武運長久
体と体が触れあう時。
それは常に危険な時だった。
剣の間合いの内側でのやり取りは、最も命がひりついている瞬間だった。
そう。
戦い以外で他人と触れ合う機会などなかった。
全てを委ねていい相手と、身体の温度を伝え合う。
それを想像した事が無いかと言えば嘘だ。
それはきっと幸せで、満たされていて、安らかで……。
そして今、実際にそれを経験して想像との違いを実感した。
それは死に抗う高揚と似て非なる……いや、真逆の高揚。
命の高揚。
生き物の根幹に根付く、死を回避する本能と比肩する程に強い種を残そうとする本能。
しどけなく自分の下になっているディムを見ると、その本能が強烈に脳を焼く。
はあ、はあ、と息が乱れる。
何百何千と剣を振ろうと息一つ乱さない自分がだ。
見ると、薄い衣を纏った彼女の胸元も大きく上下している。
彼女も同じようだった。
生半可な運動ではびくともしない心肺機能を備えている彼女が、息を弾ませている。
その目は大きく見開かれ、自分の顔を脳に焼き付けようとするかのように輝いている。
美しい。
やっぱりディムは美しい。
あの決闘の時に見たディムは死の美しさだった。
自分が死ぬ運命も、自分が死をもたらす運命も等しく受け入れた。
女神のような美しさ。
対して、今は生の美しさだ。
命の希望と喜びに全身が満ちて、きらきらと輝いている。
ただただ、幸福を享受しようとしている。
こんなにも、こんなにも愛しい人を相手にして、こんなにも幸福な瞬間を迎えて。
俺は。
俺は。
ど、どうすればいい……?
トエントは固まった。
情熱的なキスの後、勢いに任せてベッドに押し倒したはいいが、そこから動けない。
何しろ初めてだ。
加えて、ディムに対する愛しさが溢れるあまり、逆に怖くなった。
下手な真似をして嫌われないだろうか、呆れられないだろうか……。
ああ、そうこうしているうちに何せずに固まっている自分に変な目を……。
「緊張、してます、ね」
ディムは呆れてはいなかった、怪訝そうにもしなかった。
ただはにかんだ。
「私も、緊張、します……それ以上に……興奮、します……」
下から手を伸ばすと、トエントの髪と頬に触れる。
「何も遠慮はいりません、思うまま、欲のままにして下さい」
「そうでなければ……」
にぃ、とディムの口角が上がった。
「私に襲われてしまいますよ」
優しく頬に触れていた手ががしりと肩を掴み、くるん、と体勢をひっくり返される。
細くも、鍛えらえれた指がトエントの身体の輪郭を確かめるようになぞる。
「ああ……こんなに、練り上げられて……私のために、こんなに……」
恍惚とした表情で呟きながら、トエントの隆起した筋肉にうっとりと触れる。
そう、この一年間、死に物狂いで鍛えたのはあの戦いのため。
つまりこの身体はディムの為に作られたと言って過言でない。
そして、それはディムもそうなのだろう。
改めて自分の上に跨るディムの姿を見る。
一年前よりも明らかに引き締まり、絞られた身体。
それは戦士の身体でありながら、それでも女の身体だった。
そしてその髪。
以前は腰まであって、今は肩までになっている髪。
どんな思いで切ったのかはわからない。
ただ、そこには今から死地に向かう覚悟が絡んでいたのは間違いない。
女の命である髪を落とし、自分と共に命懸けで踊るために作られた身体。トエントの為だけの身体。
そう思うと、細かい考えは脳内から消し飛んだ。
がしっ
「ひぁっ」
どうすればいいかわからず彷徨っていた両手が、ディムの臀部を鷲掴みにした。
柔軟な筋肉が、柔らかくその手を受け入れる。
その弾力をひと揉みふた揉み味わうと、右手が上半身に登って来る。
するりと薄衣の下に入り込み、左の乳房をぎゅう、と揉みつぶす。
「は、ぁっ」
一転して乱暴とも言える動きに、しかしディムは明らかに甘い声を漏らす。
「優しくなんかできんぞ」
その奥に抑えきれない獣性を潜ませた低い囁きが、ディムの鼓膜と子宮を揺らす。
トエントは笑っていた。
しなやかな捕食者の浮かべる狂暴な笑みだった。
金色の髪の下で、爛々と碧い目が輝いている。
ディムはその表情を見た瞬間、ぐじゅりと下半身が溶けるような感覚を味わう。
その一瞬で再び体勢をひっくり返され、組み敷かれていた。
トエントが乱暴に衣を脱ぎ捨てると、神話に出て来るような肉体が露わになる。
それに見惚れる暇もなく、素早くディムの衣も剥ぎ取られる。
鍛え抜かれた雄と雌の二匹がそこにいた。
「ぅ、わぁ……」
ディムが思わず声を漏らす。
トエントの猛々しいとしか言いようのないそこを目にしたからだ。
大きい。
長い。
太い。
あんな、あんなものが……。
ぐい、とトエントがディムの腰を抱き寄せてそれを腹に密着させる。
熱した鉄のような熱さが下腹部に触れる。
ここだ。
ここまで届くぞ。
怖気づいてももう遅い、絶対に逃がさない。
トエントの狂暴な美貌が、そう宣言している。
ディムは両手を広げ、足を広げ、態度で表した。
どうぞ。
どこにも逃げません、いくらでも、好きなだけ。
どうぞ。
知らずに、ディムも微笑む。
無垢な少女のように、妖艶な娼婦のように。
トエントは最後の理性を振り切った。
桃色の入口に狙いを定めて、腰を進める。
何十年に渡って守られてきた二人の貞操が、奇跡のように結ばれる。
みちみちみち、と肉に分け入る感触。
「ぐぅ、ぅぅっ」
トエントの喉から呻きが漏れる。
なんだこれは。
こんな事があるのか。
まるでこれは、ずっと別れていたものに出会ったような。
そう。
剣が鞘に収まるように。
ぴったりと……。
ディムはトエントの背中に腕を回し、腰に足を回して全力でしがみついていた。
涙が溢れ出て止まらない。
心配されてしまうから止めたかったが、止まらない。
今までの辛かった事、苦しかった事、悲しかった事がまるで、全て報われたような。
多幸感で脳が溺れてしまう。
「駄目、だ」
こんなに早く、情けない。
そういう感情を含んだトエントの掠れた声が聞こえて、ディムは足での拘束をより強固にした。
腕の拘束を解いて、トエントの顔を見る。
ぎりぎりと歯を食いしばりながら、少年のような眼差しで自分を見ている。
ディムは涙を流しながら、キスをした。
どぐんっ
腹の奥で爆発が起こった。
熱い熱い爆発が。
快感、という言葉では足りない、生まれて生きる悦びそのものが脳を駆け巡る。
我を失いそうになりながら、それでもキスをやめなかった。
腹に力強く精を吐き出し続ける脈動を感じながら、ディムは至福の頂点を極めた。
・
・
・
夜道を歩く紅い人影があった。
髪も、瞳も、唇も、鮮やかな深紅、体の一部を覆う鱗、背後に揺れる炎もが深紅。
蛍光色の看板が多い宿の並ぶ通りだ。
今夜をどこで楽しもうかと散策するカップルや、単純にねぐらを探す流れ者が行き来している。
その周囲の視線を集めながら、紅い女は宿の一つに入る。
「いらっしゃ……あ、イオさん」
受付をしていたサキュバスがイオの姿を認めて頭を下げる。
「やぁ」
軽く手を上げて応えたイオは、懐から革袋を取り出すとカウンターに置いた。
じゃらりと音がする所を見ると、貨幣が大量に入っているらしい。
「これは、その……」
「一週間分さぁ、どうせそのくらいは長引くだろうしぃ」
「そ、そのよう、ですね……ありがとうございます」
ちらりと二階に続く階段に目をやってから店主は礼を言った。
「部屋を占拠しちゃってごめんねぇ」
「いえいえ!その分支払ってもらっていますし……その、防音の強化までしていただいて……」
「スゴかったからねえ」
イオも、二階への階段に目を向けてにやにやしている。
二人が部屋に放り込まれて、今日で丸二日。
まだ、部屋から出てこない。
一日目はマシだったが、二日目は中からの艶声が激しすぎて防音魔法を重ね掛けする羽目になった。
イオはそうなると予測はしていたが、想定よりも長引きそうだ。
方や何十年男日照りに耐え続けた魔物娘。
方や人生の大半を性と無縁に生きた成り立てのインキュバス。
そんな二人の初夜だ。
おまけに二人共が体力お化けときている。
生半可な交わりで済まないのは当然だろう。
「あの、これ、サービスで……」
カウンターの上に紅い液体の満ちたグラスが置かれる。
「おぉ、いいのかぃ?」
「はい、店主がお得意さんだからたまにはご馳走して差し上げろ、と」
「では遠慮なくぅ」
イオはグラスを取ると、ゆらゆらと液体を揺らし、くい、と少量を口に含む。
「タダ酒ほどうまいものはないねぇ」
受付のサキュバスはちびりちびりとグラスを傾けるイオを見る。
宿のお得意様とは言うが、実はイオ自身が利用した事はない。
いや、宿泊に利用はするが、宿の「本来の用途」として相手を連れて来た事はない。
近寄りがたい雰囲気を纏っているとはいえ、同族から見ても抜きん出て美しい容姿をしているのだが……。
「イオさんはその……ここをご利用になる事って、無いんですか?」
「んん……?」
言った後で失礼だったか、と思ったが、イオは頬杖を付いて相変わらず三日月のような笑みを浮かべている。
その紅い視線が一瞬、逡巡するように巡らされ、くくく、と喉の奥で笑い声を立てた。
「そのうちねぇ」
適当にはぐらかしただけなのか、本当に目当ての人が居るのか。
その様子からはまるで読めないのだった。
・
・
・
大きな木の麓に座り、トエントは風を受けながら街を見下ろしている。
ディムと果たし合った丘の上だ。
あの日とは違って、空は青く晴れ渡っており、風は夏の匂いが濃い。
トエントは軽装ながら装備を整えており、傍らには長大な剣が立てかけられている。
編み込まれた金の髪が風にたなびく様はすっかり若返ったその美貌もあいまって、今はいない男のエルフを思わせた。
じっと目を細めて街の景観を見つめていたトエントは、ふと丘の麓に視線を移す。
一人の人影が坂を上ってこちらに歩いて来る。
それを見たトエントはゆっくりと腰を上げ、立てかけてあった剣を手に取る。
さく、さく、と足音が近づき、その人影はトエントの前に姿を現した。
若い、まだ少年の域を出ない年頃に見える。
剣を腰に差してはいるが、動きやすさを重視した軽装に擦り切れたマント。
戦士というよりは旅人という出で立ちをしている。
まだあどけなさの残るその顔でトエントの事を見ている。
「不躾な頼みをしてすまない」
「修行中の身です」
見た目に相応しい幼さの残る声で、少年が応える。
「音に聞こえた貴殿と手合わせが出来るというのなら、応えない選択肢はありません、むしろ謝意を述べたい」
少年は頭を下げる。
下げる時も視線は外さない。
足を止めた位置も絶妙だ。
声は届くが、不意を打つには遠すぎる間合い。
その立ち居振る舞いだけで相当の腕だと伺えるが……。
「……失礼ながら、意外だ」
「はい?」
「「路地裏の勇者」なんて名を聞いたものだから、もっと粗野なイメージがあった」
ふ、と少年は笑みをこぼす、笑うとより幼さが際立つ。
その熟練した振る舞いとは不釣り合いな程だ。
「まだ、勇者ではありません、勇者になろうと足掻いている未熟者です」
少年らしい爽やかな笑みを湛えたまま、すっ、と剣を抜く。
ひやり、と冷気を感じた。
日差しのように温かな笑みと裏腹に、剣を抜いただけで周囲の空気がぱきぱきと凍り付いていくようだ。
「路地裏の勇者」ミヴァン。
音に聞こえたその実力は本物のようだった。
トエントのエルフを思わせる美貌が、鮮烈な笑みを浮かべる。
放たれる冷気を押し返すように、トエントの身体の奥から炎が吹きこぼれる。
ぞろり、と巨大な剣を抜き放つ。
もう、言葉は必要なかった。
互いに剣は魔界銀であり、命のやり取りではない。
あくまで手合わせ、力試しに過ぎない。
それでもトエントの心は浮き立つ。
世の中には、こんな奴がごろごろしている。
きっと、自分の知らない強いヤツが山ほどいる。
なんという幸福。
「いくぜ」
トエントは踏み込んだ。
・
・
・
「本当に申し訳ない……」
街の練兵所近くのバーのカウンターに、二人の女が座っている。
カウンター上に置かれているのは酒ではなく、コーヒーだ。
一人はディム。
髪は再び腰に届くまでになっている。
「気にする事はありません」
その隣に座るのは灰色の長い髪をした女。
氷を思わせるアイスブルーの瞳をしている。
出で立ちは旅人のものだが、内から溢れ出る冷たい高貴なオーラは覆い隠せていない。
「路地裏の勇者」ミヴァンを導いたヴァルキリーであり、その伴侶でもあるウルスイだ。
そのウルスイにディムが謝っているのは、夫であるトエントが原因だ。
旅の中でこの都市に立ち寄った二人の噂を聞きつけ、是非一度ミヴァンと手合わせをしたい、とトエントが頼み込んだのだ。
不躾な願いだとディムは止めたが、二人はあっさりと了承した。
今、二人はあの丘の上で技を競っている最中のはずだ。
「強者との経験は上達への近道です、増してその相手があのトエント候であるならば願ってもいない僥倖です」
声質までも冷たく感じるヴァルキリーである。
しかしミヴァンの様子を見るに相当に情が深いらしい。
それに加えて、手合わせの後始末もある。
二人は魔界銀の剣で技を競っている、互いに無傷で済むはずはない。
魔界銀による負傷、というのは強烈な発情作用を伴う。
その夫の昂ぶりを鎮めるのはやはり、妻の役目であろう。
一見してそんな行為とはまるで無縁のように見えるこのヴァルキリーも当然……。
世の中には本当に色んな人がいるものだとディムは思うのだった。
「しかしあの御仁……」
ことりとコーヒーカップを置くと、ウルスイは思慮深い視線をディムに送った。
「ここに腰を落ち着けていられる方には見えない」
鋭いなあ、とディムは思う。
実際にはトエントはそんな事をディムに対して相談したりはしていない。
結婚をして間もない、気を遣っているのだろう。
だが、ディムにはわかる。
新たに生気を取り戻したトエントは、本来一か所にじっとしているような人物ではない。
世界を見たくてわくわくしている。
何かに挑みたくてうずうずしている。
「魔剣士」トエントとして歩み出した彼は、やっぱり平穏の中に身を置く事はできないのだろう。
「あなた方も、旅に?」
ウルスイが訪ねる。
ディムは微笑む。
そう、やがては街から旅立つ事になるだろう。
目的は何でもいい、動機もなんでもいい。
じっとしていられない人だというのは知っている。
自分はただ、彼の傍に離れずに居る。
「また、まみえん事を」
ディムの意思を汲んだウルスイがカップを掲げる。
旅をする者同士、いつかまた生きて会える事を願う。
ディムもカップを掲げて……。
「隊長!」
「たいちょー!」
どやどやとバーに人が駆け込む。
見ると、自分の配下だった兵士の魔物娘だ。
「けっ……けけけ、結婚したって本当ですか!」
「ディム隊長!」
ディムは苦笑する。
魔王軍所属の彼女は部下からの信用も厚く、人望がある。
噂を聞いてわざわざ祝辞を伝えに来る人々も結構いる。
「ああ、本当だ」
「ほえー!」
「おめでとうございます!」
「ありがとう」
ディムは少しセンチメンタルな気分になる。
旅立つということはつまり、軍からの退役を意味する。
まあ、イオへの借金を返してからだが……。
それでも遠くないうちに離れると言う事だ。
部下達の顔もやがて見れなくなる。
「ね!本当だったでしょ!」
「うんうん!びっくり!」
盛り上がっている彼女達を温かな目で見る。
「隊長だって結婚できたんだから、フィリーだって結婚できるよ!だってあの隊長が結婚できたんだよ!」
「そだね!たいちょーにできるならわたしだって……!」
ちょっと待てコラ。
「コルト、フィリー、折角だから久々に稽古をつけてあげようか」
にこにこしながら言うディムに、二人ははっと口元を押さえる。
「いいいいいいえいえ、いいです!大丈夫です!間に合ってます」
「まにあってますぅー!?」
「いいからいいから、遠慮するな、ウルスイ殿、少し失礼します」
「ごゆっくり」
救いを求めるような二人の視線に氷の眼差しでウルスイは応える。
ぴゃああ〜と鳴き声を上げながら練兵所に引きずられて行く二人を見送ると、ウルスイは冷めたコーヒーを啜った。
「武運長久を」
色々な意味を込めて、そう呟いた。
それは常に危険な時だった。
剣の間合いの内側でのやり取りは、最も命がひりついている瞬間だった。
そう。
戦い以外で他人と触れ合う機会などなかった。
全てを委ねていい相手と、身体の温度を伝え合う。
それを想像した事が無いかと言えば嘘だ。
それはきっと幸せで、満たされていて、安らかで……。
そして今、実際にそれを経験して想像との違いを実感した。
それは死に抗う高揚と似て非なる……いや、真逆の高揚。
命の高揚。
生き物の根幹に根付く、死を回避する本能と比肩する程に強い種を残そうとする本能。
しどけなく自分の下になっているディムを見ると、その本能が強烈に脳を焼く。
はあ、はあ、と息が乱れる。
何百何千と剣を振ろうと息一つ乱さない自分がだ。
見ると、薄い衣を纏った彼女の胸元も大きく上下している。
彼女も同じようだった。
生半可な運動ではびくともしない心肺機能を備えている彼女が、息を弾ませている。
その目は大きく見開かれ、自分の顔を脳に焼き付けようとするかのように輝いている。
美しい。
やっぱりディムは美しい。
あの決闘の時に見たディムは死の美しさだった。
自分が死ぬ運命も、自分が死をもたらす運命も等しく受け入れた。
女神のような美しさ。
対して、今は生の美しさだ。
命の希望と喜びに全身が満ちて、きらきらと輝いている。
ただただ、幸福を享受しようとしている。
こんなにも、こんなにも愛しい人を相手にして、こんなにも幸福な瞬間を迎えて。
俺は。
俺は。
ど、どうすればいい……?
トエントは固まった。
情熱的なキスの後、勢いに任せてベッドに押し倒したはいいが、そこから動けない。
何しろ初めてだ。
加えて、ディムに対する愛しさが溢れるあまり、逆に怖くなった。
下手な真似をして嫌われないだろうか、呆れられないだろうか……。
ああ、そうこうしているうちに何せずに固まっている自分に変な目を……。
「緊張、してます、ね」
ディムは呆れてはいなかった、怪訝そうにもしなかった。
ただはにかんだ。
「私も、緊張、します……それ以上に……興奮、します……」
下から手を伸ばすと、トエントの髪と頬に触れる。
「何も遠慮はいりません、思うまま、欲のままにして下さい」
「そうでなければ……」
にぃ、とディムの口角が上がった。
「私に襲われてしまいますよ」
優しく頬に触れていた手ががしりと肩を掴み、くるん、と体勢をひっくり返される。
細くも、鍛えらえれた指がトエントの身体の輪郭を確かめるようになぞる。
「ああ……こんなに、練り上げられて……私のために、こんなに……」
恍惚とした表情で呟きながら、トエントの隆起した筋肉にうっとりと触れる。
そう、この一年間、死に物狂いで鍛えたのはあの戦いのため。
つまりこの身体はディムの為に作られたと言って過言でない。
そして、それはディムもそうなのだろう。
改めて自分の上に跨るディムの姿を見る。
一年前よりも明らかに引き締まり、絞られた身体。
それは戦士の身体でありながら、それでも女の身体だった。
そしてその髪。
以前は腰まであって、今は肩までになっている髪。
どんな思いで切ったのかはわからない。
ただ、そこには今から死地に向かう覚悟が絡んでいたのは間違いない。
女の命である髪を落とし、自分と共に命懸けで踊るために作られた身体。トエントの為だけの身体。
そう思うと、細かい考えは脳内から消し飛んだ。
がしっ
「ひぁっ」
どうすればいいかわからず彷徨っていた両手が、ディムの臀部を鷲掴みにした。
柔軟な筋肉が、柔らかくその手を受け入れる。
その弾力をひと揉みふた揉み味わうと、右手が上半身に登って来る。
するりと薄衣の下に入り込み、左の乳房をぎゅう、と揉みつぶす。
「は、ぁっ」
一転して乱暴とも言える動きに、しかしディムは明らかに甘い声を漏らす。
「優しくなんかできんぞ」
その奥に抑えきれない獣性を潜ませた低い囁きが、ディムの鼓膜と子宮を揺らす。
トエントは笑っていた。
しなやかな捕食者の浮かべる狂暴な笑みだった。
金色の髪の下で、爛々と碧い目が輝いている。
ディムはその表情を見た瞬間、ぐじゅりと下半身が溶けるような感覚を味わう。
その一瞬で再び体勢をひっくり返され、組み敷かれていた。
トエントが乱暴に衣を脱ぎ捨てると、神話に出て来るような肉体が露わになる。
それに見惚れる暇もなく、素早くディムの衣も剥ぎ取られる。
鍛え抜かれた雄と雌の二匹がそこにいた。
「ぅ、わぁ……」
ディムが思わず声を漏らす。
トエントの猛々しいとしか言いようのないそこを目にしたからだ。
大きい。
長い。
太い。
あんな、あんなものが……。
ぐい、とトエントがディムの腰を抱き寄せてそれを腹に密着させる。
熱した鉄のような熱さが下腹部に触れる。
ここだ。
ここまで届くぞ。
怖気づいてももう遅い、絶対に逃がさない。
トエントの狂暴な美貌が、そう宣言している。
ディムは両手を広げ、足を広げ、態度で表した。
どうぞ。
どこにも逃げません、いくらでも、好きなだけ。
どうぞ。
知らずに、ディムも微笑む。
無垢な少女のように、妖艶な娼婦のように。
トエントは最後の理性を振り切った。
桃色の入口に狙いを定めて、腰を進める。
何十年に渡って守られてきた二人の貞操が、奇跡のように結ばれる。
みちみちみち、と肉に分け入る感触。
「ぐぅ、ぅぅっ」
トエントの喉から呻きが漏れる。
なんだこれは。
こんな事があるのか。
まるでこれは、ずっと別れていたものに出会ったような。
そう。
剣が鞘に収まるように。
ぴったりと……。
ディムはトエントの背中に腕を回し、腰に足を回して全力でしがみついていた。
涙が溢れ出て止まらない。
心配されてしまうから止めたかったが、止まらない。
今までの辛かった事、苦しかった事、悲しかった事がまるで、全て報われたような。
多幸感で脳が溺れてしまう。
「駄目、だ」
こんなに早く、情けない。
そういう感情を含んだトエントの掠れた声が聞こえて、ディムは足での拘束をより強固にした。
腕の拘束を解いて、トエントの顔を見る。
ぎりぎりと歯を食いしばりながら、少年のような眼差しで自分を見ている。
ディムは涙を流しながら、キスをした。
どぐんっ
腹の奥で爆発が起こった。
熱い熱い爆発が。
快感、という言葉では足りない、生まれて生きる悦びそのものが脳を駆け巡る。
我を失いそうになりながら、それでもキスをやめなかった。
腹に力強く精を吐き出し続ける脈動を感じながら、ディムは至福の頂点を極めた。
・
・
・
夜道を歩く紅い人影があった。
髪も、瞳も、唇も、鮮やかな深紅、体の一部を覆う鱗、背後に揺れる炎もが深紅。
蛍光色の看板が多い宿の並ぶ通りだ。
今夜をどこで楽しもうかと散策するカップルや、単純にねぐらを探す流れ者が行き来している。
その周囲の視線を集めながら、紅い女は宿の一つに入る。
「いらっしゃ……あ、イオさん」
受付をしていたサキュバスがイオの姿を認めて頭を下げる。
「やぁ」
軽く手を上げて応えたイオは、懐から革袋を取り出すとカウンターに置いた。
じゃらりと音がする所を見ると、貨幣が大量に入っているらしい。
「これは、その……」
「一週間分さぁ、どうせそのくらいは長引くだろうしぃ」
「そ、そのよう、ですね……ありがとうございます」
ちらりと二階に続く階段に目をやってから店主は礼を言った。
「部屋を占拠しちゃってごめんねぇ」
「いえいえ!その分支払ってもらっていますし……その、防音の強化までしていただいて……」
「スゴかったからねえ」
イオも、二階への階段に目を向けてにやにやしている。
二人が部屋に放り込まれて、今日で丸二日。
まだ、部屋から出てこない。
一日目はマシだったが、二日目は中からの艶声が激しすぎて防音魔法を重ね掛けする羽目になった。
イオはそうなると予測はしていたが、想定よりも長引きそうだ。
方や何十年男日照りに耐え続けた魔物娘。
方や人生の大半を性と無縁に生きた成り立てのインキュバス。
そんな二人の初夜だ。
おまけに二人共が体力お化けときている。
生半可な交わりで済まないのは当然だろう。
「あの、これ、サービスで……」
カウンターの上に紅い液体の満ちたグラスが置かれる。
「おぉ、いいのかぃ?」
「はい、店主がお得意さんだからたまにはご馳走して差し上げろ、と」
「では遠慮なくぅ」
イオはグラスを取ると、ゆらゆらと液体を揺らし、くい、と少量を口に含む。
「タダ酒ほどうまいものはないねぇ」
受付のサキュバスはちびりちびりとグラスを傾けるイオを見る。
宿のお得意様とは言うが、実はイオ自身が利用した事はない。
いや、宿泊に利用はするが、宿の「本来の用途」として相手を連れて来た事はない。
近寄りがたい雰囲気を纏っているとはいえ、同族から見ても抜きん出て美しい容姿をしているのだが……。
「イオさんはその……ここをご利用になる事って、無いんですか?」
「んん……?」
言った後で失礼だったか、と思ったが、イオは頬杖を付いて相変わらず三日月のような笑みを浮かべている。
その紅い視線が一瞬、逡巡するように巡らされ、くくく、と喉の奥で笑い声を立てた。
「そのうちねぇ」
適当にはぐらかしただけなのか、本当に目当ての人が居るのか。
その様子からはまるで読めないのだった。
・
・
・
大きな木の麓に座り、トエントは風を受けながら街を見下ろしている。
ディムと果たし合った丘の上だ。
あの日とは違って、空は青く晴れ渡っており、風は夏の匂いが濃い。
トエントは軽装ながら装備を整えており、傍らには長大な剣が立てかけられている。
編み込まれた金の髪が風にたなびく様はすっかり若返ったその美貌もあいまって、今はいない男のエルフを思わせた。
じっと目を細めて街の景観を見つめていたトエントは、ふと丘の麓に視線を移す。
一人の人影が坂を上ってこちらに歩いて来る。
それを見たトエントはゆっくりと腰を上げ、立てかけてあった剣を手に取る。
さく、さく、と足音が近づき、その人影はトエントの前に姿を現した。
若い、まだ少年の域を出ない年頃に見える。
剣を腰に差してはいるが、動きやすさを重視した軽装に擦り切れたマント。
戦士というよりは旅人という出で立ちをしている。
まだあどけなさの残るその顔でトエントの事を見ている。
「不躾な頼みをしてすまない」
「修行中の身です」
見た目に相応しい幼さの残る声で、少年が応える。
「音に聞こえた貴殿と手合わせが出来るというのなら、応えない選択肢はありません、むしろ謝意を述べたい」
少年は頭を下げる。
下げる時も視線は外さない。
足を止めた位置も絶妙だ。
声は届くが、不意を打つには遠すぎる間合い。
その立ち居振る舞いだけで相当の腕だと伺えるが……。
「……失礼ながら、意外だ」
「はい?」
「「路地裏の勇者」なんて名を聞いたものだから、もっと粗野なイメージがあった」
ふ、と少年は笑みをこぼす、笑うとより幼さが際立つ。
その熟練した振る舞いとは不釣り合いな程だ。
「まだ、勇者ではありません、勇者になろうと足掻いている未熟者です」
少年らしい爽やかな笑みを湛えたまま、すっ、と剣を抜く。
ひやり、と冷気を感じた。
日差しのように温かな笑みと裏腹に、剣を抜いただけで周囲の空気がぱきぱきと凍り付いていくようだ。
「路地裏の勇者」ミヴァン。
音に聞こえたその実力は本物のようだった。
トエントのエルフを思わせる美貌が、鮮烈な笑みを浮かべる。
放たれる冷気を押し返すように、トエントの身体の奥から炎が吹きこぼれる。
ぞろり、と巨大な剣を抜き放つ。
もう、言葉は必要なかった。
互いに剣は魔界銀であり、命のやり取りではない。
あくまで手合わせ、力試しに過ぎない。
それでもトエントの心は浮き立つ。
世の中には、こんな奴がごろごろしている。
きっと、自分の知らない強いヤツが山ほどいる。
なんという幸福。
「いくぜ」
トエントは踏み込んだ。
・
・
・
「本当に申し訳ない……」
街の練兵所近くのバーのカウンターに、二人の女が座っている。
カウンター上に置かれているのは酒ではなく、コーヒーだ。
一人はディム。
髪は再び腰に届くまでになっている。
「気にする事はありません」
その隣に座るのは灰色の長い髪をした女。
氷を思わせるアイスブルーの瞳をしている。
出で立ちは旅人のものだが、内から溢れ出る冷たい高貴なオーラは覆い隠せていない。
「路地裏の勇者」ミヴァンを導いたヴァルキリーであり、その伴侶でもあるウルスイだ。
そのウルスイにディムが謝っているのは、夫であるトエントが原因だ。
旅の中でこの都市に立ち寄った二人の噂を聞きつけ、是非一度ミヴァンと手合わせをしたい、とトエントが頼み込んだのだ。
不躾な願いだとディムは止めたが、二人はあっさりと了承した。
今、二人はあの丘の上で技を競っている最中のはずだ。
「強者との経験は上達への近道です、増してその相手があのトエント候であるならば願ってもいない僥倖です」
声質までも冷たく感じるヴァルキリーである。
しかしミヴァンの様子を見るに相当に情が深いらしい。
それに加えて、手合わせの後始末もある。
二人は魔界銀の剣で技を競っている、互いに無傷で済むはずはない。
魔界銀による負傷、というのは強烈な発情作用を伴う。
その夫の昂ぶりを鎮めるのはやはり、妻の役目であろう。
一見してそんな行為とはまるで無縁のように見えるこのヴァルキリーも当然……。
世の中には本当に色んな人がいるものだとディムは思うのだった。
「しかしあの御仁……」
ことりとコーヒーカップを置くと、ウルスイは思慮深い視線をディムに送った。
「ここに腰を落ち着けていられる方には見えない」
鋭いなあ、とディムは思う。
実際にはトエントはそんな事をディムに対して相談したりはしていない。
結婚をして間もない、気を遣っているのだろう。
だが、ディムにはわかる。
新たに生気を取り戻したトエントは、本来一か所にじっとしているような人物ではない。
世界を見たくてわくわくしている。
何かに挑みたくてうずうずしている。
「魔剣士」トエントとして歩み出した彼は、やっぱり平穏の中に身を置く事はできないのだろう。
「あなた方も、旅に?」
ウルスイが訪ねる。
ディムは微笑む。
そう、やがては街から旅立つ事になるだろう。
目的は何でもいい、動機もなんでもいい。
じっとしていられない人だというのは知っている。
自分はただ、彼の傍に離れずに居る。
「また、まみえん事を」
ディムの意思を汲んだウルスイがカップを掲げる。
旅をする者同士、いつかまた生きて会える事を願う。
ディムもカップを掲げて……。
「隊長!」
「たいちょー!」
どやどやとバーに人が駆け込む。
見ると、自分の配下だった兵士の魔物娘だ。
「けっ……けけけ、結婚したって本当ですか!」
「ディム隊長!」
ディムは苦笑する。
魔王軍所属の彼女は部下からの信用も厚く、人望がある。
噂を聞いてわざわざ祝辞を伝えに来る人々も結構いる。
「ああ、本当だ」
「ほえー!」
「おめでとうございます!」
「ありがとう」
ディムは少しセンチメンタルな気分になる。
旅立つということはつまり、軍からの退役を意味する。
まあ、イオへの借金を返してからだが……。
それでも遠くないうちに離れると言う事だ。
部下達の顔もやがて見れなくなる。
「ね!本当だったでしょ!」
「うんうん!びっくり!」
盛り上がっている彼女達を温かな目で見る。
「隊長だって結婚できたんだから、フィリーだって結婚できるよ!だってあの隊長が結婚できたんだよ!」
「そだね!たいちょーにできるならわたしだって……!」
ちょっと待てコラ。
「コルト、フィリー、折角だから久々に稽古をつけてあげようか」
にこにこしながら言うディムに、二人ははっと口元を押さえる。
「いいいいいいえいえ、いいです!大丈夫です!間に合ってます」
「まにあってますぅー!?」
「いいからいいから、遠慮するな、ウルスイ殿、少し失礼します」
「ごゆっくり」
救いを求めるような二人の視線に氷の眼差しでウルスイは応える。
ぴゃああ〜と鳴き声を上げながら練兵所に引きずられて行く二人を見送ると、ウルスイは冷めたコーヒーを啜った。
「武運長久を」
色々な意味を込めて、そう呟いた。
25/05/05 09:38更新 / 雑兵
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