陥落記
宗教国家レスカティエ教国の陥落、それはあらゆる意味で大きな出来事だった。
教団の中でも二番目と目される戦力を持った国の陥落は主神と魔王の勢力図に大きな影響を与え、実質この出来事を境に魔界の侵略が加速する事になる。
そしてこの一幕は魔物側から明確な意図を持って行われた初めての大規模な侵略だった。
今まで行われて来た侵略というのは個人単位での遭遇から発展したケースや人間側からの攻撃に対する反応としての侵略が大半だった。
野生の魔物達は組織立った行動を取る事は少なく、魔王軍にしても侵略よりも個々の幸福の追求を重視する風潮があり、いまいち任務に熱心とは言い難いかった。
しかしそんな中に現れた魔王の娘であるデルエラは違った。
彼女は夫が欲しいからという理由でもなく気紛れでもなく、一つの国の陥落を明確な目標に掲げて侵攻した初めての魔物だった。
結果として教団は思い知らされることになる、人間と魔物の戦力の違いを。
その実力の違いは陥落の際に発生した死傷者の数においてはっきりと現れている。
両軍共にほぼ0。
これは人間を夫か同族にしようという魔王軍の意図通りに事態が推移した事を示している。
ただ殺すよりも難しい捕縛をここまで大規模かつ完璧に遂行できたのは一重にデルエラの統率力と周到さによるものであると言える。
しかしながらその侵略が如何にして行われたのかという詳細な記録は残されておらず、全貌を掴む事は難しい。
断片的な情報や当時の証言を順序立てて並べて行く事でようやくおぼろげに全容が浮かび上がってくるのである。
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侵略前日〜06:30〜
南東結界堂
神父 ローハイ・コストム
(これは奇妙な……)
ローハイはいつものように朝の祈りを捧げようと訪れた結界堂で首を傾げていた。
祭壇にはいつも花が供えられている、経験上一週間程度で代え時なのだが供えられている花はかれこれ三週間も新鮮なままだ。
その上、花瓶に挿した当初は真っ白だった花弁が少しずつ赤く変色していっている様子なのだ。いつも同じ花壇から摘んで来る花なので品種が違うという事は無い筈だ。
(もしや不吉な予兆か……?)
ローハイは祭壇の中央に据えられている結界石を見つめる。
この結界石はレスカティエの中央部から市街地に至る範囲の要所要所に荘厳な教会と共に設置されているものだ。これによってレスカティエは全体を大きな結界に覆われているのと同じ状態を保っている。
勇者の輩出国であると同時に前線にて魔物の侵略を妨げる堅牢な拠点としての役割を果たすレスカティエの生命線とも言える施設なのだ。
しかし観察する限り結界石はいつもと変わらず清浄な気を放っており、異常があるようには見受けられない。
(……花壇に違う品種が混じっていたのだろうか?……恐らくはそうか)
神父ローハイはそう考えて疑う事を止めた。
本当はこの時にもっと疑うべきだったのだが、人間は誰しも環境に慣れるものだ。
数百年にわたってこの結界に守られ続けるうちいつしか無意識に「この結界が破れることなどありえない」という先入観をもってしまっていたのだ。
それは人間の習性のようなものであり、この神父、ローハイが浅慮であると責めるのは酷というものだろう。
「……どうかなさったのですか?神父様」
聖堂の入り口から掛けられた声に振り返ると一人の町娘が立っていた。
数ヶ月前より足しげくこの結界堂に通って祈りを捧げている若者にしては珍しく信心深い娘だ。名はラファンというらしい。
「……ああ、いえ、なんでもありませんよ、今日もお祈りですか?」
「はい……この街を護って下さっている場所なのですから感謝を捧げるのは当然の事だと思います」
ローハイは思わず顔を綻ばせる。
「よい心掛けです、感謝を忘れない心は得難きもの、神もきっと貴方の行いを喜ばれるでしょう」
「……うふふっ」
ラファンはローハイの言葉に微笑みを浮かべる。
美しい娘だ、三つ編みに結われた髪は金の糸のようで。その髪に彩られた顔は素朴ながらも愛嬌があり、城で見掛ける着飾った婦人達よりも余程魅力的に見える。
ラファンはそっと祭壇の前に歩み寄ると膝を折り、祈りを捧げ始める。
そうして膝まづいている所をよく観察して見ると簡素な服に包まれた肢体は思いの他発育が良いようだ。
(……!私は何を考えているのか……祈りを捧げる者を見て邪な思いを抱くなど……神よお許しを……!)
ローハイはきつく目を閉じて自戒する。神に身を捧げた者としてあるまじき考えだった。
普段のローハイならばそんな事は考えない筈なのだが、ラファンに対してだけは何故か意識を引かれてしまう所があるのだ。
目を閉じていたローハイは気付かない、ラファンが祈りを捧げた瞬間、結界石の輝きが微かに弱まっている事に。
供えられている花の花弁が更に赤味を増している事に、ラファンから送られる熱の籠った流し目に。
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侵略前日〜13:00〜
レスカティエ港沖にて漁獲船(ポーラ)
漁師 ミハストロ・マナクライ
「参ったなこりゃ」
ミハストロは甲板上で引き上げた網を見て溜息をついた。
普段ならばこの季節にはそこそこの漁獲量が得られるはずなのだが、上がった網に掛っていたのは大半が海藻や海底のごみ、売りものになる魚ときたら数匹程度だ。
「やばいっすね親っさん……この時期にこれじゃあおまんま食い上げっすよ」
新米漁師のタスカーはげんなりした様子で網を引き揚げながらぼやいた。
「海は気紛れなもんだ……とはいえ、こりゃあちょっとおかしいな、上の連中が海に変なもんでも流したんじゃなけりゃいいんだが……」
「聞こえちゃやばいっすよそれ……!」
「海の上で誰が聞くってんだ、大体城に住んでる連中は海で生計立ててる奴の事なんざ頭の片隅にもねぇんだ、食卓に上がる魚を誰が獲ったかなんざ考えもしねえ」
「そうっすよねー……でも、これはそういう原因じゃない気がするなあ」
「どういう事だ?」
「いやね、最近魚の量に限らず全体的に様子がおかしくないっすか?こう……自然環境が」
「……」
ミハストロにも覚えがある、ここの所今まで発生しなかった奇妙な海流や渦潮に頻繁に遭遇する、海だけでは無い、実家の貧民街の上空をやかましく飛び回っていたカラス共やゴミを漁る野良犬やネズミの姿をとんと見かけなくなった。
「……あっ!?」
と、海面を見ていたタスカーが唐突に声を上げた。
「どうした」
「いや、今、そこに……でっかい魚の影が見えたような」
「漁師が魚にビビってどうすんだ」
「いや、今まで見た事ない位にでかかったんですって!っていうかその、形が……」
「何?」
「に、人魚みたいな……あいて!」
「寝ぼけんな」
タスカーの頭をはたいてミハストロは溜息をつく。
「ほ、本当ですって!今もまだそこらへんうろついてるかも……」
タスカーの言葉を信じた訳ではないが、本当に大きな魚がいるのなら仕留めれば少しは足しになるかと考えたミハストロは大物用の槍を構えて船から身を乗り出し、海面を目で探った。タスカーも横に並んで目を凝らす。
「!?」
「あっ!」
二人同時に声を上げた、確かに人一人分はあろうかという大きな影が波間に一瞬垣間見えたのだ。
タスカーの言っていた人魚のような形ではない、何か多くの足を持ったタコのような形状に見えた。
しかし一瞬見えたその上半身は……。
「……」
「……」
二人は顔を見合わせると黙って帰港の支度を始めた。
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侵略前日〜15:00〜
練兵所
第三歩兵部隊隊長 アレクセイ・ウォートン
アレクセイは難しい顔で部下達の訓練風景を見ていた。
部隊の仕上がりには概ね満足している、個々の技量は無論の事チームワークにおいてもかなり自然に連携が取れるようになってきている。
特に近頃増えて来た女性兵士達の上達には目を見張るものがあり、女性にアドバンテージがある魔力方面に置いてだけではなく戦闘の技術面に置いても男の兵士を凌駕しつつあるほどだ。
しかし今日に限って兵士達は妙に訓練に身が入っていないというか、浮足立っているように見えた。
いや、兵士全員ではない、その上達目覚ましい女性兵士達に特にその徴候が出ていた。
訓練が終わった後、アレクセイは一人の女性兵士を呼び付けた。
「メノ」
「はい」
メノは素晴らしい武術の才能と冷静な頭脳を兼ね備えた兵士だ、名目上の階級はほかの兵達と変わらないが実質のリーダーと呼べる立場にある。
「今日は何か集中できない要因があったか?」
「申し訳ありません」
「いや、責めている訳ではない、君のせいではない、ただ要因が知りたいだけなのだ」
メノは目を伏せた、いつもはっきりとした返答をする彼女にしては珍しい。
「今一度皆に注意を喚起します」
「……頼む」
メノが優雅な動作で一礼すると長い髪がふわりと翻えった。
メノは美しい、触れれば切れそうな怜悧な美しさをその身に纏った女性だ。
実のところ美しいのはこのメノだけではない、奇妙な事に近頃入隊してくる女性兵士は皆それぞれに個性的な美人ばかりなのだ。
アレクセイは規律の乱れを危惧したが今のところその手の問題は起きていない。
去っていくメノの背を見ながらアレクセイは奇妙な胸騒ぎを覚えていた。
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侵略前日〜18:20〜
第二居住区三番地・エリーザ家
主婦 アレッタ・エリーザ
(最近ずっとこんな空模様ね……気味が悪いわ)
洗濯物を取り入れながらアレッタは思った。
ここ最近はずっと天気の悪い日が続いている、それも日増しに悪化しているような気さえする。
(でも……洗濯物は普通に乾くのよね、おかしなこと)
首を傾げながら取り入れ終えて居間に戻ると外に遊びに出ていた娘のマカロンとその弟のノアンが戻っていた。
早速食べ盛りのノアンが「おなかすいた」とはやし立てる。
ノアンをなだめつつ夕食の支度を終えると三人でテーブルに着いた。
「えー、今日も芋のスープ?」
「こーら、わがまま言わないの」
抗議の声を上げるノアンをたしなめるマカロン、そんな二人を見てアレッタはいつも心苦しい思いを抱く。
育ち盛りの二人に本当はもっといいものを食べさせてあげたいのだが、近頃また増税が行われた影響で家計にはいつも余裕が無いのだ。
「ごめんなさいね……」
「あ……ううん!俺、芋大好き!」
そんな苦労を子供なりに理解しているらしく、ノアンは慌てて訂正する。
「なーんだ、嫌いなら私が貰おうと思ったのに」
「ちょっ、ねえちゃんやめてよ!」
「こらこらやめなさい二人共、お祈りするわよ」
「「はーい」」
慎ましい食事を終えた後食器を洗っているとノアンにエプロンの裾を引っ張られた。
「母さん見て見て!すっごいよ!」
「なあに?」
「来て来て!」
引っ張られるままに外に出てみるとマカロンが空を見上げていた。釣られて上を見上げたアレッタは息をのんだ。
暗い空には雲が巨大な渦を作っていた、見ているだけで吸い込まれそうだ。それに雲全体が薄っすらと紫に色付いているようにも見える。
今まで見た事の無い空、まるでこの世の終わりの様な空模様だった。
すげえすげえとはしゃぐノアンとは対照的にマカロンは不安げな表情で空を見ている。アレッタが出て来たのを見ると急いでその腰にしがみついて来た。
「お母さん、怖い、この世の終わりみたい」
「大丈夫、大丈夫よ」
背中をさすって娘をなだめながらアレッタは夫の身を案じた。
夫のクレンは教団で兵士を務めているのだ、もしこれが魔物か魔王が関係する現象だとしたら夫の身に危険が迫るのではないかと不安になる。
(あなた……無事に帰って来て……そして抱き締めて、キスして……)
「あ、あらやだ私ったら……」
急に顔を赤くして自分の額をこつこつと叩く母を見てマカロンは不思議そうな顔をした。
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〜00:00〜
レスカティエの結界石が機能を失ったのは丁度この日付が変わった瞬間に符号する。
結界石は全部で八か所に設置されており、うち何ヵ所かが機能を失っても他の結界石がフォローする形になり、致命的な穴は開かないようになっている。
しかしこの夜、結界石は八つ全てが同時にその機能を停止した。
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〜00:25〜
東側外壁見張り台
警備兵 パッカード・ブレナン
パッカードは眠気覚ましのお茶を飲みながら見張り台から空を見上げていた。
「……変な夜だ」
天候は曇り。ただの曇りではない、奇妙な薄紫色をした雲が巨大な渦を巻いているのだ。
その雲を通してぼんやりと照らされる月光はやはり紫がかっている。
「……?」
ふと、パッカードは外壁の外に見える地平線に黒い影のような物が蠢いているのを見つけた。
最初は何かわからなかった、黒々としたその蠢くものは徐々に地平線を埋めてこちらに向けて近づいてくるようだった。よく観察するとその黒い影には無数の赤い光が灯っているようにも見える。
地上だけでは無い、上空にも点々と無数の黒い影と赤い光が見える。
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〜00:25〜
レスカティエ港、船着き場
船員 ポロ・ミヘンス
夜になって船の見回りを行っていたポロは海の沖合に無数の赤い光が揺れているのを見た。
その赤い光は徐々に漁港に向けて近づいてきているように見えた。
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〜00:30〜
東側外壁見張り台
警備兵 パッカード・ブレナン
パリーン、とカップの割れる音が響いた。
しかしカップを取り落としたパッカードはその音にさえ気付いていない様子だった。
ただ、目の前の光景に圧倒されていた。
魔物だ、魔物の群れだ。
黒い影は魔物たちが大挙を成してこのレスカティエに向けて進んで来ている景色だったのだ。
赤い光はその魔物たちの目の輝き。そして身に纏う服装に特徴的にあしらわれている深紅の宝石のようなものから発される光だった。
その赤い輝きをちかちかと瞬かせながら雲霞のごとく進行する多種多様な魔物達の姿は異様な迫力でもって見る物を圧倒する。
「……っ!ま、魔物!魔物だ!大変だ!」
我に返ったパッカードは急いで設置されている警報用の鐘を鳴らす。異様な色の空にカランカランと鐘の音が響く。
「……な、何で!?」
パッカードは焦った、通常、この鐘の音が一つの見張り台から聞こえたなら他の見張り台も呼応して鐘を鳴らし、緊急事態を知らせる手筈になっている。
しかし何故か他の見張り台からの反応が無い、まさか誰の耳にも届かなかったなんてことはないだろう。
バタバタバタッ
ドスン
「えっ……」
他の見張り台を見ていたパッカードは背後に何かが降り立つような気配を感じた。
恐る恐る振り返ったパッカードは目を見開いた。
両手が翼になっている女性……ハーピーが見張り台の中に立っていたのだ。
通常のハーピーと明らかに違うのが黒を基調とした衣装を纏い、その瞳は爛々と深紅に輝いている所だ。
ハーピーは足元に散らばるカップの破片を見やった。
「ごめんね、ティータイムの邪魔しちゃって」
「あ……あ……あ……」
パッカードは心の準備をする間もなく突如目の前に現れた脅威に対して一種のパニック状態に陥ってしまっていた、腰に差している剣も抜けない。
「ど……どうし、どうして……何で入って来れる!?け、結界は……!?」
そう、陸からだろうと空からだろうと海からだろうと結界に覆われている限りレスカティエは魔物の侵入を許さない、その筈だ。
「あー、結界ね、それはぁ……風前の灯♪」
ぱち、とハーピーはウィンクをして見せる。
「そ、それはどういう、むぐっ」
パッカードはそれ以上質問を続ける事が出来なかった、柔らかな羽毛の感触が全身を抱き、つややかに滑る唇が口を塞いで来たからだ。
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〜00:30〜
南東結界堂
神父 ローハイ・コストム
ローハイは抵抗する間もなかった。
腰の上にはラファンが跨り、その顔に淫猥な笑みを浮かべている、その瞳は深紅に輝いていた。
「ラ、ラファンさん!何を……!」
「待っていました……ずっとこの時を……」
言いながらラファンはそっと胸元に両手を置くと服の襟を掴んだ。
びりびりびりっ
そのまま胸元を破いてしまう、豊かな谷間が露わになる。
「なっ……!」
ローハイが絶句したのはラファンのその行いに驚いたからだけではない、その頭部にめりめりとねじくれた角が出現し、ばさりと漆黒の翼が広げられたからだ。
「サ……!サキュバ……ス……!」
「うふふっ」
ラファンは微笑むとそのまま体を倒し、ぱふっと豊かな谷間に神父の顔を埋めさせる。
「んぐぅっ!?」
男を狂わせる芳香と柔らかさに包まれて神父は目を白黒させる。
「感じますか?神父様……ほら、結界石の力が弱まっているのが……」
むにゅん むにゅん むにゅん
「んっ……!んぐ……んむ……!」
ラファンは乳房に手を添えてむにむにとローハイの顔に豊乳を擦りつけながら言う。
「大変ですね♪結界無くなっちゃいましたね♪もうこうなったらセックスするしかありませんね♪」
意味の通らない事を言いながらラファンははあはあと息を乱しながら全身を擦りつけ、ローハイの抵抗を封じながら器用に服を脱がせていく。
「ぷはっ!駄目だ……!や……やめ……!誰か……!んぐぅっ」
「来ませんよ……だぁれも……♪」
聖職者が淫魔に襲われている傍、結界石はその輝きを失い、殆どただの石と化していた。
供えられた花は深紅に染まっていた。
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〜00:30〜
兵舎
第三歩兵部隊所属兵 コーコンド・ナスキン
コーコンドは夢を見ていた、極上の女の肢体を思うさま味わうという教団兵にあるまじき淫らな夢を。
この世の物と思えない快楽を味わいながらコーコンドはこれが夢だと薄々自覚していた。
そしてこれはまずい、と考えた。
(何て夢を見ているんだ俺は……確か兵舎で寝てたはず……このままじゃあガキみたいに夢射する羽目になる、いい笑いものだ)
そう思ったコーコンドはどうにか覚醒しようとする。
(起きろ!起きろ俺!これは夢だ!ああ、畜生なんて気持ちいいんだ、手遅れになっちまう!起きろ!)
「〜〜〜〜っはぁう!」
コーコンドは目を覚ました、どうにか射精する前に目を覚ますことができた……筈だった。
途切れない、快楽が途切れない。
「はひゃぁあ♪」
目の前にあるのは女の顔、愛らしい顔だ、誰だったか、そうだ、クナーデだ、最近になって入ってきた新米の弓兵、先輩先輩と懐いてくる可愛い奴だ。
しかし何という顔をしているのか、眉を寄せて涙目になって舌を突き出して余りに淫らでだらしない表情だ。年頃の女の子がそんな顔をしてはいけないと注意しなくては。
起きた直後の半覚醒の頭の中を一瞬でそれだけの思考が駆け巡った。
それ以上考える事は出来なかった、凄まじい射精の快楽にあらゆる思考が吹き飛ばされてしまったからだ。
びゅくんっ!びゅくんっ!びゅくんっ!びゅくんっ!
「あみゃぁあぁあああしぇんぱいっ♪しゃえんぱいっ♪でてりゅ♪でてりゅぅ♪」
「んぐぁ!あぐぁ!」
嵐のような快楽に耐えながらコーコンドは必死に頭を起動させようと試みる。
何だ、どういう状況だ一体……!?
射精の快楽が静まり始めてようやく周囲の状況が目に入ってきた。
兵舎だ、やはり自分は兵舎で寝ていたのだ、簡素なベッドを並べて仲間たちと並んで寝ていたのだ。
しかし何故クナーデがここにいるのか、何故自分と……セックスしているのか。
そう考えている時点でも現在進行形でコーコンドの陰茎はクナーデの小さな女性器を深々と貫き、びゅくりびゅくりと長い射精を行っている、たまらなく気持ちいい。
「く……クナーデ!何をしている!やめろ!どけ!」
もはや手遅れなのだがそれでもクナーデをはねのけようとする。
ぎしっ
そこで初めて気づく、手がベッドにロープで拘束されている、足もだ。全く身動きが取れない。
「えへへぇ、せんぱぁい、まだ固ぁい……」
クナーデは蕩けた顔でくなくなと腰をくねらせる。泡立った精液がぐちゅぐちゅと淫猥な音を立て、射精直後の敏感な陰茎がぷりぷりとした淫肉にしゃぶられて快楽の悲鳴を上げる。
「!?クナーデ……おまっ……それは……!?」
コーコンドは気付く、クナーデの腰の後ろでゆらゆら揺れる尻尾の存在に。
魔物、魔物だ、クナーデは魔物だったのだ。何ということだ。自分は魔物と交わってしまった。
どうにかしなくては、仲間は何をしているのか、これだけ騒いでいるのに誰も起きないのか。
「んぐむぅぅぅぅ!」
そこまで考えた所で隣のベッドから聞こえる声に気付いた。
右横を向くとベッドの上でシーツがばふばふと激しく上下しているのが見えた。
枕の側にはキスをする男女の顔が見える、いや、男の側が唇を貪られているという表現が正しいだろう。
やはり男の両手両足はベッドに括りつけられている様子だ。
その拘束した体に女が……魔物が密着し、上からシーツを被っているのだ。
シーツの膨らみの動きから魔物の貪欲な腰使いがありありとわかる。
左のほうを向くと今度は男に逆さに跨り、陰茎を口いっぱいに頬張っている魔物の顔が見えた、やはり見覚えのある顔だ。この部隊の女兵士の一人だ。
「ごきゅっ……ごきゅっ……ごきゅっ……ごきゅっ……」
ちょうど射精した瞬間らしく、陰茎の激しい蠕動に合わせて心底旨そうに喉を鳴らしている。飲み干しながらもその両手はさらに射精を促すように睾丸をマッサージし、舌はカリ首に絡みついている。
「ひぃいぃぃっいぎぃっ」
ぱんっ!ぱんっ!ぱんっ!ぱんっ!
「あんっ!あんっ!アンッ!アンッ!あはぁぁぁんぅぅあああああ!!」
くちゅっびちゃっぐちゅっ
「んぐ、ごく、おいひぃ……」
ぎっし、ぎっし、ぎっし、ぎっし
兵舎の中は淫らな音と声で満ち満ちていた。恐らく寝ている間に襲われ、仲間の誰一人として逃げる事は叶わなかったのだろう。
ずぶちゅっ
状況を把握し終えたところでまた思考が快楽に呑まれる、クナーデが腰を打ち付けて来たからだ。
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〜00:45〜
兵舎渡り廊下
第三歩兵部隊隊長 アレクセイ・ウォートン
アレクセイは兵舎へ続く渡り廊下を走っていた、兵士達を叩き起すためだ。
寄宿舎で眠っていたアレクセイの耳に鐘の音が届いたのだ。
聞こえたのは見張り台の鐘の音、通常は一つが鳴らされたなら他の見張り台も呼応して鐘を鳴らし、大音量で警告を知らせるはずの鐘の音だ。
しかし聞こえてきた鐘の音は一つだけ、しかも何度か鳴らされてすぐに止んだ。
一般人ならば聞き間違いかと思うところだがアレクセイはこれを異常事態だと踏んだ。
何か深刻な事態が進行している、間違いない、最近ずっと感じていた胸騒ぎはこの時を予見していたのだ。
と、アレクセイは立ち止まった、渡り廊下の途中に一人の人影を見つけたからだ。
(……メノ……か?)
それは間違いなくメノだった。しかしアレクセイはそう判断するのを躊躇した。
メノは腕組みをして廊下の柱に寄りかかって立っていた。微笑を浮かべてアレクセイの方を見ている。
まず、この態度がおかしい。
規律に厳しいメノは隊長の前で砕けた態度を取る事はなく、いつも軍人らしく背筋を伸ばした隙のない立ち姿で対応するのが常だった。
そして彼女はこんな時間にここで何をしているのか、自分と同じく鐘の音に気付いて行動を起こしたのならばどうしてそんな風に余裕のある振る舞いをしているのか。
むしろ自分がここに来るのを待っていたかのような……。
アレクセイの中で最大限に緊張感が高まった。
「……メノ、お前は何者だ」
そう問うとメノはくす、と笑って答えた。
「流石です、隊長」
その声色さえ普段とは違う。
いつも理路整然と情報を伝える冷たい雰囲気の声では無い、なにか甘ったるいような、ねっとりと耳にこびりつくような……。
メノは腕組みを解くとゆらり、と柱から身を離した。
「私が見定めた通り……貴方こそ私に相応しい」
アレクセイは気付く、メノの身体からなにか黒い煙のような物が立ち昇っている。それを認識した瞬間、煙の様だったそれは黒い炎のように燃え上った。
それは意思を持っているかのようにメノの全身に絡み付き、覆い隠していく。
アレクセイは半ば無意識に剣を抜いていた、全身が警告を発している、目の前の敵は今まで対峙してきたどんな敵よりも恐ろしい相手だ。
待て、敵とはなんだ、メノがか。
戸惑いを隠せないアレクセイの目の前でメノの姿が見る見る変貌していく。
飾り気のない教団の女性用軽装は黒い炎に塗りかえられ、黒を基調とした禍々しいデザインに変わって行く。
特徴的なのはその鎧の肩や胸部などに深紅の宝石があしらわれている所だ、それらがまるで生き物の目のように爛々と輝いている。
そして、落ち着いた茶色だったメノの瞳はその宝石と同じ輝きを発している。
「……魔物……か……」
アレクセイはぎりりと歯を鳴らす、気付く事ができなかった自分の未熟が恨めしい。しかし次の瞬間さらに恐ろしい考えに思い至り、全身が総毛立った。
「何人いる」
「はい?」
「この部隊に潜伏している魔物だ」
「そうですね、私に勝ったら教えてあげなくもないですよ」
メノが言い終わるか終わらないかの内にアレクセイはメノに向かって踏み込んだ。
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〜01:00〜
東側外壁見張り台
警備兵 パッカード・ブレナン
「えへへ、ここ、特等席だね」
ハ―ピーが耳元で囁く、パッカードはもはや抵抗する気力を奪われていた。
人間の何倍も強靭な鳥足はがっしりと腰をホールドし、どうあがいても結合部が抜けないようにされている。
そうして抵抗を封じられながら30分、たった30分で魔物の良さを徹底的に叩き込まれた身体は骨抜きにされてしまっていた。
身体だけではない、気の狂いそうな快楽は精神までも犯し、浸食する。
例え解放されて殺すならどうぞ、と剣を渡されてももはやパッカードにはこのハ―ピーを斬る事はできないだろう。身体がこのハ―ピー無しでは生きられないと叫んでいる。
そんなパッカードの心を見抜いているのか、ハ―ピーはパッカードの両手を自由にするとごろん、と仰向けになる。
正常位、これで上半身は自由になるがもはやパッカードに残された選択肢は自ら腰を振って快楽を貪る以外に無い。
「見て、歴史的瞬間だよ……」
深紅の瞳を蕩けさせながらハ―ピーが陶酔したように言う。
何の事かと視線を上げてみるとこの体勢になった事によって外の光景が視界に入るようになったのだ。
「あ……あああ……」
パッカードはその景色を見て溜息のような声を上げた。
地平を埋める魔物達の軍勢はもうすぐ傍にまで近付いて来ている。
これほど目に見える異常事態でありながら街側からは何の反応もない、迎え撃つ兵士が出て来る事もなければ警鐘が鳴り響く訳でもない。
恐ろしい光景だ。
ここ以外の見張り台も全てが制圧されてしまっているのだろうか。
と、そこで魔物達が行進の足を止める。
外界と街を隔てる外壁の外側には深く、広い水の溜まった堀があり、外界からの許可なき者の侵入を物理的に防いでいる。
結界の効果が及ぶのも丁度その外堀が含まれる範囲だ。魔物達が足を止めたのはその境界線上だった。
普段は目に見えない結界が強大な魔力に反応してちかちかとガラスのように輝いて魔物を拒んでいる。
しかしそれはあまりに儚い輝きだった、現にこのハ―ピーは結界の内側に侵入している。いや、この様子だと既に数多の魔物達の侵入を許している様子だ。
「……っあれは……!?」
パッカードは見た、魔物の群れが二つに割れ、その道を一人の魔物が悠々と歩いて来る。
この見張り台からでは魔物一人一人の姿など豆粒ほどにしか見えない、それなのにパッカードにはその魔物の姿が詳細に見えた。
ゆったりとした歩調で歩く絶世の美女、魔物ならば美しいのは当然だがその魔物の姿は美と同時に対峙する者がひれ伏したくなるようなオーラを発していた。
明らかにこの群れを率いている存在だ。
その美しい魔物は他の魔物達が足を止めているライン……結界の内側にすうっと入り込んだ。
魔力に反応した結界がピリピリと光ってその体に纏わり付くがその魔物は意に介した様子もない、むしろ楽しげな表情を浮かべている。
ゆっくりとその長く、しなやかな指を周囲に誇示するように掲げる。後ろに控えている魔物達の紅い視線がその指先に集中する。
ぱちん
指がスナップを鳴らした。
小さな音だった、しかしその音はピリオドだった。
栄光と、伝統と、理想と、腐敗と、悲劇の歴史へのピリオドだった。
小さなその音にぴしぴしとガラスがひび割れるような音が続く、結界の上げる悲鳴だ。
八か所の拠点を封じられ、供給源を断たれ、内外からの魔力によって削られ続けた結界の上げる悲鳴だった。
ぱりん、という音と共にレスカティエを数百年に渡って守り続けてきた結界は完全に砕け散った。
その瞬間、魔物達の群れから天地を震わせるような歓声が上がる。
群れの中の魔女や魔法使い達が一斉に空に向けて魔力を打ち上げ、上空でぽんぽんと音を立ててハート型に炸裂させる。
色とりどりの魔力の花火が魔物達の姿を照らし出す。
指を鳴らした魔物は花火のカラフルな瞬きと魔物達の歓声を一身に受けるように両手を広げていた。
その両手をオーケストラの指揮者のようにゆっくりと下ろすと、手の動きに合わせて外堀にかかる跳ね橋が降りた。
既に橋の管制までも魔物の手に落ちていたのだ。その下ろされた橋を魔物の群れが悠々と渡っていく。
そうして避難警告すら出されていない市街地に魔物達が雪崩れ込んで行ったのだった。
「あああああああ」
パッカードはその光景を見ながらハーピーのきつく、温かな中に大量の白濁を吐き出した。
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〜01:05〜
中流居住区外壁前メレン通り
絹織職人 ケイトン・ランデル
妙に寝付けず、夜風に当たろうと表を歩いていたケイトンは橋を渡って入ってくる異形の行列をぼんやりと見ていた。
やけに外が騒がしいと思っていたら、普段滅多に降ろされることのない跳ね橋が降ろされ、そこから見るからに人間ではない女達の集団がぞくぞくと入ってきたのだ。
これは一体何なのだろうか、魔物?、そんな訳がない、この都市はくそったれな重税と引き換えに魔物の脅威から人々を守っているはずじゃあないか。
そもそも警鐘の一つも聞こえないじゃないか、警戒に当たっているはずの兵士一人も駆けつけてこないじゃないか。
(……仮装か何かか?)
規律の厳しいレスカティエでそのような催し物などあろう筈もないが、それ程に目の前の光景は現実感に乏しかった。
棒立ちで魔物の行列を眺めるケイトン、外の騒ぎに起き出してきた他の住民達も似たような反応だ、目の前で起こっている事態が理解出来ない。
「あうっ」
「あっ……」
と、その時一人の小柄な魔物がケイトンの目の前で躓いて転んだ。
「あうう……」
頭に角の生えたその小さな魔物は打ち付けた膝頭を涙目でさすっている。
「だ、大丈夫か?」
ケイトンは反射的にその女の子に手を差し伸べた。小さな女の子が目の前で転んだ時に男がする自然な気遣い。
魔物の女の子は「あ……」と言ってケイトンの差しのべられた手を掴む。
小さくて温かい手だ。ケイトンは何となくほっとする。
その手のか弱さや温かさはケイトンのイメージする「魔物」とかけ離れていたからだ。
しかしそれが勘違いである事をケイトンは思い知る事になる。
「見つけた……」
「えっ?」
ケイトンを見上げる女の子の紅い瞳がどろりと蕩ける。
その眼に危険なものを感じ取ったケイトンは咄嗟に握っていた手を放そうとするが、離れない。
先ほどまでその小さな外観通りか弱かった手はいつの間にか万力のような力でケイトンの手を掴んで離さない。
「わたしの運命の人……♪」
小さな体がケイトンをものすごい力で押し倒した。それを見ていた女性が絹を裂くような悲鳴を上げる。
悲鳴を切っ掛けに周囲はたちまちパニックに包まれた。
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〜00:50〜
兵舎渡り廊下
第三歩兵部隊隊長 アレクセイ・ウォートン
アレクセイはその僅かな隙を見逃さなかった、踊るような舞うような流れの中に見えたほんの一糸の隙。
最高の一撃でしか捉えられない隙、研ぎ澄まされた戦いの機械と化したアレクセイは最高の一閃を放った。無心で放った。
ぱしん、という軽い音と共にメノの首は胴体から宙に切り離された。
長く、美しい髪が紫の月光を浴びてきらきらと輝きながら舞う。
その光景にアレクセイの胸は苦味に満たされる。
彼女の正体が魔物である以上こうする以外に選択肢はなかった、いや、殺さずともよかった、殺したくはなかった。
しかし彼女の強さはそういった加減や躊躇が入り込む隙がなかった、本気で戦わねばならなかった。結果としてアレクセイは致命的な一撃を放たざるを得なかった。
だが次の瞬間、アレクセイは信じ難い光景を目の当たりにした。
首無しとなった彼女の体が宙を舞う自分の首を空中でぽん、とキャッチしたのだ。
「なんっ……」
絶句するアレクセイの目の前でメノの体は自らの首を何事もなかったかのように元の場所に据える。
後ろ前に取りついた首を手でぐるりと回すと先ほどと変わらぬ微笑がこちらに向けられた。
「化け、物め……」
「ふふっ……流石です、隊長」
今更ながら人間対人間の常識が魔物相手には通じないことを思い知らされる、アレクセイの中に焦りが生まれ始める。
ひょっとしてどこを斬っても効果がないのではないか?剣で倒すことができない相手なのではないか?
(どうする……)
「隊長ぉ〜〜〜〜〜〜!!!」
その時、張りつめた空気の中に大きな女性の声が響いた。アレクセイの知っている声だ。
「テシアか!」
メノから目を逸らさないままにアレクセイは声を上げた。
テシア・メレシア。
アレクセイの部隊に所属する女性兵士、メノが入隊するよりずっと以前、アレクセイが隊長に就任する前から部隊にいたベテランの兵士だ。
少々向こう見ずで考え無しな所はあるが下手な男を凌駕するパワーとスピードを備えた鉄砲玉のような女だ。
このような事態に置いては誰よりも頼りになる。
「あらら……」
アレクセイの背後から駆けつけるその姿を見てメノは困り顔になる。
「しょうがないですね」
「テシア!援護に回れ」
アレクセイは優秀な戦士だった、よって駆け寄る仲間の方を振り返ってメノに隙を晒すような愚かな真似はしない。
だから気付かなかった、誰の目にも明らかなテシアの変化に。
「はふっ、はふっ、隊長隊長たいちょおおおおぉ!」
「なっ!ばっ!?テシア!?」
あろう事かテシアはアレクセイに背後からいきなり抱き付いたのだ。
アレクセイはぎょっとする、背後から胸に回された手は人間の手ではなかった。毛むくじゃらの獣の手だ。
「きゅうぅん、くぅん、隊長の匂いぃ」
あまつさえ首筋に顔をうずめてくんかくんかと鼻を鳴らし始める。
一瞬、アレクセイは完全に行動不能に陥る、その隙をメノが見逃すはずもなかった。風のように踏み込むと一振りでアレクセイの手の剣を弾き飛ばしてしまう。
アレクセイは膝を跳ね上げて蹴りを放とうとする。メノは剣を放り捨てるとその膝を抱え込むようにして防ぐ。
逆に体勢を崩されたアレクセイは、どうにか足掻こうとするが、正面のメノの巧みなコントロールと背後のテシアの獣じみた力にあえなく地面に引き倒される。
二人の女にのしかかられる形になって初めてアレクセイはテシアの姿を正面から見た。
はあはあと犬のように舌を出して荒い息をつくその女はやはり間違いなくテシアだった、しかし頭頂部でぴこぴこと嬉しげに揺れる獣の耳と背後で揺れる尻尾が既に彼女が以前の彼女でない事を如実に示している。
「テシア!正気に戻……!」
アレクセイの声は紅い瞳を輝かせる二人の魔物に覆い尽くされ、すぐに聞こえなくなった。
その様子を紫色の朧月は微かな光で照らしていた。
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レスカティエの結界は侵略前から周到な手回しによってかなり弱まっており、また、相当数の魔物の侵入を許していたため侵略当日には既に結界内の魔力の濃度はかなり高まっていた可能性が高い。
その魔力は僅かずつであっても住人達の身体に蓄積していた。
そして侵略当日に完全に結界が崩壊した瞬間、魔物の大軍によって発生した目に見えぬ魔力が魔物の侵入と同時に一気に都市部に満ちたのだ。
その時の魔力の濃度は実に暗黒魔界に相当する濃度であったという。
この魔力に当てられた住民の女性達の魔物化が混乱に拍車をかけ、住民達や教団に殆ど抵抗の間を与えなかった。その一事がデルエラの無血の勝利の大きな要因になった事は疑いようがない。
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〜01:15〜
第四居住区二番地・ランドウィッチ家
土建屋 スミサー・ランドウィッチ
「畜生!畜生!畜生!一体どうなってる!」
スミサーは必死に掻き集めた木材を玄関のドアに打ち付けて目張りをしていた。
魔物達の侵入は外壁の入り口から堂々と行われた、ランドウィッチの家は不運な事に外壁のすぐ近くだったので騒ぎに気付いた時にはもはや逃げられない状態だった。
外からは住民の悲鳴や魔物の笑い声、聞いた事も無いような足音がひっきりなしに響いている。一歩でも外に出れば何メートルも行かない内に魔物に捕まってしまうだろう。
先の見えない方法だとしてもこの家に立て籠る以外選択肢が思い付かなかった。しかしこんな急ごしらえの封鎖が魔物相手にどれ程の意味を持つだろうか……。
スミサーは頭を振ってその考えを振り払った、例え無謀でも無駄でも自分は出来るだけの事をしなければならないのだ。
「……あなた……大丈夫、なの……?」
スミサーは驚いて二階の階段から聞こえて来た妻の声に振り返った。
「駄目だアイリ、隠れているんだ」
妻には二階の押し入れに隠れているように言ってあった。
スミサーが無謀な籠城を選んだのはこの妻アイリがいるからというのも大きな要因だった。
生まれつき病弱な彼女を連れて逃げる事などほぼ不可能と言える。
「あなた……お願い、一人にしないで、一緒にいて……」
アイリはただでさえ青白い顔を紙のように白くしてスミサーに縋りついて来る。拒む訳にもいかずスミサーは妻を抱き締める。
小刻みな震えが伝わって来る。
「大丈夫、大丈夫だ、きっと時間が経てば魔物達も兵士が追い返してくれる、それまでここで見付からないように息を潜めていればいい」
「嘘をつかないであなた、こんなに沢山の魔物に入り込まれたら上の人々はこんな区域は見捨てるわ……」
スミサーは唇を噛んだ、恐らくその予想は当たっている。
「わかるわ、あなたの考えている事、自分が犠牲になってでも私を生かそうと思っているのでしょう?」
「……」
スミサーは答えなかった、図星だからだ。
「ねえ、一緒になる時言ったじゃない、死ぬまでずっと一緒だって、ねえ、嘘だったの?あの言葉は嘘だったの?」
「嘘なんかじゃない!」
「なら、一人だけで逝こうとしないで……一緒に……」
死のう、とは口に出して言わなかった。ただ、アイリはその瞳からほろほろと涙を零した。
二人は教団の教えを信じていた、魔物は人を食らい殺す存在だと。
ミシッ
その時、目張りをしていた窓から不吉な音が鳴った、二人はぎょっとして窓の方を見る。
バキバキッ、と音を立てて貼りつけていた板の一枚が剥がされ、床に落ちる。
「……っ!」
二人は息を呑んだ、剥がれた板一枚分の隙間から紅く光る一対の目がじっと部屋の中を伺っているのだ、慌てて隠れようとするがもう遅かった。
部屋の中で抱き合う二人の事を舐めるようにその視線は捕えていたのだ。
守らなくては、スミサーは思った。今すぐに窓の傍に立てかけてある斧に飛び付いて外の魔物に一撃を食らわせるのだ。行け。やれ。男だろうが。
足が動かない、膝が震えて足が竦んで、動かない。自分がこれほど情けない男だとは知らなかった。
その時不意にアイリの両腕が震えるスミサーを強く抱き締めた、子犬のように震えるスミサーとは対照的にその腕は力強く、震えてもいない。
アイリは外の魔物を見返していた、怯える事もなく、強い光を宿した目でその紅い眼差しを正面から受け止めていた。
美しい顔だった、妻はこんなにも美しい人だったか、こんなに強い人だったか。普段病弱な妻のどこにこんな強さが隠されていたのか。それともこれは女ならば皆持っている強さなのか。
実際には数分か、あるいは数秒程だったのかもしれない。だが二人にとっては気の遠くなる時間、魔物とアイリは見つめ合った。
「……ううん、残念、彼女持ちかぁー……」
場違いに緊張感の無い言葉が外から聞こえたかと思うと、紅い目はすっと窓から離れて行った。
「……」
「……」
しばしの沈黙の後、ようやく金縛りのような状態から脱したスミサーは足音を殺して恐る恐る窓際に近付いた。
一瞬だけ窓から顔を出して左右を確認する。
こっちに来ようとするアイリを手を上げて制すると床に落ちている板を拾い、また窓に元通りに固定する。
そこまでやってようやく二人は力を抜いて地面にへたり込んだ。
「驚いたな」
緊張が解けた反動でスミサーは笑みを浮かべた。
「俺の妻が眼力だけで魔物を追っ払っちまったぞ」
「そんな事……生きた心地がしませんでした」
アイリは胸に手を当てて息を整えようとしている。その後にアイリは奇妙な事を言った。
「あなた……もしかしたら私達は助かるかもしれません」
スミサーは驚いて妻の顔を見る。
「何かここを脱出するいい考えでも思い付いたのか?」
「い、いえ、そう言う訳ではないのですが……」
アイリは言っていいものかどうかを逡巡した後に言った。
「魔物と言うものは……実は悪いものでは無いのかも……」
あまりに意外な言葉にスミサーは妻の正気を疑った。
「あの時……外の魔物と見つめ合った時、その……」
アイリは自分の中で何かを消化しようとするように胸に手を当ててから言葉を紡ぐ。
「目は口ほどに物を言うというじゃないですか?あの時の魔物の目にはこう……敵意とか害意のようなものが全く感じられなかったんです」
「そんな事……」
そんな事は有り得ないとスミサーは言いかけて考えた。妻は人の心の機微に驚くほど敏感な所がある。
その直感をそのまま信じる訳にはいかないが、本当だとしたら……。
そこまで考えてスミサーは溜息をついた。どちらにしろ自分達には何も出来ない。運を天に任せる以外に選択肢は無いのだ。
スミサーは立ち上がってアイリの傍に歩み寄った。
「そうだな……きっと俺達は助かる、きっとそうだ」
そう言ってまたアイリを抱き締めた、もう隠れていろとは言わない。アイリは嬉しそうに夫を抱き返した。
その瞳は微かに紅く色付いていた……。
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〜02:00〜
第四居住区大通り
マカロン・エリーザ
中央通りは混乱の坩堝と化していた、魔物から逃れようとする住民達とそれを捕まえようとする魔物が入り乱れ、そこら中から悲鳴が上がっている。
マカロンはその中をノアンの手を引いてひた走っていた。
息が切れて足が縺れそうになるがそれでも立ち止まらずに走り続ける。
「はあっ、はあっ、ねえちゃんっ……!どこに行くの!?どこに行ったらいいの!?」
ノアンが必死についてきながら問いかけるがそんな事はマカロンにもわからない、ただ周囲の大人達が走る方向と一緒の方に走っているだけだ。
「わかんない!でも立ち止まっちゃだめ……!」
「ねえちゃん!危な……!」
ノアンがマカロンの手を引くとマカロンのすぐ傍を翼の生えた魔物が地面すれすれに滑空して行った。
「なっ!?あっうわっ!わあああーーーーー!!」
そうして二人の前を走っていた一人の男を足で捕えると高々と舞い上がり、連れ去ってしまう。
次の瞬間には二人の横を風を巻いて追い抜いた獣のような魔物がもう一人の男に飛び掛り、押し倒してしまう。
二人は恐怖に慄きながらも足を止めない。
「お城……!」
マカロンは気付いた、大人達の走る先はレスカティエの中央部に位置する城の方角なのだ、そうだ、そこまで辿り着けば助けてもらえるかもしれない。
「はあっ!はあっ!はあっ!」
「頑張って!ノアン!お城だよ!お城につけば大丈夫だから!」
実際には着いたとしても助けてもらえるかどうかはわからない、しかし気持ちを鼓舞させるためにマカロンはそう言ってノアンを励ます。
途中で数を次々に減らされながら逃走する住民の一団は何とか中央部と居住区を区切る関所にまで辿り着く。しかしそこに待っていたのは絶望的な光景だった。
「開けてくれぇ!」
「俺達を見捨てるのか!?」
いつもは見張りの兵士が立っている関所には誰もおらず、閉ざされた堅牢な扉が無慈悲な姿を見せていた。
それぞれの居住区から逃げ出し、先に到着したらしい住民達がその扉の前に大挙して詰めかけ、扉を叩いて叫んでいた。
二人はどうしていいか分からずに他の人々と同じように人ごみに押されながら立ち竦むしかできなかった。
「そうじゃないかと思ったんだ」
「上の連中は私達の事なんて切り捨てればいいと思っているのよ……!」
そんな会話が周囲から聞こえてくる。
「ねえちゃん……」
マカロンはただ不安な表情をするイアンを強く抱き締める以外出来なかった。
「父さんと、母さんは……」
マカロンの胸の中でノアンが思い出したように呟く、やはりマカロンは何も答えられなかった。
母の様子がおかしくなり始めたのは日が暮れた頃だった。いや、最初はおかしな様子だとは気付かなかった。
落ち着きなく家の中をうろうろと歩き回り、しきりに「クレン……クレン……」と呟くようになった。
父の事を心配しているのだから不自然な事では無い、そう思っていた。
そこに父が帰って来たのだ、ひどく慌てた様子で扉を開けるなり「早く荷物を纏めるんだ」と言った。
どうして?と問う間はなかった、帰って来た父に母が凄い勢いで抱き付いたからだ。あんなに素早く動く母は見た事がなかった。
母は「あなた!あなた!」と百年ぶりに再会したかのように父の胸にむしゃぶりついた。
普段の母は淑女であり、子供の前でそこまで感情を露わにする事は初めてだった。父は戸惑いながらも心配をかけて済まなかった、と母の抱擁に応えながら言った。
母は、父に熱烈な口付けをした、これには流石に二人とも腰が抜けそうに驚いた。
しかし驚くだけでは済まなかった、父にキスをする母の背の服がめりめりと音を立てて異様に盛り上がり始めたからだ。
その母の異様な変化に驚いた父は母を引き剥がそうとするがよほど強い力なのか離れる事が出来ない。
そうこうしているうちにとうとう母の服の背がびりびりと破れ、そこから黒い翼が現れたのだ。母は聞いた事もないような声を上げながら翼を揺らし、そのまま父を押し倒してしまう。
目の前で起きる異常事態に放心状態になっていた姉弟は父の声で我に返った。
「逃げろ!逃げなさい!」
その言葉でマカロンは弾かれたようにノアンの手を取って家を飛び出したのだ。ほんの数分前の出来事だ。
「大丈夫……大丈夫だよ、お姉ちゃんが守るから……あんたの事はお姉ちゃんが守るから……」
自分に言い聞かせるようにマカロンはノアンを強く抱きながら呟いた。
その時だった、扉に詰めかけている住民達の先頭集団から「おおっ」と声が上がった。
見てみると堅牢な扉が徐々に開いていくのが見えた。受け入れてくれるらしい。
「助かった!」
「馬鹿!押すな!」
近くの人々は我先にと開き切っていない扉に殺到する、群衆の群れが扉にぐいぐいと押し込まれて行く。
「「「いらっしゃ〜〜〜〜〜い♪」」」
「えっ?」
先陣を切った住民達はあっけに取られる。
扉の開いた先には色とりどりに着飾った多種多様な魔物達、見渡す限りの魔物、魔物、魔物。
一様に満面の笑みを浮かべ、手を一杯に開いて待ち構えている。
「うわあああああ!」
「戻れ!戻れ!ここも……!」
「押すな押すなあ!」
しかし後方の人々にはその光景は見えない、早く扉の中へ入ろうと前の人を押す。
「げっちゅ♪」
「よっしゃー!」
「いただきまぁす♪」
押し出された住民達は次々に捕えられ、いずこかへ連れ去られたりその場で押し倒されたりしていく。
戻ろうとする人と行こうとする人がぶつかり合い、群衆は大混乱に陥る。その混乱に拍車をかけるように街側から追い付いた魔物達が最後尾の住人達に襲いかかる。
マカロンは必死で押し合いへしあいする人々の間を小柄な体で押し退け、擦り抜け、群衆から抜け出そうとする。決してノアンの手を離さないようにしながら。
と、唐突に目の前にいた複数の人影が何者かに引っ張られるようにしていなくなり、人ごみの圧力から解放された。
「あっ……あ……」
脱出できた訳ではなかった、魔物達が人間を襲う最前線に飛び出てしまったのだ。
周囲で次から次に人々が魔物に連れ去られて行く。
「あら」
その中の一人の魔物……角と羽根と尻尾を備えたサキュバスが二人に目を付ける。マカロンはもはやノアンを抱き締めて立ち竦むしかできない。
サキュバスは震える二人に近付くと両手を大きく広げ、二人を纏めて抱き締めた。
「きゃあああ!?」
思わず悲鳴を上げるマカロンに構わず、サキュバスは翼をはためかせると二人を抱えたまま宙に浮いた。
おしまいだ、捕まってしまった、食べられてしまうんだ。
風を切る感覚を感じながらマカロンは目をぎゅっと閉じて涙を堪えた、堪えられたのはその腕の中にノアンがいたからなのだろう。
「よいしょっと」
サキュバスの声と共にとすん、と地に足が着く感覚がした。同時に二人の腰に回されていた手が解かれ、解放された事がわかった。
思ったより早い解放に思わず周囲を見回すと、先程の扉の前の騒乱から少し離れた場所に降ろされていた。
「人が多い所は危ないから近寄っちゃ駄目よ、転んだらふんづけられちゃうわよ」
二人を運んだサキュバスは人差し指を立ててマカロンにそう言った。
「……はい」
マカロンは唖然としながらそう答えた。
サキュバスはノアンとマカロンの顔を交互に見つめるとくす、と笑い、マカロンの頭をぽんぽんと撫でた。温かい手だった。
「大切な人と、はぐれないようにね?」
そう言ってウィンクをした、とても魅力的な仕草だった。マカロンはこくこくと頷くしかできなかった。
「さーて旦那さま旦那さま♪」
そう言うとサキュバスは群衆の中に戻って行った。
マカロンはしばらく呆然とその場に立ち尽くした、助けてくれた、魔物が……。
イメージしていたのとは全然違う、話に聞いていた魔物は残酷で残忍で人を食べてしまう恐ろしい存在だと聞いていたのに……。
そう思って隣を見てみるとノアンもぼんやりと立っていた、いや、顔を赤くして先程のサキュバスが去って行った方を見ている。
「魔物って……すげー美人なんだな……」
その言葉を聞いてマカロンはかちん、と来た、何に来たのかはわからないがとにかく非常に面白くない気分になった。
「あいてっ!何すんだよねーちゃん!?」
「うっさい!魔物なんかにデレデレするんじゃないわよばかノアン!」
「なっ……誰がいつデレデレしたんだよ!」
「今さっきよ!」
そう言い合いながら姉弟は隠れられそうな場所を探してまた走り出した。
(やっぱり魔物は悪い存在だ、私の大事な可愛いノアンを誘惑して惑わせるなんて、私がしっかり守ってあげなきゃ!)
マカロンは改めて決心した。
その瞳は赤味がかっていた。
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〜02:25〜
レスカティエ港、船着き場
船員 ポロ・ミヘンス
レスカティエの最北端に位置する港も他の区域と同様混乱の渦の最中にあった。
そこにはレスカティエ全域から逃げ延びて来た住民達が集結していた。
「いいから黙って船を出せ!金なら出す!」
「だから金の問題じゃないって言ってるだろ!今船で逃げようとするのは自殺行為だってのがわからないのか!?」
ポロ・ミヘンスはその混乱の最中貴族の男を必死に説得していた。
レスカティエの中枢までもが陥落した今、もはや都市内に安全な場所は存在せず、陸路も全て塞がれている。
そこで逃げ延びた人々が考えるのは海路を使っての脱出だ、だがポロは見ているし知っている。
海に生息する魔物に海で遭遇するのと陸で魔物に遭遇するのでは圧倒的に危険度が違う。何しろそこは完全に彼女達のフィールドなのだ。そこでは人間の作った船など大きな棺桶に過ぎない。
「だったらここで魔物に捕まるのを待てと言うのか!?」
「他に方法を見つけるんだよ!どんな無茶な方法も海を渡ろうとするよりはマシだ!」
「もういい」
貴族の男は口調を鎮めた、ようやく分かってくれたかと思った次の瞬間首に剣の切っ先が突き付けられていた。
咄嗟に腰に挿している短刀を抜こうとしたが、貴族の脇に控えていた護衛の騎士二人に両手を抑えられた。
「ここで私に殺されるか船を出すか選べ」
男は冷淡な口調で言った、脅しではないらしい。
「……どうなっても知らねえからな!」
ポロが吐き捨てると男は顎で船に乗るように指示した。
ポロは絶望的な気持ちで帆を上げた、港を見てみると他の船舶も次々に帆を上げ、港を離れようとしている。
海を知る人間ならばそれが自殺行為である事は明白なのだが他の船員達もこうして脅されたのだろうか、それとも座して待つよりはという考えだろうか。
「おいっ!急げっ!もうすぐそこに来ているぞ!」
その言葉に港町の方を振り返ると確かに逃げ遅れた住民達の悲鳴が聞こえて来る、それが次第に港の方へと迫って来ている。
ポロは迅速に出航準備を整えると船を出した。
タッチの差だった。港を50メートル程離れた所で岸を振り返って見ると既に黒い軍勢が街を埋め尽くし、こちらに赤い視線を寄こしていた。
ぎりぎり出航が間に合わなかった船には次々魔物達が乗り込んでいる、もう少し遅れていたらと思うとぞっとする。
港を離れる事が出来たのは四隻、しかしそれで追撃の手を振り切った事にはならなかった。
「上だ!来るぞ!」
見張りの船員が声を張り上げる。そう、空を飛ぶ魔物が追って来たのだ。ポロの操る船ともう一隻以外の二隻には次々とハ―ピーやサキュバス達が上空から乗り込み。
やがて管制室まで制圧されたのか動きを止めてしまった。
空を飛ぶ黒い影達はポロの船にも飛び移ろうと迫って来る。
しかしその影達に追い付かれようかという所で甲板にあの貴族の男が飛び出て来た、その後に続いて数十人の護衛の騎士達が甲板に次々に飛び出してくる。
騎士達はその手に長弓、背に矢筒を背負っている。
「ってぇーーーー!」
貴族が声を張り上げると同時に騎士達は上空に向けてめくらめっぽうに矢を射かけ始めた。狙って当てようという意図はない、とにかく近寄れないように矢で弾幕を張っているのだ。
この抵抗は予想外だったらしく、上空の魔物達は足止めを食う。
そうこうしているうちに港は遠ざかり、空の魔物達は名残惜しげな視線を寄こしながらも港に舞い戻って行った。
もう一隻の船の方を見てみるとあちらにはどうやら運よく魔導師が乗っていたらしく、船を聖なる力で覆って魔物が近寄れないようにしていた。
「はっはっはっは!尻尾を巻いて逃げて行くぞ!」
「ざまあ見ろだ!」
撃退の成功に湧き立つ騎士達、貴族の男は操舵室で舵を握るポロの傍に駆け寄って来た。
「どうだ!やってやれない事は無い!我らの力を見たか!」
しかし舵を握るポロの顔色はすぐれない、いや、真っ青だ。
「何だ?どうした」
「……こうなるって事は分かり切ってたんだ!くそおっ!」
「何を言って……!?」
言い終わる前に船が猛烈な揺れに襲われ、男は床にひっくり返った。部屋に置いてあったワイン瓶や海図、本などが次々床に落ちる。
ポロは必死に舵に食い下がる。
「舵が……効か……!」
がこん、と反対方向の揺れが来た時にポロも舵から振り落とされた。
甲板では何人かの騎士や船員が揺れに振り落とされ、海面に転落していた。他の者達は船にしがみつくのに必死でそれを助けようとする余裕も無い。
「ま、回って……!?」
騎士の一人は気付く、周囲の景色が回っている、いや、船が回転している。
渦だ、海面に巨大な渦が発生してそれに巻き込まれているのだ。
幾度かの強烈な揺さ振りの後、文字通り天地がひっくり返った。転覆だ。
なす術も無く激流に呑まれて行く船員と騎士達。舵に取りつこうと足掻いていたポロも操舵室に流れ込んできた海水に呑み込まれる。
「がぼっ……!」
激流に巻き込まれ、上下の感覚が消失する。船内の備品が次々身体に当たって来る。
(こりゃあ死んだな)
(食われて死ぬのと溺れて死ぬのはどっちが苦しいんだろう……)
頭の中の妙に冷えた部分が考える。ごぼごぼと気泡が口から漏れ、海水が肺に入り込む。
「……?」
苦しくない。
海水の塩辛さも感じない。
妙に思って目を開けてみると船室の床が目の前にあった。板張りの木目までよく見える。
(よく見える……?)
妙だ、夜の海の中がどうしてこんなに明るいのか。
水中で身体を捻って振り返ると浮遊する船の備品が見えた、船はゆっくりと海底に向けて沈んで行っているようだ。
真横になった窓から外を伺ってみると不思議な事に水中の景色が昼間のように明るく見える、向こう側ではもう一隻の船が沈んで行くのも見える。
脱出していたもう一隻の船も沈められたらしい。
いや、そんな事よりこの視界の良さはどう言う事なのか、そしてどうして苦しくないのか、自分は水中で息をして……?
混乱しながら横を見てみると一人の男が自分と同じように床に背を付けて回りをきょろきょろと見回していた、貴族の男だ。
その様子から見ると自分だけでなく男の方も水中で呼吸をしているようだった。
こちらの視線に気付いたらしく、目が合う。しかし状況の解らない者同士で見つめあっていてもどうしようもない。
とりあえずこのまま操舵室の中にいては船と一緒に沈むばかりなのでどちらからともなく頷き合うと床を蹴って操舵室の外へ泳ぎ出た。
(……ここは本当に海の中なのか?)
ポロは幼い頃から海と接してきた、しかしこんな海をポロは知らない。
海の中は海水自体が発光しているかのように明るく、晴れた日のように遥か彼方まで見通せる。
そんな透明度の高い水の中を二隻の船がゆっくりと沈んで行く光景は奇妙に美しく、現実感が無い。よく見てみるとその船から多数の人々が自分達と同様に泳ぎ出て来るのが見える。
皆一様に戸惑った表情で誰一人苦しそうにしている様子は無い、やはり自分と同じ状態に置かれているようだ。
ふと、風を感じた、いや、水中だから水流だ。水の中で大きな動きがあったような気配を感じて周囲を見てぎょっとした。
人魚達の群れ、群れ、群れ、タコのような姿をしているものもいる。それらの魔物達が沈没船と人間達をぐるりと包囲し、その輪を縮めて迫って来るのだ。
まるで底引き網漁だ。
人々は慌てて逃げようとするが水棲の生き物から泳いで逃げる事など不可能だ。次々にあっさりと捕まって行く。
隣にいた貴族も必死に手足をばたつかせて泳ぎ出すが、急な渦に巻き込まれたように身体を引っ張られた。
貴族がくるくるときりもみしながら吸われて行く先を見ると、岩肌にある大きなフジツボのような突起に吸い込まれているようだ。
一瞬その中に幼い少女の姿が見えたが、貴族が吸い込まれるとフジツボは閉じてしまい、すぐに見えなくなった。
ポロは抵抗は無駄だと悟っているのでもはや逃げようとはせず、ただ自然に水に浮いていた、最早どうにでもしてくれといった感じだ。
と、仰向けに浮かんでいた自分の顔をぬう、と覗き込む顔があった。
逆さまの女の顔だ、その顔がにっこりと笑い、くるりと引っくり返って正面に向き合う。
目尻の下がったおっとりとした印象の顔の女だった、法衣をアレンジしたような服装をしており、手には不思議な石板を持っている。
無論、その下半身は魚だ。
しかしその優しげな目で見つめられた瞬間からポロにとってそんな事はどうでもいい事になった。
朗らかに微笑む人魚はポロの両手を握ると、見つめ合う体勢のままゆっくりとヒレを波打たせ、後ろ向きに泳ぎ始める。ポロは手を握り返してそれについていく。
気付くと周囲は同じように手を握り合って泳ぐ人魚と人の姿で一杯になっていた、まるで水中の舞踏会だ。
ぐい、と引く手の力が強くなった、人魚の上半身に引き寄せられていく。
人魚は目を閉じて唇を差し出していた、頬を染めて、百年の恋人にそうするように。
ポロは抵抗する事無くその唇に吸い寄せられていった。
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〜03:15〜
レスカティエ港、船着き場
サキュバス キューア
「あーあ、取られちゃったあ……」
キューアは船が沈み、もはや渦と残骸だけが残る海面を見つめながらぼやいた。
街中での捕獲合戦でも食いっぱぐれ、ラストチャンスの追撃にも乗り遅れてしまった……。
「まだよ!街中に隠れてる人がいるかも!」
「そうよ!」
しかし自分と同じように食いっぱぐれた仲間達が奮起して街に引き返していく、キューアも気を取り直して今一度探索をしてみようと考えた。
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〜03:45〜
第四居住区大通り
サキュバス キューア
取りあえず街道沿いを調べてみようと引き返して大通りを散策してみる。
水音と嬌声がそこいら中から響いているが、特に凄まじいのは城と街を隔てる格関所周辺だった。
逃げ込もうとした市民を城の中から挟撃したものだから絡み合う男女の密度が違う、近寄るだけで濃密な性臭と魔力で頭がくらくらしそうになる。
次に多かったのが家と家の間にある路地裏の暗がりで絡み合う姿だった。見付からないように隠れていた市民が逆に逃げ場を失って捕まったケースが多いようだ。
無論、逃げ延びた人間などいる筈も無い。
「むう……いないなぁ……ちくしょう、皆見せ付けてくれちゃってえ……あっ」
一軒の家がキューアの目に止まる。殆どの家が入口や窓を壊されているが、その家はしっかりと目張りがしてあり、誰も侵入した形跡が無い。
「うしし……かくれんぼしてる人がいるかも……?」
にんまり笑うとキューアは窓の目張りを易々と引き剥がす。
「お邪魔しまーす……」
小声で言って室内に入ると、中は荒らされた様子も無いが人の気配も無い。しかし耳を澄ませてみるとどうやら二階から何か物音が聞こえる。
「誰かいるのかなー?」
キューアが忍び足で二階に上がるとどうやら寝室のドアらしきものが見えた。物音はそこから聞こえる。
「……」
薄々結果に勘づきながらもそっとドアを開けて中を覗き見ると……。
「あぁっ!んぁぁ!あはぁぁぁぁん!あなた!あなたぁ!」
「ア……アイ……リぃ……!くあぁぁぁ……!」
ベッドの上で髪を振り乱して腰を振るラミアと、そのラミアにぐるぐる巻きに抱き締められ、喘ぎ声を上げる男の姿があった。
「……お邪魔しましたー……」
キューアはそっと音を立てないようにドアを閉めた。
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〜04:00〜
南東結界堂
サキュバス キューア
気を取り直して探索を再開すると、大きな教会が視界に入った。
「あっ……あの教会って……」
作戦の説明を受けた時に聞いた、確か今回の侵略での重要なポイントになった場所の筈だ。
興味を引かれて荘厳な扉を開いて中を見てみると構造自体は通常の教会と変わらないようだった。
しかしその祭壇に一抱えほどある石が鎮座している所が他とは違う所だ。
かつて清浄な気を放っていた石は既にその効力を完全に失い、ただの石としてそこにあるだけだ。
その祭壇の下では一組の魔物と男が絡み合っている。
祭壇の方に頭を向けているのでこちらからはむっちりとした尻が上下し、神父らしき男の陰茎を粘液を飛び散らせながら貪る様子しか見えない。
上半身は男の上に倒れ込み、乳房で顔を覆っているらしい。
「ん……んむっ……んぐ……あぅぐっ」
「んふぅ……あはァ……ふふふっ、神父さまぁ……また出ちゃいましたねえ……そんなに私を孕ませたいんですかぁ……?」
「……お邪魔しましたー……」
キューアはそっと扉を閉めた。
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〜04:25〜
中流居住区外壁前メレン通り
サキュバス キューア
「ううう……疼いちゃうよう……他にいそうな所って言ったら……あ」
キューアは道端でびくびく痙攣する男の腰の上で頭を上下させる一人のゴブリンに近付いた。
「ホーニィちゃんだよね?ゲットおめでと」
「ちゅぷ、ちゅぷ、ちゅぷ、ちゅぷ」
ホーニィは口を離すのが惜しいらしく、フェラチオをやめないまま手だけでびしっとVサインを作って見せる。
「忙しいところ悪いんだけど、地図持ってる?私途中でなくしちゃって……」
「んむ、ぢゅる、ちゅぷ、ちゅぷ」
ホーニィはすぐ傍に脱ぎ捨てられていた自分のズボンを指差す、どうやら一度膣で絞ったらしく裸の下半身の股間からはぬるぬると白いものが流れ出ている。
その光景にごく、と喉を鳴らしながらキューアはホーニィのズボンのポケットをごそごそと漁る。
「あったあった……」
地図は驚く程詳細かつ正確な物だった、そこに侵攻ルートや作戦の概要が書きこまれている。
そういった作戦の情報とは別に、地図の所々にハートマークが書き込まれ「オススメ♪ゲットポイント」と表示してある。
「えーと、他のゲットポイントは……兵舎、かあ……たくましい兵隊さん……ぐふふ」
キューアはだらしない笑みを浮かべると、兵舎までのルートを確認してからポケットに地図を戻した。
「ありがと、お邪魔しちゃったね」
「ごくん……ごきゅ……ごく……」
もう聞こえていない様子だった。
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〜04:35〜
兵舎前
サキュバス キューア
羽根を広げて街道を飛び越え、兵舎に到着した時、キューアは「あちゃあ」という表情になった。
物凄い嬌声の合唱が兵舎の中から聞こえて来たからだ、兵舎の窓から放射状に魔力が漏れているのが見える程だ。
とてもじゃないが人が逃げ延びれる状態ではない。
「あのお……ここいら辺に……あ、お邪魔ですねハイ」
入口付近で一人の兵士らしき男を二人がかりで貪るデュラハンとワ―ウルフに声をかけようとしたが、デュラハンは取り外した自分の頭部で男の陰茎をオナホールの如く扱き抜くのに忙しく、ワ―ウルフは夢見心地でキスをするのに忙しい。
キューアはすごすごと退散した。
「オススメポイントは逆にみんなが集結してるから無理っぽいなー……地道にしらみつぶしするしかないかー……」
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〜04:55〜
貧民街
サキュバス キューア
ぶらぶらと貧民街エリアをうろついて見るが、嬌声が漏れ聞こえないあばら家は一軒もない。
「……おや?」
そんな中、キューアは一つの倉庫を見つける。
中はがらんどうなのだがその天井裏から気配を感じる、よく観察してみると倉庫の上部に入口らしきものが見える。
そのそばに梯子が倒れている、どうやら梯子で屋根裏に登った後に蹴り倒したらしい。
「むむっ……人間さんの予感……!」
キューアは忍び笑いを漏らしながらぱたぱたと飛んで入口に近付き、中を覗いて見る。
「ねえちゃ……ね、ちゃ、やめ……」
「守ってあげるからねぇ……!まもののわるいおまんこからはぁ……お姉ちゃんのおまんこで守ってあげるからねぇ……?」
ぎしっぐちゅっぴちゃっくちゃっ
「……はい、お邪魔しましたー……」
キューアはすうっと屋根裏からフェードアウトした。
「うう……今回は駄目かなぁ……こんなチャンス滅多にないのになあ……」
しょんぼりしながら貧民街の中を当てども無く歩き回ったが捜せども捜せどもフリーの人間はいない、やはり最初のラッシュ時に出遅れたのが痛かった。
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〜05:25〜
貧民街 名もなき丘
サキュバス キューア
貧民街を抜けるとちょっとした丘の上のような場所に出た。
「お、いい眺め」
その丘はとても見晴らしが良く、レスカティエの街並みが一望できた。
夜闇の中に浮かび上がる荘厳な城や街並みは以前は魔物を寄せ付けない威圧感を放っていた。
しかし今、薄紫の月光に照らされ、そこいら中から嬌声が響くその姿はここが魔界だと言われても違和感が無い。
「やっぱりすごいなぁ……デルエラ様は、本当に落としちゃったよ、こんな大きな所……」
改めて自分達の主の偉大さに感じ入っていたキューアはふと気付く、人間の匂いがする。
(え?こんな所で……?)
半信半疑で匂いの元を辿って見ると、いた。丘の上に腰を下ろす人間が一人、ラッキーな事に男だ。
しかし一体こんな事態にこんな所で一人でいるとはどういうことだろう。
「……」
と、男が背後に近付いたキューアに気付き、振り返った。穏やかな目をした初老の男だった、髪には白い物が混じっている。
「……やあ」
「あ、ども」
意外な事に男は友好的な挨拶を返した、思わず襲うのも忘れて返事をする。
挨拶をした男はまた街並みに目を戻す、キューアの事は気にしていない様子だった。
何となくタイミングを逸したキューアは男の隣に腰を下ろした。
「あのう」
「うん?」
「逃げないんですか?」
「はっはっは……私の様なじいさんを襲う者などいないだろう、魔物にも好みがあるようだしね……」
そんな事はない、恐らくこの非常時こんな丘の上で一人でいる事が皆の予想を裏切り、今まで見付からなかったのだろう。
「それにしても驚いたよ……ずっと魔物は人を食べるものだと聞かされて来たが、そういう意味だったとはね……」
「えへへぇ、そうですよ、魔物は人間が大好きですから!」
えっへん、と何故か胸を張るキューアの事を男は目を細めて見やる。
「あの……お名前は?」
「ブロンズという、君は?」
「キューアです」
「そうか、いい名だ……」
そうやり取りをした後二人は黙り込んだ、黙って丘の上からの展望を眺め続けた。
キューアはブロンズの横顔を見た、自分のずっと暮らしてきた街がこんな風になるのはどんな心境なんだろう。無論、この侵攻を後悔する気持ちは無いがちょっぴり胸が痛む。
「これで、良かったのかもしれん……」
「え?」
「この国はもう、国としては既に終わっていたと言っていいかもしれん……時代が流れ、今、そんな国が一つ終わった、それだけの事なのだろうな……」
「……」
「心残りが無い訳では無いがね……」
「心残り?」
ブロンズは自分の手の平を見つめた、ごつごつとして年季を感じさせる手だ。
「私の仕事も、この代で途絶えてしまうのかと思うとね……」
「仕事?」
「陶芸、というやつだ」
「トウゲイ?」
「ははっ……まあ、食器だの花瓶だのを作る技法さ、私の家は代々窯を受け継いでそういった物を作る家業を営んで来た……」
ブロンズは手を下ろしてまた街並みに目を戻した。
「この技法が中々独特でね、他のと違って私の所で焼いたのは澄んだいい色が出るんだ、密かに自慢だったのだが、それももう終わりのようだ……」
「……終わりませんよ」
「え?」
キューアはブロンズに寄り添うと、街の方を指差した。
「あのあたり、今の目抜き通りがあるじゃないですか?」
「うむ?」
「あそこは商店が立ち並ぶ通りになる予定なんです、あそこだけじゃなくて商業区はもっと拡大されるんです」
ブロンズは目を見開いてキューアを見る。
「貧民街も整備されてもっと住みやすい区域に改装されます、いや、ああいう場所が好きな娘達もいるから残るとは思うけど……」
ブロンズは「ほう」と頷く。
「そうして人、魔物問わずに沢山の人達を受け入れるんです、それと同時に人間の土地では手に入らない商品や魔界産の特産品がどっと入って来るんです」
キューアは立ち上がって手を広げた。
「そうしてこの街は魔物と人を繋ぐ大きな大きな街に生まれ変わるんです」
ブロンズが眩しそうに見る前でくる、とキューアはブロンズの方に向き直る。
「そこで、ブロンズさんの陶器屋さんもその街並みに並ぶんです」
ブロンズは笑った。
「夢のある話だが、私はもう歳だ……後継の者もいない、街並みが揃う頃には……」
「私が継ぎます!」
「え?」
「大丈夫です!こう見えて器用なんです私!」
「いやいやいや……中々そう言う訳にもだな……」
ずいずいと迫るキューアにブロンズはたじたじになる。
「それだけじゃありません、もっといいお話があるんです」
「い、いい話?」
半ば押し倒されそうになりなるのを押し返しながらブロンズが問うとキューアは胸を張った。
「私を弟子、兼お嫁さんにすれば全て解決です!」
ブロンズはきょとんとしてしまう。
「魔物と交わると寿命が合わせて延びるんです……いいえ、むしろ若返っちゃいます、そうして夫婦二人で陶器屋をですね」
「ま、まてまて待ちたまえ!」
「ご不満ですか?」
「私はそりゃあ、いや、君にとってどうなんだねそれは?私の様な枯れた男に嫁いだりするなんて……」
「ブロンズさんはとーっても素敵なお方です、というかもう選択肢はそれ以外許しません!とりゃー!」
「ぬわっちょっ」
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〜06:00〜
レスカティエ城最上部
リリム デルエラ
デルエラは城の屋根の頂点に一人腰を下ろし、日の出を見ていた。
昇る太陽は昨日と変わらない、だがその太陽が照らす街は昨日と完全に別の物へと変貌している。
その街並みを視線で愛でるようにして見渡すと、デルエラは呟いた。
「誕生おめでとう……レスカティエ」
教団の中でも二番目と目される戦力を持った国の陥落は主神と魔王の勢力図に大きな影響を与え、実質この出来事を境に魔界の侵略が加速する事になる。
そしてこの一幕は魔物側から明確な意図を持って行われた初めての大規模な侵略だった。
今まで行われて来た侵略というのは個人単位での遭遇から発展したケースや人間側からの攻撃に対する反応としての侵略が大半だった。
野生の魔物達は組織立った行動を取る事は少なく、魔王軍にしても侵略よりも個々の幸福の追求を重視する風潮があり、いまいち任務に熱心とは言い難いかった。
しかしそんな中に現れた魔王の娘であるデルエラは違った。
彼女は夫が欲しいからという理由でもなく気紛れでもなく、一つの国の陥落を明確な目標に掲げて侵攻した初めての魔物だった。
結果として教団は思い知らされることになる、人間と魔物の戦力の違いを。
その実力の違いは陥落の際に発生した死傷者の数においてはっきりと現れている。
両軍共にほぼ0。
これは人間を夫か同族にしようという魔王軍の意図通りに事態が推移した事を示している。
ただ殺すよりも難しい捕縛をここまで大規模かつ完璧に遂行できたのは一重にデルエラの統率力と周到さによるものであると言える。
しかしながらその侵略が如何にして行われたのかという詳細な記録は残されておらず、全貌を掴む事は難しい。
断片的な情報や当時の証言を順序立てて並べて行く事でようやくおぼろげに全容が浮かび上がってくるのである。
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侵略前日〜06:30〜
南東結界堂
神父 ローハイ・コストム
(これは奇妙な……)
ローハイはいつものように朝の祈りを捧げようと訪れた結界堂で首を傾げていた。
祭壇にはいつも花が供えられている、経験上一週間程度で代え時なのだが供えられている花はかれこれ三週間も新鮮なままだ。
その上、花瓶に挿した当初は真っ白だった花弁が少しずつ赤く変色していっている様子なのだ。いつも同じ花壇から摘んで来る花なので品種が違うという事は無い筈だ。
(もしや不吉な予兆か……?)
ローハイは祭壇の中央に据えられている結界石を見つめる。
この結界石はレスカティエの中央部から市街地に至る範囲の要所要所に荘厳な教会と共に設置されているものだ。これによってレスカティエは全体を大きな結界に覆われているのと同じ状態を保っている。
勇者の輩出国であると同時に前線にて魔物の侵略を妨げる堅牢な拠点としての役割を果たすレスカティエの生命線とも言える施設なのだ。
しかし観察する限り結界石はいつもと変わらず清浄な気を放っており、異常があるようには見受けられない。
(……花壇に違う品種が混じっていたのだろうか?……恐らくはそうか)
神父ローハイはそう考えて疑う事を止めた。
本当はこの時にもっと疑うべきだったのだが、人間は誰しも環境に慣れるものだ。
数百年にわたってこの結界に守られ続けるうちいつしか無意識に「この結界が破れることなどありえない」という先入観をもってしまっていたのだ。
それは人間の習性のようなものであり、この神父、ローハイが浅慮であると責めるのは酷というものだろう。
「……どうかなさったのですか?神父様」
聖堂の入り口から掛けられた声に振り返ると一人の町娘が立っていた。
数ヶ月前より足しげくこの結界堂に通って祈りを捧げている若者にしては珍しく信心深い娘だ。名はラファンというらしい。
「……ああ、いえ、なんでもありませんよ、今日もお祈りですか?」
「はい……この街を護って下さっている場所なのですから感謝を捧げるのは当然の事だと思います」
ローハイは思わず顔を綻ばせる。
「よい心掛けです、感謝を忘れない心は得難きもの、神もきっと貴方の行いを喜ばれるでしょう」
「……うふふっ」
ラファンはローハイの言葉に微笑みを浮かべる。
美しい娘だ、三つ編みに結われた髪は金の糸のようで。その髪に彩られた顔は素朴ながらも愛嬌があり、城で見掛ける着飾った婦人達よりも余程魅力的に見える。
ラファンはそっと祭壇の前に歩み寄ると膝を折り、祈りを捧げ始める。
そうして膝まづいている所をよく観察して見ると簡素な服に包まれた肢体は思いの他発育が良いようだ。
(……!私は何を考えているのか……祈りを捧げる者を見て邪な思いを抱くなど……神よお許しを……!)
ローハイはきつく目を閉じて自戒する。神に身を捧げた者としてあるまじき考えだった。
普段のローハイならばそんな事は考えない筈なのだが、ラファンに対してだけは何故か意識を引かれてしまう所があるのだ。
目を閉じていたローハイは気付かない、ラファンが祈りを捧げた瞬間、結界石の輝きが微かに弱まっている事に。
供えられている花の花弁が更に赤味を増している事に、ラファンから送られる熱の籠った流し目に。
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侵略前日〜13:00〜
レスカティエ港沖にて漁獲船(ポーラ)
漁師 ミハストロ・マナクライ
「参ったなこりゃ」
ミハストロは甲板上で引き上げた網を見て溜息をついた。
普段ならばこの季節にはそこそこの漁獲量が得られるはずなのだが、上がった網に掛っていたのは大半が海藻や海底のごみ、売りものになる魚ときたら数匹程度だ。
「やばいっすね親っさん……この時期にこれじゃあおまんま食い上げっすよ」
新米漁師のタスカーはげんなりした様子で網を引き揚げながらぼやいた。
「海は気紛れなもんだ……とはいえ、こりゃあちょっとおかしいな、上の連中が海に変なもんでも流したんじゃなけりゃいいんだが……」
「聞こえちゃやばいっすよそれ……!」
「海の上で誰が聞くってんだ、大体城に住んでる連中は海で生計立ててる奴の事なんざ頭の片隅にもねぇんだ、食卓に上がる魚を誰が獲ったかなんざ考えもしねえ」
「そうっすよねー……でも、これはそういう原因じゃない気がするなあ」
「どういう事だ?」
「いやね、最近魚の量に限らず全体的に様子がおかしくないっすか?こう……自然環境が」
「……」
ミハストロにも覚えがある、ここの所今まで発生しなかった奇妙な海流や渦潮に頻繁に遭遇する、海だけでは無い、実家の貧民街の上空をやかましく飛び回っていたカラス共やゴミを漁る野良犬やネズミの姿をとんと見かけなくなった。
「……あっ!?」
と、海面を見ていたタスカーが唐突に声を上げた。
「どうした」
「いや、今、そこに……でっかい魚の影が見えたような」
「漁師が魚にビビってどうすんだ」
「いや、今まで見た事ない位にでかかったんですって!っていうかその、形が……」
「何?」
「に、人魚みたいな……あいて!」
「寝ぼけんな」
タスカーの頭をはたいてミハストロは溜息をつく。
「ほ、本当ですって!今もまだそこらへんうろついてるかも……」
タスカーの言葉を信じた訳ではないが、本当に大きな魚がいるのなら仕留めれば少しは足しになるかと考えたミハストロは大物用の槍を構えて船から身を乗り出し、海面を目で探った。タスカーも横に並んで目を凝らす。
「!?」
「あっ!」
二人同時に声を上げた、確かに人一人分はあろうかという大きな影が波間に一瞬垣間見えたのだ。
タスカーの言っていた人魚のような形ではない、何か多くの足を持ったタコのような形状に見えた。
しかし一瞬見えたその上半身は……。
「……」
「……」
二人は顔を見合わせると黙って帰港の支度を始めた。
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侵略前日〜15:00〜
練兵所
第三歩兵部隊隊長 アレクセイ・ウォートン
アレクセイは難しい顔で部下達の訓練風景を見ていた。
部隊の仕上がりには概ね満足している、個々の技量は無論の事チームワークにおいてもかなり自然に連携が取れるようになってきている。
特に近頃増えて来た女性兵士達の上達には目を見張るものがあり、女性にアドバンテージがある魔力方面に置いてだけではなく戦闘の技術面に置いても男の兵士を凌駕しつつあるほどだ。
しかし今日に限って兵士達は妙に訓練に身が入っていないというか、浮足立っているように見えた。
いや、兵士全員ではない、その上達目覚ましい女性兵士達に特にその徴候が出ていた。
訓練が終わった後、アレクセイは一人の女性兵士を呼び付けた。
「メノ」
「はい」
メノは素晴らしい武術の才能と冷静な頭脳を兼ね備えた兵士だ、名目上の階級はほかの兵達と変わらないが実質のリーダーと呼べる立場にある。
「今日は何か集中できない要因があったか?」
「申し訳ありません」
「いや、責めている訳ではない、君のせいではない、ただ要因が知りたいだけなのだ」
メノは目を伏せた、いつもはっきりとした返答をする彼女にしては珍しい。
「今一度皆に注意を喚起します」
「……頼む」
メノが優雅な動作で一礼すると長い髪がふわりと翻えった。
メノは美しい、触れれば切れそうな怜悧な美しさをその身に纏った女性だ。
実のところ美しいのはこのメノだけではない、奇妙な事に近頃入隊してくる女性兵士は皆それぞれに個性的な美人ばかりなのだ。
アレクセイは規律の乱れを危惧したが今のところその手の問題は起きていない。
去っていくメノの背を見ながらアレクセイは奇妙な胸騒ぎを覚えていた。
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侵略前日〜18:20〜
第二居住区三番地・エリーザ家
主婦 アレッタ・エリーザ
(最近ずっとこんな空模様ね……気味が悪いわ)
洗濯物を取り入れながらアレッタは思った。
ここ最近はずっと天気の悪い日が続いている、それも日増しに悪化しているような気さえする。
(でも……洗濯物は普通に乾くのよね、おかしなこと)
首を傾げながら取り入れ終えて居間に戻ると外に遊びに出ていた娘のマカロンとその弟のノアンが戻っていた。
早速食べ盛りのノアンが「おなかすいた」とはやし立てる。
ノアンをなだめつつ夕食の支度を終えると三人でテーブルに着いた。
「えー、今日も芋のスープ?」
「こーら、わがまま言わないの」
抗議の声を上げるノアンをたしなめるマカロン、そんな二人を見てアレッタはいつも心苦しい思いを抱く。
育ち盛りの二人に本当はもっといいものを食べさせてあげたいのだが、近頃また増税が行われた影響で家計にはいつも余裕が無いのだ。
「ごめんなさいね……」
「あ……ううん!俺、芋大好き!」
そんな苦労を子供なりに理解しているらしく、ノアンは慌てて訂正する。
「なーんだ、嫌いなら私が貰おうと思ったのに」
「ちょっ、ねえちゃんやめてよ!」
「こらこらやめなさい二人共、お祈りするわよ」
「「はーい」」
慎ましい食事を終えた後食器を洗っているとノアンにエプロンの裾を引っ張られた。
「母さん見て見て!すっごいよ!」
「なあに?」
「来て来て!」
引っ張られるままに外に出てみるとマカロンが空を見上げていた。釣られて上を見上げたアレッタは息をのんだ。
暗い空には雲が巨大な渦を作っていた、見ているだけで吸い込まれそうだ。それに雲全体が薄っすらと紫に色付いているようにも見える。
今まで見た事の無い空、まるでこの世の終わりの様な空模様だった。
すげえすげえとはしゃぐノアンとは対照的にマカロンは不安げな表情で空を見ている。アレッタが出て来たのを見ると急いでその腰にしがみついて来た。
「お母さん、怖い、この世の終わりみたい」
「大丈夫、大丈夫よ」
背中をさすって娘をなだめながらアレッタは夫の身を案じた。
夫のクレンは教団で兵士を務めているのだ、もしこれが魔物か魔王が関係する現象だとしたら夫の身に危険が迫るのではないかと不安になる。
(あなた……無事に帰って来て……そして抱き締めて、キスして……)
「あ、あらやだ私ったら……」
急に顔を赤くして自分の額をこつこつと叩く母を見てマカロンは不思議そうな顔をした。
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〜00:00〜
レスカティエの結界石が機能を失ったのは丁度この日付が変わった瞬間に符号する。
結界石は全部で八か所に設置されており、うち何ヵ所かが機能を失っても他の結界石がフォローする形になり、致命的な穴は開かないようになっている。
しかしこの夜、結界石は八つ全てが同時にその機能を停止した。
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〜00:25〜
東側外壁見張り台
警備兵 パッカード・ブレナン
パッカードは眠気覚ましのお茶を飲みながら見張り台から空を見上げていた。
「……変な夜だ」
天候は曇り。ただの曇りではない、奇妙な薄紫色をした雲が巨大な渦を巻いているのだ。
その雲を通してぼんやりと照らされる月光はやはり紫がかっている。
「……?」
ふと、パッカードは外壁の外に見える地平線に黒い影のような物が蠢いているのを見つけた。
最初は何かわからなかった、黒々としたその蠢くものは徐々に地平線を埋めてこちらに向けて近づいてくるようだった。よく観察するとその黒い影には無数の赤い光が灯っているようにも見える。
地上だけでは無い、上空にも点々と無数の黒い影と赤い光が見える。
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〜00:25〜
レスカティエ港、船着き場
船員 ポロ・ミヘンス
夜になって船の見回りを行っていたポロは海の沖合に無数の赤い光が揺れているのを見た。
その赤い光は徐々に漁港に向けて近づいてきているように見えた。
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〜00:30〜
東側外壁見張り台
警備兵 パッカード・ブレナン
パリーン、とカップの割れる音が響いた。
しかしカップを取り落としたパッカードはその音にさえ気付いていない様子だった。
ただ、目の前の光景に圧倒されていた。
魔物だ、魔物の群れだ。
黒い影は魔物たちが大挙を成してこのレスカティエに向けて進んで来ている景色だったのだ。
赤い光はその魔物たちの目の輝き。そして身に纏う服装に特徴的にあしらわれている深紅の宝石のようなものから発される光だった。
その赤い輝きをちかちかと瞬かせながら雲霞のごとく進行する多種多様な魔物達の姿は異様な迫力でもって見る物を圧倒する。
「……っ!ま、魔物!魔物だ!大変だ!」
我に返ったパッカードは急いで設置されている警報用の鐘を鳴らす。異様な色の空にカランカランと鐘の音が響く。
「……な、何で!?」
パッカードは焦った、通常、この鐘の音が一つの見張り台から聞こえたなら他の見張り台も呼応して鐘を鳴らし、緊急事態を知らせる手筈になっている。
しかし何故か他の見張り台からの反応が無い、まさか誰の耳にも届かなかったなんてことはないだろう。
バタバタバタッ
ドスン
「えっ……」
他の見張り台を見ていたパッカードは背後に何かが降り立つような気配を感じた。
恐る恐る振り返ったパッカードは目を見開いた。
両手が翼になっている女性……ハーピーが見張り台の中に立っていたのだ。
通常のハーピーと明らかに違うのが黒を基調とした衣装を纏い、その瞳は爛々と深紅に輝いている所だ。
ハーピーは足元に散らばるカップの破片を見やった。
「ごめんね、ティータイムの邪魔しちゃって」
「あ……あ……あ……」
パッカードは心の準備をする間もなく突如目の前に現れた脅威に対して一種のパニック状態に陥ってしまっていた、腰に差している剣も抜けない。
「ど……どうし、どうして……何で入って来れる!?け、結界は……!?」
そう、陸からだろうと空からだろうと海からだろうと結界に覆われている限りレスカティエは魔物の侵入を許さない、その筈だ。
「あー、結界ね、それはぁ……風前の灯♪」
ぱち、とハーピーはウィンクをして見せる。
「そ、それはどういう、むぐっ」
パッカードはそれ以上質問を続ける事が出来なかった、柔らかな羽毛の感触が全身を抱き、つややかに滑る唇が口を塞いで来たからだ。
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〜00:30〜
南東結界堂
神父 ローハイ・コストム
ローハイは抵抗する間もなかった。
腰の上にはラファンが跨り、その顔に淫猥な笑みを浮かべている、その瞳は深紅に輝いていた。
「ラ、ラファンさん!何を……!」
「待っていました……ずっとこの時を……」
言いながらラファンはそっと胸元に両手を置くと服の襟を掴んだ。
びりびりびりっ
そのまま胸元を破いてしまう、豊かな谷間が露わになる。
「なっ……!」
ローハイが絶句したのはラファンのその行いに驚いたからだけではない、その頭部にめりめりとねじくれた角が出現し、ばさりと漆黒の翼が広げられたからだ。
「サ……!サキュバ……ス……!」
「うふふっ」
ラファンは微笑むとそのまま体を倒し、ぱふっと豊かな谷間に神父の顔を埋めさせる。
「んぐぅっ!?」
男を狂わせる芳香と柔らかさに包まれて神父は目を白黒させる。
「感じますか?神父様……ほら、結界石の力が弱まっているのが……」
むにゅん むにゅん むにゅん
「んっ……!んぐ……んむ……!」
ラファンは乳房に手を添えてむにむにとローハイの顔に豊乳を擦りつけながら言う。
「大変ですね♪結界無くなっちゃいましたね♪もうこうなったらセックスするしかありませんね♪」
意味の通らない事を言いながらラファンははあはあと息を乱しながら全身を擦りつけ、ローハイの抵抗を封じながら器用に服を脱がせていく。
「ぷはっ!駄目だ……!や……やめ……!誰か……!んぐぅっ」
「来ませんよ……だぁれも……♪」
聖職者が淫魔に襲われている傍、結界石はその輝きを失い、殆どただの石と化していた。
供えられた花は深紅に染まっていた。
・
・
・
〜00:30〜
兵舎
第三歩兵部隊所属兵 コーコンド・ナスキン
コーコンドは夢を見ていた、極上の女の肢体を思うさま味わうという教団兵にあるまじき淫らな夢を。
この世の物と思えない快楽を味わいながらコーコンドはこれが夢だと薄々自覚していた。
そしてこれはまずい、と考えた。
(何て夢を見ているんだ俺は……確か兵舎で寝てたはず……このままじゃあガキみたいに夢射する羽目になる、いい笑いものだ)
そう思ったコーコンドはどうにか覚醒しようとする。
(起きろ!起きろ俺!これは夢だ!ああ、畜生なんて気持ちいいんだ、手遅れになっちまう!起きろ!)
「〜〜〜〜っはぁう!」
コーコンドは目を覚ました、どうにか射精する前に目を覚ますことができた……筈だった。
途切れない、快楽が途切れない。
「はひゃぁあ♪」
目の前にあるのは女の顔、愛らしい顔だ、誰だったか、そうだ、クナーデだ、最近になって入ってきた新米の弓兵、先輩先輩と懐いてくる可愛い奴だ。
しかし何という顔をしているのか、眉を寄せて涙目になって舌を突き出して余りに淫らでだらしない表情だ。年頃の女の子がそんな顔をしてはいけないと注意しなくては。
起きた直後の半覚醒の頭の中を一瞬でそれだけの思考が駆け巡った。
それ以上考える事は出来なかった、凄まじい射精の快楽にあらゆる思考が吹き飛ばされてしまったからだ。
びゅくんっ!びゅくんっ!びゅくんっ!びゅくんっ!
「あみゃぁあぁあああしぇんぱいっ♪しゃえんぱいっ♪でてりゅ♪でてりゅぅ♪」
「んぐぁ!あぐぁ!」
嵐のような快楽に耐えながらコーコンドは必死に頭を起動させようと試みる。
何だ、どういう状況だ一体……!?
射精の快楽が静まり始めてようやく周囲の状況が目に入ってきた。
兵舎だ、やはり自分は兵舎で寝ていたのだ、簡素なベッドを並べて仲間たちと並んで寝ていたのだ。
しかし何故クナーデがここにいるのか、何故自分と……セックスしているのか。
そう考えている時点でも現在進行形でコーコンドの陰茎はクナーデの小さな女性器を深々と貫き、びゅくりびゅくりと長い射精を行っている、たまらなく気持ちいい。
「く……クナーデ!何をしている!やめろ!どけ!」
もはや手遅れなのだがそれでもクナーデをはねのけようとする。
ぎしっ
そこで初めて気づく、手がベッドにロープで拘束されている、足もだ。全く身動きが取れない。
「えへへぇ、せんぱぁい、まだ固ぁい……」
クナーデは蕩けた顔でくなくなと腰をくねらせる。泡立った精液がぐちゅぐちゅと淫猥な音を立て、射精直後の敏感な陰茎がぷりぷりとした淫肉にしゃぶられて快楽の悲鳴を上げる。
「!?クナーデ……おまっ……それは……!?」
コーコンドは気付く、クナーデの腰の後ろでゆらゆら揺れる尻尾の存在に。
魔物、魔物だ、クナーデは魔物だったのだ。何ということだ。自分は魔物と交わってしまった。
どうにかしなくては、仲間は何をしているのか、これだけ騒いでいるのに誰も起きないのか。
「んぐむぅぅぅぅ!」
そこまで考えた所で隣のベッドから聞こえる声に気付いた。
右横を向くとベッドの上でシーツがばふばふと激しく上下しているのが見えた。
枕の側にはキスをする男女の顔が見える、いや、男の側が唇を貪られているという表現が正しいだろう。
やはり男の両手両足はベッドに括りつけられている様子だ。
その拘束した体に女が……魔物が密着し、上からシーツを被っているのだ。
シーツの膨らみの動きから魔物の貪欲な腰使いがありありとわかる。
左のほうを向くと今度は男に逆さに跨り、陰茎を口いっぱいに頬張っている魔物の顔が見えた、やはり見覚えのある顔だ。この部隊の女兵士の一人だ。
「ごきゅっ……ごきゅっ……ごきゅっ……ごきゅっ……」
ちょうど射精した瞬間らしく、陰茎の激しい蠕動に合わせて心底旨そうに喉を鳴らしている。飲み干しながらもその両手はさらに射精を促すように睾丸をマッサージし、舌はカリ首に絡みついている。
「ひぃいぃぃっいぎぃっ」
ぱんっ!ぱんっ!ぱんっ!ぱんっ!
「あんっ!あんっ!アンッ!アンッ!あはぁぁぁんぅぅあああああ!!」
くちゅっびちゃっぐちゅっ
「んぐ、ごく、おいひぃ……」
ぎっし、ぎっし、ぎっし、ぎっし
兵舎の中は淫らな音と声で満ち満ちていた。恐らく寝ている間に襲われ、仲間の誰一人として逃げる事は叶わなかったのだろう。
ずぶちゅっ
状況を把握し終えたところでまた思考が快楽に呑まれる、クナーデが腰を打ち付けて来たからだ。
・
・
・
〜00:45〜
兵舎渡り廊下
第三歩兵部隊隊長 アレクセイ・ウォートン
アレクセイは兵舎へ続く渡り廊下を走っていた、兵士達を叩き起すためだ。
寄宿舎で眠っていたアレクセイの耳に鐘の音が届いたのだ。
聞こえたのは見張り台の鐘の音、通常は一つが鳴らされたなら他の見張り台も呼応して鐘を鳴らし、大音量で警告を知らせるはずの鐘の音だ。
しかし聞こえてきた鐘の音は一つだけ、しかも何度か鳴らされてすぐに止んだ。
一般人ならば聞き間違いかと思うところだがアレクセイはこれを異常事態だと踏んだ。
何か深刻な事態が進行している、間違いない、最近ずっと感じていた胸騒ぎはこの時を予見していたのだ。
と、アレクセイは立ち止まった、渡り廊下の途中に一人の人影を見つけたからだ。
(……メノ……か?)
それは間違いなくメノだった。しかしアレクセイはそう判断するのを躊躇した。
メノは腕組みをして廊下の柱に寄りかかって立っていた。微笑を浮かべてアレクセイの方を見ている。
まず、この態度がおかしい。
規律に厳しいメノは隊長の前で砕けた態度を取る事はなく、いつも軍人らしく背筋を伸ばした隙のない立ち姿で対応するのが常だった。
そして彼女はこんな時間にここで何をしているのか、自分と同じく鐘の音に気付いて行動を起こしたのならばどうしてそんな風に余裕のある振る舞いをしているのか。
むしろ自分がここに来るのを待っていたかのような……。
アレクセイの中で最大限に緊張感が高まった。
「……メノ、お前は何者だ」
そう問うとメノはくす、と笑って答えた。
「流石です、隊長」
その声色さえ普段とは違う。
いつも理路整然と情報を伝える冷たい雰囲気の声では無い、なにか甘ったるいような、ねっとりと耳にこびりつくような……。
メノは腕組みを解くとゆらり、と柱から身を離した。
「私が見定めた通り……貴方こそ私に相応しい」
アレクセイは気付く、メノの身体からなにか黒い煙のような物が立ち昇っている。それを認識した瞬間、煙の様だったそれは黒い炎のように燃え上った。
それは意思を持っているかのようにメノの全身に絡み付き、覆い隠していく。
アレクセイは半ば無意識に剣を抜いていた、全身が警告を発している、目の前の敵は今まで対峙してきたどんな敵よりも恐ろしい相手だ。
待て、敵とはなんだ、メノがか。
戸惑いを隠せないアレクセイの目の前でメノの姿が見る見る変貌していく。
飾り気のない教団の女性用軽装は黒い炎に塗りかえられ、黒を基調とした禍々しいデザインに変わって行く。
特徴的なのはその鎧の肩や胸部などに深紅の宝石があしらわれている所だ、それらがまるで生き物の目のように爛々と輝いている。
そして、落ち着いた茶色だったメノの瞳はその宝石と同じ輝きを発している。
「……魔物……か……」
アレクセイはぎりりと歯を鳴らす、気付く事ができなかった自分の未熟が恨めしい。しかし次の瞬間さらに恐ろしい考えに思い至り、全身が総毛立った。
「何人いる」
「はい?」
「この部隊に潜伏している魔物だ」
「そうですね、私に勝ったら教えてあげなくもないですよ」
メノが言い終わるか終わらないかの内にアレクセイはメノに向かって踏み込んだ。
・
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〜01:00〜
東側外壁見張り台
警備兵 パッカード・ブレナン
「えへへ、ここ、特等席だね」
ハ―ピーが耳元で囁く、パッカードはもはや抵抗する気力を奪われていた。
人間の何倍も強靭な鳥足はがっしりと腰をホールドし、どうあがいても結合部が抜けないようにされている。
そうして抵抗を封じられながら30分、たった30分で魔物の良さを徹底的に叩き込まれた身体は骨抜きにされてしまっていた。
身体だけではない、気の狂いそうな快楽は精神までも犯し、浸食する。
例え解放されて殺すならどうぞ、と剣を渡されてももはやパッカードにはこのハ―ピーを斬る事はできないだろう。身体がこのハ―ピー無しでは生きられないと叫んでいる。
そんなパッカードの心を見抜いているのか、ハ―ピーはパッカードの両手を自由にするとごろん、と仰向けになる。
正常位、これで上半身は自由になるがもはやパッカードに残された選択肢は自ら腰を振って快楽を貪る以外に無い。
「見て、歴史的瞬間だよ……」
深紅の瞳を蕩けさせながらハ―ピーが陶酔したように言う。
何の事かと視線を上げてみるとこの体勢になった事によって外の光景が視界に入るようになったのだ。
「あ……あああ……」
パッカードはその景色を見て溜息のような声を上げた。
地平を埋める魔物達の軍勢はもうすぐ傍にまで近付いて来ている。
これほど目に見える異常事態でありながら街側からは何の反応もない、迎え撃つ兵士が出て来る事もなければ警鐘が鳴り響く訳でもない。
恐ろしい光景だ。
ここ以外の見張り台も全てが制圧されてしまっているのだろうか。
と、そこで魔物達が行進の足を止める。
外界と街を隔てる外壁の外側には深く、広い水の溜まった堀があり、外界からの許可なき者の侵入を物理的に防いでいる。
結界の効果が及ぶのも丁度その外堀が含まれる範囲だ。魔物達が足を止めたのはその境界線上だった。
普段は目に見えない結界が強大な魔力に反応してちかちかとガラスのように輝いて魔物を拒んでいる。
しかしそれはあまりに儚い輝きだった、現にこのハ―ピーは結界の内側に侵入している。いや、この様子だと既に数多の魔物達の侵入を許している様子だ。
「……っあれは……!?」
パッカードは見た、魔物の群れが二つに割れ、その道を一人の魔物が悠々と歩いて来る。
この見張り台からでは魔物一人一人の姿など豆粒ほどにしか見えない、それなのにパッカードにはその魔物の姿が詳細に見えた。
ゆったりとした歩調で歩く絶世の美女、魔物ならば美しいのは当然だがその魔物の姿は美と同時に対峙する者がひれ伏したくなるようなオーラを発していた。
明らかにこの群れを率いている存在だ。
その美しい魔物は他の魔物達が足を止めているライン……結界の内側にすうっと入り込んだ。
魔力に反応した結界がピリピリと光ってその体に纏わり付くがその魔物は意に介した様子もない、むしろ楽しげな表情を浮かべている。
ゆっくりとその長く、しなやかな指を周囲に誇示するように掲げる。後ろに控えている魔物達の紅い視線がその指先に集中する。
ぱちん
指がスナップを鳴らした。
小さな音だった、しかしその音はピリオドだった。
栄光と、伝統と、理想と、腐敗と、悲劇の歴史へのピリオドだった。
小さなその音にぴしぴしとガラスがひび割れるような音が続く、結界の上げる悲鳴だ。
八か所の拠点を封じられ、供給源を断たれ、内外からの魔力によって削られ続けた結界の上げる悲鳴だった。
ぱりん、という音と共にレスカティエを数百年に渡って守り続けてきた結界は完全に砕け散った。
その瞬間、魔物達の群れから天地を震わせるような歓声が上がる。
群れの中の魔女や魔法使い達が一斉に空に向けて魔力を打ち上げ、上空でぽんぽんと音を立ててハート型に炸裂させる。
色とりどりの魔力の花火が魔物達の姿を照らし出す。
指を鳴らした魔物は花火のカラフルな瞬きと魔物達の歓声を一身に受けるように両手を広げていた。
その両手をオーケストラの指揮者のようにゆっくりと下ろすと、手の動きに合わせて外堀にかかる跳ね橋が降りた。
既に橋の管制までも魔物の手に落ちていたのだ。その下ろされた橋を魔物の群れが悠々と渡っていく。
そうして避難警告すら出されていない市街地に魔物達が雪崩れ込んで行ったのだった。
「あああああああ」
パッカードはその光景を見ながらハーピーのきつく、温かな中に大量の白濁を吐き出した。
・
・
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〜01:05〜
中流居住区外壁前メレン通り
絹織職人 ケイトン・ランデル
妙に寝付けず、夜風に当たろうと表を歩いていたケイトンは橋を渡って入ってくる異形の行列をぼんやりと見ていた。
やけに外が騒がしいと思っていたら、普段滅多に降ろされることのない跳ね橋が降ろされ、そこから見るからに人間ではない女達の集団がぞくぞくと入ってきたのだ。
これは一体何なのだろうか、魔物?、そんな訳がない、この都市はくそったれな重税と引き換えに魔物の脅威から人々を守っているはずじゃあないか。
そもそも警鐘の一つも聞こえないじゃないか、警戒に当たっているはずの兵士一人も駆けつけてこないじゃないか。
(……仮装か何かか?)
規律の厳しいレスカティエでそのような催し物などあろう筈もないが、それ程に目の前の光景は現実感に乏しかった。
棒立ちで魔物の行列を眺めるケイトン、外の騒ぎに起き出してきた他の住民達も似たような反応だ、目の前で起こっている事態が理解出来ない。
「あうっ」
「あっ……」
と、その時一人の小柄な魔物がケイトンの目の前で躓いて転んだ。
「あうう……」
頭に角の生えたその小さな魔物は打ち付けた膝頭を涙目でさすっている。
「だ、大丈夫か?」
ケイトンは反射的にその女の子に手を差し伸べた。小さな女の子が目の前で転んだ時に男がする自然な気遣い。
魔物の女の子は「あ……」と言ってケイトンの差しのべられた手を掴む。
小さくて温かい手だ。ケイトンは何となくほっとする。
その手のか弱さや温かさはケイトンのイメージする「魔物」とかけ離れていたからだ。
しかしそれが勘違いである事をケイトンは思い知る事になる。
「見つけた……」
「えっ?」
ケイトンを見上げる女の子の紅い瞳がどろりと蕩ける。
その眼に危険なものを感じ取ったケイトンは咄嗟に握っていた手を放そうとするが、離れない。
先ほどまでその小さな外観通りか弱かった手はいつの間にか万力のような力でケイトンの手を掴んで離さない。
「わたしの運命の人……♪」
小さな体がケイトンをものすごい力で押し倒した。それを見ていた女性が絹を裂くような悲鳴を上げる。
悲鳴を切っ掛けに周囲はたちまちパニックに包まれた。
・
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〜00:50〜
兵舎渡り廊下
第三歩兵部隊隊長 アレクセイ・ウォートン
アレクセイはその僅かな隙を見逃さなかった、踊るような舞うような流れの中に見えたほんの一糸の隙。
最高の一撃でしか捉えられない隙、研ぎ澄まされた戦いの機械と化したアレクセイは最高の一閃を放った。無心で放った。
ぱしん、という軽い音と共にメノの首は胴体から宙に切り離された。
長く、美しい髪が紫の月光を浴びてきらきらと輝きながら舞う。
その光景にアレクセイの胸は苦味に満たされる。
彼女の正体が魔物である以上こうする以外に選択肢はなかった、いや、殺さずともよかった、殺したくはなかった。
しかし彼女の強さはそういった加減や躊躇が入り込む隙がなかった、本気で戦わねばならなかった。結果としてアレクセイは致命的な一撃を放たざるを得なかった。
だが次の瞬間、アレクセイは信じ難い光景を目の当たりにした。
首無しとなった彼女の体が宙を舞う自分の首を空中でぽん、とキャッチしたのだ。
「なんっ……」
絶句するアレクセイの目の前でメノの体は自らの首を何事もなかったかのように元の場所に据える。
後ろ前に取りついた首を手でぐるりと回すと先ほどと変わらぬ微笑がこちらに向けられた。
「化け、物め……」
「ふふっ……流石です、隊長」
今更ながら人間対人間の常識が魔物相手には通じないことを思い知らされる、アレクセイの中に焦りが生まれ始める。
ひょっとしてどこを斬っても効果がないのではないか?剣で倒すことができない相手なのではないか?
(どうする……)
「隊長ぉ〜〜〜〜〜〜!!!」
その時、張りつめた空気の中に大きな女性の声が響いた。アレクセイの知っている声だ。
「テシアか!」
メノから目を逸らさないままにアレクセイは声を上げた。
テシア・メレシア。
アレクセイの部隊に所属する女性兵士、メノが入隊するよりずっと以前、アレクセイが隊長に就任する前から部隊にいたベテランの兵士だ。
少々向こう見ずで考え無しな所はあるが下手な男を凌駕するパワーとスピードを備えた鉄砲玉のような女だ。
このような事態に置いては誰よりも頼りになる。
「あらら……」
アレクセイの背後から駆けつけるその姿を見てメノは困り顔になる。
「しょうがないですね」
「テシア!援護に回れ」
アレクセイは優秀な戦士だった、よって駆け寄る仲間の方を振り返ってメノに隙を晒すような愚かな真似はしない。
だから気付かなかった、誰の目にも明らかなテシアの変化に。
「はふっ、はふっ、隊長隊長たいちょおおおおぉ!」
「なっ!ばっ!?テシア!?」
あろう事かテシアはアレクセイに背後からいきなり抱き付いたのだ。
アレクセイはぎょっとする、背後から胸に回された手は人間の手ではなかった。毛むくじゃらの獣の手だ。
「きゅうぅん、くぅん、隊長の匂いぃ」
あまつさえ首筋に顔をうずめてくんかくんかと鼻を鳴らし始める。
一瞬、アレクセイは完全に行動不能に陥る、その隙をメノが見逃すはずもなかった。風のように踏み込むと一振りでアレクセイの手の剣を弾き飛ばしてしまう。
アレクセイは膝を跳ね上げて蹴りを放とうとする。メノは剣を放り捨てるとその膝を抱え込むようにして防ぐ。
逆に体勢を崩されたアレクセイは、どうにか足掻こうとするが、正面のメノの巧みなコントロールと背後のテシアの獣じみた力にあえなく地面に引き倒される。
二人の女にのしかかられる形になって初めてアレクセイはテシアの姿を正面から見た。
はあはあと犬のように舌を出して荒い息をつくその女はやはり間違いなくテシアだった、しかし頭頂部でぴこぴこと嬉しげに揺れる獣の耳と背後で揺れる尻尾が既に彼女が以前の彼女でない事を如実に示している。
「テシア!正気に戻……!」
アレクセイの声は紅い瞳を輝かせる二人の魔物に覆い尽くされ、すぐに聞こえなくなった。
その様子を紫色の朧月は微かな光で照らしていた。
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レスカティエの結界は侵略前から周到な手回しによってかなり弱まっており、また、相当数の魔物の侵入を許していたため侵略当日には既に結界内の魔力の濃度はかなり高まっていた可能性が高い。
その魔力は僅かずつであっても住人達の身体に蓄積していた。
そして侵略当日に完全に結界が崩壊した瞬間、魔物の大軍によって発生した目に見えぬ魔力が魔物の侵入と同時に一気に都市部に満ちたのだ。
その時の魔力の濃度は実に暗黒魔界に相当する濃度であったという。
この魔力に当てられた住民の女性達の魔物化が混乱に拍車をかけ、住民達や教団に殆ど抵抗の間を与えなかった。その一事がデルエラの無血の勝利の大きな要因になった事は疑いようがない。
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〜01:15〜
第四居住区二番地・ランドウィッチ家
土建屋 スミサー・ランドウィッチ
「畜生!畜生!畜生!一体どうなってる!」
スミサーは必死に掻き集めた木材を玄関のドアに打ち付けて目張りをしていた。
魔物達の侵入は外壁の入り口から堂々と行われた、ランドウィッチの家は不運な事に外壁のすぐ近くだったので騒ぎに気付いた時にはもはや逃げられない状態だった。
外からは住民の悲鳴や魔物の笑い声、聞いた事も無いような足音がひっきりなしに響いている。一歩でも外に出れば何メートルも行かない内に魔物に捕まってしまうだろう。
先の見えない方法だとしてもこの家に立て籠る以外選択肢が思い付かなかった。しかしこんな急ごしらえの封鎖が魔物相手にどれ程の意味を持つだろうか……。
スミサーは頭を振ってその考えを振り払った、例え無謀でも無駄でも自分は出来るだけの事をしなければならないのだ。
「……あなた……大丈夫、なの……?」
スミサーは驚いて二階の階段から聞こえて来た妻の声に振り返った。
「駄目だアイリ、隠れているんだ」
妻には二階の押し入れに隠れているように言ってあった。
スミサーが無謀な籠城を選んだのはこの妻アイリがいるからというのも大きな要因だった。
生まれつき病弱な彼女を連れて逃げる事などほぼ不可能と言える。
「あなた……お願い、一人にしないで、一緒にいて……」
アイリはただでさえ青白い顔を紙のように白くしてスミサーに縋りついて来る。拒む訳にもいかずスミサーは妻を抱き締める。
小刻みな震えが伝わって来る。
「大丈夫、大丈夫だ、きっと時間が経てば魔物達も兵士が追い返してくれる、それまでここで見付からないように息を潜めていればいい」
「嘘をつかないであなた、こんなに沢山の魔物に入り込まれたら上の人々はこんな区域は見捨てるわ……」
スミサーは唇を噛んだ、恐らくその予想は当たっている。
「わかるわ、あなたの考えている事、自分が犠牲になってでも私を生かそうと思っているのでしょう?」
「……」
スミサーは答えなかった、図星だからだ。
「ねえ、一緒になる時言ったじゃない、死ぬまでずっと一緒だって、ねえ、嘘だったの?あの言葉は嘘だったの?」
「嘘なんかじゃない!」
「なら、一人だけで逝こうとしないで……一緒に……」
死のう、とは口に出して言わなかった。ただ、アイリはその瞳からほろほろと涙を零した。
二人は教団の教えを信じていた、魔物は人を食らい殺す存在だと。
ミシッ
その時、目張りをしていた窓から不吉な音が鳴った、二人はぎょっとして窓の方を見る。
バキバキッ、と音を立てて貼りつけていた板の一枚が剥がされ、床に落ちる。
「……っ!」
二人は息を呑んだ、剥がれた板一枚分の隙間から紅く光る一対の目がじっと部屋の中を伺っているのだ、慌てて隠れようとするがもう遅かった。
部屋の中で抱き合う二人の事を舐めるようにその視線は捕えていたのだ。
守らなくては、スミサーは思った。今すぐに窓の傍に立てかけてある斧に飛び付いて外の魔物に一撃を食らわせるのだ。行け。やれ。男だろうが。
足が動かない、膝が震えて足が竦んで、動かない。自分がこれほど情けない男だとは知らなかった。
その時不意にアイリの両腕が震えるスミサーを強く抱き締めた、子犬のように震えるスミサーとは対照的にその腕は力強く、震えてもいない。
アイリは外の魔物を見返していた、怯える事もなく、強い光を宿した目でその紅い眼差しを正面から受け止めていた。
美しい顔だった、妻はこんなにも美しい人だったか、こんなに強い人だったか。普段病弱な妻のどこにこんな強さが隠されていたのか。それともこれは女ならば皆持っている強さなのか。
実際には数分か、あるいは数秒程だったのかもしれない。だが二人にとっては気の遠くなる時間、魔物とアイリは見つめ合った。
「……ううん、残念、彼女持ちかぁー……」
場違いに緊張感の無い言葉が外から聞こえたかと思うと、紅い目はすっと窓から離れて行った。
「……」
「……」
しばしの沈黙の後、ようやく金縛りのような状態から脱したスミサーは足音を殺して恐る恐る窓際に近付いた。
一瞬だけ窓から顔を出して左右を確認する。
こっちに来ようとするアイリを手を上げて制すると床に落ちている板を拾い、また窓に元通りに固定する。
そこまでやってようやく二人は力を抜いて地面にへたり込んだ。
「驚いたな」
緊張が解けた反動でスミサーは笑みを浮かべた。
「俺の妻が眼力だけで魔物を追っ払っちまったぞ」
「そんな事……生きた心地がしませんでした」
アイリは胸に手を当てて息を整えようとしている。その後にアイリは奇妙な事を言った。
「あなた……もしかしたら私達は助かるかもしれません」
スミサーは驚いて妻の顔を見る。
「何かここを脱出するいい考えでも思い付いたのか?」
「い、いえ、そう言う訳ではないのですが……」
アイリは言っていいものかどうかを逡巡した後に言った。
「魔物と言うものは……実は悪いものでは無いのかも……」
あまりに意外な言葉にスミサーは妻の正気を疑った。
「あの時……外の魔物と見つめ合った時、その……」
アイリは自分の中で何かを消化しようとするように胸に手を当ててから言葉を紡ぐ。
「目は口ほどに物を言うというじゃないですか?あの時の魔物の目にはこう……敵意とか害意のようなものが全く感じられなかったんです」
「そんな事……」
そんな事は有り得ないとスミサーは言いかけて考えた。妻は人の心の機微に驚くほど敏感な所がある。
その直感をそのまま信じる訳にはいかないが、本当だとしたら……。
そこまで考えてスミサーは溜息をついた。どちらにしろ自分達には何も出来ない。運を天に任せる以外に選択肢は無いのだ。
スミサーは立ち上がってアイリの傍に歩み寄った。
「そうだな……きっと俺達は助かる、きっとそうだ」
そう言ってまたアイリを抱き締めた、もう隠れていろとは言わない。アイリは嬉しそうに夫を抱き返した。
その瞳は微かに紅く色付いていた……。
・
・
・
〜02:00〜
第四居住区大通り
マカロン・エリーザ
中央通りは混乱の坩堝と化していた、魔物から逃れようとする住民達とそれを捕まえようとする魔物が入り乱れ、そこら中から悲鳴が上がっている。
マカロンはその中をノアンの手を引いてひた走っていた。
息が切れて足が縺れそうになるがそれでも立ち止まらずに走り続ける。
「はあっ、はあっ、ねえちゃんっ……!どこに行くの!?どこに行ったらいいの!?」
ノアンが必死についてきながら問いかけるがそんな事はマカロンにもわからない、ただ周囲の大人達が走る方向と一緒の方に走っているだけだ。
「わかんない!でも立ち止まっちゃだめ……!」
「ねえちゃん!危な……!」
ノアンがマカロンの手を引くとマカロンのすぐ傍を翼の生えた魔物が地面すれすれに滑空して行った。
「なっ!?あっうわっ!わあああーーーーー!!」
そうして二人の前を走っていた一人の男を足で捕えると高々と舞い上がり、連れ去ってしまう。
次の瞬間には二人の横を風を巻いて追い抜いた獣のような魔物がもう一人の男に飛び掛り、押し倒してしまう。
二人は恐怖に慄きながらも足を止めない。
「お城……!」
マカロンは気付いた、大人達の走る先はレスカティエの中央部に位置する城の方角なのだ、そうだ、そこまで辿り着けば助けてもらえるかもしれない。
「はあっ!はあっ!はあっ!」
「頑張って!ノアン!お城だよ!お城につけば大丈夫だから!」
実際には着いたとしても助けてもらえるかどうかはわからない、しかし気持ちを鼓舞させるためにマカロンはそう言ってノアンを励ます。
途中で数を次々に減らされながら逃走する住民の一団は何とか中央部と居住区を区切る関所にまで辿り着く。しかしそこに待っていたのは絶望的な光景だった。
「開けてくれぇ!」
「俺達を見捨てるのか!?」
いつもは見張りの兵士が立っている関所には誰もおらず、閉ざされた堅牢な扉が無慈悲な姿を見せていた。
それぞれの居住区から逃げ出し、先に到着したらしい住民達がその扉の前に大挙して詰めかけ、扉を叩いて叫んでいた。
二人はどうしていいか分からずに他の人々と同じように人ごみに押されながら立ち竦むしかできなかった。
「そうじゃないかと思ったんだ」
「上の連中は私達の事なんて切り捨てればいいと思っているのよ……!」
そんな会話が周囲から聞こえてくる。
「ねえちゃん……」
マカロンはただ不安な表情をするイアンを強く抱き締める以外出来なかった。
「父さんと、母さんは……」
マカロンの胸の中でノアンが思い出したように呟く、やはりマカロンは何も答えられなかった。
母の様子がおかしくなり始めたのは日が暮れた頃だった。いや、最初はおかしな様子だとは気付かなかった。
落ち着きなく家の中をうろうろと歩き回り、しきりに「クレン……クレン……」と呟くようになった。
父の事を心配しているのだから不自然な事では無い、そう思っていた。
そこに父が帰って来たのだ、ひどく慌てた様子で扉を開けるなり「早く荷物を纏めるんだ」と言った。
どうして?と問う間はなかった、帰って来た父に母が凄い勢いで抱き付いたからだ。あんなに素早く動く母は見た事がなかった。
母は「あなた!あなた!」と百年ぶりに再会したかのように父の胸にむしゃぶりついた。
普段の母は淑女であり、子供の前でそこまで感情を露わにする事は初めてだった。父は戸惑いながらも心配をかけて済まなかった、と母の抱擁に応えながら言った。
母は、父に熱烈な口付けをした、これには流石に二人とも腰が抜けそうに驚いた。
しかし驚くだけでは済まなかった、父にキスをする母の背の服がめりめりと音を立てて異様に盛り上がり始めたからだ。
その母の異様な変化に驚いた父は母を引き剥がそうとするがよほど強い力なのか離れる事が出来ない。
そうこうしているうちにとうとう母の服の背がびりびりと破れ、そこから黒い翼が現れたのだ。母は聞いた事もないような声を上げながら翼を揺らし、そのまま父を押し倒してしまう。
目の前で起きる異常事態に放心状態になっていた姉弟は父の声で我に返った。
「逃げろ!逃げなさい!」
その言葉でマカロンは弾かれたようにノアンの手を取って家を飛び出したのだ。ほんの数分前の出来事だ。
「大丈夫……大丈夫だよ、お姉ちゃんが守るから……あんたの事はお姉ちゃんが守るから……」
自分に言い聞かせるようにマカロンはノアンを強く抱きながら呟いた。
その時だった、扉に詰めかけている住民達の先頭集団から「おおっ」と声が上がった。
見てみると堅牢な扉が徐々に開いていくのが見えた。受け入れてくれるらしい。
「助かった!」
「馬鹿!押すな!」
近くの人々は我先にと開き切っていない扉に殺到する、群衆の群れが扉にぐいぐいと押し込まれて行く。
「「「いらっしゃ〜〜〜〜〜い♪」」」
「えっ?」
先陣を切った住民達はあっけに取られる。
扉の開いた先には色とりどりに着飾った多種多様な魔物達、見渡す限りの魔物、魔物、魔物。
一様に満面の笑みを浮かべ、手を一杯に開いて待ち構えている。
「うわあああああ!」
「戻れ!戻れ!ここも……!」
「押すな押すなあ!」
しかし後方の人々にはその光景は見えない、早く扉の中へ入ろうと前の人を押す。
「げっちゅ♪」
「よっしゃー!」
「いただきまぁす♪」
押し出された住民達は次々に捕えられ、いずこかへ連れ去られたりその場で押し倒されたりしていく。
戻ろうとする人と行こうとする人がぶつかり合い、群衆は大混乱に陥る。その混乱に拍車をかけるように街側から追い付いた魔物達が最後尾の住人達に襲いかかる。
マカロンは必死で押し合いへしあいする人々の間を小柄な体で押し退け、擦り抜け、群衆から抜け出そうとする。決してノアンの手を離さないようにしながら。
と、唐突に目の前にいた複数の人影が何者かに引っ張られるようにしていなくなり、人ごみの圧力から解放された。
「あっ……あ……」
脱出できた訳ではなかった、魔物達が人間を襲う最前線に飛び出てしまったのだ。
周囲で次から次に人々が魔物に連れ去られて行く。
「あら」
その中の一人の魔物……角と羽根と尻尾を備えたサキュバスが二人に目を付ける。マカロンはもはやノアンを抱き締めて立ち竦むしかできない。
サキュバスは震える二人に近付くと両手を大きく広げ、二人を纏めて抱き締めた。
「きゃあああ!?」
思わず悲鳴を上げるマカロンに構わず、サキュバスは翼をはためかせると二人を抱えたまま宙に浮いた。
おしまいだ、捕まってしまった、食べられてしまうんだ。
風を切る感覚を感じながらマカロンは目をぎゅっと閉じて涙を堪えた、堪えられたのはその腕の中にノアンがいたからなのだろう。
「よいしょっと」
サキュバスの声と共にとすん、と地に足が着く感覚がした。同時に二人の腰に回されていた手が解かれ、解放された事がわかった。
思ったより早い解放に思わず周囲を見回すと、先程の扉の前の騒乱から少し離れた場所に降ろされていた。
「人が多い所は危ないから近寄っちゃ駄目よ、転んだらふんづけられちゃうわよ」
二人を運んだサキュバスは人差し指を立ててマカロンにそう言った。
「……はい」
マカロンは唖然としながらそう答えた。
サキュバスはノアンとマカロンの顔を交互に見つめるとくす、と笑い、マカロンの頭をぽんぽんと撫でた。温かい手だった。
「大切な人と、はぐれないようにね?」
そう言ってウィンクをした、とても魅力的な仕草だった。マカロンはこくこくと頷くしかできなかった。
「さーて旦那さま旦那さま♪」
そう言うとサキュバスは群衆の中に戻って行った。
マカロンはしばらく呆然とその場に立ち尽くした、助けてくれた、魔物が……。
イメージしていたのとは全然違う、話に聞いていた魔物は残酷で残忍で人を食べてしまう恐ろしい存在だと聞いていたのに……。
そう思って隣を見てみるとノアンもぼんやりと立っていた、いや、顔を赤くして先程のサキュバスが去って行った方を見ている。
「魔物って……すげー美人なんだな……」
その言葉を聞いてマカロンはかちん、と来た、何に来たのかはわからないがとにかく非常に面白くない気分になった。
「あいてっ!何すんだよねーちゃん!?」
「うっさい!魔物なんかにデレデレするんじゃないわよばかノアン!」
「なっ……誰がいつデレデレしたんだよ!」
「今さっきよ!」
そう言い合いながら姉弟は隠れられそうな場所を探してまた走り出した。
(やっぱり魔物は悪い存在だ、私の大事な可愛いノアンを誘惑して惑わせるなんて、私がしっかり守ってあげなきゃ!)
マカロンは改めて決心した。
その瞳は赤味がかっていた。
・
・
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〜02:25〜
レスカティエ港、船着き場
船員 ポロ・ミヘンス
レスカティエの最北端に位置する港も他の区域と同様混乱の渦の最中にあった。
そこにはレスカティエ全域から逃げ延びて来た住民達が集結していた。
「いいから黙って船を出せ!金なら出す!」
「だから金の問題じゃないって言ってるだろ!今船で逃げようとするのは自殺行為だってのがわからないのか!?」
ポロ・ミヘンスはその混乱の最中貴族の男を必死に説得していた。
レスカティエの中枢までもが陥落した今、もはや都市内に安全な場所は存在せず、陸路も全て塞がれている。
そこで逃げ延びた人々が考えるのは海路を使っての脱出だ、だがポロは見ているし知っている。
海に生息する魔物に海で遭遇するのと陸で魔物に遭遇するのでは圧倒的に危険度が違う。何しろそこは完全に彼女達のフィールドなのだ。そこでは人間の作った船など大きな棺桶に過ぎない。
「だったらここで魔物に捕まるのを待てと言うのか!?」
「他に方法を見つけるんだよ!どんな無茶な方法も海を渡ろうとするよりはマシだ!」
「もういい」
貴族の男は口調を鎮めた、ようやく分かってくれたかと思った次の瞬間首に剣の切っ先が突き付けられていた。
咄嗟に腰に挿している短刀を抜こうとしたが、貴族の脇に控えていた護衛の騎士二人に両手を抑えられた。
「ここで私に殺されるか船を出すか選べ」
男は冷淡な口調で言った、脅しではないらしい。
「……どうなっても知らねえからな!」
ポロが吐き捨てると男は顎で船に乗るように指示した。
ポロは絶望的な気持ちで帆を上げた、港を見てみると他の船舶も次々に帆を上げ、港を離れようとしている。
海を知る人間ならばそれが自殺行為である事は明白なのだが他の船員達もこうして脅されたのだろうか、それとも座して待つよりはという考えだろうか。
「おいっ!急げっ!もうすぐそこに来ているぞ!」
その言葉に港町の方を振り返ると確かに逃げ遅れた住民達の悲鳴が聞こえて来る、それが次第に港の方へと迫って来ている。
ポロは迅速に出航準備を整えると船を出した。
タッチの差だった。港を50メートル程離れた所で岸を振り返って見ると既に黒い軍勢が街を埋め尽くし、こちらに赤い視線を寄こしていた。
ぎりぎり出航が間に合わなかった船には次々魔物達が乗り込んでいる、もう少し遅れていたらと思うとぞっとする。
港を離れる事が出来たのは四隻、しかしそれで追撃の手を振り切った事にはならなかった。
「上だ!来るぞ!」
見張りの船員が声を張り上げる。そう、空を飛ぶ魔物が追って来たのだ。ポロの操る船ともう一隻以外の二隻には次々とハ―ピーやサキュバス達が上空から乗り込み。
やがて管制室まで制圧されたのか動きを止めてしまった。
空を飛ぶ黒い影達はポロの船にも飛び移ろうと迫って来る。
しかしその影達に追い付かれようかという所で甲板にあの貴族の男が飛び出て来た、その後に続いて数十人の護衛の騎士達が甲板に次々に飛び出してくる。
騎士達はその手に長弓、背に矢筒を背負っている。
「ってぇーーーー!」
貴族が声を張り上げると同時に騎士達は上空に向けてめくらめっぽうに矢を射かけ始めた。狙って当てようという意図はない、とにかく近寄れないように矢で弾幕を張っているのだ。
この抵抗は予想外だったらしく、上空の魔物達は足止めを食う。
そうこうしているうちに港は遠ざかり、空の魔物達は名残惜しげな視線を寄こしながらも港に舞い戻って行った。
もう一隻の船の方を見てみるとあちらにはどうやら運よく魔導師が乗っていたらしく、船を聖なる力で覆って魔物が近寄れないようにしていた。
「はっはっはっは!尻尾を巻いて逃げて行くぞ!」
「ざまあ見ろだ!」
撃退の成功に湧き立つ騎士達、貴族の男は操舵室で舵を握るポロの傍に駆け寄って来た。
「どうだ!やってやれない事は無い!我らの力を見たか!」
しかし舵を握るポロの顔色はすぐれない、いや、真っ青だ。
「何だ?どうした」
「……こうなるって事は分かり切ってたんだ!くそおっ!」
「何を言って……!?」
言い終わる前に船が猛烈な揺れに襲われ、男は床にひっくり返った。部屋に置いてあったワイン瓶や海図、本などが次々床に落ちる。
ポロは必死に舵に食い下がる。
「舵が……効か……!」
がこん、と反対方向の揺れが来た時にポロも舵から振り落とされた。
甲板では何人かの騎士や船員が揺れに振り落とされ、海面に転落していた。他の者達は船にしがみつくのに必死でそれを助けようとする余裕も無い。
「ま、回って……!?」
騎士の一人は気付く、周囲の景色が回っている、いや、船が回転している。
渦だ、海面に巨大な渦が発生してそれに巻き込まれているのだ。
幾度かの強烈な揺さ振りの後、文字通り天地がひっくり返った。転覆だ。
なす術も無く激流に呑まれて行く船員と騎士達。舵に取りつこうと足掻いていたポロも操舵室に流れ込んできた海水に呑み込まれる。
「がぼっ……!」
激流に巻き込まれ、上下の感覚が消失する。船内の備品が次々身体に当たって来る。
(こりゃあ死んだな)
(食われて死ぬのと溺れて死ぬのはどっちが苦しいんだろう……)
頭の中の妙に冷えた部分が考える。ごぼごぼと気泡が口から漏れ、海水が肺に入り込む。
「……?」
苦しくない。
海水の塩辛さも感じない。
妙に思って目を開けてみると船室の床が目の前にあった。板張りの木目までよく見える。
(よく見える……?)
妙だ、夜の海の中がどうしてこんなに明るいのか。
水中で身体を捻って振り返ると浮遊する船の備品が見えた、船はゆっくりと海底に向けて沈んで行っているようだ。
真横になった窓から外を伺ってみると不思議な事に水中の景色が昼間のように明るく見える、向こう側ではもう一隻の船が沈んで行くのも見える。
脱出していたもう一隻の船も沈められたらしい。
いや、そんな事よりこの視界の良さはどう言う事なのか、そしてどうして苦しくないのか、自分は水中で息をして……?
混乱しながら横を見てみると一人の男が自分と同じように床に背を付けて回りをきょろきょろと見回していた、貴族の男だ。
その様子から見ると自分だけでなく男の方も水中で呼吸をしているようだった。
こちらの視線に気付いたらしく、目が合う。しかし状況の解らない者同士で見つめあっていてもどうしようもない。
とりあえずこのまま操舵室の中にいては船と一緒に沈むばかりなのでどちらからともなく頷き合うと床を蹴って操舵室の外へ泳ぎ出た。
(……ここは本当に海の中なのか?)
ポロは幼い頃から海と接してきた、しかしこんな海をポロは知らない。
海の中は海水自体が発光しているかのように明るく、晴れた日のように遥か彼方まで見通せる。
そんな透明度の高い水の中を二隻の船がゆっくりと沈んで行く光景は奇妙に美しく、現実感が無い。よく見てみるとその船から多数の人々が自分達と同様に泳ぎ出て来るのが見える。
皆一様に戸惑った表情で誰一人苦しそうにしている様子は無い、やはり自分と同じ状態に置かれているようだ。
ふと、風を感じた、いや、水中だから水流だ。水の中で大きな動きがあったような気配を感じて周囲を見てぎょっとした。
人魚達の群れ、群れ、群れ、タコのような姿をしているものもいる。それらの魔物達が沈没船と人間達をぐるりと包囲し、その輪を縮めて迫って来るのだ。
まるで底引き網漁だ。
人々は慌てて逃げようとするが水棲の生き物から泳いで逃げる事など不可能だ。次々にあっさりと捕まって行く。
隣にいた貴族も必死に手足をばたつかせて泳ぎ出すが、急な渦に巻き込まれたように身体を引っ張られた。
貴族がくるくるときりもみしながら吸われて行く先を見ると、岩肌にある大きなフジツボのような突起に吸い込まれているようだ。
一瞬その中に幼い少女の姿が見えたが、貴族が吸い込まれるとフジツボは閉じてしまい、すぐに見えなくなった。
ポロは抵抗は無駄だと悟っているのでもはや逃げようとはせず、ただ自然に水に浮いていた、最早どうにでもしてくれといった感じだ。
と、仰向けに浮かんでいた自分の顔をぬう、と覗き込む顔があった。
逆さまの女の顔だ、その顔がにっこりと笑い、くるりと引っくり返って正面に向き合う。
目尻の下がったおっとりとした印象の顔の女だった、法衣をアレンジしたような服装をしており、手には不思議な石板を持っている。
無論、その下半身は魚だ。
しかしその優しげな目で見つめられた瞬間からポロにとってそんな事はどうでもいい事になった。
朗らかに微笑む人魚はポロの両手を握ると、見つめ合う体勢のままゆっくりとヒレを波打たせ、後ろ向きに泳ぎ始める。ポロは手を握り返してそれについていく。
気付くと周囲は同じように手を握り合って泳ぐ人魚と人の姿で一杯になっていた、まるで水中の舞踏会だ。
ぐい、と引く手の力が強くなった、人魚の上半身に引き寄せられていく。
人魚は目を閉じて唇を差し出していた、頬を染めて、百年の恋人にそうするように。
ポロは抵抗する事無くその唇に吸い寄せられていった。
・
・
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〜03:15〜
レスカティエ港、船着き場
サキュバス キューア
「あーあ、取られちゃったあ……」
キューアは船が沈み、もはや渦と残骸だけが残る海面を見つめながらぼやいた。
街中での捕獲合戦でも食いっぱぐれ、ラストチャンスの追撃にも乗り遅れてしまった……。
「まだよ!街中に隠れてる人がいるかも!」
「そうよ!」
しかし自分と同じように食いっぱぐれた仲間達が奮起して街に引き返していく、キューアも気を取り直して今一度探索をしてみようと考えた。
・
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〜03:45〜
第四居住区大通り
サキュバス キューア
取りあえず街道沿いを調べてみようと引き返して大通りを散策してみる。
水音と嬌声がそこいら中から響いているが、特に凄まじいのは城と街を隔てる格関所周辺だった。
逃げ込もうとした市民を城の中から挟撃したものだから絡み合う男女の密度が違う、近寄るだけで濃密な性臭と魔力で頭がくらくらしそうになる。
次に多かったのが家と家の間にある路地裏の暗がりで絡み合う姿だった。見付からないように隠れていた市民が逆に逃げ場を失って捕まったケースが多いようだ。
無論、逃げ延びた人間などいる筈も無い。
「むう……いないなぁ……ちくしょう、皆見せ付けてくれちゃってえ……あっ」
一軒の家がキューアの目に止まる。殆どの家が入口や窓を壊されているが、その家はしっかりと目張りがしてあり、誰も侵入した形跡が無い。
「うしし……かくれんぼしてる人がいるかも……?」
にんまり笑うとキューアは窓の目張りを易々と引き剥がす。
「お邪魔しまーす……」
小声で言って室内に入ると、中は荒らされた様子も無いが人の気配も無い。しかし耳を澄ませてみるとどうやら二階から何か物音が聞こえる。
「誰かいるのかなー?」
キューアが忍び足で二階に上がるとどうやら寝室のドアらしきものが見えた。物音はそこから聞こえる。
「……」
薄々結果に勘づきながらもそっとドアを開けて中を覗き見ると……。
「あぁっ!んぁぁ!あはぁぁぁぁん!あなた!あなたぁ!」
「ア……アイ……リぃ……!くあぁぁぁ……!」
ベッドの上で髪を振り乱して腰を振るラミアと、そのラミアにぐるぐる巻きに抱き締められ、喘ぎ声を上げる男の姿があった。
「……お邪魔しましたー……」
キューアはそっと音を立てないようにドアを閉めた。
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〜04:00〜
南東結界堂
サキュバス キューア
気を取り直して探索を再開すると、大きな教会が視界に入った。
「あっ……あの教会って……」
作戦の説明を受けた時に聞いた、確か今回の侵略での重要なポイントになった場所の筈だ。
興味を引かれて荘厳な扉を開いて中を見てみると構造自体は通常の教会と変わらないようだった。
しかしその祭壇に一抱えほどある石が鎮座している所が他とは違う所だ。
かつて清浄な気を放っていた石は既にその効力を完全に失い、ただの石としてそこにあるだけだ。
その祭壇の下では一組の魔物と男が絡み合っている。
祭壇の方に頭を向けているのでこちらからはむっちりとした尻が上下し、神父らしき男の陰茎を粘液を飛び散らせながら貪る様子しか見えない。
上半身は男の上に倒れ込み、乳房で顔を覆っているらしい。
「ん……んむっ……んぐ……あぅぐっ」
「んふぅ……あはァ……ふふふっ、神父さまぁ……また出ちゃいましたねえ……そんなに私を孕ませたいんですかぁ……?」
「……お邪魔しましたー……」
キューアはそっと扉を閉めた。
・
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〜04:25〜
中流居住区外壁前メレン通り
サキュバス キューア
「ううう……疼いちゃうよう……他にいそうな所って言ったら……あ」
キューアは道端でびくびく痙攣する男の腰の上で頭を上下させる一人のゴブリンに近付いた。
「ホーニィちゃんだよね?ゲットおめでと」
「ちゅぷ、ちゅぷ、ちゅぷ、ちゅぷ」
ホーニィは口を離すのが惜しいらしく、フェラチオをやめないまま手だけでびしっとVサインを作って見せる。
「忙しいところ悪いんだけど、地図持ってる?私途中でなくしちゃって……」
「んむ、ぢゅる、ちゅぷ、ちゅぷ」
ホーニィはすぐ傍に脱ぎ捨てられていた自分のズボンを指差す、どうやら一度膣で絞ったらしく裸の下半身の股間からはぬるぬると白いものが流れ出ている。
その光景にごく、と喉を鳴らしながらキューアはホーニィのズボンのポケットをごそごそと漁る。
「あったあった……」
地図は驚く程詳細かつ正確な物だった、そこに侵攻ルートや作戦の概要が書きこまれている。
そういった作戦の情報とは別に、地図の所々にハートマークが書き込まれ「オススメ♪ゲットポイント」と表示してある。
「えーと、他のゲットポイントは……兵舎、かあ……たくましい兵隊さん……ぐふふ」
キューアはだらしない笑みを浮かべると、兵舎までのルートを確認してからポケットに地図を戻した。
「ありがと、お邪魔しちゃったね」
「ごくん……ごきゅ……ごく……」
もう聞こえていない様子だった。
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〜04:35〜
兵舎前
サキュバス キューア
羽根を広げて街道を飛び越え、兵舎に到着した時、キューアは「あちゃあ」という表情になった。
物凄い嬌声の合唱が兵舎の中から聞こえて来たからだ、兵舎の窓から放射状に魔力が漏れているのが見える程だ。
とてもじゃないが人が逃げ延びれる状態ではない。
「あのお……ここいら辺に……あ、お邪魔ですねハイ」
入口付近で一人の兵士らしき男を二人がかりで貪るデュラハンとワ―ウルフに声をかけようとしたが、デュラハンは取り外した自分の頭部で男の陰茎をオナホールの如く扱き抜くのに忙しく、ワ―ウルフは夢見心地でキスをするのに忙しい。
キューアはすごすごと退散した。
「オススメポイントは逆にみんなが集結してるから無理っぽいなー……地道にしらみつぶしするしかないかー……」
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〜04:55〜
貧民街
サキュバス キューア
ぶらぶらと貧民街エリアをうろついて見るが、嬌声が漏れ聞こえないあばら家は一軒もない。
「……おや?」
そんな中、キューアは一つの倉庫を見つける。
中はがらんどうなのだがその天井裏から気配を感じる、よく観察してみると倉庫の上部に入口らしきものが見える。
そのそばに梯子が倒れている、どうやら梯子で屋根裏に登った後に蹴り倒したらしい。
「むむっ……人間さんの予感……!」
キューアは忍び笑いを漏らしながらぱたぱたと飛んで入口に近付き、中を覗いて見る。
「ねえちゃ……ね、ちゃ、やめ……」
「守ってあげるからねぇ……!まもののわるいおまんこからはぁ……お姉ちゃんのおまんこで守ってあげるからねぇ……?」
ぎしっぐちゅっぴちゃっくちゃっ
「……はい、お邪魔しましたー……」
キューアはすうっと屋根裏からフェードアウトした。
「うう……今回は駄目かなぁ……こんなチャンス滅多にないのになあ……」
しょんぼりしながら貧民街の中を当てども無く歩き回ったが捜せども捜せどもフリーの人間はいない、やはり最初のラッシュ時に出遅れたのが痛かった。
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〜05:25〜
貧民街 名もなき丘
サキュバス キューア
貧民街を抜けるとちょっとした丘の上のような場所に出た。
「お、いい眺め」
その丘はとても見晴らしが良く、レスカティエの街並みが一望できた。
夜闇の中に浮かび上がる荘厳な城や街並みは以前は魔物を寄せ付けない威圧感を放っていた。
しかし今、薄紫の月光に照らされ、そこいら中から嬌声が響くその姿はここが魔界だと言われても違和感が無い。
「やっぱりすごいなぁ……デルエラ様は、本当に落としちゃったよ、こんな大きな所……」
改めて自分達の主の偉大さに感じ入っていたキューアはふと気付く、人間の匂いがする。
(え?こんな所で……?)
半信半疑で匂いの元を辿って見ると、いた。丘の上に腰を下ろす人間が一人、ラッキーな事に男だ。
しかし一体こんな事態にこんな所で一人でいるとはどういうことだろう。
「……」
と、男が背後に近付いたキューアに気付き、振り返った。穏やかな目をした初老の男だった、髪には白い物が混じっている。
「……やあ」
「あ、ども」
意外な事に男は友好的な挨拶を返した、思わず襲うのも忘れて返事をする。
挨拶をした男はまた街並みに目を戻す、キューアの事は気にしていない様子だった。
何となくタイミングを逸したキューアは男の隣に腰を下ろした。
「あのう」
「うん?」
「逃げないんですか?」
「はっはっは……私の様なじいさんを襲う者などいないだろう、魔物にも好みがあるようだしね……」
そんな事はない、恐らくこの非常時こんな丘の上で一人でいる事が皆の予想を裏切り、今まで見付からなかったのだろう。
「それにしても驚いたよ……ずっと魔物は人を食べるものだと聞かされて来たが、そういう意味だったとはね……」
「えへへぇ、そうですよ、魔物は人間が大好きですから!」
えっへん、と何故か胸を張るキューアの事を男は目を細めて見やる。
「あの……お名前は?」
「ブロンズという、君は?」
「キューアです」
「そうか、いい名だ……」
そうやり取りをした後二人は黙り込んだ、黙って丘の上からの展望を眺め続けた。
キューアはブロンズの横顔を見た、自分のずっと暮らしてきた街がこんな風になるのはどんな心境なんだろう。無論、この侵攻を後悔する気持ちは無いがちょっぴり胸が痛む。
「これで、良かったのかもしれん……」
「え?」
「この国はもう、国としては既に終わっていたと言っていいかもしれん……時代が流れ、今、そんな国が一つ終わった、それだけの事なのだろうな……」
「……」
「心残りが無い訳では無いがね……」
「心残り?」
ブロンズは自分の手の平を見つめた、ごつごつとして年季を感じさせる手だ。
「私の仕事も、この代で途絶えてしまうのかと思うとね……」
「仕事?」
「陶芸、というやつだ」
「トウゲイ?」
「ははっ……まあ、食器だの花瓶だのを作る技法さ、私の家は代々窯を受け継いでそういった物を作る家業を営んで来た……」
ブロンズは手を下ろしてまた街並みに目を戻した。
「この技法が中々独特でね、他のと違って私の所で焼いたのは澄んだいい色が出るんだ、密かに自慢だったのだが、それももう終わりのようだ……」
「……終わりませんよ」
「え?」
キューアはブロンズに寄り添うと、街の方を指差した。
「あのあたり、今の目抜き通りがあるじゃないですか?」
「うむ?」
「あそこは商店が立ち並ぶ通りになる予定なんです、あそこだけじゃなくて商業区はもっと拡大されるんです」
ブロンズは目を見開いてキューアを見る。
「貧民街も整備されてもっと住みやすい区域に改装されます、いや、ああいう場所が好きな娘達もいるから残るとは思うけど……」
ブロンズは「ほう」と頷く。
「そうして人、魔物問わずに沢山の人達を受け入れるんです、それと同時に人間の土地では手に入らない商品や魔界産の特産品がどっと入って来るんです」
キューアは立ち上がって手を広げた。
「そうしてこの街は魔物と人を繋ぐ大きな大きな街に生まれ変わるんです」
ブロンズが眩しそうに見る前でくる、とキューアはブロンズの方に向き直る。
「そこで、ブロンズさんの陶器屋さんもその街並みに並ぶんです」
ブロンズは笑った。
「夢のある話だが、私はもう歳だ……後継の者もいない、街並みが揃う頃には……」
「私が継ぎます!」
「え?」
「大丈夫です!こう見えて器用なんです私!」
「いやいやいや……中々そう言う訳にもだな……」
ずいずいと迫るキューアにブロンズはたじたじになる。
「それだけじゃありません、もっといいお話があるんです」
「い、いい話?」
半ば押し倒されそうになりなるのを押し返しながらブロンズが問うとキューアは胸を張った。
「私を弟子、兼お嫁さんにすれば全て解決です!」
ブロンズはきょとんとしてしまう。
「魔物と交わると寿命が合わせて延びるんです……いいえ、むしろ若返っちゃいます、そうして夫婦二人で陶器屋をですね」
「ま、まてまて待ちたまえ!」
「ご不満ですか?」
「私はそりゃあ、いや、君にとってどうなんだねそれは?私の様な枯れた男に嫁いだりするなんて……」
「ブロンズさんはとーっても素敵なお方です、というかもう選択肢はそれ以外許しません!とりゃー!」
「ぬわっちょっ」
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・
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〜06:00〜
レスカティエ城最上部
リリム デルエラ
デルエラは城の屋根の頂点に一人腰を下ろし、日の出を見ていた。
昇る太陽は昨日と変わらない、だがその太陽が照らす街は昨日と完全に別の物へと変貌している。
その街並みを視線で愛でるようにして見渡すと、デルエラは呟いた。
「誕生おめでとう……レスカティエ」
13/07/14 21:06更新 / 雑兵