その言葉にノーケンは我に返る。今のスイの軽口は(呑まれるな馬鹿)というメッセージだ。
(そうだ、怖気付いてどうする、冷静になれ、二対一だ)
「できない相談だ」
言いながらデュラハンは腰に差してあるもうひと振りの剣を抜き、両手に剣を持った。
(……二刀……?)
「オネーサン、二人相手だから剣二本とか短絡的じゃね?」
「……」
デュラハンはそれには応えず二人を交互に見比べた。と、スイの方を見て微かに首を傾げた。
「うん……?お前は……」
デュラハンが口を開いた瞬間ノーケンは密かに地面に潜り込ませていたつま先を振り上げ、土と砂利をデュラハンに向けて蹴り飛ばした。
バオッ
デュラハンは手が消えて見える程の速度で剣を振った。その剣で起こした風圧で巻き上がった土を全てノーケン自身に跳ね返してしまった。
「うっ……!?」
動きを止められたノーケンをフォローするようにスイは音もなくデュラハンに接近し、閃光のような速さでそのつま先を突いた。
デュラハンはひょいと片足を上げてそれを避け、穂先を踏み付けて動きを封じる。
スイの動きが封じられた瞬間に復帰したノーケンがその足を剣で払う。
寸前でデュラハンの剣が地面に突き立てられてその剣を防ぐ、防ぐと同時にすっと体勢を低くした。
直前までデュラハンの頭部があった空間をスイの放った物凄い速度の蹴りが通過した。
そうして体制を崩し、踏み付けが緩んだ隙にスイは槍を引き抜いて手元に戻した。ノーケンも大きく距離を取る。
「なるほど」
こきこきと首を鳴らしながらデュラハンは呟いた。
「いいコンビだ、同時に相手にするのは厄介だ」
「いい事を聞いた、同時は厄介だそうだ」
「オーケー」
構えたまま二人はじりじりと左右に展開し、挟み撃ちの形に持っていこうとする。
デュラハンはどちらにも体を向けずじっと直立不動でいる。完全に二人に左右の側面を取られても動かない。
ぴたりとノーケンが足を止め、スイがもう半歩だけ動いて止まる。
槍の軌道上にノーケンの体が重ならないベストな位置取り。微妙にタイミングをずらして二人が突っかけた。
ノーケンが先にデュラハンに肉薄し、デュラハンの急所ではなく剣を狙って全力で振り下ろす。
デュラハンはノーケンの方に体を向け、剣をクロスさせてその一太刀を受ける。がちん、と火花が散って双剣にノーケンの全体重が掛かる。
音もなくスイの槍がデュラハンの脊髄に伸びる。
寸前で左手の剣に叩き落とされた。同時に右手は角度を付けてノーケンの剣を滑らせて受け流す。デュラハンは背後を見もしていない。
(背中に目ぇあんのかよ!?)
驚愕しながらもスイは猛烈な勢いで突きを繰り出す、ノーケンも動きを止めずに次々斬撃を放つ。
それは演舞のようだった、二人の苛烈な連撃の中をデュラハンは舞を舞うように躱し、いなし、受ける。
これが正規の魔王軍の戦士なのか、とノーケンは戦慄した。
「つっ……!?」
信じがたい事に反撃する余裕すらあったらしい、連撃の隙間を縫うようにして放たれたデュラハンの斬撃がスイの膝を浅く切り付けたのだ。
同時に放った足払いがノーケンの軸足を刈り取る。
コンビネーションが途切れた隙にデュラハンはぐっと溜めの動作を作り、一瞬だけ体の動きを止める。
チャンスだったが二人共が体制を崩されている。
デュラハンの右の剣が渾身の力でもってスイを襲った、スイはいつもの受け流す防御の体勢を取ることができず、槍の中腹で防ぐしかなかった。
ドンッ
剣が発したとは思えない音が森に響き渡り、スイの体を衝撃が走った。
「ーーーー……」
構えたスイの槍は受けた箇所から綺麗に分断され、その服には左脇腹から右肩にかけて袈裟形の切れ目が入っていた。
「……へへっ……何だこりゃ……」
スイは薄ら笑いを浮かべるとカランカラン、と二つになった槍を落とし、ゆっくりと仰向けに倒れていった。
その長い髪が新緑の花弁のように地面に広がった。
「ごっ……」
ノーケンの喉から何かが詰まったような声が漏れた。
「ごおおおおおおおおおお」
直後に詰まったものが取れたように叫びが溢れた。
ノーケンは飛び起きると猛然とデュラハンに斬りかかった、しかしそれは余りに力任せな動きだった、先程までの技術に裏打ちされた動きではない。
デュラハンはその乱雑な剣を躱し、足を払って再度転倒させる。
地面を引っ掻いて立ち上がろうとするノーケンは目の前に突き付けられる剣に動きを止めた。
「ふぅぅーっ!ふぅぅーっ!ぐぅぅっ!貴様っ……貴様ぁ……!」
獣のように息を荒げ、ノーケンは目だけで殺そうとするようにデュラハンを睨む。
「この剣は魔界銀」
その視線を軽く受け流しながらデュラハンは冷静な声で言う。
「斬られても死ぬ事はない」
「……ゲホッ!……ゴホッ!」
「……!」
その言葉を裏打ちするように倒れたスイが体を揺らして咳き込んだ。
それを見てノーケンの目に僅かに冷静さが戻る。
「どちらとも相当に腕が立つからどちらかを夫に迎えたいと思っていたが……むっ」
と、デュラハン目掛けて折れた槍の刃が投げ付けられた。デュラハンは身を翻してそれを躱す。
その隙にノーケンは素早く立ち上がる。
「……ゲホッ……そいつに……近付くな……!クソビッチ……!」
胸を抑えながらスイが身を起こした。
ノーケンは剣を構えてデュラハンを牽制しながらスイの元に移動する。
「平気か!?」
「へ……平気に……見えるか?……クソッタレ、馬鹿野郎……!」
「あー、平気そうだな」
言いながらノーケンはスイを護るように前に立つ。
それを見てデュラハンはすっと剣を下ろした。
「私の入る隙間は無いらしい」
そう言ってぱちん、と双剣を鞘に収めて二人に背を向けた。
「どういうつもりだ……!」
「お幸せに」
そう言い残してデュラハンは自軍のある方角に歩いて行った。
ノーケンはその背中が完全に見えなくなるまで構えを解かなかった。

14/07/26 10:38更新 / 雑兵
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■作者メッセージ
まずは二つの謝罪を(ジャンピング土下座
いきなりBL物を投下してすいません、そして、連載終わらせてないのにまた始めてすいません。
これは前後編でサクっと終わらせます。
こう…TSの魅力に改めて向き合ってみたくなったんです(キリッ

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