福崎の怒り
結局その日も、通常通りの業務をつつがなくこなした後、与えられた住居への帰路につく。
しかしながら、成果が全くない訳ではない。
夕暮れ時、明かりの灯りだす町の中、福崎は少し遠回りして町のちょっとした公園のベンチに腰を下ろす。
滑り台と砂場があるだけのこじんまりした公園だ。
この時間帯なので子供の姿は無い。
居た。
大体、この時間にはよくここに居る。
少し離れたベンチに座る二人組の高校生くらいの年齢の若い男女。
一人は小麦色の肌をした……ちょっとギャルっぽい少女。
たれ目がちなその顔立ちは例に漏れずアイドルじみて可愛らしい。
スタイルとは言うと、胸もお尻も普通の学生としては少々過剰なほどに肉が乗っており、クラスにいたなら男子達の目に毒なのは間違いない。
最もこの町の女性達は揃って肉付きがいい傾向にあるのだが……。
そして少年の方が目的の人物、大田原輝昭に違いなかった。
写真よりもかなり痩せて見えるが、その表情は落ち着いている。
二人はぴったりと寄り添い、互いに寄りかかっている。
少女の手は少年の肩に回され、ゆっくりと首周りをマッサージしたり、時折髪を撫でたりしている。
少年はうっとりとその手に身を任せている。
少女の手の動きは性的なものというよりも労り、慈しみ、ケアをするようであった。
福崎は推測を働かせる。
おそらく、輝昭は家庭環境に相当消耗していたのだろう。
体形や顔つきにそれが表れている。
その彼に常に付き添っているのがあの少女、内海由真(うつみ ゆま)という信者だ。
聞けば彼の事を勧誘し、この町に連れてきたのも彼女だという。
言うなれば今回の件の実行犯、とも言える。
二人は見る限り常に二人一組で行動しており、住む場所も一緒だという。
明らかに、彼女は彼を自分に依存させようとしている。
弱った人間に近付き、甘い言葉をかける、それが見目麗しい女の子であれば効果覿面だろう。
常套手段だ。
しかしながら、彼女の彼に対する献身的な姿勢や、その態度を見ているとそういった下心があるようにも見えないのだが……。
とりあえず彼が精神的にも肉体的にも害されている様子は無い。
それがわかっただけでも一つ収穫だろう。
本当は彼自身からもっと詳しく情報を聞き出したかったが、それは難しそうだった。
ふと、彼の事を撫でている少女、内海と目が合った。
そのたれ目がすうっと薄まる。
警戒心と、まるで雛鳥を守ろうとする親鳥のような保護本能がその目に色濃く映る。
それも一瞬の事で、すぐににっこり笑うと軽く会釈をした。
福崎も会釈を返す。
そのまま、二人は寄り添いあいながら公園を出て行ってしまう。
いつもこうだ。
警戒心を露わにする訳ではないが、話そうとするとさり気なく割って入り、直に話をさせないようにする。
福崎に限らず、周囲からの干渉の殆どを内海がブロックしてしまう。
輝昭と接触するには、まず内海の信頼を得なければならないようだ。
福崎も公園を出ると住居に向かった。
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有難いことに与えられた住居はアパートの一室であり、とりあえずプライベートは保証されている。
福崎は帰ってパソコンで状況を整理する。
正直、進捗は著しくない。
他のケースでは有効だったハニートラップが機能しないのが痛い。
本当に、何故ここにはこうも若い女性が溢れているのか、色々疑問点はあるがその点が一番不可解だ。
頼みは複数個所に仕掛けた盗聴器だが、あまり成果は期待できない。
自分の衣服の襟にも仕掛けているが、不正に関する言質は今日も取れなかった。
やはり一番の希望は教祖である菊池愛江の訪問だろう。
彼女は新しい入信者が来た場合、必ず謁見するという。
そこで何とか言質を引き出してマイクに収めれば……。
「……はぁ」
ため息をつく。
何か……何か、体がうずうずする。
ここにきてからずっとだ、妙な感覚が付いて回る。
思えば環境のせいかもしれない。
何しろここは魅力的な女性ばかり目につく。
それに、皆やたらと無防備な恰好を晒している。
あちらを見れば豊かな尻が揺れ、こちらを見れば大きな胸の膨らみが揺れている。
いくら同性と言えど、見目麗しい女性のそんな所ばかりを見ていると変な気持ちになってしまうものかもしれない。
もし自分が男だったらとても正気を保っていられないだろう。
福崎は机から立ち上がると洗面所に向かう。
蛇口を捻り、水を頭から被る。
冷たい。
「悔い改めるのよ!」
「生まれ変わるのよ!」
母の、言葉を思い出す。
後頭部の髪の毛を掴まれ、洗面器に溜めた水に顔を突っ込まれながら聞いた、母の叫び。
父と離婚してから母はとある新興宗教に熱心に入れ込むようになった。
少ない蓄えを注ぎ込み、熱心に集会に通い詰める母を尻目に孤独な学生時代を送った。
母が崇める「教祖様」というのは自分から見ればただの太った中年男性だった。
その教祖と謁見した時の絡み付くような視線は、発育の良かった自分が学校で浴びる男子からの下卑た視線と何ら変わりないものだった。
しかしそんな事を言えば殴られるだけだったので、黙っていた。
高校一年生になった頃だった。
「教祖様から特別な「施し」をいただけるのよ」
母がにこにこしながらそう言った。
その「施し」が何を意味するのかを知っていたので、必死に抵抗した。
母は激昂し、洗面器に溜めた水で溺死寸前まで娘を折檻した。
それで、自分は従順になった。
布団の敷いてある部屋に通されると、教祖が穏やかに微笑んでいた。
そんな笑顔から零れる、隠しきれていないギトついた視線。
クラスでも一番豊満になってしまった自分の体に絡み付く視線。
「服を脱ぎなさい」
そう命じられ、自分は。
力一杯、教祖の股間を蹴り上げた。
完全に油断していたのだろう、教祖はくぐもった呻き声を上げてうずくまった。
その頭に唾を吐きかけた後、悶絶する教祖を置いて戸惑ったような顔を装い、部屋を出た。
教祖様の急用によって施しが中止になった、と周囲に嘯き、部屋の中の異常が発覚する前に事前に準備しておいた自転車に跨った。
泣きながら漕いだ。
馬鹿野郎、とかくそったれ、とか叫んでいた気もする。
周囲から見たら気が触れているように見えただろう。
そのまま児童相談所に駆け込み、全身全霊で泣きながら訴えた。
もし、蹴りが防がれていたなら終わっていただろう。
直ぐに異常が発覚して、信者に取り押さえられていたら終わっていただろう。
車で追いかけられて捕まっていたら終わっていただろう。
児童相談所の職員が、追ってきた信者の言葉を信じていたら終わっていただろう。
あらゆる幸運に恵まれて自分は魔の手を逃れた。
それからはとにかく生活するので精一杯だった。
しかし仕事の転機を迎えたあの時、自分のトラウマと向き合い、一つの夢を抱いた。
この世で自分のような思いをする人間を一人でも減らしたい。
だから、探偵事務所を立ち上げた。
「……ふう」
頭は冷えていた。
身体の奇妙な疼きも消えていた。
宗教団体に潜入する際、当然周囲の環境に影響を受ける時もある。
空気に流されて、自分を見失いそうになる時もある。
そんな時、こうして頭に冷水をかぶるのだ。
あの時、母から受けた折檻を思い出すのだ。
教祖の視線を思い出すのだ。
その時の許せない、という気持ちを思い出すのだ。
そうすれば高揚は消え去り、体の芯から冷たく、冷たく、乾いていく。
(……真川くんどうしてるかな、会いたいな)
ぽかん、と真川の心配そうな顔が浮かぶ。
福崎は苦笑を浮かべて頭を振った。
26/01/28 21:00更新 / 雑兵
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