連載小説
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後編
 安息日の実施により、また少し二人の関係は変化していった。
ミヴァンはウルスイの今まで知らなかった一面も多く見る事になった。
ウルスイは甘い物が好きだった。
ミヴァンに腕を振舞う時、彼女も必ず同席するようにしている。
その時デザートをつい、ミヴァンより早く食べ終えてしまう時があったりした。
謝る彼女に甘いの好き?と聞くと好きだと答えた。
食事に好き嫌いも何もないように思っていたから意外だった。
ウルスイは楽器を嗜んだ。
ある町で路上で演奏を披露する一団を見た時、自分も一応弾く事はできる、と彼女が言うので是非弾いて見せて欲しいとねだった。
うまくはありません、と前置きしながらその日のうちにどこからかギターを拝借し、ミヴァンのために演奏してくれた。
音楽に関しては全く素人のミヴァンであっても、半端な腕前ではない事が伝わった。
感動して手が痛くなる程拍手すると、それ程のものではありません、と俯いて呟くように言った。
表情に出ないのでわかりづらいが、恥ずかしがっているようだった。
ウルスイは寒さが苦手だと言う。
知った時は本当にびっくりした
旅の中で極寒と言えるような環境であっても全くそんな素振りを見せた事はなく。
何より彼女自身が氷のような印象なので、勝手に寒さには強いものだと思い込んでいた。
全然そうは見えない、と伝えると、それはどういう意味ですか、とちょっと憮然とした様子になった。
そうして交流を深めていくたび、いつの間にかミヴァンは笑顔を見せる機会が多くなった。
幼少の頃の記憶を忘れる事はない、だが、いつしか夢に見る事も減っていき、常に意識の底にあった暗い感情を忘れる事も多くなった。
そうした中で、二人の関係を更に変化させる出来事が起きた。
ミヴァンの年齢を考えると、それはある意味必然だったのかもしれない。







 「ウルスイ」
「何ですか」
そこは森の中にある洞窟、というには浅い、岩の中のくぼみのような場所だった。
雨降る森の中を進んでいた二人は、想定よりも荒れ始めた天候をやり過ごすため一時的にそこに避難しているのだった。
外から響く雨音がざあざあと岩肌に反響し、雨と森の匂いを濃厚に含んだ風が二人の間に置かれた簡易の焚火の火を揺らしている。
「その……」
「……」
話しかけたミヴァンは、続きを言うか言うまいかを悩んでいるようだった。
「……」
「……」
口を開こうとしては閉じ、それでも何かを言おうとしている。
ウルスイは急かす事もなく黙って聞いている。
「お、れ……ウルスイに……感謝してる……んだ……」
どうにか絞り出した言葉は、普段あまり言わない言葉だった。
だが、それが本題でない事はわかる。
本題にいきなり入る事をためらったため、遠回りに何かを言おうとしている。
「こんな俺の事……見捨てないし……いや、こんな俺、なんて言い方……しちゃ駄目だけど……」
要領を得ないが、それは本心であろう事は伝わる。
「だから……俺……どんな事でも……ウルスイには隠さないようにしようって思ってる……」
「悩んでいるのですか」
ウルスイが言うと、ミヴァンは何か泣きそうな顔をした。
近頃笑顔が多くなったミヴァンには珍しい表情だった。
まるであの時に戻ったかのようだ。
「差支えなければ聞かせて下さい、私に解決できる問題かはわかりませんが……」
そう言われて、ミヴァンは口を開く、だが、何か苦い物を噛み締めるように言う。
「聞いて……俺の事、嫌いにならないで欲しい……」
ウルスイは腰掛けていた岩から立ち上がり、向かい合って座っていたミヴァンの隣に腰を下ろした。
「言って下さい、いえ、言いなさい」
何か、大事な事を言おうとしている。
どんな事であってもそれを聞き逃す訳にはいかない。
ウルスイは蒼い目でいつものようにしん、と静かにミヴァンの目を見つめながら言う。
ミヴァンはごくりと喉を鳴らした。
「ゆ……夢に……見るんだ……」
ウルスイの目が細くなる。
まだ、過去が彼を捕らえて離さないのか。
「ウルスイの、夢を……」
「私の?」
意外な言葉にウルスイは目を見開く。
「そ、それはここ最近、何度かあって……その度に……夢の中で「悪い事」をするんだ……ウルスイ、に……」
「……」
「少し、前に……とうとう……その……とうとう……夢から覚めたら……下着、が、汚れていて……」
「……」
「それは、バレないように……処理していて……」
「……」
「その……」
「ミヴァン」
ミヴァンは顔を上げて、怯える目でウルスイを見た。
ウルスイの表情は変わっていない、いつものように冷たく、静かだ。
「俺……俺……!ウルスイに、本当に感謝してるんだ!なのに……!夢の中でこんな事する俺は……!」
「ミヴァン、落ち着いて下さい」
ふわ、とミヴァンの肩に柔らかいものが触れる。
ウルスイの白い羽だ。
「それは自然な事です」
「でも……!」
「人としての営みの一部であり、何ら恥じる事ではありません」
ぽん、ぽん、と羽が落ち着けるように背中を叩く。
「主はお許しになられます……お許しに、なられます……」
小さく、言い聞かせるように繰り返した。
「……うん……ありがとう……嫌いにならないでくれて……」
「貴方は勇者であり、私はヴァルキリーです、そのような些事で揺らぐものではありません」
「……うん……」
ほんの少し、ミヴァンは寂しそうな顔をする。
「ミヴァン、問題は解決しなくてはいけません」
「大丈夫……我慢できるから……」
「それではいけません」
では、どうするのか?という視線を向けると、ウルスイは少しの間目を伏せた。
「……お許しになられる……」
また小さく呟やく。
「安息日は何の為に存在しますか」
「え……?」
「我儘を言う事が使命です」
「……」
「次の安息日に、満たして下さい」
「……わかった……」
ウルスイは小さく息をついて、ミヴァンから離れた。
「……」
「……」
二人の間に沈黙が降り、ただ外からの雨音だけが反響し続ける。
その間、ミヴァンはじっと焚火を見つめていた。
ウルスイは羽に触れ、髪に触れ、服に触れ……ひどく、落ち着きのない様子だった。
動きに遊びが無く、常に氷で出来た彫像のように振舞う彼女にしては非常に珍しい様子だった。
むしろ彫像のように動かないミヴァンとで、まるで普段と真逆だった。
「少し、お金を溜めないといけないですね」
「そうですね」
安息日は正確に日にちが決まっている訳ではない。
旅の都合上どうしても落ち着けない環境に身を置いている時もある。
基本的には腰を落ち着ける街に滞在している時になる。
その時には宿代が必要になる。
「それに……「そういう」宿がある街でないと……」
「……いえ、通常の宿であっても変わりはないでしょう」
「え?」
ミヴァンは不思議そうな顔をする。
ウルスイも少し怪訝そうに見る。
何か、噛み合っていない。
「いや……娼婦がいる街っていうのは……ああ、いえ、下世話な話ですけど、これは俺の方が詳しいかも……」
「……娼、婦……?」
「適当に選ぶと病気なんか貰っちゃいますからね……それなりの金額を用意して、ちゃんと下調べしないと……」
「何を、言っているのですか」
ふと、冷たい物を感じてウルスイの方を見てぎょっとした。
ウルスイの目に冷気が宿がっている、それこそ絶対零度というべき極寒の目だ。
「あ、あの……だから……つ、次の安息日……に……」
「何故娼婦を買うという話になっているのですか」
淡々とした口調が怖い。
怒っている。
ものすごく怒っている。
下手すると自分が盗みを働いた時より怒っているのではないか。
しかし原因はわからない。
「ど、どうして怒ってるの」
「怒っていません」
怒ってる。
「ただ、何故満たす相手に娼婦を選ぶのですか」
「そ、それ以外どうすれば……」
「何故」
透明で美しく、底冷えするような声で言う。
「相手が私ではないのですか」
「……えっ!?」
想像だにしなかった事を言われた、という感じで飛び上がらんばかりに驚く。
「夢の中に出て来たのは私なのでしょう、何故その私ではないのですか」
「……そ、そんな……そんな事出来ない!」
首をぶんぶん振りながら、ミヴァンが言う。
「何故出来ないのですか」
「俺は、ウルスイに感謝してるんだ!世界一!感謝してるんだ!」
ウルスイはふと、違和感を覚える。
「世界を愛せるかって聞いたよね……?」
「……聞きました」
「俺は世界なんか愛せないよ、俺は……」
口元を震わせながら、ミヴァンは押し出すように言葉を紡ぐ。
「ウルスイさえ居れば、他は何もいらないんだ……なンにもいらないんだ……!」
ミヴァンの目尻に涙が溜まっている、今にも零れ落ちそうに。
「俺が求めたら、きっと、ウルスイは応えてくれるだろう?だけどそれは……」
ぽろぽろと零れ落ちた。
「ウルスイが、俺の「ヴァルキリー」だからだ……!俺は、それを利用してウルスイに「ひどい事」をしたくない!」
「……」

 ウルスイの中で、色々な物が氷解した。
彼は「勇者」と「ヴァルキリー」という二人の関係に密かに悩み続けていたのだ。
どれだけ真剣に向かい合っても、どれだけ時間を共にしても。
それはウルスイの「宿命」だからだ、という考えが頭から離れない。
宿命によって自分がウルスイを縛り付けているのだと。
逆に言えば、自分が主に選ばれた勇者でなければ彼女は今と同じに接してくれるだろうか。
そんな想像もが付きまとって離れない。
そして、その更に裏にあるのが「性」に対する恐怖だ。
ウルスイの座学にも性教育は流石に含まれていなかった。
そして、ミヴァンの性知識とはあの幼少期に刻み込まれた記憶。
欲望の為に金で買われる女達、女性に酷い行いを強いる男達。
蔓延する性病、堕胎、産み落とされる自分のような境遇の人間……。
だから、彼の中で「勇者」と「ヴァルキリー」という立場を利用して。
増して世界で最も愛する人にそんな「ひどい事」を強いるなど言語道断なのだ。
だから、そんな事は絶対にしたくないのだ。

 「……ミヴァン」
「……ご、ごめん……」
「いいえ、やはり私は未熟です」
ミヴァンはごしごしと涙を拭った。
理由はわからないが、どうやらウルスイの怒りは沈静したようだ。
「その……娼婦が、駄目ならやっぱり他の方法を……」
「ミヴァン、一つ教えます」
「は、はい?」
「性行為とは、悪しき行いではありません」
「……し……知ってる、よ……」
知識としては、だろう、心の奥では経験から来る恐怖が拭えない。
「ミヴァン、目を閉じて下さい」
「え?あ、はい」
言われた通りに目を閉じる。

 ふぁさ

 ウルスイの匂いが、ミヴァンを包み込む。
翼の感触を背中に感じる。

 ひた……

 唇に冷たく、柔らかい物が触れた。
思わずびくりと反応するが、ウルスイの両腕がそれを抑える。
(……え、これって……)
薄目を開けて確認したかったが、ミヴァンは律儀に言いつけを守って目を開けない。
じぃん、と、全身に痺れが走る。
頭の先端からつま先まで、甘く痺れ、ふわふわと首から上が浮き上がるような感覚がする。
感触がそっと離れる。
「目を開けて下さい」
目を開けてどきっとする。
近い。
ウルスイの顔が、瞳が近い。
真っ青な瞳が至近距離で自分を見つめている。
やっぱり、今のは。
「どう感じましたか」
「あの……」
「嫌でしたか?」
びゅんびゅんと首を振る。
「そうですか、それは僥倖です」
「その……どうしてこんな……」
「では、そこで一つ想像力を働かせてみて下さい」
矢継ぎ早に言われ、言われるがままにするしかない。
「私が今のような行為を……他の男性と行っている場面を」
「……」
「どう感じますか」
「い……嫌です……」
「どれだけ嫌ですか」
「絶対に、嫌です」
「心が傷付きますね?」
「はい……」
「先程貴方が言った事は、それと同じ事です」
「え……?」
一瞬言われている事がわからず、きょとんとする。
「娼婦と貴方がそういう事をする、と想像した私の気持ちです」
「……え……?」
「ひどいでしょう」
「え、あの……その……」
「私はまだ怒っているのですよ」
「さっき怒ってないって」
「怒っています」
「あ、はい」
「怒っているんです」
不思議だった。
いつも理路整然として、合理的で、常に自分に正しい道を示し続けて来た彼女が。
今日はまるで少女のように自分の感情を訴えて来る。
「考えてみれば不公平です」
「ふ、不公平?」
「貴方にのみ安息日がある事が、です、そうは思いませんか」
「え、あ、すいません……でも、それはウルスイが」
「なので、次の安息日は「私の」安息日としましょう」
「う、ウルスイの……?」
この人は本当に自分の知るウルスイだろうか、と、思わずまじまじと彼女の顔を見つめる。
そこにあるのはいつもの冷たい美貌。
だけど、氷のようなその瞳が僅かに潤みがかっている。
氷河の氷が陽光に晒され、少しずつ氷解していくような……。
「だけど、お、俺がウルスイに出来る事なんて……」
「貴方は何もする必要はありません、ただ……」
ウルスイは微笑んだ。
じゅわり、と氷の瞳が溶ける。
「一日、私の言う事を聞いて下さい」
さらり、と羽が首筋を撫でた。
ぞわわ、と背筋に甘い痺れが走る。
「その一日を過ごした後にも満たされないならば、貴方の言う通り娼婦を買うのもいいでしょう」
そう言って、ようやく離れた。
「雨が止んできましたね、そろそろ出発しましょう」
そう言って立ち上がったウルスイは嘘のようにいつもと変わらない様子で言った。
「は……はぃ……」
ミヴァンは長風呂に入って茹だったかのようにふらふらになっていた。
どんな訓練の時よりも心臓がどくんどくんと脈打ち、下半身の「悪い」疼きがずきんずきんと鎮まらない。
何だったんだろう、何が起こったんだろう、次の安息日はどうなってしまうんだろう。
いや、実はさっきのは白昼夢では……?
てきぱきと荷物を纏めるウルスイを見て混乱し始める。
だが、森に出る寸前にウルスイは小さく呟いた。
「訂正します、もし……満たされなくても、やはり娼婦は買わないで下さい……」
「あ……はい……」







 森の中、ウルスイは膝を付いて祈りを捧げている。
戦の時に身に着ける鎧を纏い、木漏れ日の中に跪くその姿はまるで一枚の絵画のようだ。
祈りは毎日の日課だ、一日たりとも欠かした事は無い。
そして、天命を受けるのも殆どがこの時なのだ。
(主よ……)
祈りを捧げる時、ウルスイは迷いや疑念を隠さない。
そして今、ウルスイは迷いを感じていた。
(本当に良いのでしょうか)
これから自分が行う事は許される事なのか。
何より、主のしもべである自身の存在理由さえも近頃は揺らぎ始めているのを感じていた。

 貴方以上に、勇者ミヴァンに相応しいヴァルキリーは他には居ません。
 
 彼の魂をヴァルハラまで導きなさい

 天命が降りて来る。
許された、という安堵、そして不安。
自分は主のしもべとしてこの世に生を受けた。
主の命を絶対とし、その命を遂行するための存在だ。
だが今や自分の中ではミヴァンの存在が大きくなり過ぎている。
そう、絶対的な存在であったはずの主すら超える程に。
例えば、主がミヴァンを勇者の資質無しと見て任を解いたなら?
あるいはウルスイに別の勇者の導きを命じたなら?
自分は従うだろうか。
否。
従えない。
自分の存在意義を否定してでも、それに従う事はできないだろう。
その疑念が確信に変わり、二つの思いの間で葛藤が生じた。
主のために存在する自分が、主に反旗を翻す。
それは自らのアイデンティティの否定に繋がる。
祈りながらも苦悶の表情を浮かべるウルスイに、また天命が降る。

 想いに従いなさい
 
 自分はやはり小さい。
そんな自分の迷いなど主は全て見通している。
当然だ、自分は神の子なのだ。

 勇者ミヴァンを

 満たしなさい

 満たそう。
全身全霊を持って。
彼の生涯全てを満たそう。
そしてやがて彼が召される時が来ても。
その魂は永劫にこのウルスイと共に。

 とくん とくん とくん

 この魂は彼と共にあるために生まれ。
この身は彼と共に歩むためにある。
胸が高鳴る。
なんという高揚。
なんという至福。
なんという激情。
それも全ては……。

 ウルスイの脳裏に、ミヴァンの姿が次々と浮かぶ。
路地裏で初めて出会った時の今にも消えんとする灯だった彼。
飢え、怯え、嘆くしかできなかった彼。
やがて立ち上がり、懸命に勇者たらんと努力する彼。
過ちを犯し、挫けそうになる彼。
取りすがって泣き叫ぶ彼。
安息日に無邪気に笑う彼。
安心しきった表情で眠る彼。
自分に抑えがたい欲望の眼差しを向ける彼。

 どき どき どき どき

 ウルスイは長らく自分の中にある想いを分類する事ができずにいた。
ヴァルキリーとしての責務か、子を想う母のような心か。
そのどちらもある。
だが、何よりただ一人の女として、ミヴァンという少年に惹かれている。
彼が娼婦を買うと言い出した時に感じた激しい怒りと焦燥。
彼が自分の夢で欲望を発散してしまったと聞いた時の歓喜に似た感情。
全てがそれを証明している。
ならば、もう迷いはしない。
「主よ、感謝します」
ウルスイは祈りの姿勢を解いて立ち上がった。
いつものように迷いのない動作で森林の中を歩く。
ふわりと純白の羽が揺れ、旅人のマントに姿を変える。
ふと、立ち止まって胸に手を当てる。

 どき どき どき どき

 心臓の鼓動が早く、せわしない。
全身の体温が高く、顔が紅潮している。
そして、鼓動に合わせて下腹部がじく、じく、じく、と疼きのようなものを訴えている。
「私の身体が、求めているのですね」
あくまで冷静な声で自分の状態を分析する。
だが、その声はいつもよりほんの僅かに上ずっている。
落ち着かなくては。
今日は安息日。
ウルスイの安息日。
ずっと、待っていた日。
これほどに待ちわびた事はない程に待ちわびた日。







 「ふう……」
ミヴァンは朝の陽ざしを受けながら、宿の裏にあるちょっとした広場の隅に腰を下ろして息を整えていた。
昨日はかなり大きな都市で宿を取った。
それも都市の中でも有数の大きさを誇る宿を。
通常ならばかなりの金額が必要になるところだ。
しかし、今回は特別に街に身分を明かす事で泊めてもらえるようにした。
二人が勇者とヴァルキリーであると証明したなら、教団領に存在するあらゆる機関は協力を惜しまない。
普段は身分を隠し、その「特権」は行使しないのだが、今日は特別な日なのだ。
そう、今日はウルスイの安息日。
一体どうなるのかと思っていたらとりあえず朝は好きに過ごしていい、と言われた。
なので普段の習慣になっている朝の稽古を終えた所だ。
そしてウルスイは祈りの時間を取りに郊外の森へと出かけている。
ここまではいつもの平日と変わらない。
(……ひょっとして安息日って言っても普段と変わらず過ごしたりして……)
何となくそんな事を思い、それも彼女なら有り得そうだ、なんて思ったりする。
だとしたら邪な思いでこの日を待ちわびた自分はかなり恥ずかしい。
「うう……修行が足りない……」
練習用の木刀の柄にこつんこつんと額をぶつけ、胸に湧き上がる残念な思いを嚙み潰す。
と、さくさくと遠くから足音が聞こえて来た。
顔を上げると祈りから帰って来たらしいウルスイがこちらに歩いて来ている。
「ウルスイ!おはよう!」
声を掛けた。
ウルスイは何も答えない。
あれ、聞こえなかったかな、と思い、もう一度挨拶をしようとしたところで固まった。
ウルスイは歩調を急に早めたかと思うと、たちまち駆け足になってこちらに走り始めた。
その足がふ、と地面を離れる。
ついには翻るマントが形を変え、大きな翼となって羽ばたき、低空飛行でこっちに飛んで来る。
いくら正体を明かしている場所とはいえ、彼女は滅多な事では翼を露わにしない。
その彼女の様子にびっくりして固まっているミヴァンを、ウルスイの翼が覆い尽くす。
たちまちミヴァンは温かく、いい匂いに包み込まれてしまう。
ぎゅう、と翼と腕がミヴァンを強く抱きしめる、少し苦しいくらいだ。
たちまちミヴァンの心拍数が急上昇する。
「う、う、ウルスイ?どうしたの?何事?」
「ああ、すいません」
いつも通り平坦で、しかし普段より僅かに上ずった声でウルスイはミヴァンを解放する。
「姿を見た所で気持ちを抑えられなくなってしまいました」
「あ、うん、そう……?」
見た目、ウルスイの様子は普段と特に変わらない。
氷のような眼差しも精緻な彫像のようなたたずまいも変わらない。
ただ、普段は隠されている純白の翼がふわりふわりと背後で落ち着きなく揺れている。
「ミヴァン、今日は安息日です」
「う、うん」
先程の行為は何だったのかと問いたかったが、タイミングを逃した。
「今日一日は私の言う事を聞いてもらいます」
「その、俺が出来る事なんてそんなにないと思うけど……」
「まず、午後の六時まで自由に過ごして下さい」
「ええ……?」
急に予想外だ。
「夕食と入浴も済ませた状態で、寝室にて待機をして下さい」
「えっ……」
寝室に待機。
瞬時に脳裏にずっと考えていた邪な思いが蘇る。
「う、ウルスイ」
「なんでしょう」
「その寝室で何をするの」
「性行為を行います」
スカーン、と頭を殴られたような衝撃が走った。
そうではないかという期待はあった、あったが、あまりにもあけすけな物言いである。
「あの……」
「拒否は認めません、今日は私の言う事を聞いてもらいます」
こんな時でもウルスイは遠回しにではなく、はっきりと言う。
「それではまた」
そう言い残してウルスイは去ってしまった。
ミヴァンはただその後ろ姿を見送るばかりだった。







 カチャ
チリリン
「いらっしゃ……ーーーー!!」
街にある小さなブティックに勤める店員のマギーは、その客の姿を見た瞬間言葉を詰まらせた。
その人物が怪しい人物だった訳でも強盗だった訳でもない。
マントに旅人用の軽装、そして灰色の髪に氷のような美貌。
この街にヴァルキリーと勇者が滞在しているのでわきまえるよう、と領主からのお達しが昨日にあった所だ。
容姿等の特徴は聞いていたが、恐らくその通知を聞かずとも察知したであろう。
それほど彼女の纏う空気は普通の人間と違っていた。
ただその場にいるだけでその場が聖域となるかのような静謐な空気が漂っているのだ。
「あ……あの、その……しょ、少々お待ち下さい、今すぐ店主を」
「構いません」
その声の透明なこと。
平坦で、大きくはないのにしんと周囲に響く。
女性の声でありながらまさしく神の御使いたる威厳に満ちている。
それと同時にマギーの緊張はピークに達した。
店主を呼ぼうとしたのはとても自分が応対していい相手ではないと思ったからだ。
いや、こんな小さな店の店主であっても相応しいとは言えないが、少なくともただの一店員よりは、と思ったのだ。
しかしそれはこの天使に阻まれてしまった。
とてもじゃないがプレッシャーに耐えられない。
何か失礼を働いてしまったらどうしよう、というか、こんな店に何の用事があらせられるというのか。
カチコチになるマギーをよそに、天使は周囲の衣類や装飾品にそのアイスブルーの視線を巡らせている。
何も不正なものはありません、全て正規のルートで仕入れております。
と、問われてもいないのに弁明しそうになる。
「……」
コツコツと店内を歩き、ふと一つのイヤリングを手に取った。
特に高級でも何でもない安い商品だ。
「あ、あの……それが、何か……」
「……」
天使はそれを手に店内に設置してある鏡の前に立つと、そっと顔の横に添えて見る。
(……あれ……ひょっとして……?)
買い物?
買い物なのだろうか?
そもそも店を訪れるならば真っ先に考慮すべき可能性だったが、あまりにイメージが沸かなくて失念していた。
「な、何か……お探しでしょうか?」
「私は詳しくは無いのですが」
「はい……?」
「一般に、男性はどのような装飾を好みますか?」
冷たい雰囲気もそのままにそう言った。
(男性はどのような装飾を好みますか……?)
頭の中でオウム返しにして問われた質問の意味を考える。
男性はどのような装飾を好みますか?
ってことは、ええと、男性に好まれる装飾を探しているという事だ。
そんなに何回も反芻して意味を汲むような言葉ではないのだが、相手が天使と言うイメージからどうにもその結論に辿り着けなかった。
「あの、えと……デート……ですか?」
質問してから自分は馬鹿じゃないかと思った。
使命を帯びて地上に降臨した天の御使いがデートなんて俗な事をする訳があろうか。
「デート……まずはそれから段階を踏むべきだったでしょうか……」
天使は俯いてなにやら呟いていたが、すぐに顔を上げてはっきりと言った。
「デートではありません」
「あ……そ、そうですよね」
「性行為に相応しい装いです」
「ああ、なるほど!」
なるほどセイコウイ。
ん?
あれ?
はい?
セイコウイ?
セイコウイとはなんぞや。
「せ……セイコウイというのはその……」
「男女の交わいの事です」
「…………あー………はい、なるほど、なるほど、なるほど、装いは大事ですからね、ええ!はい!確かに!」
マギーは頭の中の混乱を鎮める時間を稼ぐ必要があった。
男女のまぐわい、つまり男女の営み、ぶっちゃけセックス。
天使様が?
「その……天使様もその……そういう事を……?」
「はい」
天使は恥じらう様子も悪びれる様子もなく、堂々と言う。
マギーは何とか心の立て直しをはかる。
「えーっと……そうですか……ぶ、不躾な事を伺ってよろしいでしょうか……」
「質問によります」
「えー、お相手は……」
「勇者です」
なるほどそうなのか、勇者だからか、天使様はそういう事も使命なのだろうか。
初めて聞いた。
男達が勇者に憧れるのってそういう……、流石にそんな訳はないだろうけど。
「それは使命だからではありません」
心の中を見透かしたように言われてどきっとする。
「私が、勇者を男性として愛したからそうするのです」
恐れ多くて直視できなかった天使の顔を、思わずはっきりと見た。
天使は笑っていた。
満面の笑みというのではない、注意をしなければわからないくらいの微かな笑みだ。
「そして私は愛する人を出来る限り喜ばせたい、そのためにこの店に来ました」
「……」
主神教において、快楽を求める性行為は禁じられている。
だとするとこの天使のしようとしている事は教義に反しているのではないだろうか。
だけど、マギーはその天使のアイスブルーの瞳の中に見た。
この小さな店を利用する女性客に時折見るもの。
恋する乙女の輝きを。
「……勇者様を、愛しているんですね」
「はい」
詳しい事はわからない。
自分の知る教義との矛盾も気になる。
だけど、何よりこの天使が恋をしているのは間違いないと感じる。
「……奥の方へどうぞ」
マギーは奥の下着売り場へと天使を導いた。

 数時間の後、天使は一つの小包を手に店を後にした。
店の奥に引っ込んでいた店主は店先で真っ白に燃え尽きているマギーを見つけて仰天する事になった。。
「……美しさって、罪ですね……」
うわ言のようにそう言っていたという。
あと「勇者様羨ましい」とも。







 「おう、金を払えってか」
「当たり前だろう!それだけ飲み食いしておいて!」
街のはずれにあるレストランでトラブルが起こっていた。
筋肉質で大柄な男達が数人でテーブルを占拠しており、そのテーブルの上にはかなりの枚数の皿と酒瓶が転がっている。
そのテーブルの男達が店主に詰め寄っているのだ。
「俺達はなあ、勇者なんだぜ?お達しがあっただろ」
「そうそう、勇者のパーティーだ、奉仕できる事に感謝しないといけねえぜ?」
「あんた達が勇者な訳ないだろう!勇者様はヴァルキリーと二人で旅をなされていたんだ!」
「細かい事言うな、ちょっと情報の伝達が間違ってただけだろ、じゃあな」
「ちょ、ちょっと待てよ!」
無茶な理屈を通して店を出ようとする男達の前に店主が立ちふさがる。
「邪魔だ……っつてんだろが!」
男が丸太のような腕を振るって店主を殴りつけようとする。
「ぅお!?」
と、殴ろうとしていた男が突然バランスを崩したように床にひっくり返った。
どしん、と店が揺れる。
驚く店主と男達の間にいつの間にか小柄な少年が割り込んで立っていた。
マントを羽織った黒髪の少年だ。
「ってててて……!」
「あの、手荒な事をしてすいません」
少年は少し困ったような顔で床に倒れている男に声を掛ける。
「ですけど、やっぱりお金を払わないのはいけないと思います」
どちらかというと気弱そうな声で少年は諭すように言う。
「あと、勇者様を名乗るのも良くないと思います……」
「なんだ?餓鬼、もう一回言ってみろ」
どうやったかわからないが、どうやら男を転ばせたのは少年らしいと理解した後ろの男が少年の胸ぐらを掴む。
少年はやはり困った顔をしたまま掴まれた腕にとん、と手を添えた。
「うっ?」
すとん、と、掴んでいた男の膝が抜けるように崩れ、膝を付いた。
「お金を、払って下さい」
目線を同じ位置に合わせた少年が言う。
「……っ」
目を合わされた男が口をつぐむ。
「危ない!」
と、店主が叫ぶと同時に回り込んでいた男が少年の背後から振りかぶった。
手には懐から取り出したナイフが光っている。

 カキュ

 と、刃物が人間に当たったとは思えない音が響いた。
振り抜いた男は何も起きなかったようにもう一人の男の腕を抑えて立っている少年を見た。
「えっ」
手元に目をやり、ナイフがポッキリと根元から折れている事に気付く。
カララン、と少年がナイフの刃を男の足元に投げて寄こした。
何をどうやったかわからないが、素手で切りかかって来たナイフを折り取ったらしい。
「お金を払って下さい」
変わらないトーンで言う。
「こ、こ、こ、こ」
「やめろお前ら!払え!金を払うんだ!」
腕を掴まれている男が叫ぶ。
「な、何で……」
「いいから払え!この餓鬼に関わるな!」
その男の言葉を受け、テーブルから近い位置にいた男が懐から取り出した貨幣をテーブルに叩きつけた。
それを見てようやく少年も男の手を離した。
男は腕を抑えながらふらふらと離れる。
「……てめえ……まさかてめえが……」
「帰って下さい」
男の問いには答えず、少年はレストランの出口を指差す。
「……行くぞ」
言われた男は素直に出口に向かう。
「おい待て、何だってこんな餓鬼ごときに……」
「黙ってろ」
一番若そうな男が退散する事を拒むが、他の男達は出口に向けて歩き出す。
「……」
若い男は少年を睨みながら後ずさる、少年は変わらず気弱そうな顔をしている。
ふい、と少年が店主の方を向いた瞬間だった。
「おい!馬鹿!」
若い男が足元に落ちていた折れたナイフの刃を掴んで少年に飛び掛かる。

 ゴ パ ン ッ

 振り返りざまだった。
紙一重でナイフを躱した少年の拳が男の顔面にめり込む。
あまりの威力に男の身体はその場でびゅびゅん!と一回転半し、ずだん!と仰向けに床に倒れた。
鼻からぶしっと血が溢れ、白目を剥いている。
「帰って下さい」
変わらず気弱そうな声で少年は言った。
男達は倒れた男を抱えて一目散に店から退散して行った。
おおう、と、周囲で成り行きを見守っていた客達から感嘆の声が漏れる。
「お騒がせしてすいませんでした」
周囲の客に頭を下げると、改めて少年は店主に向き合った。
「ミルク下さい」
「ぼ、坊やは……いや、貴方はもしかして」
「俺は違います、ミルク下さい」
「わ、わかったお代はいらないよ!」
そう言って店主はコップにミルクを注ぐとテーブルに案内しようとする。
「いいです、ここで」
少年は案内を断るとその場でコップを受け取り、きゅーっと飲み干した。
「……けぷっ……もうここ目立ちすぎるんで……」
そう言って硬貨一枚を素早くカウンターに置いた。
「あ、お代はいいって!」
「ごちそうさま!」
少年は店主の声には振り返らず、出口から風のように去ってしまった。







 町の中心には大きな時計台がある。
ミヴァンはその下にあるベンチに腰掛けてサンドイッチを頬張っていた。
本当はレストランで食事をしようと思っていたのだが、色々あってミルク一杯で退散する羽目になってしまった。
そうして近所の適当な出店で買った物をこうして食べているのだが……。
「……」
ちら、と時計に目をやる。
午後五時。
まだ日は高いが、この後の事を考えてこうして早めの夕食にしている。
あと一時間。
実は三時くらいからずっと時計が気になって仕方ないので、こうして時計台の下にいるのだ。
三十分くらい前に沐浴を済ませて、その後に……。
頭をぶんぶん振る。
考えないようにしよう、でないとすぐ悪い疼きに体が支配される。
今まで見て来たウルスイの姿が脳内に溢れ、心臓がどんどんと鳴り響いて顔がかぁーっと熱くなる。
これは悪い事ではない、とウルスイは言ってくれた。
人として自然な事だと。
しかし、ずきずきと股の間で自己主張する自分の分身を意識するとどうにもこうにも恥ずかしい。
性行為をする。
自分はこれから性行為を。
やっぱりどう考えても現実感が沸かない。
でもそうこう考えているうちにもう十五分も経過してしまっている。
そろそろ行かなくては。
ミヴァンはベンチを立つ、若干前かがみで。
落ち着け、下半身よ落ち着いて。
何も考えないようにしよう、心を透明に、ウルスイのように透明に……。
宿に辿り着く。
自分達が泊っている部屋を見上げる。
灯りがもう、灯っている。
ウルスイがいる。
「ふぅー……はぁー……」
無意識に呼吸が短く、早くなっている。
整えようとしてもすぐに整わなくなる。
ミヴァンは宿に入り。浴室を借りた。
念入りに、念入りに全身を洗う。
洗うと言うより磨くと言えるほどに執拗に。
ブラシを借りて歯の掃除をする。
生まれてから一番清潔な状態なんじゃないかという体になって浴室を出る。
もう、心臓がずっと暴れている。
身体は冷静に服を着て階段を上がっているが、頭の中は全く現実に追いついていない。
今夜に借りている部屋は一般的だった前夜とは違う部屋をとっている。
スイートとか何とか言うらしい。
貴族や王族が利用する自分に一生縁が無いと思っていた高級な部屋。
普通の部屋と違って他の客も従業員も許可が無いと階自体に立ち入れない。
誰の邪魔も入らない。
もう、その時になってしまう。
もう、始まってしまう。
何が?
ウルスイと、今からあのウルスイと。
どうしよう、ああ、どうしよう。
もう大きな扉が目の前に。

 コン コン

 「どうぞ」

 震える手でノックをすると、中から返事が返って来た。
ウルスイの声だ。
もう後戻りできない。
ノブに手を掛けた。







 ふわり、と嗅いだ事の無い匂いが部屋から漂い出し、ミヴァンを包んだ。
部屋で何かのお香が炊かれているらしい。
天蓋付きの大きなベッドに、見た事のない高級そうな調度品。
色々な場所を旅して来たミヴァンも、まだ知らない世界の一端。
灯りが控え目に落とされた室内には徐々に暮れ行く西日が差し込んでいる。
その西日を窓際で浴びて外を見ている天使の背中があった。
ウルスイの翼を見る機会は少ない。
必要に応じて空を舞う姿も見た事はあるが、旅の中でそんな機会は滅多に無い。
そのウルスイの真っ白な翼が、茜色の光を受けて輝いている。
何だかミヴァンはおとぎ話の世界に迷い込んだような気分だった。
「ミヴァン」
天使が自分の名前を呼んで振り返る。
振り返りしなに大きなカーテンをシャッ、と閉めて外界からの光を閉ざす。
部屋の明るさがまた、一段階落ちる。
夜の雰囲気になっていく。
「緊張していますね」
「はい」
非現実的な光景に一瞬惚けていたが、声をかけられた所でまた心臓が暴れ始めている。
「こちらに」
そう言ってベッドの横にある小さなテーブルを示した。
テーブルの上にはティーセットが置いてある。
ゆったりしたナイトガウンを着たウルスイは優雅な動作で紅茶を注ぐ。
元々が高貴な顔立ちなため、そうしているとまるで貴族のお嬢様みたいだ、と思った。
テーブルについた二人は少しの時間、ハーブティーと共に他愛のない会話を楽しんだ。
いつも行っている対話に少しずつ緊張がほぐれていく。
「男女の性について、辛い記憶を持っている事は知っています」
「……」
必然、これから行う事に話題がいく。
対話でも座学でも触れなかった部分。
「確かにあの場所ではその悪しき部分を多く見たでしょう」
空になったティーカップを弄びながら、ミヴァンは黙って頷く。
「ですが、本来これは愛による営みなのです……私は、またミスを犯しましたね」
「ミス……ですか?」
そっと、ミヴァンの頬に手が伸ばされる。
「性行為を行う前の色々な段階を飛ばしてしまいまいした、本来であれば手順もあるというのに」
すり、すり、と頬をさすりながら言う。
「ですが必要最低限は今ここで行う事もできます」
「必要、最低限……?」
ウルスイの手の感触にうっとりとしながらミヴァンが言う。
「意思の疎通です」
そう言いながらウルスイは席を立ち、ミヴァンも立たせる。
そうして、ミヴァンの両手を両手で包み込み、その冷たくて温かい目でしっかりと顔を見据えた。
そのままそっと、膝を付いた。
騎士が姫にするように。
「私は貴方に告白します」
「……」
「ヴァルキリーである以前、この世に生きるただ一人の生き物として貴方を愛しています」
「……」
「この告白を受けてはもらえないでしょうか」
「……」
ぽた、ぽた、と掴まれた両手の上に熱い雫が落ちた。
「こ、こんな……」
ミヴァンの目から零れ落ちた雫だ。
「こんなの、かっこ悪いや……」
泣き笑いの顔をしている。
「かっこ悪いのは返事をしない事ですよ」
少し首を傾げて、ウルスイは言う。
きらきらと蒼い目が輝いている。
「あの……あの……はい……告白を受け、ます……こんな俺ふわぶっ」
最後まで言わせて貰えなかった。
両手を引っ張られ、胸に抱き込まれてしまったからだ。
ふわりと翼がミヴァンを閉じ込める。
「ああ……」
耳元でウルスイが熱い息を漏らす。
「ミヴァン……わ、私の……」
少し痛いくらいに強く抱きしめられながら、ミヴァンはウルスイの声と体が微かに震えているのを感じた。
「私だけの、勇者……」
ぎゅぅ、と胸が狭くなった。
私だけ
私だけの勇者
そう言った。
それは間違いなく、ウルスイの欲望。
自分だけのものである、という所有欲。
欲というものから解き放たれた存在であるはずの天使が示した欲望。
その欲望が自分に向けられている、という事実に眩暈がするほどの幸福を感じる。
そっと、ウルスイが離れた。
「もう一つ、私は罪の告白をします」
しゅる、とガウンの帯を解く。
「男女の営みというものは本来子を成すための行為であり、それ以外の目的で行ってはなりません」
知っている、そう学んだ。
「ですが、これから行う行為は」
はらり、と前がはだけられる。
「ただ、私と貴方の快楽がために行われる行為です」
すとん、と、ガウンがウルスイの肩を滑り落ちた。
ミヴァンはぺたん、と地面にへたり込んでしまう。
黒だった。
繊細に編み込まれたレース生地が豊かなウルスイの膨らみを彩り、その白さを際立たせている。
下半身は更に目の細かい網状のタイツに包まれている。
スラリと長い足から引き締まりながらも豊かな臀部を、まるで白い果実を包装するように。
腰回りに回されたベルトからクリップでそのタイツが接続されている。
ミヴァンは知らないが、いわゆるガーターベルトというものである。
そして、その天使の秘部を隠すものは……何も無かった。
ガーターベルトのみで、肝心な部分には何も履いていないのだ。
真っ白な肌から続く無毛のその部分は、あまりにあけすけに天使の性を表している。
それはウルスイが難色を示していた娼婦そのものの姿。
その艶姿の後ろに広がる神聖を表す純白の翼が、究極的な背徳を体現していた。
天使にあり得ない、あってはならない姿。
それが目の前にあった。
「機能美、というものですね」
アイスブルーの瞳に見た事のないじっとりとした光を湛えさせながらウルスイが呟く。
「最初に見た時にはこの衣服の機能が理解できませんでしたが……なるほど」
その視線の先にはミヴァンの下半身。
「さあ……」
ひたひたと近付いてその手を掴んで立ち上がらせ、豪奢なベッドに導いていく。
ミヴァンはただふらふらついていくしかできない。
「言う事を、聞いて貰いますよ」







 「舌を出して下さい」
最初に言われた指示がそれだった。
ベッドの上に座った所でそう言われ、その指示に従った。
初めての口づけはあの雨の一夜に経験したが、それとは全く違うものを体験させられた。
それは果たしてキス、と表現していい行為なのか。
伸ばした舌同士をねろねろと絡み合わせ、口腔に侵入し、唾液を交換し、隅々まで舌で愛撫する。

「ちゅっ、ちゅぷ、むちゅ、ちゅる、ぢゅ、じゅるる、ちゅぱ、ちゅぱ、じゅるる、はむ、ん、んむ、んっ」

「むん、んぷ、れるちゅ、ちゅ、ぷぁ、んむ、はむん、むちゅ、ちゅ、ちゅぷ……ちゅっぱ、ちゅ」

 ひたすらに、一言も交わさず、その口と口の交わりを続けた。
長かった。
執拗な程に長い長い交わり。
口の中で二匹のなめくじが交尾をしているかのような。
それは彼女が言った通りの行為。
子を成すためだけならば必要の無い行為。
ぼたぼたと顎から唾液を垂れ流しながら、ミヴァンは快感で意識を飛ばないようにするのに精一杯だった。

 「味わって下さい」
次の指示がそれだった。
はらり、と黒のレースから解き放たれたウルスイの天使の膨らみ。
母性を象徴するその女性特有の部位はこれまでも度々ミヴァンの心を乱して来た。
その罪作りな部位に、ミヴァンは復讐した。
新雪のように白く、豊かな膨らみの頂に咲く紅色の突起に、ミヴァンは無我夢中でしゃぶりついた。
歯で感触を味わい、両手で重みを味わい、指で柔らかさと張りを味わい、顔を埋めて匂いを味わった。
ウルスイは口元を真一文字に結んで、声を堪えているようだった。
その我慢を破りたくて、ミヴァンは遮二無二その豊かな膨らみに挑み続けた。
「ぁくぅっ」
小さな声が漏れる。
今までどれ程の苦難でも戦いでも揺らいだ事の無かったウルスイの透明な声。
それが、こんなにも頼りない響きで発される。
自分がその声を出させた。
その事に脳が弾けるような興奮を覚える。

 「足を閉じないで下さい」
次の指示がそれだった。
裸になったミヴァンの膝の間に座ったウルスイは、羞恥から足を閉じようとしたミヴァンにそう命じたのだ。
そうして、信じられない行為に及んだ。
その端正な顔立ちを歪ませ、限界を超えて勃起しているミヴァンの性の象徴を口に含んだのだ。
それこそはまさに快楽の為の行為。
子を成すのに必要でない、娼婦の行い。
それを、天使が行っている。
陰部を包む温かさと、目の前に揺れる天使の翼にミヴァンの頭は混乱の極致に陥った。
思わず足を閉じて拒もうとするが、手で抑え付けられてそれも許されない。
「ちゅぱっ……足を、閉じないで下さい」
またそう指示され、もはや抵抗もできなくなる。
ミヴァンは天使の口に射精した。
「んっ……んっ……んっ……んっ……んっ……んっ……んっ……んっ……んっ……んっ……んっ……んっ……」
「んっ……んっくん……こくん……こくん……」
長かった。
背徳の極みである天使の口内への射精は、一度では許されなかった。
強烈な快楽によって大量の白濁を捧げても、飴玉を転がすように口内で弄ばれるうちすぐにまた大きくなってしまう。
それをまた、舌で丹念に愛撫され、健気に子種を量産し続ける睾丸を励ますように優しく指で愛撫され。
ミヴァンは天使の口に射精し続けた。

 「じっとしていて下さい」
何度射精したのか、記憶もおぼろげになった所でそう言われた。
温かな快楽の牢獄からようやく解放されたと思った瞬間、ふんわりと柔らかな肉の感触に陰茎が包まれた。
一瞬、とうとう交わったのかと思ったが、そうではなかった。
あろうことかその豊かな母性の象徴の谷間に、男性器が挿入されていた。
ウルスイはゆさゆさと体と翼を揺らし、そのふわふわに柔らかな肉で男性器に快楽を与え続ける。
口での奉仕とは違った優しい快楽にミヴァンが見悶えていると、また、先端に鋭い快感を感じた。
幹を挟んだ状態で更にその先端を咥えられたのだ。
乳房を寄せ、口をその谷間に吸い付かせ、男性器に全身全霊で奉仕する天使の姿。
それを目にしたミヴァンは頭が真っ白になる程の快楽と共に再び天使の口に射精した。

 「ミヴァン……」
女性が男性と交わる時に「濡れる」という事は知識としては知っていた。
けれども、これ程とは知らなかった。
ゆっくりと、ミヴァンの上に跨るウルスイの黒で艶やかに彩られた姿、その秘部。
とろりとろりとそこから溢れている女の蜜。
天使の純潔を守る意思を放棄したその部位は一刻も早く愛しい人へと捧げられたい、と涙を流している。

 「あぁっ」
「んっ……」

 ウルスイとミヴァンは、結ばれた。







 チュン チュチュン
カーテンの外からは鳥の鳴き声が聞こえていた。
街が目を覚まし、一日が動き始める。
ウルスイの安息日の終わりを告げる朝日が、その部屋にも差し込んでいた。







ギシッ ギシッ ギシッ ギシッ ギシッ ギシッ ギシッ ギシッ ギシッ ギシッ
終わらない
終わらない
終わらない
安息日が終わろうと、朝日が昇ろうと。
二人の交わりがいつまでも終わらない。
ミヴァンは注ぎ続ける。
神に祝福された天使の身体は、女性としての機能をも最上位に備えている。
そんな下世話な事実をミヴァンは陰茎で味わい尽くす。
散々に口で飲まれた子種を、正しく子を作る方法に使用し続ける。
ウルスイは飲み干し続ける。
今まで意識した事もないような自分の女の部分が、子宮が、歓喜に震えながらごくごくと子種を呑み続ける。
どんなに飲んでも足りないと、もっと欲しいと、子宮がせがみ続ける。
 
 だちゅん! だちゅん! だちゅん! だちゅん! だちゅん!
でんぐり返しの途中のような恥ずかしい姿でウルスイはベッドに縫い付けられている。
その上からミヴァンが何度も何度も鉄槌のように腰を振り下ろし、ウルスイの雌を叩き潰し続ける。
「あっ、あっ、あっ、ああ〜〜〜〜〜〜っいやぁ、いやぁ、いやぁ、やあああああぅやあああああ」
いつもの冷静さを完全に剝ぎ取られ、泣き喚く童女のようにウルスイは鳴く。
冷たさを湛えていたアイスブルーの瞳はとろとろに蕩かされ、ただ自分の身体を耕す勇者に翻弄され続ける。

 ぐりっ ぐりっ ぐりっ ぐりっ ぐりんっ ぐりんっ ぎしっ ぎしっ
今度はミヴァンが組み伏せられていた。
先程のウルスイと同じような恥ずかしい体勢でベッドに背中を押し付けられ、その上でウルスイが腰をくねらせている。
上下運動ではなく、深く挿入したまま腰を前後左右に揺さぶり膣壁で陰茎を舐めしゃぶる。
娼婦でもやらないような卑猥な腰使いで、ミヴァンを追い詰める。
「んぁあ!ぁあ!あぁ!ひぃぁ!ひぃぃん!」
今度はミヴァンが童女のように鳴く番だった。
その複雑極まりない名器を存分に生かし、膣と陰茎が蕩けて一つになりそうな感覚を与える。
「ひゃ、ひゃめ、溶け、溶ける、おちんちん溶けるぅ」
「溶けなさい、溶けなさい、蕩かしてあげます、溶けなさい」
「あ゛あ゛あ゛〜〜〜〜〜」

 ぬち……ぬち……ぬち……ぬち……ぬち……ぬち……
互いの体力が尽きるとどちらからともなく小休止に入る。
とはいえ体を離す事はなくずっと繋がったままだ。
くちゃくちゃと舌を絡め、互いの身体をまさぐり、後戯のような前戯のような交わりの中で結局また燃え上がる。
「ウル、スイ……」
「ミヴァン……ミヴァン……ミヴァン……あぁ、また……」







 「……」
「……」
宿の前にあるベンチに二人は座っていた。
目の前をせわしなく街の人々が行きかっている。
抜けるような青空に、鳥のさえずり。
今日一日もいい天気になりそうだった。
「あの……」
「二日」
ぽつり、とウルスイが言う。
そう、二日間。
ウルスイの安息日が過ぎてからさらに一日が経過し、その次の日の朝だった。
結局、二人は丸二日間絡み合っていた事になる。
二階から降りた時「恐れながら何をなさっていたので……?」と支配人が不安げな顔で聞かれた。
流石にお楽しみでした、と言う訳にもいかず怪我の療養だと誤魔化した。
無論、散々な状態になっていた部屋は完璧に掃除しておいた。
「反省しなくてはいけません」
「はい……」
それはもう、互いにひしひしと感じていた。
今まで旅をして来た中でこれほど欲に流された事はなかった。
そして、問題はこれからも流されない確証が持てない事である。
「ミヴァン」
「はい」
「失敗を悔やんでいても進みません、大事なのは次に生かす事です」
「はい……」
「次の安息日は、二日の猶予を設けましょう」
「はい……えっ」
もっと厳しくしなければならない、と思っていた所が予想外の言葉だった。
「貴方との交わりを規制する事は、恐らく私には出来ません」
はっきりと言った。
街中で堂々と言うので思わず周囲を見回す。
「い、いいんですか?」
「貴方は我慢できると思いますか?」
「…………いいえ」
「そうでしょう」
そう言うとウルスイは荷物を背負って立ち上がった。
「さあ、行きましょう、いつまでもここに留まっている訳にはいきません」
「は、はい!」
歩き始めたウルスイの後を追ってミヴァンも立ち上がった。
二人の関係は大きく変化した、それでも変わらず旅は続く。
ただ、これからどんな事が起こっても二人の絆はより一層深まっていくのだろう。
ミヴァンはそう信じている。
ウルスイもそう信じている。
二人の新たな門出を祝う空には雲一つも無い。
蒼く、深い、ウルスイの瞳の色。

 街から出る前に、とある小さなブティックの前を通りかかった。
その中から女性店員さんがこちらを見て驚いた顔をしているのをミヴァンは見た。
と、女性店員さんは満面の笑みに表情を変えてサムアップをしてきた。
訳が分からなくてウルスイの方を見ると、何と彼女も無表情にサムアップを返していた。
「???」となっているミヴァンにウルスイは顔を寄せた。

 「次の貴方の安息日、楽しみにしています」
「あぅ……」
21/04/11 11:40更新 / 雑兵
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