はいてないねこ
「えっ？は？」
アトレーはきょろきょろと周囲を見回した。
周囲は森、それは当たり前だ、自分は森に薬草を採りに来たのだから。現に肩から提げている籠には今日の収穫物である青々しい草花が収まっている。
それでもやはりおかしい、ちょっと足元を見ながら三、四歩歩いて顔を上げたらもう森の様子がすっかり様変わりしていたのだ。
まず周囲に生えている植物が見た事のないものばかりだ、深緑だった森林は奇妙な紫や明るいピンクを基調とした色になっている。
そんな中に場違いなほどに真っ青な花が群生していたり蛍光色の怪しいきのこがにょきにょき生えていたり見た事のない果実が揺れていたりするものだから配色的に目に痛い。
途方に暮れて空を見上げて見ればそこに広がっているのは夕暮れにしても度が過ぎる程に赤々とした燃えるような空、昼なのか夜なのかさえわかりゃしない。
「……お、落ち着け、ええと、落ち着け……どこだここ……何で俺は……？」
どうにか状況を整理しようと頭を働かせるが、どんなに考えてもどうしてこんな所に来てしまったのか分からない。
自分はいつも通りの獣道をいつも通りに歩いていただけのはずだ。
さわさわさわ……
嗅ぎ慣れない匂いの風が吹き、奇妙な植物たちが揺れる、アトレーはその風の中、放心状態に陥っていた。
「……ん？」
その揺れる植物の中、一つ風に揺られるのと違う動きをしている物があった。
紫色の木の幹から生えている尻尾のようなもの、いや、まさしく動物の尻尾。それがゆらりゆらりと揺れているのだ。
一瞬木から尻尾が生えているのかと思ったが、どうやら木の影に何かの生き物がいるらしい。
アトレーの体からどっと冷や汗が噴き出た、得体の知れない森の中で得体の知れない生き物に遭遇するだなんてぞっとしない。
薬草採取といってもそんなに深く分け入るつもりはなかったので、自分が持っているのは草を刈るための小さな鎌くらいだ。熊やら狼やらに遭遇したらこんな物では役に立たない。
かと言って急に走り出して木の影の「それ」に自分の存在を気付かれたらそれこそお終いだ。アトレーは身を固くしてじっとしているしかなかった。
「……！？」
ひた、とその木の幹を紫の体毛の獣の手が這った、それに続いてすうっと顔が覗いた、位置的にその尻尾の持ち主に違いない。しかしそれは熊でも狼でも見た事の無い化け物でも無かった。
女だ、年若く、美しい女の顔が木の幹から半分だけ覗いてこちらを伺っている、長い黒髪の上に猫の耳が生えており、ひこひこと揺れる、合わせて尻尾もゆらりと揺れる。
（……ま……魔物……！？）
アトレーが住んでいるのは親魔物領とも反魔物領とも近くない辺鄙な村だ、そして魔物も出没しない地域である。
なので反魔物領からの「魔物は人を誑かし、破滅に導く邪悪な存在である」という話も、親魔物領からの「魔物は人の良きパートナーであり、素晴らしい伴侶である」という話も両方を耳にしていた。
どちらにしろ村の人々は魔物に遭遇する機会が無いので対岸の出来事という風に受け取っていた。
こうして遭遇するのであればもう少し真面目に魔物に対する対処法を考えておけばよかったとアトレーは思ったが後の祭りだ、こうなっては親魔物領の話が真相であると祈るしかない。
ぐるぐると頭を回転させるアトレーの視線の先で顔半分だけ覗かせたその魔物はじっとアトレーの事を見ている。何が嬉しいのか口元にはずっとにやにや笑いが浮かんでいる。
（……う、うまそうな人間だ、とか思われてないよな……？）
冷や汗を掻きながら思った所で、ひょい、とその顔と尻尾は木の裏側に引っ込んだ。
（……み、見逃してくれた？）
そう思った瞬間、今度はもう一つ手前の木の幹からもう一匹の魔物が顔を覗かせた、やはり半分だけ。
（ふ、二人もいたのか！？）
顔立ちは先程の魔物と同じだが髪の色が違う、鮮やかな紫色をしている、そしてやはり自分の方を見てにやにやと笑っている。
アトレーはとりあえず引き攣った笑みを返した、食べられないためには友好的にした方がいいかもしれないと思ったからだ。
ひょい、とまたその顔は引っ込んだ。
がさ、
アトレーはぎょっとした、すぐ近くの草むらが揺れたからだ。
がさがさっ
その草むらからやはり魔物が顔を出した、顔の上半分だけを覗かせている。
（あっ……同じ魔物だったのか）
その魔物は右半分が黒髪で左半分が紫色という非常に変わった髪の色をしていた、半分ずつ覗かせていたので違う魔物に見えていたのだ。
それにしても一人の魔物だとしたらいったい先程からどうやって移動しているのか、最初に見た木と二回目に出て来た木、それに目の前の草むら、どれもすこしばかり距離がある。
どう見てもそれらの間を移動したようには見えなかった。まるで手品のようだ。
かちこちに緊張しているアトレーの事をやはりその魔物はにんまりと三日月型に歪んだ目で見ている。
がさっ
そして、また草むらの中に身を隠してしまう。
「……」
森の中はしぃん、と静寂に包まれる。アトレーはじっと動かない。
「……行った……のか？」
そう思って気を抜きかけた時。
むにゅぅ
背中に押し付けられる素晴らしく柔らかな二つの感触、漂う甘い匂い、そして。
「 こ、ん、に、ち、は、♪ 」
耳元に生暖かい吐息と共に注がれる甘い声、ベッドで睦言を囁くような吐息混じりの艶めいた声。
ぶわわっ、と、アトレーの全身に鳥肌が立った、それが恐怖によるものなのか正体不明の色香によるものなのかアトレーにはわからなかった。
「おわわわわわわっ！！」
悲鳴を上げて飛び上がり、つんのめって尻もちを付いた。
「くっくっくっくっ」
そんなアトレーの様子を心底おかしそうに魔物は笑った。
尻もちをつきながらアトレーは初めてその魔物の全身を視界に収めた。
紫と黒の色調で整えられた丈の短いドレスのような服、黒と紫半々に染まった髪、片方だけに結えられた三つ編み、ふさふさとした獣毛に覆われた猫の手、頭頂部にひこひこと揺れる黒と紫の耳。
エキセントリックとしか言いようのない姿だった、しかし不格好ではなくそれが奇妙に様になっている。
「驚かせてごめんよ、異邦の人……くっくっく……驚かせるのがぼくの趣味なもので……」
そう言うと魔物は大仰な仕草で両手を広げ、いまだにへたり込んだままのアトレーの前で優雅に一礼してみせた。
「ようこそ不思議の国へ……異邦の人よ、歓迎しよう」
アトレーには何が何だか全然わからなかった、わからなかったがとりあえずちょうど目の前にある丈の短さによって晒されている眩しい太股に見入り、あれは下着を履いているのだろうか？などとどうでもいい事を考えていた。
「まずは自己紹介、ぼくの名前はヤー・ヤァーと言う」
「や、やー……何？」
「ヤー・ヤァーだ、最初がヤーで最後がヤァー」
「わ、分かり辛い……」
「よく言われるとも、言いやすくヤヤ、と呼んでくれたらいい」
「お、おう」
「キミは？」
「えっ？」
もふもふの腕で腕組みをしながらヤヤは小首を傾げる。
「ぼくが自己紹介したのにキミはしないという道理はないんじゃないかな？」
「え、あ、おう、俺はアトレー……アトレー・キンブルだ」
「うん、いい名前だ、平平凡凡としていて覚えやすいね」
「貶されてるのか俺は」
「褒めてるとも」
アトレーは肩を落とした、遊ばれているようだ。
「くくくっそれじゃあ、とりあえずキミが何を考えているか当ててあげようか？状況を説明して欲しいのと、あと、ぼくが下着を履いているのかいないのかが気になっていると見た」
「ぜ、前半は合ってるけど後半は違う！」
実は図星である。
「じゃ、選んで、説明を受けるか？ぼくの下着を確認するか？」
「えっ？……………せ、説明して欲しいに決まってるだろう！？」
「間が開いたね～～～～～～」
「うるさい！」
「それでは、要望にお答えして説明して差し上げましょー」
そう言うとヤヤはすっとその豊かな胸の谷間に猫の手を差し込んだ、唐突なその行為にアトレーはびっくりして赤面する。
すぽっ
「ええ！？」
引っこ抜くとその手には殴れば人を殺せそうな分厚さの辞典のような本が乗っていた、どうやって出したのかどこに収まっていたのか。
アトレーは口をぽかん、と開けるしかできない。
「えーーーーーっと、どこから説明しようか、まずは君がいるこの「不思議の国」についてだね」
猫手で器用にぺらぺらとその本をめくりながらヤヤは言い、これまたいつ取り出したのかわからない眼鏡をすちゃ、と装着する。
「まず、この国の成り立ち……」
「す、すまん」
「うん？」
「長くなりそうか？」
「そんなでもないよ、ざっと三時間くらい」
「もう少し手短にできないかな」
「せっかちさんめ」
「どんだけ気長な奴でも文句言うと思う」
「しょうがないにゃあ」
大げさな溜息をつくと眼鏡と巨大な辞書をすっと胸にしまった、どうやってるんだか全然わからないがしまった。
「ここは魔王の三女、「ハートの女王」様が作りだした世界……！君は幸運な事にたまたまそこに迷い込んだんだよヤッタネ！」
「絶望しかない！」
アトレーは膝をついて頭を抱え込んだ。
「どうしてだい？」
「魔物の世界に迷い込んだだなんて……！戦士でも勇者様でもないただの田舎者の俺がどうして！？もう、魔物にばりばり食われる未来しか見えないじゃないか！」
「まあ、確かにこのあたりの魔物はとても男に餓えている、下手に遭遇したらそれこそ骨の髄までぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろされてしまうところだったろうね」
「そんなにも！？」
「だがしかし安心するといい！ぼくらチェシャ猫に最初に遭遇したならば話は別、チェシャ猫はこの世界に迷い込んだ人々の案内をする役割を担っているのさ偉いだろう褒めて」
「……」
「褒めて」
「えらいえらい」
「くくくっ、そうだろう偉いだろう、よってキミの安全は今のところは保障されている、安心して案内されるがいいさ！」
「いや、案内とかより俺、帰りたいんだけど……」
ヤヤはきょとん、とした顔になる。
「どうしてだい？アリスにもうさぎにも頼らずに自力でこの国に迷い込む確率はひじょーに低い、折角だから観光の一つもしてやろうと言う気にならないかな？」
「ならないよ！俺はただ平和に薬草を採取して平和に家に帰って平和に暮らしたいだけだ！そもそもお前の話が信用できるかどうかもわからんし……」
「あ、何だい？キミはあれかい？こう……」
くるりとその場で一回りすると何時の間にかヤヤは張りぼての兜を被り、同じく張りぼての剣と盾を手にしていた。
「オノレー！ダマサレナイゾー！ジャアクナマモノメー！……みたいなそういう頭固い系の人？」
ぽい、とそれらを捨てて聞いて来る。いちいち手の込んだリアクションだ、そしてこれらの小道具はどこから持ってきているのか。
「ぶっちゃけ言うとそうだ、お前が言葉巧みに俺を誘い込んで食い殺そうと考えていないという保証はどこにもないからな」
「んもぉーぅ……困ったちゃんだナー、ぼくは親切心で……」
「近寄るんじゃない」
歩み寄ろうとしたヤヤは足を止める、アトレーの手に草刈り用の鎌が握られていたからだ。
「こんな所に来ちまった時点で詰んでるかもしれないが……た、ただの百姓だって舐めるなよ！」
ヤヤは気付く、アトレーの追い詰められた表情に、鎌を握る手が震えている事に。
「……」
と、ヤヤの釣り上がっていた口角が下がり、ぴんと立っていた耳がぺたん、と横になった。
（えっ？）
ヤヤは俯いたまま猫手で器用に指をぱちん、と鳴らした。
その瞬間、さあっと視界が晴れるように森の様子が変わった、いや、迷い込む前の緑色の森に戻っているのだ。足元を見てみるといつもの獣道の上にいる事がわかった。
「さぁ、これで元通り」
「え？……あ、ああ、ありがとう……」
てっきり逃してもらえないとものと思っていたアトレーは意外そうに周囲をきょろきょろ見回す。
「怖がらせちゃってたみたいだね、ゴメンナサイ」
ぺこ、とヤヤは頭を下げる。
「え？あ、いや」
「そうだね、キミから見れば尻尾や耳やこんな手が付いているぼくなんて醜くて恐ろしいだろうね……時間を取ってごめんね、さようなら、気を付けて帰って……」
寂しそうに笑うとヤヤは手をぱたぱたと振り、背を向けて森の奥にとぼとぼと歩き始めた。
しゅーん、と肩は落ちており、耳はぺったり寝たままだ、ついでに尻尾は完全に地面に付いてしまっており、ずりずりと引き摺られている。
「あー……あー、おほん、ごほん！……しかし、あれだな……近頃同じ事の繰り返しな毎日に飽きて来た所も無きにしもあらずだな」
ぴく、とヤヤの耳が反応して立ち上がる。
「たまには刺激も欲しいと思ってたところだし、そうだな、どこかいつもと違う所を散歩してみるのもいい、か、も」
「にゃりぃぃぃぃん！」
ぴょいーん、と重力を無視したような跳躍でヤヤはアトレーの目の前に戻って来た。
「わー！」
「やだねえもう、行く気満々なんじゃないさこのすけべ」
「すけべって何だ！あと一々非常識な動きをするな心臓に悪い」
「しかしいいのかいぼくを信用して？邪悪な魔物がキミを騙して頭からばりばりしちゃうかもしれないゾー？」
へんてこな狼の着ぐるみのマスクを被るとがおー、と脅して見せる。
「あのまま帰られたらなんか悪い事したみたいで後味悪いだろ……女の子を悲しませるなってばっちゃも言ってたし」
「……女の子？」
すぽ、とマスクを外してヤヤは首を傾げる。
「どこからどう見ても女の子だろ？それと自分の事を醜いだなんて言うなよ、あんたは俺が今まで見たどんな女よりも別嬪だ」
これは嘘偽りの無い本心だ、辺鄙な場所に暮らすアトレーはそんなに目が肥えているつもりはないが、少なくとも一度だけ行った都で見たどんな女よりもヤヤは綺麗な顔立ちをしているし、スタイルも……。
思わず視線を下ろしそうになって目が泳いだ。
「……」
ぽろ、とヤヤの手から狼の着ぐるみが落ちる、目をまんまるに見開いて棒立ちになってしまった。
「何だ、どうした？」
シュッ！
「え？」
次の瞬間、何か桃色の細い物体がアトレーの顔の横をすごいスピードで通過して行った。
すこーーーーーん！
「に ゃ あ あ あ あ ん ♪ 」
「ウワーーーーー！」
矢だった、桃色のハートを模した形状の矢がどこからともなく飛来してヤヤの豊かな胸のちょうど真ん中に突き刺さったのだ。
ヤヤは矢を抑えてこてん、と仰向けに倒れる。たまげたのはアトレーだ、慌ててヤヤに駆け寄る。
「何だー！？どこからー！？教団か！？し、しっかりしろー！しっかり……あれ」
見てみると刺さっているはずの矢は無くなっていた、周囲を見回してもどこにも落ちていない。手をどけてみても傷跡も何も無い。
ヤヤは自分を抱き起こすアトレーの顔を見上げていた、目が爛々と輝いて先程よりも倍増しのにやにや笑いがその口に浮かんでいる。
「不意打ちだったよ今のは……くくく、決めたぞ、キミはスペシャルコースにご案内だ！」
「け、怪我は？」
「にゃい！この通り元気百倍！」
びょいん、とアトレーの腕の中から跳ね起きた。
「あ、ああ、そりゃあよかった……何だったんだ今の」
「さて！さてさて！それではご案内いたしましょう不思議の国観光永住コース！このヤヤがナビゲートを勤めさせていただきます！」
「……張り切ってんな……というか、何か、不穏な単語が聞こえたんだが、えいじゅうって」
「さあ！入口はお客様のすぐ後ろ！」
「えっ」
言われて思わず振り返るとそこにあったのは普通の木に混じって一本だけピンクに近い紫色をした木、あの不思議の国の木だ。いつのまに生えたんだかわからないがずっと前からそこにありましたと言わんばかりに根を張っている。
木は巨木と言えるほどに大きく、その幹に丁度人一人が入れそうな洞が空いている。
むにゅぅ
と、胸にふさふさの猫の手が回され、背中に本日二度目の素晴らしい感触。
「れっつごー☆」
「れっつごーって、わあああああああ！」
その細腕からは想像できない力で抱え上げられると、ぶおーん！と不思議の木の洞の中に力一杯投げ入れられた。
洞の中に飛び込んだアトレーの姿は影に掻き消されるように消える。
「そおれ☆」
ヤヤもその後に続いて洞の中に飛び込んで行った。
二人がいなくなった森に残されたのは違和感たっぷりに存在している紫の巨木。
しかしその木も掻き消えるようにして消えて無くなってしまった、まるで最初から存在していなかったかのように。
・
・
・
「あああああああ！」
アトレーは暗闇の中を落下していた。
ヤヤに木の洞に放り込まれてからあり得ない時間を落下し続けている。多分、地面に着いたら死ねる。
（短い人生だった……！親父、お袋、すまない、俺は逝く……！）
「やっほーい」
走馬灯を見ていると呑気な声が聞こえた、ぎょっとして見てみるとヤヤが自分と同じように真っ逆さまになりながらこちらに手を振っている。
「やっほーいじゃねぇ！このまま行ったら死んじまうぞ！？」
「だーいじょうぶ！ぼくの手に捕まって！」
そう言ってヤヤはその猫の手を伸ばしてきた。
（猫の手も借りたいとはこの事か、いや、ちょっと違うか）
妙に呑気な事を考えながらアトレーは手を伸ばしてヤヤの手を掴んだ。
ふかっ
（あ、気持ちいい）
触れてみると、肉球の絶妙な柔らかさと獣毛のふかふかさが合わさって非常に手触りがよかった。
ヤヤはぐい、とアトレーを引き寄せて空中で肩を組む、こんな事態であっても美人に密着されるとどきどきするものなのだとアトレーは知った。
「ほーら、見えてきた」
ヤヤが上（つまり下）を見ながら言った、つられて同じ方向を見てみると暗闇の中に星が見えた。
「ほ……星？足元に？」
何も見えない真っ暗闇だった世界に一番星のようにぽつん、と光が見えた。
と、見る見るその星が大きくなって来た、どうやらその光に向かって落ちて行ってるらしい。
ごう
「うっ……！」
全身に猛烈な風を感じながら一気にその光に飛び込む、急激に眩しくなってアトレーは目を閉じる。
「うおっ！？」
開いた目に飛び込んできたのは、赤い……屋根
咄嗟にヤヤを抱きかかえて庇おうとする。
どがらがっしゃー！
「ぬわわわわわ！」
派手な音と共に全身を衝撃が襲い、上下の感覚が消失する、が、落下した距離からすると予想した程でもない。
「ん、んぐ……むぐ……ふぐ？」
そこかしこが痛むがとりあえず大怪我はしていないらしい、しかし目が見えない、というか何か柔らかくて温かくていい匂いのするものが顔に乗っている。
むにゅむにゅ
覚えのある感触だ、ちょっと前に感じた事のある……。
「んぐぐ！ぷふぁ！」
「あんっ♪」
必死で肩を掴んで引き離し、ヤヤの豊かな谷間から脱出した。
「ちょっ……ちょっ、どいてくれ！色々危ない！」
仰向けに倒れるアトレーの上にヤヤがのしかかっている状態になっていた、胸以外にも柔らかなアレやらコレやらが密着してとても危険だ。
「くふふ」
ヤヤはすぐにどこうとはせずに下になったアトレーの顔をにやにやしながら覗き込む。
「庇ってくれたね、ありがと」
「いや、まあ、うん、それはいいから早くどいて……」
と、アトレーが言い終える前にふい、とヤヤの姿が目の前から消失し、体の上から重みが無くなる。
「あっ……」
どいてと言っておいて何だが急に腕の中からいなくなった事に寂しさを感じる。
そこで初めて周囲を見回す余裕ができた。
倒れたまま首を巡らせて見てみるとどうやら突入した家はパン屋か何からしく、ショーケースに見るからにおいしそうな色のパンが沢山並べられている。
どうやらうまいことショーケースのない箇所に落ちたようでパンを下敷きにしてしまった様子は無い。食べ物が台無しにならなくてよかった、と咄嗟に頭をよぎる。
天井を見上げると見事に穴が開いている……なんというか、型抜きでもしたように綺麗な人型の穴だ、普通そんな開き方するだろうか。
「いらっしゃい」
「あ……す、すいません、お店壊しちゃっ……」
かけられた声に慌てて起き上がり、謝罪をしようとしたアトレーはかちん、と動きを止める。
「気にしなくていいとも、それより、パンはいかが？」
「……」
声を掛けてきたパン屋はパンだった、文章にすると完全に意味不明だがそうとしか言いようがない、コック帽を被った人間大のフランスパンに手足が生えているのだから。
「……あの……ええとその……お金が……なくて……ですね……」
停止しそうになる思考を何とか動かして返事をする。
「はっはっは、お代なんて取らないさ、ここは不思議の国だからね」
フランスパンは愉快そうに言う、どこから声を出しているんだろう。
と、そのフランスパンさん（仮）の背後からひょこ、とヤヤが顔を出した。
「不思議の国の物価の基準は人間の世界とは違うからねー、店に並んでるものでもついてたりついてなかったり？」
言いながら後ろにある棚からパンを一つ取り、ぽいとアトレーに投げてよこす。
受け取ると手の平に丁度乗るサイズのそのパンはこんがりと焼き色が付いており、見た目よりも重みがある。
「……」
確かにうまそうだが、これを果たして口にしていいものか？
「くくくっ毒なんか入ってないぞ？」
そんなアトレーの考えを読んでいるのかヤヤはいつの間にか目の前に立っていた。
「ほおら……」
パンを持つアトレーの手にふに、と肉球を添えて顔の高さまで持ち上げる。
「あ～～ん♪」
「あ……」
大きく口を開けてみせる、鋭く尖った八重歯と真っ赤な舌が覗く。アトレーは何故だかどきどきしながら合わせて口を開けてしまう。
「あむ♪」
「あむ」
パンにかぶりつく、ヤヤも反対側から一緒にかぶりつく。
そんなに大きいパンではないので鼻先が触れ合うくらいに顔が近づく。……本当にすごい美人だ。
「んっ！？」
柔らかな生地の中には何か甘いジャムらしきものが入っていた、予想してなかったので口の端からこぼれてしまう。
「むぐ、むぐむぐ」
「んー、んふふ」
慌てて咀嚼する。見るとヤヤも口の周りをべたべたにしながらほっぺを膨らませてもぐもぐしている。
「んぐ、な、何か入ってるなら先に」
「くふふ、ついてる」
やにわに顔を近づけるとざらざらした舌でペロペロと口の周りを舐め始める。
「わっわわわわわ！？やめれ、やめれ、猫かお前はー！？」
突き飛ばそうと両手を突き出すとスカ、と空振りした。
どこに行ったのかと見回すといつの間にかパン棚に背を預けて手についたジャムをぺろぺろと舐めている。
「ぺろ、猫だとも♪」
「ははは、お熱いことですな」
フランスパンさん（仮）は体を揺らして笑っている、多分、笑っているものだと思われる。
「お熱いとかそんなんじゃ……ん、え？あれ？」
ふと気付いて見上げてみると天井に開いていた穴がいつの間にか塞がっていた、最初から穴など開いていなかったかのように。
「えちょ、何で？俺さっきここから……あれ？」
「だから言っただろう？気にしなくていいと」
ぽんぽん、とフランスパンさん（仮）が肩を叩く、いい人、いや、いいパンである。
「おやつも食べたし、ちょっとこの辺りを案内しようか？」
「あ、ああ、うん……」
畳み掛けるように起る非常識な事態に半ば思考停止に追いやられながらアトレーは店を出ることにした。
・
・
・
ドアを開けてアトレーは初めて都を訪れた時のようにきょろきょろと周囲を見回した。
「……すごい」
パン屋からしてそうだったが、常識の通じない世界であるに関わらず街並みはとても綺麗だった。
白を基調にした家や店は赤や青のカラフルな色彩に彩られ、どこも薔薇の花や百合の花、今まで見たこともないような花で飾られている。
しかし見上げてみると街道を飾る魔力街灯はキノコの形をしており、そこかしこに何の宣伝かさっぱりわからないシュールな絵の広告がべたべた貼り付けられたりしている。
そして最も違和感を感じるのが通行人。
「ぶひ、ぶひぶひぶひ」
「がぁー、がぁーがぁー」
「……」
目の前を通り過ぎていくのは赤い服を着て二本足で歩く豚と青い服を着て歩く鴨。普通の人間らしき人や魔物娘に混じって何だかよくわからない人々（？）が歩いている、これが普通の光景らしい。
「どう？綺麗なところでしょ？」
「…………そうだな」
何とコメントしていいものか分からなかったのでそう答えた。
「ふふ、それじゃあ行こうか」
そう言ってすっとそのふさふさの腕を絡めてきた。
「おいちょっ」
「はぐれたら危ないゾー？」
「いやそれにしても」
「嫌？」
「嫌って訳じゃ……」
「じゃあいいじゃないか♪」
にやにや笑うとぎゅーっと身を寄せて来る。
むにむにと押し当てられる膨らみ、二の腕から先のもふもふと肩のすべすべした素肌の感触、そしてぷにっとした何とも言えない肉球の弾力が腕に心地いい。
（くっそぅ……事あるごとに密着しやがって、押し倒して男の怖さ教えてやろうかこの……？）
アトレーは自分の考えにぎょっとする、自分は何てことを考えているのだろう。いや、ヤヤのたび重なる挑発的な態度に性的な意味でいらいらさせられてはいるが自分はこんなに乱暴な考えを抱くような性格だったろうか。
「今、キミの考えがわかったぞ」
気付くとヤヤのにやにや笑いが間近でアトレーの顔を覗き込んでいた。
「いやらしい事を考えただろう」
「そ、そんな事は……」
「いいや、分かるとも、ぼくを犯したいと思ったね？」
「馬鹿言え、確かに美人だとは言ったけど……」
「嘘はよくないねぇ」
「だからっ……！？」
急にヤヤの手が伸びて来てぐい、と頭を引き寄せられる。
「ぼくをめちゃくちゃにしたいと思ったろう？」
耳にキスをするかという程に口を近付け、吐息を注ぎ込むように囁く。
「押し倒してこの中途半端な長さのスカートを無理やり捲り上げてぼくの……誰も使った事のない未使用おまんこに」
くちゃ、と唇を舐める音が間近で聞こえた。
「ずっぶぅぅぅぅぅってぶちこみたいんだろう？ぼくの余裕ぶった表情を引き剥がして泣き顔にしたいんだろう？おナカの中のヒダヒダをその立派な雄肉で捲れあがるほど擦りたいんだろう？」
物理的な粘度を伴っているかと思う程のねっとりした淫声が耳を犯して来る。
ヤヤの手がアトレーの手を取り、自らのほっそりした腰に触れさせる。
「この腰の括れの部分何て言うか知ってるかい？ラブハンドルって言うんだよ、セックスをする時にここを掴んで動かすからさ、掴みたいだろう？ここを掴んで思い切りずん、ずん、ずん、ずん、ずん、ずん、ずんって突きたいだろう？」
無意識にアトレーは掴まされた腰を強く掴んでいた、服に皺が出来る程に。
「そうやってぼくの子宮口に亀さんの頭でちゅっ♪ちゅっ♪ちゅっ♪ちゅっ♪ってキスするんだ、ぼくはいやいやするけどそれは嘘なんだ、本当は心の底から孕みたい孕みたい孕みたいって思ってるからヒダヒダできゅうきゅう締め付けて早く出して射精して射精してってオネダリしちゃうんだ」
「～～～～～～っっっ」
「そうして限界を迎えた二人は「ややややややややめろぉぉぉぉ！？」」
必死に話に割り込んでヤヤを突き離そうとする。
スカッ
またも空振りする感覚。気付けば傍にヤヤの姿はなく、ぜえぜえと息を乱すアトレーだけがいた。
「ひとつ下さいなー」
「ハイヨー」
どこに行ったのかときょろきょろと周囲を見回すアトレーの背後からヤヤの声が聞こえた。
これまたいつの間に移動したのかヤヤは露店の前に立ってに何かを注文している。
目に鮮やかな黄色い看板、その下に積まれたレモンらしき果実の山、その横に置いてある大きな瓶には蜂蜜が入っているらしい。その蜂蜜が関係あるのかどうかわからないが店員はどこからどう見ても熊である。
振り返ったヤヤの両手には白っぽく濁った液体で満たされた透明なカップが二つ。どうやらレモネードらしい。
「やあ、喉が渇いていないかい？よければどうぞ」
「はあ……はあ……はあ……お、お前……」
「うん？いらない？」
そう言ってヤヤは片方のカップに口を付けてこきゅこきゅとうまそうに飲み干す。
「ふぅーい、いらないならもう一杯もぼくが貰っちゃおうかな」
「……」
アトレーは黙ってヤヤの手からカップをもぎ取り、よく冷えたそれをごくごくと一気に煽った。レモンの爽やかな酸味とほのかな蜂蜜の甘味を感じる、うまい。
「ふぅーーー」
少しは体に籠っていた熱が下がった気がする、限界まで張りつめた陰茎は収まらないが……。
「じゃ、行くとしようか♪」
ヤヤは先程の事などなかったかのようにまたアトレーの腕を取って歩き始める。
アトレーは先程の出来事を蒸し返すのも何か藪蛇になりそうな気がしたので黙ってヤヤに引かれるがままについて行った。
・
・
・
「図書館？」
「そう、図書館」
「ほおえええ……」
アトレーは目の前にそびえ立つ見たことのないくらいに巨大な建造物を見上げて妙なため息を漏らした。
全体にカラフルな色合いが多いこの世界には珍しく、その巨大な長方形の建物は落ち着いた茶色の大理石のような鉱物で出来ており、数えるのが馬鹿らしくなるほどの窓が規則正しく並んでいる。
「しかしその……この建物って……」
「なんだい？」
「バランス悪いっていうか……よく立ってるなこれで」
ずっしりとした印象の色合いとは裏腹にその胴体からは枝分かれするようににょきにょきと同じく大理石の建物が生えている。
中には先端に大きな建物がくっついており、根元からポッキリ折れてしまうのではないかと不安になる構造の箇所もある。
全体に見ると出来の悪いクリスマスツリーみたいなシルエットだ。
「本が増えるたびに増築してたらあんな風になったらしいねぇ」
「もうちょっと考えて増築しろよ……見てて不安になるよこの建物」
「くくくっ、大丈夫、女王様がこれで大丈夫って言ったら大丈夫、そういう世界」
「……そういうもんか……」
呆然と見上げながらアトレーは納得するしかなかった。
しかしその建物のふもとに着いた時には納得いかなかった。
「……今、大掃除かなにかの最中？」
「してないよ？」
「いや、だっ……これ……！」
アトレーが指差す先には規則性なく置かれている本棚、どれにも本がぎっしり入っている。
まだ図書館に入ってはいない、屋外である。
「雨降ったらどーすんだ！？」
「降らない降らない」
「降らないって……ああ、女王が降らないったら降らないのか」
「そうそう、わかってきたじゃないか」
「わかってきたっていうか、突っ込むのが馬鹿らしくなってきたっていうか……」
「くふふ、中にはもっと沢山あるよ？」
そう言って木のように立ち並ぶ本棚とそれを立ち読みする人やら魔物やらモノやらの間をすり抜けてようやく入口に辿り着き、図書館というよりは城門といった風情の豪奢な入口を潜り抜ける。
「うぅぅぅええええ」
溜め息を通り越して声を上げてしまう、建物の構造は吹き抜けになっており、見上げると冗談抜きで上の方が霞んで見えない。
そしてどの階層の本棚にもぎっしりと本、本、本、本。
「なんだこれほんともう……なんだこれ……」
「すごいだろう？何冊あるのかは誰にもわからないんだ」
「そりゃあそうだ、誰が管理するんだこんなもん……」
「こほん」
ふと、横から咳払いが聞こえた。
入ってすぐの景観に圧倒されて気付かなかったが、入口の横には受付らしき場所が設置されており、そこに褐色の肌と艶やかな黒髪と獣毛を有した獣人が立っていた。
シャープな印象を受ける引き締まった顔に銀縁の眼鏡を掛けており、同じ獣人でも奔放な印象のヤヤとは全く違った印象を受ける。
「不思議の国と言えど、図書館ではお静かに願います」
「す、すんません」
「それと、今の話を少し訂正させていただきますと全く管理がなされていない訳ではありません、女王様に任せていてはどこにどの本があるのやらさっぱり分からなくなりますので私のように雇われた魔物達によって一応の管理がなされているのです」
「な、なるほど」
この国に来て初めてまともに話す人……魔物に出会った気がする。
「やあ、ごきげんよう、パグは相変わらずお固いなぁ」
「お静かに、願います、ヤヤ？」
「はぁいはい」
二人は知り合いらしい。
「そちらの方はここにいらっしゃるのは初めてですね……？」
「あ、はい……ええと、アトレー、です……」
「アトレー様、ですね？初めまして、この図書館の第一棟、医療、科学、魔道部門のＡ～Ｃ、あ～うの管理を担当させていただいているパグンナムと申します、これら以外の本棚の情報は恐縮ですが、その本棚の管理者にお問い合わせ下さい」
「はい……」
理路整然とした話し方で何だかこっちまで固くなってしまう。
「許してあげてね、パグは優秀で遺跡から引き抜かれて来たアヌビスなんだけどご覧の通りお固くてね、お陰で旦那もまだ見つからない始末……おおっと」
わざとらしく口元を覆って見せるヤヤ、絶対零度の視線を向けるパグンナム、冷や汗をかくアトレー。
「……館内での閲覧は自由になっております、貸出の際は本棚の管理者に声をおかけになって下さい」
「あー、わ、わかりました、それじゃあ俺はちょっと……」
この二人と一緒にいてはまずい気がしたので早々に退散しようとする。
「アトレー様、後一つ注意事項を」
「は、はい？」
「館内での行為の最中もお声は控えめになさいますよう、また、本などをお汚しにならないようお願い致します」
「はい……はい？」
「くふふふふっ」
ヤヤは心底おかしそうに口元を抑えて笑った。
「よくわかってないみたいだよパグ、教えてあげなよ仔細に事細かに」
「……コホン」
パグンナムは咳払いをして眼鏡をクイ、と持ち上げた、何やら頬が赤らんでいる。
「交尾の事です」
「こっ……うん？こう……なに？」
聞き違いかと思って聞き返す。
「性行為の事です、そういった事も禁止されてはいませんが、程々に、という事です」
「せっ……何を言うんだ！？何で図書館で」
「しーっ、アトレー、しーっ」
ヤヤに注意されて慌てて声を潜める。
「誰もそんな事する訳ないだろ……！なんだその注意事項」
「ここは不思議の国ですので、どこであってもつがいとの交わりを禁ずる権利は誰にもありません」
「そんな無茶苦茶な……」
「お気持ちは察しますが御理解の程をお願いします、ここは魔界よりも節操のない不思議の国、それが「普通」なのです」
「……そ、そういうもんなのか……」
怜悧な視線で射竦められながらそう言われるともう、そう言うしかなかった。
「まあ、そんな事言われても俺は相手なんか……」
ふと見てみるとヤヤがニヤニヤしながらふりふりと尻尾と腰を振って見せている。
「いないから関係ないし……」
顔を赤らめてヤヤから目を逸らしながらぼそぼそと言った。
「とりあえず見て回ってみてはいかがでしょうか？中々他では見られない本も沢山ありますよ」
「くくく、好きな分野を見てるといいよ、ぼくも好きなのを見てるから」
「お、おう……いや、しかしこんなに広い所、迂闊に彷徨うと迷いそうなんだが……」
「そろそろ出たいと思ったらぼくの名前を小声でいいから呼んでくれたらいい、すぐに飛んで行って出口まで案内するよ」
「そうか……わかった、それじゃあ後でな」
何だかんだで気の遠くなる量の本には好奇心を刺激されていたらしいアトレーは受付を後にして広大な知識の海へと踏み出して行った。
「……ようやく、でしょうか？」
「何がかな？」
アトレーの後ろ姿を見送った二人は話し始める。
「貴方は意外に選り好みするタイプですからね……案内を勤めても他に投げるばかり、自分から手をつけようとしたのは初めてでは？」
「んふふー……」
ヤヤは受付に肘を着いて上機嫌そうに尻尾を揺らした。
「あんなにしゃぶってやりたいって思った人は初めてだねぇ♪」
「……こほん」
パグンナムはくい、と眼鏡を上げた、どうやら恥ずかしいと感じた時の癖らしい。
・
・
・
「知っておきたい応急処置知識」「人体の構造」「ストレス生理学」「治癒魔法運用術」
アトレーは長い長い本棚に並べられている本のタイトルを横目に眺めながら歩いて行った。
（……ここらは医療関係か、俺の興味のある分野って言ったら……うーん、なんだろな、もうちょっと面白そうな……）
ジャンルの欄を見ながら紙の匂いと紙のめくれる音の中をアトレーは進む。
「あっ」
目に止まったのが「冒険小説」の欄。
（もしかして……）
本のイニシャルを辿って行く。
（あった！）
「勇者ボルゾイの戦い（Ⅰ）ボルゾイの旅立ち」
幼い頃に家の倉庫を探検していて見付けた本があった。
「勇者ボルゾイの戦い（Ⅲ）バングル国境撤退戦」
夢中になって読んだのだが、残念な事にシリーズ物であるに関わらずその一巻だけしかなかった。
話の前後を知りたかったが村には本屋などないし、たとえ都で見付けても高価な本を買う金などなかった。
これ幸いとアトレーは並んでいた勇者ボルゾイシリーズ五冊全巻を抱えて座れる場所を探した。
図書館の中にはいたる所に椅子や長テーブルが設置されており、読書場所には事欠かない。
アトレーは近くにあった適当な長テーブルに本を置いて椅子に腰かけた。
（おおっ）
椅子のふかふかした座り心地の良さに驚きつつ本を開き、テーブルに設置されているほの明るい魔力灯の灯りに照らされる文字に見入った。
アトレーはたちまち冒険の世界に没頭して行った。
・
・
・
「ふぅ……」
（面白かったぁ……）
長時間の同じ姿勢で固まった体をぽきぽき言わせながらアトレーは伸びをした。
田舎に住む人間にとって本は高級品、五冊も一気読みするというのは中々贅沢だ。
「……んっ……んんぅ……」
（うん？）
と、所々を読み返しながら余韻に浸っていたアトレーの耳に微かな声が届いた。
顔を上げて見てみると自分の座る斜め前の席で一組の男女が本を読んでる。
一見すると兄と幼い妹のように見えるその二人は小柄な妹が兄の膝の上に座って本を読んでいる。
先程の声はその少女が漏らしたものらしい。
「……？」
不審に思って見ているとどうも様子がおかしい、その少女は本に視線を落としながらも集中できない様子でずっともじもじしているのだ。
幼いながらも整った顔は元は絹のように白いのだろうが、今は風邪でも引いているかのように耳まで真っ赤になっている。
手は本に添えられているが、頻繁に自分の金色の髪をいじったりスカートをくしゃくしゃと握り締めたりと落ち着きが無い。
少女を膝に乗せている男性は眼鏡を掛けた温和な顔立ちの青年だ、一見落ち着いているように見えるがよく観察すると少しばかり息が荒く、顔もやはり赤い。
カタン、
「ふぅぁっ……んぅ……」
また声が漏れた、今度は見ていたからはっきり分かったが、青年が少し腰を浮かすような仕草をするたびに少女は肩を竦めて声を堪えているのだ。
（館内での行為の最中もお声は控えめになさいますよう）
脳裏に蘇るパグンナムの言葉。
（まさか……いやまさか……な）
頭に浮かんだ可能性をアトレーは否定する、まさかこんなに人目に付くところでそんな行為に及ぶはずがない、ましてやあんな年端もいかない……。
「ぅぅぅんぅ……」
青年は後から少女の天使の輪輝く金髪をそっと撫でてやる、それに対して少女はぶるぶると全身を震わせて過剰なまでに反応する。
まさかまさかと思いながらもアトレーはその二人から目が離せなくなる。
と、青年が少女の耳元に顔を近づけて何かを囁いた。
「……っ！」
その声に反応してか、少女が慌てたようにこちらを向いた。目が合った。
大きな空色の瞳は潤み、顔全体に赤味が差している。
アトレーに性的な経験はまだない、しかし何となく察知した、その顔は「雌」の顔、年端もいかない少女が決してしてはいけない表情。
がたんっ
「！！！！っはくっ……！」
と、次の瞬間少女の体がぐんっと下から突き上げられるような動きをした、膝がテーブルの裏にぶつかる音もした。
少女は一瞬目を見開いて大きく口を開け、その口を両手で塞いで本の上に突っ伏した。
「……ぅっ……ぅぅん……ぅっ……」
ぶるぶると全身が震えている、長い金の髪が垂れ下がって表情は伺えないが覗いて見える耳とうなじは真っ赤に染まっている。
青年は人事不省に陥っているらしい少女の下から本を抜きだしてぱたん、と閉じてアトレーの方を見た。
「失礼……」
微笑を浮かべて小声でそう言うとぽんぽん、と少女の肩を叩いた。
少女はぎこちない動きで上体を起こし、真っ赤な顔ではぁはぁと荒い息を吐いた。
そして片足を上げると青年の膝の上でゆっくりと体を時計回りに半回転させ、青年と向かい合う形になる。
つまるところ対面座位の形だ。
「よいしょっ」
そうして少女を上に乗せたまま青年は席を立った。少女は青年の肩に両手を回し、腰に足でしっかりしがみついている。
二人の姿は外から見るとちゃんと服を着ている、しかし先程からぴったりと密着させている腰の部分は少女のスカートに隠れていて見えない。
そうして少女をしがみつかせたまま青年は背後の階段を降りて行った。
コツ、
「ひっ」
コツ、
「んぃっ」
コツ、
「ひぃんっ」
コツ、
「くひっ……」
一段降りるごとに少女の口から微かな声が漏れる。
「……」
アトレーは階下に消えて行く二人の姿を呆然と見送った。
・
・
・
「うう……」
冒険小説を元の場所に戻すとアトレーは項垂れた。
どうにも先程見掛けたあの二人の光景が頭から離れない。そのものを直接見せられた訳ではないのが余計に頭に残る。
お陰で息子が大変な状態になってしまっている、屈もうとすると邪魔になるくらいだ。
それにあの出来事だけが原因ではない、どうもこの国に来た時から下腹部がなにやらぐつぐつと燻ぶるような感じがすのだ。
例えるなら何週間も自慰行為を禁じた時のような。
（それに……ちくしょう……何よりあいつが原因だ）
この世界に来て初めて出会った案内役の魔物、頻繁に自分を誘惑するような仕草を見せながらも決定的には詰めて来ない悪戯猫。
半々に色分けされた奇妙な髪、頭頂部から伸びるチャーミングな耳、見た事がないくらいに綺麗に整った目鼻立ちに桜色の唇、その顔に常に浮かんでいる性悪なニヤニヤ笑い。
いつも見えそうで見えない丈の短い服からすらりと伸びるしなやかな太股、ふかふか触り心地のいい愛嬌のある獣の手、胸元をぐっと押し上げる膨らみに細く括れた「ラブハンドル」
（……何を考えてるんだ俺は……こんな事考えるから余計に……）
前屈みになりながら何か気分を変えるものはないかと本棚を眺めながらうろつくが、一向に下半身の憤りが治まらない。
それどころか本棚の陰から妖しげな声が聞こえたり魔物のカップルがいちゃいちゃ読書してたりするのを見かけたりする。
（ええいくっそ色ボケの国め……それにしてもさっきから変だぞ俺……ここしばらく抜いてなかったにしてもこれは……）
不安げに見下ろした先には生まれてこのかた見た事が無い程に肥大化した愚息、何かの病気じゃないかと疑うほどだ。もはや屈もうがどうしようが服の上から膨らみがわかってしまう。
（まずいなこれ……こんな状態でヤヤに会ったら何言われるやら……）
どうやら時間を置いても収まりそうもない様子だ。
（……別行動の間にちょっと……抜きたいな……いや、どこで？……）
アトレーは考え込む、どこか人目につかない場所はないものか？少しの間で済ませられるのだが……。
「……えっ」
丁度そう思った所でアトレーの目に飛び込んできた文字があった。
「休憩所」
そう書かれたドアがずらりと並ぶ場所にいつの間にか迷い込んでいた。
「なんだここ……」
見てみるとドアノブにはカードが掛けられており、「ＣＬＯＳＥ」と「ＯＰＥＮ］の二種類があるようだ。
（何するところなんだろう……？）
と、一人の男と下半身をもこもこの毛に覆われた兎のような少女のカップルがやってきた。
「はやく、はやくぅ♪」
「焦るなって、すぐにぶち込んでやるからさ」
「はぅぅぅん♪素敵ぃ♪」
二人はいちゃこらと触れ合いながら「ＯＰＥＮ」のカードのかかっているドアのカードをひっくり返して「ＣＬＯＳＥ」にすると中にしけこんだ。
（……ナニするところかい、というかこんな施設作るから本の置き場所なくなるんじゃ……）
図書館にホテルが併設されているなんて聞いた事も無い。つくづく色に狂った世界だ。
（……さっきのあの二人もここに入ったのかな……）
そんな事を考えながら「ＯＰＥＮ］のカードの掛ったドアをこっそり開けて中を覗いて見ると、中には薄ピンクのダブルベッドがハート型の魔法ランプの薄明かりに照らされていた。
傍には棚があり、ナプキンや石鹸、櫛などのアメニティも充実しているようだ。行った事はないが娼館の一室はこんな感じだろうかと思った。
（……一人で使っちゃいけない……って事はないだろ、ちょっとアレだけど、ちゃちゃっと利用させてもらおう）
アトレーはカードをひっくり返して一人部屋に入った。
棚を探って紙ナプキンを見付けたのでそれで致す事にする。
早速ナプキンを片手にベッドに腰掛け、自家発電を開始したが、これほど張りつめているにも関わらず一向にその兆候が訪れない。
なんというか、皆が隣やそこいらで恋人と励んでいる中自分だけ一人せっせと発電しているのが非常に虚しく感じる。
（ちくしょう、童貞の妄想力舐めるなよ！）
精神を集中し、雑念を払う、いや、性欲は雑念なので雑念に集中すると言う方が正しいか。
（今日のおかず……見えた！）
（にゃん♪）
「おめえじゃねぇよ！」
脳裏に何故かヤヤが浮かび、思わず声を上げる。
（……いや、散々茶化されてきたんだ、想像の中でぐらいきゃん、と言わしてやる……！）
思い浮かべる、腕に押し当てられた柔らかさ、肉球のぷにぷにさ、丈の短いスカートから覗く眩しい太股、悪戯気な笑顔……。
「くぅ……」
気分がノってきた、何と言ったか、そうだ、ラブハンドルだ、あの括れに手をかけて後ろからガツンガツンと尻に腰を打ち付けてやる事を想像する、そうすればどんな鳴き声を上げるだろう？
しゃにむに右手を上下させながら想像を加速させる。
「ぐっ……ヤヤぁ……！」
アトレーは失念していた、別れしなに交わした約束。
（そろそろ出たいと思ったらぼくの名前を小声でいいから呼んでくれたらいい、すぐに飛んで行って出口まで案内するよ）
「ヤヤ……ん、えっ」
時が凍りつく。
ナプキンを片手にズボンを下ろし、ベッドに腰掛けて自らの陰茎を握る自分、その眼前に座り込んでこっちを見ている今しがた頭に思い浮かべていた人物。
「……♪♪♪」
「…………」
アトレーは無言のままナプキンで先走りを拭ってすっとズボンを引き上げた。ヤヤはしゃがみ込んだ体勢で自分の膝に肘を付いてニヤニヤとその様子を眺めている。
「ふうー……」
ナプキンをゴミ箱に投げ入れたアトレーはどっかとベッドに腰を下ろして長いため息をついた。
「見た？」
「見た」
「ＡＡＡＡＡＡＡＨＨＨＨＨＨＨ!！」
アトレーはベッドの上でそっくり返って身悶える。
「見てないって言えよ！そこは空気読んでさあ！」
「猫に空気を読む能力を期待しちゃあいけない」
「もーヤダー！お婿さん行けない！」
「にゃふふん♪」
「ふぶぁ！？」
と、のたうち回っていたアトレーの上にぴょいん、とヤヤ飛び乗った。
「ちょっ、何！？」
「手伝おうか」
「何を！？」
「ナニを」
「いやー！待って！やめて！」
ヤヤは長い舌を見せ付けるように舌なめずりして見せる。
「ぼくにシてもらう所を想像してたんでしょ？」
「想像するのとリアルは違うんだよ！」
「違わない違わない♪」
「違う違う！」
チヨチヨチヨピピピピピ！！
と、押し問答する二人の頭上にけたたましい鳥の鳴き声が降り注いだ。
「あっ」
見るとヤヤの頭の上にピンク色の小鳥が乗っており、しきりに鳴きながらツンツンとくちばしで頭をつついているのだった。
「いいところだったけど、お茶会の時間……お茶会にはね、参加しないとね♪」
「お、お茶会……？」
「勿論、キミも参加するんだよっと♪」
そう言うとヤヤはアトレーの肩を掴み、ごろりと体を回転させる。「えっ？うわっ！」
そのままどてっ、とベッドの端から下に落っこちてしまう。
「あいたっ！何を……！？」
腰をさすりながら文句を言おうと顔を上げればもうそこは図書館の休憩所ではなかった。
周囲は何か布のような物に囲われていて狭く、薄暗い、ヤヤもいつの間にかいなくなっている。
(またどっかに飛ばされたのか……？)
ゴンッ
「痛てっ」
立ち上がろうとすると天井に頭がぶつかった、異様に低い。
(どこだここ……)
とりあえず姿勢を低くしながら進み、布を捲り上げて外に這い出る。
出た瞬間、外気に覚えのある匂いを感じた、森の匂いだ。
と言っても慣れ親しんだあの森のではない、嗅いだ事の無い花と果実の匂いが混じったような奇妙な匂い……不思議の森の匂いだ。
目に映る光景もあの異様にカラフルな植物達だ、しかし何か違和感を感じる。
（……う、動いてる？）
すぐに気付く、景色が右から左に流れているのだ、つまり……
（違う、俺が動いてる？え、ここって……）
「うわっ」
自分の立っている場所を認識して思わず声が出る。
森林の中の大きな川の流れに浮く巨大なハスの葉、その上に立っているのだ。どうりで景色が流れる訳だ。
「やあ、いらっしゃい」
背後からの声に振り向くとテーブルクロスの掛った五人掛けほどのサイズのテーブルがあり、その上に銀で出来た高級そうなティーセットが置いてある。自分はあのテーブルクロスの下から這い出て来たらしい。
席に着いているのは二人、テーブルに肘を着いて相変わらずのニヤニヤ笑いを浮かべているヤヤと、ティーカップを持ち、帽子を被った男性……いや、女性が一人。
スーツを着こなしているので一瞬男性に見えたが、その中性的でありながら美麗な顔立ちとぴっちりとしたスーツを押し上げる膨らみによって女性である事がわかった。
一見するとヤヤや他の魔物達のように人間との顕著な違いが見られないので人間かと見間違うが、よく観察するとやはり所々奇妙な特徴を備えている。
（……キノコ？……キノコだ、この人キノコ生えてる……）
スーツのそこかしこに何かが寄生するように張り付いているのだ。
特徴的な大きな帽子に視線を走らせるとその帽子のつばからにょっきりとカラフルなキノコが生えているのが目に入った。多分飾り物では無い。
（魔物……なんだよなやっぱ）
「どうぞ、座りたまえ」
女性にしては低めでよく通る声でその魔物は座るようすすめて来る、アトレーは突っ立っている訳にもいかないのでその魔物の向かい、ヤヤの右隣の席に座った。
（……どうやってここにテーブルとか持って来たんだろう）
ゆっくりと流れる周囲の景色と足元のハスを見ながらアトレーは考えようとしたが、すぐに放棄した。
（まあ、不思議の国だからな……）
何しろ何でもそれで説明がついてしまうのだから。
「初めまして、君の名は……アトレー君、かな？」
「そう、ですけど……何故知ってるんで？」
「ヤヤから色々と聞いたからね、ボクはクルグリィ・クルグィーナ・クルファーフという」
「ク、クルクル……何……？」
どうしてこの国の魔物達は発音のしやすさを考慮せずに名前を付けるのか。
「クルフと呼んでくれればいい、種族はマッドハッター」
聞いた事の無い種族だ。
「ところで……」
クルフは胸元から懐中時計を取り出してそれに視線を落とす。
「フィリップとマルマルはまだ来ないのかな？」
「毎度の事だけどお寝坊さんだからねえ」
この上まだ誰かが参加するのかとアトレーは頭を抱えた、流れから考えてそのフィリップとかマルマルとかもまともな人物とは思い難い。
「その……」
「うん？」
勇気を出してクルフに聞いてみる。
「どういう人……人？魔物か、魔物なんですかその二人って」
「ああ、フィリップはフィルフィル・フラッピィ・フラップファーと言ってね、うさぎさんの魔物だ」
（読みにくい！！）
アトレーは思った。
「マルマルはマルーク・マルークというねずみさんの魔物さ」
（読みやすいだと！？）
アトレーは思った。
「お茶会の常連なんだけれども……おっと来た」
「！？」
クルフがそう言って見た方向を釣られて見てアトレーは目を丸くする。
何か白くて丸っこい大きな物体……巨大なティーポットがハスの上に乗っており、その傍に下半身にもこもことした桃色の体毛をたくわえたうさぎの少女が立っている。
どうやら図書館で見掛けたのと同じ種族のようだ。
「えへへぇ、ごめんなさあい、遅れちゃっ……」
うさぎの少女……恐らくフィリップという少女は照れ隠しのような表情を浮かべてそう言いかけたが、アトレーの方を見た瞬間その表情がかちん、と凍りついた。
「……オス」
ぼそ、と何かを言った。
「……え？あ、俺？俺は……」
「オスだぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁ♪」
少女は顔を輝かせるといきなりもの凄い跳躍力で飛び上がり、アトレーの方に飛んで来た。
「わーーーー！？」
と、アトレーが押し倒されんとする直前、空中のフィリップに横殴りに何かが突っ込んだ。
「よいっしょー！」
「ほわああああああああああ！？」
ヤヤだった。綺麗なドロップキックでフィリップの軌道を空中で強引に変更させるとくるくるっ、と回転してしゅたっ、と猫らしく華麗に着地した。
蹴り飛ばされたフィリップの方はずさーっと顔面で地面を滑った、痛そうだ。
「うぐぐぐぐ……ひどいよぅヤヤちゃん！どーして邪魔するの！？」
意外と元気そうにがばっと飛び起きたフィリップは鼻をさすりながら文句をまくしたてる。
「チッチッチッ」
ヤヤは指をちらちらと振って見せながらウィンクをする。
「あ……うー……ヤヤちゃんのお手付きー？……ざんねぇん……」
フィリップは名残惜しげにアトレーの方をちらちら見ながらおとなしく席に着いた。
「さて、皆揃った事だし、始めるとしよう」
「え？いや、マルマル……さんは？」
アトレーは話題に出ていたもう一人の名を上げる、というか先程からテーブルの横にでかでかと鎮座している巨大なティーポットが気になってしょうがない。
「おおっと忘れていた」
クルフはそう言って席を立つとそのティーポットをコンコン、とノックする。
「マルマル、お茶会だぞ？」
「……」
「……」
「……」
カチャッ
大分長い間を置いた後、ティーポットの蓋が音を立てた。
もそ、と蓋を押し退けて顔を出したのは愛らしく、幼い少女の顔、ネズミの魔物と紹介されたがその通り頭頂部にまんまるで大きな耳がある。
「……んー……おはようございまふ……」
眠たそうにこしこし目をこすると、蓋の下から這い出て来てそのままティーポットの側面をつるーっと滑り下りた。
「よいしょっと……おはよう、マルマル」
それを下でクルフがお姫様抱っこの形でキャッチして挨拶する。
（……何て格好だ）
ティーポットの中がどんな空間になっているのかわからないが、マルマルの格好は今しがたベッドから起きてきましたと言わんばかりにだらしなく前の開いたネグリジェ姿だ。
クルフがそっと立たせてやるとマルマルは欠伸をしながらふらふら歩いて席に着いた。
「では、改めて始めるとしようか」
五人が席に着いた所でクルフはティーカップを掲げてにこやかにそう言った。
「えへへー、お菓子いっぱい持って来たよ♪」
フィリップは嬉しそうに言うとひょい、と足元から蓋をされた銀皿を取り出した、何も無い所から物を取り出すというのはここに来てから何度も見たのでアトレーももう驚かなかった。
「じゃん♪」
（おおっ）
蓋を取ると皿に乗っていたのは色とりどりのお菓子。
クッキーやパイなどの焼き菓子からショートケーキやブラウニーなどのケーキ類、透明なカップに入ったプリンやカラフルなゼリー。
綺麗に盛りつけられたそれらはアトレーにとっては物語の中や絵に描いた物でした見た事のない高級品達だ、思わず目移りする。
「どれでもどうぞー、あむっ♪」
言うが早いか自分で真っ先にカップケーキに手を伸ばし、かぶりつく。
「むふ～～～♪」
ほっぺに手を当てて表情を綻ばせるその仕草は甘いもの好きな人間の女の子となんら変わらないように見える。
「遠慮せずに君もいただくといい、彼女のお菓子作りの腕は大したものなんだよ、それ以外はちょっとアレだが」
香り高い湯気の立つティーカップをアトレーの前に置きながらクルフは言う。
「アレってなによぅ！ぶぅぶぅ！」
むくれながらもお菓子に伸ばす手を止めないフィリップは確かに体の発育とは裏腹に随分子供っぽい印象を受ける。
「……あっ……」
と、アトレーが見ていると目が合った瞬間にぽぽっと頬を染めて目を逸らした。
（初々しい子だなぁ）
「やだ……私のほう見てる、視線が下だった、おっぱい見てた、太股みてた、きっと揉みしだいたりすりすりしたりぺろぺろしたりしたいって思ってるんだ、それで無理やり押し倒して獣みたいに犯してやりたいって思ったんだ、想像の中でもう滅茶苦茶にされちゃってるんだ……！やぁん♪」
（そう見えたのは気のせいだな、うん）
考えを修正しながら紅茶に口を付ける。
「あっ、うまい……うまいです」
お菓子と同じく紅茶も今まで口に入るような品ではなかったのでこれが飲むのは初めてなのだが、その香りと味わいに驚く。
「そうだろう？私の庭で取れた葉だ、口に合ったなら何よりだ」
クルフは微笑む。
アトレーは次に銀皿に手を伸ばし、苺とクリームの乗った一口サイズのショートケーキを取った。
「あー……ん？」
口に運ぼうとしたケーキが唐突に消滅した、取り落としたのかと膝の上を見ても何も無い。どこに行ったのか。
「あーん♪」
と、横から先程自分が摘まんでいたケーキが猫の手に摘ままれて差し出されて来た、ヤヤだ。
一度手に取った物をわざわざ横から奪ってまでこれがやりたかったらしい。
「おまえね……」
「ほうらおいしいぞぉ♪あーん」
「作ったの私ですぅ……」
むくれるフィリップを横目に渋々口を開ける、多分抵抗しても無駄だ。
ぱくっ
爽やかな苺の酸味とクリームの甘味が口に広がる、うまい。
「おいしいかい？」
「おいしい」
「んふふー」
ヤヤは嬉しそうににんまりする。そういう表情は本当に腹立たしいくらいに可愛い。
「お熱いことだ、独り身には毒だね」
わざとらしくぱたぱたと顔を煽りながらクルフが言う。
「ちちち違います、そんなんではなくてこいつはガイドで俺はちょっとここに観光に来てるだけで……」
「それで旅の恥はかき捨てって言ってホテルに行っちゃうんだ……一夜の思い出って激しく燃えちゃうんだ……」
「お熱いお熱い」
（厄介な人らだ）
「もぐ……もぐ……むにゃ……」
（あとあの子は何なんだ、食いながら寝そうになってるぞ……）
何にしろこの流れはまずい、アトレーは思い切ってこちらから話題を振ってみる事にした。
「こ、この紅茶って、なんていう品種なんです？」
「うん、よく聞いてくれた、不思議の国で育成したメルティラブをベースに独自にブレンドしたものなんだ、飲みやすいだろう？」
「あ、はい……その、メルティラブってなんです？」
「魔界産のハーブだ、香にして焚くと恋人達の夜の盛り上げ役に活躍してくれるという代物だ」
「ははっ、飲んで大丈夫なんですかこれ」
「あまり大丈夫じゃない」
「えっ」
「冗談さ」
クルフは笑ってそう言った。
「ところで、この国に来てこれら以外に何か飲み食いしたかい？」
アトレーは思い出す。
「ええと……パン……中に何ジャムみたいなのが入ったのと、あとレモネード、かな」
「ははあ、それはもう手遅れだね」
「！？」
「冗談さ」
先程と全く同じ言葉と笑顔を返された。
不安になったアトレーは自分の体のどこかに異常がないかと意識してみる。
熱があるとかだるいとかの病気のような症状は今のところ無い、頭もはっきりしている……気が変になりそうな状況ではあるが。
(あとは……これは……)
張り詰めているズボンの前を見下ろしてアトレーは首を傾げる。
(普通、だよな……？これまで色々見せられたし……アレもヤヤのせいで中途半端で終わったし)
思い出したくない事まで思い出してげんなりする。
ぽむ
「えっ」
と、太腿の上に柔らかな感触が乗った。
これまで何度も感じた感触、ヤヤの手だ、すぐ隣にいるのをいいことにまたちょっかいをかけようとしているらしい。
「今回のケーキはちょっと甘さ控え目だね？前の注文聞いてくれたんだ」
「私はもうちょっと甘いのが好みですけどねー」
さすさす
テーブルの上では素知らぬ顔で会話をしながらその手はセクハラじみた動きをしている。
タチの悪い事はその手が非常に気持ちいいことだ、肉球の柔らかさと獣毛のふさふさとした感触は何度味わっても慣れず、振り払うのが惜しいと感じてしまう。
「どうかしたのかいアトレー君？」
「い、いや、何でも……」
「キミはどう思う？」
「あ、ああ？」
「このお菓子だよ、もうちょっと甘い方が好きかい？」
すにすに
人の下半身を弄りながら臆面もなく話題を振ってくる。
「そ、う、だな、ちょうど……いいように思う、が」
答えながらそのテーブルの下でふさふさした手を払い除けようとするが手は断固として離れず、それどころか前の突っ張りに触れてこようとする。
「そうかい？これとかどう思う？」
「あ、あのな、んむっ」
文句を言おうとした口にフォークに刺したパイが押し込まれた。
さくさくした生地の中から甘く煮られた果物が溢れ出る、甘い。
「……んぅっ！？」
どくん
その時気付いた、飲み込むと同時に下半身の昂りが反応している。
（これってやっぱ……！）
「ごくん、な、なあ、このお菓子って、ふむん！？」
「これはどうかな？」
言葉を発する間を与えず矢継ぎ早にお菓子が口に押し込まれる、フォークではなく手でぐいぐいと。
今度はクッキーだ、しっとりとした生地にほろ苦いチョコチップ、ナッツがアクセントになっている、おいしい。
どくん
そしてやっぱり味わう度にますますズボンの下の陰茎に力が漲る、もう間違いない。
「もぐもぐんぐ、こ、このお菓子ってふぐむんぐ」
口をきく暇を与えずチーズケーキが差し込まれる、濃厚なチーズとミルクのコク。
「甘い？甘すぎない？物足りない？もっと……甘ぁいのがいいかい？」
下半身を這い回る手に遠慮がなくなり、ズボンの上から昂りを肉球ですにすにと触れてくる。
「これは……あむ、ろうふぁら……？」
「むぐ！むぐむぐ！？」
チーズケーキを懸命に咀嚼しながらアトレーは目を見張る、一口サイズのガトーショコラをヤヤがその白い歯で咥えたからだ。
潤んで輝く悪戯気な瞳が近付く、口に咥えられたお菓子と共に。
「ごくん……あ……ぁ……」
ケーキを飲み込んだアトレーは殆ど無意識に口を開けてそのチョコを口移しで受け取ろうとする。
「あー……♪」
「あ……」
「んむ♪」
「あ……あっ……？」
と、触れ合おうとする直前にぱくん、とヤヤの口が閉じられた。アトレーは口を開けたままぽかん、となる。
「もぐもぐ……うん、やっぱりこれくらいが丁度いいな」
そう言って一人でチョコを食べてしまうとすっとヤヤはアトレーから離れてしまった。
同時に極限に張り詰めていた強張りをズボンの上からを弄っていた手も離れる。
「あ……う……」
「んー……？どうかしたのかなぁ？」
思わず呆けた表情になるアトレーをヤヤはしたり顔で見る。
「何かぁ……期待してたのかなぁ……？」
「ぐぬぬ」
「ははっ、相変わらず意地が悪い、まあ許してやってくれ、彼女なりの愛情表現なんだ」
「チェシャの皆はー、好きな人ほど意地悪したくなっちゃうそうですー……私にはよくわかりませんけど……」
「ｚｚｚｚ」
好きな人ほど意地悪したいって子供であるまいに……そんなに発育してるくせに。
そう思ってついまた体をガン見するとその視線に気付いたのか、ヤヤはわざとらしく足を組み変えて尻尾を揺らして見せる。
「ごほん、その、それはいいとして、あの……」
「なんだい？」
「ええと……川の流れ……早くなってません？」
少し前から気になっていた事だ、最初は気のせいかと思ったが、最初と比べると明らかに周囲の景色の流れる速度が速まっている。
「というか、何処に向かってるんですかねこのハス……」
「流れるままさ、文字通りね、こんな風にみんな生きていけたらいいのにねえ」
「は、はあ」
「流されるままに出会って流されるままの関係に……きゃっ♪」
「ｚｚｚｚ」
全然まともに取り合ってくれない、そしてネズミ幼女は寝てしまっているのだがもう帰って寝た方がいいのではないだろうか。
「さ、紅茶のお代わりはいかがかな？」
「い、いや、もう十分です……その、気のせいかもしれないですけどお茶もお菓子も何か、えらく精が付く感じがするんですけど気のせいですか？」
「気のせいではないとも、オチンポがバキバキになったろう？」
「げほっ！？」
この中で一番落ち着いた物腰と理性的な雰囲気を醸していたクルフの口からいきなり飛び出した淫語に思わずむせる。
「ヤヤと君との門出への祝福だ、遠慮せずにどんどん食べるといい、なに、精が付いたら付いた分だけ搾られるのだから問題ない」
「ふふん、気が効いてるじゃあないか♪」
「親友への餞別さ」
「沢山精を付けて頑張って下さいねぇ……♪」
「ｚｚｚｚ」
「ちょっ……ちょちょちょ、待って下さい！二人の門出って何ですか！あとマルマルさんずっと寝てるじゃないですか！？」
思わず席を立って声を上げる。
「おやおやまだ落ちていないのかい、中々ガードが固いようだね」
「うーん、手ごわいにゃあ、こうなったら奥の手を使うしかないかな？」
「奥の手で奥にまで……やんっ♪」
「ｚｚｚｚ」
「く、くそう、案内とか何とか言ってやっぱり俺を食べる気だったんじゃないか」
「性的な意味でね」
「永住コースって最初に説明したじゃあないか♪」
「やんっ♪」
「ｚｚｚｚ」
アトレーはぐったりとテーブルに突っ伏した。どうしてこうなった……いや、むしろ自分はどうしてこうなる事を予測できなかったのか。
「ぼくが相手では不満かい？」
そんなアトレーにヤヤは首を傾げて聞いて来る。
「魅力が無いかな？」
ぺた、と耳を倒しながらちょっぴり不安げな表情になって言う、卑怯である。
「ま、前も言ったけど魅力が無い訳じゃないよ、ただ俺には俺の生活があってだな……」
「ずっとこの世界に居る必要はないんだよ、前やったように二つの世界はいつでも行き来できるんだ、戻りたい時に戻って来たい時に来てくれたらいい」
「う、うーん……」
ヤヤはカップの中の紅茶をくいーっと飲み干した。
「押しが足りないなー、じゃ、やっぱり奥の手しかないにゃあ♪」
「な、何だ奥の手って」
不穏な物を感じてアトレーは警戒の色を強める。
「ダンス」
「……ダンス？」
意外な言葉にアトレーは拍子抜けした表情になる。
「ぼくらチェシャ猫の間に伝わる求愛のダンス、これを見てもらえばきっと心変わりしてくれるはずさ……♪」
「ヤヤのダンスか、あれはいいものだ、見て損はない」
「とってもお上手ですもんねー」
「ｚｚｚｚ」
（ダンス……？まあ……ダンス見るくらいなら……うん……？）
と、考え込むアトレーの耳に何かの音が聞こえて来た。低く、腹に響くようなごごごごご、という音が……。
その音はアトレーの背後……川の流れる先から聞こえて来る気がする。
そう言えばハスの流れる速度もますます早くなっている。
（……いやいやいや……）
非常に嫌な予感を感じつつアトレーはゆっくりと背後を振り返って見た。
とても見晴らしのいい景色が目に映った、彩り豊かな森や広々とした平原、そこかしこに点在するカラフルな街並み、地平の果てまで一望できる。
そんな景色がすっぱりと途切れた川の向こう側に見える、その途切れた川の淵からはもうもうと白い水蒸気が立っていて……。
「滝ぃぃぃぃぃ――――！？」
「滝だねぇ」
「滝だにゃぁ」
「滝ですねぇ」
「ｚｚｚｚ」
仰天するアトレーとは対照的に三人は落ち着いている、一人は寝ている。
「落ち着いてる場合ですか！落ちちゃいますよ！？」
「ステージの準備はできるかな？」
「三秒で出来るさ」
「私もあんな風に踊れたらお婿さん来るかなぁ……」
「ｚｚｚｚ」
「もしもーし！？」
「まあまあ落ち着きたまえ」
「落ち着けるか！」
既に周囲がもうもうと白い水しぶきに覆われ始める中、それでも微動だにせず紅茶を傾けて微笑むクルフ。
「落ちたって死にやしないさ」
「それは今までの経験で何となくわかりますけど怖いもんは怖い！」
「ｚｚｚｚ……んん……」
「あっ、マルマルちゃん起きた―」
その言葉に思わず目を向けると確かにずっと寝ていたマルマルが目をこすりながら頭を起こしていた。
「ん……だんす……」
眠っているように見えて一応話は聞こえていたらしい、伊達に大きな耳をしていない。
「そうだね、ダンスだね」
クルフはにこやかに答える、姉か何かのようだ。
「まるまる……」
「ん？」
「おど、れる」
そう言うと頼りない足取りで椅子からふらふらと立ち上がると、ハスの上でくるくると回り始めた。危なっかしい。
「ははっ上手だぞマルマル」
「えへへぇ、私だって♪」
その踊りを見てフィリップも席から立ち上がってくるくる回るマルマルの傍にぴょんぴょんと駆け寄る。
と、マルマルはぴたりと回転を止めてフィリップと向き合い、二人はぱちん！と両手を合わせた。
「「うさぎのおめめが赤いのは」」
「「きのうの夜にないたから」」
二人の声が綺麗に合わさる。
「「きのうの夜にないたのは」」
「「だんなさまが好きだから」」
リズムに合わせて手を合わせたまま一緒にくるくると回り始める。
「「だんなさまが好きなのは」」
「「うさぎの焼いたチョコクッキー」」
「「うさぎの焼いたチョコクッキー」」
「「うさぎの焼いたチョコクッキー」」
既に滝は間近に迫っている、ごうごうと轟音が鳴り響き、テーブルや食器がカタカタと音を立てる。
白い霧が周囲を包む中うさぎとねずみは手を取り合って歌い踊る、それを見てキノコの淑女と猫の案内人は微笑みながら手拍子をする。
すごい、正気の沙汰じゃない、そう思いながらアトレーも手拍子をした。
二人は手拍子に乗ってますます回転を早める。
「「チョコクッキーを焼いたから」」
ぴた、と二人は回転を止めた、もう滝はすぐ背後に迫っている。
「「こんやもうさぎは鳴かされる」」
「「はいっ♪」」
声に合わせて二人は手を繋いだまま勢いよく後の滝に飛び込んで行った、一見すると飛び降り自殺にしか見えない光景にアトレーはぎょっとする。
「ブラボーだ」
笑いながらクルフは拍手をする、そう言っている間にも既にハスは二人の飛び降りた滝に今にも引き込まれそうになっている。
落ちても平気とわかっていてもその迫力は身震いがする、と、その手をヤヤがぎゅっと握った。
「次はぼくの踊りを見せてあげる」
にんまりといつもの笑顔でそう言った、アトレーはぼんやりとその顔を見つめる。
ぐうん、と体が引っ張られるような感覚、あっという間もなく重力が失せ、水飛沫に混じってテーブルや椅子や食器が宙を舞った。
真っ逆さまになった視界の中で何故か空中でもしっかりと椅子に座ったままの姿勢のクルフがこれまたなぜかこぼれないティーカップを掲げてこちらにウィンクをするのが見えた。
「グッドラック」
・
・
・
アトレーは滝の起こす水しぶきの中をまっ逆さまに落ちていた。
色々な場所に飛ばされる展開にもいい加減慣れてきたので今度はどこに行くのやらと落ちながら考える余裕もあった。
(そう言えばダンスを見せるとか何とか言ってたな……)
そう思いながら周囲の霧を眺めていると徐々に霧が晴れていき、いつしかごうごうという滝の音も遠く、小さくなって行く。
気付けばアトレーは不思議の国を最初に訪れた時と同じく真っ暗な中を落ちていた。
(お、着くぞ……)
頭上に見える小さな一番星、それが徐々に大きくなってくる。
(げっ、そう言えば……)
そこでアトレーは前回の事を思い出す、確か前はパン屋の屋根を突き破って豪快に不時着したのだ。
慌てて手足をばたつかせて空中で受け身の体勢を取る、この世界の事だから死にはしないだろうが地面に頭から突き刺さるのは勘弁願いたい。
「いよおっ……とっ！」
何とか背中を下にした体勢になった瞬間、ごうっと全身に風を感じた。
ぼすんっ
「えっ」
衝撃に備えていたアトレーを受け止めたのは予想外に柔らかな感触だった。
見てみると革張りで幅広の高級そうなソファーの上にアトレーは着地していた。
「ここは……」
周囲を見回して見るとこじんまりした劇場のような場所だった。
ただ作りは小さくとも安っぽさはなく、深い赤のカーペットは足が沈みそうにふかふかで薄暗い場内はシックな色調の魔力灯でライトアップされている。
これまで見てきたおもちゃ箱のようなカラフルでエキセントリックな雰囲気とは一線を画した落ち着いた雰囲気を醸している。
そしてアトレーが座るソファーの前には漆黒のテーブルがあり、その上に磨きぬか抜かれたワイングラスと綺麗なガラスの器に入ったアーモンドが乗っている。
「失礼します……」
と、横に控えていたらしいタキシードをびしっと着こなした精悍な顔立ちの狼男（？）が持っていたワインボトルでうやうやしくグラスを満たしてくれた。
「あ……ありがとう」
礼を言うと狼男は一礼して後ろに控えた。改めて視線を前に向けるとテーブルの向こう側は分厚い深紅の幕で覆われており、向こう側がどうなっているかはわからない。
この場の雰囲気からステージがあるのではないかと思われるが普通と違うのはそのステージを鑑賞するための席がアトレーの座っている席一つだけだという事だ。
「なんか……すごいな……」
と、自分が場違いに感じるほどの高級感に圧倒的されていたアトレーの耳にピアノの音色が響いた。
続いて控えめなトランペットの音、その音に誘われるようにカーテンが音もなく開かれた。想像した通り、幕の向こう側にはステージがあった、劇場の規模に合わせた小さめで客との距離が近いステージだ。
その上に妖しい色のスポットを浴びてヤヤが立っていた。
ステージ中央には一本のポールが立っており、それに寄りかかっていつもの笑みを浮かべている。
緩やかなピアノとトランペットの旋律に合わせてふわりふわりと尻尾が揺れている。
ヤヤは爛々と金色の輝きを放つ縦に裂けた猫の目でアトレーを見つめながらそっと猫手で自分の唇に触れる。
「ちゅっ♪」
アトレーに向けて投げキッスをした。
ぽわん♪とその爪の先からピンク色のハートマークが放たれてアトレーに向けてふわふわと飛んで来る。
避けようと思えばいくらでも避けられるものだったがアトレーは何故だかそのハートを避ける気にはならなかった。
ハートはアトレーの額に当たった。
ぱちん、と泡が弾けるようにハートは消え、当たった箇所に実際にキスをされたような感触が残った。
アトレーが投げキッスを避けなかったのを見てヤヤは嬉しそうにニンマリと笑みを深める。
アトレーは何やら気恥ずかしくなって赤面した。気付くとピアノとトランペットの旋律は少しずつテンポを上げていた。
合わせてヤヤの尻尾も揺れのテンポを上げる、いつの間にか尻尾だけでなく腰全体がリズムに合わせてクイッ、クイッと振られ始めていた。
アトレーはごくりと喉を鳴らした、何て性的な動きだろう。
手は先程キスを投げた唇に触れ、そこからほっそりした顎、首、鎖骨、そして深い谷間から引き締まったウエストまでゆるゆるとなぞるように降りて行く。
まるで自分の身体のラインを強調して見せるように。
アトレーは指に誘導されるようにヤヤの身体のラインに見入り、改めてヤヤの見事なスタイルを再認識する。
いよいよ指がスカートの上に到達しようと言うあたりでヤヤはポールに背を預けてゆっくりとしゃがみこんで行く。
ぱかぁ♪
「おおっ……！？」
と、ヤヤの両膝がはしたないくらいに大きく割り開かれた、思わずかぶり付きで見入るアトレーだが膝が開かれたのは一瞬だけすぐに閉じられてしまう。
(ああっくそっ、もう少しで見えたのに……！って、いかん、まんまと視線を誘導されてるじゃないか……！)
そんなアトレーの思考なぞお見通しなのか、ヤヤはぱち、と悪戯なウインクをして見せるとふわりと髪をたなびかせてポールの周りを音楽に合わせてくるりくるりと優美に踊り始める。
こんなダンスがあるのか、とアトレーは思った。あらゆる動きが性的だ、ポールに向けてぐりんぐりんと腰を擦り付けるような動作をした時には不覚にもポールになりたい、と思ってしまった。
尻尾とお尻をふりふりとこちらに突き出された時には思わずテーブルに頬を押し付けて下から覗き込もうとしてしまった。
それより何より凄いのはそれだけふしだらな動きをしながらも動きの随所から野生の気品が感じられる点だった。
ただ媚びているのではない、自分の雌としての美しさを誇らしく、しなやかに見せ付ける。
その気品がまた、いやらしさを引き立てる。
「ふう、ふう、ふう……」
気付けばアトレーの息は上がっていた、勃起が激しすぎて痛い。
気を取り直そうと手元のワイングラスに手をかけてぐい、と傾ける。
芳醇な香りとほのかな酸味を残してワインはなめらかに喉を滑り落ちた。
渇きは癒えたが昂ぶりはますます収まりがつかなくなる。
ヤヤはポールに脚だけで掴まり、くるんくるんと宙で回転して見せた。
ツートンカラーの髪がなびいて美しい、華やかな髪の匂いがこちらに届きそうだ。
「ああ……！くっそ！見えない……！」
そして、やっぱり見えない。
挑発的な踊りの振り付けには大きく足を広げて見せたり腰を突き出して見せたりと大胆な動きが頻繁にあるというのに丈が短いはずのスカートがギリギリでその中身をガードするのだ。
狙ってやっているのだとしたら恐るべきテクニックだ。
「くううっ」
矢も盾もたまらず席を立ってもっとステージに近付こうとする。
「お客様……」
と、背後から声をかけられてぎょっとする、あの狼男だ、今の今まで存在を完全に忘れていた。
興奮しすぎて我を忘れていたアトレーは気まずくなる。
こういう場での鉄則「踊り子には手を触れないで下さい」ぐらいはアトレーも聞いたことがある。
「踊り子は御触りOKです」
「そう、ですよね、すいませ……えっ？」
「OKです」
「……」
許可を得たアトレーはステージ上で妖艶に舞うヤヤの方を見てごくりと喉を鳴らし、ふらふらとステージのふもとにまで近寄った。
ぺったりと四つん這いでお尻を持ち上げる姿勢になったヤヤと間近で見詰め合う。
「くふふ」
ヤヤは茶目っ気たっぷりの笑みを見せるとごろん、と体勢を変えてアトレーの目の前でぱっくりと股を開いて見せる。
「あ、ああああ……」
食い入るように見つめるが、やはりスカートがスレスレでその秘部を隠している。
わからない、はいているのか、はいていないのか。
ゆらりゆらりとヤヤの尻尾がアトレーの目の前で揺れる、おいでおいで、と。
アトレーの耳にかちかちと耳障りな音が聞こえた、何の音かと思ったら自分の歯が震えて鳴らしている音だった。
恐怖や緊張ではなく、性的興奮で歯の根が合わなくなるなんてアトレーは初めて知った。
くいっ、とヤヤの尻尾が手招きをするとずいっ、とアトレーがステージ上に乗り出す、またくいっと手招きをするとまたずいっ、と近付く。
まるでルアーフィッシングのようだ。
「にゃん♪」
もう少しで手が届くというところでヤヤは一声鳴くと股を閉じてするするっとステージ中央に逃げてしまう。
待て、逃げるな。
半ば本能的な動きでアトレーはステージに這い上がってポールの元でスポットライトに照らされているヤヤに迫る。
と、ぱかんとステージ後方に落とし穴のような穴が開いた。
ヤヤは笑いながらその穴の中にぴょいん、と飛び降りて逃げてしまう。
アトレーはその後を追って躊躇なく飛び込んだ。
・
・
・
穴の中は例によって真っ暗だった、その暗闇の中をヤヤとアトレーは落ちていく。
当然、アトレーは先に飛び降りたヤヤの後を追って落ちる形になる。
ヤヤは仰向けの体勢になって手を広げ、自分を追って落ちているアトレーを微笑みながら見ている。
「くうっ！ヤヤっ……！」
アトレーは手を伸ばす、届かない、物の落ちる速度は全て等しい、空中にいる限りアトレーがヤヤに追い付く事は無い。
「ヤヤっ！ヤヤぁっ！」
それでもアトレーは手を伸ばした、届かないのをわかっていて手を伸ばさずにいられなかった。
「ちくしょう」
アトレーは切なくなってきた、何度も誘ってくるのにいつもそうだ、こちらからは触れさせてくれない、すれすれで逃げてしまう。
もしかしたらこの縮まらない距離のようにずっと触れそうで触れられないままなんじゃないだろうか？
そんな事を考えていると性的な意味だけでなく寂しくなってきた、ヤヤに触れたい、もっと傍に……。
「待ってくれよお……」
アトレーの目から涙がこぼれて後ろに流れていく。
ヤヤは笑った、元々笑みを浮かべていたが今までの悪戯気な笑顔とは違う表情だった、優しい笑顔だった。
ヤヤが手を伸ばした、アトレーも今まで以上に伸ばした、必死に伸ばした。
つい、と猫の手の爪の先に指が触れる、掴もうとしたがすぐ離れてしまう。
もう一度。
今度は指を掴む事ができた、しかし滑って離してしまう。
「捕まえて」
ヤヤが言った、今まで違う声だった、甘えるようなねだるような声だった。
「もっとちゃんと」
ヤヤは両手を伸ばした、アトレーも両手をぐっと伸ばす。
ぎゅっ
掴んだ、獣の手と人間の手はしっかりと握り合った。
訳の分からない感動が身を包んだ。
両手を繋いだ二人は空中でメリーゴーランドのようにくるくると回った。
「やっと捕まえたぞ！」
「くふふ、違う違う捕まえたのはぼくさ」
「何をー！？」
アトレーは強く手を引いてヤヤを引き寄せた。
途端にヤヤは甘えるような表情になる、その顔が堪らなくてアトレーはキスをした。
「ちゅっ」
「んー♪」
空中で絡み合いながらのキスは流石に難しく、唇にするつもりが目蓋の上に触れてしまう、ヤヤはくすぐったそうに目を閉じる。
「うふふぅ」
今度はヤヤの方から手を引いた。
肩まで抱き寄せて後頭部にも手を回す、耳にふさふさと獣毛が当たって気持ちいい。
「ちゅむ」
互いに抱き合ったので今度は唇にキスする事が出来た。
落下しながらのアクロバティックなファーストキスである。
ぷるん、と柔らかく、弾力のある感触が唇に触れた。
ぞくぞくと背筋に鳥肌が立った、体験した事のない快感だ。唇が触れただけの感覚とは思えない。
「くふふ、初めて？」
「そうだ」
「ぼくも」
「……ほんとかよ」
「かっちーん☆」
笑顔なままヤヤはこめかみに青筋を浮かべる。
ぐいっとアトレーの頭を引き寄せるとごちん、と額を突き合わせる。
「あいたっ」
「ぼくがそんなにビッチに見えるかなぁ？」
「いやだって、男誘うのうますぎ……」
「……そゆことならまーいいか」
ぺろ、と鼻先を舐めてそう言った。
「でもちょっとむかついたなぁーこれは思い知らせてやらないとねぇ？」
言うなりがしっとアトレーの方を掴んでぐるりと体を反転させる。
「わっ！」
その瞬間にごう、と風が吹き、アトレーはぼすんと柔らかいものの上に背中から落ちていた。
どうやら落ちたのはベッドの上らしい、そしてヤヤがちょうどアトレーの上に跨る形になった。
ヤヤの笑みの背景に見えるのは凝った装飾の施された白い天井……いや、シーツか何かに見える。
周囲を見回してみると大きなダブルベッドの周囲は薄いベールで囲まれている、天蓋付きのベッドというやつだろうか。
ベールの外はほんのりと蝋燭に照らされているくらいの明るさになっており、周囲にはなんとも言えないいい香りが漂っている。
見てみるとベッドの傍らには豪奢な造りのお香が焚かれており、周囲に漂っているのはその匂いらしい。
まるで王様の後宮の一室のような部屋に二人はいた。
「ここにはだーれも来ないよ」
アトレーの上でヤヤはにやにやしながら言った。
「ぼくがどれだけキミを愛してるか存分に教えてやろうじゃないか」
「お、俺だって散々誘われてスカされていい加減我慢の限界なんだ、好きにさせてもらうぜ！」
内心ばくばくしながらアトレーも言い返す。
ヤヤは「くふふぅ♪」と嬉しくて堪らなそうな笑みを浮かべてぶるる、と体を震わせる。
「だ、だからさ……」
「うん？」
アトレーは自分の上にいるヤヤの存在を確かめるように肩に触れた。
「もう逃げないでくれよ……」
「……」
（あー、くそっ）
言ってから後悔した、こんな弱気な発言をしたらからかわれるに決まっているというのに。
しかしヤヤは予想に反してふにゃふにゃっと表情を崩した、あの人を食ったような笑顔とは違う、先程アトレーに引き寄せられた時にちょっとだけ見せた甘えるような表情だ。
その顔でヤヤはぽすん、とアトレーの胸に顔を埋めた。後ろでは尻尾が上機嫌そうにはたはたと揺れている。
「可愛いなぁキミは」
「だ、誰が」
「逃げてほしくなかったらしっかり捕まえておいてくれよう」
そう言って顔を埋めたままぽむぽむとアトレーの両肩を叩いた。
アトレーは言葉と態度の両方でちゃんと自分の気持ちを伝えようと思った。
ぎゅうっとヤヤを抱き締めて言った。
「ヤヤ、大好きだ」
「……」
ヤヤは何も答えなかったがその耳と尻尾がびぃんっと立ち上がって反応を示した。
そしてぐりぐりぐりぐりと顔を胸に擦り付けて来た、猫のようだ、猫だけど。
アトレーはキスがしたくなったので胸の中のヤヤの顔をこちらに向けさせた。
（あっ……本当に初めてなんだなあ）
アトレーはそう思った、胸から顔を上げたヤヤは頬から首元に至るまでぽっぽと湯気が立ちそうに赤くなっていたからだ。
ステージの上で妖艶に自分を誘惑していた魔物と同じとは思えない。
ふさふさと手触りのいい耳を撫でながらアトレーはヤヤにキスをした、ヤヤも目を閉じて応える。
ちゅぷ……ちにゅ……
先程よりももっと深いキスがしたいとアトレーは思っていた、ヤヤはその意思を汲んで唇を合わせると同時に薄く開いてくれた。
どきどきしながらその中に舌を差し入れてみると、先程自分の飲んだワインの香りが少しした。
かり、と入口でネコ科らしく鋭い八重歯に引っ掛かり、舌に軽い刺激を受ける、それさえも心地いい。
ねちゃ……
口の奥に控えるヤヤの舌と接触した、適度にざらざらとした感触があり、生暖かい、それに触れただけで顎が震えた。
もふ……さす……さす……
そうしている間も体中を手で撫でさすってくる、やはりこの手に触られるのは心地いい。
アトレーも負けじとヤヤの体に指を這わせる。先ほどステージ上で散々に見せ付けられたので興奮もひとしおだった。
（……すげえ、どこもかしこも……）
柔らかい、それでいて滑らかな手触りの下に猫科の獣らしいしなやかな筋肉のうねりを感じる。
「んむー……んもぉ……くちゅ、くちゃ♪」
ウェストに手をかけてゆるゆると撫でるとヤヤは嬉しそうに腰と尻尾をくねらせる、この腰の動きは本当に男を狂わせる動きだ。
そして口腔内でもざらつく舌の表面で上顎をぞりぞりと擦り上げてくる、首筋に鳥肌が立つ。
「ふぁぁぁムんぅぅ……ぴちゅくちゅぅ……んふふぅ……えろ♪」
一旦口を離すと悪戯気な表情であかんべえをするように舌を突き出して見せた、アトレーも思わず追いかけるように舌を突き出す。
にちゃぁ……
宙で二人の舌先が触れ合う。
ねちゃ……ねち……くちゃ……
キス、というよりは互いの舌を使った淫らなスキンシップだった。
押して、引いて、誘って、逃げて。こんな舌の動きでさえヤヤは自分を惑わせる。
むにゅん
「んぁん」
ヤヤが舌を離して反応する、細腰に這わせていた手が豊かな房の下に到達したのだ。
手の甲でふにふにと形を変えて重みを楽しむ。
ヤヤはくすくす笑うと覆い被さっていた上半身を起こしてより弄りやすく、見えやすいようにしてくれる。
「コワい顔……食べられちゃいそ♪」
言われて自分が獣のような顔をしている事を自覚させられ、ちょっと我に返って恥ずかしくなる。
が、ヤヤがフリル付きの胸元に指をかけてずるりと下ろしたのを見てまた理性が旅立った。
「食・べ・て♪」
真っ白で丸くてピンク色の突起があってふるふる揺れるそれにアトレーは震える手を伸ばす。
ふにゅぅん
「みゃぁぁ……」
背に押し付けられたり腕に当てられたりなど接触する機会はあったが、やはり直に手で触れると興奮の度合いが違う。
たっぷりと手の平前面に当たる絹のような吸い付く感触、のっしりと感じる成熟した重み。
「なん、で」
「ふぅぅん……？」
「なんで、女の胸ってこんなエロいもんがぶら下がってんだろう、な……」
興奮に息を荒げながらよくわからない事を言う、自分でも何を口走っているのかよくわからない。
「くふふぅ……何でだろうねぇ……？でも他の女のは知らないけどぉ……ぼくの胸が大きいのはねぇ……」
ぐい、と手首に肉球が添えられて遠慮がちだったアトレーの手がより胸に押し付けられる、指の間からむにゅりと柔肉がはみ出るほどに鷲掴んでしまう。
「アトレーにいじめてもらうためにぶら下がってるんだと思うよぉ……？」
ぶち、と頭の中で太い物が千切れる音が聞こえた。
「こんのエロ猫ぉ……！」
「ふみゃあ♪」
腹の底から湧き上がる衝動に任せて腰を跳ね上げ、体を反転させてヤヤを押し倒し返す。
もぎゅっ、むぎゅっ、むにゅる、もみゅん、ぎゅむん、
「お、ふぉ、おふっ、ふひゅぃ、ふぎゅぅ」
そうして欲望の暴走するままにヤヤの乳房をパン生地でもこねるように揉み回す、テクニックも何も無い剥き出しの獣欲を叩きつけるような愛撫だったがヤヤは嫌がるどころか目を見開いて喘ぎ声を上げる、明らかに感じている。
「ふきゅ、あとれ、アトレー……きすぅ……」
手を伸ばして涙目でねだられてやっと理性が少し戻る、そっと頬に手を寄せてキスをしてやる、もう片方は未練がましくむにむにと乳房を揉み続けていたが。
「ちゅぱぁ……ずっと、疑問に思ってた事ぉ……答えてあげようか……？」
「何……何だ……？」
執拗なキスを終えてヤヤが目をとろんとさせながら妙な事を言う。
「ぼくがぁ……はいてるかぁ……はいてないかぁ……」
ぱかぁ、と舞台の上でそうして見せたようにアトレーの下ではしたなく股を割り開いて見せる。
「確かめるぅ……？」
ねちゃ、と長い舌で唇を舐めながら気の狂いそうに眩惑的な台詞を吐いて来る。
「分かり切ってるんだよ……！どうせ何もはいてないに……！」
アトレーは興奮で震える指で散々視界の邪魔をしてくれたいまいましい短いスカートの裾を摘まんだ。
「決まって……！」
ぴら
「………………」
アトレーは呆けたように目を見開いてヤヤの露わになった股間を凝視した。
「…………♪」
ヤヤが履いていたのは一着の下着、というかフリルのついた一本の紐。
腰から股下をくぐる申し訳程度のライン、そしてあろうことか股間部分を覆うはずの紐は二股に分かれてヤヤの無毛の女性器を縁取っている。
ふっくらとした土手はより強調され、潤みを帯びた濃いピンク色を見せつけている。
「……」
アトレーは無言で素早くズボンのベルトを引き抜き、下ろし、窮屈な思いをしていた陰茎を迅速に解放した。ズボンを脱ぐ早さを競う競技があったなら世界を狙えそうな速度だった。
「あはァ……ざんねぇん……正解はぁ、はいて「はいてねぇよ！！！」」
ずぶぶぶぶぅ
「んおおおおおぅっ」
言い終える前に手加減無しにぶちこんだ、凄絶な快楽を与えて来るヒダを押し分けて一気に奥にまで到達させた。
ヤヤは一瞬で目の焦点を失わせ、獣のような声を上げた。
「これの！「はひっ」どこが！「ふぎゅっ」はいて！「んひゃぃっ」るって！「ふきゅぁっ」言う「ふぎゃぅっ」んだぁ！？「あみゃぁ」こらぁ！？「おひゅぅ」」
怒りに似た興奮を纏ってアトレーは腰を叩きつける、余りに淫らすぎるヤヤの装いに一度戻りかけた理性は先程よりも更に遠い所に旅立って行ってしまった。
「もう勘弁ならんぞこのドエロ猫っ……！何だこの……！なんだこれぇ……！？」
しかし打ち込めば打ち込む程にヤヤの性器は愛しいオスの侵入に歓喜し、魔物の本性を露わにし始める。
感じ取り、順応し、アトレーが最も気持ち良くなれるようにその身を作り変え始める。
「はひ、ひぅ、わかる、あとれ、の、かたち、わかるぅ」
「うぐ、ぎ」
ペース配分を全く考えない本能に任せた責めは突いた回数が二桁に達しないうちに限界を迎えそうになる。
（だっ……だめだっ……抜い……抜いて……抜きたくない……！）
あまりに早く達してしまうのはどうかと思ったが、腰の動きを止める事ができなかった、そして抜く事も。
自分の中の雄の本能を初めて自覚した気分だった。
「なかっでっ……ヤヤぁっ！中でいいかっ……！？いいよなっ……！？ぐ、ぐ」
必死にお伺いを立てるアトレーにヤヤは普段の表情からは想像できない緩んだ顔で言う。
「なかでないとやぁ……」
「……っっ！」
どぐんっっっ！
睾丸が持ち上がるような感覚と同時に爆発的な快感に襲われた。
（出してる……！ヤヤの中に……！）
「ぐぅぅぅぅ」
無意識に獣のようなうめき声を上げてしまう、脳髄が焼けるような快感、今まで経験した射精とは全く別次元の射精感。
ヤヤはとろとろに緩んだ表情でびくびくと体を痙攣させていた、声も上げられない様子だ。
どくん……どくん……どくん……どくん……
きゅぅ……きゅぅ……きゅぅ……きゅぅ……
射精が止まらない、いや、ヤヤの中が止まらせてくれない、射精のリズムに合わせて絶妙な締め付けで最後の快楽を長々と長引かせる。
気が遠くなる快感に恐怖すら感じるが雄の本能が腰を引かせてくれない。
「し……しぼ……ら、れ……」
まさに「搾精」だ、魔物の体を味わった者が絶対に離れられなくなる理由が嫌でも理解できる。
「ふう、う……あぁ……」
ぶるぶるっと背筋を震わせて最後の一滴までヤヤに注ぎ尽くす、例えようのない虚脱感と充実感に包まれる。
（き……気持ちよかった……）
空恐ろしい気さえしながら腰を引いて抜こうとする。
ぐいっ
「えっ？」
と、腰を引いた動きに合わせてヤヤが腰を押し付けて来た、抜けない。
それどころか上体を起き上がらせるととん、とアトレーの肩を押してまた状態を逆転させる。
「まだ、いけるね？」
「え、あ、いや」
「いけるって♪」
ヤヤはじゅるりと舌舐めずりをして目を輝かせた。その目を見てアトレーの首筋に快楽とはまた違う鳥肌が立った。
ぬじゅっずちゅっずちゅっずちゅっずちゅっずちゅっぐちゃっ
「ちょっとまっあっあっあ゛あ゛あぁっ！？あっあっあっあっ」
制止の言葉も言い終わる前に上げた事も無いような声を上げさせられた。男が喘がされるなど情けないとは思うが堪えようがなかった。
あの動きだ、舞台の上で見せた男の本能に訴えかけるような、腰から下が別の生き物であるかのような腰使いでヤヤはアトレーの上で踊っていた。
体験させられて初めてわかったが、あの腰使いは見た目に妖艶なだけではなく実に合理的な動きである事が理解できた、膣全体のヒダがたっぷりと密着して摩擦される上予想できない角度から快感が襲ってくる。
そしてやはり見た目にも強烈だ、自分の精液とヤヤの愛液が混じり合って泡立つ結合部にそそり立った自分の陰茎がぐちゃぐちゃと粘液を飛び散らせながら出入りする様子が見える。
何より爛々と目を金色に輝かせたヤヤの捕食者じみた目と淫猥な笑顔がぞっとするほど美しい。
「まぁっっあっあっ待って、待ってっあっあっヤヤぁっあっ」
「みゃあおおおおおおん」
アトレーの悲鳴は完全に理性を失ったヤヤの歓喜の鳴き声と激しく軋むベッドの音に掻き消されて行った。
・
・
・
「……夢じゃなかったか」
「夢じゃなかったねえ」
目覚めて思わず呟いた言葉に隣で寝ている猫がニヤニヤしながら応えた。
あまりに支離滅裂な展開だったのでとても現実に起こった事とは思えなかったのだが、起きてみれば寝ている場所は天蓋付きのベッドで隣には夢の最後で死ぬほど交わった猫がねそべっている。
「……」
アトレーは無言でベッドから降りた、ヤヤも後に続く。二人共裸だがお互い気にしない。
この部屋に来てからひたすらベッドの上で交わっていたのでここがどんな部屋なのかわからなかったが、どうやら豪奢なベッドに相応しい王族が住むような城の一室らしい。
締めきられていたカーテンを開け、大きな窓を開けてると爽やかなような温かいような不思議な風が部屋に入り込んで来た、外には不思議の国の景観が果てしなく広がっている。
夕暮れなのか朝焼けなのかわからない真っ赤な日差しにカラフルな街並みは照らされ、その中をドラゴンらしき影が悠々と泳いでいる。
「帰りたい？」
「うん……？」
言われて自分のいた元の日常を思い出す、素朴な我が家に親兄弟の顔、いつもの農作業に慣れ親しんだ質素な食事。
ほんの昨日までは当たり前に送っていた日常がひどく懐かしいものに感じてしまう。
「帰りたかったらすぐに帰ってもいいんだよ？ぼくに会いたかったらまたあの森に来ればいつでもそこにいるし」
「そう、だな……一旦帰るとするか……色々整理したいし……」
「あ、でもぉ」
「ん？」
ぴと、とヤヤが腕にくっ付いて来る、裸なので当然むにゅりと胸が当たる、思わずまた元気になってしまう。
「今夜は女王様主催のパレードがあるんだよ」
「パレード？」
「不定期に開催される城を上げてのお祭りだよ、一目見て損はないと思うなあ」
「そりゃあまた大変なお祭りなんだろうなあ……」
「王女様の気まぐれで開催されるから一年に何回もやる場合もあれば次の開催が百年先になる場合もあるんだ」
「百年！？」
「だから今見逃したらひょっとして一生見れないかも……？」
「う、ううん……」
実際の所は魔物であるヤヤとつがいになった場合相応に寿命が延びるので何年先に開催されようが見れない事は恐らくない、が、そこはあえてヤヤも言わない。
「そうだな……折角の機会だからそれだけでも見てから帰るか……」
「図書館にもまた寄ってみないかい？あそこの本は一生かけても読み切れないし、気に入ったのがあれば不思議の国の外にまで貸し出しても構わないんだ」
「それなら……何冊か借りて帰るのもいいかもな……」
そうだ、そうだとも、帰ろうと思えばいつだって帰れるんだ。
しゅるる、と足に柔らかな物が巻き付いて来るのを感じて見て見ると、ヤヤの尻尾がアトレーの足に絡んでいた。
「今夜のパレードまではまだ時間があるんだけど、それまでどうやって過ごす？」
言いながらするすると手がアトレーの下半身に伸びて行く。
「ど、どうやってって……おいちょっ待て、昨日あんなに」
「どうせ暇を潰すなら気持ちよーく潰さないかい？」
アトレーが返事をする前にヤヤの唇が塞いだ、そのまま窓の前から引き離されて行く。
帰るのはいつだってできるんだ、だったら……だったら今じゃなくったっていいじゃないか、もう少しだけ、いいじゃないか。
（そうかぁ……ここは帰れるけれども「帰らずの国」なんだなぁ……）
ベッドに引き込まれながらアトレーはそんな事を考えた。
アトレーはきょろきょろと周囲を見回した。
周囲は森、それは当たり前だ、自分は森に薬草を採りに来たのだから。現に肩から提げている籠には今日の収穫物である青々しい草花が収まっている。
それでもやはりおかしい、ちょっと足元を見ながら三、四歩歩いて顔を上げたらもう森の様子がすっかり様変わりしていたのだ。
まず周囲に生えている植物が見た事のないものばかりだ、深緑だった森林は奇妙な紫や明るいピンクを基調とした色になっている。
そんな中に場違いなほどに真っ青な花が群生していたり蛍光色の怪しいきのこがにょきにょき生えていたり見た事のない果実が揺れていたりするものだから配色的に目に痛い。
途方に暮れて空を見上げて見ればそこに広がっているのは夕暮れにしても度が過ぎる程に赤々とした燃えるような空、昼なのか夜なのかさえわかりゃしない。
「……お、落ち着け、ええと、落ち着け……どこだここ……何で俺は……？」
どうにか状況を整理しようと頭を働かせるが、どんなに考えてもどうしてこんな所に来てしまったのか分からない。
自分はいつも通りの獣道をいつも通りに歩いていただけのはずだ。
さわさわさわ……
嗅ぎ慣れない匂いの風が吹き、奇妙な植物たちが揺れる、アトレーはその風の中、放心状態に陥っていた。
「……ん？」
その揺れる植物の中、一つ風に揺られるのと違う動きをしている物があった。
紫色の木の幹から生えている尻尾のようなもの、いや、まさしく動物の尻尾。それがゆらりゆらりと揺れているのだ。
一瞬木から尻尾が生えているのかと思ったが、どうやら木の影に何かの生き物がいるらしい。
アトレーの体からどっと冷や汗が噴き出た、得体の知れない森の中で得体の知れない生き物に遭遇するだなんてぞっとしない。
薬草採取といってもそんなに深く分け入るつもりはなかったので、自分が持っているのは草を刈るための小さな鎌くらいだ。熊やら狼やらに遭遇したらこんな物では役に立たない。
かと言って急に走り出して木の影の「それ」に自分の存在を気付かれたらそれこそお終いだ。アトレーは身を固くしてじっとしているしかなかった。
「……！？」
ひた、とその木の幹を紫の体毛の獣の手が這った、それに続いてすうっと顔が覗いた、位置的にその尻尾の持ち主に違いない。しかしそれは熊でも狼でも見た事の無い化け物でも無かった。
女だ、年若く、美しい女の顔が木の幹から半分だけ覗いてこちらを伺っている、長い黒髪の上に猫の耳が生えており、ひこひこと揺れる、合わせて尻尾もゆらりと揺れる。
（……ま……魔物……！？）
アトレーが住んでいるのは親魔物領とも反魔物領とも近くない辺鄙な村だ、そして魔物も出没しない地域である。
なので反魔物領からの「魔物は人を誑かし、破滅に導く邪悪な存在である」という話も、親魔物領からの「魔物は人の良きパートナーであり、素晴らしい伴侶である」という話も両方を耳にしていた。
どちらにしろ村の人々は魔物に遭遇する機会が無いので対岸の出来事という風に受け取っていた。
こうして遭遇するのであればもう少し真面目に魔物に対する対処法を考えておけばよかったとアトレーは思ったが後の祭りだ、こうなっては親魔物領の話が真相であると祈るしかない。
ぐるぐると頭を回転させるアトレーの視線の先で顔半分だけ覗かせたその魔物はじっとアトレーの事を見ている。何が嬉しいのか口元にはずっとにやにや笑いが浮かんでいる。
（……う、うまそうな人間だ、とか思われてないよな……？）
冷や汗を掻きながら思った所で、ひょい、とその顔と尻尾は木の裏側に引っ込んだ。
（……み、見逃してくれた？）
そう思った瞬間、今度はもう一つ手前の木の幹からもう一匹の魔物が顔を覗かせた、やはり半分だけ。
（ふ、二人もいたのか！？）
顔立ちは先程の魔物と同じだが髪の色が違う、鮮やかな紫色をしている、そしてやはり自分の方を見てにやにやと笑っている。
アトレーはとりあえず引き攣った笑みを返した、食べられないためには友好的にした方がいいかもしれないと思ったからだ。
ひょい、とまたその顔は引っ込んだ。
がさ、
アトレーはぎょっとした、すぐ近くの草むらが揺れたからだ。
がさがさっ
その草むらからやはり魔物が顔を出した、顔の上半分だけを覗かせている。
（あっ……同じ魔物だったのか）
その魔物は右半分が黒髪で左半分が紫色という非常に変わった髪の色をしていた、半分ずつ覗かせていたので違う魔物に見えていたのだ。
それにしても一人の魔物だとしたらいったい先程からどうやって移動しているのか、最初に見た木と二回目に出て来た木、それに目の前の草むら、どれもすこしばかり距離がある。
どう見てもそれらの間を移動したようには見えなかった。まるで手品のようだ。
かちこちに緊張しているアトレーの事をやはりその魔物はにんまりと三日月型に歪んだ目で見ている。
がさっ
そして、また草むらの中に身を隠してしまう。
「……」
森の中はしぃん、と静寂に包まれる。アトレーはじっと動かない。
「……行った……のか？」
そう思って気を抜きかけた時。
むにゅぅ
背中に押し付けられる素晴らしく柔らかな二つの感触、漂う甘い匂い、そして。
「 こ、ん、に、ち、は、♪ 」
耳元に生暖かい吐息と共に注がれる甘い声、ベッドで睦言を囁くような吐息混じりの艶めいた声。
ぶわわっ、と、アトレーの全身に鳥肌が立った、それが恐怖によるものなのか正体不明の色香によるものなのかアトレーにはわからなかった。
「おわわわわわわっ！！」
悲鳴を上げて飛び上がり、つんのめって尻もちを付いた。
「くっくっくっくっ」
そんなアトレーの様子を心底おかしそうに魔物は笑った。
尻もちをつきながらアトレーは初めてその魔物の全身を視界に収めた。
紫と黒の色調で整えられた丈の短いドレスのような服、黒と紫半々に染まった髪、片方だけに結えられた三つ編み、ふさふさとした獣毛に覆われた猫の手、頭頂部にひこひこと揺れる黒と紫の耳。
エキセントリックとしか言いようのない姿だった、しかし不格好ではなくそれが奇妙に様になっている。
「驚かせてごめんよ、異邦の人……くっくっく……驚かせるのがぼくの趣味なもので……」
そう言うと魔物は大仰な仕草で両手を広げ、いまだにへたり込んだままのアトレーの前で優雅に一礼してみせた。
「ようこそ不思議の国へ……異邦の人よ、歓迎しよう」
アトレーには何が何だか全然わからなかった、わからなかったがとりあえずちょうど目の前にある丈の短さによって晒されている眩しい太股に見入り、あれは下着を履いているのだろうか？などとどうでもいい事を考えていた。
「まずは自己紹介、ぼくの名前はヤー・ヤァーと言う」
「や、やー……何？」
「ヤー・ヤァーだ、最初がヤーで最後がヤァー」
「わ、分かり辛い……」
「よく言われるとも、言いやすくヤヤ、と呼んでくれたらいい」
「お、おう」
「キミは？」
「えっ？」
もふもふの腕で腕組みをしながらヤヤは小首を傾げる。
「ぼくが自己紹介したのにキミはしないという道理はないんじゃないかな？」
「え、あ、おう、俺はアトレー……アトレー・キンブルだ」
「うん、いい名前だ、平平凡凡としていて覚えやすいね」
「貶されてるのか俺は」
「褒めてるとも」
アトレーは肩を落とした、遊ばれているようだ。
「くくくっそれじゃあ、とりあえずキミが何を考えているか当ててあげようか？状況を説明して欲しいのと、あと、ぼくが下着を履いているのかいないのかが気になっていると見た」
「ぜ、前半は合ってるけど後半は違う！」
実は図星である。
「じゃ、選んで、説明を受けるか？ぼくの下着を確認するか？」
「えっ？……………せ、説明して欲しいに決まってるだろう！？」
「間が開いたね～～～～～～」
「うるさい！」
「それでは、要望にお答えして説明して差し上げましょー」
そう言うとヤヤはすっとその豊かな胸の谷間に猫の手を差し込んだ、唐突なその行為にアトレーはびっくりして赤面する。
すぽっ
「ええ！？」
引っこ抜くとその手には殴れば人を殺せそうな分厚さの辞典のような本が乗っていた、どうやって出したのかどこに収まっていたのか。
アトレーは口をぽかん、と開けるしかできない。
「えーーーーーっと、どこから説明しようか、まずは君がいるこの「不思議の国」についてだね」
猫手で器用にぺらぺらとその本をめくりながらヤヤは言い、これまたいつ取り出したのかわからない眼鏡をすちゃ、と装着する。
「まず、この国の成り立ち……」
「す、すまん」
「うん？」
「長くなりそうか？」
「そんなでもないよ、ざっと三時間くらい」
「もう少し手短にできないかな」
「せっかちさんめ」
「どんだけ気長な奴でも文句言うと思う」
「しょうがないにゃあ」
大げさな溜息をつくと眼鏡と巨大な辞書をすっと胸にしまった、どうやってるんだか全然わからないがしまった。
「ここは魔王の三女、「ハートの女王」様が作りだした世界……！君は幸運な事にたまたまそこに迷い込んだんだよヤッタネ！」
「絶望しかない！」
アトレーは膝をついて頭を抱え込んだ。
「どうしてだい？」
「魔物の世界に迷い込んだだなんて……！戦士でも勇者様でもないただの田舎者の俺がどうして！？もう、魔物にばりばり食われる未来しか見えないじゃないか！」
「まあ、確かにこのあたりの魔物はとても男に餓えている、下手に遭遇したらそれこそ骨の髄までぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろされてしまうところだったろうね」
「そんなにも！？」
「だがしかし安心するといい！ぼくらチェシャ猫に最初に遭遇したならば話は別、チェシャ猫はこの世界に迷い込んだ人々の案内をする役割を担っているのさ偉いだろう褒めて」
「……」
「褒めて」
「えらいえらい」
「くくくっ、そうだろう偉いだろう、よってキミの安全は今のところは保障されている、安心して案内されるがいいさ！」
「いや、案内とかより俺、帰りたいんだけど……」
ヤヤはきょとん、とした顔になる。
「どうしてだい？アリスにもうさぎにも頼らずに自力でこの国に迷い込む確率はひじょーに低い、折角だから観光の一つもしてやろうと言う気にならないかな？」
「ならないよ！俺はただ平和に薬草を採取して平和に家に帰って平和に暮らしたいだけだ！そもそもお前の話が信用できるかどうかもわからんし……」
「あ、何だい？キミはあれかい？こう……」
くるりとその場で一回りすると何時の間にかヤヤは張りぼての兜を被り、同じく張りぼての剣と盾を手にしていた。
「オノレー！ダマサレナイゾー！ジャアクナマモノメー！……みたいなそういう頭固い系の人？」
ぽい、とそれらを捨てて聞いて来る。いちいち手の込んだリアクションだ、そしてこれらの小道具はどこから持ってきているのか。
「ぶっちゃけ言うとそうだ、お前が言葉巧みに俺を誘い込んで食い殺そうと考えていないという保証はどこにもないからな」
「んもぉーぅ……困ったちゃんだナー、ぼくは親切心で……」
「近寄るんじゃない」
歩み寄ろうとしたヤヤは足を止める、アトレーの手に草刈り用の鎌が握られていたからだ。
「こんな所に来ちまった時点で詰んでるかもしれないが……た、ただの百姓だって舐めるなよ！」
ヤヤは気付く、アトレーの追い詰められた表情に、鎌を握る手が震えている事に。
「……」
と、ヤヤの釣り上がっていた口角が下がり、ぴんと立っていた耳がぺたん、と横になった。
（えっ？）
ヤヤは俯いたまま猫手で器用に指をぱちん、と鳴らした。
その瞬間、さあっと視界が晴れるように森の様子が変わった、いや、迷い込む前の緑色の森に戻っているのだ。足元を見てみるといつもの獣道の上にいる事がわかった。
「さぁ、これで元通り」
「え？……あ、ああ、ありがとう……」
てっきり逃してもらえないとものと思っていたアトレーは意外そうに周囲をきょろきょろ見回す。
「怖がらせちゃってたみたいだね、ゴメンナサイ」
ぺこ、とヤヤは頭を下げる。
「え？あ、いや」
「そうだね、キミから見れば尻尾や耳やこんな手が付いているぼくなんて醜くて恐ろしいだろうね……時間を取ってごめんね、さようなら、気を付けて帰って……」
寂しそうに笑うとヤヤは手をぱたぱたと振り、背を向けて森の奥にとぼとぼと歩き始めた。
しゅーん、と肩は落ちており、耳はぺったり寝たままだ、ついでに尻尾は完全に地面に付いてしまっており、ずりずりと引き摺られている。
「あー……あー、おほん、ごほん！……しかし、あれだな……近頃同じ事の繰り返しな毎日に飽きて来た所も無きにしもあらずだな」
ぴく、とヤヤの耳が反応して立ち上がる。
「たまには刺激も欲しいと思ってたところだし、そうだな、どこかいつもと違う所を散歩してみるのもいい、か、も」
「にゃりぃぃぃぃん！」
ぴょいーん、と重力を無視したような跳躍でヤヤはアトレーの目の前に戻って来た。
「わー！」
「やだねえもう、行く気満々なんじゃないさこのすけべ」
「すけべって何だ！あと一々非常識な動きをするな心臓に悪い」
「しかしいいのかいぼくを信用して？邪悪な魔物がキミを騙して頭からばりばりしちゃうかもしれないゾー？」
へんてこな狼の着ぐるみのマスクを被るとがおー、と脅して見せる。
「あのまま帰られたらなんか悪い事したみたいで後味悪いだろ……女の子を悲しませるなってばっちゃも言ってたし」
「……女の子？」
すぽ、とマスクを外してヤヤは首を傾げる。
「どこからどう見ても女の子だろ？それと自分の事を醜いだなんて言うなよ、あんたは俺が今まで見たどんな女よりも別嬪だ」
これは嘘偽りの無い本心だ、辺鄙な場所に暮らすアトレーはそんなに目が肥えているつもりはないが、少なくとも一度だけ行った都で見たどんな女よりもヤヤは綺麗な顔立ちをしているし、スタイルも……。
思わず視線を下ろしそうになって目が泳いだ。
「……」
ぽろ、とヤヤの手から狼の着ぐるみが落ちる、目をまんまるに見開いて棒立ちになってしまった。
「何だ、どうした？」
シュッ！
「え？」
次の瞬間、何か桃色の細い物体がアトレーの顔の横をすごいスピードで通過して行った。
すこーーーーーん！
「に ゃ あ あ あ あ ん ♪ 」
「ウワーーーーー！」
矢だった、桃色のハートを模した形状の矢がどこからともなく飛来してヤヤの豊かな胸のちょうど真ん中に突き刺さったのだ。
ヤヤは矢を抑えてこてん、と仰向けに倒れる。たまげたのはアトレーだ、慌ててヤヤに駆け寄る。
「何だー！？どこからー！？教団か！？し、しっかりしろー！しっかり……あれ」
見てみると刺さっているはずの矢は無くなっていた、周囲を見回してもどこにも落ちていない。手をどけてみても傷跡も何も無い。
ヤヤは自分を抱き起こすアトレーの顔を見上げていた、目が爛々と輝いて先程よりも倍増しのにやにや笑いがその口に浮かんでいる。
「不意打ちだったよ今のは……くくく、決めたぞ、キミはスペシャルコースにご案内だ！」
「け、怪我は？」
「にゃい！この通り元気百倍！」
びょいん、とアトレーの腕の中から跳ね起きた。
「あ、ああ、そりゃあよかった……何だったんだ今の」
「さて！さてさて！それではご案内いたしましょう不思議の国観光永住コース！このヤヤがナビゲートを勤めさせていただきます！」
「……張り切ってんな……というか、何か、不穏な単語が聞こえたんだが、えいじゅうって」
「さあ！入口はお客様のすぐ後ろ！」
「えっ」
言われて思わず振り返るとそこにあったのは普通の木に混じって一本だけピンクに近い紫色をした木、あの不思議の国の木だ。いつのまに生えたんだかわからないがずっと前からそこにありましたと言わんばかりに根を張っている。
木は巨木と言えるほどに大きく、その幹に丁度人一人が入れそうな洞が空いている。
むにゅぅ
と、胸にふさふさの猫の手が回され、背中に本日二度目の素晴らしい感触。
「れっつごー☆」
「れっつごーって、わあああああああ！」
その細腕からは想像できない力で抱え上げられると、ぶおーん！と不思議の木の洞の中に力一杯投げ入れられた。
洞の中に飛び込んだアトレーの姿は影に掻き消されるように消える。
「そおれ☆」
ヤヤもその後に続いて洞の中に飛び込んで行った。
二人がいなくなった森に残されたのは違和感たっぷりに存在している紫の巨木。
しかしその木も掻き消えるようにして消えて無くなってしまった、まるで最初から存在していなかったかのように。
・
・
・
「あああああああ！」
アトレーは暗闇の中を落下していた。
ヤヤに木の洞に放り込まれてからあり得ない時間を落下し続けている。多分、地面に着いたら死ねる。
（短い人生だった……！親父、お袋、すまない、俺は逝く……！）
「やっほーい」
走馬灯を見ていると呑気な声が聞こえた、ぎょっとして見てみるとヤヤが自分と同じように真っ逆さまになりながらこちらに手を振っている。
「やっほーいじゃねぇ！このまま行ったら死んじまうぞ！？」
「だーいじょうぶ！ぼくの手に捕まって！」
そう言ってヤヤはその猫の手を伸ばしてきた。
（猫の手も借りたいとはこの事か、いや、ちょっと違うか）
妙に呑気な事を考えながらアトレーは手を伸ばしてヤヤの手を掴んだ。
ふかっ
（あ、気持ちいい）
触れてみると、肉球の絶妙な柔らかさと獣毛のふかふかさが合わさって非常に手触りがよかった。
ヤヤはぐい、とアトレーを引き寄せて空中で肩を組む、こんな事態であっても美人に密着されるとどきどきするものなのだとアトレーは知った。
「ほーら、見えてきた」
ヤヤが上（つまり下）を見ながら言った、つられて同じ方向を見てみると暗闇の中に星が見えた。
「ほ……星？足元に？」
何も見えない真っ暗闇だった世界に一番星のようにぽつん、と光が見えた。
と、見る見るその星が大きくなって来た、どうやらその光に向かって落ちて行ってるらしい。
ごう
「うっ……！」
全身に猛烈な風を感じながら一気にその光に飛び込む、急激に眩しくなってアトレーは目を閉じる。
「うおっ！？」
開いた目に飛び込んできたのは、赤い……屋根
咄嗟にヤヤを抱きかかえて庇おうとする。
どがらがっしゃー！
「ぬわわわわわ！」
派手な音と共に全身を衝撃が襲い、上下の感覚が消失する、が、落下した距離からすると予想した程でもない。
「ん、んぐ……むぐ……ふぐ？」
そこかしこが痛むがとりあえず大怪我はしていないらしい、しかし目が見えない、というか何か柔らかくて温かくていい匂いのするものが顔に乗っている。
むにゅむにゅ
覚えのある感触だ、ちょっと前に感じた事のある……。
「んぐぐ！ぷふぁ！」
「あんっ♪」
必死で肩を掴んで引き離し、ヤヤの豊かな谷間から脱出した。
「ちょっ……ちょっ、どいてくれ！色々危ない！」
仰向けに倒れるアトレーの上にヤヤがのしかかっている状態になっていた、胸以外にも柔らかなアレやらコレやらが密着してとても危険だ。
「くふふ」
ヤヤはすぐにどこうとはせずに下になったアトレーの顔をにやにやしながら覗き込む。
「庇ってくれたね、ありがと」
「いや、まあ、うん、それはいいから早くどいて……」
と、アトレーが言い終える前にふい、とヤヤの姿が目の前から消失し、体の上から重みが無くなる。
「あっ……」
どいてと言っておいて何だが急に腕の中からいなくなった事に寂しさを感じる。
そこで初めて周囲を見回す余裕ができた。
倒れたまま首を巡らせて見てみるとどうやら突入した家はパン屋か何からしく、ショーケースに見るからにおいしそうな色のパンが沢山並べられている。
どうやらうまいことショーケースのない箇所に落ちたようでパンを下敷きにしてしまった様子は無い。食べ物が台無しにならなくてよかった、と咄嗟に頭をよぎる。
天井を見上げると見事に穴が開いている……なんというか、型抜きでもしたように綺麗な人型の穴だ、普通そんな開き方するだろうか。
「いらっしゃい」
「あ……す、すいません、お店壊しちゃっ……」
かけられた声に慌てて起き上がり、謝罪をしようとしたアトレーはかちん、と動きを止める。
「気にしなくていいとも、それより、パンはいかが？」
「……」
声を掛けてきたパン屋はパンだった、文章にすると完全に意味不明だがそうとしか言いようがない、コック帽を被った人間大のフランスパンに手足が生えているのだから。
「……あの……ええとその……お金が……なくて……ですね……」
停止しそうになる思考を何とか動かして返事をする。
「はっはっは、お代なんて取らないさ、ここは不思議の国だからね」
フランスパンは愉快そうに言う、どこから声を出しているんだろう。
と、そのフランスパンさん（仮）の背後からひょこ、とヤヤが顔を出した。
「不思議の国の物価の基準は人間の世界とは違うからねー、店に並んでるものでもついてたりついてなかったり？」
言いながら後ろにある棚からパンを一つ取り、ぽいとアトレーに投げてよこす。
受け取ると手の平に丁度乗るサイズのそのパンはこんがりと焼き色が付いており、見た目よりも重みがある。
「……」
確かにうまそうだが、これを果たして口にしていいものか？
「くくくっ毒なんか入ってないぞ？」
そんなアトレーの考えを読んでいるのかヤヤはいつの間にか目の前に立っていた。
「ほおら……」
パンを持つアトレーの手にふに、と肉球を添えて顔の高さまで持ち上げる。
「あ～～ん♪」
「あ……」
大きく口を開けてみせる、鋭く尖った八重歯と真っ赤な舌が覗く。アトレーは何故だかどきどきしながら合わせて口を開けてしまう。
「あむ♪」
「あむ」
パンにかぶりつく、ヤヤも反対側から一緒にかぶりつく。
そんなに大きいパンではないので鼻先が触れ合うくらいに顔が近づく。……本当にすごい美人だ。
「んっ！？」
柔らかな生地の中には何か甘いジャムらしきものが入っていた、予想してなかったので口の端からこぼれてしまう。
「むぐ、むぐむぐ」
「んー、んふふ」
慌てて咀嚼する。見るとヤヤも口の周りをべたべたにしながらほっぺを膨らませてもぐもぐしている。
「んぐ、な、何か入ってるなら先に」
「くふふ、ついてる」
やにわに顔を近づけるとざらざらした舌でペロペロと口の周りを舐め始める。
「わっわわわわわ！？やめれ、やめれ、猫かお前はー！？」
突き飛ばそうと両手を突き出すとスカ、と空振りした。
どこに行ったのかと見回すといつの間にかパン棚に背を預けて手についたジャムをぺろぺろと舐めている。
「ぺろ、猫だとも♪」
「ははは、お熱いことですな」
フランスパンさん（仮）は体を揺らして笑っている、多分、笑っているものだと思われる。
「お熱いとかそんなんじゃ……ん、え？あれ？」
ふと気付いて見上げてみると天井に開いていた穴がいつの間にか塞がっていた、最初から穴など開いていなかったかのように。
「えちょ、何で？俺さっきここから……あれ？」
「だから言っただろう？気にしなくていいと」
ぽんぽん、とフランスパンさん（仮）が肩を叩く、いい人、いや、いいパンである。
「おやつも食べたし、ちょっとこの辺りを案内しようか？」
「あ、ああ、うん……」
畳み掛けるように起る非常識な事態に半ば思考停止に追いやられながらアトレーは店を出ることにした。
・
・
・
ドアを開けてアトレーは初めて都を訪れた時のようにきょろきょろと周囲を見回した。
「……すごい」
パン屋からしてそうだったが、常識の通じない世界であるに関わらず街並みはとても綺麗だった。
白を基調にした家や店は赤や青のカラフルな色彩に彩られ、どこも薔薇の花や百合の花、今まで見たこともないような花で飾られている。
しかし見上げてみると街道を飾る魔力街灯はキノコの形をしており、そこかしこに何の宣伝かさっぱりわからないシュールな絵の広告がべたべた貼り付けられたりしている。
そして最も違和感を感じるのが通行人。
「ぶひ、ぶひぶひぶひ」
「がぁー、がぁーがぁー」
「……」
目の前を通り過ぎていくのは赤い服を着て二本足で歩く豚と青い服を着て歩く鴨。普通の人間らしき人や魔物娘に混じって何だかよくわからない人々（？）が歩いている、これが普通の光景らしい。
「どう？綺麗なところでしょ？」
「…………そうだな」
何とコメントしていいものか分からなかったのでそう答えた。
「ふふ、それじゃあ行こうか」
そう言ってすっとそのふさふさの腕を絡めてきた。
「おいちょっ」
「はぐれたら危ないゾー？」
「いやそれにしても」
「嫌？」
「嫌って訳じゃ……」
「じゃあいいじゃないか♪」
にやにや笑うとぎゅーっと身を寄せて来る。
むにむにと押し当てられる膨らみ、二の腕から先のもふもふと肩のすべすべした素肌の感触、そしてぷにっとした何とも言えない肉球の弾力が腕に心地いい。
（くっそぅ……事あるごとに密着しやがって、押し倒して男の怖さ教えてやろうかこの……？）
アトレーは自分の考えにぎょっとする、自分は何てことを考えているのだろう。いや、ヤヤのたび重なる挑発的な態度に性的な意味でいらいらさせられてはいるが自分はこんなに乱暴な考えを抱くような性格だったろうか。
「今、キミの考えがわかったぞ」
気付くとヤヤのにやにや笑いが間近でアトレーの顔を覗き込んでいた。
「いやらしい事を考えただろう」
「そ、そんな事は……」
「いいや、分かるとも、ぼくを犯したいと思ったね？」
「馬鹿言え、確かに美人だとは言ったけど……」
「嘘はよくないねぇ」
「だからっ……！？」
急にヤヤの手が伸びて来てぐい、と頭を引き寄せられる。
「ぼくをめちゃくちゃにしたいと思ったろう？」
耳にキスをするかという程に口を近付け、吐息を注ぎ込むように囁く。
「押し倒してこの中途半端な長さのスカートを無理やり捲り上げてぼくの……誰も使った事のない未使用おまんこに」
くちゃ、と唇を舐める音が間近で聞こえた。
「ずっぶぅぅぅぅぅってぶちこみたいんだろう？ぼくの余裕ぶった表情を引き剥がして泣き顔にしたいんだろう？おナカの中のヒダヒダをその立派な雄肉で捲れあがるほど擦りたいんだろう？」
物理的な粘度を伴っているかと思う程のねっとりした淫声が耳を犯して来る。
ヤヤの手がアトレーの手を取り、自らのほっそりした腰に触れさせる。
「この腰の括れの部分何て言うか知ってるかい？ラブハンドルって言うんだよ、セックスをする時にここを掴んで動かすからさ、掴みたいだろう？ここを掴んで思い切りずん、ずん、ずん、ずん、ずん、ずん、ずんって突きたいだろう？」
無意識にアトレーは掴まされた腰を強く掴んでいた、服に皺が出来る程に。
「そうやってぼくの子宮口に亀さんの頭でちゅっ♪ちゅっ♪ちゅっ♪ちゅっ♪ってキスするんだ、ぼくはいやいやするけどそれは嘘なんだ、本当は心の底から孕みたい孕みたい孕みたいって思ってるからヒダヒダできゅうきゅう締め付けて早く出して射精して射精してってオネダリしちゃうんだ」
「～～～～～～っっっ」
「そうして限界を迎えた二人は「ややややややややめろぉぉぉぉ！？」」
必死に話に割り込んでヤヤを突き離そうとする。
スカッ
またも空振りする感覚。気付けば傍にヤヤの姿はなく、ぜえぜえと息を乱すアトレーだけがいた。
「ひとつ下さいなー」
「ハイヨー」
どこに行ったのかときょろきょろと周囲を見回すアトレーの背後からヤヤの声が聞こえた。
これまたいつの間に移動したのかヤヤは露店の前に立ってに何かを注文している。
目に鮮やかな黄色い看板、その下に積まれたレモンらしき果実の山、その横に置いてある大きな瓶には蜂蜜が入っているらしい。その蜂蜜が関係あるのかどうかわからないが店員はどこからどう見ても熊である。
振り返ったヤヤの両手には白っぽく濁った液体で満たされた透明なカップが二つ。どうやらレモネードらしい。
「やあ、喉が渇いていないかい？よければどうぞ」
「はあ……はあ……はあ……お、お前……」
「うん？いらない？」
そう言ってヤヤは片方のカップに口を付けてこきゅこきゅとうまそうに飲み干す。
「ふぅーい、いらないならもう一杯もぼくが貰っちゃおうかな」
「……」
アトレーは黙ってヤヤの手からカップをもぎ取り、よく冷えたそれをごくごくと一気に煽った。レモンの爽やかな酸味とほのかな蜂蜜の甘味を感じる、うまい。
「ふぅーーー」
少しは体に籠っていた熱が下がった気がする、限界まで張りつめた陰茎は収まらないが……。
「じゃ、行くとしようか♪」
ヤヤは先程の事などなかったかのようにまたアトレーの腕を取って歩き始める。
アトレーは先程の出来事を蒸し返すのも何か藪蛇になりそうな気がしたので黙ってヤヤに引かれるがままについて行った。
・
・
・
「図書館？」
「そう、図書館」
「ほおえええ……」
アトレーは目の前にそびえ立つ見たことのないくらいに巨大な建造物を見上げて妙なため息を漏らした。
全体にカラフルな色合いが多いこの世界には珍しく、その巨大な長方形の建物は落ち着いた茶色の大理石のような鉱物で出来ており、数えるのが馬鹿らしくなるほどの窓が規則正しく並んでいる。
「しかしその……この建物って……」
「なんだい？」
「バランス悪いっていうか……よく立ってるなこれで」
ずっしりとした印象の色合いとは裏腹にその胴体からは枝分かれするようににょきにょきと同じく大理石の建物が生えている。
中には先端に大きな建物がくっついており、根元からポッキリ折れてしまうのではないかと不安になる構造の箇所もある。
全体に見ると出来の悪いクリスマスツリーみたいなシルエットだ。
「本が増えるたびに増築してたらあんな風になったらしいねぇ」
「もうちょっと考えて増築しろよ……見てて不安になるよこの建物」
「くくくっ、大丈夫、女王様がこれで大丈夫って言ったら大丈夫、そういう世界」
「……そういうもんか……」
呆然と見上げながらアトレーは納得するしかなかった。
しかしその建物のふもとに着いた時には納得いかなかった。
「……今、大掃除かなにかの最中？」
「してないよ？」
「いや、だっ……これ……！」
アトレーが指差す先には規則性なく置かれている本棚、どれにも本がぎっしり入っている。
まだ図書館に入ってはいない、屋外である。
「雨降ったらどーすんだ！？」
「降らない降らない」
「降らないって……ああ、女王が降らないったら降らないのか」
「そうそう、わかってきたじゃないか」
「わかってきたっていうか、突っ込むのが馬鹿らしくなってきたっていうか……」
「くふふ、中にはもっと沢山あるよ？」
そう言って木のように立ち並ぶ本棚とそれを立ち読みする人やら魔物やらモノやらの間をすり抜けてようやく入口に辿り着き、図書館というよりは城門といった風情の豪奢な入口を潜り抜ける。
「うぅぅぅええええ」
溜め息を通り越して声を上げてしまう、建物の構造は吹き抜けになっており、見上げると冗談抜きで上の方が霞んで見えない。
そしてどの階層の本棚にもぎっしりと本、本、本、本。
「なんだこれほんともう……なんだこれ……」
「すごいだろう？何冊あるのかは誰にもわからないんだ」
「そりゃあそうだ、誰が管理するんだこんなもん……」
「こほん」
ふと、横から咳払いが聞こえた。
入ってすぐの景観に圧倒されて気付かなかったが、入口の横には受付らしき場所が設置されており、そこに褐色の肌と艶やかな黒髪と獣毛を有した獣人が立っていた。
シャープな印象を受ける引き締まった顔に銀縁の眼鏡を掛けており、同じ獣人でも奔放な印象のヤヤとは全く違った印象を受ける。
「不思議の国と言えど、図書館ではお静かに願います」
「す、すんません」
「それと、今の話を少し訂正させていただきますと全く管理がなされていない訳ではありません、女王様に任せていてはどこにどの本があるのやらさっぱり分からなくなりますので私のように雇われた魔物達によって一応の管理がなされているのです」
「な、なるほど」
この国に来て初めてまともに話す人……魔物に出会った気がする。
「やあ、ごきげんよう、パグは相変わらずお固いなぁ」
「お静かに、願います、ヤヤ？」
「はぁいはい」
二人は知り合いらしい。
「そちらの方はここにいらっしゃるのは初めてですね……？」
「あ、はい……ええと、アトレー、です……」
「アトレー様、ですね？初めまして、この図書館の第一棟、医療、科学、魔道部門のＡ～Ｃ、あ～うの管理を担当させていただいているパグンナムと申します、これら以外の本棚の情報は恐縮ですが、その本棚の管理者にお問い合わせ下さい」
「はい……」
理路整然とした話し方で何だかこっちまで固くなってしまう。
「許してあげてね、パグは優秀で遺跡から引き抜かれて来たアヌビスなんだけどご覧の通りお固くてね、お陰で旦那もまだ見つからない始末……おおっと」
わざとらしく口元を覆って見せるヤヤ、絶対零度の視線を向けるパグンナム、冷や汗をかくアトレー。
「……館内での閲覧は自由になっております、貸出の際は本棚の管理者に声をおかけになって下さい」
「あー、わ、わかりました、それじゃあ俺はちょっと……」
この二人と一緒にいてはまずい気がしたので早々に退散しようとする。
「アトレー様、後一つ注意事項を」
「は、はい？」
「館内での行為の最中もお声は控えめになさいますよう、また、本などをお汚しにならないようお願い致します」
「はい……はい？」
「くふふふふっ」
ヤヤは心底おかしそうに口元を抑えて笑った。
「よくわかってないみたいだよパグ、教えてあげなよ仔細に事細かに」
「……コホン」
パグンナムは咳払いをして眼鏡をクイ、と持ち上げた、何やら頬が赤らんでいる。
「交尾の事です」
「こっ……うん？こう……なに？」
聞き違いかと思って聞き返す。
「性行為の事です、そういった事も禁止されてはいませんが、程々に、という事です」
「せっ……何を言うんだ！？何で図書館で」
「しーっ、アトレー、しーっ」
ヤヤに注意されて慌てて声を潜める。
「誰もそんな事する訳ないだろ……！なんだその注意事項」
「ここは不思議の国ですので、どこであってもつがいとの交わりを禁ずる権利は誰にもありません」
「そんな無茶苦茶な……」
「お気持ちは察しますが御理解の程をお願いします、ここは魔界よりも節操のない不思議の国、それが「普通」なのです」
「……そ、そういうもんなのか……」
怜悧な視線で射竦められながらそう言われるともう、そう言うしかなかった。
「まあ、そんな事言われても俺は相手なんか……」
ふと見てみるとヤヤがニヤニヤしながらふりふりと尻尾と腰を振って見せている。
「いないから関係ないし……」
顔を赤らめてヤヤから目を逸らしながらぼそぼそと言った。
「とりあえず見て回ってみてはいかがでしょうか？中々他では見られない本も沢山ありますよ」
「くくく、好きな分野を見てるといいよ、ぼくも好きなのを見てるから」
「お、おう……いや、しかしこんなに広い所、迂闊に彷徨うと迷いそうなんだが……」
「そろそろ出たいと思ったらぼくの名前を小声でいいから呼んでくれたらいい、すぐに飛んで行って出口まで案内するよ」
「そうか……わかった、それじゃあ後でな」
何だかんだで気の遠くなる量の本には好奇心を刺激されていたらしいアトレーは受付を後にして広大な知識の海へと踏み出して行った。
「……ようやく、でしょうか？」
「何がかな？」
アトレーの後ろ姿を見送った二人は話し始める。
「貴方は意外に選り好みするタイプですからね……案内を勤めても他に投げるばかり、自分から手をつけようとしたのは初めてでは？」
「んふふー……」
ヤヤは受付に肘を着いて上機嫌そうに尻尾を揺らした。
「あんなにしゃぶってやりたいって思った人は初めてだねぇ♪」
「……こほん」
パグンナムはくい、と眼鏡を上げた、どうやら恥ずかしいと感じた時の癖らしい。
・
・
・
「知っておきたい応急処置知識」「人体の構造」「ストレス生理学」「治癒魔法運用術」
アトレーは長い長い本棚に並べられている本のタイトルを横目に眺めながら歩いて行った。
（……ここらは医療関係か、俺の興味のある分野って言ったら……うーん、なんだろな、もうちょっと面白そうな……）
ジャンルの欄を見ながら紙の匂いと紙のめくれる音の中をアトレーは進む。
「あっ」
目に止まったのが「冒険小説」の欄。
（もしかして……）
本のイニシャルを辿って行く。
（あった！）
「勇者ボルゾイの戦い（Ⅰ）ボルゾイの旅立ち」
幼い頃に家の倉庫を探検していて見付けた本があった。
「勇者ボルゾイの戦い（Ⅲ）バングル国境撤退戦」
夢中になって読んだのだが、残念な事にシリーズ物であるに関わらずその一巻だけしかなかった。
話の前後を知りたかったが村には本屋などないし、たとえ都で見付けても高価な本を買う金などなかった。
これ幸いとアトレーは並んでいた勇者ボルゾイシリーズ五冊全巻を抱えて座れる場所を探した。
図書館の中にはいたる所に椅子や長テーブルが設置されており、読書場所には事欠かない。
アトレーは近くにあった適当な長テーブルに本を置いて椅子に腰かけた。
（おおっ）
椅子のふかふかした座り心地の良さに驚きつつ本を開き、テーブルに設置されているほの明るい魔力灯の灯りに照らされる文字に見入った。
アトレーはたちまち冒険の世界に没頭して行った。
・
・
・
「ふぅ……」
（面白かったぁ……）
長時間の同じ姿勢で固まった体をぽきぽき言わせながらアトレーは伸びをした。
田舎に住む人間にとって本は高級品、五冊も一気読みするというのは中々贅沢だ。
「……んっ……んんぅ……」
（うん？）
と、所々を読み返しながら余韻に浸っていたアトレーの耳に微かな声が届いた。
顔を上げて見てみると自分の座る斜め前の席で一組の男女が本を読んでる。
一見すると兄と幼い妹のように見えるその二人は小柄な妹が兄の膝の上に座って本を読んでいる。
先程の声はその少女が漏らしたものらしい。
「……？」
不審に思って見ているとどうも様子がおかしい、その少女は本に視線を落としながらも集中できない様子でずっともじもじしているのだ。
幼いながらも整った顔は元は絹のように白いのだろうが、今は風邪でも引いているかのように耳まで真っ赤になっている。
手は本に添えられているが、頻繁に自分の金色の髪をいじったりスカートをくしゃくしゃと握り締めたりと落ち着きが無い。
少女を膝に乗せている男性は眼鏡を掛けた温和な顔立ちの青年だ、一見落ち着いているように見えるがよく観察すると少しばかり息が荒く、顔もやはり赤い。
カタン、
「ふぅぁっ……んぅ……」
また声が漏れた、今度は見ていたからはっきり分かったが、青年が少し腰を浮かすような仕草をするたびに少女は肩を竦めて声を堪えているのだ。
（館内での行為の最中もお声は控えめになさいますよう）
脳裏に蘇るパグンナムの言葉。
（まさか……いやまさか……な）
頭に浮かんだ可能性をアトレーは否定する、まさかこんなに人目に付くところでそんな行為に及ぶはずがない、ましてやあんな年端もいかない……。
「ぅぅぅんぅ……」
青年は後から少女の天使の輪輝く金髪をそっと撫でてやる、それに対して少女はぶるぶると全身を震わせて過剰なまでに反応する。
まさかまさかと思いながらもアトレーはその二人から目が離せなくなる。
と、青年が少女の耳元に顔を近づけて何かを囁いた。
「……っ！」
その声に反応してか、少女が慌てたようにこちらを向いた。目が合った。
大きな空色の瞳は潤み、顔全体に赤味が差している。
アトレーに性的な経験はまだない、しかし何となく察知した、その顔は「雌」の顔、年端もいかない少女が決してしてはいけない表情。
がたんっ
「！！！！っはくっ……！」
と、次の瞬間少女の体がぐんっと下から突き上げられるような動きをした、膝がテーブルの裏にぶつかる音もした。
少女は一瞬目を見開いて大きく口を開け、その口を両手で塞いで本の上に突っ伏した。
「……ぅっ……ぅぅん……ぅっ……」
ぶるぶると全身が震えている、長い金の髪が垂れ下がって表情は伺えないが覗いて見える耳とうなじは真っ赤に染まっている。
青年は人事不省に陥っているらしい少女の下から本を抜きだしてぱたん、と閉じてアトレーの方を見た。
「失礼……」
微笑を浮かべて小声でそう言うとぽんぽん、と少女の肩を叩いた。
少女はぎこちない動きで上体を起こし、真っ赤な顔ではぁはぁと荒い息を吐いた。
そして片足を上げると青年の膝の上でゆっくりと体を時計回りに半回転させ、青年と向かい合う形になる。
つまるところ対面座位の形だ。
「よいしょっ」
そうして少女を上に乗せたまま青年は席を立った。少女は青年の肩に両手を回し、腰に足でしっかりしがみついている。
二人の姿は外から見るとちゃんと服を着ている、しかし先程からぴったりと密着させている腰の部分は少女のスカートに隠れていて見えない。
そうして少女をしがみつかせたまま青年は背後の階段を降りて行った。
コツ、
「ひっ」
コツ、
「んぃっ」
コツ、
「ひぃんっ」
コツ、
「くひっ……」
一段降りるごとに少女の口から微かな声が漏れる。
「……」
アトレーは階下に消えて行く二人の姿を呆然と見送った。
・
・
・
「うう……」
冒険小説を元の場所に戻すとアトレーは項垂れた。
どうにも先程見掛けたあの二人の光景が頭から離れない。そのものを直接見せられた訳ではないのが余計に頭に残る。
お陰で息子が大変な状態になってしまっている、屈もうとすると邪魔になるくらいだ。
それにあの出来事だけが原因ではない、どうもこの国に来た時から下腹部がなにやらぐつぐつと燻ぶるような感じがすのだ。
例えるなら何週間も自慰行為を禁じた時のような。
（それに……ちくしょう……何よりあいつが原因だ）
この世界に来て初めて出会った案内役の魔物、頻繁に自分を誘惑するような仕草を見せながらも決定的には詰めて来ない悪戯猫。
半々に色分けされた奇妙な髪、頭頂部から伸びるチャーミングな耳、見た事がないくらいに綺麗に整った目鼻立ちに桜色の唇、その顔に常に浮かんでいる性悪なニヤニヤ笑い。
いつも見えそうで見えない丈の短い服からすらりと伸びるしなやかな太股、ふかふか触り心地のいい愛嬌のある獣の手、胸元をぐっと押し上げる膨らみに細く括れた「ラブハンドル」
（……何を考えてるんだ俺は……こんな事考えるから余計に……）
前屈みになりながら何か気分を変えるものはないかと本棚を眺めながらうろつくが、一向に下半身の憤りが治まらない。
それどころか本棚の陰から妖しげな声が聞こえたり魔物のカップルがいちゃいちゃ読書してたりするのを見かけたりする。
（ええいくっそ色ボケの国め……それにしてもさっきから変だぞ俺……ここしばらく抜いてなかったにしてもこれは……）
不安げに見下ろした先には生まれてこのかた見た事が無い程に肥大化した愚息、何かの病気じゃないかと疑うほどだ。もはや屈もうがどうしようが服の上から膨らみがわかってしまう。
（まずいなこれ……こんな状態でヤヤに会ったら何言われるやら……）
どうやら時間を置いても収まりそうもない様子だ。
（……別行動の間にちょっと……抜きたいな……いや、どこで？……）
アトレーは考え込む、どこか人目につかない場所はないものか？少しの間で済ませられるのだが……。
「……えっ」
丁度そう思った所でアトレーの目に飛び込んできた文字があった。
「休憩所」
そう書かれたドアがずらりと並ぶ場所にいつの間にか迷い込んでいた。
「なんだここ……」
見てみるとドアノブにはカードが掛けられており、「ＣＬＯＳＥ」と「ＯＰＥＮ］の二種類があるようだ。
（何するところなんだろう……？）
と、一人の男と下半身をもこもこの毛に覆われた兎のような少女のカップルがやってきた。
「はやく、はやくぅ♪」
「焦るなって、すぐにぶち込んでやるからさ」
「はぅぅぅん♪素敵ぃ♪」
二人はいちゃこらと触れ合いながら「ＯＰＥＮ」のカードのかかっているドアのカードをひっくり返して「ＣＬＯＳＥ」にすると中にしけこんだ。
（……ナニするところかい、というかこんな施設作るから本の置き場所なくなるんじゃ……）
図書館にホテルが併設されているなんて聞いた事も無い。つくづく色に狂った世界だ。
（……さっきのあの二人もここに入ったのかな……）
そんな事を考えながら「ＯＰＥＮ］のカードの掛ったドアをこっそり開けて中を覗いて見ると、中には薄ピンクのダブルベッドがハート型の魔法ランプの薄明かりに照らされていた。
傍には棚があり、ナプキンや石鹸、櫛などのアメニティも充実しているようだ。行った事はないが娼館の一室はこんな感じだろうかと思った。
（……一人で使っちゃいけない……って事はないだろ、ちょっとアレだけど、ちゃちゃっと利用させてもらおう）
アトレーはカードをひっくり返して一人部屋に入った。
棚を探って紙ナプキンを見付けたのでそれで致す事にする。
早速ナプキンを片手にベッドに腰掛け、自家発電を開始したが、これほど張りつめているにも関わらず一向にその兆候が訪れない。
なんというか、皆が隣やそこいらで恋人と励んでいる中自分だけ一人せっせと発電しているのが非常に虚しく感じる。
（ちくしょう、童貞の妄想力舐めるなよ！）
精神を集中し、雑念を払う、いや、性欲は雑念なので雑念に集中すると言う方が正しいか。
（今日のおかず……見えた！）
（にゃん♪）
「おめえじゃねぇよ！」
脳裏に何故かヤヤが浮かび、思わず声を上げる。
（……いや、散々茶化されてきたんだ、想像の中でぐらいきゃん、と言わしてやる……！）
思い浮かべる、腕に押し当てられた柔らかさ、肉球のぷにぷにさ、丈の短いスカートから覗く眩しい太股、悪戯気な笑顔……。
「くぅ……」
気分がノってきた、何と言ったか、そうだ、ラブハンドルだ、あの括れに手をかけて後ろからガツンガツンと尻に腰を打ち付けてやる事を想像する、そうすればどんな鳴き声を上げるだろう？
しゃにむに右手を上下させながら想像を加速させる。
「ぐっ……ヤヤぁ……！」
アトレーは失念していた、別れしなに交わした約束。
（そろそろ出たいと思ったらぼくの名前を小声でいいから呼んでくれたらいい、すぐに飛んで行って出口まで案内するよ）
「ヤヤ……ん、えっ」
時が凍りつく。
ナプキンを片手にズボンを下ろし、ベッドに腰掛けて自らの陰茎を握る自分、その眼前に座り込んでこっちを見ている今しがた頭に思い浮かべていた人物。
「……♪♪♪」
「…………」
アトレーは無言のままナプキンで先走りを拭ってすっとズボンを引き上げた。ヤヤはしゃがみ込んだ体勢で自分の膝に肘を付いてニヤニヤとその様子を眺めている。
「ふうー……」
ナプキンをゴミ箱に投げ入れたアトレーはどっかとベッドに腰を下ろして長いため息をついた。
「見た？」
「見た」
「ＡＡＡＡＡＡＡＨＨＨＨＨＨＨ!！」
アトレーはベッドの上でそっくり返って身悶える。
「見てないって言えよ！そこは空気読んでさあ！」
「猫に空気を読む能力を期待しちゃあいけない」
「もーヤダー！お婿さん行けない！」
「にゃふふん♪」
「ふぶぁ！？」
と、のたうち回っていたアトレーの上にぴょいん、とヤヤ飛び乗った。
「ちょっ、何！？」
「手伝おうか」
「何を！？」
「ナニを」
「いやー！待って！やめて！」
ヤヤは長い舌を見せ付けるように舌なめずりして見せる。
「ぼくにシてもらう所を想像してたんでしょ？」
「想像するのとリアルは違うんだよ！」
「違わない違わない♪」
「違う違う！」
チヨチヨチヨピピピピピ！！
と、押し問答する二人の頭上にけたたましい鳥の鳴き声が降り注いだ。
「あっ」
見るとヤヤの頭の上にピンク色の小鳥が乗っており、しきりに鳴きながらツンツンとくちばしで頭をつついているのだった。
「いいところだったけど、お茶会の時間……お茶会にはね、参加しないとね♪」
「お、お茶会……？」
「勿論、キミも参加するんだよっと♪」
そう言うとヤヤはアトレーの肩を掴み、ごろりと体を回転させる。「えっ？うわっ！」
そのままどてっ、とベッドの端から下に落っこちてしまう。
「あいたっ！何を……！？」
腰をさすりながら文句を言おうと顔を上げればもうそこは図書館の休憩所ではなかった。
周囲は何か布のような物に囲われていて狭く、薄暗い、ヤヤもいつの間にかいなくなっている。
(またどっかに飛ばされたのか……？)
ゴンッ
「痛てっ」
立ち上がろうとすると天井に頭がぶつかった、異様に低い。
(どこだここ……)
とりあえず姿勢を低くしながら進み、布を捲り上げて外に這い出る。
出た瞬間、外気に覚えのある匂いを感じた、森の匂いだ。
と言っても慣れ親しんだあの森のではない、嗅いだ事の無い花と果実の匂いが混じったような奇妙な匂い……不思議の森の匂いだ。
目に映る光景もあの異様にカラフルな植物達だ、しかし何か違和感を感じる。
（……う、動いてる？）
すぐに気付く、景色が右から左に流れているのだ、つまり……
（違う、俺が動いてる？え、ここって……）
「うわっ」
自分の立っている場所を認識して思わず声が出る。
森林の中の大きな川の流れに浮く巨大なハスの葉、その上に立っているのだ。どうりで景色が流れる訳だ。
「やあ、いらっしゃい」
背後からの声に振り向くとテーブルクロスの掛った五人掛けほどのサイズのテーブルがあり、その上に銀で出来た高級そうなティーセットが置いてある。自分はあのテーブルクロスの下から這い出て来たらしい。
席に着いているのは二人、テーブルに肘を着いて相変わらずのニヤニヤ笑いを浮かべているヤヤと、ティーカップを持ち、帽子を被った男性……いや、女性が一人。
スーツを着こなしているので一瞬男性に見えたが、その中性的でありながら美麗な顔立ちとぴっちりとしたスーツを押し上げる膨らみによって女性である事がわかった。
一見するとヤヤや他の魔物達のように人間との顕著な違いが見られないので人間かと見間違うが、よく観察するとやはり所々奇妙な特徴を備えている。
（……キノコ？……キノコだ、この人キノコ生えてる……）
スーツのそこかしこに何かが寄生するように張り付いているのだ。
特徴的な大きな帽子に視線を走らせるとその帽子のつばからにょっきりとカラフルなキノコが生えているのが目に入った。多分飾り物では無い。
（魔物……なんだよなやっぱ）
「どうぞ、座りたまえ」
女性にしては低めでよく通る声でその魔物は座るようすすめて来る、アトレーは突っ立っている訳にもいかないのでその魔物の向かい、ヤヤの右隣の席に座った。
（……どうやってここにテーブルとか持って来たんだろう）
ゆっくりと流れる周囲の景色と足元のハスを見ながらアトレーは考えようとしたが、すぐに放棄した。
（まあ、不思議の国だからな……）
何しろ何でもそれで説明がついてしまうのだから。
「初めまして、君の名は……アトレー君、かな？」
「そう、ですけど……何故知ってるんで？」
「ヤヤから色々と聞いたからね、ボクはクルグリィ・クルグィーナ・クルファーフという」
「ク、クルクル……何……？」
どうしてこの国の魔物達は発音のしやすさを考慮せずに名前を付けるのか。
「クルフと呼んでくれればいい、種族はマッドハッター」
聞いた事の無い種族だ。
「ところで……」
クルフは胸元から懐中時計を取り出してそれに視線を落とす。
「フィリップとマルマルはまだ来ないのかな？」
「毎度の事だけどお寝坊さんだからねえ」
この上まだ誰かが参加するのかとアトレーは頭を抱えた、流れから考えてそのフィリップとかマルマルとかもまともな人物とは思い難い。
「その……」
「うん？」
勇気を出してクルフに聞いてみる。
「どういう人……人？魔物か、魔物なんですかその二人って」
「ああ、フィリップはフィルフィル・フラッピィ・フラップファーと言ってね、うさぎさんの魔物だ」
（読みにくい！！）
アトレーは思った。
「マルマルはマルーク・マルークというねずみさんの魔物さ」
（読みやすいだと！？）
アトレーは思った。
「お茶会の常連なんだけれども……おっと来た」
「！？」
クルフがそう言って見た方向を釣られて見てアトレーは目を丸くする。
何か白くて丸っこい大きな物体……巨大なティーポットがハスの上に乗っており、その傍に下半身にもこもことした桃色の体毛をたくわえたうさぎの少女が立っている。
どうやら図書館で見掛けたのと同じ種族のようだ。
「えへへぇ、ごめんなさあい、遅れちゃっ……」
うさぎの少女……恐らくフィリップという少女は照れ隠しのような表情を浮かべてそう言いかけたが、アトレーの方を見た瞬間その表情がかちん、と凍りついた。
「……オス」
ぼそ、と何かを言った。
「……え？あ、俺？俺は……」
「オスだぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁ♪」
少女は顔を輝かせるといきなりもの凄い跳躍力で飛び上がり、アトレーの方に飛んで来た。
「わーーーー！？」
と、アトレーが押し倒されんとする直前、空中のフィリップに横殴りに何かが突っ込んだ。
「よいっしょー！」
「ほわああああああああああ！？」
ヤヤだった。綺麗なドロップキックでフィリップの軌道を空中で強引に変更させるとくるくるっ、と回転してしゅたっ、と猫らしく華麗に着地した。
蹴り飛ばされたフィリップの方はずさーっと顔面で地面を滑った、痛そうだ。
「うぐぐぐぐ……ひどいよぅヤヤちゃん！どーして邪魔するの！？」
意外と元気そうにがばっと飛び起きたフィリップは鼻をさすりながら文句をまくしたてる。
「チッチッチッ」
ヤヤは指をちらちらと振って見せながらウィンクをする。
「あ……うー……ヤヤちゃんのお手付きー？……ざんねぇん……」
フィリップは名残惜しげにアトレーの方をちらちら見ながらおとなしく席に着いた。
「さて、皆揃った事だし、始めるとしよう」
「え？いや、マルマル……さんは？」
アトレーは話題に出ていたもう一人の名を上げる、というか先程からテーブルの横にでかでかと鎮座している巨大なティーポットが気になってしょうがない。
「おおっと忘れていた」
クルフはそう言って席を立つとそのティーポットをコンコン、とノックする。
「マルマル、お茶会だぞ？」
「……」
「……」
「……」
カチャッ
大分長い間を置いた後、ティーポットの蓋が音を立てた。
もそ、と蓋を押し退けて顔を出したのは愛らしく、幼い少女の顔、ネズミの魔物と紹介されたがその通り頭頂部にまんまるで大きな耳がある。
「……んー……おはようございまふ……」
眠たそうにこしこし目をこすると、蓋の下から這い出て来てそのままティーポットの側面をつるーっと滑り下りた。
「よいしょっと……おはよう、マルマル」
それを下でクルフがお姫様抱っこの形でキャッチして挨拶する。
（……何て格好だ）
ティーポットの中がどんな空間になっているのかわからないが、マルマルの格好は今しがたベッドから起きてきましたと言わんばかりにだらしなく前の開いたネグリジェ姿だ。
クルフがそっと立たせてやるとマルマルは欠伸をしながらふらふら歩いて席に着いた。
「では、改めて始めるとしようか」
五人が席に着いた所でクルフはティーカップを掲げてにこやかにそう言った。
「えへへー、お菓子いっぱい持って来たよ♪」
フィリップは嬉しそうに言うとひょい、と足元から蓋をされた銀皿を取り出した、何も無い所から物を取り出すというのはここに来てから何度も見たのでアトレーももう驚かなかった。
「じゃん♪」
（おおっ）
蓋を取ると皿に乗っていたのは色とりどりのお菓子。
クッキーやパイなどの焼き菓子からショートケーキやブラウニーなどのケーキ類、透明なカップに入ったプリンやカラフルなゼリー。
綺麗に盛りつけられたそれらはアトレーにとっては物語の中や絵に描いた物でした見た事のない高級品達だ、思わず目移りする。
「どれでもどうぞー、あむっ♪」
言うが早いか自分で真っ先にカップケーキに手を伸ばし、かぶりつく。
「むふ～～～♪」
ほっぺに手を当てて表情を綻ばせるその仕草は甘いもの好きな人間の女の子となんら変わらないように見える。
「遠慮せずに君もいただくといい、彼女のお菓子作りの腕は大したものなんだよ、それ以外はちょっとアレだが」
香り高い湯気の立つティーカップをアトレーの前に置きながらクルフは言う。
「アレってなによぅ！ぶぅぶぅ！」
むくれながらもお菓子に伸ばす手を止めないフィリップは確かに体の発育とは裏腹に随分子供っぽい印象を受ける。
「……あっ……」
と、アトレーが見ていると目が合った瞬間にぽぽっと頬を染めて目を逸らした。
（初々しい子だなぁ）
「やだ……私のほう見てる、視線が下だった、おっぱい見てた、太股みてた、きっと揉みしだいたりすりすりしたりぺろぺろしたりしたいって思ってるんだ、それで無理やり押し倒して獣みたいに犯してやりたいって思ったんだ、想像の中でもう滅茶苦茶にされちゃってるんだ……！やぁん♪」
（そう見えたのは気のせいだな、うん）
考えを修正しながら紅茶に口を付ける。
「あっ、うまい……うまいです」
お菓子と同じく紅茶も今まで口に入るような品ではなかったのでこれが飲むのは初めてなのだが、その香りと味わいに驚く。
「そうだろう？私の庭で取れた葉だ、口に合ったなら何よりだ」
クルフは微笑む。
アトレーは次に銀皿に手を伸ばし、苺とクリームの乗った一口サイズのショートケーキを取った。
「あー……ん？」
口に運ぼうとしたケーキが唐突に消滅した、取り落としたのかと膝の上を見ても何も無い。どこに行ったのか。
「あーん♪」
と、横から先程自分が摘まんでいたケーキが猫の手に摘ままれて差し出されて来た、ヤヤだ。
一度手に取った物をわざわざ横から奪ってまでこれがやりたかったらしい。
「おまえね……」
「ほうらおいしいぞぉ♪あーん」
「作ったの私ですぅ……」
むくれるフィリップを横目に渋々口を開ける、多分抵抗しても無駄だ。
ぱくっ
爽やかな苺の酸味とクリームの甘味が口に広がる、うまい。
「おいしいかい？」
「おいしい」
「んふふー」
ヤヤは嬉しそうににんまりする。そういう表情は本当に腹立たしいくらいに可愛い。
「お熱いことだ、独り身には毒だね」
わざとらしくぱたぱたと顔を煽りながらクルフが言う。
「ちちち違います、そんなんではなくてこいつはガイドで俺はちょっとここに観光に来てるだけで……」
「それで旅の恥はかき捨てって言ってホテルに行っちゃうんだ……一夜の思い出って激しく燃えちゃうんだ……」
「お熱いお熱い」
（厄介な人らだ）
「もぐ……もぐ……むにゃ……」
（あとあの子は何なんだ、食いながら寝そうになってるぞ……）
何にしろこの流れはまずい、アトレーは思い切ってこちらから話題を振ってみる事にした。
「こ、この紅茶って、なんていう品種なんです？」
「うん、よく聞いてくれた、不思議の国で育成したメルティラブをベースに独自にブレンドしたものなんだ、飲みやすいだろう？」
「あ、はい……その、メルティラブってなんです？」
「魔界産のハーブだ、香にして焚くと恋人達の夜の盛り上げ役に活躍してくれるという代物だ」
「ははっ、飲んで大丈夫なんですかこれ」
「あまり大丈夫じゃない」
「えっ」
「冗談さ」
クルフは笑ってそう言った。
「ところで、この国に来てこれら以外に何か飲み食いしたかい？」
アトレーは思い出す。
「ええと……パン……中に何ジャムみたいなのが入ったのと、あとレモネード、かな」
「ははあ、それはもう手遅れだね」
「！？」
「冗談さ」
先程と全く同じ言葉と笑顔を返された。
不安になったアトレーは自分の体のどこかに異常がないかと意識してみる。
熱があるとかだるいとかの病気のような症状は今のところ無い、頭もはっきりしている……気が変になりそうな状況ではあるが。
(あとは……これは……)
張り詰めているズボンの前を見下ろしてアトレーは首を傾げる。
(普通、だよな……？これまで色々見せられたし……アレもヤヤのせいで中途半端で終わったし)
思い出したくない事まで思い出してげんなりする。
ぽむ
「えっ」
と、太腿の上に柔らかな感触が乗った。
これまで何度も感じた感触、ヤヤの手だ、すぐ隣にいるのをいいことにまたちょっかいをかけようとしているらしい。
「今回のケーキはちょっと甘さ控え目だね？前の注文聞いてくれたんだ」
「私はもうちょっと甘いのが好みですけどねー」
さすさす
テーブルの上では素知らぬ顔で会話をしながらその手はセクハラじみた動きをしている。
タチの悪い事はその手が非常に気持ちいいことだ、肉球の柔らかさと獣毛のふさふさとした感触は何度味わっても慣れず、振り払うのが惜しいと感じてしまう。
「どうかしたのかいアトレー君？」
「い、いや、何でも……」
「キミはどう思う？」
「あ、ああ？」
「このお菓子だよ、もうちょっと甘い方が好きかい？」
すにすに
人の下半身を弄りながら臆面もなく話題を振ってくる。
「そ、う、だな、ちょうど……いいように思う、が」
答えながらそのテーブルの下でふさふさした手を払い除けようとするが手は断固として離れず、それどころか前の突っ張りに触れてこようとする。
「そうかい？これとかどう思う？」
「あ、あのな、んむっ」
文句を言おうとした口にフォークに刺したパイが押し込まれた。
さくさくした生地の中から甘く煮られた果物が溢れ出る、甘い。
「……んぅっ！？」
どくん
その時気付いた、飲み込むと同時に下半身の昂りが反応している。
（これってやっぱ……！）
「ごくん、な、なあ、このお菓子って、ふむん！？」
「これはどうかな？」
言葉を発する間を与えず矢継ぎ早にお菓子が口に押し込まれる、フォークではなく手でぐいぐいと。
今度はクッキーだ、しっとりとした生地にほろ苦いチョコチップ、ナッツがアクセントになっている、おいしい。
どくん
そしてやっぱり味わう度にますますズボンの下の陰茎に力が漲る、もう間違いない。
「もぐもぐんぐ、こ、このお菓子ってふぐむんぐ」
口をきく暇を与えずチーズケーキが差し込まれる、濃厚なチーズとミルクのコク。
「甘い？甘すぎない？物足りない？もっと……甘ぁいのがいいかい？」
下半身を這い回る手に遠慮がなくなり、ズボンの上から昂りを肉球ですにすにと触れてくる。
「これは……あむ、ろうふぁら……？」
「むぐ！むぐむぐ！？」
チーズケーキを懸命に咀嚼しながらアトレーは目を見張る、一口サイズのガトーショコラをヤヤがその白い歯で咥えたからだ。
潤んで輝く悪戯気な瞳が近付く、口に咥えられたお菓子と共に。
「ごくん……あ……ぁ……」
ケーキを飲み込んだアトレーは殆ど無意識に口を開けてそのチョコを口移しで受け取ろうとする。
「あー……♪」
「あ……」
「んむ♪」
「あ……あっ……？」
と、触れ合おうとする直前にぱくん、とヤヤの口が閉じられた。アトレーは口を開けたままぽかん、となる。
「もぐもぐ……うん、やっぱりこれくらいが丁度いいな」
そう言って一人でチョコを食べてしまうとすっとヤヤはアトレーから離れてしまった。
同時に極限に張り詰めていた強張りをズボンの上からを弄っていた手も離れる。
「あ……う……」
「んー……？どうかしたのかなぁ？」
思わず呆けた表情になるアトレーをヤヤはしたり顔で見る。
「何かぁ……期待してたのかなぁ……？」
「ぐぬぬ」
「ははっ、相変わらず意地が悪い、まあ許してやってくれ、彼女なりの愛情表現なんだ」
「チェシャの皆はー、好きな人ほど意地悪したくなっちゃうそうですー……私にはよくわかりませんけど……」
「ｚｚｚｚ」
好きな人ほど意地悪したいって子供であるまいに……そんなに発育してるくせに。
そう思ってついまた体をガン見するとその視線に気付いたのか、ヤヤはわざとらしく足を組み変えて尻尾を揺らして見せる。
「ごほん、その、それはいいとして、あの……」
「なんだい？」
「ええと……川の流れ……早くなってません？」
少し前から気になっていた事だ、最初は気のせいかと思ったが、最初と比べると明らかに周囲の景色の流れる速度が速まっている。
「というか、何処に向かってるんですかねこのハス……」
「流れるままさ、文字通りね、こんな風にみんな生きていけたらいいのにねえ」
「は、はあ」
「流されるままに出会って流されるままの関係に……きゃっ♪」
「ｚｚｚｚ」
全然まともに取り合ってくれない、そしてネズミ幼女は寝てしまっているのだがもう帰って寝た方がいいのではないだろうか。
「さ、紅茶のお代わりはいかがかな？」
「い、いや、もう十分です……その、気のせいかもしれないですけどお茶もお菓子も何か、えらく精が付く感じがするんですけど気のせいですか？」
「気のせいではないとも、オチンポがバキバキになったろう？」
「げほっ！？」
この中で一番落ち着いた物腰と理性的な雰囲気を醸していたクルフの口からいきなり飛び出した淫語に思わずむせる。
「ヤヤと君との門出への祝福だ、遠慮せずにどんどん食べるといい、なに、精が付いたら付いた分だけ搾られるのだから問題ない」
「ふふん、気が効いてるじゃあないか♪」
「親友への餞別さ」
「沢山精を付けて頑張って下さいねぇ……♪」
「ｚｚｚｚ」
「ちょっ……ちょちょちょ、待って下さい！二人の門出って何ですか！あとマルマルさんずっと寝てるじゃないですか！？」
思わず席を立って声を上げる。
「おやおやまだ落ちていないのかい、中々ガードが固いようだね」
「うーん、手ごわいにゃあ、こうなったら奥の手を使うしかないかな？」
「奥の手で奥にまで……やんっ♪」
「ｚｚｚｚ」
「く、くそう、案内とか何とか言ってやっぱり俺を食べる気だったんじゃないか」
「性的な意味でね」
「永住コースって最初に説明したじゃあないか♪」
「やんっ♪」
「ｚｚｚｚ」
アトレーはぐったりとテーブルに突っ伏した。どうしてこうなった……いや、むしろ自分はどうしてこうなる事を予測できなかったのか。
「ぼくが相手では不満かい？」
そんなアトレーにヤヤは首を傾げて聞いて来る。
「魅力が無いかな？」
ぺた、と耳を倒しながらちょっぴり不安げな表情になって言う、卑怯である。
「ま、前も言ったけど魅力が無い訳じゃないよ、ただ俺には俺の生活があってだな……」
「ずっとこの世界に居る必要はないんだよ、前やったように二つの世界はいつでも行き来できるんだ、戻りたい時に戻って来たい時に来てくれたらいい」
「う、うーん……」
ヤヤはカップの中の紅茶をくいーっと飲み干した。
「押しが足りないなー、じゃ、やっぱり奥の手しかないにゃあ♪」
「な、何だ奥の手って」
不穏な物を感じてアトレーは警戒の色を強める。
「ダンス」
「……ダンス？」
意外な言葉にアトレーは拍子抜けした表情になる。
「ぼくらチェシャ猫の間に伝わる求愛のダンス、これを見てもらえばきっと心変わりしてくれるはずさ……♪」
「ヤヤのダンスか、あれはいいものだ、見て損はない」
「とってもお上手ですもんねー」
「ｚｚｚｚ」
（ダンス……？まあ……ダンス見るくらいなら……うん……？）
と、考え込むアトレーの耳に何かの音が聞こえて来た。低く、腹に響くようなごごごごご、という音が……。
その音はアトレーの背後……川の流れる先から聞こえて来る気がする。
そう言えばハスの流れる速度もますます早くなっている。
（……いやいやいや……）
非常に嫌な予感を感じつつアトレーはゆっくりと背後を振り返って見た。
とても見晴らしのいい景色が目に映った、彩り豊かな森や広々とした平原、そこかしこに点在するカラフルな街並み、地平の果てまで一望できる。
そんな景色がすっぱりと途切れた川の向こう側に見える、その途切れた川の淵からはもうもうと白い水蒸気が立っていて……。
「滝ぃぃぃぃぃ――――！？」
「滝だねぇ」
「滝だにゃぁ」
「滝ですねぇ」
「ｚｚｚｚ」
仰天するアトレーとは対照的に三人は落ち着いている、一人は寝ている。
「落ち着いてる場合ですか！落ちちゃいますよ！？」
「ステージの準備はできるかな？」
「三秒で出来るさ」
「私もあんな風に踊れたらお婿さん来るかなぁ……」
「ｚｚｚｚ」
「もしもーし！？」
「まあまあ落ち着きたまえ」
「落ち着けるか！」
既に周囲がもうもうと白い水しぶきに覆われ始める中、それでも微動だにせず紅茶を傾けて微笑むクルフ。
「落ちたって死にやしないさ」
「それは今までの経験で何となくわかりますけど怖いもんは怖い！」
「ｚｚｚｚ……んん……」
「あっ、マルマルちゃん起きた―」
その言葉に思わず目を向けると確かにずっと寝ていたマルマルが目をこすりながら頭を起こしていた。
「ん……だんす……」
眠っているように見えて一応話は聞こえていたらしい、伊達に大きな耳をしていない。
「そうだね、ダンスだね」
クルフはにこやかに答える、姉か何かのようだ。
「まるまる……」
「ん？」
「おど、れる」
そう言うと頼りない足取りで椅子からふらふらと立ち上がると、ハスの上でくるくると回り始めた。危なっかしい。
「ははっ上手だぞマルマル」
「えへへぇ、私だって♪」
その踊りを見てフィリップも席から立ち上がってくるくる回るマルマルの傍にぴょんぴょんと駆け寄る。
と、マルマルはぴたりと回転を止めてフィリップと向き合い、二人はぱちん！と両手を合わせた。
「「うさぎのおめめが赤いのは」」
「「きのうの夜にないたから」」
二人の声が綺麗に合わさる。
「「きのうの夜にないたのは」」
「「だんなさまが好きだから」」
リズムに合わせて手を合わせたまま一緒にくるくると回り始める。
「「だんなさまが好きなのは」」
「「うさぎの焼いたチョコクッキー」」
「「うさぎの焼いたチョコクッキー」」
「「うさぎの焼いたチョコクッキー」」
既に滝は間近に迫っている、ごうごうと轟音が鳴り響き、テーブルや食器がカタカタと音を立てる。
白い霧が周囲を包む中うさぎとねずみは手を取り合って歌い踊る、それを見てキノコの淑女と猫の案内人は微笑みながら手拍子をする。
すごい、正気の沙汰じゃない、そう思いながらアトレーも手拍子をした。
二人は手拍子に乗ってますます回転を早める。
「「チョコクッキーを焼いたから」」
ぴた、と二人は回転を止めた、もう滝はすぐ背後に迫っている。
「「こんやもうさぎは鳴かされる」」
「「はいっ♪」」
声に合わせて二人は手を繋いだまま勢いよく後の滝に飛び込んで行った、一見すると飛び降り自殺にしか見えない光景にアトレーはぎょっとする。
「ブラボーだ」
笑いながらクルフは拍手をする、そう言っている間にも既にハスは二人の飛び降りた滝に今にも引き込まれそうになっている。
落ちても平気とわかっていてもその迫力は身震いがする、と、その手をヤヤがぎゅっと握った。
「次はぼくの踊りを見せてあげる」
にんまりといつもの笑顔でそう言った、アトレーはぼんやりとその顔を見つめる。
ぐうん、と体が引っ張られるような感覚、あっという間もなく重力が失せ、水飛沫に混じってテーブルや椅子や食器が宙を舞った。
真っ逆さまになった視界の中で何故か空中でもしっかりと椅子に座ったままの姿勢のクルフがこれまたなぜかこぼれないティーカップを掲げてこちらにウィンクをするのが見えた。
「グッドラック」
・
・
・
アトレーは滝の起こす水しぶきの中をまっ逆さまに落ちていた。
色々な場所に飛ばされる展開にもいい加減慣れてきたので今度はどこに行くのやらと落ちながら考える余裕もあった。
(そう言えばダンスを見せるとか何とか言ってたな……)
そう思いながら周囲の霧を眺めていると徐々に霧が晴れていき、いつしかごうごうという滝の音も遠く、小さくなって行く。
気付けばアトレーは不思議の国を最初に訪れた時と同じく真っ暗な中を落ちていた。
(お、着くぞ……)
頭上に見える小さな一番星、それが徐々に大きくなってくる。
(げっ、そう言えば……)
そこでアトレーは前回の事を思い出す、確か前はパン屋の屋根を突き破って豪快に不時着したのだ。
慌てて手足をばたつかせて空中で受け身の体勢を取る、この世界の事だから死にはしないだろうが地面に頭から突き刺さるのは勘弁願いたい。
「いよおっ……とっ！」
何とか背中を下にした体勢になった瞬間、ごうっと全身に風を感じた。
ぼすんっ
「えっ」
衝撃に備えていたアトレーを受け止めたのは予想外に柔らかな感触だった。
見てみると革張りで幅広の高級そうなソファーの上にアトレーは着地していた。
「ここは……」
周囲を見回して見るとこじんまりした劇場のような場所だった。
ただ作りは小さくとも安っぽさはなく、深い赤のカーペットは足が沈みそうにふかふかで薄暗い場内はシックな色調の魔力灯でライトアップされている。
これまで見てきたおもちゃ箱のようなカラフルでエキセントリックな雰囲気とは一線を画した落ち着いた雰囲気を醸している。
そしてアトレーが座るソファーの前には漆黒のテーブルがあり、その上に磨きぬか抜かれたワイングラスと綺麗なガラスの器に入ったアーモンドが乗っている。
「失礼します……」
と、横に控えていたらしいタキシードをびしっと着こなした精悍な顔立ちの狼男（？）が持っていたワインボトルでうやうやしくグラスを満たしてくれた。
「あ……ありがとう」
礼を言うと狼男は一礼して後ろに控えた。改めて視線を前に向けるとテーブルの向こう側は分厚い深紅の幕で覆われており、向こう側がどうなっているかはわからない。
この場の雰囲気からステージがあるのではないかと思われるが普通と違うのはそのステージを鑑賞するための席がアトレーの座っている席一つだけだという事だ。
「なんか……すごいな……」
と、自分が場違いに感じるほどの高級感に圧倒的されていたアトレーの耳にピアノの音色が響いた。
続いて控えめなトランペットの音、その音に誘われるようにカーテンが音もなく開かれた。想像した通り、幕の向こう側にはステージがあった、劇場の規模に合わせた小さめで客との距離が近いステージだ。
その上に妖しい色のスポットを浴びてヤヤが立っていた。
ステージ中央には一本のポールが立っており、それに寄りかかっていつもの笑みを浮かべている。
緩やかなピアノとトランペットの旋律に合わせてふわりふわりと尻尾が揺れている。
ヤヤは爛々と金色の輝きを放つ縦に裂けた猫の目でアトレーを見つめながらそっと猫手で自分の唇に触れる。
「ちゅっ♪」
アトレーに向けて投げキッスをした。
ぽわん♪とその爪の先からピンク色のハートマークが放たれてアトレーに向けてふわふわと飛んで来る。
避けようと思えばいくらでも避けられるものだったがアトレーは何故だかそのハートを避ける気にはならなかった。
ハートはアトレーの額に当たった。
ぱちん、と泡が弾けるようにハートは消え、当たった箇所に実際にキスをされたような感触が残った。
アトレーが投げキッスを避けなかったのを見てヤヤは嬉しそうにニンマリと笑みを深める。
アトレーは何やら気恥ずかしくなって赤面した。気付くとピアノとトランペットの旋律は少しずつテンポを上げていた。
合わせてヤヤの尻尾も揺れのテンポを上げる、いつの間にか尻尾だけでなく腰全体がリズムに合わせてクイッ、クイッと振られ始めていた。
アトレーはごくりと喉を鳴らした、何て性的な動きだろう。
手は先程キスを投げた唇に触れ、そこからほっそりした顎、首、鎖骨、そして深い谷間から引き締まったウエストまでゆるゆるとなぞるように降りて行く。
まるで自分の身体のラインを強調して見せるように。
アトレーは指に誘導されるようにヤヤの身体のラインに見入り、改めてヤヤの見事なスタイルを再認識する。
いよいよ指がスカートの上に到達しようと言うあたりでヤヤはポールに背を預けてゆっくりとしゃがみこんで行く。
ぱかぁ♪
「おおっ……！？」
と、ヤヤの両膝がはしたないくらいに大きく割り開かれた、思わずかぶり付きで見入るアトレーだが膝が開かれたのは一瞬だけすぐに閉じられてしまう。
(ああっくそっ、もう少しで見えたのに……！って、いかん、まんまと視線を誘導されてるじゃないか……！)
そんなアトレーの思考なぞお見通しなのか、ヤヤはぱち、と悪戯なウインクをして見せるとふわりと髪をたなびかせてポールの周りを音楽に合わせてくるりくるりと優美に踊り始める。
こんなダンスがあるのか、とアトレーは思った。あらゆる動きが性的だ、ポールに向けてぐりんぐりんと腰を擦り付けるような動作をした時には不覚にもポールになりたい、と思ってしまった。
尻尾とお尻をふりふりとこちらに突き出された時には思わずテーブルに頬を押し付けて下から覗き込もうとしてしまった。
それより何より凄いのはそれだけふしだらな動きをしながらも動きの随所から野生の気品が感じられる点だった。
ただ媚びているのではない、自分の雌としての美しさを誇らしく、しなやかに見せ付ける。
その気品がまた、いやらしさを引き立てる。
「ふう、ふう、ふう……」
気付けばアトレーの息は上がっていた、勃起が激しすぎて痛い。
気を取り直そうと手元のワイングラスに手をかけてぐい、と傾ける。
芳醇な香りとほのかな酸味を残してワインはなめらかに喉を滑り落ちた。
渇きは癒えたが昂ぶりはますます収まりがつかなくなる。
ヤヤはポールに脚だけで掴まり、くるんくるんと宙で回転して見せた。
ツートンカラーの髪がなびいて美しい、華やかな髪の匂いがこちらに届きそうだ。
「ああ……！くっそ！見えない……！」
そして、やっぱり見えない。
挑発的な踊りの振り付けには大きく足を広げて見せたり腰を突き出して見せたりと大胆な動きが頻繁にあるというのに丈が短いはずのスカートがギリギリでその中身をガードするのだ。
狙ってやっているのだとしたら恐るべきテクニックだ。
「くううっ」
矢も盾もたまらず席を立ってもっとステージに近付こうとする。
「お客様……」
と、背後から声をかけられてぎょっとする、あの狼男だ、今の今まで存在を完全に忘れていた。
興奮しすぎて我を忘れていたアトレーは気まずくなる。
こういう場での鉄則「踊り子には手を触れないで下さい」ぐらいはアトレーも聞いたことがある。
「踊り子は御触りOKです」
「そう、ですよね、すいませ……えっ？」
「OKです」
「……」
許可を得たアトレーはステージ上で妖艶に舞うヤヤの方を見てごくりと喉を鳴らし、ふらふらとステージのふもとにまで近寄った。
ぺったりと四つん這いでお尻を持ち上げる姿勢になったヤヤと間近で見詰め合う。
「くふふ」
ヤヤは茶目っ気たっぷりの笑みを見せるとごろん、と体勢を変えてアトレーの目の前でぱっくりと股を開いて見せる。
「あ、ああああ……」
食い入るように見つめるが、やはりスカートがスレスレでその秘部を隠している。
わからない、はいているのか、はいていないのか。
ゆらりゆらりとヤヤの尻尾がアトレーの目の前で揺れる、おいでおいで、と。
アトレーの耳にかちかちと耳障りな音が聞こえた、何の音かと思ったら自分の歯が震えて鳴らしている音だった。
恐怖や緊張ではなく、性的興奮で歯の根が合わなくなるなんてアトレーは初めて知った。
くいっ、とヤヤの尻尾が手招きをするとずいっ、とアトレーがステージ上に乗り出す、またくいっと手招きをするとまたずいっ、と近付く。
まるでルアーフィッシングのようだ。
「にゃん♪」
もう少しで手が届くというところでヤヤは一声鳴くと股を閉じてするするっとステージ中央に逃げてしまう。
待て、逃げるな。
半ば本能的な動きでアトレーはステージに這い上がってポールの元でスポットライトに照らされているヤヤに迫る。
と、ぱかんとステージ後方に落とし穴のような穴が開いた。
ヤヤは笑いながらその穴の中にぴょいん、と飛び降りて逃げてしまう。
アトレーはその後を追って躊躇なく飛び込んだ。
・
・
・
穴の中は例によって真っ暗だった、その暗闇の中をヤヤとアトレーは落ちていく。
当然、アトレーは先に飛び降りたヤヤの後を追って落ちる形になる。
ヤヤは仰向けの体勢になって手を広げ、自分を追って落ちているアトレーを微笑みながら見ている。
「くうっ！ヤヤっ……！」
アトレーは手を伸ばす、届かない、物の落ちる速度は全て等しい、空中にいる限りアトレーがヤヤに追い付く事は無い。
「ヤヤっ！ヤヤぁっ！」
それでもアトレーは手を伸ばした、届かないのをわかっていて手を伸ばさずにいられなかった。
「ちくしょう」
アトレーは切なくなってきた、何度も誘ってくるのにいつもそうだ、こちらからは触れさせてくれない、すれすれで逃げてしまう。
もしかしたらこの縮まらない距離のようにずっと触れそうで触れられないままなんじゃないだろうか？
そんな事を考えていると性的な意味だけでなく寂しくなってきた、ヤヤに触れたい、もっと傍に……。
「待ってくれよお……」
アトレーの目から涙がこぼれて後ろに流れていく。
ヤヤは笑った、元々笑みを浮かべていたが今までの悪戯気な笑顔とは違う表情だった、優しい笑顔だった。
ヤヤが手を伸ばした、アトレーも今まで以上に伸ばした、必死に伸ばした。
つい、と猫の手の爪の先に指が触れる、掴もうとしたがすぐ離れてしまう。
もう一度。
今度は指を掴む事ができた、しかし滑って離してしまう。
「捕まえて」
ヤヤが言った、今まで違う声だった、甘えるようなねだるような声だった。
「もっとちゃんと」
ヤヤは両手を伸ばした、アトレーも両手をぐっと伸ばす。
ぎゅっ
掴んだ、獣の手と人間の手はしっかりと握り合った。
訳の分からない感動が身を包んだ。
両手を繋いだ二人は空中でメリーゴーランドのようにくるくると回った。
「やっと捕まえたぞ！」
「くふふ、違う違う捕まえたのはぼくさ」
「何をー！？」
アトレーは強く手を引いてヤヤを引き寄せた。
途端にヤヤは甘えるような表情になる、その顔が堪らなくてアトレーはキスをした。
「ちゅっ」
「んー♪」
空中で絡み合いながらのキスは流石に難しく、唇にするつもりが目蓋の上に触れてしまう、ヤヤはくすぐったそうに目を閉じる。
「うふふぅ」
今度はヤヤの方から手を引いた。
肩まで抱き寄せて後頭部にも手を回す、耳にふさふさと獣毛が当たって気持ちいい。
「ちゅむ」
互いに抱き合ったので今度は唇にキスする事が出来た。
落下しながらのアクロバティックなファーストキスである。
ぷるん、と柔らかく、弾力のある感触が唇に触れた。
ぞくぞくと背筋に鳥肌が立った、体験した事のない快感だ。唇が触れただけの感覚とは思えない。
「くふふ、初めて？」
「そうだ」
「ぼくも」
「……ほんとかよ」
「かっちーん☆」
笑顔なままヤヤはこめかみに青筋を浮かべる。
ぐいっとアトレーの頭を引き寄せるとごちん、と額を突き合わせる。
「あいたっ」
「ぼくがそんなにビッチに見えるかなぁ？」
「いやだって、男誘うのうますぎ……」
「……そゆことならまーいいか」
ぺろ、と鼻先を舐めてそう言った。
「でもちょっとむかついたなぁーこれは思い知らせてやらないとねぇ？」
言うなりがしっとアトレーの方を掴んでぐるりと体を反転させる。
「わっ！」
その瞬間にごう、と風が吹き、アトレーはぼすんと柔らかいものの上に背中から落ちていた。
どうやら落ちたのはベッドの上らしい、そしてヤヤがちょうどアトレーの上に跨る形になった。
ヤヤの笑みの背景に見えるのは凝った装飾の施された白い天井……いや、シーツか何かに見える。
周囲を見回してみると大きなダブルベッドの周囲は薄いベールで囲まれている、天蓋付きのベッドというやつだろうか。
ベールの外はほんのりと蝋燭に照らされているくらいの明るさになっており、周囲にはなんとも言えないいい香りが漂っている。
見てみるとベッドの傍らには豪奢な造りのお香が焚かれており、周囲に漂っているのはその匂いらしい。
まるで王様の後宮の一室のような部屋に二人はいた。
「ここにはだーれも来ないよ」
アトレーの上でヤヤはにやにやしながら言った。
「ぼくがどれだけキミを愛してるか存分に教えてやろうじゃないか」
「お、俺だって散々誘われてスカされていい加減我慢の限界なんだ、好きにさせてもらうぜ！」
内心ばくばくしながらアトレーも言い返す。
ヤヤは「くふふぅ♪」と嬉しくて堪らなそうな笑みを浮かべてぶるる、と体を震わせる。
「だ、だからさ……」
「うん？」
アトレーは自分の上にいるヤヤの存在を確かめるように肩に触れた。
「もう逃げないでくれよ……」
「……」
（あー、くそっ）
言ってから後悔した、こんな弱気な発言をしたらからかわれるに決まっているというのに。
しかしヤヤは予想に反してふにゃふにゃっと表情を崩した、あの人を食ったような笑顔とは違う、先程アトレーに引き寄せられた時にちょっとだけ見せた甘えるような表情だ。
その顔でヤヤはぽすん、とアトレーの胸に顔を埋めた。後ろでは尻尾が上機嫌そうにはたはたと揺れている。
「可愛いなぁキミは」
「だ、誰が」
「逃げてほしくなかったらしっかり捕まえておいてくれよう」
そう言って顔を埋めたままぽむぽむとアトレーの両肩を叩いた。
アトレーは言葉と態度の両方でちゃんと自分の気持ちを伝えようと思った。
ぎゅうっとヤヤを抱き締めて言った。
「ヤヤ、大好きだ」
「……」
ヤヤは何も答えなかったがその耳と尻尾がびぃんっと立ち上がって反応を示した。
そしてぐりぐりぐりぐりと顔を胸に擦り付けて来た、猫のようだ、猫だけど。
アトレーはキスがしたくなったので胸の中のヤヤの顔をこちらに向けさせた。
（あっ……本当に初めてなんだなあ）
アトレーはそう思った、胸から顔を上げたヤヤは頬から首元に至るまでぽっぽと湯気が立ちそうに赤くなっていたからだ。
ステージの上で妖艶に自分を誘惑していた魔物と同じとは思えない。
ふさふさと手触りのいい耳を撫でながらアトレーはヤヤにキスをした、ヤヤも目を閉じて応える。
ちゅぷ……ちにゅ……
先程よりももっと深いキスがしたいとアトレーは思っていた、ヤヤはその意思を汲んで唇を合わせると同時に薄く開いてくれた。
どきどきしながらその中に舌を差し入れてみると、先程自分の飲んだワインの香りが少しした。
かり、と入口でネコ科らしく鋭い八重歯に引っ掛かり、舌に軽い刺激を受ける、それさえも心地いい。
ねちゃ……
口の奥に控えるヤヤの舌と接触した、適度にざらざらとした感触があり、生暖かい、それに触れただけで顎が震えた。
もふ……さす……さす……
そうしている間も体中を手で撫でさすってくる、やはりこの手に触られるのは心地いい。
アトレーも負けじとヤヤの体に指を這わせる。先ほどステージ上で散々に見せ付けられたので興奮もひとしおだった。
（……すげえ、どこもかしこも……）
柔らかい、それでいて滑らかな手触りの下に猫科の獣らしいしなやかな筋肉のうねりを感じる。
「んむー……んもぉ……くちゅ、くちゃ♪」
ウェストに手をかけてゆるゆると撫でるとヤヤは嬉しそうに腰と尻尾をくねらせる、この腰の動きは本当に男を狂わせる動きだ。
そして口腔内でもざらつく舌の表面で上顎をぞりぞりと擦り上げてくる、首筋に鳥肌が立つ。
「ふぁぁぁムんぅぅ……ぴちゅくちゅぅ……んふふぅ……えろ♪」
一旦口を離すと悪戯気な表情であかんべえをするように舌を突き出して見せた、アトレーも思わず追いかけるように舌を突き出す。
にちゃぁ……
宙で二人の舌先が触れ合う。
ねちゃ……ねち……くちゃ……
キス、というよりは互いの舌を使った淫らなスキンシップだった。
押して、引いて、誘って、逃げて。こんな舌の動きでさえヤヤは自分を惑わせる。
むにゅん
「んぁん」
ヤヤが舌を離して反応する、細腰に這わせていた手が豊かな房の下に到達したのだ。
手の甲でふにふにと形を変えて重みを楽しむ。
ヤヤはくすくす笑うと覆い被さっていた上半身を起こしてより弄りやすく、見えやすいようにしてくれる。
「コワい顔……食べられちゃいそ♪」
言われて自分が獣のような顔をしている事を自覚させられ、ちょっと我に返って恥ずかしくなる。
が、ヤヤがフリル付きの胸元に指をかけてずるりと下ろしたのを見てまた理性が旅立った。
「食・べ・て♪」
真っ白で丸くてピンク色の突起があってふるふる揺れるそれにアトレーは震える手を伸ばす。
ふにゅぅん
「みゃぁぁ……」
背に押し付けられたり腕に当てられたりなど接触する機会はあったが、やはり直に手で触れると興奮の度合いが違う。
たっぷりと手の平前面に当たる絹のような吸い付く感触、のっしりと感じる成熟した重み。
「なん、で」
「ふぅぅん……？」
「なんで、女の胸ってこんなエロいもんがぶら下がってんだろう、な……」
興奮に息を荒げながらよくわからない事を言う、自分でも何を口走っているのかよくわからない。
「くふふぅ……何でだろうねぇ……？でも他の女のは知らないけどぉ……ぼくの胸が大きいのはねぇ……」
ぐい、と手首に肉球が添えられて遠慮がちだったアトレーの手がより胸に押し付けられる、指の間からむにゅりと柔肉がはみ出るほどに鷲掴んでしまう。
「アトレーにいじめてもらうためにぶら下がってるんだと思うよぉ……？」
ぶち、と頭の中で太い物が千切れる音が聞こえた。
「こんのエロ猫ぉ……！」
「ふみゃあ♪」
腹の底から湧き上がる衝動に任せて腰を跳ね上げ、体を反転させてヤヤを押し倒し返す。
もぎゅっ、むぎゅっ、むにゅる、もみゅん、ぎゅむん、
「お、ふぉ、おふっ、ふひゅぃ、ふぎゅぅ」
そうして欲望の暴走するままにヤヤの乳房をパン生地でもこねるように揉み回す、テクニックも何も無い剥き出しの獣欲を叩きつけるような愛撫だったがヤヤは嫌がるどころか目を見開いて喘ぎ声を上げる、明らかに感じている。
「ふきゅ、あとれ、アトレー……きすぅ……」
手を伸ばして涙目でねだられてやっと理性が少し戻る、そっと頬に手を寄せてキスをしてやる、もう片方は未練がましくむにむにと乳房を揉み続けていたが。
「ちゅぱぁ……ずっと、疑問に思ってた事ぉ……答えてあげようか……？」
「何……何だ……？」
執拗なキスを終えてヤヤが目をとろんとさせながら妙な事を言う。
「ぼくがぁ……はいてるかぁ……はいてないかぁ……」
ぱかぁ、と舞台の上でそうして見せたようにアトレーの下ではしたなく股を割り開いて見せる。
「確かめるぅ……？」
ねちゃ、と長い舌で唇を舐めながら気の狂いそうに眩惑的な台詞を吐いて来る。
「分かり切ってるんだよ……！どうせ何もはいてないに……！」
アトレーは興奮で震える指で散々視界の邪魔をしてくれたいまいましい短いスカートの裾を摘まんだ。
「決まって……！」
ぴら
「………………」
アトレーは呆けたように目を見開いてヤヤの露わになった股間を凝視した。
「…………♪」
ヤヤが履いていたのは一着の下着、というかフリルのついた一本の紐。
腰から股下をくぐる申し訳程度のライン、そしてあろうことか股間部分を覆うはずの紐は二股に分かれてヤヤの無毛の女性器を縁取っている。
ふっくらとした土手はより強調され、潤みを帯びた濃いピンク色を見せつけている。
「……」
アトレーは無言で素早くズボンのベルトを引き抜き、下ろし、窮屈な思いをしていた陰茎を迅速に解放した。ズボンを脱ぐ早さを競う競技があったなら世界を狙えそうな速度だった。
「あはァ……ざんねぇん……正解はぁ、はいて「はいてねぇよ！！！」」
ずぶぶぶぶぅ
「んおおおおおぅっ」
言い終える前に手加減無しにぶちこんだ、凄絶な快楽を与えて来るヒダを押し分けて一気に奥にまで到達させた。
ヤヤは一瞬で目の焦点を失わせ、獣のような声を上げた。
「これの！「はひっ」どこが！「ふぎゅっ」はいて！「んひゃぃっ」るって！「ふきゅぁっ」言う「ふぎゃぅっ」んだぁ！？「あみゃぁ」こらぁ！？「おひゅぅ」」
怒りに似た興奮を纏ってアトレーは腰を叩きつける、余りに淫らすぎるヤヤの装いに一度戻りかけた理性は先程よりも更に遠い所に旅立って行ってしまった。
「もう勘弁ならんぞこのドエロ猫っ……！何だこの……！なんだこれぇ……！？」
しかし打ち込めば打ち込む程にヤヤの性器は愛しいオスの侵入に歓喜し、魔物の本性を露わにし始める。
感じ取り、順応し、アトレーが最も気持ち良くなれるようにその身を作り変え始める。
「はひ、ひぅ、わかる、あとれ、の、かたち、わかるぅ」
「うぐ、ぎ」
ペース配分を全く考えない本能に任せた責めは突いた回数が二桁に達しないうちに限界を迎えそうになる。
（だっ……だめだっ……抜い……抜いて……抜きたくない……！）
あまりに早く達してしまうのはどうかと思ったが、腰の動きを止める事ができなかった、そして抜く事も。
自分の中の雄の本能を初めて自覚した気分だった。
「なかっでっ……ヤヤぁっ！中でいいかっ……！？いいよなっ……！？ぐ、ぐ」
必死にお伺いを立てるアトレーにヤヤは普段の表情からは想像できない緩んだ顔で言う。
「なかでないとやぁ……」
「……っっ！」
どぐんっっっ！
睾丸が持ち上がるような感覚と同時に爆発的な快感に襲われた。
（出してる……！ヤヤの中に……！）
「ぐぅぅぅぅ」
無意識に獣のようなうめき声を上げてしまう、脳髄が焼けるような快感、今まで経験した射精とは全く別次元の射精感。
ヤヤはとろとろに緩んだ表情でびくびくと体を痙攣させていた、声も上げられない様子だ。
どくん……どくん……どくん……どくん……
きゅぅ……きゅぅ……きゅぅ……きゅぅ……
射精が止まらない、いや、ヤヤの中が止まらせてくれない、射精のリズムに合わせて絶妙な締め付けで最後の快楽を長々と長引かせる。
気が遠くなる快感に恐怖すら感じるが雄の本能が腰を引かせてくれない。
「し……しぼ……ら、れ……」
まさに「搾精」だ、魔物の体を味わった者が絶対に離れられなくなる理由が嫌でも理解できる。
「ふう、う……あぁ……」
ぶるぶるっと背筋を震わせて最後の一滴までヤヤに注ぎ尽くす、例えようのない虚脱感と充実感に包まれる。
（き……気持ちよかった……）
空恐ろしい気さえしながら腰を引いて抜こうとする。
ぐいっ
「えっ？」
と、腰を引いた動きに合わせてヤヤが腰を押し付けて来た、抜けない。
それどころか上体を起き上がらせるととん、とアトレーの肩を押してまた状態を逆転させる。
「まだ、いけるね？」
「え、あ、いや」
「いけるって♪」
ヤヤはじゅるりと舌舐めずりをして目を輝かせた。その目を見てアトレーの首筋に快楽とはまた違う鳥肌が立った。
ぬじゅっずちゅっずちゅっずちゅっずちゅっずちゅっぐちゃっ
「ちょっとまっあっあっあ゛あ゛あぁっ！？あっあっあっあっ」
制止の言葉も言い終わる前に上げた事も無いような声を上げさせられた。男が喘がされるなど情けないとは思うが堪えようがなかった。
あの動きだ、舞台の上で見せた男の本能に訴えかけるような、腰から下が別の生き物であるかのような腰使いでヤヤはアトレーの上で踊っていた。
体験させられて初めてわかったが、あの腰使いは見た目に妖艶なだけではなく実に合理的な動きである事が理解できた、膣全体のヒダがたっぷりと密着して摩擦される上予想できない角度から快感が襲ってくる。
そしてやはり見た目にも強烈だ、自分の精液とヤヤの愛液が混じり合って泡立つ結合部にそそり立った自分の陰茎がぐちゃぐちゃと粘液を飛び散らせながら出入りする様子が見える。
何より爛々と目を金色に輝かせたヤヤの捕食者じみた目と淫猥な笑顔がぞっとするほど美しい。
「まぁっっあっあっ待って、待ってっあっあっヤヤぁっあっ」
「みゃあおおおおおおん」
アトレーの悲鳴は完全に理性を失ったヤヤの歓喜の鳴き声と激しく軋むベッドの音に掻き消されて行った。
・
・
・
「……夢じゃなかったか」
「夢じゃなかったねえ」
目覚めて思わず呟いた言葉に隣で寝ている猫がニヤニヤしながら応えた。
あまりに支離滅裂な展開だったのでとても現実に起こった事とは思えなかったのだが、起きてみれば寝ている場所は天蓋付きのベッドで隣には夢の最後で死ぬほど交わった猫がねそべっている。
「……」
アトレーは無言でベッドから降りた、ヤヤも後に続く。二人共裸だがお互い気にしない。
この部屋に来てからひたすらベッドの上で交わっていたのでここがどんな部屋なのかわからなかったが、どうやら豪奢なベッドに相応しい王族が住むような城の一室らしい。
締めきられていたカーテンを開け、大きな窓を開けてると爽やかなような温かいような不思議な風が部屋に入り込んで来た、外には不思議の国の景観が果てしなく広がっている。
夕暮れなのか朝焼けなのかわからない真っ赤な日差しにカラフルな街並みは照らされ、その中をドラゴンらしき影が悠々と泳いでいる。
「帰りたい？」
「うん……？」
言われて自分のいた元の日常を思い出す、素朴な我が家に親兄弟の顔、いつもの農作業に慣れ親しんだ質素な食事。
ほんの昨日までは当たり前に送っていた日常がひどく懐かしいものに感じてしまう。
「帰りたかったらすぐに帰ってもいいんだよ？ぼくに会いたかったらまたあの森に来ればいつでもそこにいるし」
「そう、だな……一旦帰るとするか……色々整理したいし……」
「あ、でもぉ」
「ん？」
ぴと、とヤヤが腕にくっ付いて来る、裸なので当然むにゅりと胸が当たる、思わずまた元気になってしまう。
「今夜は女王様主催のパレードがあるんだよ」
「パレード？」
「不定期に開催される城を上げてのお祭りだよ、一目見て損はないと思うなあ」
「そりゃあまた大変なお祭りなんだろうなあ……」
「王女様の気まぐれで開催されるから一年に何回もやる場合もあれば次の開催が百年先になる場合もあるんだ」
「百年！？」
「だから今見逃したらひょっとして一生見れないかも……？」
「う、ううん……」
実際の所は魔物であるヤヤとつがいになった場合相応に寿命が延びるので何年先に開催されようが見れない事は恐らくない、が、そこはあえてヤヤも言わない。
「そうだな……折角の機会だからそれだけでも見てから帰るか……」
「図書館にもまた寄ってみないかい？あそこの本は一生かけても読み切れないし、気に入ったのがあれば不思議の国の外にまで貸し出しても構わないんだ」
「それなら……何冊か借りて帰るのもいいかもな……」
そうだ、そうだとも、帰ろうと思えばいつだって帰れるんだ。
しゅるる、と足に柔らかな物が巻き付いて来るのを感じて見て見ると、ヤヤの尻尾がアトレーの足に絡んでいた。
「今夜のパレードまではまだ時間があるんだけど、それまでどうやって過ごす？」
言いながらするすると手がアトレーの下半身に伸びて行く。
「ど、どうやってって……おいちょっ待て、昨日あんなに」
「どうせ暇を潰すなら気持ちよーく潰さないかい？」
アトレーが返事をする前にヤヤの唇が塞いだ、そのまま窓の前から引き離されて行く。
帰るのはいつだってできるんだ、だったら……だったら今じゃなくったっていいじゃないか、もう少しだけ、いいじゃないか。
（そうかぁ……ここは帰れるけれども「帰らずの国」なんだなぁ……）
ベッドに引き込まれながらアトレーはそんな事を考えた。
14/09/21 18:40更新 / 雑兵