転倒
トエントは雨の中で目を覚ました。
濃い若草の香り、身体を打つぬるい雨。
座り込んだ自分の体勢。
身体に余韻として残る痛み、衝撃、熱さ。
敗北。
俯いていた視線を上げると、ディムは目の前に居た。
膝を崩して、自分と同じように草の上に座り込んでいる。
状況から見るに、決着から幾ばくも時間は経過していないようだった。
また視線を下ろして自分の身体を見ると、服が斜めに裂けて地肌が晒されていた。
血の跡が付着していたが傷跡は無く、そこに触れても痛みは感じない。
完全に塞がっている。
再び視線を上げてディムを見る。
こちらをぼんやりと見ているディムの身体からは、もうあの戦場の空気は感じない。
あの一秒で全てを燃やし尽くしてしまったかのようだ。
トエントにしてもそうだ。
身体も心も空っぽだ。
何かを考えようにも、頭の中まで空っぽになってしまって何も出来ない。
二人はただ黙って、雨に打たれながら互いを見つめていた。
「ふ」
雨音を破ったのはトエントの声だった。
「ふふふ、はは、ははは……」
少しずつ、声が大きくなる。
「はははっ、ふはははは……」
不思議な可笑しみが胸の内を満たしている。
全部、斬られた。
悩みも、虚無も、願望も、苦しみも。
全てを一息に一刀両断された。
望んだとおり鉄に殺され、そして銀で蘇らされた。
もう、こうなってはどうしようもないではないか。
もう腹を決めるしかないではないか。
自分はもう覚悟を決めて、生きるしかないのではないか。
「ぷ」
ディムも噴き出す。
「ふふ、ふふふふふ」
トエントにつられるように、笑みが零れる。
「ふふふふふ……」
「ははははは……」
二人は晴れやかに笑い合ってーーーー
「って何が可笑しいんだぁーーー!!」
ばっちぃん!!!
瞬間、ディムの平手がトエントの顎を捉えた。
トエントは声も無く、棒のように横倒しに倒れる。
「私がっ!……どんなっ……!!」
笑い顔のような泣き顔で、雨とは違う流れを頬に流しながらディムは叫ぶ。
「どんな気持ちでっ!この!こんな!鉄の剣の!手入れを!」
双剣の片割れの鉄の剣、血に塗れたそれを脇に放り投げる。
「この一年!どんな気持ちで!!私が!!!!」
ばしゃばしゃと地面の草と泥を、駄々っ子のように叩く。
「しかも!!あんな……あんな顔を!!!貴殿に晒して!!!」
その泥にまみれた手で顔を覆う。
「知るもんかもう!!!死にたかったら!!!!!一人で死んだらいいんだぁ!!!!」
ひぐっ、と喉を詰まらせる。
「今のは嘘だ!!!死なないでぇ!!!!」
泥と涙でぐしゃぐしゃになった顔を晒す。
「もう!何なんだぁ!もう!馬鹿ぁ!もう馬鹿ぁ!ばーか!ばーか!」
多分、人を罵る言葉を知らないのだろう、とにかくばかばかと繰り返す。
「ひっ……ひぐっ……ふひぇぁあん、もうヤダぁ!!!!」
泣きべそをかくとふらふらと立ち上がって、丘を駆け下り始めた。
「待っ……」
トエントはもがく。
完全に不意打ちだった上に腰の入った一撃だった。
顎を支点に脳を揺らされ、脳震盪を起こしている。
全てを燃焼し尽くした体に駄目押しだった。
それでも何とか起き上がろうと、泥の中をじたばたともがく。
「待てっ……!」
トエントには男女間の機微などわからない。
「待てって……!」
だが、今これだけはわかる。
「待ってくれっ……!」
今この瞬間は、何としても彼女を追いかなくてはいけないのだ。
どうにか身体を起こしたが、膝が小鹿のごとく震える。
無理矢理足に走り出すも、身体がふらふらと右に傾いで転倒する。
「ぶひゃぅ!?」
と、追いかける先でも悲鳴が上がる。
ディムもシンクロするように転んだのだ。
体力が尽きているのはお互い様だ。
トエントはふらふらになりながら立ち上がって、追いかけ始める。
ディムはふらふらになりながら立ち上がって、逃げ始める。
「待って……待ってくれぇ……!」
「ふぁぁぁん!うぇぇぇん!」
雨の中で、泥だらけの二人が走る。
(ああ、何と言う事)
トエントは思う。
(俺は今、女の尻を追いかけている!)
剣に全てを捧げた青春時代。
女に現を抜かす同年代の男を内心馬鹿にしていた。
だが、今、彼らに謝りたい気持ちで一杯だ。
女の尻を追うという事は。
こんなに大変で。
こんなに必死で。
こんなに切実で。
こんなに真剣だ。
女の尻を追うという事もまた、戦いなのだ。
「ディムーーーー!!!」
精一杯の大声で、その人の名を呼ぶ。
名前を呼ばれて思わず反応したのか、一瞬ディムがこちらを振り返る。
「あぅっ!?」
と、また草に足を取られてディムが転倒する。
チャンスだ。
今のうちに距離を詰めて……。
「ほわあああぁぁぁぁぁぁーーーー!?」
奇妙な悲鳴が上がった。
転んだディムの身体はそこにあるのに、何故か声だけが急速に遠ざかって行くような……。
と、トエントは彼女の種族を思い出した。
彼女はデュラハン。
首と胴体の分離が可能な種族。
時として意図しない分離が起こる事もあるという。
今彼女が転んだ場所は丘の坂の上、という事は……。
「あー!すっぽ抜けた!?」
思わず叫んだトエントの言葉を裏付けるように、がばっと身を起こしたディムの身体には首が無い。
首のあった所をわたわたと触って焦っている。
「ぁぁぁぁぁーーーー」
なおも声は遠ざかって行く。
「やべえ」
息も切れ切れに呟きながら、
必死に走って彼女の胴体を追い越すと、見えた。
坂をころんころんと転がって行く髪の毛の塊みたいな物体。
「やべえ」
もう一度呟いて、必死の必死で全力疾走する。
ディムの身体も慌ててその後を追う。
全てを振り絞っての爆走の甲斐あって、何とか転がる頭に追いつく。
「ふんっ」
何かの球技のように、トエントは身を投げ打ってディムの頭に飛びつく。
がしっと腕の中に抱き締めると、ゴロゴロ転がりながら勢いを殺す。
ようやく、止まった。
「うぅ……うっ……ぐす……ぐすっ……」
ぜいぜいと上下する胸の中から、ディムの啜り泣きが聞こえる。
トエントは座りなおしてディムの顔を見る。
もはや髪も顔もどろどろだ。
髪を分けて顔を露出させると、その顔の泥を手でできるだけ丁寧に落としていく。
「うう……ふぐっ……うぐ……」
ディムはされるままに……というか抵抗のしようもなく、ぐずる子供のように顔をしかめる。
ようやく、その白い顔が見えるようになる。
ひどいものだが、怪我はしていないようで安心する。
「うぅ……」
恨めし気な視線を向けられる。
トエントはその顔をじっと見る。
その目に負けたように、ディムの方が視線を逸らす。
「……」
「……」
何かに吸い寄せられるように、トエントは首を持ち上げて自分の顔に近付けていく。
「……」
「……」
二人の唇が、距離を縮めて行き……。
ごすん。
「のごぅ」
トエントの頭頂部にげんこつが落とされ、素早く首が奪還された。
背後から追いついたディムの身体だ。
「……何しようとしてるんですか……馬鹿……」
首を繋げながら、ディムが言う。
「す、すまない……つい……」
「ついじゃないですよ……だいたい貴殿は……」
言おうとした所で、ディムはため息を付いてへたりこんだ。
「疲れた……お風呂入りたい……」
「俺もだ……」
命がけの一秒の後の追いかけっこで精魂尽き果てた二人は。
何でもいいから、とりあえず街に帰る事にした。
23/10/28 17:04更新 / 雑兵
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