薄暗いアトリエにはカーテンを通して弱く、まばらな光が差し込んでいる、その光が外で風が吹くたびにゆらゆらと揺れる。
家を囲む立派な庭園は手入れが成されず荒れ放題だ。最も灯子の論を借りるならば自然のままに伸びている緑を「荒れている」と評するのは人間の勝手な観点だとの事だが。
しかし人間に管理されている植物園の植物にも興味を示すという事は……。
麻人はそんな事を考えていた、多分現実逃避だ、混乱の極地に追い込まれて思考が明後日の方向に飛んでいってしまっているのだ。
頭を振って現状を整理しようと試みる。
灯子は人間ではない、詳しくははぐらかされたが悪魔か何からしい、別に何か悪いことをしている訳ではないようだが。
その彼女の身体には「従属のルーン」という物が刻まれている、うなじに刻まれた名の者が「支配者」となり、ルーンを刻まれた者はその支配者には逆らえなくなるのだという。
そのうなじに書かれていた名前は「野木麻人」
他でもない自分の名前が刻まれていた、彼女自身が自らに刻んだらしい。
つまり灯子は麻人の言う事には逆らえない、という事になる。
何故そんな事をしたのかと理由を聞いたところ、返ってきた返事は「なんとなく」
……整理してみてもやはり訳がわからない。
というか、「従属のルーン」とやらには本当にそんな効果があるのだろうか？
「……先輩」
「何だ」
「じゃあ、三回回って「わん」して下さい」
「……」
ぽうっ
むっつりとした灯子の表情が下からの微かな薄紫の光で照らされた、ぎょっとして見ると首周りの紋様が薄っすらと輝いている。
灯子はむっつりとした表情のまま机から降り、のそのそとその場で回り始める。
「……」
「……」
丁度三度回った所で灯子は言った。
「……わん」
「…………すいません」
「謝るならするな」
「はい」
何故だかしょんぼりとする麻人の前で灯子は机の上に座りなおす。
「初命令がそれか……まあ、私に拒否する事は出来ないがな」
「これってその、先輩にどういうメリットがあるんですか？……」
「とりあえず勝手に名前を使った事は謝る、人一人の自由を奪う権利なんて人によっちゃ御免こうむりたい所だろう」
「いや、ですから理由を……」
灯子は頬杖をついて首を傾げ、いつものどろりと暗い目で麻人を見上げた。
「何でだと思う？」
「さっきからめっちゃ考えてますけどわかりません」
「そうか、まあ……長い付き合いだ、君がその手の感情に疎い事は私もよく分かっている」
「その手の感情って言うのはその……」
「うん？」
麻人は手を擦り合わせ、頭を掻き、視線をそこらじゅうに泳がせ、ひとしきりもぞもぞとした後に中途半端な笑みを浮かべながら言った。
「先輩ひょっとして俺に気があるのかなー……なーんて、アハハハハ……」
何て格好悪い言い方だろうと麻人は自分で思った、もし灯子から冷たい反応が返ってきた場合に「そうですよね！ええ分かってました、冗談っすよ！」と、笑い事で済ませられるような言い方を選んでいる。
見当外れの希望的観測を言って軽蔑されたくない、そういった意識が麻人にそんな態度を取らせるのだった。
灯子にはそんな麻人の思惑が全て透けて見えているようだった、俯いて「クククッ」と喉の奥で笑った、彼女にしては非常に珍しい笑い方だった。
そうして顔を上げて麻人を見て。
「ん」
と頷いた。
対して麻人は。
「えっ」
と答えた。
話の流れからしてその「ん」は先程の「自分に気がある」に対しての「その通りだ」という返しに取っていいのだろうか、でもひょっとすると笑い声が喉から漏れてしまっただけの「ん」では無いだろうか、というか自分の幻聴か何かだったんじゃなかろうか。
あらゆる思考が滝のように脳内を流れ、麻人は頭に手をやった中途半端な姿勢のまま固まってしまう、そんな麻人を見た灯子はまた笑みを深くして言った。
「そうだ、私は君の事が好きなんだよ」
麻人の身体にぴりぴりと電流が走り、凄い勢いで顔に血が集まり始めた。
それは嬉しさと恥ずかしさと自分に対する怒りが混ざり合った結果の赤面だった。
灯子はちゃんと自分の気持ちに答えてくれた、しかし自分のさっきの台詞は何だ、自分の気持ちを晒さずにこっそりと相手の気持ちだけを探ろうとする卑怯な台詞だ、こんな告白でも何でもない言葉で灯子に受け入れてもらう訳にはいかない。
誤魔化さずにはっきりと気持ちを伝えなくては。
麻人は滑稽なくらいにぴしっ姿勢を正して言った。
「俺も好きです、先輩、付き合って下さい」
「……」
灯子はすとん、と机から降りると背を丸めて麻人の傍に歩み寄った。
笑っていた、未だかつて見たことのない表情だった、例え機嫌のいい時であっても不機嫌そうに見えるじとおっとした半目は大きく見開かれ、闇のような黒々とした瞳が麻人を写している。
いつもはきつく結ばれている口元は緩み、はっきりとした笑みの形を浮かべている。
麻人はぞおっと全身が総毛立つのを感じた、美しい表情だ、こんなにも美しい人だったかと思う、同時に何か見る者に危機感を抱かせるような狂気を伴った表情だった。
笑みを形作る口元が薄っすらと三日月形に開いて言葉を紡いだ。
「あぁ、もう取り返しがつかないぞ……」
そんな事を言ったように聞こえた。
「……先、輩？」
「わかったよ」
「え？」
「付き合おう」
いつの間にか灯子の雰囲気は変わっていた。
先程の悪魔じみた（悪魔だが）幻惑的な表情は消えていつもの長い睫毛の下から覗き上げるような表情に戻り、むす、とちょっと不機嫌そうに答える。
「そ、それって」
「恋人になろう、と言っているんだ」
「……！！」
麻人の体内に始めて爆発的な喜びが膨れ上がった、先程の灯子の表情の事も吹き飛ばす歓喜に全身が包まれる。
「ぉ……おおおおおおっしゃあああっ！！」
「静かにしろ、近所迷惑になるだろう」
「す、すいません」
思わず上げた歓声を諌められて麻人は口をつぐむ、しかし喜びは収まらないようで口の端がにやにやと釣り上がってしまうのを止められない。
「悪魔と付き合うとは酔狂な奴だ」
「えへへ、そうっすかねぇ、へへへ」
麻人はもう何を言われてもひたすらににやにやするばかりだ。
「浮かれている所悪いが、私は少し不安だ」
そこで初めて麻人は灯子が浮かない表情をしている事に気付く。
「何か不安があるんですか？俺と付き合う事で何か不具合が？……先輩の正体の事なら安心して下さいよ、絶対誰にも言いませんから！」
「君がそんな事をしないのは分かってる」
首を傾げる麻人から目を逸らしながら灯子は呟く。
「君は私にどんなイメージを持っている？」
「……変な人です」
「そりゃあどうも」
「あ、いや、すんません」
咄嗟にストレートな感想を述べてしまう麻人に灯子は憮然として言う。
麻人は慌てて弁明する。
「いやその、そんな先輩だからこそ俺も好きになっちゃったというかその……」
「まあ、それは分かってる、変な質問をして済まない、だがその……私は君に見せていない一面も色々と多い、それを見た時に幻滅されてしまうのではないかという不安があるんだ」
珍しく歯切れの悪い物言いで灯子は視線を地面に落しながら言う。
「俺がそんなに簡単に心変わりする奴かどうかは先輩が一番知ってるじゃないっすか、それに人間誰しも人に見せない一面があるのは当たり前でしょう？いや、先輩は人間じゃないですけど」
「そうだな……君はしつこい奴だからな」
「ええ、しつこいですから」
麻人は笑って言う、確かにその事はこれまでの付き合いの中で灯子もよく知っている、そもそも普通なら灯子の正体を知った時点で逃げ出したっておかしくない所なのだ。
灯子は笑みを浮かべて麻人を見詰め……ちら、と唇を舌で舐めた。
麻人の背筋にまた一瞬だけ鳥肌が立った、さっきからこれは何なのだろう。
「わかった、君がそう言うなら私も覚悟を決めよう」
「……覚悟？」
灯子は机から降りると尻尾でちょいちょいと麻人を手招き（？）しながら背を丸めて歩き出す。
麻人は不思議に思いながらその後を付いて行く。
そして、灯子が辿り着いた先を見て息を呑んだ、「あの」ドアの前だ。
灯子はドアノブを握る前に口の中で何か耳慣れない発音の言語をぼそぼそと呟いた、それと同時にノブがぽう、と一瞬だけ不思議な光を発した。
「な、なんすか？」
「解錠の呪文だ、このドアには魔術的な封印を施してあってな、触った奴にちょっとしたお灸をすえてやる処置をしていたんだ、殊勝な君は一度もノブに触れなかったようだが」
「……触らなくてよかった」
どんな「お灸」かは分からないが、灯子の性格を考えるとかなり恐ろしい物である可能性が高い、実は幾度となく誘惑に駆られた事のある麻人はこっそり胸を撫で下ろす。
そんな麻人を尻目に灯子はドアを開け、麻人に「入れ」と顎で示す、外から見る限り部屋の中は真っ暗でどんな様子なのかは伺えない、麻人はごくりと固唾をのむ。
「い、いいんすか」
「先程君に言った私の「見せていない面」だ、これからもっと深い付き合いになるなら見ておいてもらいたい」
そう言われて引く訳にはいかない、それに長年気になっていた秘密を知るチャンスとなれば逃す手は無い。
「お邪魔しまーす……」
麻人はおずおずと部屋に足を踏み入れた、合わせて後から入った灯子がドアを閉める。
そのドアの閉まるばたん、という音と同時に真っ暗だった部屋にすうっと薄暗い灯りが広がった。
「……っっ！！」
最初に目に入ったのは窓一つ無いフローリングの壁、何処からともなく感じる甘い匂い、そして違和感だった、部屋が広すぎるように感じたのだ。
確かに灯子の住むこの家は広いが、構造的にこんなスペースがあのドアの向こうに広がっているのはおかしい、そう感じた。
しかしその違和感も何もかも部屋の奥に置かれている一枚の絵画を目にした瞬間吹き飛んだ。



巨大な絵だった、空白の部分がある所を見るとまだ未完成のようだ、一枚の絵画というよりはパノラマ状に広がる屏風といった形状をしている。
その広い面積に描かれているのは数え切れない程の男女が交わる様だった。
よく見てみるとただの交わりでは無い、男性は普通の人間のようだが女性の方は大なり小なり人間と異なる部分がある。
例えば灯子のように角、羽根、尻尾が生えていたり、下半身が蛇や蜘蛛のような形状をしている者もいる、人魚のような姿をしている者もあれば所々に昆虫に似た構造を持った女性までいる。
そして誰もかれもがぞっとするほど美しく、妖しい。
その異形の美しい女達は一人の例外も無く快楽に蕩けた表情をしているのだ。
執拗と言えるほどに緻密に描かれた多種多様な痴態からは今にも蕩けた嬌声が溢れ出てきそうな迫力と魔力に満ちている。
「凄っげ……！」
麻人は思わず感嘆の溜息を漏らした。
灯子の作品は殆どが風景画であり、たまに人を描くとしてもその風景の一部として描きこむのみだ。
少なくとも世間に出ている灯子の絵画に人物を主眼に置いた作品は殆ど無い。
しかし今、目の前にある絵を見ると灯子の真価は生き物を描く事で発揮されるのではないかと思う、それ程の迫力が伝わって来る。
それと同時に確かにこれは公表出来ないとも思った。
生命感に満ち溢れているその絵は言いかえるなら赤裸々で生々しく、もっと簡単に言うならば淫ら過ぎるのだ。
美術館に展示しようものなら猥褻物陳列罪が適応されてしまいそうだ。
先程の「見た時に幻滅されてしまうのではないか」という台詞も理解できた。
確かに灯子がこんな絵を描くというのは意外だが性をテーマにした芸術作品はこの世に幾らでも存在するし、これ程素晴らしい物を見せられては幻滅どころかより畏敬の念が深まるというものだ。
「……この絵を描き始めたのはある絵画の影響でな」
後ろを振り向いて見ると灯子はズボンのポケットに手を突っ込み、猫背で自分の絵を見上げていた、色々パーツが付随されてもやっぱりこうして彼女らしい所を見ると何となく安心する。
「「落園」という絵画だ……ある意味、宗教画のようなものでもある絵なんだが」
「……宗教画……？」
一体どんな宗教の影響を受けたらこんな絵が出来るのだろう。
「何の宗教なんですかそれ……」
「こっちには無い宗教だ」
また彼女の口から「こっち」と言う言葉が出た。
「堕落の神を信奉する一派でな、欲を制御し、己を律する多くの教えとは真逆に己の欲望に忠実であれというのが基本的な教えだ」
「そりゃあまた……何とも大胆な教えっすね」
口ごもりながら麻人はまた絵に目を戻す、どうにも視線が引き寄せられてしまう。
「その、女の人達が皆色々な姿をしているっていうのは何かの暗喩なんすか？」
「いいや、そのままだ」
「そのまま？」
灯子は自分の尻尾を撫でて見せる。
「「あっち」では珍しいものじゃないよ、異形の女というのは、私もその一人だしな」
ここに至って麻人は灯子の言う「あっち」と「こっち」の意味を把握し始める。
「……先輩は別の世界からやって来たって事ですか？」
「頭が柔らかいな、その通り、と、言いたい所だが少し違う」
「？」
灯子は角の付け根をぽりぽりと掻く。
「元々は私も絵を描く事が好きなだけのただの人間だったんだが……ちょっとした出会いを切っ掛けに「あっち」を訪れる機会に恵まれてな」
麻人は真剣に耳を傾ける、普通ならばとても信じられるような話では無いのだが、実際に人間で無い彼女の言う事なのだから事実なのだろう。
「そこで美術館に行った」
「えっ、美術館なんてあるんすか「そっち」」
「あるとも、実に面白い所だ」
麻人は脳裏にその美術館を思い浮かべようとしたが一体どんな所なのか想像も付かなかった。
「そこで私は出会ったんだ……「落園」に……」
灯子は自分の絵をぼんやりと見上げている、目では絵を見ているが頭の中では違う物を見ているようだった。
「アレを見た時の衝撃は一生忘れられん、細部まで脳裏に焼き付いている……この絵も「落園」を意識して描いた物だが本物に比べれば落書きもいいところだ」
麻人は信じられなかった、今自分が目にしているこの絵画が比べ物にならないだなんて一体どれ程の絵だというのだろう。
「私が人間で無くなったのもその絵の影響だ」
「ええ！？」
「その絵には魔力が籠められていてな、通い詰めて鑑賞しているうちにいつの間にか自分が変質してしまっていたのだ」
「なにそれ怖っ！呪われてるじゃないすか！？」
「クククッそうだな、あの絵は呪われた絵だ、しかし……」
言葉を切ると灯子は麻人の方を見た。
「君はこの絵を見てどんな印象を受ける？」
唐突に目線を自分に向けられて思わず麻人はどぎまぎする。
「えっ？ええと、その、凄いと思います」
「小学生の感想か、もう少し何かあるだろう」
「えっと……」
麻人は改めて絵を見上げ、頭の中で言葉を吟味する。
「まずその、すげえエロいと思います」
「だろうな」
「でもそれだけじゃなくて……」
「ん？」
麻人は赤面しながら言った。
「その……愛があると思います」
「……ほう」
灯子は小首を傾げて麻人を見る。
「一見すると皆ただ肉体的快楽だけを求めているように見えますけど、その、ええと、誰彼構わずっていうんじゃなくて、その……好きな人としてるから、ええと、気持ちいい、みたいな、そういう……」
灯子はそれを聞いて、にまあ、と笑みを浮かべる。
「前々から思っていたが君はいい感受性をしている」
「ああ、ど、どうも」
珍しく褒められて麻人は照れ笑いを浮かべる。
「そう、堕落というと聴こえは悪いが、つまりは愛こそは全てという愚かな考えを馬鹿正直に体現する宗教なのさ、「博愛」なんて崇高な愛じゃあない、「この人が愛しい」という誰だって抱く独善的な愛だ、その事がその……「落園」からは伝わって来た」
麻人は少し驚いた顔で灯子を見る、今までこれほど饒舌に物を語る灯子は見た事が無い。
「そうやってあらゆるしがらみを超えて愛し合う姿が美しいと思った私は「落園」に憧れてより絵に没頭するようになった……正直、当時私自身は人を愛する事なんてよくは分からなかった、愛する人なんて居なかったし、これから先も出来るとは思わなかった」
そこで一瞬言葉を切ると麻人の方を見て意味深な笑みを浮かべた、麻人は赤面するしかない。
「第三者の視点からその美しさをただ絵にしたいと言うだけだった……しかしまぁ、わからんもんだ」
「へへへ……」
照れ臭くなった麻人は周囲に視線を巡らせる。
「その、ここって……間取り的におかしいっすよね、やっぱ魔法か何かで……？」
「まあな、スペースを確保したかったのもそうだが、魔力の漏洩を防ぎたかったから普通の部屋ではな」
麻人はぎょっとして周囲をきょろきょろと見回す。
「ま、魔力？」
「この絵には少々私の魔力が籠っているからな……心配するな、ほんの微弱な物だ、少なくとも「落園」のように鑑賞するだけで魔物化するような物じゃない、隔離したのも念には念をだ」
「……先輩の……」
そう言われて麻人は部屋に満ちる灯子の匂いに気付く、魔力とは関係ないかもしれないが。
「……すーはー……」
「……何をしている」
「いや、先輩の匂いが」
「……やめろ」
「すんません……しかしやっぱ散らかってますねここも」
あまりの絵の迫力に気を取られて目に入らなかったが、落ち着いて見回してみるとこの部屋も外のアトリエと同じく画材道具が乱雑に散らばっている。
雰囲気は違ってもやはり灯子のアトリエらしい。
「……あ、違う絵もあるんすか？」
麻人の目に付いたのが部屋の隅にガラクタのように積み上げられているキャンバスだった。
「見ていいっすか？その、先輩が良ければ、ですけど」
失敗作であろうと何であろうと灯子の描いた物ならば見てみたい麻人は食いつく。
「……」
聞かれた灯子はというと何やら地面に目線を泳がせて落ち着かない様子になっている。動揺を現すようにその尻尾もふらふらと揺れている。
「あ、いや、無理にとは言わないですよ、見られたくないのもあるでしょうし」
「いや……いや、構わない、ああ、構わないとも」
しかし、俊回した末に何かふっ切ったように言う。
「え、いいんすか？何か無理してません？」
「別に」
どう見てもそわそわと落ち着きがない灯子だが、言わせておいて見ないのもどうかと思ったので麻人は積み上げられているキャンバスに近付いて一枚を手に取って見てみる。
「…………」
今日一日で、麻人は色々と驚くべき現実に遭遇してきた。
灯子が実は人間では無かった事、灯子のうなじに刻まれた自分の名前、プライベートルームの中にあった異様な絵画。
しかし今しがた目にしている物はある意味それらのどの事実よりも麻人に大きな衝撃を与えた。
キャンバスに描かれているのは男女の交わる様子だった、地面に這いつくばるような格好の女を男が後ろから激しく責め立てている。
豊かな乳房を振り乱して喘いでいるその女性は例によって人間ではなく、腰から黒い翼、頭からは角、尻からは尻尾を生やしている。
躍動感溢れる筆使いで描かれており、女の嬌声や男が女の尻に腰を打ち付ける音まで聞こえてきそうな迫力だ。
それだけならば驚くに値しない、問題はその蕩けた表情を晒しているのがどう見ても灯子であり、後ろから意地悪気な笑みを浮かべながら灯子を組み伏せているのがどう見ても自分である事だ。