「ええ?ヤダよ」
ピンポーン
水瀬智樹(みなせともき)の優雅な休日・・・もとい、大学生の暇人っぷりを余すところなく満喫する怠惰な休日を破ったのはそんなインターホンの音だった。
その音に目覚めさせられたようにパソコンの画面から目を離して時計を見上げてみると時刻は深夜2時、セールスマンが営業に精を出す時間帯ではない、そしてこんな非常識な時間に自分を訪ねる人物と言えば一人ぐらいしか思い当たらない。
その人物の事を思い浮かべ、そうでなければいいなぁと思いながらこのまま玄関に出なければそのまま立ち去ってくれるのではないかと淡い期待を抱いてパソコン画面に映し出される動画に目を戻す。
ピンポンピンポンピンポーーン
小学生みたいなインターホンの連打でもう完全にわかった、アイツで絶対間違いない、そして同時に無視を決め込む事は不可能だとも理解する、自分が出ない限りそいつは玄関前に居座って嫌がらせの如くインターホンを押し続けるだろう、しまいにはドアをピッキングか何かで破られるかもしれない、アイツならやりかねない。
智樹は深い溜息をつくとパソコンの電源を落とし、玄関に行って・・・念のためにドアの覗き穴から外を覗いてみる。
「・・・ん?」
覗き穴から目を離し、智樹はしばし思案する。が、結局ドアを解錠して開けた。
「うーっす」
「うーっすじゃねぇよ何だこんな時間に」
「ままま、いーじゃんいーじゃん」
そいつは・・・永塚隆二(ながつかりゅうじ)はへらへら笑いながら智樹の脇をすり抜けてずかずかと部屋に入り込む、あまつさえ勝手に冷蔵庫を開けて中身を物色し始めたりする。
「発泡酒かぁ・・・ビールない?ま、いいか」
「家宅侵入で通報したろか」
「かんぱーい」
「聞けよ」
渋い顔で文句を言う智樹を全く気にかけるそぶりも見せず、隆二は景気良くペシッと缶のプルタブを開けてぐいっと煽る。
「っかぁぁ〜〜〜〜やっぱ酒は日本のが一番だ」
智樹は深々と溜息をつくと諦めたように自分も冷蔵庫の前に行って発泡酒の缶を一つ取り出し、ついでに横の戸棚から焼き鳥の缶詰めと柿ピーの袋を取り出して和室に移動する。
隆二は早々に空になった手の中の缶をぐしゃっと握り潰すと、ついでのようにもう一缶冷蔵庫から取り出し、後ろ足で冷蔵庫を閉めて智樹の後ろをついていく。
二人は和室に置かれた小さなちゃぶ台の上に缶とつまみを置くと向かい合う形でどっかと座りこんだ。
「そいじゃ、俺の帰国を祝ってかんぱーい」
「さっきしたじゃねぇか、人んちので勝手に」
晴々しい笑顔で二本目を開ける隆二を睨んでぶつくさ言いながら智樹も自分の缶を開け、缶の三分の一ほどを一息に飲む、隆二は何が嬉しいのかずっとにやにやしている。
智樹が最も苦手とし、それいて腐れ縁が切れないこの永塚隆二という男は天才だった、何の、と言う訳ではない、全てにおいてだった。
天は二物を与えずという格言を全力で否定しにかかるこの男は勉学、スポーツ、芸術、容姿、とりあえず人が羨みそうなものを全てぶち込まれて生まれて来た。
しかしやはりそんな設計図には無理があったのだろう、彼には人として最も大事な物が備わっていなかった、いわゆる「モラル」という物がすっぽりと欠如しているのだ。
「今回どこ行ってたんだっけ」
「チベット」
「また妙な所に・・・」
「何を言う、あそこはいい所だぞ」
「お前に言わせたら紛争地帯でも「いい所」じゃねぇか」
彼は放浪癖がひどかった、しかも放浪の範囲が世界規模だ、そしていつも突然居なくなる、人との約束があろうと大事な予定が入っていようとお構いなしに失踪する。
それこそ「そうだ、チベットへ行こう」「そうだ、アラスカへ行こう」と京都並みの感覚でぶらっと出て行ってしまうのだ。
「面白かったのになぁ・・・お前にも見せてやりたかったよあの立派な寺院、辿り着くのに遭難しかけたけど」
「・・・逃げてよかった」
そう、一人で放浪するだけならいい、しかし彼はその放浪にやたらと智樹を巻き込みたがるのだ。
しかも智樹の意志をほぼ無視して強引に。
確かにそれで見聞は広がったし滅多にできないような経験もたくさんした、だが智樹はどちらかというと平穏を好む性格であり、エネルギッシュな隆二に振り回されてペースを乱されるのはとても疲れるのだ・・・それでも嫌いになりきれないのがこの男の最も厄介な所なのだが。
「俺の居ない間どうしてた?二ヶ月くらいだったか」
「別に・・・いつも通りだよ」
「いつも通り童貞死守してたか」
「よし、出ていけ」
「冗談冗談」
智樹にとっては笑いごとではない。
「今までチャンスなんかいくらでもあったろうになぁ、どうしてだろうな?智恵ちゃんとか美奈さんとか優ちゃんとか」
「もれなくお前に食われたからな」
「そうだっけ」
智樹の額にびきびきと青筋が浮き、手の中で缶がぺきぺきと音を立てて変形する、ちなみに智恵ちゃんは高校時代の智樹の初恋の相手で美奈さんは憧れの先輩で優ちゃんは大学でちょっといい雰囲気になった後輩だが、前述の通り隆二になびいた。
「いやあ、だって向こうから来たもんだからさ、拒む訳にはいかんだろう男として」
そう、それが一番悔しいのだ、モーションを掛けたのはあくまで三人の方からで隆二はそれを受け入れただけなのだ。
数多くのアドバンテージを持つ隆二の最も羨ましく、かつ腹が立つ才能がこの女バキュームとでも言うべきモテぶり、しかも適当に食い散らしても恨まれないそつのない立ち回りまで心得ている、無論、その三人も適当に食って適当にお別れしたそうだ、もげろ。
(・・・いや、もげろ、と言うか・・・。)
智樹は変形した缶の中に残る液体を一気に煽るとちゃぶ台にだんっと乱暴に置いた。
「なぁ、隆二」
「ん?」
「さっき男としてって言ったけど」
「うん」
「何で今は女になってんだ?」
「あーよかった突っ込んでくれた、帰るまでずっとスルーされるかと思った」
「しようかと思ったけど無理だった」
あははっ、と笑う隆二の胸元で雄大な肉の塊がゆさっと揺れる。
そう、かつて頼りがいがありそうに分厚い胸板のあった場所に今は二つの重たげな肉が我が物顔で居座っているのだ、丁度いいサイズであったであろうシャツは胸の部分がぱつぱつに張り詰め、シャツの柄が変形してしまっている。
胸だけではない、シャープな輪郭に面影を残しつつもその顔はワイルドな美貌に変化し。
邪魔にならなければいいいという刈り方をしていたツンツンの黒髪はぴんぴんと外に跳ねながら背中に届くまで伸び。
どこの少年漫画から飛び出て来たのかという痩せマッチョだった体形はどこのエロ漫画から飛び出て来たのかというムチムチボディに変貌を遂げている。
男の頃はワイルドな印象を受けた日に焼けた小麦色の肌も女になると妙に艶めかしく見えるのが不思議だ。
「いやあ、色々あってさ」
「性別変化する程の事件を色々の一言でまとめんなよ・・・」
「と言うか、お前こそよく俺ってわかったな?もっと、こう、えー!何このセクシーねーちゃん!?みたいなリアクション期待してたんだが」
「だってなんか・・・なんか女になってもお前なんだもん」
「あーいいね今の台詞、女になっても俺!」
隆二はぐっと胸を張る、とても立派だ。
「だっ・・・なん、どういう事よ?何があった?説明してくれよ」
その立派なモノから慌てて目を逸らしながら智樹は聞く。
「そもそもどこの医者にかかったんだよ、チベットにそんな腕のいい医者が居たか?」
普通、性転換手術というのは長い期間を掛けて徐々に行う物だ、隆二が日本を出ていたのは一カ月弱でそんな期間はなかったはずだ、しかし現に目の前の隆二は完璧に女になっている、元男だと説明しても誰にも信じてもらえないであろう。
「うん、まぁまず今回何故俺がチベットに行ったかなんだが・・・」
「暇だったからじゃないのか」
「それもあるけどちょっと思う所があってな」
「・・・何を?」
「俺今までかなり好き勝手に生きて来たんだけどさ」
「うん」
世界中を見回してもこの男(今は女)程好き勝手に生きて来た人間もいないだろう。
「でもよく考えると俺・・・」
「うん?」
隆二は胡坐をかき、こりこりと頬を掻いた、このあたりの仕草は男の頃と変わらない。
「人を好きになった事ないんだよね」
「・・・まぁ、な」
付き合った女の数はそれこそ両手でも足りない、相手のタイプも多種多様で日本国内に留まらない、しかし智樹から見ても彼が恋愛事で熱くなった事は一度もなかった。
相手がどんなに自分に入れ込んでも隆二の方はどこかしら冷めた部分があり、別れる時に未練を見せた事もない。
「ぶっちゃけ性欲だけなんだよね、俺の女との付き合いって」
「・・・そういうお前がモテるのが納得いかねぇ」
「相手もそうな場合もあるし、そういうのが駄目な女にはそう見せないからな」
「むかつくわー」
「で、俺はこのまま誰も好きになれないっていうか、誰にも夢中になれないのかなーってちょいと思い悩んでな」
「お前にしちゃまともな悩みだな」
「それでチベットに行く事にしたんだ」
「あー、うん、すまん、そっから話についていけない」
「何が?」
「思い悩んで何でチベット?」
「チベットは考え事をするのに一番いい場所だからな」
「・・・なるほど」
本当は納得してないし突っ込みたい気持ちで一杯だが、話が進まないので我慢する事にした。
「それで、お寺に行ってちょっと座禅的な事もしたりして色々考えた訳だ」
「うん」
「そこで気付いたんだが・・・」
隆二は一旦言葉を切ると焼き鳥を摘まんで口に放り込む、それを酒で喉に流し込み、また口を開いた。
「俺にとって特別な存在と呼べるのはお前だけらしい」
「・・・ふーん」
「感動しろよもっと」
「いや、ありがた迷惑だなぁ、と」
「はははっまぁ、そうだろうな」
隆二は胡坐を解いて足を伸ばした、ジーンズを穿いた足は男の時と変わらずモデルの如く長い。
「・・・今の一連の話ってお前が女になったのと関係あんの?」
「あるかもしれんしないかもしれん」
「何だそりゃ」
「で、考えるのも飽きたからそろそろ帰ろうと思って寺を引き払って山ん中を歩いてたらさ」
「うん」
「女神が現れたんだよ」
「・・・・・・はぁ」
「いや、女神じゃないかな、悪魔かな・・・悪魔だろうなぁあれは」
「あー、ちょっと待てまたついていけなくなった、つまり山ん中歩いてたら物凄い美人に出会ったって事でいいのか?」
「まぁ、そう言う事だ、出会ったっていうか急に目の前に現れたんだけど」
「ふんふん」
「正直今まで出会った女の中でピカイチだったな、というか比べ物にならないレベルだった」
「・・・お前がそこまで言うって相当だな」
隆二が今まで付き合ってきた女達はかなりレベルが高い、モデルやアイドルなんかをやってるのもいた、そんな女達さえ比べ物にならないとは正直智樹には想像がつかない。
「めっちゃくちゃスタイル良くてさ」
「ほう」
「真っ白な髪と真っ赤な目をしてて」
「へえ?」
アルビノというやつだろうか。
「胸元ががばーって開いたすげーエロい格好しててさ」
「・・・」
「角と羽根が生えてて」
「あー、タンマタンマ、真面目な話だよな?」
「信じれないだろうなぁ、ホントなんだよなぁこれが」
「・・・お前クスリかなんかやってなかったよな?」
「しないしない、俺ルールでクスリとレイプはアウトだから、っていうかまず短期間で俺がこんなになった時点でもうおかしい事だから」
「まぁ、な」
「で、とりあえず口説いたんだ」
「ああ、お前ならそうするだろう」
相手が人外だろうが悪魔だろうが美人なら口説く、それが隆二だ、イタリア人も真っ青である。
「でも駄目だったな」
「お前でも流石に悪魔は口説けなかったか」
「いや、その悪魔、旦那がいてな」
「えっ!?結婚してんの!?ってか悪魔って結婚すんの!?」
「するみたいよ」
「でも・・・それが理由で引き下がらないだろお前」
そう、隆二は美人なら口説く、人妻でも。
そして本当に口説き落としてしまう、お陰でショットガン持った旦那に追いかけ回される羽目になった事もある。
「いやあ、その悪魔、旦那に完っ璧にぞっこんでな、流石の俺も無理だった」
旦那さんにぞっこんな悪魔・・・智樹の中にあった悪魔のイメージがどんどん崩壊していく。
「でも俺には別の興味を持ったみたいで「あなた変わってるわね」って」
「まぁ・・・変わってるもんな」
「で、ちょいとそこで立ち話してな、流れで俺が人の事をあんまり好きになれなくて悩んでることとかも話した訳だ」
「随分話せる悪魔なんだなぁ」
「お前の話題も出たんだ、一応ちょっと特別に思ってるっぽい奴がいるって」
「なっちょっ、悪魔との会話で安易に人の名前だすなよ!?」
「で、その悪魔言ったんだよ、「もっと愛に溢れた人生にしてみない?」って」
「その結果がそれか」
「ああ、その結果がこれだ」
隆二はびしっと自分を指差す、何故か偉そうだ。
「なんかその悪魔・・・お前の言う「特別に思ってる奴」っていうのを変な風に解釈したんじゃね?」
「そんな感じだな、しかしまぁこれも面白いからいいやって思ってそのままバイバイした訳だ」
智樹は頭を抱えた、こいつはつくづく頭がおかしい。
「で、どうだ?第二の人生は」
「面白いもんだな、男共の目線が集まる集まる」
「気持ち悪ぃだろそれ」
「いやぁ、中々気分のいいもんだぞ?ちょっと狼藉を働かれそうになって何人か張り倒したけど」
「・・・女になって弱体化した訳じゃないのか」
「全然、むしろ前より身体のキレがいいくらいだ、ちょっと胸の荷物が重いけどな」
隆二は腕を寄せて胸に谷間を作って見せるとにやっと笑う、智樹は慌てて目を逸らす。
前述の通り隆二は万能の天才だ、高校時代に掛け持ちしていた運動部で格闘技もいくつかかじっている上異様に喧嘩慣れしており、下手な有段者よりも腕っ節が強い。
「しっかし・・・その・・・性的にはどうなんだよ、男とやりたいと思うようになったのか?」
「いやぁ、俺も折角女になったんだから男でも漁ってみようかと思ったんだけどな、そのあたりの感覚は男ん時と変わらなくて、受け付けなかった」
「え?じゃあ女がいいのか?」
「それがなぁ、女になった影響か、前みたいに女をエロい目で見れなくなった」
「・・・え?性欲無くなったの?」
「いいや、前と変わらず滾ってるぜ」
「いやいやいや男駄目で女も駄目ならどうするんだよ、何を相手に滾ってるんだよ」
「ああ・・・ようやく本題に入れるな」
隆二はふふん、と笑うと腕組みをした、腕に持ち上げられてシャツに包まれた乳房がぐぐっとせり出す、智樹はやっぱり慌てて目を逸らす。
「ここに来たのはお前に頼み事があったからなんだ」
「100%碌でもない事だろ」
「何を言う、お前も得する話だぞ?むしろお前の得しかない」
「お前のそういう口車に乗せられて俺が何回大変な目に遭ったか・・・」
「話だけでも聞けって、なぁー頼むからさぁ、このとーり!」
隆二は正座になり、両手を合わせて拝む。
「絶対やだね!」
断固とした口調で言う、この男(女だけど)の頼み事ほど危険な物は無いのだ、智樹は今までの経験からそれを知っている。
「こんなに頼んでも駄目かー?」
隆二はちゃぶ台にべちゃーっと伸びる。
「ジャンピング土下座したら考えないでもない」
ちょっと可哀想になった智樹は変な条件を付ける。
それを聞いた瞬間隆二はすくっと立ち上がった。
「おお何だ、やるか?」
一応座ったままポーズだけは取る智樹だが、実際には腰が引けている。
何しろ腕っ節では絶対に敵わない相手だ、いざとなったら一目散に逃げる算段を頭の中で整えておく。
しかし隆二はその場ですうっと両手を上げ、体操選手が演技をする直前のようなポーズになる。
「?」
訝しげに見る智樹の前で隆二はとんとん、と何度かステップを踏む。
「そいや!」
気合いの声と共にその場でばっと膝抱え式の前宙返りを一回、それに留まらずに二回転目に入ろうとする直前に手を解き、一回転半した所で丁度手を前に揃えた土下座の形でしゅたっと地面に着地する、無駄にすごい。
ぽかんと見ている智樹の前でその土下座の形がずるずると崩れ、やがて畳の地面にべっちゃりとうつ伏せになる。
「土・・・下・・・寝?」
思わず呟く智樹に隆二は畳に突っ伏したままくぐもった声で言う。
「お前の童貞俺に下さい」
「ええ?ヤダよ」
水瀬智樹(みなせともき)の優雅な休日・・・もとい、大学生の暇人っぷりを余すところなく満喫する怠惰な休日を破ったのはそんなインターホンの音だった。
その音に目覚めさせられたようにパソコンの画面から目を離して時計を見上げてみると時刻は深夜2時、セールスマンが営業に精を出す時間帯ではない、そしてこんな非常識な時間に自分を訪ねる人物と言えば一人ぐらいしか思い当たらない。
その人物の事を思い浮かべ、そうでなければいいなぁと思いながらこのまま玄関に出なければそのまま立ち去ってくれるのではないかと淡い期待を抱いてパソコン画面に映し出される動画に目を戻す。
ピンポンピンポンピンポーーン
小学生みたいなインターホンの連打でもう完全にわかった、アイツで絶対間違いない、そして同時に無視を決め込む事は不可能だとも理解する、自分が出ない限りそいつは玄関前に居座って嫌がらせの如くインターホンを押し続けるだろう、しまいにはドアをピッキングか何かで破られるかもしれない、アイツならやりかねない。
智樹は深い溜息をつくとパソコンの電源を落とし、玄関に行って・・・念のためにドアの覗き穴から外を覗いてみる。
「・・・ん?」
覗き穴から目を離し、智樹はしばし思案する。が、結局ドアを解錠して開けた。
「うーっす」
「うーっすじゃねぇよ何だこんな時間に」
「ままま、いーじゃんいーじゃん」
そいつは・・・永塚隆二(ながつかりゅうじ)はへらへら笑いながら智樹の脇をすり抜けてずかずかと部屋に入り込む、あまつさえ勝手に冷蔵庫を開けて中身を物色し始めたりする。
「発泡酒かぁ・・・ビールない?ま、いいか」
「家宅侵入で通報したろか」
「かんぱーい」
「聞けよ」
渋い顔で文句を言う智樹を全く気にかけるそぶりも見せず、隆二は景気良くペシッと缶のプルタブを開けてぐいっと煽る。
「っかぁぁ〜〜〜〜やっぱ酒は日本のが一番だ」
智樹は深々と溜息をつくと諦めたように自分も冷蔵庫の前に行って発泡酒の缶を一つ取り出し、ついでに横の戸棚から焼き鳥の缶詰めと柿ピーの袋を取り出して和室に移動する。
隆二は早々に空になった手の中の缶をぐしゃっと握り潰すと、ついでのようにもう一缶冷蔵庫から取り出し、後ろ足で冷蔵庫を閉めて智樹の後ろをついていく。
二人は和室に置かれた小さなちゃぶ台の上に缶とつまみを置くと向かい合う形でどっかと座りこんだ。
「そいじゃ、俺の帰国を祝ってかんぱーい」
「さっきしたじゃねぇか、人んちので勝手に」
晴々しい笑顔で二本目を開ける隆二を睨んでぶつくさ言いながら智樹も自分の缶を開け、缶の三分の一ほどを一息に飲む、隆二は何が嬉しいのかずっとにやにやしている。
智樹が最も苦手とし、それいて腐れ縁が切れないこの永塚隆二という男は天才だった、何の、と言う訳ではない、全てにおいてだった。
天は二物を与えずという格言を全力で否定しにかかるこの男は勉学、スポーツ、芸術、容姿、とりあえず人が羨みそうなものを全てぶち込まれて生まれて来た。
しかしやはりそんな設計図には無理があったのだろう、彼には人として最も大事な物が備わっていなかった、いわゆる「モラル」という物がすっぽりと欠如しているのだ。
「今回どこ行ってたんだっけ」
「チベット」
「また妙な所に・・・」
「何を言う、あそこはいい所だぞ」
「お前に言わせたら紛争地帯でも「いい所」じゃねぇか」
彼は放浪癖がひどかった、しかも放浪の範囲が世界規模だ、そしていつも突然居なくなる、人との約束があろうと大事な予定が入っていようとお構いなしに失踪する。
それこそ「そうだ、チベットへ行こう」「そうだ、アラスカへ行こう」と京都並みの感覚でぶらっと出て行ってしまうのだ。
「面白かったのになぁ・・・お前にも見せてやりたかったよあの立派な寺院、辿り着くのに遭難しかけたけど」
「・・・逃げてよかった」
そう、一人で放浪するだけならいい、しかし彼はその放浪にやたらと智樹を巻き込みたがるのだ。
しかも智樹の意志をほぼ無視して強引に。
確かにそれで見聞は広がったし滅多にできないような経験もたくさんした、だが智樹はどちらかというと平穏を好む性格であり、エネルギッシュな隆二に振り回されてペースを乱されるのはとても疲れるのだ・・・それでも嫌いになりきれないのがこの男の最も厄介な所なのだが。
「俺の居ない間どうしてた?二ヶ月くらいだったか」
「別に・・・いつも通りだよ」
「いつも通り童貞死守してたか」
「よし、出ていけ」
「冗談冗談」
智樹にとっては笑いごとではない。
「今までチャンスなんかいくらでもあったろうになぁ、どうしてだろうな?智恵ちゃんとか美奈さんとか優ちゃんとか」
「もれなくお前に食われたからな」
「そうだっけ」
智樹の額にびきびきと青筋が浮き、手の中で缶がぺきぺきと音を立てて変形する、ちなみに智恵ちゃんは高校時代の智樹の初恋の相手で美奈さんは憧れの先輩で優ちゃんは大学でちょっといい雰囲気になった後輩だが、前述の通り隆二になびいた。
「いやあ、だって向こうから来たもんだからさ、拒む訳にはいかんだろう男として」
そう、それが一番悔しいのだ、モーションを掛けたのはあくまで三人の方からで隆二はそれを受け入れただけなのだ。
数多くのアドバンテージを持つ隆二の最も羨ましく、かつ腹が立つ才能がこの女バキュームとでも言うべきモテぶり、しかも適当に食い散らしても恨まれないそつのない立ち回りまで心得ている、無論、その三人も適当に食って適当にお別れしたそうだ、もげろ。
(・・・いや、もげろ、と言うか・・・。)
智樹は変形した缶の中に残る液体を一気に煽るとちゃぶ台にだんっと乱暴に置いた。
「なぁ、隆二」
「ん?」
「さっき男としてって言ったけど」
「うん」
「何で今は女になってんだ?」
「あーよかった突っ込んでくれた、帰るまでずっとスルーされるかと思った」
「しようかと思ったけど無理だった」
あははっ、と笑う隆二の胸元で雄大な肉の塊がゆさっと揺れる。
そう、かつて頼りがいがありそうに分厚い胸板のあった場所に今は二つの重たげな肉が我が物顔で居座っているのだ、丁度いいサイズであったであろうシャツは胸の部分がぱつぱつに張り詰め、シャツの柄が変形してしまっている。
胸だけではない、シャープな輪郭に面影を残しつつもその顔はワイルドな美貌に変化し。
邪魔にならなければいいいという刈り方をしていたツンツンの黒髪はぴんぴんと外に跳ねながら背中に届くまで伸び。
どこの少年漫画から飛び出て来たのかという痩せマッチョだった体形はどこのエロ漫画から飛び出て来たのかというムチムチボディに変貌を遂げている。
男の頃はワイルドな印象を受けた日に焼けた小麦色の肌も女になると妙に艶めかしく見えるのが不思議だ。
「いやあ、色々あってさ」
「性別変化する程の事件を色々の一言でまとめんなよ・・・」
「と言うか、お前こそよく俺ってわかったな?もっと、こう、えー!何このセクシーねーちゃん!?みたいなリアクション期待してたんだが」
「だってなんか・・・なんか女になってもお前なんだもん」
「あーいいね今の台詞、女になっても俺!」
隆二はぐっと胸を張る、とても立派だ。
「だっ・・・なん、どういう事よ?何があった?説明してくれよ」
その立派なモノから慌てて目を逸らしながら智樹は聞く。
「そもそもどこの医者にかかったんだよ、チベットにそんな腕のいい医者が居たか?」
普通、性転換手術というのは長い期間を掛けて徐々に行う物だ、隆二が日本を出ていたのは一カ月弱でそんな期間はなかったはずだ、しかし現に目の前の隆二は完璧に女になっている、元男だと説明しても誰にも信じてもらえないであろう。
「うん、まぁまず今回何故俺がチベットに行ったかなんだが・・・」
「暇だったからじゃないのか」
「それもあるけどちょっと思う所があってな」
「・・・何を?」
「俺今までかなり好き勝手に生きて来たんだけどさ」
「うん」
世界中を見回してもこの男(今は女)程好き勝手に生きて来た人間もいないだろう。
「でもよく考えると俺・・・」
「うん?」
隆二は胡坐をかき、こりこりと頬を掻いた、このあたりの仕草は男の頃と変わらない。
「人を好きになった事ないんだよね」
「・・・まぁ、な」
付き合った女の数はそれこそ両手でも足りない、相手のタイプも多種多様で日本国内に留まらない、しかし智樹から見ても彼が恋愛事で熱くなった事は一度もなかった。
相手がどんなに自分に入れ込んでも隆二の方はどこかしら冷めた部分があり、別れる時に未練を見せた事もない。
「ぶっちゃけ性欲だけなんだよね、俺の女との付き合いって」
「・・・そういうお前がモテるのが納得いかねぇ」
「相手もそうな場合もあるし、そういうのが駄目な女にはそう見せないからな」
「むかつくわー」
「で、俺はこのまま誰も好きになれないっていうか、誰にも夢中になれないのかなーってちょいと思い悩んでな」
「お前にしちゃまともな悩みだな」
「それでチベットに行く事にしたんだ」
「あー、うん、すまん、そっから話についていけない」
「何が?」
「思い悩んで何でチベット?」
「チベットは考え事をするのに一番いい場所だからな」
「・・・なるほど」
本当は納得してないし突っ込みたい気持ちで一杯だが、話が進まないので我慢する事にした。
「それで、お寺に行ってちょっと座禅的な事もしたりして色々考えた訳だ」
「うん」
「そこで気付いたんだが・・・」
隆二は一旦言葉を切ると焼き鳥を摘まんで口に放り込む、それを酒で喉に流し込み、また口を開いた。
「俺にとって特別な存在と呼べるのはお前だけらしい」
「・・・ふーん」
「感動しろよもっと」
「いや、ありがた迷惑だなぁ、と」
「はははっまぁ、そうだろうな」
隆二は胡坐を解いて足を伸ばした、ジーンズを穿いた足は男の時と変わらずモデルの如く長い。
「・・・今の一連の話ってお前が女になったのと関係あんの?」
「あるかもしれんしないかもしれん」
「何だそりゃ」
「で、考えるのも飽きたからそろそろ帰ろうと思って寺を引き払って山ん中を歩いてたらさ」
「うん」
「女神が現れたんだよ」
「・・・・・・はぁ」
「いや、女神じゃないかな、悪魔かな・・・悪魔だろうなぁあれは」
「あー、ちょっと待てまたついていけなくなった、つまり山ん中歩いてたら物凄い美人に出会ったって事でいいのか?」
「まぁ、そう言う事だ、出会ったっていうか急に目の前に現れたんだけど」
「ふんふん」
「正直今まで出会った女の中でピカイチだったな、というか比べ物にならないレベルだった」
「・・・お前がそこまで言うって相当だな」
隆二が今まで付き合ってきた女達はかなりレベルが高い、モデルやアイドルなんかをやってるのもいた、そんな女達さえ比べ物にならないとは正直智樹には想像がつかない。
「めっちゃくちゃスタイル良くてさ」
「ほう」
「真っ白な髪と真っ赤な目をしてて」
「へえ?」
アルビノというやつだろうか。
「胸元ががばーって開いたすげーエロい格好しててさ」
「・・・」
「角と羽根が生えてて」
「あー、タンマタンマ、真面目な話だよな?」
「信じれないだろうなぁ、ホントなんだよなぁこれが」
「・・・お前クスリかなんかやってなかったよな?」
「しないしない、俺ルールでクスリとレイプはアウトだから、っていうかまず短期間で俺がこんなになった時点でもうおかしい事だから」
「まぁ、な」
「で、とりあえず口説いたんだ」
「ああ、お前ならそうするだろう」
相手が人外だろうが悪魔だろうが美人なら口説く、それが隆二だ、イタリア人も真っ青である。
「でも駄目だったな」
「お前でも流石に悪魔は口説けなかったか」
「いや、その悪魔、旦那がいてな」
「えっ!?結婚してんの!?ってか悪魔って結婚すんの!?」
「するみたいよ」
「でも・・・それが理由で引き下がらないだろお前」
そう、隆二は美人なら口説く、人妻でも。
そして本当に口説き落としてしまう、お陰でショットガン持った旦那に追いかけ回される羽目になった事もある。
「いやあ、その悪魔、旦那に完っ璧にぞっこんでな、流石の俺も無理だった」
旦那さんにぞっこんな悪魔・・・智樹の中にあった悪魔のイメージがどんどん崩壊していく。
「でも俺には別の興味を持ったみたいで「あなた変わってるわね」って」
「まぁ・・・変わってるもんな」
「で、ちょいとそこで立ち話してな、流れで俺が人の事をあんまり好きになれなくて悩んでることとかも話した訳だ」
「随分話せる悪魔なんだなぁ」
「お前の話題も出たんだ、一応ちょっと特別に思ってるっぽい奴がいるって」
「なっちょっ、悪魔との会話で安易に人の名前だすなよ!?」
「で、その悪魔言ったんだよ、「もっと愛に溢れた人生にしてみない?」って」
「その結果がそれか」
「ああ、その結果がこれだ」
隆二はびしっと自分を指差す、何故か偉そうだ。
「なんかその悪魔・・・お前の言う「特別に思ってる奴」っていうのを変な風に解釈したんじゃね?」
「そんな感じだな、しかしまぁこれも面白いからいいやって思ってそのままバイバイした訳だ」
智樹は頭を抱えた、こいつはつくづく頭がおかしい。
「で、どうだ?第二の人生は」
「面白いもんだな、男共の目線が集まる集まる」
「気持ち悪ぃだろそれ」
「いやぁ、中々気分のいいもんだぞ?ちょっと狼藉を働かれそうになって何人か張り倒したけど」
「・・・女になって弱体化した訳じゃないのか」
「全然、むしろ前より身体のキレがいいくらいだ、ちょっと胸の荷物が重いけどな」
隆二は腕を寄せて胸に谷間を作って見せるとにやっと笑う、智樹は慌てて目を逸らす。
前述の通り隆二は万能の天才だ、高校時代に掛け持ちしていた運動部で格闘技もいくつかかじっている上異様に喧嘩慣れしており、下手な有段者よりも腕っ節が強い。
「しっかし・・・その・・・性的にはどうなんだよ、男とやりたいと思うようになったのか?」
「いやぁ、俺も折角女になったんだから男でも漁ってみようかと思ったんだけどな、そのあたりの感覚は男ん時と変わらなくて、受け付けなかった」
「え?じゃあ女がいいのか?」
「それがなぁ、女になった影響か、前みたいに女をエロい目で見れなくなった」
「・・・え?性欲無くなったの?」
「いいや、前と変わらず滾ってるぜ」
「いやいやいや男駄目で女も駄目ならどうするんだよ、何を相手に滾ってるんだよ」
「ああ・・・ようやく本題に入れるな」
隆二はふふん、と笑うと腕組みをした、腕に持ち上げられてシャツに包まれた乳房がぐぐっとせり出す、智樹はやっぱり慌てて目を逸らす。
「ここに来たのはお前に頼み事があったからなんだ」
「100%碌でもない事だろ」
「何を言う、お前も得する話だぞ?むしろお前の得しかない」
「お前のそういう口車に乗せられて俺が何回大変な目に遭ったか・・・」
「話だけでも聞けって、なぁー頼むからさぁ、このとーり!」
隆二は正座になり、両手を合わせて拝む。
「絶対やだね!」
断固とした口調で言う、この男(女だけど)の頼み事ほど危険な物は無いのだ、智樹は今までの経験からそれを知っている。
「こんなに頼んでも駄目かー?」
隆二はちゃぶ台にべちゃーっと伸びる。
「ジャンピング土下座したら考えないでもない」
ちょっと可哀想になった智樹は変な条件を付ける。
それを聞いた瞬間隆二はすくっと立ち上がった。
「おお何だ、やるか?」
一応座ったままポーズだけは取る智樹だが、実際には腰が引けている。
何しろ腕っ節では絶対に敵わない相手だ、いざとなったら一目散に逃げる算段を頭の中で整えておく。
しかし隆二はその場ですうっと両手を上げ、体操選手が演技をする直前のようなポーズになる。
「?」
訝しげに見る智樹の前で隆二はとんとん、と何度かステップを踏む。
「そいや!」
気合いの声と共にその場でばっと膝抱え式の前宙返りを一回、それに留まらずに二回転目に入ろうとする直前に手を解き、一回転半した所で丁度手を前に揃えた土下座の形でしゅたっと地面に着地する、無駄にすごい。
ぽかんと見ている智樹の前でその土下座の形がずるずると崩れ、やがて畳の地面にべっちゃりとうつ伏せになる。
「土・・・下・・・寝?」
思わず呟く智樹に隆二は畳に突っ伏したままくぐもった声で言う。
「お前の童貞俺に下さい」
「ええ?ヤダよ」
11/10/29 13:40更新 / 雑兵
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