連載小説
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夢に見た
「なんだよぉ!お前なんか、お前なんか病気ってだけでちやほやされるくせに!」
小学生くらいの男の子だった。
シャツもズボンも土と泥にまみれてそこら中に擦り傷があり、泣きべそをかいている。
その男の子が話している相手は同じ歳くらいの女の子。
男の子は病院の外側の塀と建物の間に立っている、女の子は窓際のベッドからその男の子を見下ろしている。
「そうだね、わたしは病気だから大事にされる」
女の子は淡々とした口調で答える、その口調が癪に障って男の子はますます声を張り上げる。
「病気だから、病気だから学校に行かなくていいし先生に怒られないし!馬鹿な奴にいじめられたりしないし!」
「そうだね」
「給食残しても怒られないし……!掃除しなくていいし……!体育で走らなくていいし……!」
「そうだね」
「ぐすっ……うっ……うっ……」
「したくてもさせてもらえないから、ね」
「ぼ、ぼく、ぼくは、したくないのにさせられるんだ……!」
「わたしがのぶ君の立場だったら同じように思うかもね」
女の子は窓の縁に手を組んでその上に顎を乗せた。
何故だか笑顔だ。
「でも、わたしはのぶ君がわたしみたいな病気じゃなくて良かったって思うよ」







ピッ、ピッ、ピッ、ピッ
病室の中には規則正しく機械の音が流れている。
その病室の中央のベッドに女の子は横になっていた。
マスクみたいなものを被せられ、口と鼻にチューブを差し込まれて固定されている。
体からも点滴やよくわからないコード類が沢山伸びている。
このよくわからない機械に雁字搦めに繋がれている女の子がいつも元気そうに喋っている子と同一人物とはとても信じられなかった。
「手を握ってあげてくれないかな」
女の子のお父さんがそう言うので、男の子はその手を恐る恐る握った。
冷たくて柔らかかった。
(したくてもさせてもらえないから、ね)
(のぶ君がわたしみたいな病気じゃなくて良かったって思うよ)
何故だか女の子の言葉が思い出された。
「応援してあげてくれるかい」
その言葉に振り返って見てみると女の子の両親が寄り添って自分を見ている。
お母さんの方はお父さんの肩に縋りつくようにして立っている、目元が赤くなっていてとても疲れた顔をしている。
お父さんの方はそんなお母さんの肩を抱き締めて髪を撫でてあげている、しっかりした表情をしているが、やっぱり目の下にクマが出ていて少しやつれている。
応援してあげてくれ、と言われてもどうしていいかわからず男の子は女の子の手を掴んだままおろおろする。
「がんばれー……ってね、心の中で思ってくれるだけでいいんだよ、きっと香苗ものぶ君に応援してもらえたら嬉しいと思うよ」
男の子は女の子の手をぎゅっと握った、でもその手が余りにふにゃふにゃと無防備なので慌てて力を抜く。
(がんばって……かなちゃん)
……違う気がした、自分は応援する前にしなくては、言わなくてはいけない事がある気がする。
(……かなちゃん)
冷たい手を両手でさすってやりながら考える。
(かなちゃん、ごめんなさい)
そうだ、謝らなくてはいけない。
(ごめんなさい、病気だからいいなんて言ってごめんなさい、弱音吐いてごめんなさい、かなちゃんが本当はすごく辛い事知ってるのに)
一度力を抜いた手にまた力が籠って行く。
(まずい薬毎日沢山飲んでるのも、発作ですごく苦しそうにしてるのも、外に出たくても出られないのも……死んじゃうかもしれないっていつも怖がってる事も、知ってるのに)
(もうあんな事言わないから……泣いたりしないから……!弱音吐かないから……がんばって……!しなないで……!)







「かなちゃ……」
信夫は自分の呟きで目を覚ました。自室の布団の中、時計を見てみるとまだ真夜中だ。
のっそりと起き出して洗面所に向かう。
電気を付けて鏡を見てみると酷く歪んだ男の顔があった。泣き出しそうにも怒っているようにも見える。
信夫は蛇口を開けて顔を洗う、何度も洗う。
再び顔を上げて鏡を見た。顎から水が滴るその顔にはいつも通りの石の様な無表情が戻っていた。







「のぶく……」
香苗は自分の呟きで目を覚ました。病院のベッドの中、時計を見てみるとまだ真夜中だ。
ずる、と体をずらしてベッドの下に手を入れ、箱を拾う。
寝そべったままその木の小さな箱を目の前でくるくると回して眺める。
「……経箱……」
ぼそりとその箱の名を呟く。自らの魂を隔離してしまえる箱。
しかし魂を、心を封じる事ができるのはリッチだけではない。
ごろんとうつ伏せになると枕の上に経箱を置き、顎に手を敷いてじっと見つめる。
(……君の中にもあるんだな……「これ」……きっと、私が作った)
経箱がふるるっと震えた。
(私が壊そう……責任を持って……だから、いつか君に「これ」を壊してもらいたい……)







「夢とは何だと思う?」
小菅はゆったりとボートのオールを漕ぎながら言った。
「夢、ですか?」
とある公園にある湖だ、春の陽気に照らされる湖面を二人を乗せたボートが小菅のオールに合わせてゆったりとした速度で泳いでいる。
「必要の無い記憶を処理するために見るのだという説もある、必要な記憶を忘れないようにするために見るっていう説もある」
遠くの岸では家族連れがキャッチボールに興じていたり、カップルがシートを敷いてピクニックをしていたりする。
「まあ、色々言われているが結局、正体は分かっていないんだな、これが」
「そうなんですか」
「そしてこの「夢」はつまるところ……「明晰夢」に分類されるのかな」
「ええ……自覚してらっしゃるものね」
小菅の向かいに座る小柄で線の細い女性は答えた、房江だ。
「ご丁寧に俺が君にプロポーズした時のシチュエーションと来たもんだ、まあ、印象に残っている場面だからな」
「本当……何というか、意外でしたね」
「意外?」
「あなたにしては、随分とこう……まとも、というか、月並みなシチュエーションというか」
小菅はハハハ、と笑った。
「まともだと俺らしくないか、まあ、確かにそうだ」
房江も合わせて微笑み、暫く穏やかな空気が流れた。
オールを漕ぐ水音、遠くで子供がはしゃぐ声、ちゅんちゅんという鳥の声、それらに耳を傾けながら春の日差しを受ける。
「いかんなあ」
「何がです?」
「今の状況が幸せすぎて、な、幸福な夢は目を覚ました時ことのほか辛い」
「大丈夫ですよあなた」
「……大丈夫、とは?」
房江はすうっと手を伸ばすと小菅の頬を撫ぜた。夢と思えないリアルな感触が伝わってきた。
「もうじきそちらに行きますから……」
「それは俺の台詞じゃないかな、もうじき、と言えるほど近くではないが」
「いいえ、私が、そちらに行くんです」
小菅は苦笑を浮かべる。
「君は俺の夢の登場人物なのだから、俺の深層心理がきっとそう求めているんだろうな……」
「ふふ……そう言う事にしておきましょうか」
言いながら房江は身を乗り出して小菅に近付いてくる。
気がつけばいつの間にか場所はボートの上ではなく、自宅のベッドの上になっていた。
「欲求不満かな……そういえば随分御無沙汰だ」
「ふふ」
小菅を優しく押し倒しながら房江が耳元に息を吐きかけて来る。いつも控えめで淑やかだった房江が生前こんなに積極的だった事はない。
「有難いがこのくらいで勘弁してもらえないかな、いい歳こいて夢精というのも中々精神的に堪える」
「そうですね……「その時」にまで取っておきましょうか」
そう言うと房江は小菅から身を離した。馬鹿らしい話だが体温が失せて寂しいと小菅は感じた。
「香苗は……」
「はい?」
どうせ夢なのだから、と小菅は聞いてみる事にした。
「香苗はそっちで元気にしているか……?」
房江は服装の乱れを直しながら小菅の顔をじっと見る。
「いや、元気、というのは表現が変だったな……つまり……」
小菅は声を少し詰まらせる。
「あいつは……後悔したりしていないか……?悲しんでいないか……?俺の事を恨んでいないか……俺は……俺は……」
「……」
「香苗に何かしてやれたか……?」
声が震えるのを抑えられなかった。
房江はうずくまる小菅を包むように抱き締めて言った。
「わかりませんよ」
「そうか……そうだろうな……」
「だってあの子……」
「うん?」
「こちらに来ていませんもの」
小菅は顔を上げた。
「それはどういう」







「こと……だ……」
小菅は自分の呟きで目を覚ました、自室の机で原稿を前に突っ伏したまま寝てしまったらしい、時計を見上げてみるとまだ真夜中だ。
顔を上げて原稿が汚れていないかを確認し、大きい欠伸を一つして無精ひげをしゃりしゃりと撫でた。
(夢は願望の投影……少なくとも今のはそうに違いない、夢をテーマに一本書けるかもしれんな)
寝起きの頭でそんな事を考える。
ブゥゥ……ン
背後から冷蔵庫の振動が聞こえた。
あんなに大きな音だったか、近頃はよくそう思う。
冷蔵庫の音だけではない、時計の秒針の鳴らす音や近所の犬が吠える音までいちいち耳に付く。
家がひどく静かで、広い。
(いかん、いかんな)
気分を変えなくてはいけない、と、なるとついつい気が向くのが食器棚の中にある酒類だ。
最近は明らかに酒量が増えてきているのだが、もう小菅には減らそうという気持ちも無い。
長生きしたいと思う動機がもう、無いのだ。
肩からシーツを払い落して緩慢な動作で椅子から立ち上がると食器棚に向かう。
ウィスキーのボトルを開け、グラスに注ぐ。
氷も入れず水でも割らず、生のままぐい、と煽る。
一つ息をついてもう一度グラスに注ぐ。
それを口に運ぼうとした所で小菅の動きが止まった。
視線は自分の仕事机に向けられている。
デスクライトに照らされた原稿、筆記用具、椅子、地面に落ちたシーツ。
シーツ?
立ち上がる時に落ちた物だ、仕事をする時に肩に引っ掛けていただろうか?
してない。
誰かが自分の肩に掛けたのか?誰が?
小菅はグラスをテーブルに置いて机に向かう。
シーツを拾い上げる。
ふわり、と何か匂いがした。
覚えのある匂いだ、懐かしくて、心が安らぐ匂い。
妻の……。
小菅はシーツを地面に投げ出すと台所に戻り、グラスのウィスキーを一息に干した。
あれは自分で掛けたものだ、記憶に無いだけでそうしたんだ。それ以外ない。
もう一杯注ごうとしたが小菅は手を止めた、どれだけ飲んでも今夜は酔えそうになかった。
13/09/08 18:07更新 / 雑兵
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